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卑怯者の島: 戦後70年特別企画
卑怯者の島: 戦後70年特別企画 (JUGEMレビュー »)
小林 よしのり
2015年に読み、感動した本(漫画)です。個人的には、これは小林よしのりの最高傑作だと思っています。『堕落論』とあわせて読んでほしいと思います。左右に関係なく、あなたが絶えず仮の足場を求めて思考を継続する意思を持つなら、避けて通れない著作です。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) (JUGEMレビュー »)
エドワード・W. サイード
いわゆる「知識人」なるものが絶滅して久しい。しかし、サイードの言う知識人の定義は時代がどんなに変わっても常に新しい。「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」高校生や大学生にはぜひとも読んでほしい本です。
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磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
磯崎新と藤森照信の茶席建築談議 (JUGEMレビュー »)
磯崎 新,藤森 照信
この本は茶室を巡る様々な建築的発想・知識の宝庫です。それにしても磯崎新氏の驚くべき記憶力と該博な知識には驚かさされます。建築史を語るには欠かせない二人の対談です。時がたつのを忘れさせるほどの面白さでした。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)
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烏賀陽 弘道
私は政治的な言葉と詩的言語の間を、その振幅が大きいがゆえに、往復することによって精神を活性化させています。政治的な文章を読むときに気をつけていることは、ファクトとオピニオンを区別することです。これはイロハのイだと思っていたのですが、今はお互い罵詈雑言の投げつけ合いで、言論空間がいびつになっています。これは今の政治を反映したものでしょう。菅官房長官が「問題ない」「その指摘は当たらない」などといったコミュニケーション遮断語を頻繁に使いだしてから、この傾向は加速しています。言論空間のゆがみを正し、正常な論争が復活することがあるのでしょうか。地に足がついた生き方をしたいなら、まず気分に流されず、事実を見極めることから始めなければなりません。事実を提示しないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。そのことを確認するためにも本書は必読です。本物の読解力をつけたいと考えている中高生には特にお勧めです。
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫)
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大河内 直彦
アインシュタインの名言のひとつに、「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」があります。
本書は文系・理系を問わず、高校生や大学生必読の本です。単に気候の科学を紹介しただけではなく、科学者たちのさまざまな逸話を紹介しながら、科学における知識・研究の積み重ねの重要性を教えてくれます。この本にのめり込むかどうかが、あなたの知性のリトマス試験紙になります。受験勉強的発想の狭隘な世界観を粉砕してくれるかもしれません。
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見て見ぬふりをする社会
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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安倍首相から「日本」を取り戻せ! !
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泥 憲和
まともな言説は、誰にでもわかる易しい言葉で書かれています。そして、それが本物であればあるだけ、真実を直視する勇気のない、臆病者からバッシングを受けます。安倍政権や維新の会のヤクザ議員からバッシングを受けない言説は何のインパクトもない、ニセモノだと言ってもいいくらいです。泥さんの発言は、間違いなく政権にとって都合の悪いものだったのです。表紙の写真はコワいですが、この本を読めば泥さんの優しい心根に触れることができます。
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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日本力
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松岡正剛,エバレット・ブラウン
テレビを始めとするメディアを通じて、何かといえば日本はスゴイ!と叫んでいる、あるいは叫ばないと身が持たない人たちに読んでもらいたい本です。だってそれは日本人がまともな思考をしてこなかった、今もできていないことの裏返しでしかありませんからね。日本スゴイと叫んでいる人を見ると、自分が持っている劣等感をこんな形でしか表現できないのかと思って気の毒になります。日本スゴイ!だからどうしたの?あなたは何をやりたいわけ?
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佐藤 正明
今の政治状況に対して、まともに反応すればするほど、こちらがアホに思えてきます。正面突破は犠牲者が出るだけでなく、精神的にも疲労困憊しますからね。こういう時代の表現方法は、もはや風刺とブラックジョークしか残っていない気がします。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書)
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五味 洋治
天皇陛下が去年8月のお言葉で一番国民に伝えたかったのは、一言で言うと安倍首相の改憲を許してはならない、ということだったのです。それはブログでも再三書いてきましたが、今上天皇の20年にわたる慰霊の旅や国民に寄り添う姿勢が何よりそのことを証明しています。普通の読解力があれば分かることです。しかし、安倍首相には肝心の読解力がありません。安倍首相は今上天皇の思いを、単なる生前退位の「制度上の問題」にしてしまったのです。これは明らかな策謀です。国民は今一度、天皇陛下のメッセージに真剣に耳を傾けるべきです。
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教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫)
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羽仁 五郎
1979年、今から38年前に出版されたこの本を読み返しました。そして愕然としました。羽仁五郎が指摘したことがますますリアリティーをもって、前景化しています。福沢諭吉も言うように文部科学省はいらないのです。教育関係者は、自らの原点に戻るため、この本を読むべきです。
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服従
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ミシェル ウエルベック
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排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容
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森 千香子
第16回大仏次郎論壇賞を受賞した本作は、従来時間軸で論じてきた社会学の手法に、パリ郊外というエスニック・マイノリティーが住む「空間」を突きつけ、彼らがなぜグローバルテロリズムに追い込まれるのかを明らかにしたものです。

一読し感銘を受けました。問いを生きるという学問の原点が、彼女のフィールドワークにつながり、「移民たちは、彼ら自身に問題があるのだという視線を注がれていました。でも実際には、多数派による差別が問題を生み出していた。問題は社会の側にあったのです」と結論付けます。

この著作は日本社会のみならず、世界のこれからを考えるのに、大いに役立ちます。これぞ学問と言えるものです。『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 』とあわせて読むことを勧めます。
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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被災の思想 難死の思想
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小田 実
若い人は彼の仕事も、名前すら知らない人もいるでしょう。来年で没後10年になります。彼が生きていたら、3・11をどうとらえ、どう表現していたか。それを見たかったし、彼の発言を聞きたかった、とつくづく思います。ジャーナリズムは劣化の一途をたどり、教育は非民主的な社会に適応できるように、こどもたちに真実を教えません。すべてのものには歴史があります。今ある世界が全てではなく、それを作り出した社会と人間の営みがあったのです。もし若い人が自由に生きようと思うのであれば、そして元気を出したければ、彼の著作を読んでみることです。『何でも見てやろう』でもいいですね。とにかく一冊手にとって見てください。そして彼の提示した問いに答えてみてください。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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経済学という自己正当化の道具、あるいは権力に寄生するための方便を分かりやすい言葉で暴露した本物の経済学の本。宇沢弘文氏の「社会的共通資本」と併せて読むことをすすめます。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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桐野 夏生
権力も財力もない人間は、想像力を武器に戦うほかありません。以前ブログでも取り上げた『亡国記』とともに読むことをすすめます。
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文部科学省と財界は文系学部、特に社会思想を研究する学部を標的にして、その廃止を迫っている。これがどれだけ短慮で、バカげたことかヨーロッパの大学を見てみればよい。コンピテンス、要するに高速事務処理能力と記憶力を重視する理系学部さえあれば国は繁栄するという考え方です。文系学部は「結果を出せない」といいます。株式会社化をなりふりかまわず進めようとする国の中で、文系学部は穀つぶしだと映っているのでしょうね。この国の知性の劣化はとどまるところを知らないようです。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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本では土屋正雄氏の名訳が出ていますが、できれば英語で読んでもらいたい小説です。カズオ・イシグロの文章は読んでいてとても気持ちがいい。素晴らしい文体です。いつの間にか声に出して読んでいることがあります。ジョージ・オーエルと並んで私が最も好きな海外の作家です。彼が書くような英語を書きたいですし、彼のように考え、話したいものです。DVDを見た後は、是非小説も読んでください。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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長谷川 宏
著者は私と同じく学習塾を営む在野の哲学者。私が塾を始めた時、著者の『赤門塾通信』を読み、励まされました。

上下2巻で、結構なヴォリュームですが、やっと読み終わりました。今改めて日本の精神史をたどりなおしたいと考えている人には、ぜひ勧めたいと思います。感想は又いつか別の機会に。
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小林秀雄は、私を文学や哲学の世界にいざなってくれた恩人です。彼と岡潔との対談です。
この本を理解できる政治家はおそらくいません。いたら、絶滅危惧種でしょう。
小林秀雄、岡潔、鈴木大拙のような人間はもう出てこないでしょうね。こういう人間を生み出す土壌が日本にはなくなりました。
代わりに登場してきたのが、橋下徹やホリエモンこと堀江貴史といった、マスコミによって改革の旗手と持ち上げられたマネー資本主義の申し子たちです。
感情を劣化させた人間が幅を利かせる社会は、効率を追求し、競争を加速させるだけの生きづらい社会です。日本社会はどうしようもなく劣化が進んでいます。
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教育で最も大切であるにもかかわらず、多くの人が忘れているのが感情教育です。世界的数学者・岡潔のことばでは「情緒」ということになります。普通、情緒とは正反対にあると考えられている数学のような学問で、ブレイクスルーをもたらすものは「情緒」だと岡潔は言います。今回読み直してみて、その深い洞察力と、そこから出てくるみずみずしい感性と新しさに、改めて驚かされました。

こどもの将来を本当に考える親なら、あれこれ参考書を買い与えるより、是非この本を読むことをすすめます。私たちが失ったものの価値が分かり、呆然とするはずです。

この本を読んで何も感じなかったらどうするのか?
残念ですが、どうしようもありませんね。これまで通り、自分の信じる道をお進みください。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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塾は何をしてきたのか、これからどうなるのか?
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    結論から言いましょう。塾は一部で能力上位層を選別する機能を果たしたものの、子供たちの学力を高めるのにまったく貢献してこなかった、それどころかAIに取って代わられるような表層的で一過性の能力・知識を子供たちに注入してきただけだというのが私の結論です。

     

     

     

    「学力」をどうとらえるかにもよりますが、教科書に書かれている日本語を正確に読解できる力を学力とすれば、それすら身につけていない子供たちが大量に生み出されているのが現実です。当たり前のように塾に行く子供たちが多い中で、にわかには信じられないかもしれませんが、事実です。

     

     

     

    最近出版された『AI vs 教科書が読めない子どもたち』という本の中で、数学者の新井紀子氏がこのことを具体的に立証しています。ちなみにこの本の前半160ページ余りはAIについての記述です。知的な中高生および親御さんなら、色々な発見があると思います。

     

     

     

     

    この本の中で、新井氏は、人間の知的活動のすべてが数式で表現できなければ、AIが人間に取って代わることはない。AIがコンピューター上で実現されるソフトウェアである限り、ロボットが人間の仕事をすべて引き受けてくれたり、人工知能が意思を持ち、自己保存のために人類を攻撃したりするといった考えは妄想だとして一蹴します。数学者として当然の見識ですね。

     

     

     

    一方で、人間の仕事の多くがAIに代替される社会がすぐそこに迫っていると指摘しています。この本の真骨頂は、従来の学校教育や塾産業が前提とする「学力」の中身が、まさにAIの得意分野であり、日本の労働力の質は実力をつけてきたAIの労働力の質にそっくりなので、簡単にAIに取って代わられる可能性があると指摘している点にあります。

     

     

     

    しかも、全国の多くの中学や高校で実施してきた独自のテストによって、日本の中高生の多くは、歴史や理科の教科書程度の文章を正確に理解できないということを明らかにしています。そして、英語の単語や世界史の年表を憶えたり正確に計算したりすることは、AIにとって赤子の手をひねるようなことだと言います。

     

     

     

    さらに、AIに多くの仕事が代替されれば、労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに、巷には失業者や最低賃金の仕事を掛け持ちする人々があふれる状況が生まれると予想しています。つまり、経済はAI恐慌の嵐にさらされるというわけです。もちろんこれは日本だけではなく、世界で起ころうとしていることです。

     

     

     

    言うまでもなく、資本主義社会では経営者は企業の利益をあげることを最優先しなければなりません。AIを導入することで労働コストが軽減できるなら、それを選択するはずです。日本企業が、雇用慣習の違いを理由にAIの導入を先延ばしにすれば、国際競力を失って倒産するか、外資系企業へ売却されるのが落ちです。

     

     

     

    それはともかく、ここ20年余りの間、塾は何をして来たのかという問いに戻りましょう。結論は冒頭に書きましたが、今少し具体的に述べてみます。

     

     

     

    消費社会の等価交換と費用対効果の発想が骨の髄までしみ込んでいる塾業界は、まず「学力」を数値やデータを使って計測可能なものと見なしました。要するに確率と統計的な処理によって個人の能力を「見える化」し、それに見合った対価を要求したのです。

     

     

     

    しかし、確率と統計的な処理で説明できるのは、子供の能力のごく一部に過ぎません。にもかかわらず、塾は色々なグラフやデータを保護者に示し、限られた言葉で子供たちの「やる気」や「集中力」「根気」「弱点」などを診断します。あたかもそれが最先端の教育であるかのように。

     

     

     

    私はこれを巧妙な詐欺だと考えています。なぜなら、人間の知能を科学的に観測する方法がそもそもないからです。皆さんは、文を読んで意味がわかるということがどのようなことか説明できますか。難問にチャレンジしているとき、自分の脳がどのように働いているかモニターできるでしょうか。ましてや知的活動が無意識の世界とどうつながっているかなどわかるはずもありません。

     

     

     

    にもかかわらず、人間の知的活動を測定できるかのようなフリをして、まんまと金品をせしめるのは詐欺だと言っているのです。こんなことを言えば、私自身にも批判の矢が帰ってくることは百も承知しています。それについては次回以降に説明します。

     

     

     

    この20年、塾がやって来たことは何だったのか。その答えは、最近の塾が提供するサービスを見ればわかります。なぜなら、その内容はこれまでやって来たことをより効率的に圧縮したものだからです。前出の新井紀子氏の発言に耳を傾けてみましょう。

     

     

     

    引用開始(趣旨を変えない範囲で短くしています)

     

    ― 私が最近最も憂慮しているのは、ドリルをデジタル化して、項目反応理論を用いることで「それぞれの子の進度に合ったドリルをAIが提供します!」と宣伝する塾が登場していることです。こんな能力を子供たちに重点的につけさせることほど無意味なことはありません。問題を読まずにドリルをこなす能力が、もっともAIに代替されやすいからです。

     

     

