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 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
殺人犯はそこにいる (新潮文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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卑怯者の島: 戦後70年特別企画
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小林 よしのり
2015年に読み、感動した本(漫画)です。個人的には、これは小林よしのりの最高傑作だと思っています。『堕落論』とあわせて読んでほしいと思います。左右に関係なく、あなたが絶えず仮の足場を求めて思考を継続する意思を持つなら、避けて通れない著作です。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
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エドワード・W. サイード
いわゆる「知識人」なるものが絶滅して久しい。しかし、サイードの言う知識人の定義は時代がどんなに変わっても常に新しい。「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」高校生や大学生にはぜひとも読んでほしい本です。
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磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
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磯崎 新,藤森 照信
この本は茶室を巡る様々な建築的発想・知識の宝庫です。それにしても磯崎新氏の驚くべき記憶力と該博な知識には驚かさされます。建築史を語るには欠かせない二人の対談です。時がたつのを忘れさせるほどの面白さでした。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)
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烏賀陽 弘道
私は政治的な言葉と詩的言語の間を、その振幅が大きいがゆえに、往復することによって精神を活性化させています。政治的な文章を読むときに気をつけていることは、ファクトとオピニオンを区別することです。これはイロハのイだと思っていたのですが、今はお互い罵詈雑言の投げつけ合いで、言論空間がいびつになっています。これは今の政治を反映したものでしょう。菅官房長官が「問題ない」「その指摘は当たらない」などといったコミュニケーション遮断語を頻繁に使いだしてから、この傾向は加速しています。言論空間のゆがみを正し、正常な論争が復活することがあるのでしょうか。地に足がついた生き方をしたいなら、まず気分に流されず、事実を見極めることから始めなければなりません。事実を提示しないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。そのことを確認するためにも本書は必読です。本物の読解力をつけたいと考えている中高生には特にお勧めです。
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫)
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大河内 直彦
アインシュタインの名言のひとつに、「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」があります。
本書は文系・理系を問わず、高校生や大学生必読の本です。単に気候の科学を紹介しただけではなく、科学者たちのさまざまな逸話を紹介しながら、科学における知識・研究の積み重ねの重要性を教えてくれます。この本にのめり込むかどうかが、あなたの知性のリトマス試験紙になります。受験勉強的発想の狭隘な世界観を粉砕してくれるかもしれません。
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見て見ぬふりをする社会
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マーガレット ヘファーナン
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新・日米安保論 (集英社新書)
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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安倍首相から「日本」を取り戻せ! !
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泥 憲和
まともな言説は、誰にでもわかる易しい言葉で書かれています。そして、それが本物であればあるだけ、真実を直視する勇気のない、臆病者からバッシングを受けます。安倍政権や維新の会のヤクザ議員からバッシングを受けない言説は何のインパクトもない、ニセモノだと言ってもいいくらいです。泥さんの発言は、間違いなく政権にとって都合の悪いものだったのです。表紙の写真はコワいですが、この本を読めば泥さんの優しい心根に触れることができます。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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日本力
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松岡正剛,エバレット・ブラウン
テレビを始めとするメディアを通じて、何かといえば日本はスゴイ!と叫んでいる、あるいは叫ばないと身が持たない人たちに読んでもらいたい本です。だってそれは日本人がまともな思考をしてこなかった、今もできていないことの裏返しでしかありませんからね。日本スゴイと叫んでいる人を見ると、自分が持っている劣等感をこんな形でしか表現できないのかと思って気の毒になります。日本スゴイ!だからどうしたの?あなたは何をやりたいわけ?
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まんが政治vs.政治まんが――七人のソーリの一〇年
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佐藤 正明
今の政治状況に対して、まともに反応すればするほど、こちらがアホに思えてきます。正面突破は犠牲者が出るだけでなく、精神的にも疲労困憊しますからね。こういう時代の表現方法は、もはや風刺とブラックジョークしか残っていない気がします。
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魂の殺人―親は子どもに何をしたか
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書)
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五味 洋治
天皇陛下が去年8月のお言葉で一番国民に伝えたかったのは、一言で言うと安倍首相の改憲を許してはならない、ということだったのです。それはブログでも再三書いてきましたが、今上天皇の20年にわたる慰霊の旅や国民に寄り添う姿勢が何よりそのことを証明しています。普通の読解力があれば分かることです。しかし、安倍首相には肝心の読解力がありません。安倍首相は今上天皇の思いを、単なる生前退位の「制度上の問題」にしてしまったのです。これは明らかな策謀です。国民は今一度、天皇陛下のメッセージに真剣に耳を傾けるべきです。
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教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫)
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羽仁 五郎
1979年、今から38年前に出版されたこの本を読み返しました。そして愕然としました。羽仁五郎が指摘したことがますますリアリティーをもって、前景化しています。福沢諭吉も言うように文部科学省はいらないのです。教育関係者は、自らの原点に戻るため、この本を読むべきです。
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服従
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ミシェル ウエルベック
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排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容
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森 千香子
第16回大仏次郎論壇賞を受賞した本作は、従来時間軸で論じてきた社会学の手法に、パリ郊外というエスニック・マイノリティーが住む「空間」を突きつけ、彼らがなぜグローバルテロリズムに追い込まれるのかを明らかにしたものです。

一読し感銘を受けました。問いを生きるという学問の原点が、彼女のフィールドワークにつながり、「移民たちは、彼ら自身に問題があるのだという視線を注がれていました。でも実際には、多数派による差別が問題を生み出していた。問題は社会の側にあったのです」と結論付けます。

この著作は日本社会のみならず、世界のこれからを考えるのに、大いに役立ちます。これぞ学問と言えるものです。『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 』とあわせて読むことを勧めます。
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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被災の思想 難死の思想
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小田 実
若い人は彼の仕事も、名前すら知らない人もいるでしょう。来年で没後10年になります。彼が生きていたら、3・11をどうとらえ、どう表現していたか。それを見たかったし、彼の発言を聞きたかった、とつくづく思います。ジャーナリズムは劣化の一途をたどり、教育は非民主的な社会に適応できるように、こどもたちに真実を教えません。すべてのものには歴史があります。今ある世界が全てではなく、それを作り出した社会と人間の営みがあったのです。もし若い人が自由に生きようと思うのであれば、そして元気を出したければ、彼の著作を読んでみることです。『何でも見てやろう』でもいいですね。とにかく一冊手にとって見てください。そして彼の提示した問いに答えてみてください。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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職業としての政治 (岩波文庫)
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ
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本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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経済学という自己正当化の道具、あるいは権力に寄生するための方便を分かりやすい言葉で暴露した本物の経済学の本。宇沢弘文氏の「社会的共通資本」と併せて読むことをすすめます。
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帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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権力も財力もない人間は、想像力を武器に戦うほかありません。以前ブログでも取り上げた『亡国記』とともに読むことをすすめます。
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吉見 俊哉
文部科学省と財界は文系学部、特に社会思想を研究する学部を標的にして、その廃止を迫っている。これがどれだけ短慮で、バカげたことかヨーロッパの大学を見てみればよい。コンピテンス、要するに高速事務処理能力と記憶力を重視する理系学部さえあれば国は繁栄するという考え方です。文系学部は「結果を出せない」といいます。株式会社化をなりふりかまわず進めようとする国の中で、文系学部は穀つぶしだと映っているのでしょうね。この国の知性の劣化はとどまるところを知らないようです。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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こどもの将来を本当に考える親なら、あれこれ参考書を買い与えるより、是非この本を読むことをすすめます。私たちが失ったものの価値が分かり、呆然とするはずです。

この本を読んで何も感じなかったらどうするのか?
残念ですが、どうしようもありませんね。これまで通り、自分の信じる道をお進みください。
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文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
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「素朴な問い」を発する。
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    今回は、「佐藤ママにエールを!」さんに反論するつもりでした。しかし、詳しくは次回に譲ります。私は信条として批判やコメントを無視することはしません。なぜなら、他者からの批判を受けとめ、崩落した思考の足場を幾度となく固め直すことによって今の自分があると感じているからです。

     

     

     

    コメント主は、内容と佐藤ママの講演会に行っていることから判断すると、多分女性の方でしょう。彼女のコメントが私のブログを読んだ後で寄せられたものであることを考えると、そもそも彼女に私の言葉が届くはずもなく、徒労に終わるのは目に見えています。それでも、一度は反論するつもりです。それ以降は関わりたくありません。人生は短いし、時間が惜しいからです。この話題は次回また。

     

     

     

    今回は小学生でもわかる「素朴な問い」を発してみます。なぜ「素朴な問い」か?

     

     

    「専門的な問い」に対しては、学者や専門家や官僚による技術的・手続き的・専門的な答えが用意されているからです。専門的な問いに答えるためには、専門的な知識が必要です。その修得のためには人生のかなりの時間を投入しなければなりません。あらゆる仕事はどこかで専門性を帯びているといってもいいくらいです。

     

     

     

    しかし、素朴な問いは批判精神の母胎となるもので、心が正しい位置にありさえすれば誰でも発することができます。いいかげんな専門家のウソを見破ることができます。

     

     

     

    では素朴な問いを発してみます。

     

     

    1:国民に対して常習的にウソをつく人間が総理大臣になってもいいのか?

     

     

     

    9月14日、日本記者クラブでの石破茂氏との討論で「あの男」は次のように発言しました。

     

    「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことはない。ご家族の方がそういう発言をされたのは承知している」

     

    これは真っ赤なウソです。国会で自分自身がはっきり言明しています。さらに2012年12月28日「救う会」との面会で次のように言っています。

     

    「5年前に突然辞したとき、被害者家族の皆さんに大変残念な思いをさせた。私にとってもつらいことだった。私がもう一度総理になれたのは、なんとか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい。この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく。」

    http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_3295.html

     

     

    それにしても首相になるまで自分の政治キャリア形成の踏み台にした家族会に責任転嫁するとは!3年前に紹介した本ですが、是非お読みください。

     

     

     

     

    TPP「TPP絶対反対などと言った覚えはない。」「TPP断固反対!」と大書された自民党の選挙ポスターを貼っていました。「断固」反対とは言ったが、「絶対」反対とは言っていないとでも言うのでしょうか。

     

     

     

    異次元緩和→「ずっとやっていいとは言っていない。出口戦略は黒田総裁の判断。」

     

    アベノミクス→「トリクルダウンなんて言ったことはない。」選挙カーの上から何度も叫んでいましたよ。

     

    現総理大臣のウソは枚挙にいとまありません。書いていたら朝になります。まさに息を吐くようにウソを言うのです。自民党の皆さん、頭は大丈夫ですか?今でも素朴な正義感をお持ちでしょうか?

     

     

     

    2:国民の生活や命をかえりみない人間が総理大臣になってもいいのか?

     

     

     

    ■原発に溜まり続ける高レベル放射性廃棄物の処理はどこでどうするのか。

     

    ■福島第一原発の汚染水はどうするのか。どさくさにまぎれて海へ流すのか。

     

    ■過酷事故が起こった時の住民避難計画がまともにできている自治体は一か所もないが、住民の命は電力会社の利益のために犠牲にされるのか。

     

    ■北海道地震の震源地の目と鼻の先に、2兆円かけても完成しない六ヶ所村再処理工場がある。大きな活断層が二本走っているとされているが、地震で爆発したら日本どころか北半球に壊滅的な被害をもたらす。この事実を知っているのか。

     

    ■「もんじゅ」の廃炉は方法すらわからない。50年経っても廃炉は不可能。

     

    ■南海トラフ地震が迫っていると広報しながら、それでも現総理大臣は原発を粛々と再稼働させている。地震学者が「南海トラフ地震が起これば、日本は世界の最貧国になる」と警告している。しかも、原発の被害は考慮されていない。正気の沙汰ではない。「あの男」に後三年総理大臣をさせていいのか?

