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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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ウソの代償−災厄の春
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    新型コロナの蔓延を見ていると、地球の人口調節機能が働き始めているような気がします。しかし、そんな何の根拠もない「妄想」を論じたところで仕方ありません。むしろ、人類史的な転換点がどのような形で表面化するかを考えてみます。

     

     

    ウィルスは容易に国境を越えます。社会的地位のいかんにかかわらず感染の危険があります。国家主義の愚かさや、社会的地位に拘泥することの無意味さについて考え直すきっかけを提供しているのです。

     

     

     

    前にも書きましたが、戦争と天災、革命と疫病が、人間を規定している様々な条件を全人類的な規模で洗い流し、それまで当然だと思われていた価値や社会システムが相対的なものに過ぎなかったことに気づかせます。いわば円柱を正面から見て長方形だと思っていた人が、上から見ると円に見えるということに気づくのです。そして、生き延びるためには複数の視座が必要なこと、場合によっては旧来の見方を捨てる必要に迫られます。

     

     

     

    当然、旧来の価値にしがみつく勢力が金と権力によって新興の価値・勢力をコントロールしようとするでしょう。しかし、コロナのような疫病の場合、対立をあおることは両者の死を意味するので、それもできなくなります。かくして人類史的な新しい段階に入るというわけです。災厄の春は、悪いことばかりではありません。

     

     

     

    コロナに関しては、以下のImperial College Londonの記事が参考になります。日本では過度の検査は、医療崩壊を招くと主張する医師や専門家がいますが、だまされてはなりません。適切な検査をせず放置されれば、4,000万人が死ぬと警告しています。

     

     

     

     

    https://www3.nhk.or.jp/news/html

    /20200327/k10012353091000.html

     

     

    一方で、この記事は、外出制限や自宅での隔離などの強力な対策を感染拡大の初期段階で実行し、感染を調べる検査を数多く実施すれば、大幅に状況を変えることができ、亡くなる人は130万人に減少すると分析しています。

     

     

    現場の医者にとってPCR検査は、原発労働者にとっての線量計の様な物です。PCR検査抑制論は、線量計を持たずに原発の作業をやれと言っているようなものです。

     

     

     

    「お医者様」や「専門家」の言うことだからと簡単に信用して、自分で調べようともしない人は、国家資格を盲信する、権威に弱い人です。 学校時代の偏差値序列を大人になっても引きずっています。一言でいえば序列意識が骨の髄まで染み込んでいる人たちです。彼らの生きる道は忖度しかありません。

     

     

     

    『私たちは政府によって緩慢な死を強制されている』を書いてから4年になります。忘れてならないのは、日本はまだ原子力緊急事態宣言の発令中だということです。福島第一原発の危険度は、2011年3月11日の夜のままだと政府が公式に認めているのです。その中でオリンピックをやろうという発想はどこから出てくるのでしょうか?

     

     

    『私たちは政府によって緩慢な死を強制されている。』

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=152

     

     

     

    私たちの悲劇は、キャチフレーズを連発するだけで、具体的な対策となると丸投げして「やってる感」だけを演出するバカがこの国のトップに居座り続けていることです。ウソの上にウソを塗り重ね、心ある国民から全く信用されていません。要は統治機構の体をなしていないのです。

     

     

     

    これから私たちが払わなければならない代償がどれほど高くつくか想像もできません。これはすべて安倍政権と官邸官僚がついてきたウソの代償です。そしてそのウソをそのまま垂れ流す官邸記者クラブ系マスコミが良心を放棄した代償です。言わずもがなですが、その代償を払わせられる順番は、最も援助を必要としている最も弱い立場の人たちからです。

     

     

    先見の明を誇ろうなどとは考えてもいませんが、今日のこの事態はすでに予想しています。見るべきものを見れば、誰にでもわかることです。もし時間があればお付き合い下さい。

     

     

    私たちは暫定的な足場をたよりに考えるほかない存在である。

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=365

     

    「希望」という名の災厄− 小池百合子の「バベルの塔」

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=413

     

     

    | 政治 | 16:45 | comments(0) | - |
    安倍晋三と昭恵が生きる場所は刑務所以外にない。
    0

      なんとも過激なタイトルですね。びっくりした方もいるかもしれません。あの温厚で知的でユーモアにあふれた優しい先生がこんな過激なタイトルをつけるなんて信ジランナ〜イ、というわけでしょうか。誰よりも私自身が信ジランナ〜イ、のです。

       

       

      でも以下の週刊誌の記事を読めば、予定調和の世界で何も考えず、まじめに働いて「和牛の商品券」をもらおうと考えている人の脳髄にも多少の衝撃が走るかもしれませんね。

       

       

      いや、本音を言いましょう。この記事を読んで怒りがこみあげてこなければ、人間として最も大事な部分が死んでいる、安倍晋三の同類だ!と小声で遠慮がちに糾弾したろ〜やないけ!なめとるんかわれ〜、とつぶやきたいものです。よい子の皆さんはまねをしないようにね。

       

       

      「週刊文春3月26日号」の画像検索結果

       

       

      今の日本の商品化された教育、特に塾産業の中で教えられている「論理的思考力」なるものが、タコつぼの中に限局された、葦の髄から天井を覗く(自分の狭い見識に基づいて、かってに判断することのたとえ)式の受験で高得点を取るためのオマジナイに過ぎないことを私は指摘してきました。

       

       

       

      ところが、オマジナイどころか、その習得に全生活をかけて取り組む親子(佐藤ママのような)もいるのです。そういう人たちの中では、財務省の官僚は「論理的思考力」を武器に受験を勝ち抜いてきたエリートだとみなされています。

       

       

      てゆ〜か、子供が東大に合格することが「教育の勝ち組」「成功した子育て」だと信じ込んでいる人も多いようです。しかし、これはあまりに古臭い前時代的な発想に過ぎません。それに「今は官僚よりも医学部よ!」の時代です、たぶん。

       

       

      私に言わせれば、東大生とは抜群の記憶力と高速事務処理能力に秀でた裕福な家庭の子供たち(例外もあります)に過ぎません。人間として欠陥を抱えた人も多いのです。

       

       

       

      それにしても「抜群の記憶力と高速事務処理能力」はAIが最も得意とする分野です。つまり、近いうちに淘汰される運命にあるということです。

       

       

       

      そこで、本当の「論理的思考力」とは何かを提示しておきます。一言でいうと、人が幸せに暮らせるように社会のシステムやその土台となっている発想に絶えず揺さぶりをかける自由で柔軟な発想のことです。揶揄されたり白眼視される運命にあるのですが、人々に勇気を与え、真実に気づかせる力を持っています。塾で教えられる「論理的思考力」とは似て非なるものです。これは前にも書きました。

       

       

       

      『真正な感情こそが知性と論理を方向付ける』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=271

       

       

       

      新自由主義とコーポラティズムは現代社会の宿痾です。アメリカ社会はコロナウイルスの蔓延によって価値の選択を迫られることでしょう。そのアメリカで真の論理的思考力とユーモアを駆使している人物こそが、かの映画監督、マイケル・ムーアです。彼の作品「世界侵略のススメ」をぜひご覧ください。

       

       

       

       

      | 政治 | 20:33 | comments(0) | - |
      「失敗した子育て」について。
      0

        怒りで言葉を失い、天を仰ぐことが最近多くなった気がします。怒りと言っても義憤・公憤(indignation)の類です。歳のせいかとも思うのですが、怒りで言葉を失うのは私の精神がまだ若い証拠かもしれません。

         

         

        とりあえず 『週刊文春』2020年3月26日号・森友スクープ全文公開#1をお読みください。

        https://bunshun.jp/articles/-/36818?utm_source=twitter.com&utm

        _medium=social&utm_campaign=socialLink

         

         

        長い間塾教師をしてきて気づくことがあります。それは知性の土台である批判精神と怒りが社会から消えたということです。この二つが歴史を動かすモーメントなのですが、それがなくなるということは歴史が消失していることを意味するのかもしれません。

         

         

         

        子供たちは全く質問をしなくなりました。午後10時に授業が終わりその後2時間くらい質問攻めにあうという時期もあったのです。親御さんが心配して電話をかけてきたこともありました。

         

         

        まず疑問を抱く。次に解決法を探す。その過程で疑問が正当なものか、根拠があるかどうかを再点検(これが私の仕事です)して答えを探し続ける、というサイクルが消失したのです。

         

         

        今ほとんどの子供たちは「成績を上げる」ためのコツや「差をつける」テクニックをただひたすら頭に詰め込む自動機械になっています。優秀で精密な自動機械になればなるほど親から称賛されるというわけです。

         

         

        ブログで何度も書いてきましたが、何よりも結果が求められる社会(私はクソ社会と呼んでいます)の中で自動機械になった大人は、その人格の空洞を満たすためにより上位の権力とつながろうとします。大人たちの劣化した感情の発露としての幼児性を目にすると「失敗した子育て」という言葉が浮かぶのです。何を偉そうに言ってるんだ、他人を批判する資格がお前にあるのか、と言われそうですね。

         

         

        こういう短絡的な批判をする人には、いくら言葉を尽くして説明しても無駄なので、「失敗した子育て」の典型をお見せしようと思います。

         

         

        一昨日の参院予算委員会で福山哲郎議員は森友事件で自殺に追い込まれた近畿財務局の赤木俊夫さんの遺書に新しい事実があることを指摘し、再調査をするように安倍首相を問いただしました。

         

         

        その中で、福山議員は「安倍首相は、2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました。(中略) この2人(麻生太郎氏、安倍晋三首相)は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います」とする赤木さんの妻のコメントを読み上げ、「真相究明に改めて乗り出すと決意をいただけませんか」と安倍首相に要望したのです。

         

         

        赤木俊夫さんの遺書

         

         

         

        それに対して安倍首相は、「総理答弁が決済文書改ざんのターニングポイントとなったとは、赤木さんの手記に書かれているのではないと改めて申し上げておきたい。これは週刊誌の記事において記載されているものと承知している」と主張して次のように言い放ちます。

         

        「奥様がそういう発言をされたというのは今初めて承知をしたところでございますが、改めて申し上げますが、これは赤木さんが手記で書かれたことではない」と。

         

         

         

        「総理答弁が決済文書改ざんのターニングポイントとなったとは、赤木さんの手記に書かれていない」のだから、赤木さんの自殺と自分の発言は無関係だと言い張るのが、わが国の総理大臣です。そんなことを書けるはずがないのは小学生でもわかることです。

         

         

        さらに赤木メモには「特捜検事が来ても、5日前の人事で担当者は全員異動してしまい、示すべき資料は何もない。私が知らない間に全部処分されていた」 と書かれています。赤木氏は土地取引について何も知らないのに全責任を負わされたのです。財務省と特捜は赤木氏を「改竄実行犯」に仕立て上げ、自殺に追い込んだのです。

         

         

        もうおわかりでしょう。赤木氏の遺書を読んでも自分とは関係ないと考える冷酷な人間がわが国のトップに君臨しているのです。クラス全員と担任の周到ないじめによって自殺した子供のメモに固有名詞がないからいじめはなかったと認定する学校の態度を彷彿とさせるではありませんか。それを許しているのは去勢されたマスメディアであり、国民です。

         

         

        安倍首相には人間としての情がありません。彼の成育歴をたどれば分かります。しかし、メディアは沈黙したままです。「失敗した子育て」がいかなる人間を作り上げるのか、安倍首相は国民の前で日々それを可視化し続けているのです。

         

         

