今回のタイトルを見ていやだなあと感じた人は、まっとうな感覚の持ち主です。このタイトルは『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』というなんとも下品な本のタイトルをまねたものです。この本については
「『ビリギャル本』の詐欺性について」
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=727
ですでに批判しています。
それはともかく、大分市田尻にある塾、学習空間Lの、なりすまし塾長 K 氏を批判する動機から述べます。
3・11以降、私たちの社会は、つじつま合わせの虚構が大手を振ってまかり通る社会になりました。森友学園の問題は氷山の一角に過ぎません。さらに、愛さえもが等価交換的なつじつま合わせに利用される、救いのない世界になったと多くの人が気づいています。「愛さえも」と書いたのは、愛は自己の存在をかけて戦うことができる最期の保塁だからです。
「愛だって?そんなもの金で買えるよ」と言い放つIT長者が続々と社会の表舞台に登場して以来、この傾向はますます加速しています。こういった言説の幼児性は彼らの精神の未発達に由来するのですが、今はそのことには触れません。
社会の虚構性に気づいた人は、「自分だけが取り残されるのではないか」という不安を感じているはずです。しかし、それは真実への気付きであり、まっとうな感覚です。なぜなら、それは虚構で成り立っている世界にうまく適応して生きている人を見ると「うらやましい」と思う反面、「こいつはバカなんじゃないか?」という二重性のまなざしを持つことを意味するからです。
この二重性のまなざしを持つことができない中途半端に頭のよい人間は、虚構の世界の中で策を弄し、策に溺れるのです。SNSを通じて過剰な情報を発信し、消費者を無理やり振り向かせても、それは虚構の上に虚構を重ねることにしかならない、ということがわからないのです。
本題に入りましょう。事実と意見をわけて論じるつもりです。私の意見は青色で書きます。それ以外は事実です。
『大分市の塾』というサイトがあります。
http://oita-juku.hatenablog.jp/entry/2016/08/20/152811
その中に「大分市に住む管理人がぜひとも子供を入れたいと感じる5つの塾」というページがあります。
http://oita-juku.hatenablog.jp/entry/2016/08/30/000000
その最初のページは次のように始まります。
「まず、大切なことを申し上げます。管理人は正真正銘の独身であり、子どもはひとりもおりませんし、複雑な事情で養子縁組をしたなどということもありません。あくまで、『こどもがいたとしたら、この塾に入れてみたい』という観点からご紹介します。」
そして、そのページの最後にも、次のようなくだりがあります。
「何度も言いますが、管理人はいまだ独身(年齢は30代です笑)であり、子どもはいません。あくまでも、子どもがいたらという観点でご紹介しました。管理人自身がそこそこの規模の学習塾に勤めていたこともあり、なんとなく小さな規模の学習塾や個人塾に魅力を感じてしまいます。管理人が結婚して、無事に子宝に恵まれるその日まで、これらの塾が存続していてほしいです笑」
私はこのページを読んだとき、塾を紹介するサイトなのに、なぜここまで管理人が独身であることを強調しているのか不思議でした。その違和感の正体は後で分かることになります。そもそもこういったサイトを立ち上げる動機が私には分かりませんでした。「管理人自身がそこそこの規模の学習塾に勤めていた」というだけで、大分市のほとんどの塾のHPやブログを読みあさり、評価し、紹介する、その情熱はいったいどこから来るのでしょう。そんなことに時間を費やす元塾教師とはどんな人物なのでしょうか。
そして驚いたことに、「5つの塾」のトップに未来塾が紹介されていました。管理人が未来塾を評価していることが伝わるものでした。
しかし、2に私が批判した Y 田ゼミが挙げられており、しかも「 Y 田ゼミとの間で『ごたごた』があったようで、過去記事が削除されないうちに読んでください」との解説がありました。びっくりしました。Y 田ゼミとの間で「ごたごた」など一切なかったからです。
私はこの時点で、管理人にメールして、未来塾に関する内容をすべて削除するよう要求しました。
以下は管理人に送った3月16日のメールです。長いので一部割愛しています。
「もしお子さんがおられたら、あなたは本当にこの5つの塾に自分の子供を通わせたいと考えますか?それはいかなる価値判断に基づいてのものですか?特に Y 田ゼミや T 睛塾と私の塾は、「塾」という名前がついていることを除けば共通点はありません。にもかかわらず、5つの塾をひとくくりにして紹介していることに私はびっくりしているのです。これは価値判断を下す統一的な人格が未形成だからこそできることです。
私が『未来塾通信55』で Y 田ゼミを批判している記事をお読みになりましたか。
『災厄の犬 3 - 大分・Y田ゼミ塾長氏』
http://www.segmirai.jp/essay_library/essay055.html
未来塾と Y 田ゼミとはエリアが全く違います。したがって、競合もしていません。私は Y 氏を知らないし、会ったことも、メールしたことも、電話で話したこともありません。つまり、彼を個人攻撃する理由がないのです。ある象徴的なもの(安倍政権を支えるネトウヨの心性)の代表として批判したのです。
Y 田ゼミ塾長氏は、私に反論せず、電話もメールもなく、自分にとって都合の悪い過去記事はすべて削除しています。さすがに安倍政権のサポーターだけのことはあります。過去記事は営業に差し支えると判断して削除しただけで、もしかしたら私の批判を読んでいないのかもしれません。
