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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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言葉の荒野。
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    畑仕事と作庭、草刈や外壁の塗装に精を出しているうちに気がつけば6月。水無月です。野菜を作り、我が家の定番料理のレシピをメモするようになってかれこれ1年になります。日曜日は野菜のグリルを中心としたイタリアンを作ることを妻に約束しています。

     

     

     

    それでも、庭に積もったケヤキやクヌギの枯葉で腐葉土を作り、荒れた土に敷き込んでふかふかの土にするにはあと1年はかかります。それまではいろいろと実験を重ねる日々です。葡萄のツタも順調に伸びて棚を覆い始めています。今年の夏には葡萄棚らしくなることでしょう。

     

     

     

    いつのころからか判然としませんが、人が発する言葉にその人固有の人格を感じなくなってずいぶん時が流れたような気がします。見渡せば言葉の荒野が広がっています。言葉が歪めば世界の像も歪みます。この国は成熟する機会を奪われた幼児であふれかえっているのです。

     

     

     

    私は元々あまのじゃくで、大道を闊歩することができず、大勢の人が右といえば左に行きたくなる性格です。いや、そうなるように自分を教育してきました。

     

     

     

    それというのも世の中で出世している人の多くが権威主義的で「立場」の奴隷になっていることに気づいたからです。彼らは意見を異にする相手に対して、お前にそんなことを言う資格があるのかと恫喝し、内容以前に相手の立場を問題にします。単なる言論封じに過ぎないのですが、空洞化した人格を晒していることに気づきません。他者意識のない言説は幼児そのものです。

     

     

     

    そういった社会的なヒエラルキーに滑稽なほどこだわる人間たちが生息する世界には、真実の言葉が生まれる余地はありません。ここらで一線を画そうと考えた所以です。

     

     

     

    畑仕事の手を休めて木陰の椅子に座っていると、昔読んだ本の一章句が不意に思い浮かびます。記憶をたどり、作者を思い出そうとします。家に帰って書棚を探します。それは自分を確認するひと時です。してみると、何らの経済的利益を生み出さなかった読書という行為こそが私を作り上げているのかもしれません。

     

     

     

    ある詩人が書いています。

     

     

    言葉が多すぎる
    というより
    言葉らしきものが多すぎる
    というより
    言葉と言えるほどのものが無い

    この不毛 この荒野
    賑々しきなかの亡国のきざし
    ・・・・

    「茨木のり子詩集」より

     

    ひとびとは
    怒りの火薬をしめらせてはならない
    まことの自己の名において立つ日のために 

     

    同詩集「内部からくさる桃」より

     

     

     

    そういえば水無月で思い出しました。伊東静雄の「水中花」です。桑原武夫編集の全一冊の詩集の中にあります。まだ日本語に韻律があり、厳しさがあり、明晰さと力がありました。そこには唯一無二の伊東静雄という人格があったのです。以下全文引用します。

     

     

     

    ― 水中花と言つて夏の夜店に子供達のために売る品がある。木のうすいうすい削片を細く圧搾してつくつたものだ。そのまゝでは何の変哲もないのだが、一度水中に投ずればそれは赤青紫、色うつくしいさまざまの花の姿にひらいて、哀れに華やいでコツプの水のなかなどに凝としづまつてゐる。都会そだちの人のなかには瓦斯燈に照しだされたあの人工の花の印象をわすれずにゐるひともあるだらう。



    ことし水無月のなどかくは美しき。
    軒端を見れば息吹のごとく
    萌えいでにける釣(つり)しのぶ。
    忍(しのぶ)べき昔はなくて
    何をか吾の嘆きてあらむ。
    六月の夜と昼のあはひに
    万象のこれは自(みづから)光る明るさの時刻(とき)。
    遂(つひ)逢はざりし人の面影
    一茎(いつけい)の葵(あふひ)の花の前に立て。
    堪へがたければわれ空に投げうつ水中花。
    金魚の影もそこに閃(ひらめ)きつ。
    すべてのものは吾にむかひて
    死ねといふ、
    わが水無月のなどかくはうつくしき。

     

     

     

    | 文学・哲学・思想 | 13:20 | comments(0) | - |
    あの子はああいう子なんです。
    0

       

      父の死後、二人の娘を連れて父の本籍地に帰ってきたのは、上の娘が小学校1年生の時で、下の娘は幼稚園でした。二人して片道2キロの道を歩いて通学していました。私は塾を始めたばかりで、収入はほとんどなく、失業者同然の状態でした。

       

       

      そんなある日、二人を迎えに行こうと村の外れで待っていると、ランドセルと幼稚園バッグを肩に掛けた二人が、蓮華の花が満開の田んぼの中をよろよろ歩いてこちらに向かってきます。その光景を見て、私は熱いものがこみあげてくるのをどうすることもできませんでした。親が勝手に決めた新しい環境の中で生きているけなげさというか、よるべなさが伝わってきたからでしょう。

       

      「ほら、パパ、蓮華の首飾り」

      「かわいいね。うまく作ってるじゃない」

       

       

      当時の私は、どういう塾にしようかとあれこれ考えている最中でした。学校の成績を上げるだけの塾なら、迷うこともありません。教科書を先取り学習し、予想問題を解かせればいいわけです。「成績上げなきゃ塾じゃない!」のですから。

       

       

      でもそれができませんでした。その当時の生徒たちとは、明日から期末試験という日に近くの神社に行ってかくれんぼをしたり、缶蹴りをしていたくらいです。

       

       

      そんな時に出会ったのが、前回のブログで紹介したA・Sニイルでした。以下の画像は私の書棚の一角にあるA・Sニイル著作集です。『問題のこども』『問題の親』だけカバーがありません。何度も読んでいたからです。もし子育てで迷ったり、自信を無くしている親御さんがいればぜひ読むことを勧めます。子育ては、親自身がもう一度自分の人生を生き直す試みなのです。

       

       

       

       

      私はサマーヒルを訪問し、それを日本で実現することはできないと思いました。なぜなら、サマーヒルはA・Sニイルあってのものだからです。教育はシステムの中でではなく、一人の個性ある人間との一回きりの出会いで実現できる僥倖だと考えているからです。

       

       

      A・Sニイルについてあれこれ述べることはやめにします。どうぞ各自でお調べください。彼は子供の個性を洞察し、それを丸ごと受け入れることのできる知性とユーモアを兼ね備えた余人をもって代えがたい人間だったのです。

       

       

      ニイルは世界各国から集まった様々な個性を持った子供たちを自由にし、「あの子はああいう子なんだ」と丸ごと受け入れたのです。これは簡単そうでなかなかできないことです。自分が丸ごと受け入れられているかどうかを最も敏感に分かっているのは子供自身なのですね。そんなことを考えていて、ある日本人作家が書いた短い文章を思い出しました。以下に全文引用します。

       

       

       

      「忘れられない言葉――あの子はああいう子なんです」


      ― 小学生の頃は憑かれたように毎日本ばかり読んでいた。どんなにボリュームのある本でも二十四時間以内には読んでいたので、家庭にある本ではとうてい足りない。幸い、通っていた小学校にはとても素晴らしい図書館があったので、その点では恵まれていた。昼休みに前日借りていた本を返しに行き、また新しく本を借りる。すぐに読み始める。帰るとすぐ読む。寝床でも読む。ここでたいてい読み終わるのだが、ときどき翌日に持ち越し、そういう場合は午前中の短い休み時間と、授業中先生の目を盗んで読み、昼休みまでには読み終える。テストのある日は嬉しかった。さっさとすませてあとは思う存分読んでいられるから。

       

      その日のテストもいつものように「さっさとすませて」本の続きに没頭していた。すると教室の後ろのドアが開き、数人のいかにも視察に来たといった風情の恰幅のよろしい方々が担任に案内されてきた。そのうちの一人が何か耳打ちしたらしい。担任の晴れやかな声が聞こえた。

      「ああ、あの子はああいう子なんです」

       

      私は異様に敏感な子だったので、この一言で、テスト中に本を読むという行為が人に不審を抱かせるらしいということ、そして担任が私のことを信頼し、かつその異端ぶりを誇りにすらしてくれているらしいこと等を瞬時に悟った。丸ごと受け入れられている感覚。あれはいいものだったと今でも思う ―

       

      (梨木香歩著『やがて満ちてくる光の』P190〜191より)

       

       

       

      | 教育 | 14:50 | comments(0) | - |
      捏造された希望の向こうへ。
      0

         

        諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて

        奴隷のように忍従することを欲するか

        むしろ諸君よ さらにあらたな正しい時代をつくれ

         

                 ―宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」

         

         

         

        私の塾教師人生もいよいよ終盤に差し掛かってきました。5年後には間違いなくこの業界から引退しているでしょう。この間、塾教師として分をわきまえない言動もありました。特に3・11の原発事故後は、たかが塾教師の分際で自分の考えを発信してきました。伊方原発差し止め訴訟の原告になり、大分地裁の裁判長に意見陳述書も書きました。安倍首相には至近距離でヤジも飛ばしました。

         

         

         

        「たかが塾教師の分際で」と書きましたが、「たかがタクシー運転手」であろうと、「たかがお笑い芸人」「たかが自衛隊員」「たかが警察官」「たかが弁護士」「たかが医師」「たかが総理大臣」「たかが裁判官」「たかがノーベル賞作家」であろうと、私は職業に関係なく言説はその言説の価値のみで平等に扱われるべきだと考えています。

         

         

         

        もちろん中身を検討すれば価値の優劣はあります。すべての言説が等価であると考えるのはおふざけに過ぎません。しかし、民主主義社会は「肩書」や「立場」の奴隷になることなく、人々が自らの意見を表明することでかろうじて存在できるのです。

         

         

         

        こういう考え方は子供っぽいと言われればその通りです。しかしこの認識の裏には、「現実」を子供っぽく信じることができないがゆえの絶望が張り付いています。

         

         

         

        権力や地位や名誉を求めることに生来関心がなかったこともありますが、それを追い求めている人間たちがつまるところ自己中心主義者に過ぎず、他者の抱いている価値や痛みに何の関心もないことが経験によって分かったのです。

         

         

         

        その証拠に、彼らは他者の惨状を見て慟哭すべき時に酒を酌み交わし談笑しているのです。彼らが葛藤から無縁でいられるのは、彼らの唱える主義主張が他者への冷酷な無関心と張り合わせになっているからです。

         

         

         

        では「他者への冷酷な無関心」はどのようにして生まれるのでしょうか。子供を育てる親の問題や生得的な要因もあるでしょうが、匿名のシステムとしての学校教育の影響が特に大きいのです。それを人生で初めて自覚した時のエピソードを話しましょう。

         

         

         

        あれは上野丘高校の3年の時です。私は鬱屈した心情を抱えて無気力な高校生活を送っていました。そんなある日、何がきっかけか忘れましたが、同じクラスのK君が教壇に立って話し始めました。ベトナム戦争について滔々と語るK君の表情は真剣でした。あれからおよそ半世紀が経過しますが、その時の記憶はいまだに鮮明です。

         

         

         

        K君は私と同じ陸上部に所属する長距離ランナーでしたが、勉強面では落ちこぼれと言ってもいい状態でした。そのK君が、信じられないほど明晰かつ論理的に政治について自分の考えを述べたのです。これほど中身のある話をするには、かなりの本を読み、日ごろから政治について関心を持っていなければできないはずだと感じました。

         

         

         

        ところが、K君が話している間、ほとんどの生徒は関心を示しているようには見えませんでした。それどころか、K君が話し終わった後、バカにするような冗談を言う人もいました。「勉強せんか」「頭わるいくせに」という言葉に私は傷つきました。私が学年でただひとり卒業アルバムを買わなかったのも、今思うとその時のことがあったからかもしれません。

         

         

         

        そしてふと思います。K君が今上野丘高校の教壇に立ち、同じ話をしたら共感する生徒がいるだろうかと。東大や九大に多くの合格者を出す高校に所属していることでケチなプライドを満足させている人間は、なによりもまず相手の成績と序列を意識するのです。それはもはや若者ではなく小才の利いた小役人、官僚予備軍に過ぎません。

         

         

         

        皮肉ではなく、私はこういった経験を積めただけでも上野丘高校に通ってよかったと思います。匿名のシステムを動かしている無意識的な思考を友人や教師の中に垣間見ることができたからです。しかしそれを経験するためにだけ学校に行く価値があると考えるのはマゾヒストです。

         

         

         

        おそらく今の上野丘高校の生徒さんたちは、礼儀正しく、優しく、ユーモアもあり序列主義を痛切に意識させられながらも楽しい学校生活を送っていることと思います。

         

         

        しかし、政治についてどのような態度をとるかが知性のバロメーターだ、というような考えは聞いたことがないか、受け入れられないでしょう。彼らにとって勉強とは受験勉強のことなのですから。K君の話は「勉強」とは関係ないというわけです。

         

         

         

        しかし、私はその人の政治意識こそが知性を証明するものだと思っています。「政治の話はあまりしたくないので」という前口上を言う人で、知的な人に会ったことがありません。マックス・ウェーバーも言っているように、政治こそ文化の最高形態なのです。もちろんTPOを考慮する必要はありますが。

         

         

         

        私は政治とは何かについてブログに書いています。再掲しますのでお読みください。

         

