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卑怯者の島: 戦後70年特別企画
卑怯者の島: 戦後70年特別企画 (JUGEMレビュー »)
小林 よしのり
2015年に読み、感動した本(漫画)です。個人的には、これは小林よしのりの最高傑作だと思っています。『堕落論』とあわせて読んでほしいと思います。左右に関係なく、あなたが絶えず仮の足場を求めて思考を継続する意思を持つなら、避けて通れない著作です。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) (JUGEMレビュー »)
エドワード・W. サイード
いわゆる「知識人」なるものが絶滅して久しい。しかし、サイードの言う知識人の定義は時代がどんなに変わっても常に新しい。「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」高校生や大学生にはぜひとも読んでほしい本です。
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磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
磯崎新と藤森照信の茶席建築談議 (JUGEMレビュー »)
磯崎 新,藤森 照信
この本は茶室を巡る様々な建築的発想・知識の宝庫です。それにしても磯崎新氏の驚くべき記憶力と該博な知識には驚かさされます。建築史を語るには欠かせない二人の対談です。時がたつのを忘れさせるほどの面白さでした。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)
フェイクニュースの見分け方 (新潮新書) (JUGEMレビュー »)
烏賀陽 弘道
私は政治的な言葉と詩的言語の間を、その振幅が大きいがゆえに、往復することによって精神を活性化させています。政治的な文章を読むときに気をつけていることは、ファクトとオピニオンを区別することです。これはイロハのイだと思っていたのですが、今はお互い罵詈雑言の投げつけ合いで、言論空間がいびつになっています。これは今の政治を反映したものでしょう。菅官房長官が「問題ない」「その指摘は当たらない」などといったコミュニケーション遮断語を頻繁に使いだしてから、この傾向は加速しています。言論空間のゆがみを正し、正常な論争が復活することがあるのでしょうか。地に足がついた生き方をしたいなら、まず気分に流されず、事実を見極めることから始めなければなりません。事実を提示しないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。そのことを確認するためにも本書は必読です。本物の読解力をつけたいと考えている中高生には特にお勧めです。
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫)
チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫) (JUGEMレビュー »)
大河内 直彦
アインシュタインの名言のひとつに、「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」があります。
本書は文系・理系を問わず、高校生や大学生必読の本です。単に気候の科学を紹介しただけではなく、科学者たちのさまざまな逸話を紹介しながら、科学における知識・研究の積み重ねの重要性を教えてくれます。この本にのめり込むかどうかが、あなたの知性のリトマス試験紙になります。受験勉強的発想の狭隘な世界観を粉砕してくれるかもしれません。
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見て見ぬふりをする社会
見て見ぬふりをする社会 (JUGEMレビュー »)
マーガレット ヘファーナン
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新・日米安保論 (集英社新書)
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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安倍首相から「日本」を取り戻せ! !
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泥 憲和
まともな言説は、誰にでもわかる易しい言葉で書かれています。そして、それが本物であればあるだけ、真実を直視する勇気のない、臆病者からバッシングを受けます。安倍政権や維新の会のヤクザ議員からバッシングを受けない言説は何のインパクトもない、ニセモノだと言ってもいいくらいです。泥さんの発言は、間違いなく政権にとって都合の悪いものだったのです。表紙の写真はコワいですが、この本を読めば泥さんの優しい心根に触れることができます。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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日本力
日本力 (JUGEMレビュー »)
松岡正剛,エバレット・ブラウン
テレビを始めとするメディアを通じて、何かといえば日本はスゴイ!と叫んでいる、あるいは叫ばないと身が持たない人たちに読んでもらいたい本です。だってそれは日本人がまともな思考をしてこなかった、今もできていないことの裏返しでしかありませんからね。日本スゴイと叫んでいる人を見ると、自分が持っている劣等感をこんな形でしか表現できないのかと思って気の毒になります。日本スゴイ!だからどうしたの?あなたは何をやりたいわけ?
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佐藤 正明
今の政治状況に対して、まともに反応すればするほど、こちらがアホに思えてきます。正面突破は犠牲者が出るだけでなく、精神的にも疲労困憊しますからね。こういう時代の表現方法は、もはや風刺とブラックジョークしか残っていない気がします。
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魂の殺人―親は子どもに何をしたか
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書)
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五味 洋治
天皇陛下が去年8月のお言葉で一番国民に伝えたかったのは、一言で言うと安倍首相の改憲を許してはならない、ということだったのです。それはブログでも再三書いてきましたが、今上天皇の20年にわたる慰霊の旅や国民に寄り添う姿勢が何よりそのことを証明しています。普通の読解力があれば分かることです。しかし、安倍首相には肝心の読解力がありません。安倍首相は今上天皇の思いを、単なる生前退位の「制度上の問題」にしてしまったのです。これは明らかな策謀です。国民は今一度、天皇陛下のメッセージに真剣に耳を傾けるべきです。
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教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫)
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羽仁 五郎
1979年、今から38年前に出版されたこの本を読み返しました。そして愕然としました。羽仁五郎が指摘したことがますますリアリティーをもって、前景化しています。福沢諭吉も言うように文部科学省はいらないのです。教育関係者は、自らの原点に戻るため、この本を読むべきです。
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服従
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ミシェル ウエルベック
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排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容
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森 千香子
第16回大仏次郎論壇賞を受賞した本作は、従来時間軸で論じてきた社会学の手法に、パリ郊外というエスニック・マイノリティーが住む「空間」を突きつけ、彼らがなぜグローバルテロリズムに追い込まれるのかを明らかにしたものです。

一読し感銘を受けました。問いを生きるという学問の原点が、彼女のフィールドワークにつながり、「移民たちは、彼ら自身に問題があるのだという視線を注がれていました。でも実際には、多数派による差別が問題を生み出していた。問題は社会の側にあったのです」と結論付けます。

この著作は日本社会のみならず、世界のこれからを考えるのに、大いに役立ちます。これぞ学問と言えるものです。『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 』とあわせて読むことを勧めます。
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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被災の思想 難死の思想
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小田 実
若い人は彼の仕事も、名前すら知らない人もいるでしょう。来年で没後10年になります。彼が生きていたら、3・11をどうとらえ、どう表現していたか。それを見たかったし、彼の発言を聞きたかった、とつくづく思います。ジャーナリズムは劣化の一途をたどり、教育は非民主的な社会に適応できるように、こどもたちに真実を教えません。すべてのものには歴史があります。今ある世界が全てではなく、それを作り出した社会と人間の営みがあったのです。もし若い人が自由に生きようと思うのであれば、そして元気を出したければ、彼の著作を読んでみることです。『何でも見てやろう』でもいいですね。とにかく一冊手にとって見てください。そして彼の提示した問いに答えてみてください。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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職業としての政治 (岩波文庫)
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)
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英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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経済学という自己正当化の道具、あるいは権力に寄生するための方便を分かりやすい言葉で暴露した本物の経済学の本。宇沢弘文氏の「社会的共通資本」と併せて読むことをすすめます。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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桐野 夏生
権力も財力もない人間は、想像力を武器に戦うほかありません。以前ブログでも取り上げた『亡国記』とともに読むことをすすめます。
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文部科学省と財界は文系学部、特に社会思想を研究する学部を標的にして、その廃止を迫っている。これがどれだけ短慮で、バカげたことかヨーロッパの大学を見てみればよい。コンピテンス、要するに高速事務処理能力と記憶力を重視する理系学部さえあれば国は繁栄するという考え方です。文系学部は「結果を出せない」といいます。株式会社化をなりふりかまわず進めようとする国の中で、文系学部は穀つぶしだと映っているのでしょうね。この国の知性の劣化はとどまるところを知らないようです。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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本では土屋正雄氏の名訳が出ていますが、できれば英語で読んでもらいたい小説です。カズオ・イシグロの文章は読んでいてとても気持ちがいい。素晴らしい文体です。いつの間にか声に出して読んでいることがあります。ジョージ・オーエルと並んで私が最も好きな海外の作家です。彼が書くような英語を書きたいですし、彼のように考え、話したいものです。DVDを見た後は、是非小説も読んでください。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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長谷川 宏
著者は私と同じく学習塾を営む在野の哲学者。私が塾を始めた時、著者の『赤門塾通信』を読み、励まされました。

上下2巻で、結構なヴォリュームですが、やっと読み終わりました。今改めて日本の精神史をたどりなおしたいと考えている人には、ぜひ勧めたいと思います。感想は又いつか別の機会に。
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この本を理解できる政治家はおそらくいません。いたら、絶滅危惧種でしょう。
小林秀雄、岡潔、鈴木大拙のような人間はもう出てこないでしょうね。こういう人間を生み出す土壌が日本にはなくなりました。
代わりに登場してきたのが、橋下徹やホリエモンこと堀江貴史といった、マスコミによって改革の旗手と持ち上げられたマネー資本主義の申し子たちです。
感情を劣化させた人間が幅を利かせる社会は、効率を追求し、競争を加速させるだけの生きづらい社会です。日本社会はどうしようもなく劣化が進んでいます。
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こどもの将来を本当に考える親なら、あれこれ参考書を買い与えるより、是非この本を読むことをすすめます。私たちが失ったものの価値が分かり、呆然とするはずです。

この本を読んで何も感じなかったらどうするのか?
残念ですが、どうしようもありませんね。これまで通り、自分の信じる道をお進みください。
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以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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100年後の生存戦略 − 国宝・閑谷(しずたに)学校
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    昨年の11月、奈良の慈光院を再訪し、滋賀県の湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)を回りました。慈光院は訪れる度に発見があり、特にそのプロポーションにはため息が出ます。京都の詩仙堂と並ぶ私のお気に入りの建築です。奈良へ旅する機会があったら、ぜひ一度訪ねてみて下さい。

     

     

     

    私のブログは、春や秋になるとアクセス数が急増します。旅の参考に『古寺巡礼』を読んで下さっている方が多いからでしょうか。そうだとすれば嬉しいですね。ブログでは、どこの誰がアクセスしているのか、知る術がありません。一番アクセス数が多いのは『自己救済術としての家作り』を始めとする建築関係の記事です。

     

     

     

    政治の話題になるとアクセス数は減ります。この5年間で、私たちの国のリソースは、法治国家の建前を含めて、ズタズタにされました。膿そのもののサイコパス総理が「膿を出し切る」と言っているのですから、これはもうギャグというか白昼夢を見ている気がします。いやな時代に生き合わせたものです。

     

     

     

    旅の帰途、一番の目的だった閑谷学校に寄りました。山陽自動車道の備前ICから車で15分くらいだったでしょうか。途中、すれ違う車も人の姿もほとんどありません。山に囲まれた道を奥へ奥へと進んでいきます。到着した時はあいにくの雨でしたが、霧雨に煙る山間の閑谷学校も捨てたものではありません。妻と広大な敷地を歩きながら、日本という国が持っている文化的リソースの豊かさを思いました。

     

     

    閑谷学校全景

     

     

     

     

    現在の閑谷学校。右手の楷の木の新芽が膨らんでいます。

     

     

    秋の閑谷学校

     

     

     

    ついでに奥方様の写真も。

     

     

     

     

    閑谷学校は、江戸時代・寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって創建された、岡山藩直営の庶民教育のための学校・学問所です。国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などほとんどの建造物が国の重要文化財、資料館は登録有形文化財に指定されています。

     

     

    国宝の講堂内部。ピカピカに磨き上げられた床。現在でも地元の子供たちはここで論語を読んでいます。

     

     

     

     

    1660年代の半ば、光政は岡山の領地内に池田家の墓所のための土地を探していました。菩提寺である京都妙心寺の護国院が火災で焼失してしまったからです。光政の命を受けたのが、優秀な側近、津田永忠でした。永忠は領内をくまなく歩いて候補地を探しました。その一つが後に閑谷学校の用地となった和気郡木谷村だったのです。

     

     

     

    光政が木谷村を訪れたのは晩秋だったそうです。紅葉の美しい敷地を歩きながら、ここは墓所ではなく、庶民の子供たちが学ぶ学校にうってつけの土地だと直覚します。さすがに名君と言われるだけのことはあります。国家を私物化して恥じないどこかのバカ殿とは大違いです。

     

     

     

    私が興味をひかれたのは、国宝の講堂だけではありません。敷地を取り巻く石塀の美しさもさることながら、そのランドスケープデザインの秀逸さでした。ここは『風の谷のナウシカ』に描かれた風の谷の祖形だと直感しました。

     

     

     

    図面を見ると寄宿舎や食堂、厨房が敷地の西に配置されています。そして、東側の講堂や聖廟との間に火除山を築いています。防火のためにわざわざ山を築いたのです。そして、弘火四年(1847年)、寄宿舎からの失火で西側にあった建物が焼失した時も、この火除山のおかげで、東側の講堂や聖廟は延焼をまぬがれたのです。何という先見の明、危機管理の意識の高さでしょうか。

     

     

     

     

    草一本生えないように設計されたこの石塀(幅1,8メートル、高さ1,5〜1,6メートル)が敷地を取り囲んでいる。全長765メートル。石工たちの創意工夫と忍耐力に頭が下がります。この石塀だけでも見に行く価値があります。

     

     

     

     

    さて、最後に閑谷学校からもらったインスピレーションについて書きます。今私たちの国は首の皮一枚で繋がっている状態です。早晩、カタストロフィーに見舞われます。統治機構の自壊現象のことを言っているのではありません。営利行為としての戦争のことでもありません。それよりもっと確実で深刻な危機に直面しているのです。

     

     

     

    それは、福島第一原発の事故で、放射能によって高濃度に汚染された地下水とそれを貯蔵している巨大タンク、除染によって出た膨大な放射能汚染土をどうするのかという問題です。次なる地震が襲えば、これらは確実に海に放出され、溶け出します。

     

     

     

    もちろん、地震がこなくても、やがてリミッターが振り切れる時がやってきます。その時、日本近海はもとより、太平洋は放射能によって汚染され、漁業は壊滅するでしょう。チッソが水俣湾に有機水銀を垂れ流して住民の命を奪った事件は、その後の私たちの運命を暗示していたのです。

     

     

     

    その時、私たちは海を捨てなければならなくなります。海に面した都市は、徐々に放射能に蝕まれていきます。子供たちはどこで生きればいいのか。最悪の場合、海外に脱出するしかありません。

     

     

     

    しかし、すべての子供たちが脱出するわけにはいきません。国内にとどまり、なんとか再生の時を待つしかないのです。その場所はどこにあるのでしょうか。そうです、全国に点在する「閑谷学校」こそが、子供たちが生き延びるための「風の谷」になるのです。

     

     

     

    今の政権は、こういったことをシュミレーションすらしていません。そもそもそういった発想がないのです。自分たちにとって都合の悪い事実を隠蔽し、歴史を捏造し、さらには女性をモノのように扱う体質が表面化するに及んで、彼らは事実に向き合うことすらできない痴呆になったのです。

     

     

    | 中高生の皆さんへ | 22:11 | comments(0) | - |
    <生>の始まりに向かって。
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      今回は、一週間ほど前に読み終えた本を紹介したいと思います。タイトルは、『石を聴く――イサム・ノグチの芸術と生涯』 ヘイデン・ヘレーラ著(みすず書房)です。今年の2月に出版されました。

       

       

       

       

       

       

      今からちょうど一年前に書いた以下の記事とタイトルが似ていますね。よろしければ、お読み下さい。

       

       

       『石に訊け − イサム・ノグチと宮崎駿』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=340

       

       

       

      古寺巡礼と建築行脚の旅を始めたのは今から16年前でした。そして最初に選んだのが高松市牟礼にある『イサム・ノグチ庭園美術館』でした。

       

       

       

      イサム・ノグチになぜ引きつけられたのか、正直なところ分かりません。彼の作品を言葉で意識的に分析すれば何か重要なものが棄損される気がするのです。だから、作品そのものを語るのではなく、宮崎駿と対比させて感想を述べました。

       

       

      イサム・ノグチの作品に対していると、私の内部で、無意識的な記憶の掘り起こしが進行しているのが分かります。それは私固有の記憶とは違った何かです。私たちの内部に私たちの意識よりも多くのことを知っているものがひそんでいて、それが語りかけてくるといった感じなのです。

       

       

       

      それは、自分が知っていることなどたかが知れていると気づかせる何かです。つまり、人間の内部には、意識では到達できない領域が広がっていることを教えてくれるのです。私は以前、人間とは記憶のことだと書きました。その記憶とは個体としての身体の中に閉じ込められている記憶のことでした。

       

       

       

      しかし、自分では体験したことのないことを突然思い出したり、人の死や偶然の出来事によって、異質な記憶の層に引っかかったりしたことはないでしょうか。なんだかオカルトっぽくなりそうですが、人間が霊的な存在であることを思えば、不思議でも何でもありません。鈴木大拙は「霊性」と言っています。

       

       

       

      私はイサム・ノグチの作品を見ている時や、古寺巡礼を続けている時に、こういった経験をすることがあります。すぐれた建築や絵画、彫刻に興味を持ったのは、この経験を深め、その意味を探りたいと思ったからです。そのことをブログで書いたことがあります。

       

       

       

      その中の一つ、『私の古寺巡礼13−奈良・慈光院』から引用します。

       

       

      古寺巡礼を続けていると、自分の体温というか体質というか、趣向にとても近い建築に出会います。琴線が共鳴するのです。それは初めて出会ったのに、ずっと前から知っていたような、そんな感じです。私の美意識のルーツはいったいどこに由来しているのか、それはまだいろんなところに存在しているのか、ひょっとしてこれからもそういったものに出会えるのか、と考えると、生きることには意味がある、人生は楽しいと思えてくるのです。」

       

       

       

      そして私は気づきました。私たちの内部にあると思っていた記憶も魂も、実は私たちの外部にあるのではないかと。人間は、一人一人が孤立して独自の魂を持って生きているのではなく、大きな魂を一人一人の魂が形作っている存在だと。それが分かると、自分がなぜ生きてきたのか分かるような気がします。自分がなぜ死んでいくのかも分かりそうです。

       

       

       

      ことによると、人間は本来自分を意識せずに生きて行ける存在なのかもしれません。それに気づけば、いたるところに<生>の起源を見出すことができます。なぜなら、私たちは意識を与えられる前の、<生>の始まりに向かって旅をしているからです。

       

       

       

      興味がありましたら、鈴木大拙に言及している以下の記事をお読み下さい。

       

      「『普遍的な感情』とは、どのようなものか。」

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=87

       

      | 文学・哲学・思想 | 22:35 | comments(0) | - |
      とっておきの場所 ・ ニューヨーク「ペイリー・パーク」
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        私にはとっておきの場所が二か所あります。一つは、ブログでも紹介した、コペンハーゲン中央駅から電車で小一時間の距離にあるルイジアナ美術館。この美術館の素晴らしさは、何と言ってもランドスケープにあります。建築はランドスケープの一要素に過ぎないと教えてくれたのはこの美術館でした。百聞は一見に如かず。デンマークに行くことがあったら、ぜひ立ち寄ってみて下さい。