    小学生のうちからデジタルドリルに励んで、「勉強した気分」になり、テストでいい点数を取ってしまうと、それが成功体験となってしまって、読解力が不足していることに気付きにくくなります。

     

     

    中学校に入ってもデジタルドリルをくり返せば、一次方程式のテストで満点がとれて、英単語や漢字は身につきますから、そこそこの成績はとれるはずです。ところが受験勉強に向かい始める中学3年生になると、なぜか成績が下がってしまう。本人はうすうす気づいているはずです。「なんだか学校の先生の言っていることが分からない」「教科書は読んでも分からない」・・・。けれどもどうしてよいかわかりません。だから余計にデジタルドリルに没頭してしまいます。

     

     

    (こういった生徒は)読解力を身につけないまま、ドリルと暗記だけで大学受験をしている可能性が大きいと思われます。それでも偏差値が50を超える難易度中位の大学に入学できます。しかも今の大学生の半数は、学力試験を免除されるAO入試や推薦入試で入学しています。そして、偶数と奇数を足すとなぜ奇数になるかと尋ねられたら「2+=3だから」などと大真面目で解答してしまうのです。

     

     

    問題文に出てくる数字を使ってとりあえず何らかの式に入れて「当てよう」としてしまう。なぜそんなことをしてしまうのか?フレームが決まっているドリルでは、それが最も効率の良い解き方だったからです。

     

     

    フレームを決めざるを得ないデジタル教材の最大の欠点はここにあります。フレームが決まっていると、子供は教える側が期待しているのとは別の方法で、そのフレームの時だけ発揮できる妙なスキルだけを偏って身につけてしまうのです。

     

     

    思い出して下さい。フレームが決まっているタスクはAIが最も得意とする作業です。そのような能力は、人間よりはるかにスピードが早く、エラーも少ない、そして何よりも安価なAIに代替されてしまいます。― 引用終わり。

     

     

    今から15年ほど前、塾のホームページを立ち上げた時、最初にアップしたのが『学力低下は塾のせい』という記事でした。塾の教師が学力低下の原因は塾にあると指摘したのですから、無視されるか、からめ手からの生徒獲得作戦だとして揶揄されるのが落ちでした。

     

     

     

    しかし、15年の月日が流れ、『驚くべき教育格差−中学受験の意味するもの−』とともに、今では一番アクセス数が多い記事になっています。この記事の中で指摘したことが、15年の歳月が経過してことごとく現実となりました。新井氏はAIという格好の比較対象を得て、私が書いたことをより説得的に展開しています。長くなるので続きは次回に譲ります。2週間ぶりのブログでしたが、ここまで読んで下さった方に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

     

     

    | 塾・学力 | 19:55 | comments(1) | - |
    『東大合格生のノートはかならず美しい』わけがない。
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      『東大合格生のノートはかならず美しい』というタイトルの本があります。10年前に出版された本ですが、かなり売れているようです。あなたは読みたいですか?この本を買って子供に与える親御さんの気持ちはわかります。自分の子供もいつか東大に、と思っているか、そこまでは考えていないけれど、勉強の参考になるかもしれないと考えてのことでしょう。

       

       

       

      気分を害されるかもしれませんが、この手の本を買う人は物事の表層だけを見て、自分の頭で考えることをしてこなかった人です。なぜなら、考えるということは、目の前の現実を疑うことだからです。

       

       

       

      それに『東大合格生のノートはかならず美しい』というバカ丸出しのタイトルが気になります。東大合格生の中でノートが汚い人が一人でもいたら、このタイトルはウソになるからです。つまるところ、本のタイトルに「東大」を付けると売り上げが伸びるというマーケティングの法則らしきものに依拠した「東大商法」なのです。『東大合格生のノートは、かならずしも美しいとは限らない』では、本が売れませんからね。

       

       

       

      もう一つ紹介しましょう。『東大生が選んだ勉強法』(PHP文庫)です。内容紹介は次のようなものです。

       

       

       

      「国内最高学府の頂点に君臨する、東京大学。その難関を突破した学生たちは、どんな勉強法を選んだのだろうか? 本書は、現役東大生約8400人が登録する「東大家庭教師友の会」の学生たちが編み出した、独自の勉強法を大公開。 「覚えた本は捨てて記憶する」「難しい本を読む前に、雑誌を探す」「眠りながら記憶する」など、目からウロコのメソッドが満載! あなたに合う勉強法がきっと見つかる一冊。」

       

       

       

      「国内最高学府の頂点に君臨する、東京大学」出身者は、「立法府の長」を名乗るバカの意向を忖度し、平気でウソをつき、行政文書を次々に廃棄・隠蔽しています。官僚の使命やプライドはどこに行ったのでしょうか。

       

       

       

      それにしても「覚えた本は捨てて記憶する」という日本語が分かりません。「覚えた本は捨てる」なら分かります。ここで言う「覚えた」というのは「記憶した」と同じ意味でしょう。つまり「記憶した本は捨てて記憶する」と言っていることになります。普通の頭では、これほど意味不明の日本語は書けません。さすが「東大家庭教師友の会」の学生だけのことはあります。

       

       

       

      「難しい本を読む前に、雑誌を探す」は「難しい本を読む前に、入門書を探す」ならわかりますが、「雑誌を探す」って、どんな雑誌でしょう。

       

       

      「眠りながら記憶する」は睡眠学習のことを言っているのでしょうか。眠たい時にはさっと寝て、すっきりした頭で勉強に取り組んだ方がいいに決まっています。バカバカし過ぎて、皮肉を言うのも忘れてしまいました。要するに奇をてらった題名をつけて、何とか売ろうとする魂胆が丸見えです。目からウロコどころか、頭が禿げあがってしまいそうです。

       

       

       

      この種の「天才バカ本」の話はともかく、現実の東京大学では大規模な論文不正が次々に発覚しています。日本では「頂点に君臨する、東京大学」かもしれませんが、世界では相手にされていません。発表される論文の数も下降の一途をたどっています。大阪大学が出題のミスを一年近くも認めなかったこと。早稲田大学のAO入試の見識のなさ。慶応・中央大学の権謀術数の限りを尽くした反民主的な学長選挙。ブログで指摘しましたが、日本の大学は市場主義の軍門に下り、再生の可能性は99%ないと思います。

       

       

       

      私は塾生に受験するなら東大よりも京大を、と常々言ってきましたが、その京都大学のiPS細胞研究所でも昨日論文の不正が発覚しました。データを捏造した山水康平助教は「私がやりました。論文の見栄えをよくしたかった」と話したそうです。私はこれを聞いてひっくり返りました。「見栄えの問題かよ!」と思わず叫んでしまったのです。

       

       

       

      考えるということは、目の前の現実を疑うことだと言いました。しかし、肝心の大学がこの体たらくです。ここ2〜30年の間に、与えられた課題や実験結果に疑問を持つという感覚が麻痺していったのです。

       

       

       

      なぜこんなことになったのか。その原因は、難関大学の受験が特定の階層の専有物となり、親をも巻き込んだ見栄や嫉妬に駆動された情報戦となった結果、そもそも一体何のために勉強するのかという根本的な動機が問われなくなったことにあります。

       

       

       

      これは氷山の一角です。教育だけではなく、私たちの社会そのものが取り返しがつかないほど病んでいます。福島の原発事故が病巣を白日の下に晒したにもかかわらず、それをなかったことにするマスコミと政治家たち。それを支える国民。病巣は転移し、取り返しがつかなくなって初めて人々は気づくのです。

       

       

       

      見なければならないものを見る勇気。手遅れになる前に手を打てる行動力。それを可能にする想像力と洞察力。そういった人間の諸力を歴史の中に発見する曇りのない目。これらはすべて教育によって育まれるものです。その肝心な教育が崩壊しているのです。

       

       

       

      話を元に戻しましょう。『東大合格生のノートはかならず美しい』という本を買うあなたは「東大合格生」に何かプラスの価値を見出しているのでしょう。しかし考えても見て下さい。「東大合格生」という抽象的で匿名の記号に価値などあるわけがありません。

       

       

       

      いや、ブランドとしての価値がある、とお思いでしょうか。しかし人間の価値はブランドではなく、その人が社会で何をしているのか、何をしてきたのかで決まるのです。

       

       

       

      それに元々ブランドとは、他人の家畜と区別するために、自分の家畜に押した焼印のことです。識別し差別化するためのシンボルというわけです。ブランドにこだわることは、人間を家畜のように見るということです。人間を「商品」と見なし、将来的な価値を値踏みしているのです。

       

       

       

      もちろん、塾は人間をブランド化・差別化する匿名の工場のようなものです。保護者の方もそのような場所として塾を見ています。だからこそ、私は、自分の塾が匿名化することを避けるために、塾の方針を明確にしようと思いました。今から13年前、ホームページを立ち上げたのもそれが理由でした。当時は塾を始めて20年ほど経った頃で、消費社会の発想が社会の隅々にまで行きわたっていました。

       

       

       

      一言で言えば、教育が「商品」として切り売りされるようになった時期です。そこでは教える内容や、誰が教えているのかという最も肝心なことが捨象され、同じ商品なら安ければ安いほどいいと考える消費者が大挙して教育市場になだれ込んできた時期でした。

       

       

       

      「こちらは客なんだから最も安い価格で最大の効果を挙げろ」というわけです。学校でも病院でも皆がお客様気分で要求するのが当たり前になりました。しかし、想像して見て下さい。それがどんなに殺伐とした息苦しい社会かを。医者や教師が金儲けを第一に考えて働く社会がどんな社会かを。

       

       

       

      そういった社会の流れに抗するために、私はホームページを立ち上げ、「未来塾通信」を書くことにしました。その第一回目のタイトルは『学力低下は塾のせい』でした。「塾の教師のくせに、何それ?評論家のつもりか!」というお叱りの言葉も頂きました。しかし、私が実際に塾の現場で感じたことを無視するわけにはいかなかったのです。

       

       

       

      塾の宣伝文句として「目指せ東大!」だの「目指せ県立トップ校!」などと書くことは、消費者(月謝を払う親御さん)にとっては分かりやすいかもしれませんが、一方で自分の塾を匿名化することになります。コンビニ化、マクドナルド化するということです。それに私は思ってもいないことを書けない性分なのです。もちろん営業的にはマイナスです。それも覚悟の上でした。

       

       

       

      あれから13年が経過しました。数は少なくとも、私の考えに共鳴して下さる親御さんのお陰で、今日までやって来ることができました。私は子供たちに、自分のペースで、自分の考えで人生を生きてもらいたいと思っているだけです。匿名のシステムに適応することだけを考えて、自分の時間と自分の生きる場所を見失ってほしくないのです。

       

       

       

      塾の教師は勉強だけ教えていればいいのだ、という考え方もあるでしょう。しかし、好きな音楽を聴くことも、好きな服を着ることも、どんな職業に就くかということも、すべてはつながっています。はっきりした境界線などないのです。一見無関係に見える政治ともつながっています。要するに私たちの意識や行動の集積が社会を形作っているのです。そういう意味では、好きな音楽を聴くことも政治的だと言えます。その中に私のような塾教師がいてもいいのではないかと考えています。

       

       

       

      おやおや、また長くなってしまいました。今回は自分だけのノートの作り方を書くつもりでしたが次回にします。これまで誰も書いたことのないノートの作り方です。今回も最後までお読み頂いた方にお礼を申し上げます。貴重な時間をありがとうございました。

       

      | 塾・学力 | 00:25 | comments(0) | - |
      長野の一塾教師さんへ。
      0

        心温まるコメントをいただきありがとうございます。とても嬉しいです。ご夫婦で塾をなさっているとかで、色々なご苦労をお二人で分け合うことができていいですね。返信しようと思ってコメントを書き始めたのですが、長くなりそうなので、コメント欄ではなくブログを借りて返信することにしました。

         

         

        長野は何度か訪れたことがあります。安曇野の風景はどこか懐かしい心のふるさとのようで、妻といつかこんなところで暮らしてみたいねと話したものです。いわさきちひろ美術館や碌山美術館では旅の疲れを癒しました。2年前、教え子が東京の大手出版社を辞めて、ご主人と上田市に居を構えました。いつか遊びに行くと約束したままになっています。14年間乗り続けている車を廃車にする前に、是非再訪したいと思っています。

         

         

         

        ところで、世の中は長野の一塾教師さんのような方ばかりではありません。「お前のブログは負け犬の遠吠えに過ぎない。九州のド田舎の塾教師がエラそうにほざいているだけだ。お前の言っていることは、上から目線の自己正当化なんだよ!読んでいてヘドが出る。」というコメントも頂戴しています。

         

         

         

        この種のコメントに対しては反論のしようがありません。やむを得ず削除しています。それにしてもこういったコメントを寄せる人は、人生の勝ち負けを決める客観的な基準があると信じているのでしょうね。今回はそれについて考えてみましょう。

         

         

        「勝ち組」になるための基準。

         

         

        1:金、金、金、金、金です。人生でどれくらい稼いだかが勝ち組になるための客観的な基準です。国民の資産を株式市場に投入し、官製相場を維持し、外国人投資家に買ってもらって釣り上げた株で儲けた金です。国民の税金をロンダリングするために規制緩和を叫び、岩盤に加計孝太郎氏だけが通れる小さな穴を開け、自治体から金を巻上げ、それを「合法的に」懐に入れた金です。

         

         

         

        2:高学歴であること。特に東大以外の大学の出身者は勝ち組にはなれません。東大を卒業し、財務省や経産省の官僚になり、政治家を慇懃無礼な手法で操り、自分たちの思い通りの法案を通して権力欲を満足させる地位につくこと。その象徴が国税庁長官に出世した佐川宣寿氏です。東大を中退して小金を稼いだり、「東大ネタ」でテレビに出てギャラを稼いだりしているタレントたちは、勝ち組には入れません。彼らは勝ち組の王道をはずれた芸人に過ぎないと評価されています。

         

         

         

        3:総理大臣と食事ができること。権力に取り入り、権力に利用されていることに気づくどころか庇護されていると思いこめる鈍感さを持っていること。要するにその程度のことで自尊心を満足させることのできるクズであること。最近はお笑い芸人のなかに多い。

         

         

         