         

         

        「そもそも政治とは、国民に対して、誰もが不可能だと思っていることを可能であると実証して見せる営みを指す。すなわち、現実を絶対化し、その改変を試みる勇気を持たない人間に対して、「現実」は一部の人間の利益に奉仕しているだけであり、したがって取るに足らない思いこみであり、一時的な夢だと喝破して見せることこそが政治の使命だ。」

         

         

         

        大分地裁裁判長への意見陳述書http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=426

         

         

        大分地裁佐藤重憲裁判長、伊方原発差し止め却下。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=520

         

         

         

        さて今回のタイトルに話を戻します。

        「捏造された希望」とは、学校という制度の中を通過する間に、いつの間にか自分のものだと思い込まされた「希望」のことです。優秀な子供であればあるほど、人生の早い段階から周囲の大人や教師から期待され、それに応えている間に本当に自分のやりたいことを見失ってしまうのではないか、と問いかけたいのです。もちろん顰蹙を買うのを覚悟で言っています。

         

         

         

        匿名のシステムである学校は社会の必要から生み出されました。だからこそ、それは生徒一人一人の個性に寄り添うようには設計されていないのです。「捏造された希望」が必要になる所以です。

         

         

         

        私は塾を始めるとき、生徒に「捏造された希望」を押し付けないということをモットーにしていました。それゆえ東京にあこがれ、「名前が売れている」という理由だけで早稲田大学や慶応大学に行きたいと言う生徒に考え直すようにと言いました。理系で成績がいいから医者になりたいと言う生徒に「君は医者には向いていないよ」とも言いました。親御さんからは独善的な塾教師だと思われていたかもしれません。

         

         

         

        そういうわけですから「目指せトップ校!」だの「祝○○高校合格!」「○○大学〇名合格!新記録!」などとやたら!マークの付いたのぼりを掲げたり、教室に大書したりすることは、生活が懸かっているとはいえ、恥ずかしくてできなかったのです。

         

         

         

        何事であれ、初発の動機は重要です。塾を商売だと割り切れば成績を上げることを売りにするのが最も簡単で分かりやすいでしょう。しかし、それでは長続きしないと考えました。それは自分がやらなくても大勢の塾経営者がやるでしょう。

         

         

         

        かくして、既存の塾を乗り越える思想を懸命に探すこととなったのです。ブランディングだのマーケティングだのと言った横文字で考えることはどこか胡散臭い感じがしました。つまりその時々のはやりの経営戦略や消費者の嗜好に迎合するのではなく、子供と遊んだり学んだりすることで人間に対する認識が深まっていくような、より普遍的な教育を目指したのです。

         

         

         

        その時に出会ったのがイギリス人の教育家A・Sニイルでした。ニイルが創設した「世界で一番自由な学校」と言われた『サマーヒル』を2度訪ね、訪問記を朝日新聞の大分版に数回にわたって連載しました。28年前のことです。インターネットもスマホもない時代でした。

         

         

         

        私にとってはA・Sニイルこそが、子供たちの個性を洞察する、「捏造された希望」を決して押し付けない教師だったのです。かの作家、ヘンリー・ミラーはA・Sニイルのことを次のように言っています。

         

         

        ‟I know of no educator in the western world who can compare to A.S.Neill. Summerhill is a tiny ray of light in the world of darkness”

         

        「西欧社会でA・Sニイルに比肩する教育家を知らない。サマーヒルは暗黒の世界に灯るかすかな光である」

         

        長くなるので、続きは次回にします。

         

         

         

        | 高校生の皆さんへ | 22:51 | comments(0) | - |
        育ちゆくものを育てる。
        0

          以下の記事はブログを始めて間もないころのものです。子供たちとこんな交流ができたらいいなあと思いながら書きました。本当に知的な大人とは、この記事の中に出てくる自然観察指導員の田原さんのような人だと思います。以下に再掲します。

           

           

          閑話休題

           

          政治ネタばかりで、私が書きたい記事が書けません。でも、ネットで何だかほのぼのとして、しかも感動する記事を見つけました。私がこどもたちに身につけてもらいたいと思っている発想や行動力が、小学校6年生の村田結菜ちゃんによって、生き生きと、しかも、いかんなく発揮されています。

           

           

          この記事を読むと、自然観察指導員の田原さんの存在が大きいですね。子供の好奇心に寄り添い、決して出しゃばらず、同じ目線で考える。それにしても、結菜ちゃんの観察力には脱帽です。

           

           

          子育ての極意は、子供をじっくり観察することです。観察し、待つ。子供を鋳型にはめるのではなく、育ちゆくものを育てる、という姿勢こそが親子ともども幸福になる秘訣ではないでしょうか。都会のタワーマンションで暮らす子供たちは気の毒です。やっぱり子供は自然の中で生活して賢くなるのです。以下の記事をどうぞご覧になってください。

           

          http://dot.asahi.com/dot/2015050800037.html

           

           

          元記事は以下です。

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=106

           

          | 教育 | 11:23 | comments(0) | - |
          希望を処方する。
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            電子金融空間でしか利益を出せなくなったグローバル資本主義は、今後はビッグデータによる世論誘導でこれまで以上に反倫理的な世界を作り出すでしょう。FTAやTPPは自由貿易協定という名の帝国主義に他なりません。

             

             

             

            かつて山本太郎氏が国会で指摘したように、FTAやTPPには日本語の正文がありません。正文とは誤訳や齟齬が生じないように約款を日本語にしたものです。他の加盟国には、各国の言語で正文が用意されています。しかし、日本語の正文はありません。議会で官僚が意訳した条文を形式的に審議しただけです。これだけでこの協定が国民にとっていかに危険なものか分かります。これを指摘した政治家は山本太郎氏ただ一人でした。

             

             

             

            コロナは時間はかかってもいずれ終息に向かうでしょう。しかし、終息後にコロナ以前の世界が戻ってくると考えるのはあまりに能天気です。それは投資家や経済評論家に任せておきましょう。

             

             

             

            お気づきの方もいると思いますが、私は原発事故後、世界のどこに希望を見出すかという問いをめぐってブログを書いてきました。今回は、それにコロナが加わったのですが、安倍政権の卑劣さと無能ぶりが一層際立っただけで、問題の本質は変わっていません。

             

             

             

            私が身を置いているのは、地方のそのまた周縁の空き家に囲まれた小さな個人塾です。生まれつき怠け者で、それゆえ教職と公職には向かず、ただ自由でいたいと考える身勝手な人間です。そういうわけで、たどり着いたのが辺境塾教師という潜在的失業者にして余計者と見なされる職業だったのです。

             

             

             

            人が社会とかかわるためには、近代資本主義の原理に基づく組織を介して具体的な仕事をするほかないと一時は思い込まされていました。しかし幼少年時代の経験から、職業的に制度化されていないものの中にこそ自分のやりたいことがあるのではないかと感じていたのです。要するに、偶然と運に導かれて塾教師の道を選んだに過ぎません。

             

             

             

            そんな私がこの業界で感じたのは、小学校から大学まで学び続けても、多くの人は考えたことがほとんどないのではないかという疑念でした。考えるとは学校で与えられた課題の解法を考えることであり、勉強は受験勉強を意味するのです。

             

             

             

            ブログで何度も指摘しましたが、受験勉強における論理的思考力とは、つまるところ「いかに出題者の意図を汲み取り、その期待に沿った答えを書くか」という「忖度競争」であり、知性とは無縁の作業なのです。それをあたかも価値のある「特殊な方法論」として売り物にしている塾もあります。

             

             

             

            かくして「忖度競争」の最終的な勝利者が「高級官僚」の世界でも、マスコミ・テレビ業界でも幅を利かせています。テレビは政権の意向を忖度し、政権は財界の意向を忖度し、財界は宗主国のアメリカ(軍産複合体と多国籍企業)のいいなりです。

             

             

             

            この自明の構造(無意識のうちに世論操作の対象になっていること)に気づきもせず、テレビを見て時間をつぶし、アスリートに自己投影してスポーツにうつつを抜かしているのが多くの国民の姿です。

             

             

             

            それもそのはず、日本の学校教育は、母国語できちんとした文章を書くことを独立した科目として教えていないのですから。これは世界標準からすればあり得ないような低リテラシー状態と言えます。批判精神は生まれる前から刈り取られているのです。勉強とは受験勉強のことだと信じて疑わない人に日本語のコミュニケーション能力などあるはずがありません。日本のメディアに取材力と批評性の両方が欠如しているのは当然です。

             

             

             

            さて、ここからは日本社会のどこに希望があるのかについて私の考えを述べます。日本の近代が行き着いた先がこの惨状であれば、それ以前に歴史をさかのぼるしかありません。そうして発見した希望の処方箋を以下に箇条書きにしてみます。

             

            希望の処方箋1国家の政策に左右されない電力と食料の自給圏を作る。

             

             

            希望の処方箋2自給圏を次世代に残すために、その土地の風土や文化に根差した徹底した分権的な教育を実施します。中央集権的教育の象徴である「全国小学生共通学力テスト」の欺瞞と不毛を思え。

             

             

            希望の処方箋3文部科学省を廃止する。これは福沢諭吉も言っていたことです。透明で公平な予算配分機能だけを残し、教育の内容には一切干渉させないこととする。教科書も教育の中身も教師・親・生徒が議論して作る。このこと自体が教育になります。

             

             

            希望の処方箋4:教育費を完全無償化する。全国すべての公立学校の建物を再考し、芸術性のあるものに建て替える。戦争経済を国のエンジンに据えるのではなく、教育国家として生きることを世界に向けて宣言する。

             

             

            希望の処方箋5コロナ禍が明らかにしたことは、世界政府の必要性です。これから襲い掛かる可能性のある感染症のパンデミックや自然災害に備えるために一日も早く世界政府を構想すべきです。そういった状況の中で憲法9条は新たな価値を帯びてくるでしょう。

             

             

             

            希望の処方箋は空想物語ではありません。財界とカルト教団の使い走りに過ぎない戦争屋の安倍政権を打倒し、山本太郎を総理大臣にすれば可能です。1〜5の処方箋のすべてを実現できる構想力と実行力を持っているのは彼一人です。MMT理論で財政的な手当てもできます。18歳で選挙権を手にしたすべての心ある高校生は団結して彼を支持しよう。

             

             

             

            詳細は以下の過去記事をお読み下さい。できればすべての人に、とくに有権者となる高校生の皆さんに読んでもらいたいと思います。

             

             

            『私たちはどこから来てどこへ行くのか』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=93

             

            『100年後の生存戦略−その2 教育・国宝 閑谷(しずたに)学校』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=488

             

            『100年後の生存戦略−その3 教育・「ラコリーナ」』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=446

             

            感染症や自然災害から国民の命を守るのも国防です。いや、国防そのものです。

             

            『100年後の生存戦略−その1・国防』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=199

             

            | 高校生の皆さんへ | 23:52 | comments(0) | - |
            高校生の皆さん、今が考えるチャンスです。
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              高校生がやるべきことは、少しでも偏差値上位の大学に合格するため、世界に目を閉ざして受験勉強に励むことではありません。それでは皆さんの能力や可能性のごく一部しか発揮できません。すでに過去のものとなった日本社会の匿名のシステム(だれも責任を取らずにもたれあって破滅への道を進むシステム)に過剰適応することは人生の無駄です。ではどうすればいいのか。私の答えは次回書きます。

               

               

               

              その前に、以下の事実について皆さんはどう考えますか。

               

              1:コロナ危機に際して、効果の無いマスクに466億円、数さえそろえておけばいいと言い放つ「高級官僚」。経済財政諮問会議の旗振りで感染症の病床を減らすために644億円。さらに感染終息後に使う旅行、飲食支援に1兆7000億円。2018年までに463兆円の内部留保をため込んでいる大企業に返済不要の出資1000億円。その一方で学費支援に7億円。

               

               

               

              2:4月29日の参議院予算委員会における国民民主党の森ゆうこ議員の安倍首相への質問。

               

              「感染状況が(緊急事態宣言の解除や延長を判断する)ひとつの要素だって、さっき言っていましたけど、いったいどれくらいなんですか? いったいどれくらいの国民が感染しているんですか? このコロナウイルスに。いま現在」

               

               

              新型コロナウイルス対策費を盛り込んだ補正予算案を審議している予算委員会の場です。当然、安倍首相は即答できなければなりません。しかし、1分以上にわたって答えに窮してしまったのです。要するに日本政府はCOVID19の感染者数を把握していないことが明らかになりました。緊急事態宣言を出し、自宅待機と自粛を求めた根拠はなんだったんでしょう。さらに自宅待機と自粛を解除するめどをどうやってつけるつもりでしょうか?

