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 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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この本は実は哲学的で難しいですね。最初から熟読するのではなく、折に触れてページをめくるような読み方がいいようです。ところどころに、ブログで紹介したような言葉があり、はっとさせられます。彼のアフォリズム集として読むのがおすすめです。
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民主主義ってなんだ? (JUGEMレビュー »)
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里山の暮らし−第2弾
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    昨夜、お泊まり会をした孫たち。「こわ〜い話」を聞いたり、いっしょに風呂に入ったりして、さすがに疲れただろうと思っていると、朝6時前から起き出して、うるさいことこの上ないのです。私に感情をかき乱されて、みんな興奮さめやらずといった様子です。

     

     

     

    「ニワトリ見に行こう。だっこしたい!」という孫たちをなんとかなだめて、朝食を摂らせます。そしてニワトリ小屋へ。大きな卵が6個、産卵箱の中に並んでいます。一人ずつ中に入って、卵を採らせます。今日はおやつに卵を使っておじいちゃん特性のドーナツを作るぞ、と言うといっせいに歓声が上がります。

     

     

     

    そして、以下の画像となりました。

     

    潮干狩りならぬ、ミミズ狩りです。私が地面を掘るとミミズが出てきます。それを目指してニワトリたちが一斉にやってきてついばみます。子供たちも「やってみたい!」となります。

     

     

     

     

    ニワトリにお尻をつつかれた小3の真美ちゃんいわく。「大丈夫かなあ?病気になったりせん?」私いわく「大丈夫だよ。ただ、夜になると肩からニワトリの羽が生えてくるかも。朝起きて鏡を見てごらん。真美ちゃんの顔が、ニワトリになっているから」「・・・・」

     

     

     

    幼稚園の年中さんのキー君いわく。「ニワトリのフンを踏んだ。うわっ、きたね〜」私いわく。「心配せんでいい。ニワトリのフンを踏んだら、羽が生えて飛べるようになるけん。じいちゃんも、小さい時、馬のクソを踏んで走るのが速くなったんぞ」。で、この画像はニワトリになって飛ぼうとしているキー君です。

     

     

     

     

    昨日のブログで、卵配達人になったことを紹介しましたが、もらった人は例外なく「昔は、うちもニワトリを飼っちょったんで」と言います。私がニワトリを飼おうと思ったのも、幼少の頃の農家の暮らしが頭にあったからです。このあたりの農家はどこもニワトリを飼っていたのです。牛やヤギを飼っているところも珍しくありませんでした。

     

     

     

    そういう農家の風景や思い出によって、私の感受性が養われていることを痛感するのです。幼少年期の体験や記憶ほど本人の自覚しないところで私たちに影響を与えているものはないような気がします。

     

     

    こどもの魂はどこで育つのか

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=174

     

     

     

    昔、イタリア人だったかドイツ人だったかがおもしろいことを言っていました。 「なぜ一日は24時間あるか知っているか?8時間は働くため。 8時間は眠ったり食事したり、自分自身のため。残りの8時間はコミュニティのためにある」と。

     

     

     

    日本人はコミュニティのために時間を使うのが苦手のようです。定年退職をしてからではなく、幼少のころから残りの8時間をコミュニティのために使うのが当たり前だと考える教育は、いつになったら実現するのでしょうか。

     

     

    | 身辺雑記 | 13:41 | comments(0) | - |
    里山の暮らし。
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      里山にはいつもと変わらない時間が流れています。そこでの暮らしは単調です。ときどき○○さんが亡くなったという知らせが届いて、ああ、時間は容赦なく流れていたのだ、と気づきます。

       

       

       

      私の住んでいる市街化調整区域内にある村は、農道が舗装されたくらいで、この50年間、ほとんど姿を変えていません。散歩しながらおそらく100年前も同じ風景が広がっていたのだと想像できるのです。

       

       

       

      四季折々の田園風景や新鮮な空気の中にいると、どこか「聖なるもの」を感じる瞬間があります。地域の歴史が積み重なっているからでしょう。目を凝らせば100年前も同じように農業に従事していた人間の姿や叫び、絶望や希望が見えてくるような気がするのです。

       

       

       

      何もかもをコスパで考える社会(私の中にもそういった傾向はあります。)では、地方の小さな村の歴史や伝統など、何の価値もないように思えます。現にそれは風前の灯なのです。

       

       

       

      しかし、100年前と同じ風景が今も存在していて、これからも存在し続けるだろうと信じられることは、実は人間にとって精神の安定装置になっているような気がします。

       

       

       

      私が建築に惹かれる最大の理由は、仮想空間の中ではなく、現実に存在していて、その場の精神性というか空気を呼吸しているからです。美学的な優劣を云々することにはあまり興味がありません。

       

       

       

      私が感動するのは、欲望や打算、虚栄心や嫉妬によって動かされて出来ていない、いわば無名性の建築なのです。建築が生きる長い時間を考えると、建築が動かないこと、歩み寄らないことは、とても寛容で自由なあり方なのです。なぜなら、建築が動かなければ動かないほど、こちらの心が動き、多くのイマジネーションと豊かな時間を与えられていることに気づくからです。

       

       

       

      何だか小難しい話になってしまいました。私の考えに興味をお持ちの方は、ちょうど4年前に書いた記事をご覧ください。 

       

       

      私の散歩道

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=74

       

      私たちはどこから来てどこへ行こうとしているのか。

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=93

       

       

       

      ここからは近況報告です。

      私は現代社会から打ち捨てられたような場所で生活していますが、考え方と工夫次第で豊かな場所にできることを報告したいのです。そしてそれは、誰にでも可能であるということを。

       

       

       

      ニワトリが卵を産みはじめて、一カ月になります。最近では卵を地域のお年寄りに配っています。朝、ニワトリ小屋に行き、餌と水を換えて、肩から掛けたポシェットに産みたての卵を採って入れます。その格好を見て、うちの奥さんは笑います。

       

       

       

      村には90歳で一人暮らしの人や90代の夫婦など珍しくありません。一人暮らしの場合は、安否確認を兼ねて毎朝牛乳箱の中に一個入れます。

       

       

      「あんた、そげえ毎朝入れんでんいいんじゃが。きのどきいなあ。」

      「おいちゃん、遠慮せんで。うちも毎日6個は食べれんけん。」

      「昨日のは、ふたごじゃったわ。新鮮じゃけん、殻がかてえわな。卵かけごはんでたべよんけど、あたらしいけんおいしいわな」

      「おいちゃん、栄養つけて、長生きせな」

      「きのどきいなあ。おおきに」

       

      といったような会話が交わされています。

       

       

       

      今日は、メアリーポピンズではありませんが、台風19号の強風に乗って孫たちがニワトリと遊ぶためにやってきました。もう一人、中1で私の塾に入っている孫がいるのですが、サッカーの練習があって来れませんでした。

       

       

       

       

       

       

       

      そうそう、教え子のSさんからお便りをいただきました。私のブログを読んでニワトリを飼い、最近ではチャボも飼い始めたそうです。卵も産み始めたそうで、これからが楽しみですね。Sさん、色々と工夫して田舎暮らしを楽しみましょう。

       

      | 身辺雑記 | 23:01 | comments(0) | - |
      それでも『JOKER』は暗示する。
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        すぐれた映画や文学は人間の命を支えます。ここでは、動物としての命ではなく言葉を持った人間の命すなわち精神のことを言っています。

         

         

         

        映画『JOKERは、ご存知のように、バットマンの敵役・ホアキン・フェニックスが演じるジョーカーの人生にフォーカスした完全オリジナル・ストーリーです。狂気で人々を恐怖に陥れる 「ジョーカー」 そのものではなく、孤独な男がジョーカーになるまでの内面のリアルなドラマを描いています。日本では R15+ に指定されており、15歳未満の入場・鑑賞が禁止されています。

         

         

         

        この映画はそれだけのインパクトを持っています。そのインパクトはどこから来るのでしょうか。もちろん音楽や映像の持つ力は大きいのです。しかし、すぐれた映画や文学には、揺らぎがあります。全てを語ることなどできないのですから当然です。

         

         

         

        この映画は隠喩によって、鑑賞者が自覚していないものを引き出し、語りつくせないものを投入できる余白を準備しています。隠喩は、文字通り隠すことですべてを語ろうとする試みであり、余白を生みだす手法です。

         

         

         

        ミロのヴィーナスが美しいのは、両腕がないからです。喪われた部分に自分の想像できる限りの最高の美を注入することができます。つまり、自分の経験を積み重ねることによって、どんどん美しいものが見えてくるのです。これこそが、芸術の存在理由です。

         

         

         

        想像によって両腕が復元されたヴィーナス像。

         

         

         

        この間の事情を、主演のホアキン・フェニック自身に語ってもらいましょう。

         

         

        「創造には流動性がなければならない。ただ数をこなすためだけのものじゃないんだ。創作するということは、呼吸をしているということだから」

         

        「映画って往々にして、答えを簡単に出しすぎる時がある。『こんな体験をしたからこのキャラクターはこんな人間になった』みたいなね。でも生きるってことはそんなに浅くて簡単な事じゃないし、人間の心理ってもっともっと複雑だ。何でそんなことをするのか? 人の言動の裏側は理解できないことの方が多いし、無意識に行動に駆られる事だってある。この映画は、表面的な答えは出していない。簡単な答えが出るものなんて、この世の中にないんだからね」

         

         

         

        それに対して、直喩は余白をなくすことで想像力を制限します。分わかりやすいのですが、心の奥深くにまで届きません。感動は画一的でうわべだけのものになり、簡単に特定の方向へと誘導されてしまいます。例えば、百田尚樹原作の映画『永遠の0(ゼロ)』はその典型です。

         

         

         

        言うまでもなく、すぐれた映画には強烈な力があります。それは詩のもつ力です。人生を一変させるような力です。これから高校の国語で主流になる「論理国語」にはそういった力はありません。ビジネス文書を正確に読み取る力は、会社の役に立っても魂を養うことはできません。

         

         

         

        ブログで何度も言及してきましたが、「論理的思考力」や「速読」は人間の魂の問題を数値化し、商品化しているだけです。商品化にはデータやエビデンスは欠かせませんからね。

         

         

         

        プロパガンダにころりと騙されるのも、この種の「教育」によって、あまりに人間が薄っぺらになったがためです。精神の奥行きがなくなり、ゆで卵のようにツルんとした陰翳のない表情はこうして生まれたのです。

         

         

         

        JOKERのような優れた映画が道徳的に危険視され、隠喩の持つ力よりも権力者を信じる人間たちが多い世の中で、映画や文学は人間の命=精神を支えていると言ったところで、「豚に真珠」でしょうね。

         

         

        | 文学・哲学・思想 | 16:15 | comments(0) | - |
        絶望は疾走する − 映画『ジョーカー』を観る。
        0

          封切られたばかりの映画『ジョーカー』を観てきました。何かと話題の多い映画ですが、とにかく傑作です。優れた文学と同様の予見性を持っています。いや、音楽や映像の持つ力のせいで文学を上回っています。

           

           

           

           

          この映画のどこが予見性に富んでいるのか、それは見る人によって様々でしょう。小難しい批評は置くとして、主演のホアキン・フェニックスがとにかく素晴らしい。映画の中で彼はとにかくよく走ります。孤独や絶望に追いつかれるのを恐れるかのように。

           

           

           

          予告編がかもし出す悲劇的なトーンが尋常ではなかったので、今日10月4日、封切りの日を首を長くして待っていました。結論を言えば、これまで見た映画の中で最高の作品です。とにかくこれで今年は映画を見る必要がなくなりました。

           

           

           

          一つ一つのシーンが何を意味しているのか、何を象徴しているのか、それを語るのは止めにします。すぐれた作品には、沈黙をもって向き合うほかないからです。

           

          | 読書・映画 | 21:50 | comments(0) | - |
          ドラマ 『チェルノブイリ』を観る。
          0

            このドラマは、かつて事故調査にあたった科学者ヴァレリー・レガソフが、事故の真実をカセットテープに録音し終え、自殺するところから始まります。

             

             

             

            吹き込まれた録音の最後の部分(以下)は、原発が、社会体制を超えて権力機構と癒着する必然性、情報の隠蔽、捏造、ウソの蔓延によって維持されていることを明らかにしています。

             

             

             

            「ウソの代償とは真実を見誤ることではない。本当に危険なのはウソを聞き過ぎて真実を完全に見失うこと。その時どうするか、真実を知ることを諦め、物語で妥協するしかない。人々の関心は誰が英雄かではなく、誰が悪いのかだけ。」

             

             

             

             

             

            そして私たちは今、安倍政権や御用学者、マスコミ、すなわち原子力村が捏造した「物語」の中を生きているのです。3・11を経験してもいまだ目が覚めず、関西電力と原発立地自治体によるマネーロンダリングによる「Win-Winの関係」を見ても、原子力村を解体させるために具体的な行動を取らない国民。

             

             

             

            つまり、有権者の半数が投票に行かない国で、企業のトップや政治家が「膿を出し切る」などと言ったところで、責任を取る必要などないことは重々承知しているのです。何か不祥事が持ち上がるたびに「第三者委員会」に調査を委ねるのなら、彼らはいったい何のために存在しているのか。税金泥棒、給料泥棒以外の何者でもないではないか。

             

             

             

            断言しますが、彼らは人生の途上で一度たりとも自分がこの世に存在する意味を考えたことがないのです。関西電力のトップの顔がテレビに映し出されるたびに、私はそれを確信するのです。

             

             

             

            こういう連中に、「公共性」の名の下に私たちの命や暮らしが委ねられているのです。私たちはたまたま「運」によって生かされているだけです。政治家は単なるお飾りに過ぎません。疑う人は以下の過去記事をお読みください。

             

             

             

            ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

             

             

             

            私は自分の運命を自分で決めようと考える人が、この国で一人でも増えることを願っています。それが民主主義の根本にある考え方です。

             

             

             

            以下はこのドラマの解説です。

             

            史上最悪といわれる大事故を米HBO局がドラマ化し、本国で圧倒的な評価を得た「チェルノブイリ」。その冒頭にあたる10分間の映像が公開された。全ての始まりとなる、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起きた爆発事故の瞬間と、それを遠方から目撃する一般市民、そして現場にいながら何が起きたのか把握できない職員たちの姿が映し出された冒頭映像は、本作を独占放送するスターチャンネルの公式サイトで公開されている。

             

             

             

            ドラマは、かつて事故調査にあたった科学者ヴァレリー・レガソフが、あの時の真実をカセットテープに録音し終え、衝撃的な運命を選択する場面から幕を開ける。

             

             

             

            そこから時代は、1986426日の事故発生時へと遡り、原子力発電所に近いプリピャチ市の住民が、マンションの窓からまばゆい光を放つ原発を目撃。遅れてきた衝撃にマンションが揺れ不安にかられる彼らだが、何が起きているのかわからない。そしてそれは、原発の中央制御室にいる職員たちも同じだった……。

             

             

             

            そこからシリーズは、当時の最高権力者ゴルバチョフ書記長に現場対応を任されたソ連閣僚会議の副議長ボリス、事故の真相解明に奔走する核物理学者ウラナ、そしてハリスを中心に、あの時、現場で何が行われていたのかを追っていく。

             

             

             

            事態を過小評価する責任者たち、次々に放射性物質で汚染された現場へと投入されていく人員、避難を余儀なくされた市民たち、さまざまな立場から事故に向き合った人々の人間ドラマも見どころだ。