        4:政権を批判しないこと。コメンテーター、学者、ジャーナリスト、出版人、放送人として、総理のお友だちになり、前川喜平氏や山尾しおり氏、山口敬之にレイプされた伊藤詩織氏の人格攻撃を飽くことなく続けること。しかしこれは勝ち組になる資格などではなく、人間として負け犬になることを意味します。権力が弱体化すれば、手のひらを返されるのは明らかです。安倍総理が失脚すればお払い箱になります。なぜなら権力とは「立場」と「都合」によって成り立っている砂上の楼閣に過ぎないのですから。

         

         

         

        5:財界のトップに立ち、武器の製造ばかりか輸出に手を染め、使用済み核燃料の処分場も決まらないまま原発を再稼働させる権力をもっていること。またはその集団に連なること。さらに、自然を破壊し、地下水を枯渇させ、膨大な電力を消費するリニア中央新幹線の工事発注に絡んで談合すること。国民の暮らしや地域住民の命を無視しても良心が痛まない人格であること。

         

         

         

        以上見てきたように、人間を単純に勝ち組・負け組に分ける発想そのものが貧困で無神経なのです。いったんこの種の基準を内面化した人間は、「幸福とは何か」について深く考えることができません。彼らは自分の納めた税金が社会的弱者に回されることに腹を立て、生活保護費の支給基準を切り下げることを要求しています。

         

         

         

        それにしても安倍政権が誕生して以来、独裁主義に順応する生き方を勝ち組の生き方だと錯覚する人間が増えてきました。これは間違いなく日本という国の末期症状です。

         

         

         

        おやおや、長野の一塾教師さんへの返信がとんでもないところへ脱線してしまいました。最後に、子供たちや保護者の皆さんに心がけてもらいたいことを述べます。

         

         

         

        それは、社会のなるべく正確な見取り図を持つことです。自己利益を最大化するための見取り図ではなく、社会全体をよくするための見取り図です。海図がなければ安心して航海に乗り出すこともできません。正確な海図があってはじめて困難に備えることもできるし、目的地も分かります。

         

         

         

        目の前の受験勉強に集中するあまり、結果として現実から遠ざけられていること、それでは能力を十分に発揮できないということに気づいてほしいのです。塾教師の仕事は、一歩間違えば、子供たちをゲームとしての受験勉強(『東大ナゾトレ』などで出版社も協力しています)の中にいつまでも囲い込むことになります。

         

         

         

        社会構造のラディカルな変化とともに、大学入試も大きく変わろうとしています。今や子供たちをいつまでも柵の中に押し込めている時代ではありません。たかが一介の塾教師ですが、私は子供たち自身の力で柵の存在に気づいてもらいたいと願って指導しています。自ら問いを発し、それをどこまでも追求していけば、必ず柵の存在に気づくはずです。聡明な保護者の皆さんもきっと同じ考えだと思います。

         

         

         

        そのためには、私自身が「遠投力」を鍛えねばなりません。たまには思いっきり遠くに投げたボールを子供たちに取りに行かせたいですね。数メートルの距離でキャッチボールばかりしていては、子供の能力を伸ばすことはできませんから。

         

         

         

        長野の一塾教師さんから頂いたコメントに勇気づけられて、ついつい偉そうに書いてしまいました。どうかお元気で頑張ってください。ありがとうございました。

         

         

        | 塾・学力 | 16:06 | comments(2) | - |
        なりすまし塾長 K 氏、自作自演の幕を閉じるの巻
        0

          私はこのブログで政治や経済を論じていますが、マスメディアからサイバー空間に至るまで、あらゆる情報は劣化コピーの反復だと日々思い知らされています。したがって、誰かを啓蒙するつもりは微塵もありません。そんな世界で、いったい誰を啓蒙するというのでしょうか。マスメディアに幻惑された仮想世界の住人を啓蒙する手段など思いつくことすらできません。

           

           

          ただ、精神衛生のために、心象風景をモノローグ風に書いているに過ぎません。そうは言っても、何かよりどころになるものが必要です。何のとりえもない塾教師として生計を立てている以上、そこから見える風景を起点に、世界に対する違和感を発信するしかありません。

           

           

          目新しいものは何もありません。同じような中身の反復と執拗な繰り返しで、読む人を辟易させているかもしれません。自分の意見を発表する以上、時には錯誤だと笑われ、またある時には傲慢だと不興を買うことも覚悟の上です。心がけているのは、データの引用には最大限の正確さを期していることと、自分に正直であること、つまり思ってもいないことは書かないことくらいです。

           

           

          日本のリテラシー(情報を読みとく技術)教育は「新聞やテレビは信用できるが、ネットの情報は信用できない」というものです。それに対し、カナダのリテラシー教育は、「目にするもの耳にするものすべてを疑わなくてはいけない」という地点からスタートしています。いくら日本が米国の植民地とはいえ、私はこの差に愕然とし、絶望しています。

           

           

          絶望は内向し、時に怒りの感情を呼び覚まします。そもそも、怒り、憎しみ、悲しみといった人間の感情的裏付けをもたない言葉は、私には空語としてしか感受できないのです。そういった言葉の空虚さは、つまるところ、日本国民が官僚と米国から二重に搾取されている事実を隠蔽していることに由来します。簡単に言えば、これが、もっぱら情報伝達を主とした言葉の胡散臭さであり、虚構の上に虚構を塗り重ねる言葉の特徴です。

           

           

          そんなことを考えている折、ブログの読者から、大分市田尻にある例のなりすまし塾長 K 氏が「大分市の塾」というサイトを閉鎖したとの連絡をもらいました。K 氏については既にブログで批判しています。

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=330

           

           

          K 氏は第三者を装って別サイト「大分市の塾」を立ち上げ、その中で「こどもがいたら是非とも通わせたい大分市の5つの塾」と銘打って、そこに自分の塾を載せ、「顧客」を自塾に誘導する新手のビジネスモデル?の旗手として、頑張っていると思っていました。(別に塾をしなくても、ITやウェブマーケティングに詳しい K 氏ならアフィリエイトなどで十分食べていけるでしょう。)

           

           

          それというのも、私の批判に対して、K 氏は「先生のようなたいそうご立派な方が、謝罪をしている人間に対してここまでお言葉を投げつけるとは思わず、少々感激しています。世代と言いますか、価値観の違いなのでしょうね。ご自分のされてることには完全に筋が通っているとお考えのようで、その点に関しては反面教師とさせて頂きます。事実を記載しただけの事に対して、一方的にここまで暴言を吐いてのける、その教育者としてのメンタリティーに感心しました。ご指摘いただき恐縮です。ありがとうございました。なお、特に過去記事を削除するつもりもありませんし、子供を入れたい〜も含めて記載の通りです。また、反論に関しては言われるまでもなく必要とあればさせていただきますのでお構い無く。」と応えていたのですから。

           

           

          少し補足をしておきます。K 氏の言う「事実を記載しただけの事」とは「大分市の塾」の中の以下の記述を指します。

           

          1 >何度も言いますが、管理人はいまだ独身(年齢は30代です笑)であり、子どもはいません。あくまでも、子どもがいたらという観点でご紹介しました。

           

          2 >塾長先生が一橋大学出身だそうで、かなりの高学歴。管理人は足元にも及ばない笑 まだ20代らしく、これからが楽しみな学習塾です。

           

          3 >(未来塾と)Y 田ゼミとの間で「ごたごた」があったようで、過去記事が削除されないうちにお読みください。

           

          1は明白なウソですね。2は K 氏から見れば「事実を記載しただけの事」なのでしょう。でも「かなりの高学歴。管理人は足元にも及ばない笑 まだ20代らしく、これからが楽しみな学習塾です。」というのは、事実ではなくK氏の価値判断です。3は事実に反する K 氏の妄想です。K氏が事実を重んじるのであれば、こんなことは書けないはずです。しかし、「大分市の塾」の目的は、他塾の紹介という体裁を取りながら自分の塾を宣伝することにあるので、面白おかしく書いたのでしょう。こういう人間に限って「事実を記載しただけのこと」などというのです。おそらく一橋大学法学部では、「事実とは何か」という初歩的なことも教えていないのでしょうね。

           

           

          「暴言」というのは、私が K 氏に送ったメールの以下の部分を指します。

           

           

          >何度も言うように、私の塾の名前を出したことに抗議などしていません。Y 田ゼミとのことで、ありもしない「ごたごた」をでっち上げて適当なことを書かれたから抗議したまでですよ。問題なのは、「大分市の塾」におけるあなたの巧妙ななりすましが、普通の倫理観を持っている人間にはできないといっているのです。

           

           

          >あなたが今回やったことは、タチというかスジが悪すぎます。常習性のにおいがします。この種のことは、自分に平気でウソをつける人でなければできません。おそらく、あなたは、この業界では皆、大なり小なりやっているとか、違法ではないといった言い訳を考えているのでしょう。あなたのブログを読めば読むほど、どこかで違和感を感じ始めていた矢先でした。その違和感の正体は、財務省をはじめとする小役人のメンタリティーに近い。あるいは自分をひとかどの経営コンサルタントだとうぬぼれているような。

           

           

          結局、K 氏は「特に過去記事を削除するつもりもありませんし、子供を入れたい〜も含めて記載の通りです。」と宣言したにもかかわらず、自分にとって不都合(経営に響く)だと判断すれば記事を削除し、サイトを閉鎖するのです。K 氏のことを「財務省をはじめとする小役人のメンタリティーに近い。」と言ったのは、今回の姑息なやり方を予測してのものでした。まさに、ドンピシャリでした。

           

           

          「大分市の塾」を見ると、私以外の塾長さんからも抗議があったようです。当たり前ですね。もしそうでなければ、K 氏はサイトを閉鎖していなかったでしょう。私からの批判を受けて「自分としてはなんのやましさもないと言えばウソとなりますが、まあ自分のなかで許容範囲といいますか、そこまで大きなことをしたつもりもなかったわけで、そこについて結構なお言葉をちょうだいしました。」と、書いていたのですから。

           

           

          こんなことに貴重な時間を費やしたくないので、もうやめにします。最後に私が K 氏に送ったメールを引用します。

           

          >あなたが謝罪しなければならないのは、あなた自身と塾を探している親御さんや子供たちに対してです。それくらいのこともわかりませんか。僕の塾にはあなたほど頭はよくなくても、あなたの何倍も素直で、自分をごまかさない正直な生徒が通ってきています。生徒があなたのような人間にならないように僕は指導しています。中途半端に頭が良い人間は、あなたのような末路をたどるのです。

           

           

          | 塾・学力 | 16:40 | comments(0) | - |
          なりすまし塾長 K 氏が第三者をかたって自分の塾を宣伝している話
          0

            今回のタイトルを見ていやだなあと感じた人は、まっとうな感覚の持ち主です。このタイトルは『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』というなんとも下品な本のタイトルをまねたものです。この本については「『ビリギャル本』の詐欺性について」ですでに批判しています。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=292

             

             

            それはともかく、大分市田尻にある塾、学習空間Lの、なりすまし塾長 K 氏を批判する動機から述べます。

             

             

            3・11以降、私たちの社会は、つじつま合わせの虚構が大手を振ってまかり通る社会になりました。森友学園の問題は氷山の一角に過ぎません。さらに、愛さえもが等価交換的なつじつま合わせに利用される、救いのない世界になったと多くの人が気づいています。「愛さえも」と書いたのは、愛は自己の存在をかけて戦うことができる最期の保塁だからです。

             

             

            「愛だって?そんなもの金で買えるよ」と言い放つIT長者が続々と社会の表舞台に登場して以来、この傾向はますます加速しています。こういった言説の幼児性は彼らの精神の未発達に由来するのですが、今はそのことには触れません。

             

             

            社会の虚構性に気づいた人は、「自分だけが取り残されるのではないか」という不安を感じているはずです。しかし、それは真実への気付きであり、まっとうな感覚です。なぜなら、それは虚構で成り立っている世界にうまく適応して生きている人を見ると「うらやましい」と思う反面、「こいつはバカなんじゃないか?」という二重性のまなざしを持つことを意味するからです。

             

             

            この二重性のまなざしを持つことができない中途半端に頭のよい人間は、虚構の世界の中で策を弄し、策に溺れるのです。SNSを通じて過剰な情報を発信し、消費者を無理やり振り向かせても、それは虚構の上に虚構を重ねることにしかならない、ということがわからないのです。

             

             

            本題に入りましょう。事実と意見をわけて論じるつもりです。私の意見は青色で書きます。それ以外は事実です。

             

             

            『大分市の塾』というサイトがあります。

            http://oita-juku.hatenablog.jp/entry/2016/08/20/152811

            その中に「大分市に住む管理人がぜひとも子供を入れたいと感じる5つの塾」というページがあります。

            http://oita-juku.hatenablog.jp/entry/2016/08/30/000000

             

            その最初のページは次のように始まります。

             

            「まず、大切なことを申し上げます。管理人は正真正銘の独身であり、子どもはひとりもおりませんし、複雑な事情で養子縁組をしたなどということもありません。あくまで、『こどもがいたとしたら、この塾に入れてみたい』という観点からご紹介します。」

             

            そして、そのページの最後にも、次のようなくだりがあります。

             

            何度も言いますが、管理人はいまだ独身(年齢は30代です笑)であり、子どもはいません。あくまでも、子どもがいたらという観点でご紹介しました。管理人自身がそこそこの規模の学習塾に勤めていたこともあり、なんとなく小さな規模の学習塾や個人塾に魅力を感じてしまいます。管理人が結婚して、無事に子宝に恵まれるその日まで、これらの塾が存続していてほしいです笑」

             

             

            私はこのページを読んだとき、塾を紹介するサイトなのに、なぜここまで管理人が独身であることを強調しているのか不思議でした。その違和感の正体は後で分かることになります。そもそもこういったサイトを立ち上げる動機が私には分かりませんでした。「管理人自身がそこそこの規模の学習塾に勤めていた」というだけで、大分市のほとんどの塾のHPやブログを読みあさり、評価し、紹介する、その情熱はいったいどこから来るのでしょう。そんなことに時間を費やす元塾教師とはどんな人物なのでしょうか。

             

             

            そして驚いたことに、「5つの塾」のトップに未来塾が紹介されていました。管理人が未来塾を評価していることが伝わるものでした。

             

             