     

     

     

    3:自国の領土を他国にプレゼントする人間が総理大臣になってもいいのか?しかも国民の税金数千億円のおまけつきで。

     

     

    北方四島は返ってきません。平和条約の意味が分かっているのでしょうかね。アメリカとロシアの両方の機嫌を取っているうちに、ロシアに領土を取られてしまって、さぞアメリカ様は怒っていることでしょうね。「お前、アホか!」と。ひょっとすると、オバマとヒラリーとトランプの区別がついていないのではないか?みんなアメリカの大統領ですって?たぶん「あの男」の認識はそんなものです。

     

     

    以上ごく一部ですが「素朴な問い」を発してみました。皆さんの意見をお聞きしたいものです。

     

     

     

    | 中高生の皆さんへ | 23:19 | comments(0) | - |
    「下品」な人間と悪の凡庸さについて。
    0

      トランプ大統領の下僕で頭がピーマンの「あの男」は、外遊(まさに遊び以外の何ものでもない)することで「外交のオレ様」を国民に印象付けたいのでしょう。しかし、やっていることは税金をばら撒くだけで、中身はスカスカです。

       

       

       

      この6年間、彼が挙げた外交の成果があれば、どなたかぜひ教えてもらいたいものです。今回もプーチン大統領にいいようにあしらわれ、ますます国際的な信用を落としています。国のトップとしての威厳などかけらも持ち合わせていません。石破茂氏との討論から逃げる口実を作っているだけだという指摘もうなずけます。

       

       

       

      北方四島は返ってきません。そりゃそうでしょう。四島を返還すれば、アメリカの軍事基地ができる可能性があるのですから。小学生でもわかる道理です。アメリカの言いなりになっている男と外交交渉などできるわけがありません。バカバカしいのでこの話題はここまで。

       

       

       

      今回のテーマは、「下品」な人間とはどのような人間を指すのかについてです。結論から言うと、自己の利益を最大化するために「合法的」に制度(の抜け穴を)を利用し、他人をそのための手段だと見なして恥じない人間のことを言います。

       

       

       

      典型的には「あの男」とその取り巻きの政治家たちを指しますが、彼らの発する言葉や権力的な「体臭」に引き寄せられて、危機意識も歴史的な方向感覚も喪失した人間たちです。いや元々なかったという方が正確です。彼らに残っているのは、目先の利益を求めて現状を肯定し、投資先を探す嗅覚だけです。

       

       

       

      こう書くといかにも悪智恵が働く人間のように思えますが、実は私たちのまわりにもいくらでもいるのです。ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」ではありませんが、やるべきことを立場上普通にやっているだけだと本人たちは思っています。それどころか自分を善き母親だと信じ込んでいたり、国を憂える評論家だと見なしていたりするので始末が悪いのです。

       

       

       

      彼らの共通点は、単に無知だということです。自分の無知を自覚するだけの知性があれば、次々に金太郎飴のような本を出版したり、人前で講演したりできないはずなのですが、彼らは羞恥心も欠いています。

       

       

       

      その中の一人にホリエモンがいます。一部ですが彼の本のタイトルを見てみましょう。括弧内は私のコメントです。

       

       

      「わが闘争」

      (ヒットラーをプリントしたTシャツを着ているくらいですからね。普通の神経をしていたらこんなタイトルの本は書けません。あなたの好きな作家がこのタイトルの本を書いていたらどうしますか。センセーショナルで無神経なタイトルに惹かれて読むでしょうか)

       

       

      「君はどこへでも行ける」

      (人間は発想力次第だと言いたいのでしょうね。さすがに、宇宙に行きたがっているホリちゃんだけのことはあります。でも過去に行ったり未来に行ったり、あの世に行ったりできるのかな。できるのでしょうね。地獄の沙汰もカネ次第といいますから)

       

       

      「お金はいつも正しい」

      (「お金」と「正しい」を「いつも」という言葉でつなぐ神経というか、言語感覚が理解できません。「オレはいつも正しい」と言う代わりにこのタイトルをつけたのでしょう)

       

       

      「英語の多動力」

      (彼が英語をしゃべっているのをテレビで見ましたが、恥ずかしくなるほどヘタクソでした。今時の中学生の方がはるかにうまいですね。そんな彼が英語本を書けるはずもありません。案の定、英語の勉強方法をかき集めたただけの本です。出版社は彼の名前を利用して儲けようとしているのです。魚心あれば水心、というわけです)

       

       

      「好きなことだけで生きていく」(どうぞお勝手に)

       

       

      「稼ぐが勝ち」

      (彼の思考の必然的な到達点です。コメントしようがありません。お金持ちはこの本を読んでせっせと投資しましょう)

       

       

      さて、彼の思考の必然的な到達点をもう一つ紹介して終わりにします。

       

       

      北海道が地震で停電になったとき、彼はさっそくツイッタ―で叫んでいます。

       

       

      「これはひどい。そして停電がやばい。泊原発再稼働させんと。」

      「原発再稼働してなかったのは痛い」と。

       

       

       

      例によってケイザイヒョーロンカの池田信夫も唱和しています。やれやれ。何かといえば原発を再稼働させようとする人間たちの無知には驚くほかありません。彼らの意見に賛同する人たちもいます。

       

       

      「原発アレルギーのママじゃ直近の命は守れない。ニトログリセリンはダイナマイトの原料だけど、それで助かる病気の人もいる。人間はそうやってリスクをマネージメントしながら進化してきたはずなのに」

       

      「安全地帯にあった泊原発が動いていれば全停電なんて起きなかった」


      「泊原発が動いていれば、北海道全域が停電することはなかったのに。原発再稼働反対を叫んでいたお花畑左翼達のせいで、北海道は孤島になってしまった」


      「北海道の停電は原発再稼働反対派による人災と言ってもいいのでは?」

       

       

       

      どれもこれもダイナマイト級の無知・無思考ですが、コメントはまたにします。そして極めつけは、ウヨウヨ湧いてきたネトウヨの皆さんの「柏原発再稼働せよ!」の大合唱でした。「柏」原発なんてどこにあるのでしょう???柏崎刈羽なら新潟にある世界最大の原子力発電所ですが・・・。北海道の話をしているのですよね。実は彼らは原発の名前も場所も知らない痴呆集団なのです。もっとも、鹿児島の「川内原発」を「かわうち」原発と呼んだ経産大臣もいましたが。

       

       

       

      最後に、ホリエモンやその同調者が決して読まない、読めない本を推薦しておきます。拉致被害者の蓮池薫氏の兄で、元東京電力の技術者であった蓮池透氏が書いた本です。冷静な分析、思考のできる若い人に勧めたいですね。

       

       

       

       

      今思い出しましたが、ホリエモンの本を「正しいこと言っているとしか思えない」とコメントしていた大分市田尻にある学習空間K塾長氏や中春日町にあるY田ゼミ塾長氏には勧めません。Y田ゼミ塾長氏は、安倍さん大好き、モモクロ大好き、原発大好きのレイシストであるばかりか、トランプ大統領に「早くデブジョンウンを殺して下さい」とツイッターで懇願していたくらいですから。 

       

      | 中高生の皆さんへ | 23:49 | comments(0) | - |
      当世塾教師仕事の顛末。
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        しばらくブログを書いていませんでした。世の中のあらゆることを政治にからめて語ったり、教育のせいにしたりする言説のくだらなさは置くとしても、あまりに心暗くなることばかりです。そこで、気分転換のために毎朝散歩したり、庭木の剪定をしたり、いちじくジャムを作ったり(私の好物です)、頼まれた住宅の設計図を書いたりしていました。

         

         

         

        そうこうしているうちに、8月も終わり、今日から9月です。今朝は散歩している途中で、ひんやりとした空気の層にぶつかりました。散歩から帰って落ち葉を掃いていると、クマゼミやアブラゼミの死骸を発見することが多くなりました。台風21号が去れば、大気の中に秋の気配が濃くなることでしょう。空は高くなり、空気が澄んで遠くの音がこだますようになります。

         

         

         

        30年以上も塾の教師を続けているのに、自分が塾の教師だと意識することはあまりなかったように思います。「プロ教師」などと自己規定するのも大袈裟ですし、生徒の点数を上げることに特化する塾にもしませんでした。おそらく私は生来教師には向いていなかったのだと思います。生活のために始めた仕事を続けてきただけだというのが正直なところです。

         

         

         

        以前は塾の宣伝のために1年に1回はチラシを入れていましたが、それも5年前にやめました。出版・広告業界とタイアップした塾業界のもうけ主義に嫌気がさしたことも理由の一つですが、『ビリギャル本』や『佐藤ママ』に代表される世の中全体を覆うあっけらかんとした反知性的というかカルト的な軽薄さの仲間入りだけはご免こうむりたいと思ったからです。

         

         

         

        私は幻影にすがって生きることもできなければ、意味のない空洞化した言葉を頼りに生きることもできません。開店休業の必要を痛感しているこのごろです。

         

         

         

        それでも先日、中学3年生の模試の結果を返却し、面談をしました。最近は親も子供も、塾をコンビニと勘違いしているのでしょうか、必要なものを手に入れるとさっさと出ていきます。塾の教師はコンビニの店員のようなもので、同じ教室で机を並べて勉強する生徒は、たまたまコンビニで出くわした客に過ぎないといった風情です。以前は誰かが欠席していると必ず「先生、○○君はどうしたのですか?」と心配していたものです。

         

         

         

        そんなわけで現在中3生は7人です。淡々と勉強し、模試の結果を見て私なりに生徒のことを考えてアドバイスします。もちろん、入試までにあと何点伸びると予想したり、思考力や文章力を伸ばす方法を教えたりもします。しかし、私は生徒の適性と潜在能力に一番注目しているので、受験参考書のキャッチコピーや映像授業の講師が言うようなセリフを吐いたりはしません。

         

         

        中学3年ともなれば、どうしようもなく小心で軽薄な生徒もいます。点数を金で買うことばかりを考えて塾を物色している生徒もいます。背後に「情報通」の親がいることがわかります。以前ならそういった生徒の愚かさを叱り飛ばしていたでしょうが、今時そんなことを望む子供も親もいません。本気で叱ればきっとトラウマになるでしょう。すべての教科をゲーム化して、クイズ形式で生徒と楽しくやるのが塾になってしまいました。そういうわけで、私の力ではもはやどうしようもない時代になっているのです。

         

         

         

        以下は私の塾の生徒の大分県合同模試の結果です。毎年こんなものです。集中力を欠かなければ、英語も数学も満点がとれていたはずの生徒もいます。情報収集に血道をあげなくとも、入試まで淡々と落ち着いて学習に励めば、どこの高校でも合格するのです。

         

         

         

         

        今回の全受験生の平均点と塾生の平均点(括弧内)です。

         

        英語:22,3点(36,3点)

        数学:28,0点(39,3点)

        国語:38,2点(45,0点)

        理科:34,0点(43,3点)

        社会:29,3点(38,1点) 

        5教科平均点:151,7点(202,0点)

         

        最高点はYさんの253点でした。

         

         

        | 中高生の皆さんへ | 23:55 | comments(0) | - |
        誰がこの国を破滅に導いているのか?
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          明日まで塾はお休みです。しかし、若い人たちには、ぜひ以下の番組を見てもらいたいと思います。そうすれば、この問いの答えが分かるのではないかと思います。

           

           

          NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」

           

          放送は2018年8月15日(水)午後7時30分

          再放送は2018年8月19日(日)午前0時05分

           

           

           

          前回のブログでも述べたように、私たちは新自由主義の価値観に洗脳され、経済効率と快適さを求め、「一消費者」という殻に閉じ込められています。しかし、人間は本来歴史的な存在です。ノモンハンで命令を下した側、それによって命を落とした2万人もの死者と私たちの現在はつながっているのです。

           

           

           

           NHKの番組紹介では次のように述べられています。

           

          「79年前、モンゴルの大草原で日本とソ連が戦ったノモンハン事件。ソ連の近代兵器を前に、日本は2万人の死傷者を出し敗北した。司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念したこの戦いで、何があったのか。新たに発掘した150時間の陸軍幹部の肉声テープには、曖昧な意思決定で紛争が拡大し、責任を現場へ押しつけ自決を強要していった実態が証言されていた。AIでカラー化した、鮮明な戦場の映像で伝える。」

           

           

           

           

          ノモンハンの戦いで命令を下した側の愚かさと無責任さ、人間としての情のなさは、戦後を生き延びてよみがえろうとしています。まるでドラキュラが新しい血を求めて冥界から復権するのを待っているように。しかも今度は全国民の命をロシアンルーレットの賭けの対象にしています。私の言うことが大げさだと思う人は、ぜひ4年前に書いた以下の記事をお読みください。

           

           

          「二つの島をつなぐ(2014:7:13)」

          http://www.segmirai.jp/essay_library/essay051.html

           

           

           

          話がそれました。今回のブログの主な目的は、上記の番組の紹介(8月15日にこの番組を放送するということは、NHKには本当に優秀な人間がわずかであれ、残っていることを証明しています)と、以下の本の紹介です。(この本についてはすでにRECOMMEND欄に書いています。)

           

           

           

           

           

          著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。

           

           

           

          戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。

           

           

          | 中高生の皆さんへ | 22:15 | comments(0) | - |
          映画『おだやかな革命』
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            昨日は猛烈な暑さの中、伊方原発差し止め訴訟の第10回口頭弁論の傍聴に行ってきました。原告となった以上最低限の義務だと思っています。裁判所に車を停めて、正面入り口に向かう途中、空から焼け焦げたこぶし大のモノが落ちてきました。見ると焼き鳥になったスズメでした。というのは冗談です。

