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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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卑怯者の島: 戦後70年特別企画
卑怯者の島: 戦後70年特別企画 (JUGEMレビュー »)
小林 よしのり
2015年に読み、感動した本(漫画)です。個人的には、これは小林よしのりの最高傑作だと思っています。『堕落論』とあわせて読んでほしいと思います。左右に関係なく、あなたが絶えず仮の足場を求めて思考を継続する意思を持つなら、避けて通れない著作です。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) (JUGEMレビュー »)
エドワード・W. サイード
いわゆる「知識人」なるものが絶滅して久しい。しかし、サイードの言う知識人の定義は時代がどんなに変わっても常に新しい。「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」高校生や大学生にはぜひとも読んでほしい本です。
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磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
磯崎新と藤森照信の茶席建築談議 (JUGEMレビュー »)
磯崎 新,藤森 照信
この本は茶室を巡る様々な建築的発想・知識の宝庫です。それにしても磯崎新氏の驚くべき記憶力と該博な知識には驚かさされます。建築史を語るには欠かせない二人の対談です。時がたつのを忘れさせるほどの面白さでした。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)
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烏賀陽 弘道
私は政治的な言葉と詩的言語の間を、その振幅が大きいがゆえに、往復することによって精神を活性化させています。政治的な文章を読むときに気をつけていることは、ファクトとオピニオンを区別することです。これはイロハのイだと思っていたのですが、今はお互い罵詈雑言の投げつけ合いで、言論空間がいびつになっています。これは今の政治を反映したものでしょう。菅官房長官が「問題ない」「その指摘は当たらない」などといったコミュニケーション遮断語を頻繁に使いだしてから、この傾向は加速しています。言論空間のゆがみを正し、正常な論争が復活することがあるのでしょうか。地に足がついた生き方をしたいなら、まず気分に流されず、事実を見極めることから始めなければなりません。事実を提示しないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。そのことを確認するためにも本書は必読です。本物の読解力をつけたいと考えている中高生には特にお勧めです。
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫)
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大河内 直彦
アインシュタインの名言のひとつに、「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」があります。
本書は文系・理系を問わず、高校生や大学生必読の本です。単に気候の科学を紹介しただけではなく、科学者たちのさまざまな逸話を紹介しながら、科学における知識・研究の積み重ねの重要性を教えてくれます。この本にのめり込むかどうかが、あなたの知性のリトマス試験紙になります。受験勉強的発想の狭隘な世界観を粉砕してくれるかもしれません。
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見て見ぬふりをする社会
見て見ぬふりをする社会 (JUGEMレビュー »)
マーガレット ヘファーナン
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新・日米安保論 (集英社新書)
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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安倍首相から「日本」を取り戻せ! !
安倍首相から「日本」を取り戻せ! ! (JUGEMレビュー »)
泥 憲和
まともな言説は、誰にでもわかる易しい言葉で書かれています。そして、それが本物であればあるだけ、真実を直視する勇気のない、臆病者からバッシングを受けます。安倍政権や維新の会のヤクザ議員からバッシングを受けない言説は何のインパクトもない、ニセモノだと言ってもいいくらいです。泥さんの発言は、間違いなく政権にとって都合の悪いものだったのです。表紙の写真はコワいですが、この本を読めば泥さんの優しい心根に触れることができます。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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日本力
日本力 (JUGEMレビュー »)
松岡正剛,エバレット・ブラウン
テレビを始めとするメディアを通じて、何かといえば日本はスゴイ!と叫んでいる、あるいは叫ばないと身が持たない人たちに読んでもらいたい本です。だってそれは日本人がまともな思考をしてこなかった、今もできていないことの裏返しでしかありませんからね。日本スゴイと叫んでいる人を見ると、自分が持っている劣等感をこんな形でしか表現できないのかと思って気の毒になります。日本スゴイ!だからどうしたの?あなたは何をやりたいわけ?
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まんが政治vs.政治まんが――七人のソーリの一〇年
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佐藤 正明
今の政治状況に対して、まともに反応すればするほど、こちらがアホに思えてきます。正面突破は犠牲者が出るだけでなく、精神的にも疲労困憊しますからね。こういう時代の表現方法は、もはや風刺とブラックジョークしか残っていない気がします。
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魂の殺人―親は子どもに何をしたか
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書)
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五味 洋治
天皇陛下が去年8月のお言葉で一番国民に伝えたかったのは、一言で言うと安倍首相の改憲を許してはならない、ということだったのです。それはブログでも再三書いてきましたが、今上天皇の20年にわたる慰霊の旅や国民に寄り添う姿勢が何よりそのことを証明しています。普通の読解力があれば分かることです。しかし、安倍首相には肝心の読解力がありません。安倍首相は今上天皇の思いを、単なる生前退位の「制度上の問題」にしてしまったのです。これは明らかな策謀です。国民は今一度、天皇陛下のメッセージに真剣に耳を傾けるべきです。
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教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫)
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羽仁 五郎
1979年、今から38年前に出版されたこの本を読み返しました。そして愕然としました。羽仁五郎が指摘したことがますますリアリティーをもって、前景化しています。福沢諭吉も言うように文部科学省はいらないのです。教育関係者は、自らの原点に戻るため、この本を読むべきです。
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服従
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ミシェル ウエルベック
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排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容
排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容 (JUGEMレビュー »)
森 千香子
第16回大仏次郎論壇賞を受賞した本作は、従来時間軸で論じてきた社会学の手法に、パリ郊外というエスニック・マイノリティーが住む「空間」を突きつけ、彼らがなぜグローバルテロリズムに追い込まれるのかを明らかにしたものです。

一読し感銘を受けました。問いを生きるという学問の原点が、彼女のフィールドワークにつながり、「移民たちは、彼ら自身に問題があるのだという視線を注がれていました。でも実際には、多数派による差別が問題を生み出していた。問題は社会の側にあったのです」と結論付けます。

この著作は日本社会のみならず、世界のこれからを考えるのに、大いに役立ちます。これぞ学問と言えるものです。『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 』とあわせて読むことを勧めます。
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黒い巨塔 最高裁判所
黒い巨塔 最高裁判所 (JUGEMレビュー »)
瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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被災の思想 難死の思想
被災の思想 難死の思想 (JUGEMレビュー »)
小田 実
若い人は彼の仕事も、名前すら知らない人もいるでしょう。来年で没後10年になります。彼が生きていたら、3・11をどうとらえ、どう表現していたか。それを見たかったし、彼の発言を聞きたかった、とつくづく思います。ジャーナリズムは劣化の一途をたどり、教育は非民主的な社会に適応できるように、こどもたちに真実を教えません。すべてのものには歴史があります。今ある世界が全てではなく、それを作り出した社会と人間の営みがあったのです。もし若い人が自由に生きようと思うのであれば、そして元気を出したければ、彼の著作を読んでみることです。『何でも見てやろう』でもいいですね。とにかく一冊手にとって見てください。そして彼の提示した問いに答えてみてください。
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そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
選挙 [DVD] (JUGEMレビュー »)

想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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職業としての政治 (岩波文庫)
職業としての政治 (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ
電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ (JUGEMレビュー »)
本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)
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施 光恒
英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
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矢部 宏治
前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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安冨 歩
経済学という自己正当化の道具、あるいは権力に寄生するための方便を分かりやすい言葉で暴露した本物の経済学の本。宇沢弘文氏の「社会的共通資本」と併せて読むことをすすめます。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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桐野 夏生
権力も財力もない人間は、想像力を武器に戦うほかありません。以前ブログでも取り上げた『亡国記』とともに読むことをすすめます。
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吉見 俊哉
文部科学省と財界は文系学部、特に社会思想を研究する学部を標的にして、その廃止を迫っている。これがどれだけ短慮で、バカげたことかヨーロッパの大学を見てみればよい。コンピテンス、要するに高速事務処理能力と記憶力を重視する理系学部さえあれば国は繁栄するという考え方です。文系学部は「結果を出せない」といいます。株式会社化をなりふりかまわず進めようとする国の中で、文系学部は穀つぶしだと映っているのでしょうね。この国の知性の劣化はとどまるところを知らないようです。
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福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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本では土屋正雄氏の名訳が出ていますが、できれば英語で読んでもらいたい小説です。カズオ・イシグロの文章は読んでいてとても気持ちがいい。素晴らしい文体です。いつの間にか声に出して読んでいることがあります。ジョージ・オーエルと並んで私が最も好きな海外の作家です。彼が書くような英語を書きたいですし、彼のように考え、話したいものです。DVDを見た後は、是非小説も読んでください。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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井手 英策
今年の大佛次郎論壇賞、受賞作品。今年の2月に読み、いろいろと考えるヒントをもらった本。ブログでも紹介したいと思います。
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資本主義社会に生きるということは、会社といかにかかわるかを意味します。それほど私たちの働き場所として会社は大きな力を持っています。その会社がこれからどうなるのかを、数少ない本物の経済学者・岩井克人氏が洞察しています。凡百の経済評論家には決して書けない本です。今からでも遅くない。是非読んでみてください。
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長谷川 宏
著者は私と同じく学習塾を営む在野の哲学者。私が塾を始めた時、著者の『赤門塾通信』を読み、励まされました。

上下2巻で、結構なヴォリュームですが、やっと読み終わりました。今改めて日本の精神史をたどりなおしたいと考えている人には、ぜひ勧めたいと思います。感想は又いつか別の機会に。
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小林 秀雄,岡 潔
小林秀雄は、私を文学や哲学の世界にいざなってくれた恩人です。彼と岡潔との対談です。
この本を理解できる政治家はおそらくいません。いたら、絶滅危惧種でしょう。
小林秀雄、岡潔、鈴木大拙のような人間はもう出てこないでしょうね。こういう人間を生み出す土壌が日本にはなくなりました。
代わりに登場してきたのが、橋下徹やホリエモンこと堀江貴史といった、マスコミによって改革の旗手と持ち上げられたマネー資本主義の申し子たちです。
感情を劣化させた人間が幅を利かせる社会は、効率を追求し、競争を加速させるだけの生きづらい社会です。日本社会はどうしようもなく劣化が進んでいます。
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岡 潔
教育で最も大切であるにもかかわらず、多くの人が忘れているのが感情教育です。世界的数学者・岡潔のことばでは「情緒」ということになります。普通、情緒とは正反対にあると考えられている数学のような学問で、ブレイクスルーをもたらすものは「情緒」だと岡潔は言います。今回読み直してみて、その深い洞察力と、そこから出てくるみずみずしい感性と新しさに、改めて驚かされました。

こどもの将来を本当に考える親なら、あれこれ参考書を買い与えるより、是非この本を読むことをすすめます。私たちが失ったものの価値が分かり、呆然とするはずです。

この本を読んで何も感じなかったらどうするのか?
残念ですが、どうしようもありませんね。これまで通り、自分の信じる道をお進みください。
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鈴木 大拙
鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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彼らのことばを、かっこよすぎる、青すぎる、自分たちだけが正しいと思っているなどと冷笑する前に、まず読んでみることです。体制に異議を申し立てる立場になって、政権の経済政策はおかしい、防衛安全保障の議論は間違っていると言い続けることがどれほど大変なことか。生活とデモを両立させながら生きることがどれほどのストレスを抱え込むことになるのか。権力側につけば、反論する必要もなく、相手が言っていることを細かく検証する必要もない。大手マスコミの言うことをそのまま信じていればいいだけです。自らの感情が劣化していることにすら気づきません。老若男女を問わず、とにかく一読することをすすめます。
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中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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「ひとりの人」のために。
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    日常生活にまつわるどんな問題であれ、つじつまの合わないことを平気で言い、相手によってそのつど判断を変え、しかもそのことを自覚していない人間と付き合うことはできません。

     

     

     

    人間ならこういうときにはこう感じるだろう、こう行動するだろうという予測というか信頼があってはじめて共同体や社会は成り立っているはずです。ところがここ数年、正確に言えば3・11以降、この「期待の地平」ともいうべきものが、社会から急速に失われています。

     

     

     

    目にするもの、耳にするものの大部分がフェイクであり、「つつましやかな日常」自体が、政権やメディアによって都合の良いように偽造され、日々の生活規範である「道徳」までが学校教育によって画一的に押し付けられようとしています。

     

     

     

    テレビを通じて流される幸福な家族のイメージ、他人から羨まれるような「生き方」の蔓延、ようするにウソのように軽い日常の氾濫で、私たちの感情は限りなく劣化しています。

     

     

     

    いったいどこに救いがあるのだろうかと思っているときに『万引き家族』を観ました。封切られてすぐに観たのですが、感想を述べる気にならず、ただただ、世間は物事の真実は見ないし、決して正解しないものだという思いがしきりにして、沈黙するしかなかったのです。反面、この映画で少し救われたのも事実です。

     

     

     

     

     

    内容について書くことは省略します。いい映画はとにかく観て、身体で受け止め、残響を反芻するしかないからです。

     

     

     

    この映画の中で、安藤サクラ演じる女性が、両親から虐待を受けていた5歳の女の子を「誘拐」したということで女性警察官からさとされる場面があります。安藤サクラは夫から受けた虐待の経験(言葉で表現できるわけがありません)から逃れるようにして『万引き家族』といっしょに生活していたのです。

     

     

     

    女性警察官は言います。「こどもは、やっぱり親の下で暮らすのが一番なのよ」と。それに対して、安藤サクラは一切反論せず、ただ涙を流すだけで、何度も何度も手で涙をぬぐいます。おそらく是枝監督はこのシーンを撮るために映画を作ったのではないかと思えるほどでした。

     

     

     

    この映画の中には、さまざまなエピソードが挿入されていますが、少年が学校の教科書を読む場面があります。それが『スイミ―』です。皆さんの中には、この話を知っている人も多いと思います。もうずいぶん昔になりますが、私は本屋でこの本(英語で書かれた原版ですが)を見つけ、こどもに読んで聞かせたことがあります。以下がその本です。一人一人は小さくて無力でも、力を合わせれば大きな魚を追い払うことができる、という単純明快な論理です。下の絵で、スイミーは大きな魚の目になっています。

