判決を聞いたとき私は立ち上がって次のように叫びたかったのだ。しかし、判決から5秒後、私は即座に席を立ち、法廷を後にした。
「舞子ちゃん、ブラボー!素晴らしい。あなたの母ちゃんも、父ちゃんも、じいちゃんも、ばあちゃんも、舞子よくやった!立派な判決だ!とほめてくれるれるだろう。日本国憲法第76条3項には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と謳われている。今回、あなたが公にしたあなたの良心は後世に残るのだ。おめでとう!」
報道では「大分地裁の判決」と言われているが勘違いしてはいけない。大分地裁で働く国家公務員・武智舞子が下した判決である。
今から6年前、同じく大分地裁・佐藤重憲裁判長が伊方原発差し止め却下の判決を下した時、私は記事の中で次のように書いた。
「今回、佐藤重憲裁判長が、四国電力といわゆる原子力ムラの言い分をそのまま追認しただけの決定しか下せなかったのは、匿名のシステム(この場合裁判所という組織を指します)に逃げ込んで裁判官個人としての「良心」や見識を世に問うことが怖かったからです。既成事実を追認するだけの勇気のない裁判官などいりません。追認するならせめて後世の批判に耐えられるだけの論理と根拠を明確に示してもらいたいものです。」と。
大分地裁佐藤重憲裁判長、伊方原発差し止め却下。
https://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=520
大分地裁裁判長への意見陳述書。
https://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=426
今回、武智舞子氏が下した判決が世間にどのような影響を及ぼすのか、一見まともに見える言説や生き方の中に卑怯で勇気のない大人の論理がどのように忍び込んでいるのか、については次回のブログで述べる。
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作家や画家、書家、陶芸家などについて論ずる際には作品が重要で−この場合は建築家だが−作者は重要ではないという、私に言わせれば単なる衒学趣味、新しがりの評論が大学教師の間ではやったことがあった。いや、今でもテクストクリティークなどと称して研究されているのかもしれない。
これは受験を通じて、作者や筆者に興味を持つことを禁ぜられ、代わりに出題者の意図を探るように訓練されてきたことと関係があるのかもしれない。美味しい料理を食べた時、作った人の顔を思い浮かべるより、レシピを調べるのと似ている。
しかし、ある優れた建築を前にして、感動すればするほど、それをこの世に生み出した人間のことを知りたいと思うのは自然ではないか。少なくとも私は知りたいと思う。ゴッホやルオーの絵を前にして、あるいは良寛の書を前にして、人間に興味がわかないなどというのは、影響を受けるということを深く考えたことのない人間の戯言だと思う。
いきなり話がそれてしまった。
私が影響を受けた建築家は多い。白井晟一氏や吉坂隆正氏を筆頭に海外の建築家を入れれば30人ほどになる。その中に山本理顕氏(78)がいた。その山本氏が今年、「建築界のノーベル賞」と言われる「プリツカー賞」を日本人として5年ぶりに受賞した。こんなうれしいことはない。
ところで、以下の記事を書いたとき、建築の素人が何を偉そうなことを言っているのかとのコメントをもらった。私は心ある建築家が批判するだろうと思っていた。しかし、批判しないどころか、高名な建築家が率先して愚行に手を染めているのを見て、やむを得ず書いたものだった。
三流腐敗国日本の象徴−関西万博 大屋根(リング)
https://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=884
それでなくとも、今の日本では、批判はネガティブなもので、コンビニの店員に理不尽なクレームをつけているようなものだと考えられている。批判は創造的行為だなどと思っている人は絶滅危惧種なのかもしれない。
そんな時、尊敬する山本理顕氏が関西万博を建築的観点から批判しているのを知って、救われた気がしたのだ。真実は単純で、誰もが見ようとすれば見えるし、聞こうとすれば聞こえるものだ。聞く力を強調していたどこかのfoolには無理だろうが・・・
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問題はお互いが「後ろ髪を引かれている」ことの価値に気づいているかどうかです。気づけるためには、直観を信じなければなりません。社会的なステイタスや通念に縛られていると直観は生き生きと働きません。そして人生で最も大切なものを見失ってしまうのです。
なぜこんなことを言うかといえば、「後ろ髪を引かれる想い」を見事に描いた映画を思い出したからです。1998年に公開された映画『ジョー・ブラックをよろしく』(原題は「Meet Joe Black」)です。
すでに多くの方がご存じだと思いますが、二人の男女が出会う最初のシーンが素晴らしい。公開から26年経った今見ても、監督の手腕に感心します。それもそのはず、監督は「セント・オブ・ウーマン・夢の香り」のマーティン・ブレストだからです。
ファンタスティックなラヴストーリーだと言ってしまえばそれまでですが、正直に告白すると、私のお気に入りの映画の一つです。そして二人の出会いは、「後ろ髪を引かれる想い」というか、一瞬で恋に落ちる男女のリアリティーを描いた最も煽情的で心に残るシーンだと思います。
恋愛なんて単なる幻想、ファンタジーに過ぎないと一蹴する人間が増えれば増えるほど、世の中は生きづらくなっていくのではないでしょうか。人は高学歴・高収入を抱きしめて生きることはできないのです。
主演はブラッド・ピットとクレア・フォーラニです。二人の演技が自然ですばらしい。Netflixで見ることができます。野暮な解説はやめにします。どうぞ全編をご覧ください。
以下は二人が出会う最初のシーン
https://youtu.be/I9NrCuSccP8?si=4JN0VJKjBcmsD_N_
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今回は雨の中、実家の庭に咲くミモザの花と美味しいお菓子を持ってきてくれました。時間があるとのことで久しぶりにゆっくりと話ができました。
