CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
RECOMMEND
RECOMMEND
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
RECOMMEND
 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
RECOMMEND
茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
RECOMMEND
RECOMMEND
「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
卑怯者の島: 戦後70年特別企画
卑怯者の島: 戦後70年特別企画 (JUGEMレビュー »)
小林 よしのり
2015年に読み、感動した本(漫画)です。個人的には、これは小林よしのりの最高傑作だと思っています。『堕落論』とあわせて読んでほしいと思います。左右に関係なく、あなたが絶えず仮の足場を求めて思考を継続する意思を持つなら、避けて通れない著作です。
RECOMMEND
RECOMMEND
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
RECOMMEND
RECOMMEND
知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) (JUGEMレビュー »)
エドワード・W. サイード
いわゆる「知識人」なるものが絶滅して久しい。しかし、サイードの言う知識人の定義は時代がどんなに変わっても常に新しい。「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」高校生や大学生にはぜひとも読んでほしい本です。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
磯崎新と藤森照信の茶席建築談議 (JUGEMレビュー »)
磯崎 新,藤森 照信
この本は茶室を巡る様々な建築的発想・知識の宝庫です。それにしても磯崎新氏の驚くべき記憶力と該博な知識には驚かさされます。建築史を語るには欠かせない二人の対談です。時がたつのを忘れさせるほどの面白さでした。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)
フェイクニュースの見分け方 (新潮新書) (JUGEMレビュー »)
烏賀陽 弘道
私は政治的な言葉と詩的言語の間を、その振幅が大きいがゆえに、往復することによって精神を活性化させています。政治的な文章を読むときに気をつけていることは、ファクトとオピニオンを区別することです。これはイロハのイだと思っていたのですが、今はお互い罵詈雑言の投げつけ合いで、言論空間がいびつになっています。これは今の政治を反映したものでしょう。菅官房長官が「問題ない」「その指摘は当たらない」などといったコミュニケーション遮断語を頻繁に使いだしてから、この傾向は加速しています。言論空間のゆがみを正し、正常な論争が復活することがあるのでしょうか。地に足がついた生き方をしたいなら、まず気分に流されず、事実を見極めることから始めなければなりません。事実を提示しないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。そのことを確認するためにも本書は必読です。本物の読解力をつけたいと考えている中高生には特にお勧めです。
RECOMMEND
 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
RECOMMEND
チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫)
チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫) (JUGEMレビュー »)
大河内 直彦
アインシュタインの名言のひとつに、「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」があります。
本書は文系・理系を問わず、高校生や大学生必読の本です。単に気候の科学を紹介しただけではなく、科学者たちのさまざまな逸話を紹介しながら、科学における知識・研究の積み重ねの重要性を教えてくれます。この本にのめり込むかどうかが、あなたの知性のリトマス試験紙になります。受験勉強的発想の狭隘な世界観を粉砕してくれるかもしれません。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
見て見ぬふりをする社会
見て見ぬふりをする社会 (JUGEMレビュー »)
マーガレット ヘファーナン
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
新・日米安保論 (集英社新書)
新・日米安保論 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
RECOMMEND
英語の実際的研究 (1969年)
英語の実際的研究 (1969年) (JUGEMレビュー »)
秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
安倍首相から「日本」を取り戻せ! !
安倍首相から「日本」を取り戻せ! ! (JUGEMレビュー »)
泥 憲和
まともな言説は、誰にでもわかる易しい言葉で書かれています。そして、それが本物であればあるだけ、真実を直視する勇気のない、臆病者からバッシングを受けます。安倍政権や維新の会のヤクザ議員からバッシングを受けない言説は何のインパクトもない、ニセモノだと言ってもいいくらいです。泥さんの発言は、間違いなく政権にとって都合の悪いものだったのです。表紙の写真はコワいですが、この本を読めば泥さんの優しい心根に触れることができます。
RECOMMEND
RECOMMEND
スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
スノーデン 日本への警告 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
日本力
日本力 (JUGEMレビュー »)
松岡正剛,エバレット・ブラウン
テレビを始めとするメディアを通じて、何かといえば日本はスゴイ!と叫んでいる、あるいは叫ばないと身が持たない人たちに読んでもらいたい本です。だってそれは日本人がまともな思考をしてこなかった、今もできていないことの裏返しでしかありませんからね。日本スゴイと叫んでいる人を見ると、自分が持っている劣等感をこんな形でしか表現できないのかと思って気の毒になります。日本スゴイ!だからどうしたの?あなたは何をやりたいわけ?
RECOMMEND
まんが政治vs.政治まんが――七人のソーリの一〇年
まんが政治vs.政治まんが――七人のソーリの一〇年 (JUGEMレビュー »)
佐藤 正明
今の政治状況に対して、まともに反応すればするほど、こちらがアホに思えてきます。正面突破は犠牲者が出るだけでなく、精神的にも疲労困憊しますからね。こういう時代の表現方法は、もはや風刺とブラックジョークしか残っていない気がします。
RECOMMEND
魂の殺人―親は子どもに何をしたか
魂の殺人―親は子どもに何をしたか (JUGEMレビュー »)
A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
RECOMMEND
生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書)
生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書) (JUGEMレビュー »)
五味 洋治
天皇陛下が去年8月のお言葉で一番国民に伝えたかったのは、一言で言うと安倍首相の改憲を許してはならない、ということだったのです。それはブログでも再三書いてきましたが、今上天皇の20年にわたる慰霊の旅や国民に寄り添う姿勢が何よりそのことを証明しています。普通の読解力があれば分かることです。しかし、安倍首相には肝心の読解力がありません。安倍首相は今上天皇の思いを、単なる生前退位の「制度上の問題」にしてしまったのです。これは明らかな策謀です。国民は今一度、天皇陛下のメッセージに真剣に耳を傾けるべきです。
RECOMMEND
RECOMMEND
教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫)
教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫) (JUGEMレビュー »)
羽仁 五郎
1979年、今から38年前に出版されたこの本を読み返しました。そして愕然としました。羽仁五郎が指摘したことがますますリアリティーをもって、前景化しています。福沢諭吉も言うように文部科学省はいらないのです。教育関係者は、自らの原点に戻るため、この本を読むべきです。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
服従
服従 (JUGEMレビュー »)
ミシェル ウエルベック
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容
排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容 (JUGEMレビュー »)
森 千香子
第16回大仏次郎論壇賞を受賞した本作は、従来時間軸で論じてきた社会学の手法に、パリ郊外というエスニック・マイノリティーが住む「空間」を突きつけ、彼らがなぜグローバルテロリズムに追い込まれるのかを明らかにしたものです。

一読し感銘を受けました。問いを生きるという学問の原点が、彼女のフィールドワークにつながり、「移民たちは、彼ら自身に問題があるのだという視線を注がれていました。でも実際には、多数派による差別が問題を生み出していた。問題は社会の側にあったのです」と結論付けます。

この著作は日本社会のみならず、世界のこれからを考えるのに、大いに役立ちます。これぞ学問と言えるものです。『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 』とあわせて読むことを勧めます。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
黒い巨塔 最高裁判所
黒い巨塔 最高裁判所 (JUGEMレビュー »)
瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
RECOMMEND
被災の思想 難死の思想
被災の思想 難死の思想 (JUGEMレビュー »)
小田 実
若い人は彼の仕事も、名前すら知らない人もいるでしょう。来年で没後10年になります。彼が生きていたら、3・11をどうとらえ、どう表現していたか。それを見たかったし、彼の発言を聞きたかった、とつくづく思います。ジャーナリズムは劣化の一途をたどり、教育は非民主的な社会に適応できるように、こどもたちに真実を教えません。すべてのものには歴史があります。今ある世界が全てではなく、それを作り出した社会と人間の営みがあったのです。もし若い人が自由に生きようと思うのであれば、そして元気を出したければ、彼の著作を読んでみることです。『何でも見てやろう』でもいいですね。とにかく一冊手にとって見てください。そして彼の提示した問いに答えてみてください。
RECOMMEND
そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
RECOMMEND
選挙 [DVD]
選挙 [DVD] (JUGEMレビュー »)

想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
RECOMMEND
職業としての政治 (岩波文庫)
職業としての政治 (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
RECOMMEND
熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ) (JUGEMレビュー »)
中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
RECOMMEND
電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ
電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ (JUGEMレビュー »)
本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
RECOMMEND
英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)
英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
施 光恒
英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
RECOMMEND
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか (JUGEMレビュー »)
矢部 宏治
前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
RECOMMEND
日本会議の研究 (扶桑社新書)
日本会議の研究 (扶桑社新書) (JUGEMレビュー »)
菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
RECOMMEND
経済学の船出 ―創発の海へ
経済学の船出 ―創発の海へ (JUGEMレビュー »)
安冨 歩
経済学という自己正当化の道具、あるいは権力に寄生するための方便を分かりやすい言葉で暴露した本物の経済学の本。宇沢弘文氏の「社会的共通資本」と併せて読むことをすすめます。
RECOMMEND
偶有性操縦法 -何が新国立競技場問題を迷走させたのか-
偶有性操縦法 -何が新国立競技場問題を迷走させたのか- (JUGEMレビュー »)
磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
RECOMMEND
新・戦争のつくりかた
新・戦争のつくりかた (JUGEMレビュー »)
りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
RECOMMEND
バラカ
バラカ (JUGEMレビュー »)
桐野 夏生
権力も財力もない人間は、想像力を武器に戦うほかありません。以前ブログでも取り上げた『亡国記』とともに読むことをすすめます。
RECOMMEND
「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書)
「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
吉見 俊哉
文部科学省と財界は文系学部、特に社会思想を研究する学部を標的にして、その廃止を迫っている。これがどれだけ短慮で、バカげたことかヨーロッパの大学を見てみればよい。コンピテンス、要するに高速事務処理能力と記憶力を重視する理系学部さえあれば国は繁栄するという考え方です。文系学部は「結果を出せない」といいます。株式会社化をなりふりかまわず進めようとする国の中で、文系学部は穀つぶしだと映っているのでしょうね。この国の知性の劣化はとどまるところを知らないようです。
RECOMMEND
福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題
福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題 (JUGEMレビュー »)
烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
RECOMMEND
多読術 (ちくまプリマー新書)
多読術 (ちくまプリマー新書) (JUGEMレビュー »)
松岡 正剛
松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
永遠平和のために (岩波文庫)
永遠平和のために (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
RECOMMEND
みんなが聞きたい 安倍総理への質問
みんなが聞きたい 安倍総理への質問 (JUGEMレビュー »)
山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
RECOMMEND
転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423) (JUGEMレビュー »)
ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
RECOMMEND
拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々
拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々 (JUGEMレビュー »)
蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
RECOMMEND
田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」
田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」 (JUGEMレビュー »)
渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
RECOMMEND
日の名残り コレクターズ・エディション [DVD]
日の名残り コレクターズ・エディション [DVD] (JUGEMレビュー »)

本では土屋正雄氏の名訳が出ていますが、できれば英語で読んでもらいたい小説です。カズオ・イシグロの文章は読んでいてとても気持ちがいい。素晴らしい文体です。いつの間にか声に出して読んでいることがあります。ジョージ・オーエルと並んで私が最も好きな海外の作家です。彼が書くような英語を書きたいですし、彼のように考え、話したいものです。DVDを見た後は、是非小説も読んでください。
RECOMMEND
チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)
チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫) (JUGEMレビュー »)
スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
RECOMMEND
経済の時代の終焉 (シリーズ 現代経済の展望)
経済の時代の終焉 (シリーズ 現代経済の展望) (JUGEMレビュー »)
井手 英策
今年の大佛次郎論壇賞、受賞作品。今年の2月に読み、いろいろと考えるヒントをもらった本。ブログでも紹介したいと思います。
RECOMMEND
会社はこれからどうなるのか
会社はこれからどうなるのか (JUGEMレビュー »)
岩井 克人
資本主義社会に生きるということは、会社といかにかかわるかを意味します。それほど私たちの働き場所として会社は大きな力を持っています。その会社がこれからどうなるのかを、数少ない本物の経済学者・岩井克人氏が洞察しています。凡百の経済評論家には決して書けない本です。今からでも遅くない。是非読んでみてください。
RECOMMEND
RECOMMEND
日本精神史(下)
日本精神史(下) (JUGEMレビュー »)
長谷川 宏
著者は私と同じく学習塾を営む在野の哲学者。私が塾を始めた時、著者の『赤門塾通信』を読み、励まされました。

上下2巻で、結構なヴォリュームですが、やっと読み終わりました。今改めて日本の精神史をたどりなおしたいと考えている人には、ぜひ勧めたいと思います。感想は又いつか別の機会に。
RECOMMEND
人間の建設 (新潮文庫)
人間の建設 (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
小林 秀雄,岡 潔
小林秀雄は、私を文学や哲学の世界にいざなってくれた恩人です。彼と岡潔との対談です。
この本を理解できる政治家はおそらくいません。いたら、絶滅危惧種でしょう。
小林秀雄、岡潔、鈴木大拙のような人間はもう出てこないでしょうね。こういう人間を生み出す土壌が日本にはなくなりました。
代わりに登場してきたのが、橋下徹やホリエモンこと堀江貴史といった、マスコミによって改革の旗手と持ち上げられたマネー資本主義の申し子たちです。
感情を劣化させた人間が幅を利かせる社会は、効率を追求し、競争を加速させるだけの生きづらい社会です。日本社会はどうしようもなく劣化が進んでいます。
RECOMMEND
春宵十話 (角川ソフィア文庫)
春宵十話 (角川ソフィア文庫) (JUGEMレビュー »)
岡 潔
教育で最も大切であるにもかかわらず、多くの人が忘れているのが感情教育です。世界的数学者・岡潔のことばでは「情緒」ということになります。普通、情緒とは正反対にあると考えられている数学のような学問で、ブレイクスルーをもたらすものは「情緒」だと岡潔は言います。今回読み直してみて、その深い洞察力と、そこから出てくるみずみずしい感性と新しさに、改めて驚かされました。

こどもの将来を本当に考える親なら、あれこれ参考書を買い与えるより、是非この本を読むことをすすめます。私たちが失ったものの価値が分かり、呆然とするはずです。

この本を読んで何も感じなかったらどうするのか?
残念ですが、どうしようもありませんね。これまで通り、自分の信じる道をお進みください。
RECOMMEND
日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫)
日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫) (JUGEMレビュー »)
鈴木 大拙
鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
RECOMMEND
アクト・オブ・キリング オリジナル全長版 2枚組(本編1枚+特典ディスク) 日本語字幕付き [DVD]
アクト・オブ・キリング オリジナル全長版 2枚組(本編1枚+特典ディスク) 日本語字幕付き [DVD] (JUGEMレビュー »)

人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
RECOMMEND
社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学 (JUGEMレビュー »)
ジョナサン・ハイト
私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
RECOMMEND
食う寝る遊ぶ 小屋暮らし
食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
RECOMMEND
SEALDs 民主主義ってこれだ!
SEALDs 民主主義ってこれだ! (JUGEMレビュー »)

彼らのことばを、かっこよすぎる、青すぎる、自分たちだけが正しいと思っているなどと冷笑する前に、まず読んでみることです。体制に異議を申し立てる立場になって、政権の経済政策はおかしい、防衛安全保障の議論は間違っていると言い続けることがどれほど大変なことか。生活とデモを両立させながら生きることがどれほどのストレスを抱え込むことになるのか。権力側につけば、反論する必要もなく、相手が言っていることを細かく検証する必要もない。大手マスコミの言うことをそのまま信じていればいいだけです。自らの感情が劣化していることにすら気づきません。老若男女を問わず、とにかく一読することをすすめます。
RECOMMEND
暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
RECOMMEND
パン屋の手紙―往復書簡でたどる設計依頼から建物完成まで
パン屋の手紙―往復書簡でたどる設計依頼から建物完成まで (JUGEMレビュー »)
中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
RECOMMEND
中村好文 普通の住宅、普通の別荘
中村好文 普通の住宅、普通の別荘 (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
RECOMMEND
森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)
森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
H.D. ソロー
この本は実は哲学的で難しいですね。最初から熟読するのではなく、折に触れてページをめくるような読み方がいいようです。ところどころに、ブログで紹介したような言葉があり、はっとさせられます。彼のアフォリズム集として読むのがおすすめです。
RECOMMEND
堀部安嗣の建築
堀部安嗣の建築 (JUGEMレビュー »)
堀部 安嗣
堀部氏のスケッチと自身で撮った写真集。これ見よがしの作家性を前面に押し出したところがない。簡素で謙虚だが、気品に満ちた佇まいは何度見ても見飽きることがない。ブログを書くために、もう一度最初から読み直してみたが、やはり素晴らしい。
RECOMMEND
民主主義ってなんだ?
民主主義ってなんだ? (JUGEMレビュー »)
高橋 源一郎,SEALDs
「民主主義が終わってるなら、始めるぞ!」そのとおりです。彼らは「○○大学、○○○○(氏名)、私は戦争法案に反対します」と堂々と個人の責任で発言している。ネット上で匿名で反対意見を罵倒する勢力に比べると何とすがすがしいことか。デモや民主主義について一から考えたい人、あるいは、それくらいのことはわかってるつもりだという学者の皆さんに読んでもらいたい。もちろん大学生や18歳で選挙権を持つ若い人たちにも。ただし、民主主義は感情統治だの多数決だのと言っている橋下徹やホリエモンこと堀江貴史は読まなくてよい。あなたたちはSEALDsの新しさを理解する能力を欠いているから。
RECOMMEND
亡国記
亡国記 (JUGEMレビュー »)
北野慶
私たちの身の回りに起こったことは、日々の忙しさにかまけてすぐに忘れてしまいます。しかし、本当の想像力を持っていれば、それは現実を見る目を変えてくれますし、日々の生き方をも変えてくれます。一人でも多くの人に、この本を読んでもらいたいと思います。
RECOMMEND
ヤコブセンの建築とデザイン
ヤコブセンの建築とデザイン (JUGEMレビュー »)

