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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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「猿の主人」の寓話。
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    高校生の皆さん、こんにちは。2023年も1カ月が過ぎました。今回は、久しぶりにある寓話を紹介しましょう。

     

     

    その前に一言。世界を変えるのは実は簡単です。それは途方もなく難しいものだと教育を通じて思い込まされてきただけです。その思い込みから「一抜けた。や〜めた」と言って自分の世界を取り戻せばいいのです。

     

     

     

    その先はどうするのかですって?そんなことは知りません。ただ周りからの冷たい視線はのらりくらりとかわし、親や教師からの説教は黙って聞いているフリをすればいいのです。彼らが内面化している価値や生き方を決して否定してはなりません。生き抜くための戦略を立て、したたかにならねばなりません。

     

     

     

    スケッチブックをかかえて外に出て絵を描きましょう。今日からあなたはセザンヌです。釣り竿片手に釣りに出かけましょう。バンド仲間を募って街で演奏しましょう。社会からドロップアウトしたフリをするのです。フリが3日経ち1週間経ち、1か月経つうちにあなたは当然だと思っていた世界が色あせていくのに気づきます。

     

     

     

    前にも書きましたが、社会を維持するのに必要なシステムを生きている人に、その外で生きることの心地よさを説いても無駄です。「統一教会」の信者を改宗させるが難しいのと同じです。

     

     

     

    なぜこんなことを言うかというと、それほど私たちの人生は思い込みに支配されていると言いたいからです。そこから逃れるためには、権力を支えているのは民衆自身であるという事実を自覚することです。今回の寓話はそのために引用しました。

     

     

    では「猿の主人」の寓話です。

     

     

    昔、封建時代の楚の国に、猿を召使いにして暮らしている老人がいました。楚の国の人々は、彼を「猿の主人」と呼んでいました。

     

    毎朝、老人は中庭に猿たちを集め、その中の老猿に命じました。若い猿たちを山へ連れて行き、茂みや木から果実を採ってくるように、と。

     

    収穫の十分の一を老人に献上するのがルールでした。それができない猿は、無情に鞭で打たれたのでした。猿たちはみな惨めな苦しみを味わっていましたが、敢えて不平を訴えようとする者はいませんでした。

     

    ある日、小猿が他の猿に尋ねました。

     

    「果樹や林の木は、あの老人が植えたの?」と。

     

    聞かれた猿は答えました。

     

    「いや、自然に生えてきたものさ」

     

    猿たちは言いました。

     

    「いや、誰が採ってもいいものだ。」

     

    小猿は続けて尋ねました。

     

    「それじゃあ、なぜ老人に飼われてなきゃならないの? なぜ彼の召使いじゃなきゃいけないの?」

     

    小猿がそう言い終るか終わらないかのうちに、猿たちはみなハッと気づきました。

     

    その夜、老人が眠りに落ちるのを見届けて、猿たちはこれまで閉じ込められていた囲いの柵を外し、囲いそのものを破壊しました。また老人が蔵に貯めていた果実を盗み出し、それを持って森へ逃げ、二度と戻りませんでした。その結果老人はついに飢え死にしました。

     

     

    郁離子曰く、「世の中には、正当な原理ではなく、策略によって民衆を支配する者がいる。まるで猿の主人のようではないか? 彼らは、頭の中が雑念で混乱していることが分かっていないのだ。民衆が目覚めるやいなや、彼らの権謀はもはや効力を持たなくなる」と。

     

     

    以下は過去記事からの引用です。寓話を読んだ後では、また違った読み方ができるのではないでしょうか。よろしければコメント欄に感想をお寄せください。

     

     

    ・政治家とはそれほど偉いものかね?政治家は社会の生産に何ら寄与しているわけではない。市民が収める税金を公正にかつ効率よく再配分するという任務を託されてそれに従事しているだけの存在だよ。彼の言う通り政治家は社会機構の寄生虫でしかないのさ。それが偉そうに見えるのは宣伝の結果としての錯覚に過ぎんよ。

     

     

    ・民主主義とは「迂遠」なものさ。そして、その迂遠さにあきれた民衆は、いつも言うのさ。「偉大な政治家に強大な権限を与え、改革を推進しろ」とね。民衆はいつだって「専制者」を求めていたのではないか?

     

     

     ・人間の行為の中で何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦争へ送り出すことだ。

     

     

     ・国家が社会的不公平を放置して、いたずらに軍備を増強し、その力を内に対しては「国民の弾圧」、外に対しては「侵略」というかたちで乱用するとき、その国は滅亡の途上にある。これは歴史上証明可能な事実である。

     

     

    ・政治の腐敗とは、政治家が賄賂を取ることじゃない。 それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。 政治家が賄賂を取っても、それを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。

     

     

    アニメ『銀河英雄伝説』より。

    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=690

     

     

    | 高校生の皆さんへ | 13:30 | comments(0) | - |
    君たちはまだ長いトンネルの中。
    0

      7月10日の投票日に向けて選挙戦が始まりました。マスメディアは本当の争点を隠し、相変わらず両論併記・客観中立な報道を口実に自分たちの職責を放棄しています。

       

       

       

      NHKをはじめとして在京テレビ各局、朝日・毎日・読売の社員とりわけ幹部は、現体制のおかげで「豊かな暮らし」を手に入れています。しかし、社会変革が起これば、その「豊かな暮らし」が揺らぐかもしれない。不正や腐敗を傍観すれば、今の「豊かな暮らし」は維持できます。だから当然権力に寄り添い、批判はしない。くどいほど言ってきましたが、彼らは運命共同体なのです。もたれ合って破滅の道を歩むしかないのです。

       

       

       

      例えば、時給1500円が最低基準になれば、手取りが月20万円になります。正規も非正規も給料の底上げに繋がります。政治が決断すれば今すぐできることです。しかし、やらない。この国は頭から腐っています。

       

       

       

      そんなことを考えながらテレビを見ていると、自民党の候補者が支持を訴えていました。それに呼応するようにある大企業の玄関先に社員が長い列を作り、ニコニコ笑いながら候補者とグータッチをしています。中小企業も同様です。自民党の経済政策のために自分たちの首が締まっているにもかかわらずです。

       

       

       

      これ以上心暗くなるシーンがあるでしょうか。自分は自民党を支持しないので応援には並びません、という人はいないのでしょうか。自民党支持層という無思考者の群れを見て、いよいよ終わりの始まりとの感を深くしました。

       

       

       

      そんな時、一本の映画の存在を知りました。それが今回のタイトルの映画です。おそらくマスメディアは総力を挙げて無視する(変な言い方ですが)でしょう。いや、すでにしています。

       

      「君たちはまだ長いトンネルの中」

       

      主演の加藤小夏さん。

       

       

      https://youtu.be/M-9zGA1lA0k

       

      以下はこの映画の解説です。

       

      https://youtu.be/JMN9ro0jcbo

       

       

      | 高校生の皆さんへ | 23:18 | comments(0) | - |
      ブログを終える前に。
      0

        以下は今から5年前に書いた記事です。

         

         

        新たに選挙権を持つ若い皆さんへ。

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=180

         

         

         

        その中で取り上げた動画は2度削除されました。第53回ギャラクシー賞(放送批評懇談会)テレビ部門大賞を受賞した、報道ステーション『独ワイマール憲法の“教訓”』(テレビ朝日 2016年3月18日放送)を取り上げたものです。当時の安倍政権にとってよほど都合の悪い内容だったのでしょう。

         

         

         

        『報道ステーション』が見るに堪える番組作りをしていた最後のころです。この番組を作ったプロデューサーもスタッフもすべて移動させられ、今や当時の面影すらありません。

         

         

         

        そこで、今高校で主権者教育を行っている先生方にお尋ねします。『独ワイマール憲法の“教訓”』を授業で取り上げた方がいらっしゃるでしょうか。全国に何人いるでしょうか。いればぜひお知らせください。歴史に根差した主権者教育としてこれほどふさわしい内容はないと思います。とにかくまずご覧ください。

         

         

         

        ワイマール憲法の教訓

         

        https://youtu.be/r-ebD2MWmes

         

         

        なぜこんなことをいまさら持ち出すのか。答えは以下の読売新聞の記事の中にあります。

         

         

         

        「自民党の茂木幹事長は(2021年11月)12日、読売新聞のインタビューに応じ、衆院選で憲法改正に前向きな日本維新の会や国民民主党が議席を伸ばしたことを踏まえ、改憲論議を加速し、緊急時に政府の権限を強化する「緊急事態条項」の創設を優先的に目指す方針を示した。

        各党との協議では、「一般論で憲法を議論しようというよりも、どの項目の優先順位が高いかについてまとめ、国民に判断してもらう」とも語った。自民党は2018年、〈1〉自衛隊の根拠規定の明記〈2〉緊急事態条項の創設〈3〉参院選の合区解消〈4〉教育充実――の4項目の改憲案をまとめている。」

         

         

         

        〈1〉〜〈4〉が何を意味するかおわかりでしょう。私のブログも終わりに近づきました。最後のあいさつの前に、割り込み記事を書きました。心ある人に届くことを願っています。

         

         

        | 高校生の皆さんへ | 20:03 | comments(2) | - |
        勇気ある高校生、大学生の皆さんへ。
        0

          最近になって「選挙に行こう」と呼びかける芸能人や若い人たちが増えてきました。良いことですね。でも、先進国の中でこんな当たり前のことを呼び掛けているのは日本だけです。

           

           

          自分の人生を自分で決めるための最も基本的な権利を放棄することは、ファシズム国家の登場を許すことになります。現にそうなっています。民主主義国家の一員として最も恥ずべきことです。

           

           

           

          にもかかわらず、友人同士の間で政治を話題にするのはダサいという空気がこの国を覆っています。「意識高い系」に位置づけられて敬遠されるのを恐れているからでしょうか。

           

           

           

          「意識高い系」という言葉(レッテル)は、テレビやSNSでばら撒かれ、あっというまに広がりました。あたかもそれに実体があるかのように。それは社会の集合的無意識が、政治的な意識の高い人間を異物として遠ざける空気を作り出すために人々の意識に作用したものです。

           

           

           

          それが作動する場所は、主にテレビ業界と学校の教室です。それだけではありません。東浩紀のような「哲学者」は、投票に行かない理由を正当化するために小難しい理屈をひねり出しています。ご苦労なことです。

           

           

           

          ところで、「選挙に行こう」と呼びかけるだけで十分なのでしょうか。自公政権や維新に投票しても、選挙権を行使したと褒められるべきでしょうか。そんなバカなことはない。

           

           

           

          それではまるで食事をしただけで親からほめられる子供を育てるようなものです。食材が腐っていたり毒入りだったらどうするのでしょうか。

           

           

           

          少なくとも野党共闘の候補者へ投票することを呼びかけるべきです。出来れば山本太郎率いるれいわ新選組に投票してもらいたいと呼びかけるべきです。それは思想信条の自由を侵すことになるですって?それは間違った解釈です。

           

           

           

          賄賂を渡せば違法ですが、特定の候補へ投票を呼びかけることは違法でも何でもありません。今では落選運動も合法化されています。自分の責任で特定の候補へ投票を呼びかけることはそれこそ思想信条の自由の行使なのです。

           

           

           

          ちなみに私が高校の教師であれば、比例は「れいわ」と書いてほしい、と18歳になった皆さんに優しく、そっと呼びかけます。もちろんその理由も併せて述べます。そこで議論になればいいですね。

           

           

