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洪水の年(上)
洪水の年(上) (JUGEMレビュー »)
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マーガレット・アトウッド
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 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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ジョナサン・ハイト
私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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中村さんの本を全部は読めないという人向けに、一冊だけ選ぶとすればこれでしょうか。普通、設計したらそれで終わりという建築家が多い中、かってのクライアントを訪問して話を聞き、それを本にしたものです。クライアントといい関係が築けてないと難しいですね。加えて自信がないとなかなかできることではありません。
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堀部氏のスケッチと自身で撮った写真集。これ見よがしの作家性を前面に押し出したところがない。簡素で謙虚だが、気品に満ちた佇まいは何度見ても見飽きることがない。ブログを書くために、もう一度最初から読み直してみたが、やはり素晴らしい。
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「民主主義が終わってるなら、始めるぞ!」そのとおりです。彼らは「○○大学、○○○○(氏名)、私は戦争法案に反対します」と堂々と個人の責任で発言している。ネット上で匿名で反対意見を罵倒する勢力に比べると何とすがすがしいことか。デモや民主主義について一から考えたい人、あるいは、それくらいのことはわかってるつもりだという学者の皆さんに読んでもらいたい。もちろん大学生や18歳で選挙権を持つ若い人たちにも。ただし、民主主義は感情統治だの多数決だのと言っている橋下徹やホリエモンこと堀江貴史は読まなくてよい。あなたたちはSEALDsの新しさを理解する能力を欠いているから。
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私の古寺巡礼15−京都嵐山・宝厳院(ほうごんいん)
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    宝厳院(ほうごんいん)は京都府京都市右京区にある臨済宗天龍寺派の寺院で天龍寺の塔頭(たっちゅう)です。塔頭とは、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院をいいます。

     

     

    ブログで紹介した天授庵(てんじゅあん)も、南禅寺の塔頭でした。古寺を訪ねていて、この塔頭の立て札を見ると必ず寄るようにしています。

     

     

    宝厳院は、渡月橋から歩いて5分くらいの所にあるのですが、ほとんどの観光客は団体で天竜寺を目指して足早に歩いていました。 天龍寺 はさすがに世界遺産に登録されているだけあって、その庭園は素晴らしいですね。観光客も多いです。でも、私の好みは宝厳院の方です。巨大な公共建築物よりも、住宅の方が面白いと思う性質だからでしょうか。団体だと、時間が制約されているので、宝厳院のような建物に出会うことはできません。それよりも、下調べをして、個人で行かれることを勧めます。

     

    紅葉に染まる嵐山・渡月橋

     

     

    宝厳院入り口

     


     

     

    宝厳院庭園

     

     

     

     

     

    宝厳院を訪れたのは、秋真っ盛りの時節でした。個人的には、紅葉の美しさでは京都の中では一番ではないかと思います。京都には、東福寺や神護寺など紅葉の名所はたくさんありますが、観光地の近くで、こじんまりしていて、これほど美しい紅葉が見られるのは南禅寺・天授庵と宝厳院だと思います。この二つは穴場だと思います。

     

     

    妻と庭園を歩きながら、ここは新緑のころも素晴らしいだろうね、と話しました。でも、ゴールデンウィークの頃の嵐山は遠慮したいですね。あまりに人が多すぎます。喧騒がおさまった5月の下旬が新緑の見頃だと思います。

     

     

    宝厳院を訪ねた後、楽しみにしていた桂離宮を訪ねました。嵐山から車で30分ほどです。往復ハガキを出して拝観許可が下りるまで2年を要しましたが、どういうわけか、あまり感動しませんでした。

     

     

    ブルーノ・タウトが絶賛していたそうですが、広大な敷地の割には、すべてが箱庭的で、やんごとなき方たちの遊び場だと感じたのです。そういう意味では、いかにも京都らしい場所だと言えます。ル・コルビュジェは桂離宮を見て、横の線が多すぎると感想を漏らしたそうです。あまり感心しなかったのでしょうね。ブログでも紹介した、ルイジアナ美術館の方が開放的で私の好みには合っていました。

     

     

    それはともかく、京都市内で手軽に行けて、紅葉と新緑を楽しみたい人には天授庵と宝厳院はお勧めのスポットです。

    | 古寺巡礼 | 13:23 | comments(0) | - |
    私の古寺巡礼14−京都・高山寺・石水院
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      今日は日曜日。久しぶりの雨です。前庭の花壇に植えたサザンクロスが紅葉して綺麗です。ときどき水やりをしていましたが、雨が降るとやはり生き生きしてきます。アプローチに植えたブルークッションが春から夏にかけて成長し、鮮やかな青色と芳香で楽しませてくれそうです。

       

       

      中庭には赤のプリンセスを植えました。そういえば、去年は玄関アプローチに百日紅を植えたのでした。枯れたイロハモミジの替わりです。普通、百日紅の花の色は赤か薄紅色または白ですが、今回植えた百日紅は紫色の花が咲きます。

       

       

      ところで、わが家の植栽のほとんどは、『大分植木』さんから購入したものです。娘夫婦の歯科医院の前庭の大きなカツラの木もそうです。『大分植木』には、私の好みの樹木があり、春先や夏、秋に訪ねては樹形を確かめておきます。樹木の性質や植え時、花の色などについて色々と尋ねます。おかげで、現場の職人さんや副社長さんとも20年来の顔見知りになりました。

       

       

      『自己救済術としての家作り』の中でも述べてきましたが、家の周りに樹木を植えると、季節の巡りとともに生きていることを実感できます。便利さや豪華さを競うのではなく、自然に囲まれた生活の方が私には大切です。

       

       

      前置きが長くなりました。今回紹介するお寺は、京都市右京区栂尾にある高山寺・石水院です。

       

       

       

      高山寺のある栂尾は、ブログでも紹介した高雄山神護寺からさらに奥に入った山中にあり、古代より山岳修行の場所とされていたようです。ウィキペディアによれば「創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵である。もともとここにあった神護寺の子院が荒廃した跡に神護寺の文覚の弟子であった明恵が入り寺としたものである。「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られる。境内が国の史跡に指定されており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。」とのことです。

       

       

      高山寺は二度訪れています。やはり目を引くのは、縁側や濡れ縁の寸法と、庭や遠くに見える山並みとの関係です。実際に行ってみるとその素晴らしさが分かると思います。

       

      高山寺と言えば、明恵上人の「鳥獣人物戯画」で有名です。

       

       

       

       

       

      私は別に縁側や濡れ縁のフリークではありません。ただ建築と外部の関係、収まりにどうしても目が行ってしまうのです。自宅を設計するときに、まず正方形を描き、その周りに回廊を配置した図面を書き、それに何度も手を加えました。費用の関係で断念しましたが、室内と戸外を結ぶあいまいな空間が好きだったのです。

       

       

      今思えば本家の作りもそうでした。広い庇の下の土の感触は、冬は日向ぼっこの格好の場所となり、夏はひんやりとした空気の流れを作りだしていました。飼っていた猫と縁側にすわり、火箸に刺した焼き芋をフーフー言いながら食べたり、夏にはかき氷を頬張ったりした記憶があります。

       

       

      こういった記憶が、縁側や濡れ縁を見ると、なつかしさや美しさを感じさせるのかもしれません。三つ子の魂百まで、と言います。幼少年期に見た建物の記憶やそのまわりに漂っていた空気感は、今でもはっきりと思い出します。もちろん建築学的な興味からものを見ていたのではありません。ただ、その醸し出す雰囲気の深さ、大きさのようなものが、それを作りだした人間の英知とつながっていることを体で感じていたのかも知れません。

      | 古寺巡礼 | 10:02 | comments(0) | - |
      私の古寺巡礼13−奈良・慈光院
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        「私の古寺巡礼」が2か月間中断していました。「自己救済術としての家作り」も途中です。不定期ですが再開したいと思います。

         

        そもそも私が建築に興味を持ったのは、専門的なこと、技術的なことではなく、建築とはそれを設計した人そのもの、その人の精神そのものだと感じたからです。音楽やすぐれた文学も同じですね。ただ、建築は目に見えるもの、手で触れるものとして、ある場所に存在しています。動きません。その精神性に感化された人が、自らその場所を訪ねなければ、出会えないものです。

         

         

        私はルイス・カーンの「エシェリック邸」や「フィッシャー邸」に出会い、建築に目を開かれました。そのことはブログでも書きました。両方とも、入口がどこにあるかわからないような簡素なつくりです。住宅はあくまでそこで生活する人のためのものであって、見栄や社会的な地位の象徴ではない、とカーンは考えていたのでしょう。これがわが家の玄関だ、と主張している住宅はどこか苦手ですね。私は玄関なんてものは、そもそもいらないんじゃないか、と思っています。

         

         

        何より感動したのは、両方とも、写真で見るよりずっと小ぶりでつつましやかだったことです。プロポーションというかスケール感というか、それが絶妙だったのです。

         

         

