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 (JUGEMレビュー »)

まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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黒い巨塔 最高裁判所
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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中村さんの書かれた本はすべて読みました。どの本もおすすめです。これから家を建てようと考えている人は、どの本でもいいですから、一冊中村さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。エッセイとしても十分楽しめます。この本は北海道にあるパン屋さんの建物を作りながら、人は「パンのみにて生きるにあらず」を実践したものです。ダジャレ好きの中村さんらしい(笑)。
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感想または身辺雑記
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    朝起きてニワトリを小屋から出し(枠から解き放たれたサラブレッド?のようにいっせいに駆け出します)、水を換え、餌をやり、昼前には菜切り包丁で白菜を細かく切って糠と混ぜます。地面に撒くと、一目散に駆け寄ってきます。今ではルーティンがわかったのでしょう、私の足音を聞いただけで六羽のニワトリが一か所にかたまり、餌を欲しがるようになりました。白菜は毎朝卵を届けている90歳のおいちゃんのお返しの品です。

     

     

     

    囲いの中には、近くの農家からもらってきた稲藁を大量に敷いています。放し飼いにしているので、一日中稲藁を脚で蹴散らして小さな餌を探しています。夕方になって暗くなると一羽がトットッと小屋に入ります。すると、残りのニワトリも後を追うようにして入ります。この光景が何ともほほえましいのです。

     

     

     

    ニワトリがどこで眠るのか御存じでしょうか。六羽が止まり木にとまったまま一列になって、身体を寄せ合って眠るのです。うちの奥さんは一羽ずつ巣箱に入って眠ると思っていたらしく、「止まり木に止まったまま眠るの?可愛いわね、見てみたい」と言い残して、懐中電灯を手にニワトリ小屋へ。日本は平和です。

     

     

     

    ニワトリが餌を欲しがるのはわかります。食べなければ死んでしまいますからね。でも、「桜を見る会」に集まる芸能人や作家、ジャーナリスト、メディアや出版社の社長、各界で功績のあったエライさんたちは何が欲しいのでしょうか。税金で飲み食いしたいのでしょうか。安倍晋三主催の「桜を見る会」に集まった人間たちのバカ顔を私は決して忘れません。

     

     

     

    はっきり言いますが、彼らの中のだれ一人として信頼に値する人間はいません。日本の置かれている現実を見つめ、そこから言葉を紡ぎ、誇りを持って生きることがどのような人格を作り上げるか、彼らには想像だにできないのです。

     

     

     

    税金で飲み食いし、有名人や総理大臣と写真を撮ることで、彼らの空洞化した人格を埋めているだけです。後日、ブログやフェイスブックに写真をアップして、自分がセレブと知り合いであることを誇りたいのです。中身がない人間ほど学歴や有名人と知り合いであることを誇示したがるものです。ゆえに、彼らは安倍政権の存続を望んでいます。政権交代するようなことがあれば今の地位を追われかねないと本能的に分かっているのですね。

     

     

     

    それにしても、「桜を見る会」に集まった面々は、今の日本を象徴しています。彼らは、内政・外交で何一つ成果を上げることができず、拉致被害者を見殺しにし、ただ権力の座にいることが目的のウソで固めた人生を生きる総理大臣と写真を撮ることが末代までの恥さらしだと分からないのです。

     

     

     

    おそらく、安倍首相は秘書官兼補佐官である今井尚哉氏に吹き込まれているのです。これまでブログに書いてきたことをまとめれば、以下のような会話が交わされたのではないでしょうか。

     

     

     

    今井「総理は日本の最高権力者なのですよ。その意味がお分かりですか。絶対に辞めないと決心すれば、総理を権力の座から引き摺り下ろすことのできる人間はいないのです。権力者の最大の弱点は弱気になることです。

     

    三権分立など絵にかいた餅に過ぎません。人事権を掌握すれば、総理に逆らえる人間はいません。森友・加計問題でもお分かりでしょう。検察も裁判所も総理の意向を気にして、政権に弓を引くような捜査も出来ませんし判決も書けません。官僚は自分の地位を守るためなら公文書でさえも偽造するのです。

     

    メディア対策は任せて下さい。彼らの弱点はすべて調べ尽くしています。彼らほど権力のいいなりになる連中はいません。『桜を見る会』も来年中止にすれば、国民は忘れます。スピン報道として中村格に沢尻エリカの情報を公にさせれば、マスコミは一斉にそれに飛びつくでしょう。それに、経団連の名誉会長をしている叔父の今井敬がホテル・ニューオータニの取締役ですから、この件はどうにでもなります。叔父と会う段取りはつけています。」

     

    安倍「今ちゃん、スゴ〜イ。あったまいい〜。」

     

     

     

     

    ちなみに首相動静によると、一週間前の今月11日に安部首相は実際に今井敬氏と会食しています。 

     

    | 身辺雑記 | 23:02 | comments(0) | - |
    未来塾教室風景
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      以下の画像は一週間前に実施された中学3年生の模試の一コマです。午前9時から午後2時まで集中して問題に取り組んだ生徒の皆さん、お疲れ様でした。

       

       

       

      子供たちが問題用紙に向かい、懸命に考えている姿はいいものです。そうやって身につけた知識や思考力を、自分の人生やこの世界をより良くしていくことに使ってもらいたいものです。

       

      ランチタイムの後、ニワトリと遊ぶ生徒たち。

       

       

      模試が終わった後も、ニワトリに遊んでもらっている生徒たちです。

       

       

      手前は野菜作りのための畑です。まだ土作りの段階です。はよかえらんと、あめがふりだすよ!

       

       

       

      塾を始めて36年になりますが、きれいごとではなく、私の人格そのものになってしまった思いがあります。それを伝えたくて、今も塾の教師を続けています。その思いがいつ、どこで生じたかについては、近いうちに書くつもりです。たかが塾とはいえ、初発の動機は重要です。それが塾の可能性はもとより普段の授業や経営方針を大きく左右するからです。

       

       

       

      端的に言いましょう。私が塾の教師をしている最終的な目的は、学校に行かなくても、会社に就職しなくても、学ぶ意欲さえあれば人間として立派に生きていけるのだと証明することです。

       

       

       

      学歴とか留学歴とか、住んでいる場所や出身地、年収や職業といった人が生きていく上でまとう外形的なものは、人間の価値とは関係ない、これは人間をよく観察し、深く思考すれば誰にでもわかることだ、と若い人に本気で伝えるためです。それは突拍子もない極端な話でしょうか。私には当たり前のことのように思えます。

       

       

       

      学校は今や、小学校から大学まで受験予備校・就職予備校と化しています。そういった匿名のシステムの中でポジション取りに明け暮れていれば、その外に広がる豊かな世界が目に入らなくなります。

       

       

       

      結果、大企業のサラリーマンや官僚や医師や弁護士、あるいはIT関連のカタカナ職業に就いて大都会で生活するのが成功の証しだと思い込むようになります。現にこの種の職業に就いている親は、子供に同じ道を歩ませようとします。

       

       

       

      たとえるなら、こういった思考は、沈みかかっている船の中で自分だけは助かろうとする姑息で時代遅れの考え方に過ぎません。分かりやすく言えば、竹中平蔵的な考え方です。船を捨て、救命ボートに乗り、新しい土地を目指したり、社会的・文化的なインフラのみならず美しい自然を後世の人々に残そうと戦っている人々の対極にある考えです。

       

       

       

      もしあなたがそんな生き方はしたくないと思うのなら、自分自身と対話しなければなりません。その対話にごまかしがあってはなりません。どんなに孤独でも正直でなければなりません。

       

       

       

      もし私が生きていく過程で考えることをやめ、時間と空間を超えて多くの人間から学ぶことをやめていたら、すなわちこのニッポンの中でのポジション取りに明け暮れていたら、決してこのような認識には至らなかっただろうと思います。

       

       

       

      しかし、多くの人は外形的なものこそが人生の目標になると考えています。そのために人生の大部分の時間とお金を投資するのは当たり前で、私のような影響力のない、逸脱者の言うことなど負け犬の遠吠えだと一笑に付すことでしょう。

       

       

       

      しかし、人生を振り返って確信していることがあります。ことによると、人生の途上で行き暮れている若い人のヒントになるかもしれません。それは以下のような考えです。

       

       

       

      その前にもう一度言いますが、私のような人間でも何とか生き延びることができたのは自分に正直に、ひたすら自問自答を繰り返したからです。ひとりの人間が自らの生き方の指針を決める時に大切な事は、世間体にこだわってはならないということです。あなたの幸せは他人が決めることではないのですから。

