いよいよ高校入試まであと20日を切るところまで来ました。以下気をつけることを簡単に述べておきます。
1:普段と変わったことをする必要はありません。つまり、保護者の皆さんは、特別な気遣いをする必要などないということです。「落ちる」とか「すべる」といった言葉も普通に使いましょう。
例えば夕食のとき、
「ほら、○○ちゃん、ほうれん草の白和えが落ちているわよ。拾ってよ。誰かが踏んですべるといけないから。」
「お兄ちゃん、そんなところに本を積み上げていたら落ちてくるよ。」
「大丈夫だよ。すべらないようにちゃんと気をつけて積んでいるんだから」
「そんなことないよ。それじゃあ、絶対すべって落ちてくるってば!」
「キャ〜、おばあちゃんがお風呂ですべってころんで、おおイタ県!」などというように。
こんな言葉に過敏に反応するようでは先が思いやられます。今はお父さんまでが神経質になっています。
試験当日の朝。お父さんは次のように子どもさんに声をかけてはどうでしょうか。
「○○、よく頑張ったな。オレなんかお前の半分も勉強しなかったぞ。でもな、こうやってちゃんと飯が食えてる。試験なんてものは運だよ。受かるも落ちるも運次第だ。オレが今の会社に就職したのも運だ。そして母ちゃんに出会ったのが運の尽きだ。ナハハ、なんちゃって。結果はお天道さまだけが知っている。気にせず全力でぶつかってこい!」
2:この時期になってあれやこれやの参考書や問題集に手を出してはなりません。理科や社会は一問一答式で知識を整理するといいでしょう。持っていない人は、「新研究」で十分です。
アンダーラインの箇所をなつかしく眺めましょう。ああ、このころはまだ彼女とうまく行っていたのに・・・などと思い出しながら。もちろん今時の中学生で、こんな感慨にふける人はいないことくらい分かっていますよ。
でも、本当にあなたがあなただけのノートを作っていれば、全くあわてる必要などありません。よければ、以下の記事を参考にして下さい。僕の言っていることが、痛烈に分かるでしょうから。
『世界に二つとないノートの作り方。』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=453
『あなただけのノートの作り方。』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=455
3:数学は、これまでやった問題を解き直すこと。その際注意すべきことは、初めて解くような気持ちで向き合うことです。解き方を思い出そうとして知識の道具箱の中を探さないこと。記憶に頼ると迷路に迷い込み、時間だけが過ぎていきます。塾の生徒の皆さんは、このことを実感しているはずです。
数学は与えられた情報を「数式化する」ことがすべてです。計算問題をさっさと済ませた後、問題をじっくり眺め、数学の言語に翻訳すること、すなわち、単純に言えば、問題をグラフ化したり図形化したりするのです。これが数式化の中身です。そこへ意識を集中すること。
思い出して下さい。数学を学ぶのは、よろこびを味わうためなのです。それはまだ誰も見たことのない宇宙の真実と最初に向き合うことができたという歓喜と恍惚感をいち早く手に入れるためなのです。これを味わうために生きているのが数学者です。僕が授業でフェルマーの最終定理について話すのも、これこそが数学の本質・コンテンツだということを分かってほしいからです。
4:国語は、作者や筆者の言いたいことではなく、問題作成者の視点で、設問を読むこと。その際、たった一つのことに意識を集中して下さい。
文章を読みながら、不足情報を追いかける。そして、抽象表現を具体表現に、具体表現を抽象表現に言い換えている箇所にマーキングすること。これを「論理国語」などと称して、売りにしているのが「塾・予備校の国語」です。しかし、これは試験形式と試験時間が生み出した方便に過ぎません。
本物の国語力とは、「論理国語」や「文学国語」(聞いたことのない、滑稽な命名です)などといったジャンルを飛び越え、どこまでも広がる、すなわち物事をクリティカル(批判的)に見ていく自由な思考と言語表現力なのです。
そもそも、安倍政権の統計偽装と同じく、センター試験であれ、共通テストであれ、子供たちのことを考えたものではなく、利権に群がる愚かな大人の考え出したものです。そんなものは本来不要なのです。少子化の今こそ、各大学が独自に試験を行えばいいだけのことです。英語にまつわる教育改革は、めまいがするほどの愚行です。このことの本質はまた改めて述べます。
さて、最後に受験生に見てもらいたい動画があります。それが僕からのプレゼントです。これから試験までの日々、時々見ては、自らの精神に喝を入れて下さい。それではまたお会いしましょう。
2012年、世界空手選手権で優勝した宇佐美 里香選手の演武。世界を感嘆させました。同じく下は優勝した女子団体の演武です。受験生は試験会場で決して真似しないように。