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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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舞子ちゃん、ブラボー!
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    舞子ちゃんとは、大分地裁・武智舞子裁判官のことです。去る3月7日、伊方原発運転差し止め訴訟の判決で「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」と平然と言い渡した裁判官である。平然というのはお前の主観だろう、という人がいるかもしれない。しかし、根拠がある。それは次回のブログで書く。

     

     

     

    判決を聞いたとき私は立ち上がって次のように叫びたかったのだ。しかし、判決から5秒後、私は即座に席を立ち、法廷を後にした。

     

     

     

    「舞子ちゃん、ブラボー!素晴らしい。あなたの母ちゃんも、父ちゃんも、じいちゃんも、ばあちゃんも、舞子よくやった!立派な判決だ!とほめてくれるれるだろう。日本国憲法第76条3項には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と謳われている。今回、あなたが公にしたあなたの良心は後世に残るのだ。おめでとう!」

     

     

     

    報道では「大分地裁の判決」と言われているが勘違いしてはいけない。大分地裁で働く国家公務員・武智舞子が下した判決である。

     

     

     

    今から6年前、同じく大分地裁・佐藤重憲裁判長が伊方原発差し止め却下の判決を下した時、私は記事の中で次のように書いた。

     

     

    「今回、佐藤重憲裁判長が、四国電力といわゆる原子力ムラの言い分をそのまま追認しただけの決定しか下せなかったのは、匿名のシステム(この場合裁判所という組織を指します)に逃げ込んで裁判官個人としての「良心」や見識を世に問うことが怖かったからです。既成事実を追認するだけの勇気のない裁判官などいりません。追認するならせめて後世の批判に耐えられるだけの論理と根拠を明確に示してもらいたいものです。」と。

     

     

    大分地裁佐藤重憲裁判長、伊方原発差し止め却下。

    https://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=520

     

    大分地裁裁判長への意見陳述書。

    https://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=426

     

     

    今回、武智舞子氏が下した判決が世間にどのような影響を及ぼすのか、一見まともに見える言説や生き方の中に卑怯で勇気のない大人の論理がどのように忍び込んでいるのか、については次回のブログで述べる。

     

    | 原発 | 12:45 | comments(0) | - |
    最後の裁判所通い。
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      裁判所通いを始めて早いもので7年が経過した。今日は伊方原発運転差し止め訴訟の最終弁論の日。もう裁判所に通うこともない。コロナ禍を挟んでやっとここまでたどり着いた。

       

       

      原告のほとんどは70代だ。判決は来年の3月。入廷前の雑談から、癌になった人や、癌で手術をした人が多いことを知った。判決を待たずして亡くなる人もいるかもしれない。そんなことを考えていると、後ろから肩をたたかれた。疾風自由日記のSさんだった。お互いよく頑張ったものだ。

       

       

      令和5年6月15日の大分地裁前。

       

       

       

      ところで、日本全体の電源構成のなかで原発が占める割合を知っているだろうか。今年になってある知り合いに質問したところ60%〜70%くらいじゃない?という返事だった。

       

       

      以下のグラフが示すようにわずか4,3%に過ぎない。原発がなくても電力供給には全く支障がない数字だ。

       

       

      日本全体の電源構成(2020年速報) 出所:電力調査統計などよりISEP作成

       

       

      以下は今年の2月に大分市のコンパルホールで行われた「伊方原発をとめる大分裁判の会」主催の大島堅一さんの講演会の様子。私の右も左もご覧のようにぎっしり満員だった。

       

       

       

       

      大島氏は、原発のコストが最も安いと人々が思い込まされていた時に、そしてマスコミがそれを垂れ流していた時に、『原発のコスト』(岩波新書)を書いて、それが全く根拠のない誤りであることを指摘した学者だ。

       

       

       

      余談だが、私は一定の制限付きで、つまり自然や人間をズタズタにしない限りで、資本主義を肯定する。しかし、原発は人類を破滅に至らせる悪魔的なシステムである。私たちが生き延びたければ、そして子供や孫たちの幸福を願うなら決別するしかないテクノロジーだ。

       

       

       

      以下の動画で、大島氏は現在の原発をめぐる状況と、これから原発がたどる運命を端的に、ユーモアたっぷりに説明している。知性とはユーモアの別名だ。そのことを確認するためにもぜひご覧ください。そして元気を出しましょう。

       

       

      大島堅一さん講演会1

      https://youtu.be/UKXHr1Qh4t8(約28分)

       

      大島堅一さん講演会2

      https://youtu.be/Du6MT-mDCVc(約32分)

       

      大島堅一さん講演会3

      https://youtu.be/h2uXXmUl3Yk(約24分)

       

       

      | 原発 | 21:37 | comments(0) | - |
      「原告側証人尋問」を傍聴する。
      0

        昨日は伊方原発差し止め訴訟「原告側証人尋問」を傍聴するために大分地裁へ行ってきました。今回は本裁判の最大の山場で、地裁で一番広い法廷が満員になりました。足掛け6年にわたる裁判もいよいよ大詰めです。

         

         

         

        9時30分に地裁に集合するために、午前9時前に家を出発。9時50分開廷。お昼休みをはさんで終わったのは午後5時前。長丁場でした。前日は睡眠不足だったにもかかわらず、最後まで集中して傍聴することができました。

         

         

         

        横断幕の中央にいるのが原告側証人・京都大学名誉教授の芦田譲氏。その左のバックパックの方が福島生業(なりわい)訴訟の原告団長・中島孝氏。一番左が松本文六氏。杖をついての参加です。6年が経てば、原告団も高齢になっています。行進する前に、中島孝氏の「福島から遠く離れた大分の地で裁判を起こされている方々を尊敬し感謝している」との簡潔で力強い挨拶がありました。

         

         

         

         

        横断幕をたたんで、いざ法廷へ。真ん中が徳田靖之弁護士、その右側が芦田譲氏。若い人たちは仕事や学校で忙しいので、私たち年配者が代わりに頑張るしかありません。

         

         

         

        10時から始まった原告側証人尋問の一人目は、福島生業訴訟原告団長の中島孝さんでした。遠く福島から大分に来て下さいました。

         

         

         

        大分空港から見える海や山の風景を前にして、大分が福島同様、自然の恵み豊かな土地であることを実感されたそうです。関アジ関サバを始め美味しい魚が取れる豊かな漁場があり、農業、特にミカン栽培や林業、畜産も盛んな大分を原発事故で失わせてはならないと証言して下さいました。

         

         

         

        中島氏は南相馬で鮮魚店を経営しているので、原発事故によって被った漁業の被害や地域の分断、国や東電の理不尽な復興策、補償を身をもって経験しています。弁護士の尋問にも、歯切れよく、論理明快に答えていました。やり場のない怒りによって、倫理的で聡明な一種劇的な人格になったのだと思います。

         

         

         

        原告側証人尋問の二人目は、京都大学名誉教授の芦田譲さんでした。社団法人物理探査学会会長、経済産業省国内石油・ 天然ガス基礎調査実施委員会委員長等を歴任された、物理探査の第一人者というべき専門家です。

         

         

        芦田さんは、2000 年代の初頭から、原発の安全性に直接影響する原発敷地周辺のより正確な地下構造形態を把握するために三次元探査を行うべきだと言い続けてこられました。

         

         

         

        中央構造線による地震のリスクが高い伊方原発3号機の耐震安全性を確認するには、敷地及び中央構造線における三次元地下探査が不可欠ですが、伊方の地質調査ではそれが行われないまま、規制委員会は合格を出してしまいました。四国電力は不十分な地質調査のままで審査に合格し、運転を続けてきたのです。

         

         

         

        なぜ規制委員会はOKを出しているのか。 それは地下構造が平らな時には二次元によるデータでもよい、という例外規定に基づくのですが、より高度な三次元地下探査が行われなければ、実態を把握したとは言えません。これは中学生でもわかることです。

         


         

        芦田氏曰く、

        「医療に例えれば、二次元はエックス線撮影。三次元はコンピュータ断層撮影(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)。どちらがより詳しく体内を調べられますか?」

         

        「なぜ調べる前から、地下が水平だとか均質だとか分かるのか」

         

        「私はどこの政党にも属さない。ただ、原発に賛成、反対という前に、地下の構造を十分に調べ、把握してから議論すべきじゃないのか、という思いで言っているんです」

         

         

         

        休廷時間に裁判所の隣の知事公舎跡地で聞いた生業訴訟の馬奈木弁護士の話にも胸を打つものがありました。法廷に戻ってからの四国電力の反対尋問は、証人の揚げ足取りばかりでした。

         

         

         

        今回の裁判を傍聴して感じたことがあります。私たちの社会は、国(権力)や東電(富者)に象徴される現在の社会を成り立たせているものを否定すること、つまり否定性を本質とせざるを得ない運動に対してきわめて不寛容だということです。なぜなら、この否定性こそが身分制をなくし、近代社会を実現し、民主的な社会を実現してきた原動力であることにうすうす気づいているからです。

         

         

         

        その結果、反対ばかりしていてもなにも生み出さない、といった言説がマスコミやSNSを通じて拡散され、カルト政権・ネトウヨ国家を作り上げたのです。つまり、私たちが遭遇しているのは、単なる否定主義ではなく、否定性を乗り越える新たな否定性をいかにして作り上げるのかという歴史的な難問なのです。

         

        | 原発 | 14:23 | comments(1) | - |
        何度でも言います。
        0

          以下は本日2022年、10月12日の共同通信の記事です。

           

           

          「愛媛県は12日、四国電力伊方原発(同県伊方町)の事故に備えた防災訓練を実施した。住民や関係機関の計約2万人が参加。震度6強の地震が発生し、原発から放射性物質が放出されたとの想定で、情報共有や住民避難の手順を確認した。

           

           内閣府や広島、山口、徳島、香川、高知、大分各県が参加。愛媛県は訓練として災害対策本部を設置し、中村時広知事が「国や他県、自衛隊と連携し住民の避難に万全を期す」と県庁で述べた。

           

           伊方町では、県などがドローンを飛ばして上空から被災状況を確認する訓練を実施。さらに、消防防災ヘリコプターとの衝突を防ぐため、ドローンを退避させる実証実験も行った。」

           

           

          感染拡大防止のため間隔を開けてバスの席に座る訓練参加者=愛媛県伊予市の伊予灘SAで2020年10月22日午前11時43分撮影

           

           

          以下は海路で、愛媛から大分へ避難する人たち。(大分合同新聞社より)

           

           

          何度でも言います。

           

          原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練です。

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=109

           

          上の記事は6年前、2016年1月29日に書いたものです。

           

           

          原発事故から11年が経ちましたが、原発の新設と再稼働が日程に上るようになってきました。安倍、菅、岸田と来て、道徳的に腐敗を極めた政権は「粛々と」棄民政策を推し進めています。