        長くなるので止めますが、子供を育てるときに私たちが最も気を付けなければならないことは「人間としての感情」が育っているかどうかということです。この点さえ間違えなければ、「一流」の会社や「一流」の大学に行けなくとも、人間は幸せになれるのです。これは断言しておきたいと思います。今後、ブログではこの点をめぐって掘り下げていきたいと思います。もし暇があれば、以下の参考記事をお読みいただけると嬉しいです。

         

         

        『感情にもレベルがある。』

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=126

         

         

         

        以下はおまけです。私が野党議員なら安倍首相に次のように質問します。

         

         

        「安倍総理、あなたは今、国権の最高機関である国会にいます。そこで野党議員にヤジを飛ばすのはあなたの幼児性と狭量な人間性を示すだけです。私に言わせれば前代未聞の総理大臣です。今更それを言ったところでどうしようもありませんが。

         

         

        本題に移ります。あなたや麻生財務相は国会ではなく、本来なら刑務所の中にいなければならないのです。韓国やアメリカなら、終身刑に値するでしょう。しかし、あなたたちと同レベルの大手マスメディアに黙認され、民主主義の成熟度において韓国やアメリカにはるかに劣る日本だからこそ、政治家として延命できているのです。

         

         

        第二次安倍政権を見てきて改めて認識したことがあります。それは劣化した感情の持ち主の周りにはクズしか集まらないということです。国会で赤木氏の遺書の件で追及されたとき、あなたは背広のボタンを留めながら笑って答弁していました。週刊文春の記事を読んでいれば、絶対に笑えないところであなたはニヤニヤしていたのです。私はそういう冷酷さと無能が背中合わせになったような人間が整合性のある、国民のための政策を立案し実行できるわけがないと断言したいと思います。

         

         

        それが証拠に、集団的自衛権の行使をいきなり閣議決定し、拉致被害者を自分の政権で必ず取り戻すと言いながら、果たせていません。政治的に利用しただけです。北方4島の返還はどうなったのですか。

         

         

        かくのごとく外交はもとより、経済政策においてもアベノミクスなる言葉によって株価を偽装し、財界を喜ばせているだけです。国民の賃金は一向に上昇していません。生活は苦しくなる一方です。

         

         

        その挙句が、森友・加計学園問題で税金をつぎ込んでバカ友を優遇しました。加計学園の獣医学部は世界に冠たるウイルスの研究施設を備えていたのではなかったのですか。優秀な研究者と学生を集め、コロナウイルスの蔓延を防ぐべく日夜奮闘していることでしょう。

         

         

        桜を見る会の税金の私物化には開いた口がふさがりません。それにしても招待された「功績のあった」人々が誰一人としてあなたの発言に異議を唱えなかったという事実に私は衝撃を受けました。総理大臣が根も葉もない嘘をつけば周囲がそれに合わせて自ら言論統制していくという大日本帝国時代の精神構造を目の当たりにしてうすら寒い思いをしたのです。

         

         

        そしてオリンピックです。もともとウソと賄賂によって招致したオリンピックです。東北の復興をうたいながら、資材と金を東京に集中させて復興を遅らせています。何が「お・も・て・な・し」でしょうか。コロナウイルスで「おもてなし」するつもりなのでしょうね。

         

         

        かくのごとく、あなたが総理になってからこの国の資産は食いつぶされる一方です。人心も荒廃の一途をたどっています。そこに降ってわいたコロナウイルスの蔓延です。よかったですね。これで国民の関心をそらすことができます。

         

         

        NHKでは「やってる感」を演出するため岩田明子記者に明白なウソの解説をさせ、背広を着たあなたがさっそうと登場して何かしゃべっています。スマホには株の乱高下を知らせるニュースが流れてきます。私は言葉をなくします。天を見上げてため息をつくほかありません。

         

         

        あなたはもちろんご存じないでしょうけど、夏目漱石の小説の中の次の一節を読み上げて私の質問を終わります。」

         

         

        「然し(しかし)是(これ)からは日本もだんだん発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。(夏目漱石『三四郎』より)

         

         

        | 教育 | 14:18 | comments(0) | - |
        人類史的な転換点に立つ。
        0

          コロナウィルスの世界的な蔓延は、私たちの社会の枠組みと意識(つじつま合わせで延命するしかない安倍政権とそこに資金提供する原子力村、そしてコーポラティズムのイデオロギーである新自由主義と自己責任論など)を大きく変えるでしょう。

           

           

          この期に及んでまだオリンピックを開催する気のノータリン政権。五輪のマークは世界の5大陸を表しているのですが、スポーツの祭典は世界が平和であることを大前提にしているのです。かくのごとく小学生でもわかることが安倍政権の回りにいる人間たちやオリンピックのスポンサーになっている大手メディアにはわからないようです。国民の命よりも金というわけです。

           

           

           

          かくなる上は日本だけでオリンピックを開催すればよい。しかも無観客で。外国人選手は参加しないのですから、日本勢が金銀銅メダルを独占できます。日の丸と君が代が各会場に響き渡ります。これほどの悲喜劇はないでしょう。

           

           

          「安倍総理大臣」をバカの一つ覚えのように連呼するNHK。「都民ファースト」「アスリートファースト」以外の言葉を知らない学歴詐称の小池東京都知事。

           

           

           

          それでも、私は「間髪入れずに」「一気呵成に」「ワンチームで」オリンピックを開催してほしいと思っています。そして国民に「笑顔を取り戻す」ためにJOCにはぜひ頑張ってもらいたい。なぜなら、現在の日本の自画像をこれほど露骨にかつ鮮明に可視化するイベントはないからです。

           

           

          さて、コロナの蔓延が人類史的な転換点になると考えるヒントを以下に示したいと思います。ただし、コロナが終息すれば、今までと何ら変わらない日常が戻ってくるだろうと思っている人には理解できないかもしれません。

           

           

          これからは人類全体で立ち向かわざるを得ない事件や事象が頻々として起こるようになります。それを象徴的に描いたのが1の映画『メランコニア』です。

           

           

          天災と戦争、革命と疫病が人間の実存を考える契機になるとブログで書きましたが、その引き金になるのが民族差別や宗教であり社会的弱者や障害者さらに女性や子供をモノのように考える思想です。その象徴が相模原連続殺傷事件の確信犯・植松聖です。2〜4で論じています。

           

           

          そして今回のコロナウィルスの蔓延を予言的に描いた5の映画『インフェルノ』です。時間があれば1、4、5の映画はぜひ観てもらいたいと思います。6は疫病が社会や人間の意識に及ぼす影響を描いたカミュの小説です。

           

           

          1:映画『メランコニア』

           

          2:『悪(霊)が降臨する前に』

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=561

           

          3:「思想的確信犯」はいかにして生まれるのか?

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=389

           

          4:映画『特捜部 Q カルテ番号 64』を観る。

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=601

           

          5:映画『インフェルノ』

           

           

          6:アルベール・カミュ『ペスト』

           

           

          | 文学・哲学・思想 | 23:52 | comments(0) | - |
          「川」のそばで立ちすくむ。
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            小学生の頃、私は大分市上野丘に住んでいました。勉強はほとんどせず、近所の仲間と四六時中遊んでいました。今振り返ると、放課後の時間や夏休みの遊びが人生の黄金時代を作り上げていたのだとつくづく思います。

             

             

             

            そんなある日、大きな台風が去った後、いつもの悪ガキ数人と大分川の様子を見に行こうということになりました。川が増水して勢いよく流れる様子をテレビで見て思い立ったのです。

             

             

             

            川の水は流木や砕けた木片やゴミを巻き込み、うねりとなって下流方向に流れていました。土手を降りて流れのすぐそばまで近寄ると、ゴーッと低くうなるような音が身体を圧しました。

             

             

             

            通りかかった大人から大声で注意されたので、川岸を離れ広瀬橋の欄干から(当時は木造の橋でした)川を眺めました。そばで見た時と違って、茶色く濁った大きな川が生き物のように静かに移動していました。その異様な静けさを空恐ろしく感じたことをはっきり覚えています。その時、この川に落ちたらどうなるだろうと空想しました。次の瞬間、溺れながら流されていく自分の姿がはっきり見えた気がしたのです。

             

             

             

            いま全国の小・中・高校が一斉休校になっていますが、生活や経済に及ぼす影響ではなく、子供たちの意識に及ぼす影響について考えてみます。「意図せざる結果の法則」ではありませんが、今回の一斉休校は思いもよらない結果をもたらすかもしれません。

             

             

             

            子供の自殺が最も多いのは夏休み明けだと言われています。よほどのことがないかぎり、子供は自殺したりしません。長い休みが続いた後、学校の日常に復帰できなくなる子供たちの気持ちを考えたことがあるでしょうか。子供の自殺という悲劇に対して、私たちは弱さのせいだと結論づけたり、適者生存、自然淘汰、身勝手さ、あるいは自己責任といった言葉で無関心を決め込んではいないでしょうか。

             

             

             

            今回は年間スケジュールの中に組み込まれた休みではありません。唐突な日常の中断で、場合によっては、子供たちは一日中間延びした時間と向き合い、親と向き合わざるを得ない環境に置かれます。

             

             

             

            一週間くらいならともかく、一ヶ月以上ともなると、勉強や日々の過ごし方について四六時中親に口やかましく言われ、親子関係にひびが入ることも考えられます。こんなに嫌われていたのか、自分は邪魔なんだと感じる子供たちもいるかもしれません。

             

             

             

            ところで、今回の件ではからずも可視化されたことがあります。学校が果たしている託児所・収容所としての役割です。「収容所」は悪意に満ちた言葉だと思われるでしょうか。しかし、小学生から高校生までの子供たちが学校に行かず街をうろついている様子を想像してみて下さい。膨大な数の若年失業者が街にあふれることになるのです。治安は乱れ、事件や事故が頻発するかもしれません。

             

             

             

            要するに、学校は最もコストをかけずに社会システムを維持するための装置なのです。学びの場というよりも、子供たちを預かり一定の時間を過ごした後、親元に返し社会へと送り出す施設なのです。そこでは何よりも安全が重視されます。

             

             

             

            そもそも近代以前の社会では、子供は家庭や共同体の中で立派な労働力としてあてにされていました。いわば「小さな大人」だったのです。それに対して、近代以降の社会では、生産性が劇的に向上したため子供は生産労働に従事する必要がなくなり余剰の労働力となります。ここに、子供を収容する施設の必要性が議論され「学校」が誕生します。同時にイデオロギーとしての「教育」が誕生した瞬間でした。

             

             

             

            歴史をたどればこれが学校に課された役割だったのです。半面、身分制の下で重労働にあえいでいた子供たちを解放するという面もありました。学校に行けば働かなくて済むというわけです。学校がまだオーラに包まれていた時代の話です。

             

             

             

            時は巡り、世の中が産業社会から消費社会へ、情報社会からAIを駆使する電脳コントロール社会へと変化する中で、学校はどうなったでしょうか。

             

             

             

            今学校は、受験を通じて優勝劣敗を納得させ、格差を当然だと考える新しい身分制のヒエラルキーを国民に納得させる場所になっています。さらに言えば、富裕層が持っている既得権益をロンダリングし、大企業と政府が結託して国民から富を収奪するコーポラティズムのイデオロギーを内面化する場所となりました。いわゆる出来のいい優秀な生徒ほどこの流れにうまく順応していきます。その成果が「優秀な」官僚群というわけです。

             

             

             

            ブログで何度も指摘してきたように、この体制を維持承認する制度としての学校の本質にいち早く気付いた子供たちは、その毒を飲まされ続けることに何とか耐えています。はっきり言語化できないにしても、経済成長をいまだに信じる東京を中心とした文化の非人間性に拒否反応を示しています。

             

             

             