         

         

        ルイジアナ美術館

         

         

         

         

         

        今回紹介するのは、もう一つのとっておきの場所、ニューヨークの街の真ん中にある「ペイリー・パーク」です。高層ビル群が建ち並ぶニューヨーク近代美術館の並びにある、わずか13メートル×30メートルの小さな公園、いわゆるポケットパークです。

         

        「ペイリー・パーク」

         

         

         

        ランドスケープ・アーキテクト、ロバート・ザイオンの設計で、ビルの谷間に造形されています。ハリー・ベルトイアの白のワイヤーフレームの椅子が置かれている、大都会のオアシスです。これをウィリアム・ペイリー財団が管理運営しています。

         

         

         

        「ペイリー・パーク」は、周囲の喧騒から離れたヒューマンスケールの空間を人々に提供しているのです。こうした空間は都市生活に欠かすことのできないものですね。歩き疲れた時、あるいは待ち合わせの場所として、とにかく座ることが出来るスペースは欠かせません。

         

         

         

        「ペイリー・パーク」の一番奥には、高さ6.1mの滝があります。流れ落ちる水の音が都会の喧騒を忘れさせてくれます。同時に中心的な視覚要素となっていて、歩行者を立ち止まらせ、その魅力に惹かれて公園に入ってみようと思わせるのです。

         

         

         

        小さな売店があり、サンドイッチやコーヒーといった軽食を手軽な値段で買うことができます。いわゆる、アウトドアカフェです。人々は、日常の何気ない会話を楽しんだり、ランチを楽しんだりしています。ちなみに、ニューヨークでは、オープンスペースの20%をこのカフェスペースに利用して良いとの規則があるそうです。

         

        木洩れ日がやさしい空間です。

         

         

         

         

         

        ところで、このペイリー・パークに関しては特別の思い出があります。昔の恋人と別れたのがこの公園だったのです、なんちゃって。冗談です。

         

         

         

        実はブログで紹介したSさんの奥さんが、わが家の見学に来た時、玄関アプローチに敷いている石(ピンコロ石)と中庭のベルトイアのダイヤモンド・チェア(もちろん、リプロダクトです)を見て、「もしかして、先生はニューヨークのペイリー・パークを御存知ですか?」と言ったのです。

         

        冬の「ペイリー・パーク」。敷き石はピンコロ石です。

         

         

         

         

        私は一瞬絶句しました。実はルイス・カーンや、中村好文さんと並んで、ペイリー・パークの設計者であるロバート・ザイオンに深く影響されていたからです。それを一瞬で見破ったのですから、恐るべき眼力の持ち主です。私が持てるものを総動員してSさん夫妻の力になろうと思ったのは、これが理由だったのです。

         

         

         

        話を元に戻します。ロバート・ザイオンはアメリカのランドスケープ・デザイナーです。1921年、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンで生まれます。ハーバード大学で工業経営を学んだ後、ランドスケープ・アーキテクチュアのマスターを修得。ニューヨークで独立し活動していましたが、その後、郊外の開発から州の農村居住地を守るためニュージャージーのイムレイスタウンという人口数百人の小さな村にオフィスを移して、質の高いランドスケープをデザインし続けました。そこで交通事故に会い79歳で亡くなります。

         

         

        ペイリー・パークの図面。

         

         

         

         

        その温厚そうな風貌とは裏腹に、彼は造園についてかなりきつい調子で述べています。「ハーバードの造園学科を出ても造園家にはなれない」「造園家が自然そのものからあまりにも離れた距離に置かれていると、デザインすることが困難になるばかりでなく、極端に人工的なデザインをするようになりやすい」と

         

         

         

        複雑な自然の営みの一部を抜き取って、それを違う場所で再構成して見せることを「造園」というならば、それは恐ろしく大それた行為です。そんなことが机の上で一朝一夕にできるわけもありません。

         

         

         

        自然の一部である樹木や植物について学ぶことは、受験勉強のように図鑑の説明を覚えればいいというものではない。植物の生態はその土地の自然条件や風土と一体のものだからです。一歩一歩、急がずに、一生かかるつもりで、少しずつ体験を積み重ねていくしかありません。

         

         

         

        週休三日制のゆったりとした仕事ぶりが、彼のデザインの源泉となっているとの記事を以前読んだことがあります。しかし、週休三日制を採用すれば、誰でも良い仕事ができるわけではないでしょう。

         

         

         

        口を開けば、忙しい忙しいと言っている造園家は、単なるビジネスマンに過ぎません。造園家に求められる資質とは、実は、ゆったりとした暮らしの中から得られる、植物や人間に向けられる視線の優しさ、余裕のようなものなのかも知れません。

         

         

         

        言わずもがなですが、日本の教育に最も欠けているのが、こういった優しさと余裕なのです。

         

        | 建築 | 14:01 | comments(0) | - |
        「自由で公平で平和な国で死にたい」
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          私は多数派に迎合したり、権力に擦り寄ったりすることが何よりも嫌いです。ある人の言説が多数派を恃んでいたり、権力に秋波を送っているのが分かると、生理的に敬遠したくなります。若者ならともかく、それなりに社会経験を積んできた大の大人が政治的言説にころりと騙されるのを目にすると、もはや私の出る幕はないのだと痛感させられます。

           

           

           

          やっかいなのは、政治的な発言を避けることによって、現状を肯定し、権力を延命させている人たちです。それは、岩ツバメが唾液で巣を作るように、生活の中で分泌される無意識によって形作られた態度です。日本にはこういった態度を、さも知的で良識的であるかのように考えている人が多い。

           

           

           

          私は彼らのことを消極的ネトウヨ層と呼んでいます。少し考えればわかることですが、「政治的な発言を避ける」ことは、「いま権力を握っている人間たちに決定権を委任し、口出しはしません。」という責任放棄と隷従を意味します。

           

           

           

          思えば、こういった態度を教養人のマナーだと勘違いしている人に、何人出会ってきたことでしょうか。その度に私は思ったものです。人格のない1万人にちやほやされるよりも、一人称で考え一人称で行動する一人の人間から信頼されるような生き方をしようと。

           

           

           

          以来、消極的ネトウヨ層が分泌し続ける言説に、首まで浸かりながら、私は自分の心に届く言葉を探し続けてきました。なぜなら、自分の果たしている政治的な役回りに無自覚な人間たちが分泌する言葉によって精神の衛生が害され、人格が空洞化することを知っているからです。

           

           

           

          そんな日々の中で、久しぶりに素直に心に入ってくる言葉に出会いました。それは、5日、82歳で亡くなった高畑勲監督の短い言葉です。高畑監督の年賀状を映像研究家の叶精二氏がツイッター上で公開したものです。

           

           

           

          高畑勲監督の『火垂るの墓』

           

           

           

           

           

          「皆さまがお健やかに
          お暮らしなされますようお祈りします
          公平で、自由で、仲良く
          平穏な生活ができる国
          海外の戦争に介入せず
          国のどこにも原発と外国の部隊がいない
          賢明強靭な外交で平和を維持する国
          サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です」

           

           

          ブログでこれまで13回にわたって宮崎駿監督を取り上げました。その監督が、インタビューで「宮崎さんは夢を見るんですか?」という問いに、「見ますよ。でもぼくの夢はひとつしかない、いつも登場人物は高畑さんです」と答えています。

           

           

           

          以下、高畑勲監督の言葉を取り上げます。

           

           

           

          「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」

           

           


          「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」

           

           

           

          「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」

           

           

           

          「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」

           

           


          「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」

           

           

           

          「『戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う』とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです」

           

           

           

          「日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが9条です」

           

           

           

          「『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」

           

           

           

          「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には(自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いているのが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、もうちょっと考えられない。本当に信じられない」

           

           

           

          宮崎監督は高畑監督が亡くなった日、「まだその気持ちにはなれない」と、コメントは出していません。当然ですね。ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しました。

           

           

           

          その高畑勲監督の「自由で公平で平和な国で死にたい」という痛切な思いは、これからも無視され続けるのでしょうか。

           

           

          | 中高生の皆さんへ | 13:47 | comments(0) | - |
          うれしい便り・春。
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            ブログで紹介したSさん夫妻の住宅の新築工事が始まりました。車を飛ばして現場を見にいきましたが、ロケーションが素晴らしく、成功したも同然だと思いました。それほど住宅にとってロケーションは大切です。私の家も、街中の住宅街にあれば、資材置き場と間違われていたでしょう。周囲に樹木を植えて家らしく見せているだけです。

             

             

             

            図面を見せてもらうと、骨格だけは腕の確かなプロに頼み、後は二人だけで少しずつ作っていく計画が見事に書き込まれていました。住み手である夫妻の、大らかで丁寧な暮らしぶりや、ゆったりとした時間とともにある日々の生活が立ち現われてくるようなプランでした。完成が待ち遠しいですね。

             

             

             

            そんなとき、塾教師 O 君からメールが届きました。家族で埼玉県からわざわざ塾の見学に来てくれたのが、去年の4月23日でした。ちょうど1年になります。あれから中古住宅を手に入れ、私が紹介した中村好文さんの本を読んでデザインし、大工さんと相談して実行に移したのです。そして今春ついに開校だそうです。おめでとう!

             

             

             

            メールには新しい塾の教室の画像が添えられていました。風の吹きぬける、ちょうどいい規模の、あちこちに工夫の跡がうかがえる落ち着ける空間です。黒板の後ろの壁は杉の羽目板を貼っています。教室中に杉板の香りがほのかに漂っているようで、何ともいえない安らぎを与えてくれそうです。

             

             

             

            その一部がドアになっているのですが、見た目には単なる壁です。忍者屋敷の扉のようで、遊び心がありますね。こんな環境で勉強できる生徒は幸せだと思います。

             

             

             

            塾業界では、なにかといえばエビデンスだの、費用対効果だの、何点アップだの、何人抜きだの、成績保証だの、といったキャッチコピーが躍っています。O 君の塾は、幹線道路沿いにある人目を引くキラキラ塾ではなく、閑静な住宅街にあります。

             

             

             

            夕刻になると、部活で疲れ、人間関係でささくれ立った心を抱えた子供たちがやってきます。忘れ物をした生徒や宿題をやっていない生徒もいるかもしれません。それでも塾で勉強するうちに、 O 君の話や数学の面白さに魅せられて、帰る頃にはすっかり元気になっていることでしょう。

             

             

             

            私は、塾教師は O 君の天職だと言いました。それはつまりこういうことです。今 ICT 教育が盛んに宣伝されています。ICT 教育とは簡単に言えばインターネット、タブレット、デジタルコンテンツなどのデジタル技術を使った教育のことです。

             

             

            つまり、「従来の教育では、インターネットを調べればわかることを教師に教わり覚えるということが中心だった。ICT を使うことで、インターネットに聞けばわかることはインターネットに任せて、より効率的に情報を活用した創造的なスキルを養うことに焦点を当てることができる」というわけです。

             

             

             

            要するに塾産業からすれば、ゆくゆくは AI が教育の大部分を肩代わりする時代になる。だから教育をデジタル機器に任せ、先を読んで設備投資をし、費用対効果を常に頭におきながら、利潤を上げるサービスに転換しなければならないということです。

             

             

             

            これからの塾教師は、なによりも、デジタル機器を使いこなせる人材でなければ務まらないと言っているわけです。現に多店舗展開している多くの塾は、そういった人材がいないため、ただ DVD を見せたり、別料金で子供たちに英会話や、速読教室なるものを受講させています。

             

             

             

            一方で、O 君のように塾教師を天職と考える人間は、多店舗展開型の塾などまったく考えていないはずです。これはあくまで、金儲けの論理なのですから。では何をしなければならないのか。

             

             

             

            「教育」そのものを再定義するという困難な仕事に着手しなければならないのです。そうすれば ICT 教育が人間の創造性を高めることに本当に役立つかどうかが見えてくるはずです。加えて、創造性は例えば自己犠牲の精神よりも上位の価値なのか、という疑問にも答えなければなりません。

             

             

             

             ICT 教育は一つの手段です。手段はあくまで手段に過ぎません。にもかかわらず、手段が目的そのものになっているのが今の教育なのです。教育の目的は子供を東大に入れることでは断じてありません。

             

             

             

            手段が目的になればどんな不都合が起こるか。手段と目的の区別がつかない人間が大量に出現し、目的が失われます。その結果、人間を含めてすべてのものが手段と見なされるようになります。

             

             

             

            安倍政権は目的を喪失させ、手段を自己目的化したのです。公文書の偽造・変造や原発の再稼働はその典型例です。目的(理想といってもいい)を喪失した社会の行きつく先はグロテスクな社会つまりディストピア以外にありません。国民は奴隷として働かされ、殺されるしかないのです。現に自殺者が複数出ているではありませんか。

             

             

             

            塾教師を天職だと考えている O 君には、これからやることがまだまだあります。それは困難を伴いますが、これ以上にやりがいのあることはないかもしれません。O 君の健闘を祈ります。

             

             

            | 人生 | 22:06 | comments(0) | - |
            二つの映画をハシゴしました。
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              昨日3月31日土曜日、パークプレイスで午後7時から、封切られたばかりの映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を観ました。そして、今日はシネマ5bizで『ザ・シークレットマン』を観ました。間に『大統領の陰謀』が挟まっていれば言うことはなかったのですが、なにせ1976年制作の映画ですから、それはない物ねだりでしょう。

               

               

               

              ブログでも何度も書きましたが、1970年代は、まだ報道の自由、表現の自由が国家にとって致命的に重要だということを認識していた新聞人がいたのです。報道の自由が民主主義を支えていること、ひいては国家間の戦争を回避するためになくてはならないものだということを、骨の髄から分かっている報道人がいたのです。

               

               

               

              なぜなら、文書の隠蔽・偽造によってアメリカの若者50万人以上がベトナムで命を落とし、女性や子供を含む100万人以上のベトナム人が殺されたのですから。文書の隠蔽・偽造が国家を内部から腐らせ、やがては崩壊につながること、つまり国民が政府によって殺されることは自明なのです。

               

               

               

              今の日本の若者はベトナム戦争がでっち上げによって始まったことを知っているでしょうか。それが私たちの世界に何をもたらしたかを含めて学習しているでしょうか。もちろんイラク戦争や湾岸戦争もしかりです。私はすでに『現代の戦争に偶発はない。すべて営利行為である』と書きました。

               

               

               

              『大統領の陰謀』は、ワシントンポストでウォーターゲイト事件を調査していた駆け出しの記者(映画ではダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードが演じていました)が、ニクソン大統領の指示があったことを突き止め、それをワシントンポストが社運をかけて守る、つまり報道の自由に命をかけた新聞人の気概を描いた映画です。

               

               

               

               

               

               

              今回2本の映画をハシゴしようと思ったのも、『大統領の陰謀』を観ていたからです。政治に深く思いを致したことのない人が、素朴にこの2本の映画を観たらどう思うでしょうか。それが知りたくて妻とハシゴしたのですが、「権力は人の命なんて何とも思っていないことがわかる。今の日本とそっくりというか、日本のことが描かれているわね」という感想でした。おそらく頭のいかれたネトウヨを除けば、ほとんどの人は妻と同じ感想を持つのではないでしょうか。

               

               

               

              森友事件、いやアッキード疑獄を扱った昨日の報道特集で、フランス「ル・フィガロ」のレジス特派員が言っています。「私が非常に心配しているのは、スキャンダルそのものよりむしろスキャンダルへの対応です。もしこれがフランスであれば処罰の実行などもっと早く対応すると思います。そして時の政権は崩壊するでしょう。事件に自殺が絡んでいる場合は特に」と。

               

               

               

              国会答弁のために財務官僚が公文書を組織的に捏造することがどれほど重大な犯罪なのか、国家に対する裏切りなのかを、当の財務大臣はもとより安倍首相がまったく分かっていません。それが明らかになったあとも内閣が倒れないのですから、手の施しようがないほどの腐敗というか虚無が私たちの間に広がっているということです。

               

              | 読書・映画 | 22:06 | comments(0) | - |
              今日は簡単に済ませます。
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                安倍政権のやることはおよそ政治の体をなしていません。メルトダウンどころか完全にメルトスルーしています。政治の中心がこれほど腐敗し、機能不全に陥り、道徳的に退廃したことはかつてありませんでした。経済政策も、外交政策も、社会保障も、教育もすべて破綻しています。

                 

                それを指摘する声が自民党の中から出てこないということが、この政党が終わっている何よりの証拠です。もちろん安倍政権にヒルのように吸いついている公明党もヤクザ集団の日本維新の会も同じです。

                 

                安倍首相は、自分がリーダーシップをとって圧力をかけ続けたから、北朝鮮は対話に動き出したのだと国会で述べました。ここまで自己中心的な解釈を臆面もなく披露できる政治家を見たことがありません。

                 

                 

                私は数年前から彼のことをサイコパス総理と呼んできましたが、それが見事に立証されたのです。ちなみに、サイコパスとは「主張や態度をコロコロ変え、自己中心的で支配欲が強く、おのれの過失の責任は100%他人にあるような物言いをし、誇大妄想に取り憑かれているように見える」人間のことを指します。

                 

                安倍首相は、Jアラートを鳴らしまくり、国民にしゃがんで頭を隠す訓練をさせ、東アジアの危機を煽ることで、自身の権力を強化し続けてきました。北朝鮮にしてみれば、安倍政権は米軍という虎の威を借りるキツネに過ぎないのですから、まともに相手をするには及ばないと判断していたのです。

                 

                半年以上前に書いた記事です。よろしければお読みください。

                『北朝鮮の問題で安倍首相が主体的に決断できる可能性は1%もない。』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=406

                 

                ダイナミックに動き出した国際情勢に、もはや、彼の能力では対応できないことを私たちは知るべきです。

                 

                安倍首相だけではありません。「自民党麻生派顧問の甘利明元経済再生担当相は29日、派閥会合で『今の外交課題に対応できるのは安倍晋三首相しかいない。麻生太郎副総理兼財務相には、義経を支える弁慶として力の限りを尽くし、支えてもらいたい』と強調した 。」(共同通信)とのことです。

                 

                 

                 

                大臣室で50万円を受け取り、あっせん利得罪のど真ん中だと批判され、睡眠障害を理由に雲隠れした甘利氏は、いったい何を見ているのでしょうか。安倍首相が義経?このたわけ者!睡眠障害だけでなく脳障害も併発しているようです。

                 

                 