           

           

          | 原発 | 18:27 | comments(0) | - |
          放射能汚染水の海洋投棄は時間の問題である。
          0

            イディオクラシーとコーポラティズムは現代日本を牽引する車の両輪です。イディオクラシーとは「idiot(馬鹿)」と「cracy(政体・権力)」という接尾辞から作られた造語です。 aristocracy、democracy、などと同じです。

             

             

             

            それがどのように現象しているか、例として、海洋放出を決めた放射能汚染水(処理水ではない)について大手メディアの報道を見てみましょう。

             

             

             

            その前に質問です。青酸カリやヒ素が、たとえ微量でも溶けている水をあなたは毎日飲み続けることができますか?無理ですね。でも、「水道水と変わらない」くらいに薄めれば大丈夫という人がいます。ご存じネトウヨの皆さんです。

             

             

             

            しかし、薄めたからといって毒性がなくなるわけではありません。つまり、濃度の問題ではないのです。魚をはじめとする海産物や人体に蓄積・濃縮していく総量が問題なのです。放射能汚染水を海に流すことが現実的だという人は、こんな基礎的なことすら分かっていません。

             

             

             

            水俣病の原因物質は、チッソ水俣工場で生成されたメチル水銀化合物でした。それが工場廃水として排出され、水俣湾内の魚介類を汚染したのです。地域住民は、魚介類の体内で濃縮されたメチル水銀化合物を摂取して発病します。まずカラスが方向感覚を失って岩に激突し、猫が狂って踊り出します。そして人間が発症するのです。それでも高名な東大の学者は裁判で因果関係を否定しました。

             

             

             

            パンとサーカスにより記憶喪失に陥った国民は、わずか数十年前の事実を忘れ、思考力も失ったのです。さすがに日本の教育はすばらしい。就職斡旋業として各所に人材を配分することで、この種の人間を大量に生み出しているのですから。

             

             

             

            思考力を失わせるためには、受験に役立つか否かといったモノサシを使って言葉から中身を抜き取ります。私たちの国では、それを効率的に葛藤なくできる人間が優等生と呼ばれます。

             

             

             

            その例が「風評被害」という言葉です。「処理水」も同様です。私はこの言葉を聞くたびに、「実害」を無いものにする、つまり、見て見ぬふりをする東電や官僚やマスメディアの荒廃ぶりを目の当たりにして心身ともに衰弱するのです。まるで大便のかたまりと吐瀉物を口にねじ込まれているような気分です。

             

             

             

            孔子が言う「名を正す」ことの深い意味を痛感する瞬間です。正しい言葉を使うことによってのみ、悪臭を放つ糞の中に首まで浸かっている状況から私たちは脱出できるのです。

             

             

             

            忘れた人もいるかもしれませんが、福島第1原発の事故の深刻度はレベル7だったのです。原子力緊急事態宣言はいまだ解除されていません。放射性物質が大量に環境中にばら撒かれたのは事実です。「風評」=デマではありません。

             

             

             

            にもかかわらず、この言葉を使うことで、原発に反対する人をデマに踊らされているだけだと批判できます。一方で、汚染のリスクを指摘する原発事故「被害者」を、デマを流す「加害者」にすり替えて沈黙させることができるのです。

             

             

             

            さらに、放射性廃棄物の海洋投棄は、ロンドン条約およびロンドン議定書で禁止されています。日本ももちろん批准しています。 これと、今回の「放出」はどう整合性が取れるのでしょうか。

             

             

             

            東京オリンピック同様、日本のマスメディアも政治家も海外からの視点が欠落しています。コロナが蔓延している状況でオリンピックは無理ではないか、と指摘したのはニューヨークタイムズとガーディアンなのです。

             

             

             

            話を戻します。海洋放出される汚染水は、現在タンクにたまっているものだけではありません。この先100年は流され続けることになるのです。その結果はだれにも予想できません。データがないのですから。だから、どさくさに紛れて流してしまえと言うのでしょうか。以下は、3年前の記事です。想像力のない人たちから一笑に付されることを覚悟で書きました。よろしければお読みください。

             

             

            100年後の生存戦略−その2 教育・国宝 閑谷(しずたに)学校

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=488

             

             

             

            この件について、ネトウヨとテレビ、新聞が報道していることを検討しておきます。

             

            1:他国(特に韓国)もトリチウム水を流している。


            2:天然にもトリチウムは存在する。


            3:薄めれば問題ない。

             

            3は誤りです。

            1と2は嘘ではありませんが、重要な点を故意に見逃しています。

             

             

            福島第一原発のデブリ汚染水と事故を起こしていない原発から出るトリチウム水は全く別物です。アルプスではトリチウムだけではなく、ヨウ素129、セシウム135、セシウム137など、12の核種は除去できないのです。このことは、東京電力が2020年12月24日に公表した資料で認めています。ちなみに半減期は、ヨウ素129は約1570万年、セシウム135は約230万年です。



            要するに、デブリ汚染水は正常運転の原発廃棄物とは似て非なるものです。溶け落ちた核燃料と水が直に接触して反応した放射性物質なのです。通常の原発では燃料棒は被膜管に覆われているため水と接触することはありません。アルプスで除去できない12種のうちの11種がこの事故特有の放射性物質なのです。福島のタンク保管水は決して処理水ではなく、紛れもない汚染水なのです。

             

             

             

            あなたは、「飲んでもなんてことはないそうだ」と言う麻生財務相やネトウヨに与するのでしょうか。政治家も企業のトップも、もはや「idiot(馬鹿)」と呼ぶにふさわしい。無知ゆえに思考することができないばかりか、その無知を払拭すべく学ぼうとすらしないのです。オリンピックのバカ騒ぎを見るまでもありません。

             

             

             

            最後に衆議院議員の細野豪志氏のツイッターを取り上げます。ここまで読まれた方はその間違いに容易に気付くと思います。

             

             

            4月14日のツイッターより

            「韓国にはトリチウムを多く出す重水炉がある。福島で放出が検討されている処理水濃度は1,500Bq/L。韓国で放出されている処理水の濃度基準の40,000/Lより一桁低い値だ。わが国は堂々と反論すればいい。韓国は自分の首を絞めるだけだ。」

             

             

            まず事実の問題から

             

            1: わが国の海洋への排出基準濃度は60,000Bq/L です。

            2: 福島第一原発におけるサブドレン、地下水バイパス排出の運用目標濃度が1,500Bq/L です。

             

            日本は韓国より基準値がゆるいのですよ。わかりますか?そもそも規制基準濃度だけを比較しても意味がありません。「実際に」排水される濃度を比較しなければなりません。誰が濃度を測るのですか。東電ですか?御冗談でしょう。さらに、問題は核種の濃度ではなく総量です。「自分の首を絞め」ているのは、細野豪志さん、無知なあなた自身です。

             

             

             

            4月15日のツイッターより

            「処理水の海洋放出の妥当性について英語でツイートしたところ、リプはかなり荒れた。当然と言えば当然だが、海外の人の処理水に対するリテラシーは国内よりも格段に低い。明日から政府に対して英語での発信を求めていく。このままでは国際世論戦は勝てない。」

             

             

             

            豪志さん、「海外の人」って誰のことですか?「国内よりも」って、国内の誰と比べているのですか?ネトウヨのご機嫌取りする暇があったら、ちゃんと仕事しろ!それ以前に、ちゃんとした日本語を学んではどうか。

             

            ところで、これをリツイートして喜んでいるのが、例の大分市中春日町にあるY田ゼミ塾長です。支持を安倍からトランプに変え、今は元リベラルの政界の渡り鳥、いや、政界のコウモリ男こと細野豪志さんとはね・・・。吉田ゼミ塾長よ、リツイートする暇があったら、自分の意見を述べてみよ!

             

             

             

            もう終わりにします。

            じゃあどうすればいいんだ、対案を出せという橋下徹フリークの皆さんには以下のサイトを紹介しておきます。疾風自由日記のSさんのブログです。是非一読を。

             

            4月13日『福島第一原発のまわりの中間貯蔵施設区域に汚染水貯蔵施設を作れ

            4月10日『トリチウム汚染水を120年保管すると、放射性物質は1000分の1に減少します

             

             

             

            | 原発 | 14:55 | comments(0) | - |
            二度あることは三度ある。
            0

              昨日はわが陋屋の窓ガラスに養生テープを張って台風に備えました。養生が終わって、汗びっしょりになって階下に降りると、奥方様は涼しそうな顔をして『愛の不時着』の二回目を見ていました。これを嵐の前の静けさというのでしょう。つい数時間前までは平凡な日常がそこにあったのに、24時間後には信じられない光景の前で茫然自失するなどということがないように祈るだけです。

               

               

               

              ところで、「二度あることは三度ある」「降れば土砂降り」という諺は、英語で It never rains but it pours. と言います。中学3年生の時に覚えたことわざです。教えてくれたのは私が通っていた英語塾のN先生でした。

               

               

               

              相性と言えばいいのでしょうか、どういうわけかN先生の教えてくれたことはすべて頭に残っています。その身体から発せられる声、抑揚、笑い声、ジョーク、ため息、激励、経験談など全てが先生の人格を作り上げていて、それに感化されたのだと思います。

               

               

               

              本題に入ります。これまでブログでも指摘してきましたが、世の中のシステムを作っているのは(その特徴は匿名性にあります)、日本国民が近代以降、岩につく苔のように蓄積してきた集合的な無意識ではないでしょうか。

               

               

               

              総理大臣が変わろうと、政権が変わろうと、集合的な無意識をかたち作っている個人としての人間が変わらなければ同じことが繰り返されるのだ、というのが歴史の教訓かもしれません。

               

               

               

              そして、人間性を抑圧し、自由を奪い、鋳型にはめようとするのがわが国の教育システムです。一言でいえば、相互にばらばらな知識をインプットすることで生き生きとした五感の集合体である直観を弱体化するプロセスが日本の教育システムだということです。『情報のアンテナを折る』『反・情報としての文学だけが世界を変革する』を書いた理由です。

               

               

               

              そういうわけで、これから起こることを、いや、起こらないでほしいことを書いておきます。これまでブログで何度も書いてきましたが、複合災害についてです。

               

               

               

              端的に言うと、地震と火山の噴火に続き原発事故が複数個所で起こっているところに今回のような猛烈な台風が列島を縦断するというシナリオです。さらに避難所ではコロナウィルスに感染する危険性もあります。政治の大空位時代には、国民は避難民になるか国外脱出のディアスポラになる運命なのです。

               

               

               

              ウソつきで、血も涙もない、ばかな総理大臣が仮病を使って政権を放り出したにもかかわらず、「お疲れ様」といった情緒的な反応をする国民が多いということは、複合災害を想定して理性的で合理的な手を次々に打てる政治家など望むべくもないということです。

               

               