        思わず魅せられてしまう建築には共通点があります。思い出すだけで気持ちが整理され、一日の時間が充実した新鮮なものになります。それは風土や自然を美しく際立たせる気品に満ちています。人間と人間の営みが美しく素晴らしいものだと教えてくれます。訪れるたびに新たな発見があり、流れた時間と積み重なった記憶を反芻できます。それは取りも直さず、自分の成長と存在を肯定することにつながります。その影響でしょうか、巨大な公共建築物にはあまり興味が無くなってしまいました。

         

         

        今回紹介する奈良の慈光院も、どこか住宅の趣があって、等身大で決して威張っていません。これから家を建てようと考えている人には、住宅は30坪前後が理想的だと言いたいですね。これから先の社会のありようも含めて、理由を書くと長くなるので、ただそう思うとだけ申し上げておきます。

         

        慈光院入口

         

         

        向こうに見えるのは奈良の市街地。広縁のむこうの松とつくばいが、絶妙な位置に配置されている。

         

         

        ああ、この広縁と庇のバランスを見よ!足すことも引くこともできない。あと50センチ縁側が狭かったらというような、この建築の全てをブチ壊すような想像を振り払いました。

         

         

         

         

        この建築のどこがいいかというと、とにかくプロポーションがすばらしい。京都の詩仙堂と同じく、これ以上足すことも引くこともできない、均衡の理想形ともいうべきものが表れています。これほど完ぺきな空間であるにもかかわらず、心穏やかになれるのです。

         

         

        この建築の美質は、内と外の境界の扱い方に集約されています。特に縁側の寸法がすばらしい。私はしばらく見とれていました。庭と呼応する軒の高さ、庇の出、縁側の奥行き、幅、段差が絶妙なスケールで収められています。この建築の設計者は、敷地を動き回り、一日の光の量の変化や風の通り具合を確かめ、視点を変え、季節感を呼び覚まして自分の身体に宿っている美意識を総動員したはずです。「高桐院」「蓮華寺」「詩仙堂」もしかりです。

         

         

        古寺巡礼を続けていると、自分の体温というか体質というか、趣向にとても近い建築に出会います。琴線が共鳴するのです。それは初めて出会ったのに、ずっと前から知っていたような、そんな感じです。私の美意識のルーツはいったいどこに由来しているのか、それはまだいろんなところに存在しているのか、ひょっとしてこれからもそういったものに出会えるのか、と考えると、生きることには意味がある、人生は楽しいと思えてくるのです。

         

         

        | 古寺巡礼 | 15:44 | comments(0) | - |
        私の古寺巡礼12−京都・青蓮院門跡
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          今回紹介するのは、京都市東山区粟田口(あわたぐち)にある青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)です。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことです。天台宗の寺院で開基は伝教大師最澄。三千院、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされています。

           

           

          京都や滋賀の山寺を回るとき、定宿にしているのが、蹴上(けあげ)にあるホテルです。早期割引を使って、素泊まりなので宿泊費はそれほどかかりません。

           

           

          青蓮院を初めて訪れたのは今から4年前。そのころは11月の下旬に旅をしていました。大分の佐賀関港を午前8時に出発。フェリーで四国の三崎にわたり(所要時間70分)、そこから大洲ICまで1時間。そこからは高速道路で京都まで約5時間。途中休憩しますが、午後3時過ぎにはホテルに到着です。平均時速130キロ。パトカーとカーチェイスをしたこともあります、なんちゃって。冗談です。

           

           

          京都に着いたその日の夕方、部屋に荷物を置いて、夕食に出かけようとしたとき、部屋に置かれてあったパンフレットで青蓮院が紹介されていました。この年は桂離宮の拝観が許されたので(秋の観光シーズンということもあって、ハガキを出してもなかなか許可がおりませんでした。2年越しの希望がかなったのです)、それが目的の旅でした。

           

           

           

          青蓮院の場所を見ると、ホテルから祇園まで歩いて行く途中、知恩院の手前ではありませんか。「ここはいつも通っていたところよね」と妻。青蓮院の前を素通りして、知恩院、円山公園、八坂神社へと歩くいつものコースの途中だったのです。しかも、国宝の青不動が公開中とのことでした。これは行かない手はありません。またまたセレンディピティ−です。

           

          青蓮院の入り口。何度もこの前を素通りしていました。

           

           

           

          青蓮院の前に来ると、夜間のライトアップまで時間がありました。それまでに食事を済ませて、ライトアップの時間に来ようと話し合いました。そして、祇園でフレンチを食べ、青蓮院に戻ったのが、午後9時前でした。

           

          国宝の青不動

           

           

          紅葉の季節はやはり、きれいです。

           

           

          相阿弥の庭

           

           

          夜間のライトアップで照らし出された竹林。足元が暗い中をぐるっと一周するのも楽しいものです。ここで撮った写真があるのですが、私の顔が下からライトアップされて、青不動のように見えるので掲載取りやめです。見ると、夜、眠れなくなりますよ。

           

           

          青のLEDでライトアップされた庭。このライトアップは12月下旬まで行われています。この青い幻想的な庭を見て、ライトアップもいいかなと、思いました。

           

           

           

           

           

          「青蓮院のライトアップ、よかったね。なんだかあの青い光を見ていると、宇宙に浮いているような気がしたわ。そうそう、遠い宇宙から地球を見ているような。普段、どうでもいい小さなことで、心がいっぱいになって、どうしていいかわからなくなる時ってあるでしょ。でもそういうときは、宮沢賢治のように、宇宙から地球を眺めるのよ。そうすれば、人間の悩みなんて、ほんとにちっぽけなものに思えてくるのよね。小さなことや、どうでもいいことでくよくよするのはやめようって。なるようになる、と思えてくるの。明日からも頑張ろうって」

           

          「君にも悩みがあるんだ」

           

          「失礼ね。あるに決まってるじゃない。(義理の)お母さんやお父さんが死んだときのこと。こどもたちのこと。これから先の人生。私の両親のこと。それに、なぜあなたと結婚したのか(ドキッ!来、来た〜。存在への不安と懐疑から、夫への不信と失望へ至る魔のらせん階段思考!)」

           

          「すべては運命だね。君は僕と結婚する運命だったのさ」

           

          「今となっては、そう思うほかないわね。何だか、悲しい運命ね。(ズキッ!)。若いころ田宮虎彦の『別れて生きる時も』を読んだとき、人間の運命について考えたわ。私たちの意志なんか、ちっぽけなものだけど、でもその意志こそが大事なんじゃないかって・・・」

           

          「僕のちっぽけな意志は、早く部屋に帰って熱いコーヒーを飲みたい、と言っています。もうすぐ12月だろ。京都の11月下旬って、底冷えがするね(とかなんとか言って、話題をそらそうとする)。」

           

          「あなたって、いつもそうやって話をそらすんだから(見、見破られている!ちっぽけな意志がだんだん大きくなって、離婚への押しとどめがたい意志になったりして・・・)」

           

          「グスッ・・・・」

           

          本能と直感で生きている妻にはかないません。

          | 古寺巡礼 | 21:27 | comments(0) | - |
          私の古寺巡礼11−京都大原・宝泉院
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            やはり大原は京都の中心部に比べて気温がかなり低い気がします。寒暖の差が激しく、空気が澄んでいるせいでしょうか、盆地の山間部の紅葉は本当にきれいです。

             

             

            実は京都の紅葉を楽しむのであれば11月の中旬から下旬よりも12月のはじめがお勧めです。観光客も潮が引くように少なくなります。それに紅葉が半分くらい散ってしまった後、残っている深紅の紅葉と梢のコラボレーションほど美しいものはありません。

             

             

            あれは深秋というよりも、冬支度のために、街に何やらあわただしい雰囲気が漂う師走の頃でした。学生の私は、これから先どうやって生きていけばいいのか見当もつかず、鬱屈した気持ちを抱えたまま、一人でバスに乗り、大原の三千院へ向かいました。

             

             

            三千院は人気の場所だけあって、その時節でも観光客がかなりいました。境内を一周しながら、何を考えていたのでしょうか。まばらになった紅葉が、一枚また一枚と散る様を眺めていた気がします。今でもその時の感情をふいに思い出すことがあります。ああ、あの時の自分が生きていて、今の自分とつながっているのだ、と確認する瞬間です。

             

             

            対象が人間であれ、建築であれ、音楽であれ、それに遭遇するタイミングというものがあります。自分が変化し、更新されていくにしたがって、対象も違う意味や価値を持つようになります。

             

             

            当時の私は、三千院にはあまり感動しませんでした。観光化され過ぎた場所がもつ特有の雰囲気があったからです。すべてのものがあまりにも多くの視線にさらされている、あらゆる場所に指紋がついている、と感じたのです。

             

             

            駆け出しの女優が、初々しさと野性味を持っていたのに、多くの視線にさらされた結果、洗練とあばずれの境界がわからなくなった状態と言えばわかっていただけるでしょうか。

             

             

