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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書) (JUGEMレビュー »)
福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
茫漠の曠野 ノモンハン (JUGEMレビュー »)
松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
「南京事件」を調査せよ (文春文庫) (JUGEMレビュー »)
清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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卑怯者の島: 戦後70年特別企画
卑怯者の島: 戦後70年特別企画 (JUGEMレビュー »)
小林 よしのり
2015年に読み、感動した本(漫画)です。個人的には、これは小林よしのりの最高傑作だと思っています。『堕落論』とあわせて読んでほしいと思います。左右に関係なく、あなたが絶えず仮の足場を求めて思考を継続する意思を持つなら、避けて通れない著作です。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業 DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号 (JUGEMレビュー »)
広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) (JUGEMレビュー »)
エドワード・W. サイード
いわゆる「知識人」なるものが絶滅して久しい。しかし、サイードの言う知識人の定義は時代がどんなに変わっても常に新しい。「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」高校生や大学生にはぜひとも読んでほしい本です。
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磯崎新と藤森照信の茶席建築談議
磯崎新と藤森照信の茶席建築談議 (JUGEMレビュー »)
磯崎 新,藤森 照信
この本は茶室を巡る様々な建築的発想・知識の宝庫です。それにしても磯崎新氏の驚くべき記憶力と該博な知識には驚かさされます。建築史を語るには欠かせない二人の対談です。時がたつのを忘れさせるほどの面白さでした。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
チャヴ 弱者を敵視する社会 (JUGEMレビュー »)
オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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フェイクニュースの見分け方 (新潮新書)
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烏賀陽 弘道
私は政治的な言葉と詩的言語の間を、その振幅が大きいがゆえに、往復することによって精神を活性化させています。政治的な文章を読むときに気をつけていることは、ファクトとオピニオンを区別することです。これはイロハのイだと思っていたのですが、今はお互い罵詈雑言の投げつけ合いで、言論空間がいびつになっています。これは今の政治を反映したものでしょう。菅官房長官が「問題ない」「その指摘は当たらない」などといったコミュニケーション遮断語を頻繁に使いだしてから、この傾向は加速しています。言論空間のゆがみを正し、正常な論争が復活することがあるのでしょうか。地に足がついた生き方をしたいなら、まず気分に流されず、事実を見極めることから始めなければなりません。事実を提示しないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。そのことを確認するためにも本書は必読です。本物の読解力をつけたいと考えている中高生には特にお勧めです。
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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チェンジング・ブルー――気候変動の謎に迫る (岩波現代文庫)
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大河内 直彦
アインシュタインの名言のひとつに、「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」があります。
本書は文系・理系を問わず、高校生や大学生必読の本です。単に気候の科学を紹介しただけではなく、科学者たちのさまざまな逸話を紹介しながら、科学における知識・研究の積み重ねの重要性を教えてくれます。この本にのめり込むかどうかが、あなたの知性のリトマス試験紙になります。受験勉強的発想の狭隘な世界観を粉砕してくれるかもしれません。
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見て見ぬふりをする社会
見て見ぬふりをする社会 (JUGEMレビュー »)
マーガレット ヘファーナン
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新・日米安保論 (集英社新書)
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柳澤 協二,伊勢崎 賢治,加藤 朗
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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安倍首相から「日本」を取り戻せ! !
安倍首相から「日本」を取り戻せ! ! (JUGEMレビュー »)
泥 憲和
まともな言説は、誰にでもわかる易しい言葉で書かれています。そして、それが本物であればあるだけ、真実を直視する勇気のない、臆病者からバッシングを受けます。安倍政権や維新の会のヤクザ議員からバッシングを受けない言説は何のインパクトもない、ニセモノだと言ってもいいくらいです。泥さんの発言は、間違いなく政権にとって都合の悪いものだったのです。表紙の写真はコワいですが、この本を読めば泥さんの優しい心根に触れることができます。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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日本力
日本力 (JUGEMレビュー »)
松岡正剛,エバレット・ブラウン
テレビを始めとするメディアを通じて、何かといえば日本はスゴイ!と叫んでいる、あるいは叫ばないと身が持たない人たちに読んでもらいたい本です。だってそれは日本人がまともな思考をしてこなかった、今もできていないことの裏返しでしかありませんからね。日本スゴイと叫んでいる人を見ると、自分が持っている劣等感をこんな形でしか表現できないのかと思って気の毒になります。日本スゴイ!だからどうしたの?あなたは何をやりたいわけ?
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まんが政治vs.政治まんが――七人のソーリの一〇年
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佐藤 正明
今の政治状況に対して、まともに反応すればするほど、こちらがアホに思えてきます。正面突破は犠牲者が出るだけでなく、精神的にも疲労困憊しますからね。こういう時代の表現方法は、もはや風刺とブラックジョークしか残っていない気がします。
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魂の殺人―親は子どもに何をしたか
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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朽ちていった命:被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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生前退位をめぐる安倍首相の策謀 (宝島社新書)
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五味 洋治
天皇陛下が去年8月のお言葉で一番国民に伝えたかったのは、一言で言うと安倍首相の改憲を許してはならない、ということだったのです。それはブログでも再三書いてきましたが、今上天皇の20年にわたる慰霊の旅や国民に寄り添う姿勢が何よりそのことを証明しています。普通の読解力があれば分かることです。しかし、安倍首相には肝心の読解力がありません。安倍首相は今上天皇の思いを、単なる生前退位の「制度上の問題」にしてしまったのです。これは明らかな策謀です。国民は今一度、天皇陛下のメッセージに真剣に耳を傾けるべきです。
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教育の論理―文部省廃止論 (講談社文庫)
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羽仁 五郎
1979年、今から38年前に出版されたこの本を読み返しました。そして愕然としました。羽仁五郎が指摘したことがますますリアリティーをもって、前景化しています。福沢諭吉も言うように文部科学省はいらないのです。教育関係者は、自らの原点に戻るため、この本を読むべきです。
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服従
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ミシェル ウエルベック
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排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容
排除と抵抗の郊外: フランス〈移民〉集住地域の形成と変容 (JUGEMレビュー »)
森 千香子
第16回大仏次郎論壇賞を受賞した本作は、従来時間軸で論じてきた社会学の手法に、パリ郊外というエスニック・マイノリティーが住む「空間」を突きつけ、彼らがなぜグローバルテロリズムに追い込まれるのかを明らかにしたものです。

一読し感銘を受けました。問いを生きるという学問の原点が、彼女のフィールドワークにつながり、「移民たちは、彼ら自身に問題があるのだという視線を注がれていました。でも実際には、多数派による差別が問題を生み出していた。問題は社会の側にあったのです」と結論付けます。

この著作は日本社会のみならず、世界のこれからを考えるのに、大いに役立ちます。これぞ学問と言えるものです。『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 』とあわせて読むことを勧めます。
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黒い巨塔 最高裁判所
黒い巨塔 最高裁判所 (JUGEMレビュー »)
瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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被災の思想 難死の思想
被災の思想 難死の思想 (JUGEMレビュー »)
小田 実
若い人は彼の仕事も、名前すら知らない人もいるでしょう。来年で没後10年になります。彼が生きていたら、3・11をどうとらえ、どう表現していたか。それを見たかったし、彼の発言を聞きたかった、とつくづく思います。ジャーナリズムは劣化の一途をたどり、教育は非民主的な社会に適応できるように、こどもたちに真実を教えません。すべてのものには歴史があります。今ある世界が全てではなく、それを作り出した社会と人間の営みがあったのです。もし若い人が自由に生きようと思うのであれば、そして元気を出したければ、彼の著作を読んでみることです。『何でも見てやろう』でもいいですね。とにかく一冊手にとって見てください。そして彼の提示した問いに答えてみてください。
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そして、僕はOEDを読んだ
そして、僕はOEDを読んだ (JUGEMレビュー »)
アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
選挙 [DVD] (JUGEMレビュー »)

想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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職業としての政治 (岩波文庫)
職業としての政治 (岩波文庫) (JUGEMレビュー »)
マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ
電通と原発報道――巨大広告主と大手広告代理店によるメディア支配のしくみ (JUGEMレビュー »)
本間龍
こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)
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施 光恒
英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
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矢部 宏治
前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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菅野 完
メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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安冨 歩
経済学という自己正当化の道具、あるいは権力に寄生するための方便を分かりやすい言葉で暴露した本物の経済学の本。宇沢弘文氏の「社会的共通資本」と併せて読むことをすすめます。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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桐野 夏生
権力も財力もない人間は、想像力を武器に戦うほかありません。以前ブログでも取り上げた『亡国記』とともに読むことをすすめます。
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吉見 俊哉
文部科学省と財界は文系学部、特に社会思想を研究する学部を標的にして、その廃止を迫っている。これがどれだけ短慮で、バカげたことかヨーロッパの大学を見てみればよい。コンピテンス、要するに高速事務処理能力と記憶力を重視する理系学部さえあれば国は繁栄するという考え方です。文系学部は「結果を出せない」といいます。株式会社化をなりふりかまわず進めようとする国の中で、文系学部は穀つぶしだと映っているのでしょうね。この国の知性の劣化はとどまるところを知らないようです。
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福島第一原発 メルトダウンまでの50年――事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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蓮池 透
出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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本では土屋正雄氏の名訳が出ていますが、できれば英語で読んでもらいたい小説です。カズオ・イシグロの文章は読んでいてとても気持ちがいい。素晴らしい文体です。いつの間にか声に出して読んでいることがあります。ジョージ・オーエルと並んで私が最も好きな海外の作家です。彼が書くような英語を書きたいですし、彼のように考え、話したいものです。DVDを見た後は、是非小説も読んでください。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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井手 英策
今年の大佛次郎論壇賞、受賞作品。今年の2月に読み、いろいろと考えるヒントをもらった本。ブログでも紹介したいと思います。
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資本主義社会に生きるということは、会社といかにかかわるかを意味します。それほど私たちの働き場所として会社は大きな力を持っています。その会社がこれからどうなるのかを、数少ない本物の経済学者・岩井克人氏が洞察しています。凡百の経済評論家には決して書けない本です。今からでも遅くない。是非読んでみてください。
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長谷川 宏
著者は私と同じく学習塾を営む在野の哲学者。私が塾を始めた時、著者の『赤門塾通信』を読み、励まされました。

上下2巻で、結構なヴォリュームですが、やっと読み終わりました。今改めて日本の精神史をたどりなおしたいと考えている人には、ぜひ勧めたいと思います。感想は又いつか別の機会に。
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小林秀雄は、私を文学や哲学の世界にいざなってくれた恩人です。彼と岡潔との対談です。
この本を理解できる政治家はおそらくいません。いたら、絶滅危惧種でしょう。
小林秀雄、岡潔、鈴木大拙のような人間はもう出てこないでしょうね。こういう人間を生み出す土壌が日本にはなくなりました。
代わりに登場してきたのが、橋下徹やホリエモンこと堀江貴史といった、マスコミによって改革の旗手と持ち上げられたマネー資本主義の申し子たちです。
感情を劣化させた人間が幅を利かせる社会は、効率を追求し、競争を加速させるだけの生きづらい社会です。日本社会はどうしようもなく劣化が進んでいます。
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岡 潔
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こどもの将来を本当に考える親なら、あれこれ参考書を買い与えるより、是非この本を読むことをすすめます。私たちが失ったものの価値が分かり、呆然とするはずです。

この本を読んで何も感じなかったらどうするのか?
残念ですが、どうしようもありませんね。これまで通り、自分の信じる道をお進みください。
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鈴木 大拙
鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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教育にまつわるここだけの話。
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    もうなんと言えばいいのか、この国の教育、とくに英語教育のバカバカしさには言葉もありません。国や文部科学省の言い分を聞いてみましょう。

     

     

    文部科学省官僚S氏。

     

    「自分たちはグローバル社会のなかで手をこまねいているわけではありませんよ、一応小学校の段階から英語を正規の教科にしましたし、4技能を身につけさせるために大学入試も模様替えする予定です。

     

     

    失敗に終わるだろうという声もありますが、まあ国がスローガンを打ち出すだけで、学校ではもちろんできませんが、何しろ人材も予算も時間もないわけですから、でも、そこはほら、民間企業(塾業界)がわれ先に英語熱を煽って生徒を確保しようと懸命になってくれますし、子どもが落ちこぼれたら大変ということで親は自腹を切って塾に通わせようとします。

     

     

    いやあ、本音を言えば、今時学校だけで教育ができるなんて考えている人はいませんよ。社会保障でも自己責任が叫ばれているでしょ。だから教育も自己責任というわけです。

     

     

    じゃあ国は何のためにあるのかですって?それはほら、政治家が戦争をあおったり、国有財産を二束三文で売り飛ばしたりして、税金をロンダリングして自分のふところに入れるためですよ。アベノミクスと称して紙幣を印刷しまくり、官製相場をつくって株価を上げれば、財界から金と票をもらえるというわけです。

     

     

    国民はそれほどバカじゃないとおっしゃるんですか?そうですかねえ。麻生財務大臣の記者会見を見ましたか?彼は会見で次のように言ったのですよ。「(佐川は)国税庁長官としても理財局長としても適任だが本人の申し出を許可した。併せて、懲戒処分減給3ヶ月にした。今後更なる懲戒の可能性も伝えた」と。