               

              にもかかわらず、マスメディアは次期総裁の予想を連日垂れ流しています。出来レースに予想もへったくれもありません。私にはどうでもいい、どこか遠くの世界の出来事です。そして、こういう時です。二度あることが三度あるのは。

               

               

               

              福島第一原発の事故は実は二度目だったのです。一度目は福島第二原発3号機の再循環ポンプの事故および関電美浜原発2号機の蒸気発生細管のギロチン破断事故です。どちらも「チェルノブイリ一歩手前」の事故でした。すべてが結果オーライのこの国では、なかったことにされたのです。疑う人は以下の本をお読みください。

               

               

               

               

              この本は、第二次安倍政権が誕生した2012年に出版されています。私は読んですぐ、アマゾンにレビューを投稿しました。あれから8年が経過しました。しかし、マスコミは台風10号が「過去に経験したことのない猛烈な台風」だと不安をあおりながら、風速80メートルの風が原発の送電線の鉄塔を倒壊させる危険性を一切報道しません。それを指摘する畏友・疾風自由日記のSさんのブログをお読みください。

               

              https://ameblo.jp/hayatefree/

               

              | 原発 | 17:28 | comments(0) | - |
              私たちはいつまでサルが運転するバスに乗り続けるのか?
              0

                昨日は伊方原発運転差し止め訴訟(本訴)の第15回口頭弁論を傍聴するために大分地裁へ行ってきました。キューバから帰国したばかりの疾風自由日記のSさんとも会うことができました。

                 

                 

                 

                アメリカに逆らい、ソ連という後ろ盾を失ったキューバの現状にショックを受けたとのことです。人間は結局自分の経済的利益のためにしか生きられない存在なのだろうか、とSさんは小声でつぶやいていました。夕方から塾があるので、時間的余裕がなく、地裁を後にしましたが、またいつか続きを話したいものです。

                 

                 

                 

                口頭弁論では原告の女性の意見陳述を聞きました。彼女は1950年代生まれの、杵築で農業を営んでいる女性です。陳述書を読み上げる声は、淡々としていますが、自分の中からあふれ出た正直な気持ちが伝わる素晴らしい内容でした。

                 

                 

                 

                原発はテクノロジーの問題でも、経済活動の問題でもなく、ましてや法解釈の問題でもない。私たちの過去、現在、そして子供たちに残すべき未来を破壊するものである。それを許すのかという、今を生きる私たちに突きつけられている倫理の問題である、と彼女は訴えたのです。

                 

                 

                 

                3・11以降、原発事故から10日余りしかたっていない時に、ドイツのメルケル首相は「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」を設置し、そこで議論を重ね、脱原発に舵を切りました。この倫理委員会は「賢人会議」と呼ばれています。17人の委員のうち、原子力業界の関係者はおらず、社会学者や哲学者、キリスト教関係者らなどから構成されていました。彼我の思想的レベル(つまり個人と国家とを問わず、いかに生きるべきかと問い続けること)の違いに私は茫然自失したのです。

                 

                 

                 

                このことは4年前に書いています。時間が許せばどうぞお読み下さい。

                 

                 

                『倫理を排除したつけは、誰が払うのか。』

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=156

                 

                 

                 

                意見陳述の後、弁護士の徳田靖之氏が準備書面を読み上げました。今年に入って四国電力が犯した重大なミス、つまり定期点検中に制御棒を引き抜いたこと、および全電源喪失に陥るという信じがたいミスに言及して四国電力を追及したのです。そして、広島高裁の伊方原発の運転停止を命じる仮処分の正当性について述べました。

                 

                 

                 

                徳田靖之弁護士も指摘している通り、伊方原発ではここ一カ月の間に小さな事故が続いています。いや、制御棒の引き抜きも全電源喪失も小さな事故ではありません。航空機事故でもよく言われることですが、重大事故の前には小さなミスが頻発します。小事故の頻発は大事故の前兆である場合が多いのです。地震や津波に気をとられていると、人為的なミスを過小評価するようになります。

                 

                 

                 

                それが証拠に、電力会社は決まって放射能漏れはなかったと言い、マスコミはそれを調べもせずにそのまま報道しています。そもそも、マスコミは以下の事実を国民に周知したでしょうか。

                 

                 

                 

                福島第一原発事故の後、2012年10月に国は避難政策を公表しました。その「原子力災害対策指針」には何と書かれているか。

                 

                 

                 

                「地上に設置したモニタリングポスト(MP=線量計)が高い数値を示したら、避難を開始する」と書かれていたのです。地上のMPが高い数値を示しているということは、すでにそこに高濃度の放射性物質のプルーム(雲)が到達していることを意味します。そうなれば当然、周囲の住民も放射性物質を浴びて被曝しているはずです。私はこれを読んで愕然としました。事故の際、国は国民を見捨てる、と宣言しているのですから。そして、『原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練である。』を書きました。

                 

                 

                『原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練である。』

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=109

                 

                 

                 

                そもそも、原発事故で放出された放射性物質を浴びないために、住民は避難するはずです。「被曝してから、避難するかどうか決めましょう」という新指針の内容は、どう考えてもおかしい。しかもその裏で、放射性プルームが流れる方角を予想するために100億円以上の予算をかけて作られた「スピーディー」をお蔵入りにしたのです。しかし、私の知る範囲では、新聞・TVなどマスコミや学識者はそれを批判どころか、指摘すらしていません。

                 

                 

                 

                原発は国民の命よりも金儲け(経済と言います)を優先する財界(原子力ムラと言います)の反倫理性を象徴するものです。いや、その意向を受けて地獄行きのバスを運転するサルをいまだに支持する国民のバカさ加減を象徴しているのです。国会で意味不明のサル語をしゃべる一人物が主役を演じることができるようにしているのは、国民なのです。

                 

                 

                 

                住民の命や暮らしなどなんとも思っていない、いや、そもそもそういった感情を育てられていないサルがこの国の至るところに生息しているのです。国民を分断させるのか、ですって?分断けっこう。私は「サル」とは暮らせない器量の小さい人間なのです。でも、ニワトリとは暮らせます、なんちゃって。

                 

                 

                 

                以下、サルの具体例をお目にかけましょう。

                 

                佐賀 玄海町長 約100万円受け取る 福井県の原発関連会社から

                2020年1月23日

                 

                https://www3.nhk.or.jp/news/html/

                20200123/k10012256511000.html

                 

                もうお忘れかと思いますが、以下の本もぜひお読みください。

                 

                 

                 

                 

                | 原発 | 14:59 | comments(0) | - |
                伊方原発3号機止まる!
                0

                  あ〜伊方、伊方、などとしょうもないダジャレを飛ばしている場合ではありません。なにはともあれ、次なる巨大地震がスタンバイしている状況下では、日本中のすべての原発を止めておくべきです。そして再稼働を許してはなりません。小学生でもわかることです。

                   

                   

                   

                  なるほど社会を変えるのは大変なことかもしれません。しかし、緊急避難的には簡単な方法があります。政権を替えればいいんです。裁判で言えば仮処分です。そのためには国民が賢くならなければなりません。まず投票に行く。次に投票すべきでない人には投票しない。これだけで世の中はがらりと変わります。世の中なんてどうせ変わるわけないと思っている人は、そう思わせられているだけです

                   

                   

                   

                  コスプレで叫んでいるこの方は、小学生以下ですから、言っても無駄です。何が国民民主党でしょうか。コスプレの下には原発再稼働を推し進める自由民主党という文字が透けて見えています。

                   

                   

                   

                  財界の皆さん、いや原子力ムラの皆さん、原発再稼働は任せて下さい!そのために議員になったのですから・・・

                   

                   

                   

                   

                  何としても原発を動かすぞーって、誰の代表なんだ。国民の命よりも、議員でいることが大事なのか。

                   

                   

                   

                  子供たちや、子供たちの子供のことを考えれば、握手なんかできるわけがない。山本太郎の爪の垢でも煎じて飲んだらどうか。

                   

                   

                   

                   

                  以下、毎日新聞の記事から引用します。

                   

                   

                  「四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転禁止を求めて、50キロ圏内に住む山口県東部の三つの島の住民3人が申し立てた仮処分の即時抗告審で広島高裁(森一岳裁判長)は17日、運転を差し止める決定をした。

                  今回の抗告審で、森裁判長は199月に審尋を開き、住民側と四国電力にプレゼンテーション形式で主張を説明するよう求めた。この際、65歳での定年退官を控えた201月中に決定を出したいと伝えたという。」

                   

                   

                   

                  森一岳裁判長の定年退官発令予定日は今月の25日だそうです。 定年のわずか1週間前の決定だったのです。しかしこの際文句は言いません。私はあの小泉純一郎氏の反原発の姿勢をすら評価したくらいですから。うちの奥方様はそれが不満らしく、「あなたは人を見る目がない。総理大臣をやめた後ならなんとでも言えるわよ。総理をしている時に言わなきゃ。騙されていたなんて、総理大臣失格よ。」と未だに呆れています。

                   

                   

                   

                  とまれ、目と鼻の先にある伊方原発が止まるということは、ネトウヨの皆さんも含めて、すべての日本人にとって僥倖なのです。

                   

                   

                   

                  | 原発 | 16:20 | comments(0) | - |
                  朝採れ卵と私が原発に反対するわけ。
                  0

                    昨日は大分地裁へ伊方原発差し止め訴訟の傍聴に行ってきました。奇しくも、同じ日、朝日新聞の朝刊に伊方原発の避難訓練の様子が載っていました。ピクニック気分で外出したくなるような天気の良い日に、相も変わらず形だけの避難訓練を繰り返して何になるのでしょうか。避難訓練は故郷を捨てる訓練なのです。

                     

                     

                     

                    『原発事故避難訓練は、故郷を捨てる訓練である』

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=109

                     

                     

                     

                    地裁に行く前、わが家で飼っているニワトリの産みたて卵を疾風自由日記のSさんにプレゼントしようと思い立ちました。地裁へ行くのはあくまで自由意思なので、Sさんが来ない可能性もあります。でも、Sさんも私もほぼ皆勤賞です。

                     

                     

                     

                    そんなことを考えていると、ウチの奥さんが素敵な箱(ピエール・ルドンのチョコレートが入っていました)を用意してくれました。

                     

                     

                     

                     

                    Sさん、産みたての卵は、卵かけごはんに限ります。アツアツの白米でも美味しいですが、16穀米との相性も抜群です。左の瓶は「茅乃舎」の卵かけご飯専用醤油ですが、右の「阿蘇マルキチ醤油」の「百年蔵のたまごごはん醤油」のほうが美味しいです。よかったらいつでも遊びに来てください。卵用意して待ってます。

                     

                     

                     

                     

                     

                    「この箱で、中身が卵というのもギャップがあっていいかもね。今日はハロウィンだから、卵を金色にペイントしようかな。S君、きっとびっくりするよ。」

                     

