「言葉の力を信じて・・・」という今回のタイトルを書きながら、どうしようもないむなしさを感じています。なぜなら、私たちの国の指導的立場にいる人たち、特に政治家が言葉の力など全く信じていないからです。
安倍政権は警察官僚を手足のごとく動かし、ゲシュタポ政治を作り上げました。前川喜平氏の例を挙げるまでもなく、自分たちにとって都合の悪いことを言った人間、言いそうな人間の一挙手一投足を見張り、隙あらば失脚させようと狙っています。彼らはもはや金と力しか信じていないのです。
さて、前回のブログの最後に「このノートを作るために必要なことが一つだけあります。学校の勉強と並行しつつも、教科書の枠組みからはみ出す勇気を持つことです。その具体例を次回お目にかけましょう。」と書きました。今回はそれを受けて「思考ノート」の具体的な中身と重要な注意点を述べます。
まず注意点から。自分の頭に浮かんだことや疑問点を次々に書き出していったら、時間がいくらあっても足らなくなるのではないか。それでは学校の勉強に支障が出ると心配している人もいることでしょう。心配ならそこでやめればいいのです。どこまでも書き続けるなんて、土台無理なのです。
僕たちが生きる空間も時間も有限です。以前も書きましたが、僕たちの思考も有限ですし、自分をどこまでも掘り下げることは不可能なのです。暫定的な足場を作っておいて、明日はそこから再出発するしかありません。
今はここまででいいと区切りをつけることの中にもその人の主体性が宿ります。そうやって、仮の足場を補強したり、ある時はそれを壊したりして、また最初からスタートするしかありません。そうこうしているうちに僕たちの人生も終わりがやってきます。実は勉強に区切りをつける術も、思考ノートから学ぶことができるのです。
次に、「教科書の枠組みにこだわらない勇気を持つ」ことについて。
これは前にも書きましたが、言葉にこだわることで、自分の適性や将来の職業が見えてくるという話です。例えば、ノートを作っている最中に、まったくの思いつきで糖尿病は英語で何と言うのだろう、と思ったとします。そこで10分という時間制限を設けて自分の知っている病気を日本語でできるだけたくさん書き出します。
脳梗塞、心筋梗塞、高血糖、すい臓がん、悪性腫瘍、認知症、腎不全、ポリープ、統合失調症、多動性障害に始まり、側頭葉、三半規管、大脳、大脳皮質、海馬、胆のう、十二指腸、大腸、鼓膜、角膜、瞳孔、網膜といった身体の一部から、めまい、吐き気、手のふるえ、難聴といった症状まで。
次に辞書で調べて英語を書き込んでいきます。今は電子辞書で発音も聞けます。連続5回も聞けば、音が耳になじんできます。書き込みが終わったら、少し休憩します。病名は合成語でできているケースがほとんどです。例えばコンピュータ断層撮影(CT)はcomputed tomographyと言いますが、tomoは「切る」という意味です。graphyは「記録」のことです。統合失調症はschizophreniaですが、schizoは「分離した」という意味で、phreniaは「精神」を意味します。
あなたがたまたま病院の待合室にいて、お年寄りが病気の話をしていたら、「糖尿病」だとか「高血糖」「高血圧」「脳梗塞」という言葉が耳に入ってくるかもしれません。その時、いままでとは違った感覚があなたの中に生まれていることに気づくはずです。病名を英語で言えるということは、あなたの世界を拡張することにつながるからです。
あるいは、身近な人が難病にかかって不幸にも亡くなったとします。あなたはその難病の名前を忘れないでしょう。その名前を聞くと、苦しんでいた両親、祖父母の表情を思い出します。その時、難しかった医学の専門用語があなたの実体験と結びつきます。
それがきっかけで、医学に興味を持ち、難病の名前や症状、治療法を調べてノートに書き出します。もちろん中学や高校で習う範囲をとっくに超えています。そして気がつくと、あなたの前には医師になる道が開けています。これは奇跡でもなんでもありません。ことばは、そういう神秘的としか言いようのない力を持っているのです。
子供のころ私たちは好奇心を全開にして世界に向き合っていたはずです。昆虫や植物に興味をもったり、天体に魅了されたり、小さな秘密基地を作ってそこにこもったりした経験があるはずです。つまり、昆虫学者にも植物学者にも、天文学者にも建築家にもなれた、少なくともその可能性を持っていたのです。
しかし、匿名化されたシステムの象徴とも言うべき学校を通過するうちに、好奇心はしぼみ、漂白され平準化された言葉を覚えることの方が「将来の生活」にとって重要だと思い込まされます。
何度も言うように、それは集団が生き延びるために必要とされた言葉です。私たちの内面世界のほとんどが、その種の言葉で満たされれば、人は生きる気力を失います。既成事実を積み上げる権力に、「しかたない」といって屈服します。
そういった奴隷の<生>を送りたくないと思う若い人は、自分だけの「思考ノート」を作らねばなりません。現実の内部にもう一つの世界を持たない人間の言葉は、空虚です。私たちは言葉の持つ力をもっと信じてもよいのです。
今回も読んでいただきありがとうございました。以下は参考記事です。暇があったら読んでみて下さい。
『学ぶことは、自分を壊すことである。』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=359
『君の魂くらい、君自身が救え!』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=361