前回のブログで大橋巨泉氏を取り上げました。その多才ぶりは多くの人の知るところです。今回は氏の英語力について書きます。中高生の皆さんの参考になると思いますので、頑張って読んで下さい。
まず、「学校英語」なるものがあるのかどうかわかりませんが、ここでは単純に日本の公立中・高等学校の授業で出会うものとしておきます。私の個人的な経験から言えば、平板で、没個性的で、退屈なものでした。それは文化から切り離された選別のための暗記と抽象的な記号操作であり、一部の地域でだけ通用する通貨のようなものだと言えば言い過ぎでしょうか。
しかも、「学校英語」の長いトンネルをくぐりぬけた先に待っているものは、世界を相対的に見る能力ではなく、今の日本で出世するのに役立ちそうな功利的な考え方です。文科省の打ち出す政策は、ことごとくこの線に沿ったもので、もはやその破綻は誰の目にも明らかです。
それに対して、巨泉氏の英語は「学校英語」を支えているイデオロギーから最も遠いものでした。つまり、学校で勉強しただけでは身につかない自在さと楽しさ、奥の深さを持っていたのです。
彼は、より自由に生きるために英語を使いこなし、世界各国で生活していました。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカで暮らし、そこで商売を立ち上げ成功したのも氏の人間性を物語っています。
では彼の英語力の秘密はどこにあったのでしょうか。それこそが、ジャズ評論家としてのキャリアだったのです。彼はジャズの歌詞を何千曲も英語でそらんじることができました。
中高生が見本にすべきは、氏のような自由闊達で柔軟な発想を持った英語の使い手であり、真の平和主義者です。残念なことに、大橋巨泉氏は今から3年前、2016年7月12日に他界しました。
彼の英語力を物語るエピソードをもう一つ挙げます。女優の竹下景子さんが追悼文の中で書いています。
「ハワイの別荘に家族で伺った際、英英辞書を片手に真剣にアメフトの実況中継をご覧になっていた姿が今も浮かんで来ます。あんなに英語が堪能なのに巨泉さんは辞書と首っ引きでした。不断の努力家の一面を垣間見ました」と。
巨泉氏が不断の努力家であることに異論はありません。しかし、誤解してならないのは、アメフトのアナウンサーの実況は速射砲のような英語だということです。アメフトの実況中にテレビ画面を見ながら英英辞典が引けるということ自体が氏の英語力を証明しています。
英語力と言えば日本人はすぐTOEICの点数や英検のランクで測ろうとします。悲しいかな、自分のモノサシではなく、外部の権威がありそうな試験の点数と結びつけて判断するのですね。
幸か不幸か、私は学校の教師が教えてくれる英語には壊れた時計のように全く反応しませんでした。それはつまるところ高校入試や大学入試で使われる選別のモノサシに過ぎなかったからです。それは言語に対する国家ぐるみの冒涜に他なりません。
英語をモノにした人は、おそらく自分の人生を豊かにする英語とどこかで幸運な出会いをしているはずです。たとえば、歌やスポーツや映画を通じて生きた英語に出会っているのではないでしょうか。
そもそも外国の文化(その象徴が言葉です)について学ぶことが面白くないわけがありません。たとえば、英語の歌を一年に10曲ほど、中・高で合計60曲を完璧に歌いこなすことをカリキュラムに組み込めば、何も入試で英語を課す必要などないのです。今の何倍も英語力がつくに決まっています。それを大学入試のモノサシにすることで、アメリカに隷属した卑屈な精神を再生産する装置にしているのです。
入試で測れる「話す能力」など鼻クソほどの価値もありません。そもそも文科省や財界人、一部の学者やお調子者の予備校講師たちは、50万人以上の「話す能力」を1〜2週間で測るなどということが可能だと本気で信じているのでしょうか。空気を読むしか能のない人間たちと話していれば可能だと錯覚するのも無理もありません。結局は定型的なフレーズの暗記に行きつき、対策本を発行する業者をもうけさせるだけです。
それが可能だと考えている人間は、話すことがどれほどの深さと広がりを持っているか経験したことがないのです。片言隻句の背後に広がる沈黙に震えたこともないのです。
おやおや、話が脱線しました。巨泉氏の英語力の話でした。以下は彼が犯したミスの話です。それを、あれは自分の若い頃の誤訳、と率直に認められたとのこと。その率直さが、さすが巨泉氏らしいなあと思います。ミスどころか、明白なウソの上塗りすら認めようとしないどこかの安倍晋三とは大違いですね。
誤訳の話に戻ります。ヘレン・メリルがハスキーな声で歌って有名になった曲“You'd Be So Nice to Come Home To”は、長らく「帰ってくれたらうれしいわ」という訳で親しまれていました。それを訳したのが大橋巨泉氏だったのです。
中高生の皆さんなら、You'd be so nice to come home to.をどう訳しますか。
正解は「君の待つ家に帰るのはすてきだろうね(=君と結婚できたらなあ)」です。えっ、どうしてそんな訳になるのかわからないですって?「あなたが家に帰ってくる」のと「あなたが待つ家に帰る」のでは正反対じゃないか、というのですね。
これはいわゆる「繰り上げ構文」と呼ばれるものです。文末のyouが仮主語のitを押しのけて繰り上がったもの、と考えたわけです。この曲のタイトルも、It would be so nice to come home to you.となっていれば誤解の余地はまったくありません。
誤解の原因は、You are nice.と考えたからですね。nice なのは「(私が)あなたが待つ家に帰ること」なのです。「あなたが家に帰ってくる」では意味が反対になります。もちろん come という動詞の視点が相手側にあることや、文末の to が文頭の You を目的語にしていることにも気づかなければなりません。
You'd be so nice to come home to.は You are difficult to please.という文と同じ構造をしています。あなたがdifficultなのではなくて、あなたを please(喜ばせる)するのが difficult なわけです。したがって、「あなたは気難しい人だわ」という意味になります。
何だかややこしいですね。巨泉氏ほどの人でも、文法を忘れるとミスを犯すという例でした。長くなったのでもうやめにします。ここまで読んで下さった方にお礼を言います。なお「繰り上げ構文」については、ブログで詳しく説明しています。よかったら参考にして下さい。
『高校生のための英文法−その7』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=468