             

             

             

            廃炉となったリトアニアの原子力発電所でロケを敢行するなど、当時の状況の再現にこだわり、緊迫の一部始終を全5話のミニシリーズとして描き出した本作は、アメリカの大手レビューサイト、Rotten Tomato において、一般ユーザーから98%の支持を獲得。テレビ界のアカデミー賞ともいえる、今年度のエミー賞でも19ノミネートを果たしており、ミニシリーズの最高峰として最多受賞も期待されている。(編集部・入倉功一)

             

            https://www.cinematoday.jp/news/N0110521

             

             

             

            海外ドラマ「チェルノブイリ」(全5話)はBS10スターチャンネルで放送
            STAR2 字幕版】925日(水)より 毎週水曜よる11:00ほか
            STAR3 吹替版】930日(月)より 毎週月曜よる10:00ほか
            Amazon Prime Video 「スターチャンネルEX」で 926日(木)よりオンデマンド配信

             

            | 原発 | 13:17 | comments(0) | - |
            顕在化する悪霊たち。
            0

              私は身の程をわきまえているつもりです。したがって、先見の明を誇る気持ちなど全くありません。しかし、予想していたことが次々に現実になっていく様を見ると、歴史の証言者として書き留めておこうという気になるのです。

               

               

               

              一昨日のブログでN国の立花孝志党首の発言を批判しました。今日になって朝日新聞が批判していますが、軽減税率の適用と引きかえに安倍政権を批判できなかった自分たちのふがいなさを自己批判すべきです。もっとも、朝日新聞にそれを期待しても無理でしょうが。

               

               

               

               

               

              重要なことは、無知と空洞化した人格から発せられるレイシズムと優生思想が社会の中に広く行きわたっていることを認識することです。

               

               

               

              新自由主義のイデオロギーであるコーポラティズムと社会ダーヴィニズムは、必然的に優生思想に行きつくのだと、前々から指摘してきました。いや、人間の中に潜む幻想力としての残虐性が優生思想となって人権意識の希薄となった社会の網の目をかいくぐって顕在化すると言った方が正確かもしれません。

               

               

               

              それはともかく、一昨日のブログに書いたN国の立花孝志党首の発言をどうかもう一度お読みください。

               

               

               

              その中で次のように書きました。「歴史を振り返るまでもなく、安倍政権は民族差別と優生思想を胚胎しているのです。私が鬼胎の政権と呼ぶ所以です。こういう政権には必ずや同調者が現れます。それが日本維新の会でありN国です。」と。

               

               

               

              そして、そのN国党からホリエモンが立候補するとのニュースが飛び込んできました。私は全く驚きませんでした。来るべきものが来たのだ、と妙に冷めた気持ちでした。そのうち、長谷川豊の名前も挙がるかもしれません。

               

               

               

              もはや大声で彼らを批判しても、家畜というか奴隷根性のしみ込んだ人間には届かないのです。彼らは「何一つ結果も出さずに文句ばかり言うやつはいつの世にもいるもんだ。」というような、言葉による意思の疎通を断念させるほどの動物的反応しか示せないのですから。

               

               

               

              私は正気を維持するために、小声で、誰も読まないブログに自分の考えを書き留めておこうと思います。2年以上前に書いた記事ですが、今日の状況を予想しています。よかったらお読みください。

               

               

               

              IT成金の皆さんの貧困な想像力

              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=382

               

               

               

              | 文学・哲学・思想 | 12:21 | comments(0) | - |
              映画『特捜部 Q カルテ番号 64』を観る。
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                今回この映画を取り上げようと思ったのは、この国の暗部でうごめいている大日本帝国の精神文化(エートス)が堂々と表舞台に登場し、復権を果たそうとしているからです。安倍政権がグロテスクなまでに肥え太り、腐臭を撒き散らし、カルト化したのは、まさに大日本帝国の精神文化から養分を吸収しているからです。

                 

                 

                 

                つまり、歴史を振り返るまでもなく、安倍政権は民族差別と優生思想を胚胎しているのです。私が鬼胎の政権と呼ぶ所以です。こういう政権には必ずや同調者が現れます。それが日本維新の会でありN国です。

                 

                 

                 

                その総仕上げが、東京オリンピックを利用した国威発揚であり、「大日本帝国憲法」の制定というわけです。野党の皮をかぶった自民党系子ヒツジたちには、この流れを阻止する力も戦略もないでしょう。

                 

                 

                 

                それを確信したのが、9月29日の『リテラ』の記事でした。

                 

                タイトルは「N国・立花孝志のジェノサイド扇動発言を放置するな! 麻生太郎、杉田水脈らも同根 差別をエスカレートさせてきた安倍政権」です。その冒頭だけ引用しますが、是非全文をお読み下さい。

                 

                https://lite-ra.com/2019/09/post-5001.html

                 

                 

                引用開始

                 

                立花氏は今月19日にアップされた動画で、自民党から衆院選に立候補したこともある元吹田市議・神谷宗幣氏と対談。増加する世界人口について「食べ物は決まっている量しか出ないわけだから、当然、いずれ戦争が起こるのは自然の摂理でしかたがない」などと持論を述べたうえで、このように主張した。動画から書き起こす。

                 

                 

                「いや、教育はだって回らないもん。だってバカな国ほど子ども産むから。バカな民族っていうかね。だから、そういう人たちって甘やかすとどんどん子ども産むから。僕、自然の摂理は、人間は食物連鎖のピラミッドで、人間の天敵っていないから、結局、人間が人間を殺さざるをえないっていうのが戦争だと思ってるんですよ。とにかく子どもを産まないように、殺し合いをしなくていいようなコントロールをとにかくかけるしかないのかな。そんな、ある意味、もうすごい大雑把に言うと、そういうアホみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう、みたいな」

                 

                引用終わり。

                 

                 

                 

                民族差別と優生思想を精神的な支柱とする国家は必ず破滅します。戦争やテロによるのか、必ず起こる第2の原発事故によるのか、あるいは放射能汚染による緩慢な大量死によってなのか、それはわかりません。

                 

                 

                 

                さて、映画の話に戻りましょう。

                 

                この映画は民族差別と優生思想が政治と結びつく必然性を見事に描いています。DVDやネットでも見ることができます。とにかく一級の娯楽作品として面白い。真のサスペンスやお笑いは政治と結びついているのです。政治こそが、いい意味でも悪い意味でも文化の最高形態なのですから。そういう意味で、この映画は日本では絶対に作れません。それを可能にする有能な監督や配給会社がないからです。

                 

                 

                 

                本作の脚本は、小説『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』の映画化脚本を手掛けたニコライ・アーセル。

                かつて優生学の名の下に、知的障害者や難病患者が隔離、不妊処置などの人権侵害が行われた時代がありました。社会問題に関心がない人でも、ホラー映画やドラマの舞台として、こういった背景を持つ病院や施設を知った人もいるでしょう。

                 

                 

                 

                誤った優生思想に基づく人権侵害といえば、多くの人がナチスをイメージします。しかし現実では、欧米各国でもある時代までは主流の思想でした。そして日本でも1948年から1996年までの間、「旧優生保護法」の下で知的障害者の女性に対する、本人の同意なき不妊手術が行われたのです。

                 

                 

                 

                『リテラ』の記事と『特捜部Q カルテ番号64』は、私のこれまでの問題意識と密接に関連しています。疑う人は以下の関連記事をお読みください。これこそが意図せざる結果を引き起こす安倍政権の恐ろしさなのです。

                 

                悪(霊)が降臨する前に。

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=561

                 

                 

                | 読書・映画 | 22:27 | comments(0) | - |
                「未来がないなら、学ぶ必要もない」− STAND WITH HONG KONG
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                  孤独とは自分で自分に話しかけることです。言葉がそれを可能にしました。孤独は人間の特性です。動物が孤独などということはあり得ません。

                   

                   

                   

                  言い換えると、誰もが「私」であるということです。そして誰もが「私」であるからこそ、人と人は分かりあえないという一点において分かりあうしかありません。何もレトリックをもてあそんでいるわけではありません。私はこの一点を巡ってブログを書いてきました。しかし、もうそろそろ終わりにしなければなりません。言葉が前提としている能力の自壊現象がとどまるところを知らないからです。

                   

                   

                   

                  言葉は相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力を前提にしています。この前提を理解する能力を育むのが教育であり、政治なのです。

                   

                   

                   

                  政治?そんなバカな、と思われるでしょうか。政治とは自分の会社や組織に利益をもたらしてくれる集団や教団とつながり、ある時は平伏し、ある時はその力を利用する営みだと考えれば、そうかもしれません。

                   

                   

                   

                  リアリストを自称し、「世の中、そんなものさ」と居直って見せる人間たちは、言葉の本質が相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力であることを理解していません。しかし、政治は言葉の問題なのです。

                   

                   

                   

                  すべての政治は言葉による対話から始まります。戦争で殺し合っている敵同士ですら、停戦のためには話し合います。いかなる異論であっても対話をすることこそ政治家の仕事なのです。しかるに、政治家が対話をバカにし、言葉を信じなくなった時点でその国は滅亡へのカウントダウンを始めることになります。

                   

                   

                   

                  私は教育の末端の、そのまた末端にいるおかげで、どこに希望をつなげばいいのかを考えることができました。

                   

                   

                   

                  8月31日のブログで、ある国の文化的・政治的成熟度を見るとき2つの指標があると述べました。

                   

                   

                   1:若者が政治的意見(反政府的意見のことです)を表明する自由すなわち民主主義国に不可欠な表現の自由を行使しているか。

                   

                  2:時代状況を抉り自国の負の歴史をテーマにする映画を製作する自由があるか。

                   

                   

                   

                  そして結論です。希望をつなぐべき若者はいなくなった、ということです。若者は既成の価値観に異議を唱えてこそ若者です。しかし、今はただひたすら親の言う通りに受験勉強に励み、多様なアプリが作り出すVR空間の中で自足しています。

                   

                   

                   

                  ブログで取り上げた佐藤ママは、若者の知性を破壊する大人の代表です。幼少のころから子供を受験専用の培養器の中に閉じ込め、下劣な出版社や同種の親たちから承認されることを頼りに、参考書や塾情報を発信し、子供たちの時間を管理することこそが親の仕事だと胸を張っています。

                   

                   

                   

                  つまり、日本の若者は親から心配されるだけの存在になったのです。親はただひたすら子供の将来を思い、その利益の最大化につとめています。

                   

                   

                   

                  私の言っていることは時代錯誤の妄言でしょうか。違います。世界の中で日本だけはこれまでと同じような社会が続くと信じて、コップの中、いやスプーンの中で暮らしているのが比較的裕福な家庭の実態です。その結果、勉強とゲームと音楽が若者の生活を駆動させるものとなりました。スマホ一つで幸せになれるというわけです。

                   

                   

                   

                  しかし、目と鼻の先の香港の若者は違います。それが以下の写真です。

                   

                   

                   

                   

                  ついに自由を求める香港デモ隊のテーマソングが誕生しました。
                  香港の抗議活動を続ける人々の気持ちを代弁した歌詞と荘厳なメロディーが支持され、香港各地のデモで歌われるようになりました。
                  作者の男性は「自由や平等などの権利が奪われている。香港に輝かしい未来が来てほしいという願いを込めた。」と話しています。

                   

                   

                   

                   

                   

                  新学期が始まった2日、逃亡犯条例案を政府に撤回させるために、香港の中高生およそ4000人が授業をボイコットしてデモを行いました。参加した高校1年生(16)の男子生徒は「僕らと同じ若者が、警官に殴られてケガをしている。ひどい」と怒りをあらわにしました。

                   

                   

                   

                  政府は新学期が始まればデモは収束に向かうと期待していましたが、生徒たちは授業をボイコットして、その期待を打ち砕きました。

                   

                   

                   

                  この日の集会のテーマは「未来がないなら、学ぶ必要もない」でした。高校3年生の女子生徒(18)は、香港返還から50年は守られるはずの「一国二制度」が次第に骨抜きにされ、香港が中国に呑み込まれようとしていると感じて次のように言います。「大人になった時、香港がどうなっているか怖い。自分の将来のためにも抗議はやめない」と。

                   

                   

                   

                  そして9月4日、香港政府トップの行政長官が逃亡犯条例案の撤回を表明しました。日本の中高生の皆さんは逃亡犯条例案の中身を知っているでしょうか。調べる気のない人は、私のブログを読むのを止めて受験勉強に専念することです。

                   

                   

                   

                  以下は

                  周庭 Agnes Chow Ting さんのツイッタ―からです。

                   

                   

                  条例の撤回は喜べません。遅すぎました。 この3ヶ月間、

                  8人が自殺。

                  3人が警察の暴力によって失明。

                  2人がナイフを持つ親北京派に攻撃され、重傷。

                  1,000人以上逮捕。

                  100人以上起訴。

                  怪我した人は数えきれないです。

                   

                  私たちは、5つの要求を求めています。これからも戦い続けます。

                   

                   

                   

                   

                  9月10日の彼女のツイッタ―によれば、「昨日の朝、200校以上の中学、高校の生徒が学校の前で手をつないで「人間の鎖」を作り、抗議活動への支持を示しました。」とのことです。

                   

                   

                   

                  お前は日本の中高生にデモをけしかけているのか、と考える人もいるかもしれません。そうではありません。日本の中高生がデモをする時は、国民的な規模でデモが起こっているはずです。そしてその時は、もはやすべてが手遅れになっている時です。それくらいの認識は持ってほしいと言っているのです。

                   

                   

                   

                  安倍政権は、国民を税金を絞り取るだけの存在だと考えています。ここ1年を振り返っただけでも明白な事実です。そして今回の内閣改造。文部科学大臣に誰を据えているか見ただけでその本質がわかります。もちろん、台風被害で苦しんでいる人のことなど眼中にありません。彼らの発する言葉は、相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力を根底から欠いているのです。

                   

                  | 中高生の皆さんへ | 12:07 | comments(0) | - |
                  鶏を飼う。
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                    この国の政治家たちのあまりの低レベルの発言や行動、見識のなさが引き起こす悲喜劇に付き合っていると、精神衛生上良くないので、今年の3月に鶏小屋と葡萄棚を作り、200坪以上の荒れた土地(お隣さんに無償で提供していただいています)を開墾して一部を野菜畑にしました。

                     

                     

                    今年の3月に完成した鶏小屋とぶどう棚。画像は今日、9月11日のもの。

                     

                     

                     

                    今年の6月初めの雛達。国東半島の養鶏場まで車を飛ばして買いに行きました。一羽¥780円。ボリスブラウン6羽です。鳩の大きさくらいで可愛いですね。まだトサカも出ていません。

                     

                     

                    3カ月後。もう成鶏です。最初の頃は餌をやりに行くと6羽がかたまって隅に逃げていたのですが、ご主人様が分かるようになった今ではそばに近寄ってきます。

                     

                     

                     

                    止まり木は、庭のブナの木の枝を切って作りました。鶏たちに好評です、なんちゃって。

                     

                     

                     

                     

                    餌をやると、ご覧の通り。

                     

                     

                     

                    今日の朝採れ新鮮卵。本当に美味しい。これからは、卵料理のヴァリエーションを増やさなければ・・・。孫娘がミミズをつかんで鶏にやっていたのを思い出し、卵かけご飯を食べながら「う〜む、ミミズの味がする」と言うと、奥さん曰く「私は遠慮しとくわ」とのこと。1日に1羽が1個産むので、卵を買う必要がなくなりました。餌代とそれなりの手間がかかりますが、田舎暮らしの人にはおすすめです。明日からは、ネットを張って放し飼いにします。