          投票を呼びかけるだけでは「主権者教育」とは言えません。それは「愚民化教育」です。自分の1票では何も変わらないと言う人には、そう考えるから世の中が変わらないのです、あなたは原因と結果を完全に取り違えていますよ、と言うでしょう。

           

           

           

          もちろん自民党を支持する親から「あなたの学校の教師は偏った教育をしている。特定の候補者に投票を呼びかけるなど言語道断だ。まるで日教組じゃないか。教育は中立でなければならない。この件はマスコミにも流す。校長の責任問題になるぞ。」と脅されるかもしれません。

           

           

           

          すったもんだの挙句、私は学校から追放されるでしょう。学校の本質は権力の、つまり政権与党である自民党とその支持団体に有利な価値観を権力によって一律下降的に強制する場所なのです。「中立」とは、権力行使をなるべくソフトに見せる言いわけに過ぎません。

           

           

           

          ところで、皆さんは「情報」を英語でどういうかご存じでしょうか。情報にはインフォメーションとインテリジェンスの二つがあります。

           

           

           

          会社四季報のような単なる事実の羅列をインフォメーションと言います。一方、ジグソーパズルのピースに過ぎないインフォメーションを時系列に並べたり、因果関係を探ったり、関連性を問いかけたりして全体像を描きだしたものをインテリジェンスと呼びます。ニューヨークタイムズやガーディアンはインテリジェンスとしての記事を書きます。

           

           

           

          もうお分かりでしょうが、全体像を描くのがジャーナリストや記者の仕事です。日本の新聞やテレビは、記者の問いかけや全体像の提示というインテリジェンスの作業を「主観」と呼んで排除します。その結果、インテリジェンスはこの国の報道現場から消えてしまいました。

           

           

           

          理由は、新聞テレビの記者は会社の社員だからです。彼らには取材対象やテーマを選ぶ自由などありません。上司から命じられたことをやっているだけです。下手に「主観的」な記事を書こうものなら、高給な仕事を手放す羽目になるのです。

           

           

           

          しかし、この世界には客観報道など存在しません。すべて何らかの利害や立場、思惑がからんでいます。客観報道は虚妄に過ぎません。私たちが読みたいのは、歴史的・人間的洞察力に富んだ「主観的」な記事なのです。

           

           

           

          最後に一言。生きるとは、おのれの主観を成熟させることです。中立だの客観だのと言った言葉に騙されると、周りから浮かない事を最優先する空っぽの人間になります。私が「勇気ある高校生、大学生の皆さんへ」と呼びかけたのは、あなたに中身のある固有の人生を生きてもらいたいからです。勇気こそ、そのために必要なものです。

           

           

          以下に、「主観」を堂々と表明する、尊敬すべき人を挙げておきます。もちろんこれは私の「主観的な判断」です。

           

          岩井俊二氏(映画監督)

           

          https://youtu.be/COh6Kv3rEac

           

           

          森達也氏(映画監督・作家)

           

          https://youtu.be/22be6lFCwKY

           

           

          島田雅彦氏(小説家)

           

          https://youtu.be/FHS57oaHEOw

           

           

          内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授・思想家)

           

          https://youtu.be/Rc4yDfJwHt0

           

           

          想田和弘氏(映画作家)

           

          https://youtu.be/eTnSU_HVP_c

           

          | 高校生の皆さんへ | 16:32 | comments(0) | - |
          首相官邸の前庭に499基の棺(ひつぎ)を置け。
          0

            首相官邸

             

             

            499基の棺(ひつぎ)とは、2020年に自殺した小中高生の数です。忘れた人もいるでしょうが、何の根拠もなく、文部科学大臣に知らせもせず、学校を一斉休校にしたのは安倍晋三でした。

             

             

             

            全国民に対して一律に権力行使ができるのが総理大臣だ、と大見得(おおみえ)を切りたかったのです。見得を切るとは、自信たっぷりに装い、大げさな言動をとることです。しかも肝心な時に仮病で政権を投げ出したのですから開いた口がふさがりません。

             

             

             

            以下は朝日新聞デジタルの記事です。

             

            「文科省や厚生労働省によると、20年の小中高生の自殺者数は前年から25%増え499人(確定値)で、統計の残る1980年以降では最多。このうち、女子は219人で66%増となった。原因は、進路に関する悩み(55人)、学業不振(52人)、親子関係の不和(42人)の順に多かった。

             報告書案は背景について、コロナ禍で在宅機会の増えた親がストレスを抱えて子どもに干渉や叱責(しっせき)を加えるなどし、家庭に居場所がない子をさらに息苦しくさせた可能性を指摘した。」

             

            https://www.asahi.com/

            articles/ASP6T5VSZP6TUTIL028.html

             

             

             

            しかし、こうなることは予想できたはずです。私ごとき者ですら予想できたのですから。

             

             

            「川」のそばで立ちすくむ。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=641

             

             

            実は、小中高生の自殺こそ政治の問題そのものです。朝日新聞はそういった視点を欠いています。真実を報道すればあらゆる方面から批判の矢が飛んでくるのは当然です。それでも、報道に携わる人間は映画『コレクティブ』を観るべきです。彼我の落差に愕然とするはずです。

             

             

             

            おそらく、499基の棺が官邸の前庭に積みあがっている風景を想像できる政治家はいないでしょう。山本太郎を除いて。今や、山本太郎は与野党を問わず、あらゆる方面から無知と憎悪と偏見の矢を受けて満身創痍です。それでもあきらめません。

             

             

             

            この惨状に拮抗する言葉を持っているのは彼一人です。彼だけが言葉で戦っています。彼の言葉は、頭から出てきたものではありません。街宣で全国各地を回り、そこで出会った人々から罵詈雑言を投げつけられ、励まされ、涙した経験の全量が言葉を研ぎ澄まし、武器に鍛え上げたのです。

             

             

             

            私はこの7年余りの間に763本の記事を書いてきました。その中で山本太郎に言及している記事は今回を含めて74本になります。約1割です。

             

             

             

            なぜそうなったのか。私の取り柄は、人間が吐く言葉の由来や重みがわかることです。それが承認欲求や嫉妬に基づくものか、カネと権力を志向するものか、世間体を取り繕うだけのものかを一瞬のうちに感得できます。システムの外で生きてきたからです。エリック・ホッファーや北御門二郎に共感するように山本太郎に共感しているのです。

             

             

             

            彼を一種劇的な人間にしているのは、勉強量もさることながら、3・11以降、今日まで彼が見てきたもの、つまり経験の全量です。山本太郎の眼は官邸の前庭に積みあがっている499基の棺を観ている眼です。疑う人には以下の動画を勧めます。

             

             

            東京都 新橋駅前 山本太郎 れいわ新選組代表×北村イタル 東京2区総支部長 街宣(2021年10月18日)

             

             

            https://youtu.be/QVaen4buFv8

             

             

            ついでに、コロナで一年遅れましたが、2019年の大晦日に書いた以下の記事も読んでいただけたらうれしいです。

             

            2020年、山本太郎はチェ・ゲバラになる。

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=626

             

             

            | 高校生の皆さんへ | 22:34 | comments(0) | - |
            私のアナキスト宣言。
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              自民党総裁選の茶番劇にはあきれるばかりです。怒りも沸いてきません。権力の私物化もここに極まれりといった感じです。安倍と菅は、9年かけてバカばっかりを集め、警察官僚国家を作り上げました。メディアは安倍晋三をキングメーカーだなどと持ち上げていますが、裸の王様にすぎません。バカのトップに立って何がうれしいのでしょうか。

               

               

               

              私は、今度の衆院選挙は自民党が滅ぶか日本が滅ぶかだ、おそらく日本が滅ぶだろうと書きました。どっちでも構いません。今の心境は、THE BLUE HEARTS のリンダリンダを大音響で鳴らして踊りまくりたい心境です。

               

               

               

               

              それにしても、「経済を回す」という掛け声のもと、わずか10年で、私たち日本人は自分たちが危うく滅びかけたあの事故のことをわすれてしまったのです。無能な犯罪者と化した世襲議員とアナクロ国家主義者の集団である自民党議員たちは「どうせ、みんなすぐに忘れるさ」と、たかをくくっています。危機感のかけらすらありません。

               

               

               

              電力会社や御用学者たちは、「ゼロリスク神話」をばらまいて国民を洗脳してきました。しかし、いざ事故が起こると、ゼロリスク社会などありえないと声高に叫び、原発再稼働に舵を切ったのです。しょせん彼らはカネと権力の走狗に過ぎません。人格が崩壊しているので相手にしてはなりません。

               

               

               

              事故の危険性を国会で指摘されたにもかかわらず、無視を決め込んだのは安倍晋三です。彼は「ゼロリスク神話」で洗脳されていたのです。洗脳は今でも解けていません。再稼働を後押ししたのも彼です。その男をキングメーカーと呼ぶメディアも同罪です。本来なら、安倍晋三は刑務所にいなければならないはずです。

               

               

               

              こういう状況下で、私たちはいかに生きればいいのでしょうか。というわけで、私のアナキスト宣言となったわけです。

               

               

               

              ピアニストやヴァイオリニスト、アーティストに比べると、アナキストは無政府主義者、国家の破壊者のようなイメージがあります。しかし、それは誤解です。というか、アナキズムには私たちが権力に依らず、自らの生を最も自由に、生き生きと生きることができるヒントがつまっています。それに国家は「自助」と「自粛」でとうに破壊されています。コロナとオリンピックがそれを可視化したのです。

               

               

               

              アナキズムは、鬱になりそうな毎日を送っている高校生を元気にします。生き方の方向性を垣間見せてくれます。本当の友達ができます。学校社会と企業社会の競争的環境の中で、ちょっとでも上を目指して息切れしそうになっていた自分を解放してくれます。若者を元気にしない思想などクソくらえです。

               

               

               

              上の動画でリンダリンダを歌っている女子高生の顔こそアナキストの顔です。アナキストは競争しない。他人に手を差し伸べる。そして真実を叫ぶ。あなたが高校生なら、皆の前で自己紹介しましょう。「私はアナキストです。皆で一致団結してバラバラに生きよう!」と。

               

               

               

              アナキズムは学べば学ぶほど元気が出ます。私は昔、ネトウヨから「お前はアナキストか!」と罵倒されたことがあります。「そうだ!それがどうした!お前の人生はカネと権力と世間にがんじがらめになっているだけじゃないか!」と反論したのですが、アナキストこそが自分の生き方だったのかと気がつきました。

               

               

               

              これからブログではアナキストとしていかに生きるのかといった内容を発信していきます。本や映画や音楽を紹介していくつもりです。野菜の作り方や鶏の飼い方、焼き物の奥深さ、「旅」の楽しさを書いていこうと思います。今回はとりあえず以下の本を紹介しておきます。

               

               

               

              1:デイビッド・グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』

               

              2:松村圭一郎『くらしのアナキズム』

               

              3:木村敏雄『原発亡国論』

               

              4:半藤一利『人間であることをやめるな』『戦争というもの』

               

               

              久しぶりのブログでした。読んでくださった皆さん、ありがとう。ますます過激になっていきそうな私を誰か止めて!なんちゃって。

               

               

              | 高校生の皆さんへ | 10:18 | comments(0) | - |
              卑怯者は団結する。
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                ひと月ほど前、『こんな世の中を若い世代に残したくない』を書いたとき、「日本ほど治安が良くて豊かな国はない、お前は何を錯覚しているのだ。現実を直視しろ。若い世代に残したくない日本の例を挙げて見ろ。」とのコメントをもらいました。そろそろブログから足を洗おうと思っている時に、やれやれです。