             

             

             

            裁判所に通うようになってもう2年になります。それにしても、3・11の福島第一原子力発電所の事故は、風化の一途をたどっています。昨日も報道陣のカメラはほとんどありませんでした。それでも画像の通り、『疾風自由日記』のSさんは元気でした。

             

             

             

             

            安倍政権になってから、この国の三権分立は絵に描いた餅になっています。最高裁判所事務総局に人事権を握られ、福井地裁の樋口英明裁判長のような真っ当な判決を書ける裁判官は今や絶滅危惧種です。差し止めの判決が出るのは99%ないでしょう。それでも1%の可能性に賭けたいと思います。あきらめたら終わりですから。

             

             

             

            そして今日、シネマ5に車を飛ばして映画を見に行きました。1週間限定の映画で今日が最終日。朝10時から1回のみの上映です。夏期講習期間中で忙しいのでやめようかと思ったのですが、観て正解でした。タイトルは『おだやかな革命』です。シネマ5さんには再上映とロングランをお願いしたいですね。

             

             

             

             

             

            私はこの映画に勇気づけられました。なぜなら、福島第一原子力発電所の事故の教訓をしっかり受け止めて、それを実践している人たちの生き方が、本当に生き生きしていて楽しそうでしたから。この国はまだ捨てたものではないと思いました。そして、再生のカギは地方の小さな共同体=里山にあると再確認できました。

             

             

             

            断言しますが、東京一極集中の経済も文化もエネルギー政策もやがて終焉の時がやってきます。それが里山文化つまり日本の農業を犠牲にした上に成り立っていたことに気づく時が来ます。農業と地方を犠牲にし、口先だけで持続可能な社会をとなえる国家など栄えたためしがないのですから。

             

             

             

            ところで、私は2年半前、似たようなタイトルでブログを書いています。

             

            『新しい生き方のヒント−静かな革命』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=101

             

            次のForbesの記事もぜひお読みください。

             

            『農村を疲弊から救え 大分県の「小さな巨人」利他の思考』

            https://forbesjapan.com/articles/detail/21963/1/1/1

             

             

            | 中高生の皆さんへ | 23:36 | comments(3) | - |
            サルでもわかる哲学用語解説。
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              今回は、難しい哲学用語を誰にでもわかるようにやさしく解説します。では、始めます。冷笑主義(シニシズム)についてです。言葉が難しいですね。でもそんなことは気にしなくてもいいのです。要は慣れの問題ですからね。

               

               

               

              冷笑主義とはギリシャ哲学の言葉で、本来は無所有と精神の独立を目指し、世俗的慣習を否定する主義のことでした。えっ、難しいですって?簡単に言うと、自分らしく自由に生きるためには世の中の決まりごとに縛られず、むしろ疑ってみることが大事だと考えることです。多くの人が空気を読んでいる態度を冷ややかに眺めることだと言えば分ってもらえるでしょうか。

               

               

               

              これ自体悪いことではありませんね。むしろ、本物の知性を身につけている人によく見られる態度です。冷笑という言葉のニュアンスから、嫌味な奴だと思われるかもしれませんが、慣れればそれも愛嬌です。仮装された順応主義こそが本物の知性のあり方ですからね。おやおや、また難しいことを言っていますね。わからないところは飛ばして読みましょう。一番最後に、サルでもわかる画像がありますから安心して下さい。

               

               

               

              ただ、現在の日本では、この冷笑主義は本来の意味とは違った意味で使われています。野党が森友学園や加計学園の獣医学部新設をめぐって、国民の財産を私物化していると批判したことに対して「他に議論すべき重要な問題があるだろう」といって、冷や水を浴びせるような態度を意味するようです。

               

               

               

              しかし、それは少し違います。現在私たちの社会に蔓延している冷笑主義は、国会で多数を占めている側が結局は数の力で押し切るのに、野党は何を格好をつけているのかと批判し、自らは自民党を支持している責任を転嫁する態度のことです。世の中は結局のところ金と権力を持ったものが動かすのだ、それのどこが悪い、財界バンザイ!富裕層バンザイ!と居直り、言葉の価値(理想)を全く信じない無思考・無思想そのもののことです。

               

               

               

              いわゆるコミュニケーション力とは、大勢に異を唱えたり、反論したりして場を白けさせないようにする力、つまり「空気読めよ!」と言われることを巧みに避ける力のことを言うようです。今の若い人は、野党に対して「空気読めよ!」と言いたいのでしょうね。そのうち「批判」や「反論」という言葉は、辞書からなくなるかもしれません。

               

               

               

              およそ私たちの思考は、まず正しい事実があることを前提にしています。しかし、冷笑主義者は、「お前たちの言う事実は、お前たちの基準ででっち上げた事実に過ぎない。」と居直って、基準自体を破壊しています。

               

               

               

              あげくの果てに自分たちに都合の良い事実を捏造し、公文書そのものが存在しないと言ってみたり、存在していたとしても記憶にないと言ってみたりしてその場を切り抜けます。要するに、多数を握っている自分たちには「事実」を作る資格があるのだと言わんばかりです。

               

               

               

              長くなるのでやめにしますが、最後にこの冷笑主義を体現している人の顔をとくとご覧ください。私がくどくど説明するより、百聞は一見に如かずです。20日夜の参院本会議で内閣不信任案趣旨説明の演説を終えた枝野代表が頭を下げたのに対して、安倍首相が投げかけた冷笑です。政治家であるにもかかわらず、言葉を信じない人間の顔です。政治とは言葉の闘いです。言葉の闘いから逃げているのは誰でしょう。

               

               

               

               

               

              ちなみに、2時間以上にわたる枝野代表の演説は素晴らしいものでした。近々本になって出版されるそうです。この本が学校の授業で取り上げられることはまずないでしょう。しかし「学校で習ってね〜し」は通用しません。その気になれば、学校の授業など簡単に飛び越えて、いくらでも知的になれるのです。政治に関心のある、つまり、金や権力よりも言葉を信じる中高生の皆さんは、ぜひ読みましょう!

               

               

              | 中高生の皆さんへ | 23:17 | comments(0) | - |
              「ひとりの人」のために。
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                日常生活にまつわるどんな問題であれ、つじつまの合わないことを平気で言い、相手によってそのつど判断を変え、しかもそのことを自覚していない人間と付き合うことはできません。

                 

                 

                 

                人間ならこういうときにはこう感じるだろう、こう行動するだろうという予測というか信頼があってはじめて共同体や社会は成り立っているはずです。ところがここ数年、正確に言えば3・11以降、この「期待の地平」ともいうべきものが、社会から急速に失われています。

                 

                 

                 

                目にするもの、耳にするものの大部分がフェイクであり、「つつましやかな日常」自体が、政権やメディアによって都合の良いように偽造され、日々の生活規範である「道徳」までが学校教育によって画一的に押し付けられようとしています。

                 

                 

                 

                テレビを通じて流される幸福な家族のイメージ、他人から羨まれるような「生き方」の蔓延、ようするにウソのように軽い日常の氾濫で、私たちの感情は限りなく劣化しています。

                 

                 

                 

                いったいどこに救いがあるのだろうかと思っているときに『万引き家族』を観ました。封切られてすぐに観たのですが、感想を述べる気にならず、ただただ、世間は物事の真実は見ないし、決して正解しないものだという思いがしきりにして、沈黙するしかなかったのです。反面、この映画で少し救われたのも事実です。

                 

                 

                 

                 

                 

                内容について書くことは省略します。いい映画はとにかく観て、身体で受け止め、残響を反芻するしかないからです。

                 

                 

                 

                この映画の中で、安藤サクラ演じる女性が、両親から虐待を受けていた5歳の女の子を「誘拐」したということで女性警察官からさとされる場面があります。安藤サクラは夫から受けた虐待の経験(言葉で表現できるわけがありません)から逃れるようにして『万引き家族』といっしょに生活していたのです。

                 

                 

                 

                女性警察官は言います。「こどもは、やっぱり親の下で暮らすのが一番なのよ」と。それに対して、安藤サクラは一切反論せず、ただ涙を流すだけで、何度も何度も手で涙をぬぐいます。おそらく是枝監督はこのシーンを撮るために映画を作ったのではないかと思えるほどでした。

                 

                 

                 

                この映画の中には、さまざまなエピソードが挿入されていますが、少年が学校の教科書を読む場面があります。それが『スイミ―』です。皆さんの中には、この話を知っている人も多いと思います。もうずいぶん昔になりますが、私は本屋でこの本(英語で書かれた原版ですが)を見つけ、こどもに読んで聞かせたことがあります。以下がその本です。一人一人は小さくて無力でも、力を合わせれば大きな魚を追い払うことができる、という単純明快な論理です。下の絵で、スイミーは大きな魚の目になっています。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                これに関して、パルムドール賞を受賞してから是枝監督が日本外国特派員協会で会見を開いた時の談話があります。とても大事な話です。以下に引用します。

                 

                 

                 

                引用開始

                 

                ― 今回の取材で一番印象に残っているのは、親からの虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子どもたちの取材に行ったときのことです。ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子に「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」と思いました。

                 

                 朗読をしているその女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに少年が教科書を読む、というシーンの台本を書きました。

                 

                テレビをやっていた時代、先輩に「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。20代の頃に言われて、今もずっとそうしています。

                 今回は・・・今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。― 引用終わり。

                 

                https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/koreeda-20180607_a_23452833/

                 

                 

                 

                ここには創作の原点が述べられています。なぜ映画を撮ったのか、是枝監督のようにその動機が後で分かることもあります。高畑勲監督が亡くなり、宮崎駿監督がコメントを出せないでいた時、ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しています。

                 

                 

                 

                捏造された歴史や歪められた解釈からは知性も感情も生まれようがありません。どうやら、私たちの<生>は、「ひとりの人」のために像を結び、そこのみにてかがやくようになっているようです。

                 

                 

                 

                「存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。」

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=500

                 

                「自由で公平で平和な国で死にたい」

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=485

                 

                参考までに、よければ以下の記事もお読みください。

                 

                カンヌ受賞でもネトウヨは是枝裕和監督と『万引き家族』が大嫌い! 安倍首相は無視、百田尚樹と高須克弥はバッシング

                http://lite-ra.com/2018/06/post-4050.html

                 

                 

                | 中高生の皆さんへ | 13:06 | comments(0) | - |
                日本の貧困は教育の貧困である。
                0

                  このタイトルで書きたいことがいっぱいあるのですが、教育の貧困を何よりも雄弁に語る以下の動画をご覧ください。

                   

                  参議院 内閣委員会、平成30719

                   

                   

                   

                   

                  政治家としてまともな感覚が残っているのは、今や山本太郎氏を始めとして、片手で数えられるほどになってしまいました。高校中退の人間が高学歴エリートたちを問い詰めています。これこそが普遍的な感情の持つ力です。生きる上で大切なのは、社会に対して(つまり今生きている人間のみならず、死者や後世の人間たちに対しても)どう向き合うのかということです。

                   

                   

                   

                  カジノ法案の座長を務めている自民党の岩屋毅氏はわが大分県の選出議員です。こんな男を国会議員にしたのが大分県人であることを、私は心の底から恥ずかしく思います。

                   

                   

                   

                  そもそも、国会議員や総理大臣、その背後に控える官僚といえば、日本の知性の代表のはずです。彼らは高学歴で、何不自由なく育った二代目三代目の政治家たちが多い。東大を卒業した優秀な人間たちが最終的に集まる場所が国会のはずです。

                   

                   

                   

                  しかし、今や国会は、人間の感情を持たない利権屋かヤクザの集団になってしまいました。宗教的なカリスマの下に集まり、政党を作り、あげくに人格を空洞化させ、アメーバ集団になり下がった公明党に至っては、自分たちが何をしているのかさえ分かっていません。

                   

                   

                   

                  いや、そうならなければ安倍政権と手を組めるはずなどないのです。政治家としての矜持も、人間としての良心も捨てなければ、安倍政権の下に蝟集などできるわけがありません。公明党が果たした役割は、自民党のオウム化、すなわち人格の空洞化であったと後世の歴史家は書くことでしょう。

                   

                   

                   

                  今の自公政権は、ガンジーの言う「7つの社会的罪」にまみれて、それを自覚すらしていない人間たちの集まりとなりました。

                   

                  ブログで何度も指摘しましたが、再度掲げておきます。

                   

                   

                  1.理念なき政治
                  2.労働なき富
                  3.良心なき快楽
                  4.人格なき学識
                  5.道徳なき商業
                  6.人間性なき科学
                  7.献身なき信仰

                   

                   

                   