                     

                     

                     

                     

                     

                    毎年秋になると庭が大量の落葉で覆われるので、その有効利用を考えていました。ケヤキやクヌギの落葉は腐葉土にもってこいです。そういうわけで、循環型の生活を実現すべく、腐葉土作りを決心しました。1年ほどかけて腐葉土を作り、鶏糞や藁と混ぜて土に敷き込みます。準備は着々と進んでいます。

                     

                     

                     

                    何より、朝早く起きて土を耕したり大工仕事をしたりすることは、心身の健康にとてもいいのです。鶏に餌をやったり、水を替えたりしながら生活にリズムを作っていきます。新鮮な空気を吸って、移りゆく季節の足音を聞いていると、私の中に眠っていた農民のDNAが覚醒するのを感じます。

                     

                     

                     

                    昨夜も塾の授業中、日本の大都市で生活するよりも、例えばいっそのこと南仏のワイン農家の娘または息子と結婚して、そこで生きることだってできるのだ、という話をしました。

                     

                     

                     

                    フランス語なんてそこで働きだせば何とかなる、それより日本の学校で強制される、生活に不必要な、官僚になるための勉強などしなくて済む。自ら学ぶ意欲を枯渇させないことの方が大事だ。もちろん、日本にはまだまだ豊かな里山文化があるので海外にこだわる必要はない。

                     

                     

                     

                    しかも今は、自分の人生を構想するために必要な情報を、世界中からインターネットを使って手に入れることができる時代だ。これまで大人が無反省に君たちに与えて来た人生のコースは、あっという間に無用の長物になる。古びてしまう。

                     

                     

                     

                    もちろん僕の言っていることは無責任な極論に聞こえるかもしれない。でも未来は君たちの手の中にあるのだから、たまにはその可能性について考えてみるのも必要だと思う。それが、君たちの精神を奴隷の桎梏から解放し、君たちの可能性をどれほど開拓するか、それを想像してほしい、と。

                     

                     

                     

                    もうやめにします。最後に今月5日、ロシア極東ウラジオストクで開催された国際会議「東方経済フォーラム」に出席した安倍首相がプーチン氏に向けてした演説を載せておきます。

                     

                     

                     

                    「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。歴史に対する責任を、互いに果たしてまいりましょう。平和条約を結び、両国国民が持つ無限の可能性を、一気に解き放ちましょう。そのほとんど次の刹那、日本とロシアの連結は、地域を変える。世界を、大きく変え始めるでしょう」

                     

                     

                     

                    プーチン氏はこの演説を聞いて、必死に笑いをこらえていました。私は仰天し、この男はとうとう頭がおかしくなったのではないかと思ったほどです。そして、この国の経済人やジャーナリズムで働くほとんどの大人がこの男を支持しているという事実に思い至り、絶句しました。この国は、幼稚園児がお遊戯に興じる「お花畑」になってしまったのです。

                     

                     

                     

                    加えてこの男は、歴代政権が積み上げてきた「4島の帰属問題を解決」という従来の日本政府の方針を勝手に転換して「2島返還」に舵を切り、その上3000億円もの経済協力まで約束しました。そのあげく、日ロ交渉は1ミリも進展しなかったどころか、「プーチン大統領と27回目の首脳会談」などとはしゃいで見せ、プーチン氏が色丹島に完成したロシアの水産加工場の従業員をTV電話で激励する姿を見てもポカ〜ンとしていたのです。

                     

                     

                     

                     

                    いやはや、どうやら私にできることは鶏の世話くらいしかなさそうです。新防衛相に任命された河野太郎が「無礼者!」などとほざいて、韓国にミサイルをぶっ放したりしないことを祈るばかりです。

                     

                     

                    | 身辺雑記 | 13:45 | comments(0) | - |
                    映画 『フリーソロ(Free Solo)』を観る。
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                      孤独は時代を超え、年齢を超え、テクノロジーを超えます。時代背景を手がかりに人間の孤独を分析しようとしても、無駄です。孤独は時代背景の問題ではないからです。他人が自分のことを分かってくれないという寂しさの問題でもありません。人間が言語を手に入れた瞬間から宿命的に身にまとっているものです。

                       

                       

                       

                      孤独とは自分で自分に話しかけることであり、人は言語を発明したことで孤独になることができたのです。孤独とは言語の別名です。つまり、人は自分で自分に話しかけることで私になったのです。私という現象は、私が孤独であると気づくことです。

                       

                       

                       

                      言語を所有するということは、自己を俯瞰する眼を手に入れることを意味します。それができなければ、問うことそのものが成り立ちません。

                       

                       

                       

                      なぜこんなことを言うかというと、本日9月6日に封切られた映画『フリーソロ(Free Solo)』を観ている間中、主人公の孤独について考えていたからです。これほど見事に孤独を体現している人物はいないのではないか、つまり、真実もフェイクも等価になってしまった今の世の中と隔絶した場所で、彼は有史以来の孤独に一人向き合っている、そう感じたのです。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      岩を登っている間、彼はひたすら自分と自分の肉体に話しかけていたはずです。傍からは無心に見えるほどに。強靭な身体は、彼の精神=言語そのものです。もし彼の言語の中に、政治や愛の言葉が混入していたら、おそらく滑落死していたのではないかと思います。

                       

                       

                       

                      観終わった後、私はひどく疲れました。彼と呼吸を合わせ、ひたすら無心になろうとしていたからです。私の感想は的外れかもしれません。興味のある人はぜひ映画館に足を運んで下さい。

                       

                       

                       

                      以下に映画の紹介を載せておきます。

                       

                      「米アカデミー賞を長編ドキュメンタリ部門で受賞したのをはじめ、世界各地の映画賞を総なめにした作品。エル・キャピタンというヨセミテの巨大な岸壁を、ザイル(ロープ)をいっさい使わずに手と足だけで完登したクライマー、アレックス・オノルド。その登攀の様子を頭上のドローンや撮影クルーの手持ちカメラ、下からの超望遠レンズで追い続ける。この最後の20分間のシーンだけでも、映画の歴史に残る映像だ。

                      それをCGや合成などいっさい使わずに、人間の肉体を駆使して撮影し、身体性の極地である迫力のある映像を、21世紀のテクノロジーの時代に見せる。まさに究極のドキュメンタリである。」

                       

                       

                      | 読書・映画 | 17:37 | comments(0) | - |
                      この国がまともだったころ。
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                        今日で8月も終わりです。朝から冷たい雨が降っています。Time flies.(光陰矢のごとし)とはよく言ったもので、今年も残すところ4か月になりました。わが家の中庭では、ケヤキやジューンベリー、エゴの木、ツリバナが雨に打たれて葉を落とす準備を始めています。私は、もう少し季節が深まった頃の中庭の風情が気に入っています。

                         

                         

                        8月の終わり。雨の中庭。

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                        朝食の後、そういえば昨日の新聞を読んでいなかったと思い、妻に訊くと「ほら、テーブルの隅にあるじゃない」という返事です。妻は毎日克明に新聞を読み、面白そうな記事があると教えてくれるのです。

                         

                         

                         

                        そういうわけで、昨日8月30日の朝日新聞を開こうとすると「折々の言葉」が目に飛び込んできました。普段はあまり読まないコラムです。日本の学者や哲学者と称する人たちは、現実を解釈するだけで、行動しないので、私はいつも眉に唾して読んでいます。しかし、今回読む気になったのは「小田実」という名前を目にしたからです。以下に引用します。

                         

                         

                         

                        A happy landing on the earth although the earth is full of problems. 小田実

                         

                         

                        作家は娘が誕生した日、日記にこう記した。「ようこそ地球へ ― ここは問題だらけではあるけれどね」。妻の玄順恵(ヒョンスンヒェ)は回想録『トラブゾンの猫』の終わりにこの言葉を引いた後、作家の創作ノートの最後の文「世界は世直しを必要としている」を添えた。作家が身を投じた市民運動には、つねに地べたを這いつつ宇宙を見上げる「虫瞰図」の眼があったという。

                         

                        引用終わり。

                         

                         

                         

                        今、この国の政府、マスコミ挙げての反韓・嫌韓を、小田実ならどう感じるでしょうか。余りに狭量・無知(特に歴史に関して)な政府と国民。それでも彼は決して絶望することなく、地べたを這いつつ言葉を発していたことでしょう。

                         

                         

                         

                        ちなみに私は、ある国の文化的・政治的成熟度を見るとき2つのことに注目しています。

                         

                         

                        1:若者が政治的意見(反政府的意見のことです)を表明する自由すなわち民主主義国に不可欠な表現の自由を行使しているか。

                         

                        2:時代状況を抉り自国の負の歴史をテーマにする映画を製作する自由があるか。

                         

                        この2つの点に注目するだけで、その国の未来が見えてきます。日本は韓国に完全に後れをとっていると断言します。

                         

                         

                         

                         しかし、日本にもこの2つの条件を満たしていた時期があるのです。自民党にすら良心がありました。それは小田実が活躍していた時期と重なっています。

                         

                         

                         

                        今からちょうど3年前に書いた記事です。よかったらお読みください。

                         

                        Our days are numbered.  小田実「遺す言葉」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=238

                         

                        「一人でもやる、一人でもやめる」という自由

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=234

                         

                        | 身辺雑記 | 14:32 | comments(0) | - |
                        自己救済術としての家作り−その後。
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                          建築家でもないのに、これまで何軒か家作りを手伝ってきました。私にできることは ― ということは素人にもできるという意味ですが ― 敷地を読み、住宅のスケールと素材を決め、風の通り道を確保し、光を抑制するために窓の位置と大きさを決めることくらいです。もちろん、資金計画には関知しません。

                           

                           

                           

                          一番難しいのは、やはり価値観を共有できる人と出会うことです。私は素人なのでその点は気楽なものです。ここに小さくてもいいから風が抜ける窓を作りたいと思っても、それは私の感じ方であり、しかも従来の建築の文法から見ると異端なので、受け入れてもらえないことが多いのです。そのときは黙って引き下がるだけです。

                           

                           

                           

                          しかし、後になって完成した家を見せてもらった時、あるべきところに窓がないと生理的に落ち着かないものです。これは、ブログで何度も述べて来たように、すべての人が納得する基準がないので仕方ありませんね。知性と同じく、感じるしかないのです。知性とは、つまるところライフスタイルのことですから。

                           

                           

                           

                          そもそも、窓の位置は物理的に決まるものではありません。風の通り道を確保するだけのものでもありません。いわば自分の内面を外部に開いて行く手がかりになるものです。窓に使用する建具にこだわる人は、そういった皮膚感覚を大事にしているのですね。その人が着ている服のようなものです。高級ブランドのスーツではなく、綿の洗いざらしのTシャツを好む、というような。

                           

                           

                           

                          今は機械で強制的に換気する住宅が多くなったせいか、窓の位置など大して重要ではない、住宅メーカーや設計士に任せておけばいいと考える人が多くなりました。

                           

                           

                           

                          しかし私の経験から言うと、住み心地というか居心地のいい住宅は決まって窓の位置が素晴らしいのです。ああ、この窓のおかげでこの部屋は生きている、いや、住宅全体が落ち着きと質の高さを保っているのだと感じるのです。

                           

                           

                           

                          つまり、家を建てるということは、その人固有の感受性が意識、無意識を問わず表出することを意味します。高級な材料を使い、どんな豪邸に住もうとも、空間の構成の仕方で住宅の価値は決まってしまいます。○○風の家は、テレビコマーシャルやおしゃれな雑誌に洗脳された一時的な流行に過ぎません。

                           

                           

                           

                          今回紹介する中村好文氏設計の住宅、「上総の家供廚榔笋拆果明傳沓亜ぃ苅沖屐∨拮安嗣氏設計の、ある造園家の住宅は84,11屬鵬瓩ません。住宅は豪華さや大きさを競うものではなく、住む人の生き方や社会とのかかわり方、さらには、日々の生活と時間に洗われて輝きを増すものです。言ってみれば、住宅が人格を獲得しているのです。

                           

                           

                          たかが住宅ですが、価値ある住宅は必ずや生活や人生について考えさせてくれます。深い思索を巡らせたい人に是非勧めたい二冊です。

                           

                           

                           

                           

                          以下は中村好文氏が1992年に設計した「上総の家供廖わずか21坪。右の「上総の家機廚箸稜枌屬素晴らしい。氏自身が、設計した住宅の中でベストスリーに入ると述べています。納得しますね。詳しくはどうぞ上記の本をお読みください。

                           

                           

                           

                           

                          以下は堀部安嗣氏設計のある造園家の家。これは、故・清家清氏の自邸を彷彿とさせます。この本には堀部氏以外の設計者になる魅力的な平屋の例が載っています。チープなだけでどこが魅力的なんだ、と思う人もいるでしょうね。知性と美意識が表裏一体のものだとわかっていないのです。

                           

                           

                           

                           

                           

                          私は、このことに気づいている若い世代が多くなっている気がします。都心に近い高級住宅街やタワーマンションに住むことに意味を見出せなくなっているのでしょう。自分で住宅を設計し、日々手を入れながら住み心地のいい家にすることは、子育てに似ています。私が最も嫌う家は、権威主義的な人の家です。心が安らぐ空間がないからです。

                           

                           

                           

                          人生はどこまでも深く耕せます。同じく、生活を入れる容器としての住宅もその人の価値観によって無限の変貌を遂げ、価値を生み出すのです。言うまでもなく、金銭に換算できる交換価値(相場で決まるので上限はたかが知れています)ではなく、固有の記憶と歴史を刻んだ使用価値のことを言っています。今回も読んでいただきありがとうございます。参考になれば幸いです。

                           

                           

                          | 自己救済術としての家作り | 16:52 | comments(0) | - |
                          未来のエリック・ホッファーのために。
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                            明日から新学期が始まります。中高生の皆さんは、もやもやした気持ちを抱えたまま、夏の終わりの陽射しが照りつける通学路をいつものように学校へ向かわなければなりません。夏休み明けのテストが待っているところもあるでしょう。

                             

                             

                             

                            正直に言うと、大人になってよかったと心の底から思うのは、もう学校に行かなくていいんだ、夏休み明けの早朝の乾いた通学路を意味もなく歩かなくていいんだという事実を確認する時です。それはまるで悪い夢から覚めた時のような感覚に似ています。

                             

                             

                             

                            皆さんの中にも、中高生時代の僕と同じ気持ちを持っている人がきっといると思います。60歳を過ぎても僕は人生とは何か、生きるとは、人間とは何かという問いの前でよろめいています。要するに、中身は中高生と変らないのです。

                             

                             

                             

                            今回はそんな中高生に一人の人物を紹介します。問いの前で茫然としていた時に出会った人物です。彼のおかげで確たる信念が持てたわけではありません。人間はよろめくものだ、だから学び、考える。僕は彼からよろめくことの強さを学んだのです。彼の名前はエリック・ホッファー。何度か取り上げたので、ご存知の方も多いでしょう。

                             

                             

                             