北欧デザインの巨匠。実は「夏の家」もさることながら、彼の自邸も素晴らしい。この本をめくりながら、私は何度もため息をつきました。家具だけでなく、彼の建築家としての仕事も是非ご覧ください。
RECOMMEND
Louis I.Kahn Houses―ルイス・カーンの全住宅:1940‐1974
Louis I.Kahn Houses―ルイス・カーンの全住宅:1940‐1974 (JUGEMレビュー »)
斎藤 裕
フィッシャー邸、エシェリック邸の外観、内部を詳しく見ることができる。折に触れてこの本を開き、インスピレーションをもらった。カーンとの出会いがなければ、私の住宅のイメージは決して像を結ばなかったと思う。現実のフィッシャー邸は、かなり傷んでいるとのこと。写真でしか見られなくなる日も近いかもしれない。
RECOMMEND
かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) (JUGEMレビュー »)
白洲 正子
言わずと知れた白州さんの名紀行文。観光ブームとは一線を画し、日本の文化・歴史を、そして自分を見つめる旅をしたい人にはおすすめです。蛇足ですが、この紀行文は、1970年、世間が大阪万博で浮かれていた時代に書かれました。
RECOMMEND
丘の上の修道院 ル・コルビュジエ 最後の風景
丘の上の修道院 ル・コルビュジエ 最後の風景 (JUGEMレビュー »)
范 毅舜
無神論者だった ル・コルビュジエ が、自分が死んだあと亡骸を一晩ラ・トゥーレットの修道院に留め置いてほしいと書き遺したのはなぜか。芸術はついに宗教を超えることはできなかったのか。美しい写真とともにその謎に迫る。気がつけばいつの間にかページをめくって、その答えを探そうとしている自分を発見する。
RECOMMEND
RECOMMEND
福島原発 現場監督の遺言
福島原発 現場監督の遺言 (JUGEMレビュー »)
恩田 勝亘
メディアで働く人間の中にも、恩田氏のような人はいる。しかし、圧倒的少数派である。私は、たとえ少数派でも真実を報道する記者を断固支持する。
RECOMMEND
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―
原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― (JUGEMレビュー »)
安冨 歩
安倍政権とそれを支える「日本会議」の面々、そこに群がる政治家、財界人、原子力規制委員会の田中委員長、マスコミの言葉使いの欺瞞性を見事にあぶりだしてくれた本。今読み返してみて、あらためてその先見性と普遍性に驚く。
RECOMMEND
東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命
東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命 (JUGEMレビュー »)
広瀬 隆
長々とコメントは不要。あなたが生き延びたければ読むべきです。見ざる、言わざる、聞かざる、になって、今の生活を守りたければ、陰謀論として一蹴すればよい。
RECOMMEND
原子炉時限爆弾
原子炉時限爆弾 (JUGEMレビュー »)
広瀬 隆
言わずと知れた広瀬隆氏の大ベストセラー。東日本大震災と原発事故を予見した書。広瀬氏は大手マスコミから徹底的に排除されているため、まだ読んでいない人は是非読むべき。反論があれば具体的にすべきです。
RECOMMEND
死都日本 (講談社文庫)
死都日本 (講談社文庫) (JUGEMレビュー »)
石黒 耀
12年前に読み、衝撃を受けた本。純粋に小説として読んでも面白いこと請け合い。しかも、将来の備えにもなるという、一石二鳥。私はこの本を読んで車を4WDに乗り換えたほどです。
RECOMMEND
電気がなくても、人は死なない。
電気がなくても、人は死なない。 (JUGEMレビュー »)
木村 俊雄
木村さんの人柄に感銘して、応援する意味も込めてこの本を購入しました。未来のこどもたちのために、私たちが無理なく、今すぐできることが書かれています。私たちが電気ポットの使用をやめるだけで、原発3基分の電力が節約できます。原発再稼働には何一つ合理的な理由がありません。日々私たちにできることから始めましょう。この本を買って木村さんを応援しましょう。
RECOMMEND
小さな森の家―軽井沢山荘物語
小さな森の家―軽井沢山荘物語 (JUGEMレビュー »)
吉村 順三,さとう つねお
ヤドカリは身の丈に合った「家」を探します。原寸大の生活そのものを楽しむためには、家にお金をかけすぎない、ということも大切です。たかが家です。そのために無理をしたり家族がバラバラになるなんて、悲しすぎますね。自分にとっての居心地の良さとは何かを考えるヒントになる本です。
RECOMMEND
戦争をしない国 明仁天皇メッセージ
戦争をしない国 明仁天皇メッセージ (JUGEMレビュー »)
矢部 宏治,須田 慎太郎
安倍首相および安倍政権の中枢にいる人に読んでもらいたい。彼らがまともな読解力を持っていることを願うのみである。そして、いうまでもないことですが、若い人々に読んでもらいたい本です。
RECOMMEND
異郷日記
異郷日記 (JUGEMレビュー »)
西江 雅之
南方熊樟とともに、私が尊敬する言語学者にして文化人類学者。2015年6月14日没。またユニークな学者が一人この世を去った。残るは御用学者ばかりか?
RECOMMEND
紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす
紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす (JUGEMレビュー »)
武田 砂鉄
「テロとの戦い」という言葉は、アメリカ側からの発想。アフガニスタンやイラクの一般市民にとっては「米軍による軍事侵略」。自分独自の、紋切型ではない、みずみずしい新たな言葉を紡ぎだすために。
RECOMMEND
歴史の暮方 (中公文庫)
歴史の暮方 (中公文庫) (JUGEMレビュー »)
林 達夫
林達夫著作集全6巻(平凡社)は絶版になっていると思われます。林達夫ほどの大知識人でも、これほどストレートに、赤裸々に自分の感情を表現するのだと思い、ずいぶん励まされました。若い人たちは、自分の悩みをどこまでも掘り下げることによって、自分のやりたいことを見つけることができるのです。
RECOMMEND
本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る
本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る (JUGEMレビュー »)
伊勢崎 賢治
若い人たちが本当に能力を発揮するためには、自分たちが生きている世界を知る必要がある。大学に入ることは、人生の目的ではない。自分の目的を達成するための通過地点に過ぎない。真理は人を自由にするのです。
RECOMMEND
エリック・ホッファー自伝―構想された真実
エリック・ホッファー自伝―構想された真実 (JUGEMレビュー »)
エリック ホッファー
人間が生きるとはどういうことか、幸福とは何かを考える人に安っぽい希望や夢ではなく、勇気を与えてくれる。私の座右の書。
RECOMMEND
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか (JUGEMレビュー »)
矢部 宏治
18歳から選挙権を持つことになった若い人たちに是非読んでもらいたい本。この本に書かれてあることをすべての議論の出発点にすべきである。無知は悪である。
RECOMMEND
文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫)
文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫) (JUGEMレビュー »)
アンヌ モレリ
安保法制を合憲だと主張する人の用語集。人間は変わらないということを痛感させてくれる。この本でリテラシーを高めることが唯一の希望となる。
MOBILE
qrcode
「ひとりの人」のために。
0

    日常生活にまつわるどんな問題であれ、つじつまの合わないことを平気で言い、相手によってそのつど判断を変え、しかもそのことを自覚していない人間と付き合うことはできません。

     

     

     

    人間ならこういうときにはこう感じるだろう、こう行動するだろうという予測というか信頼があってはじめて共同体や社会は成り立っているはずです。ところがここ数年、正確に言えば3・11以降、この「期待の地平」ともいうべきものが、社会から急速に失われています。

     

     

     

    目にするもの、耳にするものの大部分がフェイクであり、「つつましやかな日常」自体が、政権やメディアによって都合の良いように偽造され、日々の生活規範である「道徳」までが学校教育によって画一的に押し付けられようとしています。

     

     

     

    テレビを通じて流される幸福な家族のイメージ、他人から羨まれるような「生き方」の蔓延、ようするにウソのように軽い日常の氾濫で、私たちの感情は限りなく劣化しています。

     

     

     

    いったいどこに救いがあるのだろうかと思っているときに『万引き家族』を観ました。封切られてすぐに観たのですが、感想を述べる気にならず、ただただ、世間は物事の真実は見ないし、決して正解しないものだという思いがしきりにして、沈黙するしかなかったのです。反面、この映画で少し救われたのも事実です。

     

     

     

     

     

    内容について書くことは省略します。いい映画はとにかく観て、身体で受け止め、残響を反芻するしかないからです。

     

     

     

    この映画の中で、安藤サクラ演じる女性が、両親から虐待を受けていた5歳の女の子を「誘拐」したということで女性警察官からさとされる場面があります。安藤サクラは夫から受けた虐待の経験(言葉で表現できるわけがありません)から逃れるようにして『万引き家族』といっしょに生活していたのです。

     

     

     

    女性警察官は言います。「こどもは、やっぱり親の下で暮らすのが一番なのよ」と。それに対して、安藤サクラは一切反論せず、ただ涙を流すだけで、何度も何度も手で涙をぬぐいます。おそらく是枝監督はこのシーンを撮るために映画を作ったのではないかと思えるほどでした。

     

     

     

    この映画の中には、さまざまなエピソードが挿入されていますが、少年が学校の教科書を読む場面があります。それが『スイミ―』です。皆さんの中には、この話を知っている人も多いと思います。もうずいぶん昔になりますが、私は本屋でこの本(英語で書かれた原版ですが)を見つけ、こどもに読んで聞かせたことがあります。以下がその本です。一人一人は小さくて無力でも、力を合わせれば大きな魚を追い払うことができる、という単純明快な論理です。下の絵で、スイミーは大きな魚の目になっています。

     

     

     

     

     

     

    これに関して、パルムドール賞を受賞してから是枝監督が日本外国特派員協会で会見を開いた時の談話があります。とても大事な話です。以下に引用します。

     

     

     

    引用開始

     

    ― 今回の取材で一番印象に残っているのは、親からの虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子どもたちの取材に行ったときのことです。ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子に「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」と思いました。

     

     朗読をしているその女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに少年が教科書を読む、というシーンの台本を書きました。

     

    テレビをやっていた時代、先輩に「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。20代の頃に言われて、今もずっとそうしています。

     今回は・・・今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。― 引用終わり。

     

    https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/koreeda-20180607_a_23452833/

     

     

     

    ここには創作の原点が述べられています。なぜ映画を撮ったのか、是枝監督のようにその動機が後で分かることもあります。高畑勲監督が亡くなり、宮崎駿監督がコメントを出せないでいた時、ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しています。

     

     

     

    捏造された歴史や歪められた解釈からは知性も感情も生まれようがありません。どうやら、私たちの<生>は、「ひとりの人」のために像を結び、そこのみにてかがやくようになっているようです。

     

     

     

    「存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。」

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=500

     

    「自由で公平で平和な国で死にたい」

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=485

     

    参考までに、よければ以下の記事もお読みください。

     

    カンヌ受賞でもネトウヨは是枝裕和監督と『万引き家族』が大嫌い! 安倍首相は無視、百田尚樹と高須克弥はバッシング

    http://lite-ra.com/2018/06/post-4050.html

     

     

    | 中高生の皆さんへ | 13:06 | comments(0) | - |
    日本の貧困は教育の貧困である。
    0

      このタイトルで書きたいことがいっぱいあるのですが、教育の貧困を何よりも雄弁に語る以下の動画をご覧ください。

       

      参議院 内閣委員会、平成30719

       

       

       

       

      政治家としてまともな感覚が残っているのは、今や山本太郎氏を始めとして、片手で数えられるほどになってしまいました。高校中退の人間が高学歴エリートたちを問い詰めています。これこそが普遍的な感情の持つ力です。生きる上で大切なのは、社会に対して(つまり今生きている人間のみならず、死者や後世の人間たちに対しても)どう向き合うのかということです。

       

       

       

      カジノ法案の座長を務めている自民党の岩屋毅氏はわが大分県の選出議員です。こんな男を国会議員にしたのが大分県人であることを、私は心の底から恥ずかしく思います。

       

       

       

      そもそも、国会議員や総理大臣、その背後に控える官僚といえば、日本の知性の代表のはずです。彼らは高学歴で、何不自由なく育った二代目三代目の政治家たちが多い。東大を卒業した優秀な人間たちが最終的に集まる場所が国会のはずです。

       

       

       

      しかし、今や国会は、人間の感情を持たない利権屋かヤクザの集団になってしまいました。宗教的なカリスマの下に集まり、政党を作り、あげくに人格を空洞化させ、アメーバ集団になり下がった公明党に至っては、自分たちが何をしているのかさえ分かっていません。

       

       

       

      いや、そうならなければ安倍政権と手を組めるはずなどないのです。政治家としての矜持も、人間としての良心も捨てなければ、安倍政権の下に蝟集などできるわけがありません。公明党が果たした役割は、自民党のオウム化、すなわち人格の空洞化であったと後世の歴史家は書くことでしょう。

       

       

       

      今の自公政権は、ガンジーの言う「7つの社会的罪」にまみれて、それを自覚すらしていない人間たちの集まりとなりました。

       

      ブログで何度も指摘しましたが、再度掲げておきます。

       

       

      1.理念なき政治
      2.労働なき富
      3.良心なき快楽
      4.人格なき学識
      5.道徳なき商業
      6.人間性なき科学
      7.献身なき信仰

       

       

       

      改めて書き出してみると、私たちの周囲はこの種の人間で満ちあふれています。特に社会的地位にしがみつき、自分が何をするために生まれてきたかを自問自答したことのない人間たちは、「労働なき富」「人格なき学識」「道徳なき商業」の実行犯なのです。

       

       

       

      それは言うまでもなく、グローバリズムとコマーシャリズムの中でカルト化し、分断された教育の貧困がもたらしたものです。それについては、身近なところから少しずつ書いていくことにします。

       

       

      | 中高生の皆さんへ | 23:11 | comments(0) | - |
      部活が中学生の頭を悪くする!
      0

        私はスポーツが好きでした。少年の頃は地域の少年野球のチームに入っていました。と言っても、遊び仲間が中心となって自然発生的にできたものです。今のように、遠征や公式戦のスケジュールに則って運営されるサッカーや野球クラブとは違います。

         

         

         

        夏休みに大会があり、優勝したこともあります。ユニフォームもなく、上はTシャツかランニングで下は半パンでした。もちろんスパイクなど履いたこともありません。子供以上に親が熱心になることもなく、試合に親が来ていることもありませんでした。親に優勝報告をしたら、それはよかったわね、で終わりでした。もっとも、父は決勝戦をバックネット裏で見ていましたが。

         

         

         

        今日のように太陽がじりじりと照りつける猛暑の日には、友達といっしょに木陰で休息を取るか、セミ捕りや虫とりに興じていました。大分川の上流に魚釣りに行き、飽きるとパンツ一丁になり泳ぎました。親が見たら卒倒するような危険な遊びもしました。子供たちは親の目の届かないところで一日中好きなことをしていたのです。人生の黄金の時期で、世界も時間も自分の思うままだという感覚に満たされていました。思えば、いい時代でした。

         

         

         

        野球では巨人ファンだったこともあります。テレビで巨人の試合しか見ることができなかったのと、父親が巨人ファンだったからです。なぜ巨人が好きなの、と父親に尋ねた時、巨人ファンというより長嶋が好きなんだ、との答えが返ってきました。なるほどね。要するに、ある制約された条件の下では人間は決まった行動をとったり、同じような考えになったり、感じ方まで似てくるのだと、子ども心に思ったものです。

         

         

         

        今この国は一見自由に見えます。しかし、私から見れば自由でも何でもありません。沈没する運命にある豪華客船の中で周囲の空気を読み、同じように感じ、同じように行動し、決して集団の和を乱さないように振舞っているだけです。そんな中にいると、人格が透明になり、流れ出し、アメーバのように一体化して、重心のある方向にただ動いていくだけになります。

         

         

         

        コミュニケーション力といい、アクティブラーニングといい、すべて周囲の顔色をうかがうことが得意な人間を育てるに過ぎません。自分の言葉も、意見も、ついには感情すら、ニセモノをつかまされて、いったい人間は幸福になれるとでも思っているのでしょうか。アメーバ国家、ニッポン!チャチャチャ。

         

         

         

        以下の京都新聞の記事をお読みください。この教師も生徒も、失敗した教育の見本です。

         

        校舎80周走れ」生徒倒れ救急搬送 滋賀・中学部活顧問が指示

        7/14(土) 6:00配信

         

         

        ― 大津市の南郷中で、ソフトテニス部2年の男子生徒が部活動中に「校舎周囲を80周走れ」と顧問の教諭から指示され、途中で倒れて救急搬送されていたことが13日、同中や市教委への取材で分かった。生徒は熱中症と診断され、同中は「行き過ぎた指導だった」と謝罪した。


         同中と市教委によると、生徒は12日午後の部活動中、練習中にミスが目立ったことなどを理由に、30代の男性顧問から「校舎周囲を80周走ってこい」と命じられた。午後5時10分ごろ、生徒が倒れているのを校内で作業をしていた工事業者が見つけた。生徒は救急搬送され、その日の夜に退院し、13日は学校を休んで静養したという。


         生徒が走らされた校舎外周は1周約230メートルで、80周で18キロ超になる。生徒が倒れたのは9周目だったという。気象庁によると、大津市の12日午後5時の気温は30・1度だった。
         同中は、13日夜に保護者説明会を開き、経緯を説明した。平松靖之教頭は「行き過ぎた不適切な指導で、保護者におわびする。すでに顧問を指導した。今後は、安心した学校生活が送れるよう努めていく」とコメントした。―

        https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180714-00000000-kyt-soci

         

         

         

        これが「行きすぎた指導」だとしてスル−されるのでしょうか。この生徒が熱中症で死亡していたら、やはり「行きすぎた指導」で済ませるのでしょうね。こういう教師に部活の顧問をさせてはダメです。フツーに考えたら分かることが分からない。頭の中がスポ根の域から脱していません。まるでマンガの世界です。もちろんマンガの世界と現実の境界線が分からない判断力の持ち主ですから、こんな指示というか軍隊の上官のような命令を出せるのです。

         

         

         

        日大のアメフト部の精神構造は、部活を通じて日本全国に広がっています。その仕上げが東京オリンピックというわけです。ここまで遅れている日本の教育を見せつけられると、言葉が見つからないですね。この教師のみならず、倒れた生徒も教育の失敗の見本です。生徒は次のように言うべきだったのです。

         

         

         

        「自分の命令の意味が分かっているのですか。気温は30度を超えてますよ。練習中にミスが目立ったからといって80周ですか。なぜミスをしたのか。ミスをなくすにはどうすればいいのか、それを指導するのが顧問の仕事じゃないんですか。それが楽しいから顧問をしているんじゃないんですか。ミスに対して罰を科す。これじゃあ、戦時中の軍隊と同じじゃないですか。軍隊では上官の命令が絶対で、逆らうことはできなかった。あなたのような小権力者が威張り散らして侵略戦争を推し進めたんだと社会の授業で習いました。えっ、文句があるなら部活をやめろっていうんですか?わかりました。今日限りでやめます。部活より命の方が大事ですから。それにあなたのような人が顧問だと、テニスが楽しくとも何ともない。嫌いになるだけです。短い間でしたがお世話になりました。」と。

         

         

         

        部活はあくまで教育の一環です。そうでなければ学校でやる必要はない。私は常々、塾の脱線話で言っています。

         

         

        「週4日の練習で部活を強くできないコーチは無能だ。優秀なコーチは、何にも増して君たちの発想を豊かにし、頭をよくするはずだ。スポーツは言葉だけではなく、身体を使って考えることを教えるものだから、本当に頭の良い人間を育てるのに役立つ。それに気付けば、面白くてたまらなくなる。部活のない日こそ、練習方法について考えるまたとないチャンスなんだ。スポーツは頭がピーマンのゴリラを育てるのが目的ではないからね。」と。

         

         

         

        日曜・祝日はもとより、夏休みも部活に明け暮れ、慢性的な疲労と睡眠不足を引きずっている状態で、そもそも学習に集中などできるわけがないのです。でも、休みの日にこどもが家にいれば、ろくなことはないと考える親が、部活を望んでいるという側面もあるので難しいですね。教育における社会資本の貧困を思わずにはいられません。なぜなら、OECD加盟34カ国の中で、最も教育にお金をかけていないのが日本なんですからね。子供たちを部活に閉じ込めておく他ないのもうなずけます。

         

         

        | 中高生の皆さんへ | 15:09 | comments(0) | - |
        私たちの社会には救いがない。
        0

          はじめに断っておきますが、私は日本の文化を誇りに思っています。 日本の古典を読むにつけ、あるいは古寺巡礼ですばらしい建築に出会うたびに、その思いはいっそう強くなります。そして日本人に生まれてよかったと思うのです。 世界のどこに行っても日本文化のすばらしさについて語りたいと思います。村上春樹氏が言うように「ある国の知性の総量は変わらない。ただ時代によって偏在しているだけだ」との考えにも賛成です。

           

           

           

          しかし、さすがに最近はしんどくなってきました。現在の日本政府に対して、まったく敬意の感情がわいてこないのです。いや、むしろ心の底から軽蔑しています。 そして、現代日本人の大半には侮蔑の感情しか湧いてこないのです。

           

           

           

          「それはお前の特権意識の裏返しだろう、何を偉そうに上から目線で言っているのだ」という感想もあるかと思いますが、大分市東部の、そのまた外れにある個人塾の教師に、特権意識などあろうはずがありません。おそらく、焼きが回ったということでしょうね。

           

           

           

