何と言う馬鹿げたタイトルでしょう。日本人のことなんかどうでもいいと思っているのに、自分の内面と「世間」を切り離せないというか、別れた恋人をどうしても忘れられないように、つい思い出してしまうのです。
規範や倫理を内面化し、それに基づいて行動することは、日本人にはついに無理なのでしょうか。自分はその種の人間とは違うのだと言いたいわけではありません。むしろ同質性を自覚しているので、それをなんとか洗い流したい、脱ぎ捨てたいともがいているだけです。
規範や倫理を内面化できなければ、人格は空洞化します。つまり誰でもない誰かの人生を生きることになります。価値的な貫徹ができないからです。「世間」という周囲に適応するために学習に励み、その時々の外からの、つまり権力からの視線に反応するだけのクズになってしまうというわけです。
「自分が所属する集団以外みな風景」が「自分以外みな風景」になるのに時間はかかりません。自民党というクソ政党にいまだに秋波を送る言論人や財界人、中央地方を問わず皆が同じ語彙(業界用語)を使い、自分が持っている力は資本の力(金の力)なのに人間力と勘違いしている面々。中学生並みの心理学も社会学も、まして哲学も身についていません。
人生100年時代?冗談ではありません。空気を読んで100年生きろというのでしょうか?どこかの保険会社が作ったキャッチコピーに踊らされて筋トレに励む? くびれと腹筋バキバキをめざして若々しく、バカまるだしの<家畜の生>を生きる?
さて、私のブログを読んで気分を悪くした人へ精神浄化のためのピアノ曲を紹介して終わりにします。今からちょうど30年前、イギリスの湖水地方(ウィンダミア、ケズイック、クッカーマウス、海に面した街オーバンなど)やエジンバラ、最西端の町セントアイブスをレンタカーで巡っていた時に聴いた曲です。
今では知らない人がいないくらい有名です。でも、人生の晩秋にさしかかった私には、かけがえのない記憶と思い出が詰まった曲です。「Autumn」だけでなく「Summer」「December」も素晴らしい。夏の疲れと精神の疲労を取るにはもってこいです。
すべてジョージ・ウィンストンのソロです。今は秋の入り口ですから「Autumn」だけでも聴いてみて下さい。
以下は「Autumn」の一部です。
個人的には以下の「December」が一番好きです。