                    「生卵にペイントしてどうするのよ。あなたの顔がハロウィンなんだから、それで十分でしょ」

                     

                    「あわわわ・・・」

                     

                     

                     

                    裁判では素晴らしい意見陳述と、徳田靖之弁護士による基準地震動に関する総論が述べられました。元福井地裁裁判長・樋口英明氏の認識と一致する分かりやすくて、鋭いものでした。

                     

                     

                     

                    ところで、私が原発に反対する根本的な理由は、原発の存在そのものが財界やメディアの退廃、政治家や官僚の幼児化、検察や裁判所をはじめとするこの国の法システムの瓦解、簡単に言えば社会階層の上へ行けば行くほど、そこにたむろする人間たちが腐敗を極めるようになるからです。そして国民が犠牲になるからです。

                     

                     

                     

                    具体例をお目にかけましょう。忘れもしない今年の10月15日、福島地裁第一民事部で遠藤東路裁判長は以下の判決を下しました。

                     

                     

                     

                    「原発から飛散した放射性物質はすでに土と同化しているため、東京電力の管理下にはなく、むしろ、農家が所有しているといえる。故に、東京電力に放射性物質を取り除くよう請求することはできない」

                     

                     

                     

                    農家の人たち8人は、金銭的な補償は一切求めず、農地から事故で飛散した放射性物質を取り除いて欲しいという、その一点だけを求めてきました。この裁判官の頭の中には、正義のかけらも人間としての情もありません。論理も説得力もない前代未聞の判決を書くに至った理由は、彼が受けて来た「教育」にあるのです。人格を空洞化させる教育です。私には手に取るように分かります。

                     

                     

                    バカじゃねえのか!この国は

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=132

                     

                     

                     

                    福島第一原発の事故はこの国ではなかったことにされようとしています。そして誰も責任を取らない。それどころか被害者が責任を負うのです。この事故はチェルノブイリ級の重大事故であることを、すなわち現在進行形だということを忘れてはなりません。こんな不合理極まりない判決がまかり通るということは、 日本中の誰もが犠牲者になり得るということです。台風や大雨で被災した人々が政府にどのように対応されたのか思い出すべきです。あすはわが身なのです。何がオリンピックだ、ふざけるんじゃない!

                     

                     

                     

                     

                    原告の一人、鈴木博之さん(69歳)は江戸時代から続く農家の6代目で、原発事故後も、およそ20ヘクタールの農地でコメ作りを続けてきました。

                     

                     

                    鈴木博之さん

                     

                     


                    「私の住んでる農地は、日本でも美味しいお米がとれる土壌だったんです。それが壊されたからね、土壌汚染によって。だから、東電に原状回復してもらう。」

                     

                    「いいときを思い出すのはつらい。マイナスの仕事はいやですわ。なんぼ頑張っても、プラマイゼロやもん。やっぱり夢と希望っていうのはプラスの話だからね。」

                     

                    「俺、ちゃんとした土、先祖からもらって、俺の代では汚したけども、これ元に戻して次代の人に渡す。それが最大の我々の世代の仕事と思ってる。」

                     

                    「我々土を利用して生きているし、生かしてもらってるんだから、もう一回ファイトっていうしかないかなって今、思ってます。」

                     

                    https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/10/1017.html

                     

                     

                    この国のエライさんたちは、これでも原発を続けるつもりでしょうか。人間と共存できないものと添い寝してどうする!安倍晋三よ、いいかげん現実に目覚めよ!と言っても無理でしょうね。頭がポエムでいっぱいですから。

                     

                     

                    | 原発 | 23:06 | comments(0) | - |
                    ドラマ 『チェルノブイリ』を観る。
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                      このドラマは、かつて事故調査にあたった科学者ヴァレリー・レガソフが、事故の真実をカセットテープに録音し終え、自殺するところから始まります。

                       

                       

                       

                      吹き込まれた録音の最後の部分(以下)は、原発が、社会体制を超えて権力機構と癒着する必然性、情報の隠蔽、捏造、ウソの蔓延によって維持されていることを明らかにしています。

                       

                       

                       

                      「ウソの代償とは真実を見誤ることではない。本当に危険なのはウソを聞き過ぎて真実を完全に見失うこと。その時どうするか、真実を知ることを諦め、物語で妥協するしかない。人々の関心は誰が英雄かではなく、誰が悪いのかだけ。」

                       

                       

                       

                       

                       

                      そして私たちは今、安倍政権や御用学者、マスコミ、すなわち原子力村が捏造した「物語」の中を生きているのです。3・11を経験してもいまだ目が覚めず、関西電力と原発立地自治体によるマネーロンダリングによる「Win-Winの関係」を見ても、原子力村を解体させるために具体的な行動を取らない国民。

                       

                       

                       

                      つまり、有権者の半数が投票に行かない国で、企業のトップや政治家が「膿を出し切る」などと言ったところで、責任を取る必要などないことは重々承知しているのです。何か不祥事が持ち上がるたびに「第三者委員会」に調査を委ねるのなら、彼らはいったい何のために存在しているのか。税金泥棒、給料泥棒以外の何者でもないではないか。

                       

                       

                       

                      断言しますが、彼らは人生の途上で一度たりとも自分がこの世に存在する意味を考えたことがないのです。関西電力のトップの顔がテレビに映し出されるたびに、私はそれを確信するのです。

                       

                       

                       

                      こういう連中に、「公共性」の名の下に私たちの命や暮らしが委ねられているのです。私たちはたまたま「運」によって生かされているだけです。政治家は単なるお飾りに過ぎません。疑う人は以下の過去記事をお読みください。

                       

                       

                       

                      ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

                       

                       

                       

                      私は自分の運命を自分で決めようと考える人が、この国で一人でも増えることを願っています。それが民主主義の根本にある考え方です。

                       

                       

                       

                      以下はこのドラマの解説です。

                       

                      史上最悪といわれる大事故を米HBO局がドラマ化し、本国で圧倒的な評価を得た「チェルノブイリ」。その冒頭にあたる10分間の映像が公開された。全ての始まりとなる、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起きた爆発事故の瞬間と、それを遠方から目撃する一般市民、そして現場にいながら何が起きたのか把握できない職員たちの姿が映し出された冒頭映像は、本作を独占放送するスターチャンネルの公式サイトで公開されている。

                       

                       

                       

                      ドラマは、かつて事故調査にあたった科学者ヴァレリー・レガソフが、あの時の真実をカセットテープに録音し終え、衝撃的な運命を選択する場面から幕を開ける。

                       

                       

                       

                      そこから時代は、1986426日の事故発生時へと遡り、原子力発電所に近いプリピャチ市の住民が、マンションの窓からまばゆい光を放つ原発を目撃。遅れてきた衝撃にマンションが揺れ不安にかられる彼らだが、何が起きているのかわからない。そしてそれは、原発の中央制御室にいる職員たちも同じだった……。

                       

                       

                       

                      そこからシリーズは、当時の最高権力者ゴルバチョフ書記長に現場対応を任されたソ連閣僚会議の副議長ボリス、事故の真相解明に奔走する核物理学者ウラナ、そしてハリスを中心に、あの時、現場で何が行われていたのかを追っていく。

                       

                       

                       

                      事態を過小評価する責任者たち、次々に放射性物質で汚染された現場へと投入されていく人員、避難を余儀なくされた市民たち、さまざまな立場から事故に向き合った人々の人間ドラマも見どころだ。

                       

                       

                       

                      廃炉となったリトアニアの原子力発電所でロケを敢行するなど、当時の状況の再現にこだわり、緊迫の一部始終を全5話のミニシリーズとして描き出した本作は、アメリカの大手レビューサイト、Rotten Tomato において、一般ユーザーから98%の支持を獲得。テレビ界のアカデミー賞ともいえる、今年度のエミー賞でも19ノミネートを果たしており、ミニシリーズの最高峰として最多受賞も期待されている。(編集部・入倉功一)

                       

                      https://www.cinematoday.jp/news/N0110521

                       

                       

                       

                      海外ドラマ「チェルノブイリ」(全5話)はBS10スターチャンネルで放送
                      STAR2 字幕版】925日(水)より 毎週水曜よる11:00ほか
                      STAR3 吹替版】930日(月)より 毎週月曜よる10:00ほか
                      Amazon Prime Video 「スターチャンネルEX」で 926日(木)よりオンデマンド配信

                       

                      | 原発 | 13:17 | comments(0) | - |
                      原発の問題は禁忌の問題そのものです。
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                        昨日はホルトホール大分へ元福井地裁裁判長・樋口英明さんの講演を聞きに行きました。その前日は、大分のOPA前で山本太郎参議院議員の街宣があることを元教え子のSさんに教えてもらったのですが、都合で行けず、山本議員を励ます機会を失いました。本当に残念です。

                         

                         

                         

                        樋口さんのことは過去何度もブログで取り上げているので、顔見知りのような気がして楽しい講演会でした。それにしても裁判官が退官後とはいえ、自分が下した判決について言及するだけでなく、講演までするというのは前代未聞のことです。その理由は国家の存亡にかかわるからだというのです。

                         

                         

                        謦咳に接することの大切さを身にしみて知っているので、30分前には会場に入り、一番前の席に座りました。徐々に席は埋まり、会場は一杯になりました。それでも若い人の姿はほとんどありません。

                         

                         

                        講演は次のように始まりました。


                        3・11以後、地震を理由に原発をとめた裁判長は2人。止めなかった裁判長は15人以上だそうです。その差は、政治的な圧力などではなくて、危険性が分かっているかどうかだと言います。拍子抜けするほど単純な理由です。

                         

                         

                        大分講演では、裁判長は皆確信を持って判決を書いている、圧力に屈して判決を書いたのならわかるが、確信を持って書いているので怖いと発言されていました。裁判官という職業の核心に触れる発言だったので、私は思わず笑ってしまいました。要するに裁判官は確信犯的な専門職なのです。

                         

                         

                         

                         

                        以下の動画は大分での講演ではなく、5月11日に愛知で行われたものです。大分での講演がアップされたら切り替えます。

                         

                         

                         

                        彼の講演は中学生にでもわかる平明さと、巧まぬユーモアにあふれていて分かり易いものでした。小難しい法理論をこねくり回すようなものではなく、本当に国民の側に立った判決を下せる人の人柄がにじみ出ていました。

                         

                         

                         

                        5月24日のブログで私は次のように書きました。

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=566

                         

                         

                        「私の出身校である大分上野丘高校の先生方や生徒さんたちは、彼の話にきっと共感してくれるだろうと思います。特に大学の法学部を目指し、将来、裁判官や弁護士、検察官を希望している人にはめったにない機会です。当日は高校生の皆さんで一杯になるといいですね。」と。もちろんアイロニーです。