            聡明な子供たちは自問自答しています。よりよく生きるために、あるいは日本の歴史に根差した豊かな共同体を築くために学校はどうしても復帰しなければならない場所なのか、と。

             

             

             

            今回の一斉休校は子供たちに考えるきっかけを与える気がします。いや、ぜひそうあってほしい。私は大学受験に失敗して、幸運にも社会で当たり前だと考えられている価値の序列を疑うことができました。社会を客観的に冷めた目で見ることが可能になったのです。

             

             

             

            就職予備校と化した大学に通い、時期が来たら同じ色のスーツを着て「ちょっとでも上の」企業をめざして就職活動に励む、という発想を受け入れることができなかったのです。以来、大企業で「イエスマン」にならずとも、生き延びることができるのではないかと考え、私の思考実験が始まりました。

             

             

             

            「川」の話は、制度疲労を起こした既存の社会システム、特に今の学校が負わされている役割を考えていて思い出しました。幼少のころからその中にいれば、全員が一緒になって流される「川」の異様さ・残酷さには気づきません。それが当たり前になります。しかし、何かの拍子でその流れを橋の上から眺める機会があると、自分がいかに当たり前でない世界にいたかがわかるのです。

             

             

             

            これからの社会では、既存のシステムを否定するのではなく、それを前提にしつつもその外で生きる通路を確保することがますます重要になってくるでしょう。今回の一斉休校は子供たちにとって人生で初めて訪れた、考える人間になるための「長期休暇」になる可能性を秘めているのです。

             

             

             

            できることなら、親御さんには、寝てゲームをするだけの子供をどうかそのままにしておいてほしいと思います。自分なりの時間の使い方は、最初は無駄だらけに見えます。しかし子供たちにとって、これだけまとまった時間を自由にできるチャンスは二度とないかもしれないのです。文化の母体は「暇」なのです。

             

             

             

            そうは言っても、これをチャンスだと考える親御さんは少ないと思います。「子供は放っておいたら絶対勉強なんかしません。(これは例の佐藤ママの発言です)」という貧困な人間観が邪魔をするのです。

             

             

             

            それだけではありません。偶然もたらされた「長期休暇」に、いつものごとく大量に宿題を出す高校の教師たちもいます。自分のやっていることが社会を生きづらい場所にしているなどとは考えないのでしょう。佐藤ママの同類です。この種の人間たちは、いったい子供たちにどうなってほしいのでしょうか。

             

             

             

            今回、教師にもそれを根底から考え直すための時間が与えられたのです。にもかかわらず、そのことに気づいている教師はどれくらいいるでしょう。安定した職業だというだけで、公教育に価値を見出せず、無意識のうちに学校の塾化を加速させている教師は、ただ流れに乗っているだけのサル、いや言葉の自動機械になることで給料をもらっているのです。

             

             

             

            えらそうに言ってるが、お前はどうなんだ、という批判にも応えておきます。もちろん、塾は本質的にはコーポラティズムを加速化させるシステムです。自己利益を最大化させるための階段をよりスピーディーに駆け上るテクニックや方法を教えることで利潤を上げているわけですが、それも終わりを迎えつつあります。効率的な勉強の仕方などと銘打った受験情報を流し、情報弱者の親や子供たちを相手にするビジネスモデルは賞味期限切れなのです。「消費者」がダイレクトに情報にアクセスできる社会が到来しているのですから。

             

             

             

            長い休み明け、おそらく子供たちの多くは、重い身体を引きずりながら自分を幸福にすることのない学校に復帰することでしょう。いや、友達に再会できる喜びで自然と足取りが軽くなるかもしれませんね。しかし、制度疲労の極みにある学校を前にして、立ちすくんでいる子供たちもいると思います。私が川を見ながら茫然としていたように。そういった子供たちに対しては、何とか生き延びてもらいたいという思いをこめて、ブログの中で具体的な勉強方法やノートの作り方を提示しています。よかったらお読みください。

             

             

            高橋まつりさんはなぜ自殺したのか?

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=449

             

            自分の時間と空間を生きる。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=450

             

            『東大合格生のノートはかならず美しい』わけがない。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=451

             

            世界に二つとないノートの作り方。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=453

             

            あなただけのノートの作り方。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=455

             

             

            | 中高生の皆さんへ | 14:51 | comments(2) | - |
            「ありえたかもしれない地点」に立ち戻る。
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              息を吐くようにウソを言い、フリガナだらけの原稿を棒読みするか屁理屈で時間を稼いで野党議員の質問をはぐらかす。かと思えば、コロナウィルス対策のスタンドプレーで支持率回復を狙う。疫病から国民の命や生活を守ることは、本来専門家が迅速に決断することで、政治は財政面を含めてそれを後押しすればいいのです。「ボクちゃん」の出番はないのです。

               

               

               

              ところが、原発事故の際に湧いて出てきた御用学者同様、当の専門家を信用できないときています。だから、国民は徐々に殺されていく運命だと言ったのです。政治の無策が原因で殺されたくなかったら、「ボクちゃん」を一刻も早く辞めさせることだと言い続けて8年になります。

               

               

               

              政治家は国民の日々の暮らしの上に載っている神輿に過ぎません。神輿が威張りちらし、我が物顔に振る舞い、国富を私物化して恥じないなら、そんな神輿は放り投げればいいのです。しかし、その神輿をありがたがって担いでいるのが、倫理なき経済界なのです。

               

               

               

              今度の全国の小中高等学校の一斉休校も、「ボクちゃん」の頭にパッとひらめいた思いつきに過ぎません。一斉休校すれば、給食も止まります。止まると野菜も肉も生乳も大量に余ります。農業や酪農で生計を立てている人の生活を直撃するのです。当然経済的ダメージも計り知れません。そのうえ食事抜きの子供も出てきます。

               

               

               

              そんな諸問題についての政府説明は一切なしです。自民党議員よ!バカの気まぐれに付き合うのもいい加減にせよ!と言ってもあなたたちもバカだから「どうしようもねえな」。

               

               

               

              かくも幼稚な戦争屋が憲法を改正して、緊急事態条項を手に入れようものなら、この国は本当に終わってしまいます。いや、3・11の原発事故の際、「ボクちゃん」が総理をしていたら、東日本はまちがいなく全滅していたでしょう。

               

               

               

              歴史にifはないと言われますが、過去を振り返り「ありえたかもしれない地点」に立ち戻って考えることこそが、私たちの社会をより良きものしていくために必要な真に自由な精神的な態度です。

               

               

               

              コロナウィルスが全国に蔓延しているとき、南海トラフ地震が日本を襲い、原発が暴走し、放射能をまき散らしている事態をシュミレーションしている政治家がいるでしょうか。そういうわけですから、コロナウィルスの封じ込めは失敗するでしょう。その結果私たちの価値観は大きく転換せざるを得ません。

               

               

               

              最後に、時間を持て余すかもしれない中高生に一つだけ映画を推薦しておきます。タイトルは『メランコリア』です。アマゾンプライムでもネットフリックスでも観ることができます。惑星が地球に衝突する話ですが、アルベール・カミュの『ペスト』と同じように、驚くべき洞察に満ちた作品です。

               

               

               

               

               

              私たちは、人間がまとっている外形的なもの、学歴や勤めている会社、あるいは地縁血縁といったもので人の価値を判断します。たまたま能力が高く、美形で、家庭環境に恵まれた人が活躍し見返りを得るのは当然で、そうでない人が落ちぶれるのは必然で仕方ない、「自己責任」だと考えるのが今の社会です。

               

               

               

              たまたま裕福な家庭に生まれ、たまたま多数派に属している人が、自らの地位を当然だと思い、頭数を武器に民主的な暴政をふるっているのが今の日本です。

               

               

               

              それをただすにはどうすればいいのでしょうか。人格に対する洞察力を高めるしかありません。外形的なものにとらわれず、相手の言葉や立ち居振る舞い、笑ったり、怒ったり、悲しんだりするときの様子を観察することです。その結果、自分の内面に起こった感情の由来を確かめる、私にはそれしか思いつきません。

               

               

              | 中高生の皆さんへ | 14:56 | comments(0) | - |
              入試に臨む皆さんへ。1年後に今日という日を振り返る。
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                皆さんはunsung hero という言葉をご存知ですか。unsung とは「歌われることのない」という意味です。sung はsing の過去分詞ですね。

                 

                 

                「注目もされず、称賛もされないけれど、本来ならそれに値する善き行い」という意味です。僕たちのまわりには、「歌われざる英雄」がたくさんいます。社会はそういう人によって支えられています。

                 

                 

                例えば、雪深い北陸や北海道の街で、朝早く起きて雪かきをする人は、誰のためでもない自分のためにやっているのかもしれません。しかし、皆がそれをすることで通行人が転んで骨折をしたり、足をくじいたりしないで済みます。

                 

                 

                もちろん雪かきをした人は誰からも感謝されません。しかし、一人一人が自分の仕事をきちんとすることで、多くの人を救っているのです。おそらく、こういった行為の集積によって巨大なカタストロフィー(破局)が未然に防止されているのです。つまり、雪かきが社会貢献だなどとは思ってはいない人々によって、社会は安全を保つことができているということです。

                 

                 

                僕たちは、明日も今日と同じ日が続くと考えますが、それを保証するものは何一つありません。日本はこれから高齢化が進み、人口が減少していきます。これまでの枠組みで考えていては、生き延びることができないかもしれません。僕は君たちになんとか生き延びてほしいのです。一体どうすればいいのでしょうか。

                 

                 

                僕は次のように考えています。現実をしっかり見て、学び続ける人が生き延びるのだ、と。

                 

                 

                具体的に話しましょう。世の中には色々な職業があります。皆さんはあと数年もすれば、自分で生活の糧を得なければなりません。大変そうですね。でも、次のことを忘れないでください。

                 

                 

                まず、15歳で、あるいは18歳の段階で、自分が何に向いているかはわからないのが当たり前だということ。むしろ、就職する前に、自分の向き不向きを決めつけてしまうことは危険です。僕は今でも塾の教師という仕事が自分に向いているかどうか分からないのです。

                 

                 

                僕は、父親が突然癌で亡くなり、妻と子供たちを連れて大分に帰ってきた日から、一日一日を工夫してなんとか生きてきました。塾教師として今日まで生きて来られたのは運がよかったからです。そして人生は偶然が積み重なってできていると気づいたのです。こうすればこういう結果が必ず生じるという考え方(必然論といいます)は、どこか嘘っぽいですね。

                 

                  

                それは、お前がさえない塾の教師だからそう思うんだろう、という考え方も一理あります。世の中には、夢を実現させてそれを職業にしている人もいるではないか、と言いたいのでしょう。わかります。でも僕もそれなりに歳をとって、色々な経験を積んできました。だからしがない塾教師の話を少しだけ聞いて下さい。

                 

                 

                僕が塾を始めた30年ほど前から、「夢」と「職業」を結びつけて考える傾向が強くなりました。そして、今や「夢」は、「将来就きたい職業」そのものを意味する言葉になってしまいました。

                 

                 

                 たとえば「プロ野球選手になりたい」「世界で活躍するサッカー選手になりたい」「医者になりたい」「弁護士になりたい」「ファッションデザイナーになりたい」というように。

                 

                 

                 それを後押しするように「夢を持ちなさい」「夢のない人生ほど退屈な人生はない」「夢があってこそ人生は輝く」「自分だけの夢に向かって努力しなさい」というキャッチフレーズが叫ばれています。そのことを疑問に思う声は聞こえて来ません。

                 

                 

