安倍首相は野党議員に向けて「私は総理大臣なんですよ」という言葉を何度も発しました。自分のことを「立法府の長」とも言いました。これは言い間違いではなく、自分はこの国の最高権力者であり、それゆえ何でもできるのだという幼児並みの思い込みを吐露したものです。
普通「何でもできる」には、違法でなければという条件がついているのですが、法律に無知であるために、自分がやっていることが違法かどうかという判断ができません。いや、薄々違法だと分かっているのかもしれません。でも、それをいさめる人間が周囲にいないのをいいことに、行動はエスカレートするばかりです。わがまま勝手に育てられた子供の行動がエスカレートしていくのと同じです。
わがまま勝手な子供の行動は周囲の大人によってたしなめられなければなりません。親がその責任を負っているはずですが、今では親の規範意識や公共に対する考えそのものが変質してしまいました。
養育が教育になり、受験教育になった結果、親の仕事は子供が学校でいい成績をとれるように環境を整え情報を収集することだと見なされるようになりました。「佐藤ママ」は、こういったイデオロギーを普及させるべく、講演のために全国各地を飛び回っているのです。
しかし、子供に本当に幸福な人生を送ってもらいたいと思えば、子供が平気でウソをついたり、自分の利益のために他人を利用したり、差別的な言葉を無神経に使ったりした時には、親は烈火のごとく怒らねばなりません。実はこれこそが記憶に残る親だけができる教育なのです。
政治の世界では、総理の脱法行為や公文書の改竄を厳しくたしなめる役は、ジャーナリズムが負うべきもののはずでした。しかし、NHKを始めとして大手マスコミは、大本営発表をそのまま伝えるだけの存在に堕しました。
自分たちの仕事は事実を伝えることで政権批判をすることではないといった屁理屈をこね、喜んで総理との夕食会に参加しているのです。彼らが「桜を見る会」を批判できないのも当然です。
一昔前、ジャーナリズムの世界には本当に優秀な人が集まっていました。村上春樹氏が言うように、「知性の総量は変わらない、時代によって偏在しているだけだ」というのが正しいとすれば、真に知性ある人はどこに行ったのでしょう。
そもそも、知性は量で測れるものなのでしょうか。質こそが問われるべきではないでしょうか。私はNHKや読売新聞、産経新聞が本来のジャーナリズムの仕事に復帰できるとはとうてい思えません。この8年余りの彼らの堕落ぶりをどうやって総括できるというのでしょうか。
『知性とは生死の「機微」をつかむことから生まれる美意識である。』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=384
この国の夜明けはまだまだ遠いと思わざるを得ません。それを再確認したのが以下の動画です。
2020年2月6日に行われた「桜を見る会」野党追及本部による32回目のヒアリングです。時間が許せば全部を見てほしいのですが、どうしても時間が取れないという方にはせめて1:07分から後、5分だけでも見てほしいと思います。
弁護士の小野寺義象氏と泉澤章氏の指摘は、庶民感覚に合致する真っ当な議論です。安倍首相が政治資金規正法の立法趣旨など全く理解していないことが分かります。特に第二条の2を。
政治資金規正法
第二条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。
2 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない。