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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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卑怯者の島: 戦後70年特別企画
卑怯者の島: 戦後70年特別企画 (JUGEMレビュー »)
小林 よしのり
2015年に読み、感動した本(漫画)です。個人的には、これは小林よしのりの最高傑作だと思っています。『堕落論』とあわせて読んでほしいと思います。左右に関係なく、あなたが絶えず仮の足場を求めて思考を継続する意思を持つなら、避けて通れない著作です。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) (JUGEMレビュー »)
エドワード・W. サイード
いわゆる「知識人」なるものが絶滅して久しい。しかし、サイードの言う知識人の定義は時代がどんなに変わっても常に新しい。「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」高校生や大学生にはぜひとも読んでほしい本です。
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磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
磯崎新と藤森照信の茶席建築談議 (JUGEMレビュー »)
磯崎 新,藤森 照信
この本は茶室を巡る様々な建築的発想・知識の宝庫です。それにしても磯崎新氏の驚くべき記憶力と該博な知識には驚かさされます。建築史を語るには欠かせない二人の対談です。時がたつのを忘れさせるほどの面白さでした。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)
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烏賀陽 弘道
私は政治的な言葉と詩的言語の間を、その振幅が大きいがゆえに、往復することによって精神を活性化させています。政治的な文章を読むときに気をつけていることは、ファクトとオピニオンを区別することです。これはイロハのイだと思っていたのですが、今はお互い罵詈雑言の投げつけ合いで、言論空間がいびつになっています。これは今の政治を反映したものでしょう。菅官房長官が「問題ない」「その指摘は当たらない」などといったコミュニケーション遮断語を頻繁に使いだしてから、この傾向は加速しています。言論空間のゆがみを正し、正常な論争が復活することがあるのでしょうか。地に足がついた生き方をしたいなら、まず気分に流されず、事実を見極めることから始めなければなりません。事実を提示しないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。そのことを確認するためにも本書は必読です。本物の読解力をつけたいと考えている中高生には特にお勧めです。
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫)
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大河内 直彦
アインシュタインの名言のひとつに、「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」があります。
本書は文系・理系を問わず、高校生や大学生必読の本です。単に気候の科学を紹介しただけではなく、科学者たちのさまざまな逸話を紹介しながら、科学における知識・研究の積み重ねの重要性を教えてくれます。この本にのめり込むかどうかが、あなたの知性のリトマス試験紙になります。受験勉強的発想の狭隘な世界観を粉砕してくれるかもしれません。
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見て見ぬふりをする社会
見て見ぬふりをする社会 (JUGEMレビュー »)
マーガレット ヘファーナン
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新・日米安保論 (集英社新書)
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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安倍首相から「日本」を取り戻せ! !
安倍首相から「日本」を取り戻せ! ! (JUGEMレビュー »)
泥 憲和
まともな言説は、誰にでもわかる易しい言葉で書かれています。そして、それが本物であればあるだけ、真実を直視する勇気のない、臆病者からバッシングを受けます。安倍政権や維新の会のヤクザ議員からバッシングを受けない言説は何のインパクトもない、ニセモノだと言ってもいいくらいです。泥さんの発言は、間違いなく政権にとって都合の悪いものだったのです。表紙の写真はコワいですが、この本を読めば泥さんの優しい心根に触れることができます。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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日本力
日本力 (JUGEMレビュー »)
松岡正剛,エバレット・ブラウン
テレビを始めとするメディアを通じて、何かといえば日本はスゴイ!と叫んでいる、あるいは叫ばないと身が持たない人たちに読んでもらいたい本です。だってそれは日本人がまともな思考をしてこなかった、今もできていないことの裏返しでしかありませんからね。日本スゴイと叫んでいる人を見ると、自分が持っている劣等感をこんな形でしか表現できないのかと思って気の毒になります。日本スゴイ!だからどうしたの?あなたは何をやりたいわけ?
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まんが政治vs.政治まんが――七人のソーリの一〇年
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佐藤 正明
今の政治状況に対して、まともに反応すればするほど、こちらがアホに思えてきます。正面突破は犠牲者が出るだけでなく、精神的にも疲労困憊しますからね。こういう時代の表現方法は、もはや風刺とブラックジョークしか残っていない気がします。
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魂の殺人―親は子どもに何をしたか
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書)
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五味 洋治
天皇陛下が去年8月のお言葉で一番国民に伝えたかったのは、一言で言うと安倍首相の改憲を許してはならない、ということだったのです。それはブログでも再三書いてきましたが、今上天皇の20年にわたる慰霊の旅や国民に寄り添う姿勢が何よりそのことを証明しています。普通の読解力があれば分かることです。しかし、安倍首相には肝心の読解力がありません。安倍首相は今上天皇の思いを、単なる生前退位の「制度上の問題」にしてしまったのです。これは明らかな策謀です。国民は今一度、天皇陛下のメッセージに真剣に耳を傾けるべきです。
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教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫)
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羽仁 五郎
1979年、今から38年前に出版されたこの本を読み返しました。そして愕然としました。羽仁五郎が指摘したことがますますリアリティーをもって、前景化しています。福沢諭吉も言うように文部科学省はいらないのです。教育関係者は、自らの原点に戻るため、この本を読むべきです。
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服従
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ミシェル ウエルベック
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排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容
排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容 (JUGEMレビュー »)
森 千香子
第16回大仏次郎論壇賞を受賞した本作は、従来時間軸で論じてきた社会学の手法に、パリ郊外というエスニック・マイノリティーが住む「空間」を突きつけ、彼らがなぜグローバルテロリズムに追い込まれるのかを明らかにしたものです。

一読し感銘を受けました。問いを生きるという学問の原点が、彼女のフィールドワークにつながり、「移民たちは、彼ら自身に問題があるのだという視線を注がれていました。でも実際には、多数派による差別が問題を生み出していた。問題は社会の側にあったのです」と結論付けます。

この著作は日本社会のみならず、世界のこれからを考えるのに、大いに役立ちます。これぞ学問と言えるものです。『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 』とあわせて読むことを勧めます。
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黒い巨塔 最高裁判所
黒い巨塔 最高裁判所 (JUGEMレビュー »)
瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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被災の思想 難死の思想
被災の思想 難死の思想 (JUGEMレビュー »)
小田 実
若い人は彼の仕事も、名前すら知らない人もいるでしょう。来年で没後10年になります。彼が生きていたら、3・11をどうとらえ、どう表現していたか。それを見たかったし、彼の発言を聞きたかった、とつくづく思います。ジャーナリズムは劣化の一途をたどり、教育は非民主的な社会に適応できるように、こどもたちに真実を教えません。すべてのものには歴史があります。今ある世界が全てではなく、それを作り出した社会と人間の営みがあったのです。もし若い人が自由に生きようと思うのであれば、そして元気を出したければ、彼の著作を読んでみることです。『何でも見てやろう』でもいいですね。とにかく一冊手にとって見てください。そして彼の提示した問いに答えてみてください。
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そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
選挙 [DVD] (JUGEMレビュー »)

想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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職業としての政治 (岩波文庫)
職業としての政治 (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ
電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ (JUGEMレビュー »)
本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)
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施 光恒
英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
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矢部 宏治
前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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安冨 歩
経済学という自己正当化の道具、あるいは権力に寄生するための方便を分かりやすい言葉で暴露した本物の経済学の本。宇沢弘文氏の「社会的共通資本」と併せて読むことをすすめます。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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桐野 夏生
権力も財力もない人間は、想像力を武器に戦うほかありません。以前ブログでも取り上げた『亡国記』とともに読むことをすすめます。
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吉見 俊哉
文部科学省と財界は文系学部、特に社会思想を研究する学部を標的にして、その廃止を迫っている。これがどれだけ短慮で、バカげたことかヨーロッパの大学を見てみればよい。コンピテンス、要するに高速事務処理能力と記憶力を重視する理系学部さえあれば国は繁栄するという考え方です。文系学部は「結果を出せない」といいます。株式会社化をなりふりかまわず進めようとする国の中で、文系学部は穀つぶしだと映っているのでしょうね。この国の知性の劣化はとどまるところを知らないようです。
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福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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日の名残り コレクターズ・エディション [DVD]
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本では土屋正雄氏の名訳が出ていますが、できれば英語で読んでもらいたい小説です。カズオ・イシグロの文章は読んでいてとても気持ちがいい。素晴らしい文体です。いつの間にか声に出して読んでいることがあります。ジョージ・オーエルと並んで私が最も好きな海外の作家です。彼が書くような英語を書きたいですし、彼のように考え、話したいものです。DVDを見た後は、是非小説も読んでください。
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チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)
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スベトラーナ・アレクシエービッチ
今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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経済の時代の終焉 (シリーズ 現代経済の展望)
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井手 英策
今年の大佛次郎論壇賞、受賞作品。今年の2月に読み、いろいろと考えるヒントをもらった本。ブログでも紹介したいと思います。
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岩井 克人
資本主義社会に生きるということは、会社といかにかかわるかを意味します。それほど私たちの働き場所として会社は大きな力を持っています。その会社がこれからどうなるのかを、数少ない本物の経済学者・岩井克人氏が洞察しています。凡百の経済評論家には決して書けない本です。今からでも遅くない。是非読んでみてください。
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長谷川 宏
著者は私と同じく学習塾を営む在野の哲学者。私が塾を始めた時、著者の『赤門塾通信』を読み、励まされました。

上下2巻で、結構なヴォリュームですが、やっと読み終わりました。今改めて日本の精神史をたどりなおしたいと考えている人には、ぜひ勧めたいと思います。感想は又いつか別の機会に。
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小林 秀雄,岡 潔
小林秀雄は、私を文学や哲学の世界にいざなってくれた恩人です。彼と岡潔との対談です。
この本を理解できる政治家はおそらくいません。いたら、絶滅危惧種でしょう。
小林秀雄、岡潔、鈴木大拙のような人間はもう出てこないでしょうね。こういう人間を生み出す土壌が日本にはなくなりました。
代わりに登場してきたのが、橋下徹やホリエモンこと堀江貴史といった、マスコミによって改革の旗手と持ち上げられたマネー資本主義の申し子たちです。
感情を劣化させた人間が幅を利かせる社会は、効率を追求し、競争を加速させるだけの生きづらい社会です。日本社会はどうしようもなく劣化が進んでいます。
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岡 潔
教育で最も大切であるにもかかわらず、多くの人が忘れているのが感情教育です。世界的数学者・岡潔のことばでは「情緒」ということになります。普通、情緒とは正反対にあると考えられている数学のような学問で、ブレイクスルーをもたらすものは「情緒」だと岡潔は言います。今回読み直してみて、その深い洞察力と、そこから出てくるみずみずしい感性と新しさに、改めて驚かされました。

こどもの将来を本当に考える親なら、あれこれ参考書を買い与えるより、是非この本を読むことをすすめます。私たちが失ったものの価値が分かり、呆然とするはずです。

この本を読んで何も感じなかったらどうするのか?
残念ですが、どうしようもありませんね。これまで通り、自分の信じる道をお進みください。
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日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫)
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鈴木 大拙
鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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今そこにあるカタストロフィー。
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    昨日は義父を見舞った帰りに、「反日」で「左翼」の妻とコンパルホールで開かれた講演会『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に行きました。なぜ妻が「反日」で「左翼」なのか?詳しくは以下の記事をお読みください。

     

     

    「反日」で「左翼」の妻は「極左雑誌」を愛読しています。

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=281

     

     

    暇さえあればミシンを出してきて型紙をつくり、孫のために新体操の衣装を作っている妻ですら、ネトウヨのみなさんからすれば、「反日」で「左翼」になるのでしょう。今日までに作った衣装は10着余り。そのうちの一つです。

     

     

     