            しかし、2に私が批判した Y 田ゼミが挙げられており、しかも「 Y 田ゼミとの間で『ごたごた』があったようで、過去記事が削除されないうちに読んでください」との解説がありました。びっくりしました。Y 田ゼミとの間で「ごたごた」など一切なかったからです。

             

             

            私はこの時点で、管理人にメールして、未来塾に関する内容をすべて削除するよう要求しました。

             

             

            以下は管理人に送った3月16日のメールです。長いので一部割愛しています。

             

             

             「もしお子さんがおられたら、あなたは本当にこの5つの塾に自分の子供を通わせたいと考えますか?それはいかなる価値判断に基づいてのものですか?特に Y 田ゼミや T 睛塾と私の塾は、「塾」という名前がついていることを除けば共通点はありません。にもかかわらず、5つの塾をひとくくりにして紹介していることに私はびっくりしているのです。これは価値判断を下す統一的な人格が未形成だからこそできることです。

             

             

            私が『未来塾通信55』で Y 田ゼミを批判している記事をお読みになりましたか。

            『災厄の犬 3 - 大分・Y田ゼミ塾長氏』

            http://www.segmirai.jp/essay_library/essay055.html

             

             

            未来塾と Y 田ゼミとはエリアが全く違います。したがって、競合もしていません。私は Y 氏を知らないし、会ったことも、メールしたことも、電話で話したこともありません。つまり、彼を個人攻撃する理由がないのです。ある象徴的なもの(安倍政権を支えるネトウヨの心性)の代表として批判したのです。

             

             

            Y 田ゼミ塾長氏は、私に反論せず、電話もメールもなく、自分にとって都合の悪い過去記事はすべて削除しています。さすがに安倍政権のサポーターだけのことはあります。過去記事は営業に差し支えると判断して削除しただけで、もしかしたら私の批判を読んでいないのかもしれません。

             

             

            私は自分が言ったことの責任は取るつもりです。ブログでも「私は安倍政権を終わらせたい。あなたはどうか?」というタイトルで文章を書いています。これを読めば、世間は私のことを、左がかった教師、分をわきまえず政治に口出しする教師だと思うでしょう。集客にはつながらないどころか、マイナスです。それを承知で、生活をかけて書いているのです。

             

             

            あなたのサイトは、5つの塾をひとくくりにすることで、文化(塾も文化です)に対する価値基準のあいまい化を加速させています。つまり、知的なものの優劣を競う土俵を切り崩しているのです。その自覚がおありですか。そもそも、何が目的で、こんな記事を書いているのか理解に苦しみます。あなたは元塾の講師をされていたようですが、そのことで何を学んだのでしょうか。

             

             

            私は、生徒が生きる社会をよりよいものにしたいと考えているので、大人の一人として政治的な発言をしているだけです。あなたは何をしているのですか。人のブログや HP を読んで適当なコメントをしても、何も生み出しません。塾に未練があるのなら、また個人で再開すればいいではないですか。」

             

             

            二日ほどして管理人の「井上」氏から「修正」した旨の返事と謝罪のメールが届きました。この後、事態は急展開します。メールの Original Message の発信元を見て、「井上」は偽名ではないかと感じたので、その旨を問いただしました。

             

             

            「確認したいことがあります。 Original Message の発信元は k・・・になっています。「井上」は偽名ですか? k・・・という名前には心当たりがあるのですが。「大分市の塾」の管理人が k・・・氏であれば、とんだ食わせ者だと判断します。私にとってはかなり重要なことです。返信をお待ちします。」

             

             

            「私にとってはかなり重要なことです。」と書いた理由は、この数日前、塾長K氏のブログを「大分市の塾」経由でたまたま見つけ、20代ながら頑張っているなと感じたので感想をメールで送っていたのです。同業者にメールをしたのは初めてのことです。しかし、その K 氏が「大分市の塾」の管理人と同一人物であれば、話は違ってきます。この仮説は、当初から「大分市の塾」に抱いた違和感の正体を突き止めるのに十分でした。

             

             

            そこで、返信を待たず、「井上」氏に以下のメールを送りました。

             

            「私がここ数日の間に経験したことは、あなたもご存じでしょう。「大分市の塾」の文体がある塾のブログとそっくりだったので、もしや、と思っていました。一つ一つの事実をジグソーパズルのピースのように適切な位置に置けば、そこにはある絵柄が浮かび上がってきます。ある仮説を立てた時、すべてのことが繋がり、ことの本質が見てとれます。私の言わんとすることはもうお分かりですね。あなたは元塾講師ではなく、現塾講師です。あなたのように、中途半端に頭のいい人間は、策に溺れるのです。」

             

             

            その後、三日ほどして、K 氏から事実を認める旨のメールが届きました。K氏は自分で塾をやる一方で「大分市の塾」というサイトを別に立ち上げ、第三者をよそおって自分の塾に注目が集まるように仕向けていたのです。新手のビジネスモデルというわけです。

             

             

            例えば、「大分市の塾」の次のくだり、

             

            >何度も言いますが、管理人はいまだ独身(年齢は30代です笑)であり、子どもはいません。あくまでも、子どもがいたらという観点でご紹介しました。

             

             

            これは、事実ではありません。K氏は28歳で、れっきとした可愛い娘さんがいます。従って、この記述は、自分がどこのだれかを特定されないようにと周到に煙幕を張ったものです。私がなりすましと呼ぶ所以です。

             

             

            >塾長先生が一橋大学出身だそうで、かなりの高学歴。管理人は足元にも及ばない笑 まだ20代らしく、これからが楽しみな学習塾です。

             

             

            K氏は自分が一橋大学出身だということを売りにしたかったのですね。自分の HP やブログで言うだけでは足らず、「管理人は足元にも及ばない笑」と「第三者」に言わせます。姑息な自作自演です。私はこのくだりを読んでK氏に「あなたが今回やったことは、タチというかスジが悪すぎます。」とメールを送りました。しかし、「スジが悪すぎる」というのが分からない、との返事でした。「事実を記載しただけの事」だというのです。

             

             

            K氏の「大分市の塾」における巧妙ななりすましは、普通の倫理観を持っている人間にはできません。それとも、同じようなことをしている塾教師は大勢いるのでしょうか。自分のブログでは、信頼関係がすべてだと言っておきながら、他方では「事実を記載しただけの事」と居直る。これを「スジが悪すぎる」と言ったのです。

             

             

            最新のブログでも、K氏は「自分としてはなんのやましさもないと言えばウソとなりますが、まあ自分のなかで許容範囲といいますか、そこまで大きなことをしたつもりもなかったわけで、そこについて結構なお言葉をちょうだいしました。」と書いています。

             

             

            もう終わりにします。K氏にとっては、今回の件は許容範囲内の小さなことだったのでしょう。しかし、神は細部に宿る、といいます。いったん姑息な手段でスタートすれば、初発の属性はどこまでもついて回ります。人間はそうそう変われるものではありませんからね。以上の指摘に対してK氏からは、「世代と言いますか、価値観の違いなのでしょうね。」という返事をもらいました。

             

             

            そうなのでしょう。今の塾業界には、私のような古株は必要ないのかもしれませんね。しかし、来てくれる子供たちを相手に、地域に埋もれるようにして勉強を教えている個人塾の教師もいるはずです。どんなにSNSが発達しようが、教育の基本は人対人です。K氏もそれを目指していたはずです。どうでもいい記事を、ここまで読んで下さった皆様に御礼申し上げます。

             

             

            | 塾・学力 | 16:44 | comments(4) | - |
            受験生の担任が妊娠発覚で「クビにして!」
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              日本社会の劣化はどこに、どういうかたちで現れているのでしょうか。それは末端の教育や家庭の中に現れるのです。私は1年以上前に、未来塾通信56『消費者発想ではこどもは育たない―ある象徴的な出来事』と題してこのことに触れました。http://www.segmirai.jp/essay_library/essay056.html

              その後事態はよくなっているのでしょうか。表面的にはイエスと言えるかもしれません。しかし、「今だけ、金だけ、自分だけ」を突出させる親に眉をひそめている人々の中にも、同じ衝動が薄く広く共有されているのではないでしょうか。長くなりますが以下の記事をお読みください。私のコメントは後日に譲ります。

              週刊女性PRIME 6月2日(木)5時0分配信

              教師を苦しめる、とんでもない要求する、いわゆる“モンスター・ペアレント”。そのストレスで心を病み、休職や、最悪のケースでは自殺に追い込まれる教師も後を絶たないという。教師の心を壊すモンスター親たちの実例を、クレーム対策アドバイザーの関根眞一さんに聞いた。

              ■給食費未払いを開き直り

              ある保護者が給食費・教材費をまったく払わないまま、クラス替えがあり、前担任は異動。新担任は電話や手紙で支払いをお願いするも、効果はなく、家庭訪問へ。母親の身なりからは、貧しい家庭には見えなかった。

              「昨年の担任はそんな話をしなかった。義務教育なのにお金を取るなんておかしい。テレビでもみんな払っていないと言っている」と言うばかり。
              さらに、「違う学校のママは、給食費は校長に払ってもらっている。そんなに子どもに給食を食べさせたいなら、先生が払ってください」母親はこう開き直る。

              「未払いに味をしめたケース。義務教育への話題をすり替えてはいけません」(関根さん)

              ■受験生の担任は妊娠させない

              新婚の女性教師が、受験を控えた中学3年生の担任に。保護者会で、役員のひとりがこう言いだした。
              「子どもたちは大切な時期なので、今年1年は出産することがないようにお願いします。つきましては『出産計画誓約書』を書いてください」

              それから数週間後、女性教師の妊娠が判明。すると、保護者数名が「妊娠は約束違反。クビにしてほしい」「産むつもりなら生徒に土下座して謝罪を」「謝罪文を書いて生徒全員に配って」と要求。

              「SNSの普及で横のつながりが強まり、集団で無理を通そうとするパターンも増えています」(関根さん)

              ■弁当の材料費を要求する

              小学校で、運動会が雨天順延に。すると、保護者のひとりが中止になったことに抗議にやって来た。「天気予報ぐらいちゃんと調べておけ!」「校長が雨男なんだろう」。ついには「弁当の材料費を親戚の分まで支払え。学校から出せないなら、校長が払え!」と弁当の材料費を要求。校長は自腹で支払った。

              「粗暴な行為で脅し金品を要求。これは恐喝行為です」(関根さん)

              ■通知表を修正しろと迫る

              受験熱の高い都内区立小学校。5年生の男子生徒の父親が、成績表に不満があると校長室に乗り込んできた。その生徒は、授業中は居眠りばかりで、宿題もほぼ未提出。

              校長が説明しても、「うちの子を問題児扱いするのか。志望校に落ちたら担任のせいだ」と主張。成績表を一番高い評価に改め、子どもに謝罪するよう求めてきた。

              その後、担任は「通知表を書き直し、届けろ」という父親からの電話を1日おきに受けるように。さらに、「名誉毀損で訴える用意もある」とまで言われてしまった。

              「精神的に教師を追いつめていく手法。第三者の介入が必要です」(関根さん)

              ■友達申請を拒否され報復

              人気者の男性教師に、ある母親がSNSで友達申請。後日、保護者会で教師から、「私生活と仕事は分けているので」と名前は挙げずに断られると、母親は腹を立て、学校のサイトに教師の悪口を流した。

              「娘に色目を使っている」「SNSに保護者の悪口を載せている」という書き込みに、ほかの保護者から「あれは本当なんですか!?」と抗議が殺到。男性教師は校長からSNS退会を命じられることに。

              ■修学旅行をやり直させる

              修学旅行を日光・鎌倉のコースで実施する中学校。ある仲のいい保護者3人が、「娘たちは思い出づくりにディズニーランドに行きたがっている。行き先を変更してほしい」と言ってきた。教師が変更はできないと伝えると、保護者たちは娘たちを修学旅行に参加させず、好きなところへ行かせると主張。

              結局、3人の生徒は修学旅行のかわりにディズニーランドへ向かった。その後、学校では修学旅行の思い出話でもちきり。すると保護者が「なぜもっと修学旅行が大事だと説得しなかったのか。これでは娘たちは仲間はずれだ」と抗議。「もう1度、修学旅行をするべきだ。それまで子どもは登校させられない」と言いだした。

              「子どもを“人質”にした要求。ほかの子の転校を要求するケースも」(関根さん)

              ■とにかく謝罪文を書かせたがる

              生徒たちが授業で使った道具を持ち帰る学期末に、女子生徒が帰宅途中に転倒。すると、母親が「娘は担任教師の指示で、荷物をたくさん持たされて帰り、転んだ。その責任は担任にある」と怒って電話をかけてきた。担任は計画的に持ち帰るよう指導していたことを説明。

              後日、父親が職員室へやって来て、「責任を子どもになすりつける気か!」と担任を怒鳴りつけた。さらに、「管理職の謝罪文に実印を押印して原本を届けろ」と要求。副校長が「提出はできかねます」と断ると、「1週間以内に提出しなければ親戚が殴り込む。ヤクザの知り合いもいる」と恫喝して帰っていった。

              「暴力的で、一歩間違えたら警察に通報されかねない危険な行為です」(関根さん)
               

               
              | 塾・学力 | 12:14 | comments(0) | - |
              壊滅的な日本の英語教育
              0

                今回のオバマ大統領の広島訪問については、複雑な思いがあります。しかし、今はそれには触れません。ただ、宗主国の王様が植民地を訪問した時に、それに付き従って、自分の存在を大きく見せようとする小権力者の滑稽な姿を見て、戦争に負けるということはこういうことなのだと改めて思い知らされました。
                 

                8年前のオバマ大統領の就任演説も今回の広島でのスピーチも、政治色を抜きにして読めば、英文として素晴らしいものでした。日本の総理大臣には決して真似できないものです。その演説の冒頭は次のように始まりました。
                 

                Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
                 

                ここまでは歴史的な事実をオバマ大統領のことばで表現したものです。もちろん過去形で書かれています。問題は次の問いかけの部分です。
                 

                その冒頭はWhy do we come to this place, to Hiroshima? となっていて、以下、現在形の動詞が続きます。
                 

                この部分を読売新聞は次のように訳しています。「我々はなぜこの地、広島に来たのか」 。それに対して朝日新聞の訳は「なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか」となっています。ちなみにNHKは「なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?」となっています。お前は一体何にこだわっているのか、大した違いはないではないか、と言われそうですね。しかし、読売新聞の訳は誤訳です。(追記:朝日新聞の最終版では、「なぜ私たちはここ、広島に来たのか」となっています。これでは、「私たち」はオバマ一行になります。訳した人が違うのでしょう。やれやれ)
                 

