昨夜、お泊まり会をした孫たち。「こわ〜い話」を聞いたり、いっしょに風呂に入ったりして、さすがに疲れただろうと思っていると、朝6時前から起き出して、うるさいことこの上ないのです。私に感情をかき乱されて、みんな興奮さめやらずといった様子です。
「ニワトリ見に行こう。だっこしたい!」という孫たちをなんとかなだめて、朝食を摂らせます。そしてニワトリ小屋へ。大きな卵が6個、産卵箱の中に並んでいます。一人ずつ中に入って、卵を採らせます。「今日はおやつに卵を使っておじいちゃん特製のドーナツを作るぞ」と言うといっせいに歓声が上がります。
そして、以下の画像となりました。
潮干狩りならぬ、ミミズ狩りです。私が地面を掘るとミミズが出てきます。それを目指してニワトリたちが一斉にやってきてついばみます。子供たちも「やってみたい!」となります。
ニワトリにお尻をつつかれた小3の真美ちゃんいわく。「大丈夫かなあ?病気になったりせん?」私いわく「大丈夫だよ。ただ、夜になると肩からニワトリの羽が生えてくるかも。朝起きて鏡を見てごらん。真美ちゃんの顔が、ニワトリになっているから」「・・・・」
幼稚園の年中さんのキー君いわく。「ニワトリのフンを踏んだ。うわっ、きたね〜」私いわく。「心配せんでいい。ニワトリのフンを踏んだら、羽が生えて飛べるようになるけん。じいちゃんも、小さい時、馬のクソを踏んで走るのが速くなったんぞ」。で、この画像はニワトリになって飛ぼうとしているキー君です。
昨日のブログで、卵配達人になったことを紹介しましたが、もらった人は例外なく「昔は、うちもニワトリを飼っちょったんで」と言います。私がニワトリを飼おうと思ったのも、幼少の頃の農家の暮らしが頭にあったからです。このあたりの農家はどこもニワトリを飼っていたのです。牛やヤギを飼っているところも珍しくありませんでした。
そういう農家の風景や思い出によって、私の感受性が養われていることを痛感するのです。幼少年期の体験や記憶ほど本人の自覚しないところで私たちに影響を与えているものはないような気がします。
こどもの魂はどこで育つのか
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=174
昔、イタリア人だったかドイツ人だったかがおもしろいことを言っていました。 「なぜ一日は24時間あるか知っているか?8時間は働くため。 8時間は眠ったり食事したり、自分自身のため。残りの8時間はコミュニティのためにある」と。
日本人はコミュニティのために時間を使うのが苦手のようです。定年退職をしてからではなく、幼少のころから残りの8時間をコミュニティのために使うのが当たり前だと考える教育は、いつになったら実現するのでしょうか。