                         

                         

                         

                        「県立トップ校」の教師たちがこの講演会のことを生徒に知らせるわけがありません。そもそも知らない教師がほとんどでしょう。そんな講演会で時間をつぶすより英単語の1つでも覚えた方がましだと考えるのが彼らの発想です。

                         

                         

                         

                        今の学校教育では、生徒も教師も、自分だけではなく将来の子供たちやそのまた子供たちの命に関わることよりも、「自分の夢の実現」に注力することの方が大事だと思っているのです。

                         

                         

                         

                        マックス・ウェーバーを引き合いに出すまでもなく、政治こそ文化の最高形態です。上野丘高校の生徒さんが、香港の学生のような政治意識を持つ日は果たしてやってくるのでしょうか。それともホリエモンのように無知で頭の悪い人間の影響を受けて、デモをする若者たちを罵倒するようになるのでしょうか。

                         

                         

                         

                        受験勉強という世間から隔絶した透明な檻の中で、キャラを立て、お笑いに名を借りた芸が受けるかどうかを気にするような日常を送っていては、真の学力など身に付きようがありません。

                         

                         

                         

                        話がそれました。

                         

                        樋口さんの講演は、学ぶということの意味だけではなく、知的な人間になるためのヒントが詰まっていました。彼の考えはすべて「そもそも」と言う素朴な疑問から発せられていることが分かります。

                         

                         

                         

                        開口一番、「そもそも危険って何ですか?」に始まり、「科学的思考とは何ですか?」「事実って何ですか?」「仮説に過ぎないものを学問的定説と見なすことができますか?」と続きます。常に原点に立ち返って説明するので、わかりやすいし説得力があります。

                         

                         

                         

                        もちろん、法律の専門家ですから、事実や科学的な知見を法律的に構成して世間に問わなければなりません。最高裁の判例を踏襲しただけのつじつま合わせの判決ではなく、樋口氏に国民の胸に響く判決を書かせたのは、「理想の審判者としての国民」を信じる知性であり、専門家の発想を超える勇気あるアマチュア精神のなせるわざだったのです。これこそが憲法に謳われている裁判官の「独立性」であり「良心」なのです。

                         

                         

                         

                        彼は言います。

                         

                        「政治家の仕事は、消費税を上げる上げない、移民を認める認めない、というような選択の仕事だけど、私はそんなに政治家に対して厳しいことは言わない。選択で60%合っていればいい、40%間違っていても少しずつ世の中良くなる。だけど、そうじゃない、原発の場合は。

                         

                         

                        医師の国家試験で85点の人が合格して95点の人が不合格になる。なぜそうなるかと言うと、医者の国家試験の選択問題で、患者が死亡する薬を選んでしまったら落ちる。取り返しのつかないことをする人は医者としての資格がないと考えるから。これを禁忌の問題と言う。原発の問題は禁忌の問題そのものです。

                         

                         

                        だからそれぞれ責任を、総理大臣としての責任を果たしてほしい、裁判所は裁判官の責任を果たしてほしい、私は裁判官としての責任を果たしたという自負はあるが、それで自分の責任は終わっているとは思わない。原発の本当の危険性を知ってしまった以上、それを皆さんに伝えるのが私の責任だと思っています。それを聞いてしまった皆さんの責任は?それを伝えることじゃないですか。特に若い人に伝えて下さい。若い人は原発に対して責任がないけど負担だけまともに負っちゃう。非常に申し訳ない。そういう若い人に特に伝えて下さい。それがあなた方の責任です。」と。

                         

                         

                        | 原発 | 13:08 | comments(0) | - |
                        大分地裁佐藤重憲裁判長、伊方原発差し止め却下。
                        0

                          今回差し止めを却下したのは、大分地裁の佐藤重憲裁判長です。「具体的な危険はない」というのが根拠です。

                           

                           

                           

                          佐藤重憲裁判長が考える「具体的な危険」とは、実際に火山が破局噴火を起こした時であり、伊方原発のすぐそばを通る中央構造線が跳ね上がった時であり、南海トラフ地震が巨大津波を起こして伊方原発が全電源喪失した時であり、佐多岬半島の住民約5千人が逃げ場を失って絶望している時であり、大分市の住民が放射能汚染にまみれ、豊後水道や瀬戸内海の海産物が致命的な打撃をこうむったときのことを指すのでしょう。

                           

                           

                           

                          大分地裁前は、原告団と報道陣で混み合っています。

                           

                           

                           

                           

                          「疾風自由日記」のSさんも最後尾でのぼりを掲げています。

                           

                           

                           

                           

                          それが起こるまでは「具体的な危険はない」なんて、いったい誰の顔を思い浮かべて決定を下したのでしょうか。小学生以下の判断力の持ち主です。こんな事だろうと思って、1年前に書いたのが以下の記事です。

                           

                           

                          「大分地裁裁判長への意見陳述書」

                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=426

                           

                           

                          折も折、伊方原発の差し止めが却下されたその日(9月28日)に、インドネシアのスラウェシ島ではマグニチュード7,5の巨大地震が起こり、津波と地震で29日現在384人の命が失われています。被害はさらに広がるでしょう。もちろん佐藤裁判長にとっては遠い国の「抽象的な危険」に過ぎません。

                           

                           

                           

                          佐藤重憲裁判長の今回の判断は、北海道地震の時に泊原発が稼働していたら停電はなかったというネトウヨ経済評論家やIT成金の皆さんと同レベルです。無知というか、視野狭窄というか、絶句するしかないものです。

                           

                           

                           

                          ましてや、南海トラフ地震が起こり、複数の原発が爆発しているときに台風が日本列島を縦断して放射能を撒き散らすなどという破局的なシナリオは想像すらできないのでしょう。

                           

                           

                          ドキドキしながら待っていた決定の瞬間。覚悟はしていたものの、正直言って無性に腹が立ちました。

                           

                           

                          決定要旨を説明する河合弘之弁護士。闘いは終わらない、これからも頑張ろうと挨拶。ところで、私は「原発問題が好き」でも「趣味」でも「生きがい」でもない。そうやって揶揄するあなたやあなたの子供、孫のためにも闘っている。原発のない普通に安心して暮らせる社会を願っているだけである。一日も早く原告を辞めたいのだ!

                           

                           

                           

                           

                          今回、佐藤重憲裁判長が、四国電力といわゆる原子力ムラの言い分をそのまま追認しただけの決定しか下せなかったのは、匿名のシステム(この場合裁判所という組織を指します)に逃げ込んで裁判官個人としての「良心」や見識を世に問うことが怖かったからです。既成事実を追認するだけの勇気のない裁判官などいりません。追認するならせめて後世の批判に耐えられるだけの論理と根拠を明確に示してもらいたいものです。

                           

                           

                           

                          そんなわけですから、決定を聞いたとき、私は苦笑いするしかありませんでした。こういう裁判長に当たったのは、運が悪かったということです。安倍政権の下では、福井地裁の樋口英明裁判長(彼は匿名のシステムに呑み込まれることを潔しとせず、良心に基づいて見事な判決を下しました)のような人に当たるのは、宝くじに当たるようなものです。

                           

                           

                           

                          原発は、使用済み核燃料という致命的な負の遺産を後世に先送りしながら、やっていることといえば水を沸騰させ、蒸気の力でタービンを回して発電することだけです。たかがお湯を沸かすのになぜ核エネルギーを使う必要があるのでしょうか。

                           

                           

                           

                          総括原価方式によって電力会社が膨大な利潤を生み出せる構造になっているからです。要するに、金です。金。世界での発言力を高めるためには、核兵器による潜在的抑止力が必要だというような妄想に取りつかれている集団はこの際無視します。

                           

                           

                           

                          それにしても佐藤重憲裁判長のような人間がなぜ司法の世界のみならず政界・経済界に跋扈するようになったのでしょうか。

                           

                           

                           

                          一番の原因は「国家」が消滅したことです。代わりに、前回のブログでも書いたように、政治権力と大企業が癒着し一体となったコーポラティズムによる統治形態が登場しました。今はこの統治形態に奉仕すべく、教育や医療をはじめとする公的領域の最後の名残が資本によって呑み込まれようとしている時代です。

                           

                           

                           

                          政府は、「パンとサーカス」を与えて国民を愚民化し、奴隷の自由を真の自由だと勘違いする人々を大量に生みだしました。テレビのグルメ番組を見て食べ歩き、一方でダイエットや健康食品を物色する。あげくの果てに、外資系の保険会社になけなしの金を払い込み、「賢い」投資家になったつもりで損をする。そればかりか、新手の詐欺に引っ掛かる。幻想を追いかけるのは勝手ですが、いまだアメリカの占領下にある国に真の自由などあり得ません。

                           

                           

                           

                          話がそれました。佐藤重憲裁判長に象徴される人格がどのようにして出来上がるのか。その答えは、彼らが受けた教育にあります。しかし、長くなるのでその話はまたにします。

                           

                           

                           

                          他人のことを批判するお前は何様だと言われるのは覚悟の上です。私は一介の塾教師に過ぎません。しかし、何のために勉強するのかという問いにはいついかなるときにも答える準備はしています。勉強の手助けをするのも教育でしょうが、それだけならAIにもできます。

                           

                           

                           

                          私が生徒に向き合っているときに、心の底から願望していることはたった一つです。それは、毎日目にしている世界の風景が、違う世界の風景のように見える力を付けてもらいたいということです。真の知性とは、今とは違う世界を描き出す勇気を持つことを意味します。

                           

                           

                           

                           

                          オスカーワイルドは1891年に書いています。

                           

                           “ a map of the world that does not include Utopia is not worth even glancing at, for it leaves out the one country at which Humanity is always landing. And when Humanity lands there , it looks out, and seeing a better country , sets sail ”

                           

                          「ユートピアを含まない世界地図など一瞥にも値しない。その地図には、人間が繰り返し上陸している国が抜け落ちているからだ。人間はそこに上陸すると、あたりを見渡し、もっとよい国を発見して、船を出すのである」

                           

                           

                           

                          自分がなじんできた世界以外のものを思い描くこと。目の前のものとは違う「何か」を探すこと。根底から変革された、よりよい未来を思い描くことも、そのために闘うことも教育によって可能になるのだと私は信じています。

                           

                           

                           

                          | 原発 | 22:49 | comments(0) | - |
                          「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘いである」
                          0

                            今回のタイトルはチェコの作家ミラン・クンデラの言葉 the struggle of man against power is the struggle of memory against forgetting”です。

                             

                             

                             

                            それにしても、阪神淡路大震災、東日本大震災と福島の原発事故、熊本地震、今回の北海道の地震を見れば、日本列島そのものが活断層だということは誰の目にも明らかです。

                             

                             

                             

                            しかし、いくら事実を示しても、のど元過ぎれば何とやらで、すべての出来事は時間の経過とともに記憶の中から抜け落ちていきます。重要なのは事実ではなく認識です。事実は認識の基盤に過ぎません。ところが、その事実すら「フェイクだ!」の一言でなかったことにできると思っている人たちがいます。あなたの認識は大丈夫でしょうか?