                  改めて書き出してみると、私たちの周囲はこの種の人間で満ちあふれています。特に社会的地位にしがみつき、自分が何をするために生まれてきたかを自問自答したことのない人間たちは、「労働なき富」「人格なき学識」「道徳なき商業」の実行犯なのです。

                   

                   

                   

                  それは言うまでもなく、グローバリズムとコマーシャリズムの中でカルト化し、分断された教育の貧困がもたらしたものです。それについては、身近なところから少しずつ書いていくことにします。

                   

                   

                  | 中高生の皆さんへ | 23:11 | comments(0) | - |
                  部活が中学生の頭を悪くする!
                  0

                    私はスポーツが好きでした。少年の頃は地域の少年野球のチームに入っていました。と言っても、遊び仲間が中心となって自然発生的にできたものです。今のように、遠征や公式戦のスケジュールに則って運営されるサッカーや野球クラブとは違います。

                     

                     

                     

                    夏休みに大会があり、優勝したこともあります。ユニフォームもなく、上はTシャツかランニングで下は半パンでした。もちろんスパイクなど履いたこともありません。子供以上に親が熱心になることもなく、試合に親が来ていることもありませんでした。親に優勝報告をしたら、それはよかったわね、で終わりでした。もっとも、父は決勝戦をバックネット裏で見ていましたが。

                     

                     

                     

                    今日のように太陽がじりじりと照りつける猛暑の日には、友達といっしょに木陰で休息を取るか、セミ捕りや虫とりに興じていました。大分川の上流に魚釣りに行き、飽きるとパンツ一丁になり泳ぎました。親が見たら卒倒するような危険な遊びもしました。子供たちは親の目の届かないところで一日中好きなことをしていたのです。人生の黄金の時期で、世界も時間も自分の思うままだという感覚に満たされていました。思えば、いい時代でした。

                     

                     

                     

                    野球では巨人ファンだったこともあります。テレビで巨人の試合しか見ることができなかったのと、父親が巨人ファンだったからです。なぜ巨人が好きなの、と父親に尋ねた時、巨人ファンというより長嶋が好きなんだ、との答えが返ってきました。なるほどね。要するに、ある制約された条件の下では人間は決まった行動をとったり、同じような考えになったり、感じ方まで似てくるのだと、子ども心に思ったものです。

                     

                     

                     

                    今この国は一見自由に見えます。しかし、私から見れば自由でも何でもありません。沈没する運命にある豪華客船の中で周囲の空気を読み、同じように感じ、同じように行動し、決して集団の和を乱さないように振舞っているだけです。そんな中にいると、人格が透明になり、流れ出し、アメーバのように一体化して、重心のある方向にただ動いていくだけになります。

                     

                     

                     

                    コミュニケーション力といい、アクティブラーニングといい、すべて周囲の顔色をうかがうことが得意な人間を育てるに過ぎません。自分の言葉も、意見も、ついには感情すら、ニセモノをつかまされて、いったい人間は幸福になれるとでも思っているのでしょうか。アメーバ国家、ニッポン!チャチャチャ。

                     

                     

                     

                    以下の京都新聞の記事をお読みください。この教師も生徒も、失敗した教育の見本です。

                     

                    校舎80周走れ」生徒倒れ救急搬送 滋賀・中学部活顧問が指示

                    7/14(土) 6:00配信

                     

                     

                    ― 大津市の南郷中で、ソフトテニス部2年の男子生徒が部活動中に「校舎周囲を80周走れ」と顧問の教諭から指示され、途中で倒れて救急搬送されていたことが13日、同中や市教委への取材で分かった。生徒は熱中症と診断され、同中は「行き過ぎた指導だった」と謝罪した。


                     同中と市教委によると、生徒は12日午後の部活動中、練習中にミスが目立ったことなどを理由に、30代の男性顧問から「校舎周囲を80周走ってこい」と命じられた。午後5時10分ごろ、生徒が倒れているのを校内で作業をしていた工事業者が見つけた。生徒は救急搬送され、その日の夜に退院し、13日は学校を休んで静養したという。


                     生徒が走らされた校舎外周は1周約230メートルで、80周で18キロ超になる。生徒が倒れたのは9周目だったという。気象庁によると、大津市の12日午後5時の気温は30・1度だった。
                     同中は、13日夜に保護者説明会を開き、経緯を説明した。平松靖之教頭は「行き過ぎた不適切な指導で、保護者におわびする。すでに顧問を指導した。今後は、安心した学校生活が送れるよう努めていく」とコメントした。―

                    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180714-00000000-kyt-soci

                     

                     

                     

                    これが「行きすぎた指導」だとしてスル−されるのでしょうか。この生徒が熱中症で死亡していたら、やはり「行きすぎた指導」で済ませるのでしょうね。こういう教師に部活の顧問をさせてはダメです。フツーに考えたら分かることが分からない。頭の中がスポ根の域から脱していません。まるでマンガの世界です。もちろんマンガの世界と現実の境界線が分からない判断力の持ち主ですから、こんな指示というか軍隊の上官のような命令を出せるのです。

                     

                     

                     

                    日大のアメフト部の精神構造は、部活を通じて日本全国に広がっています。その仕上げが東京オリンピックというわけです。ここまで遅れている日本の教育を見せつけられると、言葉が見つからないですね。この教師のみならず、倒れた生徒も教育の失敗の見本です。生徒は次のように言うべきだったのです。

                     

                     

                     

                    「自分の命令の意味が分かっているのですか。気温は30度を超えてますよ。練習中にミスが目立ったからといって80周ですか。なぜミスをしたのか。ミスをなくすにはどうすればいいのか、それを指導するのが顧問の仕事じゃないんですか。それが楽しいから顧問をしているんじゃないんですか。ミスに対して罰を科す。これじゃあ、戦時中の軍隊と同じじゃないですか。軍隊では上官の命令が絶対で、逆らうことはできなかった。あなたのような小権力者が威張り散らして侵略戦争を推し進めたんだと社会の授業で習いました。えっ、文句があるなら部活をやめろっていうんですか?わかりました。今日限りでやめます。部活より命の方が大事ですから。それにあなたのような人が顧問だと、テニスが楽しくとも何ともない。嫌いになるだけです。短い間でしたがお世話になりました。」と。

                     

                     

                     

                    部活はあくまで教育の一環です。そうでなければ学校でやる必要はない。私は常々、塾の脱線話で言っています。

                     

                     

                    「週4日の練習で部活を強くできないコーチは無能だ。優秀なコーチは、何にも増して君たちの発想を豊かにし、頭をよくするはずだ。スポーツは言葉だけではなく、身体を使って考えることを教えるものだから、本当に頭の良い人間を育てるのに役立つ。それに気付けば、面白くてたまらなくなる。部活のない日こそ、練習方法について考えるまたとないチャンスなんだ。スポーツは頭がピーマンのゴリラを育てるのが目的ではないからね。」と。

                     

                     

                     

                    日曜・祝日はもとより、夏休みも部活に明け暮れ、慢性的な疲労と睡眠不足を引きずっている状態で、そもそも学習に集中などできるわけがないのです。でも、休みの日にこどもが家にいれば、ろくなことはないと考える親が、部活を望んでいるという側面もあるので難しいですね。教育における社会資本の貧困を思わずにはいられません。なぜなら、OECD加盟34カ国の中で、最も教育にお金をかけていないのが日本なんですからね。子供たちを部活に閉じ込めておく他ないのもうなずけます。

                     

                     

                    | 中高生の皆さんへ | 15:09 | comments(0) | - |
                    私たちの社会には救いがない。
                    0

                      はじめに断っておきますが、私は日本の文化を誇りに思っています。 日本の古典を読むにつけ、あるいは古寺巡礼ですばらしい建築に出会うたびに、その思いはいっそう強くなります。そして日本人に生まれてよかったと思うのです。 世界のどこに行っても日本文化のすばらしさについて語りたいと思います。村上春樹氏が言うように「ある国の知性の総量は変わらない。ただ時代によって偏在しているだけだ」との考えにも賛成です。

                       

                       

                       

                      しかし、さすがに最近はしんどくなってきました。現在の日本政府に対して、まったく敬意の感情がわいてこないのです。いや、むしろ心の底から軽蔑しています。 そして、現代日本人の大半には侮蔑の感情しか湧いてこないのです。

                       

                       

                       

                      「それはお前の特権意識の裏返しだろう、何を偉そうに上から目線で言っているのだ」という感想もあるかと思いますが、大分市東部の、そのまた外れにある個人塾の教師に、特権意識などあろうはずがありません。おそらく、焼きが回ったということでしょうね。

                       

                       

                       

                      もちろん例外的に希望をいだかせてくれる人物もいます。以下の動画をご覧ください。

                      山本太郎議員は、この豪雨災害で救助を待っている人々が大勢いるときに、「カジノ法案の審議をやってる場合か!誰のための法案審議だ!利害関係者のためだけのものじゃないか!」と怒りを爆発させていますが、その法案審議の座長をやっているのがわが大分県選出の衆議員議員の岩屋毅氏です。癌患者に向かって「いい加減にしろ!」と叫ぶ穴見陽一氏と言い、どうしてこうも大分県選出の議員はクズばかりなのでしょうか。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      何も見ず、聞かず、語らずを決め込めばいいのですが、それができません。心暗くなることばかりで、前途に何らの曙光も見えません。困ったことです。それを下支えし、再生産しているのがカルト化している教育なのです。これはまた次の機会に述べましょう。

                       

                       

                       

                      今回、特に衝撃を受けたのが、テレビによるオウム死刑囚7人の死刑実況中継でした。被害者の心境を慮ることと、死刑報道(事実上の公開処刑)をエンタテインメントとして消費することはまったく別次元の問題です。今ではこの違いも分からない、脳がゆで卵のようにツルツルになった人間たちが大量に出回るようになっています。

                       

                       

                       

                      死刑の大量執行をTVでリアルタイムに報道して、執行し終えた死刑囚の顔写真に執行ずみシールを貼っていくなんて、ディストピア小説に出てきそうな場面です。正常な神経の持ち主には現実とブラックユーモの区別が難しくなっているのです。今となっては『1984』のジョージ・オーウェルの慧眼に驚くほかありません。

                       

                       

                       

                      テレビなんてこんなものです。四半世紀が経っても変わりません。

                       

                       

                       

                      北朝鮮からミサイルが飛んでくると国民を脅し(わが大分県のある公立高校は、これを信じてグアムへの修学旅行を取りやめました。それを聞いて私はバナナの皮を踏んだようにひっくり返ったのです。そして福島に変更と聞いて思わず舌を噛み切ってしまいました。スペペペペーッ)、その宣伝がうまく行かなくなり、拉致被害者も帰って来そうにないとなると、もはや国内の「凶悪犯」を大量に死刑にして、国民の支持を集めるほかないということでしょう。以下は15年前に書いたオウムと教育について触れた未来塾通信です。よかったらお読みください。

                       

                       

                      『教育再生会議という茶番劇−考えることの難しさについて』

                      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay014.html

                       

                       

                       

                      「犯罪者として生まれる人間はいない。犯罪者になっていく。犯罪者をつくるのは社会である。」などと言ったところで、安倍政権のお歴々には意味がわからないでしょう。今まさに、私たちの社会はオウムを生みだした時と同じ感覚が蔓延しているのです。社会が現実感を失い、異様なフィクションの世界になってしまったような感覚が共通しています。

                       

                       

                       

                      3・11以降、この感覚は広く深く社会に浸透しました。政治家は権力の上にあぐらをかき、官僚は保身と出世のために忖度し、メディアは記者クラブを通じて配給される飯のタネをそのまま垂れ流し、財界は内部留保をため込むだけでは満足せず武器の輸出や製造に手をつける。教育熱心な親は自分の子供の進学先だけを考え、学校は親の無意識の要求に答えるべく進学実績をあげることに血道をあげる。

                       

                       

                       

                      私は以前、「今の世界(日本社会)には救いがないと気づくことによって逆に救われるしかない」と書きました。

                       

                       

                      『現実と日常の喪失−中高生の読解力が低下している本当の理由』

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=305

                       

                       

                       

                      その中の一部。

                      「無知・無能・無責任な総理大臣が「完全にアンダーコントロール状態にある」と変な日本語で断言しても、もう元の世界に戻ることはできない、あれだけのことがあった以上、元の世界に戻ることはおかしい、元に戻るより本当のことに気づくことの方が大事だと考えている人も多いはずです。人は何ら根拠もなしに、まったくの虚言を断言口調で、しかも大声で叫ぶものだということも学んだはずです。

                       

                       

                      要するに、もともとウソだった日常をうかつにも日常だと勘違いしていたことが分かった後で、日常が回復したというさらなるウソを重ねられているのが、私たちの社会です。「これが現実だ」「これが日常だ」と言われても、「どうせ自分の見たいものしか見ていないだろう」と言いたくなる気分を多くの人が共有しています。」