                            「1902−83。ニューヨークのブロンクスにドイツ系移民の子として生まれる。7歳のとき失明し、15歳のとき突然視力が回復。正規の学校教育をいっさい受けていない。18歳で天涯孤独になった後、ロサンゼルスに渡り様々な職を転々とする。28歳のとき自殺未遂を機に季節労働者となり、10年間カリフォルニア州各地を渡り歩く。41年から67年までサンフランシスコで港湾労働者として働きながら、51年に処女作「The True Believer」を発表し、著作活動に入る。この間、64年から72年までカリフォルニア大学バークレー校で政治学を講じる。常に社会の最底辺に身を置き、働きながら読書と思索を続け、独自の思想を築き上げた沖仲仕の哲学者として知られている。」

                             

                             

                             

                            エリック・フォッファー。彼は本をほとんど所有せず、行く先々の図書館で、労働の合間を縫って読書し、思索しました。僕も彼のような老人になりたいと思います。

                             

                             

                             

                             

                            彼の『自伝』から引用します。

                             

                            「1931年から第二次世界大戦が起こるまでの10年間、私は放浪者として過ごした。自殺に失敗し、小さな袋を肩にかけてロサンゼルスを離れたとき、気持ちは軽やかだったし、広々した田舎に出たときは、故郷に戻ったような気がした。恐れるものもなければ、新たな生活を始めるための準備期間も必要なかった。ヒッチハイクもせず貨物列車にも乗らず、南に向かって歩き始めた。乗せて行ってくれるというなら断らなかっただろうが、自分から頼むつもりはなかった」

                             

                             

                             

                            この箇所を読むたびに、僕は少し泣けてきます。記述は平明ですが、僕にとっては天啓のようなものでした。そうだ、人間は何ものにも縛られず生きることができるんだ、自由に生きてこそ自分の人生だ、と改めて確信したのです。

                             

                             

                             

                            夏休み明けの早朝の乾いた通学路を意味もなく歩くことと、ホッファーが小さな袋を肩にかけて広々とした田舎を歩くことは、同じ歩くという行為でも、まったく違う世界の出来事です。

                             

                             

                             

                            彼は次のようにも言っています。

                             

                             

                            「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」と。

                             

                             

                             

                            詳しくは「未来塾通信13」をご覧ください。

                             

                             

                            夢や希望ではなく勇気 ― エリック・ホッファー自伝 ―

                            http://www.segmirai.jp/essay_library/essay013.html

                             

                             

                             

                            ホッファーと同じことを言っている人もいます。アメリカの詩人・思想家のラルフ・ウォルドー・エマソン(1803-82)です。
                             

                            「何をやろうとしても、あなたは間違っていると批判する者がいる。その批判が正しいと思わせる多くの困難がたちはだかる。計画を描き、最後まで実行するには、勇気がいる。」と。

                             

                            Whatever course you decide upon, there is always someone to tell you that you are wrong. There are always difficulties arising which tempt you to believe that your critics are right. To map out a course of action and follow it to an end requires courage.

                             

                             

                             

                            そのエマソンが成功とは何かについて語っています。それを引用して今回は終わりにします。

                             

                             

                            「成功とは何か。よく笑うこと。知的な人からの尊厳を得て、子供たちに好かれること。よい評論家に認められ、見せかけの友人の裏切りに耐えられること。美しいものが分かり、他人のよいところを見つけられること。この世を少しでもよいものにして去ること。それが元気な子供を育てることや庭を作ることでも、社会問題を解決することでもよい。そしてたった一人でもいいから、私の存在によって、心が安らいだ人がいるということを知ること。それができたら、人生は成功だったと言える。」

                             

                             

                             

                            | 中高生の皆さんへ | 22:32 | comments(0) | - |
                            とどまるところを知らない人間の劣化。
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                              人間の劣化、特に政治家を始めとして、社会で上に立つ者の劣化がとどまるところを知りません。この傾向は第二次安倍政権が発足して以降特に顕著です。慎み深さも、最低限のモラルも、職業倫理も、教養も、そして責任感も失われようとしています。

                               

                               

                               

                              その原因を最も根源的なところまでさかのぼって究明したのが、『資本主義の終わりか、人間の終焉か?未来への大分岐』です。少々早いかもしれませんが、「今年の一冊」の有力候補です。

                               

                               

                               

                               

                               

                               

                              そういうわけで、昨夜、高校生の授業でも紹介しました。近いうちに、ブログでまとめるつもりです。

                               

                               

                               

                              それにしても、「資本主義の終わりか、人間の終焉か?」などと、何を大げさなことを言っているのか、自分を高みにおいて悲観的な言説をばらまいて何になるのか、これこそ左翼の典型だ、と感じている人も多いと思います。

                               

                               

                               

                              しかし、そういう人に限って「英霊」だの「自虐史観」などといったヤワでアブナイ概念を頼りにして考えたつもりになっているのです。「国のために戦う」だの「今日の繁栄は戦争で命を落とした英霊のおかげである」などというセリフを聴いただけで涙ぐんだりします。ああ、何という無知!何という空洞化した人格!その結果、彼らは靖国神社を精神的な支柱として「尊崇」するのです。

                               

                               

                               

                              その典型が小泉進次郎です。無知と空洞化した人格の見本です。

                              参院選が終わって間もないころ、彼は次のように言いました。「悲観的な考えしか持てない人口12千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか」と。

                               

                               

                               

                              自分では人口減少社会へのラディカルなビジョンを披歴したつもりかも知れませんが、いつものように風の向くまま気の向くままの観測気球にすぎません。何の根拠もない言いっぱなしこそが、彼の発言の特徴です。

                               

                               

                               

                              それよりも、この発言の中に現れている彼の偏見と浅薄さに驚きました。それをあっけらかんと言い放つ無神経さにもあきれます。

                               

                               

                               

                              何より、人間を「悲観的な考えしか持てない」人口と「将来を楽観し自信に満ちた」人口に二分するといった、血液型占いよりも粗雑な分類しかできない人間が将来の宰相候補などと言われるこの国の政治のレベルに絶望するのです。

                               

                               

                               

                              「ほら、そうやってすぐ絶望する人が成功事例を生み出す人を邪魔しているのですよ」と言われるかもしれませんね。やれやれ、暖簾に腕押しでしょうが、3年以上前に書いた記事を載せておきます。小泉進次郎様、よかったらクリちゃんといちゃつきながらでも結構ですのでお読みください。

                               

                               

                               

                              悲観する能力。

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=131

                               

                              感情にもレベルがある。

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=126

                               

                               

                              | 文学・哲学・思想 | 16:47 | comments(0) | - |
                              英語民間試験の導入は金儲けのために地方の高校生を切り捨てる。
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                                これまでブログで何度も指摘しましたが、共通テストへの英語民間試験の導入は,欠陥・不公正だらけです。およそ入試で最も必要とされる条件は公平性ですが、国と文科省自身がそれを破壊しています。公平で客観的な基準をうやむやにする姿勢は、公文書の改ざんのみならず、歴史までも書き変えようとする現政権の本質そのものです。そして財界の意向を受けての今回の件です。最も被害をこうむるのは、この国の若い人たちです。

                                 

                                 

                                 

                                そもそも、大学入試は各大学が学生の能力を測るために個別に実施すればよいだけの話です。特に今は18歳人口が減少しているのですから、以前の全教科記述式の入試に戻す絶好のチャンスです。

                                 

                                 

                                 

                                マークシート方式は、選択肢の中に正解がすでにあるのですから、それを選ぶだけです。最後は消去法と確率の問題になります。正解へ至るまでの緻密で分析的な思考は必要ありません。これは受験生の学力を大幅に低下させました。

                                 

                                 

                                 

                                共通一次試験とそれに続くセンター試験がもたらしたものは、大学の序列化と予備校や塾の隆盛だけです。以後、大学入試のための勉強は予備校や塾の専売特許になって行くのです。公立高校が予備校に倣ったり、人気講師を講演に呼んだりするようになったのもこの頃からです。

                                 

                                 

                                 

                                要するに、教育産業は公共部門を民営化する新自由主義(国民の資産である教育を始めとする社会的共通資本を個人の資産に付け替える口実)の先兵となっていくのです。吉本興業が国から100億円以上の補助金をもらい教育部門に進出するのもこの流れです。

                                 

                                 

                                 

                                それの極めつけが、共通テストへの英語民間試験の導入というわけです。教育を受験教育に収斂させ、効率と費用対効果を全面に押し出した予備校や塾が、この金儲けのチャンスを逃すはずがありません。本来のコミュニケーションを大学入試という一試験形態の中に限局しようとする動きがあちこちで見られます。

                                 

                                 

                                 

                                この流れに異議を申し立てる人がいれば、柴山昌彦文部科学大臣の「サイレントマジョリティは賛成です。」という一言で押し切られるのです。少数意見をなかったことにするこのセリフこそが安倍政権の本質です。まことに唾棄すべき反民主主義的な言い草です。

                                 

                                 

                                 

                                柴山昌彦文部科学大臣のこの発言に対して、ある高校生がツイートしています。

                                 

                                 

                                「高校生として私は反対です。学校、塾の友達も反対。そもそも私たちに国がアンケートを実施した記憶はなく、反対を主張する機会が無い状況でサイレントマジョリティというのはおかしくないですか? 自分に都合のよい声だけを取り上げ、誇張して言及する質の悪いやり取りは、ディベートにもなってない。」

                                 

                                 

                                 

                                まさにその通りです。文部科学大臣よりも高校生の方がはるかにまともです。

                                 

                                いつのまにか文部科学省委員になっていた、この「有名予備校講師」も、柴山昌彦文部科学大臣のように「サイレントマジョリティは賛成です。」と考えているのでしょう。「東進」の映像授業は根本的な欠陥があると前に述べましたが、「リスニングで人生が変わる」という何の根拠もない「宗教」を広めるのが使命だと考える人の人生なら、変わるかもしれませんね。たかが英語です。きちっと基礎を固めた後は、各人が必要な時に必要なだけ勉強すればいいのです。それを人生と結び付けるなど、根本的な知性を欠いている人間の考えそうなことです。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                 

                                以下のサイトの記事を読めば、今回の件が単なる大学入試の問題ではなく、国家レベルで知の崩壊が進んでいることが分かります。メディアの劣化はこれに拍車をかけています。全部読んでもらいたいのですが、時間がない人のために今回は代表的な二人の論者の意見を取り上げます。

                                 

                                https://nominkaninkyotsu.com/collaborator/

                                 

                                 

                                 

                                 

                                阿部 公彦(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授/英米文学)


                                英語入試の改悪に反対します。今回の「4技能均等」なる看板は,政治的な理由で捏造されただけのニセものです。テスト運用の観点からも問題は山積。入試出題者が入試対策も請け負うという制度は問題漏洩の温床です。高大接続と大学入試システムの一日も早い「正常化」を願います。

                                 

                                 

                                 

                                寺島 隆吉(国際教育総合文化研究所・所長、元岐阜大学教育学部教授/英語教育学)


                                大学英語入試への民間試験導入は重大な欠陥があり,中止すべきです。その理由は以下のとおりです。
                                1:目的・内容が異なる試験をCEFRで標準化することは不可能。
                                2:田舎に住むものと都会に住むものとでは受験する機会がまるで違う。
                                3:文科省の指導要領に従わない民間試験を高校生が受験しなければならないのは全くの不合理。
                                4:本来は文科省が無料で実施すべき全国大学入試を受験生が高い金を払って受験しなければならないのも全く不合理。
                                5:民間試験を受験したとしても,それを採点するのは誰がするのか,その公平性を誰が保証するのか,全く不明。
                                6:英語の大学入試を民間委託するのは,高校教育の現場を民間企業のための予備校に変質させる危険性が極めて高い
                                7:結局,英語の大学入試を民間委託するのは,英語教育産業を儲けさせる方策となり,英語教育の改善には役立たない

                                 

                                以上。

                                 

                                | 英語教育 | 15:11 | comments(0) | - |
                                福島原発事故、森友・加計問題そして日航123便墜落事故。
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                                  今から34年前の8月12日、日航123便が墜落し520人の尊い命が失われました。毎年8月12日になると、テレビがこの事故を報じます。事故の教訓が年々風化していくことを憂えるといった調子です。

                                   

                                   

                                   

                                  しかし、私はこの事故の真相は34年経った今も明らかになっていない、それどころか政府によって隠蔽されていると考えています。政府の中のある人間たちは、意図して真実と法の支配に攻撃を仕掛けているのです。もちろん、それが引き起こす途方もない悪影響には想像が及びません。

                                   

                                   

                                   

                                  憲法21条によって保障されている表現の自由など、経済的自由に比べれば何でもないと思っているのでしょう。いや、そんなものを保障していたら、自分たちの悪だくみが暴露されるおそれがあるので、敵視すらしています。いま私たちの国では、国益を理由に、民主主義の根幹をなす表現の自由が葬られようとしているのです。

                                   

                                   

                                   

                                  真実は民主主義の基盤であり、私たちを独裁主義から切り離す重要な砦です。以前、国会で山尾志桜里(やまお しおり)議員が安倍首相に、憲法ではなぜ表現の自由が経済的自由よりも優越的な地位を与えられているのか、と質問したことがあります。しかし、安倍首相は全く答えられませんでした。この問いに答えられない人間が日本の首相であることに、絶望を通り越して恥ずかしささえ覚えます。

                                   

                                   

                                   

                                  cf 表現の自由(憲法21条)の優越的地位について。

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=118

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  今回は「真実」や「事実」について、高校生の皆さんに練習問題を出したいと思います。

                                   

                                   

                                  日航123便の墜落事故は、言われているような圧力隔壁の破損によるものだったのでしょうか。もし、事故の真相を闇に葬ろうとする人間たちがいるとしたらそれは誰か。なぜ、どのような方法でそれを行っているのか。ジャーナリズムはそれにどう対峙したのか。福島原発事故、森友・加計問題の真相を隠蔽する勢力と関係しているのか。マスメディアの存在意義は何なのか。

                                   

                                   

                                   

                                  事件の場合、時系列を意識し、一人でも多くの証言をかき集めることで真実は見えてきます。それを完璧にやってのけたのが、以下の本の著者、元日本航空の客室乗務員だった青山透子さんです。彼女は事故機のクルーと同じグループで乗務していました。真相を究明しようと、東京大学大学院博士課程を修了して、博士号まで取得しました。

                                   

                                   

                                  事実の調べ方、並べ方、相互の関連性を追求する手並みは見事というしかありません。中高生のみなさんは是非読んでみましょう。『日航123便 墜落の新事実』も是非。あまりにも衝撃的で面白いので一日で読めます。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  素朴な疑問を提示する森永卓郎氏。これも是非見習いましょう。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  事実はジグソーパズルの小さなピースのようなものです。前後左右に矛盾なく並べることで全体像が見えてきます。完成した絵を見て『モナリザ』だと分かるわけです。このモナリザが真実です。いや、ゴッホの『ひまわり』だと騒ぎたてる人もいるでしょうが、彼らは無知のために盲目になっているだけです。声が大きいだけが取り柄の人物など無視すればいいのです。

                                   

                                   

                                   

                                  社会に対して素朴な疑問を抱くことなく、自己利益の最大化に資するべく受験勉強に励んでいる皆さんは、配給された「現実」の中で社会への通路だけでなく自分の可能性もふさがれていることに気づくべきなのです。

                                   

                                   

                                  | 中高生の皆さんへ | 22:39 | comments(0) | - |
                                  あるべき<生>のさ中へ。
                                  0

