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地球家族―世界30か国のふつうの暮らし (JUGEMレビュー »)
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村 好文
中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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伊方原発3号機止まる!
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    あ〜伊方、伊方、などとしょうもないダジャレを飛ばしている場合ではありません。なにはともあれ、次なる巨大地震がスタンバイしている状況下では、日本中のすべての原発を止めておくべきです。そして再稼働を許してはなりません。小学生でもわかることです。

     

     

     

    なるほど社会を変えるのは大変なことかもしれません。しかし、緊急避難的には簡単な方法があります。政権を替えればいいんです。裁判で言えば仮処分です。そのためには国民が賢くならなければなりません。まず投票に行く。次に投票すべきでない人には投票しない。これだけで世の中はがらりと変わります。世の中なんてどうせ変わるわけないと思っている人は、そう思わせられているだけです

     

     

     

    コスプレで叫んでいるこの方は、小学生以下ですから、言っても無駄です。何が国民民主党でしょうか。コスプレの下には原発再稼働を推し進める自由民主党という文字が透けて見えています。

     

     

     

    財界の皆さん、いや原子力ムラの皆さん、原発再稼働は任せて下さい!そのために議員になったのですから・・・

     

     

     

     

    何としても原発を動かすぞーって、誰の代表なんだ。国民の命よりも、議員でいることが大事なのか。

     

     

     

    子供たちや、子供たちの子供のことを考えれば、握手なんかできるわけがない。山本太郎の爪の垢でも煎じて飲んだらどうか。

     

     

     

     

    以下、毎日新聞の記事から引用します。

     

     

    「四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転禁止を求めて、50キロ圏内に住む山口県東部の三つの島の住民3人が申し立てた仮処分の即時抗告審で広島高裁(森一岳裁判長)は17日、運転を差し止める決定をした。

    今回の抗告審で、森裁判長は199月に審尋を開き、住民側と四国電力にプレゼンテーション形式で主張を説明するよう求めた。この際、65歳での定年退官を控えた201月中に決定を出したいと伝えたという。」

     

     

     

    森一岳裁判長の定年退官発令予定日は今月の25日だそうです。 定年のわずか1週間前の決定だったのです。しかしこの際文句は言いません。私はあの小泉純一郎氏の反原発の姿勢をすら評価したくらいですから。うちの奥方様はそれが不満らしく、「あなたは人を見る目がない。総理大臣をやめた後ならなんとでも言えるわよ。総理をしている時に言わなきゃ。騙されていたなんて、総理大臣失格よ。」と未だに呆れています。

     

     

     

    とまれ、目と鼻の先にある伊方原発が止まるということは、ネトウヨの皆さんも含めて、すべての日本人にとって僥倖なのです。

     

     

     

    | 原発 | 16:20 | comments(0) | - |
    二十歳になった皆さんへ。
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      二十歳になった皆さんへ贈る言葉は一つだけです。匿名のシステムから脱出する勇気を持とうということです。匿名のシステムとは、簡単に言うと「現実」のことです。「現実を見ろ」「立場を考えろ」と言われたりしますが、その言葉の意味は、考えるのをやめて匿名のシステムに順応しろということです。

       

       

       

      現実とは個人の中にある集団への志向が作りだした共同幻想にすぎません。それは集団が生き延びるために考え出されたものです。もちろんそれは僕たちが生きるために必要です。現実は僕たちが生きる場所ですから、生きるためにはまずそれに適応しなければなりません。

       

       

       

      しかし、誰にとっても同じ現実など存在しません。それは共同幻想ですから、よく観察するとあちこちに隙間のある多層空間だとわかります。いたるところに自分らしく生きることができる隙間があるのです。

       

       

       

      考えるということは、そういった空間を発見し、創造することです。現実から逃走するのではなく、それを前提にして、自分の人生を生きるためのもう一つ別の場所を作ることです。ブログを書いてきたたった一つの目的は、それを伝えるためだったのです。

       

       

       

      人間も鳥たちと同じように自分の巣を作ることができます。まだ見ぬ他者の巣から届く便りこそが、生きるために必要な意思の伝達なのです。あなたが創造した巣から発信される便りは、必ずやまだ見ぬ他者に勇気を与えるはずです。

       

       

       

      実は今日1月12日、ブログを書く気になったのは、この国の副総理兼財務大臣である麻生太郎氏が新成人に宛てた言葉を読んだからです。

       

       

       

      「皆さんがた、もし今後、万引きでパクられたら名前が出る。少年院じゃ済まねえぞ。間違いなく。姓名がきちっと出て「20歳」と書かれる。それだけはぜひ頭に入れて、自分の行動にそれだけ責任が伴うということを、嫌でも世間から知らしめられることになる。それが二十歳だ。(12日、福岡県直方市での成人式来賓あいさつで)」(朝日新聞より)

       

      これが日本という国の要職にいる大臣が新成人に宛てた言葉だろうかと我が目を疑いました。

       

       

       

      今の政治の惨状を変えるのは、「デモするやつの頭って、ウジがわいてるんじゃねえの」と言ったホリエモンのような旧い世代の人間の発想(民主主義は多数決といったような)ではなく、自分の生きる空間を日々発見し創造している人間たちです。民主主義社会を作ろうとする人たちにとって、デモは憲法でも認められている当然の権利なのです。

       

      1月12日、新宿。現実にからめとられていない人たちのデモは楽しそうです。

       

       

       

       

       

       

      良いプラカードですね。私の気持ちを代弁しています。

       

       

       

      | 文学・哲学・思想 | 01:26 | comments(0) | - |
      トップがアホでもええじゃないか!株価が上がればええじゃないか!
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        中3生対象の冬期講習会も終わりほっとしています。総仕上げのこの時期は、授業もレベルが高くなり、問題も難しくなりますが、逆に言えば勉強が面白くなってくる時期でもあるのです。

         

         

         

        数学・英語・国語を教えていますが、最終日は数学の問題2問に2時間半かけました。過去問や市販の問題集にとらわれず、一歩一歩足場を固めながら勇気をもって問題を解き進めることを学んでもらいました。自由な発想がどこまで有効か、自分を信じることができるかが問われる問題でした。これから入試までの60日間は最も学び甲斐のある時期です。

         

         

         

        1月5日は模試でした。このクラスの子供たちはユーモアを理解しています。アイロニーや反語も分かるのです。試験前、注意事項を述べます。

         

         

         

        私「カンニングはしないように。カンニングはどこでするんですか?」


        生徒たち「学校!」

         

         

        返事が笑いとともに間髪を入れずに返ってきます。そして今日から新学期です。私立の入試を皮切りに、いよいよ試験シーズンに入っていきますが、ユーモアの精神を忘れなければ緊張することもないでしょう。

         

         

        画像は模擬試験が終わった後、ニワトリと遊ぶ生徒たちです。

         

         

         

         

         

         

        それに引き換え、ピーマン総理の頭はいよいよ壊れ始めています。私はこれほど他者意識のない大人にお目にかかったことがありません。自分の言葉をもたない、ということは、この国の最高責任者として判断を下せないということを意味します。あわわわ・・・どころではありません。トップがピーマンでもええじゃないか、株価が上がればええじゃないか、と経団連と国民の皆さんは考えているのでしょうか。

         

         

         

        具体例を挙げましょう。


        ピーマン総理は4日、千葉県袖ケ浦市のゴルフ場でイラン革命防衛隊の司令官を米軍が殺害したことに関し、記者団から受け止めを問われたにもかかわらず言及を避けたとのことです。

         

         

         

        はあ?総理大臣は何のためにいるのか!言及を避けたのではなくて、原稿がなければ喋れないのです。ところが同じ4日、トランプ米大統領はツイッターで、革命防衛隊精鋭部隊の司令官殺害にイランが報復した場合、イランの重要施設を含む52カ所を短時間で攻撃し「大きな打撃を与える」と警告しました。【ワシントン共同】

         

         

         

        にもかかわらず、ピーマン総理は6日、三重県伊勢市で年頭記者会見に臨み、既に決定している海上自衛隊の中東派遣について方針に変更はないと述べました。同時に「現状を深く憂慮している。全ての関係者に外交努力を尽くすことを求める」と訴えたとのことです。

         

         

         

        出ました!中身スカスカのピーマン作文。「現状を深く憂慮している。全ての関係者に外交努力を尽くすことを求める」って、「僕は何にも分からないからね。トランプ大統領に丸投げしてるんだもの。とにかく総理大臣を続けられればいいんだよ。万が一戦争になった時は、いよいよ自衛隊の最高指揮官として軍隊を動かせるんだから。楽しみ〜」という意味でしょうね。あわわわ・・・どころじゃありません。このままこのピーマン男に総理を続けさせていいんでしょうか?

         

         

         

        憲法改正については「国民の声は、憲法改正を前に進めよということ。自民党が先頭に立ち、国民的議論を高める中で、憲法改正の歩みを一歩一歩、着実に進めていく。」「憲法改正を私自身の手で成し遂げていく考えには全く揺らぎはない」と明言しました。ちなみに「憲法改正を前に進めよ」というのが「国民の声」だそうですが、どうやら私は「非国民」扱いされているようです。

         

         

         

         ピーマン総理は、新年早々、憲法を蹂躙すると明言しているのですが、日本国憲法99条を知らないんでしょうね。

        「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」(日本国憲法99条)

         

         


        もっとも、ピーマン総理にしてみれば、現行憲法は「みっともない憲法」だそうですから、憲法にしばられるいわれはないと思い込んでいるのでしょう。そんな人間に限って「法治国家」を連呼するのです。「法治主義」の反対語を知らなかったのですから無理もありません。はっきり言いますが、こんな発言をする総理大臣を許す国民が多数派ならこの国は立憲主義の国ではありません。

         

         

         

        もう終わりにします。


        アメリカは、9・11テロの後、なんの関係もないイラクに言いがかりをつけて侵攻、統治機構を崩壊させました。アメリカではその失政の後始末が延々と続いているのです。

         

         

         

        他方、日本はアメリカに戦後処理をまかせ、敗戦の責任を自分たちの手で追及しなかったつけが回って来ているのです。しかも、日本を敗戦に導いた勢力の正体が3・11の原発事故で明らかになったにも関わらず、マスコミを味方につけ、またぞろ大日本帝国の復権を画策しているのが現政権だというわけです。

         

         

         

        ピーマン総理が使うのは「声なき声を聴く」作戦です。バカバカしいくらい単純ですが、この声なき声がある臨界点を超えれば、誰にも止めることはできません。声なき声が膨れ上がることほど恐ろしいことはない。私たちが声を上げないと権力は何でも自分の都合のいいように解釈し、実行するからです。同じ過ちを繰り返したくなければ、ひとりひとりが声を上げるしかありません。他に方法はないのです。

         

         

        | 政治 | 14:16 | comments(0) | - |
        最高のクリスマスプレゼント。
        0

          昨年の12月25日、と言っても一週間前なのですが、都内に住む一高校生のお母さんからコメントを頂きました。その時は気づきませんでしたが、クリスマスの日でした。冬期講習中で時間がなく、ゆっくり返事ができませんでした。その時、来年の元旦に返事を書こうと思いついたのです。その元旦も残すところ2時間となりました。

           

           

           

          息子さんは都内の進学校に通う高校2年生だそうです。

          コメントによると、激しい中学入試を勝ち抜いた後、高校に進学したころからひどい無気力に陥ってしまい、学校も休みがちになり、仲の良かった友達とも疎遠になっていたそうです。

           



          鬱になってこのまま学校をやめてしまうのではないかと心配する親御さんの気持ちはよくわかります。ところが、半年ほど前から、見違えるように元気になり、猛烈な勢いで勉強を始めたとのことです。

           

           

           

          「息子は先生のブログを読んだのがきっかけで、将来の目標を見つけたのです。それが何なのかは今はまだ話してくれませんが、とても好ましい影響を受けているのが分かります。今は毎日を前向きに目標をもって勉学に励んでおります。」とのことです。

           

           

           

          そして「息子は先生が推薦している本を10冊以上読み、時々私たちに熱を込めて語ってくれます。そういう日々が戻って来たことを心よりうれしく思っております。」と書かれていました。

           

           

           

          鬱になりかけていた息子さんが、「見違えるように元気になり、猛烈な勢いで勉強を始め」た。これほどうれしいことはありません。これこそが、塾教師として常に目標としていることだからです。ブログは息子さんが元気になるきっかけに過ぎなかったのだと思います。

           

           

           

          なぜなら、息子さん自身が「別に鬱になりかけていたわけではない。立ち直ったなどと勝手な言い方はやめてほしい」と言っています。私は「男子三日会わざれば刮目してみよ」という言葉を思い出しました。ひとことで言えば、三日あれば人は変わるという意味です。私はこの言葉を信じられなくなった時が塾教師をやめる時だと思っています。

           

           

           

          今回コメントを頂き、長い間塾教師をやって来てよかったと感激しています。たとえ一人でも、無気力に沈んでいた若者が元気になったのです。私にとっては、最高のクリスマスプレゼントでした。ありがとうございました。そしてこの一年が素晴らしい年になりますように。

           

           

          | 身辺雑記 | 21:56 | comments(0) | - |
          2020年、山本太郎はチェ・ゲバラになる。
          0

            悲劇を悲劇だと認識せず、喜劇的なオブラートで現実を覆い隠すお笑いと大本営発表を垂れ流すマスメディアによって、2019年もいよいよ幕が下ろされようとしています。

             

             

             

            私はと言えば、相も変わらず、金さえ出せば商品としての受験情報やテクニックが手に入ると考える生徒や親御さんを横目に見ながら、そういった予定調和の世界に子供たちを送り出すことに抵抗してきました。今の社会に適応しようとすればするほど、どこかで精神に変調をきたすだろうという予感があるからです。

             

             

             

            中高生といえども、知的なトレーニングを積み重ね自分で価値判断を下せる人間になることが人生を切り開く唯一のカギになると私は信じています。そんな塾教師のもとに子供たちを通わせて下さった保護者の皆様には感謝のしようもありません。

             

             

             

            塾教師の仕事は生徒を少しでも上位の学校に効率的かつ最小の費用で合格させることだと思われています。しかし、そういった発想は社会的共通資本であるはずの公教育を破壊し、そこで働く教師の意識をまるで有能な塾・予備校講師のそれに塗り替えてしまいました。公立中学校の校長が○○高校に何名合格させたなどと自慢げに吹聴するようになったのです。

             

             

             

            公教育の教師が、権威主義的・差別主義的レイシストたる塾教師や、巧妙な成りすましと自画自賛で出身大学を吹聴する学歴コンプレックスに囚われた塾教師と同列になったということです。

             

             

             

            もはや打つ手はありません。十分な予算と教員の数を確保し、一人の教師が5〜6人の生徒を看ることができるローテーションを組まない限り、教師の知的レベルは下がる一方で、教師のなり手もいなくなるでしょう。

             

             

             

            社会の階層分化が進めば、高校や大学は言うまでもなく、小学校や中学までが本質的には受験予備校・就職予備校として評価されるようになります。人々が教育の内容ではなく、どこの大学に何名合格させたかといったような「実績」で高校を評価すればするほど、この傾向は強まります。毎年春になると、『週刊朝日』や『サンデー毎日』が高校別大学合格者数を年中行事のごとく報じるのもこの傾向を当然のものにしています。

             

             

             

            そういった資本主義的予定調和の世界(官僚と原子力ムラ、そして日本語の読み書きすらまともにできない学歴コンプレックスのかたまりである政治家が価値を創造し、それを内面化することを要求する世界)に子供たちを送り出すことに私は価値を見出すことができません。

             

             

             

            理由の第一は、その世界に所属している人間たちの立居振る舞いや、言葉や顔が下品すぎるからです。人格を喪失した人間は同じ表情になり陰翳を失くしていきます。

             

            夫婦は似て来ると言いますが、この政治家夫婦はその内面が顔に余すところなく現れています。それとも似ていると思うのは私だけでしょうか。

             

            河井克行前法相、河井案里参院議員

             

             

             

             

             

            第二に、彼らは前提を疑う能力を放棄しているので(そうしなければ、予定調和の世界の住人になれません)社会や他人から吹き込まれた価値を平気で撒き散らし、他者とくに若者を傷つけます。

             

            言うまでもなく、世界をよりよき場所にするためには前提を疑う必要があります。しかし、すでに予定調和の世界に生きている人間は、既得権益を守ろうとするばかりではなく、自分の信じている価値観を疑うことができないため、前提を疑う人間を生理的に嫌悪するようになるのです。

             

             

             

            さて、こんな自明の分析を述べたところでどうなるものでもありません。そこで、2020年がどんな年になるか予想して今年のブログを締めくくりたいと思います。

             

             

             

            年が改まったからと言って、今年の日本社会の動きと来年の動きが断絶するわけではないので、それを前提に私の予感のようなものを述べます。ひとことで言えば、予定調和の世界にひびが入り、激動の年になる予感がしています。その予感を今回のタイトル『2020年、山本太郎はチェ・ゲバラになる。』にしました。どうぞ笑い飛ばして下さい。

             

             

            参考記事:

            Ecce homo!(この人を見よ!)チェ・ゲバラ』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=417

             

             

            もう終わりにします。今年一年、何の益もない小難しいブログをお読み頂いた方に心よりお礼申し上げます。どうか来年が皆様にとりまして幸せな一年になりますように!