                 

                 

                 

                こういったバカウヨからの匿名のコメントは削除することにしているのですが、今回、要望に応えて「若い世代に残したくない日本」の例を一つだけ挙げることにします。一つだけというのは、他にもありすぎて一冊の本が書けるほどだからです。

                 

                 

                 

                まず、現状に対する認識から。

                 

                「官邸にはいろいろな汚物が埋まっている。それを掘り起こされたら大変なことになる。だから安倍氏や菅氏は権力の私物化の証拠を永遠に眠らせてくれそうな人物を支援することだろう。自民党内の権力闘争では政治は変わらない。コロナそっちのけの自民党のお祭り騒ぎがその証拠。政権交代以外に道はない。」(小沢一郎)

                 

                 

                 

                本題に戻ります。あの中村格氏が自民党政府の手によって遂に警察庁長官になるという狂った人事についてです。「あの」というのは菅義偉氏の秘書官だった当時、中村氏は伊藤詩織さん事件で、TBSの元記者・山口敬之の準強姦容疑での逮捕令状の執行取り消しを命じた張本人だからです。性犯罪の揉み消しを図った人物が法治国家の警察行政トップになったのです。こんな国を若い世代に残したくないと思うのは当然です。

                 

                中村格氏

                 

                 

                 

                 

                記者は長官就任会見で、この逮捕令状の執行取り消しについて質問してほしい。

                 

                 

                なぜなら、「正しい答えはすでに出ている。しかし、それを得るには正しい問いを発しなくてはならない。(オスカー・ワイルド)」のですから。(The answers are all out there, we just need to ask the right questions. Oscar Wilde)

                 

                 

                 

                ちなみに、山口敬之は安倍晋三の「右腕」と言ってもいいほどの人物です。これだけでもジャーナリスト失格です。それは以下の記事と、山口本人が書いた『総理』に詳しく書かれています。

                https://lite-ra.com/2018/02/post-3776_2.html

                 

                 

                山口敬之氏

                 

                 

                 

                この件について前川喜平氏は次のように述べています。

                 

                「伊藤詩織さんに性的暴行を加えた山口敬之は安倍晋三首相のお友達だった。警視庁刑事部長だった中村格は、官邸からの指示を受けて、山口の逮捕を中止するよう命令した。中村は菅義偉官房長官の秘書官だった。中村の警察庁長官就任は、安倍・菅政権の腐敗を象徴する人事だ。」

                 

                 

                 

                よろしければ4年前に書いた以下の記事を、特に若い女性たちにぜひ読んでもらいたいと思います。「卑怯者は団結する」という今回のタイトルの意味を深く理解できると思います。

                 

                 

                1:女性をモノと考えている男たち、そして真夜中のギター

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=377

                 

                2:2017年、人非人を国のトップに据えている日本

                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=380

                 

                 

                | 高校生の皆さんへ | 15:00 | comments(0) | - |
                虚業としてのテレビ・マスコミ業界。
                0

                  以前から不思議に思っていたのですが、テレビ・マスコミ業界で働く人は、真実を報道するのではなく、スポンサーのために奔走し、視聴者から貴重な時間を奪うだけの番組を作っていて虚しくないのでしょうか。

                   

                   

                   

                  ふとした瞬間に正気に戻り、この業界で生きることに人間として耐えられなくなることはないのでしょうか。そういった時でも、生活が懸かっているという紋切り型の言いわけをするのでしょうか。哀れなことに、それ以外の人生の選択の可能性を想像すらできなくなっているのです。

                   

                   

                   

                  それは、回し車の中を走り続けるハムスターやハツカネズミの<生>です。実験によると、回し車を走る動物は遊びのように、あるいはランナーズ・ハイの状態に陥ったように、走ること自体に価値を見出している可能性が高いとのことです。考えるよりも「努力」することに価値を見出すというわけです。

                   

                   

                   

                  その裏返しというか代償として「突破力」や「実行力」があると言われている自民党総裁候補(河野太郎のことです)を支持したくなる。それはとんでもない世論操作であり、幻想だと言ったところで、株高の恩恵を受けている東京の富裕層は聴く耳を持たないでしょう。

                   

                   

                   

                  加えて、流暢に英語を話せるこの人物が総理になれば、自分たちの代弁者が登場したと思い、拍手喝采することでしょう。かくして、デジタルファシズム体制が出来上がり、国民の大多数が回し車の中を走り続けるハムスターになっていくのです。

                   

                   

                   

                  回し車(もちろん自民党が回しているのですが)の中を走り続けるハムスターのような人物を一人挙げておきましょう。「革命」という言葉にまつわるマイナスイメージを利用して、現体制(コーポラティズム)を維持しようとする人物です。

                   

                   

                   

                  この種の人物は学者やテレビコメンテイーターばかりでなく、維新の国会議員をはじめとして雨後の筍のように湧いて出て来るのですが、今回は無知で比較的「上品な」屁理屈屋を取り上げます。

                   

                   

                   

                  10日放送の情報番組「ひるおび!」(TBS)で、レギュラーコメンテイターを務める八代英輝弁護士です。彼は共産党について次のように発言したのです。まるで私のブログに反応したかのようなお粗末な論です。

                   

                  八代英輝弁護士

                   

                   

                   

                  番組で衆院選での野党共闘の話題を取り上げた際に、「志位委員長がつい最近、『敵の出方』という言い方をやめようとは言ってましたが、共産党は『暴力的な革命』というのを、党の要綱として廃止してませんから。よくそういうところと組もうという話になるな、と個人的には思います」と。

                   

                   

                   

                  共産党と連携する可能性がある野党を牽制したのです。

                   

                   

                  TBSは内容について、同日「発言は誤りでした」とコメントを発表しました。公共の電波を使って白昼堂々とデマを飛ばす八代英輝氏は、弁護士として最低限必要な公平さを持ち合わせていません。

                   

                   

                   

                  おそらく、彼の周囲に同じセリフを吐く人間たちがいて、それを検証もせずに信じてしまうメンタリティーが身についてしまったのでしょう。ネトウヨのメンタリティーそのものです。

                   

                   

                   

                  八代氏は「先週の私の発言についてですが、私の認識は閣議決定された政府見解に基づいたものでした。一方で、日本共産党はそれを度々否定していることも併せて申し上げるべきでした。申し訳ありませんでした」と謝罪しました。

                   

                   

                   

                  これこそ後付けの屁理屈です。彼は「日本共産党はそれを度々否定していること」を述べる意図など最初から持っていませんでした。知らなかったのです。

                   

                   

                   

                   

                  しかし、彼のデマの根拠が「安倍内閣の閣議決定だから」というのを聞いて、びっくりしました。安倍政権は森友学園にまつわる不正疑惑の追及をかわすために「安倍昭恵は私人である」と閣議決定したのです。内閣が自己都合で勝手に発することができるのが「閣議決定」です。公正なプロセスで真実と認定されたものではありません。

                   

                   

                   

                  八代英輝氏は今後も、回し車の中を走り続けるハムスターの<生>を生きるしかないでしょう。虚しい人生です。私たちは、この時間帯のスポンサーである、P&G 、東海漬物 、キューピー、 山崎製パン、 タカラスタンダード の商品の不買運動を始めなければなりません。それほど深刻なことです。

                   

                   

                   

                  最後に重要なことを二つ付け加えておきます。

                   

                  一つは、八代氏は、中道左派政党に近い今の共産党こそが真の保守なのかもしれない、そのことに国民が気づくかもしれない、そして真の保守こそが前衛であるという歴史的な認識に到達することを無意識のうちに恐れたのだと思います。なんちゃって。これは冗談です。八代英輝氏にそこまでの認識は無理です。彼は弁護士の仮面をかぶったネトウヨに過ぎないからです。

                   

                   

                   

                  もう一つ重要なことがあります。ブログでも述べてきたように、彼らはこれまでの経験から「後の祭り化」でお茶を濁せばいいと思っているのです。

                   

                   

                  つまり、八代英輝弁護士の問題発言よりも、「共産党は『暴力的な革命』というのを、党の要綱として廃止してませんから。」という発言だけが視聴者に刷り込まれる、訂正しても「後の祭り」というわけです。いったん世間に流れた卑劣なデマを完全に回収することは不可能です。デマは世界に対するテロであり、その被害は回復不可能なのです。

                   

                   

                  | 高校生の皆さんへ | 14:36 | comments(0) | - |
                  革命後の社会を生きる。
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                    前回のブログは、身の丈もわきまえず、「革命」という言葉に新たな命(視点)を吹き込もうと考えて書きました。

                     

                     

                     

                    「革命」という言葉には、どこかおどろおどろしいというか血なまぐさい響きがありますね。しかし、歴史をひもとくと、チェ・ゲバラを引き合いに出すまでもなく、革命に身を投じた人々は実に優しく魅力的な人物が多いのです。

                     

                     

                     

                    それに対して、革命をつぶそうとする勢力の中には、卑劣極まりない残酷な人間が多い。高校生の皆さんはフランス革命について詳しく学んだことがあるでしょうか。あるいはキューバ革命について何を知っているでしょうか。

                     

                     

                     

                    例えば、マルクスのジャーナリストとしての資質がいかんなく発揮された『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、歴史を勉強する人には必読の本です。最近、講談社学術文庫から新訳が出ています。

                     

                     

                     

                    高校生の皆さんは、この二つの革命を深く学ぶことで歴史に対する見方を身につけることができます。大学受験のために浅く広く勉強しても、自動記憶再生装置のような人間になり、クイズ番組に強くなるだけです。現実の世界を生きる助けにはなりません。そんな勉強はクソくらえです。

                     

                     

                     

                    話を元に戻しましょう。旧体制をひっくり返し、新たな国家を誕生させることを革命だと考えると、そんなことムリ、できるはずない、余計なことをしないでくれ、今の生活に満足してるんだから、ということで革命はポシャってしまいます。そればかりか、革命によって利益を失う人や組織が黙っていません。

                     

                     

                     

                    しかし、革命とは「権力による強制なしに人間が互いに協力し合って生きていくことを理想とする社会」を実現することだと考えると話は違ってきます。

                     

                     

                     

                    なにも国家を力ずくで転覆させる必要はないのです。なぜなら、すでにそういった社会を実現している人々があちこちにいるからです。彼らは、いわば「革命後の社会」を生きているわけです。「革命後の社会」はすでに存在しているのです。それを実現した人々の方法や知恵に学べばよいのです。

                     

                     

                     

                    具体的に想像してみましょう。今あなたが原発のある町に住んでいて、生活の不安なく原発を廃止でき、安心して暮らすことができたとします。それを可能にすることこそが「革命」でしょう。これは夢物語でしょうか。そうだとすればその夢物語を現実にするためには何が必要でしょうか。

                     

                     

                     

                    数十年前にさかのぼってみましょう。そこには、原発がなかった時の町があります。それが「革命後の社会」です。確かに不便で貧しい場所だったかもしれません。そこで生きることはつらくてみじめだったかもしれません。しかし、自らの知恵と工夫でそれを乗り越えた町があることを知っていたらどうだったでしょう。

                     

                     

                     

                    実は、福島原発事故が起きるはるか以前に、原発の危険性を感じて原発計画を追い出した町が全国に34カ所もありました。

                     

                     

                     

                    原子力が輝かしい未来のエネルギーとして宣伝されていた時代に、しかも原発の大事故が起きる前、原発マネーを断ってまで、原発を拒否することができたのはなぜか?