       

       

       

      そして、忘れてならないのは「こういう職業に就きたい」「これを達成したい」という目標からではなく、「これはやらない」「これはやるべきではない」という否定からも人生は選択できるということです。

       

       

       

      ここで大切なことは、私の経験から言って、それを外に向けて宣言するのではなく、あなた自身の初発の思いに戻り、そこから出発して社会で生きていこうと覚悟を決めることです。

       

       

       

      その過程でおそらく、あなたは逸脱者の烙印を押されるかもしれません。しかし、人間は成長と変化をやめません。もし、あなたが今の状況に対して何かが違う・・・と感じるなら、その状況から抜け出して一気に環境を変えることだってできるのです。あなたは本来自由なのです。

       

       

       

      自らの生に忠実であろうとすることで、詰将棋のように避けようもなく世間から外れていく魂の痛み。それは、あなたがあなたであるということを証明しています。周囲の誰からも、親からでさえも分かってもらえないと覚悟しなければなりません。

       

       

       

      学べば学ぶほど、真実に近づけば近づくほど、あなたは孤独になっていきます。しかし、その同じ魂が逸脱を貫くことで遂に報われる奇跡がやってきます。なぜなら、世界はそのようにできているからです。

       

       

       

      なんだか偉そうなことを書きましたが、これは36年間たった一人で塾教師をしてきた私のウソ偽りのない本心です。

       

       

       

      教師の本音や人間性は、生徒に向ける視線やため息、何を笑うか、何に怒るか、そしてちょっとした時にもらす下世話な話の中に現れます。「君のお兄さんは上高から東大なんだ、すごいね」といったセリフは、私のどこを押しても出てこなくなりました。今回も読んで下さった方にお礼を言います。貴重な時間をありがとうございました。

       

       

      | 身辺雑記 | 14:08 | comments(0) | - |
      ラグビー・ワールドカップの観戦。
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        今日10月20日は、大分スポーツ公園総合競技場へラグビー・ワールドカップ、ウェールズ対フランスの試合を観に行ってきました。1点差の白熱したすばらしい試合でした。観衆は約3万4千人とのことでしたが、私たちの隣の席は、なんと疾風自由日記のSさん夫妻でした。縁は異なものと言いますが、こんな偶然があるものでしょうか。

         

         

         

        うちの奥さんはラグビーに興味はないだろうと思っていたので、チケットの予約はしていませんでした。ところが、「一生に一度と言ってるじゃない。観に行きたいわ」とのたまうではありませんか。

         

         

        「もうチケットはないよ。それに僕がいつもスポーツは生で観るべきだよと言っていたのに、テレビで観る方が選手の顔がよく見えていいと言ってたじゃない。」

         

        「でも、ラグビーは生で観るスポーツだと思うの。世界の一流選手のプレーを生で観てみたいわ」

         

        「ラグビーは生で観るスポーツだなんて、いったいどこから仕入れたの?」

         

        「失礼ね。サッカーはテレビでいいけど、ラグビーは男のスポーツって感じがするのよ。満身創痍になって男たちが戦っている姿がいいのよね。それにサッカーのワールドカップの優勝賞金は41億円なのに、ラグビーの優勝賞金は0円でしょ。W杯に出場することが最大の名誉という考えも素敵じゃない?」

         

        「ス、ス、素敵すぎるけど、どこでそんな知識を仕入れたの」

         

        「あら、ネットに載ってたわよ」

         

        「・・・・」

         

        ということで、奥さんにはいつも頭が上がらない私です。

         

         

        それにチケットも高いのでわが家の経済力では買えないものと諦めていました。ところが、次女の旦那さんがチケットをプレゼントしてくれたのです。ニュージーランドのオールブラックスが別府にやってきた時も家族ぐるみで付き合う間柄です。大会関係者ということで車も競技場に駐車することができました。ありがたいことです。

         

         

        入口付近で。奥さんの(きまぐれの)おかげで、一生で一度の大分でのワールドカップを観ることができました。

         

         

        試合前の雰囲気。やはりラグビーは生で観るものです、なんちゃって。

         

         

        試合開始の時間になると、この熱気です。

         

         

         

         

         

        1枚4万円もするチケット。ありがとう。記念に取っておきます。

         

         

         

        奥さんは試合が始まるとキャーキャー叫んで、心から楽しんでいました。いや〜、よかった、よかった。一生の思い出ができました。

         

         

        | 身辺雑記 | 00:00 | comments(0) | - |
        里山の暮らし−その翌日
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          昨夜、お泊まり会をした孫たち。「こわ〜い話」を聞いたり、いっしょに風呂に入ったりして、さすがに疲れただろうと思っていると、朝6時前から起き出して、うるさいことこの上ないのです。私に感情をかき乱されて、みんな興奮さめやらずといった様子です。

           

           

           

          「ニワトリ見に行こう。だっこしたい!」という孫たちをなんとかなだめて、朝食を摂らせます。そしてニワトリ小屋へ。大きな卵が6個、産卵箱の中に並んでいます。一人ずつ中に入って、卵を採らせます。「今日はおやつに卵を使っておじいちゃん特製のドーナツを作るぞ」と言うといっせいに歓声が上がります。

           

           

           

          そして、以下の画像となりました。

           

          潮干狩りならぬ、ミミズ狩りです。私が地面を掘るとミミズが出てきます。それを目指してニワトリたちが一斉にやってきてついばみます。子供たちも「やってみたい!」となります。

           

           

           

           

          ニワトリにお尻をつつかれた小3の真美ちゃんいわく。「大丈夫かなあ?病気になったりせん?」私いわく「大丈夫だよ。ただ、夜になると肩からニワトリの羽が生えてくるかも。朝起きて鏡を見てごらん。真美ちゃんの顔が、ニワトリになっているから」「・・・・」

           

           

           

          幼稚園の年中さんのキー君いわく。「ニワトリのフンを踏んだ。うわっ、きたね〜」私いわく。「心配せんでいい。ニワトリのフンを踏んだら、羽が生えて飛べるようになるけん。じいちゃんも、小さい時、馬のクソを踏んで走るのが速くなったんぞ」。で、この画像はニワトリになって飛ぼうとしているキー君です。

           

           

           

           

          昨日のブログで、卵配達人になったことを紹介しましたが、もらった人は例外なく「昔は、うちもニワトリを飼っちょったんで」と言います。私がニワトリを飼おうと思ったのも、幼少の頃の農家の暮らしが頭にあったからです。このあたりの農家はどこもニワトリを飼っていたのです。牛やヤギを飼っているところも珍しくありませんでした。

           

           

           

          そういう農家の風景や思い出によって、私の感受性が養われていることを痛感するのです。幼少年期の体験や記憶ほど本人の自覚しないところで私たちに影響を与えているものはないような気がします。

           

           

          こどもの魂はどこで育つのか

          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=174

           

           

           

          昔、イタリア人だったかドイツ人だったかがおもしろいことを言っていました。 「なぜ一日は24時間あるか知っているか?8時間は働くため。 8時間は眠ったり食事したり、自分自身のため。残りの8時間はコミュニティのためにある」と。

           

           

           

          日本人はコミュニティのために時間を使うのが苦手のようです。定年退職をしてからではなく、幼少のころから残りの8時間をコミュニティのために使うのが当たり前だと考える教育は、いつになったら実現するのでしょうか。

           

           

          | 身辺雑記 | 13:41 | comments(0) | - |
          里山の暮らし。
          0

            里山にはいつもと変わらない時間が流れています。そこでの暮らしは単調です。ときどき○○さんが亡くなったという知らせが届いて、ああ、時間は容赦なく流れていたのだ、と気づきます。

             

             

             

            私の住んでいる市街化調整区域内にある村は、農道が舗装されたくらいで、この50年間、ほとんど姿を変えていません。散歩しながらおそらく100年前も同じ風景が広がっていたのだと想像できるのです。

             

             

             

            四季折々の田園風景や新鮮な空気の中にいると、どこか「聖なるもの」を感じる瞬間があります。地域の歴史が積み重なっているからでしょう。目を凝らせば100年前も同じように農業に従事していた人間の姿や叫び、絶望や希望が見えてくるような気がするのです。

             

             

             

            何もかもをコスパで考える社会(私の中にもそういった傾向はあります。)では、地方の小さな村の歴史や伝統など、何の価値もないように思えます。現にそれは風前の灯なのです。

