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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村 好文,神 幸紀
中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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おすすめの映画『コンテイジョン(contagion)』
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    高校生の皆さん、お元気ですか?

    学校が再開されていますが、皆さんがコロナに感染することなく、元気で毎日を送っていることを何よりも願っています。

     

     

    さて、今回は英単語の勉強をしてみましょう。

     

    1:contagion という単語を知っていますか。形容詞形の contagious の方をよく目にしますが、Cambridge Advanced Learner's Dictionary によると次のように定義されています。

     

    when a disease is spread by touching someone or something:

     

    形容詞形の contagious の方は describe a disease that can be caught by touching someone with the disease or a piece of infected clothing:となっています。

     

     

    2:類義語の infection も大事な単語ですね。動詞は infect です。今の状況下ではぜひ知っておくべき単語です。a disease in your body that is caused by bacteria or virus:

     

    英英辞典は初級者向けで結構ですから座右に備えておきましょう。ところで virus は正確に発音できるでしょうね。ウィルスなんて発音しないでくださいよ。

     

     

     

    では本題に入りましょう。

     

    今回おすすめの映画のタイトルが『コンテイジョン(contagion)』です。2011年制作の映画ですが、すぐれた映画は古さを感じさせないどころか、近未来をリアルに可視化してくれます。日本はあらゆる面で世界から取り残されています。若い高校生の皆さんが日本を先進国だと思っているとしたら、それはとんでもない勘違いだと言っておきます。Amazon prime か Netflixで観ることができます。

     

     

     

     

     

    | 中高生の皆さんへ | 22:11 | comments(0) | - |
    東京はニューヨークになるか?
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      3月30日に『ウソの代償−災厄の春』の中で次のように書きました。

       

       

      「現場の医者にとってPCR検査は、原発労働者にとっての線量計のようなものです。PCR検査抑制論は、線量計を持たずに原発の作業をやれと言っているようなものです。 

       

      「お医者様」や「専門家」の言うことだからと簡単に信用して、自分で調べようともしない人は、国家資格を盲信する、権威に弱い人です。 学校時代の偏差値序列を大人になっても引きずっています。一言でいえば序列意識が骨の髄まで染み込んでいる人たちです。彼らの生きる道は忖度しかありません。」と。

       

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=646

       

       

       

      私はこの国の教育は根本的に失敗したと思っています。取り返しがつきません。慶応大学医学部の研修生が今この時期に飲み会を開いてクラスターを発生させました。倫理的な教育が足らないのではなく、きちんとした医学教育がなされていないのです。もちろん人間としての判断力の未熟さは言うまでもありません。偏差値教育の勝利者の内実はかくもお粗末なのです。

       

       

       

      教育の貧困のつけは政治家に払わせることなどできません。最終的には国民が自らの命で払うしかないのです。だから、安倍政権によって殺されたくなかったら、国民は自らの責任で立ち上がるほかないとブログで何度も書いてきました。比喩ではなく、見るべきものを見れば私と同じ結論になるはずだと思います。責任という言葉を吐くことが責任をとることだと思っている人間がトップに居座っているのですから。

       

       

       

      ジャーナリズムが正確な情報を伝えていれば、今頃国民は大規模なデモを仕掛けるべく国会前に押し寄せているはずです。安倍晋三の祖父を退陣に追い込んだように。

       

       

       

      さて、今回のタイトルに対する答えは出ています。以下の動画をご覧ください。確かに人間は自分の見たいものしか見ません。教育はこの壁を破るためにあります。最終的には自分で自分を教育するしかありません。学校での教育など、生涯続く自己教育に比べれば、言葉は悪いですが、鼻くそほどのものでしかありません。あなたが、あなた自身の命を全うするために以下の動画を理解することを切に願います。

       

       

       

       

      | 中高生の皆さんへ | 20:20 | comments(0) | - |
      「川」のそばで立ちすくむ。
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        小学生の頃、私は大分市上野丘に住んでいました。勉強はほとんどせず、近所の仲間と四六時中遊んでいました。今振り返ると、放課後の時間や夏休みの遊びが人生の黄金時代を作り上げていたのだとつくづく思います。

         

         

         

        そんなある日、大きな台風が去った後、いつもの悪ガキ数人と大分川の様子を見に行こうということになりました。川が増水して勢いよく流れる様子をテレビで見て思い立ったのです。

         

         

         

        川の水は流木や砕けた木片やゴミを巻き込み、うねりとなって下流方向に流れていました。土手を降りて流れのすぐそばまで近寄ると、ゴーッと低くうなるような音が身体を圧しました。

         

         

         

        通りかかった大人から大声で注意されたので、川岸を離れ広瀬橋の欄干から(当時は木造の橋でした)川を眺めました。そばで見た時と違って、茶色く濁った大きな川が生き物のように静かに移動していました。その異様な静けさを空恐ろしく感じたことをはっきり覚えています。その時、この川に落ちたらどうなるだろうと空想しました。次の瞬間、溺れながら流されていく自分の姿がはっきり見えた気がしたのです。

         

         

         

        いま全国の小・中・高校が一斉休校になっていますが、生活や経済に及ぼす影響ではなく、子供たちの意識に及ぼす影響について考えてみます。「意図せざる結果の法則」ではありませんが、今回の一斉休校は思いもよらない結果をもたらすかもしれません。

         

         

         

        子供の自殺が最も多いのは夏休み明けだと言われています。よほどのことがないかぎり、子供は自殺したりしません。長い休みが続いた後、学校の日常に復帰できなくなる子供たちの気持ちを考えたことがあるでしょうか。子供の自殺という悲劇に対して、私たちは弱さのせいだと結論づけたり、適者生存、自然淘汰、身勝手さ、あるいは自己責任といった言葉で無関心を決め込んではいないでしょうか。

         

         

         

        今回は年間スケジュールの中に組み込まれた休みではありません。唐突な日常の中断で、場合によっては、子供たちは一日中間延びした時間と向き合い、親と向き合わざるを得ない環境に置かれます。

         

         

         

        一週間くらいならともかく、一ヶ月以上ともなると、勉強や日々の過ごし方について四六時中親に口やかましく言われ、親子関係にひびが入ることも考えられます。こんなに嫌われていたのか、自分は邪魔なんだと感じる子供たちもいるかもしれません。

         

         

         

        ところで、今回の件ではからずも可視化されたことがあります。学校が果たしている託児所・収容所としての役割です。「収容所」は悪意に満ちた言葉だと思われるでしょうか。しかし、小学生から高校生までの子供たちが学校に行かず街をうろついている様子を想像してみて下さい。膨大な数の若年失業者が街にあふれることになるのです。治安は乱れ、事件や事故が頻発するかもしれません。

         

         

         

        要するに、学校は最もコストをかけずに社会システムを維持するための装置なのです。学びの場というよりも、子供たちを預かり一定の時間を過ごした後、親元に返し社会へと送り出す施設なのです。そこでは何よりも安全が重視されます。

         

         

         

        そもそも近代以前の社会では、子供は家庭や共同体の中で立派な労働力としてあてにされていました。いわば「小さな大人」だったのです。それに対して、近代以降の社会では、生産性が劇的に向上したため子供は生産労働に従事する必要がなくなり余剰の労働力となります。ここに、子供を収容する施設の必要性が議論され「学校」が誕生します。同時にイデオロギーとしての「教育」が誕生した瞬間でした。

         

         

         

        歴史をたどればこれが学校に課された役割だったのです。半面、身分制の下で重労働にあえいでいた子供たちを解放するという面もありました。学校に行けば働かなくて済むというわけです。学校がまだオーラに包まれていた時代の話です。

         

         

         

        時は巡り、世の中が産業社会から消費社会へ、情報社会からAIを駆使する電脳コントロール社会へと変化する中で、学校はどうなったでしょうか。

         

         

         

        今学校は、受験を通じて優勝劣敗を納得させ、格差を当然だと考える新しい身分制のヒエラルキーを国民に納得させる場所になっています。さらに言えば、富裕層が持っている既得権益をロンダリングし、大企業と政府が結託して国民から富を収奪するコーポラティズムのイデオロギーを内面化する場所となりました。いわゆる出来のいい優秀な生徒ほどこの流れにうまく順応していきます。その成果が「優秀な」官僚群というわけです。

         

         

         

        ブログで何度も指摘してきたように、この体制を維持承認する制度としての学校の本質にいち早く気付いた子供たちは、その毒を飲まされ続けることに何とか耐えています。はっきり言語化できないにしても、経済成長をいまだに信じる東京を中心とした文化の非人間性に拒否反応を示しています。

         

         

         

        聡明な子供たちは自問自答しています。よりよく生きるために、あるいは日本の歴史に根差した豊かな共同体を築くために学校はどうしても復帰しなければならない場所なのか、と。

         

         

         

        今回の一斉休校は子供たちに考えるきっかけを与える気がします。いや、ぜひそうあってほしい。私は大学受験に失敗して、幸運にも社会で当たり前だと考えられている価値の序列を疑うことができました。社会を客観的に冷めた目で見ることが可能になったのです。

         

         

         

        就職予備校と化した大学に通い、時期が来たら同じ色のスーツを着て「ちょっとでも上の」企業をめざして就職活動に励む、という発想を受け入れることができなかったのです。以来、大企業で「イエスマン」にならずとも、生き延びることができるのではないかと考え、私の思考実験が始まりました。

         

         

         

        「川」の話は、制度疲労を起こした既存の社会システム、特に今の学校が負わされている役割を考えていて思い出しました。幼少のころからその中にいれば、全員が一緒になって流される「川」の異様さ・残酷さには気づきません。それが当たり前になります。しかし、何かの拍子でその流れを橋の上から眺める機会があると、自分がいかに当たり前でない世界にいたかがわかるのです。

         

         

         

        これからの社会では、既存のシステムを否定するのではなく、それを前提にしつつもその外で生きる通路を確保することがますます重要になってくるでしょう。今回の一斉休校は子供たちにとって人生で初めて訪れた、考える人間になるための「長期休暇」になる可能性を秘めているのです。

         

         

         

        できることなら、親御さんには、寝てゲームをするだけの子供をどうかそのままにしておいてほしいと思います。自分なりの時間の使い方は、最初は無駄だらけに見えます。しかし子供たちにとって、これだけまとまった時間を自由にできるチャンスは二度とないかもしれないのです。文化の母体は「暇」なのです。

         

         

         

        そうは言っても、これをチャンスだと考える親御さんは少ないと思います。「子供は放っておいたら絶対勉強なんかしません。(これは例の佐藤ママの発言です)」という貧困な人間観が邪魔をするのです。

         

         

         

        それだけではありません。偶然もたらされた「長期休暇」に、いつものごとく大量に宿題を出す高校の教師たちもいます。自分のやっていることが社会を生きづらい場所にしているなどとは考えないのでしょう。佐藤ママの同類です。この種の人間たちは、いったい子供たちにどうなってほしいのでしょうか。

         

         

         

        今回、教師にもそれを根底から考え直すための時間が与えられたのです。にもかかわらず、そのことに気づいている教師はどれくらいいるでしょう。安定した職業だというだけで、公教育に価値を見出せず、無意識のうちに学校の塾化を加速させている教師は、ただ流れに乗っているだけのサル、いや言葉の自動機械になることで給料をもらっているのです。

         

         

         

        えらそうに言ってるが、お前はどうなんだ、という批判にも応えておきます。もちろん、塾は本質的にはコーポラティズムを加速化させるシステムです。自己利益を最大化させるための階段をよりスピーディーに駆け上るテクニックや方法を教えることで利潤を上げているわけですが、それも終わりを迎えつつあります。効率的な勉強の仕方などと銘打った受験情報を流し、情報弱者の親や子供たちを相手にするビジネスモデルは賞味期限切れなのです。「消費者」がダイレクトに情報にアクセスできる社会が到来しているのですから。

         

         

         

        長い休み明け、おそらく子供たちの多くは、重い身体を引きずりながら自分を幸福にすることのない学校に復帰することでしょう。いや、友達に再会できる喜びで自然と足取りが軽くなるかもしれませんね。しかし、制度疲労の極みにある学校を前にして、立ちすくんでいる子供たちもいると思います。私が川を見ながら茫然としていたように。そういった子供たちに対しては、何とか生き延びてもらいたいという思いをこめて、ブログの中で具体的な勉強方法やノートの作り方を提示しています。よかったらお読みください。

         

         

        高橋まつりさんはなぜ自殺したのか?

