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洪水の年(上)
洪水の年(上) (JUGEMレビュー »)
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マーガレット・アトウッド
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 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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ジョナサン・ハイト
私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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堀部氏のスケッチと自身で撮った写真集。これ見よがしの作家性を前面に押し出したところがない。簡素で謙虚だが、気品に満ちた佇まいは何度見ても見飽きることがない。ブログを書くために、もう一度最初から読み直してみたが、やはり素晴らしい。
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「民主主義が終わってるなら、始めるぞ!」そのとおりです。彼らは「○○大学、○○○○(氏名)、私は戦争法案に反対します」と堂々と個人の責任で発言している。ネット上で匿名で反対意見を罵倒する勢力に比べると何とすがすがしいことか。デモや民主主義について一から考えたい人、あるいは、それくらいのことはわかってるつもりだという学者の皆さんに読んでもらいたい。もちろん大学生や18歳で選挙権を持つ若い人たちにも。ただし、民主主義は感情統治だの多数決だのと言っている橋下徹やホリエモンこと堀江貴史は読まなくてよい。あなたたちはSEALDsの新しさを理解する能力を欠いているから。
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人生をカスタマイズする。
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    漂泊の思い止まず、秋の空気と高くなった空に誘われるようにして1週間ほど古寺巡礼の旅に出ていました。もちろん車での旅です。全行程2500キロ。疲れたと言いたいところですが、実はそれほどでもありませんでした。道中ずっと人生第4期に当たる計画について思いを巡らせていたからでしょう。

     

     

     

    途中、兵庫県宝塚市に自分でこだわりの家を建てた甥を訪ねたり、東京の大手出版社を退社し子供3人とご主人の5人家族で長野県上田市青木村に移住した教え子を訪ねたりしました。この話はまたいつか。

     

     

    留守にしていた間に、色づき始めていたオオバモミジも百日紅もすっかり紅葉していました。時間の流れを感じる季節です。落葉の始末も大変です。

     

     

     

     

     

     

    ところで、出発の前日、第2回大分県合同模試の結果が届きました。

     

     

     

     

     

    毎年、毎回、同じような結果です。今年は途中で塾をやめる生徒もいて、もともと少人数のクラスが5名になりました。3名が上野丘高へ、2名が西高に合格するでしょう。

     

     

     

    私は塾を始めた時から、生徒を特定の高校や大学に合格させることを目標にしたことはありません。地域に密着した小さな塾ですから、授業内容も進学先も地域性に大きく左右されます。それでも全国最難関の大学や国公立大学の医・歯学部に合格する生徒もかなりいます。

     

     

     

    「目指せ県立トップ校」というキャッチコピーは分かりやすいでしょうが、それは前年度よりも少しでも売上を伸ばすことを至上命題にする塾産業のやることで、私のような個人塾の経営者のやることではありません。

     

     

     

    売り上げを伸ばすために、さまざまな宣伝ツールを駆使し、進学実績なるものをでっち上げ、消費者である親や子供たちの意識をコントロールしたり、媚びたりしようとも思いません。

     

     

     

    生徒が多いときもあれば、少ないときもあります。能力の高い生徒が集まる年もあれば、そうでない年もあります。それぞれの時期で偶然出会った生徒たちとの交流を楽しむといった風情で、無理をせずにやってきました。

     

     

     

    そのせいでしょうか、30年以上にわたって一人で塾を続けることができました。この間、いろいろなスタイルの塾が進出しては消えて行ったのを見ると、私の時代遅れの考え方にも多少意味はあるのかなと思っています。

     

     

     

    塾教師として最もうれしいのは、生徒が希望校に合格した時ではなく、むしろ人格的にしっかりしてきたのが分かる瞬間です。当然、それにともなって学力もついてきます。

     

     

     

    人間はAIではありません。テストや入試で求められる知識を効率的かつ短時間でインプットすることなど、土台無理なのです。倫理観や想像力、どこまでも思考を展開したくなる衝動、既存の枠組みを疑う知性、そういったものを代償として払わずに高速事務処理ロボットになることはできません。

     

     

     

    ゲーテは言っています。「地上の子らのしあわせは、何になってもいいから自分が自分であるところのものを失わないことだ」と。

     

     

     

    幸福とは、匿名のシステムにから離脱した時に感じる普遍的な感情です。真の自由がさまざまな制約や桎梏から解放されてはじめて知覚できるのと同じです。

     

     

     

    それにしても、私は何を願望して生徒の前に立ち続けてきたのでしょうか。その自問自答に対する答えは今なら一言で言えます。それは、人生をカスタマイズする意味と方法を教えたいということに尽きるのです。

     

     

     

    私が教えた生徒が、誰でもいい誰かの人生を生きるのではなく、自分自身の人生を生きているのを見ること、あるいはその萌芽に立ち会えることが私の幸せなのです。それを願望して塾教師を続けてきたのです。

     

     

     

    私たちの社会では、教育を通じて、多少のヴァリエーションはあるものの、同じ中身を同じ教科書を使って修得することを要求されます。これは社会にとって必要なことです。しかし、個人にとって本当に必要なのかという問いは封印されたままです。

     

     

     

    かくして、車やIT機器をカスタマイズすることは思いついても、私たちは人生そのものをカスタマイズすることからは疎外されているのです。

     

     

     

    私たちの関心は常に未来に向けられています。社会がそれを推奨し、強制しています。教育しかり。スポーツしかり。もちろん政治もそうです。その結果何が起こるでしょうか。文化の空洞化、歴史の空洞化が進行します。ひいては人格そのものが空洞化するのです。

     

     

     

    私たちが未来に目を向けるのは、欲しいものを手に入れるためです。それは過去の行為から目を背け、あたかも自分がそれに値するかのように自分にウソをつき、自分を偽る可能性があります。何かにつけ結果だけを求める風潮は、こういった人間の身勝手から出てくるのです。

     

     

     

    長くなりました。もう終わりにします。最後に、人生をカスタマイズするときにぜひ思い出してほしい人物を紹介します。彼はすぐに役立つあれこれの知識を教えてくれはしません。しかし、人間の尊厳について教えてくれます。幸福とは何かを教えてくれます。彼は言います。

     

     

     

    「注目すべきことは、未来にばかり関心を奪われると、ありのままの現在が見えなくなるばかりでなく、往々にして過去を再編成したくなるということである」深い洞察力に富む言葉です。(エリック・ホッファー「The Passionate State of Mind」より)

     

     

    | 中高生の皆さんへ | 15:58 | comments(0) | - |
    絶望するのはたやすい。学ぶことをやめればいいのだから。
    0

      相も変わらず同じようなネタをグダグダ書いて何が楽しいんだよ、と言われそうですが、これは私が自分にツッコミを入れているだけです。いいかげんバカバカしいと思うのですが、やめるわけにはいきません。

       

       

       

      それに私の書くものは「ネタ」ではなく、世界を読み解くために必要な真実です。誤った情報や流行りの言葉に騙されて、猿回しのサルの人生を生きるのはまっぴらです。あるいは人生の岐路でどちらの道を選択すればいいのか考えあぐねているうちに餓死するビュリダンのロバにもなりたくありません。絶望するのはたやすいのです。学ぶことをやめればいいのですから。

       

       

       

      お前は何のために、誰のために生きているのか、と問われて答えに窮するようでは人として生きている資格がありません。私はこの青臭い問いに答えようとして生きてきました。そして今思うのは、青年期と老年期に必要なのは哲学だということです。

       

       

       

      結婚して所帯を持ってからは家族のため、子供のために働きました。ひねくれ者の私は、わけのわからない会社のために働くくらいなら、日銭を稼いででも生き延びてやろうと思い、塾教師稼業を続けてきました。

       

       

       

      その結果、エリック・ホッファーではありませんが「私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心を引く本、少々の著述を毎日。これが私にとっては生活のすべてである」と考えるようになりました。タバコではなく、コーヒーですが。

       

       

       

      ところで今日は大分地裁に行く日です。伊方原発差し止め訴訟の原告の一人として、第11回の口頭弁論を傍聴するためです。先日の仮処分の決定を見れば、佐藤重憲裁判長が私たちの訴えを却下することは分かっています。

       

       

       

      安倍政権や金もうけしか考えない電力会社トップの価値観を内面化している人間たちは、仮処分の決定を聞いて「ザマ〜見ろ」と思った事でしょう。しかし想像してみて下さい。私たちの考えや行動が正しかったと分かる日のことを。

       

       

       

      MOX燃料を使っている伊方原発が過酷事故を起こせば、チェルノブイリや福島よりもはるかに深刻な影響をもたらすはずです。端的に言ってこの国は終わるのです。したがって、「その日」が来て、私たちの正しさが立証されることだけはあってはならないのです。権力を持っていない私たちの武器は言論しかありません。

       

       

       

      私たちは言葉によって世界を認識します。言葉が歪めば世界の像も歪みます。「具体的な危険」など存在しない、原発が危険かどうかは「社会通念」で判断すればよい、というのがこの国の裁判所の態度です。安倍首相の言語運用能力すなわち知力と同等なのです。

       

       

       

      彼らの使う紋切型の言葉は、ただ不都合な真実を覆い隠すためだけに使われています。安倍首相の言語運用能力(官僚の書いたフリがな付きのペーパーを読むだけ)と貧困な想像力では、国民がやがて遭遇する破局を予見できるはずもありません。歪んだ人格は歪んだ言葉しか発することができないのですから。

       

       

       

      若者はハロウィンの仮装パレードで浮かれ、それを重大事件のように報道するマスコミ。愚民化政策はかつてないほど成功を収めています。そういった「幸せな日常」が突然破壊される日がすぐそこに迫っています。

       

       

       

      巨大地震の襲来を予告するNHKの番組も、それが原発事故につながってこの国が終わる可能性があることには触れません。いや、わかっているけど報道できないのでしょう。

       

       

       

      実は、この状況を変えるのはコンビニでコーヒーを注文するくらい簡単です。一人一人が真実を学び、声を挙げればいいだけです。しかし、それこそが難しい。格差社会の中では利害が衝突し、「知的で合理的な愚か者」が政治的な分断を加速させているからです。

       

       

       

       

      さて、そろそろ裁判所に行く時間です。たとえ結果が分かっていても、裁判官が原告の訴えに耳を貸さなくても、絶望する必要はありません。なぜなら、今、生きていることが至上の幸福なのですから。

       

       

      | 中高生の皆さんへ | 13:12 | comments(0) | - |
      山本太郎は日本のバーニー・サンダースである。
      0

        私のつたないブログを読んで下さっている皆さんは、私が山本太郎を応援していることをご存じだと思います。彼は何者にも媚びない、忖度しない。ただ国民のことだけを考えて行動しています。つまり、3・11の福島原発事故が生み出した正真正銘の政治家です。

         

         

         

        何度も書きましたが、政治とは、誰もが不可能だと思っていることを可能であると実証し、国民が勇気ある一歩を踏み出せるように説得する営みのことを言います。

         

         

         

        すなわち、現実を絶対化し、その改変を試みる勇気を持たない人間に対して、「現実」は一部の人間の利益に奉仕しているだけであり、したがって取るに足らない思いこみであり、一時的な夢だと喝破して見せることこそが政治の使命なのです。

         

         

         