             

             

            | この人を見よ! | 15:08 | comments(0) | - |
            「言語に絶するものは、囁き声で広まっていく。」
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              今回のタイトルは、オーストリアの詩人、インゲボルグ・バッハマンのことばです。TBSの元ワシントン支局長でジャーナリストの山口敬之にレイプされた伊藤詩織さんは、バッハマンの言葉を実感しているはずです。彼女の記者会見を見てそう感じました。

               

               

               

              自分の身に何が起きたのか理解できないほどの暴力と屈辱を受けた人間は、自分自身だけでなく世界とどう関わっていけばいいのか見当もつかず、二重の意味で人間性をはく奪され、沈黙を余儀なくされるのです。加害者は被害者の沈黙を望み、犯罪の痕跡を消し去ろうとします。山口敬之というクズは、安倍政権の中枢に事件の隠ぺいを依頼したのです。

               

               

               

              しかし、詩織さん勝訴の判決が出た今になっても朝日新聞やTBSはこの事件の本質を報道していません。詩織さんの実名を報道しただけです。毎日新聞だけが山口敬之を実名入りで報道しました。毎日新聞は首相との会食を拒否してからようやく目が覚めたようです。

               

               

               

              それに対して、朝日新聞は山口敬之の伊藤詩織さんに対する行為が民事では不法行為とされたのに、刑事では不起訴とされた理由として、「性犯罪に関する法が不備」とか「刑事と民事で立証の困難さが違う」とかもっともらしいことを言っています。しかし、刑事で不起訴とされたのは、検察が官邸官僚の支配下にあるからです。

               

               

               

              地方の辺境のそのまた辺境に住む、私のようなボケかけた塾教師ですら、この事件が権力犯罪であることくらいわかるのです。それが分からないということは、朝日新聞のトップは私以上にボケたのでしょうね。そういえば、今から5年以上前に安倍晋三を『災厄の犬』と書き、その本質は『ヤクザの友情』であり、『ジャーナリズムの黄昏』がそれを放置していると書いたっけなあ・・・

               

               

               

              TBSの元ワシントン支局長でジャーナリストを名乗る山口敬之のような言語に絶する人間のクズたちについてこの上一体何を書けるでしょうか。詩織さんに対し「女として落ち度がある」と発言した杉田水脈議員や百田尚樹、「枕営業失敗」と称するイラストを描いて揶揄したはすみとしこをはじめ、クズの周りにはクズしか集まらないのです。なにせ安倍と菅という希代のクズが「反社会勢力の皆さん」と官僚の中のクズをピックアップして作ったのが現政権なのですから。

               

               

               

              このレイプ事件については2年以上前にブログに書いています。あなたが権力犯罪の被害者になりたくなければ、ぜひ一読をすすめます。

               

              『2017年、人非人を国のトップに据えている日本』

              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=380

               

              『女性をモノと考えている男たち、そして真夜中のギター』

              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=377

               

              | 政治 | 13:43 | comments(0) | - |
              奇跡のような無垢な心で人を愛せるか。
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                奇跡のように人を愛することができるのは青春の一時期をおいてないような気がします。そして、無垢な心をもって全身全霊で人を愛しているときの表情やしぐさほど、私を幸福にするものはありません。おそらく、無垢な心は過ぎ去った時代と二度と帰らぬ青春を刻印しているからです。

                 

                 

                 

                以下のCMをご覧ください。牧瀬里穂の心の底からの笑顔は、スマホもLINEもない時代の奇跡のような笑顔です。60歳を過ぎた私が、このCMを見ると泣けてくるのです。ああ、自分の中にもあのような感情があったのだと思い当たり、哀惜の情の切なさで心が一杯になるからです。

                 

                 

                 

                 

                以下はこのCMについての秀逸な分析です。牧瀬里穂が持っていたプレゼントの中身は何だったのでしょう。その答えを知りたい方は以下をお読みください。

                 

                https://note.com/pato_numeri/n/na01d6800ba12

                 

                 

                | 身辺雑記 | 00:18 | comments(0) | - |
                ニワトリの飼育から見えるこの国の将来。
                0

                  わが家のニワトリは元気そのものです。例のおいちゃんや近所の人が見に来て「よう肥えちょんなあ。運動するけんじゃろう。卵が美味しいはずじゃわ」と言ってくれます。

                   

                   

                  今日も元気なニワトリたち。6羽いるのにニワトリ、なんちゃって。

                   

                   

                   

                   

                   

                  毎朝起きるとまずニワトリ小屋に行き、フンの掃除をし、水を換えます。生き物を飼うのはそれなりに大変です。でも楽しいルーティンワークですね。近所の人から頂いた白菜や大根葉を小さく切り、糠と混ぜます。それに牡蠣殻など(カルシウムの補給です)を砕いたものを飼料と混ぜて与えます。

                   

                   

                  最近、放し飼いにする場所をさらに広くして、ニワトリが思う存分運動できるようにしました。餌をやるために近づくと、6羽が一斉に寄ってきます。中には私が手に持った容器の高さまで飛び上がるニワトリもいます。餌をやったスキに小屋に入り、産卵箱を見ると、見事な卵が6個並んでいます。自然の摂理に感謝する瞬間です。

                   

                   

                   

                  ニワトリの餌や飼育方法を調べてわかったことは、この国の後進性、すなわち国民の命が脅かされるのを放置しているということです。すべてを金銭に換算し、効率を追求すれば食の安全など絵にかいた餅になるのは目に見えています。スローフードやマクロビオティック(簡単に言うと「長い大きな視野で生命を見ること」です)が取り上げられるのも、それが当たり前ではないからです。

                   

                   

                   

                  実は、高度経済成長の陰で失われたものこそが、まさに「長い大きな視野で生命を見ること」だったのです。その結末が3・11の福島第一原子力発電所の事故でした。私が山本太郎氏を応援するのは、彼のヴィジョンが高度経済成長の負の側面を繰りこみ、3・11を思想的な起点としてこの国を変えようとしているからです。

                   

                   

                   

                  山本太郎氏が街頭記者会見で話す内容は、回を追うごとにアップグレードしています。今やこの国を救えるのは彼しかいないと私は確信するようになりました。前回も触れましたが、彼は「桜を見る会」よりもTPPや日米貿易協定(FTA)について以前から問題点を指摘し続けていたのです。

                   

                   

                   

                  しかし、11月15日、衆院外務委員会は日米貿易協定の承認案を可決しました。自民、立憲民主、国民民主の国対委員長が段取りを決め、衆院本会議で採決し、ついに来年の1月1日発効が確定しました。

                   

                   

                   

                  審議らしい審議もせず、協定の中身や国民生活への影響などほぼ国民には知らせないままです。ほとんどの国会議員は協定の中身を知りません。ただ来年11月に大統領選挙を控えるトランプ氏の事情を忖度しただけです。山本太郎氏が問題にするのは当然ではありませんか。

                   

                   

                   

                  トランプ氏は大統領就任直後の2017年1月に12カ国による環太平洋経済連携協定(TPP)を離脱し、アメリカ側の要求を呑ませやすい二国間の日米FTA(自由貿易協定)交渉に切り変えたのです。

                   

                   

                   

                  関税削減・撤廃によって安いアメリカの農産品や加工品が入ってくることで日本国内の畜産・酪農、果樹農家や加工品製造業者などへの打撃は必至です。食料自給率は2018年に37%にまで下落しており、今後さらに低下するでしょう。つまり日本は異例の食料の輸入依存国になるのです。

                   

                   

                   

                  もはや他人に頼ってはいられません。私はできるだけ食糧を自給しようと考えています。ニワトリを飼い始めたのもその一つです。以下の記事をぜひ参考にして下さい。

                   

                   

                  日本人だけが知らない「食用卵」のアブない実態 ヨーロッパならほとんど「違法レベル」(現代ビジネス)
                  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54355

                   

                   

                  | 身辺雑記 | 18:54 | comments(0) | - |
                  「山本太郎は偽善者」さんへ。
                  0

                    原則としてコメントは公開する方針なので、頂いたコメントを読み、そのまま承認しました。しかし、今となっては後悔しています。なぜか?私には山本太郎氏ほどの度量がないからです。

                     

                     

                     

                    今年の10月28日、山本太郎氏が大分市で街頭記者会見を開きました。その時、山本氏に向かって「あなたは偽善者だよ!」と叫ぶ人がいました。私はその場にいましたが、その人に対して山本太郎氏は「私を偽善者とおっしゃる根拠を教えて下さい」と呼びかけ、何とか議論に持ち込もうとしていました。その姿を見て立派だと思いました。

                     

                     

                     

                    その時の記事です。よかったらお読みください。

                     

                    『自壊する野党 vs 山本太郎』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=611

                     

                     

                     

                    今コメント主さんに返事を書こうと思ってパソコンに向かっていますが、言葉が出てきません。山本太郎氏に「あなたは偽善者だよ!」と叫んだ人は、結局議論することなく、渡されたマイクを地面に叩きつけました。文面からするとあなたも同種の人間のようです。

                     

                     

                     

                    私は山本太郎氏を6年前から応援しています。彼のおかげで政治に絶望せずにいられるとも書きました。したがって、コメント主さんへの反論は、少しでも山本太郎氏の応援になればと思って書くことにします。ただし、手短に。

                     

                     

                     

                    「山本太郎は偽善者」さんから頂いたコメントは以下の通りです。

                     

                     

                    >愚かな国民よ、オリンピックに浮かれている場合か!いい加減目を覚ませ!

                     

                    一体どこまで上から目線なのですか?そんなに自己アピールしたいのですか?「愚かな国民よ」ですか?自分を何様だと思っているのでしょうか。「いい加減目を覚ませ!」はあなたに投げ返したいです。桜を見る会の追及に明け暮れるしかない野党や、その尻馬に乗ってさわぐ山本太郎や国民には「いい加減目を覚ませ!」と言うべきです。もっと重要な問題があったはずです。(以上)

                     

                     

                     

                     以下は私の反論です。

                     

                    :人のことを上から目線だの、自己アピールだのと感じるのはあなたの勝手ですが、これでは何の批判にもなっていません。でもこのレベルの批判をする人がほとんどです。あなたは私の過去記事を読んだことがないのでしょう。何度も言いますが、自分の印象や偏見を投げつけるだけでは批判になりません。批判は常に具体的事実に基づいてするべきです。

                     

                     

                    現に、山本太郎氏は「誰かの尻馬に乗ってさわぐ」ようなことを一度もしていません。自分の目で見て、感じたことをもとに、そして3・11以降、他の政治家の誰よりも勉強しています。なぜなら、彼の武器は言葉以外にないからです。理想の審判者を信じているのです。桜を見る会については「有権者の買収だ」と言っているだけで、日米FTAの問題点を熱を込めて語っています。彼のように暴漢に襲われる危険を冒してまで全国各地を回って市民からの質問に答えている政治家が他にいますか。

                     

                     

                    匿名の陰に隠れて、こんな紋切型のコメントをしても、多少のうっぷん晴らしになるかもしれませんが、それだけのことです。安倍首相のヤジのレベルそのものです。あなたは恥を知るべきです。

                     

                     

                     

                    :「愚かな国民よ」は、私がそう判断しているというだけのことです。私は自分のことを何様だとも思っていません。教育の末端のそのまた末端に位置する一人の塾教師として、安倍政権をずっと批判してきました。それは少しでも住みやすい国を後の世代に残すためです。いずれ私の言うことなど忘れ去られ、雲散霧消していくのです。自己アピールの虚しさは、あなたが一番よく知っているのではありませんか。

                     

                     

                     

                    私は安倍政権の行動様式はヤクザそのもので、日本会議や神道政治連盟を背景とする大日本帝国の精神構造をひきずって空威張りするアナクロに過ぎないと思っています。それに共感する百田尚樹を始めとするおバカな売文家や自称ジャーナリストが売名のために魂を売り渡しているのです。

                     

                     

                     

                    選挙のたびに、安倍政権を倒すチャンスを与えられながら、約半数の有権者は選挙にも行かないのです。これが「愚かな国民」でなくてなんでしょう。民主化を求めて80万人がデモをする香港との落差にめまいすら覚えます。あなたは日本は民主主義社会なのでその必要はないと思っているのでしょうね。

                     

                     

                     

                    :「桜を見る会を追及するよりももっと重要な問題がある」とは辛坊治郎や自称ジャーナリストの木村太郎の言葉の受け売りですね。昨日の会見で安倍首相は「私自身の責任で招待基準を明確化」すると言いました。絶句するほかありません。事実を見れば、彼は公選法違反、政治資金規正法違反の犯罪容疑者です。だからこそ国会審議を拒否しているのです。

                     

                     

                     

                    わかりやすいたとえで説明しましょう。サッカーの試合中、選手がボールを手で持ち、味方の選手にパスしたとします。これは明確な反則ですね。ラグビーじゃないのですから。試合を成立させるためには、まずレフェリーが笛を吹き試合をストップさせなければなりません。物事には順序というものがあります。

                     

                     

                     

                    ところが、反則したチームの責任者が、レフェリーに対して今のは反則ではない、映像もないので検証できない、したがって「私自身の責任でルールを明確化」すると言い出したらどうしますか。桜を見る会の問題はそういうことです。