     

     

     

     

     

     

    これに関して、パルムドール賞を受賞してから是枝監督が日本外国特派員協会で会見を開いた時の談話があります。とても大事な話です。以下に引用します。

     

     

     

    引用開始

     

    ― 今回の取材で一番印象に残っているのは、親からの虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子どもたちの取材に行ったときのことです。ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子に「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」と思いました。

     

     朗読をしているその女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに少年が教科書を読む、というシーンの台本を書きました。

     

    テレビをやっていた時代、先輩に「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。20代の頃に言われて、今もずっとそうしています。

     今回は・・・今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。― 引用終わり。

     

    https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/koreeda-20180607_a_23452833/

     

     

     

    ここには創作の原点が述べられています。なぜ映画を撮ったのか、是枝監督のようにその動機が後で分かることもあります。高畑勲監督が亡くなり、宮崎駿監督がコメントを出せないでいた時、ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しています。

     

     

     

    捏造された歴史や歪められた解釈からは知性も感情も生まれようがありません。どうやら、私たちの<生>は、「ひとりの人」のために像を結び、そこのみにてかがやくようになっているようです。

     

     

     

    「存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。」

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=500

     

    「自由で公平で平和な国で死にたい」

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=485

     

    参考までに、よければ以下の記事もお読みください。

     

    カンヌ受賞でもネトウヨは是枝裕和監督と『万引き家族』が大嫌い! 安倍首相は無視、百田尚樹と高須克弥はバッシング

    http://lite-ra.com/2018/06/post-4050.html

     

     

    | 中高生の皆さんへ | 13:06 | comments(0) | - |
    日本の貧困は教育の貧困である。
    0

      このタイトルで書きたいことがいっぱいあるのですが、教育の貧困を何よりも雄弁に語る以下の動画をご覧ください。

       

      参議院 内閣委員会、平成30719

       

       

       

       

      政治家としてまともな感覚が残っているのは、今や山本太郎氏を始めとして、片手で数えられるほどになってしまいました。高校中退の人間が高学歴エリートたちを問い詰めています。これこそが普遍的な感情の持つ力です。生きる上で大切なのは、社会に対して(つまり今生きている人間のみならず、死者や後世の人間たちに対しても)どう向き合うのかということです。

       

       

       

      カジノ法案の座長を務めている自民党の岩屋毅氏はわが大分県の選出議員です。こんな男を国会議員にしたのが大分県人であることを、私は心の底から恥ずかしく思います。

       

       

       

      そもそも、国会議員や総理大臣、その背後に控える官僚といえば、日本の知性の代表のはずです。彼らは高学歴で、何不自由なく育った二代目三代目の政治家たちが多い。東大を卒業した優秀な人間たちが最終的に集まる場所が国会のはずです。

       

       

       

      しかし、今や国会は、人間の感情を持たない利権屋かヤクザの集団になってしまいました。宗教的なカリスマの下に集まり、政党を作り、あげくに人格を空洞化させ、アメーバ集団になり下がった公明党に至っては、自分たちが何をしているのかさえ分かっていません。

       

       

       

      いや、そうならなければ安倍政権と手を組めるはずなどないのです。政治家としての矜持も、人間としての良心も捨てなければ、安倍政権の下に蝟集などできるわけがありません。公明党が果たした役割は、自民党のオウム化、すなわち人格の空洞化であったと後世の歴史家は書くことでしょう。

       

       

       

      今の自公政権は、ガンジーの言う「7つの社会的罪」にまみれて、それを自覚すらしていない人間たちの集まりとなりました。

       

      ブログで何度も指摘しましたが、再度掲げておきます。

       

       

      1.理念なき政治
      2.労働なき富
      3.良心なき快楽
      4.人格なき学識
      5.道徳なき商業
      6.人間性なき科学
      7.献身なき信仰

       

       

       

      改めて書き出してみると、私たちの周囲はこの種の人間で満ちあふれています。特に社会的地位にしがみつき、自分が何をするために生まれてきたかを自問自答したことのない人間たちは、「労働なき富」「人格なき学識」「道徳なき商業」の実行犯なのです。

       

       

       

      それは言うまでもなく、グローバリズムとコマーシャリズムの中でカルト化し、分断された教育の貧困がもたらしたものです。それについては、身近なところから少しずつ書いていくことにします。

       

       

      | 中高生の皆さんへ | 23:11 | comments(0) | - |
      部活が中学生の頭を悪くする!
      0

        私はスポーツが好きでした。少年の頃は地域の少年野球のチームに入っていました。と言っても、遊び仲間が中心となって自然発生的にできたものです。今のように、遠征や公式戦のスケジュールに則って運営されるサッカーや野球クラブとは違います。

         

         

         

        夏休みに大会があり、優勝したこともあります。ユニフォームもなく、上はTシャツかランニングで下は半パンでした。もちろんスパイクなど履いたこともありません。子供以上に親が熱心になることもなく、試合に親が来ていることもありませんでした。親に優勝報告をしたら、それはよかったわね、で終わりでした。もっとも、父は決勝戦をバックネット裏で見ていましたが。

         

         

         

        今日のように太陽がじりじりと照りつける猛暑の日には、友達といっしょに木陰で休息を取るか、セミ捕りや虫とりに興じていました。大分川の上流に魚釣りに行き、飽きるとパンツ一丁になり泳ぎました。親が見たら卒倒するような危険な遊びもしました。子供たちは親の目の届かないところで一日中好きなことをしていたのです。人生の黄金の時期で、世界も時間も自分の思うままだという感覚に満たされていました。思えば、いい時代でした。

         

         

         

        野球では巨人ファンだったこともあります。テレビで巨人の試合しか見ることができなかったのと、父親が巨人ファンだったからです。なぜ巨人が好きなの、と父親に尋ねた時、巨人ファンというより長嶋が好きなんだ、との答えが返ってきました。なるほどね。要するに、ある制約された条件の下では人間は決まった行動をとったり、同じような考えになったり、感じ方まで似てくるのだと、子ども心に思ったものです。

         

         

         

        今この国は一見自由に見えます。しかし、私から見れば自由でも何でもありません。沈没する運命にある豪華客船の中で周囲の空気を読み、同じように感じ、同じように行動し、決して集団の和を乱さないように振舞っているだけです。そんな中にいると、人格が透明になり、流れ出し、アメーバのように一体化して、重心のある方向にただ動いていくだけになります。

         

         

         

        コミュニケーション力といい、アクティブラーニングといい、すべて周囲の顔色をうかがうことが得意な人間を育てるに過ぎません。自分の言葉も、意見も、ついには感情すら、ニセモノをつかまされて、いったい人間は幸福になれるとでも思っているのでしょうか。アメーバ国家、ニッポン!チャチャチャ。

         

         

         

        以下の京都新聞の記事をお読みください。この教師も生徒も、失敗した教育の見本です。

         

        校舎80周走れ」生徒倒れ救急搬送 滋賀・中学部活顧問が指示

        7/14(土) 6:00配信

         

         

        ― 大津市の南郷中で、ソフトテニス部2年の男子生徒が部活動中に「校舎周囲を80周走れ」と顧問の教諭から指示され、途中で倒れて救急搬送されていたことが13日、同中や市教委への取材で分かった。生徒は熱中症と診断され、同中は「行き過ぎた指導だった」と謝罪した。


         同中と市教委によると、生徒は12日午後の部活動中、練習中にミスが目立ったことなどを理由に、30代の男性顧問から「校舎周囲を80周走ってこい」と命じられた。午後5時10分ごろ、生徒が倒れているのを校内で作業をしていた工事業者が見つけた。生徒は救急搬送され、その日の夜に退院し、13日は学校を休んで静養したという。


         生徒が走らされた校舎外周は1周約230メートルで、80周で18キロ超になる。生徒が倒れたのは9周目だったという。気象庁によると、大津市の12日午後5時の気温は30・1度だった。
         同中は、13日夜に保護者説明会を開き、経緯を説明した。平松靖之教頭は「行き過ぎた不適切な指導で、保護者におわびする。すでに顧問を指導した。今後は、安心した学校生活が送れるよう努めていく」とコメントした。―

        https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180714-00000000-kyt-soci

         

         

         

        これが「行きすぎた指導」だとしてスル−されるのでしょうか。この生徒が熱中症で死亡していたら、やはり「行きすぎた指導」で済ませるのでしょうね。こういう教師に部活の顧問をさせてはダメです。フツーに考えたら分かることが分からない。頭の中がスポ根の域から脱していません。まるでマンガの世界です。もちろんマンガの世界と現実の境界線が分からない判断力の持ち主ですから、こんな指示というか軍隊の上官のような命令を出せるのです。

         

         

         

        日大のアメフト部の精神構造は、部活を通じて日本全国に広がっています。その仕上げが東京オリンピックというわけです。ここまで遅れている日本の教育を見せつけられると、言葉が見つからないですね。この教師のみならず、倒れた生徒も教育の失敗の見本です。生徒は次のように言うべきだったのです。

         

         

         

        「自分の命令の意味が分かっているのですか。気温は30度を超えてますよ。練習中にミスが目立ったからといって80周ですか。なぜミスをしたのか。ミスをなくすにはどうすればいいのか、それを指導するのが顧問の仕事じゃないんですか。それが楽しいから顧問をしているんじゃないんですか。ミスに対して罰を科す。これじゃあ、戦時中の軍隊と同じじゃないですか。軍隊では上官の命令が絶対で、逆らうことはできなかった。あなたのような小権力者が威張り散らして侵略戦争を推し進めたんだと社会の授業で習いました。えっ、文句があるなら部活をやめろっていうんですか?わかりました。今日限りでやめます。部活より命の方が大事ですから。それにあなたのような人が顧問だと、テニスが楽しくとも何ともない。嫌いになるだけです。短い間でしたがお世話になりました。」と。

         

         

         

        部活はあくまで教育の一環です。そうでなければ学校でやる必要はない。私は常々、塾の脱線話で言っています。

         

         

        「週4日の練習で部活を強くできないコーチは無能だ。優秀なコーチは、何にも増して君たちの発想を豊かにし、頭をよくするはずだ。スポーツは言葉だけではなく、身体を使って考えることを教えるものだから、本当に頭の良い人間を育てるのに役立つ。それに気付けば、面白くてたまらなくなる。部活のない日こそ、練習方法について考えるまたとないチャンスなんだ。スポーツは頭がピーマンのゴリラを育てるのが目的ではないからね。」と。

         

         

         

        日曜・祝日はもとより、夏休みも部活に明け暮れ、慢性的な疲労と睡眠不足を引きずっている状態で、そもそも学習に集中などできるわけがないのです。でも、休みの日にこどもが家にいれば、ろくなことはないと考える親が、部活を望んでいるという側面もあるので難しいですね。教育における社会資本の貧困を思わずにはいられません。なぜなら、OECD加盟34カ国の中で、最も教育にお金をかけていないのが日本なんですからね。子供たちを部活に閉じ込めておく他ないのもうなずけます。

         

         

        | 中高生の皆さんへ | 15:09 | comments(0) | - |
        私たちの社会には救いがない。
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          はじめに断っておきますが、私は日本の文化を誇りに思っています。 日本の古典を読むにつけ、あるいは古寺巡礼ですばらしい建築に出会うたびに、その思いはいっそう強くなります。そして日本人に生まれてよかったと思うのです。 世界のどこに行っても日本文化のすばらしさについて語りたいと思います。村上春樹氏が言うように「ある国の知性の総量は変わらない。ただ時代によって偏在しているだけだ」との考えにも賛成です。

           

           

           

          しかし、さすがに最近はしんどくなってきました。現在の日本政府に対して、まったく敬意の感情がわいてこないのです。いや、むしろ心の底から軽蔑しています。 そして、現代日本人の大半には侮蔑の感情しか湧いてこないのです。

           

           

           

          「それはお前の特権意識の裏返しだろう、何を偉そうに上から目線で言っているのだ」という感想もあるかと思いますが、大分市東部の、そのまた外れにある個人塾の教師に、特権意識などあろうはずがありません。おそらく、焼きが回ったということでしょうね。

           

           

           

          もちろん例外的に希望をいだかせてくれる人物もいます。以下の動画をご覧ください。

          山本太郎議員は、この豪雨災害で救助を待っている人々が大勢いるときに、「カジノ法案の審議をやってる場合か!誰のための法案審議だ!利害関係者のためだけのものじゃないか!」と怒りを爆発させていますが、その法案審議の座長をやっているのがわが大分県選出の衆議員議員の岩屋毅氏です。癌患者に向かって「いい加減にしろ!」と叫ぶ穴見陽一氏と言い、どうしてこうも大分県選出の議員はクズばかりなのでしょうか。

           

           

           

           

           

           

          何も見ず、聞かず、語らずを決め込めばいいのですが、それができません。心暗くなることばかりで、前途に何らの曙光も見えません。困ったことです。それを下支えし、再生産しているのがカルト化している教育なのです。これはまた次の機会に述べましょう。

           

           

           

          今回、特に衝撃を受けたのが、テレビによるオウム死刑囚7人の死刑実況中継でした。被害者の心境を慮ることと、死刑報道(事実上の公開処刑)をエンタテインメントとして消費することはまったく別次元の問題です。今ではこの違いも分からない、脳がゆで卵のようにツルツルになった人間たちが大量に出回るようになっています。

           

           

           

          死刑の大量執行をTVでリアルタイムに報道して、執行し終えた死刑囚の顔写真に執行ずみシールを貼っていくなんて、ディストピア小説に出てきそうな場面です。正常な神経の持ち主には現実とブラックユーモの区別が難しくなっているのです。今となっては『1984』のジョージ・オーウェルの慧眼に驚くほかありません。

           

           

           

          テレビなんてこんなものです。四半世紀が経っても変わりません。

           

           

           

