8月24日、地区の夏祭りのことをブログに書きました。そのお祭りの最中、私には忘れられないシーンがありました。地区の公民館で早めの夕食を取った後、神輿と山車、お伴の一行は最後の行程に向けて出発しました。残すところ3時間余り。距離にして約5km。疲労のため足取りも重くなっています。
そのシーンに出会ったのは、出発して10分余りたったころです。神輿を担いでいた二人が、神輿から少し離れて、遠くの人に両手を大きく振っています。まるで手旗信号を送っているかのようです。二人とも地元で消防団に入り、お祭りのときは必ず神輿を担ぎ、地域を支えています。私の地区では神輿は主に消防団の人が中心になって担ぎます。
その二人が、稲が青々と茂った田んぼのむこうに向かって、手を振っているのです。そこに一人の男性が立っています。Kさんです。神輿の担ぎ手の中にKさんがいないので、そのことを尋ねると、つい一カ月ほど前、奥さんを亡くしたのだということがわかりました。二人はKさんに向かって手を振っていたのです。Kさんもそれに応えるように手を振っています。こどものころから地域の中で生きてきた者同士の、ことばにならない交信です。
その後二か所の御旅所を経由して、いよいよ神社へと向かうはずでした。ところが、神輿だけ山車から離れて、迂回します。疲労もピークに達しているのに、誰も文句を言う人はいません。神輿は静々と歩き、予想通りKさんの家の前に来ました。Kさんと娘さん、小さなお孫さん、そしておばあちゃんが、袋入りのかき氷を20人分ほど準備して待っていてくれたのです。
途中Kさんと連絡を取った人はいません。以心伝心というのでしょうか、神輿はごく自然にKさんの家をめざし、まるで約束でもしていたかのように落ち合ったのです。先ほどの二人はKさんに声をかけ、IさんはKさんの肩を抱きかかえるようにしていました。私は、奥さんのことを今日知った、本当に残念だと伝えました。
人は人生の中で、思いもかけないことに遭遇し、悲しみのどん底にたたき落とされることもあります。中でも、こどもに先立たれたり、伴侶をなくしたりすることほど悲しいことはありません。大きな岩のような悲しみが、残された者のこころを押し潰します。いつも見慣れたはずの周囲の風景も違って見えます。呼吸するのも苦しいほどです。そんな時、私たちはどうやって自分を維持し、精神の危機を乗り越えればよいのでしょうか。
小動物が岩陰に身をひそめるようにして暴風雨が過ぎ去るのを待っているように、運命の試練をやり過ごすしかありません。ただただ時間が過ぎ去るのを待つ。時間がすべての傷を癒してくれることを信じるほかありません。
時間は、岩ほどもあった悲しみを少しずつ削り、一人ではとても背負いきれないと思っていたものを徐々に軽くしてくれます。一年、二年と経つうちに、岩は小さくなり、十年もするとこぶしほどの大きさになります。そうなると、バッグの中に入れてどこにでも持っていけます。
そして、さらに幾つかの春秋を経て、ついには小石ほどの大きさになります。そうなればポケットの中に入れられます。時にはその存在を忘れてしまうこともあるでしょう。しかし、それは断じて消えることはありません。何かの折に、ポケットに手を突っ込んで、小石の存在に気づきます。そして自分の人生を豊かにし、支えてくれたのはこの小石だったと気づくのです。
夏の終わりに目にした光景は、私にいろいろなことを考えさせました。以前「私とは、私の記憶である」とブログで書きましたが、愛する人の記憶は、その人が死んでから一層鮮やかに私たちの中で生き始めるようです。まるで、私たちの記憶の中で第二の人生を生きているかのように。