     

     

    この日本語分かりますか?適任なのに懲戒だと。国民がまともだったら、こんな支離滅裂な日本語を使う人間が財務大臣をしているのかと驚き、絶望するはずですよ。政権はとうの昔にひっくり返っていますよ。なんたって、「全体の奉仕者」である公務員を、自分の使用人のようにこき使っているのですから。

     

     

    森友問題は、いつの間にか財務省の問題になっていますが、財務官僚が自分の意思で公文書を改竄したり、削除したりして犯罪に手を染めたりするはずがないじゃありませんか。政治的な力がはたらいたのですよ。削除された文書の中に「本件の特殊性」とあるじゃありませんか。

     

     

    「特殊性」って何ですか。安倍総理夫妻の案件だということですよ。それが分からない官僚などいません。海に落ちた透明のガラス片を探すくらい難しいでしょう。その「特殊性」のために近畿財務局の職員が「自殺」したんですよ。それでも安倍政権は倒れないでしょうね。だって国民とカルト宗教団体が支えているのですから。おや、話がそれましたね。ついつい同じ公務員なので身につまされましてねえ。

     

     

    英語教育の話でしたね。で、大学入試も英語の4技能を向上させるために、民間試験を活用するということになっています。でも昨日3月10日に、東大が民間試験を使わないという方針を明らかにしました。入試に必要な公平性が担保できないというのがその理由です。東大が宣言してくれたので内心ホッとしています。

     

     

    こんなの、あたりまえですよ。よほどのおバカさんでなければ、これからは英検だTOEICだと騒ぎはしません。入試は何より公平でなければなりません。わけのわからない試験で合格したとなると、大学への信頼、ひいては存在そのものが否定されるのですから。

     

     

    例えば、東大の合否が親の年収で決まるとなれば、だれも東大を信頼しなくなります。むしろ軽蔑の対象になるでしょう。なんだ、東大はバカでも金持ちの坊ちゃんや嬢ちゃんなら行けるのか、というわけです。

     

     

    えっ、実態はすでにそうなっているですって。シッ。そんな大きな声で本当のことを言っては困ります。東大の実態がそうだと分かれば、そこに大量に合格者を出している高校も同じことになりますからね。だから、入試の公平性は教育に対する信頼性をつなぎとめる最後の命綱なのです。

     

     

    実のところ、東大をはじめとする難関大学に合格するには、学力だけでは足らなくなっています。家庭の環境や親の学歴といった「文化資本」が必要なのです。その結果、難関大学は富裕層の子どもに独占されることになります。格差はますます開くことになりますね。逆に、富裕層に見られたいという見栄のために子どもに勉強させるといった倒錯した親も出てきます。

     

     

    御存じないかもしれませんが、東大に合格するためのルートはすでに決まっているのです。特に私立の医学部に合格するルートは、親の経済力と、どこの医学部専門予備校・塾に行くかで決まっています。生まれた時から裕福で、高級ホテル並みの個室で手取り足とり教えてくれるような環境で入試を突破した医者にあなたは診てもらいたいですか。私なら二の足を踏みますね。

     

     

    これからはまともな医者は地方の国立大学医学部でしか育たないのではないかと危惧しているのです。ええ、これはもちろん私だけの考えですから間違っているかもしれません。

     

     

    というわけで、東大が合否判定に民間試験を使わないという方針を明らかにしたのは、試験の公平性こそが自分たちの存在を担保するものだと分かっているからです。これから風向きは変わりますよ。

     

     

    ここだけの話ですが、共通テストも民間試験も私たちの天下り先を確保するために考えだされものです。大学入試センター試験は、この国の未来を託すべき若者を、偏差値という線型の序列性の上に位置づけることで「分をわきまえさせ」、統治しやすくするための方法だったのです。

     

     

    いや、こんなことを言うと陰謀論だといわれるので、一つだけ言い訳をすると、「意図せざる結果の法則」というわけで、半ば偶然に、半ば意図して出来上がったというわけです。

     

     

    ここまで言えば、もうおわかりでしょう。大学入試センター試験も、それに替わる共通テストも民間試験も実は全く不要なのです。各大学が独自の試験をすればいいだけのことです。

     

     

    大学で学問をするためには、これこれの学力が必要だと思えば、各大学がそれなりの難易度の問題を作成し、志願者を選別すればいいのです。一昔前はそうしていたのですから。通分ができない大学生にはそれなりの問題を、高度な英語力が必要な学部はそれなりの問題を作ればいいのです。

     

     

    それができないのは、あまり大きな声では言えないのですが、入試問題を作れない大学が多いからです。それどころか、定員割れの大学は、入学(入園)していただくお客様をテストで選別するなんて、おそれ多いことでございます、と考えているでしょうね。しかし、入試をしなければ大学と認知されません。苦しいところですね。要するに、共通テストは、大学の大衆化に対応するものなのです。

     

     

    少子化が加速する今こそ、大学の再編のチャンスなのですが、そんなことを言おうものなら、金儲けのじゃまをするなということで「粛清」されるかもしれません。今や大学は学問をする所だなどと考えている人はほとんどいません。就職するまでの腰かけにすぎないのです。ノーベル賞をもらった京都大学の山中伸弥教授ですら、クラウドファウンディングでお金を集めなければならないのですよ。

     

     

    はっきりいいましょう。文科省に限らず、財務省でも他の省庁でも、自分の子どもは海外の大学へやると決めている人は大勢います。日本の大学に見切りをつけているんです。今日は少し余計なことをしゃべりすぎたかも知れません。ではまたお会いしましょう。」

     

    英語をめぐるバカ騒ぎ。

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=467

     

    | 教育 | 16:02 | comments(0) | - |
    ある兄妹のこと。
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      私の塾教師人生も第4コーナーを回って最後の直線に入ってきました。個性豊かな子供たちとの出会いがあり、思い返せば様々な出来事がありました。世間の片隅に埋もれるようにして塾稼業を続けてきましたが、ある意味、幸せな時間だったと思います。

       

       

       

      なぜなら、空前絶後のおバカ総理の発言に沿うべく、後から公文書を書き変えたり、削除したりして、懸命につじつま合わせをしなければならない財務官僚の心中を察すると、気の毒というよりも哀れをもよおすからです。私たちは事実上国家の崩壊に立ち会っているのです。

       

       

       

      これから日本を襲うカタストロフィーは、自然災害にとどまらず、経済的・文化的・道徳的な枠組みを破壊し、たたけばピーマンのようにパコパコ音のする頭を乗せた人間たちを大量に生み出すことでしょう。

       

       

       

      私は誰かの意図を忖度して生きることは、本来むなしい生をますますむなしくすると、人生の早い段階から気づいていました。そのせいか、多くの人が望むように一流企業に入ろうとも思わず、潜在的失業者として生きることを選択しました。

       

       

       

      自分がとるに足らない塾教師であればこそ、そこにやってくる子供たちも親も、なんらかしこまる必要もなく、むしろ見下すくらいの態度で接してくれます。「つまらなければ、他にも塾はあるのだから、やめればいいのよ」という親子のスタンスは、多少私の自尊心を傷つけはしますが、それと引きかえに、何ともいえない自由をもたらしてくれたのです。

       

       

       

      食うや食わずをがまんすれば、鬱になることもありません。塾教師にとって必要なのは、限られたリソースで生きていこうとする覚悟であり、精神の衛生学なのです。私には多店舗展開の塾をつくって儲けようという気などさらさらありませんでした。自分がやれる間だけやって、時期が来れば、里山にある空き家が人知れず朽ちていくように、やめるだけだと思っていました。

       

       

       

      そのせいか、幸せな出会いもありました。その中に、ある兄妹がいたのです。まず入塾の時、父親と息子を一目見て、ああこの親子となら通じ合えるにちがいないと思いました。その後、兄が妹を連れてきた時も、まったく同じでした。いつもお父さんがいっしょでしたが、塾教師として私がするべきことはあまりないだろうなと思いました。なぜか?

       

       

       

      「月謝という対価を払っているのだから、それに見合った効果を出すべきだ」といった雰囲気がこの親子には微塵もなかったからです。人間として学ぶ姿勢がすでにできているので、私の教えることを素直に吸収してくれるだろうと思いました。そしてその通りになりました。単純な事実ですが、教育ではやはり家庭が大きな比重を占めています。

       

       

       

      消費社会は人間の意識を等価交換と費用対効果というイデオロギーで染め上げます。その結果、今では色々なモノを子どもに買い与えられる家庭がいい家庭だとかんちがいされています。それを思うと、例外的な家庭であり、兄妹だったのです。

       

       

       

      そんなわけで、兄のK君は京都大学に合格し、妹のSさんは今年大分大学の医学部に合格しました。お父さんとSさんが挨拶に見えた時、私は思わずSさんの手をとり握手しました。なんといっても、7年間の付き合いでしたからね。私の娘のような気持ちがしたのです。本当はハグしたかったのですが、お父さんがそばにいるのでできませんでした(笑)。貸していた映画のDVDを返してもらい、よもやま話をしました。

       

       

       

      私がSさんを素晴らしいと思うのは、中央志向つまり東京志向がないところです。普通Sさんほどの学力があれば、中央志向、ブランド志向になるのがふつうです。自分の子供4人を全員東大の医学部に「合格させた」母親が脚光をあびるのが今の世の中です。

       

       

       

      Sさんはそういった世間の浮ついた風潮に迎合することなく、へき地医療にたずさわりたいと言います。これからは、小さな世界で等身大の生き方をすることが幸せにつながると分かっているのです。つまり、10年先を行っているのです。

       

       

      小さな世界で生きる幸福 ドラマ 『鴨川食堂』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=107

       

      『鴨川食堂』という魂の救済場所

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=124

       

       

       

      ふりかえると、あっという間のようですが、K君もSさんも休むことなく7年間塾に通って来てくれました。私の塾を合格のために利用するのではなく、勉強することそのものを楽しむ場所だと考えてくれたのでしょう。感謝の言葉もありません。

       

       

       

      よく予備校や塾の宣伝文句で「みなさんは何もしなくてもいい。合格させるのは私たちの責任です。入試から逆算して今何をすべきか。それを教えます。」というのがあります。それに対して私がよく言うのは「合格したら僕のせい。不合格だったら君のせい。」です。

       

       

       

      何やらふまじめのようですが、続きがあります。

       

      「これは冗談です。僕は合格も不合格もすべて君たちにかえしてあげたいと思っています。かりに不合格だったとしても、僕には責任をとる術がありません。授業料をすべて返す、などというのは「結果」によって勉強してきた意味を無価値にする考え方です。懸命に努力しても不合格のこともあります。当然その逆もあります。かりに不合格であっても、そこから見えるものがあります。つまり、合格した人には味わうことのできない気持ちを味わい、見えない景色を見ることができるのです。だから、僕はおめでとうと言いたい。スポーツでも試験でも大切なのは負けた時の態度です。むしろそのために、スポーツや試験はあると考えた方がいいくらいです。金メダリストの陰には、何千人という挫折した金メダリストがいるのです。だから、Be a good loser! (よき敗者であれ!)