                       

                       

                        

                      今日はこの辺でやめにします。貴重な時間を割いてお読み頂いた方に心からお礼申し上げます。

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 18:01 | comments(0) | - |
                      「先手、先手の対応」ってか?
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                        知性があると判断する基準の一つは、他人から批判された時、それを自分の中で絶えずフィードバックしながら、意識や生き方を変えられるかどうかではないでしょうか。組織のトップに立つ人間や、ましてや一国の総理大臣が批判されて逆ギレするようでは、早晩その組織なり国は滅びるのです。

                         

                         

                         

                        ニュースによると、「西日本の豪雨災害で甚大な被害を受けた岡山県を訪問した安倍総理は、政府の初動対応について『一丸となって発災以来、取り組んできた』として、問題はなかったという認識を示した」とのことです。

                         

                         

                         

                        日本の忖度メディアはいつもこれです。「問題はなかったという認識を示した。」と報じて、「問題はなかった」ことにしてしまうのです。こんな記事ならサルでも書けます。本当に問題はなかったのか時系列で検討し、「一丸となって発災以来、取り組んできた」のはウソだと報じるのがメディアの役割です。

                         

                         

                         

                        さらに小野寺防衛相は記者会見で、豪雨災害への初動対応について次のように述べています。「指示をし終わった後、宿舎で待機していたので、その際に集会所(飲み会とは言わない)に行って顔を出した。だが防衛省からは随時連絡が来ており、その都度指示を出していたので特に支障はないと思っている。」と。

                         

                         

                         

                        なるほどね。安倍首相の「先手先手の対応」といい「プッシュ型の支援」といい、上っ面だけの言葉です。「赤坂自民亭」での飲み会を隠すために、今後「初動対応イノベーション」だの「復興プライオリティー2.0」だとかの新語を得意げにしゃべり出すかも知れませんね。現実の深刻さが理解できないので、言葉がペラッペラに軽いのです。バカなので、自分が総理大臣をしている意味が分かっていません。

                         

                         

                         

                        たしかに世の中には、「どのような選択をしても必ず、色々と言われる」こともあります。ところが最近では、「いや〜、何を言っても反対する人は反対するんですよ。あの人たちは反対するのが趣味ですから」などと居直って、バカな支持者を取り込もうとする政治家が多すぎます。

                         

                         

                         

                        しかし、何が起ころうと、これだけは本当だ、この場合はこう決断しなければならない、ということもあるのです。どんな苦境にあっても、みんなが自分のために一所懸命になっている、それが分かれば勇気もわくし、多少なりとも前途に希望が見えて心安らぐのです。その安らいだ心は、苦境から立ちあがる力になります。それが人間ですよね。

                         

                         

                         

                        特に、今回のような深刻な災害の場合、総理大臣が5日の段階で外遊を中止する旨を宣言し、被災地で陣頭指揮を取ることが重要なのです。それが総理大臣の仕事ですし、それができてはじめて総理大臣と言えるのです。

                         

                         

                         

                        「一丸となって発災以来、三選のために酒盛りをしていた」「先手先手の対応」

                         

                         

                         

                         

                         

                        みんなで一斉にグー。この面々は、いったい何に対してグーをしているのでしょう。きっと「プッシュ型の支援」を表わしているのでしょう。まさか安倍首相の三選も確実だということで「総理、グーです」ではないと思います。上川法相が真ん中にいるところをみると、オウム真理教の死刑囚7人を一度に死刑にすることを決定した「英断」をねぎらっているのかもしれません。

                         

                         

                         

                        でもまあ思わぬ副産物もありました。内閣に権限を集中する必要性がないことを内閣自ら証明してみせたので、自然災害を理由に改憲で緊急事態条項を持ち出すことはできなくなりました。これをまずいと考える論理的整合性すら持ち合わせていないのですから、この国は終わっているのです。

                         

                         

                        | 中高生の皆さんへ | 16:47 | comments(0) | - |
                        夏期講習会のご案内。
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                          今回の豪雨で200人に迫る人が死亡または行方不明になっています。大雨で被害が出る中、しかもオウム真理教の死刑囚たち7名の死刑執行を行う前夜、どういう神経でこんなどんちゃん騒ぎができるのでしょうか。人間に対する共感力を失くしているとしか思えません。

                           

                           

                           

                           

                          この災害大国日本に、消防庁の全地形対応車両レッドサラマンダー(1車輌1億1千万円)はわずか一台。一方で、1機あたり約130億円のF35戦闘機42機を追加購入。オスプレイ17機、総額3600億円を大盤振る舞い。自民党が国民のことなんか、これっぽっちも考えていないことがよくわかります。来週外遊する予定があるので「緊急災害対策本部」を立ち上げるのを躊躇しているのでしょうか?「緊急災害対策本部」の本部長は内閣総理大臣ですからね。

                           

                           

                           

                           

                           

                           

                           

                           

                          なんだか社会が突然、フィクションというか異様な世界になってしまったような感覚に襲われ、現実感を失ってしまいそうです。事実によって安倍政権を批判し、「だから安倍総理には任せられない」と言えば、同じ事実をとらえて「捏造だ!安倍総理は信用できる、安倍総理の代わりがいるのか」と、いちゃもんをつけてくる人がいます。彼らは議論の土台を切り崩し、社会の分断を加速させています。何だかしんどい世の中になってきました。

                           

                           

                          さて、夏期講習会ですが、中学3年生を対象に15日間(1日は5教科の大分県合同模試)実施する予定です。

                           

                           

                          ■募集人員:3名

                          ■時間帯:午前10時〜正午(1回2時間)

                          ■費用:3万7千円+模試代金3千円

                           

                          ■内容:英語と数学の授業を、先へ先へと進めます。1・2年の学習内容が定着していないのに先に進むのは無理なのではないか、と思う人がいるかもしれません。しかし、どの分野でも完璧に理解することなどできません。しかも、一度やった分野を復習することは集中力を削ぎます。多くの塾は1・2年生の復習用テキストを購入させ、それで時間をやり過ごしています。これでは実力はつきません。あやふやな箇所があれば先に進めないことを、身をもって経験させ、フィードバックが必要なことを自覚させなければなりません。学習の目的は、絶えざるフィードバックによって自信をつけることです。

                           

                           

                           

                          入試で求められる力は、あやふやな知識や理解ではなく、6割の正確な知識をもとに7〜8割の得点を取る力です。そのためには、一日も早く数学と英語の全範囲を学習し、全体像を把握する必要があります。

                           

                           

                           

                          たとえて言えば、道具箱の中の道具を常に点検し、油を差していつでも使える状態にして置くようなものです。一つ一つの道具の使い方を熟知することで、発想の幅が広がり、一つの問題について複数の解法が頭に浮かぶようになります。実際に大工道具を使ってイスや机を作ってみると、愛着がわきます。学習することが喜びになるのですね。

                           

                           

                          具体的には、

                           

                          □ 数学:2次方程式、2次関数、相似、3平方の定理を終えてしまいます。先に進むために必要な限りで1・2年生の復習を行います。

                           

                           

                          □ 英語:教科書ではバラバラに出てくるので統一的な理解が難しい分野があります。それは(機北昌譴鮟ぞする方法と(供忙制です。この機会に一気に学習して自信をつけましょう。

                           

                           

                          (機北昌譴鮟ぞする方法では

                          1:形容詞による修飾

                          2:前置詞句による後置修飾

                          3:不定詞による後置修飾

                          4:現在分詞による後置修飾

                          5:過去分詞による後置修飾

                          6:関係代名詞による後置修飾

                          の6通りを学習します。

                           

                           

                          (供忙制

                          例えば、「僕はこどもの頃、ニューヨークに2年間住んでいたことがある」を

                           

                          I have lived in New York for two years when I was a child.

                           

                          などと書いていませんか。

                           

                          あるいは、「電車は今9番ホームに停まっています」を

                           

                          The train is stopping on platform 9 now.

                           

                          などと書いていませんか。この英語では、「電車が速度を落としている」だけで、停まっていることにはなりません。「〜したことがある」は現在完了形だ、「〜している」だから進行形だ、といった発想では先が思いやられます。

                           

                          また、These are apple. という英語をappleに複数形のsがついていないから間違いだ、と教えている英語教師がいるようですが、「言葉」と「モノ」の区別がついていません。これでは生徒がかわいそうです。時間があれば、この点にも触れます。

                           

                           

                           

                          尚、中学3年生は夏期講習会が入塾の最後のチャンスです。他の学年は夏期講習会を実施していませんが、通常クラスには、中学2年生が2名、中学1年生は若干名空席があります。入塾を希望される方はお問い合わせください。

                           

                           ☎097-592-0815 未来塾

                          | 中高生の皆さんへ | 20:58 | comments(0) | - |
                          存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。
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                            私たちは何を手がかりに考え、どう生きていけばよいのでしょうか。人は生きていく上で何らかの「足場」を必要とします。塾教師という、いつ崩落するかわからないような仮の足場ですら、私が生きていくために必要なのです。

                             

                             

                            しかし、社会が急激に変化する中で、どんなに立派で堅固に見える足場でも、土台が掘り崩されていることを多くの人が感じ取っています。私たちの社会を駆動しているのは、「不安」なのです。

                             

                             

                             

                            そういう社会では、価値の優劣についてじっくり考えることなどできません。あらゆるものを横一列に並べて、あらかじめコントロールされた情報を頼りに、その中から自分の利益になりそうなものを選ぶことが生活の中心となります。要するに、当面の利益を確保することで精一杯なのです。

                             

                             

                             

                            しかし、人間は価値の優劣について判断することでなんとか生き延びることができる生き物です。それをやめれば、選択肢の前で途方に暮れて餓死する「ビュリダンのロバ」の運命をたどるしかありません。私は「価値の優劣について判断できる」知性を持った子どもたちを育てたいと考えて、塾教師を続けてきました。

                             

                             

                             

                            「ビュリダンのロバ」の運命を拒否するにはどうすればいいのでしょうか。小さな波がさざめいている川の表層に目を奪われるのではなく、川底をゆったりと流れる水の力を想像しましょう。それこそが歴史の基底部なのです。それは絶えず変化しているのですが、世の中の大半の人々は、それを洞察できないままに生きていきます。

                             

                             

                             

                            前々回のブログで「私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。」と書きました。

                             

                             

                             

                            では、私たちの存在の最も深いところにある層とは何でしょうか。そこから言葉を紡ぎだすためにはどうすればいいのでしょうか。今回はそのヒントだけ述べて、具体的には次回以降に譲ります。

                             

                             

                             

                            宮崎駿監督は養老孟司氏との対談(『虫眼とアニ眼』)で、なぜ『千と千尋の神隠し』を作ったのかと尋ねられ、こう答えています。

                             

                            「ある時、たまたま10歳くらいの子供たちを見ていた。そしたら、自分は彼らに対し、いま何が語れるだろうか、という考えが浮かんだ。最後には正義が勝つ、なんて物語を語ろうという気にはさらさらなれなかった。そうではなく、とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ、それを語ってみたい、と思った。そしてこの最初のモチーフを手放さないでいたら、『千と千尋の神隠し』ができた」と。

                             

                             

                             

                            「とにかくどんなことが起こっても、これだけは僕は本当だと思う、ということ」を一人一人が、考え、感じてそこから世界を変える言葉を紡ぐしかないのです。それは学校教育を通じて教えられた官製の言葉ではなく、自らの存在を危険にさらして獲得した言葉のはずです。なぜなら、事実を知れば知るほど、真実に近づけば近づくほど、人間は孤立を余儀なくされる存在だからです。しかし、私たちの人生はそこのみにてかがやくのです。

                             

                             

                            | 中高生の皆さんへ | 16:29 | comments(0) | - |
                            言葉の無効を前にして。
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                              大分市内の一高校生さんへ。きっかけは分かりませんが、あなたがメディアリテラシーに関心を持っていることを頼もしく思います。なぜなら、18歳から選挙権が与えられ、主権者教育が云々されているにもかかわらず、高校でメディアリテラシーについてまともに学習していることを聞いたことがないからです。

                               

                               

                               

                              受験勉強も大事ですが、私たちが生きている社会について正確な情報を手に入れることはもっと大事です。世の中は激変しています。にもかかわらず、ほとんどの高校生は、受験勉強中心の生活を送っていて、学校で「政治的な発言をするのはよくない」と考えているようです。おそらく世界の中で、政治に無関心な高校生の数は日本が断トツで一位ではないかと思います。

                               

                               

                               