    そんな妻は、オリンピックの女子フィギュアスケートをじっと見つめて、何をしているのかと思えば、コスチュームのデザインを研究しているのです。

     

     

     

    「やっぱり素敵なデザインだわ。色の組み合わせやスカートの丈なんか、参考になる。ねえ、ねえ、この人(ザギトワ)の衣装なんかどう?」

     

    「(どうでも)いいねえ」

     

    「そうでしょ。今度はこのデザインに挑戦してみようかしら」

     

    「やってみたら?」

     

     

     

    とまあ、そんな妻ですから、『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に誘っても来ないだろうと思ったのですが、義父を見舞った後、空いた時間があったからでしょうか、誘うとあっさりのってくれました。妻は『原子炉時限爆弾』は読んでいます。で、以下は車の中での会話です。忠実に再現しています。

     

     

     

    「新体操の衣装作りと、『日本列島の全原発が危ない!』は君の中ではどう関係しているの?」

     

     

    「あなたはそんなどうでもいいこと考えてるの?ヒマね。私の原発についての知識なんて、小学生くらいのものよ。」

     

     

    「でも、小学生は『原子炉時限爆弾』は読まないよ。」

     

     

    「あの本を読んだとき(3・11以降に私がすすめました)は、すごく腹が立った。ちゃんと予測されていた人災だったんだとわかったわ。中身はもう忘れてしまったけど。でもあの本を書いた人の話なら聞いてもいいかなと思ったのよ。」

     

     

    「で、きみは原発に反対なんだね。」

     

     

    「もちろん。理論的にこれこれだから反対とは言えないけれど、もう直感として許せない気がするのよ、原発がこの世にあること自体が。」

     

     

    「なかなか、過激なこと言うじゃない。」

     

     

    「でも、子供でもわかることでしょ。たかが電気をつくるって話なんだから。電気なら何も原発で作る必要はないはずだわ。他にもいろんな技術があるでしょ。経済、経済っていうけど、たかが金儲けのことでしょう。核のゴミの最終処分はどうするの?福島原発の放射能は、どうやっていつまでに無くすの?安全なら東京に原発を作らないのはなぜ?世界が、原発ではなく自然エネルギーに向かっているのはどうして?原発をミサイルで狙われたらどうするの?そんなに安全で経済的なエネルギーなら、なぜ東芝は借金まみれになったの?イギリスに輸出するとか言ってるけど、日本政府が保証しなければならないのはなぜ?事故が起これば私たちが負担することになるのよね?それに、チェルノブイリが石棺の上に大きなドームを作っているけど、未だに立ち入り禁止なのはなぜ?もうバカバカしいことだらけだわ。こんなこと考えなくてもわかるじゃない。」 

     

     

     

    そだね〜。そだね〜。そだね〜。」

     

     

     

    ところで、韓国映画『パンドラ』をみなさんは観たことがあるでしょうか。広瀬隆氏の講演会の最後でも紹介されていました。一歩間違えば、日本はこうなっていたのです。いや、日本の明日の姿です。なぜなら、次なる巨大地震がスタンバイしているのですから。

     

     

     

    なぜこの映画が原発事故のあった日本で作れないのでしょうか。今や政治でも、芸術的な創造性でも、総体的な知性でも、韓国は日本のはるか上を行っています。なぜなら、隠蔽に次ぐ隠蔽、私物化に次ぐ私物化の日本に比べて、韓国は今そこにある「破局」を国民に示しているからです。

     

     

    ちなみに、福島第一原発事故をモデルにしたこの映画は公開12日目で観客動員300万人(韓国映画振興委員会調べ)を突破しました。日本語字幕版もあります。ぜひご覧ください。

     

     

    | 原発 | 13:17 | comments(0) | - |
    終わりの始まりならいいのだけれど・・・
    0

      広島高裁が伊方原発の運転を禁止する仮処分の決定を下しましたが、「いかった〜」などと下らないギャグを飛ばして喜ぶ気にはなりません。なぜなら「仮処分は証拠調べの手続きに制約がある」として、停止期間を来年9月末までに限定し、地震想定の甘さや、重大事故対策が不十分といった住民側の主張を認めず、火山対策以外は規制委の判断を「合理的」としたからです。

       

       

       

      火砕流の影響を云々するのであれば、中央構造線が引き起こす地震や南海トラフ地震による伊方原発崩壊の可能性の方をより重視してもらいたかったですね。阿蘇山が巨大噴火を起こして火砕流が伊方原発に届くのであれば、九州はほぼ全滅しているからです。その影響は数年で日本を破滅に導き、運が良ければ、日本人は北海道の一部だけで生き延びているという悲劇的な結末をもたらすかもしれません。

       

       

       

      それと、住民避難の問題を深刻に受け止めてもらいたかったですね。住民を安全に避難させることができなければ原発を動かすことはできないという5層の防御(defense in depth)の考え方を、司法判断の大前提にしなければなりません。まずこの点をクリアしている原発についてのみ安全性を審査すべきです。

       

       

       

      しかし、司法が住民避難の問題に踏み込めば、政府と電力会社が交付金と引き換えに周辺住民の命を買い上げているという事実が明るみに出るので、このまま棄民政策を続けるしかないのです。

       

       

       

      それに何より、過酷事故を恐れて、電力会社は原発を海岸沿いの絶海の孤島のような場所に建設しているので、住民を安全に避難させることなどできません。政府も避難計画は自治体に丸投げしています。原発の安全審査に住民避難を絡めたとき、稼働できる原発は日本には一基もありません。ようするに、政府には国民の命を守る気などさらさらないのです。

       

       

       

      それはともかく、今回の決定で少しホッとしています。以前、RECOMMEND 欄でも紹介しましたが、原発が止まっているこの機会にぜひ以下の2冊の本をお読みください。石黒耀の『死都日本』と元国会事故調委員長の黒川清氏が書いた『規制の虜』です。

       

       

       

       

       

      | 原発 | 10:06 | comments(0) | - |
      少し涙が出ました。
      0

        私は伊方原発差し止め裁判の原告の一人です。今うれしいニュースが飛び込んできました。広島高裁(野々上友之裁判長)が13日午後、伊方原発の運転差し止めを命じる決定を出しました。高裁レベルでは初めてのことです。感激して少し涙が出てきました。

         

         

         

        伊方原発は瀬戸内海を挟んで広島市から約100キロの距離にあります。それでも3号機の差し止めの決定が出たのです。決定は直ちに効力が生じるため、四国電は来年1月に定期検査が終了しても、司法判断が覆らない限り運転を再開できません。大分地裁もこれに続いてくれるといいのですが。

         

         

         

        何よりも次なる巨大地震が迫っているときに、この勇気ある決定が出たことを、子供たちのために、その子供たちの子供たちのために喜びたいと思います。

         

         

         

        大分地裁の裁判長が、すでに提出した私の意見陳述書を読んでくれているといいのですが。

         

        『大分地裁裁判長への意見陳述書』

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=426

         

        | 原発 | 14:45 | comments(0) | - |
        後は野となれ山となれ
        0

          今回は忘れないようにブログに書き留めておきたいことがあります。12月7日、私が大分駅前で伊方原発の差し止めを訴えるビラを配り、大分地裁で裁判を傍聴していたまさにそのとき、経団連の榊原定征会長は、四国電力の伊方原発(愛媛県伊方町)を視察していました。佐伯勇人社長から再稼働した3号機の運転状況や安全対策の説明を受けた後、記者団に次のように語りました。

           

           

           

           

          「原発は重要な電源としてこれからも使用していく。将来は増設や新設も選択肢にしないといけない」「(四国電力は)福島の原発事故を教訓に万全の対応をとっているようだ。しっかり安全を確保してほしい」と。(朝日新聞デジタル)

           

           

          世界の潮流を全く無視した、こうした経済界トップの時代錯誤の発言を見ていると、日本経済が中国に大きく後れをとるどころか、もはや挽回不可能だと改めて思わざるをえません。

           

           

           

          中国は福島の事故を分析し安全性確保に限界を感じ、更に原発のコストは海上、風力発電より高く経済的な面からも競争には勝てないとして原発を捨て、クリーンエネルギーに切り替えたのです。

           

           

           

          皆さんは2012年、福島第一原発の事故後わずか1年しかたっていない時点で、日本の財界が大飯原発を再稼働させるために使ったロジックを覚えているでしょうか。彼らはこう言いました。

           

           

           

          「原発を再稼働しなければ電力コストが上昇して、日本企業の国際競争力は低下する。だから、再稼働しないのであれば、われわれは日本を捨てて製造拠点を海外に移す。そうすれば国内の雇用は消失し、地域経済は壊滅し、法人税収は失われるがそれでもいいのか。」と。「それで日本経済がどれほどのダメージを受けても、それは原発再稼働を渋った政府と日本国民の責任であり、われわれは関知しない。」と。

           

           

           

          これは明白な恫喝であり究極の自己責任論です。この恫喝に屈して、ヘタレの野田政権は原発再稼働を容認したのです。

           

           

           

          日本の財界のトップが金儲けの口実に使う「国際競争力の低下」は、原発の再稼働や新設・増設をしないことによってではなく、中国の脱原発への転換によって現実になるでしょう。そのときになって、脱原発へと舵を切れなかった自分たちのふがいなさ、勇気のなさ、不見識を嘆いたところで手遅れです。

           

           

           

          さらに忘れてならないのは、財界が使ったロジックは日本人の価値観を変えるほどの影響力を持っていたことです。それは、経済活動に倫理や道徳は不要だということを公に宣言するものだったのです。

           

           

           

          このとき日本人は「1円でもコストの安いところで操業するのが企業の常識である。創業している地域での雇用創出や経済波及効果を保証する義務は企業にはない」という新自由主義の価値観を受け入れたのです。経済評論家や学者たちは、それに異を唱える者を経済音痴だとバカにし、思考を放棄しました。それがやがて格差社会に根を張ったアベノミクスというあだ花を咲かせることになります。

           

           

           

          一方で、それは常軌を逸した時間外労働を社員に課す原因ともなりました。電通の高橋まつりさんが自殺したのも、こういった企業文化の下地があったからです。しかし、この事件が電通ではなく、名もない中小企業で起こっていたら、どうなっていただろうかと思わずにはいられません。

           

           

           

          日本の大企業とそのトップは、道を見失っています。以下はその証拠です。

           

           

           

          国内製造業では神戸製鋼所、日産自動車、三菱マテリアル、東レ(経団連会長のひざ元)とデータ改竄が続出しています。さらに、原発事業に手を出したばかりに、東芝はその結果生じた巨額損失を埋め合わせるため、屋台骨であった半導体メモリーの売却契約を結ばざるを得なくなりました。

           

           

           

          加えて、リニア中央新幹線関連工事を巡り、東京地検特捜部が偽計業務妨害容疑で大手ゼネコン「大林組」の強制捜査に着手したとのニュースも飛び込んできました。国の財政投融資も活用された総工費9兆円を超える事業での不祥事です。JR東海は無関係だとコメントを出しています。

           

           

           

          さてもう終わりにしましょう。ここまで見てきたように、原発再稼働を進める財界と政府の根底にある退廃した考え方をひとことで言うなら「後は野となれ山となれ」です。今の私にはこれ以上適切な言葉を思いつくことができません。

           

          | 原発 | 23:25 | comments(0) | - |
          腐ったトップが居座り続けていたら、この国は滅ぶぜよ!
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            昨日は昼過ぎから大分駅前で1時間ほど伊方原発の差し止めを訴えるビラを配りました。「こんにちは。伊方原発を止めましょう。よかったら読んで下さい。」と声をかけます。声をかけた人の半分には無視されます。受けとってくれた人には「ありがとうございます。」と頭を下げます。

             

             