             

             

             

            しかし、100年前と同じ風景が今も存在していて、これからも存在し続けるだろうと信じられることは、実は人間にとって精神の安定装置になっているような気がします。

             

             

             

            私が建築に惹かれる最大の理由は、仮想空間の中ではなく、現実に存在していて、その場の精神性というか空気を呼吸しているからです。美学的な優劣を云々することにはあまり興味がありません。

             

             

             

            私が感動するのは、欲望や打算、虚栄心や嫉妬によって動かされて出来ていない、いわば無名性の建築なのです。建築が生きる長い時間を考えると、建築が動かないこと、歩み寄らないことは、とても寛容で自由なあり方なのです。なぜなら、建築が動かなければ動かないほど、こちらの心が動き、多くのイマジネーションと豊かな時間を与えられていることに気づくからです。

             

             

             

            何だか小難しい話になってしまいました。私の考えに興味をお持ちの方は、ちょうど4年前に書いた記事をご覧ください。 

             

             

            私の散歩道

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=74

             

            私たちはどこから来てどこへ行こうとしているのか。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=93

             

             

             

            ここからは近況報告です。

            私は現代社会から打ち捨てられたような場所で生活していますが、考え方と工夫次第で豊かな場所にできることを報告したいのです。そしてそれは、誰にでも可能であるということを。

             

             

             

            ニワトリが卵を産みはじめて、一カ月になります。最近では卵を地域のお年寄りに配っています。朝、ニワトリ小屋に行き、餌と水を換えて、肩から掛けたポシェットに産みたての卵を採って入れます。その格好を見て、うちの奥さんは笑います。

             

             

             

            村には90歳で一人暮らしの人や90代の夫婦など珍しくありません。一人暮らしの場合は、安否確認を兼ねて毎朝牛乳箱の中に一個入れます。

             

             

            「あんた、そげえ毎朝入れんでんいいんじゃが。きのどきいなあ。」

            「おいちゃん、遠慮せんで。うちも毎日6個は食べれんけん。」

            「昨日のは、ふたごじゃったわ。新鮮じゃけん、殻がかてえわな。卵かけごはんでたべよんけど、あたらしいけんおいしいわな」

            「おいちゃん、栄養つけて、長生きせな」

            「きのどきいなあ。おおきに」

             

            といったような会話が交わされています。

             

             

             

            今日は、メアリーポピンズではありませんが、台風19号の強風に乗って孫たちがニワトリと遊ぶためにやってきました。もう一人、中1で私の塾に入っている孫がいるのですが、サッカーの練習があって来れませんでした。

             

             

             

             

             

             

             

            そうそう、教え子のSさんからお便りをいただきました。私のブログを読んでニワトリを飼い、最近ではチャボも飼い始めたそうです。卵も産み始めたそうで、これからが楽しみですね。Sさん、色々と工夫して田舎暮らしを楽しみましょう。

             

            | 身辺雑記 | 23:01 | comments(0) | - |
            鶏を飼う。
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              この国の政治家たちのあまりの低レベルの発言や行動、見識のなさが引き起こす悲喜劇に付き合っていると、精神衛生上良くないので、今年の3月に鶏小屋と葡萄棚を作り、200坪以上の荒れた土地(お隣さんに無償で提供していただいています)を開墾して一部を野菜畑にしました。

               

               

              今年の3月に完成した鶏小屋とぶどう棚。画像は今日、9月11日のもの。

               

               

               

              今年の6月初めの雛達。国東半島の養鶏場まで車を飛ばして買いに行きました。一羽¥780円。ボリスブラウン6羽です。鳩の大きさくらいで可愛いですね。まだトサカも出ていません。

               

               

              3カ月後。もう成鶏です。最初の頃は餌をやりに行くと6羽がかたまって隅に逃げていたのですが、ご主人様が分かるようになった今ではそばに近寄ってきます。

               

               

               

              止まり木は、庭のブナの木の枝を切って作りました。鶏たちに好評です、なんちゃって。

               

               

               

               

              餌をやると、ご覧の通り。

               

               

               

              今日の朝採れ新鮮卵。本当に美味しい。これからは、卵料理のヴァリエーションを増やさなければ・・・。孫娘がミミズをつかんで鶏にやっていたのを思い出し、卵かけご飯を食べながら「う〜む、ミミズの味がする」と言うと、奥さん曰く「私は遠慮しとくわ」とのこと。1日に1羽が1個産むので、卵を買う必要がなくなりました。餌代とそれなりの手間がかかりますが、田舎暮らしの人にはおすすめです。明日からは、ネットを張って放し飼いにします。

               

               

               

               

               

              毎年秋になると庭が大量の落葉で覆われるので、その有効利用を考えていました。ケヤキやクヌギの落葉は腐葉土にもってこいです。そういうわけで、循環型の生活を実現すべく、腐葉土作りを決心しました。1年ほどかけて腐葉土を作り、鶏糞や藁と混ぜて土に敷き込みます。準備は着々と進んでいます。

               

               

               

              何より、朝早く起きて土を耕したり大工仕事をしたりすることは、心身の健康にとてもいいのです。鶏に餌をやったり、水を替えたりしながら生活にリズムを作っていきます。新鮮な空気を吸って、移りゆく季節の足音を聞いていると、私の中に眠っていた農民のDNAが覚醒するのを感じます。

               

               

               

              昨夜も塾の授業中、日本の大都市で生活するよりも、例えばいっそのこと南仏のワイン農家の娘または息子と結婚して、そこで生きることだってできるのだ、という話をしました。

               

               

               

              フランス語なんてそこで働きだせば何とかなる、それより日本の学校で強制される、生活に不必要な、官僚になるための勉強などしなくて済む。自ら学ぶ意欲を枯渇させないことの方が大事だ。もちろん、日本にはまだまだ豊かな里山文化があるので海外にこだわる必要はない。

               

               

               

              しかも今は、自分の人生を構想するために必要な情報を、世界中からインターネットを使って手に入れることができる時代だ。これまで大人が無反省に君たちに与えて来た人生のコースは、あっという間に無用の長物になる。古びてしまう。

               

               

               

              もちろん僕の言っていることは無責任な極論に聞こえるかもしれない。でも未来は君たちの手の中にあるのだから、たまにはその可能性について考えてみるのも必要だと思う。それが、君たちの精神を奴隷の桎梏から解放し、君たちの可能性をどれほど開拓するか、それを想像してほしい、と。

               

               

               

              もうやめにします。最後に今月5日、ロシア極東ウラジオストクで開催された国際会議「東方経済フォーラム」に出席した安倍首相がプーチン氏に向けてした演説を載せておきます。

               

               

               

              「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。歴史に対する責任を、互いに果たしてまいりましょう。平和条約を結び、両国国民が持つ無限の可能性を、一気に解き放ちましょう。そのほとんど次の刹那、日本とロシアの連結は、地域を変える。世界を、大きく変え始めるでしょう」

               

               

               

              プーチン氏はこの演説を聞いて、必死に笑いをこらえていました。私は仰天し、この男はとうとう頭がおかしくなったのではないかと思ったほどです。そして、この国の経済人やジャーナリズムで働くほとんどの大人がこの男を支持しているという事実に思い至り、絶句しました。この国は、幼稚園児がお遊戯に興じる「お花畑」になってしまったのです。

               

               

               

              加えてこの男は、歴代政権が積み上げてきた「4島の帰属問題を解決」という従来の日本政府の方針を勝手に転換して「2島返還」に舵を切り、その上3000億円もの経済協力まで約束しました。そのあげく、日ロ交渉は1ミリも進展しなかったどころか、「プーチン大統領と27回目の首脳会談」などとはしゃいで見せ、プーチン氏が色丹島に完成したロシアの水産加工場の従業員をTV電話で激励する姿を見てもポカ〜ンとしていたのです。

               

               

               

               

              いやはや、どうやら私にできることは鶏の世話くらいしかなさそうです。新防衛相に任命された河野太郎が「無礼者!」などとほざいて、韓国にミサイルをぶっ放したりしないことを祈るばかりです。

               

               

              | 身辺雑記 | 13:45 | comments(0) | - |
              この国がまともだったころ。
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                今日で8月も終わりです。朝から冷たい雨が降っています。Time flies.(光陰矢のごとし)とはよく言ったもので、今年も残すところ4か月になりました。わが家の中庭では、ケヤキやジューンベリー、エゴの木、ツリバナが雨に打たれて葉を落とす準備を始めています。私は、もう少し季節が深まった頃の中庭の風情が気に入っています。