                              しかし、私たちの生を本当の意味で豊かにするためには、知っておかなければならない事実があります。しかもそれには、優先順位というか、重要度に応じた層(レイヤー)があります。最も重要で最深部に横たわるレイヤーについては次回に譲ります。今は知性と理性を守ろうとすれば、好むと好まざるとに関わらず政治的にならざるをえないということだけは指摘しておきたいと思います。

                               

                               

                               

                              メディアリテラシーの問題に戻ります。

                               

                               

                              >僕が先生のブログを読むきっかけになったのが、この記事でした。この記事を読んで僕は頭がよくなった気がします。

                               

                              『なりすまし塾長 K 氏、自作自演の幕を閉じるの巻』

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=334

                               

                               

                               

                              「頭がよくなった気がします。」という表現は的確です。数学や物理の難問が解けても、それなりの達成感はあるでしょうが「頭がよくなった」とは思わないはずです。相変わらず受験勉強的なフレームの中に押し込められたままですからね。「頭がよくなった」と思う瞬間は、既存のフレームの外に出ることで世界との通路が開けたと感じる瞬間です。

                               

                               

                               

                              その手ごたえを手放さず、そこから思考を深めて行けば、人は変わることができます。幼虫からさなぎに、さなぎから蝶に「脱皮」できるのです。学ぶということは変わるということです。人間は、特に若い時はこの「変態する力」を誰でも内に秘めているものです。

                               

                               

                               

                              おそらくあなたは私のブログを読んで、教室では遭遇しない論争的な言葉に出会ったのです。私たちは現実を認識する時、まず言葉を探します。ある言葉を選択して現実に当てはめます。しかし、その言葉では現実を表わせないと感じます。その時私たちは新たな言葉を探す努力を始めます。

                               

                               

                               

                              簡単に言うと、これが考えるということです。世界認識には正確な言葉が必要なのです。言葉が歪めば世界も歪みます。歪んだ世界にさらに言葉をかぶせても、世界はますます歪むだけです。

                               

                               

                               

                              メディアリテラシーの話をしていたのですね。上に述べたことの具体例をあげてみましょう。安倍政権になってからこの種の例には事欠きません。つまり、今ほど論理的思考力を鍛え、「頭がよくなる」チャンスはないのです。

                               

                               

                               

                              森友問題で安倍首相は去年2月、「私や妻が関与していたら、総理大臣も国会議員も辞めますよ。これは断言しますよ。」と発言しました。それをきっかけに官僚の忖度合戦が始まり、公文書を隠蔽・改竄し、近畿財務局では自殺者まで出たのです。ところが安倍政権はこの発言を、「贈収賄ではないという文脈で使ったのであって、私や妻が関与していないことは明白である」との趣旨だったと閣議決定しました。

                               

                               


                              「関係していたら」とは、昭恵夫人の口利きを意味しているのではなく、「贈収賄があったら」という意味だというのです。一体何を言いたいのでしょうか?贈収賄は犯罪です。それがあったら辞めるのは当たり前です。言葉を歪めて、現実をなきものにしたかったのでしょうが、そこまでしなければならないほど深く関係していたことを、首相自身が認めているのです。

                               

                               

                               

                              第二次安倍政権になってからというもの、この国で地滑り的に起きていることは言葉の崩壊、すなわち世界認識の崩壊なのです。私たちは沈む船から脱出しようとして集団で海に飛び込むネズミの群れ同然となっています。

                               

                               

                               

                              言葉の腐敗、欺瞞言語の蔓延と闘うのがメディアの本来の役目だったのですが、もはやメディアには期待できません。大方のメディアは「武力衝突はあったけど戦闘ではない」「潰せとは言ったけど反則しろとは言っていない」「公文書改竄はあったが悪質じゃない」という政府や権力側の発言を「そのまま伝えるのが、メディアの役割だ。その何が問題なのか」と考えているのでしょう。

                               

                               

                               

                              大問題なのです。上で見たように政府が欺瞞言語を使って私たち国民を騙そうとしているとき、言葉をそのまま伝えれば騙しに加担することになるからです。菅官房長官の 「問題ない」という見解をそのまま伝えることは、「問題ない」と広報することになるのです。(自分のやったことは「悪質なじゃない」とか「問題ない」「許容範囲」だと考えるのは、あなたが読んだ記事に登場するK塾長氏の発想です。悪質かどうか、許容範囲かどうかは、第三者が判断することです。)

                               

                               

                               

                              マスメディアは、安倍首相の意味不明の言葉を編集して意味があるかのようにみせかけないで、いかに野党の質問に答えていないか、を率直に報じるべきです。社会に伝えるべき政治的に最重要の事実は、安倍首相が何を言ったかではなく、いかに何にも答えていないかです。「議論は平行線」などという記事はサルでも書けます。ヒトであれば、「首相は誠実に答弁せず」と書かなければなりません。

                               

                               

                               

                              マスメディアの実態については以下の記事をお読みください。

                               

                               

                              『マスコミは圧力をかけられているのか?』

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117

                               

                               

                              次回は、このどうしようもない言葉の無効を前にして、私たちに何ができるのかを考えてみたいと思います。今回も読んでいただきありがとうございました。

                               

                               

                              | 中高生の皆さんへ | 15:22 | comments(0) | - |
                              大分市内の一高校生さんへ−批判的思考力について。
                              0

                                コメントの返事が遅れて申し訳ありません。あなたの二つのコメントはとても重要な点を含んでいて、簡単に返事が書けなかったのです。ブログを読んでもらえただけでもありがたいと思います。

                                 

                                 

                                 

                                >なんだか元気が出て来ました。先生のブログは不思議なことに読むと元気が出てきます。

                                 

                                 

                                 

                                これは最高のほめ言葉です。私は自分自身の足元を確認し、元気づけるためにブログを書いているからです。それを読んで元気が出るというのは、あなたは深い読解力と言葉に対する真っ当な感受性を持っているということです。

                                 

                                 

                                 

                                今回のタイトルは「批判的思考力について」ですが、私はおよそ批判的でない知性や思考力などというものにお目にかかったことがありません。しかし、この国では権力や体制に迎合する学者、ジャーナリスト、放送局、新聞社が跳梁跋扈しています。そこで今回からあなたへの返事を3回に分けて、手短に書いてみようと思います。

                                 

                                 

                                 

                                私が「ブログを読んでもらえただけでもありがたい」と考える理由は、今の若い人たち、特に高偏差値の高校や大学に通っている人たちは「論争の相手や一般の人々に対して否定的なメッセージを伝えるべきではない」という暗黙の了解を共有していて、それが生き方にまでなっていると思うからです。それは経済的にも文化的にも何不自由なく生きてきた彼らの「優しさ」なのかもしれません。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                私はブログで安倍政権や自民党に対して否定的な意見を書いています。これに対して嫌悪感を抱いている人も多いと思います。またいつもの調子かよ、もう聞き飽きたというわけです。

                                 

                                 

                                 

                                東大新入生の約60%が自民党を支持しているというデータもあります。彼らは、誰かを批判することよりも、相手の優れた点を見てそれを称賛する態度の方が大人だし、建設的だと考えているのでしょう。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、こういった考えは他者と共存して生きて行くほかない人間が、他者からの批判を免れるために身につけた処世術に過ぎません。批判的思考力を持っている人間から見れば小才の効いた「お利口さん」の発想であり、個人としての政治的・社会的な責任を回避するための方便なのです。

                                 

                                 

                                 

                                東大生によく見られる「建設的」で「現実的」な「大人」の意見とは、ひとことで言えば、「安倍政権や自民党を批判したほうが『正しい』かもしれないけど、自分は否定的なメッセージを発することに意味を見いだせない」という、一見「洗練」されたものです。しかし、洗練も度を超すとアバズレになります。

                                 

                                 

                                 

                                この意見は、危機的な状況に対して抗議の声をあげることを巧妙に「批判」するものとなっているので、油断してはなりません。そのからくりは簡単です。

                                 

                                 

                                 

                                第一に、否定的なメッセージを発する人は「他人から『正しい』ことをやっていると思われたい、カッコイイしいの打算的な人間たち」だと印象付けることによって。

                                 

                                 

                                第二に、彼らは「イデオロギーによって、居丈高に他人を批判する独善的でダサい」人々だと印象付けることによって。

                                 

                                 

                                しかし、本当にそうでしょうか。これは震災後の社会に蔓延しつつある「意見表明の自由を自主規制する」風潮を後押しするものです。私やあなたが経験したり、直面したりする否定的で危機的な状況に対して抗議の声をあげることは、許されないことなのでしょうか。

                                 

                                 

                                 

                                現代の日本社会が若者に求めているのは、民間企業であれ官庁であれ、上位者の命じることには、たとえそれが無意味なことであっても、黙って従うという精神的な態度、すなわちイエスマンシップに他なりません。

                                 

                                 

                                 

                                日大のアメリカンフットボール部の事件で、日大の学生が就職活動に影響が出ることを心配しているのも、このことの表れです。面接で訊かれたら自分とは関係のない事件だと突っぱねればいい、それどころか自己アピールのチャンスだという意見は、日本社会に深く浸潤しているイエスマンシップの病巣を軽く見過ぎています。私たちの社会では、イエスマンでなければ就職の門戸は閉ざされてしまうのです。

                                 

                                 

                                 

                                日本の歴史において、特に近代以降、教育が自立した普遍的な価値の創造を目指したことは一度もありません。ある時はヒロイズムの温床となって侵略戦争の片棒を担ぎ、また別の時は「就職活動」を無事通過するための情報とテクニック、ブランド力を提供してきたに過ぎません。株式会社日本では、このことを疑う若者はほとんどいません。

                                 

                                 

                                 

                                つまり、日本の教育は「学校」を通じて、批判的思考力を育てるのではなく、その芽を摘み取ることに主眼を置いてきたのです。今の政治状況を見るまでもなく、このことが日本という国の存立を危うくしていることに多くの人はいまだに気づいていません。 

                                 

                                 

                                 

                                この国では、政治の腐敗に対して腹を立てないことや、文句を言わないことが人徳だとして称揚される文化が根づいています。政権幹部や官僚が民主主義の根幹を切り崩すようなでたらめをしても、開き直り、居座りを続ければ、国民は何もできないというあきらめ、無力感が蔓延することを権力者は期待しているのです。これは上位者の意図を過剰に忖度する社会、つまり空気を読むことが何よりも優先される社会が、私たちに強いている頽廃です。

                                 

                                 

                                 

                                新聞を読み、 ニュースを見ると、もうこの国の統治機構が壊れているのは疑いようがありません。それでも、手をこまねいている人たちが国民の3割から4割近くいます。進んでこの政権を支持して、統治機構が瓦解し、市民社会が空洞化するプロセスをぼんやり眺めている人たちはいったい政権に何を期待しているのでしょうか。今だけ、金だけ、自分だけでこの国がいつまでもつと思っているのでしょうか。

                                 

                                 

                                 

                                次回は、メディアリテラシーについて考えます。3回目は批判的思考力や本物の論理的思考力は受験勉強というフレームの中では身に付かないということを具体的に書くつもりです。長くなりました。今回も読んでくれてありがとうございます。また次回お会いしましょう。

                                 

                                | 中高生の皆さんへ | 18:53 | comments(0) | - |
                                審判はどこにいるのか?
                                0

                                  高校生および大学受験生の皆さんこんにちは。

                                   

                                  今回は塾教師の分をわきまえない極論として聞いていただきたいのですが、これから日大、東大、近畿大を受験しようと考えている人は、止めましょう。理由を書くと長くなるので、今回は日大に絞って短くコメントします。

                                   

                                   

                                  日本大学アメリカンフットボール部の悪質タックルは、単にスポーツの分野にとどまらず、日本大学全体に深く張り巡らされた反知性の体質そのものを表面化させたものです。

                                   

                                   

                                   

                                  謝罪会見を開いた選手の言葉は具体的で誠意にあふれたものでした。よほど鈍感な人間でない限り、彼がウソを言っていると思う人はいないでしょう。真実の持つ力は単純で誤解を与える余地などないのです。

                                   

                                   

                                   

                                  300を超えるマスメディアの前に実名と顔をさらすことは、人間の尊厳をかけた、本当に勇気のいる行為です。安倍首相のお抱えジャーナリスト、山口敬之にレイプされた伊藤詩織さんの勇気と通じるものがあります。

                                   

                                   

                                   

                                  今回の事件の本質は誰の目にも明らかなので、これ以上言及しません。ただ、私はある言葉に対して、どうしようもなく嫌悪感を抱きました。それは関学大への回答書の中にあった「乖離(かいり)」という言葉です。「指導者と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きたことが問題の本質」という風に使われていました。

                                   

                                   

                                   

