日本は今崖っぷちに立っています。もちろん株価も上昇しているし、経済はうまく回っていて、何も問題ないと考えている人もいるでしょう。この種の根本的に無知で知性を欠いている人のことをとやかく言っても始まりません。彼らは世の中がどうなろうと、自分の子供にせっせと参考書を買い与え、受験に強い「実績」のある塾を物色し、情報収集に奔走することを止めません。
ただ今日の朝日新聞の声欄で、18歳で初めて選挙権を持つ高校生が、いったいどの党に投票すればいいのか分からない、という悩みを正直に告白していました。私は心の底から共感しました。
今の政権は、公明党の宗教票、財界・原子力村をはじめとする「既得権益層」「富裕層」の票、野党が頼りにならないので「とりあえず自民党」の票、とにかくアへさんガンバレのネトウヨ票を確実に計算できるものと考えています。しかしこの中で「確実に計算できる」ものは宗教がらみの票だけでしょう。
思うに、はっきり意識していなくとも、今の政治状況が若い人たち、特に中高生の日々の生き方に影響を与えていないはずがありません。もちろん大人の生き方、考え方に対しても同じです。ただ私は仕事柄若い人たちに接しているので、彼らがまともで、鋭敏であればある程、窓のない部屋に閉じ込められているような閉塞感を感じているはずだと思うのです。
そこで、今回は壁に窓を開け、外の空気と光を取り入れるために何をすればよいのか、そのことについて話してみます。
以前ブログで私は次のように書きました。「言葉とはすでにあるモノや観念につけられた名前ではなく、名前をつけることでモノや観念が私たちの思考の中に存在するようになるのだということです。その時に話した具体例は、とても重要なので後日再び取り上げます。」と。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/manage/?mode=write&eid=399
私たち人間は言語的な存在です。言葉を使って世界を認識し、今自分が立っている位置を確認します。言葉が歪めば世界の像も歪みます。世界の像が歪めば、それにどう対処していいかわからなくなります。精神の危機が訪れるのはまさにこの点に於いてです。
具体例を挙げます。
あなたが三十代半ばの既婚女性だとします。夫は公務員で優しい人です。ただ、近くに住んでいる母親に何でも相談して、自分はいつも後回しにされると感じています。ある時、海外旅行に行く話が持ち上がりました。あなたはネットで検索したり、パンフレットを取り寄せたりしてとても楽しみにしていました。
ところが思いもかけないことを夫が言いだしたのです。出来たら母親も一緒に連れて行ってあげたい、と。あなたは仰天します。義母と一緒の海外旅行など、想像すらしていなかったのです。それまでたまっていた不満が一挙に爆発します。あなたは夫を異星人でも見るような目で見始めます。
たまりかねて、日ごろから仲良くしている大学時代の友人数人に相談することにしました。小洒落たレストランでランチをしながら件の話を切り出したところ、一人が言いだしました。
「それって、○○の旦那、マザコンじゃないの?言いにくいけど、私、とにかくマザコンの男ってもうそれだけでダメ。」
ほかの女性たちもいっせいに言います。
「あなたこれから苦労するわよ。何でも後回しにされて、大事なことは事後承諾。ああ、私だったらがまんできないな。海外旅行に母親を連れていくなんて。」
別の女性いわく「いまどき信じられない旦那ね。家族をどう考えているのかしら。幸い子供もいないんだから、離婚しちゃいなよ。○○がこれから苦労する姿なんて見たくないわ。ねえ、みんなもそう思わない?」
友人たちと別れて家に戻ってからも、あなたの頭の中は「マザコン」という言葉で一杯です。「そうか、あの人はやっぱりマザコンだったんだ。私のこれからの人生、どうなるんだろう?」と考え、不安でいっぱいになります。
人間は一度ある言葉が頭の中を占領すると、他の考えが入る余地がなくなります。その結果、あなたは夫に対して離婚を切り出し、今は独り身になり自由を謳歌しています。しかし、心の底で将来に対する不安も感じています。経済的なことより、老後を共に過ごす相手がいないことの寂しさ、病気や事故で入院した時、生活を支え身体のめんどうを見てくれる人のいない不安が兆します。
そんな時、あなたはある光景を目撃します。別れた夫を街で偶然見かけるのです。そばには年老いた母親がいます。夫は食材の入った重そうな荷物を右手に持ち、左手で母親の手を引いて横断歩道を渡っていました。
ただそれだけの光景ですが、どこかひどくあなたの心を打つものがあったのです。家に帰ってもその光景が忘れられません。そして、普段はめったに会うことのない同級生の女友達に電話します。あなたは彼女に対して距離を置いていました。あなたを持ちあげ、おだてるようなところが全くなかったからです。
彼女に電話すると、あなたのマンションに行くとの返事がありました。そんな話は洒落たレストランなんかではできないでしょ、と言うのです。
あなたの話をしばらく黙って聞いていた彼女が口を開きました。
「あなたの結婚式に呼ばれた時、旦那さんを見て、ああ、やさしそうないい人だなと思ったわ。○○はいい人を伴侶に選んだなと思ったものよ。だって、自分たちが主人公の結婚式で、絶えず年老いたお母さんを気遣っていたもの。女手一つで育ててくれたお母さんの苦労を忘れるなんて、人間としてダメじゃないかしら。あなたはマザコンという言葉を使うけれど、母親を大事に思う男は皆マザコンなの?しかも、結婚式の時、あなたたちの幸せそうな姿を見て誰よりも喜んでいたのはあのお母さんだったわ。苦労したことを一つ一つ思い出して、しょっちゅうハンカチで涙を拭いていたもの。それに、同居はしない、あなたたちの近くに住めればそれでいいと言っていたそうね。そりゃ、今時の男は自立していて、母親と自分は別だと考え、実のところ母親を捨てている人も多いわね。海外旅行なんてこれから何度でも行くチャンスはあるでしょう。あなたが街で見かけた二人の姿を忘れられないのは、かけがえのないものをあなたが失ったからよ。旦那が母親に対して示していた優しさのせめて半分くらいの優しさをあなたは旦那に対して示せなかったのかしら。旦那の優しさはいずれあなたに対して向けられるのよ。旦那があなたの離婚の申し出を受け入れたのは、あなたより母親を選んだということじゃないと思うわ。あなたの想像力の欠如っていうか、やさしさがないことに気付いたのね。あなたは昔から、周りの意見に流されて、自分の意見なり感じ方を持つことを怖がっていたのよ。つまり、マザコンという手あかのついた言葉で旦那を見て、自分は本当はどう感じているかということをなおざりにしたということね。厳しいようだけど、これが私の考えよ」
言葉が歪めば世界が歪むということが分かってもらえたでしょうか。窓のない部屋に閉じ込められているような閉塞感を感じている若い人たちに、世界につながる窓の開け方を教えましょう。
でも、窓を開けて入ってくる光は、スポットライトのような強烈な光ではありません。フェルメールの絵に描かれたやわらかな、物の輪郭を際立たせるような光です。つまり自分だけに当てられる光ではなく、部屋全体を、世界全体を照らす優しい光です。
人間にとって光とは、ことばのことです。あなたがどんな言葉に出会うかによって、世界は全く違って見えます。そればかりではありません。相手が話す言葉によって、その人が世界をどのように見ているかということも分かります。
そのための2冊を挙げておきます。将来が見通せない苦しさ、自分が閉じ込められている部屋から脱出できない苦しさを抱えている人には、多少は役立つかもしれません。