       

       

       

      今回の話はここまでです。読んでくれた皆さんにお礼申し上げます。いつもありがとうございます。

       

      | 教育 | 14:58 | comments(0) | - |
      英語をめぐるバカ騒ぎ。
      0

        今日は伊方原発差し止め訴訟の第8回口頭弁論を傍聴するため、大分地裁へ行ってきました。強風で花粉が舞い散る中、呼吸困難に陥りながらも(笑)、なんとかたどりつきました。

         

         

         

        だれのためでもありません。理想が世の中で実現されるかどうかというような大それたことを考えているわけではありません。ただ自分自身が腐った妥協をしていないかどうかを内省するために足をはこんでいるのです。

         

         

         

        さて、政治の劣化の陰であまり注目されていませんが、教育分野、特に大学教育の質的な劣化は目をおおいたくなるほどです。にもかかわらず、学校、塾・予備校業界は東大を頂点とする大学ヒエラルキーの上位校にどれだけの生徒を送り込んだかという「実績」作りに血道をあげています。

         

         

         

        教育において「実績」だとか「結果」、あるいは「エビデンス」といった言葉を疑いもせずに使う人は、貧困な人間観・教育観ひいては世界観の持ち主だということを告白しているに等しい。多少なりとも羞恥心を持っている人間なら、経済用語もどきの言葉を何の抵抗もなしに使えるはずがないのです。

         

         

         

        ところで、毎年この時期になると、幹線道路沿いに、キラキラしたカラフルなノボリや看板が登場します。生き残りをかけた塾の宣伝合戦です。チラシやテレビコマーシャルでは「マイレージ」「ポイント」といったカタカナ語とともに「成績保証」「やる気スイッチ」などといったわけのわからない言葉が踊るようになります。こういったキラキラ言葉に吸い寄せられる保護者や子供の目は、さぞや夢や希望でキラキラ輝いていることでしょう。

         

         

         

        教育の劣化はそこで使われる言葉の劣化にほかなりません。

        「あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」というガンジーの言葉を支えに、私は今日まで塾教師を続けてきましたが、もはや私の出る幕ではないな、と最近つくづく思います。

         

         

         

        私を意気阻喪させるものの一つに、英語をめぐるバカ騒ぎがあります。英語の4技能ですって?一体誰がそれを教えるのでしょうか。4技能どころか1つの技能すら身についていない教師にそれが可能でしょうか。もし本気で英語の4技能を子供につけさせたいのなら、莫大な予算と時間を工面しなければなりません。あたりまえですね。つまり、「安かろう、悪かろう」のなかでスタートさせるのですから、結果は目に見えています。

         

         

         

        それにしても、世界のいったいどこの国が、これほど他国の言語に執着し、義務教育の中にまでとりいれようと必死になっているでしょうか。中国は義務教育で子供たちに英語を学ばせているでしょうか。フランスやドイツはどうでしょう。イタリアやスペイン、ベトナムはどうでしょう。

         

         

         

        日本ほど強迫神経症のように他国の言語=英語を受け入れようとしている国はありません。なぜでしょう。それは日本がアメリカの属国として生きていく運命を積極的に受け入れているからです。そのけなげさは世界でも類を見ません。政治家、官僚、ビジネスアスリート(なんという下品なことばでしょう)を問わず、その積極性の度合いによって出世が左右されるというわけです。

         

         

         

        「他国の言語」と言いましたが、正確には「宗主国の言語」です。それを一律下降的に義務教育で強制すれば、ちょっとでも有利な地位に就こうと思う人たちの間で競争が激しくなるだけです。意地悪い見方かもしれませんが、ちょっとでも優秀な奴隷になろうと、幼少のころから親といっしょになってトレーニングに励むことが当たり前になるのです。

         

         

         

        名誉白人ならぬ名誉奴隷になることを夢見る人たちは、グローバル時代の中では英語ぐらいできないと困ると考えています。つまり時代の空気を読んでいるのです。その結果、だまされてかなりの時間とお金を費やします。それでも、英語は将来のポジションを確保し金儲けをするための「ツール」だという考えはゆらぎません。

         

         

         

        しかし、グローバリズムの意味を正確に理解している人はほとんどいません。ただなんとなく世界が単一の市場と化し、英語が公用語になるだろうといったイメージでしょうね。なんだか荒れた天気になりそうだから、準備をしておかなければといった感じでしょうか。そうだとしたら、あなたは確実にグローバリズムの餌食になるでしょう。

         

         

         

        そうならないためには、まず足元の現実を見さえすればいいのです。

        今、大学の40%が中学・高校で履修すべき英語の補習を実施しています。「話す英語」に資源を集中したせいで、語彙力がないので英文が読めない、文法を知らないので主語や動詞のない文を書く、といった「症状」がもはや珍しくないそうです。

         

         

         

        それでも相変わらず政治家や官僚や財界は「文法や講読に金と時間を割いているので英語力が落ちているのだ。もっと会話に時間を使え」と言っています。

         

         

        お言葉ですが、30年前から文法よりも会話を重視する方針の下に教えた結果がこれです。国は過去30年「英語が話せる」ために無数の教育改革を行い、その一つ一つの成否の検証をしないまま次の改革にのめり込むということを繰り返してきました。その結果、日本の大学生の英語力は過去最低を記録することになったのです。

         

         

         

        以上述べたことは私の実感と一致しています。

        最後に具体例を挙げておきます。私の住む大分県ではトップクラスの高校生でも苦労する問題です。なぜその単語を選び、その文を作ったのかという私の問いに答えられる高校生はさらに少ないのです。

         

         

        以下の日本語を英語にしなさい。

         

        1「最近、日が長くなってきた。」

        2「昨夜、頭がさえて、夜明けまで眠ることができなかった。」

         

        これくらいの基本的な問題ができない「英語教育」って、何なんでしょう。きっと、話すトレーニングが足りないのでしょうね。

         

         

        「読み」「書き」「聞く」力がついていれば話すことは慣れの問題に過ぎません。うまく話せないのはそれを支える基本の3技能が身についていないからです。こんなことも分からない人間たちに、英語教育をああしろ、こうしろなどという資格はありません。ふう〜、なんだか疲れますね。

         

         

        | 教育 | 23:35 | comments(0) | - |
        滅び行く国の教育。
        0

          高校入試を控えた中3生の授業もあと1回を残すのみとなりました。国公立大学前期日程の入試も直前です。そこで、久しぶりに静かな土曜日、塾の宣伝を兼ねて(新高3生の授業は3月より開始です)英文法の解説をしようと思ったのですが、どうも気分が乗りません。政治のみならず教育の自壊現象を目の当りにして意気阻喪しているのです。

           

           

          そこでその原因と冷静にむきあうために言葉にしてみました。「思考ノート」の作り方を書いた責任がありますからね。

           

           

          その1:教育の自壊現象について。

           

           

          例の東京・銀座の中央区立アルマーニ小学校、じゃなかった泰明小学校の件です。報道によると、同小学校がイタリアの高級ブランド「アルマーニ」にデザインを依頼し、最大約8万円の標準服の導入を決めたことを巡り、同ブランドの日本法人「ジョルジオアルマーニジャパン」(東京)が、区教育委員会に対し、児童の安全確保などを要望する申し入れを行ったことが23日、同社や区への取材で分かった、とのことです。

           

           

           

          「標準服導入を巡っては、同小の児童らが登下校中に服をつままれるなどの嫌がらせが起きている。同社によると、申し入れは23日までに文書で行い、児童の安全確保のほか、標準服導入について保護者に改めて説明するよう求めたという。同社の担当者は「児童への影響が出ていることを懸念している。導入を巡る保護者の同意や理解を進めてほしい」と話している。標準服の販売店舗によると、23日現在、今春の入学予定者60人中54人がすでに採寸と入金を終えた。」ということです。

           

           

          ほらね。私が予想した通りのことが起こっています。

           

           

          それにしても、さすが「アルマーニ」です。児童に対するいやがらせが相次ぎ、傷害事件、誘拐事件に発展すれば、ブランドイメージに致命的な傷がつくことを懸念し、早々と手を打ったのです。イタリアの高級ブランドともなれば、危機管理の意識が高い。日本の公教育に指示が出せるのですね。「アルマーニ」がすごいのか、校長や区教育委員会がふがいないのか、どっちでしょう。

           

           

           

          本来なら、区教育委員会が校長を呼び、「あなたは公立小学校の校長であることを認識しているのか。公共心のある子供を育てることがあなたのやるべきことではないのか。子供たちがいやがらせをうけたり、事件に発展したりすれば、あなたは責任をとれるのか。すぐに撤回していただきたい。」と言うべきだったのです。

           

           

           

          でもそれは無理です。なぜなら、校長はアルマーニの制服の導入をめぐってすでに区教育委員会に相談をしていたのですから。区教育委員会のなかに見識のある人物がいればその時点で校長をたしなめていたでしょう。でもそれができなかった。理由はすでにブログで書きました。

           

           

           

          要するに、公教育は消費社会の象徴である「高級ブランド」に屈したのです。当然ですね。教育の最終目的はブランド学校、ブランド大学、ブランド職業に就き、人より少しでも多くかせぎ、人より少しでもいいモノを買うことになったのですから。

           

           

           

          消費に変わるオールターナティブな価値をつくりだせなければ、私たちの社会は静かに瓦解していくしかありません。私立はどうか、ですって?私立は、ブランドに屈するもなにも、ブランドそのものをつくりあげようと必死になっています。きっと「経営者」の頭の中は「ブランディング」でいっぱいになっていることでしょう。

           

           

          その2:政治の自壊現象について。

           

           

          報道によると、2月23日午前4時頃に東京都千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の門の前で男2人による銃撃テロが発生しました。警戒中の機動隊員が建造物損壊容疑で2人を現行犯逮捕。そのうち1人が右翼活動家の桂田智司容疑者で、もう1人も右翼団体関係者とみられています。

           

          桂田智司容疑者。

           

           

           

          私が批判したルーリーちゃんこと、国際政治学者・三浦瑠麗ちゃんが、大阪に北朝鮮の「スリーパーセル」というテロリスト分子が大勢潜んでいるというヘイトデマをテレビで流した直後に起こった今回の銃撃テロ。逮捕された容疑者は「スリーパー」どころか、拳銃で武装した極右テロリストでした。

           

           

           

          こんなイカれた差別主義者がいるのに、国を挙げて北朝鮮危機を煽り、テレビでデマを流して差別煽動すればどうなるか。まさしく関東大震災時の「朝鮮人が井戸に毒」のデマの後に朝鮮人虐殺が発生したことと同じ構図となったわけです。

           

           

          ルーリーちゃんは今回のテロを予想できなかったのでしょうね。彼女はネトウヨのマスコット人形にはなれるかもしれませんが、学者としては完全に失格です。

           

           

           

          これもすでにブログで書きましたが、ネトウヨ作家の百田尚樹というテロリストもいます。事実、彼自身がツイッタ―で公言しています。「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく」と。しかも彼には少なからぬ賛同者がいるのです。

           

           

           

          ところで、第二次安倍政権が発足した直後の2013年、一人の女子中学生が大阪の鶴橋でヘイトデモに参加し、「いつまでも調子に乗っとったら南京大虐殺じゃなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ」という虐殺予告のヘイトスピーチを行って、日本だけではなく世界中に衝撃を与えました。この女子中学生の父親こそが今回のテロ実行犯である桂田智司です。

           

           

           

          私は同じようなヘイトスピーチを撒き散らす大分市のY田ゼミ塾長を批判してきました。塾の教師であろうが学校の教師であろうが、教育を通じてヘイトスピーチをあおる人間を放置できなかったのです。この種の人間たちの過激な言説に眉をひそめる人も、自分たちの足元が徐々に切り崩されていることにはなかなか気づきせん。

           

           

           

          大事なのは経済だ。企業の国際競争力を高めることだ。裁量労働制は間違っていない。データが何だ。自分の考えが「正しい」ことはあたりまえだから論証などいらない。国会は単なるセレモニーに過ぎない。ついでに、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重もじゃまだ。そんなものはインテリのへ理屈に過ぎない、というわけです。いやはや、教育とはおそろしいものです。

           

          | 教育 | 12:18 | comments(0) | - |
          バレンタインデーのチョコレートなんか・・・
          0

            皆さんは「教育」という言葉から何を連想しますか?「ウザい」「よだきい」「しちくじい」・・・これらは全部同じような意味です。あとの二つは大分県以外の人には伝わりにくいでしょうけど。でも、連想する「もの」ですから、形容詞ではなく名詞で答えてほしいですね。

             

             

             

            例えば「自由」「権利」「平等」「可能性」「愛」「公平」「文化」「歴史」「伝統」「国民」「知性」「教養」「貢献」などなど。でもこういった言葉を連想する人は、今は少ないかもしれません。

             

             

             

            それに代わって「商品」「費用対効果」「消費」「差別化」「階層」「特権」「選択と集中」「効率」「格差」「中学受験」「塾」「合格率」「自由競争」「グローバリズム」「自己責任」「義務」「親の経済力」「母親の狂気」「人格喪失」「子供の虐待」「いじめ」「自殺」と言った言葉を連想する人が多くなっている気がします。

             

            「母親の狂気」などいうおどろおどろしいものもまぎれこんでいますが、なんだか経済学っぽい言葉とマイナスイメージの言葉ばかりが並びましたね。

             

             

             

            前者の中には「公共性」を指向する言葉が含まれていますが、後者の語群からは「公共性」がきれいに消えて、自由競争やグローバリズム(この言葉の本当の意味を理解している者がなんと少ないことか!)という大多数の国民を犠牲にする「豊かな暮らし」を指向する言葉が並んでいます。

             

             

             

            でも、「豊かな暮らし」って何なんでしょう。「豊かな暮らし」のキーワードは「消費」です。消費は、いろいろな選択肢の中から好きなものを選んで買うことでした。それが自分自身の個性、社会的価値を示すものへと変わりました。すなわち、どれだけ高価な商品を買うことができるのかが、人間の社会的ステイタスを決めると信じられているのです。これはアメリカ的な価値観です。

             

             

             

            これを否定したり、まったく気にかけない人間は変わり者として消費社会からはじき出されます。働いて金を稼ぎ、それですきなものを買うことが自己実現だとすれば、働くことはお金を稼ぐ手段になってしまいます。つまりお金を稼ぐことが最終的な目的になるのですから、労働に価値を見出せなくなるのも当然です。

             

             

             

            そこで前々回のブログで書いたコロンボ警部の生き方を思い出してみましょう。高級車に乗り、高級な葉巻きを吸い、豪邸に住み、高級なブランドの服を着ることよりも、彼は刑事として働くことそのものが自己実現だと考えているのです。つまり、「消費に結びつかない自己実現」を実践しているのです。実は、日本人が真似しなければならないのは、コロンボの生き方なのです。

             

             

             

            これと関連して、このところいわゆる富裕層の子育てがどうしようもなく画一的で貧しくなっていると思います。その代表がこども4人全員を東大医学部に合格させた、例の「佐藤ママ」です。彼、彼女らの子育てはとても巧妙です。「いいかげんに勉強せんか!いつまでテレビ見ちょんのじゃ、ボケ!」というような下品なことは言いません。