                                  まかり間違えば一人の人間の人生をも奪いかねない反則プレーに対して、「乖離(かいり)」といういかにも客観的で小難しい欺瞞言語を当てるのは、世間を煙に巻いて事件を小さく見せようとする意図があるからです。私はこういった真実を隠蔽しようとする言葉に言いようのない嫌悪を感じます。

                                   

                                   

                                   

                                  しかも、日大広報部は「誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います」と弁明しています。この「誤解を招いたとすれば」という言葉は、特に安倍政権になってから、政治家が自分の責任をごまかすために、まるで判で押したように使う言葉です。

                                   

                                   

                                   

                                  この言い方は、自分の言っていることは正しいのだが、相手が誤解する可能性を考慮に入れていなかった自分にも落ち度があったと謝罪するふりをしながら、巧妙に責任を回避する言い方なのです。

                                   

                                   

                                   

                                  私は第二次安倍政権が誕生してからすぐ、この政権は戦前のエートス(国体)が生き延びて作りだした鬼胎の政権であり、安倍内閣は犯罪者集団であると言ってきました。今振り返ってみると、間違っていなかったと思います。

                                   

                                   

                                   

                                  自分の間違いや落ち度を認めず、責任を部下に押しつけ、「セクハラ罪はない」と閣議決定し、被害女性の心をさらにいたぶる。首相や大臣が道徳的に振舞うことよりも、いかに弱者に暴言を吐けるかが支持率を維持するカギとなっているのです。今回の日大の対応は、安倍政権を支える人間たちの本質が期せずして象徴的に現われたものです。

                                   

                                   

                                   

                                  どう考えても理屈に合わない、完全に論理や説得力を欠いたように見える決断や行動でも、ある種の人間にとっては合理的で納得のいく理屈が必ずあるものです。

                                   

                                   

                                   

                                  ある種の人間とは誰か。それは英雄主義(ヒロイズム)を精神的支柱とし日本国憲法を葬り去ることを自分の使命と思いこんでいる安倍晋三その人です。

                                   

                                   

                                   

                                  英雄主義(ヒロイズム)とは、人々の「高み」に立って「国家」や「祖国」や「民族」を救うという目標を掲げ、その目標のために障害となる人々や国は、力で排除するという行動を取ることを言います。「英雄主義」にとっては、たとえ大量に人を殺すことがあっても、それは「人殺し」なのではなく、国や祖国や民族を守るための「善行」であり「称賛される行為」になると考えられています。

                                   

                                  「ヒトラーの思想が降りてきた」という犯人を後押ししたもの。

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=211

                                   

                                   

                                   

                                  今回の日大のルール違反のタックルも、詭弁とはぐらかしでその場を乗り切り、監督・コーチの判断が何ら倫理的に非難されずに既成事実としてまかり通れば、勝利のための「称賛される行為」となるのです。それが新たな基準となり、後に続く者が同じルール違反をしても罰せられなくなります。

                                   

                                   

                                   

                                  それを防ぐには、詭弁とはぐらかしを認めた段階で「間髪を入れずに」審判が笛を吹き、違反者に退場を命じなければなりません。しかし、今この国には、勇気を持って真実を語る二十歳の若者はいても、笛を吹くべき審判の姿が見当たらないのです。これほど悲しいことはありません。

                                   

                                   

                                  | 中高生の皆さんへ | 15:57 | comments(0) | - |
                                  虚しさの行きつく先 − 71回目の憲法記念日に。
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                                    中高生の皆さん、こんばんは。

                                     

                                    今回は、自分の見通しの甘さ、浅はかさを告白することから始めます。私は2011年の原発事故でこの国は変わる、文明の転換点になる、と考えていました。基幹エネルギーを石油と原子力(核)に依存する社会から脱却して、技術革新と教育に投資し、百年後には国際社会に誇れる国になるかもしれないと期待したのです。それが原発事故を起こした国が最低限取るべき責任だと思っていたのです。

                                     

                                     

                                     

                                    しかし、あれから7年が経過する中で目にしたものは、集団自殺を目指しているとしか思えないこの国の政府や財界、出版ジャーナリズムとそれに追従する国民の振る舞いでした。世界に類のない原発事故で殺されかけたにもかかわらず、時間の経過とともに日本国民の大半は危機意識を失いつつあります。もはや生存本能すらが壊れているのだと考えるほかないようです。

                                     

                                     

                                     

                                    そして今日5月3日、71回目の憲法記念日を迎えました。各地で集会が開かれたようですが、憲法記念日を現行憲法の原理原則を葬り去るための記念日にしようと考えている人たちもいます。日本会議系の改憲集会です。結婚記念日に、結婚を解消させる方法を話し合っているようなものです。その集会に、一国の首相がわざわざビデオメッセージを送っているのですから、その倒錯ぶりは目を覆いたくなるほどです。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    日本会議系の人たちは、小学生でもわかる現実を理解していません。どう考えても、軍事力で日本を守ることはできないのです。福島第一原発の事故が進行中で、しかも原発だらけの日本が一体どこの国と戦争できるというのでしょうか。

                                     

                                     

                                     

                                    相手が中国でもロシアでも、戦争になれば日本は瞬時に負けます。核武装しても無駄です。アメリカは日本を守りません。この国を守るためには、戦争をしないという選択肢しかないのです。

                                     

                                     

                                     

                                    軍事力を増強するのは抑止力を高めるためだと言われます。しかし、抑止力とは「脅迫」のことです。安倍首相は「戦争をしたいなどと思っている人はいませんよ」とよく言いますが、軍事力による脅迫は決して平和をもたらしません。それどころか「一人蚊帳の外」に置かれ、安倍首相とその取り巻きの知的レベルを考えると「結果的に」戦争になる可能性すらあります。

                                     

                                     

                                     

                                    国防や安全保障を「軍事の視点」だけで考えていると国を破滅へと導きます。軍事力で国を守れたのは明治や大正までの話で、昭和に入ってからは不可能だったのです。それに気づかず、軍事力を過信し、対外問題を軍事力のみで解決しようとして破滅したのが昭和の15年戦争の歴史でした。

                                     

                                     

                                     

                                    日本会議やそれに連なる人々の安全保障観は、1930年代〜1945年にわたる戦争の歴史を「日本国家の破滅を招いた大失態」として総括することから逃げています。そのため、現在でも当時と同じ「軍事力万能」の思考の中にとどまっています。日本を大国だと思い込みたいがために、中国包囲網のような非現実的な空想の中に逃避して、仲間内で「国防の大義」に酔っているだけです。

                                     

                                     

                                     

                                    さて、公文書のみならず歴史すら捏造して民主主義を葬り去ろうとしている安倍政権や日本会議のような集団に対して、私たちは何ができるでしょうか。過去の戦史(日清、日露から昭和の15年戦争の終結まで)を、一般教養として学ぶ機会を増やすべきだと思います。

                                     

                                     

                                     

                                    一般市民が国防や安全保障について様々な角度から学ぶ機会がなければ、安全保障とはアメリカの属国になって軍事力を強化し、国民の税金で最新兵器を購入して兵器産業をもうけさせることに貢献するだけです。いや、すでにそうなっています。また同じ自滅の道を、それと気づかずに進むのか、それとも歴史を学んで立ち止まり、引き返す決断をするのか、私たちは今その岐路に立っています。

                                     

                                     

                                     

                                    今の国会の惨状を見ると、虚しさだけがつのります。しかしその虚しさを招き寄せたのは私たち自身です。自業自得なのです。普段から政治に関心を持ち、投票所に足を運び権利を行使する。それだけで実は世の中は大きく変わります。虚しさを乗りこえる方法は、事実を学び、行動することの中にしかありません。もちろん、政治的行動に限りません。

                                     

                                     

                                     

                                    私がこういうことを言っても、今の若い人の心に響かないかもしれません。「合理的な」思考にならされている若い人は、国会で証人喚問しても、どうせ本当のことは出てこないのだから、グダグダ言ってないで重要法案を審議しろよ、と考えていることでしょう。その通りかもしれません。

                                     

                                     

                                     

                                    しかし、政治を私物化し、公文書の改竄まで引き起こし、その上責任を取らない政治家に重要法案を審議させてはならないのです。それを許せば、私たちは真実や正義がまったく価値をもたなくなった世界の出現に手を貸すことになります。

                                     

                                     

                                     

                                    みなさんは正義や公正さが意味をもたなくなった世界で生きることを想像したことがあるでしょうか。そこは権力と金だけが意味を持つ no man's land(不毛の地)に他なりません。

                                     

                                     

                                     

                                    合理的な思考はともすれば虚無とシニシズム(冷笑主義)につながります。虚しさの行きつく先には精神の死があるのみです。生き生きと生きたければ、常に学び行動するしかありません。以下にみなさんが政治について考えるヒントになる記事をあげておきます。暇な時に読んで参考にしてもらえればうれしいです。

                                     

                                     

                                    「国を守るということ忘れられないシーン」

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=22

                                     

                                    「なでしこジャパン」は、なぜ強くなったのか?

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=11

                                     

                                    「憲法九条を蘇生させるために」

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=119

                                     

                                    「良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−その1」

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=127

                                     

                                    「良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−最終版」

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=129

                                     

                                    「100年後の生存戦略−その1・国防」

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=199

                                     

                                     

                                    | 中高生の皆さんへ | 21:47 | comments(0) | - |
                                    100年後の生存戦略 − 教育 : 国宝・閑谷(しずたに)学校
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                                      昨年の11月、奈良の慈光院を再訪し、滋賀県の湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)を回りました。慈光院は訪れる度に発見があり、特にそのプロポーションにはため息が出ます。京都の詩仙堂と並ぶ私のお気に入りの建築です。奈良へ旅する機会があったら、ぜひ一度訪ねてみて下さい。

                                       

                                       

                                       

                                      私のブログは、春や秋になるとアクセス数が急増します。旅の参考に『古寺巡礼』を読んで下さっている方が多いからでしょうか。そうだとすれば嬉しいですね。ブログでは、どこの誰がアクセスしているのか、知る術がありません。一番アクセス数が多いのは『自己救済術としての家作り』を始めとする建築関係の記事です。

                                       

                                       

                                       

                                      政治の話題になるとアクセス数は減ります。この5年間で、私たちの国のリソースは、法治国家の建前を含めて、ズタズタにされました。膿そのもののサイコパス総理が「膿を出し切る」と言っているのですから、これはもうギャグというか白昼夢を見ている気がします。いやな時代に生き合わせたものです。

                                       

                                       

                                       

                                      旅の帰途、一番の目的だった閑谷学校に寄りました。山陽自動車道の備前ICから車で15分くらいだったでしょうか。途中、すれ違う車も人の姿もほとんどありません。山に囲まれた道を奥へ奥へと進んでいきます。到着した時はあいにくの雨でしたが、霧雨に煙る山間の閑谷学校も捨てたものではありません。妻と広大な敷地を歩きながら、日本という国が持っている文化的リソースの豊かさを思いました。

                                       

                                       

                                      閑谷学校全景

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      現在の閑谷学校。右手の楷の木の新芽が膨らんでいます。

                                       

                                       

                                      秋の閑谷学校

                                       

                                       

                                       

                                      ついでに奥方様の写真も。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      閑谷学校は、江戸時代・寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって創建された、岡山藩直営の庶民教育のための学校・学問所です。国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などほとんどの建造物が国の重要文化財、資料館は登録有形文化財に指定されています。

                                       

                                       

                                      国宝の講堂内部。ピカピカに磨き上げられた床。現在でも地元の子供たちはここで論語を読んでいます。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      1660年代の半ば、光政は岡山の領地内に池田家の墓所のための土地を探していました。菩提寺である京都妙心寺の護国院が火災で焼失してしまったからです。光政の命を受けたのが、優秀な側近、津田永忠でした。永忠は領内をくまなく歩いて候補地を探しました。その一つが後に閑谷学校の用地となった和気郡木谷村だったのです。

                                       

                                       

                                       

                                      光政が木谷村を訪れたのは晩秋だったそうです。紅葉の美しい敷地を歩きながら、ここは墓所ではなく、庶民の子供たちが学ぶ学校にうってつけの土地だと直覚します。さすがに名君と言われるだけのことはあります。国家を私物化して恥じないどこかのバカ殿とは大違いです。

                                       

                                       

                                       

                                      私が興味をひかれたのは、国宝の講堂だけではありません。敷地を取り巻く石塀の美しさもさることながら、そのランドスケープデザインの秀逸さでした。ここは『風の谷のナウシカ』に描かれた風の谷の祖形だと直感しました。

                                       

                                       

                                       

