わが家では毎年2月になると仏間にお雛様を飾ります。台座を組み立てたり、ひな人形を取り出して並べたりするのにけっこう時間と手間がかかります。だから、妻に「さあ、今年もお雛様を出さなければ。手伝ってよ」と言われると、まだ2月なのにとか、予定があるのにとか思って少々おっくうになるのです。でも、ひな人形を取り出しながら、娘が幼かった時のことを話したり、亡き父がひな人形の前で娘を抱っこしていた時のことを話したりして、それなりに楽しい時間を過ごせるのです。そうやって完成した雛段がこれです。
この仏間はもと塾の教室でした。母が8年前に亡くなり、本家に仏壇を放置しておくわけにもいかず、考えた挙句に塾の教室を大改造することにしました。四方をコンクリートの壁に囲まれた小屋組みの空間の中に仏間を作るという私のアイデアに、義父は反対しました。塾だったところを仏間にするなど、先祖をないがしろにすることになる、というわけです。
しかし、私はル・コルビュジェのラ・トゥーレット修道院の空間からインスピレーションを得ていました。それと日本の茶室を融合すればいい空間ができるはずだと確信していたのです。
計画の当初、義父に仏間を作りたいと言ったところ、倉庫にある柱と桁と床板を提供してくれるというではありませんか。家を作るときにも材料を出してもらったので、本当にありがたいと思いました。そういうわけですから、スポンサーの意向を無視することはできません。ここは安倍政権の意向を忖度するメディアのように、いったんは「自主規制」するしかないと考えました。
しかし、他にいい案が浮かびません。どう考えても1辺が8メートル、天井の高さが6mある、あの空間の中に立方体を置くしかないと思ったのです。さっそくスケッチと図面を描いて、義父に見せました。しかし、頑固な義父はとりあってもくれません。
どうしたものかと色々作戦を練り、いいことを思いつきました。義父が気に入っている大工のナベさんに説得してもらおうと思ったのです。私の家を建てる際に義父と知り合いになり、二人は意気投合していたのです。
ナベさんの説得は功を奏し、義父はしぶしぶ承知してくれました。後で聞くと、ナベさんもどんな空間になるかイメージが湧かなかったそうです。義父がイメージできないのも無理はありませんね。
工事が始まり、ナベさんの知り合いの業者さんが来て、「何また変わったことしよんのかえ?家ん中に家を作るつもりな?」と大分弁丸出しで、興味深そうに尋ねました。こうして約二カ月余りをかけて「家ん中に家を作る」工事は完成しました。以下が完成した仏間兼和室兼茶室の画像です。
1辺が5400mmの正方形のこの空間には凝った意匠は何一つありません。床柱も大工さんが無償で提供してくれました。母が使っていた茶道具と、季節柄、わが家に先祖代々伝わるお雛様の掛け軸がかけられているだけです。
床の間と仏壇は両サイドの引き戸によってすべて隠すことができます。閉めるとこうなります。
お雛様の反対側。障子は「吉村順三障子」をアレンジしました。桟が細いと上品で柔らかな空間になります。
この空間には、机といすが並べられていました。義父が反対したのもわかります。画像では空間の雰囲気は伝わりませんが、桧の木の香りがする簡素で落ち着ける空間です。
完成した後、義父が出来上がった仏間を見て一言。「ほお〜。こげな仏間ができるんなら、もっといい材料をやったんじゃがのう〜」
私は心の中でつぶやきました。「いいえ、お父さん、十分いい材料をいただきました。おかげで、こどもたちも、孫たちも先祖に手を合わせることができます。心の底から誰かを頼りたくなったり、救いを求めたくなったりした時に、この空間はきっと心の支えになると思います。ありがとうございました」と。