                                    自分の人生を振り返ったとき、幸せな人生だったと思えるための条件は何でしょうか。立派な教育を受け、自分の望む職業に就き、よき伴侶や子供に恵まれて生涯を終えることでしょうか。私はそうは思いません。

                                     

                                     

                                     

                                    なぜなら、ここに書いたような、人々が無意識のうちに志向する人生は、実はどこにも存在しないからです。類型化されたイメージとしての人生は、現にその中を生きている人間にとっては何の支えにもならないのです。

                                     

                                     

                                     

                                    実際の人生は、偶然の出来事や悪意によって翻弄される一方で、思いがけない出来事や出会いによって救われたりもします。多くの場合、現実の中であがいているうちに人生は終わってしまうのかも知れません。

                                     

                                     

                                     

                                    しかし、そもそも「現実」とは何でしょうか。それは、ぶつかり、傷つき、あがくに値するものでしょうか。今や「現実」とはテレビやSNSを通じて流されるエンタテインメントと化した「電子情報」になっています。

                                     

                                     

                                     

                                    大企業と政府が国家を私物化(コーポラティズムと言います)し、社会的共通資本を破壊し、彼らの代理人に過ぎないテレビとマスメディアによって現実は隠蔽されているのです。

                                     

                                     

                                     

                                    現実は見ようとすれば誰の目にも見えるものです。もちろん、現実のどの部分を切り取るか、どこに着目するかは人によって様々でしょう。しかし、客観的な事実は確かに存在するのです。偏向したレトリックやでっち上げによって事実を隠蔽しようとする「メガホン男」たちが安倍政権の周りで跳梁跋扈しようとも、早晩、私たちは現実を身をもって知ることになります。

                                     

                                     

                                     

                                    誰の目にも見える現実が8日の朝日新聞の一面に載っていました。『汚染水タンク、あと3年で満杯』福島第一原発の敷地飽和、という見出しがついています。記事によれば「東京電力は8日、福島第一原発で事故を起こした建屋などから発生する汚染水をためるタンクが、2022年夏ごろに満杯になる見通しを明らかにした。」とのことです。どこが、「完全にアンダーコントロールされている」のでしょうか。

                                     

                                     

                                     

                                    そのうち海に流すしかなくなります。それを正当化するもっともらしい「科学的な知見」が流布されることでしょう。その時、この事態を引き起こした責任者である安倍晋三は政界を引退してゴルフ三昧の日々を送っているのでしょうね。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    除染によって出た膨大な量の汚染土はフレコンバッグに詰められて山積みにされたままです。しかも各原発から出た使用済み核燃料が原発敷地内のプールにぎっしり詰まっています。どれか一つでも冷却できなくなれば、この国は終焉を迎えるのです。

                                     

                                    フレコンバッグの山。ほんの一部です。

                                     

                                     

                                    現実と言えば、これも現実です。NHKが報道番組の中で臨時ニュースを流すくらいですから。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    前にも書きましたが、私たちはもともとウソだった現実をうかつにも現実だと勘違いしていたのです。3・11によってウソがばれた後も、現実が回復したというさらなるウソを重ねられているのが、日本社会です。

                                     

                                     

                                     

                                    私たちは、アンドロイドが電気羊の夢を見るように、教育を通じて催眠性の薬を飲まされ続けています。地震によって原発が暴発し、そこに津波が襲いかかり、列島を縦断する台風によって高濃度の放射能が国中に撒きちらされる事態など想像すらしていません。

                                     

                                     

                                     

                                    教育とは、想像力や歴史認識を鍛えることによって、目に見えないものを見る力を育むものです。放射能は目に見えません。しかるに、この国の教育は子供たちに劣等感と嫌悪感を味わわせ、早い段階から「負け犬根性」と「あきらめ」を叩き込んでいます。

                                     

                                     

                                     

                                    それは一面的な見方に過ぎない、と反論したくなる人もいるでしょう。しかし、一面的な見方ではなく本質的な見方です。私は教育の末端にいて、この国の教育の犠牲者をいやというほど見て来たのです。

                                     

                                     

                                     

                                    18歳の大学受験の時が知的水準のピークで、学校を出たら何ら自分で知る努力をしない大人たちこそが、日本の教育(塾も例外ではありません。むしろ主導しています。)が描いた理想の愚民なのです。彼らはツイッターの中でわめきちらし、人々の感情に訴え、憎悪と差別を煽ります。哀れな人生というほかありません。

                                     

                                     

                                     

                                    自分なりの意見を主張する資格は誰にもありますが、自分なりの事実などありません。私には夢の中でさらなる夢を見るような生き方はできません。窓のない地下室で日に日に偏狭になっていくような生き方もできません。

                                     

                                     

                                     

                                    あるべき<生>とは、この国の過去の死者のために、そして未来の幼き命のために覚醒して現政権と闘うことです。幸福とは、自分一個の幸せを超えて、このあるべき<生>に向かっている時に感じることのできる共通感覚のようなものではないでしょうか。

                                     

                                     

                                     

                                    | 文学・哲学・思想 | 14:39 | comments(0) | - |
                                    朝一番の新鮮な空気を呼吸するために。
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                                      今日は8月2日です。部活生の都合で前倒しした中学3年生の模試の日です。最初に、問題に向き合うときの注意事項を述べ、そして終わりに一言。「カンニングはしないように。塾でカンニングをしても何のメリットもありません。カンニングしたい人は学校でするように。あわわわ・・・・」

                                       

                                       

                                       

                                      冗談はさておき、今回は私たちの日々の生活を息苦しくしているものの正体について書きます。何だ、また政治についてエラソ〜に書くのか、いい加減にしろ、と思っている人もいるでしょうね。

                                       

                                       

                                       

                                      しかし、私は政治学者でもなければジャーナリストでもありません。日々をどう生きていったらいいのか、それだけを考えるので精一杯です。私が政治について語るのは、庶民の立場から見て、どうにも我慢ならない出来事があった場合(結構あるのです)に限ります。そうでなければ、大切な時間と労力を割いたりしません。

                                       

                                       

                                       

                                      大文字の政治状況を語る時、常に聞こえてくる声があります。「どうせ人間は死ぬんだ、何をそんなに深刻ぶっているのか。お前の考えていることなど、時間がたてばすべて無に帰すのさ」という声です。つまり、太宰治の小説『トカトントン』の中でこだます虚無の槌音です。それは主人公が労働運動や恋愛に夢中になりかけると決まって聞こえてくる音なのです。

                                       

                                       

                                       

                                      太宰治『トカトントン』

                                      https://www.aozora.gr.jp/

                                      cards/000035/files/2285_15077.html

                                       

                                       

                                       

                                      さて、日々の生活を息苦しくしているものの正体にもどります。もちろん私が個人的に考えているものです。それが分かったからと言って、明日からの生活が変わるわけではありません。

                                       

                                       

                                       

                                      しかし、何事であれ原因が分かると対策を立てることができます。私たちの思考や意識が更新され、自由になり、方向性を見出すことができます。そして日々の生活の中で澱んでいた感情が刷新されます。

                                       

                                       

                                       

                                      私は感情が刷新されることを何より大事にしています。なぜなら、ブログで何度も書いてきたように感情こそが論理を方向づけるからです。感情が劣化していれば、その上に築かれた論理もしょせんは砂上の楼閣に過ぎません。

                                       

                                       

                                       

                                      ところで、皆さんはオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』ジョージ・オーウェルの『1984年』をご存知でしょうか。トランプ大統領が誕生した月に『1984年』とハンナ・アーレントの『全体主義の起源』がベストセラー入りしたと聞いて、私はアメリカ社会の知的な層の分厚さに嫉妬しました。

                                       

                                       

                                      今回は『すばらしい新世界』ではなく、ハクスリーの『集中講義』と驚くべき教育への洞察を含んだ『島』を紹介します。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      中高生にとっては、オーウェルの『1984年』は、読むのに苦労するかもしれません。名前は知られていても、実際に読んだ人は最も少ないと言われている小説です。しかしその洞察力には脱帽するはずです。おそらく未来の才能ある小説家には避けて通れない作品です。『動物農場』とあわせて読んでみてください。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      ニール・ポストマンは1985年の著書『愉しみながら死んでいく』の中で「電気プラグが可能にしたテクノロジーによる気晴らし」が私たちの文化的会話を永久に塗り替えていると論じました。

                                       

                                       

                                       

                                      それは、より些細な、取るに足らぬものになり、伝達される情報も「単純に割り切った、実質のない、非歴史上の、文脈のないものに、つまりエンタテインメントとして梱包された情報」と化していると。

                                       

                                       

                                       

                                      そして「我々の聖職者や大統領、外科医や弁護士、教育者やニュースキャスターたちは、自らの専門分野の要求よりも演出術を気にかけるようになっている」と書きました。

                                       

                                       

                                       

                                      1985年の著書ですから、「電気プラグ」とはテレビのことです。しかし、ポストマンの考察はインターネットとスマホが普及した現代にこそ最もぴったり当てはまります。

                                       

                                       

                                       

                                      つまり、データ過多により、最も明るく光るもの、すなわち最も大きな声または最も常軌を逸脱した意見が私たちの注意を引き、最も多くのクリックと熱狂を獲得するようになった、というわけです。

                                       

                                       

                                       

                                      そのポストマンがオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』とジョージ・オーウェルの『1984年』を比較しています。この二つの作品はディストピアを描いていますが、その世界の空気こそが、私たちの社会の生き苦しさの正体なのです。

                                       

                                       

                                       

                                      『すばらしい新世界』(光文社古典新訳文庫)は、「西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め・・・驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版! 」と紹介されています(「BOOK」データベースによる)。簡単に言うと、薬物と軽薄なエンタテインメントで麻痺した人々が催眠性の人生を送る様子を描いているのです。

                                       

                                       

                                       

                                      「オーウェルはわれわれから情報を奪う者を恐れた。ハクスリーは、われわれが受動性とエゴイズムに陥るまで多くを与える者を恐れた。ハクスリーは無意味なものだらけの海に真実が溺れることを危ぶんだ」とポストマンは書いています。1985年の時点で、全体主義国家に対するオーウェルの懸念がソ連に当てはまる一方で、西側民主主義国家が出会っている脅威を言い当てていたのです。

                                       

                                       

                                       

                                      ハクスリーの悪夢によって象徴されているのは、「あからさまにつまらない事柄」によって麻痺するあまりに、責任ある市民として関与できない人々です。

                                       

                                       

                                       

                                      そして今、日本ではハクスリーの悪夢とオーウェルの描いた全体主義国家が新たな現実味を帯びています。それは、ビッグブラザーがあらゆる物語を支配し、現在と過去を書き換える国家に重なります。

                                       

                                       

                                       

                                      私たちの社会を覆う息苦しさの正体は、この二冊の小説ですでに描かれていたのです。金と権力で汚れた空気ではなく、朝一番の新鮮な空気を吸いたい人にはおすすめです。

                                       

                                       

                                       

                                      | 中高生の皆さんへ | 17:05 | comments(0) | - |
                                      あるネトウヨ誕生秘話。
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                                        先日、ジュンク堂書店で必要な本を買い、レジに並んでいました。ちなみに私は田舎に住んでいるので、書籍の9割は古本を含めアマゾンで購入しています。それでも、一月に数回は書店に行きます。書店で偶然見つけた本の中に、その後の人生に多大な影響を及ぼしたものがあったからです。思えば、本との偶然の出会いは様々な恩恵をもたらしてくれました。

                                         

                                         

                                         

                                        スティーブ・ジョブズではありませんが、若いころ読んだ本がその時は点(dot)でも、それが繋がって線となり、面となり、50歳を過ぎて一つの像(picture)を結ぶようになってくると毎日が楽しくなってきます。世界を読解する醍醐味とでも言えばいいのでしょうか。病気にでもならない限り、この楽しみは死ぬまで続きそうです。少なくとも私には歳をとったり退屈している暇などないのです。知りたいことが山のようにあるのですから。

                                         

                                         

                                         

                                        時々「いや〜、そんなことは学校で習わなかったからね〜」という大人がいますが、わからないことがあれば自分で納得するまで調べ、知識を積み上げていくしかありません。それを怠っておいて自分の無知を学校のせいにするなど、たとえ冗談でも情けなくなります。日本の学校教育はこういう大人を大量に育てているのです。

                                         

                                         

                                         

                                        話が脱線しました。ジュンク堂のレジの場面に戻ります。私の隣に、70歳過ぎとおぼしき白髪の老人がレジに並んでいました。同じ雑誌を2冊ずつ、合計4冊を手に持っています。ネトウヨ雑誌の『 WiLL 』と『 Hanada 』でした。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        70歳過ぎて読む雑誌がこれかと、少し気の毒になったのですが、それは私の傲慢というものです。人がどんな雑誌を読もうが、他人に干渉されるいわれはありません。私は代金を払い書店を後にしました。その老人のことを気の毒に思ったことを反省したものの、そのシーンがいつまでも心に引っ掛かっていました。

                                         

                                         

                                         

                                        数週間が経ち、その老人のことを忘れかけたころ、偶然以下の記事を見つけました。ブログでネトウヨを批判してきましたが、その内実はここに書かれている通りなのではないかと思います。もちろんこれは例外的なケースかもしれません。人は歳をとると寂しくなり、何かにすがりたくなるものです。以下の小論を読み、老人のことを気の毒に思った理由がわかったような気がしたのです。

                                         

                                         

                                         

                                        亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか。

                                        https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07251101/

                                         

                                         

                                        あわせて、今年の7月22日に Film photography さんから頂いたコメントも掲載しておきます。

                                         

                                        ― コメントをいただきありがとうございます。

                                         

                                        低投票率に落胆しつつも、参院選挙結果には一縷の希望を見出すことができました。落ちたりといえども比例でわれわれ国民の代表二人を国政に送り込んだ山本太郎氏の笑顔の清々しさに心を洗われた気分です。次の衆院選に希望を繋ぐことができました。

                                         



                                        さて、3・11を界にこの国は全く変わってしまいました。いや、本当はそれ以前から変わりつつあったのかもしれません。日米安保条約新ガイドライン(1997)に始まり、小泉政権下の自衛隊イラク派遣(2003)に戦争への階段を昇りつつあることを、わたくしの父を含む戦争世代は敏感に感じ取っていたようです。亡き父が遺した手記には、岸信介がいかなる人間であったか、そして満州の地でその者どもによって棄てられた者の一人として、かの時代が再び到来することへの恐れと危惧が書き連ねられています。

                                         



                                        3・11は我々の国の第二の敗戦日と思います。8・15に続く彼の地での棄民と同じく、自己責任とばかりに棄民が公然と行われるその始まりでした。オリンピック招致が決まった瞬間の強烈な違和感、不都合なる事実を棄てるための壮大な虚飾・粉飾・嘘や偽りが当たり前の世の中にもはや声も上げることもできず、寝たきりとなっていた父がどんなに無念と歯噛みしたことか、その思いをわたくしは引き継いでいこうと思います。

                                         



                                        それこそ、戦争世代を親に持つ大人の将来世代への責任だと考えます。―

                                         

                                         

                                        | 文学・哲学・思想 | 21:53 | comments(0) | - |
                                        犬と横たわるものはノミだらけで起き上がる。
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                                          これは自分を批判する者に対して投げられたトランプ大統領の言葉です。気の効いたアフォリズムのつもりなのでしょう。「ある人が、自分が何者か語るとき、それを信じよ」などとも言っています。

                                           

                                           

                                           