話をしながら、台所のテーブルの上に置いてあった粉引きの茶碗が素敵だとほめてくれました。それは初めて満足のいくものができたと妻に自慢していた茶碗でした。それから話題は陶芸に及び、気がつくと、あっという間に3時間が過ぎていました。
まだまだ下手ですが何か欲しいものがあったら作ります、とむりやり要望を聞きだしました。彼女曰く、アンティークの小物でデルフト焼が好きなんだけど作れますか、とのことでした。デルフト焼は知りませんでした。スマホを取り出し、画像を見せてくれました。オランダの焼き物が一瞬で見れるとは、なんとも便利な時代になったものです。
アンティークの小物。見れば見るほど美しい。
デルフトはオランダの都市の名前です。コロナ前、ちょうど旅をしようと計画していたのがオランダとベルギー、そしてデンマークでした。妻にいろいろと蘊蓄を傾け、ガイドブックも買ってやっと了承を得ていたのですが、残念な結果となりました。
ところでデルフトと言えば、画家のフェルメールが、生誕から亡くなるまで43年間を過ごした都市です。いつか訪れてみたい場所ですね。
青と白の食器が好きなら、一度は訪れてみたい街
https://wabbey.net/blogs/blog/delft
さて、これからしばらくは彼女のリクエストに応えるべく、デルフト焼に挑戦することにしましょう。風合いが粉引に似ているので何とかなるでしょう。
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私は建築に興味があったので、今でも建築雑誌をパラパラとめくっている。そしていつも残念な気持ちになる、というか今の建築界の惨状を目にして憂鬱になる。そこには何とか人々の生活を本当の意味で支えようと呻吟する姿がない。富裕層のしゃれた邸宅の写真が掲載されているだけで、生活がない。大工や左官の苦闘の跡がない。
日本社会がコーポラティズムに広くおおわれるようになって、建築家も経済学者と同様に権力からの目くばせに敏感な職業となった。そんな中、住宅建築家という目立たない生き方を選び、バブル経済とは一線を画し、あくまでクライアントの生活を重視してきたのが建築家の中村好文氏である。ブログで何度も取り上げてきた。
そして、能登半島地震で被災した塗師の赤木明登氏のことはすでに書いた。
日本の中の二つの国。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=887
赤木氏のことは『欲しかったモノ』(ラトルズ)の中で中村氏に教えてもらった。今から18年前のことだ。この本の中で中村氏は言う。
「一人一人がつくったモノは、みんな自分の仕事や暮らしから発想されたもので、今、自分が本当に欲しかったモノ、心惹かれるモノ、つくりたいモノができたと思います。世界には、売れ筋狙いのモノや、安直なモノがあふれていて、本当に自分が欲しいものを探そうとするとなかなか見つからない。作り手側がモノづくりの動機を見失っているような気がするので、自分の暮らしの中から発想するモノづくりというのは大きな意味を持っているんじゃないでしょうか」
この本の一番手として登場する赤木明登氏曰く。
「人がいて、家族と時を過ごす。友だちがやって来て酒を飲む。ご飯を食べて風呂に入って、という当たり前のことが一番大切だと思う。そうやって、誰かと出会って一緒にいることを慈しめる道具があるといいと思うんですよ。暮らしに仕えるような道具」
「つくるときにあるのは、その元にある感動だと思う。何かに出会って、心が震えて、いろんなことが始まっていくんだと思うんです。その感動をうちに持って帰って、それを多少なりともドキドキしながら喜んで使うということが、その人の暮らしをすこしゆたかにするんじゃないか、って」
地震で輪島塗の技術も職人さんもコミュニティーもいま崩壊の危機に瀕している。それでも赤木氏は元気いっぱいである。輪島塗という工芸が人を救うということを実感しているからだ。
壊れた屋根にブルーシートを張ったり、崩落した家や工房を片付けたり、再建を話し合うために大工さんがボランティアでやってくる。まさに工芸が人の命を救っている。仮設住宅だけでなく、こんなところにこそ国の資源を集中すべきだと言えば真っ先に反対するのは橋下徹をはじめとする維新の連中でしょうね。
そんな折、今日、赤木氏のSNSを見た。
「建築家の中村好文さんが、東京から能登にやって来た! 住まいを失った、工房の職人さんたち6人のために、好文さんがステキなプランをつくってくれました。岡山チーズ大王の全作小屋をプロトタイプに、電気、上下水道、ガス、外部からライフラインの供給が無くても、自律して生活できるかわいい小屋を森の中に何棟もつくる。これで、もういちど地震が来ても大丈夫だと。先生、後光が指しています!」
これこそが暮らしを第一に考える建築家の仕事だと素朴に思う。
以下の記事は今回の内容に関連したものです。よかったらお読みください。
縁切りハウス。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=804
三流腐敗国日本の象徴−関西万博 大屋根(リング)
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=884
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面接試験で高校生や大学生ならせめて「中村哲氏です。彼こそが国民栄誉賞に価する人物だと思います。」くらい言ってほしいものだ。チェ・ゲバラやエリック・ホッファー、ジャンケレヴィッチ、北御門二郎の名前を挙げなくてもよい。どうせ「それ誰?」という反応しか返ってこないだろうから。
あるいは「はい、尊敬する人物は安倍晋三氏です。彼ほど日本と日本人に誇りを取り戻そうと努力した人はいません。そのために、祖父の代から三代にわたって統一教会とズブズブの関係を結び、全人類の真(まこと)の母であらせられる韓鶴子氏にビデオメッセージを送り、トランプ大統領とゴルフに興じ、バンカーに落ちてひっくり返えっても泣かずにプレーを続けたのですから。彼こそが国葬に価する不世出の政治家です。」というのも立派な答えかもしれない。いや、マジで。
話がそれた。「オヤカク」とは採用企業が学生の内定時などに「(入社について)親の確認を取る」ことだそうです。内定通知書を親にも出したり、親向けの内定同意書を作成したりする企業もあるとのこと。
日本社会は劣化というより幼児化しているのだ。「親ガチャ」を変換したら「親が茶」しか出てこない。「オヤカク」は「親格」だ。とにかく勝手に言葉を短縮する。金曜日の卵料理は「キンタマ」か?