          もちろん例外的に希望をいだかせてくれる人物もいます。以下の動画をご覧ください。

          山本太郎議員は、この豪雨災害で救助を待っている人々が大勢いるときに、「カジノ法案の審議をやってる場合か!誰のための法案審議だ!利害関係者のためだけのものじゃないか!」と怒りを爆発させていますが、その法案審議の座長をやっているのがわが大分県選出の衆議員議員の岩屋毅氏です。癌患者に向かって「いい加減にしろ!」と叫ぶ穴見陽一氏と言い、どうしてこうも大分県選出の議員はクズばかりなのでしょうか。

           

           

           

           

           

           

          何も見ず、聞かず、語らずを決め込めばいいのですが、それができません。心暗くなることばかりで、前途に何らの曙光も見えません。困ったことです。それを下支えし、再生産しているのがカルト化している教育なのです。これはまた次の機会に述べましょう。

           

           

           

          今回、特に衝撃を受けたのが、テレビによるオウム死刑囚7人の死刑実況中継でした。被害者の心境を慮ることと、死刑報道(事実上の公開処刑)をエンタテインメントとして消費することはまったく別次元の問題です。今ではこの違いも分からない、脳がゆで卵のようにツルツルになった人間たちが大量に出回るようになっています。

           

           

           

          死刑の大量執行をTVでリアルタイムに報道して、執行し終えた死刑囚の顔写真に執行ずみシールを貼っていくなんて、ディストピア小説に出てきそうな場面です。正常な神経の持ち主には現実とブラックユーモの区別が難しくなっているのです。今となっては『1984』のジョージ・オーウェルの慧眼に驚くほかありません。

           

           

           

          テレビなんてこんなものです。四半世紀が経っても変わりません。

           

           

           

          北朝鮮からミサイルが飛んでくると国民を脅し(わが大分県のある公立高校は、これを信じてグアムへの修学旅行を取りやめました。それを聞いて私はバナナの皮を踏んだようにひっくり返ったのです。そして福島に変更と聞いて思わず舌を噛み切ってしまいました。スペペペペーッ)、その宣伝がうまく行かなくなり、拉致被害者も帰って来そうにないとなると、もはや国内の「凶悪犯」を大量に死刑にして、国民の支持を集めるほかないということでしょう。以下は15年前に書いたオウムと教育について触れた未来塾通信です。よかったらお読みください。

           

           

          『教育再生会議という茶番劇−考えることの難しさについて』

          http://www.segmirai.jp/essay_library/essay014.html

           

           

           

          「犯罪者として生まれる人間はいない。犯罪者になっていく。犯罪者をつくるのは社会である。」などと言ったところで、安倍政権のお歴々には意味がわからないでしょう。今まさに、私たちの社会はオウムを生みだした時と同じ感覚が蔓延しているのです。社会が現実感を失い、異様なフィクションの世界になってしまったような感覚が共通しています。

           

           

           

          3・11以降、この感覚は広く深く社会に浸透しました。政治家は権力の上にあぐらをかき、官僚は保身と出世のために忖度し、メディアは記者クラブを通じて配給される飯のタネをそのまま垂れ流し、財界は内部留保をため込むだけでは満足せず武器の輸出や製造に手をつける。教育熱心な親は自分の子供の進学先だけを考え、学校は親の無意識の要求に答えるべく進学実績をあげることに血道をあげる。

           

           

           

          私は以前、「今の世界(日本社会)には救いがないと気づくことによって逆に救われるしかない」と書きました。

           

           

          『現実と日常の喪失−中高生の読解力が低下している本当の理由』

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=305

           

           

           

          その中の一部。

          「無知・無能・無責任な総理大臣が「完全にアンダーコントロール状態にある」と変な日本語で断言しても、もう元の世界に戻ることはできない、あれだけのことがあった以上、元の世界に戻ることはおかしい、元に戻るより本当のことに気づくことの方が大事だと考えている人も多いはずです。人は何ら根拠もなしに、まったくの虚言を断言口調で、しかも大声で叫ぶものだということも学んだはずです。

           

           

          要するに、もともとウソだった日常をうかつにも日常だと勘違いしていたことが分かった後で、日常が回復したというさらなるウソを重ねられているのが、私たちの社会です。「これが現実だ」「これが日常だ」と言われても、「どうせ自分の見たいものしか見ていないだろう」と言いたくなる気分を多くの人が共有しています。」

           

           

            

          今日はこの辺でやめにします。貴重な時間を割いてお読み頂いた方に心からお礼申し上げます。

           

          | 中高生の皆さんへ | 18:01 | comments(0) | - |
          「先手、先手の対応」ってか?
          0

            知性があると判断する基準の一つは、他人から批判された時、それを自分の中で絶えずフィードバックしながら、意識や生き方を変えられるかどうかではないでしょうか。組織のトップに立つ人間や、ましてや一国の総理大臣が批判されて逆ギレするようでは、早晩その組織なり国は滅びるのです。

             

             

             

            ニュースによると、「西日本の豪雨災害で甚大な被害を受けた岡山県を訪問した安倍総理は、政府の初動対応について『一丸となって発災以来、取り組んできた』として、問題はなかったという認識を示した」とのことです。

             

             

             

            日本の忖度メディアはいつもこれです。「問題はなかったという認識を示した。」と報じて、「問題はなかった」ことにしてしまうのです。こんな記事ならサルでも書けます。本当に問題はなかったのか時系列で検討し、「一丸となって発災以来、取り組んできた」のはウソだと報じるのがメディアの役割です。

             

             

             

            さらに小野寺防衛相は記者会見で、豪雨災害への初動対応について次のように述べています。「指示をし終わった後、宿舎で待機していたので、その際に集会所(飲み会とは言わない)に行って顔を出した。だが防衛省からは随時連絡が来ており、その都度指示を出していたので特に支障はないと思っている。」と。

             

             

             

            なるほどね。安倍首相の「先手先手の対応」といい「プッシュ型の支援」といい、上っ面だけの言葉です。「赤坂自民亭」での飲み会を隠すために、今後「初動対応イノベーション」だの「復興プライオリティー2.0」だとかの新語を得意げにしゃべり出すかも知れませんね。現実の深刻さが理解できないので、言葉がペラッペラに軽いのです。バカなので、自分が総理大臣をしている意味が分かっていません。

             

             

             

            たしかに世の中には、「どのような選択をしても必ず、色々と言われる」こともあります。ところが最近では、「いや〜、何を言っても反対する人は反対するんですよ。あの人たちは反対するのが趣味ですから」などと居直って、バカな支持者を取り込もうとする政治家が多すぎます。

             

             

             

            しかし、何が起ころうと、これだけは本当だ、この場合はこう決断しなければならない、ということもあるのです。どんな苦境にあっても、みんなが自分のために一所懸命になっている、それが分かれば勇気もわくし、多少なりとも前途に希望が見えて心安らぐのです。その安らいだ心は、苦境から立ちあがる力になります。それが人間ですよね。

             

             

             

            特に、今回のような深刻な災害の場合、総理大臣が5日の段階で外遊を中止する旨を宣言し、被災地で陣頭指揮を取ることが重要なのです。それが総理大臣の仕事ですし、それができてはじめて総理大臣と言えるのです。

             

             

             

            「一丸となって発災以来、三選のために酒盛りをしていた」「先手先手の対応」

             

             

             

             

             

            みんなで一斉にグー。この面々は、いったい何に対してグーをしているのでしょう。きっと「プッシュ型の支援」を表わしているのでしょう。まさか安倍首相の三選も確実だということで「総理、グーです」ではないと思います。上川法相が真ん中にいるところをみると、オウム真理教の死刑囚7人を一度に死刑にすることを決定した「英断」をねぎらっているのかもしれません。

             

             

             

            でもまあ思わぬ副産物もありました。内閣に権限を集中する必要性がないことを内閣自ら証明してみせたので、自然災害を理由に改憲で緊急事態条項を持ち出すことはできなくなりました。これをまずいと考える論理的整合性すら持ち合わせていないのですから、この国は終わっているのです。

             

             

            | 中高生の皆さんへ | 16:47 | comments(0) | - |
            夏期講習会のご案内。
            0

              今回の豪雨で200人に迫る人が死亡または行方不明になっています。大雨で被害が出る中、しかもオウム真理教の死刑囚たち7名の死刑執行を行う前夜、どういう神経でこんなどんちゃん騒ぎができるのでしょうか。人間に対する共感力を失くしているとしか思えません。

               

               

               

               

              この災害大国日本に、消防庁の全地形対応車両レッドサラマンダー(1車輌1億1千万円)はわずか一台。一方で、1機あたり約130億円のF35戦闘機42機を追加購入。オスプレイ17機、総額3600億円を大盤振る舞い。自民党が国民のことなんか、これっぽっちも考えていないことがよくわかります。来週外遊する予定があるので「緊急災害対策本部」を立ち上げるのを躊躇しているのでしょうか?「緊急災害対策本部」の本部長は内閣総理大臣ですからね。

               

               

               

               

               

               

               

               

              なんだか社会が突然、フィクションというか異様な世界になってしまったような感覚に襲われ、現実感を失ってしまいそうです。事実によって安倍政権を批判し、「だから安倍総理には任せられない」と言えば、同じ事実をとらえて「捏造だ!安倍総理は信用できる、安倍総理の代わりがいるのか」と、いちゃもんをつけてくる人がいます。彼らは議論の土台を切り崩し、社会の分断を加速させています。何だかしんどい世の中になってきました。

               

               

              さて、夏期講習会ですが、中学3年生を対象に15日間(1日は5教科の大分県合同模試)実施する予定です。

               

               

              ■募集人員:3名

              ■時間帯:午前10時〜正午(1回2時間)

              ■費用:3万7千円+模試代金3千円

               

              ■内容:英語と数学の授業を、先へ先へと進めます。1・2年の学習内容が定着していないのに先に進むのは無理なのではないか、と思う人がいるかもしれません。しかし、どの分野でも完璧に理解することなどできません。しかも、一度やった分野を復習することは集中力を削ぎます。多くの塾は1・2年生の復習用テキストを購入させ、それで時間をやり過ごしています。これでは実力はつきません。あやふやな箇所があれば先に進めないことを、身をもって経験させ、フィードバックが必要なことを自覚させなければなりません。学習の目的は、絶えざるフィードバックによって自信をつけることです。

               

               

               

              入試で求められる力は、あやふやな知識や理解ではなく、6割の正確な知識をもとに7〜8割の得点を取る力です。そのためには、一日も早く数学と英語の全範囲を学習し、全体像を把握する必要があります。

               

               

               

              たとえて言えば、道具箱の中の道具を常に点検し、油を差していつでも使える状態にして置くようなものです。一つ一つの道具の使い方を熟知することで、発想の幅が広がり、一つの問題について複数の解法が頭に浮かぶようになります。実際に大工道具を使ってイスや机を作ってみると、愛着がわきます。学習することが喜びになるのですね。

               

               

              具体的には、

               

              □ 数学:2次方程式、2次関数、相似、3平方の定理を終えてしまいます。先に進むために必要な限りで1・2年生の復習を行います。

               

               

              □ 英語:教科書ではバラバラに出てくるので統一的な理解が難しい分野があります。それは(機北昌譴鮟ぞする方法と(供忙制です。この機会に一気に学習して自信をつけましょう。

               

               

              (機北昌譴鮟ぞする方法では

              1:形容詞による修飾

              2:前置詞句による後置修飾

              3:不定詞による後置修飾

              4:現在分詞による後置修飾

              5:過去分詞による後置修飾

              6:関係代名詞による後置修飾

              の6通りを学習します。

               

               

              (供忙制

              例えば、「僕はこどもの頃、ニューヨークに2年間住んでいたことがある」を

               

              I have lived in New York for two years when I was a child.

               

              などと書いていませんか。

               

              あるいは、「電車は今9番ホームに停まっています」を

               

              The train is stopping on platform 9 now.

               

              などと書いていませんか。この英語では、「電車が速度を落としている」だけで、停まっていることにはなりません。「〜したことがある」は現在完了形だ、「〜している」だから進行形だ、といった発想では先が思いやられます。

               

              また、These are apple. という英語をappleに複数形のsがついていないから間違いだ、と教えている英語教師がいるようですが、「言葉」と「モノ」の区別がついていません。これでは生徒がかわいそうです。時間があれば、この点にも触れます。

               

               

               

              尚、中学3年生は夏期講習会が入塾の最後のチャンスです。他の学年は夏期講習会を実施していませんが、通常クラスには、中学2年生が2名、中学1年生は若干名空席があります。入塾を希望される方はお問い合わせください。

               

               ☎097-592-0815 未来塾

              | 中高生の皆さんへ | 20:58 | comments(0) | - |
              存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。
              0

                私たちは何を手がかりに考え、どう生きていけばよいのでしょうか。人は生きていく上で何らかの「足場」を必要とします。塾教師という、いつ崩落するかわからないような仮の足場ですら、私が生きていくために必要なのです。

                 

                 

                しかし、社会が急激に変化する中で、どんなに立派で堅固に見える足場でも、土台が掘り崩されていることを多くの人が感じ取っています。私たちの社会を駆動しているのは、「不安」なのです。

                 

                 

                 

                そういう社会では、価値の優劣についてじっくり考えることなどできません。あらゆるものを横一列に並べて、あらかじめコントロールされた情報を頼りに、その中から自分の利益になりそうなものを選ぶことが生活の中心となります。要するに、当面の利益を確保することで精一杯なのです。

                 

                 

                 

                しかし、人間は価値の優劣について判断することでなんとか生き延びることができる生き物です。それをやめれば、選択肢の前で途方に暮れて餓死する「ビュリダンのロバ」の運命をたどるしかありません。私は「価値の優劣について判断できる」知性を持った子どもたちを育てたいと考えて、塾教師を続けてきました。

                 

                 

                 

                「ビュリダンのロバ」の運命を拒否するにはどうすればいいのでしょうか。小さな波がさざめいている川の表層に目を奪われるのではなく、川底をゆったりと流れる水の力を想像しましょう。それこそが歴史の基底部なのです。それは絶えず変化しているのですが、世の中の大半の人々は、それを洞察できないままに生きていきます。

                 

                 

                 

                前々回のブログで「私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。」と書きました。

                 

                 

                 

                では、私たちの存在の最も深いところにある層とは何でしょうか。そこから言葉を紡ぎだすためにはどうすればいいのでしょうか。今回はそのヒントだけ述べて、具体的には次回以降に譲ります。

                 

                 

                 

                宮崎駿監督は養老孟司氏との対談(『虫眼とアニ眼』)で、なぜ『千と千尋の神隠し』を作ったのかと尋ねられ、こう答えています。

                 

                「ある時、たまたま10歳くらいの子供たちを見ていた。そしたら、自分は彼らに対し、いま何が語れるだろうか、という考えが浮かんだ。最後には正義が勝つ、なんて物語を語ろうという気にはさらさらなれなかった。そうではなく、とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ、それを語ってみたい、と思った。そしてこの最初のモチーフを手放さないでいたら、『千と千尋の神隠し』ができた」と。

                 

                 

                 

                「とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ」を一人一人が、考え、感じてそこから世界を変える言葉を紡ぐしかないのです。それは学校教育を通じて教えられた官製の言葉ではなく、自らの存在を危険にさらして獲得した言葉のはずです。なぜなら、事実を知れば知るほど、真実に近づけば近づくほど、人間は孤立を余儀なくされる存在だからです。しかし、私たちの人生はそこのみにてかがやくのです。

                 

                 

                | 中高生の皆さんへ | 16:29 | comments(0) | - |
                ある動画に励まされる。
                0

                  「言葉の無効を前にして」を書いてから、2週間以上ブログを書いていません。時は容赦なく流れ、あっという間に7月になりました。この間、政治は堕落し続け、大学は本来の役割を見失い、ジャーナリズムは災厄をもたらす犬を野放しにし、経済界は空前の内部留保をため込んでいるにもかかわらず、日本をさらなる株式会社国家にするために驀進中です。

                   

                   

                   

                  「働き方改革」という欺瞞言語に違和感を覚えない官僚や政治家の日本語能力を見て、私は絶望しています。

                   

                   

                   

                  「働き方改革」は、安倍内閣の最重要法案だそうですが、実体は経団連のための「定額働かせ放題法」に過ぎません。それを自民党(公明党はもはや政党の体をなしていません。アメリカに隷属する日本のごとく、自民党に隷属しているだけなのですから)は、国民の大多数を占める労働者の実態を無視して数の力で成立させました。

                   

                   

                   

                  安倍政権の発想の根底にあるのは、かの竹中平蔵氏の次の言葉に余すことなく表れています。いわく「すべてを給付型奨学金にすれば大学生はますます勉強しなくなる。つまり、極端な言い方をすれば、ただでお金をもらうわけですから勉強する必要が低下する」と。

                   

                   

                   

                  いかにも人間の一面を言い当てているように見えますが、これはかの橋下徹をはじめとする日本維新の会の発想そのものです。グローバリストと呼ぶのが恥ずかしくなるほど無知で現実を知りません。こんな発言が世界で通用するとでも思っているのでしょうか。

                   

                   

                   

                  男尊女卑のブラック企業・電通に殺された高橋まつりさんのお母さんは、この法案が成立した時、「これが日本の姿だ。あなたを追い詰めた、日本の姿だよ」と言いました。安倍政権にかかると、無念の自殺を遂げた一人の女性の死すら経済界の要望を満たすために利用されるのです。今後、多くの国民が、高橋まつりさんのお母さんの言葉を、我が身のこととして実感することになるでしょう。

                   

                   

                   

                  私たちはもう一度自問自答しなければなりません。公文書の改竄に抗議して自殺した近畿財務局の職員の死を闇に葬ったのは誰でしょうか。大阪地検ですか?安倍晋三の子飼いのジャーナリスト・山口敬之のレイプ事件をもみ消したのは誰ですか?安倍晋三ですか?警察官僚ですか?違います。私たち国民です。

                   

                   

                   

                  どう考えても、経営者にとって有利な、労働者にとっては不利益が多い法案なのに、国民の多くは反発もせず、ろくに審議もせずに可決されても気にもせず、やれ紀州のドンファンだワールドカップだとテレビに釘付けになっているのですから、どこまでお人好しなのでしょうか。

                   

                   

                   

                  2年後の東京オリンピックに改憲の国民投票日が重ねられたら、あっさり憲法も変わるでしょう。いや、安倍政権はその日のためにテレビを始めとするマスメディアに脅しをかけ、コントロールし、抵抗する者を排除する計画を立てているはずです。

                   

                   

                   

                  それを止めさせるためには、どれほど無効であろうと、徒労であろうと、私たちの生存の最も深いところから言葉を紡ぐしかありません。もちろんこれは自分に言い聞かせているのです。

                   

                   

                   

                  実は、言葉の無効を前にして、ブログを書くのを止めようかなと思っていたのです。でもある動画に励まされて、ブログを再開しようと思いました。以下がその動画です。今回はとりあえずその動画を紹介して終わりにします。次回からまた書きたいこと、書かずにはいられないことを書くつもりです。お付き合いいただければうれしいです。

                   

                   

                   

                  | 政治 | 23:05 | comments(0) | - |
                  言葉の無効を前にして。
                  0

                    大分市内の一高校生さんへ。きっかけは分かりませんが、あなたがメディアリテラシーに関心を持っていることを頼もしく思います。なぜなら、18歳から選挙権が与えられ、主権者教育が云々されているにもかかわらず、高校でメディアリテラシーについてまともに学習していることを聞いたことがないからです。

                     

                     

                     

                    受験勉強も大事ですが、私たちが生きている社会について正確な情報を手に入れることはもっと大事です。世の中は激変しています。にもかかわらず、ほとんどの高校生は、受験勉強中心の生活を送っていて、学校で「政治的な発言をするのはよくない」と考えているようです。おそらく世界の中で、政治に無関心な高校生の数は日本が断トツで一位ではないかと思います。