                 子どもの頃の僕の「夢」は、大福もちを腹一杯食べたい、パンツ一丁になってウエディングケーキに飛び込みたい(甘党でしたから)、鳥になって空を飛びたいというものでした。職業と全く結びついていません。いや、職業と結びつかないものこそが夢だったのです。

                 

                 

                 そんなたわいもない夢ですから、夢なんかなくても子ども時代は楽しかった。大人から「夢を持て」などと言われたこともありません。そもそも子どもは、今の一瞬一瞬を生きているあるがままの存在です。だから、僕に言わせれば、お仕着せの「夢」にとらわれた子どもはかけがえのない今という時間を台無しにしているかもしれないのです。

                 

                 

                 僕は勉強するなと言っているのではありません。逆です。勉強すればするほど、人間は色々だ、だからこそ職業や肩書で人間を評価する必要はないということがわかります。

                 

                 

                一方で、勉強が「試験で好成績を上げるためのもの」になればなるほど、本来の学びは忘れられます。そしていくばくかの金銭と虚栄心を満足させることと引き換えに、むなしい人生だけが残ることになる、と言いたいのです。

                 

                 

                それだけではありません。職業にもとづく肩書信仰は、特定の職業についている人たちへの差別感情を生みます。だれかを見下し差別することによって、自分のプライドを保つなんて、あまりに悲しいことです。君たちは、そういった人生を歩んではなりません。

                 

                 

                 夢はある仕事について数年して振り返って笑えるようなものの方がいいのです。夢やあこがれは、それに到達することによってではなく、届かないことや、笑い話になることによって人間を成長させるものです。

                 

                 

                 自分の望む職業につけなかったら自分の人生は失敗だと考えるのは間違いです。次のように考えてみてはどうでしょうか。「職業」や「職種」で考えるのではなく「職場」で考えるのです。自分の気に入った職場で、気の合う仲間といっしょに働くことができれば、与えられた役割をこなすという単純なことでも責任感と達成感をもたらすからです。 

                 

                 

                 最後にこれだけは覚えておいて下さい。職業は君の個性を生かしたり、夢を実現したりするためにあるのではないということです。社会が必要としているからあるのです。

                 

                 

                 たとえば、新幹線がストップしている深夜にトンネルの点検をする仕事は社会が必要としているからあるのです。 皆さんの中に将来の夢の職業として深夜のトンネル点検を思い描いた人はいるでしょうか。職業は、それをする人間がいないと社会が成り立たないから職業として存在しているのです。

                 

                 

                そして世の中の大部分の仕事はそういったものです。地味な仕事です。誰からも注目されず、スポットライトが当たることもありません。新幹線にコンクリートの塊が落ちて大事故になったときに初めて注目されます。そして責任を追及されます。でも一方で、僕たちが安心して新幹線を利用できていたのは、陰で点検している人がいたからだという事実に気づくのです。

                 

                 

                 大人になるということは、こういった気づきを一つ一つ積み上げていくということです。 

                 

                 

                話が長くなりました。でもここまで読んでくれた皆さんなら、高校受験は長い人生の中の単なる通過地点に過ぎないということが分かったはずです。できれば1年後にどこの高校に行っていても、今日という日を振り返って、「ありえたかもしれないもう一つの人生」を想像してもらいたいと思います。あの時、偶然によって別の人生が開かれていたかもしれないと想像することこそが「自由」の意味ですから。

                 

                 

                さて、いよいよお別れです。今日の話をもし覚えていてくれたら、僕はうれしいです。長い間、雨の日も冬の寒い日も最後まで通って来てくれてありがとう。どうか立派な大人になって下さい。さようなら、中学3年生の皆さん。

                 

                                        

                 

                | 中高生の皆さんへ | 22:50 | comments(0) | - |
                退屈を深く生きる。
                0

                  このところ、古井由吉の『仮往生伝試文』を読み返していました。そして今朝起きて新聞を見ると古井由吉氏の死が伝えられているではありませんか。最近、こういうことがよくあります。

                   

                   

                  古井由吉氏をあまりご存じない方には、以下の本を勧めます。

                   

                   

                   

                   

                  政治の世界、とりわけ統治機構のトップにいる者の無能と批判精神(主体性の本質です)の欠如を意識しないメディアの報道を見ていると、バカバカしさを通り越して言葉をなくします。

                   

                   

                   

                  そんな時、決まって読む本の一冊が古井由吉氏の小説であり、随筆だったのです。氏の文章の明晰さが白濁した意識を浄化してくれるのです。

                   

                   

                   

                  私は6年以上も前から、おバカ総理とその取り巻きの浅薄さや人格の空洞化を批判してきました。言葉や表情、振る舞いを観察した結果、彼らは単なる操り人形、言葉の自動機械に過ぎないことに気づいたからです。そして3年前に『イベント人間は信用できない。』を書きました。

                   

                   

                   

                  『イベント人間は信用できない。』

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=412

                   

                   

                   

                  私は、この社会を覆っている文化というか空気の軽さは、人々が退屈から逃げることで生み出されているのではないかと考えました。古井由吉氏の文章の明晰さと強さは、退屈と向き合い、それを深く生きることが自分であり続ける唯一の方法だと自覚したことに由来しているような気がします。

                   

                   

                   

                  人類史をたどるまでもなく、天災と戦争(人災の最たるものです)、革命と疫病が人間社会の本質をあぶりだし、人間が平等であることに気づかせる4つの契機です。そしていま私たちの社会は新型コロナウィルスという疫病によって試されています。どんな結果になろうとも、それは私たち自身が招来するものであることを自覚しておかねばなりません。

                   

                   

                  | 文学・哲学・思想 | 12:14 | comments(0) | - |
                  アルベール・カミュ『ペスト』を読む。
                  0

                    3・11以降、この国を広く覆ったのは感情の劣化と、歴史の捏造・改竄でした。それを加速させたのが大日本帝国のエートスの体現者である「ぼくちゃん」総理とその支持者たちでした。彼らは権力に迎合することが、個人であれ組織であれ、経済的利益にあずかる手っ取り早い方法であると考える人間たちでした。

                     

                     

                     

                    彼らは、被雇用者(会社員がほとんどですが)の利益を搾取して豊かになり、しかも世間的な成功者と見なされるのですから、今の社会の支配的な価値観を疑うことはありません。疑えば自分の足元を切り崩すことになるので、現状に異議申し立てをする人間たちを敵とみなします。要するに自分の足元を客観視できない能天気な人間たちなのです。

                     

                     

                     

                    東日本大震災から9年になりますが、私は煮え湯を飲まされるようにして悟ったことがあります。それはこの国の多くの人々は、どんな災厄を目にしても、実際に被害に遭わない限り他人事だとしてスルーするということです。カルト化した受験教育とマスメディアによって教育された結果です。

                     

                     

                     

                    子供が下手に社会に関心を持ち、そのことで人間的な想像力を起動すれば、少数者の側に転落する可能性が出てきます。そうならないように、親は無意識に子供を見張っています。たこつぼの中に閉じ込めておきたいのです。それが子供の幸福を毀損することになるとも気づかずに。

                     

                     

                     

                    政府は言うまでもなく、新型コロナウィルスに対するメディアや人々の反応を見ていると、実際自分の家族や知り合いが感染するまで事態の深刻さを認識しないでしょうね。いや、そうなっても、楽観視したままかもしれません。人間は見たいものしか見ない生き物です。その習性を突き破るものこそが知性なのですが。

                     

                     

                     

                    今回のコロナウィルスの報道を見て、私は大学時代に読んだアルベール・カミュの『ペスト』を思い出し、再読しました。前回のブログでも書きましたが、私たちは無能な政府によって殺される局面に入っているのです。『ペスト』についてはこれ以上述べません。ただ才能ある作家は、世界のあちこちに開いている落とし穴を想像力によってあらかじめ埋めているのだと言っておきます。特に何が今の状況を生み出したのか、これからどうなるのかをリアルに考えたい人には是非一読を勧めます。

                     

                     

                     

                    以下はカミュの言葉です。

                     

                    ・私は正義を信念としていますが正義よりも母を先に守ります。

                     

                    ・哲学の価値は、哲学者の価値によって決まる。人間が偉大であれば偉大であるほど、その哲学も真実である。

                     

                    ・人間は現在の自分を拒絶する唯一の生きものである。

                     

                    この言葉は、塾の授業でよく引用します。

                    Man is the only creature who refuses to be what he is.

                     

                    ・世間に存在する悪は、大半がつねに無知に由来する。明識がなければ、よい意志も悪意と同じほどの多くの被害を与えることもあり得る。

                     

                    ・重要なのは、病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ。

                     

                    ・生きることへの絶望なしに、生きることへの愛はない。

                     

                    ・幸せが何から成っているのか探し続けている人は、決して幸せになれない。人生の意味を見出そうとしている人は、決して生きているとはいえない。

                     

                    ・われ反抗す、ゆえにわれら在り。

                     

                    ・人生それ自体に意味などない。しかし、意味がないからこそ生きるに値するのだ。

                     

                    最後にもう一つ。

                     

                    ・わたしは犬に対して、昔から揺るぎない愛着を持っている。犬が好きな理由は、彼らはわたしのすることをいつも許してくれるからである。

                    アルベール・カミュ

                     

                     

                     

                    | - | 14:51 | comments(0) | - |
                    さらば、安倍晋三!
                    0

                      アメリカは、トランプによってではなく、薬物依存症という広く深く浸透している病によって国家の屋台骨が腐り、衰退していく運命にあります。

                       

                       

                       

                      日本は、NHKを筆頭とするマスメディアによる大政翼賛と原子力村による国家の私物化=コーポラティズムによって国民が殺される時代に入っています。それでもなおアメリカに国富を貢ぎ、文字通り殺されるまで目が覚めないでしょう。

                       

                       

                       

                      後世の歴史家は、311以降の日本のウソのように軽い空気と堕落をどのように記述するだろうか、などと紋切型の発想で語ること自体が無効な世界に私たちは生きています。

                       

                       

                       

                      私はこれまで散々安倍政権を批判してきました。批判の中心は歴史を捏造し歴史を抹消する安倍政権の本質に対するものでした。そして今、私たちはその顛末を日々見せつけられています。もちろん、事ここに至っても事態の深刻さを理解できない人もいるでしょう。なんと言っても、今日という1日を生きなければなりませんから。

                       

                       

                       

                      それでも、老後の生活不安に怯えている辺境塾教師にも五分の魂があります。私がブログで述べて来たことは、やむにやまれぬ五分の魂の発露だったのです。今回のブログを最後に、安倍政権への批判は終わりにします。

                       

                       

                       

                      なぜなら安倍政権は十分その役目を果たしてくれたからです。まず、自己利益の最大化にしか興味のないクズがかくも大勢いたことに気づかせてくれました。次に、日本社会に生息している大日本帝国の末裔たちの歪んだ国家観を表に引きずり出してくれました。そして、京都市長選にかこつけて反共を煽り、そのアナクロ思想が延命している事実を公にしてくれました。国民の命に対しては全く想像力が働かず、ただ財界とアメリカの言うことを聞くだけの木偶の坊に過ぎないことを可視化したのです。

                       

                       

                       

                      以下は同時代を生きた一寸の虫が備忘録として残したい動画です。これからは、次世代に向けて私の考えていることを書いて行こうと思います。よろしければお付き合い下さい。

                       

                       

                       

                      日本が名実ともに法治国家をやめた日。

                       

                       

                       

                      総理大臣の屁理屈とアタマの悪さと良心の欠如を全国民に知らしめた日。

                       

                       

                       

                      | 政治 | 23:36 | comments(0) | - |
                      ほとほとあきれ果てています。
                      0