            三千院の山門を出て、右に向かうと、突き当たりに勝林院がありました。中には入らず引き返して、三千院の前の食堂でうどんを食べたことを覚えています。帰る道すがら、焼き栗を買って頬張ったのですが、何の味もしませんでした。青春の深い迷いの中にいたせいでしょう。(ただ単に、栗が美味しくなかった可能性もあります。)

             

             

            それからというもの、友人に誘われて、三千院は三度ほど訪れています。それでも最初の印象は変わりませんでした。数年前、妻と行った時も同じでした。

             

             

             

            今回紹介するのは、三千院の参道の突き当たりにある勝林院(大原寺)本堂の前を左に行ったところにある宝泉院です。小さな案内札が出ているだけです。勝林院の本堂は天台宗の仏教が栄えた大原の中心的道場です。宝泉院はその中の僧坊として800年前よりあったお寺です。初めて三千院を訪れてから宝泉院と出会うまでには、数十年の時が流れていました。

             

             

            宝泉院山門

             

             

            春の宝泉院アプローチ。

             

             

             

            山門より入ると、目の前にこのお寺のシンボルである、樹齢700年の五葉の松が目に飛び込んできます。このお寺は、「額縁の庭園」としても知られています。庭の風景を柱や窓で切り取る手法はあちこちで用いられていますが、京都のお寺は、ほとんどがこれを意識しています。しかし、宝泉院のそれはおそらく三本の指に入るでしょう。

             

             

            樹齢700年の五葉の松。700年前といわれると、何時代かと考えてしまいますね。

             

             

            「額縁の庭園」と言われるだけのことはあります。見事なピクチャーウインドウですね。

             

             

            若狭屋手作りの和菓子とお抹茶。しめて¥800円。拝観料に含まれています。でもこの和菓子は美味しかったです。買って帰りたいね、と妻と話したくらいです。

             

             

            「額縁の庭園」・春

             

             

            三千院を訪れる機会があったら、ぜひ宝泉院へも足を向けることをお勧めします。

             

            | 古寺巡礼 | 23:04 | comments(0) | - |
            移りゆく季節の中で−私の古寺巡礼・番外編
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              若い時はあれほど肉料理が好きだったのに、最近は和食を食べないと身体がすっきりしません。頭までどんよりしてきます。朝は、炊きたてのご飯と、湯気の立っている味噌汁に限ります。

               

               

              今の季節、里芋とネギと白菜だけの、シンプルな味噌汁を飲むと、身体中の細胞がよろこんでいるのが分かります。出し巻き卵と辛子めんたい、漬物が添えられていれば、もう十分です。それに、アジの開きにおろし大根を乗せ、カボスをかければ、贅沢の極みです。 

               

               

              私は母の遺品の中から、気に入った茶碗をみつけ、それで御飯を食べています。あの世から母が見ていたら、きっとびっくりするでしょうね。お抹茶をたてる茶碗で御飯を食べたり、お茶漬けをしたり、牛乳まで飲んでいるのですから。

               

              私が気に入って御飯茶碗に使っている三島焼。銘の入った桐の箱に入っていたので、きっと高価なのでしょう。妻には食洗機にだけはかけないように言っています。一度間違ってかけられましたが、もちろん割れたりしません。この茶碗の方がはるかに高温で焼かれているのですから。ただ、食洗機の中で熱湯をかけられ、泡だらけになり、逃げ場もない茶碗のことを考えると、なんだか拷問にかけているようで、後ろめたい気になるのです。

               

               

               

               

              私は、茶碗は毎日使ってこそ茶碗だと思っているので、木箱に大切に保管し、時々眺めては悦に入るような使い方はしません。それでは茶碗が可哀そうです。母からは「それはあなたの屁理屈よ」と言われそうですが。

               

               

               

              『私の古寺巡礼9−京都・光悦寺』のなかで少し触れましたが、琳派の能書家本阿弥光悦、天才絵師俵屋宗達、それに最高の富と知性を持ち嵯峨本の開版者となる角倉素庵の三人には格別の思い入れがあります。それは、辻邦生の『嵯峨野明月記』を若いころ読んでいたからです。

               

               

               

              織田信長が京都を制圧し、本能寺の変が起こり、豊臣秀吉が政権の座につき、関ヶ原で天下分け目の戦いが繰り広げられる乱世に、一つの時代の文化的頂点とも言える『嵯峨本』が誕生したのはなぜなのか。それを準備したこの三人の独白を交錯させることで答えを探ろうとしたのが『嵯峨野明月記』です。

               

               

               

              以前、軽井沢を旅していたとき、「タリアセン」のすぐ前にある「軽井沢高原文庫」で辻邦生の没後10年展に偶然出くわし、彼の手紙や小説の草稿を見ることができました。几帳面で角張った字が、丁寧に原稿用紙を埋めていたのを覚えています。

               

               

               

              歴史の興亡の中で、権謀術数をほしいままにし、権力闘争に明け暮れる人間たちを突き動かしていたのは何でしょうか。それは、世間体であり、力への渇望、復讐心、競争心、見栄、意地、悪意など、すべて自分に執着することから生まれる邪念に発したものではなかったでしょうか。<死>から目を背け、一時の栄華をたのむ、児戯にも等しい愚かな精神がもたらす所業です。

               

               

               

              歴史という伽藍の中に、とぐろを巻くようにしてうずくまる暗い情念は、鬼胎とも言える政治権力を生みます。乱世はおびただしい数の死者を生みますが、他方で、すべては空無と化す運命にあることを自覚し、その空無の中に美の力を借りて立とうとする精神も現れます。その精神が結晶したものこそが『嵯峨本』なのです。

               

              『四季草花下絵和歌巻』

               

               

               

               

              『嵯峨野明月記』の末尾で、辻邦生は本阿弥光悦に次のように語らせます。

               

               

              「まさしくこの生は太虚にはじまり太虚に終わる。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。その後、私の仕事は、いっそう単純なものとなった。私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。

               

               

              私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。ともあれ、私が残した仕事は、朝日の差し込む明るい部屋のように、幾世代の人々の心の中に目ざめつづけてゆくであろう。

               

               

              私はいずれ<死>にゆだねられ、藤の花のようにこぼれ落ち、消え去るであろう。私の墓の上を落葉が覆うであろう。紙屋川を吹き上がってくる風が音を立てて過ぎてゆくであろう。墓石の文字も見えぬほどに苔むしてゆくであろう。

               

               

              だが、その時もなお私は生きている。あのささやかな美しい書物とともに、和歌巻とともに、宗達や与一や宗二の誓いや友情や誇りや苦悩を織り込みながら、生きつづける。おそらくそのようにしてすべてはいまなお生きているのだ。

               

               

              花々や空の青さが、なお人々に甘美な情感を与え続けている以上は、それらの中に、私たちの思いは生き続けるのだ・・・・。ああ、もう夜明けであろうか。いつになく鳥たちが杉木立の中で鳴きかわしている。太虚のなかに響いてゆく、なんという澄んだ音であろう・・・・。」

              | 古寺巡礼 | 16:37 | comments(0) | - |
              私の古寺巡礼10−京都・正伝寺
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                今年の秋は、義母が脳梗塞で倒れ入院したので、古寺巡礼は中止にしました。心配しながらの旅は、心ここにあらずで、そんな状態で旅に出るのは本意ではありません。楽しみは来年にとっておきます。

                 

                 

                秋も深まり、昨夜は一晩中、雨の音が聞こえていました。さらさら、さわさわ、雨というよりも遠くで木立が揺れているような音でした。それは、幼少のころ家族で泊まりに行った温泉宿のずっと下を流れていた渓流の音を思い出させました。

                 

                 

                朝になって窓を開けてびっくり。屋根と庭は一面の黄葉で覆われていたのです。昨夜の音はこれだったのかと納得しました。気持ちを切り替えて、庭そうじに精を出すことにしましょう。

                 

                一晩でこの状態。毎朝の掃除が欠かせません。怠れば、木洩れ日の庭も家も落ち葉で埋まってしまいます。しかし、木洩れ日がきれいであればあるほど、落ち葉が多くなるのは道理です。やむをえませんね。ふう〜。

                 

                 

                 

                 

                掃除の終わった中庭

                 

                 

                 

                わが家の庭は、京都市北区にある「正伝寺」の庭のような空気感があります。椅子に座って、コーヒーを飲みながら、ただ時が移ろいゆくのを感じていたとき、突然、この空気感は「正伝寺」だと思い出したのです。もちろんそれを真似たわけではありません。真似しようにも真似できるわけがありません。流れた時間の重みが違います。

                 

                「正伝寺」山門。正確には正伝護国禅寺といいます。

                 

                 

                山門を入ってゆるやかな坂を歩くと、本堂が見えてきます。往時が偲ばれます。

                 

                 

                本堂(方丈)は入母屋造で、こけら葺きです。安土桃山時代、伏見城本丸の御殿の一つが移築されたもので、障壁画は作風等から狩野山楽一派の筆と推定されています。廊下の天井は「血天井」と称され、伏見城落城の際に自刃した鳥居元忠らの血痕が残った廊下の板を用いたものだそうです。

                 

                狩野山楽の障壁画

                 

                 

                武士の怨念がこもった「血天井」。医学的にも血であることが証明されています。切腹した人間のうめき声が聞こえてくるようです。長い間じっと画像を見つめると、たたられても知りませんよ。ほら、あなたの背後に、首のない血だらけの武士が・・・。わっ!