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=449

         

        自分の時間と空間を生きる。

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=450

         

        『東大合格生のノートはかならず美しい』わけがない。

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=451

         

        世界に二つとないノートの作り方。

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=453

         

        あなただけのノートの作り方。

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=455

         

         

        | 中高生の皆さんへ | 14:51 | comments(2) | - |
        「ありえたかもしれない地点」に立ち戻る。
        0

          息を吐くようにウソを言い、フリガナだらけの原稿を棒読みするか屁理屈で時間を稼いで野党議員の質問をはぐらかす。かと思えば、コロナウィルス対策のスタンドプレーで支持率回復を狙う。疫病から国民の命や生活を守ることは、本来専門家が迅速に決断することで、政治は財政面を含めてそれを後押しすればいいのです。「ボクちゃん」の出番はないのです。

           

           

           

          ところが、原発事故の際に湧いて出てきた御用学者同様、当の専門家を信用できないときています。だから、国民は徐々に殺されていく運命だと言ったのです。政治の無策が原因で殺されたくなかったら、「ボクちゃん」を一刻も早く辞めさせることだと言い続けて8年になります。

           

           

           

          政治家は国民の日々の暮らしの上に載っている神輿に過ぎません。神輿が威張りちらし、我が物顔に振る舞い、国富を私物化して恥じないなら、そんな神輿は放り投げればいいのです。しかし、その神輿をありがたがって担いでいるのが、倫理なき経済界なのです。

           

           

           

          今度の全国の小中高等学校の一斉休校も、「ボクちゃん」の頭にパッとひらめいた思いつきに過ぎません。一斉休校すれば、給食も止まります。止まると野菜も肉も生乳も大量に余ります。農業や酪農で生計を立てている人の生活を直撃するのです。当然経済的ダメージも計り知れません。そのうえ食事抜きの子供も出てきます。

           

           

           

          そんな諸問題についての政府説明は一切なしです。自民党議員よ!バカの気まぐれに付き合うのもいい加減にせよ!と言ってもあなたたちもバカだから「どうしようもねえな」。

           

           

           

          かくも幼稚な戦争屋が憲法を改正して、緊急事態条項を手に入れようものなら、この国は本当に終わってしまいます。いや、3・11の原発事故の際、「ボクちゃん」が総理をしていたら、東日本はまちがいなく全滅していたでしょう。

           

           

           

          歴史にifはないと言われますが、過去を振り返り「ありえたかもしれない地点」に立ち戻って考えることこそが、私たちの社会をより良きものしていくために必要な真に自由な精神的な態度です。

           

           

           

          コロナウィルスが全国に蔓延しているとき、南海トラフ地震が日本を襲い、原発が暴走し、放射能をまき散らしている事態をシュミレーションしている政治家がいるでしょうか。そういうわけですから、コロナウィルスの封じ込めは失敗するでしょう。その結果私たちの価値観は大きく転換せざるを得ません。

           

           

           

          最後に、時間を持て余すかもしれない中高生に一つだけ映画を推薦しておきます。タイトルは『メランコリア』です。アマゾンプライムでもネットフリックスでも観ることができます。惑星が地球に衝突する話ですが、アルベール・カミュの『ペスト』と同じように、驚くべき洞察に満ちた作品です。

           

           

           

           

           

          私たちは、人間がまとっている外形的なもの、学歴や勤めている会社、あるいは地縁血縁といったもので人の価値を判断します。たまたま能力が高く、美形で、家庭環境に恵まれた人が活躍し見返りを得るのは当然で、そうでない人が落ちぶれるのは必然で仕方ない、「自己責任」だと考えるのが今の社会です。

           

           

           

          たまたま裕福な家庭に生まれ、たまたま多数派に属している人が、自らの地位を当然だと思い、頭数を武器に民主的な暴政をふるっているのが今の日本です。

           

           

           

          それをただすにはどうすればいいのでしょうか。人格に対する洞察力を高めるしかありません。外形的なものにとらわれず、相手の言葉や立ち居振る舞い、笑ったり、怒ったり、悲しんだりするときの様子を観察することです。その結果、自分の内面に起こった感情の由来を確かめる、私にはそれしか思いつきません。

           

           

          | 中高生の皆さんへ | 14:56 | comments(0) | - |
          入試に臨む皆さんへ。1年後に今日という日を振り返る。
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            皆さんはunsung hero という言葉をご存知ですか。unsung とは「歌われることのない」という意味です。sung はsing の過去分詞ですね。

             

             

            「注目もされず、称賛もされないけれど、本来ならそれに値する善き行い」という意味です。僕たちのまわりには、「歌われざる英雄」がたくさんいます。社会はそういう人によって支えられています。

             

             

            例えば、雪深い北陸や北海道の街で、朝早く起きて雪かきをする人は、誰のためでもない自分のためにやっているのかもしれません。しかし、皆がそれをすることで通行人が転んで骨折をしたり、足をくじいたりしないで済みます。

             

             

            もちろん雪かきをした人は誰からも感謝されません。しかし、一人一人が自分の仕事をきちんとすることで、多くの人を救っているのです。おそらく、こういった行為の集積によって巨大なカタストロフィー(破局)が未然に防止されているのです。つまり、雪かきが社会貢献だなどとは思ってはいない人々によって、社会は安全を保つことができているということです。

             

             

            僕たちは、明日も今日と同じ日が続くと考えますが、それを保証するものは何一つありません。日本はこれから高齢化が進み、人口が減少していきます。これまでの枠組みで考えていては、生き延びることができないかもしれません。僕は君たちになんとか生き延びてほしいのです。一体どうすればいいのでしょうか。

             

             

            僕は次のように考えています。現実をしっかり見て、学び続ける人が生き延びるのだ、と。

             

             

            具体的に話しましょう。世の中には色々な職業があります。皆さんはあと数年もすれば、自分で生活の糧を得なければなりません。大変そうですね。でも、次のことを忘れないでください。

             

             

            まず、15歳で、あるいは18歳の段階で、自分が何に向いているかはわからないのが当たり前だということ。むしろ、就職する前に、自分の向き不向きを決めつけてしまうことは危険です。僕は今でも塾の教師という仕事が自分に向いているかどうか分からないのです。

             

             

            僕は、父親が突然癌で亡くなり、妻と子供たちを連れて大分に帰ってきた日から、一日一日を工夫してなんとか生きてきました。塾教師として今日まで生きて来られたのは運がよかったからです。そして人生は偶然が積み重なってできていると気づいたのです。こうすればこういう結果が必ず生じるという考え方(必然論といいます)は、どこか嘘っぽいですね。

             

              

            それは、お前がさえない塾の教師だからそう思うんだろう、という考え方も一理あります。世の中には、夢を実現させてそれを職業にしている人もいるではないか、と言いたいのでしょう。わかります。でも僕もそれなりに歳をとって、色々な経験を積んできました。だからしがない塾教師の話を少しだけ聞いて下さい。

             

             

            僕が塾を始めた30年ほど前から、「夢」と「職業」を結びつけて考える傾向が強くなりました。そして、今や「夢」は、「将来就きたい職業」そのものを意味する言葉になってしまいました。

             

             

             たとえば「プロ野球選手になりたい」「世界で活躍するサッカー選手になりたい」「医者になりたい」「弁護士になりたい」「ファッションデザイナーになりたい」というように。

             

             

             それを後押しするように「夢を持ちなさい」「夢のない人生ほど退屈な人生はない」「夢があってこそ人生は輝く」「自分だけの夢に向かって努力しなさい」というキャッチフレーズが叫ばれています。そのことを疑問に思う声は聞こえて来ません。

             

             

             子どもの頃の僕の「夢」は、大福もちを腹一杯食べたい、パンツ一丁になってウエディングケーキに飛び込みたい(甘党でしたから)、鳥になって空を飛びたいというものでした。職業と全く結びついていません。いや、職業と結びつかないものこそが夢だったのです。

             

             

             そんなたわいもない夢ですから、夢なんかなくても子ども時代は楽しかった。大人から「夢を持て」などと言われたこともありません。そもそも子どもは、今の一瞬一瞬を生きているあるがままの存在です。だから、僕に言わせれば、お仕着せの「夢」にとらわれた子どもはかけがえのない今という時間を台無しにしているかもしれないのです。

             

             

             僕は勉強するなと言っているのではありません。逆です。勉強すればするほど、人間は色々だ、だからこそ職業や肩書で人間を評価する必要はないということがわかります。

             

             

            一方で、勉強が「試験で好成績を上げるためのもの」になればなるほど、本来の学びは忘れられます。そしていくばくかの金銭と虚栄心を満足させることと引き換えに、むなしい人生だけが残ることになる、と言いたいのです。

             

             

            それだけではありません。職業にもとづく肩書信仰は、特定の職業についている人たちへの差別感情を生みます。だれかを見下し差別することによって、自分のプライドを保つなんて、あまりに悲しいことです。君たちは、そういった人生を歩んではなりません。

             

             

             夢はある仕事について数年して振り返って笑えるようなものの方がいいのです。夢やあこがれは、それに到達することによってではなく、届かないことや、笑い話になることによって人間を成長させるものです。

             

             

             自分の望む職業につけなかったら自分の人生は失敗だと考えるのは間違いです。次のように考えてみてはどうでしょうか。「職業」や「職種」で考えるのではなく「職場」で考えるのです。自分の気に入った職場で、気の合う仲間といっしょに働くことができれば、与えられた役割をこなすという単純なことでも責任感と達成感をもたらすからです。 

             

             

             最後にこれだけは覚えておいて下さい。職業は君の個性を生かしたり、夢を実現したりするためにあるのではないということです。社会が必要としているからあるのです。

             

             

             たとえば、新幹線がストップしている深夜にトンネルの点検をする仕事は社会が必要としているからあるのです。 皆さんの中に将来の夢の職業として深夜のトンネル点検を思い描いた人はいるでしょうか。職業は、それをする人間がいないと社会が成り立たないから職業として存在しているのです。

             

             

            そして世の中の大部分の仕事はそういったものです。地味な仕事です。誰からも注目されず、スポットライトが当たることもありません。新幹線にコンクリートの塊が落ちて大事故になったときに初めて注目されます。そして責任を追及されます。でも一方で、僕たちが安心して新幹線を利用できていたのは、陰で点検している人がいたからだという事実に気づくのです。

             

             

             大人になるということは、こういった気づきを一つ一つ積み上げていくということです。 

             

             

            話が長くなりました。でもここまで読んでくれた皆さんなら、高校受験は長い人生の中の単なる通過地点に過ぎないということが分かったはずです。できれば1年後にどこの高校に行っていても、今日という日を振り返って、「ありえたかもしれないもう一つの人生」を想像してもらいたいと思います。あの時、偶然によって別の人生が開かれていたかもしれないと想像することこそが「自由」の意味ですから。

             

             

            さて、いよいよお別れです。今日の話をもし覚えていてくれたら、僕はうれしいです。長い間、雨の日も冬の寒い日も最後まで通って来てくれてありがとう。どうか立派な大人になって下さい。さようなら、中学3年生の皆さん。

             

                                    

             

            | 中高生の皆さんへ | 22:50 | comments(0) | - |
            「未来がないなら、学ぶ必要もない」− STAND WITH HONG KONG
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              孤独とは自分で自分に話しかけることです。言葉がそれを可能にしました。孤独は人間の特性です。動物が孤独などということはあり得ません。