私は自分が言ったことの責任は取るつもりです。ブログでも「私は安倍政権を終わらせたい。あなたはどうか?」というタイトルで文章を書いています。これを読めば、世間は私のことを、左がかった教師、分をわきまえず政治に口出しする教師だと思うでしょう。集客にはつながらないどころか、マイナスです。それを承知で、生活をかけて書いているのです。
あなたのサイトは、5つの塾をひとくくりにすることで、文化(塾も文化です)に対する価値基準のあいまい化を加速させています。つまり、知的なものの優劣を競う土俵を切り崩しているのです。その自覚がおありですか。そもそも、何が目的で、こんな記事を書いているのか理解に苦しみます。あなたは元塾の講師をされていたようですが、そのことで何を学んだのでしょうか。
私は、生徒が生きる社会をよりよいものにしたいと考えているので、大人の一人として政治的な発言をしているだけです。あなたは何をしているのですか。人のブログや HP を読んで適当なコメントをしても、何も生み出しません。塾に未練があるのなら、また個人で再開すればいいではないですか。」
二日ほどして管理人の「井上」氏から「修正」した旨の返事と謝罪のメールが届きました。この後、事態は急展開します。メールの Original Message の発信元を見て、「井上」は偽名ではないかと感じたので、その旨を問いただしました。
「確認したいことがあります。 Original Message の発信元は k・・・になっています。「井上」は偽名ですか? k・・・という名前には心当たりがあるのですが。「大分市の塾」の管理人が k・・・氏であれば、とんだ食わせ者だと判断します。私にとってはかなり重要なことです。返信をお待ちします。」
「私にとってはかなり重要なことです。」と書いた理由は、この数日前、塾長K氏のブログを「大分市の塾」経由でたまたま見つけ、20代ながら頑張っているなと感じたので感想をメールで送っていたのです。同業者にメールをしたのは初めてのことです。しかし、その K 氏が「大分市の塾」の管理人と同一人物であれば、話は違ってきます。この仮説は、当初から「大分市の塾」に抱いた違和感の正体を突き止めるのに十分でした。
そこで、返信を待たず、「井上」氏に以下のメールを送りました。
「私がここ数日の間に経験したことは、あなたもご存じでしょう。「大分市の塾」の文体がある塾のブログとそっくりだったので、もしや、と思っていました。一つ一つの事実をジグソーパズルのピースのように適切な位置に置けば、そこにはある絵柄が浮かび上がってきます。ある仮説を立てた時、すべてのことが繋がり、ことの本質が見てとれます。私の言わんとすることはもうお分かりですね。あなたは元塾講師ではなく、現塾講師です。あなたのように、中途半端に頭のいい人間は、策に溺れるのです。」
その後、三日ほどして、K 氏から事実を認める旨のメールが届きました。K氏は自分で塾をやる一方で「大分市の塾」というサイトを別に立ち上げ、第三者をよそおって自分の塾に注目が集まるように仕向けていたのです。新手のビジネスモデルというわけです。
例えば、「大分市の塾」の次のくだり、
>何度も言いますが、管理人はいまだ独身(年齢は30代です笑)であり、子どもはいません。あくまでも、子どもがいたらという観点でご紹介しました。
これは、事実ではありません。K氏は28歳で、れっきとした可愛い娘さんがいます。従って、この記述は、自分がどこのだれかを特定されないようにと周到に煙幕を張ったものです。私がなりすましと呼ぶ所以です。
>塾長先生が一橋大学出身だそうで、かなりの高学歴。管理人は足元にも及ばない笑 まだ20代らしく、これからが楽しみな学習塾です。
K氏は自分が一橋大学出身だということを売りにしたかったのですね。自分の HP やブログで言うだけでは足らず、「管理人は足元にも及ばない笑」と「第三者」に言わせます。姑息な自作自演です。私はこのくだりを読んでK氏に「あなたが今回やったことは、タチというかスジが悪すぎます。」とメールを送りました。しかし、「スジが悪すぎる」というのが分からない、との返事でした。「事実を記載しただけの事」だというのです。
K氏の「大分市の塾」における巧妙ななりすましは、普通の倫理観を持っている人間にはできません。それとも、同じようなことをしている塾教師は大勢いるのでしょうか。自分のブログでは、信頼関係がすべてだと言っておきながら、他方では「事実を記載しただけの事」と居直る。これを「スジが悪すぎる」と言ったのです。
最新のブログでも、K氏は「自分としてはなんのやましさもないと言えばウソとなりますが、まあ自分のなかで許容範囲といいますか、そこまで大きなことをしたつもりもなかったわけで、そこについて結構なお言葉をちょうだいしました。」と書いています。
もう終わりにします。K氏にとっては、今回の件は許容範囲内の小さなことだったのでしょう。しかし、神は細部に宿る、といいます。いったん姑息な手段でスタートすれば、初発の属性はどこまでもついて回ります。人間はそうそう変われるものではありませんからね。以上の指摘に対してK氏からは、「世代と言いますか、価値観の違いなのでしょうね。」という返事をもらいました。
そうなのでしょう。今の塾業界には、私のような古株は必要ないのかもしれませんね。しかし、来てくれる子供たちを相手に、地域に埋もれるようにして勉強を教えている個人塾の教師もいるはずです。どんなにSNSが発達しようが、教育の基本は人対人です。K氏もそれを目指していたはずです。どうでもいい記事を、ここまで読んで下さった皆様に御礼申し上げます。
尚、この話には後日談があります。興味のある方は以下をお読みください。
『なりすまし塾長 K 氏、自作自演の幕を閉じるの巻』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=334