             

            高校生の多くは、まったくの無関心でスマホを見ながら通り過ぎるだけでした。でも、私の目を正面から見つめて「読んでみます!」と言ってくれた女子高生がいました。無視されて当然と思っているので、そういう若者に出会うと、砂漠の中でオアシスに出会ったような気になります。だから私は女子高生が好きです、なんちゃ・・・おっといけない、つい口癖になってしまいました。

             

             

             

            その後はいつものように大分地方裁判所で裁判の傍聴をしました。裁判所に通うようになってもう一年が過ぎたのかと、時の流れの早さにしばし感慨にふけりました。

             

             

             

            それにしても四国電力は何を守りたいのでしょうか。会社は黒字ですし、電気も足りているどころか余っています。電源三法、総括原価方式に守られて、さらなる利益を積み上げたいのでしょうね。原発立地にお金をばら撒き、被害想定区域を極端に狭め、住民避難はアリバイ程度にしか考えていません。以下の画像をご覧ください。

             

             

            四国電力のクリーンエアドーム

             

             

             

            「四国電力」は今年の10月24日、伊方発電所の西側3カ所に、万が一の原発事故に備えてクリーンエアドームの配備を決定したと発表しました。クリーンエアドームは短時間で簡単に設営ができ、空気浄化ユニットが装備されているそうです。

             

             

            報道によれば、セシウムやヨウ素の除去フィルターで、外気から放射性物質の99%以上を除去したクリーンな空気をドームに送ることができるとのことです。3カ所でドーム8基、収容人数の合計は約600人。でも東西に細長い佐田岬半島には原発より西側に約4700人が暮らしています。残りの4000人以上はどうなるのでしょうか。あきらめてもらうほかないということです。

             

             

            いかにも住民のことを考えているようで、これは四国電力の単なるアリバイ作りです。実際に南海トラフ地震が起これば、設営などしている暇はないでしょう。設営場所になっている体育館自体が崩壊する可能性もあります。

             

             

            伊方原発が過酷事故を起こせば、ウランとプルトニウムの混合物であるMOX燃料が熔融し、高濃度の放射性物質が風に乗って愛媛県、大分県をはじめとして瀬戸内海全域を汚染し、関西にまで至るのです。被害は福島原発の比ではありません。大げさではなく、確実に日本は終わります。

             

             

            そもそも、佐田岬半島の住民4700人を避難させることなど不可能です。船で大分県へ避難する訓練をしていましたが、当の避難民が「現実的だとはとても思えない」と言っています。地震や津波によって陸路が寸断された場合にどうやって港まで行けと言うのでしょう。避難訓練はエアドームと同じく全くの茶番でしかありません。

             

             

            それにしても、高濃度の放射性プルームが次々に襲ってくる中、エアドームの中に取り残された人々を、あるいは半島で孤立無援に陥っている人々をいったい誰が救助に向かうのでしょうか。自衛隊や地元の消防団、警察がその役を担わされるのでしょうか。しかし、それは福島のような平たんな地形で放射能汚染の被害を受けなかった場所での救助をイメージしたものです。地形も放射性物質の危険性も、伊方の方が何倍も上です。

             

             

            こういったリスク(保険では補填できないので電力会社は保険に加入できません)を抱えているにもかかわらず、四国電力は伊方原発を稼働させています。電力会社のトップは、株主である銀行の利益とおこぼれにあずかることしか考えていません。

             

             

            政府に対する「忖度」もあるでしょうが、政府を動かしているのは自分たちなので、官僚のセコイ「忖度」とは次元が違います。「忖度」というよりも、圧力に近いのです。それが証拠に、鹿児島の川内原発の再稼働に関しては、安倍首相は九州の財界人に対して「(再稼働は)何とかしますから」と約束までしました。

             

             

             

            要するに、財界のトップも政権のトップも人命よりも金儲けを優先しているのです。何という道徳的な退廃でしょう。坂本竜馬ではありませんが、「腐ったトップが居座り続けていたら、この国は滅ぶぜよ!」と叫びたくなります。

             

             

            国民の立場に立てば、この期に及んで原発を動かす理由は何一つありません。あるとすればすべて屁理屈か科学に名を借りた詭弁に過ぎません。再稼働の理由の最も強固なものが「経済」でした。今でもリスクマネジメントやリスクコミュニケーション、ゼロリスクなる言葉を使って、国民を煙に巻くバカな経済評論家は後を絶ちません。

             

             

            私は頭がピーマンの彼らを批判してきましたが、豚に真珠、馬の耳に念仏でした。しかし、彼らの出番は終わったのです。用済みです。なぜなら中国までもが脱原発に舵を切ったからです。その理由は発電コストと危険性です。12月4日のNHK『クローズアップ現代』がこのことを取り上げていました。以下の記事、『中国“再エネ”が日本を飲み込む!?』を是非お読みください。

            http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4072/index.html

             

             

            ネトウヨたちが中国や韓国に対してヘイトスピーチを撒き散らしている間に、中国の首脳は日本のはるか先を見通していたのです。(こんなことを書くと、Y田ゼミ塾長に「お前は中国のスパイか」と言われそうですね)再生可能エネルギーの開発に人的物的資源を大量に投入し、自動車のみならず先端技術では日本のはるか先を行っています。

             

             

            しかも背後には広大な大消費地が控えています。コスト競争では日本は中国に太刀打ちできません。財界と政府のトップに、多少なりとも先見の明と国民の立場に立った構想力があれば、こんな体たらくに陥らずにすんだのです。先端技術の開発を下支えする大学のレベルも今や崩壊寸前です。

             

             

            以上要するに、日本は二つの面で崩壊の危機にあります。

             

            その1:地震と津波および放射能汚染によって国土が実質的に消滅する危機。

            その2:再生可能エネルギーや電気自動車に見られるように、先端技術の開発の遅れにより中国はもとより世界から取り残され、経済が大きく停滞する危機。

             

             

            この危機を回避する方法は一つです。しかし絶望的に難しいでしょう。なぜならそれは私たち一人一人の生き方の転換を必要としているからです。この点では、私は極めて悲観的です。もう一度原発事故が起こって、国土の半分以上が無人の荒野にでもならない限り人々は目覚めないでしょう。私はビラ配りをしてそれを痛感しました。

             

             

            「自分が何もしなくても問題を解決してくれるエリート」などどこにも存在しません。ブログで散々書いたように、エリートは無責任な大衆が妄想と願望で作り出した架空の存在です。ただの人である私たち一人ひとりが行動を起こさない限り、この世界の問題は1ミリも先に進まないし、何も解決しないのです。

             

            | 原発 | 17:47 | comments(0) | - |
            大分地裁裁判長への意見陳述書
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              伊方原発差し止め裁判における過去5回の期日では、原告の思いを法廷で裁判長に直接訴えることが許されていました。しかし、全国的に期日中の意見陳述は制限される方向にあります。そこで原告の想いを「陳述書」という文書にして裁判官に届ける活動が開始されました。

               

               

              「陳述書」の締め切り期日は10月31日でした。約800字という字数制限があったため、私はあきらめていました。原稿用紙2枚で一体何が訴えられるのでしょうか。しかし、締め切り直前になって、こういう機会はめったにないと思い直し、字数制限を無視して「陳述書」を書いて提出しました。以下の文章がそれです。

               

               

               

              ― 私は伊方原発差し止め裁判の原告の一人として、裁判長に「たった一つの問い」を投げかけたいと思います。

               

               

              それは、判決を書く時、裁判官は誰の顔を思い浮かべているのかという問いです。もとより裁判官は自動販売機ではないはずです。所与の条件を既存の法体系に投入すれば、自動的に結論が出るのが裁判であれば、およそ心ある人間は裁判官になりたいなどとは思わないはずです。

               

               

              判決には裁判官個人の人間性が投影される可能性があるからこそ、裁判官を志望する人間がいるのではないでしょうか。すなわち、「より善き世界への青写真」を強制力を伴う形で社会に示せるのが裁判官という職業です。

               

               

               

              その影響力の大きさを考えれば、裁判官が恣意的な判決を書くことなど許されるわけがありません。そこには自ずと法的な縛りがある筈です。それが、日本国憲法第76条3項に謳われている、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」というときの「良心」です。では「良心」とは何か。法律ではなく、憲法に規定されていることを踏まえて、以下に私の考えを述べます。

               

               

               

              法廷における当事者間の論争は、いわば「言葉の喧嘩」です。そのとき、人はどちらの言い分が正しいか、それぞれの判断の根拠を求めるはずです。つまり、両者には具体的に論証する責任が生じます。ここで二つの問題が発生します。第一に、誰のために具体的な論証をするのか、第二に、誰が論争の勝ち負けを判断するのか、という問題です。

               

               

               結論から言うと、「理想的な審判者」のために「具体的な論証」を尽くすのであり、「理想的な審判者」が勝ち負けを判断するのです。この世界のどこかに正確な判断を下すことのできる公平で客観的な審判者が存在することを信じなければ、そもそも論争が生じる余地はありません。

               

               

              およそ法廷における論争は単なる私的なやり取りとは違って、第三者がそれを見たり、聞いたりしたときに双方の言い分が理解できるという「言語の公開性」を前提としています。

               

               

              一方の当事者は「具体的論証」ができたのに他方はできなかったとします。そのとき、「具体的論証」が欠けている側の主張は根拠薄弱として却下されるはずです。さらに言えば、「具体的な論証」ができたかできなかったかは「理想的な審判者」の審判にかかっているのであって、論証に失敗した側が相手方の主張を受け入れたかどうかとは無関係です。

               

               

              論争の当事者が自分の非を認めるのは稀有なことだから「具体的な論証」を要求しても無駄であるというなら、およそ言論を闘わせることに意味などありません。

               

               

               論争が生じる根拠は、言語存在としてのわれわれが共通に思い描いている「理想としての審判者」を、とりあえず第三者に仮託して、あることの成否をめぐる判断をそこにゆだねるほかはないという共通の要請のうちにあります。

               

               

              論争が生じるのは、「理想的な審判者」が「存在しない」からではありません。全く逆に、成否をめぐる「言葉の喧嘩」は、その運動過程の中に必然的に理想の審判者を要請しているのです。 つまり、「具体的論証」を尽くす努力をすればするほど、彼方に、理想としての審判者のイメージが堅固なものとして立ち現れるのです。

               

               

               

              裁判官に求められる「良心」とは、この「理想的な審判者」をどこまでも信じることのできる独立不羈の精神を指しているのだと考えます。すなわち、憲法意思が裁判官に対して自らの「良心」に照らして判決を書くように激励し、命令しているのです。

               

               

               

              思うに、日本の司法は「統治行為論」を採用して以来、「国家統治の基本に関する高度な政治性」を理由に、私たちの命と暮らしに直結する争訟を司法審査の対象から除外してきました。

               

               

               

              しかし、「高度な政治性」とは何でしょうか。そもそも政治とは、国民に対して、誰もが不可能だと思っていることを可能であると実証して見せる営みを指すのではないでしょうか。すなわち、現実を絶対化し、その改変を試みる勇気を持たない人間に対して、「現実」は一部の人間の利益に奉仕しているだけであり、したがって取るに足らない思いこみであり、一時的な夢だと喝破して見せることこそが政治の使命だと考えます。そう考えれば、統治行為論を採用することは、司法の自殺行為だと言わざるを得ません。

               

               

               

              さて、判決を書く裁判官は誰の顔を思い浮かべているのかという最初の問いに戻ります。

               

               

              憲法意思は、裁判官に対し「良心」に基づいて判決を書くように要請しています。「良心」を発動するためには、歴史の真実を見極める知性が必要です。それは昭和の15年戦争から第二次世界大戦の敗戦に至るまでの数百万にのぼる死者の声を聞く力です。