          北朝鮮からミサイルが飛んでくると国民を脅し(わが大分県のある公立高校は、これを信じてグアムへの修学旅行を取りやめました。それを聞いて私はバナナの皮を踏んだようにひっくり返ったのです。そして福島に変更と聞いて思わず舌を噛み切ってしまいました。スペペペペーッ)、その宣伝がうまく行かなくなり、拉致被害者も帰って来そうにないとなると、もはや国内の「凶悪犯」を大量に死刑にして、国民の支持を集めるほかないということでしょう。以下は15年前に書いたオウムと教育について触れた未来塾通信です。よかったらお読みください。

           

           

          『教育再生会議という茶番劇−考えることの難しさについて』

          http://www.segmirai.jp/essay_library/essay014.html

           

           

           

          「犯罪者として生まれる人間はいない。犯罪者になっていく。犯罪者をつくるのは社会である。」などと言ったところで、安倍政権のお歴々には意味がわからないでしょう。今まさに、私たちの社会はオウムを生みだした時と同じ感覚が蔓延しているのです。社会が現実感を失い、異様なフィクションの世界になってしまったような感覚が共通しています。

           

           

           

          3・11以降、この感覚は広く深く社会に浸透しました。政治家は権力の上にあぐらをかき、官僚は保身と出世のために忖度し、メディアは記者クラブを通じて配給される飯のタネをそのまま垂れ流し、財界は内部留保をため込むだけでは満足せず武器の輸出や製造に手をつける。教育熱心な親は自分の子供の進学先だけを考え、学校は親の無意識の要求に答えるべく進学実績をあげることに血道をあげる。

           

           

           

          私は以前、「今の世界(日本社会)には救いがないと気づくことによって逆に救われるしかない」と書きました。

           

           

          『現実と日常の喪失−中高生の読解力が低下している本当の理由』

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=305

           

           

           

          その中の一部。

          「無知・無能・無責任な総理大臣が「完全にアンダーコントロール状態にある」と変な日本語で断言しても、もう元の世界に戻ることはできない、あれだけのことがあった以上、元の世界に戻ることはおかしい、元に戻るより本当のことに気づくことの方が大事だと考えている人も多いはずです。人は何ら根拠もなしに、まったくの虚言を断言口調で、しかも大声で叫ぶものだということも学んだはずです。

           

           

          要するに、もともとウソだった日常をうかつにも日常だと勘違いしていたことが分かった後で、日常が回復したというさらなるウソを重ねられているのが、私たちの社会です。「これが現実だ」「これが日常だ」と言われても、「どうせ自分の見たいものしか見ていないだろう」と言いたくなる気分を多くの人が共有しています。」

           

           

            

          今日はこの辺でやめにします。貴重な時間を割いてお読み頂いた方に心からお礼申し上げます。

           

          | 中高生の皆さんへ | 18:01 | comments(0) | - |
          「先手、先手の対応」ってか?
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            知性があると判断する基準の一つは、他人から批判された時、それを自分の中で絶えずフィードバックしながら、意識や生き方を変えられるかどうかではないでしょうか。組織のトップに立つ人間や、ましてや一国の総理大臣が批判されて逆ギレするようでは、早晩その組織なり国は滅びるのです。

             

             

             

            ニュースによると、「西日本の豪雨災害で甚大な被害を受けた岡山県を訪問した安倍総理は、政府の初動対応について『一丸となって発災以来、取り組んできた』として、問題はなかったという認識を示した」とのことです。

             

             

             

            日本の忖度メディアはいつもこれです。「問題はなかったという認識を示した。」と報じて、「問題はなかった」ことにしてしまうのです。こんな記事ならサルでも書けます。本当に問題はなかったのか時系列で検討し、「一丸となって発災以来、取り組んできた」のはウソだと報じるのがメディアの役割です。

             

             

             

            さらに小野寺防衛相は記者会見で、豪雨災害への初動対応について次のように述べています。「指示をし終わった後、宿舎で待機していたので、その際に集会所(飲み会とは言わない)に行って顔を出した。だが防衛省からは随時連絡が来ており、その都度指示を出していたので特に支障はないと思っている。」と。

             

             

             

            なるほどね。安倍首相の「先手先手の対応」といい「プッシュ型の支援」といい、上っ面だけの言葉です。「赤坂自民亭」での飲み会を隠すために、今後「初動対応イノベーション」だの「復興プライオリティー2.0」だとかの新語を得意げにしゃべり出すかも知れませんね。現実の深刻さが理解できないので、言葉がペラッペラに軽いのです。バカなので、自分が総理大臣をしている意味が分かっていません。

             

             

             

            たしかに世の中には、「どのような選択をしても必ず、色々と言われる」こともあります。ところが最近では、「いや〜、何を言っても反対する人は反対するんですよ。あの人たちは反対するのが趣味ですから」などと居直って、バカな支持者を取り込もうとする政治家が多すぎます。

             

             

             

            しかし、何が起ころうと、これだけは本当だ、この場合はこう決断しなければならない、ということもあるのです。どんな苦境にあっても、みんなが自分のために一所懸命になっている、それが分かれば勇気もわくし、多少なりとも前途に希望が見えて心安らぐのです。その安らいだ心は、苦境から立ちあがる力になります。それが人間ですよね。

             

             

             

            特に、今回のような深刻な災害の場合、総理大臣が5日の段階で外遊を中止する旨を宣言し、被災地で陣頭指揮を取ることが重要なのです。それが総理大臣の仕事ですし、それができてはじめて総理大臣と言えるのです。

             

             

             

            「一丸となって発災以来、三選のために酒盛りをしていた」「先手先手の対応」

             

             

             

             

             

            みんなで一斉にグー。この面々は、いったい何に対してグーをしているのでしょう。きっと「プッシュ型の支援」を表わしているのでしょう。まさか安倍首相の三選も確実だということで「総理、グーです」ではないと思います。上川法相が真ん中にいるところをみると、オウム真理教の死刑囚7人を一度に死刑にすることを決定した「英断」をねぎらっているのかもしれません。

             

             

             

            でもまあ思わぬ副産物もありました。内閣に権限を集中する必要性がないことを内閣自ら証明してみせたので、自然災害を理由に改憲で緊急事態条項を持ち出すことはできなくなりました。これをまずいと考える論理的整合性すら持ち合わせていないのですから、この国は終わっているのです。

             

             

            | 中高生の皆さんへ | 16:47 | comments(0) | - |
            夏期講習会のご案内。
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              今回の豪雨で200人に迫る人が死亡または行方不明になっています。大雨で被害が出る中、しかもオウム真理教の死刑囚たち7名の死刑執行を行う前夜、どういう神経でこんなどんちゃん騒ぎができるのでしょうか。人間に対する共感力を失くしているとしか思えません。

               

               

               

               

              この災害大国日本に、消防庁の全地形対応車両レッドサラマンダー(1車輌1億1千万円)はわずか一台。一方で、1機あたり約130億円のF35戦闘機42機を追加購入。オスプレイ17機、総額3600億円を大盤振る舞い。自民党が国民のことなんか、これっぽっちも考えていないことがよくわかります。来週外遊する予定があるので「緊急災害対策本部」を立ち上げるのを躊躇しているのでしょうか?「緊急災害対策本部」の本部長は内閣総理大臣ですからね。

               

               

               

               

               

               

               

               

              なんだか社会が突然、フィクションというか異様な世界になってしまったような感覚に襲われ、現実感を失ってしまいそうです。事実によって安倍政権を批判し、「だから安倍総理には任せられない」と言えば、同じ事実をとらえて「捏造だ!安倍総理は信用できる、安倍総理の代わりがいるのか」と、いちゃもんをつけてくる人がいます。彼らは議論の土台を切り崩し、社会の分断を加速させています。何だかしんどい世の中になってきました。

               

               

              さて、夏期講習会ですが、中学3年生を対象に15日間(1日は5教科の大分県合同模試)実施する予定です。

               

               

              ■募集人員:3名

              ■時間帯:午前10時〜正午(1回2時間)

              ■費用:3万7千円+模試代金3千円

               

              ■内容:英語と数学の授業を、先へ先へと進めます。1・2年の学習内容が定着していないのに先に進むのは無理なのではないか、と思う人がいるかもしれません。しかし、どの分野でも完璧に理解することなどできません。しかも、一度やった分野を復習することは集中力を削ぎます。多くの塾は1・2年生の復習用テキストを購入させ、それで時間をやり過ごしています。これでは実力はつきません。あやふやな箇所があれば先に進めないことを、身をもって経験させ、フィードバックが必要なことを自覚させなければなりません。学習の目的は、絶えざるフィードバックによって自信をつけることです。

               

               

               

              入試で求められる力は、あやふやな知識や理解ではなく、6割の正確な知識をもとに7〜8割の得点を取る力です。そのためには、一日も早く数学と英語の全範囲を学習し、全体像を把握する必要があります。

               

               

               

              たとえて言えば、道具箱の中の道具を常に点検し、油を差していつでも使える状態にして置くようなものです。一つ一つの道具の使い方を熟知することで、発想の幅が広がり、一つの問題について複数の解法が頭に浮かぶようになります。実際に大工道具を使ってイスや机を作ってみると、愛着がわきます。学習することが喜びになるのですね。

               

               

              具体的には、

               

              □ 数学:2次方程式、2次関数、相似、3平方の定理を終えてしまいます。先に進むために必要な限りで1・2年生の復習を行います。

               

               

              □ 英語:教科書ではバラバラに出てくるので統一的な理解が難しい分野があります。それは(機北昌譴鮟ぞする方法と(供忙制です。この機会に一気に学習して自信をつけましょう。

               

               

              (機北昌譴鮟ぞする方法では

              1:形容詞による修飾

              2:前置詞句による後置修飾

              3:不定詞による後置修飾

              4:現在分詞による後置修飾

              5:過去分詞による後置修飾

              6:関係代名詞による後置修飾

              の6通りを学習します。

               

               

              (供忙制

              例えば、「僕はこどもの頃、ニューヨークに2年間住んでいたことがある」を

               

              I have lived in New York for two years when I was a child.

               

              などと書いていませんか。

               

              あるいは、「電車は今9番ホームに停まっています」を

               

              The train is stopping on platform 9 now.

               

              などと書いていませんか。この英語では、「電車が速度を落としている」だけで、停まっていることにはなりません。「〜したことがある」は現在完了形だ、「〜している」だから進行形だ、といった発想では先が思いやられます。

               

              また、These are apple. という英語をappleに複数形のsがついていないから間違いだ、と教えている英語教師がいるようですが、「言葉」と「モノ」の区別がついていません。これでは生徒がかわいそうです。時間があれば、この点にも触れます。

               

               

               

              尚、中学3年生は夏期講習会が入塾の最後のチャンスです。他の学年は夏期講習会を実施していませんが、通常クラスには、中学2年生が2名、中学1年生は若干名空席があります。入塾を希望される方はお問い合わせください。

               

               ☎097-592-0815 未来塾

              | 中高生の皆さんへ | 20:58 | comments(0) | - |
              存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。
              0

                私たちは何を手がかりに考え、どう生きていけばよいのでしょうか。人は生きていく上で何らかの「足場」を必要とします。塾教師という、いつ崩落するかわからないような仮の足場ですら、私が生きていくために必要なのです。

                 

                 

                しかし、社会が急激に変化する中で、どんなに立派で堅固に見える足場でも、土台が掘り崩されていることを多くの人が感じ取っています。私たちの社会を駆動しているのは、「不安」なのです。

                 

                 

                 

                そういう社会では、価値の優劣についてじっくり考えることなどできません。あらゆるものを横一列に並べて、あらかじめコントロールされた情報を頼りに、その中から自分の利益になりそうなものを選ぶことが生活の中心となります。要するに、当面の利益を確保することで精一杯なのです。

                 

                 

                 

                しかし、人間は価値の優劣について判断することでなんとか生き延びることができる生き物です。それをやめれば、選択肢の前で途方に暮れて餓死する「ビュリダンのロバ」の運命をたどるしかありません。私は「価値の優劣について判断できる」知性を持った子どもたちを育てたいと考えて、塾教師を続けてきました。

                 

                 

                 

                「ビュリダンのロバ」の運命を拒否するにはどうすればいいのでしょうか。小さな波がさざめいている川の表層に目を奪われるのではなく、川底をゆったりと流れる水の力を想像しましょう。それこそが歴史の基底部なのです。それは絶えず変化しているのですが、世の中の大半の人々は、それを洞察できないままに生きていきます。

                 

                 

                 

                前々回のブログで「私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。」と書きました。

                 

                 

                 

                では、私たちの存在の最も深いところにある層とは何でしょうか。そこから言葉を紡ぎだすためにはどうすればいいのでしょうか。今回はそのヒントだけ述べて、具体的には次回以降に譲ります。

                 

                 

                 

                宮崎駿監督は養老孟司氏との対談(『虫眼とアニ眼』)で、なぜ『千と千尋の神隠し』を作ったのかと尋ねられ、こう答えています。

                 

                「ある時、たまたま10歳くらいの子供たちを見ていた。そしたら、自分は彼らに対し、いま何が語れるだろうか、という考えが浮かんだ。最後には正義が勝つ、なんて物語を語ろうという気にはさらさらなれなかった。そうではなく、とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ、それを語ってみたい、と思った。そしてこの最初のモチーフを手放さないでいたら、『千と千尋の神隠し』ができた」と。

                 

                 

                 

                「とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ」を一人一人が、考え、感じてそこから世界を変える言葉を紡ぐしかないのです。それは学校教育を通じて教えられた官製の言葉ではなく、自らの存在を危険にさらして獲得した言葉のはずです。なぜなら、事実を知れば知るほど、真実に近づけば近づくほど、人間は孤立を余儀なくされる存在だからです。しかし、私たちの人生はそこのみにてかがやくのです。

                 

                 

                | 中高生の皆さんへ | 16:29 | comments(0) | - |
                言葉の無効を前にして。
                0

                  大分市内の一高校生さんへ。きっかけは分かりませんが、あなたがメディアリテラシーに関心を持っていることを頼もしく思います。なぜなら、18歳から選挙権が与えられ、主権者教育が云々されているにもかかわらず、高校でメディアリテラシーについてまともに学習していることを聞いたことがないからです。

                   

                   

                   