                 

                 

                 

                昔、私が奈良県の生駒市で家庭教師をしていたとき、生徒だった小学生(中学生だったかな?)のトコちゃんを連れて遊びに行ったことがあります。そして、この「血天井」の由来を説明して聞かせました。それをトコちゃんからのメールで思い出しました。やはり「血天井」の印象が強かったようですね。

                 

                 

                本堂前の枯山水の庭園は小堀遠州作と伝えられています。白壁越しに比叡山を望む借景式庭園であり、岩を用いず、白砂とサツキの刈込みのみで構成されていて、「獅子の児渡しの庭」と呼ばれています。

                 

                「獅子の児渡しの庭」。向こうに見えるとがった山が比叡山。

                 

                 

                 

                「正伝寺」は観光コースから外れているばかりでなく、拝観者もほとんどいません。滋賀の「教林坊」よりもマイナーなお寺です。住宅地のそばにあるのに、ぽつんと取り残されたようなお寺です。観光の目玉になるような見事な紅葉があるわけでもありません。でも私はなぜかこの場所が気に入っています。備え付けのノートがあって、ここを訪れた人が感想を書いています。恋人同士で来たり、一人旅で来る人が多いようです。その中に「ただ、死者を思うためにここに来ます。」と書かれた、東京の女性の感想がありました。

                 

                 

                人間の感性とは恐ろしいものです。頭はいくらごまかせても身体感覚はごまかせません。ある人のそばにいるだけで、安心できたり、逆に不安になったり、自分でも予想すらしない過去の記憶が、身体感覚とともに突然よみがえるのはなぜでしょうか。前世の記憶がそうさせるのでしょうか。してみると、人間は死んでも、その魂は死んでいないのかもしれませんね。「正伝寺」は私にそんなことを考えさせる場所なのです。

                 

                | 古寺巡礼 | 23:10 | comments(0) | - |
                私の古寺巡礼9−京都・光悦寺
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                  本阿弥光悦は俵屋宗達、尾形光琳と並んで、琳派の創始者としてあまりにも有名です。最近は、雑誌でも琳派がよく取り上げられていますね。光悦が後世の日本文化に与えた影響は、大きく、深く、まるで地下水脈のように日本文化の基底を流れています。

                   

                   

                  今回紹介する光悦寺は、京都市北区鷹峯にあります。近くに源光庵、吉野太夫で有名な常照寺があります。すべて歩いて5分以内です。どこも紅葉が綺麗です。洛中に比べると気温が低くなるせいでしょうか、透明感のある赤や黄色のグラデーションには、思わずため息が出ます。中でも光悦寺は鷹峯を背景にして、こじんまりしていますが、洛北では一番のお勧めスポットです。

                   

                   

                  光悦寺入り口

                   

                   

                  入り口を進んで、一段降りたところから振り返るとこの景色です。

                   

                   

                  真っ赤に色づく前の、黄色のトンネル。グラデーションが見事です。

                   

                   

                  道を挟んですぐ前が源光庵。左が「悟りの窓」。右が「迷いの窓」。

                   

                   

                   

                  光悦は、刀剣の鑑定、研磨、浄拭(ぬぐい)を家業とする京都の本阿弥光二の二男二女のうち長男として生まれます。その彼に、元和元年(1615年)、この地を与えたのが徳川家康です。

                   

                   

                  『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地でした。王朝文化を尊重し、後水尾天皇の庇護の下、朝廷ともつながりの深かった光悦を都から遠ざけようというのが家康の意図だったとも言われています。その結果、この地に光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み芸術村となったのです。

                   

                   

                  光悦は書家としても有名ですが、私にとっては、何といっても楽焼の茶碗を通じて、身近な人物となりました。母がお茶をしていたこともあって、茶碗の世界が身近にあったのです。数ある茶碗の中でも、私が特に惹かれたものが以下の三つです。

                   

                   

                  重要文化財・赤樂茶碗・銘・乙御前(おとごぜ)。個人所有。

                   

                   

                  乙御前といえば、長次郎の黒樂茶碗にも同じ銘のものがあります。永青文庫蔵。

                   

                   

                  そして何と言っても国宝の「不二山」。いつまで見ていても、見飽きることがありません。光悦としては珍しく白釉を使っています。上部は白く残り、底部から見込底は炭化して黒みを帯びています。この見事なコントラストと焼き上がりは霊峰富士に匹敵し、光悦みずから「不二山」と命銘しました。この茶碗を光悦は振袖の布に包み、とつぐ娘に持たせたというエピソードから「振袖茶碗」という別名もあります。

                   

                   

                   

                  庭を歩いて行くと、有名な光悦垣があります。

                   

                   

                  向こうに見えるのが鷹峯

                   

                   

                  光悦の墓。歩いている間、私と妻の二人だけでした。深々と頭を垂れてお参りしました。

                   

                   

                  その先にある茶室。

                   

                   

                  茶室の反対側へ歩くと、このベンチ。しばらく、眼前の鷹峯を見てひと休みしました。

                   

                   

                  これが鷹峯。お椀をひっくり返したような山で、何とも言えない空気感が漂っていました。私はこの場所が一番気に入りました。

                   

                   

                  最後にオマケです。

                   

                   

                  妻が着ている服はポンチョというそうです。「アンポンチョ」の間違いではないかと思いました。いっしょに歩くのがちょっと恥ずかしかったのですが、幸い誰にも会いませんでした。

                   

                   

                  私は最初にこれを見た時、『荒野の用心棒』かよ!と思いました。あのマントの下に、拳銃を持っていて、こちらがちょっとでも動けば、マントが翻り、ズキューン!ズキューン!ズキューン!

                  ううっ。可愛い顔してるくせに、凄腕だぜ!バタッ(私が倒れる音)。

                   

                   

                  私がニヤニヤしていると、「何よ、そのニヤケた顔は。この服がそんなに面白いの!私もちょっとどうかと思ったんだけど(思ってるんかい!)、暖かいのよ」

                   

                   

                  ハイ、ハイ〜。暖かければ、何も文句はありませんです。それにしても、ここは、かの本阿弥光悦殿の墓所であらせられるぞ!

                   

                  「ファッションで一番大事なのは、TPOよ!」などとおっしゃっていたのは、どなたでしたかしら?

                  | 古寺巡礼 | 21:59 | comments(0) | - |
                  私の古寺巡礼8−京都・神護寺
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                    京都には紅葉を楽しむ場所が数多くあります。東福寺、三千院は言うまでもなく、嵯峨野や東山の麓に点在する古寺名刹をあげればきりがありません。

                     

                     

                    しかし、紅葉を堪能したければ高雄の神護寺と宝厳院でしょう。神護寺は京都市街をはさんで、比叡山の反対側に位置する高峰です。観光には、ほぼ一日を要します。それに比べると、宝厳院は渡月橋から徒歩で5分の距離にあります。

                     

                     

                    今回は神護寺を紹介しましょう。私は学生時代に2回、結婚して妻と2回、愛人と1回行きました、なんちゃって、冗談ですよ、冗談。こんなしょーもない冗談が「私の古寺巡礼」の格調高い文章を台無しにするという意見もありますが(そんなもんあるかい!)どうかお見逃し下さい。ところで、いっしょに登った富山県出身の林君、元気にしているでしょうか?なつかしいですね。

                     

                     

                    神護寺は、登るということばがふさわしい、高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、紅葉の名所として知られています。清滝川に架かる高雄橋を渡り、ふうふう言いながら、長い石段を上った先に神護寺の楼門が見えてきます。

                     

                    神護寺へ向かう途中の石段。最初は感動していても、だんだんきつくなってくる。これよりももっと急な坂を30分は歩きます。

                     

                     

                    この場所を無料で使えます。ここで作ってきた弁当を食べました。

                     

                     

                    この景色の中で食べる弁当は格別ですが、私は紅葉の美しさに目がくらくらしていました。下界へ降りてからもしばらくの間、紅葉がチラついていたくらいです。

                     

                     

                    楼門を入ると、山の中腹を平らに整地した境内が広がり、右手に書院、和気公霊廟、鐘楼、明王堂が建ち、その先には五大堂と毘沙門堂が南向きに建ちます。毘沙門堂の後方には大師堂があり、五大堂北側の石段を上った正面に金堂、その裏手の一段高いところに多宝塔が建っています。境内西端には地蔵院があります。

                     

                    楼門

                     

                     

                    神護寺・金堂。この圧倒的な存在感。さすがに日本仏教史上重要な寺院だけのことはあります。

                     