                     

                     

                     

                    しかし、私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。最も重要で最深部に横たわるレイヤーについては次回に譲ります。今は知性と理性を守ろうとすれば、好むと好まざるとに関わらず政治的にならざるをえないということだけは指摘しておきたいと思います。

                     

                     

                     

                    メディアリテラシーの問題に戻ります。

                     

                     

                    >僕が先生のブログを読むきっかけになったのが、この記事でした。この記事を読んで僕は頭がよくなった気がします。

                     

                    『なりすまし塾長 K 氏、自作自演の幕を閉じるの巻』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=334

                     

                     

                     

                    「頭がよくなった気がします。」という表現は的確です。数学や物理の難問が解けても、それなりの達成感はあるでしょうが「頭がよくなった」とは思わないはずです。相変わらず受験勉強的なフレームの中に押し込められたままですからね。「頭がよくなった」と思う瞬間は、既存のフレームの外に出ることで世界との通路が開けたと感じる瞬間です。

                     

                     

                     

                    その手ごたえを手放さず、そこから思考を深めて行けば、人は変わることができます。幼虫からさなぎに、さなぎから蝶に「脱皮」できるのです。学ぶということは変わるということです。人間は、特に若い時はこの「変態する力」を誰でも内に秘めているものです。

                     

                     

                     

                    おそらくあなたは私のブログを読んで、教室では遭遇しない論争的な言葉に出会ったのです。私たちは現実を認識する時、まず言葉を探します。ある言葉を選択して現実に当てはめます。しかし、その言葉では現実を表わせないと感じます。その時私たちは新たな言葉を探す努力を始めます。

                     

                     

                     

                    簡単に言うと、これが考えるということです。世界認識には正確な言葉が必要なのです。言葉が歪めば世界も歪みます。歪んだ世界にさらに言葉をかぶせても、世界はますます歪むだけです。

                     

                     

                     

                    メディアリテラシーの話をしていたのですね。上に述べたことの具体例をあげてみましょう。安倍政権になってからこの種の例には事欠きません。つまり、今ほど論理的思考力を鍛え、「頭がよくなる」チャンスはないのです。

                     

                     

                     

                    森友問題で安倍首相は去年2月、「私や妻が関与していたら、総理大臣も国会議員も辞めますよ。これは断言しますよ。」と発言しました。それをきっかけに官僚の忖度合戦が始まり、公文書を隠蔽・改竄し、近畿財務局では自殺者まで出たのです。ところが安倍政権はこの発言を、「贈収賄ではないという文脈で使ったのであって、私や妻が関与していないことは明白である」との趣旨だったと閣議決定しました。

                     

                     


                    「関係していたら」とは、昭恵夫人の口利きを意味しているのではなく、「贈収賄があったら」という意味だというのです。一体何を言いたいのでしょうか?贈収賄は犯罪です。それがあったら辞めるのは当たり前です。言葉を歪めて、現実をなきものにしたかったのでしょうが、そこまでしなければならないほど深く関係していたことを、首相自身が認めているのです。

                     

                     

                     

                    第二次安倍政権になってからというもの、この国で地滑り的に起きていることは言葉の崩壊、すなわち世界認識の崩壊なのです。私たちは沈む船から脱出しようとして集団で海に飛び込むネズミの群れ同然となっています。

                     

                     

                     

                    言葉の腐敗、欺瞞言語の蔓延と闘うのがメディアの本来の役目だったのですが、もはやメディアには期待できません。大方のメディアは「武力衝突はあったけど戦闘ではない」「潰せとは言ったけど反則しろとは言っていない」「公文書改竄はあったが悪質じゃない」という政府や権力側の発言を「そのまま伝えるのが、メディアの役割だ。その何が問題なのか」と考えているのでしょう。

                     

                     

                     

                    大問題なのです。上で見たように政府が欺瞞言語を使って私たち国民を騙そうとしているとき、言葉をそのまま伝えれば騙しに加担することになるからです。菅官房長官の 「問題ない」という見解をそのまま伝えることは、「問題ない」と広報することになるのです。(自分のやったことは「悪質なじゃない」とか「問題ない」「許容範囲」だと考えるのは、あなたが読んだ記事に登場するK塾長氏の発想です。悪質かどうか、許容範囲かどうかは、第三者が判断することです。)

                     

                     

                     

                    マスメディアは、安倍首相の意味不明の言葉を編集して意味があるかのようにみせかけないで、いかに野党の質問に答えていないか、を率直に報じるべきです。社会に伝えるべき政治的に最重要の事実は、安倍首相が何を言ったかではなく、いかに何にも答えていないかです。「議論は平行線」などという記事はサルでも書けます。ヒトであれば、「首相は誠実に答弁せず」と書かなければなりません。

                     

                     

                     

                    マスメディアの実態については以下の記事をお読みください。

                     

                     

                    『マスコミは圧力をかけられているのか?』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117

                     

                     

                    次回は、このどうしようもない言葉の無効を前にして、私たちに何ができるのかを考えてみたいと思います。今回も読んでいただきありがとうございました。

                     

                     

                    | 中高生の皆さんへ | 15:22 | comments(0) | - |
                    大分市内の一高校生さんへ−批判的思考力について。
                    0

                      コメントの返事が遅れて申し訳ありません。あなたの二つのコメントはとても重要な点を含んでいて、簡単に返事が書けなかったのです。ブログを読んでもらえただけでもありがたいと思います。

                       

                       

                       

                      >なんだか元気が出て来ました。先生のブログは不思議なことに読むと元気が出てきます。

                       

                       

                       

                      これは最高のほめ言葉です。私は自分自身の足元を確認し、元気づけるためにブログを書いているからです。それを読んで元気が出るというのは、あなたは深い読解力と言葉に対する真っ当な感受性を持っているということです。

                       

                       

                       

                      今回のタイトルは「批判的思考力について」ですが、私はおよそ批判的でない知性や思考力などというものにお目にかかったことがありません。しかし、この国では権力や体制に迎合する学者、ジャーナリスト、放送局、新聞社が跳梁跋扈しています。そこで今回からあなたへの返事を3回に分けて、手短に書いてみようと思います。

                       

                       

                       

                      私が「ブログを読んでもらえただけでもありがたい」と考える理由は、今の若い人たち、特に高偏差値の高校や大学に通っている人たちは「論争の相手や一般の人々に対して否定的なメッセージを伝えるべきではない」という暗黙の了解を共有していて、それが生き方にまでなっていると思うからです。それは経済的にも文化的にも何不自由なく生きてきた彼らの「優しさ」なのかもしれません。

                       

                       

                       

                       

                      私はブログで安倍政権や自民党に対して否定的な意見を書いています。これに対して嫌悪感を抱いている人も多いと思います。またいつもの調子かよ、もう聞き飽きたというわけです。

                       

                       

                       

                      東大新入生の約60%が自民党を支持しているというデータもあります。彼らは、誰かを批判することよりも、相手の優れた点を見てそれを称賛する態度の方が大人だし、建設的だと考えているのでしょう。

                       

                       

                       

                      しかし、こういった考えは他者と共存して生きて行くほかない人間が、他者からの批判を免れるために身につけた処世術に過ぎません。批判的思考力を持っている人間から見れば小才の効いた「お利口さん」の発想であり、個人としての政治的・社会的な責任を回避するための方便なのです。

                       

                       

                       

                      東大生によく見られる「建設的」で「現実的」な「大人」の意見とは、ひとことで言えば、「安倍政権や自民党を批判したほうが『正しい』かもしれないけど、自分は否定的なメッセージを発することに意味を見いだせない」という、一見「洗練」されたものです。しかし、洗練も度を超すとアバズレになります。

                       

                       

                       

                      この意見は、危機的な状況に対して抗議の声をあげることを巧妙に「批判」するものとなっているので、油断してはなりません。そのからくりは簡単です。

                       

                       

                       

                      第一に、否定的なメッセージを発する人は「他人から『正しい』ことをやっていると思われたい、カッコイイしいの打算的な人間たち」だと印象付けることによって。

                       

                       

                      第二に、彼らは「イデオロギーによって、居丈高に他人を批判する独善的でダサい」人々だと印象付けることによって。

                       

                       

                      しかし、本当にそうでしょうか。これは震災後の社会に蔓延しつつある「意見表明の自由を自主規制する」風潮を後押しするものです。私やあなたが経験したり、直面したりする否定的で危機的な状況に対して抗議の声をあげることは、許されないことなのでしょうか。

                       

                       

                       

                      現代の日本社会が若者に求めているのは、民間企業であれ官庁であれ、上位者の命じることには、たとえそれが無意味なことであっても、黙って従うという精神的な態度、すなわちイエスマンシップに他なりません。

                       

                       

                       

                      日大のアメリカンフットボール部の事件で、日大の学生が就職活動に影響が出ることを心配しているのも、このことの表れです。面接で訊かれたら自分とは関係のない事件だと突っぱねればいい、それどころか自己アピールのチャンスだという意見は、日本社会に深く浸潤しているイエスマンシップの病巣を軽く見過ぎています。私たちの社会では、イエスマンでなければ就職の門戸は閉ざされてしまうのです。

                       

                       

                       

                      日本の歴史において、特に近代以降、教育が自立した普遍的な価値の創造を目指したことは一度もありません。ある時はヒロイズムの温床となって侵略戦争の片棒を担ぎ、また別の時は「就職活動」を無事通過するための情報とテクニック、ブランド力を提供してきたに過ぎません。株式会社日本では、このことを疑う若者はほとんどいません。

                       

                       

                       

                      つまり、日本の教育は「学校」を通じて、批判的思考力を育てるのではなく、その芽を摘み取ることに主眼を置いてきたのです。今の政治状況を見るまでもなく、このことが日本という国の存立を危うくしていることに多くの人はいまだに気づいていません。 

                       

                       

                       

                      この国では、政治の腐敗に対して腹を立てないことや、文句を言わないことが人徳だとして称揚される文化が根づいています。政権幹部や官僚が民主主義の根幹を切り崩すようなでたらめをしても、開き直り、居座りを続ければ、国民は何もできないというあきらめ、無力感が蔓延することを権力者は期待しているのです。これは上位者の意図を過剰に忖度する社会、つまり空気を読むことが何よりも優先される社会が、私たちに強いている頽廃です。

                       

                       

                       

                      新聞を読み、 ニュースを見ると、もうこの国の統治機構が壊れているのは疑いようがありません。それでも、手をこまねいている人たちが国民の3割から4割近くいます。進んでこの政権を支持して、統治機構が瓦解し、市民社会が空洞化するプロセスをぼんやり眺めている人たちはいったい政権に何を期待しているのでしょうか。今だけ、金だけ、自分だけでこの国がいつまでもつと思っているのでしょうか。

                       

                       

                       

                      次回は、メディアリテラシーについて考えます。3回目は批判的思考力や本物の論理的思考力は受験勉強というフレームの中では身に付かないということを具体的に書くつもりです。長くなりました。今回も読んでくれてありがとうございます。また次回お会いしましょう。

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 18:53 | comments(0) | - |
                      映画『タクシー運転手』を観る。
                      0

                        今日の午後、楽しみにしていた映画『タクシー運転手』を観るためにシネマ5Bisまで車を飛ばしました。『チャーチル』は途中で眠気を催しましたが、この映画は本当に素晴らしかった。面白さにもいろいろあるでしょうが、私の採点では『タクシー運転手』の圧勝です。

                         

                         

                         

                         

                         

                        まだ観ていない方には自信を持って勧めたいと思います。光州事件を題材にしたこの映画は、事件史としてもメディアと権力の関係を描いた作品としても、人情話、エンターテインメントとしても一級品です。私の前の席に座っていた若い女性はハンカチで何度も涙を拭いていました。もしかしたら、韓国の学生さんだったのかもしれません。日本の若者にも是非観てもらいたいですね。

                         

                         

                         

                        観終わった後、こういう映画を作れる韓国の市民社会の成熟をうらやましく思いました。いや、うらやましいというよりも、心の底から賞賛したくなりました。日本は市民社会の成熟度で韓国に大きく後れを取りました。その事実にほとんどの日本人が気づいていないことが「後れ」そのものです。そして、日本がその後れを取り戻すことは、もはや絶望的に不可能です。

                         

                         

                         

                        民主主義の歴史は韓国の方が日本よりも浅いと思っている人もいるでしょうが、それは形式的、表層的な見方です。民主主義の成熟度という点では、韓国はすでに日本を追い越しています。それどころか逆に日本は後退し始めています。韓国を見下す低劣な差別本が書店で平積みになっているばかりか、媚薬のような「日本スゴイ本」「日本スゴイ番組」の氾濫は、そんな後退に拍車をかけています。

                         

                         

                         

                        私の見通しが悲観的に過ぎるというのであれば、ぜひこの映画をご覧ください。今の日本が忘れてしまったもの、学ぶべきものがたくさんある映画です。ちなみに予告編ではこの映画の全貌はまったく分かりません。

                         

                         

                         

                        『チャーチル』も『タクシー運転手』も史実をもとに作られていますが『タクシー運転手』は誰の視点に立って映画を作るのかという最も重要なことを私たちに突きつける映画でした。シネマ5Bisで6月8日まで上映しています。

                         

                         

                         

                        | 読書・映画 | 23:15 | comments(2) | - |
                        O君、コメントありがとう。
                        0

                          O君、久しぶりですね。元気でやっているようでなによりです。新しい教室ができ、いろいろと考えること、やることが多いと思います。

                           

                           

                          ところで、僕は恩師と言われるほどのことは何もしていません。何のとりえもない人間が、生活のために塾稼業に励んできただけです。つまり、路傍の石のごとく、世間の大部分の人と同じように生きてきただけです。

                           

                           

                           

                          塾業界は今再編の真っただ中にあります。それも同業他社との競争というよりも、自社内部における社員のリストラとAIによる画一的な授業にいかに付加価値を付けて消費者(生徒と保護者)を取り込むかといった、宣伝とコスト削減競争なのです。

                           

                           

                          それはともかく、O君のコメントにある通り、すべての物事はつながっています。僕たちは小学校に入った途端に、算数、国語、理科、社会といった科目と出会います。教育の画一性、効率性のために、世界の多様性、全体性が犠牲にされているのです。つまり僕たちの知的世界は、あらかじめ分断された形で与えられているのですね。

                           

                           

                           

                          学年が上がるにつれて、自然に対する驚きや畏怖の念は失われていきます。もちろん人間に対しても同様です。それが何をもたらしているのか、今の社会、特に政治を見れば答えはおのずから明らかです。

                           

                           

                           

                          第二次安倍政権が誕生してからというもの、もはやこの国には最低限の道徳も論理的な言説が支持される土壌もなくなりました。国家を私物化し、権力を恣意的に行使して恥じることのない男に向かって、「いいかげんに嘘をつくのをやめろ!」と言える与党議員も記者もいないのです。そのうちだれかが何とかするだろうというわけです。

                           

                           

                           

                          日本の歴史で、この男ほど、国民の倫理観や道徳観をすり減らした総理大臣は他に見当たりません。日本を腐らせ続けている張本人が道徳教育を叫んでいるのですから、これほどのギャグはないでしょう。

                           

                           

                           

                          ところで、O君がブログに書かれていた、クルト・ゲーデルの「不完全性定理」については、今から2年前、僕のブログ『引き返す勇気』のなかでも触れています。

                           

                          『引き返す勇気』

                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=161

                           

                           

                           

                          数学は、普通、真理の土台だと考えられていますが、ゲーデルは、数学の中に証明できない真理が含まれているといいます。つまり、人間は自らの限界さえ自覚できる存在であり、機械には模倣できない偉大さを持つ、と言いたかったのでしょう。

                           

                           

                           

                          僕たちの社会は要素還元主義の悪弊に閉じこもり、今だけ、カネだけ、自分だけになっています。それでも、O君は文化としての数学を教えることで、目の前の生徒を広大な真理の世界にいざなうことができます。塾教師はO君の天職だと言ったのは、そういう意味です。

                           

                           

                           

                          O君、どうか健康に気をつけて頑張ってください。奥さんと宮崎駿監督の名前をもらった駿太郎君にもよろしくお伝えください。宮崎駿監督には少しでも長生きしてもらいたいですね。

                           

                           

                          | 身辺雑記 | 15:51 | comments(1) | - |
                          日大の宮川選手は自殺してはならない。
                          0

                            日大の内田元監督と井上コーチの記者会見を見ました。前回のブログでも書きましたが、予想した通りの内容でした。日大の広報担当の司会者もメディアの記者も、一方的に話したり糾弾したりするだけで、ただただ無意味な時間が流れた記者会見でした。

                             

                             

                             

                            これでは何のために記者会見を開いたのかわかりません。内田元監督は同じフレーズを繰り返してはぐらかし、井上コーチは言葉を探しあぐねて詰まる場面が多かったですね。それは当たり前です。二人とも真実を話す気がないのですから。

                             

                             

                             

                            教育よりも組織防衛を優先する人間たちの人格が空洞化している現実を世間にさらしてしまったのです。指導・教育する立場にいる人間が、二十歳の前途ある若者を追い込んでどうするつもりでしょうか。

                             

                             

                             

                            それにしても、二人ともあまりに語彙が乏しい。あれだけ語彙が乏しくて選手を指導できるはずがありません。上から言われたことを忠実に実行するだけの集団は、独自の思考をもとに作り上げた集団に勝てるわけがありません。こんな単純な真実に気がつくこともなかったのでしょう。権力志向の強い人間は、言葉をバカにします。すなわち、自分で考えることを放棄するのです。

                             

                             

                             

                            スポーツに限らず、指導者は、物事の本質を発見しようとする観察眼と、声にならない声を聴こうとする耳と、成長を辛抱強く待とうとする態度を自覚的に身につけなければなりません。指揮命令系統を通じて上から流れてきた紋切型の言葉は、こういった態度を身につけるのに障害となります。

                             

                             

                             

                            言うまでもなく、これからの社会は若者たちが作っていくのです。そんな若者を育てるには、これまでどんな指導者も発したことのない言葉が必要なのです。その発見の努力を放棄すれば、前回のブログでも述べたように、英雄主義(ヒロイズム)がいとも簡単に心の中に忍びこんできます。

                             

                             

                             

                            もう一度言いますが、英雄主義とは、高みに立って「国家」や「祖国」や「民族」を救うという目標を掲げ、その目標のために障害となる集団や国を力で排除する考え方です。人間を砂粒だと見なし、目的のための手段、駒として動かすことに何の疑問も感じません。「英雄主義」にとっては、たとえ大量に人を殺すことがあっても、それは「人殺し」なのではなく、国や祖国や民族を守るための「善行」であり「称賛される行為」になると考えられているのです。

                             

                             

                             

                            この英雄主義(ヒロイズム)は、日大のアメリカンフットボール部の精神的な支柱となっています。内田監督の指示はすべてこの英雄主義の発露なのです。実は、日本の政治の中枢に巣食う英雄主義は、宗教団体の内部だけではなく、中学や高校の部活に始まり、日大のアメリカンフットボール部のような集団の中で純粋培養されているのです。

                             

                            『部活で殺されないために。』

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=294

                             

                             

                             

                            そこでは、事実はそれほど意味を持ちません。頂点に立つ人物にとっては「言い切ること」「断言すること」が重要で、自分が言い切り、断言すれば、周囲の人間や部下が勝手に忖度し、事実を改竄したり、証拠書類を廃棄したりしてくれます。そんな成功体験の積み重ねで、世間の感覚から隔絶したバカ殿が出来上がるのです。

                             

                             

                             

                            それにしても、庇ってくれるはずの監督やコーチ、大学から手のひらを返えされ、マスコミに騒がれ、しかも、タックルを受け負傷した関西学院の選手が脅迫されていることを知って、宮川選手は絶望感を覚えているはずです。しかし、宮川選手は自殺してはなりません。自分が何をされたのか、何に利用されたのか、それをはっきり突き止めるためにも、生き抜いてほしいと思います。