                 

                 

                8月の終わり。雨の中庭。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                朝食の後、そういえば昨日の新聞を読んでいなかったと思い、妻に訊くと「ほら、テーブルの隅にあるじゃない」という返事です。妻は毎日克明に新聞を読み、面白そうな記事があると教えてくれるのです。

                 

                 

                 

                そういうわけで、昨日8月30日の朝日新聞を開こうとすると「折々の言葉」が目に飛び込んできました。普段はあまり読まないコラムです。日本の学者や哲学者と称する人たちは、現実を解釈するだけで、行動しないので、私はいつも眉に唾して読んでいます。しかし、今回読む気になったのは「小田実」という名前を目にしたからです。以下に引用します。

                 

                 

                 

                A happy landing on the earth although the earth is full of problems. 小田実

                 

                 

                作家は娘が誕生した日、日記にこう記した。「ようこそ地球へ ― ここは問題だらけではあるけれどね」。妻の玄順恵(ヒョンスンヒェ)は回想録『トラブゾンの猫』の終わりにこの言葉を引いた後、作家の創作ノートの最後の文「世界は世直しを必要としている」を添えた。作家が身を投じた市民運動には、つねに地べたを這いつつ宇宙を見上げる「虫瞰図」の眼があったという。

                 

                引用終わり。

                 

                 

                 

                今、この国の政府、マスコミ挙げての反韓・嫌韓を、小田実ならどう感じるでしょうか。余りに狭量・無知(特に歴史に関して)な政府と国民。それでも彼は決して絶望することなく、地べたを這いつつ言葉を発していたことでしょう。

                 

                 

                 

                ちなみに私は、ある国の文化的・政治的成熟度を見るとき2つのことに注目しています。

                 

                 

                1:若者が政治的意見(反政府的意見のことです)を表明する自由すなわち民主主義国に不可欠な表現の自由を行使しているか。

                 

                2:時代状況を抉り自国の負の歴史をテーマにする映画を製作する自由があるか。

                 

                この2つの点に注目するだけで、その国の未来が見えてきます。日本は韓国に完全に後れをとっていると断言します。

                 

                 

                 

                 しかし、日本にもこの2つの条件を満たしていた時期があるのです。自民党にすら良心がありました。それは小田実が活躍していた時期と重なっています。

                 

                 

                 

                今からちょうど3年前に書いた記事です。よかったらお読みください。

                 

                Our days are numbered.  小田実「遺す言葉」

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=238

                 

                「一人でもやる、一人でもやめる」という自由

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=234

                 

                | 身辺雑記 | 14:32 | comments(0) | - |
                詩と書、そして建築。
                0

                  2年ほど前のことになりますが、ブログで次のように書いたことがあります。

                   

                   

                  ― 私が惹かれる建築には、欠くことのできない要素として<詩>があることは確かです。以前ブログで西脇順三郎のことばを引用しました。それは「人間の存在の現実それ自身はつまらない。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)を持って意識させる一つの方法である。」というものでした。―

                   

                   

                   

                  <詩>を孕む建築

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=355

                   

                   

                   

                  そして今、在日韓国人の建築家・伊丹潤の作品集をめくりながら、西脇順三郎のことばを思い出しています。作品集P74「建築家の心眼」の中で、伊丹は次のように書いています。

                   

                   

                   

                   

                  ― もし建築に完璧さだけを追い求めたとしたら、まぎれもなく、機能に研ぎ澄まされ、冷たく味気ない空間になるであろう。そして、無駄という掴みどころのない言葉の範疇には、人間の生になにか非凡なもの、あるいは空間の本質みたいな何かがあるようだと、常々感じてきている。

                   

                  空間の深い意味において、機能からではなく、人間の本能のような、人がそこに存在するだけで生気が張りつめる空気みたいなものが流れる。そんな空間は、機能優先の空間には見ることができないであろう。しかるに、建築家の心眼というものに頼るしか手はない。

                   

                  また、人間の思索を深める空間と造形のピュアルティーは、その土地の伝統の文脈の自然なる抽出と、作者の強靭な祈りをこめた造形感覚と自由な思想が基底になくてはならないと思う。―

                   

                   

                   

                  以前、良寛さんの書を見た時に感じたのは、まさに「作者の強靭な祈りをこめた造形感覚と自由な思想」だったのです。いや、こういう言葉さえ超えたところにある、何といえばいいのか、明るい自由闊達さのようなものでした。

                   

                   

                  今では詩と書と建築が、私の中でひとつに溶けあっています。伊丹潤の言葉は、書について、建築について、はたまた詩の本質について語っているのか判然としないほどです。

                   

                   

                   

                  そういうわけで、私の中では、伊丹潤と白井晟一は別格の建築家として、畏怖すべき人間となったのです。以下に二人の書をそれぞれの著作の中から引用します。

                   

                  伊丹潤「土」

                   

                   

                   

                  白井晟一

                   

                   

                  白井晟一「無伴」

                   

                   

                   

                  良寛さんの話に戻りますが、先日、書家のS氏から作品を頂きました。書き損じたものでもいいから、それを壁に貼って好きな時に気兼ねなく見たい、それが私のような素人にふさわしい書の愉しみ方だと伝えていました。にもかかわらず、頂いたものは画像の通り立派に装丁されていました。そして、そこに書かれていたのは、何と良寛さんの漢詩だったのです。最初はリビングにかけていたのですが、まわりが余りにチープなのでバランスが悪く、S氏が帰った後、仏間にかけ直しました。

                   

                   

                   

                   

                  回首七十有餘年

                  人間是非飽看破 

                  往来跡幽深夜雪 

                  一炷線香古匆下 

                   

                  首(こうべ)を回(めぐ)らせば七十有余年
                  人間(じんかん)の是非看破に飽きたり
                  往来の跡(あと)幽(かすか)なり深夜の雪
                  一炷(ちゅう)の線香古窓(こそう)の下

                   

                   

                   

                   

                   

                  書は歳をとればとるほど余計なものが剥がれ落ちて、味が出てきます。Sさん、ありがとう。次回作は私が一番好きな良寛さんの詩(以下)をお願いします、なんちゃって。

                   

                   

                  生涯懶立身    生涯身を立つるに懶(ものう)く 
                  騰騰任天真    騰騰(とうとう)天真に任す 
                  嚢中三升米    嚢中(のうちゅう)三升の米 
                  炉辺一束薪    炉辺一束の薪 
                  誰問迷悟跡    誰か問う迷悟(めいご)の跡
                  何知名利塵    何ぞ知る名利の塵(ちり)
                  夜雨草庵裡    夜雨草庵の裡(うち)
                  双脚等間伸    双脚等間に伸ばす

                   

                   

                  | 身辺雑記 | 12:51 | comments(0) | - |
                  ハチドリのひとしずく。
                  0

                    これは ちいさな力の大切さを教えてくれる
                    南米アンデスの 古くて新しいお話――

                     

                     

                    森が燃えていました

                    森の生き物たちはわれさきにと逃げていきました

                     

                    でもクリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり

                    口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます

                     

                    動物たちはそれを見て「そんなことをしていったい何になるんだ」と笑います

                    クリキンディはこう答えました

                     

                    「私は、私にできることをしているだけ」

                     

                     

                     

                     

                     

                    この話は元塾生のSさんに教えてもらいました。6月23日にホルトホール大分で開かれた元福井地裁裁判長・樋口英明さんの講演会で再会する予定でした。人が多かったせいもありますが、見つけることができませんでした。妻が急用で行けなくなったので、Sさんも僕を探しづらかったのでしょう。ちょうどそのとき疾風自由日記のS君に会い、二人で外へ出ました。

                     

                     

                     

                    Sさんは30年以上も前の生徒さんです。一緒に勉強したのは、高校3年の時でした。その点では埼玉県で数学の塾をしているO君と同じですね。

                     

                     

                     

                    一緒に勉強したのはわずかな期間でしたが、二人の若者に影響を与えたことを想うと、人間が偶然出会うことの不思議さに驚く他ありません。塾では勉強するだけで、何ら影響を受けなかった生徒さんもいます。当然ですね。

                     

                     

                     