               

               

               

              言い換えると、誰もが「私」であるということです。そして誰もが「私」であるからこそ、人と人は分かりあえないという一点において分かりあうしかありません。何もレトリックをもてあそんでいるわけではありません。私はこの一点を巡ってブログを書いてきました。しかし、もうそろそろ終わりにしなければなりません。言葉が前提としている能力の自壊現象がとどまるところを知らないからです。

               

               

               

              言葉は相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力を前提にしています。この前提を理解する能力を育むのが教育であり、政治なのです。

               

               

               

              政治?そんなバカな、と思われるでしょうか。政治とは自分の会社や組織に利益をもたらしてくれる集団や教団とつながり、ある時は平伏し、ある時はその力を利用する営みだと考えれば、そうかもしれません。

               

               

               

              リアリストを自称し、「世の中、そんなものさ」と居直って見せる人間たちは、言葉の本質が相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力であることを理解していません。しかし、政治は言葉の問題なのです。

               

               

               

              すべての政治は言葉による対話から始まります。戦争で殺し合っている敵同士ですら、停戦のためには話し合います。いかなる異論であっても対話をすることこそ政治家の仕事なのです。しかるに、政治家が対話をバカにし、言葉を信じなくなった時点でその国は滅亡へのカウントダウンを始めることになります。

               

               

               

              私は教育の末端の、そのまた末端にいるおかげで、どこに希望をつなげばいいのかを考えることができました。

               

               

               

              8月31日のブログで、ある国の文化的・政治的成熟度を見るとき2つの指標があると述べました。

               

               

               1:若者が政治的意見(反政府的意見のことです)を表明する自由すなわち民主主義国に不可欠な表現の自由を行使しているか。

               

              2:時代状況を抉り自国の負の歴史をテーマにする映画を製作する自由があるか。

               

               

               

              そして結論です。希望をつなぐべき若者はいなくなった、ということです。若者は既成の価値観に異議を唱えてこそ若者です。しかし、今はただひたすら親の言う通りに受験勉強に励み、多様なアプリが作り出すVR空間の中で自足しています。

               

               

               

              ブログで取り上げた佐藤ママは、若者の知性を破壊する大人の代表です。幼少のころから子供を受験専用の培養器の中に閉じ込め、下劣な出版社や同種の親たちから承認されることを頼りに、参考書や塾情報を発信し、子供たちの時間を管理することこそが親の仕事だと胸を張っています。

               

               

               

              つまり、日本の若者は親から心配されるだけの存在になったのです。親はただひたすら子供の将来を思い、その利益の最大化につとめています。

               

               

               

              私の言っていることは時代錯誤の妄言でしょうか。違います。世界の中で日本だけはこれまでと同じような社会が続くと信じて、コップの中、いやスプーンの中で暮らしているのが比較的裕福な家庭の実態です。その結果、勉強とゲームと音楽が若者の生活を駆動させるものとなりました。スマホ一つで幸せになれるというわけです。

               

               

               

              しかし、目と鼻の先の香港の若者は違います。それが以下の写真です。

               

               

               

               

              ついに自由を求める香港デモ隊のテーマソングが誕生しました。
              香港の抗議活動を続ける人々の気持ちを代弁した歌詞と荘厳なメロディーが支持され、香港各地のデモで歌われるようになりました。
              作者の男性は「自由や平等などの権利が奪われている。香港に輝かしい未来が来てほしいという願いを込めた。」と話しています。

               

               

               

               

               

              新学期が始まった2日、逃亡犯条例案を政府に撤回させるために、香港の中高生およそ4000人が授業をボイコットしてデモを行いました。参加した高校1年生(16)の男子生徒は「僕らと同じ若者が、警官に殴られてケガをしている。ひどい」と怒りをあらわにしました。

               

               

               

              政府は新学期が始まればデモは収束に向かうと期待していましたが、生徒たちは授業をボイコットして、その期待を打ち砕きました。

               

               

               

              この日の集会のテーマは「未来がないなら、学ぶ必要もない」でした。高校3年生の女子生徒(18)は、香港返還から50年は守られるはずの「一国二制度」が次第に骨抜きにされ、香港が中国に呑み込まれようとしていると感じて次のように言います。「大人になった時、香港がどうなっているか怖い。自分の将来のためにも抗議はやめない」と。

               

               

               

              そして9月4日、香港政府トップの行政長官が逃亡犯条例案の撤回を表明しました。日本の中高生の皆さんは逃亡犯条例案の中身を知っているでしょうか。調べる気のない人は、私のブログを読むのを止めて受験勉強に専念することです。

               

               

               

              以下は

              周庭 Agnes Chow Ting さんのツイッタ―からです。

               

               

              条例の撤回は喜べません。遅すぎました。 この3ヶ月間、

              8人が自殺。

              3人が警察の暴力によって失明。

              2人がナイフを持つ親北京派に攻撃され、重傷。

              1,000人以上逮捕。

              100人以上起訴。

              怪我した人は数えきれないです。

               

              私たちは、5つの要求を求めています。これからも戦い続けます。

               

               

               

               

              9月10日の彼女のツイッタ―によれば、「昨日の朝、200校以上の中学、高校の生徒が学校の前で手をつないで「人間の鎖」を作り、抗議活動への支持を示しました。」とのことです。

               

               

               

              お前は日本の中高生にデモをけしかけているのか、と考える人もいるかもしれません。そうではありません。日本の中高生がデモをする時は、国民的な規模でデモが起こっているはずです。そしてその時は、もはやすべてが手遅れになっている時です。それくらいの認識は持ってほしいと言っているのです。

               

               

               

              安倍政権は、国民を税金を絞り取るだけの存在だと考えています。ここ1年を振り返っただけでも明白な事実です。そして今回の内閣改造。文部科学大臣に誰を据えているか見ただけでその本質がわかります。もちろん、台風被害で苦しんでいる人のことなど眼中にありません。彼らの発する言葉は、相手の身になる能力、相手と入れ替わる能力を根底から欠いているのです。

               

              | 中高生の皆さんへ | 12:07 | comments(0) | - |
              未来のエリック・ホッファーのために。
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                明日から新学期が始まります。中高生の皆さんは、もやもやした気持ちを抱えたまま、夏の終わりの陽射しが照りつける通学路をいつものように学校へ向かわなければなりません。夏休み明けのテストが待っているところもあるでしょう。

                 

                 

                 

                正直に言うと、大人になってよかったと心の底から思うのは、もう学校に行かなくていいんだ、夏休み明けの早朝の乾いた通学路を意味もなく歩かなくていいんだという事実を確認する時です。それはまるで悪い夢から覚めた時のような感覚に似ています。

                 

                 

                 

                皆さんの中にも、中高生時代の僕と同じ気持ちを持っている人がきっといると思います。60歳を過ぎても僕は人生とは何か、生きるとは、人間とは何かという問いの前でよろめいています。要するに、中身は中高生と変らないのです。

                 

                 

                 

                今回はそんな中高生に一人の人物を紹介します。問いの前で茫然としていた時に出会った人物です。彼のおかげで確たる信念が持てたわけではありません。人間はよろめくものだ、だから学び、考える。僕は彼からよろめくことの強さを学んだのです。彼の名前はエリック・ホッファー。何度か取り上げたので、ご存知の方も多いでしょう。

                 

                 

                 

                「1902−83。ニューヨークのブロンクスにドイツ系移民の子として生まれる。7歳のとき失明し、15歳のとき突然視力が回復。正規の学校教育をいっさい受けていない。18歳で天涯孤独になった後、ロサンゼルスに渡り様々な職を転々とする。28歳のとき自殺未遂を機に季節労働者となり、10年間カリフォルニア州各地を渡り歩く。41年から67年までサンフランシスコで港湾労働者として働きながら、51年に処女作「The True Believer」を発表し、著作活動に入る。この間、64年から72年までカリフォルニア大学バークレー校で政治学を講じる。常に社会の最底辺に身を置き、働きながら読書と思索を続け、独自の思想を築き上げた沖仲仕の哲学者として知られている。」

                 

                 

                 

                エリック・フォッファー。彼は本をほとんど所有せず、行く先々の図書館で、労働の合間を縫って読書し、思索しました。僕も彼のような老人になりたいと思います。

                 

                 

                 

                 

                彼の『自伝』から引用します。

                 

                「1931年から第二次世界大戦が起こるまでの10年間、私は放浪者として過ごした。自殺に失敗し、小さな袋を肩にかけてロサンゼルスを離れたとき、気持ちは軽やかだったし、広々した田舎に出たときは、故郷に戻ったような気がした。恐れるものもなければ、新たな生活を始めるための準備期間も必要なかった。ヒッチハイクもせず貨物列車にも乗らず、南に向かって歩き始めた。乗せて行ってくれるというなら断らなかっただろうが、自分から頼むつもりはなかった」

                 

                 

                 

                この箇所を読むたびに、僕は少し泣けてきます。記述は平明ですが、僕にとっては天啓のようなものでした。そうだ、人間は何ものにも縛られず生きることができるんだ、自由に生きてこそ自分の人生だ、と改めて確信したのです。

                 

                 

                 

                夏休み明けの早朝の乾いた通学路を意味もなく歩くことと、ホッファーが小さな袋を肩にかけて広々とした田舎を歩くことは、同じ歩くという行為でも、まったく違う世界の出来事です。

                 

                 

                 

                彼は次のようにも言っています。

                 

                 

                「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」と。

                 

                 

                 

                詳しくは「未来塾通信13」をご覧ください。

                 

                 

                夢や希望ではなく勇気 ― エリック・ホッファー自伝 ―

                http://www.segmirai.jp/essay_library/essay013.html

                 

                 

                 

                ホッファーと同じことを言っている人もいます。アメリカの詩人・思想家のラルフ・ウォルドー・エマソン(1803-82)です。
                 

                「何をやろうとしても、あなたは間違っていると批判する者がいる。その批判が正しいと思わせる多くの困難がたちはだかる。計画を描き、最後まで実行するには、勇気がいる。」と。

                 

                Whatever course you decide upon, there is always someone to tell you that you are wrong. There are always difficulties arising which tempt you to believe that your critics are right. To map out a course of action and follow it to an end requires courage.