        日本語もろくに読めず、息を吐くようにウソを言い、カルト教団を頼りにする最高権力者に取り入り、金銭欲と小権力欲を満足させ、自分のことをひとかどの人物だと勘違いしている政治家たち(いわゆるカジノ法案を成立させてこの国を賭博国家に仕立て上げ、防衛大臣の椅子に座ったわが大分県選出の岩屋毅議員のような政治家のことです)の対極にいるのが山本太郎です。彼は常に虎の尾を踏んでいます。その政治活動はいつも命懸けです。

         

         

         

        しかし、マスメディアは彼を助けようとはしません。それどころか若い人たちのなかには、「政権を批判する」行為は「コンビニで店員に怒鳴り散らす」のと同じような「利己的で、はた迷惑で、非常識な行為」だと感じている人もいるようです。これこそが教育の敗北です。

         

         

         

        大げさだと思う人は以下の動画をご覧ください。

        この動画のなかで山本太郎は言っています。「私が総理大臣だったら消費税ゼロです!消費税がこの国の経済成長を阻んでる。阻害要因のNo1です!」と。野党でこのセリフを吐けるのは彼だけです。

         

         

        20181011日。JR藤沢駅前での山本太郎の街宣。動画を見やすいものに変えました。長いですが、まず事実を知ることから始めましょう。彼が挙げている事実、および論理のどこがおかしいのか具体的に指摘するつもりで見てください。国会議員のなかで、国民と直接対話し、質問に答える機会を提供している人がいるでしょうか。それだけでも、私は彼を応援します。

         

         

         

        この動画は、トランプ氏が大統領になる前、2016年の米大統領予備選で旋風を起こしたバーニー・サンダース上院議員を彷彿とさせます。彼についてはブログで何度も取り上げました。最後に過去記事を載せているのでぜひお読みください。

         

         

         

        コーポラティズム(巨大企業と政府が癒着して国民の富を私物化し、軍隊を私兵化すること)のイデオロギーである新自由主義は日米で同時に鬼胎の政権を生みました。今の日本は、客観的な検証に耐えられないどころか言葉を無効化させるトランプ的・安倍晋三的・ネトウヨ的な言説が幅を利かせています。

         

         

         

         

        しかし、それに対抗するように、山本太郎とバーニー・サンダースという真の政治家も生まれました。この二人の主張がいかに似ているか、それを思うと感動すらします。若い人たちは、ぜひ以下の過去記事を読んで下さい。この国の将来を選択するのはあなたたちなのですから。

         

         

         『高校生の英語力向上のために』

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=168

         

        『自分の国のこどもたちに、背中を向けているというのに!』

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=165

         

        『「箱」の外で考える』

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=169

         

         

        | 中高生の皆さんへ | 23:36 | comments(1) | - |
        「自分は何を知りたいのか」と常に問い続ける。
        0

          中高校生の皆さん、お久しぶりです。私は塾の教師ですから本来なら英文法や英文読解、英作文、あるいは数学の基本的で応用の効く定理や発想について語りたいのです。さらには800字〜1600字程度の論理的な日本語を書く方法についても解説したいですね。

           

           

           

          しかし、ブログに書くより塾の授業でやれば済むことではないかと思い、あまり気乗りがしませんでした。そんな折、本庶佑氏のノーベル賞受賞の知らせを聞いて、思うところがあるので、この記事を書くことにしました。

           

           

           

          本庶氏は人生の大部分を基礎研究に費やしてきた人です。氏の短いコメントには、学問にたずさわる人間だけではなく、ジャーナリズムを志す人間にとっても、極めて重要なことが含まれています。

           

           

           

          氏は言います。「できることをやるのはつまらない。自分は何を知りたいのかという、その一点を常に考えて研究をしてきた」「教科書を信じてはいけない。あらゆることを疑うことが大事だ」と。

           

           

           

          私は塾の授業で基礎の大切さを話します。中高校生の皆さんは、先生に「基礎」とは何かを尋ねたことがありますか?数学の基礎とは?外国語を学ぶときの基礎とは?そもそも言語とは何か?と。そして「基礎」はなぜ大事なのか?と。

           

           

           

          「基礎」とは知識のことでしょうか。普通はもちろんそう考えますね。しかし、その数は膨大ですし、試験のために覚えた知識などすぐに忘れてしまいます。ですからその一々を答えるわけにはいきません。実は「基礎」には、ある分野の知識以上の深い意味があるのです。

           

           

           

          本庶氏はそれを経験的に知っています。「基礎」とは、「自分は何を知りたいのか」という初発の動機を手放さず、それを原動力に研究を続ける過程で身につく力だと言っているのです。つまり、様々な知識を体系付け、方向付け、関連付けるために必要とされるメンタリティーを保持し続けることを指しているのですね。そのためには「あらゆることを疑うことが大事だ」と。この態度を身につけていない人の学力は決して伸びません(これは街場のキラキラ塾のAI先生から学ぶことなどできないのです)。

           

           

           

          愚かな裁判官や官僚のように匿名のシステムに埋没するのではなく、皆さんは常に、誰のために、何を知りたくて生きているのか、という青臭い問いを手放してはなりません。なぜなら、青臭い問いこそが人格を形成するからです。

           

           

           

          こうして形成された人格を保持していれば、「あの男」の意図を忖度して公文書を廃棄・隠蔽したり、原発の再稼働にゴーサインを出したり、情報提供を餌に女性記者に迫ったり、セクハラ発言をしたりせずに済むのです。

           

           

           

          「自分は何を知りたいのか」と問い続けることは、自分の時間を主体的に生きることにつながるのです。私が時間にこだわるのは、まさにこのためです。

           

           

           

          昔、塾の生徒だった皆さんは私の脱線話を覚えているでしょうか。多田富雄氏の『免疫の意味論』について話し、これからの医学研究の主流は免疫をめぐるものになると言いました。そこで問われるのは、人間にとっての「死」の意味であると。生き方(職業)ではなく、なぜ生きるのか、つまり、HowではなくWhyが問題になると。

           

           

           

           

           

          そして、フェルマーの定理(3 以上の自然数 n について、 X+ Yn = Z となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理)を証明したワイルズの話もしました。一つの定理を証明するために全人生を捧げた人間の生き方についても触れました。

           

           

           

           

           

          若い皆さんには、世間的な価値や序列にまどわされずに、自分の人生を生きてもらいたいと思います。誰でもいい誰かの人生を生きるには、人生は長すぎます。私のように平凡な塾教師でもいいのです。

           

           

           

          若い頃に読んだ福永武彦の小説『草の花』の最初にたしかペテロ伝前書の一節がありました。「人はみな草のごとく、その栄光は草の花のごとし」と。私はこの一節を心に刻んで生きています。

           

           

           

          | 中高生の皆さんへ | 14:09 | comments(0) | - |
          「素朴な問い」を発する。
          0

            今回は、「佐藤ママにエールを!」さんに反論するつもりでした。しかし、詳しくは次回に譲ります。私は信条として批判やコメントを無視することはしません。なぜなら、他者からの批判を受けとめ、崩落した思考の足場を幾度となく固め直すことによって今の自分があると感じているからです。

             

             

             

            コメント主は、内容と佐藤ママの講演会に行っていることから判断すると、多分女性の方でしょう。彼女のコメントが私のブログを読んだ後で寄せられたものであることを考えると、そもそも彼女に私の言葉が届くはずもなく、徒労に終わるのは目に見えています。それでも、一度は反論するつもりです。それ以降は関わりたくありません。人生は短いし、時間が惜しいからです。この話題は次回また。

             

             

             

            今回は小学生でもわかる「素朴な問い」を発してみます。なぜ「素朴な問い」か?

             

             

            「専門的な問い」に対しては、学者や専門家や官僚による技術的・手続き的・専門的な答えが用意されているからです。専門的な問いに答えるためには、専門的な知識が必要です。その修得のためには人生のかなりの時間を投入しなければなりません。あらゆる仕事はどこかで専門性を帯びているといってもいいくらいです。

             

             

             

            しかし、素朴な問いは批判精神の母胎となるもので、心が正しい位置にありさえすれば誰でも発することができます。いいかげんな専門家のウソを見破ることができます。

             

             

             

            では素朴な問いを発してみます。

             

             

            1:国民に対して常習的にウソをつく人間が総理大臣になってもいいのか?

             

             

             

            9月14日、日本記者クラブでの石破茂氏との討論で「あの男」は次のように発言しました。

             

            「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことはない。ご家族の方がそういう発言をされたのは承知している」

             

            これは真っ赤なウソです。国会で自分自身がはっきり言明しています。さらに2012年12月28日「救う会」との面会で次のように言っています。

             

            「5年前に突然辞したとき、被害者家族の皆さんに大変残念な思いをさせた。私にとってもつらいことだった。私がもう一度総理になれたのは、なんとか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい。この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく。」

            http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_3295.html

             

             

            それにしても首相になるまで自分の政治キャリア形成の踏み台にした家族会に責任転嫁するとは!3年前に紹介した本ですが、是非お読みください。

             

             

             

             

            TPP「TPP絶対反対などと言った覚えはない。」「TPP断固反対!」と大書された自民党の選挙ポスターを貼っていました。「断固」反対とは言ったが、「絶対」反対とは言っていないとでも言うのでしょうか。

             

             

             

            異次元緩和→「ずっとやっていいとは言っていない。出口戦略は黒田総裁の判断。」

             

            アベノミクス→「トリクルダウンなんて言ったことはない。」選挙カーの上から何度も叫んでいましたよ。

             

            現総理大臣のウソは枚挙にいとまありません。書いていたら朝になります。まさに息を吐くようにウソを言うのです。自民党の皆さん、頭は大丈夫ですか?今でも素朴な正義感をお持ちでしょうか?

             

             

             

            2:国民の生活や命をかえりみない人間が総理大臣になってもいいのか?

             

             

             

            ■原発に溜まり続ける高レベル放射性廃棄物の処理はどこでどうするのか。

             

            ■福島第一原発の汚染水はどうするのか。どさくさにまぎれて海へ流すのか。

             

            ■過酷事故が起こった時の住民避難計画がまともにできている自治体は一か所もないが、住民の命は電力会社の利益のために犠牲にされるのか。

             

            ■北海道地震の震源地の目と鼻の先に、2兆円かけても完成しない六ヶ所村再処理工場がある。大きな活断層が二本走っているとされているが、地震で爆発したら日本どころか北半球に壊滅的な被害をもたらす。この事実を知っているのか。

             

            ■「もんじゅ」の廃炉は方法すらわからない。50年経っても廃炉は不可能。

             

            ■南海トラフ地震が迫っていると広報しながら、それでも現総理大臣は原発を粛々と再稼働させている。地震学者が「南海トラフ地震が起これば、日本は世界の最貧国になる」と警告している。しかも、原発の被害は考慮されていない。正気の沙汰ではない。「あの男」に後三年総理大臣をさせていいのか?