                さて弁慶こと麻生太郎財務相の番です。彼は29日の参院財政金融委員会で、連日報道されている森友学園を巡る決裁文書改ざん問題に関連し「森友の方が環太平洋連携協定(TPP)より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」と発言しました。ネトウヨの発言そのものですね。

                 

                さらに最近の新聞報道で森友問題に比べTPPに関する記事が少ないことに言及し「日本の新聞のレベルはこんなもんだと思って経済部のやつにぼろかす言った覚えがある」と話したそうです。やれやれ、弁慶は弁慶でもサイコパス弁慶の登場とは。こんなことは未曾有(みぞうゆう)の状況です。

                 

                眠いのでもうやめます。おやすみなさい。

                 

                | 政治 | 00:49 | comments(0) | - |
                山本太郎議員の怒りは、私たちの怒りである。
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                  3月28日午前11時10分、塾の準備をしながら、参議院予算委員会の国会中継を見ました。もちろん質問者は山本太郎議員です。私が国会議員の質問をライブで見るのは山本太郎議員だけです。最近は彼のオフィシャルサイトで質問時間を確かめ、その瞬間を心待ちにするようになりました。

                   

                   

                   

                  彼のことをブログで取り上げたのは、今回で36回目になります。それほど山本議員の質問は素晴らしい。私が訊きたいことを訊き、言いたいことを代弁してくれるのは彼だけです。

                   

                   

                   

                  初めて彼の国会中継をブログにアップしたのは今から3年前。以下がその時の記事です。彼の動画はアップするたびに削除されました。そこで再びアップするというイタチごっこを繰り返しています。そして時々、私は山本議員に励ましのメールを送ります。このブログをご覧の皆さんも、ぜひ彼のオフィシャルサイトから応援のメールを送りましょう。

                   

                   

                  『国は誰のために存在するのか−山本太郎議員を応援する。』

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=26

                   

                  そして今回の質問。わずか10分の質問時間の中で、ここまで要点を絞り込んで鋭く質問できる議員は、今や彼を措いていません。今夜のNHKニュースでは放送されないと思いますので、以下に動画をアップしておきます。

                   

                   

                   

                   

                  以下の動画は山本議員が、3月5日にした質問です。そこでなんと言っていたか。

                   

                   

                   

                  「情報隠しで自分の命まで奪われかねない状況になったら勿体なさ過ぎる。この国に生きている官僚の皆さんは、この国をもう一度建て直す為に必要な人材。決して自分の命を無駄にする様な事はしないで頂きたい」

                   

                  近畿財務局の男性職員が自殺したのはその2日後でした。11分30秒あたりから2〜3分だけでも見て下さい。

                   

                   

                   

                  ちなみに山本議員のことを「裸踊りするしか能のないタレントくずれのバカが」と言っていたのは、例の大分市中春日町のY田ゼミ塾長氏です。最近でもツイッタ―で叫んでいます。

                   

                   

                   

                  ・森友、森友ってバカの一つ覚えみたいなことばかりやってもしょうがないだろ!佐川さんが、官邸の関与はない、と言ってるんだからあとは司法に任せろよ。

                   

                  ・野党には政策立案能力はないのか政治をヤレ!

                   

                  ・佐川さんが官邸の関与無し、と言い野党を黙らせた。笑った、笑った(^^)共産党より佐川さんのほうが頭がいい。

                   

                  ・世界は動いているなあ。でもわが日本は朝から晩まで森友、森友。日本は平和だ。自民党がしっかりしてくれてるからだが。

                   

                  ・森友とかどうでもいいことを朝日新聞は騒ぎたてる。

                   

                  ・坂上忍って、韓国人だったのか。知らなかった。

                   

                   

                   

                  やれやれ、最後の坂上忍氏の件は、あの麻生財務大臣からも「レベルが低すぎる」と注意された元NHKの和田政宗議員の発言をめぐってのものです。坂上忍氏は庶民感覚のごくまっとうな反応をしたに過ぎません。ところがネトウヨが激昂し、坂上忍氏を在日3世などとするウソの情報を流し、ウィキペディアまで「書き換え」ていたのです。詳しくは以下のサイトへ。

                   

                  http://lite-ra.com/2018/03/post-3902.html

                   

                   

                   

                  ネトウヨが「書き換えた」フェイクをそのまま信じたネトウヨ塾長が、「坂上忍って、韓国人だったのか。知らなかった。」などとツイートしたのです。この塾長のレイシストぶりは相変わらずです。

                   

                   

                   

                  それにしても、塾業界では、レイシスト(民族差別主義者)で事実とフェイク(妄想)の区別すらつかない人間でも、あるいは、他人になりすまして平気な人間でも経営者らしきものになれるのです。

                   

                   

                   

                  最後にY田ゼミ塾長氏へ一言。

                   

                   

                  いくら政権が強く、それを支持しているからと言って、あなた自身が強いわけではない。自民党ネットサポーターズクラブなんて、そのうち洟もひっかけられなくなります。簡単に見捨てられます。安倍政権を見ていてそれが分かりませんか。

                   

                   

                   

                  安倍首相が非難されたら自分が非難されたように感じ、安倍首相が否定されたら、自分が否定されたように感じるなんて、あなたはなんという小心者でしょうか。自分に自信を持てない人間が権力や成功者に自己投影するという心理は潜在的に誰にでもあります。しかし度を超すとパラノイアです。

                   

                   

                   

                  日本という抽象的存在に同化し、安倍政権に同化する。そのことによって空洞化した生を埋めるために、中国や韓国という抽象的な存在を差別し見下す。そんな陰惨な生を生きるなんて悲しすぎます。真実に生きるほうが人生はずっと豊かだと思いませんか。

                   

                   

                   

                  ※パラノイア:

                  妄想性パーソナリティ障害の一種。 自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。

                  | 政治 | 21:58 | comments(0) | - |
                  幸せな一日でした。
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                    午前9時40分頃、塾の生徒Y君のお母さんからうれしいプレゼントを戴きました。臼杵の『さかいや』さんの桜餅です。そろそろ買いに行こうかと考えていた矢先だったので、なんとタイミングがいいのだろうと、感激しました。

                     

                     

                     

                    午前9時40分頃と細かい時間を書いたのは、開店時間が午前9時だからです。『さかいや』さんは、その日の商品が売り切れればそこで営業は終わりです。予約せずに行くと買えないこともあります。私の住んでいる坂ノ市から車で往復すれば40分くらいはかかります。

                     

                     

                     

                    Y君のお母さんはきっと開店時間に合わせて行かれたのだと思います。そして帰りにわざわざ私の家に寄ってくれたのです。本当にありがたいことです。戴いた桜餅は出来たてで、まだ温かく、桜餅独特の春の香りがしていました。

                     

                    Y君のお母さんに戴いた桜餅。

                     

                     

                     

                     

                    でも、私が『さかいや』さんの桜餅が好きだとどうして分かったのでしょう。そう言えば今から2年前、一度ブログで紹介したことがあります。それを覚えて下さっていたとしたら、こんなうれしいことはありません。

                     

                     

                    絶品の桜餅』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=140

                     

                     

                     

                    私のブログは記事が長く、小難しいことも書いているのであまり人気がありません。もちろん塾の営業にとってプラスにはなりません。それでも、一日に700を越えるアクセスがあります。

                     

                     

                     

                    私は不特定多数の人に向けて文章を書くのが苦手です。それでもブログを書こうとすれば、理想的な読者をどこかに想定して、その人に向けて書くよりほかありません。期待し、励まし、ほめる文章を書きたいからです。相手の矛盾を突き、論理的に批判し、追い詰める文章を書いても(それも結構好きなのですが)楽しくありません。

                     

                     

                     

                    塾の教師をしているせいか、私にとっての理想的な読者は、高校生から大学生くらいの精神の可塑性に富んでいる聡明な若者ということになります。一対一で向き合って、何時間でも話すことのできる若者なら理想的ですね。

                     

                     

                     

                    そういうわけで、私は正直に自分の思ったことを書いているつもりです。いきおい、若かったころの至らなさを棚に上げておくわけにもいきません。見栄や打算に衝き動かされていたころのことも書かなければなりません。

                     

                     

                     

                    しかし、今時、他人の告白的青春記を読みたいなどと思う人はいないでしょう。人間そのものに対する関心がなくなったからです。私にできることは、挫折や失敗や逡巡の経験を語ることよりも、両親や多くの人の経済的・精神的な犠牲の上に私の人生が形作られていることを、さまざまなジャンルの語り手たちの助けを借りて、間接的に、小声で語ることくらいです。

                     

                     

                     

                    ところで今日はもう一ついいことがありました。ブログでも書きましたが、大分大学の医学部に合格したSさんとお兄さんのK君、熊大に合格したMさんと私の4人で合格祝いとお別れを兼ねて、ランチ会をしました。

                     

                    手前右がSさん、左がMさん、後ろ右がK君。左はカフェフランセユキのオーナー幸さん。楽しいひと時をありがとう。

                     

                     

                     

                    トキハ会館の1階で待ち合わせをしていたのですが、デートの待ち合わせ場所に行くようで、私はドキドキしました。全員6〜7年間、塾に通って来てくれた生徒さんたちでした。大学を卒業すれば、すぐ社会人です。その時の社会が今よりは少しでもましになっていることを願いながら別れました。ああ、この若者たちに幸あらんことを!

                     

                    | 人生 | 23:25 | comments(0) | - |
                    明日の若者よ、立ち上がれ!そして街に出よう!
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                      3・25新宿大街宣に集まった人々。日本も捨てたものではありません。このまま安倍政権が続けば、私たちは確実に殺されます。安倍から日本を取り戻し、刑務所にぶち込め!なんちゃって。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      前回のブログで池田佳隆衆院議員(元日本青年会議所会頭)と赤池誠章参院議員を取り上げました。そこでネトウヨ政治家が誕生する経緯について説明しました。

                       

                       

                      その赤池氏、昨年は、映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』のポスターに掲載されたキャッチコピー「友達に国境はな〜い!」に噛み付いていたそうです。どこまで暇なんでしょう。さすがに安倍チルドレンだけのことはあります。こんな人間を税金で養っていることを国民はもっと知るべきです。

                       

                       

                       

                      赤池氏は12月3日の自身のブログで、このポスターを見た瞬間に「思わず仰け反りそうになりました」と書いています。仰け反りそうになった赤池氏に、私は仰け反りそうになりました。ネトウヨ安倍チルドレンの言動にしょっちゅう仰け反っているためか、最近は首と背骨が痛くなりました。後ろに倒れて後頭部を強打しそうなので、彼らの発言を聞く時には、ヘルメットを着用することにしています。

                       

                       

                       

                      赤池氏いわく「国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しない」とのことです。ごもっともです。一理ありますね。内心で何を考えようが自由です。他人がとやかく言うことはできません。それがどんなに反動的で、リアリストの仮面を被った「愛国主義者」のものであったとしても。

                       

                       

                      ただ、オレたちは国家を背負っているのだと、お仲間同士で怪気炎を上げているうちは結構ですが、立派な国会議員の先生が『ちびまる子ちゃん』のキャッチコピーに抗議したとなると、そのあまりの幼児性というか精神的な落差に唖然とするしかありません。こんな議員だらけになったら、いったい日本はどういう国になるでしょうか。そんな国に誰が住みたいと思うでしょうか・・・。オレが住みたい!(by ネトウヨ)

                       

                       

                      いったい赤池氏は大人なのか子供なのか。もちろん子供に決まっています。だって、『ちびまる子ちゃん』のポスター相手にケンカを売ってるのですから。子供でなかったら、単なるアホとしか言いようがありません。

                       

                       

                      クレームをつけた理由について「教育行政を司る文部科学省として、子供向けとはいえ、『国境はない』という嘘を教え、誤認をさせてはいけない」「国境は歴然としてあります」と主張したのです。そのうえで、「私なら(キャッチコピーは)『国境があっても、友達でいよう』と名付けた」と説明したそうです。

                       

                       

                       

                      ここで私は素早くヘルメットを被り、仰け反りました。後頭部を強打しましたが、ヘルメットのおかげで、軽い脳しんとうですみました。

                       

                       

                      さて、よい子の皆さん!皆さんが大きくなって立派なミュージシャンや、映画監督、スポーツ選手として活躍し、世界中に友達ができたら言いましょう。『国境があっても、友達でいよう』と。

                       

                       

                      このように、戦前の亡霊をよみがえらせようと画策している人間たちは、今やいたるところにいます。しかし、彼らの精神は脆弱で、その本質は虎の威を借るキツネに過ぎません。やがては歴史の進歩によって淘汰される運命なのです。以下の画像をご覧ください。

                       

                       

                      日米同時多発デモ。『米首都、高校生の呼び掛けで数十万人が銃規制要求デモ 過去数十年で最大』

                       

                       

                       

                      米首都ワシントンで24日、過去数十年で最大規模とみられる銃規制要求デモが始まった(AFP)「デモは『私たちの命のための行進』と銘打ち、数十万人が集結して行われている」「主催者は、全米および各国で、「NeverAgain(二度と起こすな)」というスローガンの下、800以上の銃規制要求デモが開催されていると説明」「ワシントンでは参加者が続々と地下鉄の出口から現れ、ホワイトハウスと連邦議会議事堂を結ぶコンスティテューション通りとペンシルベニア通りを埋め尽くしており」「付近のエリアは参加者約50万人を収容するため通行止めとな」っています。

                       

                       

                       

                      画像を見ると、緊急用の通路だけ確保して、あとは道路と広場をデモ参加者に開放しています。首都ワシントンDCの連邦議会議事堂前、日本で言えば国会議事堂前です。 警察(行政府)が過剰に権限を行使しない、民主主義が最低限の健全さで機能する国のふつうの光景です。

                       

                       

                      日本も負けていません。高校生も頑張っています。

                      3・25緊急新宿大街宣の様子です。

                       

                       

                       

                       

                      | 政治 | 21:59 | comments(0) | - |
                      日本青年会議所(JC)って、どんなところ?
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                        前川氏の授業について文科省に何度も「照会」し、圧力を加えたのは赤池誠章参院議員と池田佳隆衆院議員の2人だと判明しました。赤池氏は自民党の文部科学部会長、池田氏は同代理という関係です。ポスト欲しさに安倍首相に媚びを売るつもりだったのでしょうね。

                         

                         

                        左が池田佳隆氏、右が赤池誠章氏。

                         

                         

                         

                         

                        いうまでもなく、中央省庁にとって、予算や政策の決定に関わる自民党の部会の存在は極めて大きい。その二人が文科省に対して、恫喝まがいの問い合わせをすれば、官僚は「圧力」と受け止めます。その習性を知っていればこそ、この二人は文科省に経緯を何度も照会し、官僚が自らするはずのないことをあえてやるように仕向けたのです。


                         

                        ところが、安倍政権が財務省に公文書の改竄を指示したことが問題になっている時に、この二人は全く同じことを文科省にして、森友事件の本質を可視化して見せたのです。さすがに頭の弱いネトウヨ議員だけのことはあります。忖度が裏目に出ることなど考えもしなかったのでしょうね。今回のブログは、どうすればこのような妄想に近い「万能感」を持てるのかという問いをめぐって書きます。
                         

                         

                         

                         

                        二人とも安倍首相が積極的に閣僚として起用してきた「日本会議国会議員懇談会」の一員です。しかも、池田佳隆衆院議員は元日本青年会議所(JC)の会頭をしていたそうです。日本青年会議所(JC)と言えば、あのネトウヨを大量生産している組織ですが、私には忘れられない思い出があります。

                         

                         

                         

                        あれは確か2012年のことでした。公式サイトで日本国憲法JC草案を読んだ時のことです。読みながら、一体誰がこんな草案を書いたのだろうかと唖然とし、自分でも顔が赤くなっているのが分かりました。憲法の何たるかを全く理解していないことがわかる代物だったのです。

                         

                         

                         

                        ただ分かったことがあります。以前も書きましたが、公明党であれ、自衛隊であれ、電通のような一流のブラック企業であれ、その屋台骨を支えているのは、政治に対して深く思いを致したことのない、人の良い、しかも地域や家族を思いやる優しさを持っている末端の若者だということです。

                         

                         

                         

                        こういった組織で働く若者は、一生懸命に仕事を覚え、上司にほめられることを生きがいにするようになります。しかし、上へ行けばいくほど、組織を束ねるのに必要とされる「イデオロギー」を学ばされ、家族や友人のためではなく組織のために働くようになります。そんな日々に疑問を感じても、それにフタをするために考えることを止め、組織に対して批判的になったことを恥じるのです。こうなればもはや宗教です。その結果、日々の生活や家族よりも組織の発展を優先するようになるのです。

                         

                             

                         

                         

                        より上位の、力を持つ大きなものに対して忠誠を誓わされ、やがて政権与党である自民党や公明党の集票マシーンとして動き始めます。そのあまりの理不尽さ、露骨さに嫌気が差した人間が脱退・退会しようとすると、引き留めるために「国家に対する忠誠」を持ち出し、恫喝します。

                         

                         

                         

                        かくして、人格が空洞化した、主に20代から30代の若者が誕生します。彼らはもともと人情家ですから、グループ内部では思いやりにあふれた行動をとります。そして先輩を尊敬しています。「勘ぐれ!」と言われれば、相手の意図を忖度して行動します。つまり、上層部の意図をすばやく「勘ぐれ」る人間が出世する構造になっているのです。

                         

                         

                         

                        以下は、その日本青年会議所(JC)を退会した人の投稿です。今年の3月6日に投稿され、もと記事は削除されているそうです。

                         

                         

                        『日本青年会議所を退会した』

                         

                         

                        9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。

                         

                         

                        そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。

                         

                         

                        1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。

                         

                         

                        2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、ブロック (都道府県レベルの組織) 内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。

                         

                         

                        3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。

                         

                         

                        5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。

                         

                         

                        6年目。ブロックの役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。

                         

                         

                        7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。

                         

                         

                        8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。

                         

                         

                        こいつは何を言ってるんだ。

                        バカなのか?

                        おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。

                        少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?

