私にはとっておきの場所が二か所あります。一つは、ブログでも紹介した、コペンハーゲン中央駅から電車で小一時間の距離にあるルイジアナ美術館。この美術館の素晴らしさは、何と言ってもランドスケープにあります。建築はランドスケープの一要素に過ぎないと教えてくれたのはこの美術館でした。百聞は一見に如かず。デンマークに行くことがあったら、ぜひ立ち寄ってみて下さい。
ルイジアナ美術館
今回紹介するのは、もう一つのとっておきの場所、ニューヨークの街の真ん中にある「ペイリー・パーク」です。高層ビル群が建ち並ぶニューヨーク近代美術館の並びにある、わずか13メートル×30メートルの小さな公園、いわゆるポケットパークです。
「ペイリー・パーク」
ランドスケープ・アーキテクト、ロバート・ザイオンの設計で、ビルの谷間に造形されています。ハリー・ベルトイアの白のワイヤーフレームの椅子が置かれている、大都会のオアシスです。これをウィリアム・ペイリー財団が管理運営しています。
「ペイリー・パーク」は、周囲の喧騒から離れたヒューマンスケールの空間を人々に提供しているのです。こうした空間は都市生活に欠かすことのできないものですね。歩き疲れた時、あるいは待ち合わせの場所として、とにかく座ることが出来るスペースは欠かせません。
「ペイリー・パーク」の一番奥には、高さ6.1mの滝があります。流れ落ちる水の音が都会の喧騒を忘れさせてくれます。同時に中心的な視覚要素となっていて、歩行者を立ち止まらせ、その魅力に惹かれて公園に入ってみようと思わせるのです。
小さな売店があり、サンドイッチやコーヒーといった軽食を手軽な値段で買うことができます。いわゆる、アウトドアカフェです。人々は、日常の何気ない会話を楽しんだり、ランチを楽しんだりしています。ちなみに、ニューヨークでは、オープンスペースの20%をこのカフェスペースに利用して良いとの規則があるそうです。
木洩れ日がやさしい空間です。
ところで、このペイリー・パークに関しては特別の思い出があります。昔の恋人と別れたのがこの公園だったのです、なんちゃって。冗談です。
実はブログで紹介したSさんの奥さんが、わが家の見学に来た時、玄関アプローチに敷いている石(ピンコロ石)と中庭のベルトイアのダイヤモンド・チェア(もちろん、リプロダクトです)を見て、「もしかして、先生はニューヨークのペイリー・パークを御存知ですか?」と言ったのです。
冬の「ペイリー・パーク」。敷き石はピンコロ石です。
私は一瞬絶句しました。実はルイス・カーンや、中村好文さんと並んで、ペイリー・パークの設計者であるロバート・ザイオンに深く影響されていたからです。それを一瞬で見破ったのですから、恐るべき眼力の持ち主です。私が持てるものを総動員してSさん夫妻の力になろうと思ったのは、これが理由だったのです。
話を元に戻します。ロバート・ザイオンはアメリカのランドスケープ・デザイナーです。1921年、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンで生まれます。ハーバード大学で工業経営を学んだ後、ランドスケープ・アーキテクチュアのマスターを修得。ニューヨークで独立し活動していましたが、その後、郊外の開発から州の農村居住地を守るためニュージャージーのイムレイスタウンという人口数百人の小さな村にオフィスを移して、質の高いランドスケープをデザインし続けました。そこで交通事故に会い79歳で亡くなります。
ペイリー・パークの図面。
その温厚そうな風貌とは裏腹に、彼は造園についてかなりきつい調子で述べています。「ハーバードの造園学科を出ても造園家にはなれない」「造園家が自然そのものからあまりにも離れた距離に置かれていると、デザインすることが困難になるばかりでなく、極端に人工的なデザインをするようになりやすい」と。
複雑な自然の営みの一部を抜き取って、それを違う場所で再構成して見せることを「造園」というならば、それは恐ろしく大それた行為です。そんなことが机の上で一朝一夕にできるわけもありません。
自然の一部である樹木や植物について学ぶことは、受験勉強のように図鑑の説明を覚えればいいというものではない。植物の生態はその土地の自然条件や風土と一体のものだからです。一歩一歩、急がずに、一生かかるつもりで、少しずつ体験を積み重ねていくしかありません。
週休三日制のゆったりとした仕事ぶりが、彼のデザインの源泉となっているとの記事を以前読んだことがあります。しかし、週休三日制を採用すれば、誰でも良い仕事ができるわけではないでしょう。
口を開けば、忙しい忙しいと言っている造園家は、単なるビジネスマンに過ぎません。造園家に求められる資質とは、実は、ゆったりとした暮らしの中から得られる、植物や人間に向けられる視線の優しさ、余裕のようなものなのかも知れません。
言わずもがなですが、日本の教育に最も欠けているのが、こういった優しさと余裕なのです。