                    でも影響とは何でしょうか。人はみな生まれながらに心の中に小さな共鳴箱を持っていて、突然それが鳴り出すのです。その音を聞き分けるために、子供には自由な環境と時間が必要なのです。子供の心を抑圧するようなジャンク情報ばかり与えれば、共鳴箱は一生鳴らないままでしょう。代わりに自分のポジションを守るためのセンサーが鳴るだけです。

                     

                     

                     

                    樋口さんの講演会では会えませんでしたが、後日、Sさんから丁寧なメールをいただきました。Sさんは樋口英明、前川喜平、小出裕章、そして山本太郎という当代きっての良心に会うことができたのです。それはきっとSさんの人生を善きものにすることでしょう。以下に、固有名詞を伏せて掲載させていただきます。Sさん、ありがとう。

                     

                     

                     

                    ―― メールの返信をいただき、ありがとうございます。

                    先生にたくさんお話ししたい事があり、お礼のメールが遅くなって申し訳ありません。

                     

                     

                    Yも私も、変わらず元気に過ごしています。

                     

                     

                    樋口さんの講演会では、私の事も気にかけていただきありがとうございました。

                    午前中に別の用事があり、会場に着いたのが5分前で、講演会が終わった後は、後ろの席にいらしたA先生にご挨拶していました。今はY中学校で教鞭に立たれていて、今年で定年を迎えるそうです。

                    T中学校時代、A先生が「原発いらない」のステッカーを車に貼って下さっていた事、今でも嬉しく思い出しています。

                     

                     

                    その後、会場を見渡しましたが、先生と奥様の姿を見つける事は出来ませんでした。

                     

                    疾風自由日記のSさんは、先生のブログに何度も登場している方なので、もちろん存じ上げています。

                     

                    先生と奥様にお会いできるかもしれない・・と淡い期待を抱いていたので、今回は残念でしたが、きっとまた別の機会にお二人にお会いすることが出来るのではないかと思っています。

                     

                     

                    私の大好きな、憧れの奥様にもくれぐれも宜しくお伝えください。

                    先生が以前、ブログで旅行の際の奥様の写真をUPして下さった時には、嬉しくて何度も何度も、写真の中の奥様を眺めていました。

                     

                     

                    山本太郎さんの演説会には、急遽予定を変更して慌てて駆けつけました。

                    約2時間にわたる山本さんの演説を目の前で聴く事ができて、本当に良かったです。

                     

                    今、我が家のポストの上に山本さんのポスターを張っているのですが、今回新しいポスターをいただいたので、近々貼り直す予定です。

                    実家と、母の勤めている会社にも同じものを貼っています。

                    少しでも力になれればと、ボランティア登録をし、ポスティングちらしも先日申し込みました。

                     

                    演説会の後、写真撮影と握手会があり、余計な事とは思いましたが、未来塾のブログのPRをしてきました。

                    あのブログを読んでもらえたら、きっと山本さんは喜んでくれると思ったからです。

                     

                     

                    先生のブログでは、泣いたり笑ったり、怒ったり感動したり、日々、色々な事を学ばせてもらっています。

                    塾を何十年も前に卒業しても、いくつになっても、一生私は先生の生徒なんだなと思っています。

                    今でも、ブログを通して大切な事を教えていただき、深く感謝しています。

                    塾の卒業生のみなさんも、きっと私と同じ気持で、先生のブログを楽しみにしていることでしょう。

                     

                     

                    「ハチドリのひとしずく」のクリキンディのように、今、私にできることをやっていこうと思っています。

                     

                     

                    ところで、私も5月からニワトリを飼い始めました。

                    ずっと前から飼いたいと思っていたのですが、小屋作りなどがネックでなかなか踏み出せずにいました。

                    先生のブログを読んで力をいただき、私も先生と同じ水盛遣り方から始め、四苦八苦しながら何とか小屋を建て、宇佐に初生ビナを引き取りに行き、ポリスブラウンを4羽飼っています。

                     

                     

                    小さい頃のYのように大変可愛らしいので、ニワトリなのに名前まで付けました。

                    こうやって長年の夢が叶ったのも先生のおかげです。

                    卵を産んでくれる秋が待ち遠しく、可愛い上に人間模様ならぬニワトリ模様も垣間見えて、毎日笑って楽しく過ごしています。

                     

                     

                    話は変わりますが、去年の12月16日に前川喜平さんの講演会へ行きました。

                    不登校を考える親の会、星の会主催で、テーマは「憲法26条と教育機会確保法」でした。

                    今回の樋口さんと同じように分かりやすくお話しいただき、先生のおっしゃる通りとても素敵な方でした。

                    また、一昨年の9月には、北アルプスの岳沢小屋の朝食の席で、偶然小出裕章先生とお会いしました。

                    嬉しくて、先生に報告しようとずっと思っていました。

                     

                     

                    メールが長くなり、また拙い文章で恐縮です。

                    先生の貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

                     

                     

                    子ども達のためにも、末永く未来塾を続けていただける事を、先生と奥様の益々のご活躍を祈念しております。――

                     

                     

                    | 身辺雑記 | 14:01 | comments(0) | - |
                    私はまだ自分に飽きていない。
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                      この後、「だからまた、違う自分に会える。」と続きます。今年の3月に亡くなった俳優・萩原健一の『ショーケン最終章』の最後のページの最後の言葉です。

                       

                       

                      左は同じく役者の山城新伍の『おこりんぼさびしんぼ』です。これほどの痛快エッセイは今や誰も書けないでしょう。「若山富三郎。勝新太郎。ぼくは、この二人の影響以外、誰の影響も受けていない」と言い切っています。これだけで読みたくなりますね。萩原健一の自伝とあわせてどうぞ。

                       

                      ちなみに、ショーケンの写真について、妻の理加さんは、「あとがきにかえて」の中で次のように書いています。

                      「今年に入って病院で何気なく撮った一枚の写真が、この本の表紙に選ばれました。検査結果を待つ時間も、私たちにとってはおだやかな大切な時間であり、夫はいつもと変わらぬやさしいまなざしを向けてくれています。」

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      小学校の3・4年の頃だったでしょうか、人間をよく観察していると、世間の評判と実際に自分が感じることの間に大きな食い違いがあることに気づきました。

                       

                       

                       

                      私が住んでいた上野ヶ丘の家の畑を挟んだ真向かいには、背中に入れ墨をしたヤクザのおいちゃん一家が住んでいました。私はそこの子供たち(さよちゃんとみっちゃん)とよく遊んだものです。周囲の大人も眉をひそめたりせずに、その一家と自然に付き合っていたように思います。

                       

                       

                       

                      当時は日本の労働人口の60%近くが一次産業、特に農業に従事していた時代です。ほとんどの大人は肉体労働で生活費を稼いでいたのです。それはパソコンの前に座って、キーボードをカチャカチャ叩く仕事からは想像できないものでした。

                       

                       

                       

                      皆それぞれの事情を抱え、同じ地域に住む人間として、貧しいがゆえの助け合い、思いやりの感情を共有していたのです。相対的貧困ではありません。見ればそれとわかったのです。主婦たちは醤油や塩を貸し借りし、男親同士は夜になると将棋や囲碁仲間になっていました。

                       

                       

                       

                      そのヤクザ夫婦は時々ひどい喧嘩をして、「さよちゃんのおばちゃん」が「助けて〜、殺される!」と叫んでわが家へ駆け込んでくることがありました。私の父は教師で柔道五段でしたので、「ヤクザのおいちゃん」は追いかけてきませんでした。わが家は「さよちゃんのおばちゃん」にとっては、緊急時の避難所だったのです。

                       

                       

                       

                      そうそう、萩原健一の話でした。昨日6月29日の土曜の午後、新聞を読んでいた妻が「あなたの好きな『鴨川食堂』の再放送があるわよ」と教えてくれたのです。にやにやしながら「忽那汐里(くつなしおり)ちゃんに会えるわよ」と余計な一言というか、私の本心をズバリ言い当てたのです。

                       

                       

                       

                      そして午後4時からテレビの前に釘づけになりました。やっぱりいいのです。忽那汐里ではなく萩原健一が。いや、汐里ちゃんももちろん良かったのですが・・・。

                       

                       

                       

                      萩原健一については様々な毀誉褒貶がありますが、そんなことは全く気になりません。世間(大衆)は人間の真実を決して理解しないからです。社会の支配的な価値観に迎合するだけの人間がいくら寄り集まっても、真実に到達できるわけがないのです。

                       

                       

                       

