結論から言うと「スゴイ」の一言です。「スゴイ」と言っても、色々な「スゴイ」がありますからね。私が「佐藤ママ」のことを知ったのは、三日前です。朝日新聞の地方欄の片隅に載っていた「佐藤ママが説く難関校合格の道」なる記事で知りました。記事によると「佐藤ママ」の講演会が17日、大分市のホルトホールであり、親子連れら120人が参加したとのことです。
「佐藤ママ」。誰かに似ているのですが、思い出せません。
17日と言えば、大分市は台風18号による暴風雨が吹き荒れていた日です。かつてない猛烈な雨が降り、津久見市や臼杵市では甚大な被害が発生しました。それでも、悪天候をモノともせず、「佐藤ママ」の講演会に行った親子連れら120人の熱意に感心しました。そういった「信者」を作りだすパワーを持っている「佐藤ママ」は、やっぱり「スゴイ」。
いくら頼まれても私なら講演会には行きません。特殊な宗教団体の集まりには、身体が拒否反応を示すからです。予想では、おそらく、子供を中高一貫校(大分の場合本当にお寒い中身なのですが)に通わせているママとその予備軍の方たち、特に附属小中学校のお母さんたちが多かったのではないでしょうか。
今回は、「有名」「一流」「難関」大学へ子供を合格させたいと考えている保護者の皆様必見の内容です。長いですが、ぜひ最後までお読みください。
「佐藤ママ」は大分上野丘高校の出身で津田塾大学に進み、卒業後は大分の私立高校で2年ほど英語教師をした後、弁護士をしていた御主人と結婚し、現在奈良市に住む専業主婦だそうです。彼女のプライバシーについて語りたいわけではありません。本も出し、テレビ出演もして、彼女自身が自分の経歴を語っています。私はネットで彼女に関する記事を読んだだけです。
彼女の著作に『受験は母親が9割』というのがあります。『人は見た目が9割』というベストセラー本のタイトルをパクったのでしょう。しかし正確には『受験は母親と父親のDNA、すなわち生物学的環境に加えて経済的環境、さらに母親の信仰心の強さが9割』というべきです。
もちろんそれでは身も蓋もないし、そもそも本が売れません。売れない本は必要ないという極論(幻冬舎のヤクザ社長見城徹氏の言)は、実は私たちの生活が出版資本主義、情報資本主義、文化資本主義によって支配されている事実をまるごと肯定することから出てきます。出版業界に知性は必要ないのです。
消費者(一般の消費者ではなく、特定の層の消費者をターゲットにしたものですが)の心理を読むプロとマーケティングのプロさえそろえれば、ベストセラー本はかなりの確率で作れるのです。特に合格体験記は、特定のキャッチコピーを散りばめれば、消費者を釣ることなど朝飯前です。ブログでも取り上げた例の『ビリギャル本』と同じです。
ここで、彼女をある象徴的な存在として批判するのも意味のあることですが、そんなことに人生の貴重な時間を費やしたくありません。ただ、彼女のような人間は苦手というか、敬遠したいタイプですね。和田秀樹氏と同様、人生の終盤にさしかかっていても、いまだに受験ネタで商売をしている人間の幼児性には辟易するしかありません。
何より、「佐藤ママ」のような、東大一直線教の教祖に群がる一般信者をダシにひともうけをたくらむ出版人に対しては、嫌悪感しか湧いてきません。
ここで突拍子もない想像をしてみましょう。村上春樹氏なら、終末感が色濃く漂う21世紀の日本の中で「佐藤ママ」と東大一直線教、それを養分にして増殖を続ける出版業界の存在を、どのように描くでしょうか。考えただけでもグロテスクですね。
もう一つ。宮崎駿氏が「佐藤ママ」と対談しているシーンを想像してみて下さい。おそらく、コミュニケーションが成り立たないと思います。そもそも宮崎氏がそんな場に出て行くはずもありません。なぜなら、彼のアニメは、この種の親とその発想によって子供たちの魂がどれほど傷つき歪められるのか、そこから恢復するには何が必要かを描いたものだからです。
しかし今回は彼女を批判することよりも、その「功績」を評価してみます。ここから先は、子供を東大や難関大学の医学部に合格させたいと考えているお母さん向けの情報です。興味のない方は読む必要はありません。
「佐藤ママ」の功績
東大医学部レベルの大学受験は、ある程度優秀な親のDNAを前提にしているものの、それだけでは合格は難しい。学習環境というか受験環境が決定的に重要であること。逆に言えば、受験環境さえ整えてやれば、子供4人を東大の医学部に合格させることは可能であるという事実を明らかにしたことです。ここで言う受験環境の中には、経済的なものも含みます。これはあまり表に出てきませんが、実はこれこそが決定的に重要な要素なのです。
以下「佐藤ママ」が4人の子供たち全員に歩ませたルートを紹介します。そうです、「佐藤ママ」の「功績」は、なにより「東大に合格するためには外せないルートがある」ことを明らかにしたことなのです。逆に言えば、このルートを通らなければ、今や東大合格はおぼつかないということです。もちろん時間とお金がかかります。そして何より、母親の決してぶれない、狂気に近い「信仰心」が必要です。
それにしても4人の子供の中に1人くらい、東大一直線教に疑問を持つ子供がいてもよさそうなのですが・・・。しかしそれをさせないところが「佐藤ママ」の「スゴイ」ところです。つまるところ、教育は幼少期からのマインドコントロールだということです。4人の子供全員が東大医学部というところに何とも言えない精神的・文化的貧しさを感じてしまうのは、私のひがみ、負け犬の遠吠えでしょうね。