                私は塾で英語を教えているので、間違いは間違いだと指摘しているだけです。そもそも動詞の現在形は、「現在」を表わしているわけではありません。現在を含め広く成り立つ安定した状況を表現するときに使われます。したがって、現在を含め長い期間成り立っている「習慣」を表わすのも当然ですね。つまり現在形を使っている時には、状況との強い一体感を感じているわけで、時間を意識しているわけではないのです。したがって、現在形で話している人にWhen?とたずねるのはナンセンスです。
                 

                読売新聞の訳は「広島に来たのか」と過去形で訳しています。つまり、come の時制が理解できていないのです。さらに「我々」はオバマ大統領一行を指すことになります。それに対して、朝日新聞の(最初の訳の)「私たち」は「人間」すなわち「核兵器の廃絶と平和を願う世界中の心ある人」になります。もう一度言います。現在形は「現在を含め広く成り立つ安定した状況との強い一体感」を表わします。オバマ大統領のWeは、平和を希求する世界中の人々との一体感を表わしています。この違いは大きいのです。
                 

                読売新聞は、安倍政権の広報誌と化していますが、それなりに「普通」の英語力がある人もいると思います。それともアメリカにすべてを捧げたため、英文ですらアメリカ中心の発想で読み取る「文法」が定着したのでしょうか。
                 

                読売新聞でもこのレベルです。文部科学省のやるべきことは、日本の英語教育のレベルを、会話を中心とした「買い物英語」「旅行英語」のレベルに設定することではないはずです。あまつさえ、大学教育をすべて英語でやれば、教育のレベルは限りなく低下します。中学生並みの会話が大学で交わされている光景を想像して見て下さい。目も当てられません。『英語化は愚民化』なのです。
                 

                さてもう終わりにします。私が教えている塾の現場では、個別指導が大はやりです。英語も数学も勉強の中身を細かく切り刻み、分単位・時間単位で費用を設定し、アルバイト学生でも教えられるようにしています。定期テストで1点でもいい点を取らせて「顧客を獲得」する戦術を展開しているのです。そんな塾に限って「講師が命!」などと宣伝しています。
                 

                学習で一番重要なのは、体系を頭に入れるということです。そのためにはその教科の体系を理解している講師がぜひとも必要になります。しかし、そんな講師は塾の経営者の中にはいません。その結果、I bought a car last month, and I like it.という文のitは何を指すかという問いに、a carを指すと答えるような講師ばかりになっています。英語力をつけるのではなく、英語に名を借りたビジネスを展開しているのです。
                 

                このレベルでは、Can I use your pen? と聞かれたのに対して、Sorry, I need it.ityour penと答えることになります。こんな滑稽でバカげた指導が塾では行われています。itは「すでに述べられたものを指す」のですが、それは「内容」のことであって、単なる名詞を指すのではありません。文脈(状況)を含んだ「それ」を指します。つまり、I like it.itは the car I bought last monthを指すのです。

                | 塾・学力 | 13:41 | comments(0) | - |
                集金マシーンと化した塾産業
                0

                  教育は「結果にコミットする」ものではありません。親も教師も不完全な人間です。その不完全な人間がこどもを相手にするのです。こどもの成長のプロセスに寄り添うことで、お互いが、かろうじて成長できる、そういったいとなみです。
                   

                  今の塾業界はこの点を忘れています。いや、最初からそういった視点を持っていないのです。こどもたちの大部分は学校で学び、そこで成長していきます。もちろん知的な面も含めて。それを「受験に役立つ学力」というフィルターを通すことで、こどもたちの知的能力を高めるのに貢献したのは塾だ、と言わんばかりの宣伝を繰り広げます。
                   

                  しかし、現在の塾の本質は単なる集金マシーンだと言っても過言ではありません。大々的に「合格実績」なるものを掲げ、1教科あたりの単価を安く設定し、それを目立つように外壁に大書します。まるで安物の在庫一掃処分です。
                   

                  もはや塾はいかなる意味でも知的な産業とは言えなくなりました。C 級グルメを多店舗展開で売る産業ですね。つまり、採算が取れないと見ると、さっさと店舗を閉鎖し、スケールメリットを生かしてトータルの収益を伸ばす「企業」になりました。
                   

                  私は塾の教師を32年間やってきたので、この変化が手に取るように分かります。そこで、親御さんが騙されないための基礎的な情報を提供してみましょう。
                   

                  個別指導を謳う塾に良い塾はありません。M 光義塾が昨年「ブラック企業大賞・ブラックバイト賞」に輝いたのはご存じのとおりです。そもそも、先生一人に生徒2人又は3人、ひどいところになると4〜5人のところもあります。これで「個別」指導といえるのでしょうか。
                   

                  しかも指導時間は全員で1時間30分。すべての生徒を平等に教えたとして、3人の場合1人最大30分です。これなら講師が一人で3〜4人の生徒を相手に、1時間30分フルに教えた方が断然効率的です。実力もつきます。
                   

                  しかし、現実には4人で1コマ50分という塾もあります。これはもはや「個別」指導ではありません。しかも一コマの授業時間が50分では、実力のつきようがない。これは私の経験から断言できます。
                   

                  ではなぜこのような「商品」を売りに出すのでしょうか。費用対効果を考えて、1コマの見かけの単価を安く設定するためです。これは徹頭徹尾企業の論理です。
                   

                  例えば、週2回、英語と数学を受講するとします。授業時間は1回50分です。これで一カ月の費用がいくらになるか計算してみて下さい。この種の塾は、授業時間が短い割に月謝が高いことを、「個別指導」と見かけの単価を安く設定することでカムフラージュしているに過ぎません。しかも狭く区切られた場所を講師が移動して教えるので、声が聞こえます。集中して勉強などできません。
                   

                  それでも「個別指導」を謳うのは、生徒1人の料金を高く設定できること、大学生や主婦を安い賃金で雇用できることのほかに、それが消費者(親やこども)の求める流行りのスタイルだというのが理由です。これで成績が上がるわけもないのです。上がったように見えるだけです。
                   

                  私が塾を始めた32年前、この業界にはまだ知的な雰囲気が残っていました。学習面では厳しく指導しつつも、こどもの成長を願い、学校と塾の関係に気を配っていた塾教師も少なからずいました。例えば、在野の哲学者で『日本精神史』の著者でもある長谷川宏氏など。塾を始めたばかりのころ彼の『赤門塾通信』を読んでは励まされていました。
                   

                  しかし、目を血走らせた「ビジネスマン」がこの業界に目をつけ、事態は急速に悪化していったのです。社会が劣化の速度を速めるのと並行して、教育産業も劣化していきました。そこで失われたものは、こどもがこどもでいられる空間と時間です。個別指導という授業形態を含め、「ビジネスマン」や「経済学」が教育にもたらした影響について次回以降も書いていきたいと思います。

                  | 塾・学力 | 16:08 | comments(0) | - |
                  シンボルとしての学歴の効用
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                    今の社会では、学歴とは出身大学のことを指すようですが、具体的に学歴はどのような力を持っているのでしょうか。今ここに東大卒で一流企業に勤めている青年と、 高校中退で町工場に勤めている青年がいたとします。若い女性から見てどちらが結婚相手として魅力があるでしょうか。
                     

                    例えば、高校中退の男性と付き合っていた女性が、東大卒の一流企業に勤める男性と出会い、そのライフスタイルや人脈の広さ、余裕のある生活に感嘆し、それまで付き合っていた高校中退の男性と別れたとします。
                     

                    しかし、背伸びをして付き合うことに疲れ、すべてを合理的な考えで割り切る相手の姿勢に違和感を覚えます。そして、自分に本当にふさわしいのは高校中退の彼だったと気づきます。そして彼のところへ帰ります。寛大な彼は「君を待っていた、きっと戻ってくると信じていた」と言います。
                     

                    これがドラマの最終シーンであれば、めでたしめでたしとなります。しかし、現実はドラマではありません。最終回の劇的なフィナーレはおとずれません。人生は続き、帰った翌日から生活が始まります。結婚し、こどもが生まれ、日々の生活はやりくりの連続となります。こどもの学校も近くの公立小学校以外の選択肢はありません。余裕のない生活からケンカの絶えない二人になります。
                     

                    そして、「ああ、あの時、東大卒の一流企業に勤める男性と結婚していたら、こんなみじめな思いをせずにすんだのに」と、女性は思います。
                     

                    つまり、学歴は、ありえたかもしれない物事のよい面だけを空想する女性(当然男性も)に、見果てぬ夢を提供する効用があるということです。

                    夢はいつか覚めます。そして、その夢が悪夢に変わることもあるのです。東大卒の一流企業に勤める男性と結婚していれば、
                    子育ても費用対効果で考え、生活そのものが何かを達成するための手段とみなされていたかもしれません。最悪の場合、「結果を求められる」ことに疲れたこどもが反抗し、命の危険にさらされる日々が待っていた可能性もあるのです。しかし、その可能性をすっぱり切り捨てるのが学歴の効用というわけです。
                     

                    人間は幸か不幸か、一度に二つの人生を生きることができません。自分が選んだ人生を引き受け、その中で伴侶を愛し、ともに苦労を重ねる覚悟をしなければなりません。要は、それに値する人を見極めることができるかどうかです。
                     

                    つまり、「自分に本当にふさわしいのは元の彼だったと気づき、帰った翌日から生活が始まり、結婚し、こどもが生まれ、日々の生活はやりくりの連続となり、こどもの学校も近くの公立小学校以外の選択肢はなく、余裕のない生活からケンカの絶えない二人になる」こと自体が、実はほとんどの家庭で起こっていることです。見方を変えれば、そういった生活こそが幸福の形なのかもしれません。幸福な家庭はどこも似ている、と言ったのはトルストイです。3・11の東日本大震災と原発事故がこのことを教えてくれたはずです。そして、平凡だけれど幸福な生活を支えていた基盤そのものが崩壊しつつあるのが今の日本の現実です。
                     

                    学歴の効用のもう一つの事例をあげてみます。

                    結婚が決まった若い女性に、結婚相手のことをしつこく尋ねるオバサンがいるとします。
                     

                    オバサン「ねえねえ、○○ちゃん、あなたの結婚相手はどんな人?」
                     

                    若い女性「そうねえ、スポーツマンで、音楽がすごく好きな人よ」
                     

                    オバサン「それだけじゃ、どんな人かわからないじゃないの。もっと詳しく教えてよ」
                     

                    若い女性「どんな人?う〜ん、そうだ!料理がすごく上手で、食材は近所でとれた、新鮮な野菜が一番だと言ってたわ。この間も近所のおばさんと野菜作りの話で盛り上がってたよ」
                     

                    オバサン「それだけ?どんな人かわかるエピソードはないの?将来性につながるような」
                     

                    若い女性「そういえば、3カ月ほど前、会社の上司とケンカして、辞表を叩きつけたそうよ。機械の安全性をチェックする精密機械を作っている会社なんだけど、ひどい手抜きをしているのに気づいて、それを社長に直談判したらしいの。それで、こんな会社で一生働くのは耐えられない、やめます!と言ったら、社長が、お前のようなはねっ返りはわが社にはいらない、と言ったんですって。辞めてせいせいしたと言ってたわ」
                     

                    オバサン「会社を辞めたって・・・。これからどうすんのよ。結婚するんでしょ!」
                     

                    若い女性「君一人くらい食べさせていけるよ。それに僕のバンドが今度デビューするから大丈夫だと言ってたわ」
                     

                    オバサン「○○ちゃん、あなた正気なの?現実はそんな生易しいものじゃないわよ。会社は辞める、バンドでデビューする?なんなのそれ。どうせ学校もろくに出ていない人なんでしょう」
                     

                    若い女性「学校って、学歴のこと?う〜ん、よく覚えてないな。彼そんなことには興味ないみたいだから・・・」
                     

                    オバサン「ほらごらんなさい。どうせ、ろくな学校しか出てないのよ」
                     

                    若い女性「あっ、そうだ。そういえばこの前彼の部屋に卒業証書があったけど、慶応大学工学部大学院って書かれてたわ。」
                     

                    オバサン「・・・・・」

                     

                    学歴の効用その2は、口うるさいオバサンを黙らせることができる、です。

                    いずれにしても、とるに足らない効用ですね。実存としての人間を深く見つめている人には、学歴は単なるワッペンでしかありません。ワッペンを人に見せびらかして自慢するのは、こどもか自分に自信のない大人と相場が決まっています。おっと、忘れていました。自分たちが国を守っていると勘違いしている軍人さんもそうでしたね。

                    | 塾・学力 | 23:27 | comments(0) | - |
                    童話館ぶっくくらぶ
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                      私には二人の娘がいます。孫が誕生して1歳になった頃から、小学校に入学するまで、私はそれぞれの家庭に毎月2冊ずつ絵本を送り続けました。娘の家に遊びに行った時、書棚を見ると絵本でいっぱいになっていました。先日も、ちょうど本が送られてきたばかりで、孫はうれしそうに開封して読みはじめました。ある時は食卓の椅子に座って、ある時は膝の上に抱っこして読んで聞かせました。


                      私が孫に送り続けた本は『童話館ぶっくくらぶ』http://www.douwakan.co.jp/ehon-no-aru-kosodate/から郵送していただいたものです。毎月の費用は2,000円から3,000円以内です。童話館は大浦天主堂のすぐ近くにあります。春休みに家族で長崎まで旅行してはいかがでしょうか。







                      現在は、お父さんもお母さんも働いている家庭が大部分です。企業社会は大なり小なり結果が求められる競争社会です。「結果にコミットする」というキャッチフレーズがはやるわけですね。それは、人間の思考や行動をある目的達成のための手段にすることを意味します。しかし、ある限定された場所でしか通用しない考え方を、絶対的な価値として内面化してしまうと、そういう発想からなかなか抜け出ることができなくなります。


                      今の働き方は人としておかしい、限界を超えていると思っていても、それを口に出すことはできません。これが企業社会の現実だ、みんな我慢して耐えているのだ、一人だけ弱音を吐くわけにはいかない、と自分に言い聞かせて踏ん張っているのです。