               

               

               

              3:CNNによると、5月1日、韓国は新たな感染者がゼロになりました。ロックダウンも緊急事態宣言もせず政府が一度も閉店要請もせず終息。国が大量にPCR検査をし、陽性者を割り出し、自主も含めて隔離を徹底させたのです。全国に600か所の検査センターと60か所のドライブスルーで検査を徹底させました。よって経済も大打撃なしです。

               

               

               

              4:5月1日 AFPによると、米国家情報長官室(ODNI)は4月30日、世界各地で猛威を振るっている新型コロナウイルスについて、中国が起源だが人工的なものでも遺伝子組み換えのものでもないとの結論に達したと発表しました。

               

               

               

              以上挙げた4つの事実を見ただけでも、高校生は政治に興味を持つべきではないという意見が、いかに間違ったものかわかると思います。英語の民間試験の活用と言い、共通テストの記述問題の杜撰さと言い、休校の決め方と言い、すべて政治問題です。政治に無関心な高校生、特に進学校の生徒さんたちの政治意識は世界の高校生から見ると、自分の人生をひとまかせにしている幼児のように見えていることを知らなければなりません。

               

               

               

              さて、最後におまけです。安倍首相は明日の憲法記念日に「緊急事態条項」を憲法に盛り込む必要性を訴えるようです。高校生の皆さんは、緊急事態宣言との区別はついているでしょうか。これを混同するようでは、皆さんは政治意識も歴史意識もない単なる物まねが得意なサルだと言われても仕方ないでしょう。ぜひ以下の動画を見て学習してください。

               

               

               

               

              | 高校生の皆さんへ | 22:05 | comments(0) | - |
              世界はどこへ向かっているのか。
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                消費社会のイデオロギーは空気のように存在しています。それはイデオロギーだと指摘しても、はあ、イデオロギーって何?という返事が返ってくるくらい、血液のように私たちの体を巡っています。

                 

                 

                 

                しかし、体中に銃弾を食らい、13年間も投獄された後、ウルグアイの大統領になったホセ・ムヒカ氏は消費社会のイデオロギーが人間から幸福を奪い、世界をずたずたにしていることを見抜いています。「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と。

                 

                 

                 

                 

                 

                先進国の大統領で同じような経験をした人は皆無です。その経験は空前絶後というか、そこからくみ上げた思想も同じように異色です。あらゆる面において、わが日本の首相の対極にいる人物です。

                 

                 

                 

                異色と言っても、ホセ・ムヒカ氏が到達した思想は、心が正しい位置にあれば、誰もがわかる普遍的なものです。以下さわりだけ『悪役 世界で一番貧しい大統領の本音』から引用します。この本は、「世界はどこへ向かっているのか」という問いに答えを出したいと思っているすべての若者にヒントを与えてくれます。

                 

                 

                 

                ― 私はいつも、自分に回ってきたことはすべて責任をもってやってきた。歴史における偶然という現象についても説明する必要がある。私が生きているのも偶然だ。世の中には想像を超えた出来事、つまり偶然が存在している。偶然なんか存在しないなんていうのは真っ赤な嘘だ。因果と偶然、この二つは確かにこの世に存在している。もし私が獄中生活を経験しなかったら、これまでの私の人生は違うものになっていただろう。尻の穴が半分引き裂かれたようになっていたかもしれない。昔は私もこうではなかった。これが、私が若者に伝えようとしてきたことなんだ。挫折から起き上がること。人は生きているとかなりの回数の挫折を経験する。だが、そこから何度も何度も這い上がることが大事なんだよ。

                 

                 

                ― 戦う前から負けたと思うような連中を見ているとむかむかするんだ。勝ったことをひけらかす必要はないが、絶対に勝つと信じて前を向いて進み、人生に意味を与えなければならん。それと同時に、完全に勝利するなんてできっこない。だって、人生みたいな複雑な現象に、どうやったら勝ったと言えるんだい?それでもなお、人生という冒険に意味を与えることが大事なんだ。情熱をもって、物質的な欲望を超えて生きなければならない。意欲的に生き、何かに力を注ぐということは、何でもかんでもやればいいということではないぞ。確実に言えるのは、私は今人生を最高に楽しんでいるということさ。

                 

                 

                 

                以下は、2012年のリオ会議(地球サミット)で行ったホセ・ムヒカ氏のスピーチです。ご存じの方も多いと思いますが、コロナが蔓延する世界の中で、私たちがどこへ向かっているのかを端的に指摘しています。最初の挨拶はカットしています。

                 

                 

                ― 頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。

                午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。私達の本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください。

                 

                 

                ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億〜80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?

                 

                 

                それは可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

                なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

                 

                 

                私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

                 

                 

                このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?

                 

                 

                このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

                 

                 

                私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです。

                 

                 

                人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。

                 

                 

                消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!

                 

                 

                そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので、作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることに、お気づきでしょうか。

                 

                 

                これは紛れもなく政治問題ですし、この問題を別の解決の道に進めるため、私たち首脳は世界を導かなければなければなりません。なにも石器時代に戻れとは言っていません。マーケットを再びコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

                 

                 

                昔の賢明な方々、エピクロス(古代ギリシャの哲学者 快楽主義の祖)、セネカ(小セネカとも:古代ローマの哲学者で、皇帝ネロの家庭教師を務めた)やアイマラ民族(南米の先住民族)までこんなことを言っています。

                 

                 

                「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。

                 

                 

                私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

                 

                 

                私は、環境に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。しかし、世界でもっとも美味しい牛が、私の国には1300万頭もいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は牛肉やミルクの輸出国です。こんな小さい国なのに、領土の80%が農地なのです。

                 

                 

                働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では6時間だけ働く人が増えてきました。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。

                 

                 

                こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分にこんな質問を投げかけます。「これが人類の運命なのか?」私の言っていることはとてもシンプルなものです。

                 

                 

                発展が幸福の対極にあってはいけないのです。発展は、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。幸福が私たちにとってもっとも大切な「もの」だからなのです。

                 

                 

                環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

                ありがとうございました。

                 

                 

                 

                | 高校生の皆さんへ | 12:16 | comments(0) | - |
                今、目の前で何が起きているのか。
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                  新型コロナウイルスの蔓延でテレワークが注目されるようになりました。教育のオンライン化も加速度的に進むことでしょう。しかし、世の中を支えているのはテレワークとは程遠い現場の労働です。医師や看護師、高齢者の介護施設で働く人々の労働なしに社会は維持できないのです。コロナの蔓延はそれを可視化しました。

                   

                   

                   

                  教育の話をしましょう。学校はオンライン授業を通じてますます塾化します。塾化するということは商品化するということです。学校と塾の境界はなくなり、学ぶことは単なる情報のやりとりに過ぎないと考える人が出てきます。ホリエモンがその典型ですね。彼は常々学校なんかいらないと言っていますから。社会的共通資本としての学校の価値を再構築することなど思いもよらないのでしょう。

                   

                   

                   

                  大学生くらいになればオンラインでの学びも主体的にできるかもしれません。しかし、幼少年期の子供たちにとって、オンライン授業は自我の周りにヴァーチャル空間を張り巡らすことになります。これを学びの中心にすることは避けるべきでしょう。

                   

                   

                   

                  なぜなら、親も教師も徹底的に商品化された教育の末路を思い描けないからです。消費社会では教育の中身はもとより、教師も生徒も記号化され商品化される運命にあります。それを当然だと考え、根本的な疑義をさしはさむ余地などない地点まで来ています。

                   

                   

                   

                  塾を休んでいる間に、私は「スタディサプリ」の「神授業」なるものを見ました。細切れにした知識を1分間でテンポよく説明していくのですが、こういう授業形態は20年以上前に予測していました。コンテンツの中継地点に過ぎない塾は(今では98%の塾がそうです)、授業のオンライン化で淘汰されていく運命だと書きました。

                   

                   

                   

                  細分化された授業には一コマいくらといったプライスタグが貼り付いています。わざわざ塾に通って、さえないアルバイト講師の授業を聞くよりずっと効率的ですし、時間に制約されないという利点もあります。

                   

                   

                   

                  それにしても「サプリ」とはよく言ったものです。サプリメントをいくら飲んでも、本当の体力や免疫力はつきません。ましてや身体のしなやかな操縦法や力の抜き方などわかるはずもないのです。これからは人気のアプリをめぐって争奪戦が繰り広げられることでしょう。

                   

                   

                   

                  前にも書きましたが、要するに教育はアプリの購入と使い方といった技術的な問題になりつつあります。ということは、家庭の文化資本と経済力によってますます格差が開くことになります。この問題を自己責任という言葉で見て見ぬふりをするのが今の社会です。

                   

                   

                   

                  ここで原点に戻ってみましょう。そもそも私たちが学び続けるのは「今、目の前で何が起きているのか」という最重要な問いに答えを出すためです。

                   

                   

                   

                  コロナで休校している間に勉強が「遅れる」と心配している人が多いようですが、いったい何を基準にしているのでしょうか。文部科学省のカリキュラムでしょうか。あるいは入学試験に間に合わないと心配しているのでしょうか。それは制度=匿名のシステムの側から見た都合に過ぎません。

                   

                   

                   

                  匿名のシステムに順応することを第一義にして学び続ける限り、「今、目の前で何が起きているのか」という問いに対する答えは出ません。いや、この国はそのような問いを抱いて学び続ける若者を必要としていないのです。英語の民間試験の活用や共通テストの失敗を見るまでもなく、文科省のやってきた教育改革は一つとして成功していません。

                   

                   

                   

                  その根本的な理由は、国家と大企業が結託して富を独占するシステム(コーポラティズム)に順応できる人間を選別するために教育を利用してきたからです。選別の階段を疑うことなく駆け上がり、自己利益を最大化した者こそが成功者であり模範たりうるとする価値判断に誘導することが教育の役割なのです。そして今の教育に異議を唱えることを妨害し、批判精神の芽を摘む大きな働きをしているのが消費社会のイデオロギーです。

                   

                   

                   

                  イデオロギーという言葉は、何やら政治的な党派性を連想させます。観念的で難解なイメージがあるのですね。共産主義的イデオロギーのように「主義」と結びつきやすく、敵対する陣営の間で粛清の嵐が吹き荒れることもあります。その硬直した思想や現実無視の観念の遊戯が、橋下徹のような事件屋(最もTVマスコミが欲しがるタイプ)や百田尚樹のような煽情屋(ツイッターで大言壮語してケチな承認欲求を満足させるタイプ)の格好の標的になります。それに高須クリニックの院長が絡んでくると、もはや声の大きい者勝ち、無知でバカな者だけが勝ち残るトーナメント戦の様相を呈して来ます。

                   

                   

                   

                  しかし、私たちの生活で最も影響力のあるイデオロギーは、不安や嫉妬や羨望といった感情に働きかけ、いつの間にか消費へと誘導するイデオロギーです。ブランド物を買ったり、子供を有名中学の受験に駆り立てたりするのも立派なイデオロギーです。教育や報道の政治的中立性も思考停止のイデオロギーに他なりません。

                   

                   

                   

                  しかし、新型コロナウイルスのパンデミックで、一気にとはいきませんが、消費を中心としたライフスタイルも色あせてきます。一時期は憧れの対象だったものがお荷物に思えてくるのです。例えば、消費社会の象徴である首都圏に林立するタワーマンション(私にはアスパラガスの化け物のように見えます)で暮らす人々のライフスタイルを考えてみましょう。

                   

                   

                   

                  あれは今から十年ほど前、日経MJの記事を読んだ時のことです。そのタイトルは『素敵に敏感 ムサコ妻』というものでした。最初、「ムサコ妻」がわかりませんでした。むさくるしい妻ならわかるのですが・・・。

                   

                   

                   

                  読み進むと「ムサコ妻」とは、どうやら神奈川県川崎市の武蔵小杉に住む「素敵に敏感な」若い奥様方を指すのだとわかりました。2007〜2008年ころからタワーマンションが増えるのにともなって湧いてきた、いや、流入して来た人たちのことだそうです。

                   

                   

                   

                  ちなみに武蔵小杉は「住みたい街」トップ10の常連で、二子玉川と同じく人気のエリアだそうです。私は九州の田舎に住んでいるので、最初「ニコタマ」が地名だとわかりませんでした。男性しか住めない街なのかな、と思ったくらいです。言葉の省略はやめてほしいですね。

                   

                   

                   

                  冗談はさておき、「ムサコ妻」は、常にオシャレに振る舞い、地元愛もある、そして他人に羨ましがられるような生活スタイル、オフの過ごし方が特徴だそうです。そうなると金儲けに敏い企業が黙っていません。

                   

                   

                   

                  武蔵小杉に早くから目をつけていたのがセブン&アイ・ホールディングスだったそうです。その経営戦略を見てみましょう。

                   


                  ― イトーヨーカ堂の前社長、亀井淳顧問は再開発の計画が浮上する30年も前から、駅前に広大な土地を持つ東京機械製作所にアプローチをしてきた。

                   

                   

                  超高層マンションができた頃から、ムサコ妻たちの服装やバギーの種類、バッグ、靴、読んでいる雑誌を調べた。「情報にたけ、時間を効率的に使う。おしゃれにも子育てにも熱心で、自然環境も重視する、いいとこどりの消費者」と分析。「ファストファッションなら、ZARAとギャップ。ほかのブランドはあまり響かない。ZARAも、川崎店ではなく銀座や六本木ヒルズで買う」と細かな消費行動まで調べ、店づくりを進めた。

                   

                   

                  ムサコ妻の消費を考えると、ヨーカ堂のプライベートブランド(PB)の婦人服「ギャローリア」を入れるのは挑戦だ。ヨーカ堂のPBというフィルターを通しては苦戦が予想される。そこで、売り場をヨーカ堂のエリアから離してパリのブティックのような内装に。商品もイタリア別注の素材に、型紙も見直してプレステージラインを展開する。