                             

                             

                            | スポーツ・文化 | 01:38 | comments(0) | - |
                            審判はどこにいるのか?
                            0

                              高校生および大学受験生の皆さんこんにちは。

                               

                              今回は塾教師の分をわきまえない極論として聞いていただきたいのですが、これから日大、東大、近畿大を受験しようと考えている人は、止めましょう。理由を書くと長くなるので、今回は日大に絞って短くコメントします。

                               

                               

                              日本大学アメリカンフットボール部の悪質タックルは、単にスポーツの分野にとどまらず、日本大学全体に深く張り巡らされた反知性の体質そのものを表面化させたものです。

                               

                               

                               

                              謝罪会見を開いた選手の言葉は具体的で誠意にあふれたものでした。よほど鈍感な人間でない限り、彼がウソを言っていると思う人はいないでしょう。真実の持つ力は単純で誤解を与える余地などないのです。

                               

                               

                               

                              300を超えるマスメディアの前に実名と顔をさらすことは、人間の尊厳をかけた、本当に勇気のいる行為です。安倍首相のお抱えジャーナリスト、山口敬之にレイプされた伊藤詩織さんの勇気と通じるものがあります。

                               

                               

                               

                              今回の事件の本質は誰の目にも明らかなので、これ以上言及しません。ただ、私はある言葉に対して、どうしようもなく嫌悪感を抱きました。それは関学大への回答書の中にあった「乖離(かいり)」という言葉です。「指導者と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きたことが問題の本質」という風に使われていました。

                               

                               

                               

                              まかり間違えば一人の人間の人生をも奪いかねない反則プレーに対して、「乖離(かいり)」といういかにも客観的で小難しい欺瞞言語を当てるのは、世間を煙に巻いて事件を小さく見せようとする意図があるからです。私はこういった真実を隠蔽しようとする言葉に言いようのない嫌悪を感じます。

                               

                               

                               

                              しかも、日大広報部は「誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います」と弁明しています。この「誤解を招いたとすれば」という言葉は、特に安倍政権になってから、政治家が自分の責任をごまかすために、まるで判で押したように使う言葉です。

                               

                               

                               

                              この言い方は、自分の言っていることは正しいのだが、相手が誤解する可能性を考慮に入れていなかった自分にも落ち度があったと謝罪するふりをしながら、巧妙に責任を回避する言い方なのです。

                               

                               

                               

                              私は第二次安倍政権が誕生してからすぐ、この政権は戦前のエートス(国体)が生き延びて作りだした鬼胎の政権であり、安倍内閣は犯罪者集団であると言ってきました。今振り返ってみると、間違っていなかったと思います。

                               

                               

                               

                              自分の間違いや落ち度を認めず、責任を部下に押しつけ、「セクハラ罪はない」と閣議決定し、被害女性の心をさらにいたぶる。首相や大臣が道徳的に振舞うことよりも、いかに弱者に暴言を吐けるかが支持率を維持するカギとなっているのです。今回の日大の対応は、安倍政権を支える人間たちの本質が期せずして象徴的に現われたものです。

                               

                               

                               

                              どう考えても理屈に合わない、完全に論理や説得力を欠いたように見える決断や行動でも、ある種の人間にとっては合理的で納得のいく理屈が必ずあるものです。

                               

                               

                               

                              ある種の人間とは誰か。それは英雄主義(ヒロイズム)を精神的支柱とし日本国憲法を葬り去ることを自分の使命と思いこんでいる安倍晋三その人です。

                               

                               

                               

                              英雄主義(ヒロイズム)とは、人々の「高み」に立って「国家」や「祖国」や「民族」を救うという目標を掲げ、その目標のために障害となる人々や国は、力で排除するという行動を取ることを言います。「英雄主義」にとっては、たとえ大量に人を殺すことがあっても、それは「人殺し」なのではなく、国や祖国や民族を守るための「善行」であり「称賛される行為」になると考えられています。

                               

                              「ヒトラーの思想が降りてきた」という犯人を後押ししたもの。

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=211

                               

                               

                               

                              今回の日大のルール違反のタックルも、詭弁とはぐらかしでその場を乗り切り、監督・コーチの判断が何ら倫理的に非難されずに既成事実としてまかり通れば、勝利のための「称賛される行為」となるのです。それが新たな基準となり、後に続く者が同じルール違反をしても罰せられなくなります。

                               

                               

                               

                              それを防ぐには、詭弁とはぐらかしを認めた段階で「間髪を入れずに」審判が笛を吹き、違反者に退場を命じなければなりません。しかし、今この国には、勇気を持って真実を語る二十歳の若者はいても、笛を吹くべき審判の姿が見当たらないのです。これほど悲しいことはありません。

                               

                               

                              | 中高生の皆さんへ | 15:57 | comments(0) | - |
                              塾は何をしてきたのか、これからどうなるのか?
                              0

                                結論から言いましょう。塾は一部で能力上位層を選別する機能を果たしたものの、子供たちの学力を高めるのにまったく貢献してこなかった、それどころかAIに取って代わられるような表層的で一過性の能力・知識を子供たちに注入してきただけだというのが私の結論です。

                                 

                                 

                                 

                                「学力」をどうとらえるかにもよりますが、教科書に書かれている日本語を正確に読解できる力を学力とすれば、それすら身につけていない子供たちが大量に生み出されているのが現実です。当たり前のように塾に行く子供たちが多い中で、にわかには信じられないかもしれませんが、事実です。

                                 

                                 

                                 

                                最近出版された『AI vs 教科書が読めない子どもたち』という本の中で、数学者の新井紀子氏がこのことを具体的に立証しています。ちなみにこの本の前半160ページ余りはAIについての記述です。知的な中高生および親御さんなら、色々な発見があると思います。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                この本の中で、新井氏は、人間の知的活動のすべてが数式で表現できなければ、AIが人間に取って代わることはない。AIがコンピューター上で実現されるソフトウェアである限り、ロボットが人間の仕事をすべて引き受けてくれたり、人工知能が意思を持ち、自己保存のために人類を攻撃したりするといった考えは妄想だとして一蹴します。数学者として当然の見識ですね。

                                 

                                 

                                 

                                一方で、人間の仕事の多くがAIに代替される社会がすぐそこに迫っていると指摘しています。この本の真骨頂は、従来の学校教育や塾産業が前提とする「学力」の中身が、まさにAIの得意分野であり、日本の労働力の質は実力をつけてきたAIの労働力の質にそっくりなので、簡単にAIに取って代わられる可能性があると指摘している点にあります。

                                 

                                 

                                 

                                しかも、全国の多くの中学や高校で実施してきた独自のテストによって、日本の中高生の多くは、歴史や理科の教科書程度の文章を正確に理解できないということを明らかにしています。そして、英語の単語や世界史の年表を憶えたり正確に計算したりすることは、AIにとって赤子の手をひねるようなことだと言います。

                                 

                                 

                                 

                                さらに、AIに多くの仕事が代替されれば、労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに、巷には失業者や最低賃金の仕事を掛け持ちする人々があふれる状況が生まれると予想しています。つまり、経済はAI恐慌の嵐にさらされるというわけです。もちろんこれは日本だけではなく、世界で起ころうとしていることです。

                                 

                                 

                                 

                                言うまでもなく、資本主義社会では経営者は企業の利益をあげることを最優先しなければなりません。AIを導入することで労働コストが軽減できるなら、それを選択するはずです。日本企業が、雇用慣習の違いを理由にAIの導入を先延ばしにすれば、国際競力を失って倒産するか、外資系企業へ売却されるのが落ちです。

                                 

                                 

                                 

                                それはともかく、ここ20年余りの間、塾は何をして来たのかという問いに戻りましょう。結論は冒頭に書きましたが、今少し具体的に述べてみます。

                                 

                                 

                                 

                                消費社会の等価交換と費用対効果の発想が骨の髄までしみ込んでいる塾業界は、まず「学力」を数値やデータを使って計測可能なものと見なしました。要するに確率と統計的な処理によって個人の能力を「見える化」し、それに見合った対価を要求したのです。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、確率と統計的な処理で説明できるのは、子供の能力のごく一部に過ぎません。にもかかわらず、塾は色々なグラフやデータを保護者に示し、限られた言葉で子供たちの「やる気」や「集中力」「根気」「弱点」などを診断します。あたかもそれが最先端の教育であるかのように。

                                 

                                 

                                 

                                私はこれを巧妙な詐欺だと考えています。なぜなら、人間の知能を科学的に観測する方法がそもそもないからです。皆さんは、文を読んで意味がわかるということがどのようなことか説明できますか。難問にチャレンジしているとき、自分の脳がどのように働いているかモニターできるでしょうか。ましてや知的活動が無意識の世界とどうつながっているかなどわかるはずもありません。

                                 

                                 

                                 

                                にもかかわらず、人間の知的活動を測定できるかのようなフリをして、まんまと金品をせしめるのは詐欺だと言っているのです。こんなことを言えば、私自身にも批判の矢が帰ってくることは百も承知しています。それについては次回以降に説明します。

                                 

                                 

                                 

                                この20年、塾がやって来たことは何だったのか。その答えは、最近の塾が提供するサービスを見ればわかります。なぜなら、その内容はこれまでやって来たことをより効率的に圧縮したものだからです。前出の新井紀子氏の発言に耳を傾けてみましょう。

                                 

                                 

                                 

                                引用開始(趣旨を変えない範囲で短くしています)

                                 

                                ― 私が最近最も憂慮しているのは、ドリルをデジタル化して、項目反応理論を用いることで「それぞれの子の進度に合ったドリルをAIが提供します!」と宣伝する塾が登場していることです。こんな能力を子供たちに重点的につけさせることほど無意味なことはありません。問題を読まずにドリルをこなす能力が、もっともAIに代替されやすいからです。

                                 

                                 

                                小学生のうちからデジタルドリルに励んで、「勉強した気分」になり、テストでいい点数を取ってしまうと、それが成功体験となってしまって、読解力が不足していることに気付きにくくなります。

                                 

                                 

                                中学校に入ってもデジタルドリルをくり返せば、一次方程式のテストで満点がとれて、英単語や漢字は身につきますから、そこそこの成績はとれるはずです。ところが受験勉強に向かい始める中学3年生になると、なぜか成績が下がってしまう。本人はうすうす気づいているはずです。「なんだか学校の先生の言っていることが分からない」「教科書は読んでも分からない」・・・。けれどもどうしてよいかわかりません。だから余計にデジタルドリルに没頭してしまいます。

                                 

                                 

                                (こういった生徒は)読解力を身につけないまま、ドリルと暗記だけで大学受験をしている可能性が大きいと思われます。それでも偏差値が50を超える難易度中位の大学に入学できます。しかも今の大学生の半数は、学力試験を免除されるAO入試や推薦入試で入学しています。そして、偶数と奇数を足すとなぜ奇数になるかと尋ねられたら「2+=3だから」などと大真面目で解答してしまうのです。

                                 

                                 

                                問題文に出てくる数字を使ってとりあえず何らかの式に入れて「当てよう」としてしまう。なぜそんなことをしてしまうのか?フレームが決まっているドリルでは、それが最も効率の良い解き方だったからです。

                                 

                                 

                                フレームを決めざるを得ないデジタル教材の最大の欠点はここにあります。フレームが決まっていると、子供は教える側が期待しているのとは別の方法で、そのフレームの時だけ発揮できる妙なスキルだけを偏って身につけてしまうのです。

                                 

                                 

                                思い出して下さい。フレームが決まっているタスクはAIが最も得意とする作業です。そのような能力は、人間よりはるかにスピードが早く、エラーも少ない、そして何よりも安価なAIに代替されてしまいます。― 引用終わり。

                                 

                                 

                                今から15年ほど前、塾のホームページを立ち上げた時、最初にアップしたのが『学力低下は塾のせい』という記事でした。塾の教師が学力低下の原因は塾にあると指摘したのですから、無視されるか、からめ手からの生徒獲得作戦だとして揶揄されるのが落ちでした。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、15年の月日が流れ、『驚くべき教育格差−中学受験の意味するもの−』とともに、今では一番アクセス数が多い記事になっています。この記事の中で指摘したことが、15年の歳月が経過してことごとく現実となりました。新井氏はAIという格好の比較対象を得て、私が書いたことをより説得的に展開しています。長くなるので続きは次回に譲ります。2週間ぶりのブログでしたが、ここまで読んで下さった方に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

                                 

                                 

                                | 塾・学力 | 19:55 | comments(1) | - |
                                虚しさの行きつく先 − 71回目の憲法記念日に。
                                0

                                  中高生の皆さん、こんばんは。

                                   

                                  今回は、自分の見通しの甘さ、浅はかさを告白することから始めます。私は2011年の原発事故でこの国は変わる、文明の転換点になる、と考えていました。基幹エネルギーを石油と原子力(核)に依存する社会から脱却して、技術革新と教育に投資し、百年後には国際社会に誇れる国になるかもしれないと期待したのです。それが原発事故を起こした国が最低限取るべき責任だと思っていたのです。

                                   

                                   

                                   

                                  しかし、あれから7年が経過する中で目にしたものは、集団自殺を目指しているとしか思えないこの国の政府や財界、出版ジャーナリズムとそれに追従する国民の振る舞いでした。世界に類のない原発事故で殺されかけたにもかかわらず、時間の経過とともに日本国民の大半は危機意識を失いつつあります。もはや生存本能すらが壊れているのだと考えるほかないようです。

                                   

                                   

                                   

                                  そして今日5月3日、71回目の憲法記念日を迎えました。各地で集会が開かれたようですが、憲法記念日を現行憲法の原理原則を葬り去るための記念日にしようと考えている人たちもいます。日本会議系の改憲集会です。結婚記念日に、結婚を解消させる方法を話し合っているようなものです。その集会に、一国の首相がわざわざビデオメッセージを送っているのですから、その倒錯ぶりは目を覆いたくなるほどです。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  日本会議系の人たちは、小学生でもわかる現実を理解していません。どう考えても、軍事力で日本を守ることはできないのです。福島第一原発の事故が進行中で、しかも原発だらけの日本が一体どこの国と戦争できるというのでしょうか。

                                   

                                   

                                   

                                  相手が中国でもロシアでも、戦争になれば日本は瞬時に負けます。核武装しても無駄です。アメリカは日本を守りません。この国を守るためには、戦争をしないという選択肢しかないのです。

                                   

                                   

                                   

                                  軍事力を増強するのは抑止力を高めるためだと言われます。しかし、抑止力とは「脅迫」のことです。安倍首相は「戦争をしたいなどと思っている人はいませんよ」とよく言いますが、軍事力による脅迫は決して平和をもたらしません。それどころか「一人蚊帳の外」に置かれ、安倍首相とその取り巻きの知的レベルを考えると「結果的に」戦争になる可能性すらあります。

                                   

                                   

                                   

                                  国防や安全保障を「軍事の視点」だけで考えていると国を破滅へと導きます。軍事力で国を守れたのは明治や大正までの話で、昭和に入ってからは不可能だったのです。それに気づかず、軍事力を過信し、対外問題を軍事力のみで解決しようとして破滅したのが昭和の15年戦争の歴史でした。

                                   

                                   

                                   

                                  日本会議やそれに連なる人々の安全保障観は、1930年代〜1945年にわたる戦争の歴史を「日本国家の破滅を招いた大失態」として総括することから逃げています。そのため、現在でも当時と同じ「軍事力万能」の思考の中にとどまっています。日本を大国だと思い込みたいがために、中国包囲網のような非現実的な空想の中に逃避して、仲間内で「国防の大義」に酔っているだけです。

                                   

                                   

                                   

                                  さて、公文書のみならず歴史すら捏造して民主主義を葬り去ろうとしている安倍政権や日本会議のような集団に対して、私たちは何ができるでしょうか。過去の戦史(日清、日露から昭和の15年戦争の終結まで)を、一般教養として学ぶ機会を増やすべきだと思います。

                                   

                                   

                                   

                                  一般市民が国防や安全保障について様々な角度から学ぶ機会がなければ、安全保障とはアメリカの属国になって軍事力を強化し、国民の税金で最新兵器を購入して兵器産業をもうけさせることに貢献するだけです。いや、すでにそうなっています。また同じ自滅の道を、それと気づかずに進むのか、それとも歴史を学んで立ち止まり、引き返す決断をするのか、私たちは今その岐路に立っています。

                                   

                                   

                                   

                                  今の国会の惨状を見ると、虚しさだけがつのります。しかしその虚しさを招き寄せたのは私たち自身です。自業自得なのです。普段から政治に関心を持ち、投票所に足を運び権利を行使する。それだけで実は世の中は大きく変わります。虚しさを乗りこえる方法は、事実を学び、行動することの中にしかありません。もちろん、政治的行動に限りません。

                                   

                                   

                                   

                                  私がこういうことを言っても、今の若い人の心に響かないかもしれません。「合理的な」思考にならされている若い人は、国会で証人喚問しても、どうせ本当のことは出てこないのだから、グダグダ言ってないで重要法案を審議しろよ、と考えていることでしょう。その通りかもしれません。

                                   

                                   

                                   

                                  しかし、政治を私物化し、公文書の改竄まで引き起こし、その上責任を取らない政治家に重要法案を審議させてはならないのです。それを許せば、私たちは真実や正義がまったく価値をもたなくなった世界の出現に手を貸すことになります。

                                   

                                   

                                   

                                  みなさんは正義や公正さが意味をもたなくなった世界で生きることを想像したことがあるでしょうか。そこは権力と金だけが意味を持つ no man's land(不毛の地)に他なりません。

                                   

                                   

                                   

                                  合理的な思考はともすれば虚無とシニシズム(冷笑主義)につながります。虚しさの行きつく先には精神の死があるのみです。生き生きと生きたければ、常に学び行動するしかありません。以下にみなさんが政治について考えるヒントになる記事をあげておきます。暇な時に読んで参考にしてもらえればうれしいです。

                                   

                                   

                                  「国を守るということ忘れられないシーン」

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=22

                                   

                                  「なでしこジャパン」は、なぜ強くなったのか?

