2015.12.16 Wednesday
安倍CEOがトップセールスを行う株式会社日本。
CEO(Chief Executive Officer=最高経営責任者)という言葉が当然のように使われ出したのはいつごろでしょうか。カルロス・ゴーン氏が日産自動車の社長になった頃でしょうか。外資系企業が増え、そこで使う言葉が定着したのでしょう。その結果、一部上場企業では社長という言葉は死語になりました。代わって登場したのがCEOというわけです。
「社長」という言葉には、昔のテレビの人気番組、宮尾すすむの「日本の社長」に通ずる庶民的な響きがあります。この番組では、社員と共に苦労して会社(主に中小企業でしたが)を築き上げた情に厚い個性的な社長さんが取り上げられていて、私も面白く見ていました。エンディングは、宮尾すすむの決め台詞「あなたも社長になれる!・・かもよ」でした。この時代の社長さんは、いわば直接民主制とでも言うべき社風を誇りにしていたように思います。簡単に言えば、社員と同じ地平に立って議論することが、会社をより発展させることにつながると考えていたのですね。
時は流れ、終身雇用は崩壊し、会社は社員のためにあるのではなく、株主のものだという考えが支配的になりました。そんな中、岩井克人氏の『会社はこれからどうなるのか』という名著も生まれました。久しぶりにこの本を開くと、あちこちに書きこみがあり、線が引かれています。この本は今でも十分読むに値する本です。岩井氏は『ヴェニスの商人の資本論』『貨幣論』『二十一世紀の資本主義論』などの著者で、会社や資本主義について根本的に考えたいと思う人にはお勧めです。
ところで、トップをCEOと呼ぶ企業で、社員はCEOを批判できるでしょうか。無理ですね。会社の経営方針はトップが決めるのであり、社員は口出しできません。一部上場企業は、トップがすべてを決定し、上意下達が貫徹されるいわば独裁政権なのです。そういった会社で働く社員にとっては、会社が世界のすべてであり、そこで行われていることを批判することは即ち、会社を辞めることとイコールになります。
その中で生きるためには、あらゆる不条理を受け入れ、入社する前から従順さを示し、入社した後はただひたすら空気を読んで、上から「粉飾決算しろ」と言われれば黙って実行しなければなりません。(ちなみに、東芝では粉飾決算のことを「不適切会計」と言うそうです)。
こどもが学校でいじめられて自殺するまでに思い詰めるのは、彼らにとって学校が世界のすべてだからです。そこから排除されるということは、世界の一部分から排除されるのではなく、世界そのものから放逐されることを意味します。この点では、学校も会社と本質的には同じです。
「学校化社会」という言葉が批評の言葉としてリアリティーを持っていた時代は、正しい社会、望ましい社会とは何であるか、ということについて社会的なコンセンサスがあり、それが実現可能だと信じられていた時代でした。まだ「理想」を持つことができたのです。しかし、現在は、表面上の洗練された振る舞いとは裏腹に、ある種の居直りが、感情の劣化とともに進行しています。
その結果、自分の生き方が正しかったかどうかを決めるのは、試験の成績であり、入学した学校の偏差値であり、就職した会社のグレードや年収であるという「成果主義」「結果主義」が、疑いようのない価値として社会に広く浸透しています。
このように、支配者にとって都合のいい価値観を、国民のかなり多くが自ら進んで内面化していることが、安倍政権を批判できない土壌を生み出しているのです。しかし、経済(金儲け)一辺倒の発想では、CEOの本当のたくらみを見破るだけの知力は持てません。たとえ持てたとしても、見て見ぬふりをするしかないのです。
安倍首相が繰り出す経営方針は、間違いなくこの国を破滅に導くと私は考えています。その会社が作る商品が、欠陥だらけのジャンクな商品でも、パッケージデザインや広告でカバーし、シェア争いで勝つことができれば、それは「よい商品」だったということになるのです。結果がすべてというわけです。これが居直りと感情の劣化でなくて何でしょうか。
ジャンク商品の中でも際立ってジャンクなものが原発です。それを安倍CEOがインドに売り込みました。日本が被爆国だということも忘れ、3・11の原発事故もなかったかのように。 インドは核不拡散条約(NPT)に加わらず、核兵器を保有している国です。やはり条約への参加を拒んで核武装した隣のパキスタンと緊張関係にあります。そんな国に原子力技術を提供するのです。しかも、新幹線の売り込みとパッケージにして。
株式会社日本のCEOは、トップに立つ人間に必要な想像力と倫理という最も重要な資質を欠いています。しかし、逆に言えば、そうだからこそCEOに上り詰めることができたのだとも言えます。安倍CEOは、株式会社日本が戦後70年かけて到達した下らなさと劣化のシンボルなのです。