                        そしてすうっと冷静になり目が覚めた。

                         

                         

                        おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。

                         

                         

                        それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。

                         

                         

                        青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。

                         

                         

                        「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」

                         買えたのは韓国産でなく国内産のイチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。

                         

                        http://archive.is/PH1fb#selection-291.1-1299.3

                         

                        | 文学・哲学・思想 | 13:48 | comments(0) | - |
                        妻がふと漏らした一言。
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                          いつものように妻と遅い朝食をとっていると、テレビに前川喜平氏が出ていました。前川氏が名古屋市立の中学校で授業をしたことについて、文科省が同市の教育委員会に対し、氏を招いた意図の説明や録音テープの提供などを求めていたことが問題になっていたのです。

                           

                           

                          この件に関して、前川氏は「あんな質問状を学校の校長に答えろと言って送りつけてくるというのは前代未聞だと思う。これは不当な支配にあたる。教育現場を守るのが文科省の仕事なのに政治家の指示に屈してしまっては果たすべき役割を果たしていない」と述べています。

                           

                           

                           

                          御存じのように、前川氏は「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、行政がゆがめられたとして安倍政権を告発してきました。安倍政権の周りには、「前川憎し」の空気が充満していたのだと思います。

                           

                           

                           

                          氏が民間人になった後も、政権に逆らった人物だからということで、氏の発言や行動、公開授業の中身までチェックし、学校に圧力をかけています。ストカー並みの執拗さにはあきれるほかありません。

                           

                           

                           

                          しかし今回言いたいのはそのことではありません。前川氏の姿をテレビで見ながら、妻がふと漏らした一言が、氏の人となりを正確に言い当てていると思ったのです。

                           

                           

                           

                          「前川さんは、なんていうのかしら、信頼できる人間だなという気がするのよね。これはもう直感というしかないのだけれど、話す言葉や声や表情を見ていると、この人は誠実な人だと分かるわ。安倍さんとは月とスッポンよね。だって、安倍さんはウソしか言ってないことが表情に出てるもの」

                           

                           

                          「うん。多分まともな国民ならみんなそう感じていると思うよ」

                           

                           

                          「この前なんか、テレビを見てたら、安倍さんの顔が突然、前川さんに切り替わったのよね。そしたら、どういうわけかジ〜ンと来ちゃって。どうしてかしら」

                           

                           

                          「君がどういうわけか、と言うときは怖いね。それはたぶん、久しく目にしていなかったものを見たからじゃないかな。ある種の懐かしさだね。前川さんは、それを思い出させてくれたのだと思う」

                           

                           

                          「そう、そう、なんだか久しぶりにお世話になった人に会ったような」

                           

                           

                          「政治家や官僚は有能でなければならないよね。で、その有能さというのは、頭の良さはもちろんのこと、知識や判断力、交渉力、歴史や人間に対する洞察力を持っていることだと思う。でも、最も必要な資質というか能力は、国民から信頼される能力だと思う。ふつうそれは能力とは考えられていない。正義感もそうだね。でも最大の能力は人間として信頼されることだと思う。前川さんはそれを持っている。それが政治の世界から失われて久しいので、それを見た時に、懐かしいというか、これが本当の姿だと思ってジ〜ンとなるんだよ。それはまともな感情だね」

                           

                           

                          「でも失くした感情を取り戻すのは難しいでしょ」

                           

                           

                          「そんなことはないよ。そのために歌や映画といった芸術があるんだから。それに、歌は世につれ、世は歌につれ、と言うだろう。1980年代の中盤から、日本社会はこの感情を手放し始めたのさ。だから、僕たち世代の人間は1970年代の歌を思い出して、玉手箱を開けるように、その中に閉じ込められている感情を再生すればいい。」

                           

                           

                          というわけで、以下はすべて1971年〜72年にかけてヒットした曲です。懐かしいですね。ああ、あのころはまだ両親も生きていて若かったのだと、しみじみしてしまいます。

                           

                           

                           

                           

                           

                          | 政治 | 16:11 | comments(0) | - |
                          歌を忘れたカナリアたちよ!
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                            前回のブログの最後で私は次のように書きました。「(安倍政権の本質は)宗教団体のドグマとヤクザ組織の暴力を胚胎した「血の友情」だったのです。近代民主主義国家の中枢に、戦前の日本を復権させようとするアナクロイズムが巣食っているのです。」と。

                             

                             

                             

                            戦後、日本は曲がりなりにも民主主義国家の建設を目指してきました。しかしその内実はどうでしょう。結論から言えば、民主主義国家への道のりは遠いというしかありません。時間が許せば以下の記事をお読みください。

                             

                             

                             

                            『日本が民主主義国家ですって!?ご冗談でしょう!』

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=363

                             

                             

                             

                            もちろん、ナチスを生みだしたのも民主主義だったことを考えれば、警戒を怠るわけにはいきません。しかし、自分の人生は自分で決めたいという思いを蹂躙しない政治システムは、今のところ、民主主義しかありません。世の中に絶対的な真実がない以上、私たちは仮の足場を作り、そこを起点にして次の足場を目指すしかないのです。

                             

                             

                             

                            今や、ウィルスが健康な細胞を次々に侵していくように、感情の劣化が思考や議論の前提となる論理性あるいは事実や知識を共有しようとするこころみを葬り去ろうとしています。感情の劣化が急速に進むのは、1980年代に入ってからですが、総仕上げの役を担っているのが第二次安倍政権です。

                             

                             

                             

                            今から6年前に書いた以下の記事は、中学生のころから「見たいものしか見ない」人間が大量に出てきていることを指摘したものでした。

                             

                             

                            『大分合同新聞のコラム「東西南北」について』

                            http://www.segmirai.jp/essay_library/essay038.html

                             

                             

                             

                            以来、私のブログの記事は、感情の劣化をいかに食い止めるか、という点をめぐって展開しています。なぜなら、一見価値中立的に見える分野、科学であれ、土木工学であれ、数学、統計学、確率論、建築でさえ、濃淡の差はあれ「価値判断」を含んでいると気づいたからです。そして、今さら言うまでもなく、「価値判断」を駆動させ、方向づけているものこそが感情なのです。

                             

                             

                             

                            私がたどりついた、感情の劣化を食い止める具体的な方法は4つあります。

                             

                             

                            1:時間的にも空間的にも広い世界を見た後で、なるべく小さな世界で生きること。それを可能にするためにこそ、教育があるのです。

                             

                             

                            2:自分の実感のこもったことばを手放さないこと。

                             

                             

                            3:好きなことがひとつあり、その好きなことをずっと好きであり続けること。

                            http://www.segmirai.jp/essay_library/essay035.html

                             

                             

                            4:怒りを表明すること。忘れないこと。なぜなら、民衆の怒りこそが歴史を前に進めるからです。

                             

                             

                             

                            最後に、日本が民主主義国家だと信じている人に見てもらいたい画像があります。かの橋下徹やホリエモンをはじめとして、有象無象の経済評論家たちがバカにしていたデモをする人々とそれを規制・抑圧する側です。「政治的な意見表明をしたかったら、政治家になれ」との言説がいかにバカげたものかが分かります。民主主義社会では、投票行動とデモは、車の両輪です。

                             

                             

                             

                            普通のサラリーマンも、スーパーで働くオバちゃんも、学校の教師も、バスや電車の運転手も、医師も、弁護士も、テレビタレントも、ミュージシャンも、牧師も、非正規の労働者も、引きこもりの青年も、女手一つで子どもを育てているシングルマザーも声を上げる権利があります。職業や境遇を問いません。怒りを表明する権利があります。それを保障するのが民主主義国家のはずです。

                             

                             

                             

                            歌を忘れたカナリアはカナリアではありません。山に棄てられるか、小薮に埋められるか、柳のムチでぶたれるしかないのです。怒りを忘れた民衆は奴隷として生かされ、収奪され、殺されるだけです。「籠池夫妻を釈放しろ!」「自殺した人間の死を無駄にするな!」「安倍晋三を刑務所にぶちこめ!」と叫びましょう。これは人間としてあたりまえの叫びです!さあ、声を上げましょう!

                             

                             

                             

                            銃規制の強化を訴えるアメリカの高校生。周りに警察官はいません。デモは民主主義国家では、当然の権利だと認められているからです。

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                            地下鉄官邸前駅で、安倍政権に抗議するデモに向かう一般の人たちを規制し、押し戻そうとする警察官たち。

                            さすが、民主主義国だけのことはあります。

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                            | 政治 | 13:09 | comments(0) | - |
                            何が近畿財務局の職員を自殺に追い込んだのか。
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                              友情とは、本来、人と人がともに生きることを喜ぶ感情のはずです。社会的な上下関係があったとしても、友情はその本質において、その上下関係を超えるものです。

                               

                               

                               

                              ところが、ヤクザの友情は、そのために死ぬ理由になり、人を殺すための大義として機能します。それは、自分たちの信じる「友情」の外にある人間を殺すための情緒的、理論的な基盤になります。さらには、すすんで命を投げ出す動機にもなります。

                               



                              なぜこんなことを言うかというと、今の安倍政権を取り巻く人間たちの言葉使いや表情を見ていると、ヤクザの友情で結びついているとしか思えないからです。特に麻生財務大臣の言葉使いと風貌はまさにヤクザそのものです。

                               

                               

                               

                              彼らを取り巻く下っ端のチンピラは、 自分のことをひとかどの政治家だと思っているようですが、それは勘違いというものです。彼らは権力の指揮命令系統の中間に位置して、親分の言うことをもっともらしい屁理屈で正当化する壊れた拡声器に過ぎません。

                               

                               

                               

                              彼らは正論を吐いているつもりでしょうが、実は言葉を全く信じていません。言葉よりも金と権力を信じる人間は、チンピラ政治家の吐く「正論」が自己保身のための詭弁だと気づいているのですが、自分も同じ穴のむじなだと分かっているので批判できません。批判でもしようものなら、「お前は現実を何も知らない。理想を語っているだけだ。少しは勉強したらどうだ!」と恫喝され、おとなしく引き下がるしかないのです。

                               

                               

                               

                              日本維新の会の足立康史というヤクザ政治家は、常に大声で差別発言、問題発言をして物議をかもし、わざと自分の地位を危機にさらします。そうすることで、ヤクザの親分から目をつけられたいと思っているのです。「こいつは使える」と。きっと小心者なのでしょう。もちろん国民のことなど眼中にありません。

                               

                               

                               

                              そう言えば、このヤクザ政治家の親分は、かの橋下徹でしたね。私はブログで一貫して彼を批判してきました。彼ほど言葉から意味を奪い、言葉に対する信頼を傷つけた政治家はいません。詭弁、すり替え、捏造、強迫、あげ足とりを駆使し、いったん認めたことも反故にし、徹底して責任転嫁する姿勢を「最強の交渉術」などと称して自画自賛する人間です。

                               

                               

                               

                              テレビを中心とするマスメディアは、彼の多弁と詭弁の前になすすべを知りませんでした。なぜなら、言葉の意味をあらかじめ無効化し、決められた時間枠を消費し、大衆の劣情に媚びることで利益を上げてきたのですから。言葉から意味を奪い、感情を劣化させ、あげくの果てに居直る、今の安倍政権のひな型はすでにこのチンピラ政治家が実践していたのです。

                               

                               

                               

                              今回の財務省による公文書改竄に巻き込まれて、近畿財務局の職員が自殺しました。ノンキャリアの彼は、職務に忠実で正直な人だったそうです。財務省の上下関係、指揮命令系統の中で、普段なら実直に仕事をこなしていたことでしょう。私は彼の死を無駄にしてほしくないと強く思います。

                               

                               

                               

                              彼を自殺に追い込んだものは何か。それは、安倍政権になってから、指揮命令系統に加わったあるゆがんだ性質というか、えも言われぬ情念が持つ力が原因です。ある集団に属し、そこから抜け出そうと思っても抜け出せない、抜け出すためには死ぬしかない、そう思わせる力です。分かりやすく言えば、国のために命を差し出せと言われれば、そうすることが名誉であるかのような錯乱した状態に追い込む力です。

                               

                               

                               

                              それこそが、宗教団体のドグマとヤクザ組織の暴力を胚胎した「血の友情」だったのです。近代民主主義国家の中枢に、戦前の日本を復権させようとするアナクロイズムが巣食っているのです。

                               

                               

                               

                              今回は3年前に書いたことのダイジェスト版です。詳しくは以下の記事をお読みください。

                               

                               

                              ヤクザの友情−安倍政権の本質

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=30

                               

                               

                              ※ちなみに、財務省が公表した決裁文書に、谷査恵子氏(経産省出向・昭恵氏付職員)による財務省への働きかけが一切登場しないのは余りに不自然です。なぜなら「神風」を吹かせた最も重要な文書なのですから。財務省はまだ隠しています。森友問題の核心はこの「谷ルート」にあることを忘れてはなりません。

                               

                               

                              | 政治 | 00:00 | comments(0) | - |
                              こんな男に憲法を「書き換え」させてはならない。
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                                時事通信によると「14日午前の参院予算委員会で、安倍首相は国有地売却に関する財務省決裁文書の改ざんについて、「私から文書の書き換えを指示したことは全くない」と全面的に否定した。麻生太郎副総理兼財務相も「指示したことはない」と改めて強調した。」とのことです。

                                 

                                 

                                 

                                私は今から3年ほど前のブログ『全体主義国家の言語システム』の中で次のように書きました。

                                 

                                 

                                 

                                「これからは、「日本会議」の面々による、法解釈の独走、恣意化が始まるでしょう。安倍首相の言葉は美辞麗句で満ちています。権力の最上層の言葉はいつでも抽象的で美しい。しかし、これが下層へと降りて行き、個別的・具体的な現実の事態に近くなればなるほど、非常識で狂信的な解釈をする人間が出てくるものです。忠誠ぶりを見せたいのか、茶坊主なのか、大勢に従順なら安全だと考えているのか、自覚なき奴隷なのか・・・。

                                 

                                 

                                日本でも戦時中、隣組の班長、町内会長などが上層部の意を勝手に解釈して威張り散らし、戦争に協力しない人間を弾圧するという歴史があったのです。(『暗黒日記』岩波文庫)

                                 

                                 

                                ヒトラーの『わが闘争』には、強制収容所におけるユダヤ人の虐殺の指令は書かれていません。書かれているユダヤ人論を解釈して、あの現実になったのです。これこそが全体主義国家における言語システムなのです。民主主義国家とは、この解釈のルールを国民に知らせ、解釈の自由を国民に与えている国家のことです」と。

                                 

                                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=20

                                 

                                 

                                 

                                それにしても、戦後73年経って、私たちはついにこのレベルの指導者を戴くようになったのだという事実を突きつけられると、生きていく気力が萎えそうです。政治の屋台骨が折れ、底が抜けたのですから。

                                 

                                 

                                 

                                そんな中、テレビで安倍首相の三選が危うくなるかもしれないなどと、いい大人が真顔でしゃべっているのを見ると、バカにつける薬はないものだとあらためて思い知らされます。国家の崩壊を前にして、まだ自分の立場を気にしているのです。

                                 

                                 

                                 

                                コメンテーターであれ学者であれ、テレビに出演依頼があるということは、表向きは批判的なポーズをとっていても、本質的には政権に迎合し忖度する人間だ、つまり安全パイだと評価されていることを意味します。それを屈辱だと感じない人間が、間抜けなコメントを出し、出演料をもらって満足するのです。

                                 

                                 

                                 

                                政治的大衆のレベルを決定しているのは、今やテレビなのです。彼らは商品についてであれ、情報についてであれ日々の生活の中で自分なりに正しい判断をしていると思っています。しかし、結局はマインドコントロールされていることを、直感的および論理的に説明することもできません。

                                 

                                 

                                 

                                したがって、公文書が改竄されたり、削除されることが何を意味するのか、それがどういう結果をもたらすのか、その深刻さが分かっていません。なぜ刑法で処罰の対象になっているかも説明できないのです。成人式の着物に払っていたお金が戻って来ないと激怒しても、安倍政権に対しては、早く謝罪すればいいのに、といった程度の認識しかないのです。

                                 

                                 

                                 

                                そんな中、昨夜の報道ステーションでの小沢一郎氏の発言は、唯一まともなものでした。いわく「(森友文書改竄について)最高権力の所から指示が直接的であれ間接的であれ出ていなければ財務省の役人がいくら落ちぶれたとはいえこんな馬鹿げたことはしませんよ。そんなこと常識だよ。当たり前のことだよ。役人がこんなことできる度胸のあるのいないよ」と。

                                 

                                 

                                 

                                それにしても、決裁文書が大幅に改竄されたり、都合の悪い箇所が削除されたりする国で、原発の安全性データを信用しろと言われても、信用できるわけがありません。原発の危険なデータもすべて改竄されているはずです。

                                 

                                 

                                 

                                さらに、福島の人たちの健康被害についてのデータも隠蔽されています。100年単位のデータを残さなければ放射能の影響は解明されないのです。原発から出る使用済み核燃料の行き場所も未定。歴史ですら平気で改竄し捏造する政権下での原発再稼働は余りにも危険過ぎます。

                                 

                                 

                                 

                                安倍晋三氏には正常な判断力がないのです。再稼働どころではありません。近代民主主義国家で公文書が信用できなくなれば、政治のみならず、私たちの日々の生活が危険にさらされるのです。安全だとされていた食べ物が、実はとんでもなく放射能に汚染されていたということも、大いにありうることです。

                                 

                                 

                                 

                                新燃岳の噴火が次なる大地震を告げているとき、安倍政権が続けば、私たちの命は風前のともしびです。公文書の改竄がもたらす影響の重大性すら分かっていないおバカ総理が、大地震や原発事故などの非常時に危機管理ができるわけがありません。

                                 

                                 

                                 

                                そう言えば「北朝鮮へ先制攻撃もありではないか!トランプさん、早く北朝鮮を壊滅させて下さい!」と威勢のいいことを言っていた大分市のY田ゼミ塾長氏のような人は、有事となったとき、こんな政権の下で生き延びられるとでも思っているのでしょうか。

                                 

                                 

                                 

                                安倍晋三氏は自分の身に危険が迫ったら、まず間違いなく、国民を見捨てて自分だけ安全な場所に逃げるでしょう。そして危機が去ったあと「二度とこのような惨禍を繰り返さないようにするのが私の責任だ」と言うに決まっているのです。こんな男に憲法を「書き換え」させてはなりません。

                                 

                                | 政治 | 14:16 | comments(0) | - |
                                教育にまつわるここだけの話。
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                                  もうなんと言えばいいのか、この国の教育、とくに英語教育のバカバカしさには言葉もありません。国や文部科学省の言い分を聞いてみましょう。

                                   

                                   

                                  文部科学省官僚S氏。

                                   

                                  「自分たちはグローバル社会のなかで手をこまねいているわけではありませんよ、一応小学校の段階から英語を正規の教科にしましたし、4技能を身につけさせるために大学入試も模様替えする予定です。

                                   

                                   

                                  失敗に終わるだろうという声もありますが、まあ国がスローガンを打ち出すだけで、学校ではもちろんできませんが、何しろ人材も予算も時間もないわけですから、でも、そこはほら、民間企業(塾業界)がわれ先に英語熱を煽って生徒を確保しようと懸命になってくれますし、子どもが落ちこぼれたら大変ということで親は自腹を切って塾に通わせようとします。

                                   

                                   

                                  いやあ、本音を言えば、今時学校だけで教育ができるなんて考えている人はいませんよ。社会保障でも自己責任が叫ばれているでしょ。だから教育も自己責任というわけです。

                                   