                 

                 

                 

                そのエマソンが成功とは何かについて語っています。それを引用して今回は終わりにします。

                 

                 

                「成功とは何か。よく笑うこと。知的な人からの尊厳を得て、子供たちに好かれること。よい評論家に認められ、見せかけの友人の裏切りに耐えられること。美しいものが分かり、他人のよいところを見つけられること。この世を少しでもよいものにして去ること。それが元気な子供を育てることや庭を作ることでも、社会問題を解決することでもよい。そしてたった一人でもいいから、私の存在によって、心が安らいだ人がいるということを知ること。それができたら、人生は成功だったと言える。」

                 

                 

                 

                | 中高生の皆さんへ | 22:32 | comments(0) | - |
                福島原発事故、森友・加計問題そして日航123便墜落事故。
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                  今から34年前の8月12日、日航123便が墜落し520人の尊い命が失われました。毎年8月12日になると、テレビがこの事故を報じます。事故の教訓が年々風化していくことを憂えるといった調子です。

                   

                   

                   

                  しかし、私はこの事故の真相は34年経った今も明らかになっていない、それどころか政府によって隠蔽されていると考えています。政府の中のある人間たちは、意図して真実と法の支配に攻撃を仕掛けているのです。もちろん、それが引き起こす途方もない悪影響には想像が及びません。

                   

                   

                   

                  憲法21条によって保障されている表現の自由など、経済的自由に比べれば何でもないと思っているのでしょう。いや、そんなものを保障していたら、自分たちの悪だくみが暴露されるおそれがあるので、敵視すらしています。いま私たちの国では、国益を理由に、民主主義の根幹をなす表現の自由が葬られようとしているのです。

                   

                   

                   

                  真実は民主主義の基盤であり、私たちを独裁主義から切り離す重要な砦です。以前、国会で山尾志桜里(やまお しおり)議員が安倍首相に、憲法ではなぜ表現の自由が経済的自由よりも優越的な地位を与えられているのか、と質問したことがあります。しかし、安倍首相は全く答えられませんでした。この問いに答えられない人間が日本の首相であることに、絶望を通り越して恥ずかしささえ覚えます。

                   

                   

                   

                  cf 表現の自由(憲法21条)の優越的地位について。

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=118

                   

                   

                   

                   

                  今回は「真実」や「事実」について、高校生の皆さんに練習問題を出したいと思います。

                   

                   

                  日航123便の墜落事故は、言われているような圧力隔壁の破損によるものだったのでしょうか。もし、事故の真相を闇に葬ろうとする人間たちがいるとしたらそれは誰か。なぜ、どのような方法でそれを行っているのか。ジャーナリズムはそれにどう対峙したのか。福島原発事故、森友・加計問題の真相を隠蔽する勢力と関係しているのか。マスメディアの存在意義は何なのか。

                   

                   

                   

                  事件の場合、時系列を意識し、一人でも多くの証言をかき集めることで真実は見えてきます。それを完璧にやってのけたのが、以下の本の著者、元日本航空の客室乗務員だった青山透子さんです。彼女は事故機のクルーと同じグループで乗務していました。真相を究明しようと、東京大学大学院博士課程を修了して、博士号まで取得しました。

                   

                   

                  事実の調べ方、並べ方、相互の関連性を追求する手並みは見事というしかありません。中高生のみなさんは是非読んでみましょう。『日航123便 墜落の新事実』も是非。あまりにも衝撃的で面白いので一日で読めます。

                   

                   

                   

                   

                  素朴な疑問を提示する森永卓郎氏。これも是非見習いましょう。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  事実はジグソーパズルの小さなピースのようなものです。前後左右に矛盾なく並べることで全体像が見えてきます。完成した絵を見て『モナリザ』だと分かるわけです。このモナリザが真実です。いや、ゴッホの『ひまわり』だと騒ぎたてる人もいるでしょうが、彼らは無知のために盲目になっているだけです。声が大きいだけが取り柄の人物など無視すればいいのです。

                   

                   

                   

                  社会に対して素朴な疑問を抱くことなく、自己利益の最大化に資するべく受験勉強に励んでいる皆さんは、配給された「現実」の中で社会への通路だけでなく自分の可能性もふさがれていることに気づくべきなのです。

                   

                   

                  | 中高生の皆さんへ | 22:39 | comments(0) | - |
                  朝一番の新鮮な空気を呼吸するために。
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                    今日は8月2日です。部活生の都合で前倒しした中学3年生の模試の日です。最初に、問題に向き合うときの注意事項を述べ、そして終わりに一言。「カンニングはしないように。塾でカンニングをしても何のメリットもありません。カンニングしたい人は学校でするように。あわわわ・・・・」

                     

                     

                     

                    冗談はさておき、今回は私たちの日々の生活を息苦しくしているものの正体について書きます。何だ、また政治についてエラソ〜に書くのか、いい加減にしろ、と思っている人もいるでしょうね。

                     

                     

                     

                    しかし、私は政治学者でもなければジャーナリストでもありません。日々をどう生きていったらいいのか、それだけを考えるので精一杯です。私が政治について語るのは、庶民の立場から見て、どうにも我慢ならない出来事があった場合(結構あるのです)に限ります。そうでなければ、大切な時間と労力を割いたりしません。

                     

                     

                     

                    大文字の政治状況を語る時、常に聞こえてくる声があります。「どうせ人間は死ぬんだ、何をそんなに深刻ぶっているのか。お前の考えていることなど、時間がたてばすべて無に帰すのさ」という声です。つまり、太宰治の小説『トカトントン』の中でこだます虚無の槌音です。それは主人公が労働運動や恋愛に夢中になりかけると決まって聞こえてくる音なのです。

                     

                     

                     

                    太宰治『トカトントン』

                    https://www.aozora.gr.jp/

                    cards/000035/files/2285_15077.html

                     

                     

                     

                    さて、日々の生活を息苦しくしているものの正体にもどります。もちろん私が個人的に考えているものです。それが分かったからと言って、明日からの生活が変わるわけではありません。

                     

                     

                     

                    しかし、何事であれ原因が分かると対策を立てることができます。私たちの思考や意識が更新され、自由になり、方向性を見出すことができます。そして日々の生活の中で澱んでいた感情が刷新されます。

                     

                     

                     

                    私は感情が刷新されることを何より大事にしています。なぜなら、ブログで何度も書いてきたように感情こそが論理を方向づけるからです。感情が劣化していれば、その上に築かれた論理もしょせんは砂上の楼閣に過ぎません。

                     

                     

                     

                    ところで、皆さんはオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』ジョージ・オーウェルの『1984年』をご存知でしょうか。トランプ大統領が誕生した月に『1984年』とハンナ・アーレントの『全体主義の起源』がベストセラー入りしたと聞いて、私はアメリカ社会の知的な層の分厚さに嫉妬しました。

                     

                     

                    今回は『すばらしい新世界』ではなく、ハクスリーの『集中講義』と驚くべき教育への洞察を含んだ『島』を紹介します。

                     

                     

                     

                     

                    中高生にとっては、オーウェルの『1984年』は、読むのに苦労するかもしれません。名前は知られていても、実際に読んだ人は最も少ないと言われている小説です。しかしその洞察力には脱帽するはずです。おそらく未来の才能ある小説家には避けて通れない作品です。『動物農場』とあわせて読んでみてください。

                     

                     

                     

                     

                     

                    ニール・ポストマンは1985年の著書『愉しみながら死んでいく』の中で「電気プラグが可能にしたテクノロジーによる気晴らし」が私たちの文化的会話を永久に塗り替えていると論じました。

                     

                     

                     

                    それは、より些細な、取るに足らぬものになり、伝達される情報も「単純に割り切った、実質のない、非歴史上の、文脈のないものに、つまりエンタテインメントとして梱包された情報」と化していると。

                     

                     

                     

                    そして「我々の聖職者や大統領、外科医や弁護士、教育者やニュースキャスターたちは、自らの専門分野の要求よりも演出術を気にかけるようになっている」と書きました。

                     

                     

                     

                    1985年の著書ですから、「電気プラグ」とはテレビのことです。しかし、ポストマンの考察はインターネットとスマホが普及した現代にこそ最もぴったり当てはまります。

                     

                     

                     

                    つまり、データ過多により、最も明るく光るもの、すなわち最も大きな声または最も常軌を逸脱した意見が私たちの注意を引き、最も多くのクリックと熱狂を獲得するようになった、というわけです。

                     

                     

                     

                    そのポストマンがオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』とジョージ・オーウェルの『1984年』を比較しています。この二つの作品はディストピアを描いていますが、その世界の空気こそが、私たちの社会の生き苦しさの正体なのです。

                     

                     

                     

                    『すばらしい新世界』(光文社古典新訳文庫)は、「西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め・・・驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版! 」と紹介されています(「BOOK」データベースによる)。簡単に言うと、薬物と軽薄なエンタテインメントで麻痺した人々が催眠性の人生を送る様子を描いているのです。

                     

                     

                     

                    「オーウェルはわれわれから情報を奪う者を恐れた。ハクスリーは、われわれが受動性とエゴイズムに陥るまで多くを与える者を恐れた。ハクスリーは無意味なものだらけの海に真実が溺れることを危ぶんだ」とポストマンは書いています。1985年の時点で、全体主義国家に対するオーウェルの懸念がソ連に当てはまる一方で、西側民主主義国家が出会っている脅威を言い当てていたのです。

                     

                     

                     

                    ハクスリーの悪夢によって象徴されているのは、「あからさまにつまらない事柄」によって麻痺するあまりに、責任ある市民として関与できない人々です。

                     

                     

                     

                    そして今、日本ではハクスリーの悪夢とオーウェルの描いた全体主義国家が新たな現実味を帯びています。それは、ビッグブラザーがあらゆる物語を支配し、現在と過去を書き換える国家に重なります。

                     

                     

                     

                    私たちの社会を覆う息苦しさの正体は、この二冊の小説ですでに描かれていたのです。金と権力で汚れた空気ではなく、朝一番の新鮮な空気を吸いたい人にはおすすめです。

                     

                     

                     

                    | 中高生の皆さんへ | 17:05 | comments(0) | - |
                    頭がよくなる魔法の言葉。
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                      今回のタイトルは、売り上げ至上主義の低劣な出版社が出す本の題名のようで気が引けます。『受験は母親が9割』だの『英語で一流を育てる』だの『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』などというタイトルが、いったいどのような読者をターゲットにしているか、ブログをお読みいただいている方にはもうお分かりでしょう。

                       

                       

                       

                      この種の本は自分の頭で考えることのできないバカな読者をターゲットにしているのです。上昇志向・ブランド志向を刺激するバカ本ですが、中身は詐欺そのものです。

                       

                       

                       

                      過去記事

                       

                      「ビリギャル本」の詐欺性について

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=292

                       

                       

                       

                       

                      前置きはこのくらいにしてさっそく魔法の言葉をお教えしましょう。ただし、正確には「考える力がつく魔法の言葉です」。

                       

                       

                       

                      それは「そもそも」という言葉です。物事の本質を考えたり、問題がどこから生じているかその原因を考えたりするときに、私たちが思わずつぶやく言葉です。逆に、「そもそも」とつぶやけば、私たちを原理的・本質的な思考にいざなってくれます。言葉は恐ろしいですね。

                       

                       

                       

                      少し例を挙げてみましょう。学校でこれから新しい単元を学習するときに、あるいは学習が終わった時につぶやくのです。そもそも化学反応とは何か、そもそも虚数とは何か、そもそも酸とアルカリとは何か、等々。

                       

                       

                       

                      そして先生に質問するのです。ただし、1分で説明してくれるように頼みましょう。「そもそも、指数関数と対数関数はどのように関連しているのですか。」などと。実力のある先生は必ずや1分で説明してくれます。

                       

                       

                       

                      1分で説明するためには、日頃から余分なところを切り落とし、関連個所とのつながりやその単元を学習する意味を考えていなければなりません。それを可能にするのが「そもそも」という小さな言葉なのです。

                       

                       

                       

                      授業中に「そもそも」という言葉を使う先生はいい先生です。もっとも、「そもそも」と言いながら、わが国の首相のようにちっとも「そもそも」になっていない説明をダラダラと続ける人もいます。そういった説明を聞いていると確実に頭が悪くなるばかりでなく、考えることもできなくなります。

                       

                       

                       

                      ところで、皆さんは「ミラーニューロン」をご存知でしょうか。聞いたことのある人も多いと思います。1996年にイタリアのジャコモ・リゾラッティがサルの実験で発見しました。

                       

                       

                       

                      例えばサルがもの持ち上げる動作をすると、それに伴って脳の一部が活動します。ところが驚くべきことに、その脳の同じ部位が、他のサルがものを持ち上げる動作を見ているだけでも活動するのです。自分が運動しているときだけでなく、他者の運動を見ているときにも、あたかも自分がその運動をしているように脳が活動するのです。これを「ミラーニューロン」と言います。

                       

                       

                       

                      何が言いたいのかというと、私たちは生まれつき他者と共感する強い能力を持っているということです。言い換えれば、私たちは他者の思考から強い影響を受けるようにできているのです。学ぶことは影響を受けることです。それは生き延びるために私たちのDNAにインプットされた神秘的な力です。

                       

                       

                       

                      つまり、「そもそも」という言葉を使って原理的・本質的な思考をする教師の授業を受けていると、生徒もおなじように思考できるようになるのです。そして、そういった思考は必ずや他分野へと波及します。結果、言われたことを鵜呑みにするのではなく、疑問を持ち、物事を批判的に見るようになります。