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=11

                                   

                                  「憲法九条を蘇生させるために」

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=119

                                   

                                  「良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−その1」

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=127

                                   

                                  「良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−最終版」

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=129

                                   

                                  「100年後の生存戦略−その1・国防」

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=199

                                   

                                   

                                  | 中高生の皆さんへ | 21:47 | comments(0) | - |
                                  義父の死と魂の救済について。
                                  0

                                    去る4月26日、義父が95年の生涯を閉じました。その前後はブログを書く気にならず、今は少し落ち着いたので、久しぶりにパソコンに向かっています。

                                     

                                     

                                     

                                    私は29歳の時に実父を亡くしました。その時のことは『父の記』に書きました。大分に帰って来てから私を物心両面で支えてくれたのが妻の両親でした。今の住居は建てて22年になりますが、使った材木はすべて義父が育てた樹齢60年以上のスギとヒノキです。

                                     

                                     

                                     

                                    生来、立身出世と金儲けに関心がない私を義父は温かく見守ってくれました。そして私の少ない取り柄を見抜き、「こいつなら材木をうまく使えるかもしれない」と考えて提供してくれたのでしょう。その義父を父親のように慕う大工のナベさんとの幸運な出会いもあり、私のような者でもなんとか今日まで生きることができました。

                                     

                                     

                                     

                                    一昨年の10月に90歳になる義母が脳梗塞で倒れたとき、94歳になる義父が救急車を呼び一命を取り留めました。その後病院で義母を看病していた時に転んで右大腿骨を骨折します。手術を経て回復して歩けるようになっていましたが、再び転んで今度は左大腿骨を骨折し車椅子の生活となりました。このころから少しずつ認知症の兆候が出始めます。

                                     

                                     

                                     

                                    それでも、同じ病院に入院していた義母のところに車いすを押して連れて行くと、「お前のおかげでいい人生じゃった。ありがとう。お前が逝ったら、わしもすぐ逝く。あの世で再び契りを結ぼう」とはっきり言いました。そばで聞いていた妻は驚き、こらえきれずに涙を流していました。

                                     

                                     

                                     

                                    その父が母よりも先に亡くなりました。義父が亡くなるまでのことを思い出すと、涙があふれます。テーブルを挟んで食事をしていると、突然妻の目から涙が止めどなくあふれ出し、私もつられて泣いてしまうのです。歳のせいか涙腺がゆるくなっているのかもしれません。同じ経験をしている人がおそらく全国に何万人、何十万人といることでしょう。

                                     

                                     

                                     

                                    不慮の死を遂げた人や、自ら命を絶った人に比べれば、義父の人生は幸せだったと思います。できることなら、家で最期を迎えさせてあげたかったと思います。それこそが、死期を悟った義父が最後まで望んでいたことでしたから。

                                     

                                     

                                     

                                    病院のベッドに寝ている義母に向かって、義父が大声で「もう俺達は十分生きた。人間には寿命があるんじゃ。こんなところにいてどうする。さあ家に帰るぞ!」と語りかけたのも、最期は家でとの思いがあったからでしょう。

                                     

                                     

                                     

                                    義父が生業(漁業、林業、真珠の養殖・加工・販売など)の中で培った、すべての人に分け隔てなく接すること、富める者が貧しい者に施しをするのは当たり前だと考えること、決して威張らず、私利私欲に走らず、何よりも自分を育んでくれた地域のために生涯を捧げる生き方から、私は多大な影響を受けました。

                                     

                                     

                                     

                                    私の人生の僥倖は、義父が育てた「自由者」の三女を伴侶にしたことです。特に義父が亡くなるまでの一年半の間、看病する妻を見ていてこのことを痛感しました。妻は何よりも、誰よりも、父を家に帰すことを考えていました。それは父の人生の終着駅であり、同時に、戦争を経験した父の世代の願いでもあるからです。父の魂が安らげる場所は、先祖とともに育てた山の木を使って建てた家以外になかったのです。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    私たちの社会は、何よりも効率を重視し、一定の手続きに則って動いています。病人や認知症の患者が出れば、家族になるべく負担がかからないようにと考え、公的な機関や病院に頼ります。

                                     

                                     

                                     

                                    もちろんそれは必要なことでもあり、社会全体にかかわる問題です。社会保障の本質は、そもそも国はなぜ存在しているのかという問いと密接にかかわっています。つまり、何かと言えば自己責任を叫ぶしか能のない成金趣味の人間たちに、自らの考えの後進性、身勝手さ、独善性を悟らせなければならないのです。

                                     

                                     

                                     

                                    話がそれました。社会保障を充実させることも重要ですが、それよりももっと大事なことがあります。それは死に行く人間の魂をどうやって救済するのかという問題です。

                                     

                                     

                                     

                                    それにしても、家で死にたいとあれほど願っていた義父の気持ちは、いったいどこに発していたのでしょうか。それはぜいたくな願いだったのでしょうか。そうではありません。自分を育んでくれた自然、記憶と過去の時間が積み重なっている場所、いわば魂の故郷へ帰りたいという素朴で真っ当な感情が、死の間際まで人間の体内を流れていることを証明するものだったのです。

                                     

                                     

                                     

                                    今回それをかなえてあげることができませんでした。しかし、上で述べた感情を理解できる人間たちがいれば、決してできないことではなかったのです。多少の犠牲が伴っていたとしても。

                                     

                                     

                                     

                                    妻はそれだけが心残りだと言います。私は「もう過ぎたことだ。ただお互いに死期が近づいた時には、魂が安らげる場所で死ぬことを第一に考えよう」と言って慰めています。

                                     

                                     

                                     

                                    私は、泣く時には心の底から泣ける人間、怒るべき時には本当に怒る人間でなければ、愛することができません。私の伴侶がその種の人間であることを改めて確認できたのは、義父が私に残してくれた、最後のささやかなプレゼントだったのかもしれません。

                                     

                                     

                                    | 人生 | 22:26 | comments(0) | - |
                                    続 ・ 自壊する日本の高学歴「エリート」たち。
                                    0

                                      以下の人物は、わが国では「エリート」と呼ばれているようですが、その人格は4コマ漫画に余すことなく現れています。よい子の皆さんは、決して見てはなりません。余りにリアルですから。

                                       

                                       

                                      ぼうごなつこさんの漫画

                                      http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/

                                       

                                       

                                       

                                      エリート」とは、子どもの頃から「東大」に象徴される権威に服従することで人格を空洞化させ、決められたレールの上を走ることしかできない哀れな子供なのです。彼らの思考と行動は絶えず権力へと向かうように初期設定されており、レールからはずれることは敗北だと思い込まされています。ましてや、ある程度歳をとってから、自らの生き方を顧みることなど土台無理なのです。

                                       

                                       

                                       

                                      私は2016年のブログ「自壊する日本の高学歴『エリート』たち」の中で次のように書きました。

                                       

                                       

                                      「人はどんな家に生まれるか、どんな親のもとに生まれるかを選ぶことはできません。つまり人間は、たまたまある時代のある「場所」に生まれてくる存在なのです。これが人間の動かしようのない現実です。自分の力ではいかんともしがたい命を宿して、人はこの世に生きているのですね。宿命ということばが生まれたゆえんです。

                                       

                                       

                                      ところが、世の中には、名門の家に生まれたことを特権だと思っている人間がいます。家柄を自慢し、他人を見下します。自分の努力で手に入れたわけではなく、ただその家に生まれたというだけで自分を特別な存在だと考えているので、他人を従えて当然だ、自分にはその資格があると勝手に思い込むようになります。

                                       

                                       

                                      この種の自己愛は、自分の境遇が偶然によってもたらされたことを忘れさせ、家に対する歪んだ誇りを生み出します。「自分の家」に対する誇りは「自分の国」へと拡大されます。「国家のブランド化」です。その結果、ブランドを批判する人間を躍起になって否定し排除します。歪んだ誇りは愛国心を強要するようになります。

                                       

                                       

                                      彼らの愛国心は、偶然の条件を根拠にしているので、何ら説得力を持ちません。自分では当然だと思っているものを他人が拒否するのはおかしいと考えるのです。ガキのレベルですね。そうなれば権力を利用して強制するしかありません。あるいは、外敵をでっちあげ、敵愾心や恐怖心をあおることしかできないのです。

                                       

                                       

                                      それに対して、「自分はたまたま名家に生まれついたにすぎない。だから、その幸運を忘れることなく、それに見合うだけの努力をして、周りから尊敬される家にしよう」「いや、自分の家をよくするだけではなく、周りの人たちにもその恩恵に浴してもらおう。それが自分の義務であり、自分が生きている意味だ」と考える人もいます。

                                       

                                       

                                      後者が本来のエリートと呼ぶべき存在であり、その考えはノブレスオブリージュ(高貴なるものの義務)と呼ばれています。彼らは愛国心を他人に強要しません。自らが義務を果たすことで、その結果として、愛国心が生まれるということを分かっているからです。こういう人間が支配層にいる国は大きな誤りをおかしません。」と。

                                       

                                      「自壊する日本の高学歴『エリート』たち」

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=279

                                       

                                       

                                       

                                      ちなみに大分市中春日町にあるY田ゼミ塾長氏は4月19日のツイッタ―で次のように吠えています。

                                       

                                      「女を武器に食事をおごってもらい、そして酔わせてその場でのセクハラ発言を録音する。そしてセクハラされたと大声で訴えて財務次官を辞めさせる。それがテレビ朝日の女性社員の手口だろう。完全なハニートラップじゃないか!この進優子(テレビ朝日)がハニートラップを仕掛けたのか。2人っきりで何度も食事に行っておいてセクハラだと?バカか!」

                                       

                                       

                                      しかも、この塾長、女性記者の顔写真までアップしています。私が最も軽蔑するのは、権威や権力に服従し一体化することで自分の価値まで高まったように錯覚する人格なき臆病者です。いやはや、この御仁に人権感覚を期待するのは無理だとしても、こんなネトウヨ教師に教えてもらっている生徒が余りに気の毒です。

                                       

                                       

                                      | 政治 | 14:32 | comments(0) | - |
                                      100年後の生存戦略 − 教育 : 国宝・閑谷(しずたに)学校
                                      0

                                        昨年の11月、奈良の慈光院を再訪し、滋賀県の湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)を回りました。慈光院は訪れる度に発見があり、特にそのプロポーションにはため息が出ます。京都の詩仙堂と並ぶ私のお気に入りの建築です。奈良へ旅する機会があったら、ぜひ一度訪ねてみて下さい。

                                         

                                         

                                         

                                        私のブログは、春や秋になるとアクセス数が急増します。旅の参考に『古寺巡礼』を読んで下さっている方が多いからでしょうか。そうだとすれば嬉しいですね。ブログでは、どこの誰がアクセスしているのか、知る術がありません。一番アクセス数が多いのは『自己救済術としての家作り』を始めとする建築関係の記事です。

                                         

                                         

                                         

                                        政治の話題になるとアクセス数は減ります。この5年間で、私たちの国のリソースは、法治国家の建前を含めて、ズタズタにされました。膿そのもののサイコパス総理が「膿を出し切る」と言っているのですから、これはもうギャグというか白昼夢を見ている気がします。いやな時代に生き合わせたものです。

                                         

                                         

                                         

                                        旅の帰途、一番の目的だった閑谷学校に寄りました。山陽自動車道の備前ICから車で15分くらいだったでしょうか。途中、すれ違う車も人の姿もほとんどありません。山に囲まれた道を奥へ奥へと進んでいきます。到着した時はあいにくの雨でしたが、霧雨に煙る山間の閑谷学校も捨てたものではありません。妻と広大な敷地を歩きながら、日本という国が持っている文化的リソースの豊かさを思いました。

                                         

                                         

                                        閑谷学校全景

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        現在の閑谷学校。右手の楷の木の新芽が膨らんでいます。

                                         

                                         

                                        秋の閑谷学校

                                         

                                         

                                         

                                        ついでに奥方様の写真も。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        閑谷学校は、江戸時代・寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって創建された、岡山藩直営の庶民教育のための学校・学問所です。国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などほとんどの建造物が国の重要文化財、資料館は登録有形文化財に指定されています。

                                         

                                         

                                        国宝の講堂内部。ピカピカに磨き上げられた床。現在でも地元の子供たちはここで論語を読んでいます。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        1660年代の半ば、光政は岡山の領地内に池田家の墓所のための土地を探していました。菩提寺である京都妙心寺の護国院が火災で焼失してしまったからです。光政の命を受けたのが、優秀な側近、津田永忠でした。永忠は領内をくまなく歩いて候補地を探しました。その一つが後に閑谷学校の用地となった和気郡木谷村だったのです。

                                         

                                         

                                         

                                        光政が木谷村を訪れたのは晩秋だったそうです。紅葉の美しい敷地を歩きながら、ここは墓所ではなく、庶民の子供たちが学ぶ学校にうってつけの土地だと直覚します。さすがに名君と言われるだけのことはあります。国家を私物化して恥じないどこかのバカ殿とは大違いです。

                                         

                                         

                                         

                                        私が興味をひかれたのは、国宝の講堂だけではありません。敷地を取り巻く石塀の美しさもさることながら、そのランドスケープデザインの秀逸さでした。ここは『風の谷のナウシカ』に描かれた風の谷の祖形だと直感しました。

                                         

                                         

                                         

                                        図面を見ると寄宿舎や食堂、厨房が敷地の西に配置されています。そして、東側の講堂や聖廟との間に火除山を築いています。防火のためにわざわざ山を築いたのです。そして、弘火四年(1847年)、寄宿舎からの失火で西側にあった建物が焼失した時も、この火除山のおかげで、東側の講堂や聖廟は延焼をまぬがれたのです。何という先見の明、危機管理の意識の高さでしょうか。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        草一本生えないように設計されたこの石塀(幅1,8メートル、高さ1,5〜1,6メートル)が敷地を取り囲んでいる。全長765メートル。石工たちの創意工夫と忍耐力に頭が下がります。この石塀だけでも見に行く価値があります。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        さて、最後に閑谷学校からもらったインスピレーションについて書きます。今私たちの国は首の皮一枚で繋がっている状態です。早晩、カタストロフィーに見舞われます。統治機構の自壊現象のことを言っているのではありません。営利行為としての戦争のことでもありません。それよりもっと確実で深刻な危機に直面しているのです。

                                         

                                         

                                         

                                        それは、福島第一原発の事故で、放射能によって高濃度に汚染された地下水とそれを貯蔵している巨大タンク、除染によって出た膨大な放射能汚染土をどうするのかという問題です。次なる地震が襲えば、これらは確実に海に放出され、溶け出します。

                                         

                                         

                                         

                                        もちろん、地震がこなくても、やがてリミッターが振り切れる時がやってきます。その時、日本近海はもとより、太平洋は放射能によって汚染され、漁業は壊滅するでしょう。チッソが水俣湾に有機水銀を垂れ流して住民の命を奪った事件は、その後の私たちの運命を暗示していたのです。

                                         

                                         

                                         

                                        その時、私たちは海を捨てなければならなくなります。海に面した都市は、徐々に放射能に蝕まれていきます。子供たちはどこで生きればいいのか。最悪の場合、海外に脱出するしかありません。

                                         

                                         

                                         

                                        しかし、すべての子供たちが脱出するわけにはいきません。国内にとどまり、なんとか再生の時を待つしかないのです。その場所はどこにあるのでしょうか。そうです、全国に点在する「閑谷学校」こそが、子供たちが生き延びるための「風の谷」になるのです。

                                         

                                         

                                         

                                        今の政権は、こういったことをシュミレーションすらしていません。そもそもそういった発想がないのです。自分たちにとって都合の悪い事実を隠蔽し、歴史を捏造し、さらには女性をモノのように扱う体質が表面化するに及んで、彼らは事実に向き合うことすらできない痴呆になったのです。

                                         

                                         

                                        | 中高生の皆さんへ | 22:11 | comments(0) | - |
                                        <生>の始まりに向かって。
                                        0

                                          今回は、一週間ほど前に読み終えた本を紹介したいと思います。タイトルは、『石を聴く――イサム・ノグチの芸術と生涯』 ヘイデン・ヘレーラ著(みすず書房)です。今年の2月に出版されました。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          今からちょうど一年前に書いた以下の記事とタイトルが似ていますね。よろしければ、お読み下さい。

                                           

                                           

                                           『石に訊け − イサム・ノグチと宮崎駿』

                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=340

                                           

                                           

                                           

                                          古寺巡礼と建築行脚の旅を始めたのは今から16年前でした。そして最初に選んだのが高松市牟礼にある『イサム・ノグチ庭園美術館』でした。

                                           

                                           

                                           

                                          イサム・ノグチになぜ引きつけられたのか、正直なところ分かりません。彼の作品を言葉で意識的に分析すれば何か重要なものが棄損される気がするのです。だから、作品そのものを語るのではなく、宮崎駿と対比させて感想を述べました。

                                           

                                           

                                          イサム・ノグチの作品に対していると、私の内部で、無意識的な記憶の掘り起こしが進行しているのが分かります。それは私固有の記憶とは違った何かです。私たちの内部に私たちの意識よりも多くのことを知っているものがひそんでいて、それが語りかけてくるといった感じなのです。

                                           

                                           

                                           

                                          それは、自分が知っていることなどたかが知れていると気づかせる何かです。つまり、人間の内部には、意識では到達できない領域が広がっていることを教えてくれるのです。私は以前、人間とは記憶のことだと書きました。その記憶とは個体としての身体の中に閉じ込められている記憶のことでした。

                                           

                                           

                                           

                                          しかし、自分では体験したことのないことを突然思い出したり、人の死や偶然の出来事によって、異質な記憶の層に引っかかったりしたことはないでしょうか。なんだかオカルトっぽくなりそうですが、人間が霊的な存在であることを思えば、不思議でも何でもありません。鈴木大拙は「霊性」と言っています。

                                           

                                           

                                           

                                          私はイサム・ノグチの作品を見ている時や、古寺巡礼を続けている時に、こういった経験をすることがあります。すぐれた建築や絵画、彫刻に興味を持ったのは、この経験を深め、その意味を探りたいと思ったからです。そのことをブログで書いたことがあります。

                                           

                                           

                                           

                                          その中の一つ、『私の古寺巡礼13−奈良・慈光院』から引用します。

                                           

                                           

                                          古寺巡礼を続けていると、自分の体温というか体質というか、趣向にとても近い建築に出会います。琴線が共鳴するのです。それは初めて出会ったのに、ずっと前から知っていたような、そんな感じです。私の美意識のルーツはいったいどこに由来しているのか、それはまだいろんなところに存在しているのか、ひょっとしてこれからもそういったものに出会えるのか、と考えると、生きることには意味がある、人生は楽しいと思えてくるのです。」

                                           

                                           

                                           

                                          そして私は気づきました。私たちの内部にあると思っていた記憶も魂も、実は私たちの外部にあるのではないかと。人間は、一人一人が孤立して独自の魂を持って生きているのではなく、大きな魂を一人一人の魂が形作っている存在だと。それが分かると、自分がなぜ生きてきたのか分かるような気がします。自分がなぜ死んでいくのかも分かりそうです。

                                           

                                           

                                           

                                          ことによると、人間は本来自分を意識せずに生きて行ける存在なのかもしれません。それに気づけば、いたるところに<生>の起源を見出すことができます。なぜなら、私たちは意識を与えられる前の、<生>の始まりに向かって旅をしているからです。

                                           

                                           

                                           

                                          興味がありましたら、鈴木大拙に言及している以下の記事をお読み下さい。

                                           

                                          「『普遍的な感情』とは、どのようなものか。」

                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=87

                                           

                                          | 文学・哲学・思想 | 22:35 | comments(0) | - |
                                          とっておきの場所 ・ ニューヨーク「ペイリー・パーク」
                                          0

                                            私にはとっておきの場所が二か所あります。一つは、ブログでも紹介した、コペンハーゲン中央駅から電車で小一時間の距離にあるルイジアナ美術館。この美術館の素晴らしさは、何と言ってもランドスケープにあります。建築はランドスケープの一要素に過ぎないと教えてくれたのはこの美術館でした。百聞は一見に如かず。デンマークに行くことがあったら、ぜひ立ち寄ってみて下さい。

                                             

                                             

                                            ルイジアナ美術館

                                             

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            今回紹介するのは、もう一つのとっておきの場所、ニューヨークの街の真ん中にある「ペイリー・パーク」です。高層ビル群が建ち並ぶニューヨーク近代美術館の並びにある、わずか13メートル×30メートルの小さな公園、いわゆるポケットパークです。

                                             

                                            「ペイリー・パーク」

                                             

                                             

                                             

                                            ランドスケープ・アーキテクト、ロバート・ザイオンの設計で、ビルの谷間に造形されています。ハリー・ベルトイアの白のワイヤーフレームの椅子が置かれている、大都会のオアシスです。これをウィリアム・ペイリー財団が管理運営しています。

                                             

                                             

                                             

                                            「ペイリー・パーク」は、周囲の喧騒から離れたヒューマンスケールの空間を人々に提供しているのです。こうした空間は都市生活に欠かすことのできないものですね。歩き疲れた時、あるいは待ち合わせの場所として、とにかく座ることが出来るスペースは欠かせません。

                                             

                                             

                                             