                  受験勉強も大事ですが、私たちが生きている社会について正確な情報を手に入れることはもっと大事です。世の中は激変しています。にもかかわらず、ほとんどの高校生は、受験勉強中心の生活を送っていて、学校で「政治的な発言をするのはよくない」と考えているようです。おそらく世界の中で、政治に無関心な高校生の数は日本が断トツで一位ではないかと思います。

                   

                   

                   

                  しかし、私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。最も重要で最深部に横たわるレイヤーについては次回に譲ります。今は知性と理性を守ろうとすれば、好むと好まざるとに関わらず政治的にならざるをえないということだけは指摘しておきたいと思います。

                   

                   

                   

                  メディアリテラシーの問題に戻ります。

                   

                   

                  >僕が先生のブログを読むきっかけになったのが、この記事でした。この記事を読んで僕は頭がよくなった気がします。

                   

                  『なりすまし塾長 K 氏、自作自演の幕を閉じるの巻』

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=334

                   

                   

                   

                  「頭がよくなった気がします。」という表現は的確です。数学や物理の難問が解けても、それなりの達成感はあるでしょうが「頭がよくなった」とは思わないはずです。相変わらず受験勉強的なフレームの中に押し込められたままですからね。「頭がよくなった」と思う瞬間は、既存のフレームの外に出ることで世界との通路が開けたと感じる瞬間です。

                   

                   

                   

                  その手ごたえを手放さず、そこから思考を深めて行けば、人は変わることができます。幼虫からさなぎに、さなぎから蝶に「脱皮」できるのです。学ぶということは変わるということです。人間は、特に若い時はこの「変態する力」を誰でも内に秘めているものです。

                   

                   

                   

                  おそらくあなたは私のブログを読んで、教室では遭遇しない論争的な言葉に出会ったのです。私たちは現実を認識する時、まず言葉を探します。ある言葉を選択して現実に当てはめます。しかし、その言葉では現実を表わせないと感じます。その時私たちは新たな言葉を探す努力を始めます。

                   

                   

                   

                  簡単に言うと、これが考えるということです。世界認識には正確な言葉が必要なのです。言葉が歪めば世界も歪みます。歪んだ世界にさらに言葉をかぶせても、世界はますます歪むだけです。

                   

                   

                   

                  メディアリテラシーの話をしていたのですね。上に述べたことの具体例をあげてみましょう。安倍政権になってからこの種の例には事欠きません。つまり、今ほど論理的思考力を鍛え、「頭がよくなる」チャンスはないのです。

                   

                   

                   

                  森友問題で安倍首相は去年2月、「私や妻が関与していたら、総理大臣も国会議員も辞めますよ。これは断言しますよ。」と発言しました。それをきっかけに官僚の忖度合戦が始まり、公文書を隠蔽・改竄し、近畿財務局では自殺者まで出たのです。ところが安倍政権はこの発言を、「贈収賄ではないという文脈で使ったのであって、私や妻が関与していないことは明白である」との趣旨だったと閣議決定しました。

                   

                   


                  「関係していたら」とは、昭恵夫人の口利きを意味しているのではなく、「贈収賄があったら」という意味だというのです。一体何を言いたいのでしょうか?贈収賄は犯罪です。それがあったら辞めるのは当たり前です。言葉を歪めて、現実をなきものにしたかったのでしょうが、そこまでしなければならないほど深く関係していたことを、首相自身が認めているのです。

                   

                   

                   

                  第二次安倍政権になってからというもの、この国で地滑り的に起きていることは言葉の崩壊、すなわち世界認識の崩壊なのです。私たちは沈む船から脱出しようとして集団で海に飛び込むネズミの群れ同然となっています。

                   

                   

                   

                  言葉の腐敗、欺瞞言語の蔓延と闘うのがメディアの本来の役目だったのですが、もはやメディアには期待できません。大方のメディアは「武力衝突はあったけど戦闘ではない」「潰せとは言ったけど反則しろとは言っていない」「公文書改竄はあったが悪質じゃない」という政府や権力側の発言を「そのまま伝えるのが、メディアの役割だ。その何が問題なのか」と考えているのでしょう。

                   

                   

                   

                  大問題なのです。上で見たように政府が欺瞞言語を使って私たち国民を騙そうとしているとき、言葉をそのまま伝えれば騙しに加担することになるからです。菅官房長官の 「問題ない」という見解をそのまま伝えることは、「問題ない」と広報することになるのです。(自分のやったことは「悪質なじゃない」とか「問題ない」「許容範囲」だと考えるのは、あなたが読んだ記事に登場するK塾長氏の発想です。悪質かどうか、許容範囲かどうかは、第三者が判断することです。)

                   

                   

                   

                  マスメディアは、安倍首相の意味不明の言葉を編集して意味があるかのようにみせかけないで、いかに野党の質問に答えていないか、を率直に報じるべきです。社会に伝えるべき政治的に最重要の事実は、安倍首相が何を言ったかではなく、いかに何にも答えていないかです。「議論は平行線」などという記事はサルでも書けます。ヒトであれば、「首相は誠実に答弁せず」と書かなければなりません。

                   

                   

                   

                  マスメディアの実態については以下の記事をお読みください。

                   

                   

                  『マスコミは圧力をかけられているのか?』

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117

                   

                   

                  次回は、このどうしようもない言葉の無効を前にして、私たちに何ができるのかを考えてみたいと思います。今回も読んでいただきありがとうございました。

                   

                   

                  | 中高生の皆さんへ | 15:22 | comments(0) | - |
                  大分市内の一高校生さんへ−批判的思考力について。
                  0

                    コメントの返事が遅れて申し訳ありません。あなたの二つのコメントはとても重要な点を含んでいて、簡単に返事が書けなかったのです。ブログを読んでもらえただけでもありがたいと思います。

                     

                     

                     

                    >なんだか元気が出て来ました。先生のブログは不思議なことに読むと元気が出てきます。

                     

                     

                     

                    これは最高のほめ言葉です。私は自分自身の足元を確認し、元気づけるためにブログを書いているからです。それを読んで元気が出るというのは、あなたは深い読解力と言葉に対する真っ当な感受性を持っているということです。

                     

                     

                     

                    今回のタイトルは「批判的思考力について」ですが、私はおよそ批判的でない知性や思考力などというものにお目にかかったことがありません。しかし、この国では権力や体制に迎合する学者、ジャーナリスト、放送局、新聞社が跳梁跋扈しています。そこで今回からあなたへの返事を3回に分けて、手短に書いてみようと思います。

                     

                     

                     

                    私が「ブログを読んでもらえただけでもありがたい」と考える理由は、今の若い人たち、特に高偏差値の高校や大学に通っている人たちは「論争の相手や一般の人々に対して否定的なメッセージを伝えるべきではない」という暗黙の了解を共有していて、それが生き方にまでなっていると思うからです。それは経済的にも文化的にも何不自由なく生きてきた彼らの「優しさ」なのかもしれません。

                     

                     

                     

                     

                    私はブログで安倍政権や自民党に対して否定的な意見を書いています。これに対して嫌悪感を抱いている人も多いと思います。またいつもの調子かよ、もう聞き飽きたというわけです。

                     

                     

                     

                    東大新入生の約60%が自民党を支持しているというデータもあります。彼らは、誰かを批判することよりも、相手の優れた点を見てそれを称賛する態度の方が大人だし、建設的だと考えているのでしょう。

                     

                     

                     

                    しかし、こういった考えは他者と共存して生きて行くほかない人間が、他者からの批判を免れるために身につけた処世術に過ぎません。批判的思考力を持っている人間から見れば小才の効いた「お利口さん」の発想であり、個人としての政治的・社会的な責任を回避するための方便なのです。

                     

                     

                     

                    東大生によく見られる「建設的」で「現実的」な「大人」の意見とは、ひとことで言えば、「安倍政権や自民党を批判したほうが『正しい』かもしれないけど、自分は否定的なメッセージを発することに意味を見いだせない」という、一見「洗練」されたものです。しかし、洗練も度を超すとアバズレになります。

                     

                     

                     

                    この意見は、危機的な状況に対して抗議の声をあげることを巧妙に「批判」するものとなっているので、油断してはなりません。そのからくりは簡単です。

                     

                     

                     

                    第一に、否定的なメッセージを発する人は「他人から『正しい』ことをやっていると思われたい、カッコイイしいの打算的な人間たち」だと印象付けることによって。

                     

                     

                    第二に、彼らは「イデオロギーによって、居丈高に他人を批判する独善的でダサい」人々だと印象付けることによって。

                     

                     

                    しかし、本当にそうでしょうか。これは震災後の社会に蔓延しつつある「意見表明の自由を自主規制する」風潮を後押しするものです。私やあなたが経験したり、直面したりする否定的で危機的な状況に対して抗議の声をあげることは、許されないことなのでしょうか。

                     

                     

                     

                    現代の日本社会が若者に求めているのは、民間企業であれ官庁であれ、上位者の命じることには、たとえそれが無意味なことであっても、黙って従うという精神的な態度、すなわちイエスマンシップに他なりません。

                     

                     

                     

                    日大のアメリカンフットボール部の事件で、日大の学生が就職活動に影響が出ることを心配しているのも、このことの表れです。面接で訊かれたら自分とは関係のない事件だと突っぱねればいい、それどころか自己アピールのチャンスだという意見は、日本社会に深く浸潤しているイエスマンシップの病巣を軽く見過ぎています。私たちの社会では、イエスマンでなければ就職の門戸は閉ざされてしまうのです。

                     

                     

                     

                    日本の歴史において、特に近代以降、教育が自立した普遍的な価値の創造を目指したことは一度もありません。ある時はヒロイズムの温床となって侵略戦争の片棒を担ぎ、また別の時は「就職活動」を無事通過するための情報とテクニック、ブランド力を提供してきたに過ぎません。株式会社日本では、このことを疑う若者はほとんどいません。

                     

                     

                     

                    つまり、日本の教育は「学校」を通じて、批判的思考力を育てるのではなく、その芽を摘み取ることに主眼を置いてきたのです。今の政治状況を見るまでもなく、このことが日本という国の存立を危うくしていることに多くの人はいまだに気づいていません。 

                     

                     

                     

                    この国では、政治の腐敗に対して腹を立てないことや、文句を言わないことが人徳だとして称揚される文化が根づいています。政権幹部や官僚が民主主義の根幹を切り崩すようなでたらめをしても、開き直り、居座りを続ければ、国民は何もできないというあきらめ、無力感が蔓延することを権力者は期待しているのです。これは上位者の意図を過剰に忖度する社会、つまり空気を読むことが何よりも優先される社会が、私たちに強いている頽廃です。

                     

                     

                     

                    新聞を読み、 ニュースを見ると、もうこの国の統治機構が壊れているのは疑いようがありません。それでも、手をこまねいている人たちが国民の3割から4割近くいます。進んでこの政権を支持して、統治機構が瓦解し、市民社会が空洞化するプロセスをぼんやり眺めている人たちはいったい政権に何を期待しているのでしょうか。今だけ、金だけ、自分だけでこの国がいつまでもつと思っているのでしょうか。

                     

                     

                     

                    次回は、メディアリテラシーについて考えます。3回目は批判的思考力や本物の論理的思考力は受験勉強というフレームの中では身に付かないということを具体的に書くつもりです。長くなりました。今回も読んでくれてありがとうございます。また次回お会いしましょう。

                     

                    | 中高生の皆さんへ | 18:53 | comments(0) | - |
                    審判はどこにいるのか?
                    0

                      高校生および大学受験生の皆さんこんにちは。

                       

                      今回は塾教師の分をわきまえない極論として聞いていただきたいのですが、これから日大、東大、近畿大を受験しようと考えている人は、止めましょう。理由を書くと長くなるので、今回は日大に絞って短くコメントします。

                       

                       

                      日本大学アメリカンフットボール部の悪質タックルは、単にスポーツの分野にとどまらず、日本大学全体に深く張り巡らされた反知性の体質そのものを表面化させたものです。

                       

                       

                       

                      謝罪会見を開いた選手の言葉は具体的で誠意にあふれたものでした。よほど鈍感な人間でない限り、彼がウソを言っていると思う人はいないでしょう。真実の持つ力は単純で誤解を与える余地などないのです。

                       

                       

                       

                      300を超えるマスメディアの前に実名と顔をさらすことは、人間の尊厳をかけた、本当に勇気のいる行為です。安倍首相のお抱えジャーナリスト、山口敬之にレイプされた伊藤詩織さんの勇気と通じるものがあります。

                       

                       

                       

                      今回の事件の本質は誰の目にも明らかなので、これ以上言及しません。ただ、私はある言葉に対して、どうしようもなく嫌悪感を抱きました。それは関学大への回答書の中にあった「乖離(かいり)」という言葉です。「指導者と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きたことが問題の本質」という風に使われていました。

                       

                       

                       

                      まかり間違えば一人の人間の人生をも奪いかねない反則プレーに対して、「乖離(かいり)」といういかにも客観的で小難しい欺瞞言語を当てるのは、世間を煙に巻いて事件を小さく見せようとする意図があるからです。私はこういった真実を隠蔽しようとする言葉に言いようのない嫌悪を感じます。

                       

                       

                       

                      しかも、日大広報部は「誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います」と弁明しています。この「誤解を招いたとすれば」という言葉は、特に安倍政権になってから、政治家が自分の責任をごまかすために、まるで判で押したように使う言葉です。

                       

                       

                       

                      この言い方は、自分の言っていることは正しいのだが、相手が誤解する可能性を考慮に入れていなかった自分にも落ち度があったと謝罪するふりをしながら、巧妙に責任を回避する言い方なのです。

                       

                       

                       

                      私は第二次安倍政権が誕生してからすぐ、この政権は戦前のエートス(国体)が生き延びて作りだした鬼胎の政権であり、安倍内閣は犯罪者集団であると言ってきました。今振り返ってみると、間違っていなかったと思います。

                       

                       

                       