                     

                    大師堂

                     

                     

                     

                    神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住んでいた寺です。最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院です。

                     

                     

                    神護寺と言えば、何といっても、高雄曼荼羅(国宝)です。高雄曼荼羅は正式名称を紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図といい、平安時代初期の天長年間(824−34年)に淳和天皇発願で空海が制作を指導したといわれる国内最古の曼荼羅図です。金剛界と胎蔵界の2幅あり、いずれも約4メートル四方という大きさを誇ります。

                     

                     

                    高雄曼荼羅(国宝)

                     

                     

                    綾で織られた紫色の地に金泥・銀泥で描かれているのが特徴です。記録では、これまでに2回修理され、1回目は鎌倉時代の延慶2(1309)年に終了。2回目は江戸時代に寛政5(1793)年に行われているそうです。

                     

                    そして3回目は、平成28年度文化財国庫補助事業として寛政年間以来、約220年ぶりに実施することを府教委が発表しました。ほつれや断片化、折れが進み、亀裂やはく離も激しいため、5年かけて保存処理をしたうえで裏打ちや表装から直します。完成から1200年がたち、最近では傷みの進み具合が心配されていただけに、「かつての輝きを取り戻してほしい」と寺の関係者も期待をかけているそうです。

                     

                     

                    さて、神護寺と言えばもう一つの楽しみがあります。奥へ奥へと進んだ突きあたりに、「かわらけ」投げの場所があるのです。厄除けに、この谷に向かって思いっきり投げるのです。妻と2回目に行ったとき、若いカップルが投げていました。

                     

                     

                     

                     

                     

                    男性が投げると、女性が「キャーッ、すごい!飛んだ、飛んだ!」とはしゃぎます。

                    (飛んだって、あなた、4〜5メートル先で、谷底へ真っ逆さまじゃないですか。飛んだんじゃなくて、落ちたと言ってほしい)

                     

                    今度は女性が投げます。男性、「すげえ、オレより飛んだよ。お前、うまいじゃん!」とか言って彼女の頭を抱きかかえるようにしています。

                    (そりゃ、誰だって、君より飛ばすよ。彼女が「すげえ」んじゃなくて、君がヘタクソなだけだよ)

                     

                     

                    あまりの芝居じみたやりとりを見ていられなくなって、私も挑戦しました。件の彼氏は、そもそも持ち方からしてトンマです。ボールを握るようにしてもっていたのです。飛ぶわけがありません。

                     

                     

                    私は、少年時代、忍者ごっこに夢中になってブリキで手利剣を作り、7〜8メートル離れたところに棒杭を立て、それに藁人形を縛りつけてひたすら投げる練習をしていました。手利剣の一つも満足に扱えないようでは、一人前の忍者にはなれないと思い詰めていたのです。勉強なんかしている暇はありません。彼氏とは年季の入れ方が違います。

                     

                     

                    かわらけ2枚100円と聞いて、少しひるみましたが、例のカップルがいる間に、いいところを見せてやろうと思い、焦ってチャレンジしました。

                     

                     

                    まず、人差し指と中指でかわらけを挟み、親指を軽く添え、ひじから先を遠心力を利用して振り出します。その際、適度にスナップをきかせます。空気の層を読んでピシッと投げます。私の投げたかわらけは、風に乗り、谷底に落ちることなく、どこまでも飛んで行きました。例のカップルは呆然としています。

                     

                     

                    私の一言。「う〜ん。あの調子だと京都駅まで飛んでいったかな?」。

                    お尻のあたりに、妻から軽い蹴りを入れられましたが、仕方ありませんね。

                    | 古寺巡礼 | 12:42 | comments(0) | - |
                    私の古寺巡礼7−京都・南禅寺天授庵
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                      私が書斎(と言っても、塾棟と自宅をつなぐ廊下の一部を膨らませて作ったスペースですが)でパソコンに向かって仕事をしていると、妻がよくそばを通ります。廊下ですからプライバシーも何もあったものではありません。

                       

                      「何してるの?」

                      「仕事に決まってるだろ」

                      「とかいって、またブログを書いているんじゃないの」

                      「う、うん。まあね」

                       

                      その時の妻の返事は決まっています。

                      「ヒマね〜」か

                      「好きね〜」かどちらかです。

                       

                       

                      妻は私が書くブログにまったく興味を示しません。本能と直観だけで生きているのでやっかいなのですが、時々ひどくマトモなことを言うのでこちらも無視できないのです。あまり本は読まないのですが、読むときは集中して読みます。読後の感想は「つまらなかったわ」か「すごく面白かった。ここに書かれている通りね」というものです。

                       

                       

                      「どこが、どうつまらなかったか教えてよ」

                      「つまらないものはつまらないのよ。理屈なんてないわ」

                      ハイ、ハイ〜。おっしゃる通りでございます。

                       

                       

                      でも若いころ、小説はずいぶん読んでいたようです。福永武彦(池澤夏樹氏の父です)が好きで、ほとんど読んでいます。特に『草の花』は彼女に強烈な印象を与えたようです。私が読んでいた小林秀雄の本を勧めると、しばらく熱中して読んでいました。そして感想を一言。「小林秀雄って、セクシーね。こういう人となら旅行してもいいわ」と来ました。

                       

                       

                      ハイ、ハイ〜。私が旅行相手ですいませ〜ん。とまれ、私の人生は、かなり妻に負うています。ブランドものは欲しがらず、何かと言えば海外旅行に連れて行け、というようなタイプでは全くありません。

                       

                       

                      両親を大事にし、こどもをしっかり育て、孫のためにせっせと食事を作っています。今は孫が新体操をしているので、レオタードを楽しみながら作っています。

                       

                       

                      そう言えば、こどもが小さかった頃、服はすべて手作りでした。気がつくと型紙を作り、ミシンをかけていたのを思い出します。できあがった服は周りのお母さんたちに好評で、どこで買ったの?メーカーはどこ?とよく聞かれていました。手作りだと知ると、お母さんたちは、ため息をついていました。

                       

                       

                      以下の写真は昨年、南禅寺の山門の前で撮ったものです。この山門の雄大なスケールは、京都らしくなく、大陸的で私が好きな場所です。蹴上(けあげ)にあるホテルに着くと、すぐにこの場所を訪れます。紅葉の具合を確かめるためです。

                       

                       

                       

                      このとき、旅行に出かける前、妻はなにやら夜遅くまでミシンをかけていました。旅行当日の朝、玄関に敷いてあったラグマットがなくなっていましたが、よく見ると妻の服に化けていました。いや、これは冗談ですが、妻の服のセンスには時々驚かされます。

                       

                       

                      「そのラグマットの切れ端をつないだような服は、ちょっと、いけてるね」

                      「あらそう。あなたにこの服のセンスがわかるかしら?とても暖かいのよ」

                      ハイ、ハイ〜。暖かければ文句はございませんです。

                       

                       

                      実を言うと、旅行の時の妻の服装は少し楽しみでもあります。車なので、スーツケースを放り込むだけです。どんな服が登場するかは、その日のお楽しみというわけです。

                      おや、おや。今回は南禅寺の参道の脇にある天授庵を紹介する予定でしたね。

                       

                      天授庵全景

                       

                       

                      天授庵の入り口です。

                       

                       

                      正面を入って左を見るとこの風景が、まるでピクチュアウインドウのように浮かび上がります。

                       

                       

                       

                      天授庵(てんじゅあん)は、京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺の塔頭です。南禅寺山内に開山の塔所がないことを遺憾に思った虎関師錬は、暦応2年(1339年) に光厳上皇から塔所建立の勅許を得、翌年天授庵が建立されました。戦国時代には衰退しますが、慶長7年(1602年)に武将で歌人としても知られる細川幽斎により再興されました。

                       

                       

                      方丈庭園・白砂の庭を苔に縁取られた菱形の畳石が横切る枯山水庭園で、切石を組み合わせた直線的な構成は小堀遠州の発案です。妻はこの時、鮮やかなグリーンのコートを着ています。外出する時、ラグマットがこのコートになっていたので、珍しく褒めてあげました。これも妻の友人の手作りです。背負っているバッグは、娘が高校時代に使っていたものです。

                       

                       

                      天授庵の庭は奥が広く、竹林が絶妙に配置されていてすばらしい。池の作りも感嘆するしかありません。

                       

                       

                      方丈庭園はライトアップされるとこんな感じになります。ホテルは素泊まりなので、このライトアップを見た後、三条や祇園、四条河原町、先斗町に繰り出します。外気は冷たく、木枯らしの気配すら漂っています。でもそれが晩秋の京都の記憶と分かちがたく結びついているのです。

                       

                       