                   

                   

                  店づくりの随所に"ムサコ色"をちりばめた。屋上庭園にラフランスやイチジクなどの果樹を植える。ミカンやリンゴなど定番の果物でないところがミソだ。東京・広尾などにある全米ナンバーワンの子供向けフィットネス「マイジム」も入る。入り口近くの高さ14メートルの水のオブジェは「全国でもここだけ」(同社)で、他から一目を置かれたいという思いをかたちにした象徴的な存在だ―

                  https://matome.naver.jp/odai

                  /2141697103726331501

                   

                   

                   

                  さて、47階建ての高級タワーマンション「パークシティ武蔵小杉ステーションフォレストタワー」(一回で覚えられませんね。アメリカ人に発音して聞かせたいものです)が昨年の台風19号でどうなったか。そこに住む40代の女性の話です。是非お読みください。

                   

                   

                  「武蔵小杉の「高級タワマン」で起きた悲劇…その全貌が見えてきた」

                  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68039

                   

                   

                   

                  この高級タワーマンションがコロナ禍でどうなったか想像に難くありません。密になるエレベーターを避けて、47階から1階まで駆け下りなければなりません。運動不足解消になるかもしれませんが、階段もきっと密になるでしょうね。消費社会のイデオロギーをライフスタイルにした「ムサコ妻」たちに私は同情します。

                   

                   

                   

                  しかし、同情はしても彼女たちに近づく気にはなりません。コロナが怖いからではなく、その言葉やライフスタイルに私の身体が拒否反応を示すからです。人格の最も肝心なところが「情報」で占拠されている女性と話すことほど虚しいことはありません。

                   

                   

                   

                  他から一目を置かれたいと願い、情報から疎外されることを何よりも恐れている人間は、病気になることはあっても孤独の意味を理解できないでしょう。いったい、孤独な魂を持たない人間をどうすれば愛することができるでしょうか。他人が身に着けているもののブランドと値段を瞬時に思い浮かべるような思考回路こそが消費社会のイデオロギーそのものなのです。

                   

                   

                   

                  今回のパンデミックは私たちの社会のありようを見直す絶好のチャンスです。しかし、すべてにおいて後手後手の現政権にそれを期待するのは100年早い。コロナ後、日本は一人勝ちするだの、経済はV字回復するなどと予言している経済評論家もいるくらいです。

                   

                   

                   

                  次回はこの状況を少しでもましなものにするための提案、すなわち「希望の処方箋」を書いてみようと思います。今回も長い記事を読んでいただきありがとうございました。

                   

                   

                  | 文学・哲学・思想 | 13:47 | comments(0) | - |
                  高校生の皆さんに考えてもらいたいこと。
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                    安倍首相の唐突な休校要請から一か月以上経ちました。大分市内の小中学校は5月の連休明けまで休校を延長したのですが、高校は4月8日から再開しました。そして今日、4月16日、再び休校となりました。

                     

                     

                     

                    報道によると「県は17日から高校など県立学校を再び臨時休校にすると発表した。5月1日まで。県内で4月15日に新型コロナウイルス感染者が新たに5人確認され、現時点で感染経路が不明のため。」とのことです。

                     

                     

                     

                    私は高校生を小中学生と区別する理由がわかりません。特に高校生の場合、電車通学の人もいます。活動範囲が小中学生よりも広いわけです。コロナウイルスに感染するだけでなく、感染させる危険性も高くなります。

                     

                     

                     

                    茨木県では高校生の有志80人がストライキをして県に抗議し、休校を延長させました。まともな高校生もいるのですね。大分県でも二人の女子高校生が学校再開に反対する署名を2,000筆集めて教育委員会に提出しましたが、聞き入れてもらえませんでした。

                     

                     

                     

                    まともな記者がいれば、どのような比較考量を行って、つまり、何と何を天秤にかけてこのような結論に至ったのかを取材したいと考えるはずです。それこそが勇気をもって反対署名を集めた女子高生に応えることであり、ジャーナリズムの責任を果たすことになるはずです。それを追求すれば、今の世界の本質が見えてくるはずです。

                     

                     

                     

                    しかし、企業内ジャーナリストの中には、忖度が得意でも、そんな感度を持った人はいません。今やジャーナリズムは「両論併記」し「賛否が分かれている」と書きさえすれば給料をもらえる仕事に堕しています。さらに、教員採用試験の不正に絡んで地元紙のエライさんと県の教育委員会は持ちつ持たれつの関係にあったわけですから、そんな取材ができるわけもありません。

                     

                     

                     

                    私は今回の件で、塾の高校生とメールを通じて「学校は再開されても、どうせすぐにシャットダウンされるよ」と話していました。その通りになりました。大分県の教育委員会の無思想というか見識のなさは今に始まったことではないのです。一つだけ例を挙げます。

                     

                     

                     

                    2017年、北朝鮮がグアム島周辺への弾道ミサイル発射計画を予告したことを受け、大分県立大分豊府高校は10月に予定していたグアムへの修学旅行を中止しました。そして行き先を福島県に変更したのです。同校は10月23日に臨時の保護者会を開いて経緯を説明しました。阿部尚人教頭は「楽しみにしていた生徒には申し訳ないが、生徒の安心・安全が第一。緊迫した情勢を考え、やむなく行き先変更を決めた」とのことです。(朝日新聞の記事より)

                     

                     

                     

                    なるほど。コロナウイルスに感染する危険よりも、北朝鮮のミサイル発射予告のほうが危険だと判断したのですね。キムジョンウンのいつもの脅しを信じたわけです。県の教育委員会に多くは期待しませんが、当時、国際線の飛行機は普通に運行していました。さらに、安倍総理は危機を煽りながら自身はゴルフに興じていたのです。豊府高校の保護者に聞いたのですが、保護者会では一方的に中止を宣言しただけだったそうです。

                     

                     

                     

                    興味のある方は以下の記事をお読み下さい。2017年4月23日のブログです。

                     

                     

                     

                    『現代の戦争に偶発はない、すべて営利行為である。』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=339

                     

                     

                     

                    前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。民間企業であれ国であれ、トップに立つ者の見識や力量で私たちの生活は180度変わります。いや、命にかかわります。高校生の皆さんはぜひ以下の動画をご覧ください。これは今から5年前にビルゲイツ氏が話していたものです。日本のトップは、コロナウイルスの防疫に関して、中国からも、韓国からも、台湾からも、フランスからも、イタリアからも、イギリスからも、ドイツからも何一つ学んでいません。今日もテレビではPCR検査や休業補償について論じていました。私は絶句し、テレビのスイッチを切りました。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    | 高校生の皆さんへ | 22:52 | comments(0) | - |
                    おすすめの映画『コンテイジョン(contagion)』
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                      高校生の皆さん、お元気ですか?

                      学校が再開されていますが、皆さんがコロナに感染することなく、元気で毎日を送っていることを何よりも願っています。

                       

                       

                      さて、今回は英単語の勉強をしてみましょう。

                       

                      1:contagion という単語を知っていますか。形容詞形の contagious の方をよく目にしますが、Cambridge Advanced Learner's Dictionary によると次のように定義されています。

                       

                      when a disease is spread by touching someone or something:

                       

                      形容詞形の contagious の方は describe a disease that can be caught by touching someone with the disease or a piece of infected clothing:となっています。

                       

                       

                      2:類義語の infection も大事な単語ですね。動詞は infect です。今の状況下ではぜひ知っておくべき単語です。a disease in your body that is caused by bacteria or virus:

                       

                      英英辞典は初級者向けで結構ですから座右に備えておきましょう。ところで virus は正確に発音できるでしょうね。ウィルスなんて発音しないでくださいよ。

                       

                       

                       

                      では本題に入りましょう。

                       

                      今回おすすめの映画のタイトルが『コンテイジョン(contagion)』です。2011年制作の映画ですが、すぐれた映画は古さを感じさせないどころか、近未来をリアルに可視化してくれます。日本はあらゆる面で世界から取り残されています。若い高校生の皆さんが日本を先進国だと思っているとしたら、それはとんでもない勘違いだと言っておきます。Amazon prime か Netflixで観ることができます。

                       

                       

                       

                       

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 22:11 | comments(0) | - |
                      東京はニューヨークになるか?
                      0

                        3月30日に『ウソの代償−災厄の春』の中で次のように書きました。

                         

                         

                        「現場の医者にとってPCR検査は、原発労働者にとっての線量計のようなものです。PCR検査抑制論は、線量計を持たずに原発の作業をやれと言っているようなものです。 

                         

                        「お医者様」や「専門家」の言うことだからと簡単に信用して、自分で調べようともしない人は、国家資格を盲信する、権威に弱い人です。 学校時代の偏差値序列を大人になっても引きずっています。一言でいえば序列意識が骨の髄まで染み込んでいる人たちです。彼らの生きる道は忖度しかありません。」と。

                         

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=646

                         

                         

                         

                        私はこの国の教育は根本的に失敗したと思っています。取り返しがつきません。慶応大学医学部の研修生が今この時期に飲み会を開いてクラスターを発生させました。倫理的な教育が足らないのではなく、きちんとした医学教育がなされていないのです。もちろん人間としての判断力の未熟さは言うまでもありません。偏差値教育の勝利者の内実はかくもお粗末なのです。

                         

                         

                         

                        教育の貧困のつけは政治家に払わせることなどできません。最終的には国民が自らの命で払うしかないのです。だから、安倍政権によって殺されたくなかったら、国民は自らの責任で立ち上がるほかないとブログで何度も書いてきました。比喩ではなく、見るべきものを見れば私と同じ結論になるはずだと思います。責任という言葉を吐くことが責任をとることだと思っている人間がトップに居座っているのですから。

                         

                         

                         

                        ジャーナリズムが正確な情報を伝えていれば、今頃国民は大規模なデモを仕掛けるべく国会前に押し寄せているはずです。安倍晋三の祖父を退陣に追い込んだように。

                         

                         

                         

                        さて、今回のタイトルに対する答えは出ています。以下の動画をご覧ください。確かに人間は自分の見たいものしか見ません。教育はこの壁を破るためにあります。最終的には自分で自分を教育するしかありません。学校での教育など、生涯続く自己教育に比べれば、言葉は悪いですが、鼻くそほどのものでしかありません。あなたが、あなた自身の命を全うするために以下の動画を理解することを切に願います。

                         

                         

                         

                         

                        | 中高生の皆さんへ | 20:20 | comments(0) | - |
                        政治家も官僚も弁護士もお笑い芸人も狂っている。
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                          2011年の原発事故の直後、居ても立っても居られず塾教師の領分を逸脱していることは百も承知で書いた文章があります。今それを思い出しています。あれほどの事故が人間と社会に影響を与えないはずはないと素朴に信じていたのです。

                           

                           

                           

                          だから3・11を契機に山本太郎が政治家になるべく活動を始めた時、私は心から共感し応援しました。大いなる悲劇はある種の人間を劇的な人物に変えます。ネルソン・マンデラをはじめとして、歴史を見渡せば具体例に事欠きません。

                           

                           

                           

                          話を戻しますが、その時書いた文章を読むと、日本社会は本質的に変わらない、いや、自ら変わる力がないのかもしれない、という思いにとらわれます。いま私たちの社会はコロナウイルスの蔓延によって試されているのです。特に政治家の質と国民の批判的思考力が。

                           

                           

                           

                          私が書いた文章は以下の通りです。タイトルは『ビュリダンのロバ』です。

                           

                           

                          『あるとき腹をすかせたロバが餌を探して歩いていると、道が左右に分かれた場所にやってきます。それぞれの道の先には、同じ距離に、同じ量の干草が置かれています。これはロバにとっては想定外のできごとでした。知的なロバはどちらの道を選択するべきか迷い、決断ができず、岐路に立ったまま餓死するという話です。

                           

                           

                          知的なロバは日ごろから物事を絶えず比較して、自分に利益をもたらす方を選ぶのが得意でした。ところが今回は両者の間に差を認めることができず、今決断しなくても飢え死にすることはないだろうと判断して不作為を選んだのです。選択に伴う痛みと責任を回避した結果、餓死することになったこのロバを私たちは笑うことができるでしょうか。



                           幸か不幸か人生は選択の連続です。価値判断から逃れることはできません。二つの価値のどちらを選ぶかも、より上位の価値判断です。では、価値判断を正しいものにし、より高めていくものは何なのでしょうか。

                           

                           

                          知的データベースがあって、そこに効率的にアクセスでき、それを覚えて試験のためにアウトプットするのが教育だと多くの人が信じてきました。しかし、知識の獲得が世界観を変えることに結びつきませんでした。原発事故後も再稼働をもくろむ人間たちが幅を利かせているのですから。

                           

                           

                          そして戦後、知識を通じて人々が成長できる社会は今日まで実現していません。しかし、この価値判断の根拠を日本の文化と歴史の中に探そうとする精神の営みこそが知性であり、それを日々養うことが教育の最終目標のはずです。



                           バブル崩壊後、1990年代の後期戦後社会が始まってほぼ三十年の間に、私たちはこの正しい価値判断をするための精神の営みを放棄してしまったのです。その結果残されたのは選択肢が一つしかない人生でした。それをニーチェは「鎖につながれて踊る猿」の生と呼びました。