                     

                     

                     

                    もっと重要な問題がある」というのは論点をそらすための屁理屈です。あなたは無批判に辛坊治郎や木村太郎の言い分を垂れ流しているに過ぎません。彼らはさも中立であるかのごとく見せかけて野党批判をしていますが、やっていることは犯罪者の隠蔽なのです。したがって、私に言わせれば、あなたも犯罪者の仲間だということになります。以上。

                     

                     

                    | 政治 | 00:17 | comments(0) | - |
                    アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
                    0

                      アラユルコトヲ
                      ジブンヲカンジョウニ入レズニ
                      ヨクミキキシワカリ
                      ソシテワスレズ

                       

                       

                       

                      これは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中の一節です。中村哲医師が殺害されて脳裏に浮かんだのがこの一節でした。「人間と人間の違いは、人間と犬の違いより大きい」と言ったのはパスカルだったと思います。安倍晋三と中村哲医師の人間の格の違いを見せつけられました。

                       

                       

                       

                      以下は「ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレ」ないための私家版「雨ニモマケズ」です。

                       

                       

                      アラユルコトヲ ジブンダイイチニカンガヘ、

                       

                      コクミンノゼイキンデ ナカマニノミクイサセ、

                       

                      カンリョウニ コウブンショヲハキ・カイザンサセ、

                       

                      ケンポウカイセイハクチダケデ、

                       

                      ナニヨリモ権力ノ座ニイルコトガジュウヨウデ、

                       

                      イツモ下品ナヤジヲトバシ、

                       

                      東ニ原発ヲウゴカシタイトイフヒトアレバ 行ッテマカセナサイトイイ、

                       

                      南ニツカレタ母子アレバ同情スルフリヲシ、

                       

                      西ニ囚ワレノジャーナリストアレバ 自己責任ダトイッテミゴロシニシ

                       

                      ヒトリノトキハナク、イツモナカマトゴルフヲシ、

                       

                      大学マデツクッテヤリ、

                       

                      ミンナニデクノボートヨバレルコトヲナニヨリモオソレ、


                      母親ニホメラレルコトヲナニヨリモノゾミ、


                      苦ニサレルコトヲナニヨリモコワガル、


                      サウイフモノニボクチャンハナリタイ


                       

                      | 文学・哲学・思想 | 22:55 | comments(0) | - |
                      中村哲医師を悼む。
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                        死に対する想像力がない人間は、生に対する想像力も欠いています。この逆もしかりです。真に知性ある人間はこの両方を常に射程に入れ、自分が何のためにこの世に生を受けたのかを常に自問自答しているものです。

                         

                         

                         

                        以前ブログで取り上げた中村哲医師が、昨日12月4日、何者かに襲撃されて殺されました。彼は今回の事態を予期していたに違いありません。昆虫少年に過ぎなかった幼い魂が、宣教師の覚悟をもって、文化も言語も気候も食べ物も全く違う異国の地に行こうと決心するまでの、その内面で展開された劇を想像して、私はただ祈らずにはいられませんでした。

                         

                         

                         

                        中村氏は「自分は好きで勝手なことをしているので、家族には迷惑をかけたくない」と周囲に話していたといいます。妻の尚子さんは報道陣の取材に「いつも家にいてほしかったが、本人はこの仕事にかけていた。いつもサラッと帰ってきては、またサラッと出かけていく感じでした。こういうことはいつかありうるとは思っていたが、本当に悲しいばかりです」と話したそうです。

                         

                         

                         

                        「好きで勝手なことをしている」という言い方は、おそらく「中村医師は偉いね」という無神経な褒め言葉に対する批判を含んでいます。自分の仕事が現地の人々の命を救い、平和な社会の実現に役立っていることが大事で、外部からの評価など取るに足らないと思っていたはずです。それがこの言葉の意味だと思います。

                         

                         

                         

                        3年前に書いた過去記事をお読み頂けると嬉しいです。

                         

                         

                        『中村哲氏に国民栄誉賞を!』

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=235

                         

                         

                         

                        一方で、わが国の中枢では、幼児並みの判断力しか持たない精神の未発達な大人たちが、好き勝手なことをしています。それを官僚だけでなくメディアの幹部や財界が支えています。彼らはしょせん同質集団に過ぎません。同じような学歴、年収、アメリカ経由の情報といったタコつぼの中に閉じ込められ、現実に向き合う能力を喪失してしまったのです。

                         

                         

                         

                        東大卒のエリート官僚なのに、なぜそうまでしてピーマン頭の安倍晋三の言いなりになって尻拭いをしなければならないのか、そんなに天下り先や出世が大事なのか、という批判があるようです。しかし、この批判は全くの的外れです。

                         

                         

                         

                        東大卒のエリート官僚なのにではなく、東大卒のエリート官僚だからです。3・11以降も原発を再稼働させる判断を、彼らは屁理屈をつけて正当化します。再稼働しなければならない経済的な理由がさもあるかのようにみせかけるのが彼らの仕事です。それを本気で信じているのですから、確信犯というより単なるバカなのです。そのバカさ加減を、権力によって覆い隠すために、バカな政治家を利用するのです。こうしてわが国の中枢はバカだらけになったというわけです。

                         

                         

                         

                        この国を実質的に動かしてきたのは「優秀な」官僚たちです。彼らは選挙で選ばれていません。私たち国民が「なのに」ではなく「だから」なのだと気づいて行動しない限り、第二のフクシマどころかこの国の破滅は避けられません。次なる巨大地震がスタンバイしているのですから。残された時間は少ない!愚かな国民よ、オリンピックに浮かれている場合か!いい加減目を覚ませ!

                         

                         

                        | 政治 | 15:50 | comments(1) | - |
                        大橋巨泉氏の英語力。
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                          前回のブログで大橋巨泉氏を取り上げました。その多才ぶりは多くの人の知るところです。今回は氏の英語力について書きます。中高生の皆さんの参考になると思いますので、頑張って読んで下さい。

                           

                           

                           

                          まず、「学校英語」なるものがあるのかどうかわかりませんが、ここでは単純に日本の公立中・高等学校の授業で出会うものとしておきます。私の個人的な経験から言えば、平板で、没個性的で、退屈なものでした。それは文化から切り離された選別のための暗記と抽象的な記号操作であり、一部の地域でだけ通用する通貨のようなものだと言えば言い過ぎでしょうか。

                           

                           

                           

                          しかも、「学校英語」の長いトンネルをくぐりぬけた先に待っているものは、世界を相対的に見る能力ではなく、今の日本で出世するのに役立ちそうな功利的な考え方です。文科省の打ち出す政策は、ことごとくこの線に沿ったもので、もはやその破綻は誰の目にも明らかです。

                           

                           

                           

                          それに対して、巨泉氏の英語は「学校英語」を支えているイデオロギーから最も遠いものでした。つまり、学校で勉強しただけでは身につかない自在さと楽しさ、奥の深さを持っていたのです。

                           

                           

                           

                          彼は、より自由に生きるために英語を使いこなし、世界各国で生活していました。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカで暮らし、そこで商売を立ち上げ成功したのも氏の人間性を物語っています。

                           

                           

                           

                          では彼の英語力の秘密はどこにあったのでしょうか。それこそが、ジャズ評論家としてのキャリアだったのです。彼はジャズの歌詞を何千曲も英語でそらんじることができました。

                           

                           

                          中高生が見本にすべきは、氏のような自由闊達で柔軟な発想を持った英語の使い手であり、真の平和主義者です。残念なことに、大橋巨泉氏は今から3年前、2016年7月12日に他界しました。

                           

                           

                           

                          彼の英語力を物語るエピソードをもう一つ挙げます。女優の竹下景子さんが追悼文の中で書いています。

                           

                           

                          「ハワイの別荘に家族で伺った際、英英辞書を片手に真剣にアメフトの実況中継をご覧になっていた姿が今も浮かんで来ます。あんなに英語が堪能なのに巨泉さんは辞書と首っ引きでした。不断の努力家の一面を垣間見ました」と。

                           

                           

                          巨泉氏が不断の努力家であることに異論はありません。しかし、誤解してならないのは、アメフトのアナウンサーの実況は速射砲のような英語だということです。アメフトの実況中にテレビ画面を見ながら英英辞典が引けるということ自体が氏の英語力を証明しています。

                           

                           

                           

                          英語力と言えば日本人はすぐTOEICの点数や英検のランクで測ろうとします。悲しいかな、自分のモノサシではなく、外部の権威がありそうな試験の点数と結びつけて判断するのですね。

                           

                           

                           

                          幸か不幸か、私は学校の教師が教えてくれる英語には壊れた時計のように全く反応しませんでした。それはつまるところ高校入試や大学入試で使われる選別のモノサシに過ぎなかったからです。それは言語に対する国家ぐるみの冒涜に他なりません。

                           

                           

                           

                          英語をモノにした人は、おそらく自分の人生を豊かにする英語とどこかで幸運な出会いをしているはずです。たとえば、歌やスポーツや映画を通じて生きた英語に出会っているのではないでしょうか。

                           

                           

                           

                          そもそも外国の文化(その象徴が言葉です)について学ぶことが面白くないわけがありません。たとえば、英語の歌を一年に10曲ほど、中・高で合計60曲を完璧に歌いこなすことをカリキュラムに組み込めば、何も入試で英語を課す必要などないのです。今の何倍も英語力がつくに決まっています。それを大学入試のモノサシにすることで、アメリカに隷属した卑屈な精神を再生産する装置にしているのです。

                           

                           

                           

                          入試で測れる「話す能力」など鼻クソほどの価値もありません。そもそも文科省や財界人、一部の学者やお調子者の予備校講師たちは、50万人以上の「話す能力」を1〜2週間で測るなどということが可能だと本気で信じているのでしょうか。空気を読むしか能のない人間たちと話していれば可能だと錯覚するのも無理もありません。結局は定型的なフレーズの暗記に行きつき、対策本を発行する業者をもうけさせるだけです。

                           

                           

                           

                          それが可能だと考えている人間は、話すことがどれほどの深さと広がりを持っているか経験したことがないのです。片言隻句の背後に広がる沈黙に震えたこともないのです。

                           

                           

                           

                          おやおや、話が脱線しました。巨泉氏の英語力の話でした。以下は彼が犯したミスの話です。それを、あれは自分の若い頃の誤訳、と率直に認められたとのこと。その率直さが、さすが巨泉氏らしいなあと思います。ミスどころか、明白なウソの上塗りすら認めようとしないどこかの安倍晋三とは大違いですね。

                           

                           

                           

                          誤訳の話に戻ります。ヘレン・メリルがハスキーな声で歌って有名になった曲“You'd Be So Nice to Come Home To”は、長らく「帰ってくれたらうれしいわ」という訳で親しまれていました。それを訳したのが大橋巨泉氏だったのです。

                           

                           

                           

                          中高生の皆さんなら、You'd  be so nice to come home to.をどう訳しますか。

                           

                           

                           

                          正解は「君の待つ家に帰るのはすてきだろうね(=君と結婚できたらなあ)」です。えっ、どうしてそんな訳になるのかわからないですって?「あなたが家に帰ってくる」のと「あなたが待つ家に帰る」のでは正反対じゃないか、というのですね。

                           

                           

                           

                          これはいわゆる「繰り上げ構文」と呼ばれるものです。文末のyouが仮主語のitを押しのけて繰り上がったもの、と考えたわけです。この曲のタイトルも、It would be so nice to come home to you.となっていれば誤解の余地はまったくありません。

                           

                           

                           

                          誤解の原因は、You are nice.と考えたからですね。nice なのは「(私が)あなたが待つ家に帰ること」なのです。「あなたが家に帰ってくる」では意味が反対になります。もちろん come という動詞の視点が相手側にあることや、文末の to が文頭の You を目的語にしていることにも気づかなければなりません。

                           

                           

                           

                          You'd  be so nice to come home to.は  You are difficult to please.という文と同じ構造をしています。あなたがdifficultなのではなくて、あなたを please(喜ばせる)するのが difficult なわけです。したがって、「あなたは気難しい人だわ」という意味になります。

                           

                           

                           

                          何だかややこしいですね。巨泉氏ほどの人でも、文法を忘れるとミスを犯すという例でした。長くなったのでもうやめにします。ここまで読んで下さった方にお礼を言います。なお「繰り上げ構文」については、ブログで詳しく説明しています。よかったら参考にして下さい。

                           

                           

                           『高校生のための英文法−その7』

                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=468

                           

                          | 英語教育 | 14:21 | comments(0) | - |
                          爆笑問題・太田光 vs 大橋巨泉 −「桜を見る会」をめぐって。
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                            論理的に考えることと、ただ理屈っぽいことは全く別のものです。やっかいなのは論理的に考えているつもりでも、世間の受けを狙った屁理屈にしかなっていないことに当の本人が気づいていないことです。

                             

                             

                             

                            具体例を挙げましょう。以前、「桜を見る会」をめぐって爆笑問題の太田光氏と大橋巨泉氏がテレビで論じあっていたことがあります。「桜を見る会」に出席しないという大橋巨泉氏に対して太田光氏が投げかけた言葉がひっかかったのです。

                             

                             

                             

                            彼は「政策が違うからって会わないっていうのは、あまりにも幼稚じゃないですか。」と言ったのです。そして自分は安倍さんと考えてることは全然違うけれど、招待されたら会うと言いました。自分の方が「大人」だと思っているのです。

                             

                             

                             

                            しかし、太田光氏は政治について深く考えたことがないために、大衆受けするような発言をしたのです。中学校の学級委員が言いそうなセリフですね。「知的なお笑い芸人」の底が知れようというものです。

                             

                             

                             

                            太田光氏は大人でも何でもありません。人の良い無知な芸人に過ぎないのです。政治のおぞましさも、残酷さも、本質的には羊の皮をかぶった狼であることにも気づいていません。政治とは一方が他方を支配するという権力関係なのです。「幼稚」だとか「大人」だというようなポエムではありません。

                             

                             

                             

                             

                            今回のブログは、どうでもいい芸人を批判するのが目的ではありません。ただ、彼が吐いたセリフがこの国の政治的な言説の水準を示していると感じ、いやな気分になったのです。彼の発想は大衆の中に浸透し、結果的に安倍政権を利しているのです。ネトウヨの言説レベルそのものです。

                             

                             

                             

                            この際、他の国と比較してみましょう。ヨーロッパの先進国は言うまでもなく、アメリカでもジャーナリストが権力者と飲食をともにすればたちどころに信頼を失い仕事ができなくなります。コーヒー一杯が限度だそうです。彼らは「幼稚」なのでしょうか?