                      南禅寺にせっかくお参りして、ここを訪れないのはあまりにも、もったいないですね。山門周辺の紅葉はいまいちでも、ここは別格です。空気が違うのでしょうか。天授庵の紅葉は見事というしかありません。夕方からはライトアップされていて、きれいです。

                      | 古寺巡礼 | 13:06 | comments(2) | - |
                      私の古寺巡礼6−京都・詩仙堂
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                        詩仙堂を最初に知ったのは、ホテルの部屋に置かれていたパンフレットを見たときでした。誰かに教えてもらったわけではありません。当時は建築に興味を持ち、さまざまな建物を訪ね歩く旅の最中でした。その経験が詩仙堂を訪ねるように私を促したのです。まさにセレンディピティーと言うしかない出会いでした。場所を確認して、銀閣寺に行く予定を急きょ変更し、詩仙堂へ向かいました。

                         

                        秋の詩仙堂。皐月の緑の庭を取り囲むようにして紅葉が赤く色付きます。皐月の向こうは庭に下りる石段になっていて、紅葉とは距離があります。そのため、コントラストが一層鮮やかになり、皐月の庭はまるで浮いているように見えます。塾の卒業生をはじめとして、修学旅行で京都を訪れる中学生にも詩仙堂を勧めてきました。マイナーな場所だということで、なかなか行けないようですが、行った人は一様に感動したと言います。

                         

                         

                        春もいいですね。しっとりとした静けさと落ち着きがあって、個人的には春のほうが気に入っています。

                         

                         

                        注意していないと入口が分かりません。小さな案内札があるだけで、危うく通り過ぎるところでした。すぐ近くの駐車場に車を止めると、係のおじさんに「大分から車で!」と、驚かれました。いつものことですね。

                         

                         

                        狭い入り口から迂回するように続く石段を歩きます。距離はそれほどありませんが、そのしつらえに胸が高鳴りました。大徳寺・高桐院もそうですが、いきなり建物があるのではなく、長いアプローチがあります。訪れる人は、アプローチを歩きながら、心を整えたのだと思います。迎える側は、そのいっときの時間を訪問者に与えたのでしょう。日本文化が間の文化だと言われる所以です。

                         

                        間の文化の象徴たる詩仙堂のアプローチ

                         

                         

                         

                        詩仙堂で何よりも感心したのは、その間取りと、スケール感です。江戸時代の人間の身長に合わせたのでしょうが、その小ぶりの畳の間と、天井の高さ、そこから見える庭の景色など、何もかもが気持ちいいのです。天井が高すぎると、重心が高くなり、落ち着きが出ません。居心地のいい空間を作るのに最も必要なものは、プロポーションだということをこれほど雄弁に語っている建物はありません。

                         

                         

                         

                        詩仙堂の歴史は古く、寛永18年(1641)に江戸時代の文人・石川丈山が建立した草庵で、丈山はここに隠棲しました。彼は徳川家康に仕えていたこともありましたが、禄を辞して当時の一流の文化人らと交わり悠々自適の生涯をこの一乗寺の地で送りました。90歳で天寿を全うしたのは寛文12年(1672)の事です。入り口に建つ藁葺きの門の「小有洞(しょうゆうどう)」 の文字は石川丈山の直筆だそうです。

                         

                        庭から見上げた詩仙堂

                         

                         

                        秋の終わり頃には白砂と皐月の緑の庭を取り囲むようにして紅葉が赤く色付きます。 初夏の頃の書院からの目の前に広がる回遊式の枯山水庭園は、きれいに刈り込まれた皐月(さつき)と白砂が美しいコントラストを描きます。

                         

                         

                        静けさの中に聞こえる僧都(そうず、ししおどし)の音が静寂をより深めます。浅い池のほとりで繊細な花を咲かせる京鹿子(きょうがのこ)を始め、早春の梅、初夏の杜若、花菖蒲、紫陽花、秋の萩、初冬の山茶花などの四季それぞれに美しい庭を鑑賞できます。

                         

                         

                        私はこの畳の間に寝そべって、いつまでも庭を見ていたいと思いました。家を作るとき、和室の位置を「寝そべって中庭が見えるところ」と決めたのは、この時の経験によるものです。わが家はチープですが、私の貧しい経験がいたるところに生かされています。誰にもわからないでしょうが・・・。

                         

                         

                        ちなみに、1986年5月、英国王室チャールズ皇太子と故元ダイアナ妃が来日したとき、詩仙堂を訪れています。いい選択だと思いました。具眼の士はいるものですね。

                         

                         

                        | 古寺巡礼 | 14:16 | comments(0) | - |
                        私の古寺巡礼5−京都・大徳寺高桐院
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                          大徳寺高桐院は三度訪れています。すべて秋です。初めて高桐院に行った日の夜、祇園の老舗割烹で夕食をとりました。一年に一度の贅沢です。そこの主人に「今日はどちらへ行かはりましたか」と尋ねられたので、「大徳寺高桐院に行ってきました。庭がすばらしかったですね。僕の中ではあれ以上の庭はないかもしれません」と答えました。

                           

                           

                          すると、主人、私の顔を見据えて「日本一ですわ」と一言。京都に長年住んでいる食通の主人と意見が一致したことで、私はうれしくなりました。

                           

                           

                          京都の中では詩仙堂と並んで、私が最も気に入っている場所です。詩仙堂については次回取り上げます。

                           

                           

                          高桐院(こうとういん)は、京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の寺院です。開基(創立者)は細川忠興(三斎)です。戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の一人として知られる細川忠興(三斎)が父・細川藤孝(幽斎)のために慶長7年(1602年)に建立した寺で、玉甫紹を開山とします。玉甫紹は幽斎の弟で、三斎のおじにあたります。

                           

                          これが入り口。

                           

                           

                           

                          何と言っても、まずこのアプローチが素晴らしい。私が家を建てるときにまず考えたのは、最低でも10歩のアプローチを作ることでした。そのぶん家を小さくしてもかまいません。正面を右に曲がると入口です。庭の景色が開口部によって切り取られていて、絵のように美しい。

                           

                           

                           

                          私が最も気に入った庭園です。切なくなるような凛とした美しさです。この空気感は、実際に行って肌で感じるしかありません。写真と実物は全く違います。私は建築行脚でそのことを痛感しています。そして、建築において最も重要な要素は「時間」ではないかと思うようになりました。

                           

                           

                           

                           

                          通称「楓の庭」と呼ばれる簡素ながら趣のある庭で、一面の苔地の中に数株の楓が植えられているだけです。庭中央に鎌倉時代の石灯籠が据えられています。背景は竹林です。外からこの竹林を見たとき、期待できるかも、と思いました。白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅「武相荘」の庭も背景が竹林で、それを見たときの静かな感動がよみがえってきたからです。

                           

                          松向軒(しょうこうけん)・書院の西北にある、利休の茶を忠実に継承したといわれる三斎好みの茶室で、豊臣秀吉が催した北野大茶湯の際に影向(ようごう)の松のそばに三斎がつくった茶室「松向庵」を寛永5年(1628年)に移築したものといわれる。

                           

                           

                          書院・西側の一列は 意北軒(いほくけん)と呼ばれ、千利休の邸宅書院を移築したといわれる。

                           

                           

                           

                          書院の前の庭は、こんな感じです。

                           

                           

                           

                          本堂西側庭園奥には忠興とガラシャ夫人の墓塔となっている春日灯籠があります。忠興が生前こよなく愛し、自ら墓標に指定したといわれるものです。この鎌倉期の石燈籠は利休愛蔵のものといい、秀吉に所望されたが蕨手に傷があることを理由に断ったものと伝えられています。

                           

                           

                           

                          妻と庭を回っていると、庭師がやってきて、ことのいきさつを、事細かに説明してくれました。七十歳前後かと思われるその初老の男性は、昔ある大学で教えていて、今は高桐院の世話をするのが生きがいだと教えてくれました。

                           

                           

                          他にも観光客が大勢いる中で、私たち夫婦にプロのガイド顔負けの貴重な話をしてくれたことを、妻はいつまでも不思議がっていました。「たぶん、この人になら話してもいい、わかってくれそうだ、と僕の顔を見て思ったんだよ」と言って振り向くと、妻はいませんでした。

                           

                           

                          とっくの昔に、先の方にある、つくばいのそばにしゃがみ込んで、「きれいね、写真撮って」と、無邪気に催促していました。

                           

                          さすが妻が催促するだけのことはあります。(ところで、昔の塾生が、しきりに、奥さんは元気ですかと心配してくれているので、近いうちに、写真写りのいい妻の無邪気な笑顔を内緒でアップしますね。どういうわけか、写真写りと鏡映りの悪い私の顔はアップしません。ご安心ください。)



                           

                           

                          細川家墓地から藪を挟んだ裏手には非公開の墓地があり、忠興とガラシャの嫡男で追放された細川忠隆こと長岡休無や、出雲阿国、名古屋山三郎、森鴎外の著作「興津弥五右衛門の遺書」で有名な興津弥五右衛門などの墓があります。

                           

                          細川家歴代の墓

                           

                           

                           