                                          フィリップ・ロスはトランプを「米国に降りかかる21世紀の大惨事、最も価値を下げる災難」と断じ、「自慢げな愚か者という不吉で滑稽なコンメディア・デッラルテ的人物」だと語っています。

                                           

                                           

                                           

                                          コンメディア・デッラルテとは、16世紀中頃にイタリア北部で生まれた風刺のきいた即興劇を言います。即興劇のため、決まったストーリーや登場人物はありません。俳優たちが半ばアドリブで演じるのです。観客を喜ばせ、笑わせるのが目的なので流行も取り入れたそうです。

                                           

                                           

                                           

                                          わが国に目を転じると、コンメディア・デッラルテ的人物どころか日本語すら怪しい男が「立法府の長」として、参院選後の作戦を練っているようです。でも無理でしょうね。立憲民主党と民主党の区別すらついていない政治家に何ができるというのでしょうか。参院選の翌日、時をおかずして大手メディアの幹部たちと食事をするのですから、かなり焦っているのがわかります。

                                           

                                           

                                           

                                          この男のばかばかしさ、何もかもを自分の話にするナルシシスト的な能力、その嘘の非常識さ、そして無知の深さは、何百万人もの生活を破壊し、憲法を蹂躙し、中学生でもわかる外交政策の失敗を覆い隠しています。それによってもたらされた被害を修復するには、彼が「立法府の長」を退いてから何年もかかるでしょう。

                                           

                                           

                                           

                                          それにしても、自民党や公明党の議員たちが熱心に彼を支援し、憲法の基本原理を葬り去り、それを国民の過半数が受動的に容認したことを考えれば、被害を修復することが果たして可能なのかどうかさえわかりません。

                                           

                                           

                                           

                                          山本太郎という一筋の光が見えはするものの、ジョージ・ソンダーズの言う「メガホン男」たちが現政権を取り巻いています。耳障りな知ったかぶりの何も分かっていない人物にハンドマイクを持たせるとどうなるか。そのハンドマイクは知能レベルが「バカ」、音量が「すべての批判をかき消す」に設定されているのですから。

                                           

                                           

                                           

                                          「メガホン男」からハンドマイクを取り上げるのがメディアの仕事のはずですが、あろうことか、いっしょになって真実を覆い隠し、不安をかきたて、攻撃的で、感傷的で、対立を煽る言説を垂れ流しています。

                                           

                                           

                                           

                                          さて、「犬」とは誰のことを指し、「犬と横たわるもの」とは誰のことを指しているのでしょうか。もうお分かりでしょう。

                                           

                                           

                                           

                                          「犬」とはトランプ自身を指し、「犬と横たわるもの」とはその取り巻きを指すのです。「権力と横たわるものはカネ(利権)まみれで起き上がる」いう言葉を彼らに投げ返さなければなりません。

                                           

                                           

                                           

                                          わが国では、「犬」とはトランプのポチ犬である安倍晋三を指し、彼と添い寝して「ノミだらけで起き上がる」のは、公明党と日本維新の会、コスプレがよく似合う国民民主党の代表・タマキン雄一郎です。おっと、忘れてはいけません。教育事業に打って出るために国民の税金100億円をかすめ取る吉本興業と権力に首根っこを押さえられているNHKを始めとする大手メディアです。

                                           

                                           

                                           

                                          心ある国民が彼らに反撃するにはどうすればいいのでしょうか。続きは次回に譲ります。

                                           

                                           

                                          | 政治 | 23:10 | comments(0) | - |
                                          詩と書、そして建築。
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                                            2年ほど前のことになりますが、ブログで次のように書いたことがあります。

                                             

                                             

                                            ― 私が惹かれる建築には、欠くことのできない要素として<詩>があることは確かです。以前ブログで西脇順三郎のことばを引用しました。それは「人間の存在の現実それ自身はつまらない。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)を持って意識させる一つの方法である。」というものでした。―

                                             

                                             

                                             

                                            <詩>を孕む建築

                                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=355

                                             

                                             

                                             

                                            そして今、在日韓国人の建築家・伊丹潤の作品集をめくりながら、西脇順三郎のことばを思い出しています。作品集P74「建築家の心眼」の中で、伊丹は次のように書いています。

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            ― もし建築に完璧さだけを追い求めたとしたら、まぎれもなく、機能に研ぎ澄まされ、冷たく味気ない空間になるであろう。そして、無駄という掴みどころのない言葉の範疇には、人間の生になにか非凡なもの、あるいは空間の本質みたいな何かがあるようだと、常々感じてきている。

                                             

                                            空間の深い意味において、機能からではなく、人間の本能のような、人がそこに存在するだけで生気が張りつめる空気みたいなものが流れる。そんな空間は、機能優先の空間には見ることができないであろう。しかるに、建築家の心眼というものに頼るしか手はない。

                                             

                                            また、人間の思索を深める空間と造形のピュアルティーは、その土地の伝統の文脈の自然なる抽出と、作者の強靭な祈りをこめた造形感覚と自由な思想が基底になくてはならないと思う。―

                                             

                                             

                                             

                                            以前、良寛さんの書を見た時に感じたのは、まさに「作者の強靭な祈りをこめた造形感覚と自由な思想」だったのです。いや、こういう言葉さえ超えたところにある、何といえばいいのか、明るい自由闊達さのようなものでした。

                                             

                                             

                                            今では詩と書と建築が、私の中でひとつに溶けあっています。伊丹潤の言葉は、書について、建築について、はたまた詩の本質について語っているのか判然としないほどです。

                                             

                                             

                                             

                                            そういうわけで、私の中では、伊丹潤と白井晟一は別格の建築家として、畏怖すべき人間となったのです。以下に二人の書をそれぞれの著作の中から引用します。

                                             

                                            伊丹潤「土」

                                             

                                             

                                             

                                            白井晟一

                                             

                                             

                                            白井晟一「無伴」

                                             

                                             

                                             

                                            良寛さんの話に戻りますが、先日、書家のS氏から作品を頂きました。書き損じたものでもいいから、それを壁に貼って好きな時に気兼ねなく見たい、それが私のような素人にふさわしい書の愉しみ方だと伝えていました。にもかかわらず、頂いたものは画像の通り立派に装丁されていました。そして、そこに書かれていたのは、何と良寛さんの漢詩だったのです。最初はリビングにかけていたのですが、まわりが余りにチープなのでバランスが悪く、S氏が帰った後、仏間にかけ直しました。

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            回首七十有餘年

                                            人間是非飽看破 

                                            往来跡幽深夜雪 

                                            一炷線香古匆下 

                                             

                                            首(こうべ)を回(めぐ)らせば七十有余年
                                            人間(じんかん)の是非看破に飽きたり
                                            往来の跡(あと)幽(かすか)なり深夜の雪
                                            一炷(ちゅう)の線香古窓(こそう)の下

                                             

                                             

                                             

                                             

                                             

                                            書は歳をとればとるほど余計なものが剥がれ落ちて、味が出てきます。Sさん、ありがとう。次回作は私が一番好きな良寛さんの詩(以下)をお願いします、なんちゃって。

                                             

                                             

                                            生涯懶立身    生涯身を立つるに懶(ものう)く 
                                            騰騰任天真    騰騰(とうとう)天真に任す 
                                            嚢中三升米    嚢中(のうちゅう)三升の米 
                                            炉辺一束薪    炉辺一束の薪 
                                            誰問迷悟跡    誰か問う迷悟(めいご)の跡
                                            何知名利塵    何ぞ知る名利の塵(ちり)
                                            夜雨草庵裡    夜雨草庵の裡(うち)
                                            双脚等間伸    双脚等間に伸ばす

                                             

                                             

                                            | 身辺雑記 | 12:51 | comments(0) | - |
                                            TV の終わり?
                                            0

                                              今回の選挙で投票率が5割を切ったことに衝撃を受けている人が多いようですが、私はそのことに衝撃を受けています。

                                               

                                               

                                               

                                              選挙は地震や津波のような自然現象ではなく、あくまで人為的なものです。つまり民主主義体制であれ独裁体制であれ、結果的に、人間が意図して作り上げたものです。

                                               

                                               

                                               

                                              それをまるで予想できなかったことのように驚いて見せるのは、普段この国の基底部で何が進行しているのか、そこに人々の意識がどうかかわっているのかという点を完全に見落としていることを告白しているに等しいのです。

                                               

                                               

                                               

                                              「テレビは重要なことを人々に知らせるメディアではなく、人々に知らせないための、あるいは覆い隠すためのメディアになった」と分析し、「TVの終わり」などと大仰に嘆いて見せるのです。TV報道は始まるまでもなく、とうの昔に終わっています。それを前景化して見せたのが3・11だったのです。

                                               

                                               

                                               

                                              消費社会ではあらゆる情報は操作されています。それを仕切っているのが電通です。商品の購入だけではなく企業の利益、ひいてはそこから献金を受けている政治家の利益になるようにコントロールされています。原発事故であれほど痛めつけられた福島で与党が勝つ理由を考えてみるべきです。見落としていることがあるはずです。

                                               

                                               

                                               

                                              山本太郎はこのことを骨身にしみて分かっています。演説でも何度となく触れていました。学者や評論家のように今度の選挙結果を嘆いていません。すべてを想定していたと思います。そうでなければ、私は彼を支持しません。

                                               

                                               

                                               

                                              日本経済新聞は、「参院選、与党が改選過半数獲得へ 野党共闘振るわず」と報じています。自民党は改選議席の67に対して56しか議席を獲得していないにもかかわらずです。見ようによっては「自民惨敗」との見出しも打てたはずです。

                                               

                                               

                                               

                                              もうやめにします。今回の選挙、山本太郎の作戦勝ちです。それは閉塞した社会の中を吹き抜けていった一陣のさわやかな風のようなものです。その空気を呼吸した人々は、腐臭を放つ窒息しそうな空気の中で生きていることに気づいたはずです。

                                               

                                               

                                               

                                               

                                              私は少年の頃のように、真夏の早朝の新鮮な空気が吸いたい。秋の高原を吹き抜けるさわやかな風を胸いっぱい吸いたい。そしてせせらぎを流れる小川の清冽な水でのどを潤したい。私の夢はかくのごとくささやかなものです。

                                               

                                               

                                               

                                               

                                              | 政治 | 14:33 | comments(0) | - |
                                              過去と未来の死者を思い、言葉を紡げ。
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                                                Film photography さんから頂いたコメントに返信しましたが、ここに再度載せておきたいと思います。

                                                 

                                                 

                                                拙いブログを読んでいただきありがとうございます。私はいわゆるジャーナリストやテレビのコメンテーター、自民党、公明党、維新の政治家らが発する言葉が、浮ついた自己顕示欲の発露以外の何物でもないと感じています。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                この国の歴史的な転換点が3・11にあるということを認識できないいかなる言説も私は信用しません。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                自民党政権の本質は、福島の原発事故に象徴的に現れています。だからこそ、それをなかったことにしようと目論んでいるのです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                東京オリンピックの招致に際して流された「お・も・て・な・し」の映像ほどこの国の馬鹿さ加減を国際社会に知らしめたものはありません。経産大臣を始め、財界のトップが小躍りして喜ぶ様を見て、私はこの国の終末を見てとりました。何も大げさなことを言っているわけではありません。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                原発は人間が制御できない巨大なエネルギーを生み出す怪物です。飼いならすことが不可能な怪物なのです。隙を見せれば、すぐに眠りから覚め、私たちの文化も歴史も国土も根こそぎにし、この地球上から葬り去ってしまう力を持っています。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                にもかかわらず、この国の政治家や財界人は、大丈夫、大丈夫と自らに言い聞かせ、国民を欺いてきました。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                そもそも、ある技術を開発するときには、それが用済みとなった時のことを考えていなければなりません。しかるに、「もんじゅ」を始めとして、廃炉の技術すら確立せずに、しかもそれにかかる費用すら見通せずに見切り発車したのです。万死に値するとは、まさにこのことです。私たちは、着陸する場所のない飛行機の乗客になったのです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                山本太郎はこのことが分かっているただ一人の政治家です。彼を行動に駆り立てているのは、おびただしい数の戦死者、経済的な理由で自死を選んだ人々、そしてこれから生み出されるであろう第二第三の原発事故による死者に対する想像力なのです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                覚醒する機会はこれまで何度もありました。しかし、そのチャンスを私たちはことごとく潰してきたのです。その風景を幾度となく見せつけられれば、まともな神経をした人間は意気阻喪して現実感覚をなくします。私は若者を非難する気には全くなりません。何もかも、この国の大人に責任があるのです。

                                                 

                                                 

                                                 

                                                今度の選挙は、ことによると最後のチャンスになるかもしれません。教育の末端にいる者としては、またぞろ同じことが繰り返されるだろうと予想していますが・・・。今は私の予想が覆されることを祈るばかりです。

                                                 

                                                 

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                                                委縮は伝播する。
                                                0

                                                  山本太郎率いる『れいわ新選組』は、今回の選挙活動を通じて、様々なものを可視化しました。中でも特筆すべきは、大手マスコミ、特にテレビ局のふがいなさです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  山本太郎の訴えに耳を澄ます聴衆の多さや、その熱気や盛り上がりを目にし、取材しているにもかかわらず、選挙期間中ついにそれを報道しませんでした。政党要件を満たしていないなどという屁理屈ならいくらでも吐けます。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  しかし、今回の選挙で彼以上に聴衆を集めた政治家がいたでしょうか。一種の社会現象にまでなっているものを、そのまま報道しないのであれば、報道機関はいったい何のためにあるのでしょうか。報道しない報道機関など、悪い冗談以外の何物でもありません。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  吉本の芸人の謝罪会見や河野外相の韓国に対する選挙目当ての「無礼」発言(これほど恥ずかしいシーンはめったにお目にかかれません)、京アニメの放火事件などは、そのまま報道しているではありませんか。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  もちろんブログで何度も指摘したように、日本の報道機関が権力から独立しているなどとは思ってもいません。記者クラブにどっぷりつかって、すでに選別された情報をありがたく頂戴して生活の糧にしている人間たちが、安倍政権を批判などできるわけがないのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  それどころか、安倍政権と同じ穴のむじななのです。それすら意識できない人間は、国民のために報道の現場から立ち去るべきです。生活していく術は他にもあります。私のように、塾の教師でもすればよいのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  過去記事

                                                   

                                                   マスコミは圧力をかけられているのか?

