死に対する想像力がない人間は、生に対する想像力も欠いています。この逆もしかりです。真に知性ある人間はこの両方を常に射程に入れ、自分が何のためにこの世に生を受けたのかを常に自問自答しているものです。
以前ブログで取り上げた中村哲医師が、昨日12月4日、何者かに襲撃されて殺されました。彼は今回の事態を予期していたに違いありません。昆虫少年に過ぎなかった幼い魂が、宣教師の覚悟をもって、文化も言語も気候も食べ物も全く違う異国の地に行こうと決心するまでの、その内面で展開された劇を想像して、私はただ祈らずにはいられませんでした。
中村氏は「自分は好きで勝手なことをしているので、家族には迷惑をかけたくない」と周囲に話していたといいます。妻の尚子さんは報道陣の取材に「いつも家にいてほしかったが、本人はこの仕事にかけていた。いつもサラッと帰ってきては、またサラッと出かけていく感じでした。こういうことはいつかありうるとは思っていたが、本当に悲しいばかりです」と話したそうです。
「好きで勝手なことをしている」という言い方は、おそらく「中村医師は偉いね」という無神経な褒め言葉に対する批判を含んでいます。自分の仕事が現地の人々の命を救い、平和な社会の実現に役立っていることが大事で、外部からの評価など取るに足らないと思っていたはずです。それがこの言葉の意味だと思います。
3年前に書いた過去記事をお読み頂けると嬉しいです。
『中村哲氏に国民栄誉賞を!』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=235
一方で、わが国の中枢では、幼児並みの判断力しか持たない精神の未発達な大人たちが、好き勝手なことをしています。それを官僚だけでなくメディアの幹部や財界が支えています。彼らはしょせん同質集団に過ぎません。同じような学歴、年収、アメリカ経由の情報といったタコつぼの中に閉じ込められ、現実に向き合う能力を喪失してしまったのです。
東大卒のエリート官僚なのに、なぜそうまでしてピーマン頭の安倍晋三の言いなりになって尻拭いをしなければならないのか、そんなに天下り先や出世が大事なのか、という批判があるようです。しかし、この批判は全くの的外れです。
東大卒のエリート官僚なのにではなく、東大卒のエリート官僚だからです。3・11以降も原発を再稼働させる判断を、彼らは屁理屈をつけて正当化します。再稼働しなければならない経済的な理由がさもあるかのようにみせかけるのが彼らの仕事です。それを本気で信じているのですから、確信犯というより単なるバカなのです。そのバカさ加減を、権力によって覆い隠すために、バカな政治家を利用するのです。こうしてわが国の中枢はバカだらけになったというわけです。
この国を実質的に動かしてきたのは「優秀な」官僚たちです。彼らは選挙で選ばれていません。私たち国民が「なのに」ではなく「だから」なのだと気づいて行動しない限り、第二のフクシマどころかこの国の破滅は避けられません。次なる巨大地震がスタンバイしているのですから。残された時間は少ない!愚かな国民よ、オリンピックに浮かれている場合か!いい加減目を覚ませ!