                          | 古寺巡礼 | 21:20 | comments(0) | - |
                          私の古寺巡礼4−奈良・室生寺
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                            室生寺を訪ねたのは今から四年ほど前。それ以前に、一度訪ねようとしたのですが、秋の一日は短く、まだ午後2時過ぎだというのに、山のふもとは、もう夕方の風情が漂っていました。カメラを忘れたこともあって、とりやめにしたのです。

                             

                             

                            大和路の巡礼は、秋の陽光が大気の中に舞っている時刻、午前中から午後二時くらいにかけてが、一番よさそうです。もちろん早朝や日が沈む直前の残照がいいのだという人もいるでしょう。写真を趣味にしている人は、後者の方がいいかもしれません。

                             

                             

                            室生寺を訪ねたのは、11月の中旬でした。京都のホテルから車で法隆寺に直行し、百済観音を見て(確認したいことがあって、どうしても見ておきたかったのです。やはり百済観音は私にとって最高の仏像でした)、そばを食べ、室生寺へ向かいました。

                             

                             

                            曲がりくねった田舎道を走り、広い道路に出てからも、しばらくは車とすれ違うこともありませんでした。今でこそ立派な道もあり、車で楽に行けるのですが、昔の人は歩いてこの道を通ったのだと思うと、その信心深さに頭が下がります。

                             

                             

                            少し離れたところに駐車し、室生川に架かったこの朱塗りの太鼓橋を渡ります。正面が本坊で、右方にしばらく行くと仁王門(近代の再建)があります。

                             

                             

                            仁王門

                             

                             

                             

                            仁王門を過ぎると、最初の急な石段(鎧坂という)があります。突然、写真家・土門拳が撮った雪景色の石段を思い出しました。私は、この石段の前でしばらく立ち尽くしていました。山岳寺院のシンボルともいうべきおもむきです。すり減った石段を見ながら、長い歴史を通じて、いったい何人の人がこの石段を登ったのだろう、と思い、その息づかい、救いへの渇望、石段を踏む足の動きが見えるようでした。

                             

                             

                            室生寺は石楠花(シャクナゲ)でも有名ですね。

                             

                             

                            冬の鎧坂

                             

                             

                             

                            妻にうながされて、我に返りました。この石段を登ると正面に金堂(平安時代、国宝)、左に弥勒堂(鎌倉時代、重文)があります。なぜか、この金堂のたたずまいに私は打たれました。法隆寺の金堂や比叡山・延暦寺の金堂よりもずっといいですね。長谷寺と同じく「懸造(かけづくり)」です。

                             

                            室生寺・金堂

                             

                             

                            弥勒堂

                             

                             

                             

                            堂内須弥壇上には向かって左から十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)の5体が横一列に並び、これらの像の手前には十二神将立像(重文)が立っています。

                             

                             

                             

                            さらに石段を上ると如意輪観音を本尊とする本堂(灌頂堂)(鎌倉時代、国宝)があり、その左後方の石段上に五重塔(平安時代初期、国宝)があります。

                             

                             

                            五重塔の近くにはこんなものも。

                             

                             

                            実は室生寺には奥の院があって、そこまではかなりの距離歩かなければなりません。しかも急坂あり、狭い橋ありで、観光客はほとんどいません。妻の顔を見ると「行ってもいいわよ」のサインが出ていました。別に盗塁するわけでもないのですが。しかし、途中で後悔しました。急な登り坂で息も切れはじめていたのです。

                             

                             

                            引き返そうかと思ったその瞬間、男子高校生の一団に追い抜かれました。何やら叫びながら、元気よく走って急坂を登って行きました。くそっ、負けてたまるか!行軍続行!しかし、私たちが奥の院に到着するころには、件の高校生たちは元気よく一斉に駆け降りはじめていました。修学旅行の生徒たちだったのです。彼らに仏像はまだ早いな、と思いながらも、一陣の風のように去っていった学生服の黒い集団が発散する若さに嫉妬していたのかもしれません。

                             

                             

                            時々思い出して室生寺のことを覚えているか妻に聞くと、決まって「あっ、あの高校生たちといっしょに登ったところよね」と返ってきます。一体何を見ていたのやら・・・。

                             

                            | 古寺巡礼 | 15:58 | comments(0) | - |
                            私の古寺巡礼3−奈良・大和長谷寺
                            0

                              長谷寺には2度行きました。1度目は新婚時代。奈良の生駒市に住んでいたころ。月末になると、生活費の残りをはたいて遠出をしました。もちろん日帰りです。テーブルの上に有り金を全部出し、二人で数えながら、往復の電車賃、昼食代、記念になるお土産代などを計算しました。合わせるといつもギリギリでした。そうやって、あちこちに出かけたものです。

                               

                              長谷寺・入口の仁王門

                               

                               

                              春爛漫の長谷寺・全景

                               

                               

                              大和路に春の訪れ、長谷寺火祭り「だだおし」の様子

                               

                               

                               

                              長谷寺はそうやって出かけた思い出深い場所です。あれは新緑の頃でした。坂道になっている参道沿いには土産物屋が並び、そこで売られていた、焼いた草餅を二つだけ買って食べました。その美味しかったこと。

                               

                               

                              長谷寺は牡丹で有名です。季節になると150種類、7000株余りの牡丹が咲き誇ります。真言宗豊山派総本山で、本堂に安置されている十一面観音は見事です。創立者は僧の道明とされ、西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られています。

                               

                              399段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)

                               

                               

                               

                              大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建っています。古くから「花の御寺」と称され、『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場します。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っています。

                               

                               

                              入口の仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)を上ります。最初の訪問の時、この登廊をバックに写真を撮りました。二十代の妻の可愛かったこと!三十数年ぶりに訪れ、流れた時間の重みをかみしめながら、また同じ場所を背景に写真を撮りました。数十年間の時を隔てた古寺巡礼は、感慨深いものがあります。

                               

                              登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)

                               

                               

                              建築にそれほど興味もなく、帰りにまた草餅を買おうなどと考えながら、大伽藍の中を歩き回った若かりし頃。建築に興味を持ち、美術館や気になる建物を訪ねる旅をかさねた後での再訪。美意識や歴史に対する向き合い方が深化更新しているのを感じます。そういった思索の対象となる建造物があるのは有難いことです。人は自らの原点を発見し、再びそこへ戻ってくるために遠くへ出かけるのではないでしょうか。

                               

                               

                              本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)を通って向こうへ出ると、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(かけづくり、舞台造とも)になっています。私は清水寺の懸造よりも、こちらの方が気に入っています。清水寺から見えるのは京都市街ですが、長谷寺の舞台から見えるのは全山紅葉した、それはみごとな山並みなのです。私はこの舞台に立つと、ああ、また長谷寺に来たなあ、という実感がわきます。

                               

                              礼堂(らいどう)の向こうが舞台となっている

                               

                               

                              十一面観音像

                               

                               

                              舞台の右端から見た山並み。訪れるならやはり秋ですね。

                               

                               

                               

                              ところで、本堂は奈良時代の創建後、室町時代の天文5年(1536年)までに計7回焼失しています。7回目の焼失後、本尊十一面観音像は天正7年(1538年)に再興(現存・8代目)。本堂は豊臣秀長の援助で再建に着手し、天正16年(1588年)に新しい堂が竣工しました。ただし、現存する本堂はこの天正再興時のものではなく、その後さらに建て替えられたものだということです。

                               

                               

                              歴史の興亡を目の当りにする思いです。権力をほしいままにした人間たちもいつかは滅びます。

                              平家物語の冒頭の一節が不意に心中によみがえりました。

                               

                              驕れる者も久しからず 

                              ただ春の夜の夢の如し 

                              猛き人もついには滅びぬ 

                              ひとへに風の前の塵に同じ。

                               

                              まさにすべては諸行無常なのですね。

                              | 古寺巡礼 | 09:32 | comments(0) | - |
                              私の古寺巡礼 2− 奈良・当麻寺
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                                世阿弥といえば『風姿花伝』が思い浮かびますが、能の『当麻』も小林秀雄の「美しい『花』がある。『花』の美しさといふ様なものはない」という文句で有名になりました。その『当麻』の舞台となったのが当麻寺です。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                 

                                『当麻』は、能の成立した中世において信仰の対象となっていた、中将姫(ちゅうじょうひめ)にまつわる説話をもとにして書かれた能です。話の大略は以下のようなものです。

                                 

                                 

                                ― 奈良時代。「横佩(よこはぎ)」とあだ名された右大臣・藤原豊成(ふじわらのとよなり)には、一人の娘がいました。中将姫です。彼女は幼い時に生母と死別し、その後は豊成が迎えた後妻に養われていました。ところが、姫にとって継母(ままはは)にあたるこの後妻は、自分が産んだ子を愛する余り、姫を疎ましく思い、姫が淫乱であるなどと偽って夫に告げ口します。激怒した夫は、都から遠く離れた雲雀山(ひばりやま)の地で姫を処刑するよう家臣に命じるのです。しかし家臣は姫を殺すに忍びなく、主人には殺したと偽って、姫の乳母と協力し、姫を山中に匿います。