                        安倍首相は野党議員に向けて「私は総理大臣なんですよ」という言葉を何度も発しました。自分のことを「立法府の長」とも言いました。これは言い間違いではなく、自分はこの国の最高権力者であり、それゆえ何でもできるのだという幼児並みの思い込みを吐露したものです。

                         

                         

                         

                        普通「何でもできる」には、違法でなければという条件がついているのですが、法律に無知であるために、自分がやっていることが違法かどうかという判断ができません。いや、薄々違法だと分かっているのかもしれません。でも、それをいさめる人間が周囲にいないのをいいことに、行動はエスカレートするばかりです。わがまま勝手に育てられた子供の行動がエスカレートしていくのと同じです。

                         

                         

                         

                        わがまま勝手な子供の行動は周囲の大人によってたしなめられなければなりません。親がその責任を負っているはずですが、今では親の規範意識や公共に対する考えそのものが変質してしまいました。

                         

                         

                         

                        養育が教育になり、受験教育になった結果、親の仕事は子供が学校でいい成績をとれるように環境を整え情報を収集することだと見なされるようになりました。「佐藤ママ」は、こういったイデオロギーを普及させるべく、講演のために全国各地を飛び回っているのです。

                         

                         

                         

                        しかし、子供に本当に幸福な人生を送ってもらいたいと思えば、子供が平気でウソをついたり、自分の利益のために他人を利用したり、差別的な言葉を無神経に使ったりした時には、親は烈火のごとく怒らねばなりません。実はこれこそが記憶に残る親だけができる教育なのです。

                         

                         

                         

                        政治の世界では、総理の脱法行為や公文書の改竄を厳しくたしなめる役は、ジャーナリズムが負うべきもののはずでした。しかし、NHKを始めとして大手マスコミは、大本営発表をそのまま伝えるだけの存在に堕しました。

                         

                         

                         

                        自分たちの仕事は事実を伝えることで政権批判をすることではないといった屁理屈をこね、喜んで総理との夕食会に参加しているのです。彼らが「桜を見る会」を批判できないのも当然です。

                         

                         

                         

                        一昔前、ジャーナリズムの世界には本当に優秀な人が集まっていました。村上春樹氏が言うように、「知性の総量は変わらない、時代によって偏在しているだけだ」というのが正しいとすれば、真に知性ある人はどこに行ったのでしょう。

                         

                         

                         

                        そもそも、知性は量で測れるものなのでしょうか。質こそが問われるべきではないでしょうか。私はNHKや読売新聞、産経新聞が本来のジャーナリズムの仕事に復帰できるとはとうてい思えません。この8年余りの彼らの堕落ぶりをどうやって総括できるというのでしょうか。

                         

                         

                        『知性とは生死の「機微」をつかむことから生まれる美意識である。』

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=384

                         

                         

                         

                        この国の夜明けはまだまだ遠いと思わざるを得ません。それを再確認したのが以下の動画です。

                         

                         

                        2020年2月6日に行われた「桜を見る会」野党追及本部による32回目のヒアリングです。時間が許せば全部を見てほしいのですが、どうしても時間が取れないという方にはせめて1:07分から後、5分だけでも見てほしいと思います。

                         

                         

                         

                         

                         

                        弁護士の小野寺義象氏と泉澤章氏の指摘は、庶民感覚に合致する真っ当な議論です。安倍首相が政治資金規正法の立法趣旨など全く理解していないことが分かります。特に第二条の2を。

                         

                         

                        政治資金規正法

                        第二条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。

                         

                        2 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない。

                         

                         

                         

                        | 政治 | 19:35 | comments(0) | - |
                        王様はウソつきだ!やめろ!と言えるのは主権者である国民だけである。
                        0

                          今回は一週間前に観た映画『パラサイト・半地下の家族』について書こうと思っていました。とにかく面白い映画です。今の日本の映画界では決して作れない傑作です。疑う人はぜひご覧になって下さい。

                           

                           

                           

                          ところで、わが国の王様の人品骨柄(人間の品格や知性)は、今や小学生にも見破られています。

                           

                           

                           

                           

                          訊かれたことには答えず、同じことを意味不明の日本語で繰り返し、ただ質問時間が終わるのを待つだけ。辻元清美議員の質問中に時計を見て「終わった」「終わった」と言い放つ。国会議員の背後には国民がいるという自覚すらない。自覚していたら、決して「人間としてどうかと思う」などとは言えないはず。それにしても、お隣の方のふんぞりかえった態度は何なんでしょう。

                           

                           

                           

                           

                          安倍首相が野党議員に向かって鬼の首でも取ったかのように「キューベー」「キューベー」と叫び「ウソつき」を連呼する様を見ていて、何だかかわいそうになってきました。人を見れば「ウソつき」呼ばわりするようになった責任は私にもあるからです。

                           

                           

                           

                          ブログでも書きましたが、昨年の参院選の折、安倍首相が礒崎陽輔氏の応援のために大分入りしました。ウソだらけの演説を終えて、帰るかと思いきや取り巻きの応援団とハイタッチを始めたのです。私はその中に紛れ込み首相が近づくのを待っていました。

                           

                           

                           

                          そして彼と目が合った瞬間、「安倍晋三、ウソつくな!」と私は叫びました。まさに魂の叫びだったのです、なんちゃって。見も知らぬ田舎者のオッサンから、50センチの至近距離で、一番聞きたくないセリフを吐かれ、安倍晋三氏の顔はひきつっていました。

                           

                           

                           

                          山本太郎氏なら、その場で立ち止まり「私をウソつきと呼ぶ根拠を教えて下さい」と反問したことでしょう。しかし、安倍晋三氏にそれを期待しても無駄です。彼は官僚が書いた原稿がなければ、自分の言葉でしゃべれない人間ですから。以来、私から「ウソつき!」と呼ばれたことがトラウマになり、野党議員から言われる前に「ウソつき!」の先制攻撃をするようになりましたとさ・・・

                           

                           

                           

                          自分の言葉でしゃべれない人間の末路はかくも哀れです。おそらく、私の想像ですが、安倍首相は秘書官兼補佐官である今井尚哉氏の存在なくしてはもはや何も決められないようです。いまの彼を支えているのは今井尚哉氏の次の一言です。去年の11月のブログから引用します。

                           

                           

                           

                          今井「総理は日本の最高権力者なのですよ。その意味がお分かりですか。絶対に辞めないと決心すれば、総理を権力の座から引き摺り下ろすことのできる人間はいないのです。権力者の最大の弱点は弱気になることです。

                           

                           

                          三権分立など絵にかいた餅に過ぎません。人事権を掌握すれば、総理に逆らえる人間はいません。森友・加計問題でもお分かりでしょう。検察も裁判所も総理の意向を気にして、政権に弓を引くような捜査も出来ませんし判決も書けません。官僚は自分の地位を守るためなら公文書でさえも偽造するのです。

                           

                           

                          メディア対策は任せて下さい。彼らの弱点はすべて調べ尽くしています。彼らほど権力のいいなりになる連中はいません。『桜を見る会』も来年中止にすれば、国民は忘れます。スピン報道として中村格に沢尻エリカの情報を公にさせれば、マスコミは一斉にそれに飛びつくでしょう。それに、経団連の名誉会長をしている叔父の今井敬がホテル・ニューオータニの取締役ですから、この件はどうにでもなります。叔父と会う段取りはつけています。」

                           

                           

                          安倍「今ちゃん、スゴ〜イ。あったまいい〜。」

                          引用終わり。

                           

                           

                          『感想または身辺雑記』

                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=615

                           

                           

                          そして、ついに安倍首相は禁じ手を出してきました。自分を逮捕する権限をもっている検察人事に手を突っ込んだのです。東京高検の黒川弘務検事長(62)の定年延長を閣議決定しました。黒川氏は安倍政権下で不起訴の連続の中枢にいた人物です。黒川氏が検察トップの検事総長に就けば、安倍首相は枕を高くして眠れるというものです。まるで中世の悪代官を地で行くストーリーです。

                           

                           

                           

                          これは法治国家の破壊行為に他なりません。法治国家の反対が「人治国家」(つまり安倍政権が作り上げた国家のことです)であることすら知らない人間が総理大臣をやっているのですから、何でもありを覚悟しなければなりません。日本は押しも押されもせぬ三流国家になったということです。ゴーン氏が逃亡するのも無理はありません。

                           

                           

                           

                          郷原信郎弁護士によれば、東京高検検事長の定年延長は、法律の根拠がなく違法だそうです。この人事は、「試合で負けそうな流れになってきたから審判を買収する」という脱法を白昼堂々とやっていることを可視化したのです。

                           

                           

                           

                          森法相は国会で「管内で遂行している重大複雑な捜査公判に対応するため、私からお願いした。これ以上の詳細は差し控える」と発言しました。ゴーン氏が逃亡した際「日本の法廷で無罪を証明すべきだ」と言い放った無知な法務大臣ですから、露骨な安倍政権擁護に走ることは明らかです。

                           

                           

                           

                          それとも、森法相の言う「管内で遂行している重大複雑な捜査」とは、IRの汚職捜査や河井夫妻の件を立件し、総理の脱法・買収を徹底的に捜査し、逮捕する準備を粛々と進めていることを指すのでしょうか。

                           

                           

                           

                          今回の黒川氏を検事総長にするための人事ほど安倍政権の本質を可視化して見せた例は他に思い出せません。2013年8月、「法の番人」と呼ばれる内閣法制局長官に、内部昇格という慣例を破って憲法解釈の変更に前向きな外務省出身者・小松一郎氏を起用した時以上の衝撃です。

                           

                           

                           

                          可視化して見せたといっても、新聞もテレビも裁判所も検察もすべて安倍政権の支配下に置かれ、忖度と保身の結果盲目になったのですから、「王様は裸だ!」と叫ぶことも不可能になったというわけです。

                           

                           

                          もし、黒川弘務氏が「この人事は、将来に禍根を残すばかりか三権分立を破壊するものだ。日本を三流国家に貶める人事に従うわけにはいかない。」と言い残し、法の定めに従って退職したらどうでしょう。日本が独裁国家に転落することを防いだ人物として歴史に名を残すかもしれません。しかし、太陽が西から昇ることがあったとしてもそれはないでしょう。そういうふうに教育されているからです。

                           

                           

                           

                          最後に一言。安倍首相の知識不足(「募集」と「募る」は別の意味だそうです。これは知識不足というより、まともな教育を受けていないということでしょうね)、言動が乱暴かつ下品で子供じみていること、非論理的で何を言っているのか分からない等々、普通であればマイナス材料であるべき部分が、逆に安倍首相を支持する理由になっているのではないか。つまり、それが選挙に行かない過半数の有権者のメンタリティーなのではないかと考えると、思い当たる節があるので、なんだか怖くなってきますね。

                           

                           

                           

                          今回も読んで頂いた方に感謝いたします。黒川氏については2016年のブログですでに書いています。時間が許せばお読みください。

                           

                          『空洞化した人格』

                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=219

                           

                          | 政治 | 15:19 | comments(0) | - |
                          私たちはいつまでサルが運転するバスに乗り続けるのか?
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                            昨日は伊方原発運転差し止め訴訟(本訴)の第15回口頭弁論を傍聴するために大分地裁へ行ってきました。キューバから帰国したばかりの疾風自由日記のSさんとも会うことができました。

                             

                             

                             

                            アメリカに逆らい、ソ連という後ろ盾を失ったキューバの現状にショックを受けたとのことです。人間は結局自分の経済的利益のためにしか生きられない存在なのだろうか、とSさんは小声でつぶやいていました。夕方から塾があるので、時間的余裕がなく、地裁を後にしましたが、またいつか続きを話したいものです。