しかし、私たち国民は、株式会社の社員ではありません。民主主義体制下の国では、平社員である国民がCEOを批判し、この国のありようを変えることができます。今回は平社員の代表として山本太郎氏とミュージシャンの三宅洋平氏に語ってもらうことにします。
2015年9月13日、渋谷駅ハチ公前
「社長」という言葉には、昔のテレビの人気番組、宮尾すすむの「日本の社長」に通ずる庶民的な響きがあります。この番組では、社員と共に苦労して会社(主に中小企業でしたが)を築き上げた情に厚い個性的な社長さんが取り上げられていて、私も面白く見ていました。エンディングは、宮尾すすむの決め台詞「あなたも社長になれる!・・かもよ」でした。この時代の社長さんは、いわば直接民主制とでも言うべき社風を誇りにしていたように思います。簡単に言えば、社員と同じ地平に立って議論することが、会社をより発展させることにつながると考えていたのですね。
時は流れ、終身雇用は崩壊し、会社は社員のためにあるのではなく、株主のものだという考えが支配的になりました。そんな中、岩井克人氏の『会社はこれからどうなるのか』という名著も生まれました。久しぶりにこの本を開くと、あちこちに書きこみがあり、線が引かれています。この本は今でも十分読むに値する本です。岩井氏は『ヴェニスの商人の資本論』『貨幣論』『二十一世紀の資本主義論』などの著者で、会社や資本主義について根本的に考えたいと思う人にはお勧めです。
ところで、トップをCEOと呼ぶ企業で、社員はCEOを批判できるでしょうか。無理ですね。会社の経営方針はトップが決めるのであり、社員は口出しできません。一部上場企業は、トップがすべてを決定し、上意下達が貫徹されるいわば独裁政権なのです。そういった会社で働く社員にとっては、会社が世界のすべてであり、そこで行われていることを批判することは即ち、会社を辞めることとイコールになります。
その中で生きるためには、あらゆる不条理を受け入れ、入社する前から従順さを示し、入社した後はただひたすら空気を読んで、上から「粉飾決算しろ」と言われれば黙って実行しなければなりません。(ちなみに、東芝では粉飾決算のことを「不適切会計」と言うそうです)。
こどもが学校でいじめられて自殺するまでに思い詰めるのは、彼らにとって学校が世界のすべてだからです。そこから排除されるということは、世界の一部分から排除されるのではなく、世界そのものから放逐されることを意味します。この点では、学校も会社と本質的には同じです。
「学校化社会」という言葉が批評の言葉としてリアリティーを持っていた時代は、正しい社会、望ましい社会とは何であるか、ということについて社会的なコンセンサスがあり、それが実現可能だと信じられていた時代でした。まだ「理想」を持つことができたのです。しかし、現在は、表面上の洗練された振る舞いとは裏腹に、ある種の居直りが、感情の劣化とともに進行しています。
その結果、自分の生き方が正しかったかどうかを決めるのは、試験の成績であり、入学した学校の偏差値であり、就職した会社のグレードや年収であるという「成果主義」「結果主義」が、疑いようのない価値として社会に広く浸透しています。
このように、支配者にとって都合のいい価値観を、国民のかなり多くが自ら進んで内面化していることが、安倍政権を批判できない土壌を生み出しているのです。しかし、経済(金儲け)一辺倒の発想では、CEOの本当のたくらみを見破るだけの知力は持てません。たとえ持てたとしても、見て見ぬふりをするしかないのです。
安倍首相が繰り出す経営方針は、間違いなくこの国を破滅に導くと私は考えています。その会社が作る商品が、欠陥だらけのジャンクな商品でも、パッケージデザインや広告でカバーし、シェア争いで勝つことができれば、それは「よい商品」だったということになるのです。結果がすべてというわけです。これが居直りと感情の劣化でなくて何でしょうか。
ジャンク商品の中でも際立ってジャンクなものが原発です。それを安倍CEOがインドに売り込みました。日本が被爆国だということも忘れ、3・11の原発事故もなかったかのように。 インドは核不拡散条約(NPT)に加わらず、核兵器を保有している国です。やはり条約への参加を拒んで核武装した隣のパキスタンと緊張関係にあります。そんな国に原子力技術を提供するのです。しかも、新幹線の売り込みとパッケージにして。
株式会社日本のCEOは、トップに立つ人間に必要な想像力と倫理という最も重要な資質を欠いています。しかし、逆に言えば、そうだからこそCEOに上り詰めることができたのだとも言えます。安倍CEOは、株式会社日本が戦後70年かけて到達した下らなさと劣化のシンボルなのです。
しかし、私たち国民は、株式会社の社員ではありません。民主主義体制下の国では、平社員である国民がCEOを批判し、この国のありようを変えることができます。今回は平社員の代表として山本太郎氏とミュージシャンの三宅洋平氏に語ってもらうことにします。
2015年9月13日、渋谷駅ハチ公前