                             

                             

                             

                            そもそも「桜を見る会」の費用はだれが払っているのでしょうか。太田光氏は国民の税金で飲み食いしていることなど知らなかったのでしょう。要は税金を使って選挙基盤を固めることに利用されていたに過ぎません。元暴力団員も招待されていたのですから。

                             

                             

                             

                            つまり、安倍政権の支持基盤は、論理的な思考と屁理屈の区別がつかない政治家やジャーナリスト、作家、学者、官僚そして「幼稚」な芸能人だということです。忘れていました。パンとサーカスで痴呆になった国民もです。

                             

                             

                             

                            しつこいようですが、論理的思考は、あくまで具体的な事実によって組み立てられなければなりません。最近のブログでも以下のように書きました。

                             

                             

                             

                            いったん大風呂敷を広げれば、それをたたんで具体的に論じることは不可能とは言わないまでも、大変難しくなります。(この場合大風呂敷とは「政策が違うからって会わないっていうのは、あまりにも幼稚じゃないですか。」を指します)

                             

                             人は抽象から学習し始めるのではありません。抽象論は事実を詳細かつ具体的に検討した後、それを材料として論理的に組み立てるものです。論理的思考とは具体例を豊富に、かつ整合的に使う思考です。なぜなら、人が生きるのは、机上の理論よりもはるかに複雑な事実の世界だからです。 

                             

                             

                            抽象論は現実の経験とのかかわりが不明なのです。つまりいくらでもごまかしがきくということです。具体的な事実を知らなければ、空虚で意味不明な言葉をもてあそぶほかありません。と。

                             

                             

                            『開成中学・高等学校長 − 柳沢幸雄氏を批判する。』

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=614

                             

                             

                             

                            以下、太田光氏と大橋巨泉氏の議論の該当個所を引用します。全文は以下から確認できます。今となっては利用されていたのは二人のうちどちらだったのかはっきりしています。ちなみに、引用元はラジオからですが、私が確認したのはテレビでした。ラジオを聴くことはほとんどありません。

                             

                            http://sekasuu.com/blog-entry-7839.html

                             

                             

                            太田光:「何故、桜を見る会に行ったんだ?」って巨泉さんは言うけど、行かなきゃ意味ないじゃんって思うんですよ。

                            大橋巨泉:お前は安倍さんを知ってるんだな。俺は安倍晋太郎さんは知ってるけど、安倍晋三さんは一度も会ったこともないから。

                            太田光:会えば良いんだよ。

                             

                             

                            太田光政策が違うからって会わないっていうのは、あまりにも幼稚じゃないですか。それと同じなんですよ。俺が思うのは安倍さんと俺は、考えてること全然違いますよ。

                             

                            (中略)

                             

                            太田光:闘えばいいじゃん。安倍さんと会って、「お前のやってること、間違ってるぞ」って言えば良いじゃん。
                             

                             

                            大橋巨泉:待って。そういう席か?そういう席じゃないから、行っても無駄なんだよ。そういう席なら行きますよ。1対1で、こういうスタジオで話すっていうんなら、喜んで行きますよ。

                             

                             

                            太田光:だから、巨泉さんが行って、「今度、俺の番組に出てくれ」なり、雑誌での対談でもなんでも良いけど、「俺が来たんだから、一回、じっくり話そうや」って。安倍さんの側から、オファーが来たわけでしょ?ってことは、ご意見伺いたいって意味あいですよ。



                            大橋巨泉:いやいや、違います。太田みたく尻尾振ってくれば、「よし、利用してやる」って。それなりに、こっちがリスペクトできることをやってきた人なら、僕は頭を垂れても行きますよ。でも、やってないから。翁長さんにも会わない、その前に、翁長さんが上京したときに、自民党関係者に誰にも会わせない。そういうことをしている人間は、全然リスペクトできないから。会う価値なんかありません。



                            太田光:それは、翁長さんと会わない安倍さんと一緒じゃないですか。



                            大橋巨泉:いやいや、違うよ。俺は一野人だけど、翁長さんはあれだけの沖縄県民の声を背負った、公人ですよ。それを会わないで。世論が逆になったからヤバイなってことで…



                            太田光:それは屁理屈だわ。巨泉さんに期待してる人だっていっぱいいますよ

                             

                             

                            | 政治 | 22:09 | comments(0) | - |
                            わがニワトリ王国。
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                              今朝は90歳になる隣のおいちゃんが虫に食われて網目状になった白菜を持ってきてくれました。もちろんニワトリにやるためです。その時の会話。大分以外の人には通じにくいかもしれません。

                               

                               

                              「おいちゃん、ニワトリがどこで眠るか知っちょん?」

                               

                              「ああ、知っちょれえで。ワシがたも昔ニワトリをこうちょったけんな。止まり木にピシーッと一列になって、ひっちついちかい眠るんじゃろ。かわいいわな。」

                               

                              「さすがやなあ。何でんよう知っちょんなあ。おいちゃんにもろうた糠を白菜にまぜてやると、うばいおうてたべよんわ。」

                               

                              「そげえ毎日もってこんでいいんじゃが・・・」

                               

                              「まあそげえ言わんで、一日一個、卵を味噌汁ん中に落として食べたら元気が出るやん。」

                               

                               

                               

                              とまあこんな具合で会話は続くのです。ただ、六羽のニワトリに名前をつけていることはおいちゃんには内緒です。

                               

                               

                              ここで少し紹介しましょう。

                               

                               

                              一羽目は、ボーッとしていて、ただ餌を食べているだけの太ったニワトリです。アキエという名前をつけました。このニワトリはどうも公私混同がはなはだしい。他人の餌は自分のもの、自分の餌は自分のものといった風情です。まあ一言で言えばバカ鳥です。

                               

                               

                               

                              二羽目は、前面には出ず、人脈を駆使してずる賢く立ち回っているニワトリです。名前はタカヤです。影の実力鳥と呼ばれています。この男、じゃなかったこのニワトリが近づくと他のニワトリは場所を譲ります。場所と言ってもたかだか餌を食べる場所に過ぎませんが。この名前をどこからとったかは前回のブログをお読みください。

                               

                               

                               

                              三羽目は、小柄で弱いくせに、反社会的勢力のニワトリを使って残りの五羽ににらみを利かせているニワトリです。名前はスガです。時々まちがってスカと呼びます。名前が思い出せない時は、カンボウ鳥カンと呼ぶこともあります。このニワトリは、何があっても「問題ない」「文書もない」「その指摘は当たらない」としか言いません。もちろん私はニワトリ語が分かるのです。

                               

                               

                               

                              四羽目は、空を飛べもしないのに、時々羽を大きく広げて低空飛行をし、他の五羽をびっくりさせる「身の丈」をわきまえないニワトリです。名前はハギュウダと言います。面倒くさいので、首を絞めるまねをして、おまえハ、ギュウだ、といって脅すこともあります。

                               

                               

                               

                              五羽目は、「身の丈」をわきまえないことにおいてはハギュウダに勝るとも劣らないニワトリです。(下村)ハクブンと名づけました。このニワトリは独特の鳴き方をします。何かまずいことがあると「キョイク、キョイク」と鳴くのです。私にはそれが「カネ、カネ」と聞こえます。そのため、他のニワトリから「ギーゼーンチャ、ギーゼーンチャ」と呼ばれて煙たがられています。ギーゼーンチャは通訳すると偽善者となります。

                               

                               

                               

                              さて最後のニワトリの名前はもう皆さん想像がつくでしょうが、シンゾウと言います。たしかどこかで「シンゾウ、ウソつくな!」と叫んだような記憶がありますが、もしかしたら私の記憶違いかもしれません。他のニワトリからその血統ゆえ一目置かれていましたが、今やその正体がバレバレとなり、神通力も失われようとしています。先日、あまりに身勝手な行動をとり、そのことにすら気づかないので、私は「シンゾウ、いい加減にせんと締めてチキンカレーの具にするぞ!このチキンが!」と叫んでしまいました。それを耳にした隣のおいちゃんがあわててやって来て「飼うてまだ半年じゃろう。もうチキンにするんな。まだ早かろう」と言うのです。「いいや、おいちゃん、もう待てん。明日は孫も来るけん、チキンライスの準備や。おいちゃんも食べにおいで」

                              「そらおおきに。ほな、ごちそうになるわな」(あわわわ・・・)

                               

                               

                               

                              それにしても、私が飼っているニワトリは、どうしてこうも不出来なニワトリばかりなのでしょうか?えっ、飼い主に似たからですって。どうも、お後がよろしいようで。

                               

                               

                               

                              | 身辺雑記 | 23:01 | comments(0) | - |
                              感想または身辺雑記
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                                朝起きてニワトリを小屋から出し(枠から解き放たれたサラブレッド?のようにいっせいに駆け出します)、水を換え、餌をやり、昼前には菜切り包丁で白菜を細かく切って糠と混ぜます。地面に撒くと、一目散に駆け寄ってきます。今ではルーティンがわかったのでしょう、私の足音を聞いただけで六羽のニワトリが一か所にかたまり、餌を欲しがるようになりました。白菜は毎朝卵を届けている90歳のおいちゃんのお返しの品です。

                                 

                                 

                                 

                                囲いの中には、近くの農家からもらってきた稲藁を大量に敷いています。放し飼いにしているので、一日中稲藁を脚で蹴散らして小さな餌を探しています。夕方になって暗くなると一羽がトットッと小屋に入ります。すると、残りのニワトリも後を追うようにして入ります。この光景が何ともほほえましいのです。

                                 

                                 

                                 

                                ニワトリがどこで眠るのか御存じでしょうか。六羽が止まり木にとまったまま一列になって、身体を寄せ合って眠るのです。うちの奥さんは一羽ずつ巣箱に入って眠ると思っていたらしく、「止まり木に止まったまま眠るの?可愛いわね、見てみたい」と言い残して、懐中電灯を手にニワトリ小屋へ。日本は平和です。

                                 

                                 

                                 

                                ニワトリが餌を欲しがるのはわかります。食べなければ死んでしまいますからね。でも、「桜を見る会」に集まる芸能人や作家、ジャーナリスト、メディアや出版社の社長、各界で功績のあったエライさんたちは何が欲しいのでしょうか。税金で飲み食いしたいのでしょうか。安倍晋三主催の「桜を見る会」に集まった人間たちのバカ顔を私は決して忘れません。

                                 

                                 

                                 

                                はっきり言いますが、彼らの中のだれ一人として信頼に値する人間はいません。日本の置かれている現実を見つめ、そこから言葉を紡ぎ、誇りを持って生きることがどのような人格を作り上げるか、彼らには想像だにできないのです。

                                 

                                 

                                 

                                税金で飲み食いし、有名人や総理大臣と写真を撮ることで、彼らの空洞化した人格を埋めているだけです。後日、ブログやフェイスブックに写真をアップして、自分がセレブと知り合いであることを誇りたいのです。中身がない人間ほど学歴や有名人と知り合いであることを誇示したがるものです。ゆえに、彼らは安倍政権の存続を望んでいます。政権交代するようなことがあれば今の地位を追われかねないと本能的に分かっているのですね。

                                 

                                 

                                 

                                それにしても、「桜を見る会」に集まった面々は、今の日本を象徴しています。彼らは、内政・外交で何一つ成果を上げることができず、拉致被害者を見殺しにし、ただ権力の座にいることが目的のウソで固めた人生を生きる総理大臣と写真を撮ることが末代までの恥さらしだと分からないのです。

                                 

                                 

                                 

                                おそらく、安倍首相は秘書官兼補佐官である今井尚哉氏に吹き込まれているのです。これまでブログに書いてきたことをまとめれば、以下のような会話が交わされたのではないでしょうか。

                                 

                                 

                                 

                                今井「総理は日本の最高権力者なのですよ。その意味がお分かりですか。絶対に辞めないと決心すれば、総理を権力の座から引き摺り下ろすことのできる人間はいないのです。権力者の最大の弱点は弱気になることです。

                                 

                                三権分立など絵にかいた餅に過ぎません。人事権を掌握すれば、総理に逆らえる人間はいません。森友・加計問題でもお分かりでしょう。検察も裁判所も総理の意向を気にして、政権に弓を引くような捜査も出来ませんし判決も書けません。官僚は自分の地位を守るためなら公文書でさえも偽造するのです。

                                 

                                メディア対策は任せて下さい。彼らの弱点はすべて調べ尽くしています。彼らほど権力のいいなりになる連中はいません。『桜を見る会』も来年中止にすれば、国民は忘れます。スピン報道として中村格に沢尻エリカの情報を公にさせれば、マスコミは一斉にそれに飛びつくでしょう。それに、経団連の名誉会長をしている叔父の今井敬がホテル・ニューオータニの取締役ですから、この件はどうにでもなります。叔父と会う段取りはつけています。」

                                 

                                安倍「今ちゃん、スゴ〜イ。あったまいい〜。」

                                 

                                 

                                 

                                 

                                ちなみに首相動静によると、一週間前の今月11日に安部首相は実際に今井敬氏と会食しています。 

                                 

                                | 身辺雑記 | 23:02 | comments(0) | - |
                                開成中学・高等学校長 − 柳沢幸雄氏を批判する。
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                                  開成中学・高等学校と言えば、毎年200名に迫る東大合格者を出している文字通り日本のトップエリート校です。そこで校長を務める柳沢幸雄氏が11月3日の朝日新聞「英語民間試験の利用延期、どうすれば」に答えている記事を読みました。はっきり言って、功成り名遂げて耄碌(もうろく)した老人の世迷い言です。

                                   

                                   

                                   

                                  こんなレベルの言説を全国誌に載せて恥ずかしくないのでしょうか。日本には隠棲の文化があります。いつまでも同じ地位にとどまって恥をさらすよりも、世間から距離を置き隠棲してはどうでしょうか。西行や良寛のようなよいお手本があるではありませんか。私が氏なら、身の程を悟ってさっさと引退します。

                                   

                                   

                                   

                                  さて本題に入りましょう。氏の意見を逐一批判していたら夜が明けるので、肝心なところ、すなわち氏の本質があらわれている箇所を批判してみます。まず出だしの一文から。

                                   

                                   

                                   

                                  「日本の大学入試も、もうそろそろ厳格なものから脱する時代なのではないか。今回の大学入試改革の一連の動きは、日本の悪いところが出た典型例だと思う。何か新しい改革をしようという時に、技術論でひっかかってしまう。現実的にこれはできないのではないか、などと細かいところで反対意見が出て、すべてを最初から厳格に完璧にしようとするがあまり、教育に必要なものは何かという、本質を見失って変容してしまう。これまでの教育改革もその繰り返しだった」

                                   

                                   

                                   

                                  この部分を読んだだけで、結論が抽象的・現状肯定型になるのはわかりきっています。英語民間試験の利用延期について訊いているのに、「もうそろそろ厳格なものから脱する時代」などと抽象的な大風呂敷を広げて論点をそらしています。

                                   

                                   

                                   

                                  訊かれたことに具体的かつ的確に答えてこそ、読者にとってプラスになるのではありませんか。おや、これは釈迦に説法でしたね。柳沢氏のような他者意識のない弛緩した思考は批判を装った現状肯定に行きつくのです。

                                   

                                   

                                   

                                  いったん大風呂敷を広げれば、それをたたんで具体的に論じることは不可能とは言わないまでも、大変難しくなります。それが証拠に、氏の答えは最後まで焦点がぼやけた抽象論で終わっています。

                                   

                                   

                                   

                                  人は抽象から学習し始めるのではありません。抽象論は事実を詳細かつ具体的に検討した後、それを材料として論理的に組み立てるものです。論理的思考とは具体例を豊富に、かつ整合的に使う思考です。なぜなら、人が生きるのは、机上の理論よりもはるかに複雑な事実の世界だからです。

                                   

                                   

                                   

                                  抽象論は現実の経験とのかかわりが不明なのです。つまりいくらでもごまかしがきくということです。柳沢氏はこのことがわかっていません。具体的な事実を知らなければ、空虚で意味不明な言葉をもてあそぶほかありません。「耄碌(もうろく)した老人の世迷い言」はここから生じるのです。