                       

                       

                       

                      こうやって知性が誕生するのです。以前、知性は独自性ゆえに個人の内部にとどまり、いわば命を宿し呼吸しているので感じるほかないものだと言いました。知性はその人の生き方から分泌されるもので、時間や量で切り売りできる知識とは違うのです。ましてやいわゆる学歴とはまったく関係ありません。

                       

                       

                       

                      過去記事

                       

                      『知性とは生死の「機微」をつかむことから生まれる美意識である。』

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=384

                       

                       

                       

                      しかし、「そもそも」などと考えていたら、時間がいくらあっても足りないだろうと考える人もいるでしょう。そうなのです。学ぶことは時間との勝負だと考えている人にとって「そもそも」思考は障害以外の何ものでもありません。ここに受験勉強の大きな落とし穴があります。

                       

                       

                       

                      例の「佐藤ママ」はこの落とし穴に落ちた典型的な「善意」の人です。「善意」ですから歯止めが利きません。自分は社会に求められていると勘違いして、出版社や塾と協力して他人も巻き込みます。

                       

                       

                       

                      社会的には何ら責任を果たしていないにもかかわらず、4人の子供が東大医学部に合格したというだけでまるで偉業を達成したかのごとく持ち上げる出版ジャーナリズムはいよいよ末期です。

                       

                       

                       

                      実際には、大学合格のための精緻なマニュアルを手に入れ、ある種の情熱と家庭環境にものを言わせて、それを忠実に実行したに過ぎません。「佐藤ママ」は自己承認欲求のかたまりであり、それがエスカレートして最近では常識外れのレベルにまで達しています。この件に関しては次回触れるつもりです。

                       

                       

                       

                      最後に「そもそも」が波及していく例をお目にかけましょう。全部を挙げることなど到底できません。「そもそも思考」は、たえず発展・生成し続けるものであり、すべてが関連しているからです。それに気づけば、人は自ら永久に学び続けるのです。

                       

                       

                       

                      あなたは以下の問いに1分で答えられますか?

                       

                      ・そもそも言語とは何か。

                      ・そもそも私たちが見ている世界は同じなのか。

                      ・そもそも幸せとはなにか。

                      ・そもそも社会とは何か。

                      ・そもそも何のために学ぶのか。

                      ・そもそもなぜ学校に行かなければならないのか。

                      ・そもそも資本主義とは何か。

                      ・そもそも貨幣とは何か。

                       

                       

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 20:59 | comments(0) | - |
                      受験で緊張する中学3年生の皆さんへ。
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                        いよいよ高校入試まであと20日を切るところまで来ました。以下気をつけることを簡単に述べておきます。

                         

                         

                         

                        1:普段と変わったことをする必要はありません。つまり、保護者の皆さんは、特別な気遣いをする必要などないということです。「落ちる」とか「すべる」といった言葉も普通に使いましょう。

                         

                         

                        例えば夕食のとき、

                         

                        「ほら、○○ちゃん、ほうれん草の白和えが落ちているわよ。拾ってよ。誰かが踏んですべるといけないから。」

                         

                        「お兄ちゃん、そんなところに本を積み上げていたら落ちてくるよ。」

                         

                        「大丈夫だよ。すべらないようにちゃんと気をつけて積んでいるんだから」

                         

                        「そんなことないよ。それじゃあ、絶対すべって落ちてくるってば!」

                         

                        「キャ〜、おばあちゃんがお風呂ですべってころんで、おおイタ県!」などというように。

                         

                         

                         

                        こんな言葉に過敏に反応するようでは先が思いやられます。今はお父さんまでが神経質になっています。

                         

                        試験当日の朝。お父さんは次のように子どもさんに声をかけてはどうでしょうか。

                         

                         

                        「○○、よく頑張ったな。オレなんかお前の半分も勉強しなかったぞ。でもな、こうやってちゃんと飯が食えてる。試験なんてものは運だよ。受かるも落ちるも運次第だ。オレが今の会社に就職したのも運だ。そして母ちゃんに出会ったのが運の尽きだ。ナハハ、なんちゃって。結果はお天道さまだけが知っている。気にせず全力でぶつかってこい!」

                         

                         

                         

                        2:この時期になってあれやこれやの参考書や問題集に手を出してはなりません。理科や社会は一問一答式で知識を整理するといいでしょう。持っていない人は、「新研究」で十分です。

                         

                         

                        アンダーラインの箇所をなつかしく眺めましょう。ああ、このころはまだ彼女とうまく行っていたのに・・・などと思い出しながら。もちろん今時の中学生で、こんな感慨にふける人はいないことくらい分かっていますよ。

                         

                         

                        でも、本当にあなたがあなただけのノートを作っていれば、全くあわてる必要などありません。よければ、以下の記事を参考にして下さい。僕の言っていることが、痛烈に分かるでしょうから。

                         

                         

                        『世界に二つとないノートの作り方。』 

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=453

                         

                        『あなただけのノートの作り方。』

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=455

                         

                         

                         

                        3:数学は、これまでやった問題を解き直すこと。その際注意すべきことは、初めて解くような気持ちで向き合うことです。解き方を思い出そうとして知識の道具箱の中を探さないこと。記憶に頼ると迷路に迷い込み、時間だけが過ぎていきます。塾の生徒の皆さんは、このことを実感しているはずです。

                         

                         

                         

                        数学は与えられた情報を「数式化する」ことがすべてです。計算問題をさっさと済ませた後、問題をじっくり眺め、数学の言語に翻訳すること、すなわち、単純に言えば、問題をグラフ化したり図形化したりするのです。これが数式化の中身です。そこへ意識を集中すること。

                         

                         

                         

                        思い出して下さい。数学を学ぶのは、よろこびを味わうためなのです。それはまだ誰も見たことのない宇宙の真実と最初に向き合うことができたという歓喜と恍惚感をいち早く手に入れるためなのです。これを味わうために生きているのが数学者です。僕が授業でフェルマーの最終定理について話すのも、これこそが数学の本質・コンテンツだということを分かってほしいからです。

                         

                         

                         

                        4:国語は、作者や筆者の言いたいことではなく、問題作成者の視点で、設問を読むこと。その際、たった一つのことに意識を集中して下さい。

                         

                         

                        文章を読みながら、不足情報を追いかける。そして、抽象表現を具体表現に、具体表現を抽象表現に言い換えている箇所にマーキングすること。これを「論理国語」などと称して、売りにしているのが「塾・予備校の国語」です。しかし、これは試験形式と試験時間が生み出した方便に過ぎません。

                         

                         

                         

                        本物の国語力とは、「論理国語」や「文学国語」(聞いたことのない、滑稽な命名です)などといったジャンルを飛び越え、どこまでも広がる、すなわち物事をクリティカル(批判的)に見ていく自由な思考と言語表現力なのです。

                         

                         

                        そもそも、安倍政権の統計偽装と同じく、センター試験であれ、共通テストであれ、子供たちのことを考えたものではなく、利権に群がる愚かな大人の考え出したものです。そんなものは本来不要なのです。少子化の今こそ、各大学が独自に試験を行えばいいだけのことです。英語にまつわる教育改革は、めまいがするほどの愚行です。このことの本質はまた改めて述べます。

                         

                         

                         

                        さて、最後に受験生に見てもらいたい動画があります。それが僕からのプレゼントです。これから試験までの日々、時々見ては、自らの精神に喝を入れて下さい。それではまたお会いしましょう。

                         

                         

                         

                        2012年、世界空手選手権で優勝した宇佐美 里香選手の演武。世界を感嘆させました。同じく下は優勝した女子団体の演武です。受験生は試験会場で決して真似しないように。

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                        | 中高生の皆さんへ | 14:48 | comments(0) | - |
                        今年の1冊 − よりよき〈生〉を生きるために。
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                          人生には自分の意思でどうにかできることと、どうにもできないことがあります。おそらく、どうにもできないことの方が多いような気がします。私の人生は、人や書物との出会いを始めとして、幸運と呼ぶしかない偶然の集積で成り立っていると、今はそう思います。

                           

                           

                           

                          それでも、私は自分の意思でどうにかできる領域を拡げてきました。それは既存の価値序列との摩擦を引き起こすこともあります。それを避けて、その他大勢の人と同じコースをたどることもできたのかもしれませんが、結局それができなかったのですね。

                           

                           

                           

                          思うに、人生を人任せにするのではなく、なんとか自分なりに狭き門を通り抜けようとする意思というか、生まれてきた意味や真実がどこかにある筈だという思いが、宗教や政治的カルト集団の思想的基盤を見破り、ニヒリズムに陥ることを防いでくれたのだと思います。

                           

                           

                           

                          幸運な偶然を引き寄せたのは、既存の価値序列すなわち匿名のシステムの中に自分の足場を作ろうとしなかったからではないかと、今になって思います。

                           

                           

                           

                          前置きが長くなりました。今年の1冊を紹介します。家系や人脈を利用して既存の価値序列の階段を駆け上がり、国民を見下し、公文書を偽造し、国家を私物化して、あげくの果てにアメリカが日本に対して好意を持っているはずだという幻想にしがみつく。これほど幼稚で愚かな人間はかつていませんでした。

                           

                           

                           

                          そんな人間が、なぜ、どのようにして登場してきたのか、彼らに反撃するにはどうすればいいのか。それをを知りたい人には、以下の本がヒントになると思います。

                           

                           

                           

                           

                          ナオミ・クレインの『NO IS NOT ENOUGH』です。右の本は、以前紹介した世界的ベストセラー『チャヴ』の著者であるオーウェン・ジョーンズの新著『エスタブリッシュメント』です。彼はナオミ・クレインの本を「An essential blueprint for a worldwide counterattack」と評しています。私の尊敬するノーム・チョムスキーは、この本を「Urgent, timely and necessary」と言っています。高校生はペンギンブック版で読んでみましょう。

                           

                           

                          それでは、良いお年をお迎え下さい。来年が皆さんにとってよい年でありますように!

                           

                           

                          | 中高生の皆さんへ | 13:26 | comments(0) | - |
                          冬期講習が始まりました。
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                            たまには塾のことも書いてみましょう。中学3年生は入試まで80日を切りました。でも全くあわてる必要はありません。焦って試験に出そうなところをあれもこれもと無秩序に頭に詰め込むと、逆に思考力を弱めてしまいます。記憶すべき知識は、一日の勉強の始めと終わりに時間を決めて集中的に取り組めばいいのです。

                             

                             

                             

                            冬期講習会の授業では最初に数学の問題をやります。黒板に一問だけ問題を書いておきます。複雑な計算を要する問題ではなく、答えを出すまでの思考のプロセスを発見させる問題です。

                             

                             

                             

                            まず問題をじっくり読む。これがおろそかになっている生徒が多いのです。つまり、与えられている数値情報がどこで必要になるのか考える前に計算を始めるのです。私はよく次のように言います。

                             

                             

                             

                            「問題を見ると、鉛筆を持ってすぐに計算を始める人がいますが、それはやめて下さい。覚えている解き方をあてはめて、適当に計算して答えを出す。間違っていれば、またゼロからやり直し。記憶に頼って、ああでもない、こうでもないと計算しているうちに正解したとしても、それは偶然答えが合っただけだと分かっているはずです。つまりそういったアプローチは自信につながらないのです。鉛筆を持って計算する前に解答への道筋を発見することの方が大事です。黒板の問題を解くのに複雑な計算はいりません。暗算でできるのです。でも思考のプロセスを発見できない人は、1時間かけてもできないでしょう。制限時間は15分です。答えが分かった人は手を挙げて下さい。」

                             

                             

                             

                            こういう指示を出すと、生徒は筆記用具を使わずにじっと問題を見つめます。しばらくすると、パッと顔が明るくなる生徒がいます。思考の転換点というかポイントに気がついたのですね。逆説的に聞こえますが、限られた時間内で問題を解くためには、普段からじっくりと問題に取り組んでいなければならないのです。