               

               

               

              同時にそれは、伊方原発が過酷事故を起こした際、原発より西に位置する佐多岬半島に住むおよそ4700人の住民が逃げ場を失い、助けを求めて絶望している姿を想像することにつながる筈です。

               

               

               

              実質的な棄民を司法審査の対象から除外することは、「良心」を持った裁判官にはできるはずもありません。聡明な裁判長なら、福島の例を見るまでもなく、原発事故における住民避難訓練は故郷を捨てる訓練なのだと喝破されていることと思います。

               

               

              いずれにせよ、私は裁判長が「良心」に則り、歴史の検証に耐えうる判決を書いて下さることを心より願っています。

               

              | 原発 | 20:21 | comments(0) | - |
              デジャヴ(既視感)と近未来のカタストロフィー
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                昨日、10月11日は、伊方原発差し止め裁判の第6回公判の傍聴のために大分地裁へ行ってきました。季節外れの暑さの中でしたが、それでも時折吹く風の中に秋の気配が感じられました。いつものように上高時代の同級生、『疾風自由日記』のSさんに会うことができました。

                 

                 

                 

                帰宅すると、霧島山系の新燃岳が6年ぶりに噴火したというニュースが流れていました。記憶している方も多いと思いますが、新燃岳は2011年1月26日、約300年ぶりの本格的なマグマ噴火が観測された活火山です。

                 

                 

                 

                それから1カ月後の2011年2月22日12時51分にニュージーランドのカンタベリー地方でモーメントマグニチュード6.1の地震が起こります。特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」とも呼ばれています。その時、多くの日本人留学生がクライストチャーチにいました。日本人の犠牲者は28人に及び、全員が留学生で、高校を卒業して間もない学生もいました。

                 

                 

                 

                それから1カ月を待たずして、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発の過酷事故(人災ですが)が起こりました。地震はほぼ周期的に起こります。日本列島は次の巨大地震がスタンバイしている状態です。

                 

                 

                 

                にもかかわらず、愚かな為政者や金儲けに余念のない電力会社をはじめとする財界は、原発を次々に再稼働させ、裁判所と原子力規制委員会はそれにお墨付きを与えています。それが何を意味するのか、想像力と知性を欠いた彼らには近未来のカタストロフィーが見えていません。

                 

                 

                 

                私は、今の政治とそれにふさわしい国民が、パンとサーカスに興じている様を見て、絶望しています。この国の国民は、もう一度原発事故が起こらなければ目が覚めないだろうと。しかし、その時はこの国が終わる時です。

                 

                 

                 

                3・11直後、私たち国民は素朴に何を感じていたでしょうか。大都市圏3500万人が避難しなければならない状況は、刻一刻と迫っていたのです。偶然の僥倖によって首の皮1枚でつながった国民は、わずか6年の時が流れたというだけで、そのとき味わった恐怖や絶望を忘れてしまいました。やれオリンピックだ、やれ選挙だ、と空騒ぎをしています。それは一言で言えば、政治家と国民がロシアンルーレットを楽しんでいるということです。

                 

                『ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民』

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

                 

                 

                 

                21世紀の初頭、日本は国民的な規模で記憶喪失に陥り、知性は払底しています。原発を再稼働させる政権を再び支持するのですから。

                 

                 

                 

                以下は、福島第一原発の事故後に発売されたFRYING DUTCHMAN の『humanERROR』です。いつの時代も真実は大げさで極端に聞こえるものです。あなたの身体的知性つまり感情は、この曲に生理的な拒否反応を示すでしょうか?そうでないことを祈ります。

                 

                 

                 

                上記 You Tube は up した後、削除されたり、妨害されたりしています。そこで Live 版もアップしておきます。

                 

                 

                 

                | 原発 | 08:45 | comments(0) | - |
                そもそも政治とは何か?
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                  昨日は暑い日差しがじりじりと照りつける中、伊方原発差し止め訴訟の第5回口頭弁論を傍聴するために大分地裁へ行ってきました。『疾風自由日記』のSさんとも二カ月ぶりに会うことができました。

                   

                   

                   

                   

                  今回、追加提訴の114名を含めて、計378名の大原告団になりました。私はこれでもまだ少ないと思っています。大分市長や県知事が、市民や県民の命と暮らしを守るという政治家の本分を自覚していれば、何を置いても伊方原発を廃炉にするため四国電力や経産省、愛媛県知事と交渉するはずです。でも彼らは天下って来た元官僚で、政治家ではないので期待する方が無理というものです。

                   

                   

                  前にも書きましたが、政治とは誰もが不可能だと思っていることを可能であると実証して見せる力のことです。すなわち、現実を絶対化し、その改変を試みるだけの勇気を持たない人間に対して、「現実」は一部の人間の利益に奉仕しているだけであり、したがって取るに足らない思いこみであり、一時的な夢だと喝破して見せるのが政治です。

                   

                   

                  政治は、現実という檻の中でコマネズミのように駆け回り、自分に利益をもたらすものを嗅ぎ分け、それに連なろうとする営みではありません。しかし、日本にいるのは国家を私物化して私腹を肥やし、アメリカに国富を貢いで日本の国柄、文化を破壊し続ける低能ヤクザのような政治家ばかりです。

                   

                   

                  話がそれました。私は裁判を傍聴しながらいつも一つのことが気にかかっています。それは、原発が過酷事故を起こした時の住民避難の問題です。

                   

                   

                  福島第一原発が事故を起こしたとき、私が最も切実に知りたいと思ったのは、近隣住民はどうなるのか、どんな被害を受けるのかということでした。なぜなら、明日は我が身だからです。

                   

                   

                  具体的には、「住民が住む地域に放射性物質は押し寄せるのか、その線量は、その範囲は。どちらの方角へ、どれくらいの距離を避難すればよいのか」ということでした。その情報が真っ先に住民に知らされるのか、ということでした。ところが肝心な情報は住民には知らされず、真っ先にアメリカ及び駐留米軍に知らされていたのです。

                   

                   

                  その一方で、記者会見やテレビでは「炉心はメルトダウンしているのか、いないのか」という、住民にとってはどうでもいい論争が繰り広げられていました。東大の教授も東電も、「メルトダウンはしていない、メルトダウンしているわけがない」とただ希望的観測を述べるだけでした。メルトダウンの可能性を認めるコメントをした原子力安全・保安院の担当官は更迭され、東電は二カ月後になって初めてメルトダウンを認めました。

                   

                   

                  こんな体たらくですから、伊方原発が事故を起こしたとき、住民が最も知りたい情報は知らされないでしょう。政治的な判断が先行し、住民は置き去りにされるのです。過去、伊方原発が火災を起こした時も四国電力は隠蔽したのですから。

                   

                   

                  繰り返しになりますが「放射性物質は漏れたのか。漏れたとしてその線量は、逃げる方角は、どこへどうやって避難すればいいのか、病気で寝たきりのお年寄りはどうなるのか、日々の暮らしはどうなるのか、ローンは、子供の学校は、将来の生活は、再び自分の故郷へ帰ってくることができるのか。そもそも放射性物質は完全に封じ込められたのか」という、住民にとって重要な情報は知らされないでしょう。

                   

                   

                  伊方原発が過酷事故を起こせば、国家の存亡にかかわるのです。補償どころの話ではありません。失われたものは二度と戻って来ません。自治体が行う避難訓練は単なるアリバイ作りに過ぎません。そのことはすでに書きました。よろしかったらお読みください。

                   

                  『原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練である』

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=109

                   

                   

                   

                  おそらく、政治家や財界人が正気であれば、まず日本中の原発を廃炉にするはずです。国家の存亡がかかっているのですから。「経済」(原子力村の中で利益を還流させることですが)を理由に再稼働させることは、東芝の例を見るまでもなく、経済的に割が合わないのです。さらに使用済み核燃料の処分の問題もあります。

                   

                   

                  そればかりか再生可能エネルギーの開発で日本は大きく後れを取るのです。これくらいのことも分からないのであれば、財界人は「今だけ、金だけ、自分だけ」の象徴的な存在だと言われても仕方がないでしょう。

                   

                   

                  いずれにせよ、使用済み核燃料の処分の問題も含めて、廃炉は日本の命運をかけた巨大なビジネスにならざるを得ません。再稼働よりもはるかに「経済」に見合ったものになるはずです。それまで、巨大地震が日本を襲わなければの話ですが・・・。

                   

                  | 原発 | 15:52 | comments(0) | - |
                  未必の故意による殺人に手を貸してはならない
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                    カフェでテーブルを挟んで二人がコーヒーを飲んでいると想像して下さい。一人が席を立った隙に、もう一人が致死量の毒薬をコーヒーカップに入れて殺害すれば、明白な殺人罪が成立します。

                     

                     

                    では、次のようなケースはどうでしょう。面白半分で致死量の毒薬を入れたペットボトルを公園のベンチに置いたとします。誰もペットボトルを飲まず、放置されるか捨てられる可能性もあります。その場合はもちろん犯罪は成立しません。しかし、たまたま通りかかった人がそれを飲んで死んだとします。ペットボトルを置いた人は殺人犯として処罰されないのでしょうか。それはどう考えてもおかしい。

                     

                     

                    刑法38条1項は、ある行為が殺人罪として処罰されるためには、相手を殺すという明白な意思(故意)がなければならないと定めています。

                     

                     

                    上のケースでは、ペットボトルを置いた時点で、特定の人間を殺すという明白な意図もなく、結果が生じるかどうかも不確定です。犯罪が成立するために必要とされる故意があるかどうかが問題になります。そこで、未必の故意(Involuntary Homicide)という概念が登場します。

                     

                     

                    つまり、ペットボトルを飲むかどうかは不確実ではあるものの、誰かが飲む可能性があるかもしれないと分かっていて、あえてそれを放置するのは故意があるのと同じだととらえるのです。

                     

                     

                    安倍政権は、誰かが死ぬ可能性があるかもしれないと分かっていて、あえてそれを放置する施策を進めることにおいて、未必の故意による殺人を実行している政権です。

                     

                     

                    具体例をあげてみます。東電は、自走式ロボットを福島第一原発2号機の格納容器に入れて、圧力容器近くまで接近させて撮影した画像と放射線測定値(推計値)を今月9日に公表しました。その値は650シーベルトという、過去に計測された経験がない高い数値でした。もちろんその数値に世界中のメディアは震えあがりました。

                     

                     

                    650シーベルトという数値が何を意味するか、3・11を経た後でも多くの国民は理解していません。シーベルトとベクレルの違いも分かっていません。

                     

                     

                    いま私の手元に『朽ちていった命−被曝治療83日間の記録−』(新潮文庫)という本があります。これは、1999年9月30日に、茨城県東海村の核燃料加工施設・JCO東海事業所で起こった臨界事故で大量の中性子線を浴びて死亡した大内久さんと篠原理人さんのうち、大内さんに焦点を当てた壮絶な闘いのドキュメントです。

                     

                     

                    1999年9月30日午前10時。大内さんは核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業をしていました。ステンレス製のバケツの中で溶かしたウラン溶液を濾過した後、それを「沈殿槽」という大型の容器に移し替える作業です。

                     

                     

                    バケツで7杯目。最後のウラン溶液を流し込み始めた時、大内さんはパシッという音とともに青い光を見ます。臨界に達したときに放たれる「チェレンコフの光」でした。その瞬間、放射線の中でも最もエネルギーの大きい中性子線が身体を突きぬけます。被曝です。

                     

                     

                    午前10時35分、放射線が出たことを知らせるエリアモニターのサイレンが事業所内に鳴り響きます。「逃げろ!」と別室にいた上司が叫びます。大内さんは急いでその場を離れ、放射線管理区域の外にある更衣室に逃げ込みます。その直後、突然嘔吐し、意識を失います。

