2月11日のブログ『若き建築家に幸あれ!』の中で紹介したK君と大分県中津市にある槇文彦設計の「風の丘斎場」を見学に行ったのは、今から7年ほど前のことでした。私の中では槇文彦と谷口吉生は日本の建築家の中では別格です。寛容さと気品の高さでは右に出る者はいないのではないでしょうか。谷口吉生氏については「『普遍的な感情』とは、どのようなものか。」で紹介しています。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=87
画像は「風の丘斎場」
槇文彦氏の建築からは、ランドスケープデザインの重要性を学びました。
この「風の丘斎場」の中に身を置くと、どうしても連想してしまうのが、エーリック・グンナール・アスプルンドの「森の火葬場」です。どちらも甲乙つけがたい完成度です。今回はアスプルンドの建築を紹介します。
アスプルンドは、1885年スウェーデンのストックホルムに生まれました。父は税務署の役人でした。少年時代に画家を志したアスプルンドは、父と絵の教師の反対によりその夢を断念し、ストックホルムにある王立工科大学で建築を学ぶことになります。
工科大学卒業後、王立芸術大学に進学しますが、そのボザール流の保守的な教育に反発して中退。仲間とともに私設学校「クララ・スクール」を設立します。
1913年から1914年にかけてイタリアへ見学旅行に出かけます。帰国後、友人のシーグルド・レヴェレンツと共同で応募した1915年の「ストックホルム南墓地国際コンペ」で1等を獲得し、メジャーデビューを飾ります。後に「森の墓地」と呼ばれるこの作品に、アスプルンドは生涯をかけて取り組みます。ちなみに「森の墓地」全体が1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。これは20世紀以降の建築としては、世界遺産への登録第1号です。
1928年には、私の大好きな「ストックホルム市立図書館」など、前半生の代表作が完成します。この図書館は小さな丘の上に建てられていて、利用者はゆっくりとスロープを踏みしめながら近づくことになります。
ストックホルム市立図書館
この図書館は建物の中心部に直径30メートル、高さ32メートルの巨大な円筒形の大閲覧ホールを配置しています。画像をご覧ください。
図書館には機能性や利便性が求められます。つまり、建築としてすべての部位に対して論理的な一貫性と説明が求められるのです。その反面、論理的に構築されていったスケールが身体的なスケールに落とし込まれた時、失われるものが出てきます。それは身体的、皮膚感覚的な居心地のよさです。図書館が大きくなればなるほど、どこか無機質で冷たい感じがしてくるのもこれが原因です。
ところが「ストックホルム市立図書館」にはそれがありません。身体感覚の延長としてのあたたかさ、安心感があるのです。大閲覧室の曲面壁の上部に穿たれた二十ヵ所の高窓から降り注ぐ自然光は、この巨大なシリンダーの内部をまるで繭の内部のようなやわらかな光で満たします。
この閲覧室の素晴らしい点は、3層構成の書架の上の余白です。書架の高さを抑え、余白の面積を圧倒的に増やしたことで、威圧感や権威的な雰囲気をなくし、本の美しさを強調しています。アスプルンドはおそらくこの上に人間の英知がさらに積み重ねられていくという未来の人間への信頼を表わそうとしたのでしょう。
さらに、素晴らしいのは、1階の隅っこにある児童書のスペースです。カーテンで仕切られていて、真ん中に大きな椅子があり、それをとり囲むようにベンチが配置されています。大きな椅子には本を読み聞かせする大人が座ります。子供には大きすぎると思われるベンチは、そこに座ってお噺を聞く子供たちが小人になったような感覚を味わえるようにしているのでしょう。スウェーデンの建築文化が羨ましいですね。これこそが日本が見習うべきお手本なのだと思います。教育、教育と叫ばなくても、子供を大切にする文化が育まれています。
ひるがえって、今の日本の教育はどうでしょうか。真ん中の大きな椅子に稲田朋美防衛大臣が座り、その横に安倍昭恵総理大臣夫人が立ち、後ろから安倍晋三日本国総理大臣が稲田氏の肩に手を置いてやさしく笑っています。読んで聞かせるのは、お伽噺ではなく教育勅語です。このイメージはあまりにも滑稽でグロテスクで独善的で反国際的ではないでしょうか。
気分が悪くなったので次の建物を紹介します。1930年代に完成した、アスプルンドの「夏の家」です。「夏の家」は住宅建築の中で、私が一番好きな建物です。ルイス・カーンのエシェリック邸で建築に興味を持ち、影響を受けましたが、どの住宅が一番好きか、つまりそこで生活したいか、と問われれば「夏の家」だと答えます。どんなに疲れ、傷ついても、この家を見ると癒されるような、そんな佇まいです。これこそ魂の故郷だと感じさせる名建築です。