                                   

                                   

                                   

                                  もう少し話を進めましょう。氏の考えでは「何か新しい改革をしようという時に、技術論でひっかかってしまう。」のが「日本の悪いところ」だそうです。しかし、そもそも、今回の件のどこを見て「新しい改革」だの「技術論でひっかかっ」たなどと考えるのでしょうか。私はこの箇所に最もひっかかりました。

                                   

                                   

                                   

                                  今回の問題の本質は、入試改革という名の下に英語の試験を民間に丸投げすることで政治家が私腹を肥やそうと企んだことにあります。すなわち、ゴールの決まっている出来レースを、受験生と現場を無視して突っ走っただけです。これは日本の戦後教育がついに「受験教育」に収斂してしまった無残な象徴に過ぎません。

                                   

                                   

                                   

                                  塾経営者から政治家になった下村博文と民間業者・ベネッセが組み、それに文部官僚が天下り先を確保するために相乗りしたというわけです。利益相反などおかまいなしに公共部門を民営化してボロ儲けをたくらむ竹中平蔵的・加計学園的手法と同じです。彼らは口を開けば「グローバル化に乗り遅れるな」だの「ICT教育を推進せよ」だのと叫ぶのです。

                                   

                                   

                                   

                                  柳沢幸雄氏の言説は、この本質から目を背け、「技術論」に矮小化するものです。それを糊塗するために「何か新しい改革をしようという時に」だの「技術論でひっかかってしまう。」だの、ついには「日本の悪いところが出た典型例だと思う。」などと結論付けたのです。

                                   

                                   

                                   

                                  英語民間試験の利用は本来教育の問題です。教育の問題であれば、大人が(今の政治家や民間業者は金と地位を欲しがるだけのガキになってしまいました)将来の学生のために、教育の観点のみで考えるべきものです。

                                   

                                   

                                   

                                  合否が採点者の主観や、経済的な格差や、親のコネによって決まるとすれば、誰が地道な努力を続けるでしょうか。それだけではありません。合格者の努力も無に帰すのです。

                                   

                                   

                                   

                                  大学入試の公平性は、社会の安定と深く関係しています。それが損なわれれば、イソップ童話の「すっぱいブドウ」ではありませんが、現実を都合よく解釈する人間が大量に生み出され、社会に充満したルサンチマンが暴発して犯罪を誘発するようになります。したがって、合否はだれもが納得できる判断基準でなければならないのです。

                                   

                                   

                                   

                                  しかし、柳沢幸雄氏はそれに続く箇所で「入試ももっとそれぞれの大学のポリシーにあった、緩やかで多様なものにしていいのではないか。」と述べ、「米国ハーバード大学院で教えていた時」の経験で、「入り口で厳格に、何点刻みという選抜をしなくても、卒業する際に、きちんとした結果の測定をすれば済む」と言います。いかにもエリート校の校長の発想です。

                                   

                                   

                                   

                                  では、日本の大学で「卒業する際に、きちんとした結果の測定を」している大学があったら教えてほしいものです。ついでにどんな方法で「結果の測定を」しているのかも。

                                   

                                   

                                   

                                  柳沢氏は何を勘違いしているのでしょうか。今問題になっているのは、大学進学を希望する全国の高校生が受けるテストのことを論じているのです。「何でも一律にという点に問題がある」などと一般論を述べても無意味です。有名私立大学の学長や一部エリート校の校長が、富裕層のための高校や大学にするべく入試の判断基準を複雑かつ曖昧で多様なものにする話をしているのではないのです。

                                   

                                   

                                   

                                  ちなみに、早稲田大学は卒業時の学力を入学試験の方法と関連付けて、肝心な大学教育の中身が空洞化していることを隠そうとしています。3年半前に書いた記事をご覧ください。

                                   

                                   

                                   

                                  早稲田大学のAO・推薦入試について

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=136

                                   

                                  慶応大学の学長選挙について−民主主義は大学の門前で立ちすくむ。

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=427

                                   

                                   

                                   

                                  かくのごとく他者意識のない言説を批判し出したらきりがありません。これ以上「グローバルエリート」特有の言いっぱなしに付き合うのも疲れます。私たちは欧米の一流大学の真似をすることに活路を見出すべきではないのです。自分の頭で、この国の若者のために、一から考え直すべきです。そのための具体的なイメージについてはすでに書きました。

                                   

                                   

                                   

                                  100年後の生存戦略 ・教育−見果てぬ夢

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=446

                                   

                                  100年後の生存戦略・ 教育− 国宝・閑谷(しずたに)学校

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=488

                                   

                                   

                                  締めくくりとして、柳沢氏は次のように述べています。「東大で教えて来た経験から言えば、英語力のない学生は学ぶ力が弱い。外国語の学びを通じて持続性、論理性が養われる。・・・・これまでの日本のように、英語は読めて書ければいいという時代に逆戻りしてはいけない。」と。

                                   

                                   

                                   

                                  冗談を言ってはいけません。英語に限らず、一つの外国語をきちんと読めて書ける日本人は全人口の1%(120万人)にも満たないと思います。私は塾で教えながら、英語の読み書きの能力が崩落している場に立ち会っているのです。前にも書きましたが、正確に読めて書くことができれば、話す・聞くは環境と慣れの問題に過ぎないのです。

                                   

                                   

                                   

                                  肝心な質問には答えずに、短い文章の中で「米国ハーバード大学院で教えていた時」だの「東大で教えて来た経験から言えば」だの、単なる経験や印象を語りながら自分の権威づけを行う人間が日本一のエリート進学校の校長なのです。だから言ったのです。最初の一文を読めば結論がわかると。

                                   

                                   

                                   

                                  柳沢氏が「外国語の学びを通じて持続性、論理性が養われる。」という時の論理性とはかくのごとくたわいもない言葉の遊びにすぎないのです。なぜなら、優れた論理性は必然的に優れた批判精神に行きつくはずだからです。

                                   

                                   

                                   

                                  最後におまけです。開成高校で培われる論理性の帰結が端的に表わされたグラフを載せて、今回のブログを終わりにします。これは「グローバルエリート」である柳沢幸雄氏が校長を務めている結果なのでしょうか。

                                   

                                  東大新入生の自民党支持率

                                   

                                   

                                   

                                  | 教育 | 10:58 | comments(2) | - |
                                  教育民営化のツケはだれが払うのか?
                                  0

                                    英語民間試験の延期が決まりました。あきれてコメントする気にもなりません。「延期」ではなく「中止」すべきです。しかし、朝日新聞を始めとする大手メディアは、今回の件を正面から一度も批判していません。今になって両論併記の記事を載せてアリバイ作りに精を出しています。この件については過去に書いているので、今回は必要最小限のコメントに留めます。

                                     

                                     

                                     

                                    一年半以上前に書いた

                                    『教育にまつわるここだけの話』

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=473

                                     

                                     

                                    『英語民間試験の導入は金儲けのために地方の高校生を切り捨てる』

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=593

                                     

                                     

                                     

                                    公平と公正を第一に、大学が自らの責任において実施すべき試験を外注したのは、民営化すれば金の流れを始めとして利権の追及が困難になるからです。水道の民営化、特別会計の闇と相似形なのです。

                                     

                                     

                                     

                                    事実を振り返ってみると、英語民間試験への外注は、2013年10月、第2次安倍内閣の下、教育再生実行会議が第四次提言を公表したのを受けて2014年末に中教審が答申します。この時の文科大臣は下村博文氏。以来、「民間ありき」の出来レースを突っ走って、2016年8月末に英語民間試験利用が最終決定します。

                                     

                                     

                                     

                                    心ある学者が反対しても、完全無視で「2020年度ありき」で杜撰極まりない新入試制度が構築されたのです。この間に,何度か2020年導入が危うくなる局面があったのですが,そのたびに下村氏が出てきて強行の道筋をつけた、というのが事実です。

                                     

                                     

                                     

                                    例えば、東大が2018年3月から、民間試験を「使わない」「使う」で混乱していたとき、下村氏が東大の五神総長を自民党本部に呼びつけて圧力をかけたのは記者の間では周知の事実です。この件はぜひ国会の証人喚問で明らかにしてほしいものです。

                                     

                                     

                                     

                                    今回の混乱の責任をとるべき人間は、下村博文・元文科大臣です。彼の責任を追及しなければ,公教育の市場化・民営化は止まりません。これに比べれば、萩生田文科大臣の「身の丈」発言など、ワイドショーレベルの戯言に過ぎません。

                                     

                                     

                                     

                                    さらに忘れてならないのは、センター試験の「外国語」では、英語以外に、独仏中韓を選択できたのです。 ところが、今回の「民間試験」は英語だけを使うよう無理強いしたもので、他の外国語での受験者を切り捨てています。いかにも英語コンプレックスに凝り固まった植民地人の考えそうなことです。

                                     

                                     

                                     

                                    それともう一つ。私がショックを受けたのは、不公平極まりない試験制度に対して抗議すべき立場にある都立高校の1つ、かの日比谷高校の校長が「きちんと準備してきた高校としては大いに迷惑、ふざけるなと言いたい」と発言したことです。

                                     

                                     

                                     

                                    この校長は「グローバルエリートの育成」に熱心なあまり、公教育の一翼を担っているという自覚を失くしてしまったのです。気分は都内の有名私立の中高一貫校の校長なのでしょう。たまには胸に手を当てて、税金で生活している意味を考えよ!被害者面して責任転嫁している場合ではない!

                                     

                                     

                                     

                                    長くなるので今回はこれでやめにしますが、要は「2020東京オリンピック」のどさくさに紛れて、国の将来を左右する教育が食い物にされているということです。ちなみに、この校長の発想はとうの昔に批判しています。よかったらお読みください。

                                     

                                     

                                    『刑事コロンボ VS 「アルマーニ」校長』

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=458

                                     

                                    | 教育 | 23:38 | comments(0) | - |
                                    朝採れ卵と私が原発に反対するわけ。
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                                      昨日は大分地裁へ伊方原発差し止め訴訟の傍聴に行ってきました。奇しくも、同じ日、朝日新聞の朝刊に伊方原発の避難訓練の様子が載っていました。ピクニック気分で外出したくなるような天気の良い日に、相も変わらず形だけの避難訓練を繰り返して何になるのでしょうか。避難訓練は故郷を捨てる訓練なのです。

                                       

                                       

                                       

                                      『原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練である』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=109

                                       

                                       

                                       

                                      地裁に行く前、わが家で飼っているニワトリの産みたて卵を疾風自由日記のSさんにプレゼントしようと思い立ちました。地裁へ行くのはあくまで自由意思なので、Sさんが来ない可能性もあります。でも、Sさんも私もほぼ皆勤賞です。

                                       

                                       

                                       

                                      そんなことを考えていると、ウチの奥さんが素敵な箱(ピエール・ルドンのチョコレートが入っていました)を用意してくれました。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      Sさん、産みたての卵は、卵かけごはんに限ります。アツアツの白米でも美味しいですが、16穀米との相性も抜群です。左の瓶は「茅乃舎」の卵かけご飯専用醤油ですが、右の「阿蘇マルキチ醤油」の「百年蔵のたまごごはん醤油」のほうが美味しいです。よかったらいつでも遊びに来てください。卵用意して待ってます。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      「この箱で、中身が卵というのもギャップがあっていいかもね。今日はハロウィンだから、卵を金色にペイントしようかな。S君、きっとびっくりするよ。」

                                       

                                      「生卵にペイントしてどうするのよ。あなたの顔がハロウィンなんだから、それで十分でしょ」

                                       

                                      「あわわわ・・・」

                                       

                                       

                                       

                                      裁判では素晴らしい意見陳述と、徳田靖之弁護士による基準地震動に関する総論が述べられました。元福井地裁裁判長・樋口英明氏の認識と一致する分かりやすくて、鋭いものでした。

                                       

                                       

                                       

                                      ところで、私が原発に反対する根本的な理由は、原発の存在そのものが財界やメディアの退廃、政治家や官僚の幼児化、検察や裁判所をはじめとするこの国の法システムの瓦解、簡単に言えば社会階層の上へ行けば行くほど、そこにたむろする人間たちが腐敗を極めるようになるからです。そして国民が犠牲になるからです。

                                       

                                       

                                       

                                      具体例をお目にかけましょう。忘れもしない今年の10月15日、福島地裁第一民事部で遠藤東路裁判長は以下の判決を下しました。

                                       

                                       

                                       

                                      「原発から飛散した放射性物質はすでに土と同化しているため、東京電力の管理下にはなく、むしろ、農家が所有しているといえる。故に、東京電力に放射性物質を取り除くよう請求することはできない」

                                       

                                       

                                       

                                      農家の人たち8人は、金銭的な補償は一切求めず、農地から事故で飛散した放射性物質を取り除いて欲しいという、その一点だけを求めてきました。この裁判官の頭の中には、正義のかけらも人間としての情もありません。論理も説得力もない前代未聞の判決を書くに至った理由は、彼が受けて来た「教育」にあるのです。人格を空洞化させる教育です。私には手に取るように分かります。

                                       

                                       

                                      バカじゃねえのか!この国は

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=132

                                       

                                       

                                       

                                      福島第一原発の事故はこの国ではなかったことにされようとしています。そして誰も責任を取らない。それどころか被害者が責任を負うのです。この事故はチェルノブイリ級の重大事故であることを、すなわち現在進行形だということを忘れてはなりません。こんな不合理極まりない判決がまかり通るということは、 日本中の誰もが犠牲者になり得るということです。台風や大雨で被災した人々が政府にどのように対応されたのか思い出すべきです。あすはわが身なのです。何がオリンピックだ、ふざけるんじゃない!

