時事通信によると「14日午前の参院予算委員会で、安倍首相は国有地売却に関する財務省決裁文書の改ざんについて、「私から文書の書き換えを指示したことは全くない」と全面的に否定した。麻生太郎副総理兼財務相も「指示したことはない」と改めて強調した。」とのことです。
私は今から3年ほど前のブログ『全体主義国家の言語システム』の中で次のように書きました。
「これからは、「日本会議」の面々による、法解釈の独走、恣意化が始まるでしょう。安倍首相の言葉は美辞麗句で満ちています。権力の最上層の言葉はいつでも抽象的で美しい。しかし、これが下層へと降りて行き、個別的・具体的な現実の事態に近くなればなるほど、非常識で狂信的な解釈をする人間が出てくるものです。忠誠ぶりを見せたいのか、茶坊主なのか、大勢に従順なら安全だと考えているのか、自覚なき奴隷なのか・・・。
日本でも戦時中、隣組の班長、町内会長などが上層部の意を勝手に解釈して威張り散らし、戦争に協力しない人間を弾圧するという歴史があったのです。(『暗黒日記』岩波文庫)
ヒトラーの『わが闘争』には、強制収容所におけるユダヤ人の虐殺の指令は書かれていません。書かれているユダヤ人論を解釈して、あの現実になったのです。これこそが全体主義国家における言語システムなのです。民主主義国家とは、この解釈のルールを国民に知らせ、解釈の自由を国民に与えている国家のことです。」と。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=20
それにしても、戦後73年経って、私たちはついにこのレベルの指導者を戴くようになったのだという事実を突きつけられると、生きていく気力が萎えそうです。政治の屋台骨が折れ、底が抜けたのですから。
そんな中、テレビで安倍首相の三選が危うくなるかもしれないなどと、いい大人が真顔でしゃべっているのを見ると、バカにつける薬はないものだとあらためて思い知らされます。国家の崩壊を前にして、まだ自分の立場を気にしているのです。
コメンテーターであれ学者であれ、テレビに出演依頼があるということは、表向きは批判的なポーズをとっていても、本質的には政権に迎合し忖度する人間だ、つまり安全パイだと評価されていることを意味します。それを屈辱だと感じない人間が、間抜けなコメントを出し、出演料をもらって満足するのです。
政治的大衆のレベルを決定しているのは、今やテレビなのです。彼らは商品についてであれ、情報についてであれ、日々の生活の中で自分なりに正しい判断をしていると思っています。しかし、結局はマインドコントロールされていることを、直感的および論理的に説明することもできません。
したがって、公文書が改竄されたり、削除されることが何を意味するのか、それがどういう結果をもたらすのか、その深刻さが分かっていません。なぜ刑法で処罰の対象になっているかも説明できないのです。成人式の着物に払っていたお金が戻って来ないと激怒しても、安倍政権に対しては、早く謝罪すればいいのに、といった程度の認識しかないのです。
そんな中、昨夜の報道ステーションでの小沢一郎氏の発言は、唯一まともなものでした。いわく「(森友文書改竄について)最高権力の所から指示が直接的であれ間接的であれ出ていなければ財務省の役人がいくら落ちぶれたとはいえこんな馬鹿げたことはしませんよ。そんなこと常識だよ。当たり前のことだよ。役人がこんなことできる度胸のあるのいないよ」と。
それにしても、決裁文書が大幅に改竄されたり、都合の悪い箇所が削除されたりする国で、原発の安全性データを信用しろと言われても、信用できるわけがありません。原発の危険なデータもすべて改竄されているはずです。
さらに、福島の人たちの健康被害についてのデータも隠蔽されています。100年単位のデータを残さなければ放射能の影響は解明されないのです。原発から出る使用済み核燃料の行き場所も未定。歴史ですら平気で改竄し捏造する政権下での原発再稼働は余りにも危険過ぎます。
安倍晋三氏には正常な判断力がないのです。再稼働どころではありません。近代民主主義国家で公文書が信用できなくなれば、政治のみならず、私たちの日々の生活が危険にさらされるのです。安全だとされていた食べ物が、実はとんでもなく放射能に汚染されていたということも、大いにありうることです。
新燃岳の噴火が次なる大地震を告げているとき、安倍政権が続けば、私たちの命は風前のともしびです。公文書の改竄がもたらす影響の重大性すら分かっていないおバカ総理が、大地震や原発事故などの非常時に危機管理ができるわけがありません。
そう言えば「北朝鮮へ先制攻撃もありではないか!トランプさん、早く北朝鮮を壊滅させて下さい!」と威勢のいいことを言っていた大分市のY田ゼミ塾長氏のような人は、有事となったとき、こんな政権の下で生き延びられるとでも思っているのでしょうか。
安倍晋三氏は自分の身に危険が迫ったら、まず間違いなく、国民を見捨てて自分だけ安全な場所に逃げるでしょう。そして危機が去ったあと「二度とこのような惨禍を繰り返さないようにするのが私の責任だ」と言うに決まっているのです。こんな男に憲法を「書き換え」させてはなりません。