                      いい歳をした大人が他人の評価や意見を気にするだけで、自分で調べたり勉強したりしないのは、この国の学校教育がもたらした「成果」です。私は人から後ろ指を差されたり、胡散臭く思われたりしている人物の中にこそ、共感できる生き方や真実があることを学びました。萩原健一はやはり一流の役者でした。『鴨川食堂』を観て、そのことを再確認しました。

                       

                       

                       

                      今年の5月9日、東京国際フォーラムで行われた沢田研二(70)のツアー初日。2曲歌ったところで、彼は突然語り出します。

                       

                      「時間は過ぎていく。年齢も重ねていく。死んでいく人もいる。長生きすることが必ずしもいいことだとは思っていませんが……」

                       

                       そして、言葉を続けます。

                       

                      「さすがにショーケンが死んだときは、こたえた」

                       

                      「あいつなんか、死んだら俺となんか比べられるんだよ。昔の事とはいえ、『ショーケンといえばジュリー』と言われちゃうんだよ。俺は腹が立った。ショーケンはそんな奴じゃないぞ。もっと凄い奴だぞ。俺なんて生き方が上手じゃない。ショーケンはもっと上手じゃなかった。それで、萩原健一だ。萩原敬三(本名)だ。俺はあいつが大好きだ」と。

                       

                       

                      やはりわかっている人はわかっているのですね。

                       

                       

                       

                      『鴨川食堂』の再放送は残り3回です。前にも書きましたが特に(7)「父の海苔(のり)弁」が『鴨川食堂』の白眉です。放送予定は以下の通りです。

                       


                       

                      (6)「初恋のビーフシチュー」
                      2019年7月6日(土) BSプレミアム 午後4時〜4時49分

                       

                      (7)「父の海苔(のり)弁」
                      2019年7月13日(土) BSプレミアム 午後4時〜4時49分

                       

                      (8)「金曜日のチャーハン」
                      2019年7月20日(土) BSプレミアム 午後4時〜4時49分

                       

                       

                      過去記事

                       

                      小さな世界で生きる幸福 ― ドラマ 『鴨川食堂』

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=107

                       

                      『鴨川食堂』という魂の救済場所

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=124

                       

                      | 身辺雑記 | 23:23 | comments(0) | - |
                      やっと梅雨入りです。
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                        昨日は余りにシュールな大人のことを書いたので、気分を変えて今日はホームセンターに赤球土を買いに行って、ガクアジサイの挿し木をしました。アジサイはあまり好きな花ではないのですが、ガクアジサイは別です。花言葉は「謙虚」だそうです。まさにそんな風情が漂っています。母が庭のあちこちに植えていたせいでしょうか、茶花が好きなのです。

                         

                        今庭に咲き誇っている「ガクアジサイ」です。淡いブルー、濃いブルー、ピンクとグラデーションが見事です。

                         

                         

                        リビングのガクアジサイ

                         

                         

                        わが家の庭に咲く茶花を紹介しましょう。

                         

                         

                        まず「タイワンホトトギス」です。

                         

                         

                         

                        次は「ビヨウヤナギ」

                         

                         

                        「シモツケ

                         

                         

                         

                         

                        そして私が最も好きな花、「シュウメイギク」です。

                         

                         

                         

                         

                         

                        シュウメイギクは「秋明菊」と書きます。 秋に咲く明るい花という意味で付けられたとされています。 しかし、もとは「秋冥菊」だったという説もあります。 菊に似ていますがそのたよりない儚げな姿が印象的で、土ものの一輪挿しなどに見事なほど合います。この世の花ではない(「冥土」の花 )かと思うほどの美しさであったことからつけられたとも言われています。その後、「冥」では印象が良くないために「明」にしたとされています。シュウメイギクの花言葉は、 「うすれゆく愛情」「淡い思い」「あせていく愛」 だそうです。

                         

                         

                        | 身辺雑記 | 15:36 | comments(0) | - |
                        今日は雛祭りでした。ー NHKはいらない。
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                          わが家では毎年2月に入るとすぐ、妻がひな壇の組み立を要請してきます。ところが、今年はその様子がないので、忘れているのかも!ラッキー(組立てが結構面倒なのです)と思っていると、中旬になって正式な要請がありました。

                           

                           

                           

                           

                          「あなたから見たら面倒なことでしょうけど、こういう事って、けっこう大事だと思うのよね。娘たちが無事に成長したことに感謝しながら、ひな人形を並べる時間が私は好きなのよ。」

                          ははっ〜、おっしゃる通りでございます。

                           

                           

                           

                          雛人形を一つ一つ箱から取り出して並べるのは、結構な時間がかかります。妻はそれを苦とも思わず、オルゴールに合わせてひな祭りの歌を歌いながら、毎年欠かさず並べています。こういうところは感心だなと思います。おかげで、あわただしく流れていくだけの日常に、彩りがそえられ、そこだけ花が咲いたようなひとときとなるのです。

                           

                           

                           

                          とまあ、ここまでにしとけばいいものを、卑屈さというか奴隷根性というか、権力に隷属することを誇りにしているような人間たちを見て、どうにも怒りがおさまらないので、書き留めておくことにします。もしかしたら、ひな祭りを素直な気持ちで祝えるのも今年で最後になるかもしれないからです。

                           

                           

                           

                          以下は戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏のツイッタ―からです。

                           

                           

                          「2019年3月1日のNHK午後7時ニュース。「新元号を書くパフォーマンスのため、(アシカが)毎日特訓に励んでいます」「どんな元号がきても書けるように練習」とあるが、当日まで発表されない言葉をどうやって「アシカに練習させる」のか。NHKは「安久」という二字だけを、20秒も画面に映していた。」

                           

                           

                           

                           

                          まさか「安久」という元号は、「安」倍晋三総理の功績を(何一つないにもかかわらず)永「久」に顕彰することを目的とするものではないでしょうね。たとえこれが現実にならなくても、ここまで時の権力者に媚びへつらう放送局が公共放送を名乗るとは、大日本帝国下で猖獗をきわめたイデオロギーに魂を売り渡したのだと断言します。

                           

                           

                           

                          それにしてもなぜ彼らは隷属を誇りとし、隷属を求めて闘うことができるのでしょうか。「安久」が新元号になれば私は西暦だけを使い、金輪際元号は使わないつもりです。

                           

                           

                           

                          こんなひとりよがりで、かたくなな決断は、前途ある若者をブロイラーのニワトリのごとく教育した上野丘高校(これは僕の主観です)の卒業式を、布団にくるまってボイコットした変わり者のなれの果てかもしれませんね。若い人はNHKに入って、自信と誇りを持って安倍政権を支持して下さい、なんちゃって。 

                           

                           

                          | 身辺雑記 | 20:10 | comments(0) | - |
                          いのち短し、学べよ乙女 − Yさんへ。
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                            昨夜、中学2年生の塾の授業が終わると、帰りの生徒たちと入れ替わるようにして、舞鶴高校のYさんが合格の吉報を届けてくれました。中2クラスにいる妹さんとお母さんと教室で喜びを分かち合いました。Yさんが合格したのは、九州大学芸術工学部環境設計学科です。

                             

                             

                             

                            とにかく、Yさんは活きのいい生徒さんでした。建築に興味を持っていて、いろいろな話をするのが楽しみでした。学ぶ意欲と、自分の人生を切り開いていくバイタリティーにあふれていました。妹島和世のような世界的な建築家になってどんどん活躍して欲しいですね。Yさんなら、きっとやれるでしょう。

                             

                             

                             

                            そして、今日、Yさんから届いたメールには「先生のお話を聞くのが毎週末の楽しみでした!大学時代、私のしたいことのために全力で行きます!応援よろしくお願いします」とありました。ね、活きがいいでしょ。

                             

                             

                             

                            大学は自分の夢をより具体的な形として思い描くことのできる場所です。でも、そこへ行くことが人生の目的ではありません。

                             

                             

                             

                            僕はいつも言っています。

                             

                             

                             

                            「高校や大学は思いっきり楽しんで、スキップしながら軽やかに駆け抜ける場所です。でも、そこで過ごす一日一日は紛れもない人生そのものです。人生の残り時間はどんどん短くなっているのです。だから、他人を手段として利用しない生き方を目指そう。そのために懸命に学ぼう」と。

                             

                             

                             

                            ところで、今回のタイトルは、黒澤明監督の映画『生きる』の中で歌われた「ゴンドラの唄」の歌詞の一部を変えたものです。以下に歌詞を挙げておきます。

                             

                             