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      原告の一人、鈴木博之さん(69歳)は江戸時代から続く農家の6代目で、原発事故後も、およそ20ヘクタールの農地でコメ作りを続けてきました。

                                       

                                       

                                      鈴木博之さん

                                       

                                       


                                      「私の住んでる農地は、日本でも美味しいお米がとれる土壌だったんです。それが壊されたからね、土壌汚染によって。だから、東電に原状回復してもらう。」

                                       

                                      「いいときを思い出すのはつらい。マイナスの仕事はいやですわ。なんぼ頑張っても、プラマイゼロやもん。やっぱり夢と希望っていうのはプラスの話だからね。」

                                       

                                      「俺、ちゃんとした土、先祖からもらって、俺の代では汚したけども、これ元に戻して次代の人に渡す。それが最大の我々の世代の仕事と思ってる。」

                                       

                                      「我々土を利用して生きているし、生かしてもらってるんだから、もう一回ファイトっていうしかないかなって今、思ってます。」

                                       

                                      https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/10/1017.html

                                       

                                       

                                      この国のエライさんたちは、これでも原発を続けるつもりでしょうか。人間と共存できないものと添い寝してどうする!安倍晋三よ、いいかげん現実に目覚めよ!と言っても無理でしょうね。頭がポエムでいっぱいですから。

                                       

                                       

                                      | 原発 | 23:06 | comments(0) | - |
                                      自壊する野党 vs 山本太郎
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                                        10月28日、夕方6時から大分駅前で開かれた山本太郎の街頭記者会見に行ってきました。YouTubeで何度も観ていましたが、印象は全く変わりませんでした。

                                         

                                         

                                         

                                        大分会場で「お前は偽善者だ」と叫ぶ聴衆(ネトウヨの典型です)の一人に、何とか議論に持ち込もうと誠実に対応する山本太郎氏です。

                                         

                                         

                                        大分の1日前、久留米の会場で。中身のある議論を期待する方はこちらをどうぞ。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        ところで、政治家やジャーナリストが信頼できるかどうかを判断する時に私が最も重視しているのは、政策よりもむしろ表情や視線や身振り手振りであり、頭ではなく身体の深いところから発せられる声です。

                                         

                                         

                                         

                                        今年、参院選の応援で安倍首相が大分に来た時、その直前に蓮舫議員がトキハ前で演説しているのを聞きました。同じことをあちこちで寸分たがわず(元アナウンサーですからね)しゃべっているのでしょうが、空語、空語の連続でした。紋切型の安倍批判で能天気な野党の面目躍如といったところでした。私は彼女を政治家として全く信用していないと、以前ブログで書いたことがあります。その印象は間違っていませんでした。

                                         

                                         

                                         

                                        ところで、今回のタイトルは以前書いた記事のタイトルと似ています。ぜひお読みください。

                                         

                                         

                                        「自壊する日本の高学歴『エリート』たち」

                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=279

                                         

                                        「マスコミは圧力をかけられているのか」

                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117

                                         

                                         

                                        この二つの記事で、この国の富裕層と呼ばれている人間たちの本質を書いています。

                                         

                                         

                                         

                                        今の野党の出自を見れば、彼らが高学歴エリートで富裕層に属しているのは明白です。彼らの本質は、自分の子供をどこの学校に入れ、どのように育てているかを見れば分かります。もちろんこれはテレビや新聞社を始めとするマスコミで働く人間たちにも当てはまります。親の価値観は子育ての中に明白に表れています。一度、彼らの子供が通う学校を一覧表にして公開してみてはどうでしょう。

                                         

                                         

                                         

                                        以前、民主党のある議員が、今の教育の問題点はどこにあると思うかとの質問に、受験地獄と偏差値教育だと答えていました。大部分の子供たちは、早々と学ぶことに見切りをつけ、緊張感のない学校空間をいかに生き抜くかに神経を使っている時に、この程度の認識なのかと、びっくりしたのを覚えています。彼らは現実よりも言葉に飛びつくのです。「受験地獄と偏差値教育」は誰も傷つけない、よって発言者も批判されない言葉ですから。

                                         

                                         

                                         

                                        さて、今日の本題に戻ります。野党、特に立憲民主党や国民民主党がどのようにして自壊していくのか、それを示す典型例が10月29日の『日刊デジタル』で配信されています。

                                         

                                         

                                         

                                        そもそもこんなコスプレで選挙に挑む玉木雄一郎など、信じるに値しません。野党のコスプレをまとった自民党に過ぎません。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        以下『日刊デジタル』より。

                                        https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/263910

                                         

                                         

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                                        「あれが怪文書でなければ……。普通は『参加するな』というのは怪文書ではあり得ないと思うのですが」――。れいわ新選組の山本太郎代表も、あきれ顔で語った。



                                         無所属の馬淵澄夫・元国交相と山本氏が、消費税減税を模索する「消費税減税研究会」を設立。馬淵氏も5%への減税が持論だ。2人は消費税減税の野党間の共通政策化を目指し、30日夕方に国会内で初会合を開く。問題意識を共有する議員の参加を広く呼びかけたが、立憲民主執行部は「待った」をかけた。



                                         先週25日に逢坂誠二・政務調査会長と蓮舫・参院幹事長の連名で「研究会・勉強会等の参加に関するご要請」なる文書を若手・中堅議員らに配布。こう記されていた。〈他党の政治家や会派を共にしない方々との勉強会や研究会等につきましては、政策の一貫性を維持するためにも党所属議員へのご案内等がございましたら、まずは政務調査会長、または参院幹事長まで確認をお願いしたいと存じます〉何やら含みを持たせた文書の配布は、減税研究会立ち上げの報道直後。馬淵氏が野党統一会派に属している以上、山本氏を狙い撃ちにしたとみるのが妥当だろう。



                                        「27日の久留米市内での会合後、山本氏は『(立憲執行部から)“行くな圧力”がかかっていると聞いています。何人かの議員が連絡をくれて、〈なかなか参加しづらいのですよ〉と。何か企んでいると思われているのでしょうね』と打ち明けていました」(ジャーナリスト・横田一氏)



                                         また野党間のくだらない主導権争いか。まず逢坂事務所に文書配布の意図を聞くと、「蓮舫さんに声をかけられた。別に特定の会を考えて配布したわけではない。『行くな』とは言っていないし、案内が来たら一声かけて欲しいだけ。あとは受け止め方の問題」と答えた。一方、蓮舫事務所からは締め切りまでに回答を得られなかった。

                                         

                                        引用終わり。

                                         

                                         

                                        | 政治 | 12:10 | comments(3) | - |
                                        未来塾教室風景
                                        0

                                          以下の画像は一週間前に実施された中学3年生の模試の一コマです。午前9時から午後2時まで集中して問題に取り組んだ生徒の皆さん、お疲れ様でした。

                                           

                                           

                                           

                                          子供たちが問題用紙に向かい、懸命に考えている姿はいいものです。そうやって身につけた知識や思考力を、自分の人生やこの世界をより良くしていくことに使ってもらいたいものです。

                                           

                                          ランチタイムの後、ニワトリと遊ぶ生徒たち。

                                           

                                           

                                          模試が終わった後も、ニワトリに遊んでもらっている生徒たちです。

                                           

                                           

                                          手前は野菜作りのための畑です。まだ土作りの段階です。はよかえらんと、あめがふりだすよ!

                                           

                                           

                                           

                                          塾を始めて36年になりますが、きれいごとではなく、私の人格そのものになってしまった思いがあります。それを伝えたくて、今も塾の教師を続けています。その思いがいつ、どこで生じたかについては、近いうちに書くつもりです。たかが塾とはいえ、初発の動機は重要です。それが塾の可能性はもとより普段の授業や経営方針を大きく左右するからです。

                                           

                                           

                                           

                                          端的に言いましょう。私が塾の教師をしている最終的な目的は、学校に行かなくても、会社に就職しなくても、学ぶ意欲さえあれば人間として立派に生きていけるのだと証明することです。

                                           

                                           

                                           

                                          学歴とか留学歴とか、住んでいる場所や出身地、年収や職業といった人が生きていく上でまとう外形的なものは、人間の価値とは関係ない、これは人間をよく観察し、深く思考すれば誰にでもわかることだ、と若い人に本気で伝えるためです。それは突拍子もない極端な話でしょうか。私には当たり前のことのように思えます。

                                           

                                           

                                           

                                          学校は今や、小学校から大学まで受験予備校・就職予備校と化しています。そういった匿名のシステムの中でポジション取りに明け暮れていれば、その外に広がる豊かな世界が目に入らなくなります。

                                           

                                           

                                           

                                          結果、大企業のサラリーマンや官僚や医師や弁護士、あるいはIT関連のカタカナ職業に就いて大都会で生活するのが成功の証しだと思い込むようになります。現にこの種の職業に就いている親は、子供に同じ道を歩ませようとします。

                                           

                                           

                                           

                                          たとえるなら、こういった思考は、沈みかかっている船の中で自分だけは助かろうとする姑息で時代遅れの考え方に過ぎません。分かりやすく言えば、竹中平蔵的な考え方です。船を捨て、救命ボートに乗り、新しい土地を目指したり、社会的・文化的なインフラのみならず美しい自然を後世の人々に残そうと戦っている人々の対極にある考えです。

                                           

                                           

                                           

                                          もしあなたがそんな生き方はしたくないと思うのなら、自分自身と対話しなければなりません。その対話にごまかしがあってはなりません。どんなに孤独でも正直でなければなりません。

                                           

                                           

                                           

                                          もし私が生きていく過程で考えることをやめ、時間と空間を超えて多くの人間から学ぶことをやめていたら、すなわちこのニッポンの中でのポジション取りに明け暮れていたら、決してこのような認識には至らなかっただろうと思います。

                                           

                                           

                                           

                                          しかし、多くの人は外形的なものこそが人生の目標になると考えています。そのために人生の大部分の時間とお金を投資するのは当たり前で、私のような影響力のない、逸脱者の言うことなど負け犬の遠吠えだと一笑に付すことでしょう。

                                           

                                           

                                           

                                          しかし、人生を振り返って確信していることがあります。ことによると、人生の途上で行き暮れている若い人のヒントになるかもしれません。それは以下のような考えです。

                                           

                                           

                                           

                                          その前にもう一度言いますが、私のような人間でも何とか生き延びることができたのは自分に正直に、ひたすら自問自答を繰り返したからです。ひとりの人間が自らの生き方の指針を決める時に大切な事は、世間体にこだわってはならないということです。あなたの幸せは他人が決めることではないのですから。

                                           

                                           

                                           

                                          そして、忘れてならないのは「こういう職業に就きたい」「これを達成したい」という目標からではなく、「これはやらない」「これはやるべきではない」という否定からも人生は選択できるということです。

                                           

                                           

                                           

                                          ここで大切なことは、私の経験から言って、それを外に向けて宣言するのではなく、あなた自身の初発の思いに戻り、そこから出発して社会で生きていこうと覚悟を決めることです。

                                           

                                           

                                           

                                          その過程でおそらく、あなたは逸脱者の烙印を押されるかもしれません。しかし、人間は成長と変化をやめません。もし、あなたが今の状況に対して何かが違う・・・と感じるなら、その状況から抜け出して一気に環境を変えることだってできるのです。あなたは本来自由なのです。

                                           

                                           

                                           

                                          自らの生に忠実であろうとすることで、詰将棋のように避けようもなく世間から外れていく魂の痛み。それは、あなたがあなたであるということを証明しています。周囲の誰からも、親からでさえも分かってもらえないと覚悟しなければなりません。

                                           

                                           

                                           

                                          学べば学ぶほど、真実に近づけば近づくほど、あなたは孤独になっていきます。しかし、その同じ魂が逸脱を貫くことで遂に報われる奇跡がやってきます。なぜなら、世界はそのようにできているからです。

                                           

                                           

                                           

                                          なんだか偉そうなことを書きましたが、これは36年間たった一人で塾教師をしてきた私のウソ偽りのない本心です。

                                           

                                           

                                           

                                          教師の本音や人間性は、生徒に向ける視線やため息、何を笑うか、何に怒るか、そしてちょっとした時にもらす下世話な話の中に現れます。「君のお兄さんは上高から東大なんだ、すごいね」といったセリフは、私のどこを押しても出てこなくなりました。今回も読んで下さった方にお礼を言います。貴重な時間をありがとうございました。

                                           

                                           

                                          | 身辺雑記 | 14:08 | comments(0) | - |
                                          ラグビー・ワールドカップの観戦。
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                                            今日10月20日は、大分スポーツ公園総合競技場へラグビー・ワールドカップ、ウェールズ対フランスの試合を観に行ってきました。1点差の白熱したすばらしい試合でした。観衆は約3万4千人とのことでしたが、私たちの隣の席は、なんと疾風自由日記のSさん夫妻でした。縁は異なものと言いますが、こんな偶然があるものでしょうか。

                                             

                                             

                                             

                                            うちの奥さんはラグビーに興味はないだろうと思っていたので、チケットの予約はしていませんでした。ところが、「一生に一度と言ってるじゃない。観に行きたいわ」とのたまうではありませんか。

                                             

                                             

                                            「もうチケットはないよ。それに僕がいつもスポーツは生で観るべきだよと言っていたのに、テレビで観る方が選手の顔がよく見えていいと言ってたじゃない。」

                                             

                                            「でも、ラグビーは生で観るスポーツだと思うの。世界の一流選手のプレーを生で観てみたいわ」

                                             

                                            「ラグビーは生で観るスポーツだなんて、いったいどこから仕入れたの?」

                                             

                                            「失礼ね。サッカーはテレビでいいけど、ラグビーは男のスポーツって感じがするのよ。満身創痍になって男たちが戦っている姿がいいのよね。それにサッカーのワールドカップの優勝賞金は41億円なのに、ラグビーの優勝賞金は0円でしょ。W杯に出場することが最大の名誉という考えも素敵じゃない?」

                                             

                                            「ス、ス、素敵すぎるけど、どこでそんな知識を仕入れたの」

                                             

                                            「あら、ネットに載ってたわよ」

                                             

                                            「・・・・」

                                             

                                            ということで、奥さんにはいつも頭が上がらない私です。

                                             

                                             

                                            それにチケットも高いのでわが家の経済力では買えないものと諦めていました。ところが、次女の旦那さんがチケットをプレゼントしてくれたのです。ニュージーランドのオールブラックスが別府にやってきた時も家族ぐるみで付き合う間柄です。大会関係者ということで車も競技場に駐車することができました。ありがたいことです。

                                             

                                             

                                            入口付近で。奥さんの(きまぐれの)おかげで、一生で一度の大分でのワールドカップを観ることができました。

                                             

                                             

                                            試合前の雰囲気。やはりラグビーは生で観るものです、なんちゃって。

                                             

                                             

                                            試合開始の時間になると、この熱気です。

                                             

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            1枚4万円もするチケット。ありがとう。記念に取っておきます。

                                             

                                             

                                             

                                            奥さんは試合が始まるとキャーキャー叫んで、心から楽しんでいました。いや〜、よかった、よかった。一生の思い出ができました。

                                             

                                             

                                            | 身辺雑記 | 00:00 | comments(0) | - |
                                            ウソとポエムが当たり前になった国・ニッポン!
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                                              甚大な被害を出した台風19号が関東・東北地方を直撃していたとき、首相動静によると安倍氏は早々と私邸に戻りテレビでラグビーを観戦していたそうです。

                                               

                                               

                                               

                                              頭の中がポエムと改憲一本になっている人に、何を聞いても無駄です。意味のわかる日本語は返って来ません。

                                               

                                               

                                               

                                               

                                              被災地や被災者のことなどわれ関せずの総理大臣。実の父親からも「晋三は情がない。政治家にしてはいかん」と言われていただけのことはあります。

                                               

                                               

                                               

                                              にもかかわらず、自民で外務省出身の松川るい参院議員は16日の参院予算委の質問で日米貿易協定をめぐり、「安倍総理、茂木大臣の卓越した外交能力、交渉能力により、非常に良いタイミングで短期間にまとめてくださったことを、日本国民を代表して感謝したい」と発言したのです。(201910161751 朝日新聞デジタル)

                                               

                                               

                                               

                                               

                                              「卓越した外交能力、交渉能力」ねえ。3000億円と北方四島をロシアに貢ぎ、「わが国固有の領土」という文言を削除し、トランプ大統領の小間使いとして世界を駆けまわって国民の税金をばら撒き、あまつさえ、消費税を10%に引き上げた御仁ですよ。勝手に日本国民を代表するな!