                             

                             

                             

                            「この考えでは解けない、行き詰る。他の方法を探さなければならない。しかし、問題を解くための情報量があまりにも少ない。補助線を引けばいいのかな、でもどこに?線分の長さを求める問題なのに三平方の定理も相似比も使えない。そうか!補助線を引いて面積比を使えばできそうだ!というのが実力=自信をつけるための思考錯誤です。鉛筆を持つのはその発想が有効かどうかを確かめるためです。くれぐれも、この逆をやらないように。」

                             

                             

                             

                            「ストップウオッチやキッチンタイマーを使って、ハイ始め!ハイ終わり!などと大声で叫ぶのは、思考の楽しさとは無縁なのです。塾の教師は君たちをドッグレースに駆り立てるためにいるのではありません。これまでの経験から、思考の楽しさを最後まで手放さなかった人は高校であれ大学であれ、確実に合格しています。考えていれば時間が経つのを忘れます。思わず集中してしまうからです。そうなれば、変なミスもしません。根拠のない情報に一喜一憂することもありません。この時期になって他人が使っている問題集や塾の情報に振り回される人は、自分で不合格を招き寄せているようなものです。」

                             

                             

                             

                            導入に数学の問題を1問やった後、英語の勉強に入ります。以下の問題がスラスラ解ければ、どこの高校でも合格します。出題傾向と「長文読解」に慣れるために過去問をひたすらつぶしている塾もあるようですが、実に馬鹿げています。高校入試に「長文」などありません。塾の教師が「長文読解」などと言うので、生徒もそう思い込んでしまうのです。

                             

                             

                             

                            「君たちはこれを長文だと思っているの?数十ページあるならともかく、因果関係が怪しい短文の寄せ集めじゃないか。もし君たちに英語の基礎力がついていれば、この英作文の問題などスラスラ解けるはずです。」と言ってプリントを配ります。

                             

                             

                             

                            冬期講習の一日目にやった問題は以下の通りです。皆さんもぜひチャレンジしてみて下さい。

                             

                             

                            問:以下の日本語を英語にしなさい。

                             

                             

                            1:カッコいいジーンズだね。いつどこで買ったのか教えてよ。僕もそれがほしいから。

                             

                            2:高校生の時、修学旅行でオーストラリアに行ったことがあるよ。

                             

                            3:外国人なのに、いつから日本の歴史に興味を持つようになったのですか?

                             

                            4:私は子どもの頃、3年間ほどシアトルに住んでいたことがあるわ。

                             

                            5:オレがさあ、今いくらお金を持っていると思う?

                             

                            6:あのガイドさんが、そのお寺がいつ誰によって建てられたのか僕たちに説明してくれたんだよ。

                             

                            7:先週からずっと体調がよくないので、君とゲームする時間がないよ。

                             

                            8:その問題を見た時、どうやって解いたらいいか全く分からなかったね。

                             

                            9:君ができると思えばどんなことだってできるさ。

                             

                            10:このお店は何時まで開いているんですか?

                             

                            11:映画が始まるまであとどのくらいありますか?

                             

                            12:この自転車を買ったら、消費税(consumption tax)はいくら払わなければならないんですか?

                             

                            13:高校生だった頃、よくこのあたりで彼女とデートしていたものさ。

                             

                            14:まずあなたがしなければならないことは、高校入試に合格するために最善を尽くすことです。

                             

                            15:お前さあ、誰に口きいてると思ってるんだよ?

                             

                            16:お前さあ、自分を何様だと思ってるの?

                             

                            17:げっ、おれたちの教室の窓が割れてるぜ。

                             

                            18:母さん、弟のやつまたおねしょしてるよ。

                             

                            19:彼女が本当に言いたかったことはなんだろう?

                             

                            20:バスは何分おきに来るかご存知ですか?

                             

                             

                             

                            中学時代にまともに勉強していれば、英会話学校などいらないということがお分かりでしょう。2や4の問題で現在完了を使う人は、まだまだ実力不足です。とてもいい問題ですから、プリントアウトして塾や学校の先生といっしょにやってみてはどうでしょうか。

                             

                            | 中高生の皆さんへ | 22:22 | comments(0) | - |
                            順天堂大学よ、「ごまかすな。それはただの性差別だ!」
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                              「コミュ力高い」に抗議の沈黙デモ。医学生らが順大前で。

                               

                               

                               

                               

                              あなたは医師を志し、懸命に勉強しています。そして、親や友人に励まされ、挫けそうになる心と闘いながら入試の日を迎えます。結果は不合格。理由はあなたが「コミュ力高い女子だから」と言われたらどうでしょう。

                               

                               

                               

                              10日、順天堂大で開かれた記者会見で、新井一学長と代田浩之医学部長は女子受験生を不利に扱った理由を語りました。

                               

                               

                              いわく「女子の方がコミュニケーション能力が高く、男子を救う必要がある」「18歳の時は女性が高くても、20歳で一緒なら、数年後に高くなる男子学生を救うため」「客観的データに基づいており、差異を補正するものと考えていた」。(朝日新聞デジタル)

                               

                               

                               

                              要は、男子の受験者は「コミュ力」が低いので不利になる、だから女子の合格ラインを高く設定して、男子に下駄を履かせたというのです。

                               

                               

                               

                              はあ〜?(最近こればっかりです。)もうめちゃくちゃです。そもそも、判断する人間の主観でどうとでも受け取れる「コミュ力」なるものが、客観的で公正であるべき合否の判断基準になると考える時点で、新井一学長と代田浩之医学部長の頭がピーマンだと分かります。

                               

                               

                               

                              もっとも、この合否の判断基準を曖昧化することこそが彼らの目的なのですが。曖昧化こそが「大学経営に資する」(自分たちのふところが潤う)というわけです。

                               

                               

                               

                              しかも取ってつけたように「客観的データに基づいており、差異を補正するものと考えていた」などと、屁理屈を並べます。「差異を補正する」って、要は男子に下駄をはかせるってことですよね。バカであればある程、真実を隠蔽するために小難しい言い回しを使うのです。

                               

                               

                               

                              この国の大学の劣化はとどまるところを知らない、回復は絶望的に不可能だ、と何度もブログに書いてきました。大学入試の合否が受験者本人の能力ではなく「コミュ力」や性別によって決まっていたのですから、私の言うこともあながち大げさではなかったということです。これこそが「日本版」AO入試の内実です。そして、安倍首相のお友達が総長を務める早稲田大学が先頭に立ってこれを推し進めようとしているのです。

                               

                               

                               

                              行政の私物化、司法の私物化、税金の私物化つまり国家の私物化を合法化するには、民営化するに限る、というわけです。今に始まったことではありませんが、今回の私立大学の医学部入試の不正操作こそが、民営化の本当の目的を可視化してみせたのです。

                               

                               

                               

                              私は塾の教師をしているので、受験生の悔しさがわかります。将来を託すべき若者に、こんな理不尽な思いをさせている責任は大人にあるのです。上と横ばかり見て、安倍政権と同一化することで私腹を肥やそうとする大人に。

                               

                               

                               

                              若者は異議を唱えなければなりません。画像の女子大生のように。「ごまかすな。それはただの性差別だ!」「下駄を脱がせろ!」と叫ぶのです。政治的な意思表明は、あなたが人間として生きるために必要なことです。

                               

                               

                               

                              | 中高生の皆さんへ | 13:07 | comments(0) | - |
                              飼いならされるな、高校生!
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                                高校生の皆さんこんにちは。今回のタイトルを見て、一体いつの時代のアジテーションだと思う人もいるでしょうね。もちろん普段は授業をしています。こんなことを叫び続けてきたわけではありません。でもなんだかんだ言っても、これが私の最も言いたいことです。

                                 

                                 

                                知性主義の前提が崩れ去った今、言い換えれば知が大学の専有物ではなくなった社会で、大学の先生や有名な権威ある思想家の言葉をコピーすれば知性が身に付くと勘違いすることほど危険なことはありません。

                                 

                                 

                                具体例を挙げてみます。『超訳・ニーチェの言葉』という詐欺本、トンデモ本がベストセラーになったのは、2015年のことです。「愛がいかに人を盲目にし、愚かな判断を下すか」を批判していたニーチェの文章が、この本の中では愛の美しさをたたえるような正反対の意味になっています。

                                 

                                 

                                当の『善悪の彼岸』の中には、「今日のヨーロッパの道徳は、家畜の群れの道徳なのだ」という痛烈な1節があるのです。ニーチェは今ある社会の秩序や価値基準に適応し、その内側でのみ成功しようとする俗人を徹底的に軽蔑した人です。ドイツ語を正確に訳せないので「超訳」、ニーチェの「思想」ではなく「言葉」。いくらでも言い逃れができるようになっています。

                                 

                                 

                                同じ年、ブログでも取り上げた『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』という詐欺本もベストセラーになっています。以上の2冊は、それぞれ100万部以上を売り上げ、日本でポスト・トゥルースのさきがけとなった本です。

                                 

                                 

                                『ビリギャル本』の中には、私立の中学受験を突破した生徒が「聖徳太子」を読めずに、「しょうとくタコ」と読むエピソードが出てきます。この本の読者はこの種の話に違和感を覚えずに読み進められる人たちなのでしょう。あるいは、「話を盛る」のは、普通のことだとして気にも留めないのでしょうね。

                                 

                                 

                                そう言えば、ポスト・トゥルースの風潮の中、フェイクニュースならぬフェイクサイトを立ち上げて、塾の宣伝をしていた大分市田尻のK塾長のような人物もいました。フェイクサイトを立ち上げるくらいは「許容範囲だと思った」そうです。「許容範囲」かどうかを自分で決めるところがすごい。一橋大学法学部で一体何を勉強していたのでしょうか。

                                 

                                 

                                話を元に戻します。『ビリギャル本』の主人公は、学校では爆睡。それを注意されると、お母さんが「学校しか、寝る場所がないんです・・・慶応に行く子なんです。寝かせて下さい」と押し切ったそうです。慶応に行かない子は、役にも立たない授業を真面目に受けろというのでしょうか。

                                 

                                 

                                自分の子供を「慶応に行く子」と形容し、だから特別扱いしろと学校にねじ込むとは、どこまで自分勝手でわがままな親なのでしょうか。「あなたの授業は受験に関係ないから、寝かせろ」と言われた教師は悔しくなかったのでしょうか。

                                 

                                 

                                要は、『ビリギャル本』の著者が冒頭のモノローグで言うように、この本の功績は「人間にとって一番大切なのは、このゼッタイ無理を、克服した体験だ」という価値観を広めたことだそうです。

                                 

                                 

                                逆に言うと「ゼッタイ無理」だと思えることを成し遂げるなら、目標は慶応はおろか大学受験である必要はないのです。水の中に10分間潜っているとか、フルマラソンを1時間で走るとか。でもこれは本物の「ゼッタイ無理」です。この著者は言葉を「盛る」のが得意ですね。

                                 

                                 

                                そういうわけで、この種の話は「受験モノ」になることが多い。格差社会に挑んでいるように見えて、格差社会の価値観を強化しているところが読者の潜在的な願望を刺激するのでしょうね。

                                 

                                 

                                それになんと言っても、結果が偏差値や合否に表われるので分かりやすい。何より、まともな思考力のない、ミーハーの読者をねらって出版社や映画会社が儲けることができます。最近では、ビリギャル本人がこの価値観を広めるべく全国の高校で講演して回っているそうです。「佐藤ママ」が本を出版し、講演しているのと同じ「現象」です。

                                 

                                 

                                さらに言えば、「べつに、大学くらい出とけっていわれるから来ただけだよ。就職するときヤバいかもって。本当にやりたいことなんかあるわけないじゃん。大学なんて就職までの時間を楽しく過ごす場所だと思ってるし・・・」という、ごく普通の若者の感性が社会現象になったということです。