                           

                           

                          そこでは価値判断は不要となり、効率よく合理的に目前の階段を駆け上がる技術だけが幅を利かせます。後はその技術を受験勉強を通じて洗練させるだけです。つまり、歴史の経験の中から正しさを汲み上げる力は枯渇させられたのです。

                           

                           

                          私は「鎖につながれて踊る猿」の生を生きるのも、知的なロバになるのもごめんこうむりたい。特に若い人たちの生が無気力に沈むのを見たくないのです。最悪なのは「鎖につながれて踊る知的なロバ」になることです。そうならないためにはどうすればよいか。まず、「鎖につながれて踊る知的なロバ」の言説をじっくり見極めることです。』

                           

                           

                           

                          以下にその具体例を挙げます。つまるところ自己顕示欲と承認欲求を満たすだけの言いっ放しです。他人を説得するための論理性もなければ、過去の発言との整合性もありません。一々挙げていたらきりがありませんので、代表的な人物とその言説を検討します。

                           

                           

                           

                          「布マスク二枚」の問題について。

                           

                          杉村太蔵。「マスクは効果あるかも」

                          科学的論拠より安心感を重視するトンデモアホ言説。

                           

                           

                          弁護士の八代英輝。

                          新聞の投書欄で目にした老夫婦の声を紹介。「『いろんなドラッグストアに行っているけど、一度もマスクを買えず本当に困っている』と訴えられていた。批判の声は大きいとは思いますけど、その陰で感謝している方もけっこういらっしゃるのかなと思う」と。質の悪い大衆迎合型言説。政権を批判するポーズを見せるものの、結局は安倍晋三と自民党をヨイショする知的風味を利かせたコメンテーターに過ぎない。問題の本質が見えていない。

                           

                           

                          マスク二枚を批判する理由は、安倍政権が国民の命と健康を守ることを本気で考えていないという事実を明瞭に可視化しているからです。しかも400億円以上の税金をかけて今緊急にやるべき施策かという至極まっとうな疑問を提起しているだけです。読解力がないのもはなはだしい。諸外国は国民の生活破綻を回避するために迅速な現金給付をしています。国民への向き合い方が根本的に違うのです。

                           

                           

                          テリー伊藤。「政府に文句言うより、マスクは自分で作れ」

                          テレビ業界で食っている人間には、前後の脈絡よりも、ファッションや脱常識のユニークな視点からコメントすればいいと思っている人物が多い。莫大な税金をつぎ込み、しかもこのタイミングで費用対効果が怪しい政策は無意味だからやめろと言っているのに対して「自分でマスクを作れ」という言説が論理的になり立つと思っています。ユニーク過ぎて頭は大丈夫かと思ってしまいますね。

                           

                           

                          国交大臣政務官、自民党の佐々木紀氏

                          「国は自粛を要請しています。感染拡大を国のせいにしないでくださいね」とのツイート。

                           

                          小沢一郎氏いわく。「何気ないこの言葉に政権の全てが象徴されている。あるのは責任回避への熱意、無いのは働かざるを得ない方々を思いやる想像力と補償の発想。」見事なコメントです。

                          「国のせいにするな」と政府側の人間が言うということは「われわれには国家を運営する能力はありません」と白状するようなものです。世も末です。終末はすぐそこです。

                           

                           

                           

                          最後は爆笑問題・太田光「安倍さんいろいろ言われてるけど、ツッコむのはツッコむでいいと思うんだけど、いろいろやってる内の一つで、なおかつ洗濯して使えるという利点もあるわけだし、俺が言うと本当に説得力がないんだけど、言い争いとか、ギャグとしてツッコむ気持ちはあるんだけど。とんちんかんな事もこれからいっぱい出てくると思うんだけど、今はとりあえず、安倍首相と小池都知事と厚生労働省の人たちが一生懸命やってるところであって、それにツッコみたい気持ちはわかるけど、疑うというか陰謀論というのは一番効率が悪くなるような気がするんだよね。一番守らなければならないのは医療現場だから、そこに混乱させるような事に我々がもめ出しちゃうと、一番効率が悪くなっちゃう」。

                           

                           

                          「分断を生むから為政者にツッコミを入れるな」というのは、「一生懸命やってる」んだから愚かな為政者であっても国民全員がおとなしく従うべきだと言っているのですね。それは一億玉砕に向かってまっしぐらという大日本帝国時代の発想と同じです。みんなで応援してまとまろうという議論は、必ず「非国民」を生み出します。それよりも新しい社会を作り出すための分断のほうがよほど健全です。

                           

                           

                          太田光の言説は常に同調者を意識して発せられています。それがいかにももっともらしく聞こえる理由です。腐敗した権力者を笑うのがコメディアンのはずだったのですが、彼はテレビ向けの「お笑い芸人」ですから期待しても仕方ありません。しょせんは安倍政権に媚を売る松本人志の同類です。時代は変わったということでしょう。

                           

                           

                          | 文学・哲学・思想 | 23:01 | comments(0) | - |
                          「アベノマスク」2枚って、バカ殿ご乱心〜。
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                            志村けんの「バカ殿」じゃあるまいし、「一世帯、布マスク2枚送ります」って、エイプリルフールかと思ってしまいました。ついこの間、2月の時点で「毎週1億枚お届けできるようになりました」「3月には6億枚供給できます」と言ってたんですけど。しかも、コロナウイルスの直径は0.1マイクロメートル。布マスクを容易に通過してしまいます。

                             

                             

                             

                            それにしても、これを真顔で言うところがこわ〜い。カンペキに壊れています。しかも配布にかかる費用が400億円とも言われています。マスクを配るならまず医療関係者へだろ!国民の税金をなんだと思ってるんだ!おや、私まで壊れてきました。もうこの夫婦が何を言おうと、何をしでかそうと驚かなくなりました。それがねらいだったりして・・・。

                             

                             

                             

                            でも、ぜひ知りたいことがあります。いったいどこの誰がこれを発案したのか。総理補佐官の今井尚哉だったらどうしよう?わが国のツートップが、幼稚園児でもしないような「決断」をするとか・・・まさかね。東日本大震災の時、検事が真っ先に逃げ出したというネトウヨのほら話を信じて国会で答弁した森まさこ法務大臣なら納得できますけど。そもそも、これが今最優先されなければならない施策なのでしょうか。

                             

                             

                             

                            直近のブログで『安倍晋三と昭恵が生きる場所は刑務所以外にない』と書きましたが、バカ殿に加えて、奥方様もご乱心、いや、いつも通りですね。

                             

                             

                             

                            今回は息抜き、余興です。以下、女性セブンの記事『安倍昭恵さんと“花見”参加者が初告白』から引用します。(  )内は私の個人的な感想です。女性セブンの記者の他人事然とした書き方はこの際置いておきます。

                             

                             

                            引用開始

                             

                            「まぁ、タイミングは悪かった(タイミングの問題ではなく、人としてのふるまいの問題である。)ですよね。でも、昭恵さんとしては、頑張っている若手(何をどう頑張っている若手なのか。)を応援する(籠池夫妻には「安倍晋三からです」と100万円渡して応援しましたよね。)ために開いた会。われわれ参加者に“いい出会いの場にしてほしい(この会を「いい出会いの場」と表現する記者の頭はポエムでいっぱいです。「出会い系」と勘違いしているのか?)という思いがあった。実際、とてもいい刺激を受けました。(「出会い系」だからいい「刺激」を受けたのでしょう。)

                             

                             

                             困惑した表情を浮かべながらもハッキリとした口調で話す男性。仮にA氏としよう。A氏は都内の有名レストランを任されるカリスマシェフだ。(出ました!カリスマシェフ。こんな言葉しか思いつかない記者はショートした頭の配線をすぐに修繕すべきだ。)

                             

                             

                             

                             実は彼、安倍晋三首相の妻、昭恵さんが参加し、世間から大バッシングを浴びた“花見メンバー”の1人なのである。

                             

                             

                             楽しそうな写真が世間を賑わせたのは3月26日。そこには満開の桜の下で微笑む昭恵さんのほか、藤井リナ(35才)、NEWSの手越祐也(32才)ら、総勢13人の男女が写っていた。

                             

                             

                            バッシングが最高潮に達したのが翌27日。衆議院予算委員会で、野党議員から花見自粛を無視した行動を妻に代わって問われた(意味不明の日本語。花見自粛を無視した行動をとった妻のことを問われた、と書くべき。)安倍首相が、花見会場が「公園」ではなく「レストランの敷地内」だったと反論(これが反論っすか?)。不要不急の外出自粛が叫ばれるなかで、「レストランだからいいのか?」と逆に炎上した。

                             

                             

                             

                             新型コロナ対策に追われる安倍首相(コロナ大魔王に追われてアベノマスクマンに変身中)に、またも余計な問題(夫のためを思っているのです。断じて余計ではありません)を提供した昭恵さんに国民も呆れている。A氏は「確かに軽率でした」として、こう弁明する。

                             

                             

                             

                            「開催時期は小池百合子都知事が会見で“不要不急の外出自粛”を要請するより前です。会場がレストランなのは間違いありません。ただ特殊な店でして。都内ですが、店の規約で場所も店名も口外禁止なんです。招待された人しか住所を知らない会員制レストラン。普通の人は入れません(そうでしょうとも。場所も名前も明かせない秘密結社には萩生田や加計のような連中しか入れません)

                             

                             

                             

                            料理のジャンルはイノベーティブ・フュージョンこんな横文字の料理、名前を聞いただけで舌を噛むか、げっぷが出そう。私なら絶対食べません。カミさんが作ってくれた高菜のお茶漬けのほうが何倍もおいしそう)です」(A氏・以下同)

                             

                             

                             

                             イノベーティブとは英語で「革新的」で、フュージョンは「融合」を意味する。日本食もフレンチもイタリアンもミックスされた料理(ほらね。豚にやる残飯です。そもそもIT系の人間が食べるものは金と人脈の味しかしないというのが相場です)が、テーブルを彩ったという。

                             

                             

                             

                             会が開かれたのは3月23日の夜で、都知事の会見(25日)の2日前。だが、既に都内では感染者が急増していた。10人以上の会合を禁じる企業も多いなか、首相夫人としてはあまりに軽率な行動だ。

                             

                             

                             

                             この会は通称「安倍昭恵会」といわれ、1月上旬にも開催されていた。関係者からそのときの写真を入手したが、藤井や手越をはじめ何人かは花見と同じメンバーだった。

                             

                             

                             

                            「参加者は芸能人もいましたが、ぼくのようなシェフもいればIT系のかた(横文字系の審美眼ゼロ、味覚もない人たち)もいた。みんな“頑張っている人たち(みんな頑張っているのだから何となくいい人たちでしょう、という印象操作。記者というのは、こんな言葉を並べて銭が稼げる商売なんですね)の音頭をとっていたのは昭恵さんです。昭恵さんはぼくら頑張る若手を引き合わせ、いい化学反応を生んでほしいという考えの人(籠池夫妻とは化学反応を起こせずじまいでしたが、近畿財務局の赤木氏の心には背負いきれない葛藤と苦悩を引き起こし、自殺に追い込みました)

                             

                             

                             

                             異業種交流会という名目なので、花見という前提はなかったんです。その店の中庭にちょうど桜の木があって、たまたま満開だったので記念撮影しましょうと。その日に桜が咲いているなんて誰も思っていなかったと思います」

                             

                             

                             自殺した財務省職員の“遺書”が公開されたことで、森友問題の再調査も世間の関心事となった時期だった。しかし、会合では森友問題の話題は一切出なかった(この連中は空気を読むのが得意というか、倫理観のないファーストレディーを不愉快にするようなことは言わないように教育されている)という。

                             

                             

                            昭恵さんも(せっかく美味しい「イノベーティブ・フュージョン」が出ている席で森友の話をするなんて下品でマナーをわきまえない下層階級の人間だと思っているのでしょうね。いや、そんな差別的な発想すらないあっけらかん娘なのでしょう)参加者からも森友の話は出なかった。遺書? ニュースに疎くて…(自殺に追い込まれた赤木氏のことを「ニュースに疎くて…」という一言でごまかす。このご時世に昭恵のパーティーに出席するのだから、知的レベルはピーマンです)でも新型コロナの話はしました。“こんなときだから自分たちができることを考えて動かないと”と熱く語り合いました。有意義な会(個人的には有意義でも社会的には害毒でしかない)を開いてくれた昭恵さんには感謝です」引用終わり

                             

                            https://news.livedoor.com/article/

                            detail/18055161/

                             

                             

                             

                            | 政治 | 20:55 | comments(0) | - |
                            ウソの代償−災厄の春
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                              新型コロナの蔓延を見ていると、地球の人口調節機能が働き始めているような気がします。しかし、そんな何の根拠もない「妄想」を論じたところで仕方ありません。むしろ、人類史的な転換点がどのような形で表面化するかを考えてみます。

                               

                               

                              ウィルスは容易に国境を越えます。社会的地位のいかんにかかわらず感染の危険があります。国家主義の愚かさや、社会的地位に拘泥することの無意味さについて考え直すきっかけを提供しているのです。

                               

                               

                               