             

             

             

            3:自国の領土を他国にプレゼントする人間が総理大臣になってもいいのか?しかも国民の税金数千億円のおまけつきで。

             

             

            北方四島は返ってきません。平和条約の意味が分かっているのでしょうかね。アメリカとロシアの両方の機嫌を取っているうちに、ロシアに領土を取られてしまって、さぞアメリカ様は怒っていることでしょうね。「お前、アホか!」と。ひょっとすると、オバマとヒラリーとトランプの区別がついていないのではないか?みんなアメリカの大統領ですって?たぶん「あの男」の認識はそんなものです。

             

             

            以上ごく一部ですが「素朴な問い」を発してみました。皆さんの意見をお聞きしたいものです。

             

             

             

            | 中高生の皆さんへ | 23:19 | comments(0) | - |
            「下品」な人間と悪の凡庸さについて。
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              トランプ大統領の下僕で頭がピーマンの「あの男」は、外遊(まさに遊び以外の何ものでもない)することで「外交のオレ様」を国民に印象付けたいのでしょう。しかし、やっていることは税金をばら撒くだけで、中身はスカスカです。

               

               

               

              この6年間、彼が挙げた外交の成果があれば、どなたかぜひ教えてもらいたいものです。今回もプーチン大統領にいいようにあしらわれ、ますます国際的な信用を落としています。国のトップとしての威厳などかけらも持ち合わせていません。石破茂氏との討論から逃げる口実を作っているだけだという指摘もうなずけます。

               

               

               

              北方四島は返ってきません。そりゃそうでしょう。四島を返還すれば、アメリカの軍事基地ができる可能性があるのですから。小学生でもわかる道理です。アメリカの言いなりになっている男と外交交渉などできるわけがありません。バカバカしいのでこの話題はここまで。

               

               

               

              今回のテーマは、「下品」な人間とはどのような人間を指すのかについてです。結論から言うと、自己の利益を最大化するために「合法的」に制度(の抜け穴を)を利用し、他人をそのための手段だと見なして恥じない人間のことを言います。

               

               

               

              典型的には「あの男」とその取り巻きの政治家たちを指しますが、彼らの発する言葉や権力的な「体臭」に引き寄せられて、危機意識も歴史的な方向感覚も喪失した人間たちです。いや元々なかったという方が正確です。彼らに残っているのは、目先の利益を求めて現状を肯定し、投資先を探す嗅覚だけです。

               

               

               

              こう書くといかにも悪智恵が働く人間のように思えますが、実は私たちのまわりにもいくらでもいるのです。ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」ではありませんが、やるべきことを立場上普通にやっているだけだと本人たちは思っています。それどころか自分を善き母親だと信じ込んでいたり、国を憂える評論家だと見なしていたりするので始末が悪いのです。

               

               

               

              彼らの共通点は、単に無知だということです。自分の無知を自覚するだけの知性があれば、次々に金太郎飴のような本を出版したり、人前で講演したりできないはずなのですが、彼らは羞恥心も欠いています。

               

               

               

              その中の一人にホリエモンがいます。一部ですが彼の本のタイトルを見てみましょう。括弧内は私のコメントです。

               

               

              「わが闘争」

              (ヒットラーをプリントしたTシャツを着ているくらいですからね。普通の神経をしていたらこんなタイトルの本は書けません。あなたの好きな作家がこのタイトルの本を書いていたらどうしますか。センセーショナルで無神経なタイトルに惹かれて読むでしょうか)

               

               

              「君はどこへでも行ける」

              (人間は発想力次第だと言いたいのでしょうね。さすがに、宇宙に行きたがっているホリちゃんだけのことはあります。でも過去に行ったり未来に行ったり、あの世に行ったりできるのかな。できるのでしょうね。地獄の沙汰もカネ次第といいますから)

               

               

              「お金はいつも正しい」

              (「お金」と「正しい」を「いつも」という言葉でつなぐ神経というか、言語感覚が理解できません。「オレはいつも正しい」と言う代わりにこのタイトルをつけたのでしょう)

               

               

              「英語の多動力」

              (彼が英語をしゃべっているのをテレビで見ましたが、恥ずかしくなるほどヘタクソでした。今時の中学生の方がはるかにうまいですね。そんな彼が英語本を書けるはずもありません。案の定、英語の勉強方法をかき集めたただけの本です。出版社は彼の名前を利用して儲けようとしているのです。魚心あれば水心、というわけです)

               

               

              「好きなことだけで生きていく」(どうぞお勝手に)

               

               

              「稼ぐが勝ち」

              (彼の思考の必然的な到達点です。コメントしようがありません。お金持ちはこの本を読んでせっせと投資しましょう)

               

               

              さて、彼の思考の必然的な到達点をもう一つ紹介して終わりにします。

               

               

              北海道が地震で停電になったとき、彼はさっそくツイッタ―で叫んでいます。

               

               

              「これはひどい。そして停電がやばい。泊原発再稼働させんと。」

              「原発再稼働してなかったのは痛い」と。

               

               

               

              例によってケイザイヒョーロンカの池田信夫も唱和しています。やれやれ。何かといえば原発を再稼働させようとする人間たちの無知には驚くほかありません。彼らの意見に賛同する人たちもいます。

               

               

              「原発アレルギーのママじゃ直近の命は守れない。ニトログリセリンはダイナマイトの原料だけど、それで助かる病気の人もいる。人間はそうやってリスクをマネージメントしながら進化してきたはずなのに」

               

              「安全地帯にあった泊原発が動いていれば全停電なんて起きなかった」


              「泊原発が動いていれば、北海道全域が停電することはなかったのに。原発再稼働反対を叫んでいたお花畑左翼達のせいで、北海道は孤島になってしまった」


              「北海道の停電は原発再稼働反対派による人災と言ってもいいのでは?」

               

               

               

              どれもこれもダイナマイト級の無知・無思考ですが、コメントはまたにします。そして極めつけは、ウヨウヨ湧いてきたネトウヨの皆さんの「柏原発再稼働せよ!」の大合唱でした。「柏」原発なんてどこにあるのでしょう???柏崎刈羽なら新潟にある世界最大の原子力発電所ですが・・・。北海道の話をしているのですよね。実は彼らは原発の名前も場所も知らない痴呆集団なのです。もっとも、鹿児島の「川内原発」を「かわうち」原発と呼んだ経産大臣もいましたが。

               

               

               

              最後に、ホリエモンやその同調者が決して読まない、読めない本を推薦しておきます。拉致被害者の蓮池薫氏の兄で、元東京電力の技術者であった蓮池透氏が書いた本です。冷静な分析、思考のできる若い人に勧めたいですね。

               

               

               

               

              今思い出しましたが、ホリエモンの本を「正しいこと言っているとしか思えない」とコメントしていた大分市田尻にある学習空間K塾長氏や中春日町にあるY田ゼミ塾長氏には勧めません。Y田ゼミ塾長氏は、安倍さん大好き、モモクロ大好き、原発大好きのレイシストであるばかりか、トランプ大統領に「早くデブジョンウンを殺して下さい」とツイッターで懇願していたくらいですから。 

               

              | 中高生の皆さんへ | 23:49 | comments(0) | - |
              当世塾教師仕事の顛末。
              0

                しばらくブログを書いていませんでした。世の中のあらゆることを政治にからめて語ったり、教育のせいにしたりする言説のくだらなさは置くとしても、あまりに心暗くなることばかりです。そこで、気分転換のために毎朝散歩したり、庭木の剪定をしたり、いちじくジャムを作ったり(私の好物です)、頼まれた住宅の設計図を書いたりしていました。

                 

                 

                 

                そうこうしているうちに、8月も終わり、今日から9月です。今朝は散歩している途中で、ひんやりとした空気の層にぶつかりました。散歩から帰って落ち葉を掃いていると、クマゼミやアブラゼミの死骸を発見することが多くなりました。台風21号が去れば、大気の中に秋の気配が濃くなることでしょう。空は高くなり、空気が澄んで遠くの音がこだますようになります。

                 

                 

                 

                30年以上も塾の教師を続けているのに、自分が塾の教師だと意識することはあまりなかったように思います。「プロ教師」などと自己規定するのも大袈裟ですし、生徒の点数を上げることに特化する塾にもしませんでした。おそらく私は生来教師には向いていなかったのだと思います。生活のために始めた仕事を続けてきただけだというのが正直なところです。

                 

                 

                 

                以前は塾の宣伝のために1年に1回はチラシを入れていましたが、それも5年前にやめました。出版・広告業界とタイアップした塾業界のもうけ主義に嫌気がさしたことも理由の一つですが、『ビリギャル本』や『佐藤ママ』に代表される世の中全体を覆うあっけらかんとした反知性的というかカルト的な軽薄さの仲間入りだけはご免こうむりたいと思ったからです。

                 

                 

                 

                私は幻影にすがって生きることもできなければ、意味のない空洞化した言葉を頼りに生きることもできません。開店休業の必要を痛感しているこのごろです。

                 

                 

                 

                それでも先日、中学3年生の模試の結果を返却し、面談をしました。最近は親も子供も、塾をコンビニと勘違いしているのでしょうか、必要なものを手に入れるとさっさと出ていきます。塾の教師はコンビニの店員のようなもので、同じ教室で机を並べて勉強する生徒は、たまたまコンビニで出くわした客に過ぎないといった風情です。以前は誰かが欠席していると必ず「先生、○○君はどうしたのですか?」と心配していたものです。

                 

                 

                 

                そんなわけで現在中3生は7人です。淡々と勉強し、模試の結果を見て私なりに生徒のことを考えてアドバイスします。もちろん、入試までにあと何点伸びると予想したり、思考力や文章力を伸ばす方法を教えたりもします。しかし、私は生徒の適性と潜在能力に一番注目しているので、受験参考書のキャッチコピーや映像授業の講師が言うようなセリフを吐いたりはしません。

                 

                 

                中学3年ともなれば、どうしようもなく小心で軽薄な生徒もいます。点数を金で買うことばかりを考えて塾を物色している生徒もいます。背後に「情報通」の親がいることがわかります。以前ならそういった生徒の愚かさを叱り飛ばしていたでしょうが、今時そんなことを望む子供も親もいません。本気で叱ればきっとトラウマになるでしょう。すべての教科をゲーム化して、クイズ形式で生徒と楽しくやるのが塾になってしまいました。そういうわけで、私の力ではもはやどうしようもない時代になっているのです。

                 

                 

                 

                以下は私の塾の生徒の大分県合同模試の結果です。毎年こんなものです。集中力を欠かなければ、英語も数学も満点がとれていたはずの生徒もいます。情報収集に血道をあげなくとも、入試まで淡々と落ち着いて学習に励めば、どこの高校でも合格するのです。

                 

                 

                 

                 

                今回の全受験生の平均点と塾生の平均点(括弧内)です。

                 

                英語:22,3点(36,3点)

                数学:28,0点(39,3点)

                国語:38,2点(45,0点)

                理科:34,0点(43,3点)

                社会:29,3点(38,1点) 

                5教科平均点:151,7点(202,0点)

                 

                最高点はYさんの253点でした。

                 

                 

                | 中高生の皆さんへ | 23:55 | comments(0) | - |
                誰がこの国を破滅に導いているのか?
                0

                  明日まで塾はお休みです。しかし、若い人たちには、ぜひ以下の番組を見てもらいたいと思います。そうすれば、この問いの答えが分かるのではないかと思います。

                   

                   

                  NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」

                   

                  放送は2018年8月15日(水)午後7時30分

                  再放送は2018年8月19日(日)午前0時05分

                   

                   

                   

                  前回のブログでも述べたように、私たちは新自由主義の価値観に洗脳され、経済効率と快適さを求め、「一消費者」という殻に閉じ込められています。しかし、人間は本来歴史的な存在です。ノモンハンで命令を下した側、それによって命を落とした2万人もの死者と私たちの現在はつながっているのです。