                                   

                                  じゃあ国は何のためにあるのかですって?それはほら、政治家が戦争をあおったり、国有財産を二束三文で売り飛ばしたりして、税金をロンダリングして自分のふところに入れるためですよ。アベノミクスと称して紙幣を印刷しまくり、官製相場をつくって株価を上げれば、財界から金と票をもらえるというわけです。

                                   

                                   

                                  国民はそれほどバカじゃないとおっしゃるんですか?そうですかねえ。麻生財務大臣の記者会見を見ましたか?彼は会見で次のように言ったのですよ。「(佐川は)国税庁長官としても理財局長としても適任だが本人の申し出を許可した。併せて、懲戒処分減給3ヶ月にした。今後更なる懲戒の可能性も伝えた」と。

                                   

                                   

                                  この日本語分かりますか?適任なのに懲戒だと。国民がまともだったら、こんな支離滅裂な日本語を使う人間が財務大臣をしているのかと驚き、絶望するはずですよ。政権はとうの昔にひっくり返っていますよ。なんたって、「全体の奉仕者」である公務員を、自分の使用人のようにこき使っているのですから。

                                   

                                   

                                  森友問題は、いつの間にか財務省の問題になっていますが、財務官僚が自分の意思で公文書を改竄したり、削除したりして犯罪に手を染めたりするはずがないじゃありませんか。政治的な力がはたらいたのですよ。削除された文書の中に「本件の特殊性」とあるじゃありませんか。

                                   

                                   

                                  「特殊性」って何ですか。安倍総理夫妻の案件だということですよ。それが分からない官僚などいません。海に落ちた透明のガラス片を探すくらい難しいでしょう。その「特殊性」のために近畿財務局の職員が「自殺」したんですよ。それでも安倍政権は倒れないでしょうね。だって国民とカルト宗教団体が支えているのですから。おや、話がそれましたね。ついつい同じ公務員なので身につまされましてねえ。

                                   

                                   

                                  英語教育の話でしたね。で、大学入試も英語の4技能を向上させるために、民間試験を活用するということになっています。でも昨日3月10日に、東大が民間試験を使わないという方針を明らかにしました。入試に必要な公平性が担保できないというのがその理由です。東大が宣言してくれたので内心ホッとしています。

                                   

                                   

                                  こんなの、あたりまえですよ。よほどのおバカさんでなければ、これからは英検だTOEICだと騒ぎはしません。入試は何より公平でなければなりません。わけのわからない試験で合格したとなると、大学への信頼、ひいては存在そのものが否定されるのですから。

                                   

                                   

                                  例えば、東大の合否が親の年収で決まるとなれば、だれも東大を信頼しなくなります。むしろ軽蔑の対象になるでしょう。なんだ、東大はバカでも金持ちの坊ちゃんや嬢ちゃんなら行けるのか、というわけです。

                                   

                                   

                                  えっ、実態はすでにそうなっているですって。シッ。そんな大きな声で本当のことを言っては困ります。東大の実態がそうだと分かれば、そこに大量に合格者を出している高校も同じことになりますからね。だから、入試の公平性は教育に対する信頼性をつなぎとめる最後の命綱なのです。

                                   

                                   

                                  実のところ、東大をはじめとする難関大学に合格するには、学力だけでは足らなくなっています。家庭の環境や親の学歴といった「文化資本」が必要なのです。その結果、難関大学は富裕層の子どもに独占されることになります。格差はますます開くことになりますね。逆に、富裕層に見られたいという見栄のために子どもに勉強させるといった倒錯した親も出てきます。

                                   

                                   

                                  御存じないかもしれませんが、東大に合格するためのルートはすでに決まっているのです。特に私立の医学部に合格するルートは、親の経済力と、どこの医学部専門予備校・塾に行くかで決まっています。生まれた時から裕福で、高級ホテル並みの個室で手取り足とり教えてくれるような環境で入試を突破した医者にあなたは診てもらいたいですか。私なら二の足を踏みますね。

                                   

                                   

                                  これからはまともな医者は地方の国立大学医学部でしか育たないのではないかと危惧しているのです。ええ、これはもちろん私だけの考えですから間違っているかもしれません。

                                   

                                   

                                  というわけで、東大が合否判定に民間試験を使わないという方針を明らかにしたのは、試験の公平性こそが自分たちの存在を担保するものだと分かっているからです。これから風向きは変わりますよ。

                                   

                                   

                                  ここだけの話ですが、共通テストも民間試験も私たちの天下り先を確保するために考えだされものです。大学入試センター試験は、この国の未来を託すべき若者を、偏差値という線型の序列性の上に位置づけることで「分をわきまえさせ」、統治しやすくするための方法だったのです。

                                   

                                   

                                  いや、こんなことを言うと陰謀論だといわれるので、一つだけ言い訳をすると、「意図せざる結果の法則」というわけで、半ば偶然に、半ば意図して出来上がったというわけです。

                                   

                                   

                                  ここまで言えば、もうおわかりでしょう。大学入試センター試験も、それに替わる共通テストも民間試験も実は全く不要なのです。各大学が独自の試験をすればいいだけのことです。

                                   

                                   

                                  大学で学問をするためには、これこれの学力が必要だと思えば、各大学がそれなりの難易度の問題を作成し、志願者を選別すればいいのです。一昔前はそうしていたのですから。通分ができない大学生にはそれなりの問題を、高度な英語力が必要な学部はそれなりの問題を作ればいいのです。

                                   

                                   

                                  それができないのは、あまり大きな声では言えないのですが、入試問題を作れない大学が多いからです。それどころか、定員割れの大学は、入学(入園)していただくお客様をテストで選別するなんて、おそれ多いことでございます、と考えているでしょうね。しかし、入試をしなければ大学と認知されません。苦しいところですね。要するに、共通テストは、大学の大衆化に対応するものなのです。

                                   

                                   

                                  少子化が加速する今こそ、大学の再編のチャンスなのですが、そんなことを言おうものなら、金儲けのじゃまをするなということで「粛清」されるかもしれません。今や大学は学問をする所だなどと考えている人はほとんどいません。就職するまでの腰かけにすぎないのです。ノーベル賞をもらった京都大学の山中伸弥教授ですら、クラウドファウンディングでお金を集めなければならないのですよ。

                                   

                                   

                                  はっきりいいましょう。文科省に限らず、財務省でも他の省庁でも、自分の子どもは海外の大学へやると決めている人は大勢います。日本の大学に見切りをつけているんです。今日は少し余計なことをしゃべりすぎたかも知れません。ではまたお会いしましょう。」

                                   

                                  英語をめぐるバカ騒ぎ。

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=467

                                   

                                  | 教育 | 16:02 | comments(0) | - |
                                  記念すべき日に心に残る映画を観る。
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                                    今日3月9日は高校入試の合格発表でした。上野丘、舞鶴、高専を始め、全員が合格しました。そこへ気になっていたMさんから、熊本大学に合格したとの知らせが入りました。6年間通ってきてくれた彼女ともこれでお別れです。そういうわけで、中学部・高校部ともに全員が晴れて新しい出発となりました。

                                     

                                     

                                    歳のせいでしょうか、こどもたちが次のステップへ小さな一歩を踏み出せたという、ただそれだけのことが最近はとても嬉しいのです。

                                     

                                     

                                    今の私はマリナーズに復帰が決まったイチロー選手の心境です。三十年以上にわたって未来塾を支えて下さった地域の皆さんに、これまでの経験を生かして、残りの塾教師人生のすべてを捧げたいと考えています。

                                     

                                     

                                    肩の荷が下りたせいでしょうか、心も軽くなり、午後からシネマ5bisへ行きました。観たい映画があったからです。

                                     

                                    途中からもしやと思った一点に向けてストーリが展開して行き、結末へ近づくにつれ涙が止まらなくなりました。いい歳をした大の男の心をこれほど揺さぶるとは、映画は本当に素晴らしい芸術です。上映期間はあと一週間です。 

                                     

                                     

                                    『ローズの秘密の頁(ページ)』

                                     

                                    “人生は虚しくても、愛を知れば真実が見えるはず。”

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    | 読書・映画 | 23:38 | comments(0) | - |
                                    ある兄妹のこと。
                                    0

                                      私の塾教師人生も第4コーナーを回って最後の直線に入ってきました。個性豊かな子供たちとの出会いがあり、思い返せば様々な出来事がありました。世間の片隅に埋もれるようにして塾稼業を続けてきましたが、ある意味、幸せな時間だったと思います。

                                       

                                       

                                       

                                      なぜなら、空前絶後のおバカ総理の発言に沿うべく、後から公文書を書き変えたり、削除したりして、懸命につじつま合わせをしなければならない財務官僚の心中を察すると、気の毒というよりも哀れをもよおすからです。私たちは事実上国家の崩壊に立ち会っているのです。

                                       

                                       

                                       

                                      これから日本を襲うカタストロフィーは、自然災害にとどまらず、経済的・文化的・道徳的な枠組みを破壊し、たたけばピーマンのようにパコパコ音のする頭を乗せた人間たちを大量に生み出すことでしょう。

                                       

                                       

                                       

                                      私は誰かの意図を忖度して生きることは、本来むなしい生をますますむなしくすると、人生の早い段階から気づいていました。そのせいか、多くの人が望むように一流企業に入ろうとも思わず、潜在的失業者として生きることを選択しました。

                                       

                                       

                                       

                                      自分がとるに足らない塾教師であればこそ、そこにやってくる子供たちも親も、なんらかしこまる必要もなく、むしろ見下すくらいの態度で接してくれます。「つまらなければ、他にも塾はあるのだから、やめればいいのよ」という親子のスタンスは、多少私の自尊心を傷つけはしますが、それと引きかえに、何ともいえない自由をもたらしてくれたのです。

                                       

                                       

                                       

                                      食うや食わずをがまんすれば、鬱になることもありません。塾教師にとって必要なのは、限られたリソースで生きていこうとする覚悟であり、精神の衛生学なのです。私には多店舗展開の塾をつくって儲けようという気などさらさらありませんでした。自分がやれる間だけやって、時期が来れば、里山にある空き家が人知れず朽ちていくように、やめるだけだと思っていました。

                                       

                                       

                                       

                                      そのせいか、幸せな出会いもありました。その中に、ある兄妹がいたのです。まず入塾の時、父親と息子を一目見て、ああこの親子となら通じ合えるにちがいないと思いました。その後、兄が妹を連れてきた時も、まったく同じでした。いつもお父さんがいっしょでしたが、塾教師として私がするべきことはあまりないだろうなと思いました。なぜか?

                                       

                                       

                                       

                                      「月謝という対価を払っているのだから、それに見合った効果を出すべきだ」といった雰囲気がこの親子には微塵もなかったからです。人間として学ぶ姿勢がすでにできているので、私の教えることを素直に吸収してくれるだろうと思いました。そしてその通りになりました。単純な事実ですが、教育ではやはり家庭が大きな比重を占めています。

                                       

                                       

                                       

                                      消費社会は人間の意識を等価交換と費用対効果というイデオロギーで染め上げます。その結果、今では色々なモノを子どもに買い与えられる家庭がいい家庭だとかんちがいされています。それを思うと、例外的な家庭であり、兄妹だったのです。

                                       

                                       

                                       

                                      そんなわけで、兄のK君は京都大学に合格し、妹のSさんは今年大分大学の医学部に合格しました。お父さんとSさんが挨拶に見えた時、私は思わずSさんの手をとり握手しました。なんといっても、7年間の付き合いでしたからね。私の娘のような気持ちがしたのです。本当はハグしたかったのですが、お父さんがそばにいるのでできませんでした(笑)。貸していた映画のDVDを返してもらい、よもやま話をしました。

                                       

                                       

                                       

                                      私がSさんを素晴らしいと思うのは、中央志向つまり東京志向がないところです。普通Sさんほどの学力があれば、中央志向、ブランド志向になるのがふつうです。自分の子供4人を全員東大の医学部に「合格させた」母親が脚光をあびるのが今の世の中です。

                                       

                                       

                                       

                                      Sさんはそういった世間の浮ついた風潮に迎合することなく、へき地医療にたずさわりたいと言います。これからは、小さな世界で等身大の生き方をすることが幸せにつながると分かっているのです。つまり、10年先を行っているのです。

                                       

                                       

                                      小さな世界で生きる幸福 ドラマ 『鴨川食堂』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=107

                                       

                                      『鴨川食堂』という魂の救済場所

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=124

                                       

                                       

                                       

                                      ふりかえると、あっという間のようですが、K君もSさんも休むことなく7年間塾に通って来てくれました。私の塾を合格のために利用するのではなく、勉強することそのものを楽しむ場所だと考えてくれたのでしょう。感謝の言葉もありません。

                                       

                                       

                                       

                                      よく予備校や塾の宣伝文句で「みなさんは何もしなくてもいい。合格させるのは私たちの責任です。入試から逆算して今何をすべきか。それを教えます。」というのがあります。それに対して私がよく言うのは「合格したら僕のせい。不合格だったら君のせい。」です。

                                       

                                       

                                       

                                      何やらふまじめのようですが、続きがあります。

                                       

                                      「これは冗談です。僕は合格も不合格もすべて君たちにかえしてあげたいと思っています。かりに不合格だったとしても、僕には責任をとる術がありません。授業料をすべて返す、などというのは「結果」によって勉強してきた意味を無価値にする考え方です。懸命に努力しても不合格のこともあります。当然その逆もあります。かりに不合格であっても、そこから見えるものがあります。つまり、合格した人には味わうことのできない気持ちを味わい、見えない景色を見ることができるのです。だから、僕はおめでとうと言いたい。スポーツでも試験でも大切なのは負けた時の態度です。むしろそのために、スポーツや試験はあると考えた方がいいくらいです。金メダリストの陰には、何千人という挫折した金メダリストがいるのです。だから、Be a good loser! (よき敗者であれ!)

                                       

                                       

                                       

                                      今回の話はここまでです。読んでくれた皆さんにお礼申し上げます。いつもありがとうございます。

                                       

                                      | 教育 | 14:58 | comments(0) | - |
                                      大雨の朝の出来事。
                                      0

                                        今日3月5日月曜日の朝、ゴミを出そうと玄関を出ると、外は大雨でした。わが家からゴミステーションまでは200メートルくらいあります。合羽を着て一輪車で運ぶのもめんどうだと思い、車で行こうと車庫の方へ歩きかけました。

                                         

                                         

                                         

                                        するとその時、未来塾の看板のすぐそばに、なにやら茶色の大きなかたまりがあることに気づきました。そばによると、犬がまるくなっているのがわかりました。車の音にも反応せず、じっとしています。目の前の県道は車の量も多く、はねられた犬が放置されているのだろうかと不安になりました。

                                         

                                         

                                         

                                        ゴミ捨てから戻って、犬のそばによると、3本足でよろよろと立ちあがり、数メートル歩きました。右前足を骨折しているようで、からだはやせ細り、悲しそうな目で私を見ています。もしやと思い、急いで家にとってかえしました。

                                         

                                         

                                         

                                        先週の日曜日、私は地区の水利組合の寄りに出ました。会合が終わった後、一人の男性が出席者にチラシを配っていました。それが以下のチラシです。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        あれから一週間がたっています。あのチラシがまだあるだろうかと探しましたが、見当たりません。妻に尋ねると、玄関わきの段ボールを重ねた中にとってあるということでした。

                                         

                                         

                                         

                                        あわてて探し、四つ折りにしていたチラシを開いて読みました。写真を見て、間違いない、この柴犬だと確信し、さっそく飼い主のHさんに電話し、場所を告げました。「ありがとうございます。すぐ行きます。」とのことでした。

                                         

                                         

                                         

                                        私は柴犬のそばにもどり、傘をさしかけて待ちました。チラシで犬の名前が“ぎんじ”だとわかったので「ぎんじ、よかったなあ。もうすぐ迎えがくるぞ。」と大きな声で話しかけました。名前を呼ぶたびに耳のあたりがピクッと反応します。

                                         

                                         

                                         

                                        その時、雨脚が一段と強くなり、“ぎんじ”の顔を強くたたきました。ちょうどその時間は大雨注意報が出ていたのです。目をぱちぱちさせてやっとのことで立っているので、座るようにいうと横になって丸くなりました。

                                         

                                         

                                         

                                        10分ほど経ったでしょうか、飼い主のHさんが車でやって来て、“ぎんじ”と再会しました。Hさんが両腕で抱きかかえると、“ぎんじ”はうれしそうに自分の鼻をなめました。

                                         

                                         

                                         

                                        チラシによるといなくなったのは、2月10日。その時すでに足にけがをしていると書かれています。それから今日までの23日間、“ぎんじ”は食べるものも食べず、どこで生きていたのでしょうか。飼い主のHさんはどんな思いだったでしょう。チラシには「前足を負傷しつつもまだ生存中と信じています。」と書かれていました。

                                         

                                         

                                        | 身辺雑記 | 17:13 | comments(0) | - |
                                        『翼よ!あれがパリの灯だ』 − 中学3年生の皆さんへ。
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                                          中学3年生のみなさん、卒業おめでとう。今日は3年生の最後の授業でした。いつもと変わりなく、淡々と数学の難問を解きました。妻がたててくれた抹茶と和菓子をふるまい、お開きにしました。私の塾では気合を入れるためにこぶしを突きだしたり、シュプレヒコールを叫んだりしません。毎年、静かな最後の授業です。そして明後日はいよいよ高校入試です。

                                           

                                           

                                           

                                          最近は入試前に緊張する生徒が多くなりました。そこで今日は緊張を解いてもらうため、チャールズ・A・リンドバーグの話をしました。リンドバーグと言っても、今の中学生で知っている人はほとんどいないでしょうね。私とリンドバーグの出会いは後で話します。

                                           

                                          チャールズ・A・リンドバーグ。なかなかのイケメンですね。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          彼は1902年2月4日スウェーデン移民の息子としてミシガン州デトロイト市で生まれました。1920年代にはセントルイス−シカゴ間で、郵便機の夜間飛行のパイロットをしていました。その彼が人類史上初の偉業を成し遂げたのです。

                                           

                                           

                                           

                                          1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグはプロペラ機「スピリット・オブ・セントルイス号」でニューヨーク・ロングアイランドのルーズベルト飛行場を飛び立ち、孤独や睡魔と戦いながら翌21日、22時21分(到着時の現地時刻)、パリのル・ブルジェ空港に着陸、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したのです。この時、リンドバーグ25歳。飛行距離は5、810km、飛行時間は33時間半に及びました。

                                           

                                           

                                          「スピリット・オブ・セントルイス号」の飛行航路。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          無着陸飛行を達成した際に、ル・ブルジェ空港へ押し寄せた観客の数は、空港に入り切らなかった分も含めて延べ75万人とも100万人ともいわれています。これによりリンドバーグは、オルティーグ賞とその賞金25,000ドル、さらに世界的な名声を得ます。