報道によれば「新卒採用で学生優位の『売り手市場』が続く中、企業側が学生の内定辞退を防ごうと親の意向を確認する『オヤカク』が広がっている。辞退理由に親の反対を挙げる学生が絶えないためで、企業は親子参加の会社説明会を開くなどして、親の不安解消に努めている。
就職情報会社「マイナビ」が、2022年度に就職活動した学生の親を対象に調査したところ、オヤカクを受けた人は48%に上った。18年度調査では18%だった。複数の内定を得て悩む学生の支持を取り付けようと、親に接触する企業は増えているという。」とのことである。
親から自立せよ、などと叫ぶつもりは毛頭ありません。親子が信頼し合って、頼りにし、何でも相談。大学選びも就職も結婚も、海外旅行も親と一緒。投資先はNISAを勧めてくれました。やっぱうちの親はハイスペックなだけあって、相談すれば的確な答えが返ってきます。母はケイオーの幼稚舎出身の内部生で、父はトーダイで医学部の教授。
ていうか、それは表向きの肩書で、実は資産家です。トマ・ピケティが言うように田舎出の一部上場企業のエリートサラリーマンがいくら稼ごうと、決して追いつけないもんね。人生の勝敗は生まれたときから決まっている。庶民は宝くじに当たった夢でも見て暮らしなさい。
日本は「平和」で「自由」です。格差なんて当然でしょ。山本太郎は何を騒いでいるの?高校中退の芸能人上がりのくせに。そのうち消えていなくなるに決まっている。偽善者面したパフォーマンスが我慢ならない。それにしても投票に行く人間なんて哀れなものです。民主主義なんてもう終わっているのだから。
かくのごとく、今の「教育」システムはお行儀のよい家畜の量産工場になってしまった。家畜の人生を拒否する人は刮目せよ。 Catastrophe is just around the corner.
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能登半島地震によって多くの命が失われ、貴重な街並みや文化が消滅の危機に瀕している。もはや立ち直れないだろうと他人事のように考えている人間があまりにも多い。限りある国の資源を復興に費やすのはどうか、といった意見もある。
要するに、自分たちの納める税金がやがて消滅するはずの地方の街に使われるのは非効率だというわけだ。なんという浅薄な考えだろう。日本の優れた文化は地方に住む職人やその家族が営々として築いてきたものだということに想像力が及ばないのだ。
地震が発生したのは午後4時過ぎ。日没まで一時間しかない。停電で真っ暗闇の中、倒壊した建物の下敷きになって救助を待っている人たちは、翌朝まで最低12時間以上瓦礫の中に閉じ込められたままである。そのまま圧死した人もいれば、焼け死んだ人もいただろう。道路が損壊しているので翌朝になってももちろん救助隊はやってこない。
国のトップは正月気分で官僚からの報告をただ待っているだけ。痴呆のように新年会をはしごしていたのだ。国民のことを第一に考えるリーダーなら正月休み返上で、すぐ自衛隊の出動を要請するはずだ。大型ヘリコプターで電源車と重機を運び、倒壊した建物を照らし、夜を徹して救助に当たったことだろう。
岸田首相は40億の予備費の投入を宣言し、その後批判されて47億に増額した。バカか。しかも各戸に一律10万円、最大20万円の「貸付」を行うと発表した。これが棄民でなくて何だ。
大阪万博の木造リングには350億円をかけている。しかも半年後には取り壊されるのだ。自分たちの懐を肥やすものには税金を湯水のごとく投入する。国民が望んでもいない「大阪万博」に「機運醸成費」と銘打って莫大な税金が注がれ、広告代理店やイベント会社に落ちていく仕組みが出来上がっているのだ。
「機運醸成費」とは、「大阪万博」に賛同するように仕向ける「世論操作」のための税金である。国民から巻き上げた税金で、国民を標的とする「世論操作」を行う。福島第1原発事故の「風評対策費」と同じである。
博徒と犯罪者の集団、維新の会の吉村知事は万博と復興は二者択一ではないと言った。十倉経団連会長も同じ表現を使って万博を後押ししている。つまり、何が何でも万博はやる、と言っているのだ。しかし、被災者と国民の立場に立てば二者択一なのだ。政治家の最も基本的な責務は国民から集めた税金を公平公正に使うことである。維新の博徒たちはその能力を根底から欠いている。
それにしても、前にも書いたが、万博リングの設計者である「才能ある気鋭の建築家」藤本壮介氏はこの事態をどう考えているのだろうか。建築家のあずかり知らぬことだと考えているのだろうか。
頭のいい人間は、いとも簡単に葛藤から自由になる方法を身につける。逆に、それができるからこそアタマガイイと言われるのだ。それにしても金儲けと売名を第一義とする集団を批判する建築家はいないのだろうか。そうだとすれば、倫理観と想像力を欠いた人間たちによってこの国の風景は平準化し堕落し、そこに住む人間たちは静かに発狂していくことだろう。
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Pottery&Teahouse「而今」で、来し方を振り返り、この国と世界の行く末を見とどけたいと思い、今はその準備に一日の大部分の時間を割いている。「而今」では、来客があれば、自作の茶碗の中から一つを選んでもらい、それでお茶を点て、静かに時を過ごしたいと空想している。