                              前にも書きましたが、戦争と天災、革命と疫病が、人間を規定している様々な条件を全人類的な規模で洗い流し、それまで当然だと思われていた価値や社会システムが相対的なものに過ぎなかったことに気づかせます。いわば円柱を正面から見て長方形だと思っていた人が、上から見ると円に見えるということに気づくのです。そして、生き延びるためには複数の視座が必要なこと、場合によっては旧来の見方を捨てる必要に迫られます。

                               

                               

                               

                              当然、旧来の価値にしがみつく勢力が金と権力によって新興の価値・勢力をコントロールしようとするでしょう。しかし、コロナのような疫病の場合、対立をあおることは両者の死を意味するので、それもできなくなります。かくして人類史的な新しい段階に入るというわけです。災厄の春は、悪いことばかりではありません。

                               

                               

                               

                              コロナに関しては、以下のImperial College Londonの記事が参考になります。日本では過度の検査は、医療崩壊を招くと主張する医師や専門家がいますが、だまされてはなりません。適切な検査をせず放置されれば、4,000万人が死ぬと警告しています。

                               

                               

                               

                               

                              https://www3.nhk.or.jp/news/html

                              /20200327/k10012353091000.html

                               

                               

                              一方で、この記事は、外出制限や自宅での隔離などの強力な対策を感染拡大の初期段階で実行し、感染を調べる検査を数多く実施すれば、大幅に状況を変えることができ、亡くなる人は130万人に減少すると分析しています。

                               

                               

                              現場の医者にとってPCR検査は、原発労働者にとっての線量計の様な物です。PCR検査抑制論は、線量計を持たずに原発の作業をやれと言っているようなものです。

                               

                               

                               

                              「お医者様」や「専門家」の言うことだからと簡単に信用して、自分で調べようともしない人は、国家資格を盲信する、権威に弱い人です。 学校時代の偏差値序列を大人になっても引きずっています。一言でいえば序列意識が骨の髄まで染み込んでいる人たちです。彼らの生きる道は忖度しかありません。

                               

                               

                               

                              『私たちは政府によって緩慢な死を強制されている』を書いてから4年になります。忘れてならないのは、日本はまだ原子力緊急事態宣言の発令中だということです。福島第一原発の危険度は、2011年3月11日の夜のままだと政府が公式に認めているのです。その中でオリンピックをやろうという発想はどこから出てくるのでしょうか?

                               

                               

                              『私たちは政府によって緩慢な死を強制されている。』

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=152

                               

                               

                               

                              私たちの悲劇は、キャチフレーズを連発するだけで、具体的な対策となると丸投げして「やってる感」だけを演出するバカがこの国のトップに居座り続けていることです。ウソの上にウソを塗り重ね、心ある国民から全く信用されていません。要は統治機構の体をなしていないのです。

                               

                               

                               

                              これから私たちが払わなければならない代償がどれほど高くつくか想像もできません。これはすべて安倍政権と官邸官僚がついてきたウソの代償です。そしてそのウソをそのまま垂れ流す官邸記者クラブ系マスコミが良心を放棄した代償です。言わずもがなですが、その代償を払わせられる順番は、最も援助を必要としている最も弱い立場の人たちからです。

                               

                               

                              先見の明を誇ろうなどとは考えてもいませんが、今日のこの事態はすでに予想しています。見るべきものを見れば、誰にでもわかることです。もし時間があればお付き合い下さい。

                               

                               

                              私たちは暫定的な足場をたよりに考えるほかない存在である。

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=365

                               

                              「希望」という名の災厄− 小池百合子の「バベルの塔」

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=413

                               

                               

                              | 政治 | 16:45 | comments(0) | - |
                              安倍晋三と昭恵が生きる場所は刑務所以外にない。
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                                なんとも過激なタイトルですね。びっくりした方もいるかもしれません。あの温厚で知的でユーモアにあふれた優しい先生がこんな過激なタイトルをつけるなんて信ジランナ〜イ、というわけでしょうか。誰よりも私自身が信ジランナ〜イ、のです。

                                 

                                 

                                でも以下の週刊誌の記事を読めば、予定調和の世界で何も考えず、まじめに働いて「和牛の商品券」をもらおうと考えている人の脳髄にも多少の衝撃が走るかもしれませんね。

                                 

                                 

                                いや、本音を言いましょう。以下の記事を読んで怒りがこみあげてこなければ、人間として最も大事な部分が死んでいます。安倍晋三の同類です。

                                 

                                 

                                『週刊文春』2020年3月26日号・森友スクープ全文公開#1

                                 

                                https://bunshun.jp/articles/-/36818?utm_source=twitter.com&utm

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                                今の日本の商品化された教育、特に塾産業の中で教えられている「論理的思考力」なるものが、タコつぼの中に限局された、葦の髄から天井を覗く(自分の狭い見識に基づいて、かってに判断することのたとえ)式の受験で高得点を取るためのオマジナイに過ぎないことを私は指摘してきました。

                                 

                                 

                                 

                                ところが、オマジナイどころか、その習得に全生活をかけて取り組む親子(佐藤ママのような)もいるのです。そういう人たちの中では、財務省の官僚は「論理的思考力」を武器に受験を勝ち抜いてきたエリートだとみなされています。

                                 

                                 

                                てゆ〜か、子供が東大に合格することが「教育の勝ち組」「成功した子育て」だと信じ込んでいる人も多いようです。しかし、これはあまりに古臭い前時代的な発想に過ぎません。それに「今は官僚よりも医学部よ!」の時代です、たぶん。

                                 

                                 

                                私に言わせれば、東大生とは抜群の記憶力と高速事務処理能力に秀でた裕福な家庭の子供たち(例外もあります)に過ぎません。人間として欠陥を抱えた人も多いのです。

                                 

                                 

                                 

                                それにしても「抜群の記憶力と高速事務処理能力」はAIが最も得意とする分野です。つまり、近いうちに淘汰される運命にあるということです。

                                 

                                 

                                 

                                そこで、本当の「論理的思考力」とは何かを提示しておきます。一言でいうと、人が幸せに暮らせるように社会のシステムやその土台となっている発想に絶えず揺さぶりをかける自由で柔軟な発想のことです。揶揄されたり白眼視される運命にあるのですが、人々に勇気を与え、真実に気づかせる力を持っています。塾で教えられる「論理的思考力」とは似て非なるものです。これは前にも書きました。

                                 

                                 

                                 

                                『真正な感情こそが知性と論理を方向付ける』

                                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=271

                                 

                                 

                                 

                                新自由主義とコーポラティズムは現代社会の宿痾です。アメリカ社会はコロナウイルスの蔓延によって価値の選択を迫られることでしょう。そのアメリカで真の論理的思考力とユーモアを駆使している人物こそが、かの映画監督、マイケル・ムーアです。彼の作品「世界侵略のススメ」をぜひご覧ください。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                | 政治 | 20:33 | comments(0) | - |
                                「失敗した子育て」について。
                                0

                                  怒りで言葉を失い、天を仰ぐことが最近多くなった気がします。怒りと言っても義憤・公憤(indignation)の類です。歳のせいかとも思うのですが、怒りで言葉を失うのは私の精神がまだ若い証拠かもしれません。

                                   

                                   

                                  とりあえず 『週刊文春』2020年3月26日号・森友スクープ全文公開#1をお読みください。

                                  https://bunshun.jp/articles/-/36818?utm_source=twitter.com&utm

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                                  長い間塾教師をしてきて気づくことがあります。それは知性の土台である批判精神と怒りが社会から消えたということです。この二つが歴史を動かすモーメントなのですが、それがなくなるということは歴史が消失していることを意味するのかもしれません。

                                   

                                   

                                   

                                  子供たちは全く質問をしなくなりました。午後10時に授業が終わりその後2時間くらい質問攻めにあうという時期もあったのです。親御さんが心配して電話をかけてきたこともありました。

                                   

                                   

                                  まず疑問を抱く。次に解決法を探す。その過程で疑問が正当なものか、根拠があるかどうかを再点検(これが私の仕事です)して答えを探し続ける、というサイクルが消失したのです。

                                   

                                   

                                  今ほとんどの子供たちは「成績を上げる」ためのコツや「差をつける」テクニックをただひたすら頭に詰め込む自動機械になっています。優秀で精密な自動機械になればなるほど親から称賛されるというわけです。

                                   

                                   

                                  ブログで何度も書いてきましたが、何よりも結果が求められる社会(私はクソ社会と呼んでいます)の中で自動機械になった大人は、その人格の空洞を満たすためにより上位の権力とつながろうとします。大人たちの劣化した感情の発露としての幼児性を目にすると「失敗した子育て」という言葉が浮かぶのです。何を偉そうに言ってるんだ、他人を批判する資格がお前にあるのか、と言われそうですね。

                                   

                                   

                                  こういう短絡的な批判をする人には、いくら言葉を尽くして説明しても無駄なので、「失敗した子育て」の典型をお見せしようと思います。

                                   

                                   

                                  一昨日の参院予算委員会で福山哲郎議員は森友事件で自殺に追い込まれた近畿財務局の赤木俊夫さんの遺書に新しい事実があることを指摘し、再調査をするように安倍首相を問いただしました。

                                   

                                   

                                  その中で、福山議員は「安倍首相は、2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました。(中略) この2人(麻生太郎氏、安倍晋三首相)は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います」とする赤木さんの妻のコメントを読み上げ、「真相究明に改めて乗り出すと決意をいただけませんか」と安倍首相に要望したのです。

                                   

                                   

                                  赤木俊夫さんの遺書

                                   

                                   

                                   

                                  それに対して安倍首相は、「総理答弁が決済文書改ざんのターニングポイントとなったとは、赤木さんの手記に書かれているのではないと改めて申し上げておきたい。これは週刊誌の記事において記載されているものと承知している」と主張して次のように言い放ちます。

                                   

                                  「奥様がそういう発言をされたというのは今初めて承知をしたところでございますが、改めて申し上げますが、これは赤木さんが手記で書かれたことではない」と。

                                   

                                   

                                   

                                  「総理答弁が決済文書改ざんのターニングポイントとなったとは、赤木さんの手記に書かれていない」のだから、赤木さんの自殺と自分の発言は無関係だと言い張るのが、わが国の総理大臣です。そんなことを書けるはずがないのは小学生でもわかることです。

                                   

                                   

                                  さらに赤木メモには「特捜検事が来ても、5日前の人事で担当者は全員異動してしまい、示すべき資料は何もない。私が知らない間に全部処分されていた」 と書かれています。赤木氏は土地取引について何も知らないのに全責任を負わされたのです。財務省と特捜は赤木氏を「改竄実行犯」に仕立て上げ、自殺に追い込んだのです。

                                   

                                   

                                  もうおわかりでしょう。赤木氏の遺書を読んでも自分とは関係ないと考える冷酷な人間がわが国のトップに君臨しているのです。クラス全員と担任の周到ないじめによって自殺した子供のメモに固有名詞がないからいじめはなかったと認定する学校の態度を彷彿とさせるではありませんか。それを許しているのは去勢されたマスメディアであり、国民です。

                                   

                                   

                                  安倍首相には人間としての情がありません。彼の成育歴をたどれば分かります。しかし、メディアは沈黙したままです。「失敗した子育て」がいかなる人間を作り上げるのか、安倍首相は国民の前で日々それを可視化し続けているのです。

                                   

                                   

                                  長くなるので止めますが、子供を育てるときに私たちが最も気を付けなければならないことは「人間としての感情」が育っているかどうかということです。この点さえ間違えなければ、「一流」の会社や「一流」の大学に行けなくとも、人間は幸せになれるのです。これは断言しておきたいと思います。今後、ブログではこの点をめぐって掘り下げていきたいと思います。もし暇があれば、以下の参考記事をお読みいただけると嬉しいです。

                                   

                                   

                                  『感情にもレベルがある。』

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=126

                                   

                                   

                                   

                                  以下はおまけです。私が野党議員なら安倍首相に次のように質問します。

                                   

                                   

                                  「安倍総理、あなたは今、国権の最高機関である国会にいます。そこで野党議員にヤジを飛ばすのはあなたの幼児性と狭量な人間性を示すだけです。私に言わせれば前代未聞の総理大臣です。今更それを言ったところでどうしようもありませんが。

                                   

                                   

                                  本題に移ります。あなたや麻生財務相は国会ではなく、本来なら刑務所の中にいなければならないのです。韓国やアメリカなら、終身刑に値するでしょう。しかし、あなたたちと同レベルの大手マスメディアに黙認され、民主主義の成熟度において韓国やアメリカにはるかに劣る日本だからこそ、政治家として延命できているのです。

                                   

                                   

                                  第二次安倍政権を見てきて改めて認識したことがあります。それは劣化した感情の持ち主の周りにはクズしか集まらないということです。国会で赤木氏の遺書の件で追及されたとき、あなたは背広のボタンを留めながら笑って答弁していました。週刊文春の記事を読んでいれば、絶対に笑えないところであなたはニヤニヤしていたのです。私はそういう冷酷さと無能が背中合わせになったような人間が整合性のある、国民のための政策を立案し実行できるわけがないと断言したいと思います。

                                   

                                   