                      自分の間違いや落ち度を認めず、責任を部下に押しつけ、「セクハラ罪はない」と閣議決定し、被害女性の心をさらにいたぶる。首相や大臣が道徳的に振舞うことよりも、いかに弱者に暴言を吐けるかが支持率を維持するカギとなっているのです。今回の日大の対応は、安倍政権を支える人間たちの本質が期せずして象徴的に現われたものです。

                       

                       

                       

                      どう考えても理屈に合わない、完全に論理や説得力を欠いたように見える決断や行動でも、ある種の人間にとっては合理的で納得のいく理屈が必ずあるものです。

                       

                       

                       

                      ある種の人間とは誰か。それは英雄主義(ヒロイズム)を精神的支柱とし日本国憲法を葬り去ることを自分の使命と思いこんでいる安倍晋三その人です。

                       

                       

                       

                      英雄主義(ヒロイズム)とは、人々の「高み」に立って「国家」や「祖国」や「民族」を救うという目標を掲げ、その目標のために障害となる人々や国は、力で排除するという行動を取ることを言います。「英雄主義」にとっては、たとえ大量に人を殺すことがあっても、それは「人殺し」なのではなく、国や祖国や民族を守るための「善行」であり「称賛される行為」になると考えられています。

                       

                      「ヒトラーの思想が降りてきた」という犯人を後押ししたもの。

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=211

                       

                       

                       

                      今回の日大のルール違反のタックルも、詭弁とはぐらかしでその場を乗り切り、監督・コーチの判断が何ら倫理的に非難されずに既成事実としてまかり通れば、勝利のための「称賛される行為」となるのです。それが新たな基準となり、後に続く者が同じルール違反をしても罰せられなくなります。

                       

                       

                       

                      それを防ぐには、詭弁とはぐらかしを認めた段階で「間髪を入れずに」審判が笛を吹き、違反者に退場を命じなければなりません。しかし、今この国には、勇気を持って真実を語る二十歳の若者はいても、笛を吹くべき審判の姿が見当たらないのです。これほど悲しいことはありません。

                       

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 15:57 | comments(0) | - |
                      虚しさの行きつく先 − 71回目の憲法記念日に。
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                        中高生の皆さん、こんばんは。

                         

                        今回は、自分の見通しの甘さ、浅はかさを告白することから始めます。私は2011年の原発事故でこの国は変わる、文明の転換点になる、と考えていました。基幹エネルギーを石油と原子力(核)に依存する社会から脱却して、技術革新と教育に投資し、百年後には国際社会に誇れる国になるかもしれないと期待したのです。それが原発事故を起こした国が最低限取るべき責任だと思っていたのです。

                         

                         

                         

                        しかし、あれから7年が経過する中で目にしたものは、集団自殺を目指しているとしか思えないこの国の政府や財界、出版ジャーナリズムとそれに追従する国民の振る舞いでした。世界に類のない原発事故で殺されかけたにもかかわらず、時間の経過とともに日本国民の大半は危機意識を失いつつあります。もはや生存本能すらが壊れているのだと考えるほかないようです。

                         

                         

                         

                        そして今日5月3日、71回目の憲法記念日を迎えました。各地で集会が開かれたようですが、憲法記念日を現行憲法の原理原則を葬り去るための記念日にしようと考えている人たちもいます。日本会議系の改憲集会です。結婚記念日に、結婚を解消させる方法を話し合っているようなものです。その集会に、一国の首相がわざわざビデオメッセージを送っているのですから、その倒錯ぶりは目を覆いたくなるほどです。

                         

                         

                         

                         

                        日本会議系の人たちは、小学生でもわかる現実を理解していません。どう考えても、軍事力で日本を守ることはできないのです。福島第一原発の事故が進行中で、しかも原発だらけの日本が一体どこの国と戦争できるというのでしょうか。

                         

                         

                         

                        相手が中国でもロシアでも、戦争になれば日本は瞬時に負けます。核武装しても無駄です。アメリカは日本を守りません。この国を守るためには、戦争をしないという選択肢しかないのです。

                         

                         

                         

                        軍事力を増強するのは抑止力を高めるためだと言われます。しかし、抑止力とは「脅迫」のことです。安倍首相は「戦争をしたいなどと思っている人はいませんよ」とよく言いますが、軍事力による脅迫は決して平和をもたらしません。それどころか「一人蚊帳の外」に置かれ、安倍首相とその取り巻きの知的レベルを考えると「結果的に」戦争になる可能性すらあります。

                         

                         

                         

                        国防や安全保障を「軍事の視点」だけで考えていると国を破滅へと導きます。軍事力で国を守れたのは明治や大正までの話で、昭和に入ってからは不可能だったのです。それに気づかず、軍事力を過信し、対外問題を軍事力のみで解決しようとして破滅したのが昭和の15年戦争の歴史でした。

                         

                         

                         

                        日本会議やそれに連なる人々の安全保障観は、1930年代〜1945年にわたる戦争の歴史を「日本国家の破滅を招いた大失態」として総括することから逃げています。そのため、現在でも当時と同じ「軍事力万能」の思考の中にとどまっています。日本を大国だと思い込みたいがために、中国包囲網のような非現実的な空想の中に逃避して、仲間内で「国防の大義」に酔っているだけです。

                         

                         

                         

                        さて、公文書のみならず歴史すら捏造して民主主義を葬り去ろうとしている安倍政権や日本会議のような集団に対して、私たちは何ができるでしょうか。過去の戦史(日清、日露から昭和の15年戦争の終結まで)を、一般教養として学ぶ機会を増やすべきだと思います。

                         

                         

                         

                        一般市民が国防や安全保障について様々な角度から学ぶ機会がなければ、安全保障とはアメリカの属国になって軍事力を強化し、国民の税金で最新兵器を購入して兵器産業をもうけさせることに貢献するだけです。いや、すでにそうなっています。また同じ自滅の道を、それと気づかずに進むのか、それとも歴史を学んで立ち止まり、引き返す決断をするのか、私たちは今その岐路に立っています。

                         

                         

                         

                        今の国会の惨状を見ると、虚しさだけがつのります。しかしその虚しさを招き寄せたのは私たち自身です。自業自得なのです。普段から政治に関心を持ち、投票所に足を運び権利を行使する。それだけで実は世の中は大きく変わります。虚しさを乗りこえる方法は、事実を学び、行動することの中にしかありません。もちろん、政治的行動に限りません。

                         

                         

                         

                        私がこういうことを言っても、今の若い人の心に響かないかもしれません。「合理的な」思考にならされている若い人は、国会で証人喚問しても、どうせ本当のことは出てこないのだから、グダグダ言ってないで重要法案を審議しろよ、と考えていることでしょう。その通りかもしれません。

                         

                         

                         

                        しかし、政治を私物化し、公文書の改竄まで引き起こし、その上責任を取らない政治家に重要法案を審議させてはならないのです。それを許せば、私たちは真実や正義がまったく価値をもたなくなった世界の出現に手を貸すことになります。

                         

                         

                         

                        みなさんは正義や公正さが意味をもたなくなった世界で生きることを想像したことがあるでしょうか。そこは権力と金だけが意味を持つ no man's land(不毛の地)に他なりません。

                         

                         

                         

                        合理的な思考はともすれば虚無とシニシズム(冷笑主義)につながります。虚しさの行きつく先には精神の死があるのみです。生き生きと生きたければ、常に学び行動するしかありません。以下にみなさんが政治について考えるヒントになる記事をあげておきます。暇な時に読んで参考にしてもらえればうれしいです。

                         

                         

                        「国を守るということ忘れられないシーン」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=22

                         

                        「なでしこジャパン」は、なぜ強くなったのか?

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=11

                         

                        「憲法九条を蘇生させるために」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=119

                         

                        「良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−その1」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=127

                         

                        「良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−最終版」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=129

                         

                        「100年後の生存戦略−その1・国防」

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=199

                         

                         

                        | 中高生の皆さんへ | 21:47 | comments(0) | - |
                        100年後の生存戦略 − 教育 : 国宝・閑谷(しずたに)学校
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                          昨年の11月、奈良の慈光院を再訪し、滋賀県の湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)を回りました。慈光院は訪れる度に発見があり、特にそのプロポーションにはため息が出ます。京都の詩仙堂と並ぶ私のお気に入りの建築です。奈良へ旅する機会があったら、ぜひ一度訪ねてみて下さい。

                           

                           

                           

                          私のブログは、春や秋になるとアクセス数が急増します。旅の参考に『古寺巡礼』を読んで下さっている方が多いからでしょうか。そうだとすれば嬉しいですね。ブログでは、どこの誰がアクセスしているのか、知る術がありません。一番アクセス数が多いのは『自己救済術としての家作り』を始めとする建築関係の記事です。

                           

                           

                           

                          政治の話題になるとアクセス数は減ります。この5年間で、私たちの国のリソースは、法治国家の建前を含めて、ズタズタにされました。膿そのもののサイコパス総理が「膿を出し切る」と言っているのですから、これはもうギャグというか白昼夢を見ている気がします。いやな時代に生き合わせたものです。

                           

                           

                           

                          旅の帰途、一番の目的だった閑谷学校に寄りました。山陽自動車道の備前ICから車で15分くらいだったでしょうか。途中、すれ違う車も人の姿もほとんどありません。山に囲まれた道を奥へ奥へと進んでいきます。到着した時はあいにくの雨でしたが、霧雨に煙る山間の閑谷学校も捨てたものではありません。妻と広大な敷地を歩きながら、日本という国が持っている文化的リソースの豊かさを思いました。

                           

                           

                          閑谷学校全景

                           

                           

                           

                           

                          現在の閑谷学校。右手の楷の木の新芽が膨らんでいます。

                           

                           

                          秋の閑谷学校

                           

                           

                           

                          ついでに奥方様の写真も。

                           

                           

                           

                           

                          閑谷学校は、江戸時代・寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって創建された、岡山藩直営の庶民教育のための学校・学問所です。国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などほとんどの建造物が国の重要文化財、資料館は登録有形文化財に指定されています。

                           

                           

                          国宝の講堂内部。ピカピカに磨き上げられた床。現在でも地元の子供たちはここで論語を読んでいます。

                           

                           

                           

                           

                          1660年代の半ば、光政は岡山の領地内に池田家の墓所のための土地を探していました。菩提寺である京都妙心寺の護国院が火災で焼失してしまったからです。光政の命を受けたのが、優秀な側近、津田永忠でした。永忠は領内をくまなく歩いて候補地を探しました。その一つが後に閑谷学校の用地となった和気郡木谷村だったのです。

                           

                           

                           

                          光政が木谷村を訪れたのは晩秋だったそうです。紅葉の美しい敷地を歩きながら、ここは墓所ではなく、庶民の子供たちが学ぶ学校にうってつけの土地だと直覚します。さすがに名君と言われるだけのことはあります。国家を私物化して恥じないどこかのバカ殿とは大違いです。

                           

                           

                           

                          私が興味をひかれたのは、国宝の講堂だけではありません。敷地を取り巻く石塀の美しさもさることながら、そのランドスケープデザインの秀逸さでした。ここは『風の谷のナウシカ』に描かれた風の谷の祖形だと直感しました。

                           

                           

                           

                          図面を見ると寄宿舎や食堂、厨房が敷地の西に配置されています。そして、東側の講堂や聖廟との間に火除山を築いています。防火のためにわざわざ山を築いたのです。そして、弘火四年(1847年)、寄宿舎からの失火で西側にあった建物が焼失した時も、この火除山のおかげで、東側の講堂や聖廟は延焼をまぬがれたのです。何という先見の明、危機管理の意識の高さでしょうか。

                           

                           

                           

                           

                          草一本生えないように設計されたこの石塀(幅1,8メートル、高さ1,5〜1,6メートル)が敷地を取り囲んでいる。全長765メートル。石工たちの創意工夫と忍耐力に頭が下がります。この石塀だけでも見に行く価値があります。

                           

                           

                           

                           

                          さて、最後に閑谷学校からもらったインスピレーションについて書きます。今私たちの国は首の皮一枚で繋がっている状態です。早晩、カタストロフィーに見舞われます。統治機構の自壊現象のことを言っているのではありません。営利行為としての戦争のことでもありません。それよりもっと確実で深刻な危機に直面しているのです。

                           

                           

                           

                          それは、福島第一原発の事故で、放射能によって高濃度に汚染された地下水とそれを貯蔵している巨大タンク、除染によって出た膨大な放射能汚染土をどうするのかという問題です。次なる地震が襲えば、これらは確実に海に放出され、溶け出します。

                           

                           

                           

                          もちろん、地震がこなくても、やがてリミッターが振り切れる時がやってきます。その時、日本近海はもとより、太平洋は放射能によって汚染され、漁業は壊滅するでしょう。チッソが水俣湾に有機水銀を垂れ流して住民の命を奪った事件は、その後の私たちの運命を暗示していたのです。

                           

                           

                           

                          その時、私たちは海を捨てなければならなくなります。海に面した都市は、徐々に放射能に蝕まれていきます。子供たちはどこで生きればいいのか。最悪の場合、海外に脱出するしかありません。

                           

                           

                           

                          しかし、すべての子供たちが脱出するわけにはいきません。国内にとどまり、なんとか再生の時を待つしかないのです。その場所はどこにあるのでしょうか。そうです、全国に点在する「閑谷学校」こそが、子供たちが生き延びるための「風の谷」になるのです。

                           

                           

                           

                          今の政権は、こういったことをシュミレーションすらしていません。そもそもそういった発想がないのです。自分たちにとって都合の悪い事実を隠蔽し、歴史を捏造し、さらには女性をモノのように扱う体質が表面化するに及んで、彼らは事実に向き合うことすらできない痴呆になったのです。

                           

                           

                          | 中高生の皆さんへ | 22:11 | comments(0) | - |
                          「自由で公平で平和な国で死にたい」
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                            私は多数派に迎合したり、権力に擦り寄ったりすることが何よりも嫌いです。ある人の言説が多数派を恃んでいたり、権力に秋波を送っているのが分かると、生理的に敬遠したくなります。若者ならともかく、それなりに社会経験を積んできた大の大人が政治的言説にころりと騙されるのを目にすると、もはや私の出る幕はないのだと痛感させられます。