                                 

                                 

                                つまり、大学は「形式」だけで、内実を伴わなくてもよい。むしろ内実があれば勉強しなくてはならないから、邪魔でウザい。大学の価値がそういうものになり果てたということです。

                                 

                                 

                                最初に書こうとしていたことから話が大きくそれてしまいました。高校生の時にどうしても読んでほしい(と私が思う)本を挙げるつもりでした。それは、飼いならされる人生なんてごめんだ、と感じている少数の高校生に向けてのものです。長くなるので今回はここまでにします。続きは次回に譲ります。

                                 

                                | 中高生の皆さんへ | 16:25 | comments(0) | - |
                                人生をカスタマイズする。
                                0

                                  漂泊の思い止まず、秋の空気と高くなった空に誘われるようにして1週間ほど古寺巡礼の旅に出ていました。もちろん車での旅です。全行程2500キロ。疲れたと言いたいところですが、実はそれほどでもありませんでした。道中ずっと人生第4期に当たる計画について思いを巡らせていたからでしょう。

                                   

                                   

                                   

                                  途中、兵庫県宝塚市に自分でこだわりの家を建てた甥を訪ねたり、東京の大手出版社を退社し子供3人とご主人の5人家族で長野県上田市青木村に移住した教え子を訪ねたりしました。この話はまたいつか。

                                   

                                   

                                  留守にしていた間に、色づき始めていたオオバモミジも百日紅もすっかり紅葉していました。時間の流れを感じる季節です。落葉の始末も大変です。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  ところで、出発の前日、第2回大分県合同模試の結果が届きました。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  毎年、毎回、同じような結果です。今年は途中で塾をやめる生徒もいて、もともと少人数のクラスが5名になりました。3名が上野丘高へ、2名が西高に合格するでしょう。

                                   

                                   

                                   

                                  私は塾を始めた時から、生徒を特定の高校や大学に合格させることを目標にしたことはありません。地域に密着した小さな塾ですから、授業内容も進学先も地域性に大きく左右されます。それでも全国最難関の大学や国公立大学の医・歯学部に合格する生徒もかなりいます。

                                   

                                   

                                   

                                  「目指せ県立トップ校」というキャッチコピーは分かりやすいでしょうが、それは前年度よりも少しでも売上を伸ばすことを至上命題にする塾産業のやることで、私のような個人塾の経営者のやることではありません。

                                   

                                   

                                   

                                  売り上げを伸ばすために、さまざまな宣伝ツールを駆使し、進学実績なるものをでっち上げ、消費者である親や子供たちの意識をコントロールしたり、媚びたりしようとも思いません。

                                   

                                   

                                   

                                  生徒が多いときもあれば、少ないときもあります。能力の高い生徒が集まる年もあれば、そうでない年もあります。それぞれの時期で偶然出会った生徒たちとの交流を楽しむといった風情で、無理をせずにやってきました。

                                   

                                   

                                   

                                  そのせいでしょうか、30年以上にわたって一人で塾を続けることができました。この間、いろいろなスタイルの塾が進出しては消えて行ったのを見ると、私の時代遅れの考え方にも多少意味はあるのかなと思っています。

                                   

                                   

                                   

                                  塾教師として最もうれしいのは、生徒が希望校に合格した時はもちろんですが、むしろ人格的にしっかりしてきたのが分かる瞬間です。当然、それにともなって学力もついてきます。

                                   

                                   

                                   

                                  人間はAIではありません。テストや入試で求められる知識を効率的かつ短時間でインプットすることなど、土台無理なのです。倫理観や想像力、どこまでも思考を展開したくなる衝動、既存の枠組みを疑う知性、そういったものを代償として払わずに高速事務処理ロボットになることはできません。

                                   

                                   

                                   

                                  ゲーテは言っています。「地上の子らのしあわせは、何になってもいいから自分が自分であるところのものを失わないことだ」と。

                                   

                                   

                                   

                                  幸福とは、匿名のシステムにから離脱した時に感じる普遍的な感情です。真の自由がさまざまな制約や桎梏から解放されてはじめて知覚できるのと同じです。

                                   

                                   

                                   

                                  それにしても、私は何を願望して生徒の前に立ち続けてきたのでしょうか。その自問自答に対する答えは今なら一言で言えます。それは、人生をカスタマイズする意味と方法を教えたいということに尽きるのです。

                                   

                                   

                                   

                                  私が教えた生徒が、誰でもいい誰かの人生を生きるのではなく、自分自身の人生を生きているのを見ること、あるいはその萌芽に立ち会えることが私の幸せなのです。それを願望して塾教師を続けてきたのです。

                                   

                                   

                                   

                                  私たちの社会では、教育を通じて、多少のヴァリエーションはあるものの、同じ中身を同じ教科書を使って修得することを要求されます。これは社会にとって必要なことです。しかし、個人にとって本当に必要なのかという問いは封印されたままです。

                                   

                                   

                                   

                                  かくして、車やIT機器をカスタマイズすることは思いついても、私たちは人生そのものをカスタマイズすることからは疎外されているのです。

                                   

                                   

                                   

                                  私たちの関心は常に未来に向けられています。社会がそれを推奨し、強制しています。教育しかり。スポーツしかり。もちろん政治もそうです。その結果何が起こるでしょうか。文化の空洞化、歴史の空洞化が進行します。ひいては人格そのものが空洞化するのです。

                                   

                                   

                                   

                                  私たちが未来に目を向けるのは、欲しいものを手に入れるためです。それは過去の行為から目を背け、あたかも自分がそれに値するかのように自分にウソをつき、自分を偽る可能性が出てきます。何かにつけ結果だけを求める風潮は、こういった人間の身勝手さから出てくるのです。

                                   

                                   

                                   

                                  長くなりました。もう終わりにします。最後に、人生をカスタマイズするときにぜひ思い出してほしい人物を紹介します。彼はすぐに役立つあれこれの知識を教えてくれはしません。しかし、人間の尊厳について教えてくれます。幸福とは何かを教えてくれます。彼は言います。

                                   

                                   

                                   

                                  「注目すべきことは、未来にばかり関心を奪われると、ありのままの現在が見えなくなるばかりでなく、往々にして過去を再編成したくなるということである」深い洞察力に富む言葉です。(エリック・ホッファー「The Passionate State of Mind」より)

                                   

                                   

                                  | 中高生の皆さんへ | 15:58 | comments(0) | - |
                                  絶望するのはたやすい。学ぶことをやめればいいのだから。
                                  0

                                    相も変わらず同じようなネタをグダグダ書いて何が楽しいんだよ、と言われそうですが、これは私が自分にツッコミを入れているだけです。いいかげんバカバカしいと思うのですが、やめるわけにはいきません。

                                     

                                     

                                     

                                    それに私の書くものは「ネタ」ではなく、世界を読み解くために必要な真実です。誤った情報や流行りの言葉に騙されて、猿回しのサルの人生を生きるのはまっぴらです。あるいは人生の岐路でどちらの道を選択すればいいのか考えあぐねているうちに餓死するビュリダンのロバにもなりたくありません。絶望するのはたやすいのです。学ぶことをやめればいいのですから。

                                     

                                     

                                     

                                    お前は何のために、誰のために生きているのか、と問われて答えに窮するようでは人として生きている資格がありません。私はこの青臭い問いに答えようとして生きてきました。そして今思うのは、青年期と老年期に必要なのは哲学だということです。

                                     

                                     

                                     

                                    結婚して所帯を持ってからは家族のため、子供のために働きました。ひねくれ者の私は、わけのわからない会社のために働くくらいなら、日銭を稼いででも生き延びてやろうと思い、塾教師稼業を続けてきました。

                                     

                                     

                                     

                                    その結果、エリック・ホッファーではありませんが「私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心を引く本、少々の著述を毎日。これが私にとっては生活のすべてである」と考えるようになりました。タバコではなく、コーヒーですが。

                                     

                                     

                                     

                                    ところで今日は大分地裁に行く日です。伊方原発差し止め訴訟の原告の一人として、第11回の口頭弁論を傍聴するためです。先日の仮処分の決定を見れば、佐藤重憲裁判長が私たちの訴えを却下することは分かっています。

                                     

                                     

                                     

                                    安倍政権や金もうけしか考えない電力会社トップの価値観を内面化している人間たちは、仮処分の決定を聞いて「ザマ〜見ろ」と思った事でしょう。しかし想像してみて下さい。私たちの考えや行動が正しかったと分かる日のことを。

                                     

                                     

                                     

                                    MOX燃料を使っている伊方原発が過酷事故を起こせば、チェルノブイリや福島よりもはるかに深刻な影響をもたらすはずです。端的に言ってこの国は終わるのです。したがって、「その日」が来て、私たちの正しさが立証されることだけはあってはならないのです。権力を持っていない私たちの武器は言論しかありません。

                                     

                                     

                                     

                                    私たちは言葉によって世界を認識します。言葉が歪めば世界の像も歪みます。「具体的な危険」など存在しない、原発が危険かどうかは「社会通念」で判断すればよい、というのがこの国の裁判所の態度です。安倍首相の言語運用能力すなわち知力と同等なのです。

                                     

                                     

                                     

                                    彼らの使う紋切型の言葉は、ただ不都合な真実を覆い隠すためだけに使われています。安倍首相の言語運用能力(官僚の書いたフリがな付きのペーパーを読むだけ)と貧困な想像力では、国民がやがて遭遇する破局を予見できるはずもありません。歪んだ人格は歪んだ言葉しか発することができないのですから。

                                     

                                     

                                     

                                    若者はハロウィンの仮装パレードで浮かれ、それを重大事件のように報道するマスコミ。愚民化政策はかつてないほど成功を収めています。そういった「幸せな日常」が突然破壊される日がすぐそこに迫っています。

                                     

                                     

                                     

                                    巨大地震の襲来を予告するNHKの番組も、それが原発事故につながってこの国が終わる可能性があることには触れません。いや、わかっているけど報道できないのでしょう。

                                     

                                     

                                     

                                    実は、この状況を変えるのはコンビニでコーヒーを注文するくらい簡単です。一人一人が真実を学び、声を挙げればいいだけです。しかし、それこそが難しい。格差社会の中では利害が衝突し、「知的で合理的な愚か者」が政治的な分断を加速させているからです。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    さて、そろそろ裁判所に行く時間です。たとえ結果が分かっていても、裁判官が原告の訴えに耳を貸さなくても、絶望する必要はありません。なぜなら、今、生きていることが至上の幸福なのですから。

                                     

                                     

                                    | 中高生の皆さんへ | 13:12 | comments(0) | - |
                                    山本太郎は日本のバーニー・サンダースである。
                                    0

                                      私のつたないブログを読んで下さっている皆さんは、私が山本太郎を応援していることをご存じだと思います。彼は何者にも媚びない、忖度しない。ただ国民のことだけを考えて行動しています。つまり、3・11の福島原発事故が生み出した正真正銘の政治家です。

                                       

                                       

                                       

                                      何度も書きましたが、政治とは、誰もが不可能だと思っていることを可能であると実証し、国民が勇気ある一歩を踏み出せるように説得する営みのことを言います。

                                       

                                       

                                       

                                      すなわち、現実を絶対化し、その改変を試みる勇気を持たない人間に対して、「現実」は一部の人間の利益に奉仕しているだけであり、したがって取るに足らない思いこみであり、一時的な夢だと喝破して見せることこそが政治の使命なのです。

                                       

                                       

                                       

                                      日本語もろくに読めず、息を吐くようにウソを言い、カルト教団を頼りにする最高権力者に取り入り、金銭欲と小権力欲を満足させ、自分のことをひとかどの人物だと勘違いしている政治家たち(いわゆるカジノ法案を成立させてこの国を賭博国家に仕立て上げ、防衛大臣の椅子に座ったわが大分県選出の岩屋毅議員のような政治家のことです)の対極にいるのが山本太郎です。彼は常に虎の尾を踏んでいます。その政治活動はいつも命懸けです。