                   

                   

                   

                   NHKの番組紹介では次のように述べられています。

                   

                  「79年前、モンゴルの大草原で日本とソ連が戦ったノモンハン事件。ソ連の近代兵器を前に、日本は2万人の死傷者を出し敗北した。司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念したこの戦いで、何があったのか。新たに発掘した150時間の陸軍幹部の肉声テープには、曖昧な意思決定で紛争が拡大し、責任を現場へ押しつけ自決を強要していった実態が証言されていた。AIでカラー化した、鮮明な戦場の映像で伝える。」

                   

                   

                   

                   

                  ノモンハンの戦いで命令を下した側の愚かさと無責任さ、人間としての情のなさは、戦後を生き延びてよみがえろうとしています。まるでドラキュラが新しい血を求めて冥界から復権するのを待っているように。しかも今度は全国民の命をロシアンルーレットの賭けの対象にしています。私の言うことが大げさだと思う人は、ぜひ4年前に書いた以下の記事をお読みください。

                   

                   

                  「二つの島をつなぐ(2014:7:13)」

                  http://www.segmirai.jp/essay_library/essay051.html

                   

                   

                   

                  話がそれました。今回のブログの主な目的は、上記の番組の紹介(8月15日にこの番組を放送するということは、NHKには本当に優秀な人間がわずかであれ、残っていることを証明しています)と、以下の本の紹介です。(この本についてはすでにRECOMMEND欄に書いています。)

                   

                   

                   

                   

                   

                  著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。

                   

                   

                   

                  戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。

                   

                   

                  | 中高生の皆さんへ | 22:15 | comments(0) | - |
                  映画『おだやかな革命』
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                    昨日は猛烈な暑さの中、伊方原発差し止め訴訟の第10回口頭弁論の傍聴に行ってきました。原告となった以上最低限の義務だと思っています。裁判所に車を停めて、正面入り口に向かう途中、空から焼け焦げたこぶし大のモノが落ちてきました。見ると焼き鳥になったスズメでした。というのは冗談です。

                     

                     

                     

                    裁判所に通うようになってもう2年になります。それにしても、3・11の福島第一原子力発電所の事故は、風化の一途をたどっています。昨日も報道陣のカメラはほとんどありませんでした。それでも画像の通り、『疾風自由日記』のSさんは元気でした。

                     

                     

                     

                     

                    安倍政権になってから、この国の三権分立は絵に描いた餅になっています。最高裁判所事務総局に人事権を握られ、福井地裁の樋口英明裁判長のような真っ当な判決を書ける裁判官は今や絶滅危惧種です。差し止めの判決が出るのは99%ないでしょう。それでも1%の可能性に賭けたいと思います。あきらめたら終わりですから。

                     

                     

                     

                    そして今日、シネマ5に車を飛ばして映画を見に行きました。1週間限定の映画で今日が最終日。朝10時から1回のみの上映です。夏期講習期間中で忙しいのでやめようかと思ったのですが、観て正解でした。タイトルは『おだやかな革命』です。シネマ5さんには再上映とロングランをお願いしたいですね。

                     

                     

                     

                     

                     

                    私はこの映画に勇気づけられました。なぜなら、福島第一原子力発電所の事故の教訓をしっかり受け止めて、それを実践している人たちの生き方が、本当に生き生きしていて楽しそうでしたから。この国はまだ捨てたものではないと思いました。そして、再生のカギは地方の小さな共同体=里山にあると再確認できました。

                     

                     

                     

                    断言しますが、東京一極集中の経済も文化もエネルギー政策もやがて終焉の時がやってきます。それが里山文化つまり日本の農業を犠牲にした上に成り立っていたことに気づく時が来ます。農業と地方を犠牲にし、口先だけで持続可能な社会をとなえる国家など栄えたためしがないのですから。

                     

                     

                     

                    ところで、私は2年半前、似たようなタイトルでブログを書いています。

                     

                    『新しい生き方のヒント−静かな革命』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=101

                     

                    次のForbesの記事もぜひお読みください。

                     

                    『農村を疲弊から救え 大分県の「小さな巨人」利他の思考』

                    https://forbesjapan.com/articles/detail/21963/1/1/1

                     

                     

                    | 中高生の皆さんへ | 23:36 | comments(3) | - |
                    サルでもわかる哲学用語解説。
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                      今回は、難しい哲学用語を誰にでもわかるようにやさしく解説します。では、始めます。冷笑主義(シニシズム)についてです。言葉が難しいですね。でもそんなことは気にしなくてもいいのです。要は慣れの問題ですからね。

                       

                       

                       

                      冷笑主義とはギリシャ哲学の言葉で、本来は無所有と精神の独立を目指し、世俗的慣習を否定する主義のことでした。えっ、難しいですって?簡単に言うと、自分らしく自由に生きるためには世の中の決まりごとに縛られず、むしろ疑ってみることが大事だと考えることです。多くの人が空気を読んでいる態度を冷ややかに眺めることだと言えば分ってもらえるでしょうか。

                       

                       

                       

                      これ自体悪いことではありませんね。むしろ、本物の知性を身につけている人によく見られる態度です。冷笑という言葉のニュアンスから、嫌味な奴だと思われるかもしれませんが、慣れればそれも愛嬌です。仮装された順応主義こそが本物の知性のあり方ですからね。おやおや、また難しいことを言っていますね。わからないところは飛ばして読みましょう。一番最後に、サルでもわかる画像がありますから安心して下さい。

                       

                       

                       

                      ただ、現在の日本では、この冷笑主義は本来の意味とは違った意味で使われています。野党が森友学園や加計学園の獣医学部新設をめぐって、国民の財産を私物化していると批判したことに対して「他に議論すべき重要な問題があるだろう」といって、冷や水を浴びせるような態度を意味するようです。

                       

                       

                       

                      しかし、それは少し違います。現在私たちの社会に蔓延している冷笑主義は、国会で多数を占めている側が結局は数の力で押し切るのに、野党は何を格好をつけているのかと批判し、自らは自民党を支持している責任を転嫁する態度のことです。世の中は結局のところ金と権力を持ったものが動かすのだ、それのどこが悪い、財界バンザイ!富裕層バンザイ!と居直り、言葉の価値(理想)を全く信じない無思考・無思想そのもののことです。

                       

                       

                       

                      いわゆるコミュニケーション力とは、大勢に異を唱えたり、反論したりして場を白けさせないようにする力、つまり「空気読めよ!」と言われることを巧みに避ける力のことを言うようです。今の若い人は、野党に対して「空気読めよ!」と言いたいのでしょうね。そのうち「批判」や「反論」という言葉は、辞書からなくなるかもしれません。

                       

                       

                       

                      およそ私たちの思考は、まず正しい事実があることを前提にしています。しかし、冷笑主義者は、「お前たちの言う事実は、お前たちの基準ででっち上げた事実に過ぎない。」と居直って、基準自体を破壊しています。

                       

                       

                       

                      あげくの果てに自分たちに都合の良い事実を捏造し、公文書そのものが存在しないと言ってみたり、存在していたとしても記憶にないと言ってみたりしてその場を切り抜けます。要するに、多数を握っている自分たちには「事実」を作る資格があるのだと言わんばかりです。

                       

                       

                       

                      長くなるのでやめにしますが、最後にこの冷笑主義を体現している人の顔をとくとご覧ください。私がくどくど説明するより、百聞は一見に如かずです。20日夜の参院本会議で内閣不信任案趣旨説明の演説を終えた枝野代表が頭を下げたのに対して、安倍首相が投げかけた冷笑です。政治家であるにもかかわらず、言葉を信じない人間の顔です。政治とは言葉の闘いです。言葉の闘いから逃げているのは誰でしょう。

                       

                       

                       

                       

                       

                      ちなみに、2時間以上にわたる枝野代表の演説は素晴らしいものでした。近々本になって出版されるそうです。この本が学校の授業で取り上げられることはまずないでしょう。しかし「学校で習ってね〜し」は通用しません。その気になれば、学校の授業など簡単に飛び越えて、いくらでも知的になれるのです。政治に関心のある、つまり、金や権力よりも言葉を信じる中高生の皆さんは、ぜひ読みましょう!

                       

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 23:17 | comments(0) | - |
                      「ひとりの人」のために。
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                        日常生活にまつわるどんな問題であれ、つじつまの合わないことを平気で言い、相手によってそのつど判断を変え、しかもそのことを自覚していない人間と付き合うことはできません。

                         

                         

                         

                        人間ならこういうときにはこう感じるだろう、こう行動するだろうという予測というか信頼があってはじめて共同体や社会は成り立っているはずです。ところがここ数年、正確に言えば3・11以降、この「期待の地平」ともいうべきものが、社会から急速に失われています。

                         

                         

                         

                        目にするもの、耳にするものの大部分がフェイクであり、「つつましやかな日常」自体が、政権やメディアによって都合の良いように偽造され、日々の生活規範である「道徳」までが学校教育によって画一的に押し付けられようとしています。

                         

                         

                         

                        テレビを通じて流される幸福な家族のイメージ、他人から羨まれるような「生き方」の蔓延、ようするにウソのように軽い日常の氾濫で、私たちの感情は限りなく劣化しています。

                         

                         

                         

                        いったいどこに救いがあるのだろうかと思っているときに『万引き家族』を観ました。封切られてすぐに観たのですが、感想を述べる気にならず、ただただ、世間は物事の真実は見ないし、決して正解しないものだという思いがしきりにして、沈黙するしかなかったのです。反面、この映画で少し救われたのも事実です。

                         

                         

                         

                         

                         

                        内容について書くことは省略します。いい映画はとにかく観て、身体で受け止め、残響を反芻するしかないからです。

                         

                         

                         

                        この映画の中で、安藤サクラ演じる女性が、両親から虐待を受けていた5歳の女の子を「誘拐」したということで女性警察官からさとされる場面があります。安藤サクラは夫から受けた虐待の経験(言葉で表現できるわけがありません)から逃れるようにして『万引き家族』といっしょに生活していたのです。

                         

                         

                         

                        女性警察官は言います。「こどもは、やっぱり親の下で暮らすのが一番なのよ」と。それに対して、安藤サクラは一切反論せず、ただ涙を流すだけで、何度も何度も手で涙をぬぐいます。おそらく是枝監督はこのシーンを撮るために映画を作ったのではないかと思えるほどでした。

                         

                         

                         

                        この映画の中には、さまざまなエピソードが挿入されていますが、少年が学校の教科書を読む場面があります。それが『スイミ―』です。皆さんの中には、この話を知っている人も多いと思います。もうずいぶん昔になりますが、私は本屋でこの本(英語で書かれた原版ですが)を見つけ、こどもに読んで聞かせたことがあります。以下がその本です。一人一人は小さくて無力でも、力を合わせれば大きな魚を追い払うことができる、という単純明快な論理です。下の絵で、スイミーは大きな魚の目になっています。

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                        これに関して、パルムドール賞を受賞してから是枝監督が日本外国特派員協会で会見を開いた時の談話があります。とても大事な話です。以下に引用します。

                         

                         

                         

                        引用開始

                         

                        ― 今回の取材で一番印象に残っているのは、親からの虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子どもたちの取材に行ったときのことです。ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子に「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」と思いました。

                         

                         朗読をしているその女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに少年が教科書を読む、というシーンの台本を書きました。