                             

                             

                             

                            口頭弁論では原告の女性の意見陳述を聞きました。彼女は1950年代生まれの、杵築で農業を営んでいる女性です。陳述書を読み上げる声は、淡々としていますが、自分の中からあふれ出た正直な気持ちが伝わる素晴らしい内容でした。

                             

                             

                             

                            原発はテクノロジーの問題でも、経済活動の問題でもなく、ましてや法解釈の問題でもない。私たちの過去、現在、そして子供たちに残すべき未来を破壊するものである。それを許すのかという、今を生きる私たちに突きつけられている倫理の問題である、と彼女は訴えたのです。

                             

                             

                             

                            3・11以降、原発事故から10日余りしかたっていない時に、ドイツのメルケル首相は「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」を設置し、そこで議論を重ね、脱原発に舵を切りました。この倫理委員会は「賢人会議」と呼ばれています。17人の委員のうち、原子力業界の関係者はおらず、社会学者や哲学者、キリスト教関係者らなどから構成されていました。彼我の思想的レベル(つまり個人と国家とを問わず、いかに生きるべきかと問い続けること)の違いに私は茫然自失したのです。

                             

                             

                             

                            このことは4年前に書いています。時間が許せばどうぞお読み下さい。

                             

                             

                            『倫理を排除したつけは、誰が払うのか。』

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=156

                             

                             

                             

                            意見陳述の後、弁護士の徳田靖之氏が準備書面を読み上げました。今年に入って四国電力が犯した重大なミス、つまり定期点検中に制御棒を引き抜いたこと、および全電源喪失に陥るという信じがたいミスに言及して四国電力を追及したのです。そして、広島高裁の伊方原発の運転停止を命じる仮処分の正当性について述べました。

                             

                             

                             

                            徳田靖之弁護士も指摘している通り、伊方原発ではここ一カ月の間に小さな事故が続いています。いや、制御棒の引き抜きも全電源喪失も小さな事故ではありません。航空機事故でもよく言われることですが、重大事故の前には小さなミスが頻発します。小事故の頻発は大事故の前兆である場合が多いのです。地震や津波に気をとられていると、人為的なミスを過小評価するようになります。

                             

                             

                             

                            それが証拠に、電力会社は決まって放射能漏れはなかったと言い、マスコミはそれを調べもせずにそのまま報道しています。そもそも、マスコミは以下の事実を国民に周知したでしょうか。

                             

                             

                             

                            福島第一原発事故の後、2012年10月に国は避難政策を公表しました。その「原子力災害対策指針」には何と書かれているか。

                             

                             

                             

                            「地上に設置したモニタリングポスト(MP=線量計)が高い数値を示したら、避難を開始する」と書かれていたのです。地上のMPが高い数値を示しているということは、すでにそこに高濃度の放射性物質のプルーム(雲)が到達していることを意味します。そうなれば当然、周囲の住民も放射性物質を浴びて被曝しているはずです。私はこれを読んで愕然としました。事故の際、国は国民を見捨てる、と宣言しているのですから。そして、『原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練である。』を書きました。

                             

                             

                            『原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練である。』

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=109

                             

                             

                             

                            そもそも、原発事故で放出された放射性物質を浴びないために、住民は避難するはずです。「被曝してから、避難するかどうか決めましょう」という新指針の内容は、どう考えてもおかしい。しかもその裏で、放射性プルームが流れる方角を予想するために100億円以上の予算をかけて作られた「スピーディー」をお蔵入りにしたのです。しかし、私の知る範囲では、新聞・TVなどマスコミや学識者はそれを批判どころか、指摘すらしていません。

                             

                             

                             

                            原発は国民の命よりも金儲け(経済と言います)を優先する財界(原子力ムラと言います)の反倫理性を象徴するものです。いや、その意向を受けて地獄行きのバスを運転するサルをいまだに支持する国民のバカさ加減を象徴しているのです。国会で意味不明のサル語をしゃべる一人物が主役を演じることができるようにしているのは、国民なのです。

                             

                             

                             

                            住民の命や暮らしなどなんとも思っていない、いや、そもそもそういった感情を育てられていないサルがこの国の至るところに生息しているのです。国民を分断させるのか、ですって?分断けっこう。私は「サル」とは暮らせない器量の小さい人間なのです。でも、ニワトリとは暮らせます、なんちゃって。

                             

                             

                             

                            以下、サルの具体例をお目にかけましょう。

                             

                            佐賀 玄海町長 約100万円受け取る 福井県の原発関連会社から

                            2020年1月23日

                             

                            https://www3.nhk.or.jp/news/html/

                            20200123/k10012256511000.html

                             

                            もうお忘れかと思いますが、以下の本もぜひお読みください。

                             

                             

                             

                             

                            | 原発 | 14:59 | comments(0) | - |
                            「とある塾ウオッチャー」さんへ。
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                              コメントありがとうございます。私は学習空間Lの塾長(彼もあなたと同じ塾ウオッチャーでした)にも、塾業界にも関心がありません。塾をやっているのに塾業界に関心がないというのは奇妙に聞こえるかもしれませんが、この業界で流通している情報の陳腐さと無内容さに辟易しているからです。塾ウオッチャーさんが発信している内容も、20年以上前にすでに書いています。

                               

                               

                               

                              そこで使われる言葉も、つまるところ「効率」と「便利さ」という二つの範疇に収まります。なんという語彙の貧困でしょうか。学ぶということは、既成のシステムの外で自分固有の語彙を発見することです。今この業界で働いている人は、AIとスマホを使わずに学力をつける方法など想像すらできないでしょう。

                               

                               

                               

                              なぜなら、「子育て」が「教育」になり、「教育」が「受験教育」になり、ついには「アプリの使い方」といった「脳育」(受験産業はこの種の語彙を発信し、それに違和感を持つ人を淘汰していくのです)に収斂して行ったからです。

                               

                               

                               

                              つまり子育てが技術的な問題になったということです。そして「技術的な問題」を解決するには、家庭の経済力がものを言うというわけです。その意味で萩生田大臣の「身の丈に合った」受験とは、まさにこの実体を見事に言い当てていたのです。

                               

                               

                               

                              そんな中で、私が関心を持ち続けて来たテーマは、「親は子育ての楽しさをどこまで受験産業に売り渡すのか、言い換えれば、あだ花に過ぎない受験イデオロギーをどこまで信じるのか」という点です。クズ情報でも受験に役立つと言われればそれを信じてしまう愚かさ、リテラシーのなさを何とかできないかと考えたのです。

                               

                               

                               

                              例えば、「一流大学に合格させる子供部屋の作り方」「リビングに大きなテーブルを置いてそこで勉強させる」といった類のものですが、こういった情報を流す出版社のバカさ加減もさることながら、それにコロリと騙されて生活の全てを受験に向けて規制していく親の精神的な貧困をどうにかできないかと考えたのです。「佐藤ママ」を批判したのはこういった流れの中でした。

                               

                               

                               

                              私が塾を始めた時、影響を受けた塾教師がいます。次回のブログで「佐藤ママ」の対極にいるその人物をとりあげるつもりです。そのことで、私が「佐藤ママ」を批判する根本の動機を明らかにしていくつもりです。それは善き社会を作るのに役立つはずです。

                               

                               

                               

                              社会が驚くほど単純な物差し(結果がすべてといったような)で人間を測るようになれば、人間はまるでヤドカリのように身の丈をモノサシに合わせるようになるのも事実です。「佐藤ママ」は、「優秀なヤドカリ」に過ぎません。彼女の子育てには普遍性がありません。カルト化した受験教育がもたらした特異な事例に過ぎないのです。

                               

                               

                              | 教育 | 23:25 | comments(0) | - |
                              「子供の頃にもっと勉強させてもらいたかった大人」さんへ。
                              0

                                私の記事

                                 

                                『名もなき一教師さんへ』

                                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=512

                                 

                                に対してコメントを頂きました。ありがとうございます。コメントの内容は以下の通りです。

                                 

                                 

                                 

                                「言いたいことは分からなくはありません。
                                ただ私は、子供時代の時間や記憶を全て失ってもいいから、今は医師免許が欲しいです。

                                大学受験までの18年間と比べると、その後の人生はあまりにも長いですから。
                                大学受験までの18年間と比べると、同じ苦労であってもその後の苦労の方がはるかに苦痛を感じますから。

                                佐藤家の子供達と同様に、あなたも遊びたいのに漢字ドリルの宿題を嫌嫌やらされてかげがえのない子供時代を奪われた結果、漢字の沢山入ったその文章を楽に書けるようになってかげがえのない大人時代を手に入れたんではないんですか?


                                豊かな子供時代を失っても豊かなな大人時代を得ることの方が幸せという考えの元あなたも漢字ドリルやらされてたわけですが、それってそんなにおかしな考え方なのでしょうか?」以上。

                                 

                                 

                                 

                                あなたは医師になることを目指しているようですが、大丈夫でしょうか。文章を読む限り、根本的な思考力や判断力を欠いているようです。おそらく私の「佐藤ママ」批判を読んで、納得できなかったのでしょう。以下は私の感想です。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                >言いたいことは分からなくはありません。

                                 

                                 

                                「分からなくはありません」という言い方の中には、納得できなかったのに分かったふりをしようとする苦しさが現れています。しかし、あなたは私の主張を全く分かっていません。

                                 


                                 

                                >私は、子供時代の時間や記憶を全て失ってもいいから、今は医師免許が欲しいです。

                                 

                                 

                                「子供時代の時間や記憶を全て失ってもいいから」というのは、人格が空洞化してもいいからという意味ですが、そうまでして医師免許を取りたい理由は何なのでしょうか。小難しいことをあれこれ言わずに、とにかく医師になりたいのだという切羽詰まった決意を述べているのですね。

                                 

                                 

                                 

                                >大学受験までの18年間と比べると、その後の人生はあまりにも長いですから。
                                大学受験までの18年間と比べると、同じ苦労であってもその後の苦労の方がはるかに苦痛を感じますから。


                                 

                                この部分はつまり、実社会に出てからの「苦労の方がはるかに苦痛を感じますから」大学受験までの18年間の苦労など取るに足りない、自分を受験サイボーグに仕立て上げる佐藤ママのような人がむしろいてほしかったとおっしゃりたいのでしょう。でもこの考えだと、あなたの人生は「苦痛」の連続ということになって、気の毒に思えます。念願の医師になれば苦労も多いでしょうが、喜びも多いのではないでしょうか。それとも医師を安定した高給の職業と見なしているだけなのでしょうか。

                                 

                                 

                                 

                                >佐藤家の子供達と同様に、あなたも遊びたいのに漢字ドリルの宿題を嫌嫌やらされてかげがえのない子供時代を奪われた結果、漢字の沢山入ったその文章を楽に書けるようになってかげがえのない大人時代を手に入れたんではないんですか?

                                 

                                 

                                正直に言いますが、この部分を読んで少し笑ってしまいました。あなたは生まじめで不器用だけど良い人なんじゃないかと思いました。私のことを「遊びたいのに漢字ドリルの宿題を嫌嫌やらされてかげがえのない子供時代を奪われた」というのはあなたの妄想です。

                                 

                                 

                                 

                                私は遊びたい時は徹底的に遊んでいました。それは本能のようなものです。「漢字ドリルの宿題を嫌嫌やらされ」たことなど一度もありません。喜んでやったこともありませんが。そもそも私の中では学校の比重は限りなく軽く小さなものだったのです。夏休みが終わって新学期が始まる前日「夏の友」を急いで仕上げるようなことをしていました。子供が自由にできる時間と空間がたっぷりあったということです。

                                 

                                 

                                 

                                そんなふまじめな子供だったので、辺境塾教師にしかなれませんでしたが、とても幸せな人生を送っています。

                                 

                                 

                                 

                                >豊かな子供時代を失っても豊かな大人時代を得ることの方が幸せという考えの元あなたも漢字ドリルやらされてたわけですが、それってそんなにおかしな考え方なのでしょうか?