「いやな場所には絶対近寄らない」と以前ブログに書いたが、滅びに向かうこの国は今や修復しようのないほど分断が進み、たまにまともなことを言う人間がいれば、よってたかって相対主義、多様性の海へ沈めてしまおうとする。「それはあなたの感想ですよね」「思い込みによるパフォーマンスですよね」というわけである。
能登半島の地震で多くの人が死に、家を失い、避難所生活を余儀なくされているにもかかわらず、原発は粛々と再稼働すると言い放つ総理大臣。避難する道路がズタズタになっていて、逃げ場がないにもかかわらずだ。
能登町に入った山本太郎に批判的な時事通信社は、記者会見の場で官房長官に「れいわ新選組の山本太郎代表が石川県能登町に入った。山本氏の行動が適切とお考えか。被災地を離れるよう求める考えはあるか?」と質問した。官房長官は「コメントは差し控える」。
唖然とするしかない。これが今の日本の政治とマスコミのレベルである。
政治家も財界人もマスメディアの人間たちも、すでに美味しい果実を十分手に入れているにもかかわらず、それを国民に還元しようとも思わず、私腹を肥やし、挙句の果てにルサンチマンの虜になっている。
ルサンチマンは人間の醜さを白日の下にさらす。自分たちの仕事がどれほど愚かで道を見失ったものであるかを指摘する人間がいれば、その人間を貶めることに全力を傾注する。卑小な人間はソクラテスの昔からいる。いい歳の高学歴人間たちが嫉妬に狂っているのだ。
自民党と経団連、維新、国民新党そして電通、パソナ、吉本。彼らには羞恥心はおろか罪悪感もない。自分たちが日本の経済を担っていると信じているからだ。実際は国民の税金を吸い上げて公共事業で山分けするヤクザであり、犯罪者の集団であり、博徒でしかない。
彼らにどう反撃すればいいのか。反撃できるのは国民だけだ。山本太郎はその先頭に立てる人間である。
https://youtu.be/cfdNo89dlNk?si=qN9ASYfIzq2O8yWL
私はこんな国に生きていることが恥ずかしい。苦しい。そこでこの国にはもう一つの国があると思うことにした。そこで生き生きと生きることで反撃を開始する。
ところで、今回の地震で最も甚大な被害を受けた輪島で塗師をしている赤木明登氏の安否が気になっていたが、元気だとわかり安心する。彼の新著をてがかりに、もう一つの国の豊かさを一人でも多くの人に実感してもらいたい。
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生きているときは発言や行動に目を奪われてなかなかその人の本質にたどりつけません。頭にきたり、後悔したり、憎んでみたり、逆に愛し過ぎてしまうのです。要するに、実存としての人間に振り回されるわけです。
しかし、ある人が死んで、世界のどこを探しても二度と再び会えないとわかると、その事実が余計な思いをさせなくなります。ここにおいてです。その人が持っていた本当の価値が分かるようになるのは。それは地震で崩落した崖から過去の堆積層が現れるようなものです。
昨日は義理の妹のお父さんが亡くなり、妻と葬儀に出席しました。九十二歳でした。弱音を吐かず、人の悪口を決して言わない人でした。母も私たちもいろいろなところに連れて行ってもらいました。
該博な知識を持っていても自慢することなく、常に人の良い所を見つけては褒める人でした。肉体はいつか滅びます。しかし、その人に寄せていた想いというか感情は残ります。まるで脱いだばかりの服がそこに置かれたままになっているように。
以下は義理の妹が追悼のしおりに書いていた文です。私は何度も読み返し故人を偲びました。
〜激動の時代を力強く生き抜いた父〜
「ありがとう…そしてお疲れさまでした」
情熱的で愛情深い人でした。
本と外国映画が大好きで、人に優しくてサービス精神旺盛。
行きつけの喫茶店で出会った人と仲良くなっては交友関係を広げていました。
子供時代を満州本渓湖で過ごし敗戦一年後に別府に引き揚げ。その間大変な苦労をしたとか。
竹田高校から熊本大学に進学しましたが、学生運動にのめり込んで勝手に上京。亡き祖父母にはとても心配をかけたようです。
鶴崎高校、大分工業定時制の教師時代は、公害反対の研究会を作り、住民と一緒に精力的に活動していました。
五十八歳で早期退職した後は、光厳寺の住職と勝光寺の住職も途中兼務して多くの檀家さんから慕われていたようです。安心院と大分の往復は傍で見ていても大変そうでしたが、疲れたと言っているのを聞いたことがありません。
ドライブが好きで、五十年間で乗った車は何と十六台。旅行も好きで、晩年は孫たちや満州時代の同級生、親戚御三家で旅行に行くのを楽しみにしていました。また、私たちの影響で韓国のドラマと映画にはまり、ビデオを十本借りてきては一気見していました。結婚五十周年のお祝いに家族四人でソウルに行ったのが良い思い出です。
父の人生は出会いと縁で彩られていました。同級生や親しかった方々の多くはすでに鬼籍に入っていますのでこれから再会できることでしょう。太陽のような父の姿はいつまでも私たちの胸に生きています。
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「バベルの塔」とは、旧約聖書の「創世記」に登場する伝説上の高層建築物の通称で、 神の怒りを買った「人間の驕りの象徴」とされ、今日でも「思い上がった実現不可能な構想」の代名詞となっている。