             

             

             

            それどころか、判で押したように「勉強しなさいなんて一度も言ったことはありませんのよ」というのが、彼らのセリフです。あくまで「自主性にまかせる」というわけです。しかし、彼らはこどもを自分の所有物だと考えています。「自主性にまかせる」と言いながら、親の思い通りに育てています。そうすることがこどもの将来のためになる、社会にとって有用な人材になると思い込んでいるのです。教育とは、まず親がしっかりレールを敷いてやることだというわけです。何という貧しいこども観でしょう。

             

             

             

            考えても見て下さい。こどもの成長のしかたというのはそんなものではないはずです。はたから見ていると、何でそんなものに夢中になるのか全く分からないようなことに夢中になる。時間を忘れてただひたすら同じことを繰り返す。まわりのことなんかまったく気にせずに、ただただ自分の力を伸ばそうとする。自分はあんなこともできる、こんなこともできる、と感じられるのが嬉しくてたまらない。これから何になるかなんてわからない。でもわからないからこそ、何ものにも縛られずに自由奔放に生きている。こどもはいつだって予測不可能なものに成長していくのです。

             

             

             

            大人がそれを巧妙にコントロールし「善き方向」へと導く。そこで排除されるものは自由と偶然性に満ちた宝の山なのです。「佐藤ママ」が4人のこどもたち全員に、大学に受かるまでだったか、社会人になるまでだったか忘れましたが、「恋愛禁止」を申し渡していると聞いた時、「なに言ってるんだ、このババア(よいこのみなさんは決してまねをしないでね)、人間をなめるのもいいかげんにしろよ!」と、はしたなくも叫びかけました。こどもを受験という人工的な環境の中に囲い込むことによって実は社会の活力や可能性をそいでいることには気づいていないのです。

             

             

             

             

            ところで今日はバレンタインデーだそうです。コマーシャリズムにのせられて、若い女性たちがデパ地下でチョコレートを買いあさっている光景をよくテレビで見かけます。ここにもマインドコントロールされたアホな女性がうじゃうじゃわいていると思うと、悲しくなります。僕はバレンタインデーのチョコレートなんか欲しくありません。お返しが大変だから。

             

             

             

            娘たちにも、「お父さんはそんなものいらん!」と言っています。彼女たちの返事は毎年決まっていて「ハイハイ、わかっていますよ。心配しないでね」というものです。そう素直に言われると少しさびしい。

             

             

             

            で今日の午後、妻に「コーヒーいれてよ。ティータイムしましょうよ」と言われたので、居間に行くとテーブルの上に何やらプレゼントらしきものが並んでいるではありませんか。

             

             

            「まさか、バレンタインデーのチョコレートじゃないだろうな」

            「さあ、何でしょう。開けてみたら?」

            というわけで、開けてみると、これでした。

             

            ピエール・ルドンのチョコレート。

             

             

             

            チョコレート会社のくちぐるまにのりおってと、ぶつぶつ言いながら口に入れました。なんということでしょう。うまい!マジで。コーヒーと合う!さすがピエール・ルドンだけのことはある、と思いました。

             

             

             

            「あら、美味しそうじゃないの。チョコレートは嫌いだったんじゃないの?」

            「ピエール・ルドンかノドンかしらないが、北朝鮮のミサイルのような名前のチョコレートなんか、美味しいわけないだろ」

            「あらうれしい。じゃあ残りは私が全部もらうわよ」

            「ちょっ、ちょっと。そんなことしたら、せっかくもってきてくれた娘が悲しむよ・・・」

             

            | 教育 | 14:49 | comments(0) | - |
            刑事コロンボ VS 「アルマーニ」校長
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              突然ですが『刑事コロンボ』が好きでした。プロという言葉から連想するのが、コロンボ警部でしたね。トレードマークのよれよれのレインコート、くしゃくしゃの髪、その辺で拾ってきたような車に何のとりえもない愛犬を乗せ、安物の葉巻をくわえて殺害現場にやってきます。スキだらけの、さえない刑事を絵にかいたようないでたちです。ところが、ドラマが進むにつれて、この印象が180度ひっくりかえります。犯罪者の心理を洞察する力においてコロンボの右に出るものはない、と思い知らされるのです。

               

               

               

               

              このドラマは、それまでの刑事物・推理小説とは違って、視聴者や読者に最初に殺害シーンを見せ、犯人を教えます。知らないのはコロンボだけです。その結果、犯人が誰かではなく、コロンボが犯人を割り出すプロセスそのものがドラマの中心になります。そして犯人にぐうの音も出ないほどの証拠を突きつけて降参させる最終シーンにもっていく仕掛けになっているのです。

               

               

              もう一つこのドラマを面白くしている特徴があります。犯人が例外なく大富豪や有名人、歌手やスポーツ選手、大学教授といったエスタブリッシュメントだということです。例えば、最終シーンで、高名な犯罪心理学者の犯人が「ところでコロンボ君、いつの時点で私が犯人だと気づいたのかね?」と訊くところがあります。

               

               

              「はい。最初にあなたを見た時からです。あなたが犯人だと分かっていました。ただそれを証明するのに手間取りましてねえ。途中で万事休すかと思いましたよ。でも犯人が分かっているのにあきらめるわけにはいかない。それですべてが腑に落ちる小さな事実に気付いたというわけです。」とコロンボ警部。このシーンにしびれました。今のマスメディアや野党の政治家に聞かせてやりたい。

               

               

              コロンボ警部は銃をもっていません。撃ち方も知りません。射撃の練習義務が課されていますが、いろいろ言い訳をして試射場にいきません。自分の仕事が何かよく分かっているのですね。人を殺すことではないと。これぞプロの中のプロです。

               

               

              何だか前ふりが長くなってしまいました。いや、大したことを言いたいわけではありません。正直どうでもいいことを書くのに、嫌気がさしているのです。そう、例の「アルマーニ」問題です。

               

               

              泰明小学校の和田利次校長(62)「アルマーニ」の標準服を独断で決めたことをめぐり、「銀座にある学校だからこそ進めてきたが、丁寧な説明をしながら進めるべきだった」と述べています。でも、新標準服の採用は「ご理解いただき、購入者側の判断で購入してほしい」「(採用する)手続きにおいて反省はあるが、非常識な判断とは思っていない。新一年生からこの服でやっていく。変える考えはない」と述べたそうです。

               

               

              自分の独断で決めておいて、その責任をとるのかと思えば、「購入者側の判断で購入してほしい」って、責任の丸投げです。反省してないですね。しかも自分の判断は非常識ではないとおっしゃっています。結局「アルマーニの制服」が実質的には強制されるわけです。なんかこの手の釈明になっていない釈明、結局は自分の判断を押し通す手法はうんざりするほど見てきた気がします。

               

               

              今度の件で私が最も違和感を覚えたのは、公立小学校がなんで「アルマーニ」なんだという「正論」に対してでした。

               

               

              和田校長は高額のため購入が難しい家庭がありうることを考えなかったのか。」と問われて「本校の保護者なら出せるのではないかと思った。泰明小でなければこういう話は進めない。価格が高いという苦情があることを聞いており、個別に相談に応じていきたい。」と答えています。気分はほとんど「私立」の校長に、何で「公立」が、しかもアルマーニ」なの?と言ったところで、現状を知らない理想論だと言われるだけです。

               

               

              泰明小学校は銀座にある特認校で越境入学者が多い。保護者も経済力のある人がほとんどだ。「アルマーニ」の提案は受け入れられるだろう、と和田校長は踏んだのです。つまりたてまえ上は「公立」でも、実質は「私立」である。たてまえより現実に即した決断をしたつもりだ、ということでしょう。結局この問題は「公立」か「私立」か、ではなく、保護者の経済力が決め手になるのです。保護者は校長の判断を受け入れるでしょうね。

               

               

              それにしても和田校長の発想は軽すぎます。以下にその例を挙げてみます。これでも名門小学校の校長が務まるといういい例です。

               

               

              例その1。

               

              「アルマーニ制服」の導入を「服育」と称して重要な教育の一貫と位置付けている点。

               

               

              お兄ちゃんやお姉ちゃんのお下がりをつなぎ合わせ、大胆なデザインの服に仕立て上げることは「服育」にならないのか。ゴミ捨て場に捨てられている新品同様の衣類を再生することは資源の節約にもなるし、「服育」と言うなら、これこそが本当の「服育」ではないのか。成長ざかりの子供に「アルマーニ」を着せることのどこが「服育」か、と反論されることは考えなかったのでしょうね。

               

               

              例その2。

               

              「銀座の街のブランドと泰明ブランドが合わさった時に銀座にある学校らしさも生まれてくる。視覚から受ける刺激による「ビジュアルアイデンティティーの育成はこれからの人材を育てることに不可欠」であり、それがスクールアイデンティティーの育成にもつながる」と説明していること。

               

               

              私はこの説明を聞いてひっくり返りました。どこがって?よく見て下さい。「ビジュアルアイデンティティーの育成はこれからの人材を育てることに不可欠」だと言っているんですよ。ビジュアルアイデンティティーなどとわけのわからない横文字を使っていますが、簡単に言うと「あっ、アルマーニの制服を着ている!泰明小学校の生徒だわ。」と認知されることをいいます。これのどこが「これからの人材を育てることに不可欠」なのでしょう。

               

               

              アルマーニの制服を着ているわが子と銀座でショッピングなんてことを夢見ているお母さんお父さん!「アルマーニの制服を着ている子供の家庭はリッチにちがいない。誘拐すればたんまり身代金がとれるかも」と考える人間もいるかもしれませんよ。 

              それに「ふん、公立のくせに私立のまねして、無理してアルマーニなんて、いかにも貧乏人の考えそうなことだわ」とバカにしながら嫉妬する親御さんの存在も無視できませんよ。おお、こわっ!

               

               

              なりより、親がそういうことを望めば、子供は「ブランドの服を着ることで人より偉くなった気がする。人よりいいものを着るために、これからも一生懸命勉強しなくっちゃ」と考えるかもしれませんね。それが目的ですって?人を外見で判断したり、見下したりする子供に育てることがですか?

               

               

              最後に、この校長が気の毒だと思う点。

               

               

              今や「教育=どの学校や大学に入れるかということ」は完全に「商品」だと見なされるようになりました。「商品」である以上、投入した対価に見合う「結果」が出なければなりません。投下資本はなるべく早く回収する必要があるのです。

               

               

              泰明小学校の校長は老舗の小学校が消費社会の中で埋没することを恐れたのでしょう。中学受験が近づけば、教室の半分がガラ空きになります。受験対策のために生徒が欠席するからです。

               

               

              これは「公立」小学校の教育が「私立」に従属していることを思い知らされる瞬間です。かといって、欠席を認めないというわけにもいきません。和田校長も心中穏やかではなかったはずです。そこで思い付いたのが「アルマーニ」の導入だったというわけです。あちゃ〜。

               

               

              教育がお金で売買できる「商品」である以上、それを売るためには他の商品と差異化・差別化しなければなりません。なぜなら消費者はその差異に付加価値を認め対価を払うからです。

               

               

              和田校長はこういった市場の無形の圧力に立ち向かうべく、保護者から認められたいという思いと、ここらで尖ってみようという思いを胸に「決起」したのかもしれません。しかし、そのための方法がいかにも稚拙だったのです。これは私の意見なので大っぴらには言えませんが、こういう人間は「公立」小学校の校長をするべきではありません。

               

               

              いい歳の大人が、いや教育者が、外形的なものでしか自己アピールできないとは情けないことです。刑事コロンボの爪の垢でも煎じて飲んでみてはいかがでしょうか。

               

              | 教育 | 19:49 | comments(0) | - |
              見果てぬ夢 ・100年後の生存戦略−教育
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                明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

                 

                 

                 

                元日の朝、ポストを覗いてみると、埼玉県の塾教師O君から年賀状が届いていました。成長した息子さんの写真の上に「3月から新しい環境で始動です。」とありました。川口市からさいたま市、七里へ教室を移すとのことです。風が吹き抜けるとても環境のいいところで、大工さんと相談しながら、教室をデザインしているそうです。いよいよ計画を実行する段階になったのですね。ここにも自分の居場所を懸命に作ろうとしている青年がいます。

                 

                 

                 

                市場社会に軸足を置きながら自分の居場所を作ることは、大人でも実はかなり大変なことです。まして子供は大人の用意した環境に適応する他ないので、自分の居場所を作るどころではありません。学校を始めとして与えられた環境の中で何とか生き延びるのに精一杯でしょう。

                 

                 

                 

                日本の学校教育は制度疲労を起こしていて、社会の急激な変化についていくことができません。当たり前ですね。相手は人間(子供たち)なので、決められた納期内に一定水準の品質をもった製品を大量に生産する工場のようなわけにはいきません。

                 

                 

                 

                子供が成長するには時間がかかるのです。脳に電極をつないで知識や情報をインプットすることができたとしても、魂の成長には、自由と何ものにも奉仕しない時間が必要です。秋になって柿の実が熟すように、ただ待つしかないのです。待つ時間を奪われた子供は、知的には優秀でもいつまでも子供のままです。人間を成長させるのは知識ではなく魂の働きなのですから。

