日常生活にまつわるどんな問題であれ、つじつまの合わないことを平気で言い、相手によってそのつど判断を変え、しかもそのことを自覚していない人間と付き合うことはできません。
人間ならこういうときにはこう感じるだろう、こう行動するだろうという予測というか信頼があってはじめて共同体や社会は成り立っているはずです。ところがここ数年、正確に言えば3・11以降、この「期待の地平」ともいうべきものが、社会から急速に失われています。
目にするもの、耳にするものの大部分がフェイクであり、「つつましやかな日常」自体が、政権やメディアによって都合の良いように偽造され、日々の生活規範である「道徳」までが学校教育によって画一的に押し付けられようとしています。
テレビを通じて流される幸福な家族のイメージ、他人から羨まれるような「生き方」の蔓延、ようするにウソのように軽い日常の氾濫で、私たちの感情は限りなく劣化しています。
いったいどこに救いがあるのだろうかと思っているときに『万引き家族』を観ました。封切られてすぐに観たのですが、感想を述べる気にならず、ただただ、世間は物事の真実は見ないし、決して正解しないものだという思いがしきりにして、沈黙するしかなかったのです。反面、この映画で少し救われたのも事実です。
内容について書くことは省略します。いい映画はとにかく観て、身体で受け止め、残響を反芻するしかないからです。
この映画の中で、安藤サクラ演じる女性が、両親から虐待を受けていた5歳の女の子を「誘拐」したということで女性警察官からさとされる場面があります。安藤サクラは夫から受けた虐待の経験(言葉で表現できるわけがありません)から逃れるようにして『万引き家族』といっしょに生活していたのです。
女性警察官は言います。「こどもは、やっぱり親の下で暮らすのが一番なのよ」と。それに対して、安藤サクラは一切反論せず、ただ涙を流すだけで、何度も何度も手で涙をぬぐいます。おそらく是枝監督はこのシーンを撮るために映画を作ったのではないかと思えるほどでした。
この映画の中には、さまざまなエピソードが挿入されていますが、少年が学校の教科書を読む場面があります。それが『スイミ―』です。皆さんの中には、この話を知っている人も多いと思います。もうずいぶん昔になりますが、私は本屋でこの本(英語で書かれた原版ですが)を見つけ、こどもに読んで聞かせたことがあります。以下がその本です。一人一人は小さくて無力でも、力を合わせれば大きな魚を追い払うことができる、という単純明快な論理です。下の絵で、スイミーは大きな魚の目になっています。
これに関して、パルムドール賞を受賞してから是枝監督が日本外国特派員協会で会見を開いた時の談話があります。とても大事な話です。以下に引用します。
引用開始
― 今回の取材で一番印象に残っているのは、親からの虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子どもたちの取材に行ったときのことです。ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子に「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」と思いました。
朗読をしているその女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに少年が教科書を読む、というシーンの台本を書きました。
テレビをやっていた時代、先輩に「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。20代の頃に言われて、今もずっとそうしています。
今回は・・・今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。― 引用終わり。
https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/koreeda-20180607_a_23452833/
ここには創作の原点が述べられています。なぜ映画を撮ったのか、是枝監督のようにその動機が後で分かることもあります。高畑勲監督が亡くなり、宮崎駿監督がコメントを出せないでいた時、ふたりの巨匠を支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言しています。
捏造された歴史や歪められた解釈からは知性も感情も生まれようがありません。どうやら、私たちの<生>は、「ひとりの人」のために像を結び、そこのみにてかがやくようになっているようです。
「存在の最も深いところから言葉を紡ぐ。」
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=500
「自由で公平で平和な国で死にたい」
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=485
参考までに、よければ以下の記事もお読みください。
「カンヌ受賞でもネトウヨは是枝裕和監督と『万引き家族』が大嫌い! 安倍首相は無視、百田尚樹と高須克弥はバッシング」
http://lite-ra.com/2018/06/post-4050.html