                                 

                                 

                                漢字ドリルにこだわるあなたのことが何だか好きになってきました。医師としてやっていけるか心配だと言ったのは、このくだりを読んだからです。あなたは「知的」な仕事についている人は皆自分と同じような体験をしているだろうという前提で話をしています。でもこれは危ないですよ。それに塾教師なんて知的な仕事でも何でもありません。たまたま塾教師をしている私が知的だっということです、なんちゃって。

                                 

                                 

                                 

                                私は、「豊かな子供時代を失っても豊かな大人時代を得ることの方が幸せという考え」とは正反対の考えを持っています。豊かな子供時代を失えば、豊かな大人時代を「得る」(この言葉には違和感があります)ことはできない。それどころか社会に悪影響を及ぼすだろうと考えています。ユダヤ人を大量虐殺したヒトラーの子供時代を知っているのでこう判断しています。「子供時代」などと簡単に言いますが、その実体は震えが来るほど恐ろしいものです。

                                 

                                 

                                 

                                あなたは、私のこのブログ記事だけを読んで、事実を妄想的に思い描いたのですね。他の記事を読んで頂ければ、私がずぼらで、運よく生きて来た人間だということが分かると思います。一人として同じ人間はいません。めでたく医師になった暁には、どうか患者さんひとりひとりが抱えている事実と向き合って貰いたいと願うばかりです。

                                 

                                 

                                 

                                話は変わりますが、以前『ビリギャル本の詐欺性について』を読んで体験授業を受けに来た女子高校生がいました。授業後話をして、愕然としました。自分もビリギャルと同じく英語を武器にして慶応大学SFCに受かりたいので協力してほしいというではありませんか。「学年ビリのギャル」「偏差値40から」なるキャッチコピーに引っ掛かったのです。上記の記事はビリギャルとその母親、それを利用して一儲けをたくらむ出版社と塾教師を批判したものですが、それがまったく通じていないのです。

                                 

                                 

                                 

                                今回の医師志望の方も同様です。そもそも、子育ては、佐藤ママのように効率や費用対効果や将来性を考えて行うものなんでしょうか?私は子育てが面白くて仕方なかったので「こんなチャンスはもう二度とないかも」と言いながら、妻と心行くまで楽しみました。子供の通知表など中学まで見たこともありませんでした。

                                 

                                 

                                 

                                親の子育てや教育に対する考えは、議論してどうこうなるものではないようです。最初から波長が合う人もいれば、いくら話し合っても話が通じない相手もいます。「佐藤ママ」はそういう人の代表です。何というか生理的に受けつけないのです。

                                 

                                 

                                 

                                話が通じない原因は片方の親が子育てに権力関係を持ちこむからです。権力関係とは言うことをきかせる対象として子供を見ることです。これは産業社会ではもっぱら男親が担っていました。子供の将来のことを考えて、社会的な評価基準や行動原理を教えるわけです。父権といった懐かしい言葉もありました。当時は専業主婦が多かったのですが、母親は社会の権力関係に疎かったために父親に反論できずに、屈服していたのです。「佐藤ママ」は今では少数派の専業主婦であり、時代遅れの「父権」の体現者なのです。

                                 

                                 

                                 

                                屈服で思い出しましたが、学校における「いじめ」は特定の生徒を「孤立化」させ、次に「無力化」させます。この段階ではしばしば暴力がふるわれます。そして「いじめ」が第三者に見えなくなる「透明化」の段階を経て、相手を全面的に服従させます。

                                 

                                 

                                 

                                「いじめ」は意識的に行われるのではなく、学校という目的なき雑居集団の中で子供たちが生き延びるために無意識的に行われます。その無意識に、実は家庭の中の権力関係(集団が生き延びるために生み出した匿名のシステムの本質)が反映されているのではないかというのが私の仮説です。

                                 

                                 

                                 

                                長くなるので終わりにします。私の考えが「子供の頃にもっと勉強させてもらいたかった大人」さんに伝わったかどうか分かりません。でも今の私の考えを正直に述べました。

                                 

                                 

                                 

                                そして最後に言いたいことがあります。「子供の頃にもっと勉強させてもらいたかった」などと甘ったれたことを言うんじゃない!今から勉強すればいい。人生はいくらでもやり直しがきく。あらかじめ立てたスケジュール通りの人生なんて成功でも何でもない。あなたは偶然がもたらす豊かさにもっと気づくべきです。

                                 

                                 

                                | 教育 | 21:26 | comments(0) | - |
                                伊方原発3号機止まる!
                                0

                                  あ〜伊方、伊方、などとしょうもないダジャレを飛ばしている場合ではありません。なにはともあれ、次なる巨大地震がスタンバイしている状況下では、日本中のすべての原発を止めておくべきです。そして再稼働を許してはなりません。小学生でもわかることです。

                                   

                                   

                                   

                                  なるほど社会を変えるのは大変なことかもしれません。しかし、緊急避難的には簡単な方法があります。政権を替えればいいんです。裁判で言えば仮処分です。そのためには国民が賢くならなければなりません。まず投票に行く。次に投票すべきでない人には投票しない。これだけで世の中はがらりと変わります。世の中なんてどうせ変わるわけないと思っている人は、そう思わせられているだけです

                                   

                                   

                                   

                                  コスプレで叫んでいるこの方は、小学生以下ですから、言っても無駄です。何が国民民主党でしょうか。コスプレの下には原発再稼働を推し進める自由民主党という文字が透けて見えています。

                                   

                                   

                                   

                                  財界の皆さん、いや原子力ムラの皆さん、原発再稼働は任せて下さい!そのために議員になったのですから・・・

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  何としても原発を動かすぞーって、誰の代表なんだ。国民の命よりも、議員でいることが大事なのか。

                                   

                                   

                                   

                                  子供たちや、子供たちの子供のことを考えれば、握手なんかできるわけがない。山本太郎の爪の垢でも煎じて飲んだらどうか。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  以下、毎日新聞の記事から引用します。

                                   

                                   

                                  「四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転禁止を求めて、50キロ圏内に住む山口県東部の三つの島の住民3人が申し立てた仮処分の即時抗告審で広島高裁(森一岳裁判長)は17日、運転を差し止める決定をした。

                                  今回の抗告審で、森裁判長は199月に審尋を開き、住民側と四国電力にプレゼンテーション形式で主張を説明するよう求めた。この際、65歳での定年退官を控えた201月中に決定を出したいと伝えたという。」

                                   

                                   

                                   

                                  森一岳裁判長の定年退官発令予定日は今月の25日だそうです。 定年のわずか1週間前の決定だったのです。しかしこの際文句は言いません。私はあの小泉純一郎氏の反原発の姿勢をすら評価したくらいですから。うちの奥方様はそれが不満らしく、「あなたは人を見る目がない。総理大臣をやめた後ならなんとでも言えるわよ。総理をしている時に言わなきゃ。騙されていたなんて、総理大臣失格よ。」と未だに呆れています。

                                   

                                   

                                   

                                  とまれ、目と鼻の先にある伊方原発が止まるということは、ネトウヨの皆さんも含めて、すべての日本人にとって僥倖なのです。

                                   

                                   

                                   

                                  | 原発 | 16:20 | comments(0) | - |
                                  二十歳になった皆さんへ。
                                  0

                                    二十歳になった皆さんへ贈る言葉は一つだけです。匿名のシステムから脱出する勇気を持とうということです。匿名のシステムとは、簡単に言うと「現実」のことです。「現実を見ろ」「立場を考えろ」と言われたりしますが、その言葉の意味は、考えるのをやめて匿名のシステムに順応しろということです。

                                     

                                     

                                     

                                    現実とは個人の中にある集団への志向が作りだした共同幻想にすぎません。それは集団が生き延びるために考え出されたものです。もちろんそれは僕たちが生きるために必要です。現実は僕たちが生きる場所ですから、生きるためにはまずそれに適応しなければなりません。

                                     

                                     

                                     

                                    しかし、誰にとっても同じ現実など存在しません。それは共同幻想ですから、よく観察するとあちこちに隙間のある多層空間だとわかります。いたるところに自分らしく生きることができる隙間があるのです。

                                     

                                     

                                     

                                    考えるということは、そういった空間を発見し、創造することです。現実から逃走するのではなく、それを前提にして、自分の人生を生きるためのもう一つ別の場所を作ることです。ブログを書いてきたたった一つの目的は、それを伝えるためだったのです。

                                     

                                     

                                     

                                    人間も鳥たちと同じように自分の巣を作ることができます。まだ見ぬ他者の巣から届く便りこそが、生きるために必要な意思の伝達なのです。あなたが創造した巣から発信される便りは、必ずやまだ見ぬ他者に勇気を与えるはずです。

                                     

                                     

                                     

                                    実は今日1月12日、ブログを書く気になったのは、この国の副総理兼財務大臣である麻生太郎氏が新成人に宛てた言葉を読んだからです。

                                     

                                     

                                     

                                    「皆さんがた、もし今後、万引きでパクられたら名前が出る。少年院じゃ済まねえぞ。間違いなく。姓名がきちっと出て「20歳」と書かれる。それだけはぜひ頭に入れて、自分の行動にそれだけ責任が伴うということを、嫌でも世間から知らしめられることになる。それが二十歳だ。(12日、福岡県直方市での成人式来賓あいさつで)」(朝日新聞より)

                                     

                                    これが日本という国の要職にいる大臣が新成人に宛てた言葉だろうかと我が目を疑いました。

                                     

                                     

                                     

                                    今の政治の惨状を変えるのは、「デモするやつの頭って、ウジがわいてるんじゃねえの」と言ったホリエモンのような旧い世代の人間の発想(民主主義は多数決といったような)ではなく、自分の生きる空間を日々発見し創造している人間たちです。民主主義社会を作ろうとする人たちにとって、デモは憲法でも認められている当然の権利なのです。

                                     

                                    1月12日、新宿。現実にからめとられていない人たちのデモは楽しそうです。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    良いプラカードですね。私の気持ちを代弁しています。

                                     

                                     

                                     

                                    | 文学・哲学・思想 | 01:26 | comments(0) | - |
                                    トップがアホでもええじゃないか!株価が上がればええじゃないか!
                                    0

                                      中3生対象の冬期講習会も終わりほっとしています。総仕上げのこの時期は、授業もレベルが高くなり、問題も難しくなりますが、逆に言えば勉強が面白くなってくる時期でもあるのです。

                                       

                                       

                                       

                                      数学・英語・国語を教えていますが、最終日は数学の問題2問に2時間半かけました。過去問や市販の問題集にとらわれず、一歩一歩足場を固めながら勇気をもって問題を解き進めることを学んでもらいました。自由な発想がどこまで有効か、自分を信じることができるかが問われる問題でした。これから入試までの60日間は最も学び甲斐のある時期です。

                                       

                                       

                                       

                                      1月5日は模試でした。このクラスの子供たちはユーモアを理解しています。アイロニーや反語も分かるのです。試験前、注意事項を述べます。

                                       

                                       

                                       

                                      私「カンニングはしないように。カンニングはどこでするんですか?」


                                      生徒たち「学校!」

                                       

                                       

                                      返事が笑いとともに間髪を入れずに返ってきます。そして今日から新学期です。私立の入試を皮切りに、いよいよ試験シーズンに入っていきますが、ユーモアの精神を忘れなければ緊張することもないでしょう。

