今回のブログで私は自分の政治的立場をはっきりさせ、日本の防衛をどうすべきか述べるつもりでした。しかし、昨日の国会を見ていて、これだけは言っておかなければならないと思い、予定を変更して以下の記事を書くことにしました。予定していた『憲法九条を蘇生させるために』は次回に譲ります。
私は以前当ブログで、安倍首相は立憲主義が分かっていないと述べました。すなわち、憲法は国民が政府を拘束するために政府に課した命令であるという認識がないのですね。だから、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を平気で無視できるのです。「天皇」ですら憲法尊重擁護義務を負っているのです。そして、天皇皇后両陛下は、見事なまでにこの義務を果たしています。
『安倍首相に、心からのプレゼント』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=15
『明仁天皇、最後のメッセージ』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=29
それに対して、安倍首相は憲法尊重擁護義務が自分にはないかのごとくふるまっています。彼の言う「戦後レジームからの脱却」とは、「みっともない憲法」を否定し、内閣総理大臣である自分を憲法より上位に置くことを意味しているようです。
その際、最も障害になるのが彼を批判する言論です。マスメディアは保身のために自己規制するので圧力をかけるまでもありません。厄介なのは、体制の外にいる少数のジャーナリストやミュージシャン、学者、学生、元官僚たちです。彼らは憲法21条で保障されている表現の自由こそが独裁政治を防ぐ最後の砦だということがわかっている人々です。
それゆえ自民党は、彼らの表現活動を制約する目的で、憲法改正草案の第二項に「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」と追加しているのです。「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」かどうかを判断するのは権力の側だというわけです。戦前・戦中の表現の自由弾圧の歴史から何も学んでいません。ちなみに現行憲法と比較して自民党の憲法改正草案がすぐれていると思われる箇所は、一箇所もないというのが私の考えです。
そんな折、昨日の国会で憲法21条の重要性を指摘した議員がいます。民主党の山尾志桜里議員です。山本太郎氏の追及を彷彿とさせる素晴らしいものでした。
山尾議員の粘り強い質問に、答えに窮し、食ってかかる安倍首相。問題の箇所は20分あたりから。
山尾議員に「表現の自由、精神的自由がなぜ経済的自由よりも優越されるのか」と問われ、安倍首相は次のように答えます。
「ま、いわば、表現の自由がですね、この優越的な地位であるということについてはですね、これは、まさにですね、えー、経済的な自由よりもですね、精神的自由がですね、優越をされるということであり、いわば、表現の自由が優越をしているということでありますが、いずれにせよ、ですね、それをですね、そうしたことを今、この予算委員会でですね、私にクイズのように聞くということ自体が、意味がないじゃあないですか。」と。
「あなたはなぜそこまで無知なのか」と聞かれて「えー、まあ、いわば無知だからですね、無知だということであります」と答えているようなものです。全く答えになっていませんね。この返答ぶりは、無知というよりも日本語をまともに理解できないだけでなく、使うこともできない能力の持ち主であることを証明しています。これはネトウヨの特徴です。
民主主義社会にとって致命的に重要である憲法21条の本質が分かっていないことを指摘されると、それを「クイズのように聞く」な!と言い張る総理大臣。さすがに現行憲法を「みっともない」と言う感性の持ち主だけのことはあります。