                                            「ペイリー・パーク」の一番奥には、高さ6.1mの滝があります。流れ落ちる水の音が都会の喧騒を忘れさせてくれます。同時に中心的な視覚要素となっていて、歩行者を立ち止まらせ、その魅力に惹かれて公園に入ってみようと思わせるのです。

                                             

                                             

                                             

                                            小さな売店があり、サンドイッチやコーヒーといった軽食を手軽な値段で買うことができます。いわゆる、アウトドアカフェです。人々は、日常の何気ない会話を楽しんだり、ランチを楽しんだりしています。ちなみに、ニューヨークでは、オープンスペースの20%をこのカフェスペースに利用して良いとの規則があるそうです。

                                             

                                            木洩れ日がやさしい空間です。

                                             

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            ところで、このペイリー・パークに関しては特別の思い出があります。昔の恋人と別れたのがこの公園だったのです、なんちゃって。冗談です。

                                             

                                             

                                             

                                            実はブログで紹介したSさんの奥さんが、わが家の見学に来た時、玄関アプローチに敷いている石(ピンコロ石)と中庭のベルトイアのダイヤモンド・チェア(もちろん、リプロダクトです)を見て、「もしかして、先生はニューヨークのペイリー・パークを御存知ですか?」と言ったのです。

                                             

                                            冬の「ペイリー・パーク」。敷き石はピンコロ石です。

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            私は一瞬絶句しました。実はルイス・カーンや、中村好文さんと並んで、ペイリー・パークの設計者であるロバート・ザイオンに深く影響されていたからです。それを一瞬で見破ったのですから、恐るべき眼力の持ち主です。私が持てるものを総動員してSさん夫妻の力になろうと思ったのは、これが理由だったのです。

                                             

                                             

                                             

                                            話を元に戻します。ロバート・ザイオンはアメリカのランドスケープ・デザイナーです。1921年、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンで生まれます。ハーバード大学で工業経営を学んだ後、ランドスケープ・アーキテクチュアのマスターを修得。ニューヨークで独立し活動していましたが、その後、郊外の開発から州の農村居住地を守るためニュージャージーのイムレイスタウンという人口数百人の小さな村にオフィスを移して、質の高いランドスケープをデザインし続けました。そこで交通事故に会い79歳で亡くなります。

                                             

                                             

                                            ペイリー・パークの図面。

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            その温厚そうな風貌とは裏腹に、彼は造園についてかなりきつい調子で述べています。「ハーバードの造園学科を出ても造園家にはなれない」「造園家が自然そのものからあまりにも離れた距離に置かれていると、デザインすることが困難になるばかりでなく、極端に人工的なデザインをするようになりやすい」と

                                             

                                             

                                             

                                            複雑な自然の営みの一部を抜き取って、それを違う場所で再構成して見せることを「造園」というならば、それは恐ろしく大それた行為です。そんなことが机の上で一朝一夕にできるわけもありません。

                                             

                                             

                                             

                                            自然の一部である樹木や植物について学ぶことは、受験勉強のように図鑑の説明を覚えればいいというものではない。植物の生態はその土地の自然条件や風土と一体のものだからです。一歩一歩、急がずに、一生かかるつもりで、少しずつ体験を積み重ねていくしかありません。

                                             

                                             

                                             

                                            週休三日制のゆったりとした仕事ぶりが、彼のデザインの源泉となっているとの記事を以前読んだことがあります。しかし、週休三日制を採用すれば、誰でも良い仕事ができるわけではないでしょう。

                                             

                                             

                                             

                                            口を開けば、忙しい忙しいと言っている造園家は、単なるビジネスマンに過ぎません。造園家に求められる資質とは、実は、ゆったりとした暮らしの中から得られる、植物や人間に向けられる視線の優しさ、余裕のようなものなのかも知れません。

                                             

                                             

                                             

                                            言わずもがなですが、日本の教育に最も欠けているのが、こういった優しさと余裕なのです。

                                             

                                            | 建築 | 14:01 | comments(0) | - |
                                            「自由で公平で平和な国で死にたい」
                                            0

                                              私は多数派に迎合したり、権力に擦り寄ったりすることが何よりも嫌いです。ある人の言説が多数派を恃んでいたり、権力に秋波を送っているのが分かると、生理的に敬遠したくなります。若者ならともかく、それなりに社会経験を積んできた大の大人が政治的言説にころりと騙されるのを目にすると、もはや私の出る幕はないのだと痛感させられます。

                                               

                                               

                                               

                                              やっかいなのは、政治的な発言を避けることによって、現状を肯定し、権力を延命させている人たちです。それは、岩ツバメが唾液で巣を作るように、生活の中で分泌される無意識によって形作られた態度です。日本にはこういった態度を、さも知的で良識的であるかのように考えている人が多い。

                                               

                                               

                                               

                                              私は彼らのことを消極的ネトウヨ層と呼んでいます。少し考えればわかることですが、「政治的な発言を避ける」ことは、「いま権力を握っている人間たちに決定権を委任し、口出しはしません。」という責任放棄と隷従を意味します。

                                               

                                               

                                               

                                              思えば、こういった態度を教養人のマナーだと勘違いしている人に、何人出会ってきたことでしょうか。その度に私は思ったものです。人格のない1万人にちやほやされるよりも、一人称で考え一人称で行動する一人の人間から信頼されるような生き方をしようと。

                                               

                                               

                                               

                                              以来、消極的ネトウヨ層が分泌し続ける言説に、首まで浸かりながら、私は自分の心に届く言葉を探し続けてきました。なぜなら、自分の果たしている政治的な役回りに無自覚な人間たちが分泌する言葉によって精神の衛生が害され、人格が空洞化することを知っているからです。

                                               

                                               

                                               

                                              そんな日々の中で、久しぶりに素直に心に入ってくる言葉に出会いました。それは、5日、82歳で亡くなった高畑勲監督の短い言葉です。高畑監督の年賀状を映像研究家の叶精二氏がツイッター上で公開したものです。

                                               

                                               

                                               

                                              高畑勲監督の『火垂るの墓』

                                               

                                               

                                               

                                               

                                               

                                              「皆さまがお健やかに
                                              お暮らしなされますようお祈りします
                                              公平で、自由で、仲良く
                                              平穏な生活ができる国
                                              海外の戦争に介入せず
                                              国のどこにも原発と外国の部隊がいない
                                              賢明強靭な外交で平和を維持する国
                                              サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です」

                                               

                                               

                                              ブログでこれまで13回にわたって宮崎駿監督を取り上げました。その監督が、インタビューで「宮崎さんは夢を見るんですか?」という問いに、「見ますよ。でもぼくの夢はひとつしかない、いつも登場人物は高畑さんです」と答えています。

                                               

                                               

                                               

                                              以下、高畑勲監督の言葉を取り上げます。

                                               

                                               

                                               

                                              「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」

                                               

                                               


                                              「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」

                                               

                                               

                                               

                                              「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」

                                               

                                               

                                               

                                              「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」

                                               

                                               


                                              「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」

                                               

                                               

                                               

                                              「『戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う』とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです」

                                               

                                               

                                               

                                              「日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが9条です」

                                               

                                               

                                               

                                              「『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」

                                               

                                               

                                               

                                              「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には(自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いているのが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、もうちょっと考えられない。本当に信じられない」

                                               

                                               

                                               

                                              宮崎監督は高畑監督が亡くなった日、「まだその気持ちにはなれない」と、コメントは出していません。当然ですね。ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しました。

                                               

                                               

                                               

                                              その高畑勲監督の「自由で公平で平和な国で死にたい」という痛切な思いは、これからも無視され続けるのでしょうか。

                                               

                                               

                                              | 中高生の皆さんへ | 13:47 | comments(0) | - |
                                              うれしい便り・春。
                                              0

                                                ブログで紹介したSさん夫妻の住宅の新築工事が始まりました。車を飛ばして現場を見にいきましたが、ロケーションが素晴らしく、成功したも同然だと思いました。それほど住宅にとってロケーションは大切です。私の家も、街中の住宅街にあれば、資材置き場と間違われていたでしょう。周囲に樹木を植えて家らしく見せているだけです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                図面を見せてもらうと、骨格だけは腕の確かなプロに頼み、後は二人だけで少しずつ作っていく計画が見事に書き込まれていました。住み手である夫妻の、大らかで丁寧な暮らしぶりや、ゆったりとした時間とともにある日々の生活が立ち現われてくるようなプランでした。完成が待ち遠しいですね。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                そんなとき、塾教師 O 君からメールが届きました。家族で埼玉県からわざわざ塾の見学に来てくれたのが、去年の4月23日でした。ちょうど1年になります。あれから中古住宅を手に入れ、私が紹介した中村好文さんの本を読んでデザインし、大工さんと相談して実行に移したのです。そして今春ついに開校だそうです。おめでとう!

                                                 

                                                 

                                                 

                                                メールには新しい塾の教室の画像が添えられていました。風の吹きぬける、ちょうどいい規模の、あちこちに工夫の跡がうかがえる落ち着ける空間です。黒板の後ろの壁は杉の羽目板を貼っています。教室中に杉板の香りがほのかに漂っているようで、何ともいえない安らぎを与えてくれそうです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                その一部がドアになっているのですが、見た目には単なる壁です。忍者屋敷の扉のようで、遊び心がありますね。こんな環境で勉強できる生徒は幸せだと思います。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                塾業界では、なにかといえばエビデンスだの、費用対効果だの、何点アップだの、何人抜きだの、成績保証だの、といったキャッチコピーが躍っています。O 君の塾は、幹線道路沿いにある人目を引くキラキラ塾ではなく、閑静な住宅街にあります。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                夕刻になると、部活で疲れ、人間関係でささくれ立った心を抱えた子供たちがやってきます。忘れ物をした生徒や宿題をやっていない生徒もいるかもしれません。それでも塾で勉強するうちに、 O 君の話や数学の面白さに魅せられて、帰る頃にはすっかり元気になっていることでしょう。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                私は、塾教師は O 君の天職だと言いました。それはつまりこういうことです。今 ICT 教育が盛んに宣伝されています。ICT 教育とは簡単に言えばインターネット、タブレット、デジタルコンテンツなどのデジタル技術を使った教育のことです。

                                                 

                                                 

                                                つまり、「従来の教育では、インターネットを調べればわかることを教師に教わり覚えるということが中心だった。ICT を使うことで、インターネットに聞けばわかることはインターネットに任せて、より効率的に情報を活用した創造的なスキルを養うことに焦点を当てることができる」というわけです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                要するに塾産業からすれば、ゆくゆくは AI が教育の大部分を肩代わりする時代になる。だから教育をデジタル機器に任せ、先を読んで設備投資をし、費用対効果を常に頭におきながら、利潤を上げるサービスに転換しなければならないということです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                これからの塾教師は、なによりも、デジタル機器を使いこなせる人材でなければ務まらないと言っているわけです。現に多店舗展開している多くの塾は、そういった人材がいないため、ただ DVD を見せたり、別料金で子供たちに英会話や、速読教室なるものを受講させています。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                一方で、O 君のように塾教師を天職と考える人間は、多店舗展開型の塾などまったく考えていないはずです。これはあくまで、金儲けの論理なのですから。では何をしなければならないのか。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                「教育」そのものを再定義するという困難な仕事に着手しなければならないのです。そうすれば ICT 教育が人間の創造性を高めることに本当に役立つかどうかが見えてくるはずです。加えて、創造性は例えば自己犠牲の精神よりも上位の価値なのか、という疑問にも答えなければなりません。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                 ICT 教育は一つの手段です。手段はあくまで手段に過ぎません。にもかかわらず、手段が目的そのものになっているのが今の教育なのです。教育の目的は子供を東大に入れることでは断じてありません。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                手段が目的になればどんな不都合が起こるか。手段と目的の区別がつかない人間が大量に出現し、目的が失われます。その結果、人間を含めてすべてのものが手段と見なされるようになります。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                安倍政権は目的を喪失させ、手段を自己目的化したのです。公文書の偽造・変造や原発の再稼働はその典型例です。目的(理想といってもいい)を喪失した社会の行きつく先はグロテスクな社会つまりディストピア以外にありません。国民は奴隷として働かされ、殺されるしかないのです。現に自殺者が複数出ているではありませんか。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                塾教師を天職だと考えている O 君には、これからやることがまだまだあります。それは困難を伴いますが、これ以上にやりがいのあることはないかもしれません。O 君の健闘を祈ります。

                                                 

                                                 

                                                | 人生 | 22:06 | comments(0) | - |
                                                二つの映画をハシゴしました。
                                                0

                                                  昨日3月31日土曜日、パークプレイスで午後7時から、封切られたばかりの映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を観ました。そして、今日はシネマ5bizで『ザ・シークレットマン』を観ました。間に『大統領の陰謀』が挟まっていれば言うことはなかったのですが、なにせ1976年制作の映画ですから、それはない物ねだりでしょう。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  ブログでも何度も書きましたが、1970年代は、まだ報道の自由、表現の自由が国家にとって致命的に重要だということを認識していた新聞人がいたのです。報道の自由が民主主義を支えていること、ひいては国家間の戦争を回避するためになくてはならないものだということを、骨の髄から分かっている報道人がいたのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  なぜなら、文書の隠蔽・偽造によってアメリカの若者50万人以上がベトナムで命を落とし、女性や子供を含む100万人以上のベトナム人が殺されたのですから。文書の隠蔽・偽造が国家を内部から腐らせ、やがては崩壊につながること、つまり国民が政府によって殺されることは自明なのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  今の日本の若者はベトナム戦争がでっち上げによって始まったことを知っているでしょうか。それが私たちの世界に何をもたらしたかを含めて学習しているでしょうか。もちろんイラク戦争や湾岸戦争もしかりです。私はすでに『現代の戦争に偶発はない。すべて営利行為である』と書きました。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  『大統領の陰謀』は、ワシントンポストでウォーターゲイト事件を調査していた駆け出しの記者(映画ではダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードが演じていました)が、ニクソン大統領の指示があったことを突き止め、それをワシントンポストが社運をかけて守る、つまり報道の自由に命をかけた新聞人の気概を描いた映画です。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  今回2本の映画をハシゴしようと思ったのも、『大統領の陰謀』を観ていたからです。政治に深く思いを致したことのない人が、素朴にこの2本の映画を観たらどう思うでしょうか。それが知りたくて妻とハシゴしたのですが、「権力は人の命なんて何とも思っていないことがわかる。今の日本とそっくりというか、日本のことが描かれているわね」という感想でした。おそらく頭のいかれたネトウヨを除けば、ほとんどの人は妻と同じ感想を持つのではないでしょうか。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  森友事件、いやアッキード疑獄を扱った昨日の報道特集で、フランス「ル・フィガロ」のレジス特派員が言っています。「私が非常に心配しているのは、スキャンダルそのものよりむしろスキャンダルへの対応です。もしこれがフランスであれば処罰の実行などもっと早く対応すると思います。そして時の政権は崩壊するでしょう。事件に自殺が絡んでいる場合は特に」と。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  国会答弁のために財務官僚が公文書を組織的に捏造することがどれほど重大な犯罪なのか、国家に対する裏切りなのかを、当の財務大臣はもとより安倍首相がまったく分かっていません。それが明らかになったあとも内閣が倒れないのですから、手の施しようがないほどの腐敗というか虚無が私たちの間に広がっているということです。

                                                   

                                                  | 読書・映画 | 22:06 | comments(0) | - |
                                                  今日は簡単に済ませます。
                                                  0

                                                    安倍政権のやることはおよそ政治の体をなしていません。メルトダウンどころか完全にメルトスルーしています。政治の中心がこれほど腐敗し、機能不全に陥り、道徳的に退廃したことはかつてありませんでした。経済政策も、外交政策も、社会保障も、教育もすべて破綻しています。

                                                     

                                                    それを指摘する声が自民党の中から出てこないということが、この政党が終わっている何よりの証拠です。もちろん安倍政権にヒルのように吸いついている公明党もヤクザ集団の日本維新の会も同じです。

                                                     

                                                    安倍首相は、自分がリーダーシップをとって圧力をかけ続けたから、北朝鮮は対話に動き出したのだと国会で述べました。ここまで自己中心的な解釈を臆面もなく披露できる政治家を見たことがありません。

                                                     

                                                     

                                                    私は数年前から彼のことをサイコパス総理と呼んできましたが、それが見事に立証されたのです。ちなみに、サイコパスとは「主張や態度をコロコロ変え、自己中心的で支配欲が強く、おのれの過失の責任は100%他人にあるような物言いをし、誇大妄想に取り憑かれているように見える」人間のことを指します。

                                                     

                                                    安倍首相は、Jアラートを鳴らしまくり、国民にしゃがんで頭を隠す訓練をさせ、東アジアの危機を煽ることで、自身の権力を強化し続けてきました。北朝鮮にしてみれば、安倍政権は米軍という虎の威を借りるキツネに過ぎないのですから、まともに相手をするには及ばないと判断していたのです。

                                                     

                                                    半年以上前に書いた記事です。よろしければお読みください。

                                                    『北朝鮮の問題で安倍首相が主体的に決断できる可能性は1%もない。』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=406

                                                     

                                                    ダイナミックに動き出した国際情勢に、もはや、彼の能力では対応できないことを私たちは知るべきです。

                                                     

                                                    安倍首相だけではありません。「自民党麻生派顧問の甘利明元経済再生担当相は29日、派閥会合で『今の外交課題に対応できるのは安倍晋三首相しかいない。麻生太郎副総理兼財務相には、義経を支える弁慶として力の限りを尽くし、支えてもらいたい』と強調した 。」(共同通信)とのことです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    大臣室で50万円を受け取り、あっせん利得罪のど真ん中だと批判され、睡眠障害を理由に雲隠れした甘利氏は、いったい何を見ているのでしょうか。安倍首相が義経?このたわけ者!睡眠障害だけでなく脳障害も併発しているようです。

                                                     

                                                     

                                                    さて弁慶こと麻生太郎財務相の番です。彼は29日の参院財政金融委員会で、連日報道されている森友学園を巡る決裁文書改ざん問題に関連し「森友の方が環太平洋連携協定(TPP)より重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」と発言しました。ネトウヨの発言そのものですね。

                                                     

                                                    さらに最近の新聞報道で森友問題に比べTPPに関する記事が少ないことに言及し「日本の新聞のレベルはこんなもんだと思って経済部のやつにぼろかす言った覚えがある」と話したそうです。やれやれ、弁慶は弁慶でもサイコパス弁慶の登場とは。こんなことは未曾有(みぞうゆう)の状況です。

                                                     

                                                    眠いのでもうやめます。おやすみなさい。

                                                     

                                                    | 政治 | 00:49 | comments(0) | - |
                                                    山本太郎議員の怒りは、私たちの怒りである。
                                                    0

                                                      3月28日午前11時10分、塾の準備をしながら、参議院予算委員会の国会中継を見ました。もちろん質問者は山本太郎議員です。私が国会議員の質問をライブで見るのは山本太郎議員だけです。最近は彼のオフィシャルサイトで質問時間を確かめ、その瞬間を心待ちにするようになりました。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      彼のことをブログで取り上げたのは、今回で36回目になります。それほど山本議員の質問は素晴らしい。私が訊きたいことを訊き、言いたいことを代弁してくれるのは彼だけです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      初めて彼の国会中継をブログにアップしたのは今から3年前。以下がその時の記事です。彼の動画はアップするたびに削除されました。そこで再びアップするというイタチごっこを繰り返しています。そして時々、私は山本議員に励ましのメールを送ります。このブログをご覧の皆さんも、ぜひ彼のオフィシャルサイトから応援のメールを送りましょう。

                                                       

                                                       

                                                      『国は誰のために存在するのか−山本太郎議員を応援する。』

                                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=26

                                                       

                                                      そして今回の質問。わずか10分の質問時間の中で、ここまで要点を絞り込んで鋭く質問できる議員は、今や彼を措いていません。今夜のNHKニュースでは放送されないと思いますので、以下に動画をアップしておきます。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      以下の動画は山本議員が、3月5日にした質問です。そこでなんと言っていたか。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      「情報隠しで自分の命まで奪われかねない状況になったら勿体なさ過ぎる。この国に生きている官僚の皆さんは、この国をもう一度建て直す為に必要な人材。決して自分の命を無駄にする様な事はしないで頂きたい」

                                                       

                                                      近畿財務局の男性職員が自殺したのはその2日後でした。11分30秒あたりから2〜3分だけでも見て下さい。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      ちなみに山本議員のことを「裸踊りするしか能のないタレントくずれのバカが」と言っていたのは、例の大分市中春日町のY田ゼミ塾長氏です。最近でもツイッタ―で叫んでいます。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      ・森友、森友ってバカの一つ覚えみたいなことばかりやってもしょうがないだろ!佐川さんが、官邸の関与はない、と言ってるんだからあとは司法に任せろよ。

                                                       

                                                      ・野党には政策立案能力はないのか政治をヤレ!