                                       

                                       

                                      画像は模擬試験が終わった後、ニワトリと遊ぶ生徒たちです。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      それに引き換え、ピーマン総理の頭はいよいよ壊れ始めています。私はこれほど他者意識のない大人にお目にかかったことがありません。自分の言葉をもたない、ということは、この国の最高責任者として判断を下せないということを意味します。あわわわ・・・どころではありません。トップがピーマンでもええじゃないか、株価が上がればええじゃないか、と経団連と国民の皆さんは考えているのでしょうか。

                                       

                                       

                                       

                                      具体例を挙げましょう。


                                      ピーマン総理は4日、千葉県袖ケ浦市のゴルフ場でイラン革命防衛隊の司令官を米軍が殺害したことに関し、記者団から受け止めを問われたにもかかわらず言及を避けたとのことです。

                                       

                                       

                                       

                                      はあ?総理大臣は何のためにいるのか!言及を避けたのではなくて、原稿がなければ喋れないのです。ところが同じ4日、トランプ米大統領はツイッターで、革命防衛隊精鋭部隊の司令官殺害にイランが報復した場合、イランの重要施設を含む52カ所を短時間で攻撃し「大きな打撃を与える」と警告しました。【ワシントン共同】

                                       

                                       

                                       

                                      にもかかわらず、ピーマン総理は6日、三重県伊勢市で年頭記者会見に臨み、既に決定している海上自衛隊の中東派遣について方針に変更はないと述べました。同時に「現状を深く憂慮している。全ての関係者に外交努力を尽くすことを求める」と訴えたとのことです。

                                       

                                       

                                       

                                      出ました!中身スカスカのピーマン作文。「現状を深く憂慮している。全ての関係者に外交努力を尽くすことを求める」って、「僕は何にも分からないからね。トランプ大統領に丸投げしてるんだもの。とにかく総理大臣を続けられればいいんだよ。万が一戦争になった時は、いよいよ自衛隊の最高指揮官として軍隊を動かせるんだから。楽しみ〜」という意味でしょうね。あわわわ・・・どころじゃありません。このままこのピーマン男に総理を続けさせていいんでしょうか?

                                       

                                       

                                       

                                      憲法改正については「国民の声は、憲法改正を前に進めよということ。自民党が先頭に立ち、国民的議論を高める中で、憲法改正の歩みを一歩一歩、着実に進めていく。」「憲法改正を私自身の手で成し遂げていく考えには全く揺らぎはない」と明言しました。ちなみに「憲法改正を前に進めよ」というのが「国民の声」だそうですが、どうやら私は「非国民」扱いされているようです。

                                       

                                       

                                       

                                       ピーマン総理は、新年早々、憲法を蹂躙すると明言しているのですが、日本国憲法99条を知らないんでしょうね。

                                      「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(日本国憲法99条)

                                       

                                       


                                      もっとも、ピーマン総理にしてみれば、現行憲法は「みっともない憲法」だそうですから、憲法にしばられるいわれはないと思い込んでいるのでしょう。そんな人間に限って「法治国家」を連呼するのです。「法治主義」の反対語を知らなかったのですから無理もありません。はっきり言いますが、こんな発言をする総理大臣を許す国民が多数派ならこの国は立憲主義の国ではありません。

                                       

                                       

                                       

                                      もう終わりにします。


                                      アメリカは、9・11テロの後、なんの関係もないイラクに言いがかりをつけて侵攻、統治機構を崩壊させました。アメリカではその失政の後始末が延々と続いているのです。

                                       

                                       

                                       

                                      他方、日本はアメリカに戦後処理をまかせ、敗戦の責任を自分たちの手で追及しなかったつけが回って来ているのです。しかも、日本を敗戦に導いた勢力の正体が3・11の原発事故で明らかになったにも関わらず、マスコミを味方につけ、またぞろ大日本帝国の復権を画策しているのが現政権だというわけです。

                                       

                                       

                                       

                                      ピーマン総理が使うのは「声なき声を聴く」作戦です。バカバカしいくらい単純ですが、この声なき声がある臨界点を超えれば、誰にも止めることはできません。声なき声が膨れ上がることほど恐ろしいことはない。私たちが声を上げないと権力は何でも自分の都合のいいように解釈し、実行するからです。同じ過ちを繰り返したくなければ、ひとりひとりが声を上げるしかありません。他に方法はないのです。

                                       

                                       

                                      | 政治 | 14:16 | comments(0) | - |
                                      最高のクリスマスプレゼント。
                                      0

                                        昨年の12月25日、と言っても一週間前なのですが、都内に住む一高校生のお母さんからコメントを頂きました。その時は気づきませんでしたが、クリスマスの日でした。冬期講習中で時間がなく、ゆっくり返事ができませんでした。その時、来年の元旦に返事を書こうと思いついたのです。その元旦も残すところ2時間となりました。

                                         

                                         

                                         

                                        息子さんは都内の進学校に通う高校2年生だそうです。

                                        コメントによると、激しい中学入試を勝ち抜いた後、高校に進学したころからひどい無気力に陥ってしまい、学校も休みがちになり、仲の良かった友達とも疎遠になっていたそうです。

                                         



                                        鬱になってこのまま学校をやめてしまうのではないかと心配する親御さんの気持ちはよくわかります。ところが、半年ほど前から、見違えるように元気になり、猛烈な勢いで勉強を始めたとのことです。

                                         

                                         

                                         

                                        「息子は先生のブログを読んだのがきっかけで、将来の目標を見つけたのです。それが何なのかは今はまだ話してくれませんが、とても好ましい影響を受けているのが分かります。今は毎日を前向きに目標をもって勉学に励んでおります。」とのことです。

                                         

                                         

                                         

                                        そして「息子は先生が推薦している本を10冊以上読み、時々私たちに熱を込めて語ってくれます。そういう日々が戻って来たことを心よりうれしく思っております。」と書かれていました。

                                         

                                         

                                         

                                        鬱になりかけていた息子さんが、「見違えるように元気になり、猛烈な勢いで勉強を始め」た。これほどうれしいことはありません。これこそが、塾教師として常に目標としていることだからです。ブログは息子さんが元気になるきっかけに過ぎなかったのだと思います。

                                         

                                         

                                         

                                        なぜなら、息子さん自身が「別に鬱になりかけていたわけではない。立ち直ったなどと勝手な言い方はやめてほしい」と言っています。私は「男子三日会わざれば刮目してみよ」という言葉を思い出しました。ひとことで言えば、三日あれば人は変わるという意味です。私はこの言葉を信じられなくなった時が塾教師をやめる時だと思っています。

                                         

                                         

                                         

                                        今回コメントを頂き、長い間塾教師をやって来てよかったと感激しています。たとえ一人でも、無気力に沈んでいた若者が元気になったのです。私にとっては、最高のクリスマスプレゼントでした。ありがとうございました。そしてこの一年が素晴らしい年になりますように。

                                         

                                         

                                        | 身辺雑記 | 21:56 | comments(0) | - |
                                        2020年、山本太郎はチェ・ゲバラになる。
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                                          悲劇を悲劇だと認識せず、喜劇的なオブラートで現実を覆い隠すお笑いと大本営発表を垂れ流すマスメディアによって、2019年もいよいよ幕が下ろされようとしています。

                                           

                                           

                                           

                                          私はと言えば、相も変わらず、金さえ出せば商品としての受験情報やテクニックが手に入ると考える生徒や親御さんを横目に見ながら、そういった予定調和の世界に子供たちを送り出すことに抵抗してきました。今の社会に適応しようとすればするほど、どこかで精神に変調をきたすだろうという予感があるからです。

                                           

                                           

                                           

                                          中高生といえども、知的なトレーニングを積み重ね自分で価値判断を下せる人間になることが人生を切り開く唯一のカギになると私は信じています。そんな塾教師のもとに子供たちを通わせて下さった保護者の皆様には感謝のしようもありません。

                                           

                                           

                                           

                                          塾教師の仕事は生徒を少しでも上位の学校に効率的かつ最小の費用で合格させることだと思われています。しかし、そういった発想は社会的共通資本であるはずの公教育を破壊し、そこで働く教師の意識をまるで有能な塾・予備校講師のそれに塗り替えてしまいました。公立中学校の校長が○○高校に何名合格させたなどと自慢げに吹聴するようになったのです。

                                           

                                           

                                           

                                          公教育の教師が、権威主義的・差別主義的レイシストたる塾教師や、巧妙な成りすましと自画自賛で出身大学を吹聴する学歴コンプレックスに囚われた塾教師と同列になったということです。

                                           

                                           

                                           

                                          もはや打つ手はありません。十分な予算と教員の数を確保し、一人の教師が5〜6人の生徒を看ることができるローテーションを組まない限り、教師の知的レベルは下がる一方で、教師のなり手もいなくなるでしょう。

                                           

                                           

                                           

                                          社会の階層分化が進めば、高校や大学は言うまでもなく、小学校や中学までが本質的には受験予備校・就職予備校として評価されるようになります。人々が教育の内容ではなく、どこの大学に何名合格させたかといったような「実績」で高校を評価すればするほど、この傾向は強まります。毎年春になると、『週刊朝日』や『サンデー毎日』が高校別大学合格者数を年中行事のごとく報じるのもこの傾向を当然のものにしています。

                                           

                                           

                                           

                                          そういった資本主義的予定調和の世界(官僚と原子力ムラ、そして日本語の読み書きすらまともにできない学歴コンプレックスのかたまりである政治家が価値を創造し、それを内面化することを要求する世界)に子供たちを送り出すことに私は価値を見出すことができません。

                                           

                                           

                                           

                                          理由の第一は、その世界に所属している人間たちの立居振る舞いや、言葉や顔が下品すぎるからです。人格を喪失した人間は同じ表情になり陰翳を失くしていきます。

                                           

                                          夫婦は似て来ると言いますが、この政治家夫婦はその内面が顔に余すところなく現れています。それとも似ていると思うのは私だけでしょうか。

                                           

                                          河井克行前法相、河井案里参院議員

                                           

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          第二に、彼らは前提を疑う能力を放棄しているので(そうしなければ、予定調和の世界の住人になれません)社会や他人から吹き込まれた価値を平気で撒き散らし、他者とくに若者を傷つけます。

                                           

                                          言うまでもなく、世界をよりよき場所にするためには前提を疑う必要があります。しかし、すでに予定調和の世界に生きている人間は、既得権益を守ろうとするばかりではなく、自分の信じている価値観を疑うことができないため、前提を疑う人間を生理的に嫌悪するようになるのです。

                                           

                                           

                                           

                                          さて、こんな自明の分析を述べたところでどうなるものでもありません。そこで、2020年がどんな年になるか予想して今年のブログを締めくくりたいと思います。

                                           

                                           

                                           

                                          年が改まったからと言って、今年の日本社会の動きと来年の動きが断絶するわけではないので、それを前提に私の予感のようなものを述べます。ひとことで言えば、予定調和の世界にひびが入り、激動の年になる予感がしています。その予感を今回のタイトル『2020年、山本太郎はチェ・ゲバラになる。』にしました。どうぞ笑い飛ばして下さい。

                                           

                                           

                                          参考記事:

                                          Ecce homo!(この人を見よ!)チェ・ゲバラ』

                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=417

                                           

                                           

                                          もう終わりにします。今年一年、何の益もない小難しいブログをお読み頂いた方に心よりお礼申し上げます。どうか来年が皆様にとりまして幸せな一年になりますように!

                                           

                                           

                                          | この人を見よ! | 15:08 | comments(0) | - |
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