                                           

                                           

                                           

                                          ところで、「スピリット・オブ・セントルイス号」の機体は、リンドバーグの指示でカスタマイズされたものでした。当時、無名の操縦士だったリンドバーグには出資者が少なかったため、調達した機材そのものも、性能の低いものにせざるを得ませんでした。さらに、多量のガソリンを積むべく操縦席の前方に燃料タンクを設置したため、座席からは直接前方が見えず、潜望鏡のようなものを使うか、機体側面の窓から顔を出す必要があったそうです。現在、この機体はスミソニアン航空宇宙博物館に展示されています。

                                           

                                           

                                          「スピリット・オブ・セントルイス号」

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          1957年には、ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演で映画にもなっています。その映画のタイトルが『翼よ!あれがパリの灯だ』でした。その映画が私とリンドバーグとの最初の出会いです。

                                           

                                           

                                           

                                          そうはいっても、物心がつくかつかないかの頃で、父親につれて行かれた、どこか場末のうらさびしい映画館だったような気がします。時代劇ファンだった父親が、なぜこの映画を観る気になったのか、今となっては分かりません。

                                           

                                           

                                           

                                          上映中、ときどき大きな音で目が覚めてスクリーンを見ましたが、ストーリーが分からず、ただ眠かったのをおぼえています。後から知ったことですが、その映画は機内のシーンが大半を占める地味な映画だったようです。ただ、鮮明に覚えているシーンがあります。

                                           

                                           

                                           

                                          主人公のさびしげな目。格納庫を出て愛機セントルイス号に向かうヒョロッとしたその姿。ひとびとの歓声を背に飛び立ったあと、ひとりっきりになった操縦席にみつけた一匹の蠅。その一匹の蠅だけがパリまでの同行者です。リンドバーグはその蠅に向かって話しかけます。

                                           

                                           

                                           

                                          ああ、思い出してきました。鮮明に覚えているシーンとは、主人公がもうれつな睡魔におそわれながら、夢のように思い出すわびしい故郷の草原の美しい風景だったのです。

                                           

                                           

                                           

                                          大西洋単独無着陸飛行という快挙をなしとげた青年を支えたものが、わずかに一匹の蠅と淡い故郷への追憶だった、というそのことに私は感動していたのかもしれません。もちろんそれは後年、映画の内容を知ってからの、あと付けの感想ですが。

                                           

                                           

                                           

                                          それでも、言葉をもたない幼少期の私にあれほど鮮烈な印象を残し、今になってそれを思い出し、塾の中学生に話してみようと思ったその理由は何だったのでしょうか。それは人生最初の試練に立ち向かう生徒たちにエールを送りたいという思いだったのかもしれません。

                                           

                                           

                                           

                                          青年リンドバークの孤独と不安と夢を想え。胸に抱くひとつの原風景と、つつましく小さな同行者と、たったそれだけで、人は無人の夜の空を渡っていけるのか。人は生きてゆけるものだったのか。リンドバークの孤独と不安と夢を想え!と。

                                           

                                           

                                           

                                          ちなみに『翼よ!あれがパリの灯だ』は彼の大西洋横断飛行を記録した本(原題:The Spirit of St. Louis、佐藤亮一訳)の邦題です。1953年に出版され、翌年ピュリツァー賞を受賞しています。

                                           

                                           

                                           

                                          この本の中で、リンドバーグはこんな言葉を残しています。ニューヨークを出発して23時間目、睡魔や嵐と戦いながら飛び続け、体力の限界を感じるなかでの言葉です。

                                          “How beautiful the ocean is; how clear the sky; how fiery the sun!
                                           Whatever coming hours hold, it's enough to be alive this minute.”


                                          「なんという海の美しさだ! なんという澄み切った大空だ! 炎のような太陽! 何が起ろうと、この瞬間、生きているだけでじゅうぶんだ。」
                                           

                                          | 中高生の皆さんへ | 19:16 | comments(0) | - |
                                          高校生のための英文法−その7
                                          0

                                            ずっと気になっていた問題(高校生のための英文法−その6)の解説をします。同時に英語の勉強方法についても少し話します。まず、問題です。

                                             

                                             

                                            第1問

                                            下線部の中で誤っている箇所を指摘しなさい。

                                             

                                             

                                            About 72% of India (1)being rurally based, villages of India (2)have always been said (3)that they represent the true essence and flavor of India (4)through their arts, culture, folk music, local dances, fairs and festivals.

                                             

                                             

                                            まず、訳してみます。その際注意するのはS+V感覚でしたね。

                                             

                                            英語はS+Vのセットが左から右へと流れるようにつながっているのですが、原則として、二つ以上の文(S+Vセット)があれば、接続詞でつなぎます。つまり、カンマで文(S+Vのセット)はつなげないということです。

                                             

                                             

                                             

                                            ところが上の文は About 72% of India (1)being rurally based, ではじまり、villages of India〜と続きます。カンマで文(S+Vのセット)はつなげないというのが英語の大原則ですから、もともとはAbout 72% of India is rurally based.という文の動詞 is を(1)beingにして(これを分詞構文と言います)、カンマでつなげるようにしたわけです。よって(1)は正しい。もともとは文だったという説明も少し苦しい説明ですが…。慣れてくれば一瞬で分かるようになります。

                                             

                                             

                                             

                                            以下は塾の高校生の訳です。

                                             

                                            <訳>インドの72%は田舎であり、インドの農村はその芸術、文化、民俗音楽、地域ごとの踊り、市や祭りを通じてインドの本質、味わいを体現していると言われてきた。

                                             

                                             

                                             

                                            少し日本語がぎこちないのですが、よくできています。ところが、この英文のどこが間違っているのかという段になると、分からないと言います。つまり、読んで訳をすることはできるのです。しかし、この英文は間違っています。「英語として間違っている文を読んで訳せる」というのが、わが国の英語学習の到達点なのです。

                                             

                                             

                                             

                                            みなさんは間違った日本語を読めば、すぐにわかるでしょう。あるいは、美味しいものを食べた時、相手が「チョー、ヤベ〜」と言えば、それが「めちゃくちゃ、うめ〜」という意味だとわかりますね。どちらも、チョー下品な言い方ですが。

                                             

                                             

                                            私たちの頭の中にインプットされている母語の体系が、本来ならマイナスの意味を持つ「チョー、ヤベ〜」を、状況や文脈によって、瞬間的にプラスの意味として受け取るのです。母語以外の言語では、すなわち後天的に学習によって身につけた言語ではこうはいきません。前にも言いましたが、真に独創的な思考は母語でなければできないのです。

                                             

                                             

                                             

                                            要するに、母語と外国語の間には決定的な断絶があるということです。前回書いた英語の4技能を学校教育によって身につけさせるもくろみが、どんなに大それたことか分かると思います。東京オリンピックまでに英語熱を高めて、道案内くらいはできるように、というのがせいぜいのところでしょう。

                                             

                                             

                                             

                                            かなりのリソースを割いて英語を学習するなら、せめて上記の英文を読んで間違いが感覚的に分かるレベルをめざすべきです。私が塾でよく言うフレーズに「書いて間違いは、言っても間違い。言って間違いは、書いても間違い。」があります。

                                             

                                             

                                             

                                            英語を機械的に日本語に言い換えたり、空所に適語を補ったり、語句を並べ変えたりすることは英語の勉強ではありません。それは英語に名を借りた記憶力と少しばかりの思考力をためすテストに過ぎません。何より、そんなレベルの英語力では、英米のすぐれた小説を読んでもちっとも面白くないでしょう。受験が終われば、ゲームオーバーというわけです。

                                             

                                             

                                             

                                            話が脱線しました。villages of India (2)have always been said (3)that they represent the true essence and flavor of India の部分に間違いがあります。正しい英文をひたすら音読していれば、間違いに気づくはずです。そんな時間はない、というなら、せめて解説を聞いた後、数十回は音読して下さい。

                                             

                                             

                                             

                                            villages of India have always been saidとくれば、後は that S+Vではなく to 不定詞が続くのが英語です。つまり、正しくは villages of India have always been said to represent the true essence 〜と続くのです。

                                            これを、「繰り上げ構文」と言います。具体例を挙げます。

                                             

                                            It is said that he is honest.

                                             

                                            は正しい文です。これを繰り上げ構文にします。

                                             

                                            He is said to be honest.

                                             

                                            となります。これは正しい。しかし、

                                             

                                            He is said that he is honest.

                                             

                                            は間違いです。that 節の中の he が繰り上がっていませんからね。よって、villages of India have always been said that they represent も間違いなのです。もう分りましたね。念のためにもう一つ例を挙げておきましょう。

                                             

                                             

                                            It seems that he is honest.という文は、that 節の中の he を文頭に繰り上げて、

                                             

                                            He seems to be honest.と書くことができます。しかし、

                                             

                                            He seems that he is honest.とは言いません。

                                             

                                             

                                            さらにもう一つ。

                                             

                                            It is likely that he will pass the exam. は

                                             

                                            He is likely to pass the exam.と書き換えられます。でも、

                                             

                                            He is likely that he will pass the exam. は間違いです。

                                             

                                             

                                            分かってもらえたでしょうか。問2の解説はまた近いうちにします。受動態はとても大事な箇所です。

                                             

                                             

                                             

                                            外国語を学べば、世界には様々な見方や考え方があることに気づきます。母語に制約された精神を拡張し、偏見から自由になることもできます。しかし、私たちが学ぶ英語は受験で高得点をとるためのものです。精神は委縮し、偏見は高じるばかりです。もうそろそろ、That's enough!(うんざりだ!)と叫びませんか。

                                             

                                            | 高校生のための英文法 | 14:02 | comments(0) | - |
                                            英語をめぐるバカ騒ぎ。
                                            0

                                              今日は伊方原発差し止め訴訟の第8回口頭弁論を傍聴するため、大分地裁へ行ってきました。強風で花粉が舞い散る中、呼吸困難に陥りながらも(笑)、なんとかたどりつきました。

                                               

                                               

                                               

                                              だれのためでもありません。理想が世の中で実現されるかどうかというような大それたことを考えているわけではありません。ただ自分自身が腐った妥協をしていないかどうかを内省するために足をはこんでいるのです。

                                               

                                               

                                               

                                              さて、政治の劣化の陰であまり注目されていませんが、教育分野、特に大学教育の質的な劣化は目をおおいたくなるほどです。にもかかわらず、学校、塾・予備校業界は東大を頂点とする大学ヒエラルキーの上位校にどれだけの生徒を送り込んだかという「実績」作りに血道をあげています。

                                               

                                               

                                               

                                              教育において「実績」だとか「結果」、あるいは「エビデンス」といった言葉を疑いもせずに使う人は、貧困な人間観・教育観ひいては世界観の持ち主だということを告白しているに等しい。多少なりとも羞恥心を持っている人間なら、経済用語もどきの言葉を何の抵抗もなしに使えるはずがないのです。

                                               

                                               

                                               

                                              ところで、毎年この時期になると、幹線道路沿いに、キラキラしたカラフルなノボリや看板が登場します。生き残りをかけた塾の宣伝合戦です。チラシやテレビコマーシャルでは「マイレージ」「ポイント」といったカタカナ語とともに「成績保証」「やる気スイッチ」などといったわけのわからない言葉が踊るようになります。こういったキラキラ言葉に吸い寄せられる保護者や子供の目は、さぞや夢や希望でキラキラ輝いていることでしょう。

                                               

                                               

                                               

                                              教育の劣化はそこで使われる言葉の劣化にほかなりません。

                                              「あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」というガンジーの言葉を支えに、私は今日まで塾教師を続けてきましたが、もはや私の出る幕ではないな、と最近つくづく思います。

                                               

                                               

                                               

                                              私を意気阻喪させるものの一つに、英語をめぐるバカ騒ぎがあります。英語の4技能ですって?一体誰がそれを教えるのでしょうか。4技能どころか1つの技能すら身についていない教師にそれが可能でしょうか。もし本気で英語の4技能を子供につけさせたいのなら、莫大な予算と時間を工面しなければなりません。あたりまえですね。つまり、「安かろう、悪かろう」のなかでスタートさせるのですから、結果は目に見えています。

                                               

                                               

                                               

                                              それにしても、世界のいったいどこの国が、これほど他国の言語に執着し、義務教育の中にまでとりいれようと必死になっているでしょうか。中国は義務教育で子供たちに英語を学ばせているでしょうか。フランスやドイツはどうでしょう。イタリアやスペイン、ベトナムはどうでしょう。

                                               

                                               

                                               

                                              日本ほど強迫神経症のように他国の言語=英語を受け入れようとしている国はありません。なぜでしょう。それは日本がアメリカの属国として生きていく運命を積極的に受け入れているからです。そのけなげさは世界でも類を見ません。政治家、官僚、ビジネスアスリート(なんという下品なことばでしょう)を問わず、その積極性の度合いによって出世が左右されるというわけです。

                                               

                                               

                                               

                                              「他国の言語」と言いましたが、正確には「宗主国の言語」です。それを一律下降的に義務教育で強制すれば、ちょっとでも有利な地位に就こうと思う人たちの間で競争が激しくなるだけです。意地悪い見方かもしれませんが、ちょっとでも優秀な奴隷になろうと、幼少のころから親といっしょになってトレーニングに励むことが当たり前になるのです。

                                               

                                               

                                               

                                              名誉白人ならぬ名誉奴隷になることを夢見る人たちは、グローバル時代の中では英語ぐらいできないと困ると考えています。つまり時代の空気を読んでいるのです。その結果、だまされてかなりの時間とお金を費やします。それでも、英語は将来のポジションを確保し金儲けをするための「ツール」だという考えはゆらぎません。

                                               

                                               

                                               

                                              しかし、グローバリズムの意味を正確に理解している人はほとんどいません。ただなんとなく世界が単一の市場と化し、英語が公用語になるだろうといったイメージでしょうね。なんだか荒れた天気になりそうだから、準備をしておかなければといった感じでしょうか。そうだとしたら、あなたは確実にグローバリズムの餌食になるでしょう。

                                               

                                               

                                               

                                              そうならないためには、まず足元の現実を見さえすればいいのです。

                                              今、大学の40%が中学・高校で履修すべき英語の補習を実施しています。「話す英語」に資源を集中したせいで、語彙力がないので英文が読めない、文法を知らないので主語や動詞のない文を書く、といった「症状」がもはや珍しくないそうです。

                                               

                                               

                                               

                                              それでも相変わらず政治家や官僚や財界は「文法や講読に金と時間を割いているので英語力が落ちているのだ。もっと会話に時間を使え」と言っています。

                                               

                                               

                                              お言葉ですが、30年前から文法よりも会話を重視する方針の下に教えた結果がこれです。国は過去30年「英語が話せる」ために無数の教育改革を行い、その一つ一つの成否の検証をしないまま次の改革にのめり込むということを繰り返してきました。その結果、日本の大学生の英語力は過去最低を記録することになったのです。

                                               

                                               

                                               

                                              以上述べたことは私の実感と一致しています。

                                              最後に具体例を挙げておきます。私の住む大分県ではトップクラスの高校生でも苦労する問題です。なぜその単語を選び、その文を作ったのかという私の問いに答えられる高校生はさらに少ないのです。

                                               

                                               

                                              以下の日本語を英語にしなさい。

                                               

                                              1「最近、日が長くなってきた。」

                                              2「昨夜、頭がさえて、夜明けまで眠ることができなかった。」

                                               

                                              これくらいの基本的な問題ができない「英語教育」って、何なんでしょう。きっと、話すトレーニングが足りないのでしょうね。

                                               

                                               

                                              「読み」「書き」「聞く」力がついていれば話すことは慣れの問題に過ぎません。うまく話せないのはそれを支える基本の3技能が身についていないからです。こんなことも分からない人間たちに、英語教育をああしろ、こうしろなどという資格はありません。ふう〜、なんだか疲れますね。

                                               

                                               

                                              | 教育 | 23:35 | comments(0) | - |
                                              今そこにあるカタストロフィー。
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                                                昨日は義父を見舞った帰りに、「反日」で「左翼」の妻とコンパルホールで開かれた講演会『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に行きました。なぜ妻が「反日」で「左翼」なのか?詳しくは以下の記事をお読みください。

                                                 

                                                 

                                                「反日」で「左翼」の妻は「極左雑誌」を愛読しています。

                                                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=281

                                                 

                                                 

                                                暇さえあればミシンを出してきて型紙をつくり、孫のために新体操の衣装を作っている妻ですら、ネトウヨのみなさんからすれば、「反日」で「左翼」になるのでしょう。今日までに作った衣装は10着余り。そのうちの一つです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                そんな妻は、オリンピックの女子フィギュアスケートをじっと見つめて、何をしているのかと思えば、コスチュームのデザインを研究しているのです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                「やっぱり素敵なデザインだわ。色の組み合わせやスカートの丈なんか、参考になる。ねえ、ねえ、この人(ザギトワ)の衣装なんかどう?」

                                                 

                                                「(どうでも)いいねえ」

                                                 

                                                「そうでしょ。今度はこのデザインに挑戦してみようかしら」

                                                 

                                                「やってみたら?」

                                                 

                                                 

                                                 

                                                とまあ、そんな妻ですから、『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に誘っても来ないだろうと思ったのですが、義父を見舞った後、空いた時間があったからでしょうか、誘うとあっさりのってくれました。妻は『原子炉時限爆弾』は読んでいます。で、以下は車の中での会話です。忠実に再現しています。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                「新体操の衣装作りと、『日本列島の全原発が危ない!』は君の中ではどう関係しているの?」

                                                 

                                                 

                                                「あなたはそんなどうでもいいこと考えてるの?ヒマね。私の原発についての知識なんて、小学生くらいのものよ。」

                                                 

                                                 

                                                「でも、小学生は『原子炉時限爆弾』は読まないよ。」

                                                 

                                                 

                                                「あの本を読んだとき(3・11以降に私がすすめました)は、すごく腹が立った。ちゃんと予測されていた人災だったんだとわかったわ。中身はもう忘れてしまったけど。でもあの本を書いた人の話なら聞いてもいいかなと思ったのよ。」

                                                 

                                                 

                                                「で、きみは原発に反対なんだね。」

                                                 

                                                 

                                                「もちろん。理論的にこれこれだから反対とは言えないけれど、もう直感として許せない気がするのよ、原発がこの世にあること自体が。」

                                                 

                                                 

                                                「なかなか、過激なこと言うじゃない。」

                                                 

                                                 