                     

                     

                     

                    彼らは「権力による強制なしに人間が互いに協力し合って生きていくことを理想とする社会」を実現していたからです。子孫に豊かな自然を残そうという単純素朴な思いがあったからです。つまり「革命後の社会」を生きる構想力を持っていたのです。それは日本が高度経済成長に突入する前の社会で培われたものです。

                     

                     

                     

                    そこには私たち、特に若い人たちが学ぶべき生きる技法や知恵がないでしょうか。それをデジタル革命のかけ声のもと、国家が掌握する一情報の地位に貶めてしまっていいものでしょうか。

                     

                     

                     

                    もう一つだけ「革命後の社会」を生きる人々の例を挙げます。

                     

                     

                    「カリフォルニア州最大、全米2位の人口400万人を抱えるロサンゼルス市は、2035年までに全ての電力を再エネでまかなうことを市議会で満場一致で可決。同市は市立電力会社の地域独占(全米最大)。天然ガス発電を全て閉鎖し、太陽光、風力、蓄エネで置き換える。」とのことです。

                     

                     

                     

                    日本では、有権者のうち約5割の人しか投票所に行きません。あと3割の人が投票所へ行けば「革命後の社会」は実現します。暴力ではなく投票箱で実現できるのです。この点について書きたいことがまだあるのですが、長くなるので次回に譲ります。

                     

                     

                    | 高校生の皆さんへ | 00:06 | comments(0) | - |
                    つまみ食い勉強から論理の糸をたどる勉強へ ― 最終版
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                      このタイトルでの最終版です。私は、小説や詩をはじめとして、ジャンルを問わず、日本語から無限の恩恵を受けてきました。一方で村上春樹氏のようにアメリカの作家からも影響を受けました。残りの人生は、好きな作家の小説を読んで過ごしたいと考えています。

                       

                       

                       

                      今回は締めくくりとして、高校生の皆さんに一つの事実を指摘し、あわせてつまみ食い勉強の「見事な成果」をご覧に入れたいと思います。

                       

                       

                       

                      まず第一に、どんなに勉強しても、あなたの英語力はあなたの日本語力を超えられないという事実です。

                       

                       

                       

                      例えば語彙を考えてみましょう。日本語の語彙が貧困な人が、頭を英語に切り替えた瞬間、日本語でも知らない言葉が英語で次々にあふれ出てくるなどということがあるでしょうか。日本語の語彙が貧困なら、英語の語彙も貧困にならざるを得ません。dog や pig の意味さえ一対一に対応していないのです。

                       

                       

                       

                      語彙の間には必ず意味のズレがあります。そのズレを感知するのは日本語の力です。あなたが使う英語の語彙も思考の展開の仕方も、あなたが身につけている日本語力によって大きく影響され、制約を受けています。

                       

                       

                       

                      次に、つまみ食い勉強の「見事な成果」を体現している人物をお目にかけましょう。かのホリエモン氏です。彼の発想はまさにつまみ食い勉強の悪しき結果です。ジグソーパズルのピースを適当に組み合わせて新しさを演出しているだけです。彼自身に「絵」が見えていないからです。

                       

                       

                       

                      私は彼を何度かブログで批判しました。彼の本のタイトルを見て、これは出版社との「コラボ」が作り出した、中身のない、売らんかなの本だと思ったからです。おそらく、専属のゴーストライターが書いたものを彼が後でチェックしたのでしょう。「うまく書けてるんじゃね。これでオッケー」などと言いながら。しかし、これは私の「妄想」というか、彼の話し言葉と書き言葉のズレから受けた印象です。それを裏付ける証拠はありません。

                       

                       

                       

                      彼はIT社会にちょっとばかり先乗りした軽薄な大人の一人に過ぎません。新しい文化の開拓者でもなければ先導者でもありません。彼くらいのスキルと発想なら、アメリカのちょっとした中学生のほうがはるか上を行っています。

                       

                       

                       

                      ホリエモン氏は今年の3月6日、レバノンの首都ベイルートへ飛びました。カルロス・ゴーン氏と対談するためです。表向きは日本の司法制度、特に検察のあり方(ゴーン氏はある意味、犠牲者です)について議論するのが目的だったのでしょう。しかし本当の目的は、センセーショナルな話題を提供して、ホリエモンファンをつなぎとめることにあったのです。だから、わずか30分でも、ゴーン氏に会ったという「実績=話のネタ」を作ればよかったのです。

                       

                       

                       

                      なんて意地の悪い見方だと思う人もいるでしょう。しかし、以下の動画をご覧ください。彼の英語?を聞いて私は思わずため息をつきました。『英語の多動力』という本を出版するくらいだから、カタコトの英語は話せるだろうと思っていたのです。

                       

                       

                       

                       

                      しかし、ゴーン氏に向かって、いきなり年齢を尋ね、You looksを連発します。十歳以上若く見える、というつもりで You looks younger than the ten years.と言っています。むりやり訳せば、「10歳の子供より若く見える」とでもなるでしょうか。コミュニケーションが成り立っているように見えるのは、ゴーン氏の忍耐のおかげです。

                       

                      塾の生徒に聞くと、

                       

                       ・You look so much younger.

                       

                       ・You look much younger than your age.

                       

                       ・You look ten years younger than your age.

                       

                       

                      という答えが返ってきました。ちなみに、 You looksと言った生徒は一人もいませんでした。

                       

                       

                       

                      私は一事が万事とは考えません。9回失敗しても10回目にはできるだろうと期待します。しかし、 これだけ中身とうわべの違いがはなはだしい人物も珍しいかもしれません。

                       

                       

                       

                      ブロークンでもコミュニケーションできればいいじゃないか、日本人はセンテンスで言おうとするからいつまでたっても英語が話せないのだという意見もありそうです。しかし単語を並べるだけでコミュニケーションが成り立つと考えるのは相手に失礼です。

                       

                       

                       

                      私たちは母語の習得過程でまず単語を覚えます。次にそれを組み合わせてセンテンスを作れるようになったとき、変化が訪れます。自分の意志が芽生え、考えるようになります。このプロセスを通過していればこそ、日常生活では単語だけでコミュニケーションが可能になるのです。高校生の皆さん、文法的にも論理的にもでたらめなこの動画の文字起こしをやってみて下さい。

                       

                       

                       

                      それにしても、ホリエモン氏はこんな会話をするためにレバノンまで飛んだのでしょうか。それこそリモートで済みます。しかし、それではだめなのです。リモートでは、話題作りにならないからです。

                       

                       

                       

                       

                      海外留学は時代遅れだと豪語しているのも単なる思い付きです。彼のしていることは、本質的には、「絵」のない状態で、ピースを適当に組み合わせて、前衛を気取ることです。彼の周りに集まっているのは、同じ発想の人間たちなのです。

                       

                       

                       

                       

                      さて、もうやめにします。ただ、つまみ食い勉強の「見事な成果」は生き方にも会話にも表れるということを心にとめておいてほしいと思います。

                       

                       

                       

                      | 高校生の皆さんへ | 16:17 | comments(0) | - |
                      つまみ食い勉強から論理の糸をたどる勉強へ ― その5
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                        「桜より卵の方でみせしめる」

                         

                        先日、朝日新聞に掲載されていた川柳です。「本当に上手ね。検察のふがいなさと忖度ぶりが分かるわ」というのが、うちの奥さんの評です。

                         

                         

                        この川柳を英訳しようとすると、政治状況から説明する必要があります。「桜」と「卵」「みせしめる」だけでは何のことかわかりません。川柳という日本の文化を説明する必要もありそうです。

                         

                         

                         

                        そもそも、まず主語がありません。誰が誰に対して「みせしめる」のか、「桜」や「卵」が何を意味するのか?特に政治に関心がない高校生の皆さんは、この川柳を生み出した批判精神を理解できないでしょう。

                         

                         

                         

                        ところで、日本語は恋人同士が海辺で沈む夕日を見ている状況で最も有効に機能する言語だという気がします。「きれいね」の一言で済むわけです。

                         

                         

                         

                        ある状況の中から象徴的な言葉を選択(つまみ食い)し、そこから全体を復元する。つまり、ジグソーパズルのピースから「絵」を復元するのが日本語なら、英語はまず「絵」があって、ピースの配置を決めていく言葉だと言えます。つまみ食い的な理解の仕方は日本語の特徴なのです。

                         

                         

                         

                        同じ風景を見ている恋人の一人が「今まさに夕日が水平線の向こうに沈もうとしています。」と言えば「実況中継してるの?」と怪しまれるでしょう。下手すると頭がおかしくなったのかと思われます。「そうだね」の一言で済む状況で、あなたは第三者と連絡をとっていると思われたのです。さらに「君のほうがきれいだよ」などと言うのは別の意味で怖いです。

                         

                         

                         

                        では、なぜ突然第三者がいるように受け取られたのでしょうか。それは必要最小限の言葉で理想的なコミュニケーションが成り立っているときに、突如として主語と述語のあるセンテンスが登場したからです。

                         

                         

                         

                        日本人の恋人といるときは「古池や 蛙飛び込む 水の音」で済むのです。「春は あけぼの」でもいいですね。「僕がなぜ君のことを好きになったかと言えば、まず第一に・・・」のようなセンテンスを構築しないように。

                         

                         

                        でも、アメリカ人の彼女のときは「古池や」や「春は あけぼの」で迫ると、意思の疎通ができない相手だとして、無視されるのが落ちでしょう。下手すると病院送りになるかもしれません。

                         

                         

                         

                        かくも日本語と英語は違うのです。英語を読んだりしゃべったりするときはこの両言語の真逆と言ってもいい特徴を押さえておかなければなりません。断片は知識ではないと言いましたが、日本語そのものが知識を断片化する傾向をもっているので、常にS+Vを意識して re-telling する必要があるのです。

                         

                         

                         

                        前置きが長くなりました。以下はS+Vを意識するための練習問題です。

                         

                        まず次の英文を見てください。

                         

                        Inside the human brain are approximately 100 billion nerve cells called neurons.

                         

                        私「短い文なので re-telling はできるね。」

                         

                        B君「はい。人間の脳の内部は、ニューロンと呼ばれる約一千億個の神経細胞で構成されている、という意味です。短い文なので訳せばそのまま re-telling になります。」

                         

                        A君「さすがB君、もう少しで僕のレベルに追いつくよ。まあ努力を続けなさい、なんちゃって。」

                         

                        B君「そんなこと言うんだったら、君がやってみてよ。」

                         

                        A君「B君の答えは approximately 当たってるよ。でも、構成されている、というところが気になるなあ。Inside the human brain はトコロ表現だろ。だから倒置になっていて、are は「構成されている」じゃなくて「存在している」という意味になる。つまり、人間の脳の内部には(トコロ表現)、ニューロンと呼ばれる約一千億個の神経細胞が存在している、が正解です。この文のS+Vは神経細胞が、存在しているです。」

                         

                        他の生徒「 approximately 当たってるよ、だってさ・・・」

                         

                        C君「なるほど。塾に来た時A君が先生に教わってたのはこれだったのか。答え合わせをしてたんだ。」

                         

                        A君「バレたか。」

                         

                        私「A君は僕の解説を re-telling するのが上手だね。英語は読む時も聞く時も、いついかなる時でも、まずS+Vを意識します。これは受験テクニックなどではなくて、英語という言語そのものの特徴ですから、意識しなくてもできるようになりましょう。」

                         

                        興味のある人は以下の記事を参考にして下さい。

                         

                         

                        小池百合子氏の英語。

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=665

                         

                         

                         

                        では、なぜ倒置が起こるのでしょうか。副詞が文頭に来たから?それは文章を見た後で言えることです。文章を書く側から見てみましょう。

                         

                         

                        その前に、Inside the human brain は前置詞+名詞の組み合わせになっています。この組み合わせは主語になりません。(ただし、about 70% of China のような場合は例外的に主語になります。)これは基本中の基本ですね。前置詞+名詞は場所を表します。したがって、人間の脳の内部、ではなくて、内部にはになります。細かいことのようですが、とても大事なことです。

                         

                         

                         

                        これを知らないと主語を特定する段階でつまずきます。この文の出だしは「人間の脳の内部には、ある」です。普通、何があるんだろうと考えますね。その疑問に答えて主語は次に出てきます。approximately 100 billion nerve cells called neurons(約千億個の神経細胞)が主語です。

                         

                         

                         

                        倒置の話に戻りますが、この文は次の語順で書いても間違いではありません。

                         

                        Approximately 100 billion nerve cells called neurons are inside the human brain.

