学生時代、私はロシア語とロシア文学を学びました。アフターケアを怠って、今ではロシア語は簡単な挨拶を除けば、大部分は忘れてしまいました。それでもロシア文学の素晴らしさは、底抜けにお人よしのロシアの民衆とともに、私の心に深く刻まれています。
夏休みになると決まってトルストイの『戦争と平和』を読みました。プーシキンや大好きなチェーホフ、そしてドストエフスキー。文学の素晴らしさを教えてくれたのも、これらの大作家や詩人たちでした。
トルストイのことをいろいろと調べているうちに、北御門二郎氏に出会いました。極刑を覚悟のうえで、自らの信念に基づき徴兵拒否を行なった気骨の人でした。そして私は氏の生き方や考え方に大きな影響を受けたのです。
画像は私の書斎にある北御門二郎氏が訳したトルストイ3部作です。晩年は、氏のように晴耕雨読の生活がしたいですね。ただし、強烈な反骨精神を内に秘めて。
以下はみすず書房から出版された北御門二郎氏の『ある徴兵拒否者の歩み』の紹介文からの引用です。
引用開始
― 著者は北御門二郎(1913-2004)。『アンナ・カレーニナ』『イワンの馬鹿』などの生き生きとした訳文で多くの読書人に愛されたトルストイ翻訳家です。
熊本のギリシャ正教の家庭に育った北御門は、旧制高校時代にトルストイと出会い魂を震撼させられました。「トルストイを原文で読むため」にロシア語の習得を立志し、東大英文科に在籍しながら、ロシア語を学ぶためにハルビンに渡りました。そこで知った日本軍の残虐行為に戦慄を覚えた北御門は、トルストイが提唱した絶対平和主義を実践するべく帰国後の日本で徴兵拒否を敢然と行ない、“公然反逆者”という烙印を捺されることとなったのです。
戦争傍観者となり、熊本の山村から戦渦を見つめ続けた青年時代。「誰よりもトルストイの気持がわかる」という矜持からロシア文学の大家に論争を挑み、訳業の道を歩んだ壮年時代。そして、憲法9条を反古にしようとする翼賛的な政治家の言動に心を痛め、それでもなお“殺しあわない世界”の実現を希求し続けた老年時代。その生涯をつづった本書には、ファシズムが蔓延する当時の時代状況においても、自らの良心にしたがい行動する北御門の強靭な精神力が描かれます。
国中が戦争という「殺し合い」を是認し、侵略や残虐行為を繰り返す日本軍の「躍進」に沸きたつなか、独り絶対平和主義を貫くことの困難さは想像を絶します。本書は、トルストイに導かれた北御門の真率なる歩み−もう一つの戦争体験−を知る好機となるのではないでしょうか。
引用終わり
良心的兵役拒否の権利とは、絶対的な平和を正義の不可欠の条件と見なしている人に、その価値観を尊重して兵役を拒否することを許すことです。たとえば、2011年まで徴兵制を持っていたドイツでは、この権利を制度化していました。
ただし、その権利を行使した者には、必ず代替的な役務が課せられます。拒否権が乱用され、兵役逃れに使われないためです。代替的役務は、兵役そのものと同じくらいリスクが大きく、骨の折れるものでなくてはなりません。災害被災地での救助活動とか、非武装の看護兵などです。兵役と同じくらい困難で、命の危険にさらされますが、これを引き受ければ、自分の良心に反して、戦争に参加して人を殺すという精神的な苦痛からは解放されるのです。日本も憲法9条を純化させ、国家的規模で良心的兵役拒否権を行使し、代替的役務を引き受ければよいのです。
非暴力・不服従といえばガンジーを思い出す人も多いでしょうが、日本にも北御門氏のような人間がいたのです。私は絶対平和主義こそが、日本が高く掲げるに値するものだと考えています。
以上述べた観点から、国を守るためと称して軍備を増強し、アメリカの属国となって戦争にのめり込むことに道を開いた安倍首相とその取り巻きの言説が、こどもじみた屁理屈に過ぎないことが分かります。
戦争になった時には一兵卒として自らが前線に行くことを宣言する政治家もいなければ、良心的兵役拒否の権利があることを国民に教える政治家もいません。彼らはリアリストの仮面をかぶっていますが、自ら戦場に赴くこともなければ、兵役を拒否する勇気もない、単なるヘタレに過ぎないのです。