                                               

                                               

                                               

                                              そして16日の持ち回り閣議で、台風19号による被災地の復旧・復興に向け、今年度予算の予備費から7億695万円を支出することを決めたそうです。「まずまずの被害に収まった」と言う二階幹事長の判断でしょうね。国会で野党に批判されれば増額するのでしょうか。

                                               

                                               

                                               

                                              その二階幹事長、記者から批判されると「言葉尻をとらえていても復興が進むわけじゃない」とのこと。根底から日本語能力を欠いていると言うしかありません。

                                               

                                               

                                              当の安倍首相は同日夕、首相官邸で開いた非常災害対策本部の会議で「今後も被災自治体の皆さまが財政上、安心して全力で応急対応や復旧対策に当たることができるよう、必要な手当てを行う」と述べました。

                                               

                                               


                                              「財政上、安心して全力で応急対応や復旧対策に当たることができるよう」にするというなら、加計学園に気前よく176億、吉本興業にポンと100億、オリンピックに3兆円をやめて被災者支援に回すべきです。せめて、ロシアへの3000億円くらいは取り消し、被災自治体に回すべきでしょう。「卓越した外交能力、交渉能力」とは、それができる政治家を形容する時に使うものです。

                                               

                                               

                                              台風19号の報道には、着々と進行している重大事態がすっぽり抜け落ちています。海外メディアのほうがよほど事態を正確にとらえています。

                                               

                                               

                                               

                                               

                                              ところで、閣議と言えば、「桜を見る会は『有意義』」「セクシーの意味は『魅力的』」との閣議決定がなされました。「昭恵夫人を私人」と閣議決定した政権ですから今さら驚きません。台風19号の報道とラグビー人気の陰で、国民はすべて忘れると踏んでいるのです。「とりあえず自民党」を支持している人は、能天気と言うか無知と言うか、明日は自分が被災者になる、ということに想像力が及ばないのでしょう。

                                               

                                               

                                               

                                              そして、もう一つ。どさくさにまぎれて、政府は有志連合の一員としてではなく「調査・研究」という「独自の判断」でホルムズ海峡に自衛隊を派遣することを決めました。あわわわ・・・どころではありません。要は、イランがそれをどう判断するかですよ!

                                               

                                               

                                               

                                              国内の災害対策すらままならない政府に、こんな重大事項をまかせればニッポンがどうなるか分かろうというものです。分かるわけない?そうでしたね。今や国民の過半数とメディアには「とりあえず自民党」という思考回路しか残っていないのですから。ウソとポエムに生き方の基準を見いだしているニッポン人に、チャチャチャ!

                                               

                                               

                                              | 政治 | 12:48 | comments(0) | - |
                                              里山の暮らし−その翌日
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                                                昨夜、お泊まり会をした孫たち。「こわ〜い話」を聞いたり、いっしょに風呂に入ったりして、さすがに疲れただろうと思っていると、朝6時前から起き出して、うるさいことこの上ないのです。私に感情をかき乱されて、みんな興奮さめやらずといった様子です。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                「ニワトリ見に行こう。だっこしたい!」という孫たちをなんとかなだめて、朝食を摂らせます。そしてニワトリ小屋へ。大きな卵が6個、産卵箱の中に並んでいます。一人ずつ中に入って、卵を採らせます。「今日はおやつに卵を使っておじいちゃん特製のドーナツを作るぞ」と言うといっせいに歓声が上がります。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                そして、以下の画像となりました。

                                                 

                                                潮干狩りならぬ、ミミズ狩りです。私が地面を掘るとミミズが出てきます。それを目指してニワトリたちが一斉にやってきてついばみます。子供たちも「やってみたい!」となります。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                 

                                                ニワトリにお尻をつつかれた小3の真美ちゃんいわく。「大丈夫かなあ?病気になったりせん?」私いわく「大丈夫だよ。ただ、夜になると肩からニワトリの羽が生えてくるかも。朝起きて鏡を見てごらん。真美ちゃんの顔が、ニワトリになっているから」「・・・・」

                                                 

                                                 

                                                 

                                                幼稚園の年中さんのキー君いわく。「ニワトリのフンを踏んだ。うわっ、きたね〜」私いわく。「心配せんでいい。ニワトリのフンを踏んだら、羽が生えて飛べるようになるけん。じいちゃんも、小さい時、馬のクソを踏んで走るのが速くなったんぞ」。で、この画像はニワトリになって飛ぼうとしているキー君です。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                 

                                                昨日のブログで、卵配達人になったことを紹介しましたが、もらった人は例外なく「昔は、うちもニワトリを飼っちょったんで」と言います。私がニワトリを飼おうと思ったのも、幼少の頃の農家の暮らしが頭にあったからです。このあたりの農家はどこもニワトリを飼っていたのです。牛やヤギを飼っているところも珍しくありませんでした。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                そういう農家の風景や思い出によって、私の感受性が養われていることを痛感するのです。幼少年期の体験や記憶ほど本人の自覚しないところで私たちに影響を与えているものはないような気がします。

                                                 

                                                 

                                                こどもの魂はどこで育つのか

                                                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=174

                                                 

                                                 

                                                 

                                                昔、イタリア人だったかドイツ人だったかがおもしろいことを言っていました。 「なぜ一日は24時間あるか知っているか?8時間は働くため。 8時間は眠ったり食事したり、自分自身のため。残りの8時間はコミュニティのためにある」と。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                日本人はコミュニティのために時間を使うのが苦手のようです。定年退職をしてからではなく、幼少のころから残りの8時間をコミュニティのために使うのが当たり前だと考える教育は、いつになったら実現するのでしょうか。

                                                 

                                                 

                                                | 身辺雑記 | 13:41 | comments(0) | - |
                                                里山の暮らし。
                                                0

                                                  里山にはいつもと変わらない時間が流れています。そこでの暮らしは単調です。ときどき○○さんが亡くなったという知らせが届いて、ああ、時間は容赦なく流れていたのだ、と気づきます。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  私の住んでいる市街化調整区域内にある村は、農道が舗装されたくらいで、この50年間、ほとんど姿を変えていません。散歩しながらおそらく100年前も同じ風景が広がっていたのだと想像できるのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  四季折々の田園風景や新鮮な空気の中にいると、どこか「聖なるもの」を感じる瞬間があります。地域の歴史が積み重なっているからでしょう。目を凝らせば100年前も同じように農業に従事していた人間の姿や叫び、絶望や希望が見えてくるような気がするのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  何もかもをコスパで考える社会(私の中にもそういった傾向はあります。)では、地方の小さな村の歴史や伝統など、何の価値もないように思えます。現にそれは風前の灯なのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  しかし、100年前と同じ風景が今も存在していて、これからも存在し続けるだろうと信じられることは、実は人間にとって精神の安定装置になっているような気がします。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  私が建築に惹かれる最大の理由は、仮想空間の中ではなく、現実に存在していて、その場の精神性というか空気を呼吸しているからです。美学的な優劣を云々することにはあまり興味がありません。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  私が感動するのは、欲望や打算、虚栄心や嫉妬によって動かされて出来ていない、いわば無名性の建築なのです。建築が生きる長い時間を考えると、建築が動かないこと、歩み寄らないことは、とても寛容で自由なあり方なのです。なぜなら、建築が動かなければ動かないほど、こちらの心が動き、多くのイマジネーションと豊かな時間を与えられていることに気づくからです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  何だか小難しい話になってしまいました。私の考えに興味をお持ちの方は、ちょうど4年前に書いた記事をご覧ください。 

                                                   

                                                   

                                                  私の散歩道

                                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=74

                                                   

                                                  私たちはどこから来てどこへ行こうとしているのか。

                                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=93

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  ここからは近況報告です。

                                                  私は現代社会から打ち捨てられたような場所で生活していますが、考え方と工夫次第で豊かな場所にできることを報告したいのです。そしてそれは、誰にでも可能であるということを。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  ニワトリが卵を産みはじめて、一カ月になります。最近では卵を地域のお年寄りに配っています。朝、ニワトリ小屋に行き、餌と水を換えて、肩から掛けたポシェットに産みたての卵を採って入れます。その格好を見て、うちの奥さんは笑います。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  村には90歳で一人暮らしの人や90代の夫婦など珍しくありません。一人暮らしの場合は、安否確認を兼ねて毎朝牛乳箱の中に一個入れます。

                                                   

                                                   

                                                  「あんた、そげえ毎朝入れんでんいいんじゃが。きのどきいなあ。」

                                                  「おいちゃん、遠慮せんで。うちも毎日6個は食べれんけん。」

                                                  「昨日のは、ふたごじゃったわ。新鮮じゃけん、殻がかてえわな。卵かけごはんでたべよんけど、あたらしいけんおいしいわな」

                                                  「おいちゃん、栄養つけて、長生きせな」

                                                  「きのどきいなあ。おおきに」

                                                   

                                                  といったような会話が交わされています。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  今日は、メアリーポピンズではありませんが、台風19号の強風に乗って孫たちがニワトリと遊ぶためにやってきました。もう一人、中1で私の塾に入っている孫がいるのですが、サッカーの練習があって来れませんでした。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  そうそう、教え子のSさんからお便りをいただきました。私のブログを読んでニワトリを飼い、最近ではチャボも飼い始めたそうです。卵も産み始めたそうで、これからが楽しみですね。Sさん、色々と工夫して田舎暮らしを楽しみましょう。

                                                   

                                                  | 身辺雑記 | 23:01 | comments(0) | - |
                                                  それでも『JOKER』は暗示する。
                                                  0

                                                     

                                                    すぐれた映画や文学は人間の命を支えます。ここでは、動物としての命ではなく言葉を持った人間の命すなわち精神のことを言っています。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    映画『JOKERは、ご存知のように、バットマンの敵役・ホアキン・フェニックスが演じるジョーカーの人生にフォーカスした完全オリジナル・ストーリーです。狂気で人々を恐怖に陥れる 「ジョーカー」 そのものではなく、孤独な男がジョーカーになるまでの内面のリアルなドラマを描いています。日本では R15+ に指定されており、15歳未満の入場・鑑賞が禁止されています。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    この映画はそれだけのインパクトを持っています。そのインパクトはどこから来るのでしょうか。もちろん音楽や映像の持つ力は大きいのです。しかし、すぐれた映画や文学には、揺らぎがあります。全てを語ることなどできないのですから当然です。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    この映画は隠喩によって、鑑賞者が自覚していないものを引き出し、語りつくせないものを投入できる余白を準備しています。隠喩は、文字通り隠すことですべてを語ろうとする試みであり、余白を生みだす手法です。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    ミロのヴィーナスが美しいのは、両腕がないからです。喪われた部分に自分の想像できる限りの最高の美を注入することができます。つまり、自分の経験を積み重ねることによって、どんどん美しいものが見えてくるのです。これこそが、芸術の存在理由です。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    想像によって両腕が復元されたヴィーナス像。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    この間の事情を、主演のホアキン・フェニック自身に語ってもらいましょう。

                                                     

                                                     

                                                    「創造には流動性がなければならない。ただ数をこなすためだけのものじゃないんだ。創作するということは、呼吸をしているということだから」

                                                     

                                                    「映画って往々にして、答えを簡単に出しすぎる時がある。『こんな体験をしたからこのキャラクターはこんな人間になった』みたいなね。でも生きるってことはそんなに浅くて簡単な事じゃないし、人間の心理ってもっともっと複雑だ。何でそんなことをするのか? 人の言動の裏側は理解できないことの方が多いし、無意識に行動に駆られる事だってある。この映画は、表面的な答えは出していない。簡単な答えが出るものなんて、この世の中にないんだからね」

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    それに対して、直喩は余白をなくすことで想像力を制限します。分わかりやすいのですが、心の奥深くにまで届きません。感動は画一的でうわべだけのものになり、簡単に特定の方向へと誘導されてしまいます。例えば、百田尚樹原作の映画『永遠の0(ゼロ)』はその典型です。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    言うまでもなく、すぐれた映画には強烈な力があります。それは詩のもつ力です。人生を一変させるような力です。これから高校の国語で主流になる「論理国語」にはそういった力はありません。ビジネス文書を正確に読み取る力は、会社の役に立っても魂を養うことはできません。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    ブログで何度も言及してきましたが、「論理的思考力」や「速読」は人間の魂の問題を数値化し、商品化しているだけです。商品化にはデータやエビデンスは欠かせませんからね。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    プロパガンダにころりと騙されるのも、この種の「教育」によって、あまりに人間が薄っぺらになったがためです。精神の奥行きがなくなり、ゆで卵のようにツルんとした陰翳のない表情はこうして生まれたのです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    JOKERのような優れた映画が道徳的に危険視され、隠喩の持つ力よりも権力者を信じる人間たちが多い世の中で、映画や文学は人間の命=精神を支えていると言ったところで、「豚に真珠」でしょうね。

                                                     

                                                     

                                                    | 文学・哲学・思想 | 16:15 | comments(0) | - |
                                                    絶望は疾走する − 映画『ジョーカー』を観る。
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                                                      封切られたばかりの映画『ジョーカー』を観てきました。何かと話題の多い映画ですが、とにかく傑作です。優れた文学と同様の予見性を持っています。いや、音楽や映像の持つ力のせいで文学を上回っています。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      この映画のどこが予見性に富んでいるのか、それは見る人によって様々でしょう。小難しい批評は置くとして、主演のホアキン・フェニックスがとにかく素晴らしい。映画の中で彼はとにかくよく走ります。孤独や絶望に追いつかれるのを恐れるかのように。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      予告編がかもし出す悲劇的なトーンが尋常ではなかったので、今日10月4日、封切りの日を首を長くして待っていました。結論を言えば、これまで見た映画の中で最高の作品です。とにかくこれで今年は映画を見る必要がなくなりました。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      一つ一つのシーンが何を意味しているのか、何を象徴しているのか、それを語るのは止めにします。すぐれた作品には、沈黙をもって向き合うほかないからです。

                                                       

                                                      | 読書・映画 | 21:50 | comments(0) | - |
                                                      ドラマ 『チェルノブイリ』を観る。
                                                      0

                                                        このドラマは、かつて事故調査にあたった科学者ヴァレリー・レガソフが、事故の真実をカセットテープに録音し終え、自殺するところから始まります。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        吹き込まれた録音の最後の部分(以下)は、原発が、社会体制を超えて権力機構と癒着する必然性、情報の隠蔽、捏造、ウソの蔓延によって維持されていることを明らかにしています。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        「ウソの代償とは真実を見誤ることではない。本当に危険なのはウソを聞き過ぎて真実を完全に見失うこと。その時どうするか、真実を知ることを諦め、物語で妥協するしかない。人々の関心は誰が英雄かではなく、誰が悪いのかだけ。」

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        そして私たちは今、安倍政権や御用学者、マスコミ、すなわち原子力村が捏造した「物語」の中を生きているのです。3・11を経験してもいまだ目が覚めず、関西電力と原発立地自治体によるマネーロンダリングによる「Win-Winの関係」を見ても、原子力村を解体させるために具体的な行動を取らない国民。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        つまり、有権者の半数が投票に行かない国で、企業のトップや政治家が「膿を出し切る」などと言ったところで、責任を取る必要などないことは重々承知しているのです。何か不祥事が持ち上がるたびに「第三者委員会」に調査を委ねるのなら、彼らはいったい何のために存在しているのか。税金泥棒、給料泥棒以外の何者でもないではないか。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        断言しますが、彼らは人生の途上で一度たりとも自分がこの世に存在する意味を考えたことがないのです。関西電力のトップの顔がテレビに映し出されるたびに、私はそれを確信するのです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        こういう連中に、「公共性」の名の下に私たちの命や暮らしが委ねられているのです。私たちはたまたま「運」によって生かされているだけです。政治家は単なるお飾りに過ぎません。疑う人は以下の過去記事をお読みください。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民