                                                「でも、子供でもわかることでしょ。たかが電気をつくるって話なんだから。電気なら何も原発で作る必要はないはずだわ。他にもいろんな技術があるでしょ。経済、経済っていうけど、たかが金儲けのことでしょう。核のゴミの最終処分はどうするの?福島原発の放射能は、どうやっていつまでに無くすの?安全なら東京に原発を作らないのはなぜ?世界が、原発ではなく自然エネルギーに向かっているのはどうして?原発をミサイルで狙われたらどうするの?そんなに安全で経済的なエネルギーなら、なぜ東芝は借金まみれになったの?イギリスに輸出するとか言ってるけど、日本政府が保証しなければならないのはなぜ?事故が起これば私たちが負担することになるのよね?それに、チェルノブイリが石棺の上に大きなドームを作っているけど、未だに立ち入り禁止なのはなぜ?もうバカバカしいことだらけだわ。こんなこと考えなくてもわかるじゃない。」 

                                                 

                                                 

                                                 

                                                そだね〜。そだね〜。そだね〜。」

                                                 

                                                 

                                                 

                                                ところで、韓国映画『パンドラ』をみなさんは観たことがあるでしょうか。広瀬隆氏の講演会の最後でも紹介されていました。一歩間違えば、日本はこうなっていたのです。いや、日本の明日の姿です。なぜなら、次なる巨大地震がスタンバイしているのですから。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                なぜこの映画が原発事故のあった日本で作れないのでしょうか。今や政治でも、芸術的な創造性でも、総体的な知性でも、韓国は日本のはるか上を行っています。なぜなら、隠蔽に次ぐ隠蔽、私物化に次ぐ私物化の日本に比べて、韓国は今そこにある「破局」を国民に示しているからです。

                                                 

                                                 

                                                ちなみに、福島第一原発事故をモデルにしたこの映画は公開12日目で観客動員300万人(韓国映画振興委員会調べ)を突破しました。日本語字幕版もあります。ぜひご覧ください。

                                                 

                                                 

                                                | 原発 | 13:17 | comments(0) | - |
                                                滅び行く国の教育。
                                                0

                                                  高校入試を控えた中3生の授業もあと1回を残すのみとなりました。国公立大学前期日程の入試も直前です。そこで、久しぶりに静かな土曜日、塾の宣伝を兼ねて(新高3生の授業は3月より開始です)英文法の解説をしようと思ったのですが、どうも気分が乗りません。政治のみならず教育の自壊現象を目の当りにして意気阻喪しているのです。

                                                   

                                                   

                                                  そこでその原因と冷静にむきあうために言葉にしてみました。「思考ノート」の作り方を書いた責任がありますからね。

                                                   

                                                   

                                                  その1:教育の自壊現象について。

                                                   

                                                   

                                                  例の東京・銀座の中央区立アルマーニ小学校、じゃなかった泰明小学校の件です。報道によると、同小学校がイタリアの高級ブランド「アルマーニ」にデザインを依頼し、最大約8万円の標準服の導入を決めたことを巡り、同ブランドの日本法人「ジョルジオアルマーニジャパン」(東京)が、区教育委員会に対し、児童の安全確保などを要望する申し入れを行ったことが23日、同社や区への取材で分かった、とのことです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  「標準服導入を巡っては、同小の児童らが登下校中に服をつままれるなどの嫌がらせが起きている。同社によると、申し入れは23日までに文書で行い、児童の安全確保のほか、標準服導入について保護者に改めて説明するよう求めたという。同社の担当者は「児童への影響が出ていることを懸念している。導入を巡る保護者の同意や理解を進めてほしい」と話している。標準服の販売店舗によると、23日現在、今春の入学予定者60人中54人がすでに採寸と入金を終えた。」ということです。

                                                   

                                                   

                                                  ほらね。私が予想した通りのことが起こっています。

                                                   

                                                   

                                                  それにしても、さすが「アルマーニ」です。児童に対するいやがらせが相次ぎ、傷害事件、誘拐事件に発展すれば、ブランドイメージに致命的な傷がつくことを懸念し、早々と手を打ったのです。イタリアの高級ブランドともなれば、危機管理の意識が高い。日本の公教育に指示が出せるのですね。「アルマーニ」がすごいのか、校長や区教育委員会がふがいないのか、どっちでしょう。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  本来なら、区教育委員会が校長を呼び、「あなたは公立小学校の校長であることを認識しているのか。公共心のある子供を育てることがあなたのやるべきことではないのか。子供たちがいやがらせをうけたり、事件に発展したりすれば、あなたは責任をとれるのか。すぐに撤回していただきたい。」と言うべきだったのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  でもそれは無理です。なぜなら、校長はアルマーニの制服の導入をめぐってすでに区教育委員会に相談をしていたのですから。区教育委員会のなかに見識のある人物がいればその時点で校長をたしなめていたでしょう。でもそれができなかった。理由はすでにブログで書きました。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  要するに、公教育は消費社会の象徴である「高級ブランド」に屈したのです。当然ですね。教育の最終目的はブランド学校、ブランド大学、ブランド職業に就き、人より少しでも多くかせぎ、人より少しでもいいモノを買うことになったのですから。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  消費に変わるオールターナティブな価値をつくりだせなければ、私たちの社会は静かに瓦解していくしかありません。私立はどうか、ですって?私立は、ブランドに屈するもなにも、ブランドそのものをつくりあげようと必死になっています。きっと「経営者」の頭の中は「ブランディング」でいっぱいになっていることでしょう。

                                                   

                                                   

                                                  その2:政治の自壊現象について。

                                                   

                                                   

                                                  報道によると、2月23日午前4時頃に東京都千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の門の前で男2人による銃撃テロが発生しました。警戒中の機動隊員が建造物損壊容疑で2人を現行犯逮捕。そのうち1人が右翼活動家の桂田智司容疑者で、もう1人も右翼団体関係者とみられています。

                                                   

                                                  桂田智司容疑者。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  私が批判したルーリーちゃんこと、国際政治学者・三浦瑠麗ちゃんが、大阪に北朝鮮の「スリーパーセル」というテロリスト分子が大勢潜んでいるというヘイトデマをテレビで流した直後に起こった今回の銃撃テロ。逮捕された容疑者は「スリーパー」どころか、拳銃で武装した極右テロリストでした。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  こんなイカれた差別主義者がいるのに、国を挙げて北朝鮮危機を煽り、テレビでデマを流して差別煽動すればどうなるか。まさしく関東大震災時の「朝鮮人が井戸に毒」のデマの後に朝鮮人虐殺が発生したことと同じ構図となったわけです。

                                                   

                                                   

                                                  ルーリーちゃんは今回のテロを予想できなかったのでしょうね。彼女はネトウヨのマスコット人形にはなれるかもしれませんが、学者としては完全に失格です。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  これもすでにブログで書きましたが、ネトウヨ作家の百田尚樹というテロリストもいます。事実、彼自身がツイッタ―で公言しています。「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく」と。しかも彼には少なからぬ賛同者がいるのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  ところで、第二次安倍政権が発足した直後の2013年、一人の女子中学生が大阪の鶴橋でヘイトデモに参加し、「いつまでも調子に乗っとったら南京大虐殺じゃなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ」という虐殺予告のヘイトスピーチを行って、日本だけではなく世界中に衝撃を与えました。この女子中学生の父親こそが今回のテロ実行犯である桂田智司です。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  私は同じようなヘイトスピーチを撒き散らす大分市のY田ゼミ塾長を批判してきました。塾の教師であろうが学校の教師であろうが、教育を通じてヘイトスピーチをあおる人間を放置できなかったのです。この種の人間たちの過激な言説に眉をひそめる人も、自分たちの足元が徐々に切り崩されていることにはなかなか気づきせん。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  大事なのは経済だ。企業の国際競争力を高めることだ。裁量労働制は間違っていない。データが何だ。自分の考えが「正しい」ことはあたりまえだから論証などいらない。国会は単なるセレモニーに過ぎない。ついでに、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重もじゃまだ。そんなものはインテリのへ理屈に過ぎない、というわけです。いやはや、教育とはおそろしいものです。

                                                   

                                                  | 教育 | 12:18 | comments(0) | - |
                                                  「汝、衆をたのんで、悪を為すなかれ」
                                                  0

                                                    若かったころ、繰り返し読み、いつのまにか暗唱してしまった文章があります。一方で、中身のない文章は何度読んでも頭に入ってきませんでした。私は受験に役立つというだけでどんな文章でも次々に暗記できてしまうような優秀な頭脳をもっていなかったのです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    以下に挙げたのは、バートランド・ラッセルの『自伝的回想』の中の一文です。最初に出てくる she は彼の祖母を指しています。今読み返してみて、この文章が私の人格におよぼした影響にあらためて気づき、驚いています。こういう祖母をもったラッセルは何と幸せだったのだろうと思います。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    But in retrospect, as I have grown older, I have realized more and more the importance she had in moulding my outlook on life. Her fearlessness, her public spirit, her contempt for convention, and her indifference to the opinion of the majority have always seemed good to me and have impressed themselves upon me as worthy of imitation. She gave me a Bible with her favourite texts written on the fly-leaf. Among these was “ Thou shalt not follow a multitude to do evil." Her emphasis upon this text led me in later life to be not afraid of belonging to small minorities.

                                                     

                                                     

                                                    ― しかしふりかえってみると、成長するにつれ、私の人生観を形作る上で祖母がいかに重要な存在であったか、しだいにわかるようになった。祖母の恐れを知らない勇気、公共心、因襲に対する軽蔑、多数派の意見に対する無関心はいつも私には善いことだと思われたし、模倣する価値のあることだと強く印象づけられた。祖母は、見返しの遊び紙に祖母のお気に入りの文句が書かれている聖書を私にくれた。その中に次の文句があった。


                                                     「汝、衆をたのんで、悪を為すなかれ」


                                                    祖母がこの聖句を強調してくれたことで、後になって、私は少数派に属することを恐れなくなった。―

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    いまこの国では、あらゆる分野が劣化しています。政治について言えば、事実の共通了解すら成立しません。つまり議論の前提が崩壊しているのです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    1980年代から90年代にかけて、あらゆるものが消費社会の等価交換にさらされました。その結果、すぐれた言説も歴史を捏造する言説も、等価な「商品」として言論市場にほうりだされました。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    一部の権力者が捏造した歴史の記憶(これを歴史修正主義といいます)にさらされればさらされるほど、ある種の人間たち(ネトウヨ)は国家に対して従順になります。歴史から切り離され、人格が空洞化した彼らは、その空洞を埋めるために国家主義的な言説とそれを大声で主張する集団を支持します。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    いわく、どの国もやっていることだ。そもそも戦争だったんだぜ。南京大虐殺も従軍慰安婦もなかった、でっち上げだ。なのに、なぜ自分たちだけが批判されなければならないのか、というわけです。こういった「衆をたのむ」言説は次第にエスカレートしていきます。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    やれ北朝鮮のミサイルの脅威だ、テロの危険性だとあおります。警察が法外のことをしようが(レイプ犯山口敬之の逮捕を直前でやめさせるなど)、自衛隊を米軍に差し出そうが、国民の安全のためには仕方がないのだ。この緊急時に人権どころの話じゃないだろう。何が憲法違反だ、そもそもアメリカに押しつけられた憲法じゃないか、歴史を知らないのか、もっと勉強しろ、というわけです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    彼らは、過去の日本の行い、つまり侵略戦争を正当化したいだけです。現に起こった歴史的事実を突きつけられると、自分たちが責められているように感じ、逆ギレします。加害者なのに被害者のようにふるまいます。日本軍はこんな良いこともしたんだ、知ってるのか、と言って、まるでコンビニの期間限定の「人気商品」をつまみ食いするように「歴史の真実」をとりあげます。とにもかくにも、オレたちの国が悪いことをするわけがない、と思いたいだけです。まるでだだをこねている子供です。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    バートランド・ラッセルの祖母のような人間がこの国にはいなくなりました。その正反対の「だだをこねるだけの子供」が最高権力者の地位に「恋々」としているのですから、無理もありませんね。

                                                     

                                                    | 文学・哲学・思想 | 13:21 | comments(0) | - |
                                                    議論を「脱線させる」学者風テレビ芸人。
                                                    0

                                                      ルーリーちゃんが色々と反論しているようです。「このレベルの発言が難しいとなれば、この国でまともな安保論議をすることは不可能です。」「考えてみれば、これもまた、安全保障を法解釈でしか語れなかった結果として、この国に根付いてしまった悪癖かもしれません。」とおっしゃっています。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      「安全保障を法解釈でしか語れなかった」って、ルーリーちゃんのような学者風テレビ芸人や政治家、評論家、コメンテーター、マスメディアを指して言っているのでしょうか。語るには相手が必要です。相手はもちろん国民です。ということは国民のことなど誰も考えてこなかったということになりますね。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      「法解釈」ではなく、具体的事実をもとに、国民に向けて安全保障を語るのはもちろん政権与党の責任ですよね。でも安倍政権は「北朝鮮をめぐる緊迫した状況」と言うだけで、何一つ説明していません。そんな中、ルーリーちゃんは、安倍政権に忖度せずに大胆に語っているのだ、と言いたいのでしょう。それにしては中身があまりにもお粗末すぎます。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      ところで、具体的事実をもとに安全保障について語るのであれば、「スリーパーセル」が原発にテロを仕掛ける危険性や、北朝鮮のミサイルが原発に着弾した時の被害想定を語る必要があります。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      でもどういうわけか、ルーリーちゃんは北朝鮮のテロリストのことは語っても、原発が攻撃される危険性には触れません。これでは「まともな安保論議をすることは不可能です。」この点を安倍総理にじかに問いただしたのは山本太郎議員一人です。安倍総理はいつものように逃げて答えませんでしたが。

                                                       

                                                      山本太郎議員の追及、見事です。国民が一番知りたいことをこれほど簡潔かつ論理的に話せる議員はいません。ルーリーちゃんもせめてこのくらいのことを、テレビで言ってくれればいいのに。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      そもそも、戦争になり北朝鮮が日本を攻撃するとなったら、最大の弱点である原発を攻撃するはずです。最も確実かつ致命的なにダメージを与えられるのですから。こんなことは小学生でもわかることです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      黙って嵐が過ぎ去るのを待っていればいいものを、ルーリーちゃんは反論されるとムキになるようです。だれよりも正確な(フェイク)情報を持っているアタマの良い私が批判されるなんてがまんできないと思ったのでしょうか。次のようなことも言っています。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      「過去の警察白書を通しての記述と大震災時の迫撃砲発見などの事後的な未遂案件で皆さんが納得するレベルでは十分な公開情報がとれます。スリーパーセルというのは単に工作員の形態に着目した呼び方の問題です。もちろんメディア各社できちんと取材されている記者はもっと情報をもらっているはずです。」

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      頭が悪いせいか「事後的な未遂案件で皆さんが納得するレベルでは十分な公開情報がとれます。」という日本語が何度読んでも分かりません。「事後的な未遂案件」って何?こういう言葉をツルツルと何の抵抗もなく吐き出せることが、アタマの良い証拠だと勘違いしているのでしょうね。「大震災時の迫撃砲発見」などという与太話を簡単に信じてしまうのも、彼女のアタマの良さを表わしているのでしょう。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      今回一つだけ追加したいことがあります。それは同じくテレビ向けエセ学者である古市憲寿が「三浦瑠麗が嫌いな人達が騒いでる」とコメントしていることについてです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      彼については2年前にすでに書いています。その時、古市憲寿に対する怒りがどうしてもおさまらなかったので記事にしました。頭の問題(彼はバカですが)ではなく、人間として最低限の礼儀すらわきまえていないことに無性に腹が立ったのです。

                                                       

                                                       

                                                      劣化し続ける権力とそれに寄り添うバカな男たち』

                                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=189

                                                       

                                                       

                                                      今回、古市憲寿はルーリーちゃんの発言のどこが問題なのか言及すらせず、彼女への批判を「好き嫌いの問題」にしてしまいました。さすがにフジテレビ以外ではあまり見かけないタレントだけのことはあります。彼のコメントは、毎回こういうスタンスです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      つまり、問題そのものについて自分の意見を述べません。そのかわり、現政権や自分の友人を「批判する意見」を冷ややかに揶揄して論点をすり替えます。批判の矛先をそらすためです。いつも「どっちもどっち」と言って、さも公正中立であるかのようにふるまいます。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      問題そのものではなく、それにまつわる党派や集団の態度を批判することで、議論を「脱線させる」のです。これはネトウヨの常套手段です。こんな生き方が身についてしまっている人間のことなど論ずるに値しません。この点、ルーリーちゃんの方がまだ若干、少しだけ、微妙に「かわいい」ですね。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      高校入試と大学入試を直前に控え、こんなことを書いている暇はないのですが、行きががかり上書いてしまいました。まあ、昼食後1時間ほどのことですから、なんということもありません。

                                                       

                                                      | 政治 | 14:06 | comments(0) | - |
                                                      やってくれましたルーリーちゃん。
                                                      0

                                                        ルーリーちゃんとは、国際政治学者で東京大学政策ビジョン研究センター講師をしている三浦瑠麗ちゃんのことです。今になってようやくメディアは彼女の思想的体質に気づいたようですが、私はすでに6カ月前に指摘しています。

                                                         

                                                         

                                                        『国際政治学者という幇間(ほうかん)』

                                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=391

                                                         

                                                         

                                                        上の記事を書いた動機は、前回のブログで書いたように、今の日本社会をおおっている差別と好戦的な空気がどうやって作りだされているか、それにテレビがどのようにかかわっているかをあきらかにするというものでした。ぜひお読みください。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        さて、今回の件ですが、番組を見ていない人のために、ルーリーちゃんが「ワイドナショー」(松本人志の司会)の中で「スリーパーセル」について語った部分の書き起こしを引用します。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        三浦:もし、アメリカが北朝鮮に核を使ったら、アメリカは大丈夫でもわれわれは反撃されそうじゃないですか。実際に戦争が始まったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ。

                                                         

                                                        ※ここで『スリーパーセル 一般市民を装って潜伏している工作員やテロリスト』というテロップが画面上に表示される。

                                                         

                                                        東野:普段眠っている、暗殺部隊みたいな?

                                                         

                                                        三浦:テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今ちょっと大阪やばいって言われていて。

                                                         

                                                        松本:潜んでるってことですか?