                             

                             

                             

                            やっかいなのは、政治的な発言を避けることによって、現状を肯定し、権力を延命させている人たちです。それは、岩ツバメが唾液で巣を作るように、生活の中で分泌される無意識によって形作られた態度です。日本にはこういった態度を、さも知的で良識的であるかのように考えている人が多い。

                             

                             

                             

                            私は彼らのことを消極的ネトウヨ層と呼んでいます。少し考えればわかることですが、「政治的な発言を避ける」ことは、「いま権力を握っている人間たちに決定権を委任し、口出しはしません。」という責任放棄と隷従を意味します。

                             

                             

                             

                            思えば、こういった態度を教養人のマナーだと勘違いしている人に、何人出会ってきたことでしょうか。その度に私は思ったものです。人格のない1万人にちやほやされるよりも、一人称で考え一人称で行動する一人の人間から信頼されるような生き方をしようと。

                             

                             

                             

                            以来、消極的ネトウヨ層が分泌し続ける言説に、首まで浸かりながら、私は自分の心に届く言葉を探し続けてきました。なぜなら、自分の果たしている政治的な役回りに無自覚な人間たちが分泌する言葉によって精神の衛生が害され、人格が空洞化することを知っているからです。

                             

                             

                             

                            そんな日々の中で、久しぶりに素直に心に入ってくる言葉に出会いました。それは、5日、82歳で亡くなった高畑勲監督の短い言葉です。高畑監督の年賀状を映像研究家の叶精二氏がツイッター上で公開したものです。

                             

                             

                             

                            高畑勲監督の『火垂るの墓』

                             

                             

                             

                             

                             

                            「皆さまがお健やかに
                            お暮らしなされますようお祈りします
                            公平で、自由で、仲良く
                            平穏な生活ができる国
                            海外の戦争に介入せず
                            国のどこにも原発と外国の部隊がいない
                            賢明強靭な外交で平和を維持する国
                            サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です」

                             

                             

                            ブログでこれまで13回にわたって宮崎駿監督を取り上げました。その監督が、インタビューで「宮崎さんは夢を見るんですか?」という問いに、「見ますよ。でもぼくの夢はひとつしかない、いつも登場人物は高畑さんです」と答えています。

                             

                             

                             

                            以下、高畑勲監督の言葉を取り上げます。

                             

                             

                             

                            「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」

                             

                             


                            「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」

                             

                             

                             

                            「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」

                             

                             

                             

                            「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」

                             

                             


                            「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」

                             

                             

                             

                            「『戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う』とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです」

                             

                             

                             

                            「日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが9条です」

                             

                             

                             

                            「『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」

                             

                             

                             

                            「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には(自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いているのが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、もうちょっと考えられない。本当に信じられない」

                             

                             

                             

                            宮崎監督は高畑監督が亡くなった日、「まだその気持ちにはなれない」と、コメントは出していません。当然ですね。ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しました。

                             

                             

                             

                            その高畑勲監督の「自由で公平で平和な国で死にたい」という痛切な思いは、これからも無視され続けるのでしょうか。

                             

                             

                            | 中高生の皆さんへ | 13:47 | comments(0) | - |
                            『翼よ!あれがパリの灯だ』 − 中学3年生の皆さんへ。
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                              中学3年生のみなさん、卒業おめでとう。今日は3年生の最後の授業でした。いつもと変わりなく、淡々と数学の難問を解きました。妻がたててくれた抹茶と和菓子をふるまい、お開きにしました。私の塾では気合を入れるためにこぶしを突きだしたり、シュプレヒコールを叫んだりしません。毎年、静かな最後の授業です。そして明後日はいよいよ高校入試です。

                               

                               

                               

                              最近は入試前に緊張する生徒が多くなりました。そこで今日は緊張を解いてもらうため、チャールズ・A・リンドバーグの話をしました。リンドバーグと言っても、今の中学生で知っている人はほとんどいないでしょうね。私とリンドバーグの出会いは後で話します。

                               

                              チャールズ・A・リンドバーグ。なかなかのイケメンですね。

                               

                               

                               

                               

                              彼は1902年2月4日スウェーデン移民の息子としてミシガン州デトロイト市で生まれました。1920年代にはセントルイス−シカゴ間で、郵便機の夜間飛行のパイロットをしていました。その彼が人類史上初の偉業を成し遂げたのです。

                               

                               

                               

                              1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグはプロペラ機「スピリット・オブ・セントルイス号」でニューヨーク・ロングアイランドのルーズベルト飛行場を飛び立ち、孤独や睡魔と戦いながら翌21日、22時21分(到着時の現地時刻)、パリのル・ブルジェ空港に着陸、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したのです。この時、リンドバーグ25歳。飛行距離は5、810km、飛行時間は33時間半に及びました。

                               

                               

                              「スピリット・オブ・セントルイス号」の飛行航路。

                               

                               

                               

                               

                              無着陸飛行を達成した際に、ル・ブルジェ空港へ押し寄せた観客の数は、空港に入り切らなかった分も含めて延べ75万人とも100万人ともいわれています。これによりリンドバーグは、オルティーグ賞とその賞金25,000ドル、さらに世界的な名声を得ます。

                               

                               

                               

                              ところで、「スピリット・オブ・セントルイス号」の機体は、リンドバーグの指示でカスタマイズされたものでした。当時、無名の操縦士だったリンドバーグには出資者が少なかったため、調達した機材そのものも、性能の低いものにせざるを得ませんでした。さらに、多量のガソリンを積むべく操縦席の前方に燃料タンクを設置したため、座席からは直接前方が見えず、潜望鏡のようなものを使うか、機体側面の窓から顔を出す必要があったそうです。現在、この機体はスミソニアン航空宇宙博物館に展示されています。

                               

                               

                              「スピリット・オブ・セントルイス号」

                               

                               

                               

                               

                              1957年には、ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演で映画にもなっています。その映画のタイトルが『翼よ!あれがパリの灯だ』でした。その映画が私とリンドバーグとの最初の出会いです。

                               

                               

                               

                              そうはいっても、物心がつくかつかないかの頃で、父親につれて行かれた、どこか場末のうらさびしい映画館だったような気がします。時代劇ファンだった父親が、なぜこの映画を観る気になったのか、今となっては分かりません。

                               

                               

                               

                              上映中、ときどき大きな音で目が覚めてスクリーンを見ましたが、ストーリーが分からず、ただ眠かったのをおぼえています。後から知ったことですが、その映画は機内のシーンが大半を占める地味な映画だったようです。ただ、鮮明に覚えているシーンがあります。

                               

                               

                               

                              主人公のさびしげな目。格納庫を出て愛機セントルイス号に向かうヒョロッとしたその姿。ひとびとの歓声を背に飛び立ったあと、ひとりっきりになった操縦席にみつけた一匹の蠅。その一匹の蠅だけがパリまでの同行者です。リンドバーグはその蠅に向かって話しかけます。

                               

                               

                               

                              ああ、思い出してきました。鮮明に覚えているシーンとは、主人公がもうれつな睡魔におそわれながら、夢のように思い出すわびしい故郷の草原の美しい風景だったのです。

                               

                               

                               

                              大西洋単独無着陸飛行という快挙をなしとげた青年を支えたものが、わずかに一匹の蠅と淡い故郷への追憶だった、というそのことに私は感動していたのかもしれません。もちろんそれは後年、映画の内容を知ってからの、あと付けの感想ですが。

                               

                               

                               

                              それでも、言葉をもたない幼少期の私にあれほど鮮烈な印象を残し、今になってそれを思い出し、塾の中学生に話してみようと思ったその理由は何だったのでしょうか。それは人生最初の試練に立ち向かう生徒たちにエールを送りたいという思いだったのかもしれません。

                               

                               

                               

                              青年リンドバークの孤独と不安と夢を想え。胸に抱くひとつの原風景と、つつましく小さな同行者と、たったそれだけで、人は無人の夜の空を渡っていけるのか。人は生きてゆけるものだったのか。リンドバークの孤独と不安と夢を想え!と。

                               

                               

                               

                              ちなみに『翼よ!あれがパリの灯だ』は彼の大西洋横断飛行を記録した本(原題:The Spirit of St. Louis、佐藤亮一訳)の邦題です。1953年に出版され、翌年ピュリツァー賞を受賞しています。

                               

                               

                               

                              この本の中で、リンドバーグはこんな言葉を残しています。ニューヨークを出発して23時間目、睡魔や嵐と戦いながら飛び続け、体力の限界を感じるなかでの言葉です。

                              “How beautiful the ocean is; how clear the sky; how fiery the sun!
                               Whatever coming hours hold, it's enough to be alive this minute.”


                              「なんという海の美しさだ! なんという澄み切った大空だ! 炎のような太陽! 何が起ろうと、この瞬間、生きているだけでじゅうぶんだ。」
                               

                              | 中高生の皆さんへ | 19:16 | comments(0) | - |
                              「沙羅ノート」は、世界に二つとないノートである。
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                                沙羅ちゃん、銅メダルおめでとう!よかったね。

                                 

                                 

                                僕の中ではオリンピックは終わっています。テレビを見る気にもならないし、なにより全く関心がなくなってしまいました。どうせ裏で電通が暗躍し、それテレビ放映権だ、コマーシャルだ、と奔走しているのですから。商業ジャーナリズムと利権が結託し、ある一定の視点(インスタ映えということばに現れています)から切り取られた映像にスポーツのだいご味など映っているはずもないのです。

                                 

                                 

                                 

                                加えて、おバカな政治権力が、不利な事実がつぎつぎに明るみに出ているので、国民の目をそらそうとたくらんでいます。日の丸を背負って戦うことは、もはやかっこよくもなんともないのだと気づくべきです。オリンピック憲章にもありますよね。「オリンピックは国威を発揚するものであってはならない」と。

                                 

                                 

                                 

                                ところで、昨夜、塾が終わって居間に行くと、妻がテレビを見ていました。「今から沙羅ちゃんが飛ぶわよ」というではありませんか。日本を応援する気にはなりませんが、沙羅ちゃんなら観てもいいかと思い、テレビの前に座り、どういうわけか手に汗にぎりました。

                                 

                                 

                                 

                                たぶん現地にいたら日の丸の旗をちぎれんばかりに振り、「沙羅ちゃんがんばれ〜。失敗してもいいから、思い切って飛べ!さあ、安心して僕の腕の中に飛び込んでおいで!」とかなんとか叫んでいたと思います。

                                 

                                 

                                 

                                ついでに前の方にいる「ニッポン!チャチャチャ!」「ニッポンすごい!」「ニッポン、キラキラ!」とか叫んでいるネトウヨのケツに思いっきり蹴りを入れて、人ごみにまぎれて逃げていたでしょう。

                                 

                                 

                                 

                                僕が今回沙羅ちゃんを応援する気になったのは、最近とくに綺麗になったこともありますが、それだけではありません。絶対的な優勝候補として臨んだソチはまさかの4位。その時の悔しさはいかばかりだったでしょう。僕もいっしょに涙したくらいですから。挫折を経験した沙羅ちゃんが、今回どう成長しているのか。さらなる挫折を経験するのか、不死鳥のごとくよみがえるのか(ちょっとおおげさですね)、その点に注目していました。

                                 

                                 

                                 

                                結果は見事な銅メダル。金、銀、銅の差なんてほとんど運です。たまたまジャンプした時追い風が吹いたとか、そういったことで左右されるのですから。それよりも今回僕が注目したのは、沙羅ちゃんの精神的な成長でした。前回は土壇場で自分を支えることができなかった。周りを気にし過ぎたのです。つまり弱かった。しかし今回は違いました。なぜそうなったのか。ある一つの事実を知って、納得しました。それは「沙羅ノート」とでも言うべきノートの存在です。

                                 

                                 

                                 

                                沙羅さん(ここからはちゃん付けで呼べません)は「自分と話し合う時間が、ソチの頃は足りなかった」といいます。練習時間ではありません。「自分と話し合う時間」が足らなかったと言っているのです。えらい!(大人になった沙羅さんが僕は好きです。マジで。)

                                 

                                 

                                 

                                それで昨春から、1センチほどの厚さのメモ帳を持ち歩くようになったそうです。良かった点、悪かった点、指導された内容を書き留め、行き詰まった時に見返す。メモは1月末で3冊。牧野講平トレーナー(38)は「書き出すことで整理して課題を見つけやすい。メンタル的にも落ち着くのでは」と言っています。

                                 

                                 

                                 

                                う〜ん、「メンタル的にも落ち着くのでは」はちがいます。沙羅さんは、匿名のシステムの内部に自分の時間と空間を作り上げたのです。つまり、周囲に左右されない人格を作り上げたということです。トレーナーならこのメモが彼女を決定的に変えたのだということに気づかなければなりません。僕が言ってきた「思考ノート」の威力です。さあ、バカな出版人の皆さん、『高梨沙羅のノートは必ず美しい』という本を書きましょう。

                                 

                                 

                                 

                                オリンピック選手は匿名のシステムから絶えずプレッシャーを受けています。自分のためではなく、組織のため、国のためにたたかうことを要請されているのです。東京オリンピックの銅メダリスト、マラソンの円谷幸吉選手は、このプレッシャーに押しつぶされて自殺しました。僕はオリンピック選手に言いたい。「国のためではなく、自分自身のために全力でたたかえ!そんな君を応援するぞ!」と。べつに僕が言わなくてもいいんですが。

                                 

                                 

                                 

                                『日の丸を背負って戦うことは、そんなにカッコいいか?』

                                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=222

                                 

                                 

                                平昌入りした沙羅さんに、山田いずみコーチは「ソチの時より、今の顔が好きだよ」と言ったそうです。本番を前にした選手には最高の言葉ですね。僕も試験前の女子生徒に言おうかな。「一か月前より、今の顔が好きだよ」と。キモ〜イ。でも何だかはやりそうで怖いですね。

                                 