                                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  日本の報道記者や官僚たちは、高偏差値大学を卒業した受験の勝者です。彼らの特技は、何よりも空気を読むことです。自分の地位を守るために裏の裏を読みます。これこそが頭がいいと言われる人間の内実なのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  結果、空気を読む=忖度することが自己目的化します。トップがアホになれば、アホを忖度しなければなりません。かくして委縮は伝播し、国民のことを考える者はいなくなり、国家は破滅への道を突き進むのです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  そういった日本の政治文化自体に異を唱えているのが山本太郎です。彼は聴衆のすぐ前で、手の届くところで演説をします。街宣車の上から、一方的に自分の言いたいことだけを叫び、去って行ったりしません。大きなディスプレイにデータを映し出し、それを使って説明します。野党の政治家に彼と同じ手法で、国民と対話する勇気のある人間がいるでしょうか。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  山本太郎の言葉もさることながら、彼の選挙スタイルそのものが国民の側に立っているのです。今回の彼の街宣の中で、忘れられないシーンがあります。それは反対意見を述べる聴衆に向き合い、限られた時間の中で説得を試みているシーンです。ここに政治家に最も必要とされる資質が現れています。

                                                   

                                                   

                                                  福島駅東口での演説です。3・11以降、彼を政治家にした原点ともいうべき地での演説です。田舎の果樹園で隠れて演説する誰かさんとは大違いです。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  ヤジを飛ばされれば、警察力でたちどころにそれを排除する安倍晋三(ノミのしんぞう)総理大臣とはあまりに違いすぎます。

                                                   

                                                   

                                                   

                                                  私たちの生活を大きく左右する力を持つ政治家としてどちらがふさわしいか一目瞭然ではありませんか。たとえ選挙結果が不細工なものになろうとも、山本太郎が荒野に向けて発した言葉は雲散霧消しません。現に私の中で反響しているのです。

                                                   

                                                   

                                                  | 政治 | 22:09 | comments(3) | - |
                                                  Make hay while the sun shines. (亡き父の誕生日に)
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                                                    直訳すれば「日のあるうちに干し草を作れ」です。天候の変わりやすいイギリスの風土から生まれた16世紀頃からの有名な諺ですね。ご存知の方も多いと思います。日本語で言えば、「好機逸すべからず」です。すべての物事にはそれをするにふさわしい「時」があり、その「時」を逃すと、どんなに努力をしても成果は得られないという教えです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    ところで、7月11日の木曜日、人生初の経験をしました。参議院議員の礒崎陽輔氏(舞鶴高校出身)の応援演説のために安倍総理大臣が大分入りしました。ガレリア竹町で、街宣車の上で演説するのを聴いたのです。いつものように嘘のオンパレードでした。どこがどのように嘘なのか知りたい方はぜひコメント欄で質問して下さいね。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    思えば、ブログを始めたのも礒崎陽輔氏の詭弁がきっかけでした。そのときの過去記事を挙げておきます。特に「国語力」がないと自覚している高校生だけでなく、「国語力」に自信を持っている人にも読んでもらいたいですね。そうそう、礒崎陽輔氏の支持者にもぜひ。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    東大は出たけれど − その1

                                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=2

                                                     

                                                    東大は出たけれど − その2

                                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=3

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    ついでに、中学生でもわかるフェイクニュースの見分け方を書いておきます。それは5W1Hを押さえているかどうかです。質問した時に、これに答えられなければフェイクなのです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    例えば、福島第一原発の事故について5W1Hを念頭に置いて質問するのです。そうすれば、「いまだに反原発などと言っているやつらは、キワモノのパヨクだ。原発は完全にアンダーコントロール状態だ」という言説がフェイクのかたまりだとすぐにわかるのです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    ネトウヨの皆さんは、ただ安倍総理をマンセーすることで自分の存在を確認したい人たちなので、学問的な体裁をとっていても、ジャーナリスティックな論陣を張っていても、テレビに出る有名人でも、5W1Hを質問すればすぐにしっぽを出します。ただそれを質問する人がいないだけです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    人生初の経験にもどりましょう。

                                                     

                                                    安倍総理大臣の前は鉄柵で囲まれています。「異分子」を排除するためです。私は入口で安倍総理大臣の顔が印刷されたパンフレットをもらい、自民党員のふりをして人ごみを掻き分け、前へ進みました。チャンスがあればヤジを飛ばそうと考えていたのですが、周りは自民党のシンパやネトウヨでいっぱいでした。そもそも目つきがおかしい若者が多いのです。「オレ様が安倍総理大臣を守るんだ」という「気概」にあふれています。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    ここでヤジったらどんな「危害」を加えられるかわかりません。若かりし頃ならブルース・リーばりの立ち回りを演じて、ヌンチャクを振り回し、たちどころに敵をやっつけていたでしょうが、今回はヌンチャクを忘れたので止めにしました。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    暑くて息苦しくなったので、そのマンセー集団から離れて、両脇の歩道の方へ移動しました。そこで安倍総理大臣の演説を聴いたのです。ヤジを飛ばせる雰囲気ではありません。私服警官が各所に配置され、イヤホンと小型マイクを装備して目を光らせています。イヤ、ホントです、なんちゃって。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    しょーもない演説が終わったので引き上げようとすると、安倍総理大臣が今からハイタッチをします、というではありませんか。そこで私もニコニコしながらその列に並びました。私の前50センチくらいに来たとき、Make hay while the sun shines. というフレーズが浮かびました。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    私は腹の底から声を絞り出し「安倍晋三!嘘つくな!」と大声で叫んでいました。総理大臣は明らかにビビっていました。「ごめんなさい。ゆるちてください」といったかどうか知りませんが、すぐに目をそらしました。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    その瞬間、周りにいた私服のお兄さんたちが私を取り囲み抱きついてきました。そんな趣味はないので「言論の自由は憲法で保障されているのだ。あなたたちに発言を封じる権利はない!消費税が何に使われたのか知っているのか!」と叫びました。やれやれ、歳をとるとこんな遊びもできるんですね。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    妨害されなければまだまだ叫びたいことがあったのです。

                                                     

                                                    「こんな人たちに負けるわけにはいかないんですと、もういっぺん言ってみろ!」

                                                    「TPPはどうなった!」

                                                    「北方領土は返ってくるのか!」

                                                    「森友はどこ行った!」

                                                    「加計はどうなった!」

                                                    「アキエとタニサエコはどこにいる!」

                                                    「拉致被害者はどうなる!」

                                                    「財務省の役人を殺して平気なのか!」

                                                    「公文書の書き換えを指示したのは誰だ!」

                                                    「消費税を上げて、国民を殺すつもりか?」等々。

                                                     

                                                    全部挙げれば日が暮れます。

                                                     


                                                     

                                                    その後、通りで信号待ちをしていると、警備の責任者だと名乗るお兄さんが近づいて来て「おけがはありませんでしたか?」と聞くのです。「4〜5人の男に抱きつかれたぐらいで、けがなんかするわけないだろうが!」とは言わずに「あなたたちも仕事とはいえ大変だね」と答えました。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    そのお兄さんに自民党のパンフレットを渡し、付いてきたりしないでねと言い残し、歩いて妻と待ち合わせの場所へ向かいました。のどが渇いたのでトキハのスタバでアイスコーヒーを注文していると、背後から「あの〜、○○新聞の記者ですが、お話をお聞きしてもよろしいでしょうか」と声をかけられました。

                                                     

                                                     

                                                    あれだけの人がいる中で、たった一人で言葉を発したことに感動した、とのことでした。それから1時間余り、その三十代前半の若い記者と色々な話しをしました。そして、こんな素晴らしい記者が今時いるのかと、認識を新たにしたのです。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    話の中で、山本太郎の発する言葉とエリック・ホッファーの言葉について触れました。本当に思考するための言葉は、今では、学校教育によって刈り取られてしまって、現実を改変する力を持てなくなっている。言葉が意味を失い、単なるつじつま合わせの記号になってしまった。高学歴であればあるほど、この傾向は著しい。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    山本太郎は高校中退の元芸人だからこそ、真実の言葉を話す人間を見分けられるのだ。逆に、学歴差別の上に構築された社会システムを疑わない人間は、権力と金を持つ人間を忖度することでしか人生に意味を見いだせなくなっている、等々。話題は尽きませんでした。再会を約束しましたが、このブログをN記者が読んでくれているといいのですが・・・。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    ところで、私が蛮勇をふるって安倍総理大臣に言葉を発したのも、山本太郎の存在があったからです。6年前から、この男は本物だと直感して彼を支持してきました。過去記事をお読みになれば、その一端を理解してもらえると思います。

                                                     

                                                     

                                                     

                                                    国は誰のために存在するのか − 山本太郎議員を応援する。

                                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=26

                                                     

                                                    山本太郎 vs 安倍晋三 − 暴かれたイラク戦争の本質。

                                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=28

                                                     

                                                     

                                                    | 政治 | 21:48 | comments(2) | - |
                                                    昭和は遠くなりにけり。
                                                    0

                                                      今朝、庭を見ているとオハグロトンボが数匹飛んでいました。他のトンボと違って、羽をひらひらさせて蝶のように飛ぶので、視界に入りやすいのです。しかし、人が近づくとすぐに逃げてなかなか捕まえることができません。やっとのことでカメラに収めました。

                                                       

                                                       

                                                      よ〜く目をこらさないと見えません。画面中央にいます。バックが黒なので余計分かりにくいですね。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      オハグロトンボは水と空気がきれいなところにいる、と言われています。してみると、私の家の庭はそういう場所なのかなと思い、少しうれしくなります。木々が鬱蒼と茂る森の中の小屋の風情が漂っていますが、日差しが強烈で外気温が高い日でも、家の中は涼しいのです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      私が少年だった頃、水を売って商売が成り立つなどとは思いもしませんでした。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      帰宅して、ランドセルを放り投げ、裏山に行けば清水がこんこんと湧き出ている場所がありました。夏休みともなると、昆虫や小動物に同一化し、我を忘れて遊んだものです。そして、疲れた手足を冷やすために、冷たい水で顔を洗い、頭から清水をかぶりました。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      むっとする草の匂い。その間を小さな舌をちょろちょろ出しながら音もなく進むヘビ。蝉の鳴き声。生い茂る木々の葉の間から見える青い空と流れる白い雲。仲間が自分を呼ぶ声。半パンとランニングシャツ一枚で、日が暮れるまで遊びました。間違いなく、人生の黄金時代だったのです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      そして高度経済成長の時代。いぜんとして水は水でした。のどが渇いた時に飲むもの。水鉄砲を作って友達の顔めがけて飛ばすもの。かき氷の材料。夕方、庭先の焼けた石にかけるもの。要するに、私たちの周りに水はたっぷりあり、水自体に価値がありました。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      そして高度経済成長が終わるころには、水の質や安全性が求められるようになります。無尽蔵にあると思っていた清水や湧水が、新たな付加価値を与えられ、商品として売買されるようになったのです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      水自体は変わらないのに、季節と時間と場所を考え、消費者が喜ぶ提供の仕方が重要になります。暑い夏の日は、冷やした井戸の水にレモンをひとしずくたらして美しいガラスのコップに入れて出し、冬は身体の芯から温かくなるお茶を和菓子を添えて淹れる、といった風に。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      結果、水源は投機対象にまでなっています。そしてこの流れは不可逆です。歴史がそうであるように。私は、日々絶滅していく昆虫の種を数えながら呆然とする昆虫学者の心境です。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      しかし、見方を変えると、これからはモノ自体や量ではなく、それをいかに提供するかという質、言い換えれば芸術的センスが問われる時代になるということです。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      ただやみくもに情報を仕入れ、有利か不利かというモノサシで進路を設定し、少しでも高い労働力として子供を売りだそうとする発想=受験勉強的発想は、高度経済成長時代の名残に過ぎません。「佐藤ママ」がその時代遅れの発想を可視化してくれました。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      芸術が常にその時代の支配的な価値観に異を唱えて来たように、これからは効率や量ではなく、勉強そのものの質が、すなわち芸術性が問われる時代になるのです。それは私たちがどのような社会でどのように生きるのかという問いと深く結びついています。それにしても、昭和は遠くなりにけり、です。

                                                       

                                                       

                                                      その来たるべき時代の血路を必死で開こうとしている人間もいます。

                                                       

                                                       

                                                       

                                                       

                                                       

                                                      | 文学・哲学・思想 | 00:10 | comments(0) | - |
                                                      空虚な人格から発せられる空語!空語!空語!
                                                      0

                                                        空虚な人格は、幼少の頃からつねに言われた通りのことをやり、そのことで評価され、賞賛され、おだてられる経験を積み上げて来たため、ついに自分の言葉を獲得する機会がなく、自分が見ている世界が唯一絶対的なものだと思い込むことで出来上がります。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        つまり、恐ろしく狭い世界に住み、人格が空洞になっているため、自分にとって都合のいい情報や言葉だけがそこで反響し増幅されるのです。したがって支離滅裂で矛盾することも平気でしゃべります。自分で考えてしゃべっていないので、過去の発言との整合性など頭にありません。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        現職の総理大臣と持ちつ持たれつ。総理のご意向で、私たちの税金が吉本興業に注ぎ込まれています。さすが闇営業の吉本だけのことはあります。なんたってヤクザとズブズブの関係ですから。闇営業という言葉で騙されてはなりません。島田伸介を例に挙げるまでもなく、ヤクザ企業なのです。それよりも、日本のお笑いのレベルが知れるというものです。権力者に媚を売るお笑いなど、腐っているとしか言えません。この国は終わっているのです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        実は劣等感の裏返しがそのままキャラになっているのです。いうまでもなく、夏目漱石の時代から今日まで、アメリカやヨーロッパでは、日本人をはじめ東洋人はいまだに「差別される側」です。この事実は鈍感でなければわかります。この劣等感こそが、韓国人や中国人を差別し蔑視する温床となっているのです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        これほど醜悪なことはありません。ツイッタ―で嫌韓や反中を叫びながら、一方でトランプや安倍首相を礼賛している人間たちは、世界の現実を知らない国際的田舎者に過ぎません。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        私が『れいわ新選組』を支持するのは、10人の候補者全員が自分の言葉でしゃべっているからです。自分が経験したことの中で思想を鍛え、常に国民の立場に立って発言しているからです。それを感知できない人間たちは「変わりものだらけの集団だろう」とか「子供とか弱者とか、キレイごとばかり並べている」と考えるのです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        私は現政権を支持しません。それは安倍首相の発言やふるまいが「ウソだらけだから」「恥ずかしいから」「痛々しいから」「幼稚だから」「バカにされているのがわからないから」です。あるいは「悪」を感知するだけの知性がないから、というのが理由です。政治の世界では「悪」の本質を洞察できない者は、その「悪」に利用されて国家を破滅に導くのです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        安倍首相は、参院選の遊説のスタート地点を福島市の果樹園にしました。東京の秋葉原をスタート地点にしないのは、ヤジが怖いのです。いや、ヤジに応えて思わず自分の本音をしゃべってしまうのが怖いのです。山本太郎のように、聴衆の目の前で自分の信念や政策を語ったり、質問や反論に答えたりすることは絶対にできません。ヘタレですから。

                                                         

                                                         

                                                        201974日の毎日新聞から、その第一声を引用します。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        ― 福島の復興なくして東北の復興なし。東北の復興なくして日本の再生なし。外交力をいかして福島産の農産物の(輸出時の)規制緩和に全力を尽くした。その結果、福島産の輸出が過去最高になった。トランプ米大統領は意外と人の話を聞く。私の話の筋が通っていると「シンゾー、分かった。その通りにする」と言ってくれる。平和安全法制(安保関連法)を成立させ、助け合える日米同盟になり、絆はかつてないほど強固だ。憲法に自衛隊を明記すると公約に掲げた。最後に決めるのは国民投票だ。そのための審議をせねばならない。それが議員の責任だ。しっかり議論する候補、政党を選ぶのか、責任を果たさず審議しない政党、候補を選ぶのか。(福島市の果樹園で)―

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        開いた口がふさがらないとはこのことです。福島県民は完全にバカにされています。何を言っても、東北人は我慢してじっと耐えるとたかをくくっているのです。ちなみに安倍首相が責任感のある人間なら、沖縄の辺野古を第一声の場所に選ぶでしょう。山本太郎なら、必ずそうするはずです。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        安倍首相の第一声は欺瞞に満ちています。福島第1原発事故の避難者への家賃補助を打ち切り、仮設住宅を廃止して避難者を追い出し、統計上「避難者はいない」ことにしているのを見ただけでも、安倍政権の意思は明確に示されています。

                                                         

                                                         

                                                         

                                                        それにもかかわらず、共同通信や朝日新聞をはじめとする大手メディアは序盤の情勢として「自公、改選過半数の勢い」と一面トップで報じています。無党派層が半分近くいるにもかかわらずです。そして「大いに関心」四分の一、18・19歳「必ず行く」前回より低下、と報じているのです。ここにも大手新聞の意思(第三者づらをして、民主主義など信じていないこと)が明確に示されています。それが分かって、私やあなたはどうするのか?