                         

                         

                        読む側は Approximately 100 billion nerve cells called neurons are で始まる文を見ると、いったい何が始まったのかと不安になるはずです。どこに焦点を当てればいいかわからないからです。しかし、Inside the human brain are・・・ で始めれば「人間の脳の内部には・・・がある」でイメージしやすいですね。

                         

                         

                         

                        もう一度言いますが、英語はその場にいない第三者に今見ている景色を実況中継するような言語です。「倒置」が起こるのは、自分の視点ではなく、相手の視点に立って、イメージしやすい順序で情報を提供しようと考えるのです。

                         

                         

                        「倒置」は特殊な構文ではありません。それどころか、情報の受け手のことを考えた実に親切な構文なのです。

                         

                         

                        次はもう少し難しい文を読んでみましょう。まず日本語訳を挙げておきます。

                         

                        「論理的に考えたり、コミュニケーションをしたり、人生で必要な計算をしたりすること教える一方で、子供たち人生で必要だと思うことするの手助けするようなカリキュラムを作ること大切だ」

                         

                         

                         

                        日本語ですからS+Vを特定するのは簡単です。その後で、re-telling してみましょう。「カリキュラムを作ること大切だ」がこの文のS+Vですね。

                         

                         

                         

                        少し硬い日本語ですが、まずはこのレベルの訳ができるようにしましょう。S+Vを意識して(そのためにアンダーラインを引いています)、ウィスキーのコマーシャルではありませんが、何も足さない何も引かない生硬な訳を心掛けましょう。

                         

                         

                         

                        次に英文です。これくらいの文章を音読しながら内容をとらえることができれば、高校生としては合格点です。当然、S+Vを特定することから始めなければなりませんが、日本語訳があるので大丈夫でしょう。

                         

                         

                        Creating curricula that help children do what they feel is necessary in their lives while still teaching them how to reason and communicate and do mathematics that is needed in their lives are important.

                         

                         

                        Creating curricula が主語で、are が述語です。でも、Creating curricula は動名詞なので are は is でなければなりません。この問題は正誤問題だったのです。この文はすでに解説済みです。詳細は以下の記事をお読みください。

                         

                         

                        高校生のための英文法−その2

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=372

                         

                        高校生のための英文法−その3

                        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=373

                         

                         

                         

                        今回はここまでです。全部を理解できたなら、あなたは確実にステップアップしているはずです。

                         

                        | 高校生の皆さんへ | 19:53 | comments(0) | - |
                        つまみ食い勉強から論理の糸をたどる勉強へ ― その4
                        0

                          前回の続きです。以下の文章を re-telling する、というところからでした。

                           

                           

                           

                          ― 神経伝達物質は、脳の神経細胞やグリア細胞、あるいは内分泌系や自律神経系における化学反応のもとで生成され、基本的にはシナプス細胞の中の終端近くに分布する小胞と呼ばれる小さな袋の中に貯えられて、その細胞内を伝わる活動電位が細胞の終端に達すると、細胞膜の間の電位差で開くイオンチャンネルを通ってシナプス結合の間隙に放出される。―

                           

                           

                           

                          よく「国語力はすべての教科の基本だ」と言われますが、その肝心な理由となると言葉を濁す人が多いようです。高校時代、この問いを国語の教師に発したのでよく覚えています。

                           

                           

                           

                          そもそも国語力という言葉に違和感があります。言語運用能力と言い換えた方がしっくりきますが、それはまたの機会に。

                           

                           

                           

                          では、A君の re-telling から聞いてみましょう。

                           

                          「え〜と、神経伝達物質の話です。脳の神経細胞とか、自律神経系の化学反応、シナプス細胞、それと活動電位がどうだとか・・・、う〜ん、そういえばイオンチャンネルという言葉もありました。とにかく知らない言葉だらけで、これをどうやって re-telling しろというのですか。先生も高校生の時こんな文章を読まされたら、パニクってたんじゃないですか?とにかく知らない言葉だらけの文章をどうやって知識として定着させるんですか。僕には無理です。」

                           

                           

                          「はは、僕はパニクってなんかいなかったよ。授業中熟睡してたから。それに比べたら君ははるかにましだよ。三時間目の途中で、先生に見つからないように机の下で弁当を食べていて、卵焼きが隣のNちゃんの椅子の下に転がった時は、肝を冷やすよりも母親に済まないと思ったものだよ。それはともかく、僕はこんな文章を読むと睡魔に襲われてたね。なはは・・」

                           

                           

                          「先生、なははじゃないですよ。こんな文章をどうやって re-telling するのかその方法を教えて下さい」

                           

                           

                          「僕にもわかりませ〜ん、なんちゃって。はは、冗談だよ。君は前回の授業をろくに聞いていなかっただろう。断片は知識ではない。知識はセンテンスの形で蓄積される。ジグソーパズルのピースをどれだけたくさん持っていても、「絵」が頭の中に描けなければアウトだ。今日は端的に結論だけを言うけど、これからは自分でできるようになってほしいな。習慣にすれば超簡単だから。僕がいつも言ってるだろう。ブレイクスルーを可能にするのは「習慣」という怪物である、と。

                           

                          「絵」が頭の中に描けないとき、専門用語が多いときは特にそうだけど、少なくとも「何が、どうした」だけは押さえる、これが第一段階。先の文章でそれをやってみよう。

                           

                           

                          神経伝達物質は脳の神経細胞やグリア細胞、あるいは内分泌系や自律神経系における化学反応のもとで生成され、基本的にはシナプス細胞の中の終端近くに分布する小胞と呼ばれる小さな袋の中に貯えられて、その細胞内を伝わる活動電位が細胞の終端に達すると、細胞膜の間の電位差で開くイオンチャンネルを通ってシナプス結合の間隙に放出される

                           

                           

                          どうだい、こうすると神経伝達物質が生成され、貯えられ、放出されるプロセスが書かれた文章だと理解できるだろう。まず、生成、貯えられる場所を覚え、次に、放出される仕組みを覚えればいい。少しは頭の中に「絵」が描けたかな。「絵」が描ければ re-telling できるんだよ。簡単だろう?実は英語を読むときも同じ手順を踏むんだよ。」

                           

                           

                           

                          と、ここまで書いて、飲みかけのコーヒーがあったと気がつき、リビングに行くと朝日新聞の『折々のことば』が目に入りました。林達夫の言葉が取り上げられていたのです。

                           

                           

                           

                          ― 私は教師らしくない教師、ジャーナリストらしくないジャーナリストたることをわが処世術と心得ている。                                           

                           

                           

                          私がこんなことを言っても全く説得力はありませんが、真の教師でありジャーナリストである林達夫が言うと心に響きます。

                           

                           

                          それに対する鷲田清一氏の解説。

                           

                           

                          大学は頭でっかちな教育の理想像に縛られ、文化装置としての賢さを確(しか)と発揮しえていないと、批評家は評論「十字路に立つ大学」(1949年)で言う。だから自分は「仕事の場をアマチュア精神で行く」と。会社でも役所でも病院でも、勤務初日に抱いた違和感を持ち続けられるかどうかで、その後の仕事の質も決まると言えそう。

                           

                           

                           

                          納得できますね。私は20代のはじめ、林達夫の影響下にありました。彼ほどの人間が誰はばかることなく心情を吐露していることに打たれたのです。この人間は信用できると思ったのです。なけなしの金をはたいて彼の全集を買い、自分の無知さ加減に絶望しながら読みました。

                           

                           

                           

                          以来、プロを上回るアマチュアたらん、という志が私の中に根を下ろしたのです。今も思考が弛緩してくると彼の本を取り出して読んでいます。このブログを書き始めたのも、全集5『政治のフォークロア』を再読したのがきっかけでした。

                           

                           

                          歴史の暮方・その1

                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=8

                           

                           

                          おやおや、また小難しい話になりました。続きは次回にします。今回も読んでいただいた方にお礼申し上げます。

                           

                           

                          | 高校生の皆さんへ | 20:18 | comments(0) | - |
                          つまみ食い勉強から論理の糸をたどる勉強へ ― その3
                          0

                             

                            長年塾教師をやっていると、つまみ食い勉強しかやっていないのに高い「読解力」を身につけている生徒に出会います。そういった生徒は、私が、試験で試される読解力と読書力は違う、と言うとうなずきます。きっと両者の違いを理解しているのでしょう。

                             

                             

                             

                            試験の問題(例えば国語の試験を考えてください)を解くときに必要なのは、作者の意図を理解することではなく、出題者の意図を見抜くことだと分かっているのです。したがって、このコツさえつかめば、本などほとんど読んでいなくても、試験で高得点を取ることができます。

                             

                             

                             

                            マークシート式の試験になるとますます有利になります。難しい本文を読解しようと焦っている受験生をしり目に、正解を巧妙に隠している選択肢の特徴をつかみ、消去法で正解を割り出す作業に集中できるからです。

                             

                             

                             

                            誤解しないでください。こういった勉強を私はクソだと考えているのです。「作者の意図ではなく出題者の意図を見抜くことが重要だ」などと言って教えた気になっている国語教師を私は軽蔑します。ほとんどは塾教師でしょうが、塾に通って教師になった人の中には、この鉄則をいまだに信奉している人もいるかもしれません。教授法は連鎖するのです。

                             

                             

                             

                            同じ問題を角度を変えて考えてみましょう。日本の英語教育は平均的な中高生の皆さんが英語の小説や雑誌を読んだ経験がない、つまり読書体験が皆無に等しいことを前提にしています。したがって、国語よりもつまみ食い勉強に頼らざるを得なくなります。

                             

                             

                             

                            それでも国語で身につけたコツを英語に当てはめて高確率で正解する生徒もいます。昔からつまみ食い勉強をしていて、それほど語彙力もないのに「当たる」ので教師から褒められ、友達からも「地頭が良いからだ」と言われて、自分でもそう信じてしまうケースもあります。

                             

                             

                             

                            ちなみに、私は「地頭が良い」などという、わかったような言葉を平気で使う教師を信じてはならないと生徒たちに言っています。

                             

                             

                             

                            ではこういった生徒が高確率で正解するのはなぜでしょうか。彼らは模試や教科書の英文が持つ予定調和的な性質(ユーモアや道徳性や伝記的な要素あるいは環境問題等)を鋭く見抜き、授業の各局面で教師が求める反応を素早く推測できる「忖度力」を持っているからです。彼らは学校が本質的に持っている、いわば「権力の意図」を解読しているのです。

                             

                             

                             