                                  それが証拠に、集団的自衛権の行使をいきなり閣議決定し、拉致被害者を自分の政権で必ず取り戻すと言いながら、果たせていません。政治的に利用しただけです。北方4島の返還はどうなったのですか。

                                   

                                   

                                  かくのごとく外交はもとより、経済政策においてもアベノミクスなる言葉によって株価を偽装し、財界を喜ばせているだけです。国民の賃金は一向に上昇していません。生活は苦しくなる一方です。

                                   

                                   

                                  その挙句が、森友・加計学園問題で税金をつぎ込んでバカ友を優遇しました。加計学園の獣医学部は世界に冠たるウイルスの研究施設を備えていたのではなかったのですか。優秀な研究者と学生を集め、コロナウイルスの蔓延を防ぐべく日夜奮闘していることでしょう。

                                   

                                   

                                  桜を見る会の税金の私物化には開いた口がふさがりません。それにしても招待された「功績のあった」人々が誰一人としてあなたの発言に異議を唱えなかったという事実に私は衝撃を受けました。総理大臣が根も葉もない嘘をつけば周囲がそれに合わせて自ら言論統制していくという大日本帝国時代の精神構造を目の当たりにしてうすら寒い思いをしたのです。

                                   

                                   

                                  そしてオリンピックです。もともとウソと賄賂によって招致したオリンピックです。東北の復興をうたいながら、資材と金を東京に集中させて復興を遅らせています。何が「お・も・て・な・し」でしょうか。コロナウイルスで「おもてなし」するつもりなのでしょうね。

                                   

                                   

                                  かくのごとく、あなたが総理になってからこの国の資産は食いつぶされる一方です。人心も荒廃の一途をたどっています。そこに降ってわいたコロナウイルスの蔓延です。よかったですね。これで国民の関心をそらすことができます。

                                   

                                   

                                  NHKでは「やってる感」を演出するため岩田明子記者に明白なウソの解説をさせ、背広を着たあなたがさっそうと登場して何かしゃべっています。スマホには株の乱高下を知らせるニュースが流れてきます。私は言葉をなくします。天を見上げてため息をつくほかありません。

                                   

                                   

                                  あなたはもちろんご存じないでしょうけど、夏目漱石の小説の中の次の一節を読み上げて私の質問を終わります。」

                                   

                                   

                                  「然し(しかし)是(これ)からは日本もだんだん発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。(夏目漱石『三四郎』より)

                                   

                                   

                                  | 教育 | 14:18 | comments(0) | - |
                                  人類史的な転換点に立つ。
                                  0

                                    コロナウィルスの世界的な蔓延は、私たちの社会の枠組みと意識(つじつま合わせで延命するしかない安倍政権とそこに資金提供する原子力村、そしてコーポラティズムのイデオロギーである新自由主義と自己責任論など)を大きく変えるでしょう。

                                     

                                     

                                    この期に及んでまだオリンピックを開催する気のノータリン政権。五輪のマークは世界の5大陸を表しているのですが、スポーツの祭典は世界が平和であることを大前提にしているのです。かくのごとく小学生でもわかることが安倍政権の回りにいる人間たちやオリンピックのスポンサーになっている大手メディアにはわからないようです。国民の命よりも金というわけです。

                                     

                                     

                                     

                                    かくなる上は日本だけでオリンピックを開催すればよい。しかも無観客で。外国人選手は参加しないのですから、日本勢が金銀銅メダルを独占できます。日の丸と君が代が各会場に響き渡ります。これほどの悲喜劇はないでしょう。

                                     

                                     

                                    「安倍総理大臣」をバカの一つ覚えのように連呼するNHK。「都民ファースト」「アスリートファースト」以外の言葉を知らない学歴詐称の小池東京都知事。

                                     

                                     

                                     

                                    それでも、私は「間髪入れずに」「一気呵成に」「ワンチームで」オリンピックを開催してほしいと思っています。そして国民に「笑顔を取り戻す」ためにJOCにはぜひ頑張ってもらいたい。なぜなら、現在の日本の自画像をこれほど露骨にかつ鮮明に可視化するイベントはないからです。

                                     

                                     

                                    さて、コロナの蔓延が人類史的な転換点になると考えるヒントを以下に示したいと思います。ただし、コロナが終息すれば、今までと何ら変わらない日常が戻ってくるだろうと思っている人には理解できないかもしれません。

                                     

                                     

                                    これからは人類全体で立ち向かわざるを得ない事件や事象が頻々として起こるようになります。それを象徴的に描いたのが1の映画『メランコニア』です。

                                     

                                     

                                    天災と戦争、革命と疫病が人間の実存を考える契機になるとブログで書きましたが、その引き金になるのが民族差別や宗教であり社会的弱者や障害者さらに女性や子供をモノのように考える思想です。その象徴が相模原連続殺傷事件の確信犯・植松聖です。2〜4で論じています。

                                     

                                     

                                    そして今回のコロナウィルスの蔓延を予言的に描いた5の映画『インフェルノ』です。時間があれば1、4、5の映画はぜひ観てもらいたいと思います。6は疫病が社会や人間の意識に及ぼす影響を描いたカミュの小説です。

                                     

                                     

                                    1:映画『メランコニア』

                                     

                                    2:『悪(霊)が降臨する前に』

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=561

                                     

                                    3:「思想的確信犯」はいかにして生まれるのか?

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=389

                                     

                                    4:映画『特捜部 Q カルテ番号 64』を観る。

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=601

                                     

                                    5:映画『インフェルノ』

                                     

                                     

                                    6:アルベール・カミュ『ペスト』

                                     

                                     

                                    | 文学・哲学・思想 | 23:52 | comments(0) | - |
                                    「川」のそばで立ちすくむ。
                                    0

                                      小学生の頃、私は大分市上野丘に住んでいました。勉強はほとんどせず、近所の仲間と四六時中遊んでいました。今振り返ると、放課後の時間や夏休みの遊びが人生の黄金時代を作り上げていたのだとつくづく思います。

                                       

                                       

                                       

                                      そんなある日、大きな台風が去った後、いつもの悪ガキ数人と大分川の様子を見に行こうということになりました。川が増水して勢いよく流れる様子をテレビで見て思い立ったのです。

                                       

                                       

                                       

                                      川の水は流木や砕けた木片やゴミを巻き込み、うねりとなって下流方向に流れていました。土手を降りて流れのすぐそばまで近寄ると、ゴーッと低くうなるような音が身体を圧しました。

                                       

                                       

                                       

                                      通りかかった大人から大声で注意されたので、川岸を離れ広瀬橋の欄干から(当時は木造の橋でした)川を眺めました。そばで見た時と違って、茶色く濁った大きな川が生き物のように静かに移動していました。その異様な静けさを空恐ろしく感じたことをはっきり覚えています。その時、この川に落ちたらどうなるだろうと空想しました。次の瞬間、溺れながら流されていく自分の姿がはっきり見えた気がしたのです。

                                       

                                       

                                       

                                      いま全国の小・中・高校が一斉休校になっていますが、生活や経済に及ぼす影響ではなく、子供たちの意識に及ぼす影響について考えてみます。「意図せざる結果の法則」ではありませんが、今回の一斉休校は思いもよらない結果をもたらすかもしれません。

                                       

                                       

                                       

                                      子供の自殺が最も多いのは夏休み明けだと言われています。よほどのことがないかぎり、子供は自殺したりしません。長い休みが続いた後、学校の日常に復帰できなくなる子供たちの気持ちを考えたことがあるでしょうか。子供の自殺という悲劇に対して、私たちは弱さのせいだと結論づけたり、適者生存、自然淘汰、身勝手さ、あるいは自己責任といった言葉で無関心を決め込んではいないでしょうか。

                                       

                                       

                                       

                                      今回は年間スケジュールの中に組み込まれた休みではありません。唐突な日常の中断で、場合によっては、子供たちは一日中間延びした時間と向き合い、親と向き合わざるを得ない環境に置かれます。

                                       

                                       

                                       

                                      一週間くらいならともかく、一ヶ月以上ともなると、勉強や日々の過ごし方について四六時中親に口やかましく言われ、親子関係にひびが入ることも考えられます。こんなに嫌われていたのか、自分は邪魔なんだと感じる子供たちもいるかもしれません。

                                       

                                       

                                       

                                      ところで、今回の件ではからずも可視化されたことがあります。学校が果たしている託児所・収容所としての役割です。「収容所」は悪意に満ちた言葉だと思われるでしょうか。しかし、小学生から高校生までの子供たちが学校に行かず街をうろついている様子を想像してみて下さい。膨大な数の若年失業者が街にあふれることになるのです。治安は乱れ、事件や事故が頻発するかもしれません。

                                       

                                       

                                       

                                      要するに、学校は最もコストをかけずに社会システムを維持するための装置なのです。学びの場というよりも、子供たちを預かり一定の時間を過ごした後、親元に返し社会へと送り出す施設なのです。そこでは何よりも安全が重視されます。

                                       

                                       

                                       

                                      そもそも近代以前の社会では、子供は家庭や共同体の中で立派な労働力としてあてにされていました。いわば「小さな大人」だったのです。それに対して、近代以降の社会では、生産性が劇的に向上したため子供は生産労働に従事する必要がなくなり余剰の労働力となります。ここに、子供を収容する施設の必要性が議論され「学校」が誕生します。同時にイデオロギーとしての「教育」が誕生した瞬間でした。

                                       

                                       

                                       

                                      歴史をたどればこれが学校に課された役割だったのです。半面、身分制の下で重労働にあえいでいた子供たちを解放するという面もありました。学校に行けば働かなくて済むというわけです。学校がまだオーラに包まれていた時代の話です。

                                       

                                       

                                       

                                      時は巡り、世の中が産業社会から消費社会へ、情報社会からAIを駆使する電脳コントロール社会へと変化する中で、学校はどうなったでしょうか。

                                       

                                       

                                       

                                      今学校は、受験を通じて優勝劣敗を納得させ、格差を当然だと考える新しい身分制のヒエラルキーを国民に納得させる場所になっています。さらに言えば、富裕層が持っている既得権益をロンダリングし、大企業と政府が結託して国民から富を収奪するコーポラティズムのイデオロギーを内面化する場所となりました。いわゆる出来のいい優秀な生徒ほどこの流れにうまく順応していきます。その成果が「優秀な」官僚群というわけです。

                                       

                                       

                                       

                                      ブログで何度も指摘してきたように、この体制を維持承認する制度としての学校の本質にいち早く気付いた子供たちは、その毒を飲まされ続けることに何とか耐えています。はっきり言語化できないにしても、経済成長をいまだに信じる東京を中心とした文化の非人間性に拒否反応を示しています。

                                       

                                       

                                       

                                      聡明な子供たちは自問自答しています。よりよく生きるために、あるいは日本の歴史に根差した豊かな共同体を築くために学校はどうしても復帰しなければならない場所なのか、と。

                                       

                                       

                                       

                                      今回の一斉休校は子供たちに考えるきっかけを与える気がします。いや、ぜひそうあってほしい。私は大学受験に失敗して、幸運にも社会で当たり前だと考えられている価値の序列を疑うことができました。社会を客観的に冷めた目で見ることが可能になったのです。

                                       

                                       

                                       

                                      就職予備校と化した大学に通い、時期が来たら同じ色のスーツを着て「ちょっとでも上の」企業をめざして就職活動に励む、という発想を受け入れることができなかったのです。以来、大企業で「イエスマン」にならずとも、生き延びることができるのではないかと考え、私の思考実験が始まりました。

                                       

                                       

                                       

                                      「川」の話は、制度疲労を起こした既存の社会システム、特に今の学校が負わされている役割を考えていて思い出しました。幼少のころからその中にいれば、全員が一緒になって流される「川」の異様さ・残酷さには気づきません。それが当たり前になります。しかし、何かの拍子でその流れを橋の上から眺める機会があると、自分がいかに当たり前でない世界にいたかがわかるのです。

                                       

                                       

                                       

                                      これからの社会では、既存のシステムを否定するのではなく、それを前提にしつつもその外で生きる通路を確保することがますます重要になってくるでしょう。今回の一斉休校は子供たちにとって人生で初めて訪れた、考える人間になるための「長期休暇」になる可能性を秘めているのです。

                                       

                                       

                                       

                                      できることなら、親御さんには、寝てゲームをするだけの子供をどうかそのままにしておいてほしいと思います。自分なりの時間の使い方は、最初は無駄だらけに見えます。しかし子供たちにとって、これだけまとまった時間を自由にできるチャンスは二度とないかもしれないのです。文化の母体は「暇」なのです。

                                       

                                       

                                       

                                      そうは言っても、これをチャンスだと考える親御さんは少ないと思います。「子供は放っておいたら絶対勉強なんかしません。(これは例の佐藤ママの発言です)」という貧困な人間観が邪魔をするのです。

                                       

                                       

                                       

                                      それだけではありません。偶然もたらされた「長期休暇」に、いつものごとく大量に宿題を出す高校の教師たちもいます。自分のやっていることが社会を生きづらい場所にしているなどとは考えないのでしょう。佐藤ママの同類です。この種の人間たちは、いったい子供たちにどうなってほしいのでしょうか。

                                       

                                       

                                       

                                      今回、教師にもそれを根底から考え直すための時間が与えられたのです。にもかかわらず、そのことに気づいている教師はどれくらいいるでしょう。安定した職業だというだけで、公教育に価値を見出せず、無意識のうちに学校の塾化を加速させている教師は、ただ流れに乗っているだけのサル、いや言葉の自動機械になることで給料をもらっているのです。

                                       

                                       

                                       

                                      えらそうに言ってるが、お前はどうなんだ、という批判にも応えておきます。もちろん、塾は本質的にはコーポラティズムを加速化させるシステムです。自己利益を最大化させるための階段をよりスピーディーに駆け上るテクニックや方法を教えることで利潤を上げているわけですが、それも終わりを迎えつつあります。効率的な勉強の仕方などと銘打った受験情報を流し、情報弱者の親や子供たちを相手にするビジネスモデルは賞味期限切れなのです。「消費者」がダイレクトに情報にアクセスできる社会が到来しているのですから。

                                       

                                       

                                       

                                      長い休み明け、おそらく子供たちの多くは、重い身体を引きずりながら自分を幸福にすることのない学校に復帰することでしょう。いや、友達に再会できる喜びで自然と足取りが軽くなるかもしれませんね。しかし、制度疲労の極みにある学校を前にして、立ちすくんでいる子供たちもいると思います。私が川を見ながら茫然としていたように。そういった子供たちに対しては、何とか生き延びてもらいたいという思いをこめて、ブログの中で具体的な勉強方法やノートの作り方を提示しています。よかったらお読みください。

                                       

                                       

                                      高橋まつりさんはなぜ自殺したのか?