                     

                     

                    この本の96ページ以降に以下の写真があります。上は大内久さん(当時35歳。妻と小学校3年生になる息子がいました。)の被曝8日目の右手。下は被曝26日目の写真です。

                     

                     

                    現代医学の粋をつくして治療したにもかかわらず、大内さんは被曝から83日目に息を引き取ります。大内さんの妻や妹、東京大学医学部付属病院の前川和彦教授を中心とする最高の医療班は、遭遇したことのない事態に日々直面し、絶望していきます。

                     

                     

                    当初、大内さんは8シーベルト以上を浴びた可能性が高いとされていました。もちろん致死率は100%です。最終的に被曝量は20シーベルト前後とされました。福島第一原発2号機の650シーベルトという数値がいかに高いかお分かりいただけると思います。

                     

                     

                    ここを新たな地震が襲えば、福島第一原発でのすべての作業は不可能になります。つまり、おおげさな表現ですが、この国は終わるのです。そしてその可能性があることを国連アドバイザーの松村昭雄氏と竹本修三博士(京都大学大学院教授・地球物理学)が指摘しています。3・11以降、重要な情報を発信し、提言してきた実績から見て、この二人は信頼できます。

                     

                     

                    その竹本教授の記事のタイトルは、「福島第一原発二号機による地球規模の大惨事の可能性。」です。Potential Global Catastrophe of the Reactor No.2 at Fukushima Daiichi

                    以下、カレイドスコープ氏のブログから引用します。

                    http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4809.html

                     

                    引用開始

                    「・・・2011年3月11日の事故において、建物の破壊なしに、2号機は高温と高圧という過酷な環境の中で持ちこたえた。

                    しかしながら、長い間使用した原子炉である。長期にわたる放射線照射によって、間違いなく圧力容器は劣化している。

                    もし巨大な地震に見舞われたならば、2号機は壊れ、内部に残されていた核燃料とその他デブリが拡散してしまうだろう。

                    その時、首都圏は居住することもできなくなる。
                    2020年の東京五輪など、まったく問題にならない事態がそこに予想される。

                    ・・・冷却用プールに格納されている核燃料棒の数は次のとおりである。1号機=392本。2号機=615本。3号機=566本。
                    通常であれば、電動ポンプによって冷却用の水が送り込まれ、これらの燃料棒は冷やされ続けている。もし、電力に滞りがあった場合はどうなるのか

                    ・・・つまり、震度6ないし7の地震によって福島第一原発が倒壊するという可能性はある。このことを無視することはできない。

                    ・・・しかし、放射線照射を受け続けた結果の劣化ということをまじめに考えてみると、間もなく起こると予想される新たな大地震によって、2号機は深刻な打撃を蒙るかもしれないのである。」引用終了

                     

                    このような状況下で、安倍政権は今年4月1日までに、浪江町、富岡町、飯舘村の帰還困難区域を除く全域と、川俣町山木屋地区の避難指示を解除する方針を示しています。さらに帰還困難区域に関しても、5年を目処にその解除を目指す「特定復興拠点」を設け、同拠点の除染費用として2017年度予算から約300億円を計上する見通しです。

                     

                     

                    避難している人々を強制的に帰還させるのは、次の地震が襲ったときのことなど全く考えていないサイコパス総理による、未必の故意による殺人そのものです。心ある国民は、合法に名を借りた未必の故意による殺人に手を貸すべきではありません。

                     

                    | 原発 | 17:29 | comments(0) | - |
                    できることなら、平凡な日々を送りたかったけれど・・・
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                      今日は午後1時前に大分地方裁判所に行きました。原告として、第2回伊方原発運転差し止め裁判口頭弁論に出廷するためです。ブログリンクしている「疾風−自由日記」のSさん(上高の同級生)も原告として来ていました。とまれ、私のような、のほほんと生きてきた人間が裁判の原告になろうと決心したのですから、相当深刻な危機が迫っているということです。

                       

                       

                       

                      私は塾教師として、出来れば世間の片隅で、子供たちと色々なことを学んだり、調べたり、励まし合ったりする平凡な日々を送りたかったのです。この国の行く末について深刻に思い煩うこともなく、豊かな自然に囲まれた笑い声の響く場所で、自分の<生>を全うすることができれば、他には何もいらないと思ってきました。

                       

                       

                      原発事故は人災です。地震や火山が多い日本に原発を作ること自体が、私たちの生活の中に破局をインプットすることになります。つまり原発は存在そのものが災厄なのです。それを正当化する経済学者や政治家のいかなる論理も屁理屈に過ぎません。

                       

                      『死の舞踏を舞っているのは誰か』

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=38

                       

                       

                      原発はこれまでの暮らしを一変させます。ある日突然、けたたましいサイレンの音が近づいてきて、白い防護服に身を固めた人間たちが避難命令を下します。病気のお年寄りや、子供たちは何が起こったのかもわからず、ただ右往左往するだけです。そして、二度と家にも故郷にも戻れません。学校に通うこともできなくなります。家族は引き裂かれ、地域は崩壊するのです。これは福島で現実に起こったことです。

                       

                       

                      にもかかわらず、安倍政権は何事もなかったように原発を再稼働させています。彼らは政治家失格どころか人間失格です。そういう人間たちを前にして、手をこまねいて何もしないのでは、将来の世代に対して申し開きができません。

                       

                       

                      伊方原発が暴走すれば、大分や愛媛はもちろん、放射能は瀬戸内海を汚染して関西にまで到達します。この国は終わるのです。なにも大げさなことを言っているのではありません。見ようとすれば誰の眼にも見える明白な事実があるのです。私はそれを書いているだけです。

                       

                       

                      世の中には、権力と財力をほしいままにし、思い通りに会社や財界や国を動かしているエライさんがいます。しかし、今一度原発事故が起これば、エライさんはエライどころか、真っ当で単純な真実に一度も向き合うことのなかった倫理的に退廃した人間たち、自己利益の最大化にしか関心がなかったエゴイストたち、要するに想像力も知性も感情も持たない最低の人間たちだとして糾弾されるでしょう。

                       

                       

                      原発は完全に過去の技術です。事故が起こっても原因を究明することができないのですから、未来のない悪魔の技術です。そもそも、フィードバックができない技術は技術ですらありません。核燃料サイクルが完全に破綻した今、原発を続ける合理的な理由はなくなりました。

                       

                       

                      福井県の高速増殖炉「もんじゅ」も、技術的に廃炉にするめどは全く立っていません。もんじゅは普通の原発とは異なり、冷却に水ではなく金属ナトリウムを溶かしたものを使っています。ナトリウムは空気に触れると燃え出し、水に触れると爆発します。さらに、事故で鉄も溶かしてしまうことがわかりました。

                       

                       

                      政府は廃炉に向けた研究拠点を福井県内に作るとしていますが、廃炉にする技術がないため、研究を続けざるを得ないのが実態です。もちろん廃炉には巨額の税金が投入される見込みですが、政府は費用の見積もりすら公表していません。敗戦が濃厚になった後も、特攻を命じ、若者を無駄死にさせた勢力がそのまま生き延びているのです。

                       

                      未来塾通信51『二つの島をつなぐ』

                      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay051.html

                       

                      ドイツや台湾は、福島の事故から学び、原発から撤退することを決めました。世界は脱原発へと向かっています。大分地裁の裁判官が、見ようとすれば誰の眼にも見える明白な事実について判断し、歴史に残る判決を出してくれるよう、これからも裁判所通いを続けるつもりです。

                      | 原発 | 23:28 | comments(0) | - |
                      空洞化した人格
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                        2015年8月24日、今からちょうど1年前、新潟県の泉田知事は、かねてより面談を求めていた原子力規制委員長の田中俊一氏と初めて会いました。泉田氏は田中氏が最も会いたくないと思っていた人物です。なぜなら、泉田知事の言うことは、だれが考えても常識にかなっているからです。住民の避難を最も重要だと考える知事に、それを無視する専門家の屁理屈がかなうはずもありません。

                         

                        http://tanakaryusaku.jp/2015/08/00011824

                         

                         

                        県知事も政治家である以上、住民の命と暮らしを守ることをまず第一に考えるべきです。この点さえしっかり認識していれば、政府と電力会社の言うことを聞くしか能のない専門家の屁理屈は簡単に見破れます。田中氏もこのことが分かっていたので、会うのを渋っていたのです。

                         

                         

                        今や、県民が生き延びられるかどうかは、どんな人物が地方自治体の長であるかに大きく依存する時代となりました。伊方原発の再稼働にゴーサインを出した愛媛県知事の中村時広氏は言うまでもなく、わが大分県の知事や市長もこの点に関してまことに鈍感です。

                         

                         

                        この事実を突き詰めれば、原発の立地自治体の住民のみならず、国民が生き残れるかどうかは、一国の行政の長すなわち総理大臣の人間性にかかっていることになります。そうだとすれば、私たち国民の命は風前の灯だと言わざるを得ません。だから私はこのブログで安倍晋三氏を批判してきました。

                         

                         

                        今は、たまたまロシアンルーレットの弾が、国民に向けて発射されていないだけです。いずれ弾丸が国民の頭部を貫くのは時間の問題でしょう。

                         

                         

                        原子力規制委員長の田中俊一氏は現政権の単なる使い走りに過ぎません。その人物にロシアンルーレットの拳銃を持たせているのです。それを取り上げることができるのは、総理大臣だけです。私たち国民の命は風前の灯だと言ったのはお分かり頂けるでしょう。

                         

                         

                        そんな折、15日付の新聞各紙の隅に、見過ごせない人事情報が載っていました。法務省の黒川弘務官房長(59)が事務次官に昇格するとのことです。18日付の日刊ゲンダイの記事によると、黒川新事務次官は、甘利明前経済再生担当相の口利きワイロ事件を握りつぶした“黒幕中の黒幕”といわれている人物です。国民の基本的人権すら風前の灯となったのです。


                         

                        この人事発表の翌日16日には、東京地検特捜部は甘利氏の元秘書2人を再び不起訴処分(嫌疑不十分)とすることを発表しました。少々政治に関心を持っている人なら、これが絶妙なタイミングだということがわかるでしょう。

                         

                        特捜部は「総合的に判断して(あっせん利得処罰法の)構成要件に当たらない」と説明していますが、元秘書2人は約1300万円ものワイロを受け取り、甘利氏本人も大臣室で50万円の現金をもらっています。これが犯罪でなくて何だというのでしょうか。弁護士の郷原氏が言うように「あっせん利得処罰法のど真ん中のケース」なのです。具体的に判断すれば、間違いなく犯罪が成立するところを、「総合的に判断して」不起訴にするのが今の政権の手口です。

                         

                         

                        「総合的に判断して」とは、「政権の意を汲んで」ということです。こういった人間たちが「法の支配」を強調するのですから、ジョージ・オーウェルの言う「新話法」、すなわちダブルスタンダードが当たり前になっていくでしょう。いや、政治のことばは常にダブルスタンダードだったのです。

                         


                        「ワイロを渡した人が『渡した』と言って録音テープまで残っている。もらった側も『もらった』と認めています。これで不起訴になるなら、今後、国会議員や秘書はカネをもらって、口利きのやり放題。あり得ない話でしょう」(民進党の山井和則国対委員長代理)

                         

                         

                        甘利氏はすでに不起訴が確定しているから、一連の捜査はこれで終わりです。それに比べて、09年に生活の党の小沢一郎代表が政治資金規正法違反に問われた「陸山会」事件では、秘書らは収支報告書の「記載ミス」だけで逮捕、起訴されて有罪となりました。

                         

                         