                                       

                                       

                                       

                                      しかし、マスメディアは彼を助けようとはしません。それどころか若い人たちのなかには、「政権を批判する」行為は「コンビニで店員に怒鳴り散らす」のと同じような「利己的で、はた迷惑で、非常識な行為」だと感じている人もいるようです。これこそが教育の敗北です。

                                       

                                       

                                       

                                      大げさだと思う人は以下の動画をご覧ください。

                                      この動画のなかで山本太郎は言っています。「私が総理大臣だったら消費税ゼロです!消費税がこの国の経済成長を阻んでる。阻害要因のNo1です!」と。野党でこのセリフを吐けるのは彼だけです。

                                       

                                       

                                      20181011日。JR藤沢駅前での山本太郎の街宣。動画を見やすいものに変えました。長いですが、まず事実を知ることから始めましょう。彼が挙げている事実、および論理のどこがおかしいのか具体的に指摘するつもりで見てください。国会議員のなかで、国民と直接対話し、質問に答える機会を提供している人がいるでしょうか。それだけでも、私は彼を応援します。

                                       

                                       

                                       

                                      この動画は、トランプ氏が大統領になる前、2016年の米大統領予備選で旋風を起こしたバーニー・サンダース上院議員を彷彿とさせます。彼についてはブログで何度も取り上げました。最後に過去記事を載せているのでぜひお読みください。

                                       

                                       

                                       

                                      コーポラティズム(巨大企業と政府が癒着して国民の富を私物化し、軍隊を私兵化すること)のイデオロギーである新自由主義は日米で同時に鬼胎の政権を生みました。今の日本は、客観的な検証に耐えられないどころか言葉を無効化させるトランプ的・安倍晋三的・ネトウヨ的な言説が幅を利かせています。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      しかし、それに対抗するように、山本太郎とバーニー・サンダースという真の政治家も生まれました。この二人の主張がいかに似ているか、それを思うと感動すらします。若い人たちは、ぜひ以下の過去記事を読んで下さい。この国の将来を選択するのはあなたたちなのですから。

                                       

                                       

                                       『高校生の英語力向上のために』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=168

                                       

                                      『自分の国のこどもたちに、背中を向けているというのに!』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=165

                                       

                                      『「箱」の外で考える』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=169

                                       

                                       

                                      | 中高生の皆さんへ | 23:36 | comments(1) | - |
                                      「自分は何を知りたいのか」と常に問い続ける。
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                                        中高校生の皆さん、お久しぶりです。私は塾の教師ですから本来なら英文法や英文読解、英作文、あるいは数学の基本的で応用の効く定理や発想について語りたいのです。さらには800字〜1600字程度の論理的な日本語を書く方法についても解説したいですね。

                                         

                                         

                                         

                                        しかし、ブログに書くより塾の授業でやれば済むことではないかと思い、あまり気乗りがしませんでした。そんな折、本庶佑氏のノーベル賞受賞の知らせを聞いて、思うところがあるので、この記事を書くことにしました。

                                         

                                         

                                         

                                        本庶氏は人生の大部分を基礎研究に費やしてきた人です。氏の短いコメントには、学問にたずさわる人間だけではなく、ジャーナリズムを志す人間にとっても、極めて重要なことが含まれています。

                                         

                                         

                                         

                                        氏は言います。「できることをやるのはつまらない。自分は何を知りたいのかという、その一点を常に考えて研究をしてきた」「教科書を信じてはいけない。あらゆることを疑うことが大事だ」と。

                                         

                                         

                                         

                                        私は塾の授業で基礎の大切さを話します。中高校生の皆さんは、先生に「基礎」とは何かを尋ねたことがありますか?数学の基礎とは?外国語を学ぶときの基礎とは?そもそも言語とは何か?と。そして「基礎」はなぜ大事なのか?と。

                                         

                                         

                                         

                                        「基礎」とは知識のことでしょうか。普通はもちろんそう考えますね。しかし、その数は膨大ですし、試験のために覚えた知識などすぐに忘れてしまいます。ですからその一々を答えるわけにはいきません。実は「基礎」には、ある分野の知識以上の深い意味があるのです。

                                         

                                         

                                         

                                        本庶氏はそれを経験的に知っています。「基礎」とは、「自分は何を知りたいのか」という初発の動機を手放さず、それを原動力に研究を続ける過程で身につく力だと言っているのです。つまり、様々な知識を体系付け、方向付け、関連付けるために必要とされるメンタリティーを保持し続けることを指しているのですね。そのためには「あらゆることを疑うことが大事だ」と。この態度を身につけていない人の学力は決して伸びません(これは街場のキラキラ塾のAI先生から学ぶことなどできないのです)。

                                         

                                         

                                         

                                        愚かな裁判官や官僚のように匿名のシステムに埋没するのではなく、皆さんは常に、誰のために、何を知りたくて生きているのか、という青臭い問いを手放してはなりません。なぜなら、青臭い問いこそが人格を形成するからです。

                                         

                                         

                                         

                                        こうして形成された人格を保持していれば、「あの男」の意図を忖度して公文書を廃棄・隠蔽したり、原発の再稼働にゴーサインを出したり、情報提供を餌に女性記者に迫ったり、セクハラ発言をしたりせずに済むのです。

                                         

                                         

                                         

                                        「自分は何を知りたいのか」と問い続けることは、自分の時間を主体的に生きることにつながるのです。私が時間にこだわるのは、まさにこのためです。

                                         

                                         

                                         

                                        昔、塾の生徒だった皆さんは私の脱線話を覚えているでしょうか。多田富雄氏の『免疫の意味論』について話し、これからの医学研究の主流は免疫をめぐるものになると言いました。そこで問われるのは、人間にとっての「死」の意味であると。生き方(職業)ではなく、なぜ生きるのか、つまり、HowではなくWhyが問題になると。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        そして、フェルマーの定理(3 以上の自然数 n について、 X+ Yn = Z となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理)を証明したワイルズの話もしました。一つの定理を証明するために全人生を捧げた人間の生き方についても触れました。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        若い皆さんには、世間的な価値や序列にまどわされずに、自分の人生を生きてもらいたいと思います。誰でもいい誰かの人生を生きるには、人生は長すぎます。私のように平凡な塾教師でもいいのです。

                                         

                                         

                                         

                                        若い頃に読んだ福永武彦の小説『草の花』の最初にたしかペテロ伝前書の一節がありました。「人はみな草のごとく、その栄光は草の花のごとし」と。私はこの一節を心に刻んで生きています。

                                         

                                         

                                         

                                        | 中高生の皆さんへ | 14:09 | comments(0) | - |
                                        「素朴な問い」を発する。
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                                          今回は、「佐藤ママにエールを!」さんに反論するつもりでした。しかし、詳しくは次回に譲ります。私は信条として批判やコメントを無視することはしません。なぜなら、他者からの批判を受けとめ、崩落した思考の足場を幾度となく固め直すことによって今の自分があると感じているからです。

                                           

                                           

                                           

                                          コメント主は、内容と佐藤ママの講演会に行っていることから判断すると、多分女性の方でしょう。彼女のコメントが私のブログを読んだ後で寄せられたものであることを考えると、そもそも彼女に私の言葉が届くはずもなく、徒労に終わるのは目に見えています。それでも、一度は反論するつもりです。それ以降は関わりたくありません。人生は短いし、時間が惜しいからです。この話題は次回また。

                                           

                                           

                                           

                                          今回は小学生でもわかる「素朴な問い」を発してみます。なぜ「素朴な問い」か?

                                           

                                           

                                          「専門的な問い」に対しては、学者や専門家や官僚による技術的・手続き的・専門的な答えが用意されているからです。専門的な問いに答えるためには、専門的な知識が必要です。その修得のためには人生のかなりの時間を投入しなければなりません。あらゆる仕事はどこかで専門性を帯びているといってもいいくらいです。

                                           

                                           

                                           

                                          しかし、素朴な問いは批判精神の母胎となるもので、心が正しい位置にありさえすれば誰でも発することができます。いいかげんな専門家のウソを見破ることができます。

                                           

                                           

                                           

                                          では素朴な問いを発してみます。

                                           

                                           

                                          1:国民に対して常習的にウソをつく人間が総理大臣になってもいいのか?

                                           

                                           

                                           

                                          9月14日、日本記者クラブでの石破茂氏との討論で「あの男」は次のように発言しました。

                                           

                                          「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことはない。ご家族の方がそういう発言をされたのは承知している」

                                           

                                          これは真っ赤なウソです。国会で自分自身がはっきり言明しています。さらに2012年12月28日「救う会」との面会で次のように言っています。

                                           

                                          「5年前に突然辞したとき、被害者家族の皆さんに大変残念な思いをさせた。私にとってもつらいことだった。私がもう一度総理になれたのは、なんとか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい。この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく。」

                                          http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_3295.html

                                           

                                           

                                          それにしても首相になるまで自分の政治キャリア形成の踏み台にした家族会に責任転嫁するとは!3年前に紹介した本ですが、是非お読みください。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          TPP「TPP絶対反対などと言った覚えはない。」「TPP断固反対!」と大書された自民党の選挙ポスターを貼っていました。「断固」反対とは言ったが、「絶対」反対とは言っていないとでも言うのでしょうか。

                                           

                                           

                                           

                                          異次元緩和→「ずっとやっていいとは言っていない。出口戦略は黒田総裁の判断。」

                                           

                                          アベノミクス→「トリクルダウンなんて言ったことはない。」選挙カーの上から何度も叫んでいましたよ。

                                           

                                          現総理大臣のウソは枚挙にいとまありません。書いていたら朝になります。まさに息を吐くようにウソを言うのです。自民党の皆さん、頭は大丈夫ですか?今でも素朴な正義感をお持ちでしょうか?

                                           

                                           

                                           

                                          2:国民の生活や命をかえりみない人間が総理大臣になってもいいのか?

                                           

                                           

                                           

                                          ■原発に溜まり続ける高レベル放射性廃棄物の処理はどこでどうするのか。

                                           

                                          ■福島第一原発の汚染水はどうするのか。どさくさにまぎれて海へ流すのか。

                                           

                                          ■過酷事故が起こった時の住民避難計画がまともにできている自治体は一か所もないが、住民の命は電力会社の利益のために犠牲にされるのか。

                                           

                                          ■北海道地震の震源地の目と鼻の先に、2兆円かけても完成しない六ヶ所村再処理工場がある。大きな活断層が二本走っているとされているが、地震で爆発したら日本どころか北半球に壊滅的な被害をもたらす。この事実を知っているのか。

                                           

                                          ■「もんじゅ」の廃炉は方法すらわからない。50年経っても廃炉は不可能。

                                           

                                          ■南海トラフ地震が迫っていると広報しながら、それでも現総理大臣は原発を粛々と再稼働させている。地震学者が「南海トラフ地震が起これば、日本は世界の最貧国になる」と警告している。しかも、原発の被害は考慮されていない。正気の沙汰ではない。「あの男」に後三年総理大臣をさせていいのか?

                                           

                                           

                                           

                                          3:自国の領土を他国にプレゼントする人間が総理大臣になってもいいのか?しかも国民の税金数千億円のおまけつきで。

                                           

                                           

                                          北方四島は返ってきません。平和条約の意味が分かっているのでしょうかね。アメリカとロシアの両方の機嫌を取っているうちに、ロシアに領土を取られてしまって、さぞアメリカ様は怒っていることでしょうね。「お前、アホか!」と。ひょっとすると、オバマとヒラリーとトランプの区別がついていないのではないか?みんなアメリカの大統領ですって?たぶん「あの男」の認識はそんなものです。

                                           

                                           

                                          以上ごく一部ですが「素朴な問い」を発してみました。皆さんの意見をお聞きしたいものです。

                                           

                                           

                                           

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