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=449

                                       

                                      自分の時間と空間を生きる。

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=450

                                       

                                      『東大合格生のノートはかならず美しい』わけがない。

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=451

                                       

                                      世界に二つとないノートの作り方。

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=453

                                       

                                      あなただけのノートの作り方。

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=455

                                       

                                       

                                      | 中高生の皆さんへ | 14:51 | comments(2) | - |
                                      「ありえたかもしれない地点」に立ち戻る。
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                                        息を吐くようにウソを言い、フリガナだらけの原稿を棒読みするか屁理屈で時間を稼いで野党議員の質問をはぐらかす。かと思えば、コロナウィルス対策のスタンドプレーで支持率回復を狙う。疫病から国民の命や生活を守ることは、本来専門家が迅速に決断することで、政治は財政面を含めてそれを後押しすればいいのです。「ボクちゃん」の出番はないのです。

                                         

                                         

                                         

                                        ところが、原発事故の際に湧いて出てきた御用学者同様、当の専門家を信用できないときています。だから、国民は徐々に殺されていく運命だと言ったのです。政治の無策が原因で殺されたくなかったら、「ボクちゃん」を一刻も早く辞めさせることだと言い続けて8年になります。

                                         

                                         

                                         

                                        政治家は国民の日々の暮らしの上に載っている神輿に過ぎません。神輿が威張りちらし、我が物顔に振る舞い、国富を私物化して恥じないなら、そんな神輿は放り投げればいいのです。しかし、その神輿をありがたがって担いでいるのが、倫理なき経済界なのです。

                                         

                                         

                                         

                                        今度の全国の小中高等学校の一斉休校も、「ボクちゃん」の頭にパッとひらめいた思いつきに過ぎません。一斉休校すれば、給食も止まります。止まると野菜も肉も生乳も大量に余ります。農業や酪農で生計を立てている人の生活を直撃するのです。当然経済的ダメージも計り知れません。そのうえ食事抜きの子供も出てきます。

                                         

                                         

                                         

                                        そんな諸問題についての政府説明は一切なしです。自民党議員よ!バカの気まぐれに付き合うのもいい加減にせよ!と言ってもあなたたちもバカだから「どうしようもねえな」。

                                         

                                         

                                         

                                        かくも幼稚な戦争屋が憲法を改正して、緊急事態条項を手に入れようものなら、この国は本当に終わってしまいます。いや、3・11の原発事故の際、「ボクちゃん」が総理をしていたら、東日本はまちがいなく全滅していたでしょう。

                                         

                                         

                                         

                                        歴史にifはないと言われますが、過去を振り返り「ありえたかもしれない地点」に立ち戻って考えることこそが、私たちの社会をより良きものしていくために必要な真に自由な精神的な態度です。

                                         

                                         

                                         

                                        コロナウィルスが全国に蔓延しているとき、南海トラフ地震が日本を襲い、原発が暴走し、放射能をまき散らしている事態をシュミレーションしている政治家がいるでしょうか。そういうわけですから、コロナウィルスの封じ込めは失敗するでしょう。その結果私たちの価値観は大きく転換せざるを得ません。

                                         

                                         

                                         

                                        最後に、時間を持て余すかもしれない中高生に一つだけ映画を推薦しておきます。タイトルは『メランコリア』です。アマゾンプライムでもネットフリックスでも観ることができます。惑星が地球に衝突する話ですが、アルベール・カミュの『ペスト』と同じように、驚くべき洞察に満ちた作品です。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        私たちは、人間がまとっている外形的なもの、学歴や勤めている会社、あるいは地縁血縁といったもので人の価値を判断します。たまたま能力が高く、美形で、家庭環境に恵まれた人が活躍し見返りを得るのは当然で、そうでない人が落ちぶれるのは必然で仕方ない、「自己責任」だと考えるのが今の社会です。

                                         

                                         

                                         

                                        たまたま裕福な家庭に生まれ、たまたま多数派に属している人が、自らの地位を当然だと思い、頭数を武器に民主的な暴政をふるっているのが今の日本です。

                                         

                                         

                                         

                                        それをただすにはどうすればいいのでしょうか。人格に対する洞察力を高めるしかありません。外形的なものにとらわれず、相手の言葉や立ち居振る舞い、笑ったり、怒ったり、悲しんだりするときの様子を観察することです。その結果、自分の内面に起こった感情の由来を確かめる、私にはそれしか思いつきません。

                                         

                                         

                                        | 中高生の皆さんへ | 14:56 | comments(0) | - |
                                        入試に臨む皆さんへ。1年後に今日という日を振り返る。
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                                          皆さんはunsung hero という言葉をご存知ですか。unsung とは「歌われることのない」という意味です。sung はsing の過去分詞ですね。

                                           

                                           

                                          「注目もされず、称賛もされないけれど、本来ならそれに値する善き行い」という意味です。僕たちのまわりには、「歌われざる英雄」がたくさんいます。社会はそういう人によって支えられています。

                                           

                                           

                                          例えば、雪深い北陸や北海道の街で、朝早く起きて雪かきをする人は、誰のためでもない自分のためにやっているのかもしれません。しかし、皆がそれをすることで通行人が転んで骨折をしたり、足をくじいたりしないで済みます。

                                           

                                           

                                          もちろん雪かきをした人は誰からも感謝されません。しかし、一人一人が自分の仕事をきちんとすることで、多くの人を救っているのです。おそらく、こういった行為の集積によって巨大なカタストロフィー(破局)が未然に防止されているのです。つまり、雪かきが社会貢献だなどとは思ってはいない人々によって、社会は安全を保つことができているということです。

                                           

                                           

                                          僕たちは、明日も今日と同じ日が続くと考えますが、それを保証するものは何一つありません。日本はこれから高齢化が進み、人口が減少していきます。これまでの枠組みで考えていては、生き延びることができないかもしれません。僕は君たちになんとか生き延びてほしいのです。一体どうすればいいのでしょうか。

                                           

                                           

                                          僕は次のように考えています。現実をしっかり見て、学び続ける人が生き延びるのだ、と。

                                           

                                           

                                          具体的に話しましょう。世の中には色々な職業があります。皆さんはあと数年もすれば、自分で生活の糧を得なければなりません。大変そうですね。でも、次のことを忘れないでください。

                                           

                                           

                                          まず、15歳で、あるいは18歳の段階で、自分が何に向いているかはわからないのが当たり前だということ。むしろ、就職する前に、自分の向き不向きを決めつけてしまうことは危険です。僕は今でも塾の教師という仕事が自分に向いているかどうか分からないのです。

                                           

                                           

                                          僕は、父親が突然癌で亡くなり、妻と子供たちを連れて大分に帰ってきた日から、一日一日を工夫してなんとか生きてきました。塾教師として今日まで生きて来られたのは運がよかったからです。そして人生は偶然が積み重なってできていると気づいたのです。こうすればこういう結果が必ず生じるという考え方(必然論といいます)は、どこか嘘っぽいですね。

                                           

                                            

                                          それは、お前がさえない塾の教師だからそう思うんだろう、という考え方も一理あります。世の中には、夢を実現させてそれを職業にしている人もいるではないか、と言いたいのでしょう。わかります。でも僕もそれなりに歳をとって、色々な経験を積んできました。だからしがない塾教師の話を少しだけ聞いて下さい。

                                           

                                           

                                          僕が塾を始めた30年ほど前から、「夢」と「職業」を結びつけて考える傾向が強くなりました。そして、今や「夢」は、「将来就きたい職業」そのものを意味する言葉になってしまいました。

                                           

                                           

                                           たとえば「プロ野球選手になりたい」「世界で活躍するサッカー選手になりたい」「医者になりたい」「弁護士になりたい」「ファッションデザイナーになりたい」というように。

                                           

                                           

                                           それを後押しするように「夢を持ちなさい」「夢のない人生ほど退屈な人生はない」「夢があってこそ人生は輝く」「自分だけの夢に向かって努力しなさい」というキャッチフレーズが叫ばれています。そのことを疑問に思う声は聞こえて来ません。

                                           

                                           

                                           子どもの頃の僕の「夢」は、大福もちを腹一杯食べたい、パンツ一丁になってウエディングケーキに飛び込みたい(甘党でしたから)、鳥になって空を飛びたいというものでした。職業と全く結びついていません。いや、職業と結びつかないものこそが夢だったのです。

                                           

                                           

                                           そんなたわいもない夢ですから、夢なんかなくても子ども時代は楽しかった。大人から「夢を持て」などと言われたこともありません。そもそも子どもは、今の一瞬一瞬を生きているあるがままの存在です。だから、僕に言わせれば、お仕着せの「夢」にとらわれた子どもはかけがえのない今という時間を台無しにしているかもしれないのです。

                                           

                                           

                                           僕は勉強するなと言っているのではありません。逆です。勉強すればするほど、人間は色々だ、だからこそ職業や肩書で人間を評価する必要はないということがわかります。

                                           

                                           

                                          一方で、勉強が「試験で好成績を上げるためのもの」になればなるほど、本来の学びは忘れられます。そしていくばくかの金銭と虚栄心を満足させることと引き換えに、むなしい人生だけが残ることになる、と言いたいのです。

                                           

                                           

                                          それだけではありません。職業にもとづく肩書信仰は、特定の職業についている人たちへの差別感情を生みます。だれかを見下し差別することによって、自分のプライドを保つなんて、あまりに悲しいことです。君たちは、そういった人生を歩んではなりません。

                                           

                                           

                                           夢はある仕事について数年して振り返って笑えるようなものの方がいいのです。夢やあこがれは、それに到達することによってではなく、届かないことや、笑い話になることによって人間を成長させるものです。

                                           

                                           

                                           自分の望む職業につけなかったら自分の人生は失敗だと考えるのは間違いです。次のように考えてみてはどうでしょうか。「職業」や「職種」で考えるのではなく「職場」で考えるのです。自分の気に入った職場で、気の合う仲間といっしょに働くことができれば、与えられた役割をこなすという単純なことでも責任感と達成感をもたらすからです。 

                                           

                                           

                                           最後にこれだけは覚えておいて下さい。職業は君の個性を生かしたり、夢を実現したりするためにあるのではないということです。社会が必要としているからあるのです。

                                           

                                           

                                           たとえば、新幹線がストップしている深夜にトンネルの点検をする仕事は社会が必要としているからあるのです。 皆さんの中に将来の夢の職業として深夜のトンネル点検を思い描いた人はいるでしょうか。職業は、それをする人間がいないと社会が成り立たないから職業として存在しているのです。

                                           

                                           

                                          そして世の中の大部分の仕事はそういったものです。地味な仕事です。誰からも注目されず、スポットライトが当たることもありません。新幹線にコンクリートの塊が落ちて大事故になったときに初めて注目されます。そして責任を追及されます。でも一方で、僕たちが安心して新幹線を利用できていたのは、陰で点検している人がいたからだという事実に気づくのです。

                                           

                                           

                                           大人になるということは、こういった気づきを一つ一つ積み上げていくということです。 

                                           

                                           

                                          話が長くなりました。でもここまで読んでくれた皆さんなら、高校受験は長い人生の中の単なる通過地点に過ぎないということが分かったはずです。できれば1年後にどこの高校に行っていても、今日という日を振り返って、「ありえたかもしれないもう一つの人生」を想像してもらいたいと思います。あの時、偶然によって別の人生が開かれていたかもしれないと想像することこそが「自由」の意味ですから。

                                           

                                           

                                          さて、いよいよお別れです。今日の話をもし覚えていてくれたら、僕はうれしいです。長い間、雨の日も冬の寒い日も最後まで通って来てくれてありがとう。どうか立派な大人になって下さい。さようなら、中学3年生の皆さん。

                                           

                                                                  

                                           

                                          | 中高生の皆さんへ | 22:50 | comments(0) | - |
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