                             

                             

                             

                            思えばこの国の思想風土・文化的エートスは、ただ現状を肯定するだけの現世主義から一歩も踏み出したことがないのです。根本的な対策を取らず、すべてをその時々に応じた間に合わせで済ませてきました。便宜主義どころの話ではありません。

                             

                             

                             

                            ブログでも言及してきたように、この国の文化は、特に芸術的な感性においては素晴らしいものをもっています。しかし、それは過去のことです。この国の歴史は福島の原発事故以降、歴史的にも文化的・経済的にも別次元のステージに入っているのです。にもかかわらず、今だけ、金だけ、自分だけの政治家たちがはびこり、忖度合戦に明け暮れている有様です。未来のために血路を開こうと必死になっている姿などどこにも見えません。

                             

                             

                             

                            かくして私たちは、未来を金儲けのための投機対象にし、生き延びる力を、すなわち生存能力すらを失ってしまいました。

                             

                             

                             

                            呆れるほど歴史に対して無知で、小学校5・6年生の判断力しか持ち合わせていないトランプ大統領に擦り寄り、財界の意向を汲み、原発を再稼働させるバカがこの国のトップに居座っています。そして、この男をトップに押し上げたのは、他ならぬ私たち国民の認識です。

                             

                             

                             

                            今日もテレビコマーシャルが「やりたいことをやろう!」と叫んでいます。やりたいことをやるだけなら子供と同じです。まともな大人なら、やりたいことではなく、やらなければならないことに注力しているはずです。いいかげん私たちは奴隷の自由から目覚めなければなりません。東京オリンピックどころの話ではないのです。

                             

                             

                             

                            9月5日の夕方のニュースを見ていたら、ブログでも取り上げた大分の医師・松本文六氏が、四国電力伊方原発3号機の再稼働反対の決議をするように求める請願と署名を県議会議長に提出する様子がテレビに映っていました。署名は4万84筆で7月〜8月に街頭で呼びかけるなどして集めたそうです。私は少し目頭が熱くなりました。まともな大人もいるのです。

                             

                             

                             

                            いよいよ、中央構造線が永い眠りから目を覚ます時が迫っています。南海トラフ巨大地震は必ず起こります。大げさなことは言いたくありませんが、私たちは生と死の分水嶺に立っているのです。重要なのは事実ではありません。認識です。認識こそが現実を動かす最後の梃子になりうるのです。

                             

                             

                             

                            以下は今から2年以上前に書いたブログの記事です。福島の原発事故を引き起こした責任は「あの男」にあります。最低限の知識と国民への思いやりがあれば、原発事故は防げていたのです。第165回国会で吉井英勝衆議院議員がした質問を載せています。「あの男」はこのやり取りを議事録から削除しました。

                             

                             

                            『ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民』

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

                             

                             

                            | 原発 | 00:19 | comments(0) | - |
                            今そこにあるカタストロフィー。
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                              昨日は義父を見舞った帰りに、「反日」で「左翼」の妻とコンパルホールで開かれた講演会『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に行きました。なぜ妻が「反日」で「左翼」なのか?詳しくは以下の記事をお読みください。

                               

                               

                              「反日」で「左翼」の妻は「極左雑誌」を愛読しています。

                              http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=281

                               

                               

                              暇さえあればミシンを出してきて型紙をつくり、孫のために新体操の衣装を作っている妻ですら、ネトウヨのみなさんからすれば、「反日」で「左翼」になるのでしょう。今日までに作った衣装は10着余り。そのうちの一つです。

                               

                               

                               

                              そんな妻は、オリンピックの女子フィギュアスケートをじっと見つめて、何をしているのかと思えば、コスチュームのデザインを研究しているのです。

                               

                               

                               

                              「やっぱり素敵なデザインだわ。色の組み合わせやスカートの丈なんか、参考になる。ねえ、ねえ、この人(ザギトワ)の衣装なんかどう?」

                               

                              「(どうでも)いいねえ」

                               

                              「そうでしょ。今度はこのデザインに挑戦してみようかしら」

                               

                              「やってみたら?」

                               

                               

                               

                              とまあ、そんな妻ですから、『日本列島の全原発が危ない!広瀬隆・白熱授業』に誘っても来ないだろうと思ったのですが、義父を見舞った後、空いた時間があったからでしょうか、誘うとあっさりのってくれました。妻は『原子炉時限爆弾』は読んでいます。で、以下は車の中での会話です。忠実に再現しています。

                               

                               

                               

                              「新体操の衣装作りと、『日本列島の全原発が危ない!』は君の中ではどう関係しているの?」

                               

                               

                              「あなたはそんなどうでもいいこと考えてるの?ヒマね。私の原発についての知識なんて、小学生くらいのものよ。」

                               

                               

                              「でも、小学生は『原子炉時限爆弾』は読まないよ。」

                               

                               

                              「あの本を読んだとき(3・11以降に私がすすめました)は、すごく腹が立った。ちゃんと予測されていた人災だったんだとわかったわ。中身はもう忘れてしまったけど。でもあの本を書いた人の話なら聞いてもいいかなと思ったのよ。」

                               

                               

                              「で、きみは原発に反対なんだね。」

                               

                               

                              「もちろん。理論的にこれこれだから反対とは言えないけれど、もう直感として許せない気がするのよ、原発がこの世にあること自体が。」

                               

                               

                              「なかなか、過激なこと言うじゃない。」

                               

                               

                              「でも、子供でもわかることでしょ。たかが電気をつくるって話なんだから。電気なら何も原発で作る必要はないはずだわ。他にもいろんな技術があるでしょ。経済、経済っていうけど、たかが金儲けのことでしょう。核のゴミの最終処分はどうするの?福島原発の放射能は、どうやっていつまでに無くすの?安全なら東京に原発を作らないのはなぜ?世界が、原発ではなく自然エネルギーに向かっているのはどうして?原発をミサイルで狙われたらどうするの?そんなに安全で経済的なエネルギーなら、なぜ東芝は借金まみれになったの?イギリスに輸出するとか言ってるけど、日本政府が保証しなければならないのはなぜ?事故が起これば私たちが負担することになるのよね?それに、チェルノブイリが石棺の上に大きなドームを作っているけど、未だに立ち入り禁止なのはなぜ?もうバカバカしいことだらけだわ。こんなこと考えなくてもわかるじゃない。」 

                               

                               

                               

                              そだね〜。そだね〜。そだね〜。」

                               

                               

                               

                              ところで、韓国映画『パンドラ』をみなさんは観たことがあるでしょうか。広瀬隆氏の講演会の最後でも紹介されていました。一歩間違えば、日本はこうなっていたのです。いや、日本の明日の姿です。なぜなら、次なる巨大地震がスタンバイしているのですから。

                               

                               

                               

                              なぜこの映画が原発事故のあった日本で作れないのでしょうか。今や政治でも、芸術的な創造性でも、総体的な知性でも、韓国は日本のはるか上を行っています。なぜなら、隠蔽に次ぐ隠蔽、私物化に次ぐ私物化の日本に比べて、韓国は今そこにある「破局」を国民に示しているからです。

                               

                               

                              ちなみに、福島第一原発事故をモデルにしたこの映画は公開12日目で観客動員300万人(韓国映画振興委員会調べ)を突破しました。日本語字幕版もあります。ぜひご覧ください。

                               

                               

                              | 原発 | 13:17 | comments(0) | - |
                              終わりの始まりならいいのだけれど・・・
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                                広島高裁が伊方原発の運転を禁止する仮処分の決定を下しましたが、「いかった〜」などと下らないギャグを飛ばして喜ぶ気にはなりません。なぜなら「仮処分は証拠調べの手続きに制約がある」として、停止期間を来年9月末までに限定し、地震想定の甘さや、重大事故対策が不十分といった住民側の主張を認めず、火山対策以外は規制委の判断を「合理的」としたからです。

                                 

                                 

                                 

                                火砕流の影響を云々するのであれば、中央構造線が引き起こす地震や南海トラフ地震による伊方原発崩壊の可能性の方をより重視してもらいたかったですね。阿蘇山が巨大噴火を起こして火砕流が伊方原発に届くのであれば、九州はほぼ全滅しているからです。その影響は数年で日本を破滅に導き、運が良ければ、日本人は北海道の一部だけで生き延びているという悲劇的な結末をもたらすかもしれません。

                                 

                                 

                                 

                                それと、住民避難の問題を深刻に受け止めてもらいたかったですね。住民を安全に避難させることができなければ原発を動かすことはできないという5層の防御(defense in depth)の考え方を、司法判断の大前提にしなければなりません。まずこの点をクリアしている原発についてのみ安全性を審査すべきです。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、司法が住民避難の問題に踏み込めば、政府と電力会社が交付金と引き換えに周辺住民の命を買い上げているという事実が明るみに出るので、このまま棄民政策を続けるしかないのです。

                                 

                                 

                                 

                                それに何より、過酷事故を恐れて、電力会社は原発を海岸沿いの絶海の孤島のような場所に建設しているので、住民を安全に避難させることなどできません。政府も避難計画は自治体に丸投げしています。原発の安全審査に住民避難を絡めたとき、稼働できる原発は日本には一基もありません。ようするに、政府には国民の命を守る気などさらさらないのです。

                                 

                                 

                                 

                                それはともかく、今回の決定で少しホッとしています。以前、RECOMMEND 欄でも紹介しましたが、原発が止まっているこの機会にぜひ以下の2冊の本をお読みください。石黒耀の『死都日本』と元国会事故調委員長の黒川清氏が書いた『規制の虜』です。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                 

                                | 原発 | 10:06 | comments(0) | - |
                                少し涙が出ました。
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                                  私は伊方原発差し止め裁判の原告の一人です。今うれしいニュースが飛び込んできました。広島高裁(野々上友之裁判長)が13日午後、伊方原発の運転差し止めを命じる決定を出しました。高裁レベルでは初めてのことです。感激して少し涙が出てきました。

                                   

                                   

                                   

                                  伊方原発は瀬戸内海を挟んで広島市から約100キロの距離にあります。それでも3号機の差し止めの決定が出たのです。決定は直ちに効力が生じるため、四国電は来年1月に定期検査が終了しても、司法判断が覆らない限り運転を再開できません。大分地裁もこれに続いてくれるといいのですが。

                                   

                                   

                                   

                                  何よりも次なる巨大地震が迫っているときに、この勇気ある決定が出たことを、子供たちのために、その子供たちの子供たちのために喜びたいと思います。

                                   

                                   

                                   