                            ゆえに、英文が全く知らない分野のものである場合、例えばサイエンスに関するものであったり、医学に関するもの、植物の分布や地質学に関するものであったりすると、つまり道徳的教訓がみじんも含まれていない文章だと、「地頭」が機能しなくなります。権力の目くばせが少なすぎて、断片をつなぎ合わせることができないのです。

                             

                             

                             

                            そうなった場合、生徒は「最近突然英語が読めなくなった」と言います。この間の事情を説明しても、それを受け入れることができません。私の人の悪さのせいにしたり、自分の調子のせいにしたり、挙句は「この英語はなんかヘン」だと言い出します。あわわわ・・・

                             

                             

                             

                            自己中心的なつまみ食い読みは、文法構造を無視した、つまり書き手の意図を無視したモノにならざるを得ません。これは自分の知識体系の外に出ようとしない、閉ざされた回路の中に安住することを意味します。

                             

                             

                             

                            読解とは自分が知っていることを確かめるための退屈な作業ではありません。本来ならワクワクする実り多き瞬間のはずです。なぜなら、考えもしなかった世界観に出会い、自分の殻を打ち破る可能性を秘めたスリリングな体験に遭遇しているのですから。

                             

                             

                             

                            長くなるので続きは次回にしますが、「この英語はなんかヘン」という生徒には次のように言います。「この英語はなんかヘンだというなら、じゃあ日本語ならどうかな。次の文章を読んで内容をre-tellingしてみてよ」と。

                             

                             

                             

                            その文章を以下に挙げておきます。高校生の皆さんはre-tellingしてみて下さい。それでは続きは次回。

                             

                             

                            神経伝達物質は、脳の神経細胞やグリア細胞、あるいは内分泌系や自律神経系における化学反応のもとで生成され、基本的にはシナプス細胞の中の終端近くに分布する小胞と呼ばれる小さな袋の中に貯えられて、その細胞内を伝わる活動電位が細胞の終端に達すると、細胞膜の間の電位差で開くイオンチャンネルを通ってシナプス結合の間隙に放出される。『心と脳―認知科学入門』(安西祐一郎著、岩波新書)

                             

                             

                            | 高校生の皆さんへ | 20:20 | comments(0) | - |
                            つまみ食い勉強から論理の糸をたどる勉強へ ― その2
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                               前回のブログの続きです。外国語であれ日本語であれ、言葉を学ぶということは社会的な階層や出自に関係なく、すべての人が現実を認識し、それに対処するための武器を手に入れることを意味します。

                               

                               

                               

                              ブログでしつこいくらい言ってきたように、言葉が歪めば世界が歪みます。安倍・菅政権は8年かけて言葉を歪め、世界を歪めてきました。そして、歪めた世界を実像であるかのようにそのまま垂れ流し、愚民化に手を貸したのがわが国のマスメディアです。統治機構の劣化はとどまるところを知りません。

                               

                               

                               

                              日本政府がコロナクライシスに対して無為無策なのは、現実を認識できないからです。安倍・菅政権が言葉を侮蔑し、歪め、メディアが見てみぬふりを決め込んだ結果を私たちは今目の当たりにしているのです。

                               

                               

                              この件についてはここまで。

                               

                               

                              以下、高校生の皆さんに、英語の勉強に先立ってぜひとも身につけておくべきことを書きます。一言でいうと論理の糸をたどるにはどうすればいいのかということです。前回のブログでも書きましたが、英語の発想はS+V感覚がすべてです。でもこのことが身体感覚のレベルで分かっている人は少ないのです。

                               

                               

                               

                              英語の読み方(もちろん話し方も)に関して、やれフレーズリーディングだ、パラグラフリーディングだ、ディスコースマーカーに注意せよ、などといったカタカナ勉強法が塾・予備校を中心に宣伝されてきました。

                               

                               

                               

                              果ては、左から右に読めというものまであります。英語を他にどう読めと言うのでしょうか。右から左に?上から下に?右斜め下から?それとも左右から中心めがけて読む?カメレオンじゃあるまいし。

                               

                               

                               

                              こういうもっともらしい指導法が招いた結果が、つまみ食い的・断片的速読です。例えば以下の英文を見て下さい。塾で実際にやったものです。

                               

                               

                               

                              私「以下のセンテンスをじっくり3度読んで、内容をre-tellingして下さい。ただし前回言ったように必ずセンテンスの形で語って下さい。焦る必要はありません。」

                               

                               

                              The transfer of slaves from one part of the South to another was one of the most important consequences of the development of the Southwest.

                               

                              難しい単語はtransfer(移動)、consequences(結果)くらいです。

                               

                               

                              A君の答を聞いてみましょう。

                               

                              「こんなの楽勝っス。南部のある場所から別の場所に奴隷たちが移動して南西部が発展した、ということです。先生もこんな簡単な文を読ませるなんて人が悪いなあ。」

                               

                               

                              周りを見るとみんな頷いています。

                               

                               

                              私「A君と違う答えの人はいないの?じゃあ確認するよ。南部のある場所から別の場所に奴隷たちが移動して南西部が発展したということは、奴隷の移動が原因で、南西部が発展したのが結果ということだね。間違いないね?」

                               

                               

                              生徒たちは自信たっぷりに「はい」と答えます。

                               

                               

                              こういう時、私は下を向いてしばらく黙ります。それで生徒たちは少し不安になって考え始めるのです。

                               

                               

                              A君いわく「Transferとconsequencesは難しい単語だけど、この前勉強したからバッチリだと思うんだけどなあ、でも先生が原因と結果を問題にする時はやばい気がする・・・」

                               

                               

                              B君いわく「いや、例の引っ掛けだよ。答えが合っていても先生はわざと間違ってるような顔をするからなあ。人が悪いよ・・・」

                               

                               

                              私「人が悪いのは置いといて、君たちの答えは全員✕です。

                               

                              The transfer of slaves = one of the most important consequences

                               

                              この文は、奴隷の移動 = もっとも重要な結果の一つ、という意味だよね。奴隷の移動は結果になってるんだけど。さっきの君たちの答えとは正反対じゃないの?」

                               

                               

                              生徒たち「・・・・」

                               

                               

                              私「原因と結果を取り違えるのは、君たちに英語力がないからか、それとも日本語力がないからかな?実はどちらでもないのかもしれない。今日の授業の中心は君たちが完全なる誤読をした原因を考えることにあります。要は、つまみ食い的・断片的・自己中心的読みがなぜ起こるかということです。」

                               

                               

                               

                              英語の発想はS+V感覚がすべてだと言いました。この感覚なしに正確なre-tellingはできません。おそらく生徒たちは、カタカナ勉強法、特にフレーズリーディングと速読にせかされた結果、出てくる単語を「順番に」つまみ食いして、英文を次のように読んだのです。

                               

                               

                              The transfer of slaves / one of the most important consequences / the development of the Southwest.

                               

                               

                              「奴隷の移動 / もっとも重要な結果の一つ / 南西部の発展」

                               

                               

                              英語という言葉の本質とは関係のない、塾が発信するキャッチ―なカタカナ勉強法を信じるとこういう結果になるのです。次回はこの点を踏まえて、もう少し発展的な問題にチャレンジします。 

                               

                               

                              | 高校生の皆さんへ | 13:05 | comments(0) | - |
                              つまみ食い勉強から論理の糸をたどる勉強へ ー その1 
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                                前回のブログでは、勉強する気が起きない高校生に自分の経験を述べました。「Eテレ」の二つの番組を紹介しましたが、それでも抽象的で難しかったという感想を持つ人が多かったかもしれません。

                                 

                                 

                                 

                                そこで今回は、勉強する気にならない理由を普段の勉強方法に絞って具体的に述べてみます。以下は塾の授業(英語)内容です。

                                 

                                 

                                 

                                では始めます。

                                 

                                まず以下の文章を読んでください。山川出版の『詳説世界史研究』の中のフランス革命に関する一文です。じっくり2回読んで、空欄を埋めてください。

                                 

                                 

                                ・フランス革命が反対派を抹殺する(    )の独裁、さらには(    )による他のヨーロッパ諸民族の抑圧という結果に終わると、理性に対する信頼は失われ、(    )を中心に個人の感情や想像力を重んじ、過去に回帰して歴史や民族の伝統を尊重する(   )が支配的になった。

                                 

                                 

                                 

                                答えは順に、ジャコバン派、ナポレオン、ドイツ、ロマン主義です。

                                 

                                 

                                学校の定期テストみたいですね。どうです、出来ましたか。では次に文章を見ないで以下の質問に答えてください。

                                 

                                 

                                1:フランス革命後、ドイツを中心にロマン主義が支配的になったのはなぜですか。

                                 

                                2:そもそも、フランス革命は理性を重んじたのですか、軽んじたのですか。

                                 

                                 

                                 

                                穴埋め問題にはスラスラ答えられても、こういう問いになると詰まる人が多いのではないでしょうか。なぜか?つまみ食い的・断片的な勉強を勉強だと勘違いしているからです。

                                 

                                 

                                 

                                皆さんは re-telling をご存じですか。簡単に言うと、このようなアカデミックな文章を読んだ後、文章を見返すことなく内容を他者に向けて語ることを言います。以下に、つまみ食い的な勉強をしているA君の re-telling を再現してみます。

                                 

                                 

                                 

                                「え〜と、フランス革命の話で、ジャコ天派?とか、ナポレオンが出てきて、オレにもジャコ天をよこせとか言って、ヨーロッパを弾圧する。はは、冗談です。それから理性がどうのこうの。えーっと、そもそも理性の意味が分かりません。で、ドイツは伝統に回帰してロマン主義?みたいな、そんな感じです。僕はロマン主義よりマロン主義がいいです。」

                                 

                                 

                                なかなかいいですね。特にジャコバン派をジャコ天派と言い、ロマン主義よりマロン主義などと言うあたり、私のしょうもないダジャレの趣味が出ていて大変よろしい。なはは・・

                                 

                                 

                                 

                                でも、こういう断片の羅列というか、つまみ食い的勉強を続けていては成績が上がらないどころか、新しい知識を獲得することができなくなります。せいぜいテレビの早押しクイズに強くなるだけです。つまり条件反射的パフォーマンスを最大化するのに役立つだけです。

                                 

                                 

                                 

                                では、あなたの全体的な知性を高め、必要な時に知識を取り出すにはどうすればいいのでしょうか。まず、知識は断片ではない、ということを肝に銘じておきましょう。新しい知識の獲得はセンテンス、つまり主語と述語を含んだ文章の形で蓄積しなければならないのです。

                                 

                                 

                                 

                                前述のA君の re-telling には主語と述語がきちんと対応しているセンテンスがありません。羅列です。つまみ食いなのです。これでは思考が明晰になることはありません。それを象徴するのが「みたいな」という言葉です。これは文章の主体をぼかす、責任回避の言葉です。

                                 

                                 

                                 

                                以上のことを踏まえると、先の文章は3つの主語と述語で構成されていることが分かります。re-telling は以下の3つの文をつなげばいいのです。

                                 

                                 

                                1:フランス革命終わると

                                 

                                2:理性に対する信頼失われ

                                 

                                3:ロマン主義支配的になった

                                 

                                 

                                これでお判りでしょう。ある文章を理解するには、センテンスの形で脳内に蓄積しなければなりません。つまみ食い的・断片的な勉強では、新しい知識を獲得できないのです。テストが終われば忘れてしまうのでは、あまりにももったいない。

                                 

                                 

                                 

                                これは意識すれば誰にでもできます。これができると、先の二つの質問にも簡単に答えられます。

                                 

                                 