                                                       

                                                      ・佐川さんが官邸の関与無し、と言い野党を黙らせた。笑った、笑った(^^)共産党より佐川さんのほうが頭がいい。

                                                       

                                                      ・世界は動いているなあ。でもわが日本は朝から晩まで森友、森友。日本は平和だ。自民党がしっかりしてくれてるからだが。

                                                       

                                                      ・森友とかどうでもいいことを朝日新聞は騒ぎたてる。

                                                       

                                                      ・坂上忍って、韓国人だったのか。知らなかった。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      やれやれ、最後の坂上忍氏の件は、あの麻生財務大臣からも「レベルが低すぎる」と注意された元NHKの和田政宗議員の発言をめぐってのものです。坂上忍氏は庶民感覚のごくまっとうな反応をしたに過ぎません。ところがネトウヨが激昂し、坂上忍氏を在日3世などとするウソの情報を流し、ウィキペディアまで「書き換え」ていたのです。詳しくは以下のサイトへ。

                                                       

                                                      http://lite-ra.com/2018/03/post-3902.html

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      ネトウヨが「書き換えた」フェイクをそのまま信じたネトウヨ塾長が、「坂上忍って、韓国人だったのか。知らなかった。」などとツイートしたのです。この塾長のレイシストぶりは相変わらずです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      それにしても、塾業界では、レイシスト(民族差別主義者)で事実とフェイク(妄想)の区別すらつかない人間でも、あるいは、他人になりすまして平気な人間でも経営者らしきものになれるのです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      最後にY田ゼミ塾長氏へ一言。

                                                       

                                                       

                                                      いくら政権が強く、それを支持しているからと言って、あなた自身が強いわけではない。自民党ネットサポーターズクラブなんて、そのうち洟もひっかけられなくなります。簡単に見捨てられます。安倍政権を見ていてそれが分かりませんか。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      安倍首相が非難されたら自分が非難されたように感じ、安倍首相が否定されたら、自分が否定されたように感じるなんて、あなたはなんという小心者でしょうか。自分に自信を持てない人間が権力や成功者に自己投影するという心理は潜在的に誰にでもあります。しかし度を超すとパラノイアです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      日本という抽象的存在に同化し、安倍政権に同化する。そのことによって空洞化した生を埋めるために、中国や韓国という抽象的な存在を差別し見下す。そんな陰惨な生を生きるなんて悲しすぎます。真実に生きるほうが人生はずっと豊かだと思いませんか。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      ※パラノイア:

                                                      妄想性パーソナリティ障害の一種。 自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。

                                                      | 政治 | 21:58 | comments(0) | - |
                                                      幸せな一日でした。
                                                      0

                                                        午前9時40分頃、塾の生徒Y君のお母さんからうれしいプレゼントを戴きました。臼杵の『さかいや』さんの桜餅です。そろそろ買いに行こうかと考えていた矢先だったので、なんとタイミングがいいのだろうと、感激しました。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        午前9時40分頃と細かい時間を書いたのは、開店時間が午前9時だからです。『さかいや』さんは、その日の商品が売り切れればそこで営業は終わりです。予約せずに行くと買えないこともあります。私の住んでいる坂ノ市から車で往復すれば40分くらいはかかります。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        Y君のお母さんはきっと開店時間に合わせて行かれたのだと思います。そして帰りにわざわざ私の家に寄ってくれたのです。本当にありがたいことです。戴いた桜餅は出来たてで、まだ温かく、桜餅独特の春の香りがしていました。

                                                         

                                                        Y君のお母さんに戴いた桜餅。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        でも、私が『さかいや』さんの桜餅が好きだとどうして分かったのでしょう。そう言えば今から2年前、一度ブログで紹介したことがあります。それを覚えて下さっていたとしたら、こんなうれしいことはありません。

                                                         

                                                         

                                                        絶品の桜餅』

                                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=140

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        私のブログは記事が長く、小難しいことも書いているのであまり人気がありません。もちろん塾の営業にとってプラスにはなりません。それでも、一日に700を越えるアクセスがあります。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        私は不特定多数の人に向けて文章を書くのが苦手です。それでもブログを書こうとすれば、理想的な読者をどこかに想定して、その人に向けて書くよりほかありません。期待し、励まし、ほめる文章を書きたいからです。相手の矛盾を突き、論理的に批判し、追い詰める文章を書いても(それも結構好きなのですが)楽しくありません。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        塾の教師をしているせいか、私にとっての理想的な読者は、高校生から大学生くらいの精神の可塑性に富んでいる聡明な若者ということになります。一対一で向き合って、何時間でも話すことのできる若者なら理想的ですね。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        そういうわけで、私は正直に自分の思ったことを書いているつもりです。いきおい、若かったころの至らなさを棚に上げておくわけにもいきません。見栄や打算に衝き動かされていたころのことも書かなければなりません。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        しかし、今時、他人の告白的青春記を読みたいなどと思う人はいないでしょう。人間そのものに対する関心がなくなったからです。私にできることは、挫折や失敗や逡巡の経験を語ることよりも、両親や多くの人の経済的・精神的な犠牲の上に私の人生が形作られていることを、さまざまなジャンルの語り手たちの助けを借りて、間接的に、小声で語ることくらいです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        ところで今日はもう一ついいことがありました。ブログでも書きましたが、大分大学の医学部に合格したSさんとお兄さんのK君、熊大に合格したMさんと私の4人で合格祝いとお別れを兼ねて、ランチ会をしました。

                                                         

                                                        手前右がSさん、左がMさん、後ろ右がK君。左はカフェフランセユキのオーナー幸さん。楽しいひと時をありがとう。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        トキハ会館の1階で待ち合わせをしていたのですが、デートの待ち合わせ場所に行くようで、私はドキドキしました。全員6〜7年間、塾に通って来てくれた生徒さんたちでした。大学を卒業すれば、すぐ社会人です。その時の社会が今よりは少しでもましになっていることを願いながら別れました。ああ、この若者たちに幸あらんことを!

                                                         

                                                        | 人生 | 23:25 | comments(0) | - |
                                                        明日の若者よ、立ち上がれ!そして街に出よう!
                                                        0

                                                          3・25新宿大街宣に集まった人々。日本も捨てたものではありません。このまま安倍政権が続けば、私たちは確実に殺されます。安倍から日本を取り戻し、刑務所にぶち込め!なんちゃって。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          前回のブログで池田佳隆衆院議員(元日本青年会議所会頭)と赤池誠章参院議員を取り上げました。そこでネトウヨ政治家が誕生する経緯について説明しました。

                                                           

                                                           

                                                          その赤池氏、昨年は、映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』のポスターに掲載されたキャッチコピー「友達に国境はな〜い!」に噛み付いていたそうです。どこまで暇なんでしょう。さすがに安倍チルドレンだけのことはあります。こんな人間を税金で養っていることを国民はもっと知るべきです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          赤池氏は12月3日の自身のブログで、このポスターを見た瞬間に「思わず仰け反りそうになりました」と書いています。仰け反りそうになった赤池氏に、私は仰け反りそうになりました。ネトウヨ安倍チルドレンの言動にしょっちゅう仰け反っているためか、最近は首と背骨が痛くなりました。後ろに倒れて後頭部を強打しそうなので、彼らの発言を聞く時には、ヘルメットを着用することにしています。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          赤池氏いわく「国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しない」とのことです。ごもっともです。一理ありますね。内心で何を考えようが自由です。他人がとやかく言うことはできません。それがどんなに反動的で、リアリストの仮面を被った「愛国主義者」のものであったとしても。

                                                           

                                                           

                                                          ただ、オレたちは国家を背負っているのだと、お仲間同士で怪気炎を上げているうちは結構ですが、立派な国会議員の先生が『ちびまる子ちゃん』のキャッチコピーに抗議したとなると、そのあまりの幼児性というか精神的な落差に唖然とするしかありません。こんな議員だらけになったら、いったい日本はどういう国になるでしょうか。そんな国に誰が住みたいと思うでしょうか・・・。オレが住みたい!(by ネトウヨ)

                                                           

                                                           

                                                          いったい赤池氏は大人なのか子供なのか。もちろん子供に決まっています。だって、『ちびまる子ちゃん』のポスター相手にケンカを売ってるのですから。子供でなかったら、単なるアホとしか言いようがありません。

                                                           

                                                           

                                                          クレームをつけた理由について「教育行政を司る文部科学省として、子供向けとはいえ、『国境はない』という嘘を教え、誤認をさせてはいけない」「国境は歴然としてあります」と主張したのです。そのうえで、「私なら(キャッチコピーは)『国境があっても、友達でいよう』と名付けた」と説明したそうです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          ここで私は素早くヘルメットを被り、仰け反りました。後頭部を強打しましたが、ヘルメットのおかげで、軽い脳しんとうですみました。

                                                           

                                                           

                                                          さて、よい子の皆さん!皆さんが大きくなって立派なミュージシャンや、映画監督、スポーツ選手として活躍し、世界中に友達ができたら言いましょう。『国境があっても、友達でいよう』と。

                                                           

                                                           

                                                          このように、戦前の亡霊をよみがえらせようと画策している人間たちは、今やいたるところにいます。しかし、彼らの精神は脆弱で、その本質は虎の威を借るキツネに過ぎません。やがては歴史の進歩によって淘汰される運命なのです。以下の画像をご覧ください。

                                                           

                                                           

                                                          日米同時多発デモ。『米首都、高校生の呼び掛けで数十万人が銃規制要求デモ 過去数十年で最大』

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          米首都ワシントンで24日、過去数十年で最大規模とみられる銃規制要求デモが始まった(AFP)「デモは『私たちの命のための行進』と銘打ち、数十万人が集結して行われている」「主催者は、全米および各国で、「NeverAgain(二度と起こすな)」というスローガンの下、800以上の銃規制要求デモが開催されていると説明」「ワシントンでは参加者が続々と地下鉄の出口から現れ、ホワイトハウスと連邦議会議事堂を結ぶコンスティテューション通りとペンシルベニア通りを埋め尽くしており」「付近のエリアは参加者約50万人を収容するため通行止めとな」っています。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          画像を見ると、緊急用の通路だけ確保して、あとは道路と広場をデモ参加者に開放しています。首都ワシントンDCの連邦議会議事堂前、日本で言えば国会議事堂前です。 警察(行政府)が過剰に権限を行使しない、民主主義が最低限の健全さで機能する国のふつうの光景です。

                                                           

                                                           

                                                          日本も負けていません。高校生も頑張っています。

                                                          3・25緊急新宿大街宣の様子です。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          | 政治 | 21:59 | comments(0) | - |
                                                          日本青年会議所(JC)って、どんなところ?
                                                          0

                                                            前川氏の授業について文科省に何度も「照会」し、圧力を加えたのは赤池誠章参院議員と池田佳隆衆院議員の2人だと判明しました。赤池氏は自民党の文部科学部会長、池田氏は同代理という関係です。ポスト欲しさに安倍首相に媚びを売るつもりだったのでしょうね。

                                                             

                                                             

                                                            左が池田佳隆氏、右が赤池誠章氏。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            いうまでもなく、中央省庁にとって、予算や政策の決定に関わる自民党の部会の存在は極めて大きい。その二人が文科省に対して、恫喝まがいの問い合わせをすれば、官僚は「圧力」と受け止めます。その習性を知っていればこそ、この二人は文科省に経緯を何度も照会し、官僚が自らするはずのないことをあえてやるように仕向けたのです。


                                                             

                                                            ところが、安倍政権が財務省に公文書の改竄を指示したことが問題になっている時に、この二人は全く同じことを文科省にして、森友事件の本質を可視化して見せたのです。さすがに頭の弱いネトウヨ議員だけのことはあります。忖度が裏目に出ることなど考えもしなかったのでしょうね。今回のブログは、どうすればこのような妄想に近い「万能感」を持てるのかという問いをめぐって書きます。
                                                             

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            二人とも安倍首相が積極的に閣僚として起用してきた「日本会議国会議員懇談会」の一員です。しかも、池田佳隆衆院議員は元日本青年会議所(JC)の会頭をしていたそうです。日本青年会議所(JC)と言えば、あのネトウヨを大量生産している組織ですが、私には忘れられない思い出があります。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            あれは確か2012年のことでした。公式サイトで日本国憲法JC草案を読んだ時のことです。読みながら、一体誰がこんな草案を書いたのだろうかと唖然とし、自分でも顔が赤くなっているのが分かりました。憲法の何たるかを全く理解していないことがわかる代物だったのです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            ただ分かったことがあります。以前も書きましたが、公明党であれ、自衛隊であれ、電通のような一流のブラック企業であれ、その屋台骨を支えているのは、政治に対して深く思いを致したことのない、人の良い、しかも地域や家族を思いやる優しさを持っている末端の若者だということです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            こういった組織で働く若者は、一生懸命に仕事を覚え、上司にほめられることを生きがいにするようになります。しかし、上へ行けばいくほど、組織を束ねるのに必要とされる「イデオロギー」を学ばされ、家族や友人のためではなく組織のために働くようになります。そんな日々に疑問を感じても、それにフタをするために考えることを止め、組織に対して批判的になったことを恥じるのです。こうなればもはや宗教です。その結果、日々の生活や家族よりも組織の発展を優先するようになるのです。

                                                             

                                                                 

                                                             

                                                             

                                                            より上位の、力を持つ大きなものに対して忠誠を誓わされ、やがて政権与党である自民党や公明党の集票マシーンとして動き始めます。そのあまりの理不尽さ、露骨さに嫌気が差した人間が脱退・退会しようとすると、引き留めるために「国家に対する忠誠」を持ち出し、恫喝します。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            かくして、人格が空洞化した、主に20代から30代の若者が誕生します。彼らはもともと人情家ですから、グループ内部では思いやりにあふれた行動をとります。そして先輩を尊敬しています。「勘ぐれ!」と言われれば、相手の意図を忖度して行動します。つまり、上層部の意図をすばやく「勘ぐれ」る人間が出世する構造になっているのです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            以下は、その日本青年会議所(JC)を退会した人の投稿です。今年の3月6日に投稿され、もと記事は削除されているそうです。

                                                             

                                                             

                                                            『日本青年会議所を退会した』

                                                             

                                                             

                                                            9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。

                                                             

                                                             

                                                            そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。

                                                             

                                                             

                                                            1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。

                                                             

                                                             

                                                            2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、ブロック (都道府県レベルの組織) 内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。

                                                             

                                                             

                                                            3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。

                                                             

                                                             

                                                            5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。

                                                             

                                                             

                                                            6年目。ブロックの役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。

                                                             

                                                             

                                                            7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。

                                                             

                                                             

                                                            8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。

                                                             

                                                             

                                                            こいつは何を言ってるんだ。

                                                            バカなのか?

                                                            おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。

                                                            少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?

                                                            そしてすうっと冷静になり目が覚めた。

                                                             

                                                             

                                                            おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。

                                                             

                                                             

                                                            それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。

                                                             

                                                             

                                                            青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。

                                                             

                                                             

                                                            「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」

                                                             買えたのは韓国産でなく国内産のイチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。

                                                             

                                                            http://archive.is/PH1fb#selection-291.1-1299.3

                                                             

                                                            | 文学・哲学・思想 | 13:48 | comments(0) | - |
                                                            妻がふと漏らした一言。
                                                            0

                                                              いつものように妻と遅い朝食をとっていると、テレビに前川喜平氏が出ていました。前川氏が名古屋市立の中学校で授業をしたことについて、文科省が同市の教育委員会に対し、氏を招いた意図の説明や録音テープの提供などを求めていたことが問題になっていたのです。

                                                               

                                                               

                                                              この件に関して、前川氏は「あんな質問状を学校の校長に答えろと言って送りつけてくるというのは前代未聞だと思う。これは不当な支配にあたる。教育現場を守るのが文科省の仕事なのに政治家の指示に屈してしまっては果たすべき役割を果たしていない」と述べています。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              御存じのように、前川氏は「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、行政がゆがめられたとして安倍政権を告発してきました。安倍政権の周りには、「前川憎し」の空気が充満していたのだと思います。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              氏が民間人になった後も、政権に逆らった人物だからということで、氏の発言や行動、公開授業の中身までチェックし、学校に圧力をかけています。ストカー並みの執拗さにはあきれるほかありません。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              しかし今回言いたいのはそのことではありません。前川氏の姿をテレビで見ながら、妻がふと漏らした一言が、氏の人となりを正確に言い当てていると思ったのです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              「前川さんは、なんていうのかしら、信頼できる人間だなという気がするのよね。これはもう直感というしかないのだけれど、話す言葉や声や表情を見ていると、この人は誠実な人だと分かるわ。安倍さんとは月とスッポンよね。だって、安倍さんはウソしか言ってないことが表情に出てるもの」

                                                               

                                                               

                                                              「うん。多分まともな国民ならみんなそう感じていると思うよ」

                                                               

                                                               

                                                              「この前なんか、テレビを見てたら、安倍さんの顔が突然、前川さんに切り替わったのよね。そしたら、どういうわけかジ〜ンと来ちゃって。どうしてかしら」

                                                               

                                                               

                                                              「君がどういうわけか、と言うときは怖いね。それはたぶん、久しく目にしていなかったものを見たからじゃないかな。ある種の懐かしさだね。前川さんは、それを思い出させてくれたのだと思う」

                                                               

                                                               

                                                              「そう、そう、なんだか久しぶりにお世話になった人に会ったような」

                                                               

                                                               

                                                              「政治家や官僚は有能でなければならないよね。で、その有能さというのは、頭の良さはもちろんのこと、知識や判断力、交渉力、歴史や人間に対する洞察力を持っていることだと思う。でも、最も必要な資質というか能力は、国民から信頼される能力だと思う。ふつうそれは能力とは考えられていない。正義感もそうだね。でも最大の能力は人間として信頼されることだと思う。前川さんはそれを持っている。それが政治の世界から失われて久しいので、それを見た時に、懐かしいというか、これが本当の姿だと思ってジ〜ンとなるんだよ。それはまともな感情だね」

                                                               

                                                               

                                                              「でも失くした感情を取り戻すのは難しいでしょ」

                                                               

                                                               

                                                              「そんなことはないよ。そのために歌や映画といった芸術があるんだから。それに、歌は世につれ、世は歌につれ、と言うだろう。1980年代の中盤から、日本社会はこの感情を手放し始めたのさ。だから、僕たち世代の人間は1970年代の歌を思い出して、玉手箱を開けるように、その中に閉じ込められている感情を再生すればいい。」

                                                               

                                                               

                                                              というわけで、以下はすべて1971年〜72年にかけてヒットした曲です。懐かしいですね。ああ、あのころはまだ両親も生きていて若かったのだと、しみじみしてしまいます。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              | 政治 | 16:11 | comments(0) | - |
                                                              | 1/17PAGES | >>