                                      図面を見ると寄宿舎や食堂、厨房が敷地の西に配置されています。そして、東側の講堂や聖廟との間に火除山を築いています。防火のためにわざわざ山を築いたのです。そして、弘火四年(1847年)、寄宿舎からの失火で西側にあった建物が焼失した時も、この火除山のおかげで、東側の講堂や聖廟は延焼をまぬがれたのです。何という先見の明、危機管理の意識の高さでしょうか。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      草一本生えないように設計されたこの石塀(幅1,8メートル、高さ1,5〜1,6メートル)が敷地を取り囲んでいる。全長765メートル。石工たちの創意工夫と忍耐力に頭が下がります。この石塀だけでも見に行く価値があります。

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      さて、最後に閑谷学校からもらったインスピレーションについて書きます。今私たちの国は首の皮一枚で繋がっている状態です。早晩、カタストロフィーに見舞われます。統治機構の自壊現象のことを言っているのではありません。営利行為としての戦争のことでもありません。それよりもっと確実で深刻な危機に直面しているのです。

                                       

                                       

                                       

                                      それは、福島第一原発の事故で、放射能によって高濃度に汚染された地下水とそれを貯蔵している巨大タンク、除染によって出た膨大な放射能汚染土をどうするのかという問題です。次なる地震が襲えば、これらは確実に海に放出され、溶け出します。

                                       

                                       

                                       

                                      もちろん、地震がこなくても、やがてリミッターが振り切れる時がやってきます。その時、日本近海はもとより、太平洋は放射能によって汚染され、漁業は壊滅するでしょう。チッソが水俣湾に有機水銀を垂れ流して住民の命を奪った事件は、その後の私たちの運命を暗示していたのです。

                                       

                                       

                                       

                                      その時、私たちは海を捨てなければならなくなります。海に面した都市は、徐々に放射能に蝕まれていきます。子供たちはどこで生きればいいのか。最悪の場合、海外に脱出するしかありません。

                                       

                                       

                                       

                                      しかし、すべての子供たちが脱出するわけにはいきません。国内にとどまり、なんとか再生の時を待つしかないのです。その場所はどこにあるのでしょうか。そうです、全国に点在する「閑谷学校」こそが、子供たちが生き延びるための「風の谷」になるのです。

                                       

                                       

                                       

                                      今の政権は、こういったことをシュミレーションすらしていません。そもそもそういった発想がないのです。自分たちにとって都合の悪い事実を隠蔽し、歴史を捏造し、さらには女性をモノのように扱う体質が表面化するに及んで、彼らは事実に向き合うことすらできない痴呆になったのです。

                                       

                                       

                                      | 中高生の皆さんへ | 22:11 | comments(0) | - |
                                      「自由で公平で平和な国で死にたい」
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                                        私は多数派に迎合したり、権力に擦り寄ったりすることが何よりも嫌いです。ある人の言説が多数派を恃んでいたり、権力に秋波を送っているのが分かると、生理的に敬遠したくなります。若者ならともかく、それなりに社会経験を積んできた大の大人が政治的言説にころりと騙されるのを目にすると、もはや私の出る幕はないのだと痛感させられます。

                                         

                                         

                                         

                                        やっかいなのは、政治的な発言を避けることによって、現状を肯定し、権力を延命させている人たちです。それは、岩ツバメが唾液で巣を作るように、生活の中で分泌される無意識によって形作られた態度です。日本にはこういった態度を、さも知的で良識的であるかのように考えている人が多い。

                                         

                                         

                                         

                                        私は彼らのことを消極的ネトウヨ層と呼んでいます。少し考えればわかることですが、「政治的な発言を避ける」ことは、「いま権力を握っている人間たちに決定権を委任し、口出しはしません。」という責任放棄と隷従を意味します。

                                         

                                         

                                         

                                        思えば、こういった態度を教養人のマナーだと勘違いしている人に、何人出会ってきたことでしょうか。その度に私は思ったものです。人格のない1万人にちやほやされるよりも、一人称で考え一人称で行動する一人の人間から信頼されるような生き方をしようと。

                                         

                                         

                                         

                                        以来、消極的ネトウヨ層が分泌し続ける言説に、首まで浸かりながら、私は自分の心に届く言葉を探し続けてきました。なぜなら、自分の果たしている政治的な役回りに無自覚な人間たちが分泌する言葉によって精神の衛生が害され、人格が空洞化することを知っているからです。

                                         

                                         

                                         

                                        そんな日々の中で、久しぶりに素直に心に入ってくる言葉に出会いました。それは、5日、82歳で亡くなった高畑勲監督の短い言葉です。高畑監督の年賀状を映像研究家の叶精二氏がツイッター上で公開したものです。

                                         

                                         

                                         

                                        高畑勲監督の『火垂るの墓』

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        「皆さまがお健やかに
                                        お暮らしなされますようお祈りします
                                        公平で、自由で、仲良く
                                        平穏な生活ができる国
                                        海外の戦争に介入せず
                                        国のどこにも原発と外国の部隊がいない
                                        賢明強靭な外交で平和を維持する国
                                        サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です」

                                         

                                         

                                        ブログでこれまで13回にわたって宮崎駿監督を取り上げました。その監督が、インタビューで「宮崎さんは夢を見るんですか?」という問いに、「見ますよ。でもぼくの夢はひとつしかない、いつも登場人物は高畑さんです」と答えています。

                                         

                                         

                                         

                                        以下、高畑勲監督の言葉を取り上げます。

                                         

                                         

                                         

                                        「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」

                                         

                                         


                                        「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」

                                         

                                         

                                         

                                        「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」

                                         

                                         

                                         

                                        「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」

                                         

                                         


                                        「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」

                                         

                                         

                                         

                                        「『戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う』とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです」

                                         

                                         

                                         

                                        「日本がずっとやってきた“ズルズル体質”や、責任を取らせない、責任が明確にならないままやっていくような体質が、そのまま続いていくに決まっている。そうしたら、歯止めがかからないのです。だから絶対的な歯止めが必要。それが9条です」

                                         

                                         

                                         

                                        「『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」

                                         

                                         

                                         

                                        「なんとかしなきゃと言いながら、無力感が強いですね。安倍政権には(自衛隊南スーダン派遣の)日誌のことも、森友学園も、すごい不祥事が続いていて、でも、なんでそんなことになっているのかを考えたら、えらいことでしょう? 『政権を維持するため』ですよね、簡単に言えば。忖度であれ、なんであれ、どういうメカニズムかは知りません。もちろん、それは改善する必要があるんでしょうが、しかしどっちにしても、それを支えようという力があれだけ働いているのが露骨にわかるにもかかわらず、これで崩れないというのは、もうちょっと考えられない。本当に信じられない」

                                         

                                         

                                         

                                        宮崎監督は高畑監督が亡くなった日、「まだその気持ちにはなれない」と、コメントは出していません。当然ですね。ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しました。

                                         

                                         

                                         

                                        その高畑勲監督の「自由で公平で平和な国で死にたい」という痛切な思いは、これからも無視され続けるのでしょうか。

                                         

                                         

                                        | 中高生の皆さんへ | 13:47 | comments(0) | - |
                                        『翼よ!あれがパリの灯だ』 − 中学3年生の皆さんへ。
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                                          中学3年生のみなさん、卒業おめでとう。今日は3年生の最後の授業でした。いつもと変わりなく、淡々と数学の難問を解きました。妻がたててくれた抹茶と和菓子をふるまい、お開きにしました。私の塾では気合を入れるためにこぶしを突きだしたり、シュプレヒコールを叫んだりしません。毎年、静かな最後の授業です。そして明後日はいよいよ高校入試です。

                                           

                                           

                                           

                                          最近は入試前に緊張する生徒が多くなりました。そこで今日は緊張を解いてもらうため、チャールズ・A・リンドバーグの話をしました。リンドバーグと言っても、今の中学生で知っている人はほとんどいないでしょうね。私とリンドバーグの出会いは後で話します。

                                           

                                          チャールズ・A・リンドバーグ。なかなかのイケメンですね。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          彼は1902年2月4日スウェーデン移民の息子としてミシガン州デトロイト市で生まれました。1920年代にはセントルイス−シカゴ間で、郵便機の夜間飛行のパイロットをしていました。その彼が人類史上初の偉業を成し遂げたのです。

                                           

                                           

                                           

                                          1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグはプロペラ機「スピリット・オブ・セントルイス号」でニューヨーク・ロングアイランドのルーズベルト飛行場を飛び立ち、孤独や睡魔と戦いながら翌21日、22時21分(到着時の現地時刻)、パリのル・ブルジェ空港に着陸、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したのです。この時、リンドバーグ25歳。飛行距離は5、810km、飛行時間は33時間半に及びました。

                                           

                                           

                                          「スピリット・オブ・セントルイス号」の飛行航路。

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          無着陸飛行を達成した際に、ル・ブルジェ空港へ押し寄せた観客の数は、空港に入り切らなかった分も含めて延べ75万人とも100万人ともいわれています。これによりリンドバーグは、オルティーグ賞とその賞金25,000ドル、さらに世界的な名声を得ます。

                                           

                                           

                                           

                                          ところで、「スピリット・オブ・セントルイス号」の機体は、リンドバーグの指示でカスタマイズされたものでした。当時、無名の操縦士だったリンドバーグには出資者が少なかったため、調達した機材そのものも、性能の低いものにせざるを得ませんでした。さらに、多量のガソリンを積むべく操縦席の前方に燃料タンクを設置したため、座席からは直接前方が見えず、潜望鏡のようなものを使うか、機体側面の窓から顔を出す必要があったそうです。現在、この機体はスミソニアン航空宇宙博物館に展示されています。

                                           

                                           

                                          「スピリット・オブ・セントルイス号」

                                           

                                           

                                           

                                           

                                          1957年には、ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演で映画にもなっています。その映画のタイトルが『翼よ!あれがパリの灯だ』でした。その映画が私とリンドバーグとの最初の出会いです。

                                           

                                           

                                           

                                          そうはいっても、物心がつくかつかないかの頃で、父親につれて行かれた、どこか場末のうらさびしい映画館だったような気がします。時代劇ファンだった父親が、なぜこの映画を観る気になったのか、今となっては分かりません。

                                           

                                           

                                           

                                          上映中、ときどき大きな音で目が覚めてスクリーンを見ましたが、ストーリーが分からず、ただ眠かったのをおぼえています。後から知ったことですが、その映画は機内のシーンが大半を占める地味な映画だったようです。ただ、鮮明に覚えているシーンがあります。

                                           

                                           

                                           

                                          主人公のさびしげな目。格納庫を出て愛機セントルイス号に向かうヒョロッとしたその姿。ひとびとの歓声を背に飛び立ったあと、ひとりっきりになった操縦席にみつけた一匹の蠅。その一匹の蠅だけがパリまでの同行者です。リンドバーグはその蠅に向かって話しかけます。

                                           

                                           

                                           

                                          ああ、思い出してきました。鮮明に覚えているシーンとは、主人公がもうれつな睡魔におそわれながら、夢のように思い出すわびしい故郷の草原の美しい風景だったのです。

                                           

                                           

                                           

                                          大西洋単独無着陸飛行という快挙をなしとげた青年を支えたものが、わずかに一匹の蠅と淡い故郷への追憶だった、というそのことに私は感動していたのかもしれません。もちろんそれは後年、映画の内容を知ってからの、あと付けの感想ですが。

                                           

                                           

                                           

                                          それでも、言葉をもたない幼少期の私にあれほど鮮烈な印象を残し、今になってそれを思い出し、塾の中学生に話してみようと思ったその理由は何だったのでしょうか。それは人生最初の試練に立ち向かう生徒たちにエールを送りたいという思いだったのかもしれません。

                                           

                                           

                                           

                                          青年リンドバークの孤独と不安と夢を想え。胸に抱くひとつの原風景と、つつましく小さな同行者と、たったそれだけで、人は無人の夜の空を渡っていけるのか。人は生きてゆけるものだったのか。リンドバークの孤独と不安と夢を想え!と。

                                           

                                           

                                           

                                          ちなみに『翼よ!あれがパリの灯だ』は彼の大西洋横断飛行を記録した本(原題:The Spirit of St. Louis、佐藤亮一訳)の邦題です。1953年に出版され、翌年ピュリツァー賞を受賞しています。

                                           

                                           

                                           

                                          この本の中で、リンドバーグはこんな言葉を残しています。ニューヨークを出発して23時間目、睡魔や嵐と戦いながら飛び続け、体力の限界を感じるなかでの言葉です。

                                          “How beautiful the ocean is; how clear the sky; how fiery the sun!
                                           Whatever coming hours hold, it's enough to be alive this minute.”


                                          「なんという海の美しさだ! なんという澄み切った大空だ! 炎のような太陽! 何が起ろうと、この瞬間、生きているだけでじゅうぶんだ。」
                                           

                                          | 中高生の皆さんへ | 19:16 | comments(0) | - |
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