                                  大分地裁の裁判長が、すでに提出した私の意見陳述書を読んでくれているといいのですが。

                                   

                                  『大分地裁裁判長への意見陳述書』

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=426

                                   

                                  | 原発 | 14:45 | comments(0) | - |
                                  後は野となれ山となれ
                                  0

                                    今回は忘れないようにブログに書き留めておきたいことがあります。12月7日、私が大分駅前で伊方原発の差し止めを訴えるビラを配り、大分地裁で裁判を傍聴していたまさにそのとき、経団連の榊原定征会長は、四国電力の伊方原発(愛媛県伊方町)を視察していました。佐伯勇人社長から再稼働した3号機の運転状況や安全対策の説明を受けた後、記者団に次のように語りました。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    「原発は重要な電源としてこれからも使用していく。将来は増設や新設も選択肢にしないといけない」「(四国電力は)福島の原発事故を教訓に万全の対応をとっているようだ。しっかり安全を確保してほしい」と。(朝日新聞デジタル)

                                     

                                     

                                    世界の潮流を全く無視した、こうした経済界トップの時代錯誤の発言を見ていると、日本経済が中国に大きく後れをとるどころか、もはや挽回不可能だと改めて思わざるをえません。

                                     

                                     

                                     

                                    中国は福島の事故を分析し安全性確保に限界を感じ、更に原発のコストは海上、風力発電より高く経済的な面からも競争には勝てないとして原発を捨て、クリーンエネルギーに切り替えたのです。

                                     

                                     

                                     

                                    皆さんは2012年、福島第一原発の事故後わずか1年しかたっていない時点で、日本の財界が大飯原発を再稼働させるために使ったロジックを覚えているでしょうか。彼らはこう言いました。

                                     

                                     

                                     

                                    「原発を再稼働しなければ電力コストが上昇して、日本企業の国際競争力は低下する。だから、再稼働しないのであれば、われわれは日本を捨てて製造拠点を海外に移す。そうすれば国内の雇用は消失し、地域経済は壊滅し、法人税収は失われるがそれでもいいのか。」と。「それで日本経済がどれほどのダメージを受けても、それは原発再稼働を渋った政府と日本国民の責任であり、われわれは関知しない。」と。

                                     

                                     

                                     

                                    これは明白な恫喝であり究極の自己責任論です。この恫喝に屈して、ヘタレの野田政権は原発再稼働を容認したのです。

                                     

                                     

                                     

                                    日本の財界のトップが金儲けの口実に使う「国際競争力の低下」は、原発の再稼働や新設・増設をしないことによってではなく、中国の脱原発への転換によって現実になるでしょう。そのときになって、脱原発へと舵を切れなかった自分たちのふがいなさ、勇気のなさ、不見識を嘆いたところで手遅れです。

                                     

                                     

                                     

                                    さらに忘れてならないのは、財界が使ったロジックは日本人の価値観を変えるほどの影響力を持っていたことです。それは、経済活動に倫理や道徳は不要だということを公に宣言するものだったのです。

                                     

                                     

                                     

                                    このとき日本人は「1円でもコストの安いところで操業するのが企業の常識である。創業している地域での雇用創出や経済波及効果を保証する義務は企業にはない」という新自由主義の価値観を受け入れたのです。経済評論家や学者たちは、それに異を唱える者を経済音痴だとバカにし、思考を放棄しました。それがやがて格差社会に根を張ったアベノミクスというあだ花を咲かせることになります。

                                     

                                     

                                     

                                    一方で、それは常軌を逸した時間外労働を社員に課す原因ともなりました。電通の高橋まつりさんが自殺したのも、こういった企業文化の下地があったからです。しかし、この事件が電通ではなく、名もない中小企業で起こっていたら、どうなっていただろうかと思わずにはいられません。

                                     

                                     

                                     

                                    日本の大企業とそのトップは、道を見失っています。以下はその証拠です。

                                     

                                     

                                     

                                    国内製造業では神戸製鋼所、日産自動車、三菱マテリアル、東レ(経団連会長のひざ元)とデータ改竄が続出しています。さらに、原発事業に手を出したばかりに、東芝はその結果生じた巨額損失を埋め合わせるため、屋台骨であった半導体メモリーの売却契約を結ばざるを得なくなりました。

                                     

                                     

                                     

                                    加えて、リニア中央新幹線関連工事を巡り、東京地検特捜部が偽計業務妨害容疑で大手ゼネコン「大林組」の強制捜査に着手したとのニュースも飛び込んできました。国の財政投融資も活用された総工費9兆円を超える事業での不祥事です。JR東海は無関係だとコメントを出しています。

                                     

                                     

                                     

                                    さてもう終わりにしましょう。ここまで見てきたように、原発再稼働を進める財界と政府の根底にある退廃した考え方をひとことで言うなら「後は野となれ山となれ」です。今の私にはこれ以上適切な言葉を思いつくことができません。

                                     

                                    | 原発 | 23:25 | comments(0) | - |
                                    腐ったトップが居座り続けていたら、この国は滅ぶぜよ!
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                                      昨日は昼過ぎから大分駅前で1時間ほど伊方原発の差し止めを訴えるビラを配りました。「こんにちは。伊方原発を止めましょう。よかったら読んで下さい。」と声をかけます。声をかけた人の半分には無視されます。受けとってくれた人には「ありがとうございます。」と頭を下げます。

                                       

                                       

                                       

                                      高校生の多くは、まったくの無関心でスマホを見ながら通り過ぎるだけでした。でも、私の目を正面から見つめて「読んでみます!」と言ってくれた女子高生がいました。無視されて当然と思っているので、そういう若者に出会うと、砂漠の中でオアシスに出会ったような気になります。だから私は女子高生が好きです、なんちゃ・・・おっといけない、つい口癖になってしまいました。

                                       

                                       

                                       

                                      その後はいつものように大分地方裁判所で裁判の傍聴をしました。裁判所に通うようになってもう一年が過ぎたのかと、時の流れの早さにしばし感慨にふけりました。

                                       

                                       

                                       

                                      それにしても四国電力は何を守りたいのでしょうか。会社は黒字ですし、電気も足りているどころか余っています。電源三法、総括原価方式に守られて、さらなる利益を積み上げたいのでしょうね。原発立地にお金をばら撒き、被害想定区域を極端に狭め、住民避難はアリバイ程度にしか考えていません。以下の画像をご覧ください。

                                       

                                       

                                      四国電力のクリーンエアドーム

                                       

                                       

                                       

                                      「四国電力」は今年の10月24日、伊方発電所の西側3カ所に、万が一の原発事故に備えてクリーンエアドームの配備を決定したと発表しました。クリーンエアドームは短時間で簡単に設営ができ、空気浄化ユニットが装備されているそうです。

                                       

                                       

                                      報道によれば、セシウムやヨウ素の除去フィルターで、外気から放射性物質の99%以上を除去したクリーンな空気をドームに送ることができるとのことです。3カ所でドーム8基、収容人数の合計は約600人。でも東西に細長い佐田岬半島には原発より西側に約4700人が暮らしています。残りの4000人以上はどうなるのでしょうか。あきらめてもらうほかないということです。

                                       

                                       

                                      いかにも住民のことを考えているようで、これは四国電力の単なるアリバイ作りです。実際に南海トラフ地震が起これば、設営などしている暇はないでしょう。設営場所になっている体育館自体が崩壊する可能性もあります。

                                       

                                       

                                      伊方原発が過酷事故を起こせば、ウランとプルトニウムの混合物であるMOX燃料が熔融し、高濃度の放射性物質が風に乗って愛媛県、大分県をはじめとして瀬戸内海全域を汚染し、関西にまで至るのです。被害は福島原発の比ではありません。大げさではなく、確実に日本は終わります。

                                       

                                       

                                      そもそも、佐田岬半島の住民4700人を避難させることなど不可能です。船で大分県へ避難する訓練をしていましたが、当の避難民が「現実的だとはとても思えない」と言っています。地震や津波によって陸路が寸断された場合にどうやって港まで行けと言うのでしょう。避難訓練はエアドームと同じく全くの茶番でしかありません。

                                       

                                       

                                      それにしても、高濃度の放射性プルームが次々に襲ってくる中、エアドームの中に取り残された人々を、あるいは半島で孤立無援に陥っている人々をいったい誰が救助に向かうのでしょうか。自衛隊や地元の消防団、警察がその役を担わされるのでしょうか。しかし、それは福島のような平たんな地形で放射能汚染の被害を受けなかった場所での救助をイメージしたものです。地形も放射性物質の危険性も、伊方の方が何倍も上です。

                                       

                                       

                                      こういったリスク(保険では補填できないので電力会社は保険に加入できません)を抱えているにもかかわらず、四国電力は伊方原発を稼働させています。電力会社のトップは、株主である銀行の利益とおこぼれにあずかることしか考えていません。

                                       

                                       

                                      政府に対する「忖度」もあるでしょうが、政府を動かしているのは自分たちなので、官僚のセコイ「忖度」とは次元が違います。「忖度」というよりも、圧力に近いのです。それが証拠に、鹿児島の川内原発の再稼働に関しては、安倍首相は九州の財界人に対して「(再稼働は)何とかしますから」と約束までしました。

                                       

                                       

                                       

                                      要するに、財界のトップも政権のトップも人命よりも金儲けを優先しているのです。何という道徳的な退廃でしょう。坂本竜馬ではありませんが、「腐ったトップが居座り続けていたら、この国は滅ぶぜよ!」と叫びたくなります。

                                       

                                       

                                      国民の立場に立てば、この期に及んで原発を動かす理由は何一つありません。あるとすればすべて屁理屈か科学に名を借りた詭弁に過ぎません。再稼働の理由の最も強固なものが「経済」でした。今でもリスクマネジメントやリスクコミュニケーション、ゼロリスクなる言葉を使って、国民を煙に巻くバカな経済評論家は後を絶ちません。

                                       

                                       

                                      私は頭がピーマンの彼らを批判してきましたが、豚に真珠、馬の耳に念仏でした。しかし、彼らの出番は終わったのです。用済みです。なぜなら中国までもが脱原発に舵を切ったからです。その理由は発電コストと危険性です。12月4日のNHK『クローズアップ現代』がこのことを取り上げていました。以下の記事、『中国“再エネ”が日本を飲み込む!?』を是非お読みください。

                                      http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4072/index.html

                                       

                                       

                                      ネトウヨたちが中国や韓国に対してヘイトスピーチを撒き散らしている間に、中国の首脳は日本のはるか先を見通していたのです。(こんなことを書くと、Y田ゼミ塾長に「お前は中国のスパイか」と言われそうですね)再生可能エネルギーの開発に人的物的資源を大量に投入し、自動車のみならず先端技術では日本のはるか先を行っています。

                                       

                                       

