いったい建築家という職業は何のためにあるのだろう。自己の創作意欲を満たすため?有名になって承認欲求を満たすため?金のある人間たちとつながって安定した豊かな生活を送るため?
私は建築に興味があったので、今でも建築雑誌をパラパラとめくっている。そしていつも残念な気持ちになる、というか今の建築界の惨状を目にして憂鬱になる。そこには何とか人々の生活を本当の意味で支えようと呻吟する姿がない。富裕層のしゃれた邸宅の写真が掲載されているだけで、生活がない。大工や左官の苦闘の跡がない。
日本社会がコーポラティズムに広くおおわれるようになって、建築家も経済学者と同様に権力からの目くばせに敏感な職業となった。そんな中、住宅建築家という目立たない生き方を選び、バブル経済とは一線を画し、あくまでクライアントの生活を重視してきたのが建築家の中村好文氏である。ブログで何度も取り上げてきた。
そして、能登半島地震で被災した塗師の赤木明登氏のことはすでに書いた。
日本の中の二つの国。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=887
赤木氏のことは『欲しかったモノ』(ラトルズ)の中で中村氏に教えてもらった。今から18年前のことだ。この本の中で中村氏は言う。
「一人一人がつくったモノは、みんな自分の仕事や暮らしから発想されたもので、今、自分が本当に欲しかったモノ、心惹かれるモノ、つくりたいモノができたと思います。世界には、売れ筋狙いのモノや、安直なモノがあふれていて、本当に自分が欲しいものを探そうとするとなかなか見つからない。作り手側がモノづくりの動機を見失っているような気がするので、自分の暮らしの中から発想するモノづくりというのは大きな意味を持っているんじゃないでしょうか」
この本の一番手として登場する赤木明登氏曰く。
「人がいて、家族と時を過ごす。友だちがやって来て酒を飲む。ご飯を食べて風呂に入って、という当たり前のことが一番大切だと思う。そうやって、誰かと出会って一緒にいることを慈しめる道具があるといいと思うんですよ。暮らしに仕えるような道具」
「つくるときにあるのは、その元にある感動だと思う。何かに出会って、心が震えて、いろんなことが始まっていくんだと思うんです。その感動をうちに持って帰って、それを多少なりともドキドキしながら喜んで使うということが、その人の暮らしをすこしゆたかにするんじゃないか、って」
地震で輪島塗の技術も職人さんもコミュニティーもいま崩壊の危機に瀕している。それでも赤木氏は元気いっぱいである。輪島塗という工芸が人を救うということを実感しているからだ。
壊れた屋根にブルーシートを張ったり、崩落した家や工房を片付けたり、再建を話し合うために大工さんがボランティアでやってくる。まさに工芸が人の命を救っている。仮設住宅だけでなく、こんなところにこそ国の資源を集中すべきだと言えば真っ先に反対するのは橋下徹をはじめとする維新の連中でしょうね。
そんな折、今日、赤木氏のSNSを見た。
「建築家の中村好文さんが、東京から能登にやって来た! 住まいを失った、工房の職人さんたち6人のために、好文さんがステキなプランをつくってくれました。岡山チーズ大王の全作小屋をプロトタイプに、電気、上下水道、ガス、外部からライフラインの供給が無くても、自律して生活できるかわいい小屋を森の中に何棟もつくる。これで、もういちど地震が来ても大丈夫だと。先生、後光が指しています!」
これこそが暮らしを第一に考える建築家の仕事だと素朴に思う。
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縁切りハウス。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=804
三流腐敗国日本の象徴−関西万博 大屋根(リング)
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=884