                                1:フランス革命後、ドイツを中心にロマン主義が支配的になったのはなぜですか。

                                 

                                2:そもそも、フランス革命は理性を重んじたのですか、軽んじたのですか。

                                 

                                 

                                 

                                1:の答えは、理性に対する信頼が失われたから、です。センテンスの形で理解すれば、因果関係がはっきりするのです。

                                 

                                2:の答えは、重んじた、です。

                                 

                                 

                                 

                                つまみ食い的・断片的な理解をした人は、軽んじた、と答えたはずです。なぜならフランス革命…反対派を抹殺…独裁…抑圧…信頼は失われ…、と読んできて、なんとなくマイナスイメージだな、だからフランス革命は理性を軽視したんだな、と考えるのです。

                                 

                                 

                                 

                                余談ですが、これはネトウヨの思考そのものです。彼らはつまみ食い的・断片的な知識を都合よく組み合わせているだけです。「思想」や「学術」に対して反感を持っているので、ネガティブな意見に賛同するのです。理解できないもの=悪というわけです。それでやたら大声でわめくのです。

                                 

                                 

                                 

                                今の若い人たち(特に20代〜30代の人)は、すぐ役に立つ仕事術や勉強方法には飛びつきますが、「思想っぽい」話になると毛嫌いする人が多いようです。ライフハック(情報処理業界を中心とした「仕事術」のことで、いかに作業を簡便かつ効率良く行うかを主眼としたテクニック群)が人生でもっとも重要で、歴史や哲学や文学などは無用の長物だというわけです。

                                 

                                 

                                 

                                彼らはアベ・スカ政権を支持し、ホリエモンや竹中平蔵を尊敬し、学術会議の任命拒否を当然だと考える人たちです。どうすればかくも短絡的で無知で日本語能力を欠いた集団が出来上がるのか、それは上で述べた理由によるのです。

                                 

                                 

                                 

                                おやおや、つまみ食い的・断片的勉強が英語の理解にどれほど障害となっているかを話すはずでした。詳細は次回に譲ります。それにしても、まともに英語が読めれば、かのY田ゼミ塾長のように、いまだにトランプのたわごとを信じて応援するようなみっともないことはしないでしょうに。つまみ食い的・断片的勉強は事実と妄想の区別すら危うくするのです。

                                 

                                 

                                | 高校生の皆さんへ | 19:54 | comments(0) | - |
                                勉強する気が起きない高校生の皆さんへ。
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                                  いろいろな勉強方法を試した、塾にも行った、先生にも相談した、でも一向にやる気が起きない高校生の皆さん、あなたはまともなのです。やるべき時にやれないのは勉強からの逃避だ、怠惰なだけではないか、という声も聞こえてきそうです。

                                   

                                   

                                   

                                  残念なのは、そういった声を信じ、やっぱり自分は意志が弱いのだ、目の前の課題にまじめに取り組めない人間は社会で必要とされないのではないか、と考えて自らを苦しめている人が多いことです。特に大学受験を目指す進学校の生徒さんに多いような気がします。

                                   

                                   

                                   

                                  これまでブログで何度も述べてきましたが、国家を近代化するために必要とされた学校の役割は終わったのです。今や、学校は格差を再生産するための、あるいは人間をブランド化するための匿名のシステムになっています。

                                   

                                   

                                  ブランド化とは人間を知能指数でランク付けし、将来的に労働市場において高値で売れる人間(富裕層予備軍)とそうでない人間を、入試という「社会的な合意」のもとに選別することを言います。

                                   

                                   

                                   

                                  つまり、現在の教育は一種のゲームであり、そのなかで好成績を収めようとすれば、ゲームを競い合う友人と攻略方法に関する情報が必要になるのです。教育がカルト化しているということです。

                                   

                                   

                                   

                                  高校までにすでに選別が終わっているカルト集団の中にいて、問題の解き方や暗記の仕方を覚えて成績が上がればやる気になるのでしょうか。

                                   

                                   

                                  今や学校の成績は、極めて限られた仲間内だけで承認欲求を満たすための指標に過ぎません。そんな環境の中でやる気が起きるのであれば、あえて言わせてもらいますが、その人の品性は下品です。

                                   

                                   

                                   

                                  では、どうすればやる気が起きるか、僕の経験を語りましょう。僕の場合は自分が「今どこにいるのか」を知りたい、比喩的に言えば、記憶を失った人間が記憶を取り戻すことによって、自分がどこの誰かを知りたいと痛切に思うようになった時期と重なっています。そう思わせる本との出会いがありました。さもなければ、既存の社会システムに乗っかって他人に利用されるか無意識のうちに利用する側になっていたでしょう。

                                   

                                   

                                   

                                  国家的な規模で言えば、他国を経済的にあるいは軍事的に侵略する片棒を担がされる人間になるということです。何を大げさなとあきれるでしょうか。しかし、よく考えてください。僕たちの小さな悩みは世界とつながっているのです。

                                   

                                   

                                  そのきっかけは、浪人生活を送ることで、考える時間的余裕を持てたことが大きいですね。いわば社会の外から社会を見たのです。それは高度経済成長がもたらした余裕の産物だったのかもしれません。日本社会の感情の劣化が加速度的に進む以前の、同世代に共通経験があった時代のことです。僕のようなボンクラでも、自由な時間が与えられれば、それなりに考えるようになるのです。

                                   

                                   

                                   

                                  最後に、歴史や社会構造の中で自分が「今どこにいるのか」を知るためにもってこいの番組があります。12月のNHKのEテレ『100分de名著』の中で、ブルデューの「ディスタンクシオン」が取り上げられています。

                                   

                                   

                                  簡単に言うと、個人的な領域であるはずの趣味や嗜好が、社会構造に傾向づけられていることを論じた20世紀の社会学おける金字塔と言ってもよい名著です。解説は立命館大学先端研教授の岸政彦さんです。社会学者らしからぬ文章を書く人で以前から注目していました。NHKのテキストも発売中です。ぜひ買って読んでみて下さい。

                                   

                                   

                                   

                                  同じくNHKのEテレ『100分de名著』の1月は、ブログでも紹介した斎藤幸平さんの解説で、マルクス の「資本論」です。様々な毀誉褒貶から解放されて、人類の遺産として自由に読まれる時期が到来しているのだと思います。もし高校生のあなたが、真っ当で知性ある人間になりたければ、この本を避けて通ることはできません。まずはEテレを観てください。

                                   

                                   

                                   

                                  ちなみに、僕がNHKの番組を見るのは、ほとんどがEテレです。民放では作り得ない番組が多いからです。ところが菅義偉首相のブレーンである高橋洋一・嘉悦大学教授が、大胆なNHK改革案として教育放送「Eテレ」のチャンネル売却を言い出しています。「NHKの分割・民営化はいっぺんにはできない。まず手をつけるべき改革は、教育チャンネル(Eテレ)の売却です。」とのことです。これが何を意味するか。学術会議の任命拒否と同根なのです。

                                   

                                   

                                  | 高校生の皆さんへ | 14:01 | comments(0) | - |
                                  アニメ『銀河英雄伝説』で学ぶ政治の言葉。
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                                    真実とは、誰でも知っているけれど、誰も口にしたがらないものです。それは、見ようと思えば誰にでも見えるものですが、損得を考えて見ないことにしているものです。いや、真実を口にし、自分の目で見ることは自分を危険にさらすことだと分かっているのです。

                                     

                                     

                                     

                                    現状を正確に認識することには苦痛がともないます。多くの人がうすうす気づいていることを明晰に表現することは難しいですし、知的作業の中で最も困難なことかもしれません。しかし、それは一瞬にして世界が開かれる感覚を私たちにもたらします。この感覚は人間が生きる上で最も必要なものです。必要なのは勇気です。

                                     

                                     

                                     

                                    政治や権力、そして国家について語ることはダサいことでしょうか。むずかしいことでしょうか。しかし、繰り返しますが、それはだれでも知っていることであり、見ようと思えばだれにでも見えるものです。秋のさわやかな空気の中で、風のコースを感じながら、香ばしい一杯のコーヒーを飲むようなものです。

                                     

                                     

                                     

                                    アニメ『銀河英雄伝説』は真実のことばの宝庫です。閉塞し、よどんだ空気を吹き飛ばす力があります。もし高校生の皆さんが、『銀河英雄伝説』を熟読すれば、政治家はもとより、誰と語り合っても有意義な時間を過ごせると思います。以下は「名言集」の中のごく一部です。

                                     

                                     

                                     

                                    ・民主主義とは「迂遠」なものさ。そして、その迂遠さにあきれた民衆は、いつも言うのさ。「偉大な政治家に強大な権限を与え、改革を推進しろ」とね。民衆はいつだって「専制者」を求めていたのではないか?

                                     

                                     

                                     

                                    ・政治の腐敗とは、政治家が賄賂を取ることじゃない。 それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。 政治家が賄賂を取っても、それを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。

                                    (これは次のようにも言えます。政治の腐敗とは、政治家が平気でウソを言うことじゃない。 それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。 政治家がウソを言っても、それを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。)

                                     

                                     

                                    ・人間の行為の中で何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦争へ送り出すことです。

                                     

                                     

                                     

                                    ・国家が社会的不公平を放置して、いたずらに軍備を増強し、その力を内に対しては「国民の弾圧」、外に対しては「侵略」というかたちで乱用するとき、その国は滅亡の途上にある。これは歴史上証明可能な事実である。

                                     

                                     

                                     

                                    ・人間が生きていくのに不可欠なものは、あくまで社会であって、何も国家である必要はないでしょう。

                                     

                                     

                                     

                                    ・権力は集中すればするほど、小さなところを抑えることによって全体を支配できます。

                                     

                                     

                                     

                                    ・私にとって政治権力というものは、「下水処理場」のようなものでね。無ければ困るが、自分から近づきたいとは思わないね。

                                     

                                     

                                     

                                    興味のある人は、以下のアニメをご覧ください。Prime videoで観ることもできます。

                                     

                                     

                                     

                                    | 高校生の皆さんへ | 22:12 | comments(0) | - |
                                    高校生の皆さんへ二冊の推薦図書。
                                    0

                                      このブログは政治にほとんど関心を持っていない若い人たちに向けて書いています。主に高校生や大学生の皆さんです。

                                       

                                       

                                      若い人が大人、特に政治家に対してほとんど何も期待していないように、政権批判をする人とコンビニの店員にクレームをつける人を同一視する若者に、私は何も期待していません。彼らは、学校教育を通過する中で批判精神をいつの間にか奪われ、あるいは同調圧力に迎合することでそれを捨てたのです。

                                       

                                       

                                       

                                      なら、何も書かなければいいじゃないかと言われそうですが、私は塾で出会う生徒さんの中に批判精神(自分の人生を生きるために何よりも必要なものです)の萌芽を発見することがあり、ああ、やっぱり若い人は社会の希望になりうると感じて、彼らを励ますためにブログを書いています。

                                       

                                       

                                       

                                      そもそも、日本の学校教育において「社会性を育む」ということは、上に立つ者の意図を忖度する能力を身につけることを意味します。その能力が高ければ高いほど社会性が身についていると評価されるのです。

                                       

                                       

                                       

                                      権力からの目くばせを敏感に察知できる人間は、根拠や理由を論理的に説明することを求められても、相手の注意をそらしたり、恫喝したり、すり替えや詭弁を弄して自分の都合のいい方向へ誘導しようとします。

                                       

                                       

                                       