                      しかし、こういった考えを疑いもせず、それを前提にしてこどもに接すると、こどもの魂はひどく傷つくか、委縮してしまって、将来に希望を持てなくなってしまいます。こどもたちにとってはその瞬間が、今日という一日が、世界のすべてなのです。その一日は何かを実現するための手段として存在しているわけではありません。


                      例えば、ある男性が妻に先立たれたとします。その日から男性はこどもの面倒を見なければならなくなります。それまで協力しあって子育てをしていたとしても、妻のやっていたことをすべてやることはできません。掃除洗濯、遠足や運動会のお弁当作り、日課表や宿題の点検、ご近所付き合い、こどもの具合が悪くなれば病院へ連れて行かねばなりません。ここに挙げることはとうていできないほどの「負担」がかかってきます。


                      そして何より、こどもと一緒にいる時間を作らなければなりません。取りとめのない話をしながら、最近ちょっと表情が暗いけど学校で何かあったのだろうか、と心配もしなければなりません。そして、企業社会で骨の髄までしみ込ませた「結果を求める」発想が、日々の生活の中では役に立たないどころか、障害になっていることに気づくのです。


                      なぜなら、こどもと過ごす時間こそが生活そのものであり、人生そのもののはずだからです。こどもの世話を「負担」に感じるということは、企業人としての発想から抜け出ていないということです。逆にいえば、
                      こどもと一緒に生活することで、企業人としての生き方を見直すことができる、そういう通路が目の前に開けるのではないでしょうか。


                      かけがえのない時間をいっしょに過ごさずに、前回書いた『速脳速読教室』や、あれやこれやの手を使って売り上げを伸ばそうとしている塾にこどもを預けるのは、体のいい子捨てに他なりません。その対極にあるのが、お母さんやお父さんによる絵本の読み聞かせです。こどもを抱いて読み聞かせをしている親の姿ほどほほえましくて、人の心を打つものはありません。こどもをパソコンの前に座らせて、眼球運動と脳を連動させるべく怪しい理論の信奉者に育て上げることは、勉強に名を借りた一種の虐待に近いと思います。



                       
                      | 塾・学力 | 16:17 | comments(0) | - |
                      早稲田大学のAO・推薦入試について
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                        入試改革を進めていた早大は、2015年12月2日の記者会見で、その内容を発表しました。AO・推薦入試による入学者は、現行では全体の4割を占めるが、大学創立150周年を迎える2032年までに6割に引き上げる、というものでした。

                        理由の1つとして、早大では、入学後の学業成績を見ると、AO入試の入学者が最も良く、続いて推薦入試の入学者がよかったことを挙げています。資料では「本学への入学を心から志望し、受験の段階から入学後の学修VISION を明確に思い描きながら努力してきた者は、実際に入学してからも活躍できる」としています。要するに、モチベーションの差が大学入学後の成績に影響すると言っているわけです。


                        加えて、この30年間で関東圏以外の地方の学生が1割ほど減ってしまった対策として、18年度入試からは、新しい形のAO入試「地域貢献型人材発掘入試(仮称)」も行うと明らかにしました。


                        AO・推薦入試といえば、学力低下の元凶だと考えられてきました。大学教育をビジネスだと割り切る大学では、一人でも多くの学生がほしいわけですから、早々と推薦合格を出し、他の大学に学生を取られることを防止しようとします。いわゆる青田買いです。その結果、まともに勉強しなくても大学生になれるのですから、低学力の生徒はますます低学力になります。大学に入学して中学レベルの基礎が分かっていない学生を特訓しなければならないといった笑えない話もあります。


                        しかし、早稲田や慶応をはじめとする高偏差値大学では、AO・推薦入試といえども、一般入試によって作り上げられたブランドを前提として受験生が応募してくるわけですから、それなりの質は確保されます。学生の個性や目的意識を見るといっても、それは高偏差値大学という前提・下支えがあってのことなのです。


                        早稲田や慶応にAO・推薦入試で合格すれば、世間は多少のねたみをこめて称賛しますが、地方の低偏差値の大学にAO・推薦入試で合格しても、誰も相手にしません。「はは〜ん、さては・・・」ということで、なるべくその話題を避けようとします。つまり、AO・推薦入試も二極化しているのです。


                        早大の鎌田薫総長は、「AOは駄目な入試といわれているが、実のところ卒業時の成績は一般入試組よりAO組のほうがずっとよい」と学力低下に否定的な見方をしています。私が上で述べたからくりに気づいていないのでしょうか。さらに、理想としては、AO入試に統一して、バリエーションを増やし、将来的には、AO入試を年中やって通年化を図りたいとのことです。また、一部の学部では、一般入試の全廃も検討すると述べています。


                        その上、留学生を含めた多様な人材を集めることも目的だとし、「米国の大学に倣って、世界中で信頼できる人にその地域での選考を任せる、というやり方もある」と言っています。


                        同調圧力が強く、空気を読むことを何よりも重んじる社会で、鎌田総長の言うように事はうまく運ぶでしょうか。無理でしょうね。「米国の大学に倣って、世界中で信頼できる人にその地域での選考を任せ」れば、公平であるべき選考が利権の温床となり、金と権力を握った者に左右されるのは火を見るより明らかです。


                        そもそも、世界中で「信頼できる人」はどうやって、誰が、どういうプロセスで選ぶのでしょうか。あるプランを発表する時には、それが何を引き起こすことになるのか、「意図せざる結果の法則」も考慮に入れて、具体的事実に即して考えるべきです。


                        こういうアメリカナイズされた発想というか大言壮語が引き起こす結果は、アメリカ社会のいたるところに転がっています。つまり「1%が99%を支配する」社会です。階層の固定化や富の偏在が何をもたらすのか、あるいはもたらしたのか、歴史を見れば明らかではありませんか。調べてみると、鎌田氏は第二次安倍内閣で
                         教育再生実行会議の座長を務めていることが分かりました。なるほどね。


                        長くなるのでやめにします。最後に一つだけ(なんか最近これがパターンになってきましたね)鎌田総長に素朴な質問をしたいと思います。「卒業時の成績は一般入試組よりAO組のほうがずっとよい」そうですが、これって何か重要な視点が欠けていませんか?



                        卒業時の成績をなぜ入試の選抜方法と関連づけるのでしょうか。肝心な大学教育の中身はどこにいったのでしょう。大学教育の中身が学生のモチベーションを高めるものであれば、当然、卒業時の成績は良くなるはずです。大学がやるべきことを怠っておいて、卒業時の成績と入試の選抜方法に関連性があることを見つけて得意になるなんて、バカなグローバリストのやることです。志村けんではありませんが、「こりゃだめだ〜」。
                         

                        | 塾・学力 | 17:42 | comments(2) | - |
                        全員が合格しました!よかったね。
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                          今年の高校入試は、上野、舞鶴、豊府、西高、鶴高とそれなりに倍率も高かったのですが、塾生は全員合格しました。塾を始めて32年になりますが、上野丘と舞鶴の合格率はこれまで通り、99%を維持しています。それ以外の高校の合格率も98%です。塾をしている以上、入試の結果を知りたいと考えている保護者の方もいらっしゃると思いますので、事実を書いています。
                           

                          私は、東大や早稲田の名前を冠した塾名にしたり、「結果にコミットする!」だの、「パッション(情熱)」だの、やたら横文字を使った宣伝や、「成績上げなきゃ塾じゃない!」などといったキャッチコピーを使うことができません。私にも羞恥心があるからです。生活費の中から塾の月謝を捻出している親御さんのことを考えれば、成績を上げるのは塾として最低限のつとめでしょう。「病気治さなきゃ医者じゃない」などというコピーを、まともな医者が掲げるでしょうか。


                          ビジネスのプロ」から見れば私の言っていることはきれいごとでしょう。利潤を上げるためにはなりふり構わず「顧客」を獲得することが必要で、「企業」が生き残るためにはきれいごとを言っている暇はない、ということなのでしょう。

                          しかし、ビジネスマンに教育をまかせるわけにはいきません。彼らは何もわかっていません(このことは後日詳しく論じるつもりです)。私は、できることならこの種のコピーに反応してこどもを塾に入れようとする親御さんや生徒さんの相手をすることは遠慮したいのです。したがって、この種のコピーは必要ありません。学力を下支えする落ち着きがないところで消耗戦を戦うのは不毛だからです。
                           

                          それにしても、こんなコピーを出す塾は、よほど生徒の成績を上げるのに苦労しているのでしょうね。入塾当初は物珍しさも手伝って成績が上がるのは当然です。それまでテスト対策をすることもなく、家でろくに勉強もしていないこどもたちに勉強させるのですから、成績が上がらない方がおかしい。しかし、問題はその後です。教師のパフォーマンスにも飽き、紋切型の授業内容にも飽きた後、こどもたちをどのようにして知へいざなって行くのか。知的な実力と「見かけの成績」が大きく乖離していくのはここからです。
                           

                          先取り学習をしていても、していなくとも、大学受験のころまでには、こどもの知的能力は一定のレベルに達します。現に、地元の公立中学で普通に部活をし、週2回私の塾に通ってくるだけで全県順位が1番になる生徒もいます。上高に進学した後も、部活をしながら塾に通っています。あれやこれやの集客作戦を立て、親に取り入り、不安を煽ってこどもたちを勉強に駆り立てる街中の塾は、いったい何をしているのでしょうか。
                           

                          定期テストで何点アップだの、何人抜きだのといった「実績」を大々的に印刷したチラシを作ったり、見ているだけで目がチカチカしてくる漫画のようなホームページを作ったりする趣味は私にはありません。受験勉強という狭い世界からこどもたちを解放し、社会とのつながりを見出せるようにしてやれば、こどもたちは能力以上の力を出すのです。
                           

                          いずれにせよ、中島みゆきの『ファイト!』が効いたのでしょう。全員が合格しました。よかったね。後は、新しい世界に元気よく一歩を踏み出してもらいたいものです。そして、少なくとも、自分は何をしているのか、何のために生きているのかという問いを、孤独の中で自分自身に問いかける人間になってほしいと思います。それが塾教師としての私のささやかな願いです。

                          | 塾・学力 | 13:11 | comments(0) | - |
                          闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう
                          0

                            今日3月6日は、中学3年生の最後の授業でした。数学の問題を解き、国語では言い換えと対比の観点を忘れずに文章を読むように念を押しました。後は悔いのないように実力を出し切るだけです。授業の最後に、全員で中島みゆきの『ファイト!』を聴きました。著作権の関係で、当ブログでは再生できません。満島ひかりヴァージョンでお聴きください。


                             

                            あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた
                            女の子の手紙の文字は とがりながらふるえている
                            ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
                            悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる
                            私、本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
                            ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
                            私、驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
                            ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です
                            ファイト! 闘う君の唄を
                            闘わない奴等が笑うだろう
                            ファイト! 冷たい水の中を
                            ふるえながらのぼってゆけ
                            暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
                            光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
                            いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
                            やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく
                            勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
                            出場通知を抱きしめて あいつは海になりました
                            ファイト! 闘う君の唄を
                            闘わない奴等が笑うだろう
                            ファイト! 冷たい水の中を
                            ふるえながらのぼってゆけ
                            薄情もんが田舎の町に あと足で砂ばかけるって言われてさ
                            出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
                            うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
                            あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき
                            ファイト! 闘う君の唄を
                            闘わない奴等が笑うだろう
                            ファイト! 冷たい水の中を
                            ふるえながらのぼってゆけ
                            あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
                            ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
                            ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
                            諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく
                            ファイト! 闘う君の唄を
                            闘わない奴等が笑うだろう
                            ファイト! 冷たい水の中を
                            ふるえながらのぼってゆけ
                            ファイト! 闘う君の唄を
                            闘わない奴等が笑うだろう
                            ファイト! 冷たい水の中を
                            ふるえながらのぼってゆけ

                            ファイト!
                             

                            どうもいけません。入試を前にしたこどもたちを勇気づけるつもりが、私がじーんとしてしまって、涙をこらえるのが精いっぱいでした。この歌を聴くと、これから先、いくつもの運命の試練が彼らを待ち受けていることを想像してしまいます。この調子でいくと、来年は、涙をがまんできなくなりそうです。
                             

                            それにしても、中学を卒業して就職しなければならない子どもたちがいた時代、あるいは不合理な社会的因習によって機会の平等が阻まれていた時代に、人々が耐え忍ばなければならなった不遇感はいかばかりだったでしょうか。そして今、6人に1人のこどもが貧困だと言われる社会が到来しています。これは自己責任どころか、100%政治の貧困がもたらしたものです。政治に興味がない人も、政治がもたらす結果と影響には敏感であってほしいと思います。

                            とまれ、いよいよ明後日は入試本番です。生徒の皆さんの健闘を祈ります。ファイト!

                            | 塾・学力 | 19:26 | comments(0) | - |
                            みんな、元気でやっていますか?
                            0

                              数日前、不要になったテキストを処分しようと思い立ち、書棚から取り出していると、一枚の写真が足元に落ちました。これがその写真です。今から20年前、中学3年生の男子生徒と由布山に登った時の写真です。つい昨日の出来事のようです。

                              由布岳の頂上で撮った写真。なにせ、昔の写真なので、古びていて見にくいのですが、雰囲気はわかるでしょう?みんな、元気でやっていますか?