                                                         

                                                        三浦:潜んでます。というのは、いざと言うときに最後のバックアップなんですよ。

                                                         そうしたら、首都攻撃するよりかは、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからっていうふうに安心はできない、というのがあるので、正直われわれとしては核だろうがなんだろうが、戦争してほしくないんですよ。アメリカに。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        私はこれを聞いて、はあ〜、ついにネトウヨの親分・青山繁晴化しちゃったのね、と思いました。いや、櫻井よし子化、産経新聞化といったほうがわかりやすいでしょうか。でも驚きません。これは当然予想できたことでしたから。

                                                         

                                                         

                                                        ことのてんまつは、以下の「リテラ」の記事をお読みください。正確でよくまとまっています。

                                                        http://lite-ra.com/2018/02/post-3799.html

                                                         

                                                         

                                                        その記事の最後。「なんの根拠もないのに知識や情報があるふりをしてフェイク情報をふりまき、歴史修正主義や安倍政権を正当化し、ヘイトを助長する。みんな騙されていたけど、三浦瑠麗という国際政治学者って実は、あの青山繁晴センセイと同じカテゴリーの人だったんじゃないだろうか。」と指摘しています。まったくそのとおり。異議なし!だから私は半年前にだまされてはならないと書いたのです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        ルーリーちゃんは、もともと学者ではなくテレビ芸人なんですが、こんどの一件で彼女を学者だと考える人はネトウヨのみなさんを除けばいなくなるでしょう。もっとも、今のテレビ業界を見ると、またぞろ復活してきそうな気もしますが・・・。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        そもそもルーリーちゃんは、テレビに出たがり屋のピント外れのオネーさんにすぎません。学歴や肩書を重んじるマスメディアと視聴者が、若手の論客だと勘違いしているだけです。困ったことに、視聴者だけではなく本人も勘違いしています。

                                                         

                                                         

                                                        それが度を越すと、本人が自覚していない分だけ、言ってることがかえって本当らしく聞こえてしまいます。自分の言うことは真実であると思い込んでしまうからです。ルーリーちゃんはウケをねらって一線を越えた陰謀論を展開したのですが、逆に自分が差別主義者であることをさらしてしまいました。あな、おそろしや、おそろしや。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        だまされていた人は、「国際政治学者」だとか「東京大学政策ビジョン研究センター講師」という肩書を見て、いくらなんでもここまで無根拠に物事を断定する人物だとは思っていなかったのでしょうね。しかもそれが差別的な心情にもとづくものだということも見えていなかったのです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        さて、言いたいことはまだまだあるのですが、最後に一つだけ事実を指摘して終わりにします。それは、この「ワイドナショー」という番組が、生放送ではなくて、録画だったという点です。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        通常、出演者の不適切発言が炎上するのは、生放送の番組に限られます。つまり今回の炎上は、普通の炎上とは性質が違います。これこそが不可解な点です。収録番組は、スタッフなりプロデューサーなりが責任を持って内容を確認した上で放送されるはずです。ということは、最終的な責任はルーリーちゃんにではなくて、フジテレビにあるということです。フジテレビは学者っぽい電波芸人を使って、安倍政権を援護射撃しているというわけです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        ルーリーちゃんの発言に対し、在日コリアンへの差別や偏見を助長するというまともな意見が多数寄せられました。ところがそれに対し、twitterを通じて、「私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います。」と、いかにもルーリーちゃんらしい反論をしています。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        案の定、差別を助長する「意図」はなかったとして彼女を弁護するどころか、在日コリアンをテロリスト呼ばわりし、暴言を吐く人たちがネット上に多数わいています。これこそが、あの放送を見た多くの人間が、在日コリアンとテロリストを結びつけて情報発信をしている何よりの証拠です。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        ルーリーちゃんは、関東大震災の際、朝鮮人が流言飛語によって大量虐殺された歴史を知らないのでしょうね。たとえ知っていたとしても、自分の発言とその流言飛語が本質的に同根のものだとはこれっぽっちも思わなかったのでしょう。つまり、知性のかけらもないということです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        虐殺された側の心情ではなく、いつのまにか虐殺する側の論理にからめとられていることくらい学者なら気づきそうなものですが・・・。あっ、失礼しました。電波芸人には無理でしたね。

                                                         

                                                        | 政治 | 16:01 | comments(0) | - |
                                                        ノリのわるい人間になる。
                                                        0

                                                          私はノリの悪い人間です。いや、わざと周囲のノリにあわせないように心がけています。居酒屋でも、ちょっとした集まりでも、数人が冗談を言い合って盛り上がっているのを見ると、いい大人がバカじゃなかろうかと思います。

                                                           

                                                           

                                                          しかもそのトークのネタがテレビの二番煎じ、三番煎じと来ているのですから、テンションは下がりっぱなしです。今やテレビに出てくる芸能人のトークが、私たちの会話のテンポや間を決定しているのです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          かくいう私も、3・11以前は、けっこうバカなギャグも飛ばし、周囲にあわせたりもしていました。しかし、そのことがこの国を破滅の淵に追いやった原因だと気づき、私はノリの悪い人間になる決心をしたのです。まあ、最後までお読みください。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          たとえば昔の同級生と居酒屋でもりあがっているとします。みんなが手をたたいて笑い転げているときに、いっしょに笑いながら「お前、パクるのうまいね。そのネタ、このまえテレビで芸人の○○がやってたけど、他人のネタで笑わせて面白いのかよ?」「久しぶりにこうやって集まったんだからさ、どんな時に死にたくなるか、何に絶望しているか、それを話してみようぜ」などと言いたくなるのです。楽しい飲み会が通夜のようになるかもしれません。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          私は空気を読む気もないし、周囲のノリにあわせることもしません。どうしてわざわざ集団の心理を逆なでするようなことをするのかと思っている人もいるでしょうね。理由はいろいろとあるのですが、ひとつには、もともとなんにでもツッコミを入れたがる性分だったことがあります。 

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          本当をいえば、イタリアの片田舎の人々のように一日の終わりに、美味しい料理とワインを飲みながら、ダンスしたり歌ったりしながら、楽しく時を過ごしたいのです。いっそのこと、イタリアに移住しようかな?しかし、2018年、日本人をしている私にはそれができません。なぜか。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          3・11の時、津波が町を襲い、家々を破壊し、人々の命を奪うのを目の当りにしました。それに続いて原発が爆発した映像をテレビで見ながら、私は自分の中で何かが崩れていくのを感じていました。感情が揺さぶられ、自分の足元が崩落していくような感じと言えばいいのでしょうか。多くの国民も同じ思いだったに違いありません。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          しかし、それに続く数年、私が目にしたものは、あれほど感情を揺さぶられる経験をしたにもかかわらず、まるで何ごともなかったかのごとく原発を再稼働し、海外に輸出さえする一大勢力でした。つまり、安倍政権と財界トップ、それをささえる匿名のシステムとしての官僚機構です。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          しかも彼らはほとんどが高学歴エリートなのです。学歴があろうがなかろうが、富裕層であろうがなかろうが、アルマーニの制服を着ていようがいまいが、だれもがこの国で生きていく権利があることを、彼らは理解していません。今やこの国の教育は個人の利益を最大化するシステムとしてだけ機能するようになっています。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          それは、日本国民の間に感情の劣化と死滅をもたらしました。だから匿名のシステムに過剰に順応すると感情が死んでしまい、まともな判断が下せなくなるのだと指摘してきたのです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          その結果日本社会で今何が起こっているのか。その例を一つだけあげて終わりにします。まずNHKのこの世論調査をご覧ください。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          なぜ平和を目指して南北融和を進めることが評価されないのでしょうか。そもそも、NHKは何のためにこの質問をしたのか。これはメディアや御用学者、外務省が安倍政権の意向を忖度して南北の対立を煽り続けた成果です。今や国民はマインドコントロールの実験動物=ブタになったのです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          アメリカと北朝鮮が戦争するのを期待するように誘導された国民心理は余りにも恐ろしい。そうではありませんか。今の時代をうっすらおおっている、戦争を待望する気分に迎合などできるわけがありません。これが、私がノリのわるい人間になることを決意した理由なのです。

                                                           

                                                          | 文学・哲学・思想 | 15:52 | comments(0) | - |
                                                          バレンタインデーのチョコレートなんか・・・
                                                          0

                                                            皆さんは「教育」という言葉から何を連想しますか?「ウザい」「よだきい」「しちくじい」・・・これらは全部同じような意味です。あとの二つは大分県以外の人には伝わりにくいでしょうけど。でも、連想する「もの」ですから、形容詞ではなく名詞で答えてほしいですね。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            例えば「自由」「権利」「平等」「可能性」「愛」「公平」「文化」「歴史」「伝統」「国民」「知性」「教養」「貢献」などなど。でもこういった言葉を連想する人は、今は少ないかもしれません。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            それに代わって「商品」「費用対効果」「消費」「差別化」「階層」「特権」「選択と集中」「効率」「格差」「中学受験」「塾」「合格率」「自由競争」「グローバリズム」「自己責任」「義務」「親の経済力」「母親の狂気」「人格喪失」「子供の虐待」「いじめ」「自殺」と言った言葉を連想する人が多くなっている気がします。

                                                             

                                                            「母親の狂気」などいうおどろおどろしいものもまぎれこんでいますが、なんだか経済学っぽい言葉とマイナスイメージの言葉ばかりが並びましたね。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            前者の中には「公共性」を指向する言葉が含まれていますが、後者の語群からは「公共性」がきれいに消えて、自由競争やグローバリズム(この言葉の本当の意味を理解している者がなんと少ないことか!)という大多数の国民を犠牲にする「豊かな暮らし」を指向する言葉が並んでいます。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            でも、「豊かな暮らし」って何なんでしょう。「豊かな暮らし」のキーワードは「消費」です。消費は、いろいろな選択肢の中から好きなものを選んで買うことでした。それが自分自身の個性、社会的価値を示すものへと変わりました。すなわち、どれだけ高価な商品を買うことができるのかが、人間の社会的ステイタスを決めると信じられているのです。これはアメリカ的な価値観です。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            これを否定したり、まったく気にかけない人間は変わり者として消費社会からはじき出されます。働いて金を稼ぎ、それですきなものを買うことが自己実現だとすれば、働くことはお金を稼ぐ手段になってしまいます。つまりお金を稼ぐことが最終的な目的になるのですから、労働に価値を見出せなくなるのも当然です。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            そこで前々回のブログで書いたコロンボ警部の生き方を思い出してみましょう。高級車に乗り、高級な葉巻きを吸い、豪邸に住み、高級なブランドの服を着ることよりも、彼は刑事として働くことそのものが自己実現だと考えているのです。つまり、「消費に結びつかない自己実現」を実践しているのです。実は、日本人が真似しなければならないのは、コロンボの生き方なのです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            これと関連して、このところいわゆる富裕層の子育てがどうしようもなく画一的で貧しくなっていると思います。その代表がこども4人全員を東大医学部に合格させた、例の「佐藤ママ」です。彼、彼女らの子育てはとても巧妙です。「いいかげんに勉強せんか!いつまでテレビ見ちょんのじゃ、ボケ!」というような下品なことは言いません。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            それどころか、判で押したように「勉強しなさいなんて一度も言ったことはありませんのよ」というのが、彼らのセリフです。あくまで「自主性にまかせる」というわけです。しかし、彼らはこどもを自分の所有物だと考えています。「自主性にまかせる」と言いながら、親の思い通りに育てています。そうすることがこどもの将来のためになる、社会にとって有用な人材になると思い込んでいるのです。教育とは、まず親がしっかりレールを敷いてやることだというわけです。何という貧しいこども観でしょう。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            考えても見て下さい。こどもの成長のしかたというのはそんなものではないはずです。はたから見ていると、何でそんなものに夢中になるのか全く分からないようなことに夢中になる。時間を忘れてただひたすら同じことを繰り返す。まわりのことなんかまったく気にせずに、ただただ自分の力を伸ばそうとする。自分はあんなこともできる、こんなこともできる、と感じられるのが嬉しくてたまらない。これから何になるかなんてわからない。でもわからないからこそ、何ものにも縛られずに自由奔放に生きている。こどもはいつだって予測不可能なものに成長していくのです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            大人がそれを巧妙にコントロールし「善き方向」へと導く。そこで排除されるものは自由と偶然性に満ちた宝の山なのです。「佐藤ママ」が4人のこどもたち全員に、大学に受かるまでだったか、社会人になるまでだったか忘れましたが、「恋愛禁止」を申し渡していると聞いた時、「なに言ってるんだ、このババア(よいこのみなさんは決してまねをしないでね)、人間をなめるのもいいかげんにしろよ!」と、はしたなくも叫びかけました。こどもを受験という人工的な環境の中に囲い込むことによって実は社会の活力や可能性をそいでいることには気づいていないのです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            ところで今日はバレンタインデーだそうです。コマーシャリズムにのせられて、若い女性たちがデパ地下でチョコレートを買いあさっている光景をよくテレビで見かけます。ここにもマインドコントロールされたアホな女性がうじゃうじゃわいていると思うと、悲しくなります。僕はバレンタインデーのチョコレートなんか欲しくありません。お返しが大変だから。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            娘たちにも、「お父さんはそんなものいらん!」と言っています。彼女たちの返事は毎年決まっていて「ハイハイ、わかっていますよ。心配しないでね」というものです。そう素直に言われると少しさびしい。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            で今日の午後、妻に「コーヒーいれてよ。ティータイムしましょうよ」と言われたので、居間に行くとテーブルの上に何やらプレゼントらしきものが並んでいるではありませんか。

                                                             

                                                             

                                                            「まさか、バレンタインデーのチョコレートじゃないだろうな」

                                                            「さあ、何でしょう。開けてみたら?」

                                                            というわけで、開けてみると、これでした。

                                                             

                                                            ピエール・ルドンのチョコレート。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            チョコレート会社のくちぐるまにのりおってと、ぶつぶつ言いながら口に入れました。なんということでしょう。うまい!マジで。コーヒーと合う!さすがピエール・ルドンだけのことはある、と思いました。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            「あら、美味しそうじゃないの。チョコレートは嫌いだったんじゃないの?」

                                                            「ピエール・ルドンかノドンかしらないが、北朝鮮のミサイルのような名前のチョコレートなんか、美味しいわけないだろ」

                                                            「あらうれしい。じゃあ残りは私が全部もらうわよ」

                                                            「ちょっ、ちょっと。そんなことしたら、せっかくもってきてくれた娘が悲しむよ・・・」

                                                             

                                                            | 教育 | 14:49 | comments(0) | - |
                                                            「沙羅ノート」は、世界に二つとないノートである。
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                                                              沙羅ちゃん、銅メダルおめでとう!よかったね。

                                                               

                                                               

                                                              僕の中ではオリンピックは終わっています。テレビを見る気にもならないし、なにより全く関心がなくなってしまいました。どうせ裏で電通が暗躍し、それテレビ放映権だ、コマーシャルだ、と奔走しているのですから。商業ジャーナリズムと利権が結託し、ある一定の視点(インスタ映えということばに現れています)から切り取られた映像にスポーツのだいご味など映っているはずもないのです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              加えて、おバカな政治権力が、不利な事実がつぎつぎに明るみに出ているので、国民の目をそらそうとたくらんでいます。日の丸を背負って戦うことは、もはやかっこよくもなんともないのだと気づくべきです。オリンピック憲章にもありますよね。「オリンピックは国威を発揚するものであってはならない」と。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              ところで、昨夜、塾が終わって居間に行くと、妻がテレビを見ていました。「今から沙羅ちゃんが飛ぶわよ」というではありませんか。日本を応援する気にはなりませんが、沙羅ちゃんなら観てもいいかと思い、テレビの前に座り、どういうわけか手に汗にぎりました。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              たぶん現地にいたら日の丸の旗をちぎれんばかりに振り、「沙羅ちゃんがんばれ〜。失敗してもいいから、思い切って飛べ!さあ、安心して僕の腕の中に飛び込んでおいで!」とかなんとか叫んでいたと思います。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              ついでに前の方にいる「ニッポン!チャチャチャ!」「ニッポンすごい!」「ニッポン、キラキラ!」とか叫んでいるネトウヨのケツに思いっきり蹴りを入れて、人ごみにまぎれて逃げていたでしょう。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              僕が今回沙羅ちゃんを応援する気になったのは、最近とくに綺麗になったこともありますが、それだけではありません。絶対的な優勝候補として臨んだソチはまさかの4位。その時の悔しさはいかばかりだったでしょう。僕もいっしょに涙したくらいですから。挫折を経験した沙羅ちゃんが、今回どう成長しているのか。さらなる挫折を経験するのか、不死鳥のごとくよみがえるのか(ちょっとおおげさですね)、その点に注目していました。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              結果は見事な銅メダル。金、銀、銅の差なんてほとんど運です。たまたまジャンプした時追い風が吹いたとか、そういったことで左右されるのですから。それよりも今回僕が注目したのは、沙羅ちゃんの精神的な成長でした。前回は土壇場で自分を支えることができなかった。周りを気にし過ぎたのです。つまり弱かった。しかし今回は違いました。なぜそうなったのか。ある一つの事実を知って、納得しました。それは「沙羅ノート」とでも言うべきノートの存在です。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              沙羅さん(ここからはちゃん付けで呼べません)は「自分と話し合う時間が、ソチの頃は足りなかった」といいます。練習時間ではありません。「自分と話し合う時間」が足らなかったと言っているのです。えらい!(大人になった沙羅さんが僕は好きです。マジで。)

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              それで昨春から、1センチほどの厚さのメモ帳を持ち歩くようになったそうです。良かった点、悪かった点、指導された内容を書き留め、行き詰まった時に見返す。メモは1月末で3冊。牧野講平トレーナー(38)は「書き出すことで整理して課題を見つけやすい。メンタル的にも落ち着くのでは」と言っています。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              う〜ん、「メンタル的にも落ち着くのでは」はちがいます。沙羅さんは、匿名のシステムの内部に自分の時間と空間を作り上げたのです。つまり、周囲に左右されない人格を作り上げたということです。トレーナーならこのメモが彼女を決定的に変えたのだということに気づかなければなりません。僕が言ってきた「思考ノート」の威力です。さあ、バカな出版人の皆さん、『高梨沙羅のノートは必ず美しい』という本を書きましょう。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              オリンピック選手は匿名のシステムから絶えずプレッシャーを受けています。自分のためではなく、組織のため、国のためにたたかうことを要請されているのです。東京オリンピックの銅メダリスト、マラソンの円谷幸吉選手は、このプレッシャーに押しつぶされて自殺しました。僕はオリンピック選手に言いたい。「国のためではなく、自分自身のために全力でたたかえ!そんな君を応援するぞ!」と。べつに僕が言わなくてもいいんですが。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              『日の丸を背負って戦うことは、そんなにカッコいいか?』

                                                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=222

                                                               

                                                               

                                                              平昌入りした沙羅さんに、山田いずみコーチは「ソチの時より、今の顔が好きだよ」と言ったそうです。本番を前にした選手には最高の言葉ですね。僕も試験前の女子生徒に言おうかな。「一か月前より、今の顔が好きだよ」と。キモ〜イ。でも何だかはやりそうで怖いですね。

                                                               

                                                              | 中高生の皆さんへ | 12:45 | comments(0) | - |
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