                         

                        テレビをやっていた時代、先輩に「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。20代の頃に言われて、今もずっとそうしています。

                         今回は・・・今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。― 引用終わり。

                         

                        https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/koreeda-20180607_a_23452833/

                         

                         

                         

                        ここには創作の原点が述べられています。なぜ映画を撮ったのか、是枝監督のようにその動機が後で分かることもあります。高畑勲監督が亡くなり、宮崎駿監督がコメントを出せないでいた時、ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しています。

                         

                         

                         

                        捏造された歴史や歪められた解釈からは知性も感情も生まれようがありません。どうやら、私たちの<生>は、「ひとりの人」のために像を結び、そこのみにてかがやくようになっているようです。

                         

                         

                         

                        「存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=500

                         

                        「自由で公平で平和な国で死にたい」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=485

                         

                        参考までに、よければ以下の記事もお読みください。

                         

                        カンヌ受賞でもネトウヨは是枝裕和監督と『万引き家族』が大嫌い! 安倍首相は無視、百田尚樹と高須克弥はバッシング

                        http://lite-ra.com/2018/06/post-4050.html

                         

                         

                        | 中高生の皆さんへ | 13:06 | comments(0) | - |
                        日本の貧困は教育の貧困である。
                        0

                          このタイトルで書きたいことがいっぱいあるのですが、教育の貧困を何よりも雄弁に語る以下の動画をご覧ください。

                           

                          参議院 内閣委員会、平成30719

                           

                           

                           

                           

                          政治家としてまともな感覚が残っているのは、今や山本太郎氏を始めとして、片手で数えられるほどになってしまいました。高校中退の人間が高学歴エリートたちを問い詰めています。これこそが普遍的な感情の持つ力です。生きる上で大切なのは、社会に対して(つまり今生きている人間のみならず、死者や後世の人間たちに対しても)どう向き合うのかということです。

                           

                           

                           

                          カジノ法案の座長を務めている自民党の岩屋毅氏はわが大分県の選出議員です。こんな男を国会議員にしたのが大分県人であることを、私は心の底から恥ずかしく思います。

                           

                           

                           

                          そもそも、国会議員や総理大臣、その背後に控える官僚といえば、日本の知性の代表のはずです。彼らは高学歴で、何不自由なく育った二代目三代目の政治家たちが多い。東大を卒業した優秀な人間たちが最終的に集まる場所が国会のはずです。

                           

                           

                           

                          しかし、今や国会は、人間の感情を持たない利権屋かヤクザの集団になってしまいました。宗教的なカリスマの下に集まり、政党を作り、あげくに人格を空洞化させ、アメーバ集団になり下がった公明党に至っては、自分たちが何をしているのかさえ分かっていません。

                           

                           

                           

                          いや、そうならなければ安倍政権と手を組めるはずなどないのです。政治家としての矜持も、人間としての良心も捨てなければ、安倍政権の下に蝟集などできるわけがありません。公明党が果たした役割は、自民党のオウム化、すなわち人格の空洞化であったと後世の歴史家は書くことでしょう。

                           

                           

                           

                          今の自公政権は、ガンジーの言う「7つの社会的罪」にまみれて、それを自覚すらしていない人間たちの集まりとなりました。

                           

                          ブログで何度も指摘しましたが、再度掲げておきます。

                           

                           

                          1.理念なき政治
                          2.労働なき富
                          3.良心なき快楽
                          4.人格なき学識
                          5.道徳なき商業
                          6.人間性なき科学
                          7.献身なき信仰

                           

                           

                           

                          改めて書き出してみると、私たちの周囲はこの種の人間で満ちあふれています。特に社会的地位にしがみつき、自分が何をするために生まれてきたかを自問自答したことのない人間たちは、「労働なき富」「人格なき学識」「道徳なき商業」の実行犯なのです。

                           

                           

                           

                          それは言うまでもなく、グローバリズムとコマーシャリズムの中でカルト化し、分断された教育の貧困がもたらしたものです。それについては、身近なところから少しずつ書いていくことにします。

                           

                           

                          | 中高生の皆さんへ | 23:11 | comments(0) | - |
                          部活が中学生の頭を悪くする!
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                            私はスポーツが好きでした。少年の頃は地域の少年野球のチームに入っていました。と言っても、遊び仲間が中心となって自然発生的にできたものです。今のように、遠征や公式戦のスケジュールに則って運営されるサッカーや野球クラブとは違います。

                             

                             

                             

                            夏休みに大会があり、優勝したこともあります。ユニフォームもなく、上はTシャツかランニングで下は半パンでした。もちろんスパイクなど履いたこともありません。子供以上に親が熱心になることもなく、試合に親が来ていることもありませんでした。親に優勝報告をしたら、それはよかったわね、で終わりでした。もっとも、父は決勝戦をバックネット裏で見ていましたが。

                             

                             

                             

                            今日のように太陽がじりじりと照りつける猛暑の日には、友達といっしょに木陰で休息を取るか、セミ捕りや虫とりに興じていました。大分川の上流に魚釣りに行き、飽きるとパンツ一丁になり泳ぎました。親が見たら卒倒するような危険な遊びもしました。子供たちは親の目の届かないところで一日中好きなことをしていたのです。人生の黄金の時期で、世界も時間も自分の思うままだという感覚に満たされていました。思えば、いい時代でした。

                             

                             

                             

                            野球では巨人ファンだったこともあります。テレビで巨人の試合しか見ることができなかったのと、父親が巨人ファンだったからです。なぜ巨人が好きなの、と父親に尋ねた時、巨人ファンというより長嶋が好きなんだ、との答えが返ってきました。なるほどね。要するに、ある制約された条件の下では人間は決まった行動をとったり、同じような考えになったり、感じ方まで似てくるのだと、子ども心に思ったものです。

                             

                             

                             

                            今この国は一見自由に見えます。しかし、私から見れば自由でも何でもありません。沈没する運命にある豪華客船の中で周囲の空気を読み、同じように感じ、同じように行動し、決して集団の和を乱さないように振舞っているだけです。そんな中にいると、人格が透明になり、流れ出し、アメーバのように一体化して、重心のある方向にただ動いていくだけになります。

                             

                             

                             

                            コミュニケーション力といい、アクティブラーニングといい、すべて周囲の顔色をうかがうことが得意な人間を育てるに過ぎません。自分の言葉も、意見も、ついには感情すら、ニセモノをつかまされて、いったい人間は幸福になれるとでも思っているのでしょうか。アメーバ国家、ニッポン!チャチャチャ。

                             

                             

                             

                            以下の京都新聞の記事をお読みください。この教師も生徒も、失敗した教育の見本です。

                             

                            校舎80周走れ」生徒倒れ救急搬送 滋賀・中学部活顧問が指示

                            7/14(土) 6:00配信

                             

                             

                            ― 大津市の南郷中で、ソフトテニス部2年の男子生徒が部活動中に「校舎周囲を80周走れ」と顧問の教諭から指示され、途中で倒れて救急搬送されていたことが13日、同中や市教委への取材で分かった。生徒は熱中症と診断され、同中は「行き過ぎた指導だった」と謝罪した。


                             同中と市教委によると、生徒は12日午後の部活動中、練習中にミスが目立ったことなどを理由に、30代の男性顧問から「校舎周囲を80周走ってこい」と命じられた。午後5時10分ごろ、生徒が倒れているのを校内で作業をしていた工事業者が見つけた。生徒は救急搬送され、その日の夜に退院し、13日は学校を休んで静養したという。


                             生徒が走らされた校舎外周は1周約230メートルで、80周で18キロ超になる。生徒が倒れたのは9周目だったという。気象庁によると、大津市の12日午後5時の気温は30・1度だった。
                             同中は、13日夜に保護者説明会を開き、経緯を説明した。平松靖之教頭は「行き過ぎた不適切な指導で、保護者におわびする。すでに顧問を指導した。今後は、安心した学校生活が送れるよう努めていく」とコメントした。―

                            https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180714-00000000-kyt-soci

                             

                             

                             

                            これが「行きすぎた指導」だとしてスル−されるのでしょうか。この生徒が熱中症で死亡していたら、やはり「行きすぎた指導」で済ませるのでしょうね。こういう教師に部活の顧問をさせてはダメです。フツーに考えたら分かることが分からない。頭の中がスポ根の域から脱していません。まるでマンガの世界です。もちろんマンガの世界と現実の境界線が分からない判断力の持ち主ですから、こんな指示というか軍隊の上官のような命令を出せるのです。

                             

                             

                             

                            日大のアメフト部の精神構造は、部活を通じて日本全国に広がっています。その仕上げが東京オリンピックというわけです。ここまで遅れている日本の教育を見せつけられると、言葉が見つからないですね。この教師のみならず、倒れた生徒も教育の失敗の見本です。生徒は次のように言うべきだったのです。

                             

                             

                             

                            「自分の命令の意味が分かっているのですか。気温は30度を超えてますよ。練習中にミスが目立ったからといって80周ですか。なぜミスをしたのか。ミスをなくすにはどうすればいいのか、それを指導するのが顧問の仕事じゃないんですか。それが楽しいから顧問をしているんじゃないんですか。ミスに対して罰を科す。これじゃあ、戦時中の軍隊と同じじゃないですか。軍隊では上官の命令が絶対で、逆らうことはできなかった。あなたのような小権力者が威張り散らして侵略戦争を推し進めたんだと社会の授業で習いました。えっ、文句があるなら部活をやめろっていうんですか?わかりました。今日限りでやめます。部活より命の方が大事ですから。それにあなたのような人が顧問だと、テニスが楽しくとも何ともない。嫌いになるだけです。短い間でしたがお世話になりました。」と。

                             

                             

                             

                            部活はあくまで教育の一環です。そうでなければ学校でやる必要はない。私は常々、塾の脱線話で言っています。

                             

                             

                            「週4日の練習で部活を強くできないコーチは無能だ。優秀なコーチは、何にも増して君たちの発想を豊かにし、頭をよくするはずだ。スポーツは言葉だけではなく、身体を使って考えることを教えるものだから、本当に頭の良い人間を育てるのに役立つ。それに気付けば、面白くてたまらなくなる。部活のない日こそ、練習方法について考えるまたとないチャンスなんだ。スポーツは頭がピーマンのゴリラを育てるのが目的ではないからね。」と。

                             

                             

                             

                            日曜・祝日はもとより、夏休みも部活に明け暮れ、慢性的な疲労と睡眠不足を引きずっている状態で、そもそも学習に集中などできるわけがないのです。でも、休みの日にこどもが家にいれば、ろくなことはないと考える親が、部活を望んでいるという側面もあるので難しいですね。教育における社会資本の貧困を思わずにはいられません。なぜなら、OECD加盟34カ国の中で、最も教育にお金をかけていないのが日本なんですからね。子供たちを部活に閉じ込めておく他ないのもうなずけます。

                             

                             

                            | 中高生の皆さんへ | 15:09 | comments(0) | - |
                            私たちの社会には救いがない。
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                              はじめに断っておきますが、私は日本の文化を誇りに思っています。 日本の古典を読むにつけ、あるいは古寺巡礼ですばらしい建築に出会うたびに、その思いはいっそう強くなります。そして日本人に生まれてよかったと思うのです。 世界のどこに行っても日本文化のすばらしさについて語りたいと思います。村上春樹氏が言うように「ある国の知性の総量は変わらない。ただ時代によって偏在しているだけだ」との考えにも賛成です。