                               

                              もちろん生徒の名前は全員覚えています。左上から酒井君、木田君、中村君、中川君、滝尾君、左下から岡田君、有益君、安藤君です。あと一人いたはずなのですが・・・そう、この写真を撮っている河野君です。みんな元気でやっているかな?そろそろ34〜5歳ですね。家庭を持ち、父親になっている人もいることでしょう。人生の荒波に翻弄されている人もいれば、それほど苦労もせずノホホンと生きている人もいるでしょうね。
                               

                              とにかく元気でいることを祈るだけです。僕は相変わらずです(頭髪は初冬の落葉樹の森のようになりましたが)。その場ですぐ役に立つことを教えるべきだという風潮とニーズに逆らって、その教科が面白くなり、学ぶことが好きになるポイントをじっくり教えています。すぐ役に立つことは、進んでいるように見えますが、実は常に遅れているのです。あるニーズに応えたと思った瞬間、次のニーズが生じます。まるでモグラ叩きですね。これでは教える側も学ぶ側も疲れるだけです。自分でも何をやっているのか分かっていないと思います。
                               

                              教育は情報戦ではありません。多くの人がそう思い込まされているだけです。すべての情報は、新しい情報に取って代わられます。そこで重宝されるのは、その時に最新だと見なされている情報です。しかし、僕が塾を始めたころ教えていた内容や方法論が、今になって注目を集めています。当時、僕は自分の教え方が最新のものだとは思っていませんでした。ある教科の本質を理解するためには、ここを飛ばすわけにはいかないというところを繰り返し教えていたに過ぎません。英語ではコロケイションで単語を覚えるとか、名詞の数え方、冠詞の重要性などですね。
                               

                              実は、多くの人が忘れていることがあります。教育という漠然とした話ではなく、単なる知識や技術の伝達においてすら、最も重要なことはその中身よりも、誰が教えるのか、という単純な事実なのです。教える側が、その教科なり分野なりをどのように受け止め、料理しているのか、その手際、あえて言えば人格的な態度こそが重要です。上達のための本を100冊読むよりも、イチローに一言褒められるほうが、こどもの練習意欲を高めるのと同じですね。

                              僕たちの学びが発動された時のことを思い出して下さい。それは情報としての知識を受け取った時ではなく、ある人間に(本や教師でもかまわないのですが)出会って感化された時ではないでしょうか。少なくとも僕はそうでした。新しい世界のドアが開いたというあの感覚です。その感覚は確実に人間を幸福にします。生命の連続性にも繋がっています。そこで初めて、比喩ではなく、生きているものたちは皆、先達や死者となったものたちに支えられていることを実感するのです。思えば、これは実に当たり前のことです。

                              IT技術の進歩によって、情報格差は解消される方向へ向かいます。いつでもどこでも必要な情報が手に入るようになれば、「情報としての教育」は不要になります。つまり、教師はいらなくなるということです。「塾教師に実力はいらない」と『未来塾通信』に書いたのは10年前ですが、ビジネスとしての教育現場=塾では、
                              すでに現実となっています。
                               

                              これからは、学びを発動させる力量のある教師だけが生き残るでしょう。イチローが野球少年を魅了し続けるのと同様に。学びが発動する瞬間は、こどもたちの顔を見ていれば分かります。それは楽しいことではないでしょうか。その瞬間に立ち会える喜びが、僕に塾教師を続けさせているのです。

                              | 塾・学力 | 23:28 | comments(0) | - |
                              批判的知性はいかにして失われたか−教育産業の役割
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                                言わずもがなのことですが、そもそも批判的でない知性など存在しません。政治権力を独占し、富を一部の人間に集中することで世界をゆがめ、私たちの暮らしを蹂躙し、自由な言論を封殺しようとする勢力を批判することこそが知性の本来果たすべき役割です。なぜなら、本物の知性は、倫理の母胎である「普遍的な感情」に起源をもつため、同じ時代を生きる人々の窮状やいのちの危機を見過ごすことができないからです。

                                今年の1枚


                                 
                                現在、批判的知性が最も欠けているのが、安倍政権の広報機関と化してしまったマスメディアの現場です。最も必要とされる場所に、それがないのです。こういう言説に対して、「偏っている」「左翼」「反日」「恥ずかしい大人(安倍首相の発言)」といったことばが投げつけられます。そしてそれを異常だとも思わない世間の空気が醸成されています。その国の政治のレベルは国民のレベルを表わしているとはよく言われることですが、なぜこんなことになったのでしょうか。
                                 
                                私は30年以上にわたって塾の教師をしてきました。この間、教育の世界で起こった最も大きな変化は、「教育」といえば「受験教育」を意味するようになったということです。その結果、偏差値であらわされる線型の序列性のどこにこどもが位置しているかが、教育がうまくいっているかどうかを判断するモノサシとなりました。教育メディアがこれに拍車をかけています。多くの人々は、この現実を受け入れ、それに適応すべく学校や塾や予備校に関する様々な情報を集めています。
                                 
                                この国では、こどもたちが少しでも「頭がいい」とか「能力がある」と見られると、ごく初期の段階から、受験競争に参加させられます。そこで要求されるのは、受験に役立つ知識を整理・分類して番号を振り、確実に取り出せるようにその収納場所を覚えておく能力です。簡単に言えば、高速事務処理能力と記憶力ですね。現在では通信教育を始めとして、この作業のほとんどを教育産業が肩代わりしています。教育産業は外注産業の別名です。こどもたちに残されているのは、それを効率よく記憶し、カスタマイズすることくらいです。
                                 
                                しかし、膨大な知識をグループ分けすること自体が、思考力や記憶力を強くすることに役立ちます。なぜなら、全体をいくつかのグループに分けるモノサシを発見し、そのモノサシを絶えず見直さなければならないからです。新しい定義を考えたり、二つ以上のグループを一つにまとめる上位概念を考えたりする必要があります。これが論理的な思考を鍛えます。そして最後に、論理的に導き出された二つの結論のうちどちらを選択すべきかという倫理的価値判断の問題が浮上します。しかし、効率とスピードを至上命題とする株式会社化した社会では、この過程は故意に省かれます。
                                 
                                例えばセンター試験の現代文では、あくまで、出題者が本文から合理的に導き出されると考える選択肢が正解とされます。つまり、筆者ではなく出題者の解釈を探り当てることが要求されるのです。センター試験は択一式です。つまり、正解の選択肢が既に与えられています。そこで出題者は正解の選択肢を「隠蔽」(笑)するために、なるべく本文で使われていない言葉を使って、しかも同じ内容になるように「巧妙に言い換えた」選択肢を作るのです。塾や予備校で指導されているのは、「論理的思考力」と銘打ったニセの選択肢を発見する方法なのです。
                                 
                                幼いころからこういった方法を身につけ、めでたく難関大学に合格した暁には、ある特殊な発想と技術を持った官僚予備軍ができあがります。その後、正規軍となった官僚が書いた「合格答案」が、今年安倍首相が発表した「戦後70年談話」です。

                                お詫びという言葉を使っても謝らない。侵略と言いながら日本の参戦の正当さを示唆する。植民地支配への反省を口にしながら日露戦争の勝利が第三世界の希望であったことを匂わせる。全体として強い反省の気持ちを強調しつつも、もうこれ以上は謝罪しない決意をにじませる。こんな論理的に錯綜した原稿が書けるのは、普通のアタマを持った人間には不可能です。

                                小さいときからせっせと塾に通い、有名進学校の答案用紙のレイアウトに慣れ、主観的な感想は客観性を損うと信じ込み、求められているすべての要素を巧みに混ぜ合わせた答案を書くようにトレーニングを重ねた人間だけが書ける文章です。

                                私の知る範囲では、大学教師たちの多くが、政治的な立場とは別に、談話原稿の出来栄えをおおむね高く評価していました。おそらく、論文を採点することに慣れた人たちは、今回の談話原稿の課題達成度の高さと、レトリックの巧みさと、アクロバティックな論理構成の見事さに、高い点数をつけざるを得なかったのでしょう。「う〜ん、これじゃ減点できないよね」とかなんとか言いながら。

                                しかし、この談話には倫理的な責任主体が決定的に欠けています。誰からも文句が出ないように書かれた文章は、誰の心にも届きません。ま、どうせ誰も覚えていないでしょうが。

                                 
                                | 塾・学力 | 15:39 | comments(0) | - |
                                私の国語の授業・その2
                                0

                                  前回のブログの続きです。

                                  わずか3文から成る文章を読んで、どんなことでもいいから400字詰め原稿用紙1枚以上を使って書きなさい、という課題でした。以下がその文章です。

                                   

                                  「1冊の本は、その本が出版された時代の文化的所産である。また、それぞれの本は、その時代の歴史的課題を背負って生まれるといえよう。1980年代の幕開けの年に出版されたこの本も、その歴史的必然性を担って生まれてきた。・・・」

                                   

                                  生徒の答案と私の解説をすべて文字にすれば膨大な量になるので、要点だけを述べます。生徒の反応で一番多かったのは、400字詰め原稿用紙1枚以上も書けない、というものでした。答案の内容には大きく分けて3つのパターンがありました。

                                   

                                  パターン1:難しいことばが使われていて、意味がよくわからないというもの。

                                  パターン2:翻訳した人たちは、頭の良い人たちで、この本を重要な本だと考えているというもの。

                                  パターン3:本は出版された時代の文化的所産であり、歴史的課題を背負って生まれたものであるから、これから直面する課題を予想したり、過去の出来事の原因を究明したりするのに役立つというもの。

                                   

                                  私の予想どおりでした。この文章を批判する答案はありませんでした。そこで、この文章から導かれる私の解釈を示しました。以下がその要点です。

                                   

                                  1:第1文は「1冊の本は」で始めていますが、これは一般論を展開するときに使う表現です。英語で言えばA bookですね。不定冠詞のaは、同じ種類のものが他にもたくさんあることを前提に、その中のどれでもいい一つを取りだすときに使います。どんな本でもいいから、1冊の本をイメージして下さいということです。これは翻訳書です。訳者はこの本の価値を日本の研究者に提供すべきだと考えて翻訳したはずです。ならば、「1冊の本は」で始まる一般論は不要のはずです。「この本は」で始めるべきです。

                                   

                                  2:第1文の後半では、本は「文化的所産である」と述べています。しかし、「文化」とは何でしょうか。辞書を引いてみて下さい。「文化」とは、人間の精神活動によって生み出されたものですね。こういう場合には「文化」ではないもの、すなわち人間の精神活動以外のものによって生み出されたものを考えると意味がはっきりしてきます。鉱物はどうでしょう。魚や爬虫類は文化ですか。違いますね。自然が生み出したものは「文化的所産である」とは言えません。では人間の精神活動は何によって支えられていますか。そう、ことばですね。文化=ことばだと言ってもいいくらいです。日本語が地球上から消滅した時が、日本文化が消滅する時です。本にはことばが書かれてあるのですから「文化的所産である」のは当然のことです。なぜこんな当たり前のことを書くのでしょうか。「1冊の本は」という一般論で始めたために、言わずもがなのことを書いてしまったのです。

                                   

                                  3:第2文の「それぞれの本は」の意味は、第1文の「1冊の本は」と同じです。一般論の繰り返しで、主張が焦点を結ばず宙に浮いています。つまり、この書き方だとすべての本が「その時代の歴史的課題を背負って生まれる」ことになります。では「盆栽の育て方」「麻雀必勝法」「犬のしつけ方」「背徳の人妻」「1か月で10キロやせるには」などという題名の本は、どのような「歴史的課題を背負って」いるのでしょうか。

                                   

                                  4:第2文は「といえよう。」で終わっています。これは評論文などでよくつかわれる表現ですが、皆さんはこういったエラソーな言い方はしないようにして下さい。「と言える」と断定して下さい。ほら、断定すると不安になってくるでしょう。この不安を避けるための言葉が「といえよう」です。要するに文章を書く責任主体をぼかしているのですね。断定すればそれを立証する責任が生じます。その責任と向き合うためには、一般論ではなく、具体的な事実をもとに思考しなければなりません。そうすれば不安を感じなくて済むのです。

                                   

                                  5:いよいよ第3文です。疲れましたね。もう少しの辛抱です。この文の前半に「この本も」と書かれています。この「も」が曲者です。つまり、すべての本と同じく「この本も」と言っているわけですから、結局すべての本は、ということになります。訳者たちの緊張感のなさが、この「も」を生みだしたのです。仮にここを「この本は」としていたらどうでしょう。「歴史的必然性を担って生まれてきた。」と続くわけですから、他の本はそうではないということになります。一般論を述べてきた中で「この本は」と言えば、具体論になってきます。おおざっぱな一般論から具体論へ降りてくることは難しい、と覚えて下さい。

                                   

                                  6:以上みてきたように、この文章は一般論として、すべての本は「出版された時代の文化的所産」であり、「歴史的課題を背負って生まれる」のであり、「歴史的必然性を担って」いることになります。注意すべきは、この訳者たちは「歴史的課題」と「歴史的必然性」を同じ意味だと考えていることです。しかし、「必然性」とは何でしょうか。「必ずそうなるときまっている性質」のことです。例えば太陽は東から昇ります。これは必然です。このように必ずそうなるときまっているはずの事柄が、なぜ「課題」になるのでしょうか。太陽が東に昇るのは、そうなるように努力すべき「課題」なのでしょうか。要するに、必然であるものは課題にはなり得ないのです。皆さんは不合格になることが決まっている試験のために努力できますか。わずかでも合格の可能性があるからこそ努力するのでしょう。そうなるに決まっているもの、それ以外ではあり得ないものを努力の目的とすることはできません。努力によって変えられるからこそ、課題となるのです。

                                   

                                  以上述べたことから、「訳者序」は全く無駄であるばかりか、この本の価値を貶めている可能性があります。

                                   

                                  以上が私の授業です。もちろん実際にはもっとかみ砕いたやさしいことばを使っています。脱線や比喩を使い、文章を読むことはそれを批判することと同じだと訴えました。続きは次回のブログに譲ります。

                                   

                                  | 塾・学力 | 21:58 | comments(0) | - |
                                  私たちはいかにして批判的知性を失ったか−私の国語の授業1
                                  0

                                    私は塾の教師をしているので、たまにはどんな授業をしているのか公表してみたいと思います。塾を始めて30年以上になりますが、この国の批判的知性の衰弱を目の当りにしてきました。その影響を日々の授業の中で感じることが多くなったのです。

                                     

                                    塾の教師は入試対策をしていればいいのだという考えもあります。過去問を研究し、問題の解き方を教え、最小の努力で最大の効果を上げるように指導するのが塾教師の仕事だというのが世間的な共通了解でしょう。要するに、塾や予備校をはじめとする教育産業は、費用対効果の最もすぐれた学習方法を提示し、市場で生き残るために生徒や社員のことよりも売り上げのことを考えるという点で、一般の企業と何ら変わりはありません。

                                     