                                      声がでかいだけのバカな政権応援団は「現実とはそういうものだから」というセリフで若い人たちを黙らせ、システムに押し込んでいきます。若い人たちは「そういうものとは、どういうものか!」と問うべきなのです。

                                       

                                       

                                      『部活で殺されないために − 言葉の力を信じる。』

                                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=294

                                       

                                       

                                       

                                      人間は自分の意見を述べ、自分の価値判断を下すことで幸せを手に入れることができる唯一の生き物です。生物としてのヒトは、ある言語体系に組み込まれて初めて人間になります。しかもその言語体系は自分では選べません。勝手に投げ込まれるのです。

                                       

                                       

                                       

                                      母親によってこの世界に産み落とされ、母親によって勝手にある言語を教え込まれます。それを受け入れなければ死ぬしかありません。つまり、母語と言われるように、言語によって初めて人間と社会に出会うわけです。言語でメッセージを交換してかろうじて生きることができる生物が人間なのです。

                                       

                                       

                                       

                                      そうやって出会った社会や国が、だんだん自分とそりが合わなくなってきたらどうするか。今の日本は政治・経済・文化のどれをとっても袋小路に追い込まれています。閉塞した出口のない社会です。弱いものがさらに弱いものをたたく社会です。

                                       

                                       

                                       

                                      それを突破するのは若い人たちの言語能力であり、文学的想像力であり、今この状況を見晴るかす歴史的な視座です。「今はない社会」を構想し、希求すること。これこそが人間の最も大きな自由なのですから。

                                       

                                       

                                       

                                      一度きりの人生でどんな仕事をするのか。世界はこれからどうなっていくのか。それを考えるための本を二冊推薦しておきます。高校生には難しいだろうとは思いません。難解だと思われる本も、ページを開いてじっと見つめる、そして何度も読むと分かってきます。ぜひ実行してみてください。それではまた。

                                       

                                       

                                      左『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・クレーバー著(岩波書店)

                                      右『人新世の「資本論」』斎藤幸平著(集英社新書)

                                       

                                       

                                       

                                       

                                      | 高校生の皆さんへ | 19:52 | comments(0) | - |
                                      Power to the people
                                      0

                                        今回の都知事選をネットで観ていてつくづく感じたことがあります。真実の声はいつも極端に聞こえるということです。素朴な疑問や思いをぶつけるだけでも、もはや、その声が通らなくなりつつあります。

                                         

                                         

                                         

                                        それでも、今回山本太郎の応援に駆け付けた湯川れい子さんの言葉を私は忘れません。彼女は84歳です。まぎれもなく自分の言葉で語ることのできる人です。そして、思い出したことがあります。2016年の参院選挙の時の三宅洋平氏のスピーチです。彼のことを選挙パフォーマーだとして貶めていた人もいますが、彼のスピーチはこれまでの政治家が決して吐けなかった言葉で満ちています。その生き方、風貌も含めて一種の知的エンターテイメントになっています。

                                         

                                         

                                         

                                        論より証拠です。ジョン・レノンの Power to the people の後にアップしておきます。高校生の皆さんに観てもらいたいですね。その結果、自分の中に何も生まれない人は、60歳を過ぎた私よりも精神が老化していると思います。

                                         

                                         

                                         

                                         

                                         

                                        Power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people, right on


                                        権力を人々の手に返せ。

                                        権力を人々の手に返せ。
                                        権力を人々の手に返せ。

                                        異議なし。

                                        Say we want a revolution
                                        We better get on right away
                                        Well you get on your feet
                                        And into the street


                                        声に出して言おう。
                                        我々は革命を求めている。
                                        すぐに取りかかろう。
                                        自分の足で立って
                                        街に出よう。

                                        Singing power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people, right on

                                         

                                        歌いながら言おう。

                                        権力を人々の手に返せ。

                                        権力を人々の手に返せ。
                                        権力を人々の手に返せ、と。

                                        異議なし。

                                        A million workers working for nothing
                                        You better give 'em what they really own
                                        We got to put you down
                                        When we come into town

                                        働いてもむなしさしか手に入らない100万人もの人々。
                                        さっさと出してもらおうか。
                                        おまえたちが手にしているのは
                                        本当ならその人たちのものだ。

                                        我々が街に入ったら
                                        ただじゃ置かない。

                                        Singing power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people, right on


                                        歌いながら叫ぼう。

                                        権力者に奪われた力を
                                        人々に返せと
                                        権力を人々に返せと。

                                        権力を人々に返せと。
                                        異議なし。

                                        I gotta ask you comrades and brothers
                                        How do you treat you own woman back home
                                        She got to be herself
                                        So she can free herself


                                        仲間のみんなに聞かなきゃならないことがある。

                                        自分の連れ合いの女性を
                                        家ではどんな風にあつかっている?
                                        彼女は彼女自身であるべきだ。
                                        彼女も自分を自由にしていいはずだ。

                                        Singing power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people
                                        Power to the people, right on
                                        Now, now, now, now


                                        歌いながら叫ぼう。

                                        権力者に奪われた力を
                                        人々に返せと
                                        権力を人々に返せと。

                                        権力を人々に返せと。
                                        異議なし。

                                         

                                         

                                         


                                         

                                        | 高校生の皆さんへ | 15:21 | comments(1) | - |
                                        小池百合子氏の英語。
                                        0

                                           

                                          トマトは料理の素材として欠かすことができません。我が家の定番料理はトマトを丸ごと茹でるかグリルしたものを使うことが多いのです。しかし、生であれ火を加えたものであれ、トマトの薄皮だけは苦手です。食事の時、薄皮をはいでいると、「なによ、その神経質そうな手つきは。子供じゃあるまいし」と妻にからかわれます。

                                           

                                           

                                          なぜこんな話をするかというと、トマトの薄皮から日本人の話す英語を連想するからです。日本人が英語を話すのを聞いていると、トマトの薄皮部分だけが英語らしきもので、中身は日本語の発想以外の何ものでもないのです。

                                           

                                           

                                          発音はネイティブスピーカー並みでも、いやそうであればあるほど、中身が英語の発想と程遠いと恥ずかしくなります。1年やそこら海外留学しただけで自分をネイティブだと錯覚しているような発音を堂々と聞かされるといたたまれなくなります。

                                           

                                           

                                           

                                          日本では、いわゆる「ネイティブスピーカー並みの発音」は英語学習者に優劣をつけ、差別するためのモノサシとして使われています。ここでは英語はコミュニケーションの手段以上のものになっているのですね。

                                           

                                           

                                           

                                          そもそも、ネイティブスピーカーとはだれのことを言うのでしょうか。世界の人口約73億人中、英語を話している人は約15億人ほどです。英語のネイティブスピーカーはその25%、4億人に満たないのです。残りの75%は第二言語として英語を習得している人たちです。

                                           

                                           

                                           

                                          ところで、日本人の英語を聞いていていたたまれなくなる最大のものは、センテンスのなかばあたりで主語を忘れてしまっているという事実です。自分が何を主題としてしゃべっているのかいつの間にか自覚を失っているのです。主語を忘れているからには動詞も忘れています。

                                           

                                           

                                           

                                          センテンスが終わるまで主語を拘束し続けるのが動詞のはずですが、それも意識していないようです。英語という言葉の特徴を全く理解していないからではないでしょうか。正用法としての英語とは、徹底して論理的であることを目指した言葉です。

                                           

                                           

                                           

                                          英語は問題をしがらみから切り離し、それを抽象物のように扱っていく性質を持っています。そしてその性質には因果関係をはっきりさせずにはおかない働きが内蔵されています。

                                           

                                           

                                           

                                          英語という言葉の働きがこのようなものである以上、その上に築かれた社会制度も同じ働きを持つはずです。つまり、この世のすべてを個人の好き勝手に任せておいたら、あらゆる不条理が積み重なって収拾のつかない混沌とした場所になる。だからなんとか条理と秩序を与えようとしてできたのが英語という言葉です。

                                           

                                           

                                           

                                          条理と秩序とは客観的な普遍性のことです。これなしでは成立しない社会を何とか成立させようとして機能するのが言葉です。だから言葉は社会制度そのものだと言えます。

                                           

                                           

                                           

                                          小池百合子氏の英語の特徴は、発音はそれらしく聞こえるものの、以上のことにまったく気づいていないところにあります。そんな状態で何について語ろうとも、責任をとるどころか、その問題に関して自分は一切何もしたくないと言っているのと同じなのです。

                                           

                                           

                                           

                                          とにかく自分を権力のある場所に置き、あとは「やってる感」をテレビで演出するだけです。そのために都民の税金を9億円以上も使っています。そこに電通が絡んでいるというお決まりの構図です。

                                           

                                           

                                           

                                          ブログで指摘したように、彼女の言葉は圧倒的多数者(自分の言葉を持たず、常に周囲の空気を読んで付和雷同する層)に向けて発せられます。個人に届く言葉を持っていません。個人に話しかけているように見えても、実際は無知で操作しやすい大衆や自分を支持してくれそうな政党幹部に話しかけているのです。あるいは同じ利害で結びついているメディアのトップに向けて話しているのがわかります。

                                           

                                           

                                           

                                          つまるところ、金と権力と自己顕示が目的の哀れな人間なのです。質問者や批判者に正対することができないのです。

                                           

                                           

                                          私は一人称で語ることのできない人の言葉は信用しないことにしています。それに対して、政治家の言葉は、自分に投票してくれそうな多数者を意識したものです。組織票とは自分の判断を放棄した、影のような人間が投じる票のことです。しかし、そういった多数者ほど頼りにならない移ろいやすいものはありません。

                                           

                                           

                                           

                                          ここまで読んでくださった方はすでにお気づきのことと思います。小池百合子氏の語り口は安倍晋三とそっくりだということに。

                                           

                                           

                                           

                                          彼らの語り口の特徴は「ただ今のご質問にお答えする意味からも、まずその前の段階からご説明申し上げますが・・・」と言って、質問をはぐらかして時間稼ぎをすることです。状況を俯瞰する客観的な見取り図を提示するフリをして、ただあやふやな事象やデータを羅列するだけです。

                                           

                                           

                                          全体はごく浅い主観の上に成り立っているので、「ご説明」の後に残るのは、ただ言うだけは言ったという、これまた主観的な満足感だけです。いつまでも総理大臣でいたい、いつかは総理大臣になりたいという願望に染め上げられているだけで、全体は常にのっぺりとしたとっかかりのないものに終始するほかないのです。

                                           

                                           

                                           

                                          本来彼らが提示しなければならないのは、責任や信念を明確にしたうえでの論理の筋道であるべきです。しかしそれこそが、彼らが一生かかっても提示できないものです。

                                           

                                           

                                           

                                          チェコスロバキア生まれのフランスの作家、ミラン・クンデラは次のように言っています。「人間の限界とは言葉の限界であり、それは文学の限界そのものだ」と。

                                           

                                           

                                           

                                          人は偶然この世界に産み落とされます。そして生まれてきた以上、自分という存在を引き受けるしかありません。言葉を知り、それを組み合わせることで自分の人生を生きようと試みる個人。その個人が投げ込まれる戦いの場としての社会。その社会が言葉とともに持っている、万人に開かれた戦いの場としての公共性。その公共性の中で尽くされる論議。論議の中で鍛えられ洗練されていく言葉。そこから生まれる条理と秩序。そして真正な感情。

                                           

                                           

                                           

                                          そんな社会ははるか遠くの雲のかなたにかすんで見えるかもしれませんが、風が吹けば思わぬ近さに存在していてびっくりするかもしれません。生きているうちにびっくりしたいものですね。

                                           

                                           

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