                               

                               

                               

                              しかし、さすがに最近はしんどくなってきました。現在の日本政府に対して、まったく敬意の感情がわいてこないのです。いや、むしろ心の底から軽蔑しています。 そして、現代日本人の大半には侮蔑の感情しか湧いてこないのです。

                               

                               

                               

                              「それはお前の特権意識の裏返しだろう、何を偉そうに上から目線で言っているのだ」という感想もあるかと思いますが、大分市東部の、そのまた外れにある個人塾の教師に、特権意識などあろうはずがありません。おそらく、焼きが回ったということでしょうね。

                               

                               

                               

                              もちろん例外的に希望をいだかせてくれる人物もいます。以下の動画をご覧ください。

                              山本太郎議員は、この豪雨災害で救助を待っている人々が大勢いるときに、「カジノ法案の審議をやってる場合か!誰のための法案審議だ!利害関係者のためだけのものじゃないか!」と怒りを爆発させていますが、その法案審議の座長をやっているのがわが大分県選出の衆議員議員の岩屋毅氏です。癌患者に向かって「いい加減にしろ!」と叫ぶ穴見陽一氏と言い、どうしてこうも大分県選出の議員はクズばかりなのでしょうか。

                               

                               

                               

                               

                               

                              何も見ず、聞かず、語らずを決め込めばいいのですが、それができません。心暗くなることばかりで、前途に何らの曙光も見えません。困ったことです。それを下支えし、再生産しているのがカルト化している教育なのです。これはまた次の機会に述べましょう。

                               

                               

                               

                              今回、特に衝撃を受けたのが、テレビによるオウム死刑囚7人の死刑実況中継でした。被害者の心境を慮ることと、死刑報道(事実上の公開処刑)をエンタテインメントとして消費することはまったく別次元の問題です。今ではこの違いも分からない、脳がゆで卵のようにツルツルになった人間たちが大量に出回るようになっています。

                               

                               

                               

                              死刑の大量執行をTVでリアルタイムに報道して、執行し終えた死刑囚の顔写真に執行ずみシールを貼っていくなんて、ディストピア小説に出てきそうな場面です。正常な神経の持ち主には現実とブラックユーモの区別が難しくなっているのです。今となっては『1984』のジョージ・オーウェルの慧眼に驚くほかありません。

                               

                               

                               

                              テレビなんてこんなものです。四半世紀が経っても変わりません。

                               

                               

                               

                              北朝鮮からミサイルが飛んでくると国民を脅し(わが大分県のある公立高校は、これを信じてグアムへの修学旅行を取りやめました。それを聞いて私はバナナの皮を踏んだようにひっくり返ったのです。そして福島に変更と聞いて思わず舌を噛み切ってしまいました。スペペペペーッ)、その宣伝がうまく行かなくなり、拉致被害者も帰って来そうにないとなると、もはや国内の「凶悪犯」を大量に死刑にして、国民の支持を集めるほかないということでしょう。以下は15年前に書いたオウムと教育について触れた未来塾通信です。よかったらお読みください。

                               

                               

                              『教育再生会議という茶番劇−考えることの難しさについて』

                              http://www.segmirai.jp/essay_library/essay014.html

                               

                               

                               

                              「犯罪者として生まれる人間はいない。犯罪者になっていく。犯罪者をつくるのは社会である。」などと言ったところで、安倍政権のお歴々には意味がわからないでしょう。今まさに、私たちの社会はオウムを生みだした時と同じ感覚が蔓延しているのです。社会が現実感を失い、異様なフィクションの世界になってしまったような感覚が共通しています。

                               

                               

                               

                              3・11以降、この感覚は広く深く社会に浸透しました。政治家は権力の上にあぐらをかき、官僚は保身と出世のために忖度し、メディアは記者クラブを通じて配給される飯のタネをそのまま垂れ流し、財界は内部留保をため込むだけでは満足せず武器の輸出や製造に手をつける。教育熱心な親は自分の子供の進学先だけを考え、学校は親の無意識の要求に答えるべく進学実績をあげることに血道をあげる。

                               

                               

                               

                              私は以前、「今の世界(日本社会)には救いがないと気づくことによって逆に救われるしかない」と書きました。

                               

                               

                              『現実と日常の喪失−中高生の読解力が低下している本当の理由』

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=305

                               

                               

                               

                              その中の一部。

                              「無知・無能・無責任な総理大臣が「完全にアンダーコントロール状態にある」と変な日本語で断言しても、もう元の世界に戻ることはできない、あれだけのことがあった以上、元の世界に戻ることはおかしい、元に戻るより本当のことに気づくことの方が大事だと考えている人も多いはずです。人は何ら根拠もなしに、まったくの虚言を断言口調で、しかも大声で叫ぶものだということも学んだはずです。

                               

                               

                              要するに、もともとウソだった日常をうかつにも日常だと勘違いしていたことが分かった後で、日常が回復したというさらなるウソを重ねられているのが、私たちの社会です。「これが現実だ」「これが日常だ」と言われても、「どうせ自分の見たいものしか見ていないだろう」と言いたくなる気分を多くの人が共有しています。」

                               

                               

                                

                              今日はこの辺でやめにします。貴重な時間を割いてお読み頂いた方に心からお礼申し上げます。

                               

                              | 中高生の皆さんへ | 18:01 | comments(0) | - |
                              「先手、先手の対応」ってか?
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                                知性があると判断する基準の一つは、他人から批判された時、それを自分の中で絶えずフィードバックしながら、意識や生き方を変えられるかどうかではないでしょうか。組織のトップに立つ人間や、ましてや一国の総理大臣が批判されて逆ギレするようでは、早晩その組織なり国は滅びるのです。

                                 

                                 

                                 

                                ニュースによると、「西日本の豪雨災害で甚大な被害を受けた岡山県を訪問した安倍総理は、政府の初動対応について『一丸となって発災以来、取り組んできた』として、問題はなかったという認識を示した」とのことです。

                                 

                                 

                                 

                                日本の忖度メディアはいつもこれです。「問題はなかったという認識を示した。」と報じて、「問題はなかった」ことにしてしまうのです。こんな記事ならサルでも書けます。本当に問題はなかったのか時系列で検討し、「一丸となって発災以来、取り組んできた」のはウソだと報じるのがメディアの役割です。

                                 

                                 

                                 

                                さらに小野寺防衛相は記者会見で、豪雨災害への初動対応について次のように述べています。「指示をし終わった後、宿舎で待機していたので、その際に集会所(飲み会とは言わない)に行って顔を出した。だが防衛省からは随時連絡が来ており、その都度指示を出していたので特に支障はないと思っている。」と。

                                 

                                 

                                 

                                なるほどね。安倍首相の「先手先手の対応」といい「プッシュ型の支援」といい、上っ面だけの言葉です。「赤坂自民亭」での飲み会を隠すために、今後「初動対応イノベーション」だの「復興プライオリティー2.0」だとかの新語を得意げにしゃべり出すかも知れませんね。現実の深刻さが理解できないので、言葉がペラッペラに軽いのです。バカなので、自分が総理大臣をしている意味が分かっていません。

                                 

                                 

                                 

                                たしかに世の中には、「どのような選択をしても必ず、色々と言われる」こともあります。ところが最近では、「いや〜、何を言っても反対する人は反対するんですよ。あの人たちは反対するのが趣味ですから」などと居直って、バカな支持者を取り込もうとする政治家が多すぎます。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、何が起ころうと、これだけは本当だ、この場合はこう決断しなければならない、ということもあるのです。どんな苦境にあっても、みんなが自分のために一所懸命になっている、それが分かれば勇気もわくし、多少なりとも前途に希望が見えて心安らぐのです。その安らいだ心は、苦境から立ちあがる力になります。それが人間ですよね。

                                 

                                 

                                 

                                特に、今回のような深刻な災害の場合、総理大臣が5日の段階で外遊を中止する旨を宣言し、被災地で陣頭指揮を取ることが重要なのです。それが総理大臣の仕事ですし、それができてはじめて総理大臣と言えるのです。

                                 

                                 

                                 

                                「一丸となって発災以来、三選のために酒盛りをしていた」「先手先手の対応」

                                 

                                 

                                 

                                 

                                 

                                みんなで一斉にグー。この面々は、いったい何に対してグーをしているのでしょう。きっと「プッシュ型の支援」を表わしているのでしょう。まさか安倍首相の三選も確実だということで「総理、グーです」ではないと思います。上川法相が真ん中にいるところをみると、オウム真理教の死刑囚7人を一度に死刑にすることを決定した「英断」をねぎらっているのかもしれません。

                                 

                                 

                                 

                                でもまあ思わぬ副産物もありました。内閣に権限を集中する必要性がないことを内閣自ら証明してみせたので、自然災害を理由に改憲で緊急事態条項を持ち出すことはできなくなりました。これをまずいと考える論理的整合性すら持ち合わせていないのですから、この国は終わっているのです。

                                 

                                 

                                | 中高生の皆さんへ | 16:47 | comments(0) | - |
                                夏期講習会のご案内。
                                0

                                  今回の豪雨で200人に迫る人が死亡または行方不明になっています。大雨で被害が出る中、しかもオウム真理教の死刑囚たち7名の死刑執行を行う前夜、どういう神経でこんなどんちゃん騒ぎができるのでしょうか。人間に対する共感力を失くしているとしか思えません。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  この災害大国日本に、消防庁の全地形対応車両レッドサラマンダー(1車輌1億1千万円)はわずか一台。一方で、1機あたり約130億円のF35戦闘機42機を追加購入。オスプレイ17機、総額3600億円を大盤振る舞い。自民党が国民のことなんか、これっぽっちも考えていないことがよくわかります。来週外遊する予定があるので「緊急災害対策本部」を立ち上げるのを躊躇しているのでしょうか?「緊急災害対策本部」の本部長は内閣総理大臣ですからね。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  なんだか社会が突然、フィクションというか異様な世界になってしまったような感覚に襲われ、現実感を失ってしまいそうです。事実によって安倍政権を批判し、「だから安倍総理には任せられない」と言えば、同じ事実をとらえて「捏造だ!安倍総理は信用できる、安倍総理の代わりがいるのか」と、いちゃもんをつけてくる人がいます。彼らは議論の土台を切り崩し、社会の分断を加速させています。何だかしんどい世の中になってきました。

                                   

                                   

                                  さて、夏期講習会ですが、中学3年生を対象に15日間(1日は5教科の大分県合同模試)実施する予定です。

                                   

                                   

                                  ■募集人員:3名

                                  ■時間帯:午前10時〜正午(1回2時間)

                                  ■費用:3万7千円+模試代金3千円

                                   

                                  ■内容:英語と数学の授業を、先へ先へと進めます。1・2年の学習内容が定着していないのに先に進むのは無理なのではないか、と思う人がいるかもしれません。しかし、どの分野でも完璧に理解することなどできません。しかも、一度やった分野を復習することは集中力を削ぎます。多くの塾は1・2年生の復習用テキストを購入させ、それで時間をやり過ごしています。これでは実力はつきません。あやふやな箇所があれば先に進めないことを、身をもって経験させ、フィードバックが必要なことを自覚させなければなりません。学習の目的は、絶えざるフィードバックによって自信をつけることです。

                                   

                                   

                                   

                                  入試で求められる力は、あやふやな知識や理解ではなく、6割の正確な知識をもとに7〜8割の得点を取る力です。そのためには、一日も早く数学と英語の全範囲を学習し、全体像を把握する必要があります。

                                   

                                   

                                   

                                  たとえて言えば、道具箱の中の道具を常に点検し、油を差していつでも使える状態にして置くようなものです。一つ一つの道具の使い方を熟知することで、発想の幅が広がり、一つの問題について複数の解法が頭に浮かぶようになります。実際に大工道具を使ってイスや机を作ってみると、愛着がわきます。学習することが喜びになるのですね。

                                   

                                   

                                  具体的には、

                                   

                                  □ 数学:2次方程式、2次関数、相似、3平方の定理を終えてしまいます。先に進むために必要な限りで1・2年生の復習を行います。

                                   

                                   

                                  □ 英語:教科書ではバラバラに出てくるので統一的な理解が難しい分野があります。それは(機北昌譴鮟ぞする方法と(供忙制です。この機会に一気に学習して自信をつけましょう。

                                   

                                   

                                  (機北昌譴鮟ぞする方法では

                                  1:形容詞による修飾

                                  2:前置詞句による後置修飾

                                  3:不定詞による後置修飾

                                  4:現在分詞による後置修飾

                                  5:過去分詞による後置修飾

                                  6:関係代名詞による後置修飾

                                  の6通りを学習します。

                                   

                                   

                                  (供忙制

                                  例えば、「僕はこどもの頃、ニューヨークに2年間住んでいたことがある」を

                                   

                                  I have lived in New York for two years when I was a child.

