今回のタイトルは、売り上げ至上主義の低劣な出版社が出す本の題名のようで気が引けます。『受験は母親が9割』だの『英語で一流を育てる』だの『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』などというタイトルが、いったいどのような読者をターゲットにしているか、ブログをお読みいただいている方にはもうお分かりでしょう。
この種の本は自分の頭で考えることのできないバカな読者をターゲットにしているのです。上昇志向・ブランド志向を刺激するバカ本ですが、中身は詐欺そのものです。
過去記事
「ビリギャル本」の詐欺性について
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=292
前置きはこのくらいにしてさっそく魔法の言葉をお教えしましょう。ただし、正確には「考える力がつく魔法の言葉です」。
それは「そもそも」という言葉です。物事の本質を考えたり、問題がどこから生じているかその原因を考えたりするときに、私たちが思わずつぶやく言葉です。逆に、「そもそも」とつぶやけば、私たちを原理的・本質的な思考にいざなってくれます。言葉は恐ろしいですね。
少し例を挙げてみましょう。学校でこれから新しい単元を学習するときに、あるいは学習が終わった時につぶやくのです。そもそも化学反応とは何か、そもそも虚数とは何か、そもそも酸とアルカリとは何か、等々。
そして先生に質問するのです。ただし、1分で説明してくれるように頼みましょう。「そもそも、指数関数と対数関数はどのように関連しているのですか。」などと。実力のある先生は必ずや1分で説明してくれます。
1分で説明するためには、日頃から余分なところを切り落とし、関連個所とのつながりやその単元を学習する意味を考えていなければなりません。それを可能にするのが「そもそも」という小さな言葉なのです。
授業中に「そもそも」という言葉を使う先生はいい先生です。もっとも、「そもそも」と言いながら、わが国の首相のようにちっとも「そもそも」になっていない説明をダラダラと続ける人もいます。そういった説明を聞いていると確実に頭が悪くなるばかりでなく、考えることもできなくなります。
ところで、皆さんは「ミラーニューロン」をご存知でしょうか。聞いたことのある人も多いと思います。1996年にイタリアのジャコモ・リゾラッティがサルの実験で発見しました。
例えばサルがもの持ち上げる動作をすると、それに伴って脳の一部が活動します。ところが驚くべきことに、その脳の同じ部位が、他のサルがものを持ち上げる動作を見ているだけでも活動するのです。自分が運動しているときだけでなく、他者の運動を見ているときにも、あたかも自分がその運動をしているように脳が活動するのです。これを「ミラーニューロン」と言います。
何が言いたいのかというと、私たちは生まれつき他者と共感する強い能力を持っているということです。言い換えれば、私たちは他者の思考から強い影響を受けるようにできているのです。学ぶことは影響を受けることです。それは生き延びるために私たちのDNAにインプットされた神秘的な力です。
つまり、「そもそも」という言葉を使って原理的・本質的な思考をする教師の授業を受けていると、生徒もおなじように思考できるようになるのです。そして、そういった思考は必ずや他分野へと波及します。結果、言われたことを鵜呑みにするのではなく、疑問を持ち、物事を批判的に見るようになります。
こうやって知性が誕生するのです。以前、知性は独自性ゆえに個人の内部にとどまり、いわば命を宿し呼吸しているので感じるほかないものだと言いました。知性はその人の生き方から分泌されるもので、時間や量で切り売りできる知識とは違うのです。ましてやいわゆる学歴とはまったく関係ありません。
過去記事
『知性とは生死の「機微」をつかむことから生まれる美意識である。』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=384
しかし、「そもそも」などと考えていたら、時間がいくらあっても足りないだろうと考える人もいるでしょう。そうなのです。学ぶことは時間との勝負だと考えている人にとって「そもそも」思考は障害以外の何ものでもありません。ここに受験勉強の大きな落とし穴があります。
例の「佐藤ママ」はこの落とし穴に落ちた典型的な「善意」の人です。「善意」ですから歯止めが利きません。自分は社会に求められていると勘違いして、出版社や塾と協力して他人も巻き込みます。
社会的には何ら責任を果たしていないにもかかわらず、4人の子供が東大医学部に合格したというだけでまるで偉業を達成したかのごとく持ち上げる出版ジャーナリズムはいよいよ末期です。
実際には、大学合格のための精緻なマニュアルを手に入れ、ある種の情熱と家庭環境にものを言わせて、それを忠実に実行したに過ぎません。「佐藤ママ」は自己承認欲求のかたまりであり、それがエスカレートして最近では常識外れのレベルにまで達しています。この件に関しては次回触れるつもりです。
最後に「そもそも」が波及していく例をお目にかけましょう。全部を挙げることなど到底できません。「そもそも思考」は、たえず発展・生成し続けるものであり、すべてが関連しているからです。それに気づけば、人は自ら永久に学び続けるのです。
あなたは以下の問いに1分で答えられますか?
・そもそも言語とは何か。
・そもそも私たちが見ている世界は同じなのか。
・そもそも幸せとはなにか。
・そもそも社会とは何か。
・そもそも何のために学ぶのか。
・そもそもなぜ学校に行かなければならないのか。
・そもそも資本主義とは何か。
・そもそも貨幣とは何か。