「麻布台ヒルズ」は、森ビルによれば「世界中から超一流の才能が結集し、一丸となって計画全体を練り上げてきました。」とのことである。コンセプトは「多様でありながら一体感のある、唯一無二の街」だそうだ。私にはエイリアンのグロテスクな手足がビルに吸い付いているようにしか見えないのだが・・・
「麻布台ヒルズ」東側エントランス
関西万博 大屋根(リング)のコンセプトも「多様でありながら、ひとつ」である。
それにしても、建築家の隈研吾氏が東京オリンピックに際して国立競技場を設計してからというもの、大小を問わず(中にはスターバックスコーヒーの店舗まである)至る所に氏の設計になる木造建築が建てられている。
関西万博 大屋根(リング)を見た時、隈研吾氏が関係しているなと思ったが、案の定その通りであった。ゼネコン大手の大成建設と隈研吾建築都市設計事務所が落札した。
隈氏は、大阪万博の会場はカジノを建設するための口実であり、税金が湯水のごとく使われ、人々の生活は苦しくなる一方であることなど意に介さなかったのであろうか。
21世紀に入り、3・11とコロナを経験した後でさえ、ますます加速化する経済活動の到達点が関西万博であり、このプロジェクトは「バベルの塔」の建設そのものだとは考えなかったのだろう。金と権力は建築家の想像力まで衰弱させてしまったのだ。
あちこちに雨後の筍のごとく隈氏設計の建物が建つのを見て、私はウォルター・リップマン(米国のジャーナリスト・コラムニスト・政治評論家、1889〜1974)の言葉を思い出した。
When all men think alike, no one thinks very much.
(皆が同じように考えている時は、誰も深く考えていない。)
ところで、大屋根(リング)は、万博の会場デザインプロデューサーである建築家の藤本壮介氏が建設を要求し2020年12月に加えることになったものである。
藤本壮介氏と言えば、元塾生のK君と大分市にある「House N」を見学に行った時のことを思い出す。K君は建築家志望の学生で、中津にある『風の丘斎場』の見学にも行った。「House N」は藤本夫人の両親の家である。夫人の御両親は気持ちよく私たちを迎えてくれ、しばし歓談した。
藤本壮介氏が2008年に完成させた大分市の住宅「House N」
その藤本氏、以前はインタビューで次のように答えていた。
「一番影響を受けたのは『混沌からの秩序』(I・プリゴジン、I・スタンジェール著/みすず書房)という本だと思います。これは、ノーベル化学賞をとった物理化学者が書いた、その世界ではとても有名な本です。昔のことなので、細かい内容は忘れてしまいましたが、近代がもっていた「大きな秩序」に対して、部分と部分の関係から生じる「部分からの秩序」がありえる、というメッセージに衝撃を受けたことを覚えています。」と。
藤本氏はメッセージに衝撃を受けた自分と万博 大屋根(リング)の建設を要求した自分を一個の人格の中でどのように統御しているのだろうか。少なくとも、万博 大屋根(リング)は時代にそぐわない『大きな秩序』を志向するものではないのか。
最後に、大分市の住宅「House N」を見学した時、藤本氏の現在地を予感していたことを付け加えて今回のブログを終わりたい。
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人間は感情が劣化すればその上に築かれるいかなる論理も空理空論になるのだ。「論理的思考とは具体例を豊富に、かつ整合的に使う思考です。なぜなら、人が生きるのは、机上の理論よりもはるかに複雑な事実の世界だからです。」と、過去記事の中で書いた。
開成中学・高等学校長 − 柳沢幸雄氏を批判する。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=614
自民党の議員は痛いところを衝かれると「個別具体的な案件についてはコメントを差し控える」と胸を張っているが、国会は個別具体的な案件について議論する場ではなかったのか。一般論に逃げて「コメントを差し控える」のなら議員を辞めろ、と言うしかない。
自民党の中にはたまに不心得者がいるのではなく、自民党という母集団が腐っているのだ。だから誰が閣僚になっても同じだ。官房機密費という国民の税金を飲み食いに使い、東京オリンピックを誘致する賄賂として使った。それをドヤ顔で暴露する馳浩知事は自民党議員の典型である。
私の言っていることを疑う者は、以下の動画を見よ。これこそが国会議員の仕事であり、常に国民のことを第一に考えている政治家の顔だ。
山本太郎の国会質問!参議院・予算委員会(2023年11月28日)
https://youtu.be/2O4Rh4JDMq4?si=0qa-zgSvbY1bP5nw
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この映画の監督と脚本を手がけたのは『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督です。『燃ゆる女の肖像』は18世紀のフランスの孤島を舞台にした女性どうしの愛を描いたものですが、始まるとすぐ引き込まれました。映像の美しさだけではなく、人や物の存在感が際立っていました。エンディングでヴィヴァルディの四季の中の『夏』が流れた時には、本当に感動しました。あちこちに伏線が張られ、それが回収されるエンディングは半ば予想できるものであったとしても、それでも驚きと新鮮さがありました。愛に男も女も関係ないと感じさせる説得力を持つ、余韻の残る映画です。