                            いのち短し 恋せよ乙女
                            朱き唇 褪せぬ間に
                            熱き血潮の 冷えぬ間に
                            明日の月日の ないものを

                             

                             

                            いのち短し 恋せよ乙女
                            いざ手をとりて 彼の舟に
                            いざ燃ゆる頬を 君が頬に
                            ここには誰れも 来ぬものを

                             

                             

                            いのち短し 恋せよ乙女
                            波に漂う 舟の様に
                            君が柔手を 我が肩に
                            ここには人目も 無いものを

                             

                             

                            いのち短し 恋せよ乙女
                            黒髪の色 褪せぬ間に
                            心のほのお 消えぬ間に
                            今日はふたたび 来ぬものを

                             

                             

                             

                            生涯で最も影響を受けた映画は何かと問われれば、間違いなく『生きる』を挙げたいと思います。この映画は「生きながら死んでいた」男が本当に生き始めるきっかけを描くと同時に、おろかな人間性を痛烈に批判しています。

                             

                             

                             

                            志村喬演じる主人公が、雪の降る公園のブランコに乗ってしみじみ歌うシーンが忘れられません。それにしても、志村喬を始めとして、本物の役者が少なくなりましたね。

                             

                             

                             

                            父が主人公と同じく癌で死んだ直後、大分市の芸術会館で観ました。1952年公開の古い映画ですが、観終わった後、涙が止まらず、しばらく席を立てませんでした。僕が29歳の時です。

                             

                             

                             

                             

                             

                             

                            制作の意図を、黒澤監督は、こう語っています。

                             


                            「この映画の主人公は死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気がつく。いや、これまで自分がまるで生きていなかったことに気がつくのである。そして残された僅かな期間を、あわてて立派に生きようとする。
                            僕は、この人間の軽薄から生まれた悲劇をしみじみと描いてみたかったのである」

                             

                             

                             

                            人は何のために生きるのか?これは青臭い問いでしょうか。答えなどあるわけがない、そんなものにこだわっていると時間を無駄にするだけだ、と考える人もいるでしょう。しかし、断言しますが、これこそが人間にとって最も重要な問いです。答えがないからこそ、僕たちはこの問いとともに生きることができるのです。

                             

                             

                             

                            Yさん、あなたが自分の人生を生きることを心より願っています。そのためには、この問いを決して手放さないことです。60年以上生きて来た僕が断言しているのです。この問いは僕たちを世間的な成功に導かないかもしれません。しかし、必ずや幸せをもたらしてくれます。僕たちは幸せになるために生きているのだからね。

                             

                             

                            | 身辺雑記 | 23:39 | comments(0) | - |
                            Kさんからの便り。
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                              塾を始めた30代の初め、ある生徒が授業の後、独り言のようにつぶやきました。

                              「誰も分かってくれる人がいない」と。

                               

                               

                              まだ若かった私は答えました。

                               

                               

                              「僕はどうでもいい100人からわかってもらうよりも、心ある一人の人からわかってもらうことのほうが大事だと思う。100人、いや1万人から支持されても、その中に尊敬できる人が一人もいなかったら、これほど虚しいことはないだろう。人間にとって最も大事なことは、多数決で決めることはできないんだからね。僕は僕なりの仕方でしか君のことを理解できないし、それも間違っているかもしれない。でも僕は人生で出会った人が誰であれ、その人にとって心ある一人の理解者でありたいと思う。そうなるように心がけていくつもりだよ。」と。

                               

                               

                               

                              今から思えば赤面するような青臭いセリフですが、しかし、その思いは今も変わっていません。おおぜいから支持される生き方は、どこか胡散臭いのです。逆に、ある人を本当に理解しようとすれば、必ず世間的な常識とぶつかります。つまり孤立を余儀なくされるのです。

                               

                               

                               

                              私たちは偶然この世に産み落とされます。人間の生は極めて不条理なものです。私たちが主体的に選択できるものは限られています。どんなに強い意志や理想があっても、理不尽なことに翻弄される運命を免れないのです。

                               

                               

                               

                              しかし、群れから離れた一人の時間だけが、本当になるべき自分に気づかせ、心から望む生を実現する構想力を生み出します。私は生徒に自分の人生を生きて欲しいと思っています。難関大学に合格するなどということは、瑣末なことです。単なる通過地点や手段を人生の目的と勘違いしてはなりません。

                               

                               

                               

                              今から2ヶ月半ほど前、長野県に住む元教え子のKさんを訪ねました。以下はそのKさんからもらったメールです。懐かしく、うれしい便りです。人生はまだまだ続きます。どうかお元気で。機会があれば、今度はゆっくり信州を旅したいと思っています。

                               

                               

                               

                              ― 先生、昨年は、青木村の拙宅までお越しいただきまして、ありがとうございました。

                              その後、お元気でお過ごしでしょうか。

                               

                               

                              とても嬉しい再会で、お礼のお便りをと思いながら気づけば年を越してしまいました。

                              今頃になってご連絡差し上げる失礼をお許しください。

                               

                               

                              地縁も血縁もない信州で、自分の子ども時代と思春期にお世話になった恩師と再会するというのは、実に不思議な感覚でした。月日の流れなどなかったように、先生も奥様も当時のままで、一気に時間を飛び越えた心持ちになりました。

                               

                               

                              未来塾のホームページとブログを見つけて、ランダムに投稿を読ませていただきました。

                               

                              先生も歌手の浜田真理子さんがお好きで、キース・ジャレットもお好きで、ネトウヨが大嫌いで、大分を離れてもうずいぶん経つのに、相変わらず私は“未来塾チルドレン”なのだと笑いがこみあげてきました。

                              (浜田真理子さんのライブ、ぜひ一度行かれてください! 最高でした)

                               

                               

                              会社を辞め、仕事を一旦手放し(夫婦揃って高給も手放し!)、見知らぬ土地へ軽々しく移住して、その後はずっと手つかずだった真っ暗な天井裏を掃除し続けるような約3年でした。

                               

                               

                              いまだに、「あれ? 私会社がこんなに嫌だったんだ。いや、けっこう楽しい思いもしたんだけどな……そうだったのか」と気づくなど、ずいぶん遅い何かを経験しています。

                               

                               

                              わりと後悔の多い人生で、特に長生きしたいとも思わず生きてきましたが、最近読んだ本の影響で「長生きしたい」と思うようになりました。

                               

                               

                              年を重ねるごとに、世界から感得できるものは増え、センサーの精度も上がっている気がします。

                              まあ、そのうち使い物にならなくなるかもしれませんが。

                              とりあえずは、この世を味わい尽くしたいと今は思っています。

                               

                               

                              その前に、子どもがまだまだ小さいので、そちらを何とかしないといけません。

                              といっても、勝手に育っていくのですが。

                               

                               

                              お会いした時には、長男・泰生の態度をきちんと叱れず、失礼しました。

                              日々の雑事に追われるばかりで、親業も10年近く経つのに肝心のところがちゃんとできないままです。

                               

                               

                              泰生は学校に通わない道を今は選んでいて、結局なんだかんだで学校に行き通した私と夫の知らない景色を見せてくれています。すっかり学校嫌いになってしまった私たちは、下のふたりもできれば学校には通わせたくないのが本音ですが、これまたどうなるのでしょうか。

                               

                               

                              悲しいかな編集者は「人生ネタになってナンボ」の精神が染みついているので、何があっても楽しもうと思っています。

                               

                               

                              次はいつ大分に帰れるかわかりませんが、今度は未来塾に伺えると嬉しいです。

                              「母ちゃんは、ここで人生の礎を築いたのだよ」と子どもに言ってみたいです。

                               

                               

                              次にお目にかかれる時まで、先生のブログをコツコツ読んで、流れた月日の間を埋めていきたいと思います。

                               

                               

                              日は少しずつ長くなってきましたが、まだまだ寒い日が続きます。

                              どうぞくれぐれもご自愛ください。

                               

                              奥様にもどうぞ、くれぐれもよろしくお伝えください。

                               

                              それでは、また。

                               

                              | 身辺雑記 | 12:37 | comments(0) | - |
                              昔の生徒に救われる。
                              0

                                9月1日の深夜、M君からメールが届いていました。

                                 

                                 

                                「先生、お久しぶりです!Mです。急に連絡して申し訳ありません。いま大分に帰ってきていて先生のところに伺いたいのですが、明日か明後日どちらかお時間ありますでしょうか?」

                                 

                                 