                                    しかし、こういった産業がある程度幅を利かせ、それなりの市場規模を誇っている国は、先進国の中で日本だけです。親にとって塾はこどもが高校や大学に入るまでの一時的な投資先に過ぎません。今では塾だけでなく学校もそう考えられています。そのため、深刻な問題が発生しても、自分のこどもが巻きこまれさえしなければ、積極的にかかわろうとはしません。こうして現に表面化しているこの国の危機は、手つかずのまま先送りされて行きます。

                                     

                                    話を元に戻します。今回問題にしたいのは「最小の努力で最大の効果」を上げることが果たして可能なのか、可能だとしてもそれは適切なことか、という点です。あるルールに従えば入試問題が簡単に解けるかのように生徒を錯覚させることと、文章を正確に読むこととの違いを話したいのです。

                                     

                                    私は普段は英語と数学を教えていますが、教科の枠を超えて、こどもたちの言語の運用能力(数学もある意味で数式ということばの運用能力です)そのものの低下を痛感することが多くなりました。これは、ことによると運用能力以前の、ことばに対する向き合い方に地滑り的な崩落現象が起きているせいではないかと考えたのです。それを確かめるために、普段はしていない国語の授業を夏期と冬期の講習会ですることに決めました。

                                     

                                    今回は、今年の夏期講習会の国語の問題を取り上げます。入試問題を解く前に、「文章を読むとは、どういうことなのか」を生徒に考えてもらおうと思いました。これまで遭遇した意味不明の文章や、論理構造が破綻しているため何を言いたいのかわからない文章、政治的な意図を隠蔽するために感性に訴えた文章などを集めた私のノートからピックアップしたものです(最近はコピペができるようになったので保存が楽になりました)。中学1年生から高校3年生までの生徒全員にやってもらいましたが、私の解説も含めてそれぞれの授業で2時間をフルに使いました。

                                     

                                    ここから問題

                                     

                                    ― 以下の文章は、米国のある大学のグループがまとめた理論集を、日本人2名の研究者が翻訳した際に書いた「訳者序」の冒頭部分です。「訳者序」とは、本の最初に書かれている「はじめに」や「まえがき」にあたるものです。

                                     

                                    「1冊の本は、その本が出版された時代の文化的所産である。また、それぞれの本は、その時代の歴史的課題を背負って生まれるといえよう。1980年代の幕開けの年に出版されたこの本も、その歴史的必然性を担って生まれてきた。・・・」

                                     

                                    <問>

                                    この文章を読んで、あなたが気付いたこと、考えたことを書きなさい。どんなことでもかまいません。小説や評論文ではなく、わずか3文を読んで感想を書くことなど無理だと思った人もいるでしょうが、それぞれの文をよく読んで下さい。但し、400字詰め原稿用紙1枚以上2枚以内にまとめること。― 

                                     

                                    (生徒が書いた感想と解説は次回のブログに続きます)

                                    | 塾・学力 | 14:24 | comments(0) | - |
                                    「頭がいい人」って、どんな人?・その1
                                    0

                                      「頭がいい人」って、どんな人のことなんでしょうか?偏差値の高い人のこと?では偏差値のない社会や国では、頭がいい人はいないのでしょうか?

                                       

                                      偏差値は学校間や地域間の学力格差になるべく左右されないようにと考え出された単なる統計上の数値に過ぎません。その本質はコンサート会場の整理券のようなものですね。チケットを手に入れようと、一度に多くの人が殺到するとけが人が出るといけないので、予め整理券を配っておくということです。ところが、整理券をもらうために徹夜で並ぶ人も出て周囲に迷惑をかけたりするので、予め学校を通じて模擬テストの結果によって配布するようになっているだけですね。これならけが人が出る心配もありません。でも、整理券を手に入れようとする余り、精神に異常をきたす人も時々いるのです。

                                       

                                       

                                      ところで、その整理券を手に入れるために、夏休みに塾や予備校の夏期講習に数十万円払う親は、「頭がいい人」なのでしょうか?ここ大分市でも、中学受験のために18万円の授業料と15万円の合宿費用、合わせて33万円を請求する個別指導の塾もあります。これでも安いと塾側は言います。33万円は標準家庭の1か月分の生活費です。物事には限度というものがあります。商品に適正価格があるように。小学生の段階からこういう塾にこどもを通わせる親は、「高級バッグ」を買うような感覚なのでしょうね。塾は塾で、うちは「高級バッグ」を専門に扱っている店だと、それとなく宣伝することができます。実はニセモノのバッグなのですが、すでに購入した人も多いので安心するようです(こどもがよく言いますね。「みんな持ってる!」と)。いやはや。

                                       

                                       

                                      学期末のPTAの後、数人のお母さんが廊下や校門の近くで立ち話をしているのを見かけます。こわ〜い光景ですね。そういう独特のオーラを発している集団をみると、私はこっそり迂回して、決して目を合わさないようにしています。

                                       

                                       

                                      会話の中身を想像してみましょう。失礼な!と思われる方もいるかもしれませんが、どうか寛大なお気持ちで笑って読み飛ばして下さい。

                                       

                                       

                                      「夏休みは、こどもをどこの塾に行かせる?費用はいくら?(実は費用のことが一番気にかかっているが、それは聞かないことにしている)。どこそこの○○さんは、○○館に行かせているらしいわよ。成績もトップクラスらしいわね。お父様はお医者様らしいわよ。○○センターに行っている○○ちゃんのお父様は弁護士様らしいわね。うちのお子様も行かせようかしら。でもついていけなかったらどうしよう?」

                                       

                                      「あら〜、○○さんとこの、○○ちゃんは、頭がいいから塾に行かなくても大丈夫よ!(と心にもないお世辞を言う)。夏期講習に行った子と行かない子とでは、2学期になってからすごい差が出るらしいわよ。中学受験の天王山はこの夏休みらしいよ!費用のことなんかいってる場合じゃないらしいわよ!(とは口にしません。そして、内心、お金をかけることがこどものためになるらしい、と信じているようです)」ところで、この短い会話の中で最も頻繁に使われていることばは何でしょう?はい、その通りです。正解は「らしい」でした。


                                       

                                      塾経営の観点からは、塾のたれ流す情報をこれほど無邪気に信じ込んでくれる「純情」なお母さんたちは、「良質」な消費者であり、良い「カモ」です。万が一、こんな会話をしているお母様方がいらしたとすれば、そんなお母様方は「頭がいい人」なのでしょうか。

                                       

                                       

                                      この会話って、少々間抜けというか、自分がなさすぎるというか、お金の使い方がわかっていらっしゃらないというか、教養がないというか、こどもからこども時代を奪っているというか、そんなお金があったら家族旅行をする方がましだと考える方がましだとか、そういう流れにはならないのでしょうか。

                                       

                                       

                                      たまには、安保法制や原発再稼働、10年後の格差社会について考えるとか。頭がいいと言われている人も実は自分の経済的利益を追求しているだけではないかとか、ゆがんだ権力欲を満たしているだけではないかとか。そうだとすれば、今の社会で「頭がいい」ということは必ずしも社会の幸福とは関係がないばかりか、他人を不幸にすることにつながっているのではないかとか、そういった青臭くてまっとうな疑問を持つことも悪くないと思います。

                                       

                                       

                                      でも、幸福とかそんな「文学的」なことを考え出したらきりがなくなるのではないか、主観的な自己満足人間になるのではないかとか。そうなったら貧困層に落ちるのではないかとか。そもそも政府の方針に反対する人たちって経済音痴の「左翼」でしょ。うちのこどもはそんなふうにはしたくない、だからやっぱり頼りになるのはお金だとか。そのためには自分のこどもにはしっかりと学歴をつけさせなくてはとか。親にできることは、せめてそれくらいのことだとか。そしてやっぱり塾に通わせることが不安から解放されるための最良の方法だと自分に言い聞かせるとか・・・。考えるということは、本当に面倒くさいことです。

                                       

                                       

                                      こんなことを書くと、「人が何にお金を使おうと、どう考えようと勝手でしょ!あなたのような、現実を知らない、たかが塾教師に(塾教師様とは言ってもらえない)指図されるいわれはないわよ!」とお叱りを受けそうですね。だから言ったのです。「こっそり迂回して、決して目を合わさないようにしています」と。

                                       

                                      | 塾・学力 | 13:26 | comments(0) | - |
                                      末期的症状の塾・出版業界
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                                         塾を始めたばかりのころでした。娘を膝の上に乗せ、片言の相手をしながら、名前の書き方を教えたものです。娘の髪からは日向の匂いが立ち上ってきました。日焼けした小さな手に鉛筆を握って、ひらがなを懸命に書いていました。バランスが悪く、お世辞にも上手だとはいえません。それでも私の書いたお手本を見て、必死でまねようとしています。生まれて5年しかたっていない娘は、これが自分の名前だと言い聞かせるように、濃い2Bの鉛筆でノートに練習していました。

                                         

                                        ああ、小さないのちが自分の名前を書いている!世界と自分を分かつスタートラインに立っている。私はことばを失い、娘への愛情がかってないほどの清冽さで襲ってくるのを感じました。それは人生への愛情そのものでした。


                                         
                                         塾で懸命に問題を解こうとしている子どもたちを見ていると、この時の感情がよみがえることがあります。冷静にふるまいながら、時には叱咤しながらも、背負っている環境や能力的な限界の中でもがいている子どもたちに対して抵抗しがたい愛情が湧いてくることがあります。もし人間に、限界や挫折や宿命的な障害がなかったとしたら、どんなに薄っぺらな人生になることでしょう。私はただエリック・ホッファーのように人生を深く生きたいと願っているだけです。
                                         
                                         私のような何のとりえもない塾の教師でも、そこまで言っては終わりだと感じることばがあります。どうすればこれほど薄っぺらな人間認識に到達できるのでしょう。それは人間をモルモットか商品のように扱うことばです。人間を消費者としてしか見ていません。自社の商品を買うように誘導し、手なずけ、侮辱することばです。人間は通販の化粧品やダイエット食品ではありません。
                                         
                                        具体例をあげてみましょう。
                                        9年ほど前、『未来塾通信16:お受験キッズ誌の下品さについて』
                                        http://www.segmirai.jp/essay_library/essay016.htmlで書いたのでコメントは省略します。モルモットにされたくなければお読みください。親のリテラシーが試されているとしか言いようがありません。

                                        まず書名から。
                                        『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』角川出版
                                         
                                        本の新聞広告。出版社は『水王舎』。著者は出口汪。
                                        「出口汪の脳科学による世界一無理のない勉強法。「最強!」の記憶術。記憶の仕方一つであなたの人生が変わります!仕事・語学・試験・あらゆる成果が思いのまま!700万人に影響を与えたカリスマ講師による天才脳を作る技術!子どもの頭がグンと良くなる!国語の力。伸びない子どもはいない!子どもたちの将来は「国語の力」で決まります!全教科の偏差値をグンと上げたい!自分の頭で考える力をつけたい!人生を切り拓く力をつけたい!その願い、本書ですべて叶えます!!」
                                         
                                        ある塾のチラシ。
                                        「最大1カ月・4回分無料授業!定期テストはおまかせ下さい!5教科まるごとセットコース!!定期テストにダンゼン強い!!個別指導で5教科まるごと指導できるのは○○○だけ!!無料の学校別テスト対策。指導力に自信があるから学校成績保証!!保証します!!ここが違うから差が出る!!ひとりひとりを大切にする個別指導。やれば出来る!だから絶対成績アップ!全額返金保証(詳細は塾におたずねください)。」やれやれ。

                                         
                                         

                                        | 塾・学力 | 23:04 | comments(0) | - |
                                        東大は出たけれど・その2
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                                           昨日は、総理補佐官の礒崎陽輔氏(大分舞鶴高校出身・東大卒)と10代の女性との論争を取り上げました。その中で礒崎氏の使った「例え話」によるすり替えを鋭く指摘した10代の女性に軍配を上げました。そして「例え話」=比喩の使い方の中にこそ、論理的な思考力が現れるのだと指摘しました。比喩を適切に使うトレーニングは、論理的思考力ひいては本物の国語力をつけるのに間違いなく役立ちます。
                                           
                                           なぜか。比喩はあるものを別のものにたとえます。つまり、二つの命題なり事柄の間に、重要な点で共通性がなければなりません。それがなければ比喩は説得力を失います。比喩を使う人の知性に疑問符がつくのです。そして何が重要であるかは、何を国民に説得し納得させようとするかという「目的」によります。集団的自衛権の行使容認によって生じるリスクを近隣の火事にたとえることでリスクを過小評価しようとする目論見が、議論の相手に見抜かれてしまったのです。同時に礒崎氏は基礎的な国語力がないことをさらけ出してしまいました。
                                           
                                           

                                          ところが、礒崎氏の上を行く貧弱な国語力の持ち主が現れました。横畠裕介内閣法制局長官です。6月19日、安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会で、国際法上の集団的自衛権と、安倍内閣が主張する「限定的」な集団的自衛権の違いを「フグ」に例え、「毒があるから全部食べたらそれはあたるが、肝を外せば食べられる」と答弁したのです。厳密な法解釈をおこなう立場の法制局長官がこうした「たとえ話」を持ち出すのは異例だと批判されています。法制局長官経験者の一人は「法律論は政策論とは違う。例えを出すのは正確性を欠くことが多く誤解されるおそれもある。条文を離れ、『例え』でやることは好ましくない」と話しています。全くもって基礎的・常識的な反応だと思います。「戦後最も重い法案で信じがたいほど軽い答弁だ。国民注視の法案はフグか。」と発言している人もいます。

                                           

                                          しかし、横畠内閣法制局長官の例えのどこが決定的な誤りなのか指摘している関係者やマスコミ人はいるのでしょうか。「フグに例えるなどけしからん」と言っているだけで済むのでしょうか。

                                           

                                          礒崎氏の「例え」よりも、横畠内閣法制局長官の「フグ」の「例え」が決定的にまずいのはどうしてでしょうか。私の考えを端的に書いておきます。憲法や法律は人間の精神の所産であるのに対して、「フグ」は生き物であり、何かの所産ではありません。自然の産物です。つまり、比喩が有効となる条件である、「二つの命題なり事柄の間に、重要な点で共通性があること」を満たしていません。横畠内閣法制局長官は、人間の精神を無視した非人間的な比喩を用いたのです。礒崎氏も横畠氏も東大で一体何を学んでいたのでしょうか。

                                          | 塾・学力 | 15:37 | comments(0) | - |
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