                                | 中高生の皆さんへ | 12:45 | comments(0) | - |
                                言葉の力を信じて・・・「思考ノート」の有限化と可能性。
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                                  「言葉の力を信じて・・・」という今回のタイトルを書きながら、どうしようもないむなしさを感じています。なぜなら、私たちの国の指導的立場にいる人たち、特に政治家が言葉の力など全く信じていないからです。

                                   

                                   

                                  安倍政権は警察官僚を手足のごとく動かし、ゲシュタポ政治を作り上げました。前川喜平氏の例を挙げるまでもなく、自分たちにとって都合の悪いことを言った人間、言いそうな人間の一挙手一投足を見張り、隙あらば失脚させようと狙っています。彼らはもはや金と力しか信じていないのです。

                                   

                                   

                                  さて、前回のブログの最後に「このノートを作るために必要なことが一つだけあります。学校の勉強と並行しつつも、教科書の枠組みからはみ出す勇気を持つことです。その具体例を次回お目にかけましょう。」と書きました。今回はそれを受けて「思考ノート」の具体的な中身と重要な注意点を述べます。

                                   

                                   

                                   

                                  まず注意点から。自分の頭に浮かんだことや疑問点を次々に書き出していったら、時間がいくらあっても足らなくなるのではないか。それでは学校の勉強に支障が出ると心配している人もいることでしょう。心配ならそこでやめればいいのです。どこまでも書き続けるなんて、土台無理なのです。

                                   

                                   

                                   

                                  僕たちが生きる空間も時間も有限です。以前も書きましたが、僕たちの思考も有限ですし、自分をどこまでも掘り下げることは不可能なのです。暫定的な足場を作っておいて、明日はそこから再出発するしかありません。

                                   

                                   

                                   

                                  今はここまででいいと区切りをつけることの中にもその人の主体性が宿ります。そうやって、仮の足場を補強したり、ある時はそれを壊したりして、また最初からスタートするしかありません。そうこうしているうちに僕たちの人生も終わりがやってきます。実は勉強に区切りをつける術も、思考ノートから学ぶことができるのです。

                                   

                                   

                                   

                                  次に、「教科書の枠組みにこだわらない勇気を持つ」ことについて。

                                   

                                  これは前にも書きましたが、言葉にこだわることで、自分の適性や将来の職業が見えてくるという話です。例えば、ノートを作っている最中に、まったくの思いつきで糖尿病は英語で何と言うのだろう、と思ったとします。そこで10分という時間制限を設けて自分の知っている病気を日本語でできるだけたくさん書き出します。

                                   

                                   

                                   

                                  脳梗塞、心筋梗塞、高血糖、すい臓がん、悪性腫瘍、認知症、腎不全、ポリープ、統合失調症、多動性障害に始まり、側頭葉、三半規管、大脳、大脳皮質、海馬、胆のう、十二指腸、大腸、鼓膜、角膜、瞳孔、網膜といった身体の一部から、めまい、吐き気、手のふるえ、難聴といった症状まで。

                                   

                                   

                                   

                                  次に辞書で調べて英語を書き込んでいきます。今は電子辞書で発音も聞けます。連続5回も聞けば、音が耳になじんできます。書き込みが終わったら、少し休憩します。病名は合成語でできているケースがほとんどです。例えばコンピュータ断層撮影(CT)はcomputed tomographyと言いますが、tomoは「切る」という意味です。graphyは「記録」のことです。統合失調症はschizophreniaですが、schizoは「分離した」という意味で、phreniaは「精神」を意味します。

                                   

                                   

                                   

                                  あなたがたまたま病院の待合室にいて、お年寄りが病気の話をしていたら、「糖尿病」だとか「高血糖」「高血圧」「脳梗塞」という言葉が耳に入ってくるかもしれません。その時、いままでとは違った感覚があなたの中に生まれていることに気づくはずです。病名を英語で言えるということは、あなたの世界を拡張することにつながるからです。

                                   

                                   

                                   

                                  あるいは、身近な人が難病にかかって不幸にも亡くなったとします。あなたはその難病の名前を忘れないでしょう。その名前を聞くと、苦しんでいた両親、祖父母の表情を思い出します。その時、難しかった医学の専門用語があなたの実体験と結びつきます。

                                   

                                   

                                   

                                  それがきっかけで、医学に興味を持ち、難病の名前や症状、治療法を調べてノートに書き出します。もちろん中学や高校で習う範囲をとっくに超えています。そして気がつくと、あなたの前には医師になる道が開けています。これは奇跡でもなんでもありません。ことばは、そういう神秘的としか言いようのない力を持っているのです。

                                   

                                   

                                   

                                  子供のころ私たちは好奇心を全開にして世界に向き合っていたはずです。昆虫や植物に興味をもったり、天体に魅了されたり、小さな秘密基地を作ってそこにこもったりした経験があるはずです。つまり、昆虫学者にも植物学者にも、天文学者にも建築家にもなれた、少なくともその可能性を持っていたのです。

                                   

                                   

                                   

                                  しかし、匿名化されたシステムの象徴とも言うべき学校を通過するうちに、好奇心はしぼみ、漂白され平準化された言葉を覚えることの方が「将来の生活」にとって重要だと思い込まされます。

                                   

                                   

                                   

                                  何度も言うように、それは集団が生き延びるために必要とされた言葉です。私たちの内面世界のほとんどが、その種の言葉で満たされれば、人は生きる気力を失います。既成事実を積み上げる権力に、「しかたない」といって屈服します。

                                   

                                   

                                   

                                  そういった奴隷の<生>を送りたくないと思う若い人は、自分だけの「思考ノート」を作らねばなりません。現実の内部にもう一つの世界を持たない人間の言葉は、空虚です。私たちは言葉の持つ力をもっと信じてもよいのです。

                                   

                                   

                                  今回も読んでいただきありがとうございました。以下は参考記事です。暇があったら読んでみて下さい。

                                   

                                  『学ぶことは、自分を壊すことである。』

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=359

                                   

                                  『君の魂くらい、君自身が救え!』

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=361

                                   

                                   

                                  | 中高生の皆さんへ | 15:26 | comments(0) | - |
                                  「思考ノート」の威力は実際に作ってみなければわからない。
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                                    「思考ノート」の目的は既存のシステムの外に自分の時間と空間を作ることだと言いました。しかし、正確には「外に」ではなく「内部に」です。既存のシステムと敵対するのではなく、その「内部に」あなた自身の世界を作る、が正しい言い方です。マトリョーシカのように入れ子構造を作るのです。なぜそれが必要なのか。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    3・11以降、「世間的には」申し分のない地位や職業についている人間たちの振る舞いや言説に、共通する特徴があることに私は気付きました。いくら目を凝らし、耳を澄ましても、彼らには人間としての「真っ当さ」が感じられないのです。ひとことで言えば人格が空洞化しているのです。そのことに気づいて以来、いわゆるエライさんたちが、私の目には腹話術師にしゃべらされている人形のように見えてきたのです。

                                     

                                     

                                     

                                    なぜそんなことになるのか。現実という匿名化されたシステムの中で生き延びようと思えば、だれが金と権力と人事権を握っているのか見分ける必要があるからです。そのためには嗅覚を研ぎ澄まさなければなりません。生まれながらに鋭い嗅覚を持っている「犬」のような人間が生き延びるのです。もとより、「犬」に高い倫理性を期待することなどできません。倫理性は人間と動物を区別する唯一にして最高の徳目だからです。

                                     

                                     

                                     

                                    政治家の発言や振る舞いを見ていると、ウソをでっち上げたり裏切ったりすることを何とも思わないどころか、それができることが有能さの証明だと考えているようです。日本社会は熾烈な出世競争を繰り広げる株式会社になったのです。

                                     

                                     

                                     

                                    政治の世界が株式会社と同じ原理で動くようになれば何がまずいのか。国民を飢えさせない、戦争はしない、という政治の究極の二大目標が忘れ去られます。その結果、何のために学ぶのかという根本的な問いを発する人間がいなくなります。問いを発することのできない社会はディストピアに他なりません。

                                     

                                     

                                     

                                    もうおわかりでしょう。私たちはいわゆる現実の中を生きなければなりません。それは圧倒的な力を持っています。しかし同時に、それは私たちの共同幻想や集合的な無意識が作りだしたある種の約束事にすぎません。その約束事に必要以上に縛られ、過剰適応していると、肝心な自分の<生>を見失ってしまいます。

                                     

                                     

                                     

                                    私は塾の教師をしているので、どうすれば日々の勉強を楽しく意味のあるものにできるのか、毎日を新鮮に感じ、将来を展望できるのか、と絶えず考えてきました。その一つの方法が「思考ノート」を作ることだったのです。

                                     

                                     

                                     

                                    今日初めてブログを読んだ人は、ずいぶん大げさなことを言ってるけどしょせんノートの作り方か、と思われたでしょう。しかし、私の言うノートは、テストの点数や成績を上げる即効性のあるものではありません(ここだけの話ですが、一カ月も続ければ勉強が楽しくなりますし、成績も上がることを保証します)。

                                     

                                     

                                     

                                    即効性のあるものを期待する人は、『東大合格生のノートはかならず美しい』という本でも読んで下さい。全く役に立たないことが分かると思います。知識は体系があって初めて意味を持ちます。体系の構築は、思考錯誤と関連性を絶えず意識するノートがあって初めて可能になるのです。

                                     

                                     

                                     

                                    このことはすでに書きました。よければお読みください。

                                     

                                    『この問題が解ければ上野丘高校に合格できます!』

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=443

                                     

                                     

                                    私はこの記事の中で次のように書きました。

                                     

                                    「知識は個性や思考と連動し、さまざまな局面で独自の動きをしているのです。一度インプットされた知識は解体され再構成されて、それを使う人間と一体化します。それを知識の質といいます。 

                                    野球で言えば、ピッチャーの球質が体重移動や指の長さやリリースポイントや天候やその日の体調によって左右されるのと同じなのです。一流のピッチャーはこれらすべての条件を頭に入れ、ピッチングを組み立てています。速い球を投げるだけでは、簡単に打ち崩されてしまいます。」と。

                                     

                                     

                                    とにかく、あなたが実際に始めないことには、私が何を言っても無駄です。面倒くさいと思う人は、これまでと同じ勉強を続けて下さい。ただし、このノートを作るために必要なことが一つだけあります。学校の勉強と並行しつつも、教科書の枠組みにこだわらない勇気を持つことです。その具体例を次回お目にかけましょう。今回も貴重な時間を割いて読んでいただき、ありがとうございました。

                                     

                                    | 中高生の皆さんへ | 14:29 | comments(0) | - |
                                    あなただけのノートの作り方− その2
                                    0

                                      『世界に二つとないノートの作り方』を読んで、面白そうだ、「いっちょ、やってみるか」と思った人はいるでしょうか。一人でもいれば嬉しいですね。今の中高生は、集団の中で空気を読み、周りに合わせ(キャラをたてるのもその一つです)、ナナフシのように学校空間を生き延びているので、「世界に二つとない」とか「あなただけの」という言い方には抵抗を感じるかもしれません。 

                                       

                                       

                                       

                                      子供の頃、ナナフシを枝と間違えてつかんだ時のショックは忘れることができません。枝だと思っていたのが動いたのですから。それで私はナナフシのような生き方ができなくなったのかもしれません。いや、きっとそうです。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      日本文化は多民族国家のアメリカと違って、自己をアピールしなくとも生きていける社会を作りました。それは私たちの作法として、身のこなしだけではなく、ものの考え方にも影響を与えています。私はそれを素晴らしいと思います。

                                       

                                       

                                      しかし、擬態によって自分の存在を隠していると、いつのまにか自分を見失ってしまうのも人間です。日本には「和して同ぜず」という言葉があります。周囲と協調することを重んじながらも、自分の思想・信条まで売り渡すことはしない、という意味です。

                                       

                                       

                                      今回はそういった生き方をしたいと思っている人に、前回言い忘れたことを補足します。知識や情報だけでなく、感性を駆使して時間と空間を作り上げるためのノートは、いわば、「母港」としてのノートです。このノートを起点として、様々な知識を採集したり、捕獲したりします。そして獲物を抱えて、このノートに帰ってきます。

                                       

                                       

                                       

                                      例えば次のような情景をイメージして下さい。朝まだ明けきらぬころから、漁船は、漁場を目指して港を出ていきます。そして漁を終えて夕方港に戻ってきます。もし帰るべき港がなければ、漁船は永遠に大海をさまよわなければなりません。その寄る辺なさを想像してみて下さい。つまり、帰ることができる母港があるからこそ、安心して漁に出ることができるのです。

                                       

                                       

                                       

                                      私の言う「思考ノート」は、この「母港」のことです。そこに何を書くかは説明しました。詳しくはブログをお読みください。重要なことは、時系列で書くことでした。今回の補足は、中心となるノートを時系列で書く以上、配布されるプリントや、返却されたテスト用紙、文化祭のパンフレット、コンサートのチケットなどもすべて時系列で整理しなければならないということです。もちろん一つのファイルに一日分を保存します。教科別で整理されたものは役に立ちません。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      百均に行くとA4のクリアファイルが売られています。高校生なら1か月で30枚必要です。その中に今述べたプリントの類を時系列で挟んでいきます。もちろん表を見ただけで、それが何月何日のファイルかすぐに分かるように日付を書きます。それと「思考ノート」の日付を同期させるのです。ノートにコンサートのことが書かれていれば、同じ日付のファイルにコンサートのチケットが入っていることになります。

                                       

                                       

                                       

                                      「思考ノート」の日付は、クリアファイルの日付と一致しているのです。これでクロスレファレンス(参照箇所)が楽に探せます。探しながら、このページに書かれてあることは3日前に書いたことと関連があるのでは?と気づきます。こうなればしめたものです。赤の矢印でつなぎましょう。

                                       

                                       

                                       

                                      クロスレファレンスが多ければ多いほど、点が線になり、線が面になり、やがては空間になっていきます。あなたの思考によって生み出された空間はあなたのもう一つの現実になります。どんなに辛いことがあっても、そこへ帰ってくれば癒されます。そういう世界を持っていればこそ、匿名の現実に立ち向かう勇気も出てきます。

                                       

                                       

