文明は、特に近代以降、私たちの社会に利便性と効率性をもたらした。その裏で切り捨てられたのが世界はつながっているという感覚である。この感覚は人間が自然と向き合って初めて、頭ではなく身体の中に蓄積されていく。
本来、世界や自然は分断することができない。にもかかわらず、出来ないものをできると勘違いするところから世界は滅びに向かい始める。何度も指摘したように、単なる観念の遊戯であった要素還元主義が社会の隅々にまでいきわたり、人間の想像力をやせ細らせ、他者に共感する力を奪ってきたのだ。
利便性と効率性は幸福をもたらしはしない。こんなことは幼稚園の子供ですら分かることだ。大規模商業施設やコンビニやAmazonは地元の商店街を廃業に追いやり、利便性依存症という病を蔓延させることとなった。この病の特徴は時間がかかることを強迫神経症的に恐れる。そして価値のないものとして断罪する。
一方で、子供が大人になるまでには時間がかかる。作物が実り、収穫するまでにも時間がかかる。人間の社会にとって最も重要な子供を育てることと作物を育てることは時間がかかるのだ。しかも教育の成果は死ぬまでわからないので、特定の学校や大学に合格したことを教育の成果と見なすようになったのだ。
かつて、日本の教育の最もダメなところは、子供たちに何ものにも奉仕しない野放図な時間を与えないことだと書いた。育ち行くものを育てるという発想がないことが何よりもこの国の教育を貧困にしている。私が「佐藤ママ」を批判した所以である。
もうやめにしたい。以下の事件は大学生が幼児化した象徴に過ぎない。そしてこうなることは目に見えていたので、8年前にブログで指摘しておいた。なお、「舞子ちゃん」も同類なので次回以降のブログで述べる。なぜ「舞子ちゃん」が同類なのか、彼女は立派な裁判官ではないかと考えている人には一言、世界はつながっているのだ、と言っておきたい。
神戸大学のバトミントンサークル「BADBOYS」の学生たちは、ノリでやったのだろうが、彼らが畳にゲロ吐いたり、壁にキムチを投げつけたり、障子を破ったりしていた同じ時刻にガザでは子供たちが虐殺されているのだ。私はもはや日本の大学生に想像力を持てとは言わないが、残念で言葉がない。
学生が旅館の天井など壊す 神戸大学が謝罪し処分検討
https://youtu.be/H6-rFP95-Lo?si=qSDjrNqcx5bkTedS
以下の記事は8年前に書いたものですが、記事の中の映画「ライオット・クラブ」も是非見てもらいたいと思います。特に自分はプチエリートだと思っている愚かな若者に。
自壊する日本の高学歴「エリート」たち
https://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=279