昨年の11月、奈良の慈光院を再訪し、滋賀県の湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)を回りました。慈光院は訪れる度に発見があり、特にそのプロポーションにはため息が出ます。京都の詩仙堂と並ぶ私のお気に入りの建築です。奈良へ旅する機会があったら、ぜひ一度訪ねてみて下さい。
私のブログは、春や秋になるとアクセス数が急増します。旅の参考に『古寺巡礼』を読んで下さっている方が多いからでしょうか。そうだとすれば嬉しいですね。ブログでは、どこの誰がアクセスしているのか、知る術がありません。
政治の話題になるとアクセス数は減ります。この5年間で、私たちの国のリソースは、法治国家の建前を含めて、ズタズタにされました。膿そのもののサイコパス総理が「膿を出し切る」と言っているのですから、これはもうギャグというか白昼夢を見ている気がします。いやな時代に生き合わせたものです。
旅の帰途、一番の目的だった閑谷学校(しずたにがっこう)に寄りました。山陽自動車道の備前ICから車で15分くらいだったでしょうか。途中、すれ違う車も人の姿もほとんどありません。山に囲まれた道を奥へ奥へと進んでいきます。到着した時はあいにくの雨でしたが、霧雨に煙る山間の閑谷学校も捨てたものではありません。妻と広大な敷地を歩きながら、日本という国が持っている文化的リソースの豊かさを思いました。
閑谷学校全景
現在の閑谷学校。右手の楷の木の新芽が膨らんでいます。
秋の閑谷学校
ついでに奥方様の写真も。
閑谷学校は、江戸時代・寛文10年(1670年)岡山藩主池田光政によって創建された、岡山藩直営の庶民教育のための学校・学問所です。国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などほとんどの建造物が国の重要文化財、資料館は登録有形文化財に指定されています。
国宝の講堂内部。ピカピカに磨き上げられた床。現在でも地元の子供たちはここで論語を読んでいます。
1660年代の半ば、光政は岡山の領地内に池田家の墓所のための土地を探していました。菩提寺である京都妙心寺の護国院が火災で焼失してしまったからです。光政の命を受けたのが、優秀な側近、津田永忠でした。永忠は領内をくまなく歩いて候補地を探しました。その一つが後に閑谷学校の用地となった和気郡木谷村だったのです。
光政が木谷村を訪れたのは晩秋だったそうです。紅葉の美しい敷地を歩きながら、ここは墓所ではなく、庶民の子供たちが学ぶ学校にうってつけの土地だと直覚します。さすがに名君と言われるだけのことはあります。国家を私物化して恥じないどこかのバカ殿とは大違いです。
私が興味をひかれたのは、国宝の講堂だけではありません。敷地を取り巻く石塀の美しさもさることながら、そのランドスケープデザインの秀逸さでした。ここは『風の谷のナウシカ』に描かれた風の谷の祖形だと直感しました。
図面を見ると寄宿舎や食堂、厨房が敷地の西に配置されています。そして、東側の講堂や聖廟との間に火除山を築いています。防火のためにわざわざ山を築いたのです。そして、弘火四年(1847年)、寄宿舎からの失火で西側にあった建物が焼失した時も、この火除山のおかげで、東側の講堂や聖廟は延焼をまぬがれたのです。何という先見の明、危機管理の意識の高さでしょうか。
草一本生えないように設計されたこの石塀(幅1,8メートル、高さ1,5〜1,6メートル)が敷地を取り囲んでいる。全長765メートル。石工たちの創意工夫と忍耐力に頭が下がります。この石塀だけでも見に行く価値があります。
さて、最後に閑谷学校からもらったインスピレーションについて書きます。今私たちの国は首の皮一枚で繋がっている状態です。早晩、カタストロフィーに見舞われます。統治機構の自壊現象のことを言っているのではありません。営利行為としての戦争のことでもありません。それよりもっと確実で深刻な危機に直面しているのです。
それは、福島第一原発の事故で、放射能によって高濃度に汚染された地下水とそれを貯蔵している巨大タンク、除染によって出た膨大な放射能汚染土をどうするのかという問題です。次なる地震が襲えば、これらは確実に海に放出され、溶け出します。
もちろん、地震がこなくても、やがてリミッターが振り切れる時がやってきます。東電や政府は科学的には飲料水のレベルであるなどと称して、放射能汚染水を海に流すでしょう。その時、日本近海はもとより、太平洋は放射能によって汚染され、緩慢ではあっても、漁業は大打撃をこうむります。チッソが水俣湾に有機水銀を垂れ流して住民の命を奪った事件は、その後の私たちの運命を暗示していたのです。
その時、私たちは海を捨てなければならなくなります。海に面した都市は、徐々に放射能に蝕まれていきます。子供たちはどこで生きればいいのか。最悪の場合、海外に脱出するしかありません。
しかし、すべての子供たちが脱出するわけにはいきません。国内にとどまり、なんとか再生の時を待つしかないのです。その場所はどこにあるのでしょうか。そうです、全国に点在する「閑谷学校」こそが、子供たちが生き延びるための「風の谷」になるのです。
今の政権は、こういったことをシュミレーションすらしていません。そもそもそういった発想がないのです。自分たちにとって都合の悪い事実を隠蔽し、歴史を捏造し、さらには女性をモノのように扱う体質が表面化するに及んで、彼らは事実に向き合うことすらできない痴呆になったのです。