                 

                 

                 

                100年後、日本の子供たちが生き生きと学び、活発に議論し、どんな境遇の子供も見捨てられることのない教育の場を作ることは可能でしょうか。戦争経済(原発もその一つです)を回し、国家の富を独占し、私物化して恥じることのない権力者たちを国民の力で排除すれば可能です。そのためには国民が民主主義の力を信じなければなりません。

                 

                 

                 

                そのことを確かめるために、私は去年の11月始め、塾を3日間だけ休み、車を飛ばしてある場所へ向かいました。目的地は滋賀県近江八幡市にある『ラコリーナ』です。ラコリーナとはイタリア語で「丘」を意味します。

                 

                 

                 

                『ラコリーナ』は、周囲の水郷や緑を活かした美しい原風景の中での、人と自然がふれあう空間づくりをコンセプトにしています。和・洋菓子を総合した店舗および飲食施設や各専門ショップ、農園、本社施設、従業員対象の保育施設などを設けるたねやグループの新たな拠点です。今年の1月9日でメインショップオープンから3年が経ちます。

                 


                カステラショップ・フードガレージと次々に新しい店舗をオープンし、去年は260万人を超える来店者数となりました。

                 

                http://taneya.jp/la_collina/

                 

                メインショップ。向こうに見えるのは八幡山。

                 

                 

                メインショップの中はカフェと店舗になっている。天井は漆喰に炭をはめ込んだもの。藤森建築の特徴です。とても柔らかい空間です。

                 

                 

                メインショップを抜けると眼前に広大な田んぼが広がる。右側(画像では正面に見える)が本社。

                 

                 

                 

                カステラカフェ。妻とお茶をして疲れをいやしました。

                 

                 

                 

                なぜこの場所に向かったかというと、ブログでも書きましたが、以前よりヴァナキュラー建築に興味があり、縄文建築団を率いて活躍する建築家・藤森照信氏に注目していたからです。イタリア人の建築家でデザイナーのミケーレ・デ・ルッキ 氏が全体を構想し、本社やメインショップの設計を手掛けたのが藤森照信氏だったのです。

                 

                 

                 

                ヴァナキュラー建築について、ウィキペディアの解説を見てみましょう。

                 

                 

                引用開始

                 

                「Vernacular」とは「土着の」あるいは「風土的」という意味である。1964年にバーナード・ルドフスキーが著した『建築家なしの建築』によってヴァナキュラー建築の概念は関心を集めた。ルドフスキーは職業的デザイナーである建築家によって建てられたハイスタイルな建築物を系図的にたどることで語られてきた建築史に対して、それまで無視されてきた無名の工匠たちによって造られた風土的建築物を紹介することで、建築芸術の新たな研究対象を提示した。

                 

                 

                ヴァナキュラー建築は、それぞれの地域で産出する建材を使用して、その土地の気候にあったデザインを考慮して作られる点で、建築部材の全てが工場で生産され、現場で組み立てるだけの近代的な商業建築との大きな違いがある。また、ヴァナキュラー建築の世界では、長年繰り返された選択の蓄積として生まれた建築に必要なルールや知恵の多くは口伝や暗黙知として継承される。その知恵の体系は地域技術として普及し、それぞれの地域に同じような形態の建物が建てられ、風土色のある集落を形成している。

                 

                 

                引用終わり

                 

                以上でお分かりのように、『ラコリーナ』は、ヴァナキュラー建築をメインコンセプトにしているのです。

                 

                田植えのシーズン。

                 

                 

                秋の稲刈り。

                 

                 

                田んぼの小動物観察クラブ。

                 

                 

                奥にあるフードコート。

                 

                 

                オレンジティーとシチリアのライスコロッケ「アランチーノ」をたべました。卵をトマト風味のライスで包んで揚げたもので、とても美味しかった。

                 

                 

                 

                 

                新自由主義によるマネー経済の肥大化・加速化は人々を幸福にしません。新自由主義は人間そのものを尊重するのではなく、人間を「手段」とみなす世界観です。私はこの世界観に対抗できるものこそが、ヴァナキュラー建築だと考えています。さらに言えば、「ヴァナキュラー教育」こそ、日本古来の伝統や文化を復興させるものだと確信しています。

                 

                 

                 

                『ラコリーナ』のしたたかなところは、市場経済を否定するのではなく、それを乗りこえる可能性を提示しているところです。市場経済を否定すると、最終的には自給自足を目ざす閉ざされた宗教集団のようになってしまいます。「消費」を否定せず、それを逆手にとって、新たな価値を示して見せる。これこそが賞味期限が切れた資本主義社会の先を生きるための処方箋だと思います。

                 

                 

                 

                『ラコリーナ』をほぼ半日かけて歩きながら、私はこれが学校だったらどうだろうと考えていました。先入観を捨てて、この場所を学校にすることが可能だろうかと考えてみたのです。結論は可能だということです。

                 

                 

                 

                この広い場所に、小学生から高校生までが通い、その土地固有の文化や伝統を学びながら、先端技術の基礎理論やデザインや建築を始めとして様々な教科も学べるようにする。幼稚園児や地域のお年寄りもやって来て、一年に一度盛大なお祭りや収穫祭を開く。

                 

                 

                 

                子供たちを部活や宿題で縛るのではなく、自発的創造性にまかせて、宮沢賢治が言うように、農業を舞踏へと高めるのです。もちろん制服など不要です。そこでは100メートルを10秒で走る能力など必要とされません。アクロバティックな鉄棒演技も人間性を無視した集団演技で得点を競うことも不要です。ましてや国家の威信をかけたスポーツ戦士に子供を育てるなど論外です。健康で柔軟性に富んだしなやかな身体を持つ子供に育てればいいのです。

                 

                 

                 

                まず『ラコリーナ』のような場所を各都道府県に一つ作る。それだけで私たちが無条件に順応するしかなかった教育システムが、いかに不要・不毛なもので満ちていたかが分かります。

                 

                 

                 

                これからの日本は人口減少社会へと突入していきます。お年寄りと若者が手を取り合って生きていかねばならないのです。その時大人が利己的な発想で自分たちの利益を確保するのに精一杯だったとしたら、いったい誰が子供たちの居場所を構想するのでしょうか。

                 

                 

                 

                私がここで考えたことは実現できます。決して見果てぬ夢ではありません。現に民間の会社『ラコリーナ』がそれを実現しています。必要なのはヴィジョンです。教育こそが、宇沢弘文氏の言を待つまでもなく、100年先を構想できる社会的共通資本なのです。

                 

                 

                | 教育 | 21:57 | comments(0) | - |
                2017年の終わりに。
                0

                  今年も残すところあとわずかとなりました。一年間、面白くもない、不愉快な内容が多かったブログですが、お付き合い頂いた方には心からお礼申し上げます。

                   

                   

                   

                  本音を言えば、私は政治などどうでもいいと思っています。この国がどうなろうと、アメリカが北朝鮮を攻撃して日本がその巻き添えを食おうが、それは仕方のないことだというか、自業自得だと思っています。日本人はそれを自ら招き寄せているのですから。

                   

                   

                   

                  ただそういった空気にどうしてもなじめない、生理的に順応できない自分を発見し、違和感を吐露せざるを得なかったのです。イデオロギーや宗教に胡散臭さを感じるのも、私の体質の問題でしょう。素朴に考えておかしいという感情から出てくるものこそが信頼に値するものです。そうは言っても、どこかで堪忍袋の緒が切れれば、その時点でブログはやめるつもりです。

                   

                   

                   

                  もともと、今の社会に自分の居場所などあるわけがないと思い、それなら自分の居場所を作るしかないと思って生きてきました。私が惹きつけられる人間の姿というか風情は、ことごとく自分の居場所というか精神のありかを自分で作って来た人たちでした。今は独裁主義に順応する生き方がもてはやされる時代です。いや、いつの時代も世の中とはそういうものかもしれません。

                   

                   

                   

                  思い返せば、そういった世の中や制度に対する生理的な違和感が私の中で頂点に達したのが、高校3年の時でした。卒業を間近に控えたある日、担任から「○○、お前は卒業アルバムを買わないのか。買わないのは学年でお前一人だぞ。」と言われました。

                   

                   

                   

                  「僕は上野丘高校に何の愛着もありません。空白の3年間でした。アルバムを買っても、懐かしくなってページを開くことはないと思います。」と私は答えたのです。その時の担任の表情は覚えていません。ただ「そうか」と言っただけでした。今となっては若気の至りというしかありません。

                   

                   

                   

                  その私が塾の教師になって、生徒を上野丘高校に送り出しているのですから、運命の皮肉というか、罰を受けているようなものです。ただ、罪滅ぼしとして、上野丘高校に最も欠けていたと思うもの(今もそれほど変わりはありません)を、英語を教える中で補おうと心がけています。

                   

                   

                   

                  ごく単純に言うと、それは今の社会をどうとらえ、どう生きるのかということと切り離して勉強などできないということです。「これほど基本的な事実について無知では、アメリカを始めとして世界の高校生と議論などできるわけがない。いや、議論というよりもコミュニケーションをとることすら不可能だ。英語以前の問題です。」と私はよく言います。英語教師であればなおさらこのことが気になるはずです。

                   

                   

                   

                  なぜそうなるのか。その背景には、「高校を卒業して大学に入り、大学を卒業して社会に出て初めて現実と向き合える。それまでは準備段階だから黙って受験勉強に励むべきだ」というイデオロギーがあります。それは、かけがえのない現実が今この瞬間にも進行中だということを忘れさせるのです。

                   

                   

                   

                  現実は今ここにあります。遠い未来にあるのではありません。社会のありようを政治や経済も含めて、あるいは税金の使い方や社会保障のあり方も含めて知ること。それを抜きにした勉強など、本来意味を持たないはずです。上野丘高校が劇的に進学実績を伸ばし、卒業生が懐かしく振り返る場所になるためには、世の中を知ることを含めて、今この瞬間を生きることができる世界で一番自由な場所にするしかありません。

                   

                   

                   

                  さてもうやめにします。私がこれまでの人生で習得したものは、新しい感情で満たされた日々を送るための技術です。一円のお金も生み出しませんし、自己満足と言われればそれまでかもしれません。しかし。それがなければ人生は無意味だと感じさせるものです。その技術を習得するためには、若い時から訓練を積まなければなりません。それは誰でもいい誰かの人生ではなく、自分自身の人生を生きるためのトレーニングなのです。

                   

                   

                   

                  今の安倍政権を見れば分かる通り、政治家は本質的に人間として下らない。まともに相手にする人種ではありません。それより、好きな人とデートする方がよっぽどましです。素敵なカフェに入ってコーヒーでも注文しましょう。しかし、そのコーヒー豆がどこから輸入されているのか、その値段を決めるのも政治です。たまには美味しいコーヒーを飲みながら、そういうことも話題にしてみましょう。

                   

                   

                  来年が皆さんにとってよい年でありますように!

                   

                  | 教育 | 20:44 | comments(0) | - |
                  小学生の英語の授業風景−その1。
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                    今回は未来塾の小学校6年生の英語の授業を紹介します。使用しているテキストは英検や高校入試を意識したものではありません。中学校の教科書でもありません。テキストは以前紹介したBeatrix Potterさんの『 Peter Rabbit 』です。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    ちなみに、この画像にある3ページ分の英語を書き出してみます。

                     

                     

                    Peter gave himself up for lost, and shed big tears ; but his sobs were overheard by some friendly sparrows, who flew to him in great excitement, and implored him to exert himself. Mr. McGregor came up with a sieve, which he intended to pop upon the top of Peter ; but Peter wriggled out just in time, leaving his jacket behind him, and rushed into the tool-shed, and jumped into a can. It would have been a beautiful thing to hide in, if it had not had so much water in it.