                                                         

                                                         

                                                         

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                                                        マスコミは圧力をかけられているのか?

                                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117

                                                         

                                                        | 政治 | 22:14 | comments(0) | - |
                                                        TOEIC、共通テストへの参加を取り下げる。
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                                                          この知らせを受けて、受験生を抱える高校や予備校など、教育関係者の間で「激震」が走っているそうです。言葉は悪いですが、バカかと思います。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          英語民間試験の実施団体がまともなら、今回の決定は当然なのです。「TOEIC」を運営する国際ビジネスコミュニケーション協会は2日「責任を持って対応を進めることが困難と判断した」とのことです。当たり前すぎて、あごが外れそうです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          身も蓋もないことを先に言ってしまえば、日本がアメリカの属国である間は、英語「教育」と言っても、せいぜいのところ、宗主国の意向により、植民地の中で「富裕層」の仲間入りをしようと走り回るコマネズミのような人間を育てるだけです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          私は、大学入試における民間試験の導入は、財界の要望と官僚の天下り先の確保、およびテスト業者の利益がミックスされた新たな教育シンジケートができるだけだと言ってきました。それは英語という宗主国の言語を梃子にして、日本を回復不能なほどの格差社会にするのです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          問題は、格差社会の中で苦しんでいる人たちが、自己責任という言葉で格差を受け入れていることです。政府や大手メディアが垂れ流す情報をそのまま、なんとなく信じ、「世の中こんなものさ」とあきらめていることです。「スキル」と「カネ」がすべての世の中で、それを身につけてこなかった自分が悪いと考え、「オレの考え、リアルじゃね?」と言いたいのです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          それは、たとえるなら、中学校や高校で不合理な校則を変えようと行動する生徒への感情的な反発のようなものです。「なにめんどくせえこと言ってんだよ!自分たちだけいいかっこしやがって。こんな集会なんて意味ねえんだよ。」というような。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          実は、この感情的な反発も、政治的に利用されているのです。これこそが大阪維新の会、日本維新の会の「イデオロギー」なのです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          英語の民間試験の話にもどります。私は、民間試験の導入は失敗すると言ってきました。高校生は、時間が制約されているのだから、英文法を徹底的に勉強するべきです。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          ただし、私の言う英文法とは英語と日本語の間に立ちはだかる壁の本質を理解し、それを取り払うためのもので、英語を日本語の発想で学習するものではありません。おそらくこれまで経験したことのない中身のはずです。興味のある高校生は、いつでも無料体験ができます。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          以下は、2019年6月19日の、「しわ寄せは受験生に…“欠陥”英語民間試験に学者が国会請願」と題した、日刊ゲンダイの記事です。ぜひお読みください。

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                           

                                                          ― センター試験に代わって2020年度から始まる大学入学共通テストの英語民間試験。東大の阿部公彦教授ら学者有志が18日、利用中止を求める国会請願を行った。制度上の欠陥が多く、最低限の公正性・公平性が確保されていない。高校生や保護者、学校関係者に不安が広がっているという。



                                                           英語民間試験は、TOEIC、TOEFL、英検など8つの民間実施団体が行う。各試験での点数を対照表に従い、統一のスコア(6段階)に置き換えるのだが、あり得ない評価法だという。京都工芸繊維大の羽藤由美教授は「全く科学的裏付けがない。50メートル走と握力を測ってどちらが体力があるか見るようなものだ」と声を荒らげた。



                                                           加えて、営利を追求する民間業者の入試は公平性を損なう危険が満載だ。受験者数を増やすための“スコアダンピング”はすでに始まっているという。また、実施団体自身が問題集などを発売する対策ビジネスもきな臭い。手の内を熟知する出題者の対策は、鬼に金棒。高得点に直結する“参考書”は、受験生のバイブルになって売れまくるだろう。他にも、5000〜2万5000円超の高額の受験料や、受験機会をめぐる都市部と地方の格差も指摘されている。

                                                           

                                                           

                                                          元凶は、8つもの民間実施団体に試験を委ねたからだ。下村博文文科相の下、2014年に始まった有識者会議は、英語ビジネスを展開したい楽天・三木谷浩史会長が主導し民営化が決められたとされる。この有識者会議の傘下の協議会がビックリ仰天だ。阿部教授が指摘する。



                                                          「外部試験を導入すべきかを検討する協議会に、多くの試験実業者が名を連ねました。推進するのは当たり前だし、自ら実施主体になった。その結果8つもの民間試験が生まれたのです」



                                                           協議会は、TOEIC、TOEFL、英検、ケンブリッジ英語検定、GTEC(ベネッセ)などの実施団体がメンバーになっている。天下りを受け入れるなど文科省との癒着関係は深い。

                                                           


                                                          「政治家も民間に開放し、その先に献金を受けるなどうまみがあるのでしょう。しわ寄せはすべてムダな負担を強いられる受験生に来るのです」(阿部公彦教授)



                                                          欠陥試験で人生の大勝負がメチャメチャだ。―

                                                           

                                                           

                                                           

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                                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=547

                                                           

                                                          英語学習において最も大事なこと− その1。

                                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=549

                                                           

                                                          英語学習において最も大事なこと − その2。

                                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=550

                                                           

                                                          | 英語教育 | 15:26 | comments(0) | - |
                                                          山本太郎は虎の尾を踏んでいる。
                                                          0

                                                            『れいわ新選組』の候補者を見て、私は心底驚いています。蓮池透氏、安冨歩氏、木村えいこ氏、そして今日、公明党の支持母体・創価学会員の野原善正氏、環境保護NGO職員の辻村千尋氏、元セブンオーナーの三井義文氏、元外資系銀行員の大西つねき氏が加わりました。木村えいこ氏のことは今回初めて知りました。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            蓮池透氏、安冨歩氏、大西つねき氏のことは著作を通じて応援していたのです。この3人が『れいわ新選組』から立候補しないかと考えていたのですが、まさかそれが現実になるとは・・・。もう1人、前川喜平氏を期待しているのですが、どうでしょう。古賀茂明氏、植草一秀氏もいいですね。

                                                             

                                                             

                                                            ここに挙げた本は目の前の書棚にあったものですが、どれも素晴らしいです。深く考えさせられ、インスピレーションをもらいました。特に大西つねき氏の『私が総理大臣ならこうする』は具体的でとても刺激的な本です。見にくいかもしれませんが、一番左は大西氏の『希望 ― 日本から世界を変えよう』です。

                                                             

                                                            ちなみに、安冨歩氏の著書『原発危機と東大話法』は、原発事故から一年も経たない2012年1月15日に出版されています。アマゾンからさっそく取り寄せ、一日で読み、思考がまとまらない中、一人でも多くの人に読んでもらおうと1月18日にレビューを投稿しました。そのときレビューは一つだけでした。それでも瞬く間に600人以上の人が賛同してくれ、日々賛同者の数は増えていました。ところがある日突然削除されたのです。その件に関しては過去記事をご覧ください。

                                                             

                                                            経済合理性という狂気または合理的な愚か者について

                                                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=36

                                                             

                                                             

                                                             

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            今回の人選で、6年前から彼を応援してきた理由が納得できました。今の日本社会を立て直すのに不可欠な人が選ばれているのです。要するに、山本太郎は自民党・安倍政権が財界とアメリカの兵器産業のために破壊し尽くした日本社会を一から寄せ集め、繕いはじめたのです。選挙ではこれまで「よりましな」政党を選ぶしかありませんでした。積極的に応援したいと思ったのは、『れいわ新選組』が人生ではじめてのことです。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            3・11でこの国は多くの人命と国土の一部を失いましたが、同時に山本太郎という政治家を生みだしました。私は、歴史の転換点では、真に力ある思想は決して既存の利権集団やイデオロギー集団の中からは生まれない、それは、まったく思いもかけないところから生まれるのだ、と言いました。

                                                             

                                                             

                                                             

                                                            かくなる上は、心ある国民は山本太郎を守らなければなりません。かつて、特別会計の闇を追及しようとして暗殺された民主党の石井紘基氏の二の舞にさせてはなりません。山本太郎は命を張っています。虎の尾を踏んでいるのです。

                                                             


                                                             

                                                            | 政治 | 00:40 | comments(0) | - |
                                                            ハチドリのひとしずく。
                                                            0

                                                              これは ちいさな力の大切さを教えてくれる
                                                              南米アンデスの 古くて新しいお話――

                                                               

                                                               

                                                              森が燃えていました

                                                              森の生き物たちはわれさきにと逃げていきました

                                                               

                                                              でもクリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり

                                                              口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます

                                                               

                                                              動物たちはそれを見て「そんなことをしていったい何になるんだ」と笑います

                                                              クリキンディはこう答えました

                                                               

                                                              「私は、私にできることをしているだけ」

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              この話は元塾生のSさんに教えてもらいました。6月23日にホルトホール大分で開かれた元福井地裁裁判長・樋口英明さんの講演会で再会する予定でした。人が多かったせいもありますが、見つけることができませんでした。妻が急用で行けなくなったので、Sさんも僕を探しづらかったのでしょう。ちょうどそのとき疾風自由日記のS君に会い、二人で外へ出ました。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              Sさんは30年以上も前の生徒さんです。一緒に勉強したのは、高校3年の時でした。その点では埼玉県で数学の塾をしているO君と同じですね。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              一緒に勉強したのはわずかな期間でしたが、二人の若者に影響を与えたことを想うと、人間が偶然出会うことの不思議さに驚く他ありません。塾では勉強するだけで、何ら影響を受けなかった生徒さんもいます。当然ですね。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              でも影響とは何でしょうか。人はみな生まれながらに心の中に小さな共鳴箱を持っていて、突然それが鳴り出すのです。その音を聞き分けるために、子供には自由な環境と時間が必要なのです。子供の心を抑圧するようなジャンク情報ばかり与えれば、共鳴箱は一生鳴らないままでしょう。代わりに自分のポジションを守るためのセンサーが鳴るだけです。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              樋口さんの講演会では会えませんでしたが、後日、Sさんから丁寧なメールをいただきました。Sさんは樋口英明、前川喜平、小出裕章、そして山本太郎という当代きっての良心に会うことができたのです。それはきっとSさんの人生を善きものにすることでしょう。以下に、固有名詞を伏せて掲載させていただきます。Sさん、ありがとう。

                                                               

                                                               

                                                               

                                                              ―― メールの返信をいただき、ありがとうございます。

                                                              先生にたくさんお話ししたい事があり、お礼のメールが遅くなって申し訳ありません。

                                                               

                                                               

                                                              Yも私も、変わらず元気に過ごしています。

                                                               

                                                               

                                                              樋口さんの講演会では、私の事も気にかけていただきありがとうございました。

                                                              午前中に別の用事があり、会場に着いたのが5分前で、講演会が終わった後は、後ろの席にいらしたA先生にご挨拶していました。今はY中学校で教鞭に立たれていて、今年で定年を迎えるそうです。

                                                              T中学校時代、A先生が「原発いらない」のステッカーを車に貼って下さっていた事、今でも嬉しく思い出しています。

                                                               

                                                               

                                                              その後、会場を見渡しましたが、先生と奥様の姿を見つける事は出来ませんでした。

                                                               

                                                              疾風自由日記のSさんは、先生のブログに何度も登場している方なので、もちろん存じ上げています。

                                                               

                                                              先生と奥様にお会いできるかもしれない・・と淡い期待を抱いていたので、今回は残念でしたが、きっとまた別の機会にお二人にお会いすることが出来るのではないかと思っています。

                                                               

                                                               

                                                              私の大好きな、憧れの奥様にもくれぐれも宜しくお伝えください。

                                                              先生が以前、ブログで旅行の際の奥様の写真をUPして下さった時には、嬉しくて何度も何度も、写真の中の奥様を眺めていました。

                                                               

                                                               

                                                              山本太郎さんの演説会には、急遽予定を変更して慌てて駆けつけました。

                                                              約2時間にわたる山本さんの演説を目の前で聴く事ができて、本当に良かったです。

                                                               

                                                              今、我が家のポストの上に山本さんのポスターを張っているのですが、今回新しいポスターをいただいたので、近々貼り直す予定です。

                                                              実家と、母の勤めている会社にも同じものを貼っています。

                                                              少しでも力になれればと、ボランティア登録をし、ポスティングちらしも先日申し込みました。

                                                               

                                                              演説会の後、写真撮影と握手会があり、余計な事とは思いましたが、未来塾のブログのPRをしてきました。

                                                              あのブログを読んでもらえたら、きっと山本さんは喜んでくれると思ったからです。

                                                               

                                                               

                                                              先生のブログでは、泣いたり笑ったり、怒ったり感動したり、日々、色々な事を学ばせてもらっています。

                                                              塾を何十年も前に卒業しても、いくつになっても、一生私は先生の生徒なんだなと思っています。

                                                              今でも、ブログを通して大切な事を教えていただき、深く感謝しています。

                                                              塾の卒業生のみなさんも、きっと私と同じ気持で、先生のブログを楽しみにしていることでしょう。

                                                               

                                                               

                                                              「ハチドリのひとしずく」のクリキンディのように、今、私にできることをやっていこうと思っています。

                                                               

                                                               

                                                              ところで、私も5月からニワトリを飼い始めました。

                                                              ずっと前から飼いたいと思っていたのですが、小屋作りなどがネックでなかなか踏み出せずにいました。

                                                              先生のブログを読んで力をいただき、私も先生と同じ水盛遣り方から始め、四苦八苦しながら何とか小屋を建て、宇佐に初生ビナを引き取りに行き、ポリスブラウンを4羽飼っています。

                                                               

                                                               

                                                              小さい頃のYのように大変可愛らしいので、ニワトリなのに名前まで付けました。

                                                              こうやって長年の夢が叶ったのも先生のおかげです。

                                                              卵を産んでくれる秋が待ち遠しく、可愛い上に人間模様ならぬニワトリ模様も垣間見えて、毎日笑って楽しく過ごしています。

                                                               

                                                               

                                                              話は変わりますが、去年の12月16日に前川喜平さんの講演会へ行きました。

                                                              不登校を考える親の会、星の会主催で、テーマは「憲法26条と教育機会確保法」でした。

                                                              今回の樋口さんと同じように分かりやすくお話しいただき、先生のおっしゃる通りとても素敵な方でした。

                                                              また、一昨年の9月には、北アルプスの岳沢小屋の朝食の席で、偶然小出裕章先生とお会いしました。

                                                              嬉しくて、先生に報告しようとずっと思っていました。

                                                               

                                                               

                                                              メールが長くなり、また拙い文章で恐縮です。

                                                              先生の貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

                                                               

                                                               

                                                              子ども達のためにも、末永く未来塾を続けていただける事を、先生と奥様の益々のご活躍を祈念しております。――

                                                               

                                                               

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