                                   

                                  などと書いていませんか。

                                   

                                  あるいは、「電車は今9番ホームに停まっています」を

                                   

                                  The train is stopping on platform 9 now.

                                   

                                  などと書いていませんか。この英語では、「電車が速度を落としている」だけで、停まっていることにはなりません。「〜したことがある」は現在完了形だ、「〜している」だから進行形だ、といった発想では先が思いやられます。

                                   

                                  また、These are apple. という英語をappleに複数形のsがついていないから間違いだ、と教えている英語教師がいるようですが、「言葉」と「モノ」の区別がついていません。これでは生徒がかわいそうです。時間があれば、この点にも触れます。

                                   

                                   

                                   

                                  尚、中学3年生は夏期講習会が入塾の最後のチャンスです。他の学年は夏期講習会を実施していませんが、通常クラスには、中学2年生が2名、中学1年生は若干名空席があります。入塾を希望される方はお問い合わせください。

                                   

                                   ☎097-592-0815 未来塾

                                  | 中高生の皆さんへ | 20:58 | comments(0) | - |
                                  存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。
                                  0

                                    私たちは何を手がかりに考え、どう生きていけばよいのでしょうか。人は生きていく上で何らかの「足場」を必要とします。塾教師という、いつ崩落するかわからないような仮の足場ですら、私が生きていくために必要なのです。

                                     

                                     

                                    しかし、社会が急激に変化する中で、どんなに立派で堅固に見える足場でも、土台が掘り崩されていることを多くの人が感じ取っています。私たちの社会を駆動しているのは、「不安」なのです。

                                     

                                     

                                     

                                    そういう社会では、価値の優劣についてじっくり考えることなどできません。あらゆるものを横一列に並べて、あらかじめコントロールされた情報を頼りに、その中から自分の利益になりそうなものを選ぶことが生活の中心となります。要するに、当面の利益を確保することで精一杯なのです。

                                     

                                     

                                     

                                    しかし、人間は価値の優劣について判断することでなんとか生き延びることができる生き物です。それをやめれば、選択肢の前で途方に暮れて餓死する「ビュリダンのロバ」の運命をたどるしかありません。私は「価値の優劣について判断できる」知性を持った子どもたちを育てたいと考えて、塾教師を続けてきました。

                                     

                                     

                                     

                                    「ビュリダンのロバ」の運命を拒否するにはどうすればいいのでしょうか。小さな波がさざめいている川の表層に目を奪われるのではなく、川底をゆったりと流れる水の力を想像しましょう。それこそが歴史の基底部なのです。それは絶えず変化しているのですが、世の中の大半の人々は、それを洞察できないままに生きていきます。

                                     

                                     

                                     

                                    前々回のブログで「私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。」と書きました。

                                     

                                     

                                     

                                    では、私たちの存在の最も深いところにある層とは何でしょうか。そこから言葉を紡ぎだすためにはどうすればいいのでしょうか。今回はそのヒントだけ述べて、具体的には次回以降に譲ります。

                                     

                                     

                                     

                                    宮崎駿監督は養老孟司氏との対談(『虫眼とアニ眼』)で、なぜ『千と千尋の神隠し』を作ったのかと尋ねられ、こう答えています。

                                     

                                    「ある時、たまたま10歳くらいの子供たちを見ていた。そしたら、自分は彼らに対し、いま何が語れるだろうか、という考えが浮かんだ。最後には正義が勝つ、なんて物語を語ろうという気にはさらさらなれなかった。そうではなく、とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ、それを語ってみたい、と思った。そしてこの最初のモチーフを手放さないでいたら、『千と千尋の神隠し』ができた」と。

                                     

                                     

                                     

                                    「とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ」を一人一人が、考え、感じてそこから世界を変える言葉を紡ぐしかないのです。それは学校教育を通じて教えられた官製の言葉ではなく、自らの存在を危険にさらして獲得した言葉のはずです。なぜなら、事実を知れば知るほど、真実に近づけば近づくほど、人間は孤立を余儀なくされる存在だからです。しかし、私たちの人生はそこのみにてかがやくのです。

                                     

                                     

                                    | 中高生の皆さんへ | 16:29 | comments(0) | - |
                                    言葉の無効を前にして。
                                    0

                                      大分市内の一高校生さんへ。きっかけは分かりませんが、あなたがメディアリテラシーに関心を持っていることを頼もしく思います。なぜなら、18歳から選挙権が与えられ、主権者教育が云々されているにもかかわらず、高校でメディアリテラシーについてまともに学習していることを聞いたことがないからです。

                                       

                                       

                                       

                                      受験勉強も大事ですが、私たちが生きている社会について正確な情報を手に入れることはもっと大事です。世の中は激変しています。にもかかわらず、ほとんどの高校生は、受験勉強中心の生活を送っていて、学校で「政治的な発言をするのはよくない」と考えているようです。おそらく世界の中で、政治に無関心な高校生の数は日本が断トツで一位ではないかと思います。

                                       

                                       

                                       

                                      しかし、私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。最も重要で最深部に横たわるレイヤーについては次回に譲ります。今は知性と理性を守ろうとすれば、好むと好まざるとに関わらず政治的にならざるをえないということだけは指摘しておきたいと思います。

                                       

                                       

                                       

                                      メディアリテラシーの問題に戻ります。

                                       

                                       

                                      >僕が先生のブログを読むきっかけになったのが、この記事でした。この記事を読んで僕は頭がよくなった気がします。

                                       

                                      『なりすまし塾長 K 氏、自作自演の幕を閉じるの巻』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=334

                                       

                                       

                                       

                                      「頭がよくなった気がします。」という表現は的確です。数学や物理の難問が解けても、それなりの達成感はあるでしょうが「頭がよくなった」とは思わないはずです。相変わらず受験勉強的なフレームの中に押し込められたままですからね。「頭がよくなった」と思う瞬間は、既存のフレームの外に出ることで世界との通路が開けたと感じる瞬間です。

                                       

                                       

                                       

                                      その手ごたえを手放さず、そこから思考を深めて行けば、人は変わることができます。幼虫からさなぎに、さなぎから蝶に「脱皮」できるのです。学ぶということは変わるということです。人間は、特に若い時はこの「変態する力」を誰でも内に秘めているものです。

                                       

                                       

                                       

                                      おそらくあなたは私のブログを読んで、教室では遭遇しない論争的な言葉に出会ったのです。私たちは現実を認識する時、まず言葉を探します。ある言葉を選択して現実に当てはめます。しかし、その言葉では現実を表わせないと感じます。その時私たちは新たな言葉を探す努力を始めます。

                                       

                                       

                                       

                                      簡単に言うと、これが考えるということです。世界認識には正確な言葉が必要なのです。言葉が歪めば世界も歪みます。歪んだ世界にさらに言葉をかぶせても、世界はますます歪むだけです。

                                       

                                       

                                       

                                      メディアリテラシーの話をしていたのですね。上に述べたことの具体例をあげてみましょう。安倍政権になってからこの種の例には事欠きません。つまり、今ほど論理的思考力を鍛え、「頭がよくなる」チャンスはないのです。

                                       

                                       

                                       

                                      森友問題で安倍首相は去年2月、「私や妻が関与していたら、総理大臣も国会議員も辞めますよ。これは断言しますよ。」と発言しました。それをきっかけに官僚の忖度合戦が始まり、公文書を隠蔽・改竄し、近畿財務局では自殺者まで出たのです。ところが安倍政権はこの発言を、「贈収賄ではないという文脈で使ったのであって、私や妻が関与していないことは明白である」との趣旨だったと閣議決定しました。

                                       

                                       


                                      「関係していたら」とは、昭恵夫人の口利きを意味しているのではなく、「贈収賄があったら」という意味だというのです。一体何を言いたいのでしょうか?贈収賄は犯罪です。それがあったら辞めるのは当たり前です。言葉を歪めて、現実をなきものにしたかったのでしょうが、そこまでしなければならないほど深く関係していたことを、首相自身が認めているのです。

                                       

                                       

                                       

                                      第二次安倍政権になってからというもの、この国で地滑り的に起きていることは言葉の崩壊、すなわち世界認識の崩壊なのです。私たちは沈む船から脱出しようとして集団で海に飛び込むネズミの群れ同然となっています。

                                       

                                       

                                       

                                      言葉の腐敗、欺瞞言語の蔓延と闘うのがメディアの本来の役目だったのですが、もはやメディアには期待できません。大方のメディアは「武力衝突はあったけど戦闘ではない」「潰せとは言ったけど反則しろとは言っていない」「公文書改竄はあったが悪質じゃない」という政府や権力側の発言を「そのまま伝えるのが、メディアの役割だ。その何が問題なのか」と考えているのでしょう。

                                       

                                       

                                       

                                      大問題なのです。上で見たように政府が欺瞞言語を使って私たち国民を騙そうとしているとき、言葉をそのまま伝えれば騙しに加担することになるからです。菅官房長官の 「問題ない」という見解をそのまま伝えることは、「問題ない」と広報することになるのです。(自分のやったことは「悪質なじゃない」とか「問題ない」「許容範囲」だと考えるのは、あなたが読んだ記事に登場するK塾長氏の発想です。悪質かどうか、許容範囲かどうかは、第三者が判断することです。)

                                       

                                       

                                       

                                      マスメディアは、安倍首相の意味不明の言葉を編集して意味があるかのようにみせかけないで、いかに野党の質問に答えていないか、を率直に報じるべきです。社会に伝えるべき政治的に最重要の事実は、安倍首相が何を言ったかではなく、いかに何にも答えていないかです。「議論は平行線」などという記事はサルでも書けます。ヒトであれば、「首相は誠実に答弁せず」と書かなければなりません。

                                       

                                       

                                       