1:子供4人をすべて1〜2歳の時に苦悶式、じゃなかった、公文式に入れる。
2:全員にバイオリンとスイミングを習わせる。
3:東大、特に医学部を狙うのであれば、東大合格実績のある私立の中高一貫校に入れるのは絶対条件である。大都市圏でなければ、この環境を整えるのは難しい。
4:「佐藤ママ」の地元(奈良)では、東大寺学園よりも東大合格実績で上を行く灘中学に進学させるのがベストである。
5:そのためには、受験情報を豊富に持っていて、実績のある塾を選ぶ。灘中学合格に特化した実績のある塾・浜学園に小学校4年から通わせる。東京ならY−SAPIXというところでしょうか。
6:そしてめでたく全員を灘中学に合格させる。一番下の妹はこれまた進学校の京都の洛南高校に合格。これで東大合格はぐっと近づく。ちなみに、ママの力も大きいですが、通った学校や塾の力に負うところが圧倒的に大きいのです。
7:忘れていました。リビングに大きなテーブルを置き、そこで勉強させる。
これが「佐藤ママ」のお宅のリビング。生活の全てが東大合格に向けて方向づけられている。いや〜「スゴイ」。私なら、耐えられませんね。
ここまで読んで二の足を踏むようでは、お母さん、「信仰心」が足りません!ひるんではだめです。誰かさんも言っていましたね、「この道しかない!この道を前へ!」と。
現在、東大合格者の上位校は、ほとんど都内の私立の中高一貫校に独占されている状態です。国立校も含まれていますが、実体は私立の中高一貫校と同じです。都内では、関西以上に、合格ルートは限定されています。
例えば、中学受験ではY−SAPIXに通わせる。めでたく開成に代表されるような私立の中高一貫校に合格した暁には、東大医学部合格者の6割を輩出している塾・『鉄緑会』に入る。そして現役の東大医学部の学生や東大入試のことを熟知している優秀な講師の授業を受ける。周りに東大医学部の学生が普通にいるので、自分もそうなることを簡単かつ具体的に思い描ける。実はこのことが想像以上に効果があるのです。
二年ほど前に読んだ『ルポ・塾歴社会』。私の予想を裏付けるデータでいっぱいです。読みたい方はどうぞ。ついでに『学力の経済学』もどうぞ。教育を個人的な経験からではなく、科学的な裏付けをもって説明してほしいと考えている人は、教育経済学?の観点から書かれている後者を読んでみるのもいいかもしれません。しかし、教育経済学なるものも経済学も所詮はモデルを作ってそれで演繹的に結論を導き出すものですから、眉に唾して読むべきです。
ここで何か思い出しませんか。そう、甲子園の高校野球の常連校、ベスト16に入る学校のほとんどは、私立の特定の学校です。しかも中学校の段階から、優秀な生徒を集めています。部員は軽く100名を超えます。その中で激烈な競争を勝ち抜いた者だけがレギュラーになれるのです。
有能な監督。身体能力抜群の選手たち。豪華なトレーニング機器とナイター設備および専用グラウンド。部活のレベルを出ない練習をやっている地方の公立高校の野球部が甲子園で活躍できるはずもないのです。何より資金が足りません。今や、甲子園の高校野球は将来のプロ野球選手を選別する場になってしまいました。
サッカーしかりです。いや、その他のスポーツも大なり小なり、こういった枠組みの中にあるのです。要するに、オリンピックを目指そうとすれば、選手の努力、親の「信仰心」、それとコスパ(お金)で、ほとんどの選択肢と将来の可能性は決まってきます。
以上、「佐藤ママ」の「功績」について述べました。東大に合格するためには何が必要なのかが分かったと思います。逆に、「佐藤ママ」のおかげで受験熱は一部の層でくすぶり続けるものの、そのマニアックなバカバカしさに気づいた「信仰心」の薄い人たちは、新たな選択肢を見つける旅に乗り出すのではないかと思います。
私は地方都市大分で個人塾を営んでいますが、そこで見聞きするものは、以上述べたことの廉価版のコピーに他なりません。特に塾をめぐる状況は滑稽なほどワンパターンで、能力のある教師は必要とされなくなっています。映像授業を見せ、同じセリフを同じように生徒に向かって吐くだけです。知性も将来を見通す力も不要なのです。
以前ブログでも書いたように、1980年代半ばから、情報社会・消費社会が進展するとともに、学習もスポーツもすべてがコストパフォーマンスで測られ、精密で逃れようのない計画の下に、人工的な環境が整えられ、その中で人工人間(サイボーグ)が作られています。
偶然性を重んじ、その土地や地域の固有の気候風土の中で培われてきたものに基礎を置いた<生>の全体性を取り戻すにはどうすればいいのか。これからは、ヴァナキュラー建築と呼ばれている世界各地の伝統的な建物を手掛かりに、100年後の教育を考えてみたいと思います。
※ 尚、よろしければ以下の関連記事も合わせてお読み下さい。
佐藤ママの超絶「脳育」論。
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子供の人生は幼少期に出会う大人によって大きく左右される。
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カルト化する社会と教育−「佐藤ママにエールを!」のコメント主さんへ。
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名もなき一教師さんへ。
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