                                      しかも背後には広大な大消費地が控えています。コスト競争では日本は中国に太刀打ちできません。財界と政府のトップに、多少なりとも先見の明と国民の立場に立った構想力があれば、こんな体たらくに陥らずにすんだのです。先端技術の開発を下支えする大学のレベルも今や崩壊寸前です。

                                       

                                       

                                      以上要するに、日本は二つの面で崩壊の危機にあります。

                                       

                                      その1:地震と津波および放射能汚染によって国土が実質的に消滅する危機。

                                      その2:再生可能エネルギーや電気自動車に見られるように、先端技術の開発の遅れにより中国はもとより世界から取り残され、経済が大きく停滞する危機。

                                       

                                       

                                      この危機を回避する方法は一つです。しかし絶望的に難しいでしょう。なぜならそれは私たち一人一人の生き方の転換を必要としているからです。この点では、私は極めて悲観的です。もう一度原発事故が起こって、国土の半分以上が無人の荒野にでもならない限り人々は目覚めないでしょう。私はビラ配りをしてそれを痛感しました。

                                       

                                       

                                      「自分が何もしなくても問題を解決してくれるエリート」などどこにも存在しません。ブログで散々書いたように、エリートは無責任な大衆が妄想と願望で作り出した架空の存在です。ただの人である私たち一人ひとりが行動を起こさない限り、この世界の問題は1ミリも先に進まないし、何も解決しないのです。

                                       

                                      | 原発 | 17:47 | comments(0) | - |
                                      大分地裁裁判長への意見陳述書。
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                                        伊方原発差し止め裁判における過去5回の期日では、原告の思いを法廷で裁判長に直接訴えることが許されていました。しかし、全国的に期日中の意見陳述は制限される方向にあります。そこで原告の想いを「陳述書」という文書にして裁判官に届ける活動が開始されました。

                                         

                                         

                                        「陳述書」の締め切り期日は10月31日でした。約800字という字数制限があったため、私はあきらめていました。原稿用紙2枚で一体何が訴えられるのでしょうか。しかし、締め切り直前になって、こういう機会はめったにないと思い直し、字数制限を無視して「陳述書」を書いて提出しました。以下の文章がそれです。

                                         

                                         

                                         

                                        ― 私は伊方原発差し止め裁判の原告の一人として、裁判長に「たった一つの問い」を投げかけたいと思います。

                                         

                                         

                                        それは、判決を書く時、裁判官は誰の顔を思い浮かべているのかという問いです。もとより裁判官は機械仕掛けの人形ではないはずです。所与の条件を既存の法体系に投入すれば、自動的に結論が出るのが裁判であれば、およそ心ある人間は裁判官になりたいなどとは思わないはずです。

                                         

                                         

                                        判決には裁判官個人の人間性が投影される可能性があるからこそ、裁判官を志望する人間がいるのではないでしょうか。すなわち、「より善き世界への青写真」を強制力を伴う形で社会に示せるのが裁判官という職業です。

                                         

                                         

                                         

                                        その影響力の大きさを考えれば、裁判官が恣意的な判決を書くことなど許されるわけがありません。そこには自ずと法的な縛りがある筈です。それが、日本国憲法第76条3項に謳われている、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」というときの「良心」です。では「良心」とは何か。法律ではなく、憲法に規定されていることを踏まえて、以下に私の考えを述べます。

                                         

                                         

                                         

                                        法廷における当事者間の論争は、いわば「言葉の喧嘩」です。そのとき、人はどちらの言い分が正しいか、それぞれの判断の根拠を求めるはずです。つまり、両者には具体的に論証する責任が生じます。ここで二つの問題が発生します。第一に、誰のために具体的な論証をするのか、第二に、誰が論争の勝ち負けを判断するのか、という問題です。

                                         

                                         

                                         結論から言うと、「理想的な審判者」のために「具体的な論証」を尽くすのであり、「理想的な審判者」が勝ち負けを判断するのです。この世界のどこかに正確な判断を下すことのできる公平で客観的な審判者が存在することを信じなければ、そもそも論争が生じる余地はありません。

                                         

                                         

                                        およそ法廷における論争は単なる私的なやり取りとは違って、第三者がそれを見たり、聞いたりしたときに双方の言い分が理解できるという「言語の公開性」を前提としています。

                                         

                                         

                                        一方の当事者は「具体的論証」ができたのに他方はできなかったとします。そのとき、「具体的論証」が欠けている側の主張は根拠薄弱として却下されるはずです。さらに言えば、「具体的な論証」ができたかできなかったかは「理想的な審判者」の審判にかかっているのであって、論証に失敗した側が相手方の主張を受け入れたかどうかとは無関係です。

                                         

                                         

                                        論争の当事者が自分の非を認めるのは稀有なことだから「具体的な論証」を要求しても無駄であるというなら、およそ言論を闘わせることに意味などありません。

                                         

                                         

                                         論争が生じる根拠は、言語存在としてのわれわれが共通に思い描いている「理想としての審判者」を、とりあえず第三者に仮託して、あることの成否をめぐる判断をそこにゆだねるほかはないという共通の要請のうちにあります。

                                         

                                         

                                        論争が生じるのは、「理想的な審判者」が「存在しない」からではありません。全く逆に、成否をめぐる「言葉の喧嘩」は、その運動過程の中に必然的に理想の審判者を要請しているのです。 つまり、「具体的論証」を尽くす努力をすればするほど、彼方に、理想としての審判者のイメージが堅固なものとして立ち現れるのです。

                                         

                                         

                                         

                                        裁判官に求められる「良心」とは、この「理想的な審判者」をどこまでも信じることのできる独立不羈の精神を指しているのだと考えます。すなわち、憲法意思が裁判官に対して自らの「良心」に照らして判決を書くように激励し、命令しているのです。

                                         

                                         

                                         

                                        思うに、日本の司法は「統治行為論」を採用して以来、「国家統治の基本に関する高度な政治性」を理由に、私たちの命と暮らしに直結する争訟を司法審査の対象から除外してきました。

                                         

                                         

                                         

                                        しかし、「高度な政治性」とは何でしょうか。そもそも政治とは、国民に対して、誰もが不可能だと思っていることを可能であると実証して見せる営みを指すのではないでしょうか。すなわち、現実を絶対化し、その改変を試みる勇気を持たない人間に対して、「現実」は一部の人間の利益に奉仕しているだけであり、したがって取るに足らない思いこみであり、一時的な夢だと喝破して見せることこそが政治の使命だと考えます。そう考えれば、統治行為論を採用することは、司法の自殺行為だと言わざるを得ません。

                                         

                                         

                                         

                                        さて、判決を書く裁判官は誰の顔を思い浮かべているのかという最初の問いに戻ります。

                                         

                                         

                                        憲法意思は、裁判官に対し「良心」に基づいて判決を書くように要請しています。「良心」を発動するためには、歴史の真実を見極める知性が必要です。それは昭和の15年戦争から第二次世界大戦の敗戦に至るまでの数百万にのぼる死者の声を聞く力です。

                                         

                                         

                                         

                                        同時にそれは、伊方原発が過酷事故を起こした際、原発より西に位置する佐多岬半島に住むおよそ4700人の住民が逃げ場を失い、助けを求めて絶望している姿を想像することにつながる筈です。

                                         

                                         

                                         

                                        実質的な棄民を司法審査の対象から除外することは、「良心」を持った裁判官にはできるはずもありません。聡明な裁判長なら、福島の例を見るまでもなく、原発事故における住民避難訓練は故郷を捨てる訓練なのだと喝破されていることと思います。

                                         

                                         

                                        いずれにせよ、私は裁判長が「良心」に則り、歴史の検証に耐えうる判決を書いて下さることを心より願っています。

                                         

                                        | 原発 | 20:21 | comments(0) | - |
                                        デジャヴ(既視感)と近未来のカタストロフィー
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                                          昨日、10月11日は、伊方原発差し止め裁判の第6回公判の傍聴のために大分地裁へ行ってきました。季節外れの暑さの中でしたが、それでも時折吹く風の中に秋の気配が感じられました。いつものように上高時代の同級生、『疾風自由日記』のSさんに会うことができました。

                                           

                                           

                                           

                                          帰宅すると、霧島山系の新燃岳が6年ぶりに噴火したというニュースが流れていました。記憶している方も多いと思いますが、新燃岳は2011年1月26日、約300年ぶりの本格的なマグマ噴火が観測された活火山です。

                                           

                                           

                                           

                                          それから1カ月後の2011年2月22日12時51分にニュージーランドのカンタベリー地方でモーメントマグニチュード6.1の地震が起こります。特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」とも呼ばれています。その時、多くの日本人留学生がクライストチャーチにいました。日本人の犠牲者は28人に及び、全員が留学生で、高校を卒業して間もない学生もいました。

                                           

                                           

                                           

                                          それから1カ月を待たずして、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発の過酷事故(人災ですが)が起こりました。地震はほぼ周期的に起こります。日本列島は次の巨大地震がスタンバイしている状態です。

                                           

                                           

                                           

                                          にもかかわらず、愚かな為政者や金儲けに余念のない電力会社をはじめとする財界は、原発を次々に再稼働させ、裁判所と原子力規制委員会はそれにお墨付きを与えています。それが何を意味するのか、想像力と知性を欠いた彼らには近未来のカタストロフィーが見えていません。

                                           

                                           

                                           

                                          私は、今の政治とそれにふさわしい国民が、パンとサーカスに興じている様を見て、絶望しています。この国の国民は、もう一度原発事故が起こらなければ目が覚めないだろうと。しかし、その時はこの国が終わる時です。

                                           

                                           

                                           

                                          3・11直後、私たち国民は素朴に何を感じていたでしょうか。大都市圏3500万人が避難しなければならない状況は、刻一刻と迫っていたのです。偶然の僥倖によって首の皮1枚でつながった国民は、わずか6年の時が流れたというだけで、そのとき味わった恐怖や絶望を忘れてしまいました。やれオリンピックだ、やれ選挙だ、と空騒ぎをしています。それは一言で言えば、政治家と国民がロシアンルーレットを楽しんでいるということです。

                                           

                                          『ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民』

                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=123

                                           

                                           

                                           

                                          21世紀の初頭、日本は国民的な規模で記憶喪失に陥り、知性は払底しています。原発を再稼働させる政権を再び支持するのですから。

                                           

                                           

                                           

                                          以下は、福島第一原発の事故後に発売されたFRYING DUTCHMAN の『humanERROR』です。いつの時代も真実は大げさで極端に聞こえるものです。あなたの身体的知性つまり感情は、この曲に生理的な拒否反応を示すでしょうか?そうでないことを祈ります。

                                           

                                           

                                           

                                          上記 You Tube は up した後、削除されたり、妨害されたりしています。そこで Live 版もアップしておきます。

                                           

                                           

                                           

                                          | 原発 | 08:45 | comments(0) | - |
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