                     

                     

                    この英文を小学校6年生がスラスラと音読します。しかも全部読むのにかかる時間はストップウオッチではかると30秒弱です。その後全文暗唱し、最後は暗唱した英文をテキストを見ずに書ける(暗写)ようになっています。

                     

                     

                     

                    御存じの方も多いと思いますが、この文は『 Peter Rabbit 』の中の難しい部分ではありません。この本は半分が可愛らしいイラストですが、それを除くと、このレベルの英文が合計35ページあります。

                     

                     

                     

                    私は文法の説明をほとんどしません。ただ、文の意味は情報提示の流れを意識させながら何度も説明します。次に、英語を見ずに、まず日本語でストーリーを再現してもらいます。この部分が重要です。なぜなら、丸暗記するだけでは、いったん英語を忘れると続きが出てこなくなるからです。「続きはどうだったかな。忘れたら、日本語で言ってみて」と促します。

                     

                     

                     

                    以下は生徒とのやり取りです。

                     

                    「グースベリーのネットにつかまったピーターはどうした? gave himself up for lost したんだね。それで大粒の涙を流している。じゃあ、gave himself up for lost はどんな意味?」

                     

                    「お父さんと同じようにパイにされると思った。あきらめた。」

                     

                    「その通りだね。君たちがそういう状況になったときのことを想像して、この言い方を覚えて。(この時点で、消える音、つながる音を教えているので、子供たちは見事に発音します。読めなければ覚えられないのです。しかも日本語のように一語一語区切って読んだのでは、リスニングができなくなります)」

                     

                    「それから、ピーターの泣き声を聞いたスズメたちは、どうしたの。そう、飛んできたんだね。そのときスズメたちのようすはどうだった?」

                     

                    「みんなパニックだった。」

                     

                    「そうだね。それを表わすのが in great excitement という表現だね。この in という小さな単語に注意して。それからどうしたの。」

                     

                    「ピーターに逃げてくれと言う」

                     

                    「それが imploreという単語。implore は難しい単語だけど、もうダメだとあきらめたピーターを励ますように、頼むように発音しないとね。そこにマクレガ―さんがやってくる。seive はどんな意味だろう。イラストを見るとわかるよ。」

                     

                    「ざる!」

                     

                    「う〜ん、イラストをよく見て。ざるかな?」

                     

                    「ふるい!」

                     

                    「正解!よく知ってるね。(それからひとしきりふるいについて説明する)」

                     

                     

                     

                    こういったやり取りが発音の矯正とともに続きます。まかり間違っても、下線部の「, who」や「, which」は関係代名詞の非制限用法、「, leaving」は分詞構文。最後の would have been は仮定法過去完了などと口にしてはなりません。もちろん中学生に対しても同様です。

                     

                     

                     

                    メタ言語(言葉そのものではなく、その言葉の文法構造を説明する用語)を教えることは、高校生なら多少意味がありますが、小学生に教えてはなりません。それは発話の意欲をそぐだけです。ひいては生き生きとした想像力を枯渇させます。

                     

                     

                     

                    would have been (ウダヴベン)の説明より、まず「あのとき〜していたら、・・・だったんだけど」という言い方を「日本語で」できるだけ多く発表させます。日本語に対応する英語の言い方があるんだと安心させるためです。もちろん対応する言い方がない場合もあります。それはそれで、また深い勉強になります。

                     

                     

                     

                    いずれにせよ、私は中学受験のための対策や先取り学習はしません。必要性も有益性も感じられないからです。ましてや、中学受験に特化した都市部の塾(四谷大塚やY-SAPIXなど)のテキストを使っていることを宣伝したり、授業の代わりに業者の作成したDVDを見せて上前をはねるようなことはできません。それより、小学生の時期は、身体を鍛え、想像力を膨らませ、自然の不思議に目覚めさせる時期です。自然は混沌としていて、偶然性と例外に満ちています。すぐに「わかった」「できた」というのは、何かをじっくり探求する精神から最も遠いのです。

                     

                     

                     

                    それでなくても、ネット社会の出現で、物事を調べるあらゆるプロセスが殺菌され漂白されています。効率よく知識に到達できるので、学びのリアルさが失われてしまったのです。それは生きるということそのものからリアルさが失われることを意味します。世界のあらゆる発明や発見は偶然の僥倖による副産物なのです。当初の予想が外れたことで何かに偶然出会う。そんな経験を蓄積し、受容する場が減っている気がします。

                     

                    | 教育 | 21:39 | comments(0) | - |
                    英語教育を云々する前に、人間としてやるべきことがある。
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                      たまには教室風景でも書いてみましょうか。以下の数学の問題は、二日前の中学3年生のクラスで解いたものです。問題のレベルは特別なテクニックや数学的センスを要するものではなく、じっくり集中して考えれば解けるものです。意欲のある中学生のみなさんは挑戦してみて下さい。塾では8人中6人の生徒が正解しました。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      毎年この時期になるとこれまで学んだ知識を総動員しなければ解けない問題にチャレンジしています。一見すると問題は難しくなります。しかし逆に言えば楽しくなるのです。数学は試行錯誤の楽しさそのものだと言ってもいいくらいです。

                       

                       

                       

                      たとえて言えば、名前と使い方を覚えた大工道具を使って実際に椅子やテーブルやチェストなどを作る工程に入るわけです。この工程を抜きにしては大工道具の使い方を本当に身につけたとは言えません。

                       

                       

                       

                      つい先日も大工のナベさんに室内のリフォームをお願いしました。温めていたアイデアを伝えると即座に理解して材料を準備してくれます。下準備の時間を含めてわずか2時間、材料費込みで2万円の仕事でしたが、その手順といい、正確さといい、いつもながらのスピードには感嘆するほかありませんでした。相方のOさんのユーモアたっぷりの話しぶりも何とも云えず心がなごみます。大げさではなく、二人の身のこなしはアートそのものです。おそらく数学の問題を解く楽しさの本質はアートなのです。

                       

                       

                       

                      話を元に戻しますが、私は生徒に問題を渡すとき次のように言います。「この問題を解くのに必要な知識は相似と三平方の定理をはじめとして全部で5つあります。残りの3つは何か考えて下さい。後は、知識の組み合わせ方と集中力、自分のやり方が正しいと思えばそれを押し通す勇気が必要です。解き方の分からない問題を前にして考えているときほど充実した時間はないね。解けなければ宿題にします。帰宅してからも考える楽しみがあるのですから最高のプレゼントでしょ。」と。

                       

                       

                       

                      最初の頃は「マジかよ〜」という表情をしていた生徒も、最近ではまんざらでもないようです。試行錯誤の果てに、いくつかの定理や基本的な知識を組み合わせることで正解に近づいていることを実感すること、言い換えれば、それまで思ってもみなかった地平に立っている自分を発見できることが数学の醍醐味ですね。

                       

                       

                       

                      そういうわけで、塾の授業から数学をはずせません。週2回、英語だけに特化した塾にすれば、中学卒業時点で塾生全員とは言わないまでも、8割の生徒を英検2級に合格させる自信があります。現に、いつの間にか2級に合格し、準1級にチャレンジしている生徒もいます。

                       

                       

                       

                      しかし、私たちの国で生きて行くのに英語がそれほど必要でしょうか。英検2級に合格しても、高校入試や大学入試で考慮されることはありません。準1級や1級に合格していれば大学入試で多少は有利になるかもしれませんが、社会に出て仕事に役立つかと言えば、まずそれはないでしょう。中国語ができる人の方が需要はあるでしょう。英検は英語の勉強を続ける意欲につながると思う人が個人的に受験すればいいだけのことです。

                       

                       

                       

                      身も蓋もないことを言えば、日本人が英語を話せないのは技術的なこともありますが、話したいことがそもそもないのです。私はブログを書く前に、内容をすべて英語で発表することをシュミレーションしています。たとえつたない英語でも、聞くに値する中身があれば、耳を傾けてくれる人はいるのです。

                       

                       

                       

                      日本の学校教育では、たとえ少数意見であれ、自分の意見を堂々と発表できるだけの意欲を育てていません。空気を読むだけで、他者に向けて自分の意見を発表する意欲のない若者を育てておきながら、いったいどうやって外国語を勉強しろと言うのでしょうか。

                       

                       

                       

                      それにしても、ろくに英語もできない財界人がグローバリスト養成に躍起になるのはどうしてでしょうか。その方が日本の富をたやすくアメリカに売り渡せるからです。肌の色は黄色ですが、中身は「名誉白人」になろうとしている人間のなんと多いことか。英語教育を云々する前に、人間としてやるべきことがある筈です。

                       

                       

                       

                      森友学園の籠池氏は、下手をすれば偽証罪に問われるリスクを背負って国会で証言しました。しかし、安倍政権は何一つ情報も出さず、証拠となるべき公文書は廃棄されたことになっています。籠池氏は、そんな安倍政権に嘘つき呼ばわりされた挙句、裁判も受けられないまま4ヶ月も勾留されています。

                       

                       

                       

                      一方、学園に深く関与し、国有地取引に「神風」を吹かせた昭恵夫人は安倍首相と自民党に守られて自由を謳歌し、加計学園の加計考太郎氏は雲隠れしたままです。私はこの状況をなんとかすることの方が、英語ができるバカを育てるよりはるかに重要だと思います。これが人間としてやるべきことです。そうではありませんか?

                       

                      | 教育 | 14:01 | comments(0) | - |
                      ネトウヨ塾長とそれを礼賛する塾教師−教育の失敗と敗北について。
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                        安倍政権が登場してからの5年余り、今だけ、金だけ、自分だけといった空気を作り上げ、民主的な社会を破壊してきたのはネトウヨの皆さんの働きによるところが大きいと思います。

                         

                         

                         

                        この間の社会の変化を見てきた前文部事務次官の前川喜平氏は、ネトウヨの皆さんを「教育の失敗」だと総括しました。まったくその通りです。それに対してネットでは「お前こそ教育の失敗だ」とか「週4回出会い系バー通いのおっさんに言われたくね〜よ」などという批判が寄せられています。やれやれ、あいかわらずネトウヨの親分の言うことをそのまま鵜呑みにしているのですね。

                         

                         

                         

                        しかし、ネトウヨはまさに「教育の失敗」なのです。彼らの発想や行動には、理解できないものを憎むという生理が深く根付いています。歴史的な事実(例えばナチスによるホロコーストなど)を挙げて説得しても、それを捏造だと主張し、自分が理解できることだけが現実であるという歪んだ考えから抜け出ることができません。

                         

                         

                         

                        彼らはお金をもらって「愛国」を叫ぶことしかできないのです。「日本スゴイ」だの「中国人、韓国人は悪い連中だ」「トランプさんに北朝鮮を叩き潰してもらおう」「安倍さんを応援しよう」「軍事費をもっと増やそう」などとSNSを通じてわめきちらします。しかし、彼らは企業や団体や特殊な宗教団体からお金をもらって、ウソを流すことに精を出しているだけです。

                         

                         

                         

                        具体例を挙げましょう。言わずと知れた大分市中春日町にあるY田ゼミ塾長氏です。この際はっきりさせたいのですが、こんな人間が教えている塾に通ってはなりません。言論の自由すら全くもって理解していないのですから。彼が私と同じ個人塾の教師ではなく、学校の教師やコンプライアンスのしっかりした塾に勤めていたら以下の発言は許されるでしょうか。彼のツイッタ―から少し拾ってみましょう。

                         

                         

                        ・山尾しおりは不正だろ

                        ・大分高専はエロの集まりやな(^O^)欲求不満だらけなんだろう。

                        ・谷口とかいう左翼のデブババアを朝からテレビに出すなよ(怒)吐き気がする。デブのくせしてアゴを上げて笑うな、デブ!

                        ・早く北朝鮮を攻撃してもらいたい

                        ・早くこのデブジョンウンを殺して欲しい

                        ・これで安倍内閣の支持率がさらに上がる。

                        ・憲法9条と叫ぶバカが多いが、憲法9条があっても日本を守ってはくれない。

                        ・日本から先制攻撃していいんじゃないのか?

                        ・民進党の代表は北朝鮮のスパイ

                        ・早く民進党を叩きつぶせ

                        ・トランプさん、 早く北朝鮮をtotally destroyしてください。

                        ・青木理というジャーナリストは信用するな。こいつは北朝鮮や韓国の応援団だから。

                         

                         

                         

                        こういった発言をする人物が「教育の失敗」でなくてなんでしょうか。思想信条とは関係なく、点数を上げてくれるなら教師としての資質を問う必要はないのでしょうね。月謝を払いその対価として成績が上がるなら、その他のことには目をつぶるのでしょうか。

                         

                         

                         

                        これこそが消費社会が生んだコスパ万能主義の宿痾です。こういった考え方は学校現場のみならず保護者の間にも広く深く浸透しているはずです。

                         

                         

                         

                        さらに、別人になりすますために独身であることを強調して塾紹介サイトを立ち上げ、その中で自塾を宣伝するといった手の込んだ「集客作戦」に打って出る、大分市田尻の学習空間 K 塾長のような教師もいます。

                         

                         

                        あろうことか、このなりすましの塾長 K氏は、Y田ゼミを「子供がいたら是非とも通わせたい5つの塾」というタイトルをつけて推薦しています。5つの塾の中に未来塾も含まれていたので私は抗議しました。削除するつもりは全くない、自分のやったことは許容範囲だと強弁していたにもかかわらず、サイトは削除されました。なりすまし塾長K氏には、私の塾とY田ゼミの違いが理解できなかったのでしょう。私が親なら子供をこんな塾には絶対に通わせません。

                         

                         

                         

                        なぜなら、こんな教師に教えられる子供は、現実そのものに関心を失い、ネットに依存し、命よりも消費と娯楽だけに関心がある大人になる可能性が高いからです。それが証拠に K 氏は自分をゲーマーだといっています。そういう人間を大量に生み出していることに無自覚な人々が多くなっていることが「教育の敗北」なのです。

                         

                        | 教育 | 00:43 | comments(0) | - |
                        子供4人を東大医学部に合格させた「佐藤ママ」は本当にスゴイのか?
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                          結論から言うと「スゴイ」の一言です。「スゴイ」と言っても、色々な「スゴイ」がありますからね。私が「佐藤ママ」のことを知ったのは、三日前です。朝日新聞の地方欄の片隅に「佐藤ママが説く難関校合格の道」なる記事を見つけて知りました。記事によると「佐藤ママ」の講演会が17日、大分市のホルトホールであり、親子連れら120人が参加したとのことです。