                                 

                                 

                                やがて疑いは晴れ、姫は父のもとへ帰ります。しかし、生来信心深かった上にこのような体験を経て世の無常を悟った姫は、世俗の栄誉に興味を示さず、二上山に草庵を建ててそこに籠もり、『称讃浄土経』を読誦して阿弥陀仏を念じる日々を過ごしていました。

                                 

                                 

                                そんなある夜、姫のもとに一人の老尼が現れ、「阿弥陀の世界を拝みたければ、たくさんの蓮の茎を集めよ」と言います。姫が茎を集めてくると、尼は茎から蓮の繊維を取り、糸をつむいでゆきます。そうして、尼が井戸を掘り、つむいだ蓮の糸を濯ぐと、糸は自ずと五色に染め上がりました。

                                 

                                 

                                その日の夕方、今度は一人の女が現れ、その糸を請い受けると、それを機(はた)にかけ、極楽浄土の様子を織り上げてゆくのです。そうして、わずか一晩で光輝くばかりの曼荼羅を織り上げると、女の姿は消えてしまいました。

                                 

                                 

                                老尼は完成した曼荼羅を姫に与えると、「私は西方浄土の主であり、先刻の女はその侍者である観音菩薩なのだ」と明かし、西の空へと消えていったのです。その後、仏の道を保ち、清らかな行いを貫いた姫は、極楽浄土に往生することができたのでした。―

                                 

                                 

                                能『当麻』を見た小林は次のように書きます。

                                 

                                「白い袖が翻り、金色の冠がきらめき、中将姫は、未だ眼の前を舞っている様子であった。それは快感の持続というようなものとは、何か全く違ったもののように思われた。あれは一体何だったのだろうか、何と名付けたらよいのだろう、笛の音といっしょにツッツッと動き出したあの二つの真っ白な足袋は。いや、世阿弥は、はっきり当麻と名付けたはずだ。してみると、自分は信じているのかな、世阿弥という人物を、世阿弥という詩魂を。突然浮かんだこの考えは、僕を驚かした。」

                                 

                                 

                                「中将姫のあでやかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは歴史の泥中から咲き出た花のように見えた。人間の生死に関する思想が、これほど単純な形を取り得るとは。僕は、こういう形が、社会の進歩を黙殺し得た所以を突然合点した様に思った。要するに、皆あの美しい人形の周りをうろつく事が出来ただけなのだ。あの慎重に工夫された仮面の内側に這入り込むことは出来なかったのだ。世阿弥の「花」は秘められている、確かに」

                                 

                                能・『当麻』

                                 

                                 

                                 

                                「音楽と踊りと歌との最小限度の形式、音楽は叫び声の様なものとなり、踊りは日常の起居のようなものとなり、歌は祈りの連続のようなものになってしまっている。そして、そういうものが、これでいいのだ、他に何が必要なのか、と僕に絶えず囁いている様であった。音と形との単純な執拗な流れに、僕は次第に説得され征服されて行くように思えた。」

                                 

                                 

                                ちなみに、この物語に登場する曼荼羅は、現在でも当麻寺の本堂にかけられており、信仰を集めています。(ただし劣化のため、通常は室町時代に作られた模本がかけられています。)

                                 

                                 

                                 

                                 

                                歴史的には、この曼荼羅は中国で制作されたものと考えられ、素材も蓮の糸ではなく錦の綴織(つづれおり)であったことが判明していますが、中世に浄土信仰が盛んになって以来、中将姫のために阿弥陀仏と観音菩薩が作り上げた(あるいは姫自身が作ったとする伝承もあります)、奇跡の曼荼羅として信仰を集めてきました。

                                 

                                 

                                曼荼羅には、中央に大きく極楽浄土の様子が描かれ、また周縁部には『観無量寿経』の所説に基づいて、浄土を脳裏に思い浮かべるための瞑想法や、この経典が釈迦によって説かれたときのエピソードなどが描かれており、まさしく、一心不乱に浄土を念じるという信仰を体現する構図となっています。この奇跡の曼荼羅の完成にまつわる物語として、『当麻』は描かれているのです。

                                 

                                 

                                ところで、中将姫が草庵を建てて籠もったのは二上山の麓でした。そう、ブログで紹介したトコちゃんの住んでいるところです。数年前、当麻寺を訪れたとき、もしかするとトコちゃんとすれ違っていたかもしれませんね。縁は異なもの、というのはどうやら本当のようです。

                                | 古寺巡礼 | 23:43 | comments(0) | - |
                                私の古寺巡礼1− 滋賀・教林坊
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                                  旅行会社のコマーシャルではありませんが、これから京都、奈良、滋賀へ旅行する計画を立てている方へ、私の個人的なお勧めスポットを紹介します。実際行ってみたけど、お前の紹介したところはちっとも面白くなかった、という感想もあるでしょう。あくまで「個人的な」お勧めスポットだということをご承知ください。

                                   

                                   

                                  でも、もしあなたがかなりの審美眼の持ち主であり、歴史に虚心に向き合うことのできる人なら、気に入るはずだと確信しています。

                                   

                                   

                                  要するに、情報満載の旅行会社の雑誌には載っていない、out of the way spot というわけです。目的地周辺のランチ情報などには関知しません。食べるところがなければ、空腹のままでいいではありませんか。一日一か所か二か所をじっくり見て回ることをお勧めします。私はそうやってここ十年以上してきました。

                                   

                                   

                                  そうは言っても、私が紹介するのは、誰も知らないマイナーな場所ではありません。それどころか一度は名前を聞いたことのある場所です。さすがに、滋賀県の山寺、教林坊(滋賀県近江八幡市安土町にある天台宗の仏教寺院)を訪ねた方は少ないかもしれませんが。いずれにせよ、記憶をたどって、心の向くままに紹介していきます。

                                   

                                   

                                  最初に滋賀県の教林坊を紹介します。その後で、奈良、京都、滋賀の順に巡っていきます。今回は番外編ということで。

                                   

                                  教林坊入口

                                   

                                   

                                  教林坊庭園(小堀遠州作)

                                   

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  なるほど、京都にも捨てがたい魅力がありますが、個人的には琵琶湖周辺(湖北や湖東)や奈良の方が好きです住むとしたら京都は遠慮したいですね。学生時代に住んでいましたが、夏暑く、冬寒い気候が私には合いません。

                                   

                                   

                                  京都から奈良に行くと、陽光の質も違います。パリから南仏アルルに移り住んだのが転機となって、ゴッホの才能が一気に花開いたのは、南仏のあふれる光と豊かな自然のせいだと私は思っています。「人は死ぬためにこの街へやってくる」と詩人が書いた、パリの陰鬱な空気から解放されたのです。

                                   

                                   

                                  話を元に戻しましょう。教林坊を知ったのは白州正子かくれ里』を読んだからです。「石の寺・教林坊」として紹介されています。近江八幡市から車で30分くらいの山里にあります。道を間違えたのかなと不安になるような場所です。道案内の看板すらありませんでした。ごく普通の人家が点在している中を、細い道をたどってやっと着きました。観光地の喧騒はまったくありません。

                                   

                                   

                                  私はそういう場所が好きなので、電車やバスを利用できません。タクシーを利用するにはお金がかかりすぎます。そういうわけで車ということになります。駐車場に止めてある大分ナンバーの自分の車を見ると、ずいぶん遠くまで来たなあと感心します。モノ好きな人間もいるものだ、と。

                                   

                                   

                                  教林坊駐車場には車が数台ありました。そこから細い道をかなり歩きます。さすがに山寺です。庭園と紅葉のすばらしさは言うまでもありませんが、室町時代作とされている木造釈迦如来坐像を見たとき、私は初めて、心の底から手を合わせたい気持ちになりました。母親が死んで間もなかったからでしょうか。

                                   

                                   

                                  うんざりするほど仏像を見てきましたが、こんな経験は初めてです。この釈迦如来坐像は室町時代の健康な色気さえ漂っているように見えました。写真撮影が禁止されていたので、しっかり記憶にとどめようと、しばらくの間、正対しました。

                                   

                                   

                                  右側の建物に釈迦如来坐像が安置されている。左側の大きな石を回り込むと、下の画像になる。

                                   

                                   

                                  教林坊は、推古十三(605)年に聖徳太子によって創建されました。寺名の『教林』とは太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩と、ご本尊を祀る霊窟が残され、『石の寺』と呼ばれています。ご本尊は太子自作の石仏で、赤川観音と呼ばれています。難産を帝王切開によって助けたという安産守護の言い伝えがあります。

                                   

                                   

                                   

                                  拝観の後、もう二度と来ることはないだろうと思いながら、登りで疲れた足をひきずって長い坂道を下りました。途中、立ち止まって振り返りました。紅葉した教林坊の裏山は燃えているようでした。その山を背景にして、別れてきた釈迦如来坐像がほほ笑んでいるような気がしたのです。

                                  | 古寺巡礼 | 00:03 | comments(0) | - |
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