                                      どうです、「いっちょ、やってみるか」という気になったでしょうか。だまされたと思ってやってみて下さい。長くなるので今日はここまでにしておきます。それではまたお会いしましょう。

                                       

                                      | 中高生の皆さんへ | 22:49 | comments(0) | - |
                                      The time has not come yet.(機未だ熟さず)
                                      0

                                        今年の高校入試も順調なすべり出しです。国立高専を志望していた3人のうち、推薦入試を受験したN君、K君がみごとに合格しました。N君は3年間、K君は5年間私の塾に通ってくれました。N君とは入試前に小論文の書き方を勉強しましたが、少しは役に立ったでしょうか。後は一般入試でチャレンジするA君の合格を待つばかりです。上野丘、舞鶴を志望している人も、まず間違いなく合格するでしょう。

                                         

                                         

                                        昨日は授業の終わりに、適性と「時機」について話しました。そもそも適性とは何でしょうか。その人の才能や性格や将来性のことを指すのでしょうか。ほら、わからないでしょ。ちょっと考えるだけでも意味不明の言葉が、進路を決める時に独り歩きしているのです。このことはすでに書きました。中高生の皆さんにも参考になるのでよかったらお読みください。

                                         

                                         

                                        『贈る言葉 ・ 中学3年生の皆さんへ。』

                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=318

                                         

                                         

                                        今回は「時機」について話します。正直に言うと、私は中学、高校、浪人時代を通じて、受験勉強に本気で向き合うことがついにできませんでした。だから「本気で」受験勉強に取り組んでいる人を見ると、ただただ感心するばかりでした。きっと将来の夢をはっきりと思い描いていたのでしょうね。

                                         

                                         

                                        でも、私のような人間もいるのではないでしょうか。案外多数派かもしれませんね。そのせいか、私は塾教師として、生徒を「本気で」勉強に追い込むことができません。本気になるのはあくまでも生徒の皆さんですから。

                                         

                                         

                                        いずれにせよ、大切なのは普段の学習環境です。東大に合格することが教育の最良・最高の結果などとは一ミリも思っていない大人がいて、それに変わる価値を示し、ともに知的トレーニングに励む場所が私の塾です。

                                         

                                         

                                        ところで、人間には、その人の持っている能力が開花する「時機」があるような気がします。「桃栗三年、柿八年」という言葉があります。しばらく会っていない昔の生徒に会うと、それがよく分かります。ああ、やっぱり○○君は「柿」だったんだ。○○さんは「桃」で、○○君は「栗」だったのかもしれないという風に。それぞれに立派な実をならせているのを見るとうれしくなります。

                                         

                                         

                                        「桃栗三年、柿八年」という言葉は、母が良く唱えていました。私のようなできの悪い息子を育てながら、この子は桃や栗のように三年で実がなりはしない、一人前になるには時間がかかるだろうと自分に言い聞かせていたのだと思います。

                                         

                                         

                                        そのリズムのよさも手伝って、私もすぐに覚えました。広辞苑第6版によると「芽生えの時から、桃と栗とは三年、柿は八年たてば実を結ぶ意。どんなものにも相応の年数があるということ」とあります。「何かに取り組んだとき、すぐに結果を求めたがる人に対して、まずは地道な努力が大切と、言い聞かせる場合に使われることが多い。」とのことです。

                                         

                                         

                                        はたしてそうでしょうか。これは「地道な努力が大切と、言い聞かせる」ための言葉でしょうか。もっと深い意味があるような気がします。人間には器というか「時機」がある。実がなるのに8年かかるのに、3年で実をならせようとすれば、果樹であれ、人間であれ、可能性をつぶしてしまう。それどころか、世の中を息苦しく住みにくい場所にしてしまうという昔の人の知恵というか洞察が込められているような気がします。

                                         

                                         

                                        人生100年の時代だと言われています(私は70歳まで生きることができれば十分だと思っています)。そうであれば、なおのこと期限を区切っていつまでにこれができなければならないと考える必要はないはずです。

                                         

                                         

                                        そもそも、6・3・3制の学校教育はアメリカから輸入された近代の産物にすぎません。そこでは子供たちの能力の開花時機も一律に決められます。その結果、全員が横並びのドッグレースを走らされることになります。「柿」なのに、「桃」や「栗」と競争させられるのです。もともと無理な競争をさせられているわけですから、当然脱落する子供も出てきます。「桃」や「栗」が「柿」を見下す教育は終わらせるべきです。

                                         

                                         

                                        言うまでもなく、近代国家は軍隊と学校制度を持つことでスタートしました。その近代が終わりを迎えているときに、近代的な枠組みの中でしか考えられないとしたら、私たちの社会は早晩破綻するしかありません。安倍政権の道徳的・倫理的な退廃は、その予兆なのです。

                                         

                                         

                                        ではどうすればいいのか。簡単です。まず腐った部分を切除します。放置すれば菌が全身に回り、健康な細胞も壊死します。次に、少子高齢化、人口減少社会の入り口に立っている今こそ、社会の時間軸をとらえ直す絶好のチャンスです。

                                         

                                         

                                        「働き方改革」だとか「人づくり革命」といった軽薄この上ない言葉は、沈みかけている船の中で、カラ元気を出すための欺瞞言語に過ぎません。私たちは沈みかけた船を捨て、救命ボートに乗り換えて新しい大地を目指さなければなりません。では社会の時間軸をとらえ直すために何をすればいいのか。そのヒントはすでに述べました。

                                         

                                         

                                        『100年後の生存戦略−教育』

                                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=446

                                         

                                         

                                        さて、話は塾の現場に戻ります。他に取り柄のない私のような人間でも、長い間塾教師を続けていると、否が応でも気づくことがあります。それは、大人が市場社会の絶対時間とコスパ万能主義のとりこになった結果、子供たちの使う言葉が、瞬間芸としての擬音語や擬態語のようなものに退化したということです。

                                         

                                         

                                        世の中で最も大事なものは経済=お金だと考えれば、言葉をつむぐ必要などありません。新しい社会を構想する言葉も、常識的な物の見方を切り裂く言葉も必要とされなくなります。

                                         

                                         

                                        私たちは日に何度か胃袋を満たさなければなりません。同様に、私たちの精神も言葉で満たさなければなりません。獲れたばかりの生きのいい魚のような言葉。太陽の光を思う存分浴び、栄養たっぷりの土壌で育ったみずみずしい野菜のような言葉。

                                         

                                         

                                        人は新しい言葉に出会い、新しい生き方を発見することで「いっちょ、やってみるか」という気になるものです。私が心がけているのは、生徒に「いっちょ、やってみるか」という気を起こさせることです。一方で、理解が遅い生徒に向き合うときは、The time has not come yet.(機未だ熟さず)とつぶやくことにしています。

                                         

                                        | 中高生の皆さんへ | 09:45 | comments(0) | - |
                                        世界に二つとないノートの作り方。
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                                          今回は世界に二つとないノートの作り方について書きます。誰にも真似ができないノートです。真似ができないのなら読む必要はない、と思っている人もいるでしょうね。でもそういう人にこそ読んでもらいたいと思います。

                                           

                                           

                                          私の言う「思考ノート」、別名「生き延びるためのノート」がどういうものか分かれば、ノートを作ることも、勉強することもきっと面白くなると思います。それだけではありません。生きることも楽しくなります。以下二つに分けて説明します。

                                           

                                           

                                          その1:「思考ノート」を作る意味。

                                           

                                           

                                          前回のブログでも述べましたが、考えることは目の前の現実を疑うことを意味します。「思考ノート」は、現実という既存のシステムの外にあなた自身の世界を作る創作ノートです。受験勉強に役立つのか、ですって?それは以下を読んであなたが判断することです。

                                           

                                           

                                          でも、匿名化した既存のシステムにいかに効率よく順応するか、いかに効率よく点数を伸ばしてブランド大学に合格するか、というようなことばかり考えている人には、「目の前の現実を疑う」という意味がわからないでしょうね。それどころか、悲しいことに、現実を疑う人を嫌悪するようになります。

                                           

                                           

                                          この国のいわゆる「富裕層」は知識と情報を独占することで富を独り占めにしています。しかし、知識や情報はすべての人がアクセスできる開かれたものでなければなりません。権力によって情報がゆがめられ、隠蔽されることを許してはなりません。同様に知識の習得も経済力によって左右されることがあってはならないのです。

                                           

                                           

                                          若い人たちは、「富裕層」の価値判断を無批判に受け入れたり、行動規準を真似たりして、「道徳的貧困層」に転落してはなりません。私の言っていることが理解できる若い人もいると思います。今回はそういう人に向けて書きます。

                                           

                                           

                                          「思考ノート」は『東大合格生のノートはかならず美しい』といった類の「知識の整理ノート」ではありません。この手のノートは早晩AIに取って代わられます。「事務処理能力」や「知識の整理」では人間はAIにかなわないのですから。

                                           

                                           

                                          ここで注意してもらいたいことがあります。「知識」はあなたの外部にあります。それによって文明社会が築かれてきました。学校教育は、不完全ながらも、この知識を伝える場です。決してどうでもいいものではありません。

                                           

                                           

                                          しかし、次のことも忘れてはなりません。現実とは集団が作り出した、集団が生き延びるための匿名化したシステムだということです。その最たるものが「国家」です。「国家」は国民に「死ね」と命令することがあります。その時あなたは命を投げ出すことができますか。今から75年前、前途ある多くの若者が戦場に赴き命を落としました。以下の動画をご覧ください。彼らの命とあなたの命はつながっています。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          「思考ノート」は、こういった現実に拮抗する、「もう一つの現実(Alternative Reality)」を作るためのノートです。「東大合格生の必ず美しいノート」は、誰でもいい誰かの人生を生きるためのノートです。若い知的なあなたなら、そもそも他人が作ったノートなど役に立たないと知るべきです。

                                           

                                           

                                          皆さんは様々な知識を学びます。しかし、知識は断片です。「思考ノート」は、断片としての知識を回収し、関連づけ、集積して一つの空間を作り上げる設計図のようなものです。

                                           

                                           

                                          その2:「思考ノート」の作り方。

                                           

                                           

                                          それでは具体的な内容に入りましょう。まず大学ノートを用意して下さい。重要なポイントは「時系列」で書くということです。そして、知的活動の全てがこの一冊のノートを起点として展開され、そこに収束するようにします。つまり、「このノートが私です」と言えるものを作ります。

                                           

                                           

                                          ノートを開いて最初にすることは、日付と曜日、現在時刻を書き込むことです。科目別、テーマ別ではなく、あなたがその日に学んだ知識とそれについて考えたこと、思いついたこと、後で調べようと思ったことなどのすべてを一冊のノートに時系列で書きます。今日の天気、気温、学校であった事、友達が言った気になる一言があればそれも書きます。要するに今あなたが考えていることをそのまま言語化します。

                                           

                                           

                                          例えば「こんなことばかりしていては数学の課題ができなくなる」と思えば、それを書きます。そしてノートを開いたままで、数学のプリントに取り組みます。すらすら解ければ「今日の課題は簡単だった。楽勝!」とノートに戻って書き込みます。簡単な問題はクロスレファレンス(参照箇所)を書き込むだけでいいでしょう。もちろん解くのに要した時間と、終わった時刻を書き込むのを忘れないように。

                                           

                                           

                                          解けなければ、「この問題が解けない原因はどこにあるのだろう。そもそも確率の基礎が分かってないのかもしれない。順列と組み合わせと確率はどう関連しているのだろう。確率の『同様に確からしい』という言葉はどういう意味なのか?」などと書き込みます。

                                           

                                           

                                          もしあなたが高校生で、数学の問題に行き詰ったら、イラストを描きましょう。牧場の中に羊を描きます。4頭くらい描いて名前を付けます。つまり、羊と数学の「分からない問題」を関連づけるのです。

                                           

                                           

                                          例えば羊の「ショーン」を見ると数列の問題を、「ルーシー」で三角関数の問題を思い出すという風に。これであなたは常に問題を考えることができるようになります。羊を飼うように頭の中に問題を飼っているのですから。

                                           

                                           

                                          あるいは次のようなことを書いてもいいですね。その日の予定、部活のスケジュール、一週間後に迫ったテスト範囲の確認、夏までにやっておきたいこと、昨日見た夢のこと、その夢で出会った人物のイラスト、化学の解けなかった問題、学校の机の中に忘れてきた読みかけの小説、思いつき、ただの落書き、その日食べたものなど。以前考えたことと関連があると思ったらそのページを探して赤の矢印で結びつける。クロスレファレンスをあちこちに書き込む。

                                           

                                           

                                          もちろん気に入った英語の参考書の表紙を勝手にレタリングしてもいいし、気分が滅入ったときには色鉛筆、ボールペン、クレヨン等を使ってカラフルに仕上げるのも面白いでしょう。プリクラを貼るのもいいでしょう。しかし、あくまで勉強を中心にしたノートでなければ長続きしないということを忘れないように。

                                           

                                           

                                          こうやって作ったノートはあなただけのものです。誰にも真似のできない、あなたの思考の軌跡や感情が刻印された世界に二つとないノートとなります。そしてあなたは気づきます。自分の内面世界の豊かさに。これこそが自分の時間と空間だということに。あるいは、無関係だと思っていたことがつながっていることに気づき、驚嘆するのです。

                                           

                                           

                                          これが匿名のシステムに拮抗する「もう一つの現実」=あなた自身の世界です。私の言う「思考ノート」はあなたの日記でもあり、詩集でもあり、スケッチブックでもあり、あなた自身に宛てた手紙でもあり、設計図でもあるのです。つまりこれこそが世界に二つとない「生き延びるためのノート」です。ノートを作るかどうかはあなたにかかっています。

                                           

                                           

                                          参考までに以下の記事を挙げておきます。10年以上前に書いたものです。みなさんの健闘を祈ります。

                                           

                                          未来塾通信31『他人から理解されないつらさと、そこから生まれるものについて』

                                          http://www.segmirai.jp/essay_library/essay031.html

                                           

                                          | 中高生の皆さんへ | 10:24 | comments(3) | - |
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