                        この時も当時の黒川官房長が“暗躍”したといわれています。そんないわく付きの人物が法務省事務方トップの事務次官になるということは、ゲシュタポ長官ヒムラーの誕生だといっても過言ではありません。この人事を取り仕切ったのは誰でしょう。安倍晋三氏と菅官房長官以外にいません。

                         

                         

                        国民の生命を危険にさらし、戦前・戦中と同じ「警察国家」「暗黒国家」への道を開いた、この二人の人物の顔をよくご覧ください。この顔の奥に福島第一原発の事故の教訓も、戦前戦中の暗黒時代の歴史も視野に入らない、空洞化した人格を感じるのは私だけでしょうか。

                         

                        原子力規制(推進?)委員長の田中俊一氏。

                         

                         

                        黒川弘務、新法務省事務次官

                         


                         

                        | 原発 | 00:03 | comments(0) | - |
                        電力会社は国家を食い物にするモンスターである。
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                          今度の参院選、一人区は野党共闘で一本化した候補者に投票します。結果的に民進党に投票することになりますが、やむを得ません。また政治の話題かと思わないでください。心底ウンザリしているのは私自身なのですから。

                          民進党は第二自民党であり、集団的自衛権を認める者をはじめとして、器の小さい、それゆえ姑息なことばかりしている政治家(わざわざアメリカまで行って共産党とは組めないと言い放つ細野豪志のような人間)が多いです。自民党より多少マシな政党というだけです。比例区は前にも述べましたが『国民怒りの声』に投票するつもりです。

                          私にとって、政治家の器を判断する基準は一つです。原発即廃炉を政治活動の原点に据えているかどうかです。それは以下の事実に基づいて導き出されたものです。

                          事実1:福島第一原発事故の賠償金で、東京電力は2016年4月までに約6兆円強の賠償金を払っている。

                          事実2:一方、東京電力は2014年に4270億円の純利益を出している。つまり、6兆円の賠償金を支払いながら、黒字になっている。

                          事実3:原子力損害賠償法は、国が保険会社を代行して、税金を財源として支払うことを定めている。

                          事実1〜3を見てください。「東電が原発事故の被害者に払っている賠償金6兆円」は、実は国が税金を財源に支払っているのです。つまり東電は「トンネル会社」にすぎません。その結果、東電は6兆円という日本の年間防衛予算を上回る巨額の賠償金を支払いつつ、黒字経営を続けることができます。


                          地震があろうが、火山が噴火しようが、免振重要棟がなかろうが、九電が「安心して」川内原発を再稼働させるのも当然です。過酷事故を起こしても、黒字経営が続けられるのですから。九電は「学習」したのです。


                          福島第一原発事故の賠償金を国民一人当たりに換算すると5万円です。ゼロ歳児から老人まで全員5万円です。4人家族なら20万円になります。もちろん失われた命も、故郷も帰ってきません。


                          「原子力損害賠償法」は、一定額(現在は1200億円)を超える賠償金は国が「援助」することができると決めています。1200億円、という数字と、6兆円という5年間に実際に税金から支払われた賠償金を比べてみてください。

                          しかも、その「1200億円」という損害賠償金額の上限も、民間保険会社がカバーします。それも、保険会社19社のプール機構が払います。民間保険会社が「原発事故の被害は巨大すぎて、保険商品として成立しない」と引き受けを拒否したからです。


                          その「原子力賠償責任法」は1961年にできました。その間、自民党以外に、社会党と自民党の連立政権、自社さきがけ連立政権、民主党と与党は交代しましたが、同法に手をつけた政党はありません。

                          しかし、3・11以降、この法律を放置しておくことは経済的にも社会的にもそして倫理的にも許されるものではありません。「国民の生命・自由・財産」を守ることが政治家の役目だとすれば、この国には政治家はいないことになります。それを危険にさらし続けているのですから。

                          「原子力賠償責任法」(原発事故を起こしても国が払う)「原子力災害対策特別措置法」(住民避難は国の責任で電力会社は免責)「電源立地開発促進交付金」の三つで電力会社は国家を上回る力を持つモンスターになったのです。なにしろ法律と国家予算が味方ですから。


                          安倍政権が瓦解して、自民党が下野しても「原子力損害賠償責任法」がある限り、日本国民は税金で福島第一原発事故の損害賠償金を払い続けなければならないのです。

                          もし「税金で福島第一原発事故の損害賠償金を払うのはイヤだ」「一民間会社である電力会社の尻ぬぐいをなぜ税金でしなければならないのか」と思うなら「原子力損害賠償責任法」の廃止を公約に掲げる政党に投票して、衆議院多数派にして、組閣させるしかありません。

                          もちろんその場合、政治家は税金以外の何を財源にするか国民に提示しなければなりません。この仕事をこなせる器を持った政治家がいるでしょうか。そもそも、そういった政治家を私たちは望んでいるのでしょうか。

                           
                          | 原発 | 23:03 | comments(0) | - |
                          引き返す勇気
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                            前回のブログでも述べましたが、数学において展開される論理はAならばBBならばCCならばDと続いていって結論Zにいたります。途中「ならば」が一か所でも間違っていれば、論理は破綻します。これは国境を超え、時代を超えて検証されます。つまり数学では、どんな命題も正しいか間違っているかのどちらかです。


                             

                            ところが1931年にオーストリアの数学者クルート・ゲーデルが「不完全性定理」を証明しました。簡単に言うと、どんなに立派な公理系があっても、その中に正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する、ということです。正しいか誤りかを論理的に判定できないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、ということをゲーデルは証明したのです。


                             

                            当ブログで推薦図書として挙げている、岡潔の『春宵十話』や小林秀雄との対談『人間の建設』の中でも触れられています。私は二十歳の時にこの本を読んで衝撃を受けました。「論理は世界をカバーしない」ということは分かっていましたが、数学の世界でもそうであれば、では一体論理とは何なのかと思ったのです。


                             

                            以来、政治家や学者、官僚、ジャーナリストが駆使する論理は自分の立場を正当化するための屁理屈に過ぎないのではないかと思うようになりました。2011年の3・11をきっかけに、この屁理屈が奔流となって一挙に噴き出しました。その惨状たるや、まともな神経の持ち主には耐えられないほど哀れで滑稽な姿でした。ところがテレビやマスコミで発言している人を見ると、どうやら本気で発言しているらしいことが分かって、私はさらに気が滅入ったのです。



                            3・11をきっかけにして、日本は終わったのだ、という感慨が押し寄せてきてどうしようもありませんでした。地面の亀裂からこの国の地金が見えたにもかかわらず、これからは、亀裂を埋めるべく官民挙げて必死の埋め立て工事が始まるだろうと予想しました。その先頭に立って「安全第一」と書かれた旗を振っている現場責任者が、政治家であり官僚であり御用学者でありマスメディアなのですから、これはもう悲惨を通りこして筋書きが見え見えの茶番劇でしかありません。


                             

                            とくに日本の官僚は優秀だと言われていましたが、その「優秀さ」の本質がさらけ出されました。数学の世界ではなく、現実社会で最も重要なことは、AならばBBならばCCならばDと論理を紡いでいく正確さではなく、「なぜ、前提としてAを選んだのか」ということです。


                             

                            前提が間違っていれば、それに続く論理が正確であればあるほど、結果は間違ったものになり、社会を破局へと導きます。福島第一原子力発電所の人災は、このようにしてもたらされたのです。


                             

                            もうお分かりだと思いますが、論理は「AならばB」の「ならば」にあらわれます。しかし、前提となるAを選択する場面では論理は用をなさないのです。Aを選択するのは、その社会が積み上げてきた「倫理」なのです。



                            ドイツが脱原発へ舵を切ったのは、社会に「倫理」が根付いていたからでしょう。当ブログ倫理を排除したつけは、誰が払うのか」http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=156 の中でも述べましたが、報告書は、リスクを抱えた原発の利用に「倫理的根拠はない」と結論づけたのです。 (メルケル連邦首相諮問委員会 「倫理委員会〜安全なエネルギー供給」報告書)


                             

                            つまり、「論理」の前に「倫理」がなければならないのです。「倫理」あっての「論理」です。注意して下さい。日本の評論家や思想家と呼ばれる人の中には「正義」や「倫理」を毛嫌いし、バカにする人が多いのです。彼らがどうやってそのような人格を形作ったかは、また別の機会に詳しく述べようと思います。


                             

                            では、論理の「前提となるA」を選ばせる倫理の本質は何でしょうか。それは私がブログで再三述べてきた「普遍的な感情」です。その中身はいわく言い難いのですが、それを体現している人間なら、マハトマ・ガンジーやネルソン・マンデラをはじめとして、私たちの周りにもたくさんいます。


                             

                            京大の原子炉実験所の助教をしていた小出裕章氏もその一人です。猛烈な人格攻撃にさらされましたが、彼は淡々と真実を語りました。私が何よりも彼を評価するのは、原子力に夢を託して学者としての人生を歩み始めたにもかかわらず、過ちに気づいて途中で引き返したことです。


                             

                            人間は過ちを犯します。大切なのはその時どういう行動をとるかです。小出氏にも葛藤はあったはずです。でも彼は敢然として踵を返したのです。勇気とはこういう行動を指します。彼は「生活がある」ことを言い訳にしませんでした。彼の中にも「普遍的な感情」を見出すことができます。次回のブログでは、勇気の意味が分からず、嘘と妄想で人格を満たした人間たちをとりあげます。

                             

                            | 原発 | 21:37 | comments(0) | - |
                            倫理を排除したつけは、誰が払うのか。
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                              モーツアルトの曲がなぜ美しいのかを論理的に説明することはできません。ましてや、美しいと感じる科学的根拠をあげよという人がいたら、顰蹙を買うか、無視されるだけでしょう。あるいは、ある人の行ないがなぜ「卑怯」なのかを、科学的根拠を用いて論理的に説明することもできません。「なぜ人を殺してはいけないのか」「不倫は罪なのか」といった問題も同様です。


                              つまり、日々の生活のなかで、ほとんどの人が出会う人間にまつわる諸問題を解決するのに、論理や科学は役に立たないということです。逆に論理や科学が役に立つのはきわめて限られた分野だけだということを忘れてはなりません。


                              原発を再稼働させるかどうかという問題は、私たちのいのちと暮らしに直結する問題であるばかりでなく、将来の世代に対する責任の問題でもあります。こういった本質的に倫理的な問題を議論する際には、論理や科学はいったん後景にしりぞくべきです。


                              もし日本が歴史と文化に見合った、政治的に成熟した国であれば、私の言うことなどごく当たり前の常識として受け入れられるはずです。現にドイツは福島第一原発事故からわずか100日で「脱原発」を決議しました。


                              この英断に重要な役割を果たしたと言われているのが「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」です。 福島の原発事故から10日ほどしか経っていない頃にメルケル首相が設置しました。いわゆる「賢人会議」です。17人の委員のうち、原子力業界の関係者はおらず、社会学者や哲学者、キリスト教関係者らなどから構成されていました。メルケル首相の諮問委員会であるこの委員会の報告書がドイツの脱原発法案の基礎になったのです。


                              この報告書には、再生可能エネルギーなどの具体的な提案のほか、「フクシマ」の大災害へのショックが綴られ、原発、核エネルギーに対して「倫理的根拠から」という文言が何度も登場します。「将来のエネルギー供給及び核エネルギーに対する倫理的評価に必要な鍵となる概念は、資源や自然環境を保ちながらの『持続性』と『責任』である。」 「倫理委員会は、エネルギー転換をなすべく人類としての責任でこの委員会報告書の結論を提示する」。 そして報告書は、リスクを抱えた原発の利用に「倫理的根拠はない」と結論づけたのです。 (メルケル連邦首相諮問委員会 「倫理委員会〜安全なエネルギー供給」報告書)