                                さっそく返事をして翌日(2日)会うことにしました。塾で2時間ほど雑談をしたのですが、話をしながら、M君がまれにみる好青年に成長していることがわかりました。同級生のK君、Y君、Tさん、そしてM君と久住山に登った時のことなど、昔話に花が咲きました。

                                 

                                 

                                 

                                M君が塾を卒業したのは5年前。最後に会ったのは3年ほど前でした。高校を卒業した後鹿児島大学へ進み、途中1年間ドイツのミュンヘン大学に留学しました。そして今年、熊本県庁に就職が決まり、その報告に来てくれたのです。

                                 

                                M君。私と同じくイケメンですが、あまりはっきり顔を写さないようにしました。ファンクラブなどというものができたら困りますから。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                そういうわけで、今日(3日)は就職祝いを兼ねて、車を飛ばし湯布院へ向かいました。ランチの後、カフェでこれまで影響を受けた本や思想家の話をしながら、ゆっくりとした時を過ごしました。

                                 

                                 

                                 

                                彼は普通なら自慢したくなるようなことを決して自分の口から言うような青年ではありません。それでも話の端々に成長の跡がうかがえました。他人の受け売りではなく、一度自分の中でしっかり咀嚼した後、自らの意見や価値判断を述べるので、何ともいえない充実した会話を交わすことができました。

                                 

                                 

                                 

                                私のように取るに足らない塾教師でも、M君と話していると、言葉の正確な意味で善き影響を与えることができたのだと分かり、救われた気になったのです。彼は人が書いた文章であれ、発言であれ、正確な読解力と感性でその最も良質な部分を取り入れています。今の政権に批判的で、地方から社会を変えていきたいと話していました。様々な経験を積み、きっとユニークな行政マンになることでしょう。

                                 

                                 

                                 

                                それにしても、人に影響を与えようなどと思わず、ただ信じることを述べていたに過ぎないのですが、それが思わぬ形で花開いているのを見るのは、教育の末端にいる人間といえども、うれしいものです。

                                 

                                 

                                最後に、K君、Y君、Tさん、M君そして私でいつか同窓会をやろうという話になりました。同窓会嫌い、飲み会嫌い、イベント嫌いの私ですが、彼らとの同窓会なら喜んで出席したいと思います。そして色々なことを教えてもらいたいと思います。それまで、みんな元気でいよう!

                                 

                                 

                                | 身辺雑記 | 22:12 | comments(0) | - |
                                O君、コメントありがとう。
                                0

                                  O君、久しぶりですね。元気でやっているようでなによりです。新しい教室ができ、いろいろと考えること、やることが多いと思います。

                                   

                                   

                                  ところで、僕は恩師と言われるほどのことは何もしていません。何のとりえもない人間が、生活のために塾稼業に励んできただけです。つまり、路傍の石のごとく、世間の大部分の人と同じように生きてきただけです。

                                   

                                   

                                   

                                  塾業界は今再編の真っただ中にあります。それも同業他社との競争というよりも、自社内部における社員のリストラとAIによる画一的な授業にいかに付加価値を付けて消費者(生徒と保護者)を取り込むかといった、宣伝とコスト削減競争なのです。

                                   

                                   

                                  それはともかく、O君のコメントにある通り、すべての物事はつながっています。僕たちは小学校に入った途端に、算数、国語、理科、社会といった科目と出会います。教育の画一性、効率性のために、世界の多様性、全体性が犠牲にされているのです。つまり僕たちの知的世界は、あらかじめ分断された形で与えられているのですね。

                                   

                                   

                                   

                                  学年が上がるにつれて、自然に対する驚きや畏怖の念は失われていきます。もちろん人間に対しても同様です。それが何をもたらしているのか、今の社会、特に政治を見れば答えはおのずから明らかです。

                                   

                                   

                                   

                                  第二次安倍政権が誕生してからというもの、もはやこの国には最低限の道徳も論理的な言説が支持される土壌もなくなりました。国家を私物化し、権力を恣意的に行使して恥じることのない男に向かって、「いいかげんに嘘をつくのをやめろ!」と言える与党議員も記者もいないのです。そのうちだれかが何とかするだろうというわけです。

                                   

                                   

                                   

                                  日本の歴史で、この男ほど、国民の倫理観や道徳観をすり減らした総理大臣は他に見当たりません。日本を腐らせ続けている張本人が道徳教育を叫んでいるのですから、これほどのギャグはないでしょう。

                                   

                                   

                                   

                                  ところで、O君がブログに書かれていた、クルト・ゲーデルの「不完全性定理」については、今から2年前、僕のブログ『引き返す勇気』のなかでも触れています。

                                   

                                  『引き返す勇気』

                                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=161

                                   

                                   

                                   

                                  数学は、普通、真理の土台だと考えられていますが、ゲーデルは、数学の中に証明できない真理が含まれているといいます。つまり、人間は自らの限界さえ自覚できる存在であり、機械には模倣できない偉大さを持つ、と言いたかったのでしょう。

                                   

                                   

                                   

                                  僕たちの社会は要素還元主義の悪弊に閉じこもり、今だけ、カネだけ、自分だけになっています。それでも、O君は文化としての数学を教えることで、目の前の生徒を広大な真理の世界にいざなうことができます。塾教師はO君の天職だと言ったのは、そういう意味です。

                                   

                                   

                                   

                                  O君、どうか健康に気をつけて頑張ってください。奥さんと宮崎駿監督の名前をもらった駿太郎君にもよろしくお伝えください。宮崎駿監督には少しでも長生きしてもらいたいですね。

                                   

                                   

                                  | 身辺雑記 | 15:51 | comments(1) | - |
                                  大雨の朝の出来事。
                                  0

                                    今日3月5日月曜日の朝、ゴミを出そうと玄関を出ると、外は大雨でした。わが家からゴミステーションまでは200メートルくらいあります。合羽を着て一輪車で運ぶのもめんどうだと思い、車で行こうと車庫の方へ歩きかけました。

                                     

                                     

                                     

                                    するとその時、未来塾の看板のすぐそばに、なにやら茶色の大きなかたまりがあることに気づきました。そばによると、犬がまるくなっているのがわかりました。車の音にも反応せず、じっとしています。目の前の県道は車の量も多く、はねられた犬が放置されているのだろうかと不安になりました。

                                     

                                     

                                     

                                    ゴミ捨てから戻って、犬のそばによると、3本足でよろよろと立ちあがり、数メートル歩きました。右前足を骨折しているようで、からだはやせ細り、悲しそうな目で私を見ています。もしやと思い、急いで家にとってかえしました。

                                     

                                     

                                     

                                    先週の日曜日、私は地区の水利組合の寄りに出ました。会合が終わった後、一人の男性が出席者にチラシを配っていました。それが以下のチラシです。

                                     

                                     

                                     

                                     

                                    あれから一週間がたっています。あのチラシがまだあるだろうかと探しましたが、見当たりません。妻に尋ねると、玄関わきの段ボールを重ねた中にとってあるということでした。

                                     

                                     

                                     

                                    あわてて探し、四つ折りにしていたチラシを開いて読みました。写真を見て、間違いない、この柴犬だと確信し、さっそく飼い主のHさんに電話し、場所を告げました。「ありがとうございます。すぐ行きます。」とのことでした。

                                     

                                     

                                     

                                    私は柴犬のそばにもどり、傘をさしかけて待ちました。チラシで犬の名前が“ぎんじ”だとわかったので「ぎんじ、よかったなあ。もうすぐ迎えがくるぞ。」と大きな声で話しかけました。名前を呼ぶたびに耳のあたりがピクッと反応します。

                                     

                                     

                                     

                                    その時、雨脚が一段と強くなり、“ぎんじ”の顔を強くたたきました。ちょうどその時間は大雨注意報が出ていたのです。目をぱちぱちさせてやっとのことで立っているので、座るようにいうと横になって丸くなりました。

                                     

                                     

                                     

                                    10分ほど経ったでしょうか、飼い主のHさんが車でやって来て、“ぎんじ”と再会しました。Hさんが両腕で抱きかかえると、“ぎんじ”はうれしそうに自分の鼻をなめました。

                                     

                                     

                                     

                                    チラシによるといなくなったのは、2月10日。その時すでに足にけがをしていると書かれています。それから今日までの23日間、“ぎんじ”は食べるものも食べず、どこで生きていたのでしょうか。飼い主のHさんはどんな思いだったでしょう。チラシには「前足を負傷しつつもまだ生存中と信じています。」と書かれていました。

                                     

                                     

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