その同じ監督が次に作ったのが『秘密の森の、その向こう』です。娘・母・祖母の3世代をつなぐ喪失と癒しの物語です。わずか72分の映画ですが、最後のシーンで少女ネリーが母親にかけるひと言が魂を揺さぶります。観た後、しばらく座席に沈み込んでいました。
私は拙いながらも時間と記憶をテーマにして思索を巡らせてきましたが、この映画からはいろいろなインスピレーションをもらうことができました。特に母親を亡くした喪失感からなかなか立ち直れなかった経験を持つ女性に勧めたいと思います。そして人生を深く生きたいと思っている人にも。どちらもPrime Videoで観ることができます。
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日本のテレビ、新聞が日々垂れ流している映像や情報が作り上げた社会のイメージは現実ではない。それを現実だと思い込んで生きることは夢の中を生きているようなものだ。
「夢から覚めて現実に戻る」という表現があるが、戻った現実が夢ではない保証があるのか。私たちが見ているのは現実ではなく、「現実だと言われているもの」「現実だと思わされているもの」に過ぎない。
3・11で私たちは現実に直面した。そして夢から覚めたと思った。が、それも一瞬で、数年を経ずしてまた夢の中に逆戻りしてしまった。汚染水の海洋投棄といい、東京オリンピック、大阪万博と続くイベントは、「原子力、明るい未来のエネルギー」というキャッチフレーズを誰もが疑わなかった世界へと逆戻りさせるものだ。
だから「イベント人間は信用できない」を書いた。それも遠い昔の気がする。私は欺かれたくない。捏造された現実の中で生きるのはまっぴらごめんである。
現実とは何かという問題は次回にまわす。といっても、私のブログはこの問いの周辺をぐるぐるまわっているだけで、またか、と思われるだけだろう。生産的なものではない。ただ、思考のぐるぐるまわりを怠ると夢の中に引きずり込まれてしまう。できればボケるまでは覚醒していたいものだ。
私にとって現実に直面する機会を与えてくれるのは、SNSやテレビではなく、読書と映画だ。これらは現実から逃避するもののように思われている。しかし、まったく逆だ。人間は読書や良質の映画を観ることを怠ると、他人に、特に若い人に対して「現実を見よ」「そんなことをしていると食えないぞ」と言うようになるのだ。
というわけで、昨日観たのが以下の映画。「意識低い系」の私が、現実に向き合い、覚醒するための映画だ。事実に基づいて作られた。私の感想など不要だ。
映画『私はモーリーン・カーニー』。シネマ5bisで11月17日まで。
パンフレットの紹介記事より。
― 世界最大の仏原子力発電会社の労働組合代表モーリーン・カーニー。会社とその未来、従業員5万人の雇用を守るため、中国とのハイリスクな技術移転契約の内部告発者となったモーリーンが、自宅で何者かに襲われるというスキャンダラスな事件が起きる。耐え難い肉体的暴力と、それを自作自演だと無理やり供述させようとする権力側からの精神的暴力。被害者から容疑者へと真逆の立場に追い込まれながら、屈することなく闘い続け、無実を勝ち取るまでを描いた実話の映画化。最悪の状況からなぜ彼女は立ち直ることができたのか・・・。―
今死にたいと考えている人、そして夢の中を生きている連合の会長・芳野友子氏にこの映画の感想をぜひ聞いてみたいものだ。
今では音楽はもっぱらダウンロードして聴く人が多いのでしょうが、私はお気に入りの曲はCDで聴くことにしています。手紙の最後に、富山県の女性M・S(47)とだけ書かれていました。お礼のしようがないので、せめてブログに書き留めておこうと思います。
― 先生のブログの最初期の頃からの一読者です。「やりたくないことは一切やらず、近づきたくない場所には絶対近づかない。世間的な価値に軸足を置かず、人生の限りある時間を自由に使うのだ、と決心することからでも職業選択の道は開ける」という先生の考えに共鳴し、今私は最高に幸せな人生を送っています。先日のブログで、老後は国東半島をまわりたいと書かれてあったことを思い出し、ささやかなプレゼントを贈ります。気に入って下さるといいのですが・・・。
以下が頂いたCDです。ご存じの方も多いと思いますが、青葉市子の『アダンの風』です。
『アダンの風』のCDは持っていませんでしたが、彼女の最初のアルバム『0』は私のお気に入りで、疲れた時によく聴いています。魂が浄化されるような素晴らしい曲です。この中に国東半島旧第六トンネルの中で演奏、録音された『いりぐちでぐち』という曲があります。
この曲が生まれたいきさつを語っている部分がとても面白い。一部を紹介します。
──収録曲の「Mars 2027」と「いりぐちでぐち」は足音だったり、スタジオ外と思しきフィールドの音が入っていますよね。
その2曲はトンネルの中で録りました。去年の11月に大分の「国東アートプロジェクト2012」のアートツアー「いりくちでくち」に参加したんですね。そのツアーの通過ポイントとして、そのトンネルを初めて通ったんですけど、通ったときに何か感じるものがあったんです。その後、今回の録音作業が始まったときに「外で録りたいな」と思って、最初に思いついたのがそのトンネルだったんです。
──外で録音しようと思った理由は?