                           

                          「佐藤ママ」。誰かに似ているのですが、思い出せません。

                           

                           

                           

                           

                          17日と言えば、大分市は台風18号による暴風雨が吹き荒れていた日です。かつてない猛烈な雨が降り、津久見市や臼杵市では甚大な被害が発生しました。それでも、悪天候をモノともせず、「佐藤ママ」の講演会に行った親子連れら120人の熱意に感心しました。そういった「信者」を作りだすパワーを持っている「佐藤ママ」は、やっぱり「スゴイ」。

                           

                           

                          私の予想では、おそらく、子供を中高一貫校(大分の場合本当にお寒い中身なのですが)に通わせているママとその予備軍の方たち、特に附属小中学校のお母さんたちが多かったのではないでしょうか。

                           

                           

                          今回は、「有名」「一流」「難関」大学へ子供を合格させたいと考えている保護者の皆様必見の内容です。長いですが、ぜひ最後までお読みください。

                           

                           

                          「佐藤ママ」は大分上野丘高校の出身で津田塾大学に進み、卒業後は大分の私立高校で2年ほど英語教師をした後、弁護士をしていた御主人と結婚し、現在奈良市に住む専業主婦だそうです。

                           

                           

                          私は何も個人のプライバシーについて語りたいわけではありません。本も出し、テレビ出演もして、彼女自身が自分の経歴を語っています。私はネットで彼女に関する記事を読んだだけです。

                           

                           

                          彼女の著作に『受験は母親が9割』というのがあります。『人は見た目が9割』というベストセラー本のタイトルをパクったのでしょう。しかし正確には『受験は母親と父親のDNA、すなわち生物学的環境に加えて経済的環境、さらに母親の信仰心の強さが9割』というべきです。

                           

                           

                          もちろんそれでは身も蓋もないし、そもそも本が売れません。売れない本は必要ないという極論(幻冬舎のヤクザ社長見城徹氏の言)は、実は私たちの生活が出版資本主義、情報資本主義、文化資本主義によって支配されている事実をまるごと肯定することから出てきます。出版業界に知性は必要ないのです。

                           

                           

                          消費者(一般の消費者ではなく、特定の層の消費者をターゲットにしたものですが)の心理を読むプロとマーケティングのプロさえそろえれば、ベストセラー本はかなりの確率で作れるのです。ブログでも取り上げた例の『ビリギャル本』と同じです。

                           

                           

                          もちろん、彼女をある象徴的な存在として批判するのも意味のあることですが、そんなことに人生の貴重な時間を費やしたくありません。ただ、彼女のような人間は苦手というか、敬遠したいタイプですね。和田秀樹氏と同様、人生の終盤にさしかかっていても、いまだに受験ネタで商売をしている人間の幼児性には辟易するしかありません。

                           

                           

                          何より、「佐藤ママ」のような、東大一直線教の中では最強の教組(なんたって4人の子供を全員、全国最難関の東大医学部に合格させたのですからね。実は完全に時代遅れなのですが。)と、それに群がる一般信者をダシにひともうけをたくらむ出版人に対しては、嫌悪感しか湧いてきません。

                           

                           

                           

                           

                          ここで突拍子もない想像をしてみましょう。村上春樹氏なら、終末感が色濃く漂う21世紀の日本の中で「佐藤ママ」と東大一直線教、それを養分にして増殖を続ける出版業界の存在を、どのように描くでしょうか。いや、すでに描いていますね。

                           

                           

                          もう一つ。宮崎駿氏が「佐藤ママ」と対談しているシーンを想像してみて下さい。こういった想像自体がグロテスクなのですが、おそらく、コミュニケーションが成り立たないと思います。なぜか。それに答えるのは止めにします。

                           

                           

                          今回は彼女を批判することよりも、その「功績」を評価してみます。ここから先は、子供を東大や難関大学の医学部に合格させたいと考えているお母さん向けの、とっておきの情報です。興味のない方は読む必要はありません。

                           

                           

                          「佐藤ママ」の功績

                           

                          東大レベルの大学受験は、ある程度優秀な親のDNAを前提にしているものの、それだけでは合格は難しい。学習環境というか受験環境が決定的に重要であること。逆に言えば、受験環境さえ整えてやれば、子供4人を東大の医学部に合格させることはできるという事実を明らかにしたことです。ここで言う受験環境の中には、経済的なものも含みます。これはあまり表に出てきませんが、実はこれこそが決定的に重要な要素なのです。

                           

                           

                          以下「佐藤ママ」が4人の子供たち全員に歩ませたルートを紹介します。そうです、「佐藤ママ」の「功績」は、なにより「東大合格のための外せないルート」があることを明らかにしたことなのです。逆に言えば、このルートを通らなければ、今や東大合格はおぼつかないということです。もちろん時間とお金がかかります。そして何より、母親の決してぶれない「信仰心」が必要です。

                           

                           

                          それにしても4人の子供の中に1人くらい、東大一直線教に疑問を持つ子供がいてもよさそうなのですが・・・。しかしそれをさせないところが「佐藤ママ」の「スゴイ」ところです。つまるところ、教育は幼少期からのマインドコントロールだということです。4人の子供全員が東大医学部というところに何とも言えない精神的・文化的貧しさを感じてしまうのは、私のひがみ、負け犬の遠吠えでしょうね。

                           

                           

                          1:子供4人をすべて1〜2歳の時に苦悶式、じゃなかった、公文式に入れる。

                           

                          2:全員にバイオリンとスイミングを習わせる。

                           

                          3:東大、特に医学部を狙うのであれば、東大合格実績のある私立の中高一貫校に入れるのは絶対条件である。大都市圏でなければ、この環境を整えるのは難しい。

                           

                          4:「佐藤ママ」の地元(奈良)では、東大寺学園よりも東大合格実績で上を行く灘中学に進学させるのがベストである。

                           

                          5:そのためには、受験情報を豊富に持っていて、実績のある塾を選ぶ。灘中学合格に特化した実績のある塾・浜学園に小学校4年から通わせる。東京ならY−SAPIXというところでしょうか。

                           

                           

                           

                          6:そしてめでたく全員を灘中学に合格させる。一番下の妹はこれまた進学校の京都の洛南高校に合格。これで東大合格はぐっと近づく。ちなみに、ママの力も大きいですが、通った学校や塾の力に負うところが圧倒的に大きいのです。

                           

                          7:忘れていました。リビングに大きなテーブルを置き、そこで勉強させる。

                           

                          これが「佐藤ママ」のお宅のリビング。生活の全てが東大合格に向けて方向づけられている。いや〜「スゴイ」。私なら、耐えられませんね。

                           

                           

                           

                          ここまで読んで二の足を踏むようでは、お母さん、「信仰心」が足りません!ひるんではだめです。誰かさんも言っていましたね、「この道しかない!この道を前へ!」と。

                           

                           

                          現在、東大合格者の上位校は、ほとんど都内の私立の中高一貫校に独占されている状態です。国立校も含まれていますが、実態は私立の中高一貫校と同じです。都内では、関西以上に、合格ルートは限定されています。

                           

                           

                          例えば、中学受験ではY−SAPIXに通わせる。めでたく開成に代表されるような私立の中高一貫校に合格した暁には、東大医学部合格者の6割を輩出している塾・『鉄緑会』に入る。そして現役の東大医学部の学生や東大入試のことを熟知している優秀な講師の授業を受ける。周りに東大医学部の学生が普通にいる環境では、自分もそうなることを簡単かつ具体的に思い描ける。実はこのことが想像以上に効果があるのです。

                           

                           

                          二年ほど前に読んだ『ルポ・塾歴社会』。私の予想を裏付けるデータでいっぱいです。読みたい方はどうぞ。ついでに『学力の経済学』もどうぞ。教育を個人的な経験からではなく、科学的な裏付けをもって説明してほしいと考えている人は、教育経済学?の観点から書かれている後者を読んでみるのもいいかもしれません。しかし、教育経済学なるものも経済学も所詮はモデルを作ってそれで演繹的に結論を導き出すものですから、眉に唾して読むべきです。

                           

                           

                           

                           

                           

                          ここで何か思い出しませんか。そう、甲子園の高校野球の常連校、ベスト16に入る学校のほとんどは、私立の特定の学校です。しかも中学校の段階から、優秀な生徒を集めています。部員は軽く100名を超えます。その中で激烈な競争を勝ち抜いた者だけがレギュラーになれるのです。

                           

                           

                          有能な監督。身体能力抜群の選手たち。豪華なトレーニング機器とナイター設備および専用グラウンド。部活のレベルを出ない練習をやっている地方の公立高校の野球部が甲子園で活躍できるはずもないのです。何より資金が足りません。今や、甲子園の高校野球は将来のプロ野球選手を選別する場になってしまいました。

                           

                           

                          サッカーしかりです。いや、その他のスポーツも大なり小なり、こういった枠組みの中にあるのです。要するに、オリンピックを目指そうとすれば、選手の努力、親の「信仰心」、それとコスパ(お金)で、ほとんどの選択肢と将来の可能性は決まってきます。

                           

                           

                          以上、「佐藤ママ」の「功績」について述べました。東大に合格するためには何が必要なのかが分かったと思います。個人的には、「佐藤ママ」のおかげで受験熱は一部の層でくすぶり続けるものの、そのマニアックなバカバカしさに気づいた「信仰心」の薄い人たちは、新たな選択肢を見つける旅に乗り出すのではないかと思います。

                           

                           

                          私は地方都市大分で個人塾を営んでいますが、そこで見聞きするものは、以上述べたことの廉価版のコピーに他なりません。特に塾をめぐる状況は滑稽なほどワンパターンで、能力のある教師は必要とされなくなっています。映像授業を見せ、同じセリフを同じように生徒に向かって吐くだけです。知性も将来を見通す力も不要なのです。

                           

                           

                          以前ブログでも書いたように、1980年代半ばから、情報社会・消費社会が進展するとともに、学習もスポーツもすべてがコストパフォーマンスで測られ、精密で逃れようのない計画の下に、人工的な環境が整えられ、その中で人工人間(サイボーグ)が作られています。

                           

                           

                          偶然性を重んじ、その土地や地域の固有の気候風土の中で培われてきたものに基礎を置いた<生>の全体性を取り戻すにはどうすればいいのか。これからは、ヴァナキュラー建築と呼ばれている世界各地の伝統的な建物を手掛かりに、100年後の教育を考えてみたいと思います。

                           

                          | 教育 | 14:15 | comments(0) | - |
                          知性ある人格はどうすればできるのか。
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                            学力と知性は根本的に違います。学力は人格と切り離すことができますが、知性は人格と切り離すことができません。またその話か、と思わないでください。ガンジーは「七つの社会的罪」の中に「人格なき学識」を挙げています。塾の教師をしながら私が考えてきたことは、たった一つのことです。それは知性ある人格はどうすればできるのか、ということです。

                             

                             

                            もしあなたが子育ての最中であれば、子供に生き延びてほしいと思うでしょう。いや、私たち自身も生き延びなければなりません。そうであれば私の話に少しだけ耳を傾けて下さい。

                             

                             

                            問題は「ただ生き延びる」ことではありません。大事なことは「どのように生き延びるか、そのためにはどのような学識を身につけ、それを誰のために使うべきか」という問いを発することです。

                             

                             

                            たかが塾の教師には重すぎる問いです。しかし、この問いに答えようとせず、ただ生徒の点数を伸ばすことだけに注力していたなら、私はとっくの昔に塾をやめていたでしょう。

                             

                             

                            試験に役立つ「情報」を生徒の頭にインプットし、条件反射的にそれを取り出して答案に書かせるような訓練ばかりしていれば、教える方も教えられる方も動物化するだけです。映像授業を見せて上前を撥ねるような仕事は、早晩AIに取って代わられるでしょう。

                             

                             

                            人格教育や道徳教育をせよ、というのではありません。それは私が最も忌避するものです。私が人格にこだわっているのは、それこそが知識に命を吹き込むために最も必要なものだと考えているからです。そのためにはどうすればよいのか。その答えを提示したいのですが、限られたスペースで書くのは無理なので、少しずつ書いていくことにします。

                             

                             

                            ごく大雑把に言うと、建築的発想と宇宙的発想、そして土に根ざした子育てを融合した、名付けて「風の谷プロジェクト」(もちろん『風の谷のナウシカ』からヒントを得ています)という壮大な、それでいて簡単に実現できるプロジェクトです。そのためには富裕税を1%導入するだけでいいのです。それで生じる80兆円の税収を財源に充てればできます。消費税を上げる必要もありません。

                             

                             

                            100年後、この国がまだ存在していて、人々が平和に暮らしているとすれば、このプロジェクトが成功した時です。それ以外の可能性は今のところない、と断言できます。

                             

                             

                            しかし、それに抵抗する人たちがいます。ガンジーが指摘した「七つの社会的罪」の中の「人格なき学識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」の奴隷になって人格が空洞化した人間たちです。

                             

                             