                              「倫理」ということばは、ドイツ国民はもとより、政治家にとって何よりも重い意味を持ちます。 それは、アウシュビッツの経験がもたらしたものです。


                              原発事故から5年以上が経過したこの国で、「倫理」という視点から原発が語られたことがあったでしょうか。もちろん、原発に反対するデモや集会は、「倫理」という言葉を使わなくても、そういった視点からの問題提起でした。しかし、実際のエネルギー政策を決める場で、「倫理」を巡って本格的な議論が行われた事実はありません。


                              福島第一原発の事故を経験した後でさえ、この国の政治家も国民もついに「倫理」的な目覚めを経験することはありませんでした。それどころか、安倍政権や財界などから聞こえてくるのは「経済」つまり「金儲け」の話ばかりです。


                               地震の頻発するこの国で原発を「粛々と」再稼働させ、今一度、原発震災を経験しなければ国民は目覚めないのでしょうか。しかしそうなったときはこの国は終了しています。「倫理」によって原発が止まるドイツと、「経済」によって止まらない日本。倫理を単なるお題目だとか、理想論だ、感情論だとして排除したつけは、大きな代償となって私たちと将来の世代が払わなければならないのです。

                               
                              | 原発 | 00:38 | comments(0) | - |
                              セレンディピティについて
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                                セレンディピティということばがあります。幸運と呼ぶしかない偶然に出会ったり、思いもかけないものを発見したりすることをいいます。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけることを指します。

                                考えてみれば、私でも何とか生き延びてこられたのは、幸運な偶然によるところが多いと痛感しています。人間の意思や努力の大切さはわかっていますが、それを超越したところで人生は左右されているような気がします。

                                今日の午後、用事を済ませ、簡単な昼食をとった後、ジュンク堂書店に立ち寄りました。エレベータを降りて右手に10mほど行くと建築のコーナーがあります。建築関係の新刊書があるか探していると、一冊の本が目に飛び込んできました。『偶有性操縦法・磯崎新・何が新国立競技場問題を迷走させたのか』という、小難しい題名の本です。磯崎新氏については今さら説明はいらないでしょう。建築を哲学的観点から考えることにおいて、彼はずば抜けた才能を持っています。

                                その本の目次を見て、買おうと思い、最初のページを開いて私は衝撃を受けました。そこにはまさに今私が考えていたことが書かれていたのです。しかも明晰なことばで。彼の本は数冊読んだだけですが、最初の出会いはいつもこんな風です。

                                2011年9月に書かれた文章だということを忘れずにお読みください。

                                引用開始

                                「津波は私の思考の、いや存在のはじまりにあります。といっても3・11の大津波ではありません。いつ頃のことか正確にしらべたことがないのですが、わが家のいい伝えでは、歌舞伎の『地震加藤』の頃となっています。それまでは瀬戸内海の西のはずれ、別府湾のなかに瓜生島というかなり大きい島があったらしい。現在は消えています。こどものころに古地図をみたことがあります。本家筋の幸松家でみました。この島の中央に幸松、東端に磯崎という地名がかかれていました。おそらく漁師だったのでしょう。




                                別府湾に浮かぶ瓜生島の古地図



                                瓜生島はある日、地震の後、海水が引いていって、南側の府内(いまの大分)と一瞬陸続きになり、このとき島民は歩いて高台に避難した。私の先祖もその一人だったのでしょう。海水が津波になって返ってきた後、島が消えていた、といういい伝えです。いま大分市内に瓜生寺(威徳寺)という寺院があり、その境内に一本の這松があります。これは津波で島から流されてきたといわれています。」

                                「津波で消えた瓜生島の伝説の一つを私は子供の頃聞かされました。この島には島民の信仰を集めた地蔵菩薩があり、その顔が赤くなると、島は沈む、といういい伝えがあった。悪ガキがいて、この迷信で騒がせようと、ある夜菩薩像の顔に朱を塗った。島民は驚きあわてて避難したけど、悪ガキは自分のしたことだとせせら笑って島に残った。島とともに彼の姿は消えた、という話です。

                                いろんな説明はつきますが、いま私がこのフォークロアから教訓を得るとすれば、「逃げろ!」ということです。予兆でも予測でも、予感でもいい。「逃げろ!」です。私の先祖はそうやって生きのびたらしい。いま私が生存しているのは先祖のひとりが非科学的・非論理的で単純でおろかしいが生きのびようと判断をして、避難できたからといわざるを得ない。

                                アーキテクトの仕事を長年してくると、私は悪ガキと同じ立場に居させられたと言わざるを得ません。迷信をあざ笑い、その反証をやってみる。それが今日の科学者のやり方ではないですか。原発の安全神話に加担した科学者たちは、この悪ガキのシニシズムを共有していたにちがいあるまい。


                                瓜生島は中央構造線上にあった。ここが動いて瓜生島は沈んだ。伊方原発はひとたまりもない。



                                アーキテクトはテクノロジーを発動させる点において基本的に同じ役柄です。テクノクラートも同様でしょう。それが〈生政治〉における統治の技法になっている。いまでは国家戦略の立案や実行をやっている。アーキテクトは宿命的に社会的中心権力の側にいるのです。彼は迷信を信じてはいけないと自ら信じている。こんなメンタリティが構造的に生まれていると考えられます」 引用終了。

                                長い引用になりました。彼の本を書き写しながら、私はただ宮崎駿監督のことが思われてなりませんでした。このことはまたいつか。私の読書はかくのごとく、セレンディピティのたまものなのです。いや読書だけではなく、人生そのものも。
                                 

                                 
                                | 原発 | 22:58 | comments(0) | - |
                                私は百姓の子であり、瑞穂の国の住人です。
                                0
                                  パナマペーパーに見られるように、巨大な犯罪ほど合法の名のもとに遂行されます。税の公平性・公開性に反していようが、民主主義の根幹を破壊しようが、「違法ではない」という言い訳が準備されています。菅官房長官は「調査するつもりはない」と早々と宣言しました。思えば、人類史上最悪のナチスの政権も合法的に誕生した政権でした。

                                  同様に、真の狂気も、
                                  誰が見ても狂気だとわかるような外見をまとってはいません。ナイフを片手に群衆に襲いかかったり、車を暴走させて通行人を無差別に殺すといった犯罪の形をとりません。

                                  それは、一見知的で学者のような風貌をした人間を宿主として寄生し、卵をたっぷり産みつけます。そして、確率論と統計学を駆使し、科学の名のもとに自ら下した判断こそが合理的で客観的であると宣言します。つまり、市井の人間の常識も素朴な感情もはいりこむ余地のない「理性」だけになった精神状態を狂気というのです。

                                  18日、原子力規制委員会の田中俊一委員長は記者会見で「科学的根拠がなければ、国民や政治家が(川内原発を)止めてほしいと言ってもそうするつもりはない」「(川内原発の)運転を続けても問題ない」という見解を示しました。
                                  「科学的根拠」というまじないを唱えれば、「国民や政治家」の上に君臨できるとでも思っているのでしょうか。彼は一体どこの国の住人なのでしょう。

                                  彼の言う科学的根拠とは、川内原発で観測された地震の揺れの加速度は最大で8.6ガルで、原子炉を自動停止する基準の1つになっている160ガルを十分下回り、異常がみられないこと。また川内原発の地震対策は、一連の地震より十分大きな規模の揺れを想定していることをあげています。

                                  これを聞いて、私は椅子から転げ落ちました。最近は椅子にちゃんとすわっている暇がありません。尾てい骨にひびが入りそうです。これって、福島第一原子力発電所の事故前の、安全神話そのものではありませんか。

                                  今回の熊本地震の最大加速度は益城で観測された1580ガルでした。
                                  http://goo.gl/sIGaMA 川内原発の耐震性能基準規制値の620ガルをはるかに上回るものです。

                                  今回の地震で生じた1,5メートルの段差。これが川内原発の直下で起こっていたらどうなっていたか。行政の最高権力者に想像力が欠けていれば、私たちは殺される運命にあるのかもしれない。




                                  ちなみに2008年6月に起きた岩手宮城内陸地震は4000ガルを超えています。これを受けて福井地裁の樋口英明裁判長は、原発を再稼働させるなら4000ガルの揺れに耐えられるような設計にしなければならないとして、大飯3・4号機の再稼動を差し止める判決を出したのです。

                                  田中俊一委員長の言う科学的根拠とは「私はネコのほうがイヌより知能が高いという論文を書きました。その科学的根拠は、私はネコのほうが好きだからです」と宣言しているようなものです。益城で観測された1580ガルの揺れが川内原発を襲っていたら、とは考えられないのです。ましてや4000ガルの揺れは起こらないとどうして断定できるのでしょうか。これはもはや科学的根拠というよりも、運よく地震が起こらないことを祈る新種の宗教でしょう。

                                  この宗教の教義は、政策的に追い詰められた者たちに急速に感染する性質を持っています。その感染経路を拡大させる役目を担っているのが、「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と断言して原発の安全性を語っていた東大の大橋弘忠教授や、「福島の原発事故は、いのちの問題ではなく、純然たる経済問題だ」と叫ぶ、池田信夫のような経済評論家たちです。

                                  それが時の最高権力者に感染すると、野党の政治家(民進党は20日に行った熊本地震に関する政府への申し入れに、川内原発の運転停止の要求を盛り込むことを見送りました)にも、国会にも、司法にも感染が拡大します。そして、またたく間にその取り巻きにも広がります。こうして日本の支配階級は「理性」だけで政策決定をする狂気の集団と化したのです。

                                  次は教祖による国民の洗脳です。国民にパンとサーカスを与えて真実を隠蔽し、隔離した環境に置いて知識や情報分析によってけむに巻き、普通の人間の素朴な感情を徹底的に否定します。個人が心の拠り所にしていた価値観や倫理観を破壊し、心身を疲弊させたところで、刷り込みたい価値観を空白になった心に一気に植えつけるのです。

                                  まるでブラック企業の新人研修です。新入社員をしごくと、実際、雇用側が望むような効果があるそうです。組織に加入するために苦痛を味わうと、その組織には苦痛に見合うだけの価値があると思いやすくなります。カルト宗教の入信の儀式と同じです。

                                  かくして日本の「エリート」たちによるカルト教団が誕生しました。この教団内では、東大を頂点とする大学のヒエラルキーが威力を発揮するのは、ご存じのとおりです。内輪で修行に励むのは構いません。しかし、その教義が、自分たちの特権を維持し金儲けに役立つのなら国民の命や国土をも犠牲にしてよい、というものであれば、心ある国民は黙っているわけにはいきません。この教団の本質を見極め、洗脳を解くために戦わざるを得ません。問題はそれだけの時間が残されているかどうかです。

                                  しかし、明日この国が滅びるとしても、私は稲を植えようと思います。私は百姓の子であり、瑞穂の国の住人ですから。

                                   
                                  | 原発 | 23:40 | comments(0) | - |
                                  結果オーライが国を滅ぼす
                                  0

                                    もしあなたのこどもが目隠しをしたままで1km先のゴールまで歩かなければならないとします。途中至るところに無数の大きな穴が開いています。落ちれば命はありません。しかし、あなたは大声で叫ぶことも、物を投げて警告することもできません。理不尽さに身もだえしながら、ただ見ているしかありません。こどもが無事にゴールしたとき、あなたは恐怖と緊張から解放されてその場にしゃがみ込むことでしょう。
                                     

                                    なぜあなたのこどもは無事にゴールできたのでしょうか。頭がよかったからでしょうか。危険を察知する能力があったからでしょうか。違います。ただ運が良かっただけです
                                     

                                    さて、5年後にあなたのこどもが再び同じ条件で、このコースを歩かなければならないとします。前回と同じように傍観するしかないのでしょうか。しかも、このコースを歩かなければならないのは、あなたのこどもだけではありません。数千、数万人のこどもが後に続くことになっています。
                                     