                                      マスメディアの実態については以下の記事をお読みください。

                                       

                                       

                                      『マスコミは圧力をかけられているのか?』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117

                                       

                                       

                                      次回は、このどうしようもない言葉の無効を前にして、私たちに何ができるのかを考えてみたいと思います。今回も読んでいただきありがとうございました。

                                       

                                       

                                      | 中高生の皆さんへ | 15:22 | comments(0) | - |
                                      大分市内の一高校生さんへ−批判的思考力について。
                                      0

                                        コメントの返事が遅れて申し訳ありません。あなたの二つのコメントはとても重要な点を含んでいて、簡単に返事が書けなかったのです。ブログを読んでもらえただけでもありがたいと思います。

                                         

                                         

                                         

                                        >なんだか元気が出て来ました。先生のブログは不思議なことに読むと元気が出てきます。

                                         

                                         

                                         

                                        これは最高のほめ言葉です。私は自分自身の足元を確認し、元気づけるためにブログを書いているからです。それを読んで元気が出るというのは、あなたは深い読解力と言葉に対する真っ当な感受性を持っているということです。

                                         

                                         

                                         

                                        今回のタイトルは「批判的思考力について」ですが、私はおよそ批判的でない知性や思考力などというものにお目にかかったことがありません。しかし、この国では権力や体制に迎合する学者、ジャーナリスト、放送局、新聞社が跳梁跋扈しています。そこで今回からあなたへの返事を3回に分けて、手短に書いてみようと思います。

                                         

                                         

                                         

                                        私が「ブログを読んでもらえただけでもありがたい」と考える理由は、今の若い人たち、特に高偏差値の高校や大学に通っている人たちは「論争の相手や一般の人々に対して否定的なメッセージを伝えるべきではない」という暗黙の了解を共有していて、それが生き方にまでなっていると思うからです。それは経済的にも文化的にも何不自由なく生きてきた彼らの「優しさ」なのかもしれません。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        私はブログで安倍政権や自民党に対して否定的な意見を書いています。これに対して嫌悪感を抱いている人も多いと思います。またいつもの調子かよ、もう聞き飽きたというわけです。

                                         

                                         

                                         

                                        東大新入生の約60%が自民党を支持しているというデータもあります。彼らは、誰かを批判することよりも、相手の優れた点を見てそれを称賛する態度の方が大人だし、建設的だと考えているのでしょう。

                                         

                                         

                                         

                                        しかし、こういった考えは他者と共存して生きて行くほかない人間が、他者からの批判を免れるために身につけた処世術に過ぎません。批判的思考力を持っている人間から見れば小才の効いた「お利口さん」の発想であり、個人としての政治的・社会的な責任を回避するための方便なのです。

                                         

                                         

                                         

                                        東大生によく見られる「建設的」で「現実的」な「大人」の意見とは、ひとことで言えば、「安倍政権や自民党を批判したほうが『正しい』かもしれないけど、自分は否定的なメッセージを発することに意味を見いだせない」という、一見「洗練」されたものです。しかし、洗練も度を超すとアバズレになります。

                                         

                                         

                                         

                                        この意見は、危機的な状況に対して抗議の声をあげることを巧妙に「批判」するものとなっているので、油断してはなりません。そのからくりは簡単です。

                                         

                                         

                                         

                                        第一に、否定的なメッセージを発する人は「他人から『正しい』ことをやっていると思われたい、カッコイイしいの打算的な人間たち」だと印象付けることによって。

                                         

                                         

                                        第二に、彼らは「イデオロギーによって、居丈高に他人を批判する独善的でダサい」人々だと印象付けることによって。

                                         

                                         

                                        しかし、本当にそうでしょうか。これは震災後の社会に蔓延しつつある「意見表明の自由を自主規制する」風潮を後押しするものです。私やあなたが経験したり、直面したりする否定的で危機的な状況に対して抗議の声をあげることは、許されないことなのでしょうか。

                                         

                                         

                                         

                                        現代の日本社会が若者に求めているのは、民間企業であれ官庁であれ、上位者の命じることには、たとえそれが無意味なことであっても、黙って従うという精神的な態度、すなわちイエスマンシップに他なりません。

                                         

                                         

                                         

                                        日大のアメリカンフットボール部の事件で、日大の学生が就職活動に影響が出ることを心配しているのも、このことの表れです。面接で訊かれたら自分とは関係のない事件だと突っぱねればいい、それどころか自己アピールのチャンスだという意見は、日本社会に深く浸潤しているイエスマンシップの病巣を軽く見過ぎています。私たちの社会では、イエスマンでなければ就職の門戸は閉ざされてしまうのです。

                                         

                                         

                                         

                                        日本の歴史において、特に近代以降、教育が自立した普遍的な価値の創造を目指したことは一度もありません。ある時はヒロイズムの温床となって侵略戦争の片棒を担ぎ、また別の時は「就職活動」を無事通過するための情報とテクニック、ブランド力を提供してきたに過ぎません。株式会社日本では、このことを疑う若者はほとんどいません。

                                         

                                         

                                         

                                        つまり、日本の教育は「学校」を通じて、批判的思考力を育てるのではなく、その芽を摘み取ることに主眼を置いてきたのです。今の政治状況を見るまでもなく、このことが日本という国の存立を危うくしていることに多くの人はいまだに気づいていません。 

                                         

                                         

                                         

                                        この国では、政治の腐敗に対して腹を立てないことや、文句を言わないことが人徳だとして称揚される文化が根づいています。政権幹部や官僚が民主主義の根幹を切り崩すようなでたらめをしても、開き直り、居座りを続ければ、国民は何もできないというあきらめ、無力感が蔓延することを権力者は期待しているのです。これは上位者の意図を過剰に忖度する社会、つまり空気を読むことが何よりも優先される社会が、私たちに強いている頽廃です。

                                         

                                         

                                         

                                        新聞を読み、 ニュースを見ると、もうこの国の統治機構が壊れているのは疑いようがありません。それでも、手をこまねいている人たちが国民の3割から4割近くいます。進んでこの政権を支持して、統治機構が瓦解し、市民社会が空洞化するプロセスをぼんやり眺めている人たちはいったい政権に何を期待しているのでしょうか。今だけ、金だけ、自分だけでこの国がいつまでもつと思っているのでしょうか。

                                         

                                         

                                         

                                        次回は、メディアリテラシーについて考えます。3回目は批判的思考力や本物の論理的思考力は受験勉強というフレームの中では身に付かないということを具体的に書くつもりです。長くなりました。今回も読んでくれてありがとうございます。また次回お会いしましょう。

                                         

                                        | 中高生の皆さんへ | 18:53 | comments(0) | - |
                                        審判はどこにいるのか?
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                                          高校生および大学受験生の皆さんこんにちは。

                                           

                                          今回は塾教師の分をわきまえない極論として聞いていただきたいのですが、これから日大、東大、近畿大を受験しようと考えている人は、止めましょう。理由を書くと長くなるので、今回は日大に絞って短くコメントします。

                                           

                                           

                                          日本大学アメリカンフットボール部の悪質タックルは、単にスポーツの分野にとどまらず、日本大学全体に深く張り巡らされた反知性の体質そのものを表面化させたものです。

                                           

                                           

                                           

                                          謝罪会見を開いた選手の言葉は具体的で誠意にあふれたものでした。よほど鈍感な人間でない限り、彼がウソを言っていると思う人はいないでしょう。真実の持つ力は単純で誤解を与える余地などないのです。

                                           

                                           

                                           

                                          300を超えるマスメディアの前に実名と顔をさらすことは、人間の尊厳をかけた、本当に勇気のいる行為です。安倍首相のお抱えジャーナリスト、山口敬之にレイプされた伊藤詩織さんの勇気と通じるものがあります。

                                           

                                           

                                           

                                          今回の事件の本質は誰の目にも明らかなので、これ以上言及しません。ただ、私はある言葉に対して、どうしようもなく嫌悪感を抱きました。それは関学大への回答書の中にあった「乖離(かいり)」という言葉です。「指導者と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きたことが問題の本質」という風に使われていました。

                                           

                                           

                                           

                                          まかり間違えば一人の人間の人生をも奪いかねない反則プレーに対して、「乖離(かいり)」といういかにも客観的で小難しい欺瞞言語を当てるのは、世間を煙に巻いて事件を小さく見せようとする意図があるからです。私はこういった真実を隠蔽しようとする言葉に言いようのない嫌悪を感じます。

                                           

                                           

                                           

                                          しかも、日大広報部は「誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います」と弁明しています。この「誤解を招いたとすれば」という言葉は、特に安倍政権になってから、政治家が自分の責任をごまかすために、まるで判で押したように使う言葉です。

                                           

                                           

                                           

                                          この言い方は、自分の言っていることは正しいのだが、相手が誤解する可能性を考慮に入れていなかった自分にも落ち度があったと謝罪するふりをしながら、巧妙に責任を回避する言い方なのです。

                                           

                                           

                                           

                                          私は第二次安倍政権が誕生してからすぐ、この政権は戦前のエートス(国体)が生き延びて作りだした鬼胎の政権であり、安倍内閣は犯罪者集団であると言ってきました。今振り返ってみると、間違っていなかったと思います。

                                           

                                           

                                           

                                          自分の間違いや落ち度を認めず、責任を部下に押しつけ、「セクハラ罪はない」と閣議決定し、被害女性の心をさらにいたぶる。首相や大臣が道徳的に振舞うことよりも、いかに弱者に暴言を吐けるかが支持率を維持するカギとなっているのです。今回の日大の対応は、安倍政権を支える人間たちの本質が期せずして象徴的に現われたものです。

                                           

                                           

                                           

                                          どう考えても理屈に合わない、完全に論理や説得力を欠いたように見える決断や行動でも、ある種の人間にとっては合理的で納得のいく理屈が必ずあるものです。

                                           

                                           

                                           

                                          ある種の人間とは誰か。それは英雄主義(ヒロイズム)を精神的支柱とし日本国憲法を葬り去ることを自分の使命と思いこんでいる安倍晋三その人です。

                                           

                                           

                                           

                                          英雄主義(ヒロイズム)とは、人々の「高み」に立って「国家」や「祖国」や「民族」を救うという目標を掲げ、その目標のために障害となる人々や国は、力で排除するという行動を取ることを言います。「英雄主義」にとっては、たとえ大量に人を殺すことがあっても、それは「人殺し」なのではなく、国や祖国や民族を守るための「善行」であり「称賛される行為」になると考えられています。

                                           

                                          「ヒトラーの思想が降りてきた」という犯人を後押ししたもの。

                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=211

                                           

                                           

                                           

                                          今回の日大のルール違反のタックルも、詭弁とはぐらかしでその場を乗り切り、監督・コーチの判断が何ら倫理的に非難されずに既成事実としてまかり通れば、勝利のための「称賛される行為」となるのです。それが新たな基準となり、後に続く者が同じルール違反をしても罰せられなくなります。

                                           

                                           

                                           

                                          それを防ぐには、詭弁とはぐらかしを認めた段階で「間髪を入れずに」審判が笛を吹き、違反者に退場を命じなければなりません。しかし、今この国には、勇気を持って真実を語る二十歳の若者はいても、笛を吹くべき審判の姿が見当たらないのです。これほど悲しいことはありません。

                                           

                                           

                                          | 中高生の皆さんへ | 15:57 | comments(0) | - |
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