スタジオのブースの中で、マイクがセットされてて、機械に囲まれて身動きがとれない中で、自分が作った曲を再現して、それを録音して作品にするという流れに対していまいち納得いってないところがあったんですね。もともと作品にしたくて音楽を作っていたら、たぶん、そういう気持ちにはなってないと思うんですけど、私は楽しくて踊りながら歌っちゃったりもするし、そうやって生まれた曲をスタジオという堅い状況で、作ったときと同じように自分の力を発揮するのはちょっと難しい。やっぱり、かしこまったような音になってしまったり、変な力が入ってしまって、もともと曲が持ってる力に近付けなかったことが過去にあったので、「自分の作った音楽が喜ぶ環境ってなんだろう?」と考えたときに「フィールドレコーディングをやってみたい」と思ったんです。それで何を録るかは決めずに、楽器と機材と身体だけで国東へでかけていって、出てきたのが「Mars 2027」と即興で生まれた「いりぐちでぐち」でした。
──どうやって録ったんですか?
まず最初にトンネルの入口、地面に座って「Mars 2027」を弾いて、それからしばらく弾いたり歌ったりしたあと立ち上がって、トンネルの出口に向かって歩いていく中で録ったのが「いりぐちでぐち」です。トンネルの入口は外の光が入ってくるので手元も景色もぼんやり見えますが、ちょっと進むと出口の白い穴だけが見えていて、あとは真っ暗な状態でした。zAkさんは私の少し手前を後ろ歩きで録音していたようです。あと曲の中ではコウモリが鳴いています。
──もしかして、あの「キキキキキ」っていう鳴き声みたいな音ですか。
そう。11月に初めてトンネルに行ったときは冬眠の時期で、数十匹から数百匹が固まっていて、そこで人が音を立てるとちょっと反応して「キキ」って鳴くくらいだったんですね。その声が聞こえるということで、ツアーの行程にトンネルも組み込まれていました。私が曲を録りに行った7月頭は、コウモリの活動期で数が増えていて、たぶん数千匹いたかな、真っ暗だったので気配で感じ取るしかなかったんですけど、歌いながら歩いていたらコウモリの羽がかすめて起こる風が顔にかかるんですよ。超音波を出してよけてくれるので、ぶつかることはないんですけど、そのときの状況はすごいものがありました。
──その状況って怖くはなかったんですか?
怖くはなかったですね。それどころじゃなく、歩いて歌って進むしかない状況だったというか。国東自体、不思議な力がある土地なので、そういう究極の状態に置かれると怖いとか、そういう感情すらなくなってしまって、音楽というよりも音に近い状態にまで剥がされるような、これまで体験したことがないような状態でした。実はその2曲を録音した音源は39分32秒ひと続きの長いもので、その一連の流れで1枚の作品ができるくらいのものにはなっているんですけど。「Mars 2027」と「いりぐちでぐち」にノイズが乗ってますよね?
(以下略)
https://natalie.mu/music/pp/aobaichiko/page/2
以下のトンネルが旧第六トンネルかどうかわかりませんが、国東にはこの種の隧道があちこちにあります。老朽化して危険なので、立ち入り禁止のところが多いようです。往時は人々の生活道路として欠かせなかったのでしょうが、今は役目を終えてひっそり静まり返っています。
以下はアルバム『0』に載っている写真。
さて、今年の秋は国東半島をまわるとしましょう。
雨雲の灯りで瞳をつないで ようやく辿り着いた
ここは大きな日本家屋
長いトンネルを抜けるまで 怖かったよね
ほっとして 座り込んだ
ひどく汚れた 足の裏 怪我してるのか
少し痛いけど どれが僕の血なのか わからないね
大きな山の頂で 貴重な生命
身を寄せ合って あたたかな 温度を抱きしめながら
大きな山の麓には 死者の国
僕らを見上げては 光の玉届けて
ボストンバッグには 3日分の服とあの子の写真
今頃どこかで 泣いてるかもね
それとも 笑ってるかもね
新しい亡骸を 峡谷へ落とす
鳥たちがすかさず啄んで 空高く 運んでく
毎日の風景 ずっとつづくね
慣れなきゃ
いきのこりぼくら
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あらかじめ質問内容が決まっている記者会見など、いったい世界のどの国で行われているのか。私たちは侮辱されているのだ。何もかもが茶番の社会に怒りを感じないのであれば、人間として生きているとは言えない。
3・11以降、マスコミは原発事故について意志的に語らないことを選んだ。少なくとも語らないことへの暗黙の合意が業界全体に浸透していくのを放置したのだ。それは原発事故を無かったことにするという意思表示であり、忘れることへの能動的な関与に他ならない。結果、多くの人々は事故がもたらしたものとともに生きるのではなく、事故を無かったことにすること、経験そのものを抑圧することを選ぶようになった。
70歳を過ぎても、私の怒りは収まらない。もちろん、日々の生活は質素でも私なりに充実した時間を過ごしている。朝起きて、ウサギとニワトリの水を換え、餌をやる。錆びたパイプ椅子に座り、朝の紫外線を身体いっぱい浴びる。さわやかな初秋の風が吹き抜けるのを感じる。晴れ渡った空を見上げる。玉ねぎの苗を植えるために畑を耕す。それが至福の時間だ。
