高校生の皆さん、こんにちは。2023年も1カ月が過ぎました。今回は、久しぶりにある寓話を紹介しましょう。
その前に一言。世界を変えるのは実は簡単です。それは途方もなく難しいものだと教育を通じて思い込まされてきただけです。その思い込みから「一抜けた。や〜めた」と言って自分の世界を取り戻せばいいのです。
その先はどうするのかですって?そんなことは知りません。ただ周りからの冷たい視線はのらりくらりとかわし、親や教師からの説教は黙って聞いているフリをすればいいのです。彼らが内面化している価値や生き方を決して否定してはなりません。生き抜くための戦略を立て、したたかにならねばなりません。
スケッチブックをかかえて外に出て絵を描きましょう。今日からあなたはセザンヌです。釣り竿片手に釣りに出かけましょう。バンド仲間を募って街で演奏しましょう。社会からドロップアウトしたフリをするのです。フリが3日経ち1週間経ち、1か月経つうちにあなたは当然だと思っていた世界が色あせていくのに気づきます。
前にも書きましたが、社会を維持するのに必要なシステムを生きている人に、その外で生きることの心地よさを説いても無駄です。「統一教会」の信者を改宗させるが難しいのと同じです。
なぜこんなことを言うかというと、それほど私たちの人生は思い込みに支配されていると言いたいからです。そこから逃れるためには、権力を支えているのは民衆自身であるという事実を自覚することです。今回の寓話はそのために引用しました。
では「猿の主人」の寓話です。
昔、封建時代の楚の国に、猿を召使いにして暮らしている老人がいました。楚の国の人々は、彼を「猿の主人」と呼んでいました。
毎朝、老人は中庭に猿たちを集め、その中の老猿に命じました。若い猿たちを山へ連れて行き、茂みや木から果実を採ってくるように、と。
収穫の十分の一を老人に献上するのがルールでした。それができない猿は、無情に鞭で打たれたのでした。猿たちはみな惨めな苦しみを味わっていましたが、敢えて不平を訴えようとする者はいませんでした。
ある日、小猿が他の猿に尋ねました。
「果樹や林の木は、あの老人が植えたの?」と。
聞かれた猿は答えました。
「いや、自然に生えてきたものさ」
猿たちは言いました。
「いや、誰が採ってもいいものだ。」
小猿は続けて尋ねました。
「それじゃあ、なぜ老人に飼われてなきゃならないの? なぜ彼の召使いじゃなきゃいけないの?」
小猿がそう言い終るか終わらないかのうちに、猿たちはみなハッと気づきました。
その夜、老人が眠りに落ちるのを見届けて、猿たちはこれまで閉じ込められていた囲いの柵を外し、囲いそのものを破壊しました。また老人が蔵に貯めていた果実を盗み出し、それを持って森へ逃げ、二度と戻りませんでした。その結果老人はついに飢え死にしました。
郁離子曰く、「世の中には、正当な原理ではなく、策略によって民衆を支配する者がいる。まるで猿の主人のようではないか? 彼らは、頭の中が雑念で混乱していることが分かっていないのだ。民衆が目覚めるやいなや、彼らの権謀はもはや効力を持たなくなる」と。
以下は過去記事からの引用です。寓話を読んだ後では、また違った読み方ができるのではないでしょうか。よろしければコメント欄に感想をお寄せください。
・政治家とはそれほど偉いものかね?政治家は社会の生産に何ら寄与しているわけではない。市民が収める税金を公正にかつ効率よく再配分するという任務を託されてそれに従事しているだけの存在だよ。彼の言う通り政治家は社会機構の寄生虫でしかないのさ。それが偉そうに見えるのは宣伝の結果としての錯覚に過ぎんよ。
・民主主義とは「迂遠」なものさ。そして、その迂遠さにあきれた民衆は、いつも言うのさ。「偉大な政治家に強大な権限を与え、改革を推進しろ」とね。民衆はいつだって「専制者」を求めていたのではないか?
・人間の行為の中で何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦争へ送り出すことだ。
・国家が社会的不公平を放置して、いたずらに軍備を増強し、その力を内に対しては「国民の弾圧」、外に対しては「侵略」というかたちで乱用するとき、その国は滅亡の途上にある。これは歴史上証明可能な事実である。
・政治の腐敗とは、政治家が賄賂を取ることじゃない。 それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。 政治家が賄賂を取っても、それを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。
アニメ『銀河英雄伝説』より。
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