                            具体的には、原発再稼働に前のめりになっている政治家や財界人たちです。彼らは、 所詮、バカな家来を引き連れた裸の王様に過ぎません。国民が賢くなればこの状況を変えることはできるのです。ガンジーは「すべての改革は少数派が多数派に反対する行動から始まっている」とも言っています。

                             

                             

                            今この国では、「人格なき学識」を身につけた人間たちが大手を振ってまかり通っています。中でも政治の世界の退廃ぶりは目を覆うものがあります。えっ、そうかな、日本はスゴイんじゃないの、と思っているなら、あなたには真実を見分ける「人格」がありません。知識はなくとも、「普遍的な感情」を持っていれば、この国のひどさに至るところで出会うはずなのです。

                             

                             

                            一つだけ具体例を挙げて置きます。

                             

                            「日本、2年ぶり最下位=教育への公的支出−OECD」

                             

                            経済協力開発機構(OECD)は12日、2014年の加盟各国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合を公表した。日本は3.2%で、比較可能な34カ国中最低だった。前年は33カ国中32位で、2年ぶりに最下位に転落した。特に、大学など高等教育に対する日本の公的支出の割合は英国の28%に次いで低い34%で、OECD平均(70%)の約半分。OECDの担当者は「授業料も高額で、家計負担が極めて大きい。奨学金などの公的支援により、才能ある若者が高等教育を受けやすいようにする必要がある」と指摘した。(2017/09/12-19:24)

                             

                            https://www.jiji.com/jc/article?k=2017091201092&g=soc

                             

                             

                            さて、最後に知性の本質について少しだけ補足しておきます。

                             

                             

                            本来「知性」とは、現状に懐疑的であり、現状の変更を求めるものです。その意味で、知性の本質は反逆的で反権威的なものにならざるを得ません。もしあなたが「現状」に100%満足しているのなら、何も変える必要はありません。つまり、知性は必要ありません。

                             

                             

                            しかし、そんな現実は存在しません。だからこそ、明日を今日より少しでも良くしたいと願うなら、問題点を指摘し、現状を変えなければなりません。その営みのすべてを「知性」というのです。知性が反逆的であるゆえんです。

                             

                             

                            もしあなたが、「知性」とは本来ダイナミックかつスリリングで、世界を変える力を持っていると信じられないのであれば、それはなぜでしょうか。その理由は、日本の学校教育を通じて、あまりに膨大な「やりたくもない、おもしろくもないこと」を義務として課されてきたからです。まともな神経の持ち主なら「やりたくないことからいかに逃げるか」「いかに義務を適当にごまかすか」に必死になるはずです。

                             

                             

                            膨大で無意味なことを長年にわたって課すのが、マインドコントロールの常套手段です。その結果「知性」について考える機会だけでなく、生命力すら奪い取られているのかもしれません。学力世界一のフィンランドを見て下さい。宿題を廃止してから子供たちの学力は伸びています。

                             

                             

                            日本の学校教育を通じて「知性」と初めて出会う日本の子供たちは本当に不幸です。「学力」という「知性の代替品」を配給されているだけなのですから。

                             

                             

                            考えても見て下さい。来る日も来る日も、ファミレスで同じ物ばかり食べさせられたら、子供が食や食文化に興味を持つようになるでしょうか。子供たちの歓声が響く彩り豊かな学校生活の中にこそ、「退屈」という精神的な危機が見え隠れしています。

                             

                            | 教育 | 15:56 | comments(0) | - |
                            日本の教育はマイナスの動機付けによって駆動されている。
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                              塾教師を始めて30年以上が経過しました。教育産業の底辺で定点観察をしている私の目にこの国の教育はどのように映っているのか、今回はそれについて少しだけ述べてみようと思います。

                               

                               

                              この国が質的に大きく変化したのは、敗戦を境にしてではなく、1980年代に高度情報社会・消費社会と大衆教育社会が実現した時期からです。これは日本人の意識だけではなく日本文化のDNA(エートス)をすら変えるラディカルな変化でした。

                               

                               

                              80年代の終わりから90年代の初めにかけて、現場の教師だけではなく、第一級の知識人や思想家たちが教育について論じていました。中でも小浜逸郎氏の『学校の現象学のために』は当時としては出色の学校論・文化論でした。埼玉県の高校教師・諏訪哲二氏の『反動的!―学校、この民主主義パラダイス』も洞察力に富む学校論でした。

                               

                               

                               

                              ひとことで言えば、サヨクの観念的学校論・教育論(子供は純粋無垢で、みんな学びたがっている、といったもの)に対する批判でした。その後、1995年に苅谷剛彦氏が『大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』(中公新書)を著し、教師批判や学校批判が社会構造の基底部を無視した世間話のレベルを出ないことを明らかにしました。ちなみに、苅谷氏は現在オックスフォード大学の教授で、今年の7月に『オックスフォードからの警鐘 - グローバル化時代の大学論』 を著しています。

                               

                               

                              あれから四半世紀が経過し、教育論・学校論の思想的レベルはどうなったでしょうか。私の感覚では、壊滅的な状況だと言わざるを得ません。言うまでもなく、すぐれた教育論は社会制度批判・文化批判になります。すなわち、 すぐれた教育論であればある程、それは政治権力を批判することになるのです。現状を肯定し、とりあえず現政権を支持しておこうというような精神からは優れた教育論も教育実践も生まれようがないのです。

                               

                               

                               

                              では、どこがどのように壊滅的なのでしょう。大衆教育社会とは、学校教育と受験を通して同じ教育を受け、同じ条件の競争をくぐった以上、「努力した者が報われるのは当然という意識(メリトクラシー)」によって成立した社会です。メリトクラシーとは、生まれや身分によって地位が決定された前近代社会から、個人の能力と業績(メリット)によって地位が決定される近代社会への転換の必要性から生まれた概念です。

                               

                               

                               

                              もうお分かりだと思いますが、メリトクラシーこそが、塾だけではなく学校の存在を支えていたのです。特に日本の教育システムが制度疲労を起こしはじめていたとき、その外側でメリトクラシーのほころびを繕い、強化・先鋭化する役割を担っていたのが塾産業でした。

                               

                               

                              ところが今は、トマ・ピケティの指摘を待つまでもなく、富と情報が一部の階層に集中し固定化される格差社会です。平等主義的なメリトクラシーは、今や本音主義・差別(化)主義によって葬り去られようとしています。

                               

                               

                              その結果、日本の教育は、自己利益を最大化することに役立つかどうか、所属する階層を「それとなく」示せるかどうかという親たちの思惑によって動かされるようになりました。ここで言う「親たち」とは、弁護士や医師などのテクノクラート、官僚、大企業の執行役員、大学教師、情報という「商品」を売り買いするNHKをはじめとするマスメディアで働く社員などを指します。

                               

                               

                              彼らは自分たちの子供を公立の学校に入れたいとは思わないはずです。そんなことをすれば自己利益の最大化に役立たないだけでなく、下位の階層だと見なされる屈辱感に耐えなければならないからです。

                               

                               

                              つまり、日本の教育に対して影響力を持っている「親たち」の心理は、いったん手にした豊かさ、すなわち既得権益を手放したくないという、いわばマイナスの動機付けによっていろどられているのです。

                               

                               

                              マイナスの動機付けは、転落の恐怖によって支えられているので周囲の人間を皆ライバルだと見なすようになります。嫉妬と同じく、自分を向上させることよりも、相手をひきずりおろすことにエネルギーを注ぐようになるのです。

                               

                               

                              そうやって相手を傷つけたり人生を破滅に追いやったりしても、それを競争社会・格差社会のせいにします。「仕方がなかったんだ」「人生は厳しいんだ」とつぶやいて自己欺瞞を決め込みます。

                               

                               

                              結果、じっくり人生を考え、周囲の人間と協調して生きるなどというのは綺麗ごとにしか聞こえなくなります。悪くすると負け犬の遠吠えだとして、水に落ちた犬にさらに石を投げたりするようになるのです。もちろん、子供の知的成長を長い目で見守ることなどできません。アへ首相が言うように「結果がすべて」ですからね。

                               

                               

                              はじめに書いたように、私は日本の教育は壊滅状態にあると思っています。大学も例外ではありません。大学のありようとそこで働く教師たちの資質も含めて、これからも書いていこうと思います。

                               

                               

                              ただ、もし、あなたが「現状」にほぼ満足していて、何も変える必要がないと考えているのであれば、私のブログを読んでも得るものは少ないと思います。あなたは考えることも知性も必要としていないのですから。長くなるので今日はここでやめておきます。貴重な時間を割いてお読み下さった方に御礼申し上げます。

                               

                              | 教育 | 14:25 | comments(0) | - |
                              「先生は日頃から政治を語って」
                              0

                                知性とは批判精神そのものです。歴史をさかのぼってそのありかを尋ね、現代の世界の知性から学んだ経験から言っているのです。私には、体制を批判しない知性など、ほとんど想像することすらできません。水が高いところから低いところへ、わずかな隙間さえあればそこを変幻自在に流れるように、知性もまた自由を求める人間精神の働きそのものです。

                                 

                                 

                                だから、ファシズムに対して自由を守るというような紋切型の言い方はやめた方がいい。安全地帯から発する言説は、力を持ちません。もし自由に何らかの意味があるとすれば、それは相手(特に権力を持っている者)が聞きたがらないことを、危険と不利益を承知で相手に告げる権利を意味するはずです。

                                 

                                 

                                この権利を最も勇敢に行使しているのが東京新聞の望月衣塑子記者です。それに対して官邸は東京新聞に「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」と厳重抗議しました。菅官房長官は、これが「報道の自由」に対する圧力だとは思わない人間だからこそ、アヘ政権のスポークスマンが務まるのでしょう。

                                 

                                具体的に学びたい人は、以下の記事を是非ご覧ください。

                                http://lite-ra.com/2017/09/post-3428.html

                                 

                                 

                                しかし、この国では、特に若い人の間では、他者や社会制度を批判することをネガティブにとらえる傾向があるようです。その結果、国からの有形無形の支援が次々と切り捨てられ、不当な高値で政府が買う米国製兵器のツケまで背負わされている事実には無関心です。自分たちの生活が近い将来破綻する要因を自ら招き寄せているにもかかわらずです。

                                 

                                 

                                事実を確認したい方は、以下の記事をご覧ください。

                                 

                                『米から高額兵器爆買い  安倍政権で“防衛費リボ払い”急拡大』

                                 

                                 

                                ≪安倍政権になってリボ払いはフル回転。防衛費の後年度負担は、民主党政権時代には3兆円前後で横ばいだったが、安倍政権になってからは右肩上がり。14年度に3兆6000億円を計上すると、15年度には4兆円を突破。来年度の概算要求ではついに5兆円を超えた》

                                https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/212993

                                 

                                 

                                にもかかわらず、ただ空気を読んで「デモに行ったり、批判したりするのはウザいし、カッコ悪いよね〜」で終わってしまう若者が大半です。それが日本の若者たちに特有な文化であることに気づこうともしません。日本の教育が「成功」した証ですね。つまり、知性が死滅し、それに代わって「学力」なるものがもてはやされる時代になったということです。

                                 

                                 

                                そして、「北朝鮮に対して断固たる措置を取る。米国と協調して圧力をかける」と息巻くアへ首相を支持する若者も多いようです。今この国は、全体主義が国民の側から生まれてくる歴史的プロセスの実験場になりつつあります。教科書からではなく、身を持ってそれを追体験できる絶好のチャンス到来というわけです。

                                 

                                 

                                でもそんな若者だけではありません。今年の8月26日、今から二週間前ですが、19歳の大学生の投書を読みました。『先生は日頃から政治を語って』というタイトルで、高校生時代を振り返って書かれたものです。重要なのは日常です。イベント化した日々の喧騒から距離を置き、日常を見つめ直すことでしか、次のステップに進めないのが人間です。「日頃から」という言葉の重みに思いを致すべきではないでしょうか。以下に引用します。

                                 

                                 

                                         

                                「若年層の政治的無関心や低投票率が問題視され、高校で主権者教育が進められている。学校で政治参加の重要性を教えることに異論のある人はいないだろう。しかし、本当に生徒の主権者意識を高めているだろうか。

                                 

                                 

                                 私は主権者教育が生活や授業と切り離されて行われ、内容が選挙権の行使に限られていることが、最大の問題点だと思う。私の出身校では、教師が学年全員を前に投票の重要性について語った。しかし、これでは生徒が政治を身近に感じることはできないのではないだろうか。

                                 

                                 

                                 普段から生徒たちに国会情勢や社会の動きについて話していなければ、投票に行けと言われても実感がわかない。「中立」であろうとするためか、自分の政治的意見を言わない教師も多い。そんな状況で生徒に自分の意見を持てというのは無理だ。

                                 

                                 逆に生徒に政治的関心を持ってほしくないのでは、とさえ思われる出来事もあった。高校時代、自転車に「アベ政治を許さない」と書いた紙を付けて登校したら、教師にとがめられた。政治参加の方法は選挙だけではない。生徒の意見表明を禁止するような学校で、主権者教育ができるのだろうか。教師は教科書をなぞるだけではなく、折に触れて政治の話をしてほしい。」(朝日新聞・声欄より)

                                 

                                | 教育 | 13:49 | comments(0) | - |
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