                                    猶予は5年間しかありません。あなたはあらゆる人や組織に働きかけ、穴を埋める作業に着手するでしょう。これがまともな人間のすることです。傍観すれば動物と同じです。これは本来なら政治がやるべきことです。そのために私たちは政治家を税金で養っているのですから。
                                     

                                    ある政治家は、穴を埋めることなど、わが国の技術力をもってすれば数週間もあれば可能だと豪語します。その一方で、この工事による業者からのキックバックや集票効果を計算します。そして、いざ工事に取り掛かったところで、彼らはある事実に驚愕します。一つの穴の深さが数十キロメートルもあることが判明したのです。残された時間で埋めることは不可能です。こどもたちは目隠しされたままで、断崖絶壁の上を歩かなければなりません。
                                     

                                    これは単なる比喩ではありません。4月14日に熊本県熊本地方で最大震度7(マグニチュード6.5)の地震がありました。私は瞬間的に、九州電力の川内原子力発電所を心配しました。もし今回の地震が川内原子力発電所の直下で起こっていれば、第二のフクシマどころか、圧力容器が破壊されて放射能が漏れ出し、西風に乗って瀬戸内海を北上し、関西地方へ到達していた可能性がありました。そうなれば西日本は壊滅です。今回、川内原発の周辺で大きな揺れがなかったのは運が良かっただけです

                                    地図をご覧ください。運が良かっただけだということが分かると思います。まるで、原発を避けるように、九州のど真ん中で起きた地震。もう充分に警告は発したぞ、と神様が言っているようです。


                                     

                                    日本のあちこちにぽっかりと口をあけている原発という「穴」を埋める作業に早急にとりかからなければなりません。日本は地震列島です。どこでも大きな地震は起こります。活断層があれば、岩盤がずれ、どれほど堅牢な建造物でも破壊されてしまいます。これは仮定の話ではありません。私たちはすでに福島第一原子力発電所の事故を経験しているのです。
                                     

                                    にもかかわらず、九州電力は今回の地震があった時、川内原子力発電所を停止していません。3・11の大震災で震度4の余震が起こったとき、震源から200km離れている青森の東通原発は冷却機能を喪失しました。九州電力の危機感の無さには呆れ果てる他ありません。安倍官邸と、この電力会社はもはや反社会的であり、非常事態に対応できないことを露呈したのです。
                                     

                                    反社会的といえば、熊本で最大震度7の地震が起きたとき、ちょうど、BSフジのプライムニュースに櫻井よし子氏が出演して、核武装論を主張していました。「核弾頭ミサイル、核弾頭ミサイルを搭載した潜水艦が必要だ」と。
                                     

                                    地震列島日本で原発を稼働させるのは狂気です。その狂気を生みだしているのは、カネと核兵器にとりつかれた妄想的宗教団体に属する「合理的な」愚か者たちなのです。

                                    | 原発 | 13:05 | comments(0) | - |
                                    私たちは政府によって緩慢な死を強制されている
                                    0

                                      民主主義国家において、国家が国民に「死ね」と言うことはできません。なぜなら、主権者である国民が自らに死を強制することなどあり得ないからです。しかし、国民の命にかかわる重大な変更、つまり憲法で定められている不戦の誓いを、一内閣の閣議決定でくつがえし、数の力で法制化したのが安倍内閣なのです。
                                       

                                      おかげで私たちは、テロの脅威ばかりでなく、戦争準備体制により経済的破綻にさらされることとなりました。何を極端なことを言っているのか、と思われるでしょうか。私は鈍感な人間だという自覚があります。天下国家のことを語るのはもともと好きではありません。そういった人間でさえ、沈黙することは罪だと感じるのが今の政治状況です。
                                       

                                      戦争やテロによって国民の命が危険にさらされていることは、ある意味分かりやすいとも言えます。しかし、福島の原発事故以降、私たちは政府の無為無策と無責任体制によって緩慢な死を強制されているのです。
                                       

                                      棄民化されたのは原発周辺の人々だけではありません。今や国民すべてが棄民化されています。疑う人は、以下の動画をご覧になって下さい。

                                      尚、この動画は何度も削除されています。山本太郎氏はそれほど政府にとってはマズイ質問をしているということです。あなたが生き延びたかったら、是非この動画を記憶して下さい。

                                       


                                       

                                      山本太郎氏が「すべてがつながっているんです」と思わず発言するシーンがあります。その通りですね。忘れてならないのは、「すべてをつなげている」主体があるということです。そして、このつながりを切断できるのは誰か?答えは明瞭です。

                                      | 原発 | 07:44 | comments(0) | - |
                                      私たちはどちらの側に立つのか
                                      0

                                        私たちはどちらの側に立って生きていくべきか。現代ほどそれが問われている時代はないと思います。単純な二項対立ではありません。苦汁を舐め、絶望を経験した後の二項対立です。
                                         

                                        3・11以前は、いずれ覚める夢だとしても、経済成長という夢にすがっていればよかった。しかし、幸か不幸か私たちはこの国の根幹を揺るがす未曾有の災厄に遭遇したのです。日が経つにつれてその本質は人災であることが明らかになりました。夢から覚めて、苦い後悔とともにはっきりと自分の生き方を選択せざるを得ない時代を私たちは生きています。日々の暮らしの中のささいな選択も、自覚的でなければ、自分のものではない誰かの人生を生きることになります。

                                        福島の原発事故を歴史的展望の中に置いて検証した日本国民必読の書。事実を丁寧にフォローし、事実をして語らしめる。読み終わった後、深いため息をつかずにはおれない。わずか50年の歴史をさかのぼることすらできないこの国の学会やマスメディア、ジャーナリズム。いかに頼りないように見えても、私たちは自分の足で立つしかないことを思い知らされます。寄らば大樹の陰の時代は終わったのです。


                                         

                                        来るべき夏の参議院選挙の争点は単純明快です。私たちは以下に述べる二つのどちらの側に立つのかということです。
                                         

                                        第一の立場:関西経済連合会の角和夫副会長(阪急電鉄会長)や関西電力の八木誠社長の立場。
                                         

                                        彼らは関西電力高浜原発3,4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定について次のように述べています。
                                         

                                        角和夫氏「なぜ一地裁の裁判官によって、国のエネルギー政策に支障をきたすことが起きるのか」「こういうことができないよう、速やかな法改正を望む」「憤りを超えて怒りを覚える」と発言。
                                         

                                        角氏は自分の言っていることが分かっているのでしょうか。私利私欲に目がくらみ、国が決めた政策を絶対視する経済界の単なる一私人が、その立場を忘れて、憲法で保障された三権分立を否定しているのです。関西経済界のドンと言われて何か勘違いしているのでしょう。人格が空洞化したネトウヨの皆さんが自我を国家に重ねて肥大化させたのと同じです。ドンにふさわしく自分の存在を大きく見せようとする小児病です。脱原発を一瞬叫んだ橋下徹が、さっさと方針を引っ込めたのも、角氏の側に付く方が有利だとそろばんをはじいたからです。
                                         

                                        八木誠氏「上級審で逆転勝訴した場合、(申し立てた住民への)損害賠償請求は検討の対象になりうる」と発言。
                                         

                                        これに対して関電広報室は「損害賠償については現時点では何も決まっていない。今回の申立人を恫喝したり、牽制したりする目的で申し上げたものではない」との談話を出しました。関電広報室は八木氏の発言が「恫喝」であり「牽制」であると認識しているからこそ、このことばを使ったのです。八木氏の発言の真意(恫喝と牽制)を解説し、それを否定することで結果的に重ねて「恫喝」し「牽制」したのです。
                                         

                                        これぞ「スラップ訴訟」と呼ばれるもので、米国では50州のうち25州にSLAPP被害を防止する法律があります。SLAPPとはstrategic lawsuit against public participation の略です。文字どおり「市民参加を排除するための戦略的訴訟」を意味します。詳しくはウィキペディアをご覧ください。なお、八木氏の発言を支持し、関電は決然として原告住民を訴えるべきだというケーザイヒョーロンカの池田信夫のような人もいます。
                                         

                                        以上要するに、国民が働いて蓄積した富を、権力にものを言わせて独占し、国民のいのちと暮らし、この国の文化や歴史や自然、さらには国土をも犠牲にしてかまわないと考える立場です。
                                         

                                        第二の立場:2014年の春、大飯原発3、4号機の運転差し止めを求めた訴訟で、福井地裁の樋口英明裁判長が下した判決の立場。
                                         

                                        「被告(関西電力)は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。
                                        被告の主張においても、本件原発の稼働停止による不都合は電力供給の安定性、コストの問題にとどまっている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」
                                         

                                        以上述べた二つの立場のうち、私たちはどちらの側に立つのか。難しい選択ではありません。当ブログ『バカじゃねえのか!この国は』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=132
                                        の中の樽川和也さんの言葉が全てを表しています。樽川さんの言葉を無視する立場に立つのか、それとも共感する立場に立つのかということです。それを選択することこそが今度の選挙の意味です。

                                        | 原発 | 23:09 | comments(0) | - |
                                        失せたるものの面影の上に
                                        0

                                          今ひとたび

                                          立ちあがりゆく

                                          村むらよ

                                          失せたるものの

                                          面影の上に

                                           

                                          これは美智子皇后が2012年、震災の翌年に詠んだ「復興」と題する歌です。

                                           

                                          その年の1月1日、天皇陛下は新年のおことばで次のように述べます。

                                           

                                          「昨年は春には東日本大震災が起こり,夏から秋にかけては各地で大雨による災害が起こり,多くの人命が失われ,実に痛ましいことでした。また,原発事故によってもたらされた放射能汚染のために,これまで生活していた地域から離れて暮さなければならない人々の無念の気持ちも深く察せられます。」(2012年)

                                           

                                          おことばは続きます。
                                           

                                          「東日本大震災から2度目の冬が巡ってきました。放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。」(2013年)
                                           

                                          「東日本大震災から3度目の冬が巡ってきましたが,放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々など,年頭に当たり,被災者のことが改めて深く案じられます。」(2014年)
                                           

                                          「昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。」(2015年)

                                          そして今年、平成28年3月11日、東日本大震災5周年追悼式でのおことば。

                                           

                                          「東日本大震災から5年が経ちました。ここに一同と共に,震災によって亡くなった人々とその遺族に対し,深く哀悼の意を表します。5年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は,決して忘れることができないものでした。(中略)地震,津波に続き,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染のため,多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが,今なお,自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。(後略)」
                                           

                                          以上のように、天皇陛下は節目の挨拶の中に必ず原発事故による「放射能汚染」ということばを入れています。戦争の記憶が風化するのと同じように、原発事故が風化することへの意識的な抵抗だと思います。特に2012年の最初のおことばは、2011年12月16日、民主党の野田佳彦総理が「原発事故収束宣言」を出したわずか2週間後に述べられたものです。
                                           

                                          しかし、NHKをはじめとするマスメディアは、天皇陛下が放射能汚染」ということばを使った個所を過去一度も放送したり取り上げたりしていません。まるで腫れ物にでも触るかのように。
                                           

                                          その安倍総理の追悼式での挨拶は「被災地ではいまだに多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のために住みなれた土地に戻れない方々も数多くおられます。一歩ずつではありますが、復興は確実に前進しています」といったあたりさわりのないもので、「放射能汚染」ということばは一度も登場しません。一体どちらが総理大臣なのでしょうか。
                                           

                                          一方では「復興は確実に前進しています」と言いながら、他方では原発の再稼働を進める。彼の頭の中では、この二つは矛盾なく両立しているのでしょうね。何という倫理的な退廃!

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