                                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        私は自分の運命を自分で決めようと考える人が、この国で一人でも増えることを願っています。それが民主主義の根本にある考え方です。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        以下はこのドラマの解説です。

                                                         

                                                        史上最悪といわれる大事故を米HBO局がドラマ化し、本国で圧倒的な評価を得た「チェルノブイリ」。その冒頭にあたる10分間の映像が公開された。全ての始まりとなる、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起きた爆発事故の瞬間と、それを遠方から目撃する一般市民、そして現場にいながら何が起きたのか把握できない職員たちの姿が映し出された冒頭映像は、本作を独占放送するスターチャンネルの公式サイトで公開されている。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        ドラマは、かつて事故調査にあたった科学者ヴァレリー・レガソフが、あの時の真実をカセットテープに録音し終え、衝撃的な運命を選択する場面から幕を開ける。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        そこから時代は、1986426日の事故発生時へと遡り、原子力発電所に近いプリピャチ市の住民が、マンションの窓からまばゆい光を放つ原発を目撃。遅れてきた衝撃にマンションが揺れ不安にかられる彼らだが、何が起きているのかわからない。そしてそれは、原発の中央制御室にいる職員たちも同じだった……。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        そこからシリーズは、当時の最高権力者ゴルバチョフ書記長に現場対応を任されたソ連閣僚会議の副議長ボリス、事故の真相解明に奔走する核物理学者ウラナ、そしてハリスを中心に、あの時、現場で何が行われていたのかを追っていく。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        事態を過小評価する責任者たち、次々に放射性物質で汚染された現場へと投入されていく人員、避難を余儀なくされた市民たち、さまざまな立場から事故に向き合った人々の人間ドラマも見どころだ。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        廃炉となったリトアニアの原子力発電所でロケを敢行するなど、当時の状況の再現にこだわり、緊迫の一部始終を全5話のミニシリーズとして描き出した本作は、アメリカの大手レビューサイト、Rotten Tomato において、一般ユーザーから98%の支持を獲得。テレビ界のアカデミー賞ともいえる、今年度のエミー賞でも19ノミネートを果たしており、ミニシリーズの最高峰として最多受賞も期待されている。(編集部・入倉功一)

                                                         

                                                        https://www.cinematoday.jp/news/N0110521

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        海外ドラマ「チェルノブイリ」(全5話)はBS10スターチャンネルで放送
                                                        STAR2 字幕版】925日(水)より 毎週水曜よる11:00ほか
                                                        STAR3 吹替版】930日(月)より 毎週月曜よる10:00ほか
                                                        Amazon Prime Video 「スターチャンネルEX」で 926日(木)よりオンデマンド配信

                                                         

                                                        | 原発 | 13:17 | comments(0) | - |
                                                        顕在化する悪霊たち。
                                                        0

                                                          私は身の程をわきまえているつもりです。したがって、先見の明を誇る気持ちなど全くありません。しかし、予想していたことが次々に現実になっていく様を見ると、歴史の証言者として書き留めておこうという気になるのです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          一昨日のブログでN国の立花孝志党首の発言を批判しました。今日になって朝日新聞が批判していますが、軽減税率の適用と引きかえに安倍政権を批判できなかった自分たちのふがいなさを自己批判すべきです。もっとも、朝日新聞にそれを期待しても無理でしょうが。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          重要なことは、無知と空洞化した人格から発せられるレイシズムと優生思想が社会の中に広く行きわたっていることを認識することです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          新自由主義のイデオロギーであるコーポラティズムと社会ダーヴィニズムは、必然的に優生思想に行きつくのだと、前々から指摘してきました。いや、人間の中に潜む幻想力としての残虐性が優生思想となって人権意識の希薄となった社会の網の目をかいくぐって顕在化すると言った方が正確かもしれません。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          それはともかく、一昨日のブログに書いたN国の立花孝志党首の発言をどうかもう一度お読みください。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          その中で次のように書きました。「歴史を振り返るまでもなく、安倍政権は民族差別と優生思想を胚胎しているのです。私が鬼胎の政権と呼ぶ所以です。こういう政権には必ずや同調者が現れます。それが日本維新の会でありN国です。」と。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          そして、そのN国党からホリエモンが立候補するとのニュースが飛び込んできました。私は全く驚きませんでした。来るべきものが来たのだ、と妙に冷めた気持ちでした。そのうち、長谷川豊の名前も挙がるかもしれません。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          もはや大声で彼らを批判しても、家畜というか奴隷根性のしみ込んだ人間には届かないのです。彼らは「何一つ結果も出さずに文句ばかり言うやつはいつの世にもいるもんだ。」というような、言葉による意思の疎通を断念させるほどの動物的反応しか示せないのですから。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          私は正気を維持するために、小声で、誰も読まないブログに自分の考えを書き留めておこうと思います。2年以上前に書いた記事ですが、今日の状況を予想しています。よかったらお読みください。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          IT成金の皆さんの貧困な想像力

                                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=382

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          | 文学・哲学・思想 | 12:21 | comments(0) | - |
                                                          映画『特捜部 Q カルテ番号 64』を観る。
                                                          0

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            今回この映画を取り上げようと思ったのは、この国の暗部でうごめいている大日本帝国の精神文化(エートス)が堂々と表舞台に登場し、復権を果たそうとしているからです。安倍政権がグロテスクなまでに肥え太り、腐臭を撒き散らし、カルト化したのは、まさに大日本帝国の精神文化から養分を吸収しているからです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            つまり、歴史を振り返るまでもなく、安倍政権は民族差別と優生思想を胚胎しているのです。私が鬼胎の政権と呼ぶ所以です。こういう政権には必ずや同調者が現れます。それが日本維新の会でありN国です。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            その総仕上げが、東京オリンピックを利用した国威発揚であり、「大日本帝国憲法」の制定というわけです。野党の皮をかぶった自民党系子ヒツジたちには、この流れを阻止する力も戦略もないでしょう。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            それを確信したのが、9月29日の『リテラ』の記事でした。

                                                             

                                                            タイトルは「N国・立花孝志のジェノサイド扇動発言を放置するな! 麻生太郎、杉田水脈らも同根 差別をエスカレートさせてきた安倍政権」です。その冒頭だけ引用しますが、是非全文をお読み下さい。

                                                             

                                                            https://lite-ra.com/2019/09/post-5001.html

                                                             

                                                             

                                                            引用開始

                                                             

                                                            立花氏は今月19日にアップされた動画で、自民党から衆院選に立候補したこともある元吹田市議・神谷宗幣氏と対談。増加する世界人口について「食べ物は決まっている量しか出ないわけだから、当然、いずれ戦争が起こるのは自然の摂理でしかたがない」などと持論を述べたうえで、このように主張した。動画から書き起こす。

                                                             

                                                             

                                                            「いや、教育はだって回らないもん。だってバカな国ほど子ども産むから。バカな民族っていうかね。だから、そういう人たちって甘やかすとどんどん子ども産むから。僕、自然の摂理は、人間は食物連鎖のピラミッドで、人間の天敵っていないから、結局、人間が人間を殺さざるをえないっていうのが戦争だと思ってるんですよ。とにかく子どもを産まないように、殺し合いをしなくていいようなコントロールをとにかくかけるしかないのかな。そんな、ある意味、もうすごい大雑把に言うと、そういうアホみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう、みたいな」

                                                             

                                                            引用終わり。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            民族差別と優生思想を精神的な支柱とする国家は必ず破滅します。戦争やテロによるのか、必ず起こる第2の原発事故によるのか、あるいは放射能汚染による緩慢な大量死によってなのか、それはわかりません。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            さて、映画の話に戻りましょう。

                                                             

                                                            この映画は民族差別と優生思想が政治と結びつく必然性を見事に描いています。DVDやネットでも見ることができます。とにかく一級の娯楽作品として面白い。真のサスペンスやお笑いは政治と結びついているのです。政治こそが、いい意味でも悪い意味でも文化の最高形態なのですから。そういう意味で、この映画は日本では絶対に作れません。それを可能にする有能な監督や配給会社がないからです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            本作の脚本は、小説『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』の映画化脚本を手掛けたニコライ・アーセル。

                                                            かつて優生学の名の下に、知的障害者や難病患者が隔離、不妊処置などの人権侵害が行われた時代がありました。社会問題に関心がない人でも、ホラー映画やドラマの舞台として、こういった背景を持つ病院や施設を知った人もいるでしょう。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            誤った優生思想に基づく人権侵害といえば、多くの人がナチスをイメージします。しかし現実では、欧米各国でもある時代までは主流の思想でした。そして日本でも1948年から1996年までの間、「旧優生保護法」の下で知的障害者の女性に対する、本人の同意なき不妊手術が行われたのです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            『リテラ』の記事と『特捜部Q カルテ番号64』は、私のこれまでの問題意識と密接に関連しています。疑う人は以下の関連記事をお読みください。これこそが意図せざる結果を引き起こす安倍政権の恐ろしさなのです。

                                                             

                                                            悪(霊)が降臨する前に。

                                                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=561

                                                             

                                                             

                                                            | 読書・映画 | 22:27 | comments(0) | - |
                                                            「未来がないなら、学ぶ必要もない」− STAND WITH HONG KONG
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                                                              孤独とは自分で自分に話しかけることです。言葉がそれを可能にしました。孤独は人間の特性です。動物が孤独などということはあり得ません。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              言い換えると、誰もが「私」であるということです。そして誰もが「私」であるからこそ、人と人は分かりあえないという一点において分かりあうしかありません。何もレトリックをもてあそんでいるわけではありません。私はこの一点を巡ってブログを書いてきました。しかし、もうそろそろ終わりにしなければなりません。言葉が前提としている能力の自壊現象がとどまるところを知らないからです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              言葉は相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力を前提にしています。この前提を理解する能力を育むのが教育であり、政治なのです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              政治?そんなバカな、と思われるでしょうか。政治とは自分の会社や組織に利益をもたらしてくれる集団や教団とつながり、ある時は平伏し、ある時はその力を利用する営みだと考えれば、そうかもしれません。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              リアリストを自称し、「世の中、そんなものさ」と居直って見せる人間たちは、言葉の本質が相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力であることを理解していません。しかし、政治は言葉の問題なのです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              すべての政治は言葉による対話から始まります。戦争で殺し合っている敵同士ですら、停戦のためには話し合います。いかなる異論であっても対話をすることこそ政治家の仕事なのです。しかるに、政治家が対話をバカにし、言葉を信じなくなった時点でその国は滅亡へのカウントダウンを始めることになります。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              私は教育の末端の、そのまた末端にいるおかげで、どこに希望をつなげばいいのかを考えることができました。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              8月31日のブログで、ある国の文化的・政治的成熟度を見るとき2つの指標があると述べました。

                                                               

                                                               

                                                               1:若者が政治的意見(反政府的意見のことです)を表明する自由すなわち民主主義国に不可欠な表現の自由を行使しているか。

                                                               

                                                              2:時代状況を抉り自国の負の歴史をテーマにする映画を製作する自由があるか。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              そして結論です。希望をつなぐべき若者はいなくなった、ということです。若者は既成の価値観に異議を唱えてこそ若者です。しかし、今はただひたすら親の言う通りに受験勉強に励み、多様なアプリが作り出すVR空間の中で自足しています。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              ブログで取り上げた佐藤ママは、若者の知性を破壊する大人の代表です。幼少のころから子供を受験専用の培養器の中に閉じ込め、下劣な出版社や同種の親たちから承認されることを頼りに、参考書や塾情報を発信し、子供たちの時間を管理することこそが親の仕事だと胸を張っています。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              つまり、日本の若者は親から心配されるだけの存在になったのです。親はただひたすら子供の将来を思い、その利益の最大化につとめています。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              私の言っていることは時代錯誤の妄言でしょうか。違います。世界の中で日本だけはこれまでと同じような社会が続くと信じて、コップの中、いやスプーンの中で暮らしているのが比較的裕福な家庭の実態です。その結果、勉強とゲームと音楽が若者の生活を駆動させるものとなりました。スマホ一つで幸せになれるというわけです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              しかし、目と鼻の先の香港の若者は違います。それが以下の写真です。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              ついに自由を求める香港デモ隊のテーマソングが誕生しました。
                                                              香港の抗議活動を続ける人々の気持ちを代弁した歌詞と荘厳なメロディーが支持され、香港各地のデモで歌われるようになりました。
                                                              作者の男性は「自由や平等などの権利が奪われている。香港に輝かしい未来が来てほしいという願いを込めた。」と話しています。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              新学期が始まった2日、逃亡犯条例案を政府に撤回させるために、香港の中高生およそ4000人が授業をボイコットしてデモを行いました。参加した高校1年生(16)の男子生徒は「僕らと同じ若者が、警官に殴られてケガをしている。ひどい」と怒りをあらわにしました。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              政府は新学期が始まればデモは収束に向かうと期待していましたが、生徒たちは授業をボイコットして、その期待を打ち砕きました。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              この日の集会のテーマは「未来がないなら、学ぶ必要もない」でした。高校3年生の女子生徒(18)は、香港返還から50年は守られるはずの「一国二制度」が次第に骨抜きにされ、香港が中国に呑み込まれようとしていると感じて次のように言います。「大人になった時、香港がどうなっているか怖い。自分の将来のためにも抗議はやめない」と。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              そして9月4日、香港政府トップの行政長官が逃亡犯条例案の撤回を表明しました。日本の中高生の皆さんは逃亡犯条例案の中身を知っているでしょうか。調べる気のない人は、私のブログを読むのを止めて受験勉強に専念することです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              以下は

                                                              周庭 Agnes Chow Ting さんのツイッタ―からです。

                                                               

                                                               

                                                              条例の撤回は喜べません。遅すぎました。 この3ヶ月間、

                                                              8人が自殺。

                                                              3人が警察の暴力によって失明。

                                                              2人がナイフを持つ親北京派に攻撃され、重傷。

                                                              1,000人以上逮捕。

                                                              100人以上起訴。

                                                              怪我した人は数えきれないです。

                                                               

                                                              私たちは、5つの要求を求めています。これからも戦い続けます。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              9月10日の彼女のツイッタ―によれば、「昨日の朝、200校以上の中学、高校の生徒が学校の前で手をつないで「人間の鎖」を作り、抗議活動への支持を示しました。」とのことです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              お前は日本の中高生にデモをけしかけているのか、と考える人もいるかもしれません。そうではありません。日本の中高生がデモをする時は、国民的な規模でデモが起こっているはずです。そしてその時は、もはやすべてが手遅れになっている時です。それくらいの認識は持ってほしいと言っているのです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              安倍政権は、国民を税金を絞り取るだけの存在だと考えています。ここ1年を振り返っただけでも明白な事実です。そして今回の内閣改造。文部科学大臣に誰を据えているか見ただけでその本質がわかります。もちろん、台風被害で苦しんでいる人のことなど眼中にありません。彼らの発する言葉は、相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力を根底から欠いているのです。

                                                               

                                                              | 中高生の皆さんへ | 12:07 | comments(0) | - |
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