おそらく、飯館村の住民も私と同じ気持ちで日々を楽しく生きていたに違いない。ただ、豊かな実りをもたらしてくれるはずの大地が放射能に汚染されるとは思ってもいなかった。白い防護服を着た人間がある日突然やって来て、「家を捨ててすぐ避難するように」と言われるとは想像すらしていなかったはずだ。
原発は決して事故を起こさない、コストも安い。そして「原子力は明るい未来のエネルギー」というフェイクを信じ込まされた。無能で無思考の政治家たちを信じた。日々の生活と政治は別物だと考え、警戒心をもたなかった。私がいつまでも政治にこだわる理由だ。
一方で私はかすかな希望を捨てずにいる。それというのも、三日前の土曜日、元塾生の姉妹が遊びに来てくれたからだ。妹さんは上高に通う3年生。芸大を目指している。お姉さんは西南学院大学の2年生で、留学生たちとの交流で楽しい日々を送っている。将来はイタリアに留学したいとのこと。二人とも私の最後の塾生だった。「てっぺんめざせ」だの「めざせ県立トップ校」などと言っていたら、決して出会えない生徒だった。
二人の現実を見る目は確かで、色々な話をしながらすばらしいセンスと深く物事を考える姿勢にいつも感心させられる。こんな若者がいる限り、もう少し頑張って生きようと思う。
さてもう終わりにしよう。最後に感情を浄化するために、歌を二つアップしておく。私を元気にしてくれた姉妹にプレゼントです。
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人間の精神は砂糖菓子のようにもろい。精神が失調をきたせば、自分の発言や行動の記憶も定かではなくなる。記憶をなくせば、犯罪の成立要件としての責任能力がなかったと見なされる。かくして、政治家を始めとして記憶喪失の人間ばかりが幅を利かせる社会になった。
具体例を挙げよう。10日ほど前のニュースから。
「駅のホームで面識のない女性に声をかけ顔をなめるなどした疑いで会社員の男が逮捕された。
会社員の藤木智也容疑者(23)は2023年7月、終電間際の東京メトロ銀座線・三越前駅のホームで面識のない25歳の女性に声をかけキスや顔をなめるなどした不同意わいせつの疑いが持たれている。
捜査関係者によると、藤木容疑者は女性に、背後から「これから飲もうよ」などと声をかけて突然キスし、顔をなめ回すなどしたという。また、逃げる女性を追いかけて「俺とエッチしようよ」などと迫り、再び顔をなめたり胸を触ったりするなどわいせつな行為を繰り返したという。
藤木容疑者は当時、酒に酔っていたとみられ、警視庁の調べに対し「覚えていない」と話しているという。」
https://www.fnn.jp/articles/-/598525
上のニュースの「会社員」が、「教師」「裁判官」「警察官」「自衛隊員」「ジャーナリスト」「NHK職員」「官僚」そして「政治家」であったとしても、もはや誰も驚かないだろう。余談だが、私は変なお兄さんに顔をなめられたり、胸を触ったりされたくないので、なるたけ東京には近付かないようにしている。
ところで、20年以上も前から、この国の出版・マスメディア業界の腐敗に対して、私は分をわきまえず警告を発してきた。酔っぱらいとしてではなく、しらふで毎日を生きている人々の中には、自民党、財務省、経団連、マスメディアがこの国を破滅に導こうとしていることに気づいている人が必ずやいると思ったからだ。その一端を以下に再掲しておきます。興味と時間のある方に読んでいただけたらと思います。
反・情報としての文学だけが世界を変革する。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=680
「『ビリギャル本』の詐欺性について」はなぜ削除されたのか?
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=726
『ビリギャル本』の詐欺性について。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=727
今回は出版業界の節操のなさが一目でわかる本を挙げておこう。ちなみに、以下の2冊は同じ著者による。
アマゾンでは「この本は現在お取り扱いできません。」とのこと。
代わりに以下の本を予約販売中とのこと。
枚挙にいとまがないが、最後にわが国の総理大臣が堂々とフェイクをまき散らすさまを見て置こう。
それは「廃炉を進めるためにALPS水の海洋排水は必要」というウソだ。 総理大臣が堂々と公言しているからウソではないだろう思っているような酔っぱらい(ホリエモンやひろゆき氏)は相手にしない。顔をなめられたり、胸を触ったりされそうなので。
しかし、このウソは少し考えれば小学生でも見破ることができる。
1:ALPS汚染水は核燃料デブリに触れた地下水である。地下水は永久に出続ける。
2:従って、デブリを完全に除去しない限り、ALPS汚染水の海洋投棄は30年どころか永久に続くことになる。
3:12年間で、880?の溶け落ちた核燃料デブリは数グラムしか取り出せていない。耳かき一杯の量である。「廃炉」はデブリを抜き取らないと完了しない。
4:従って 「廃炉を進めるためにALPS水の海洋排水は必要」というのはまったくのウソ。「廃炉を進めるためには、デブリを抜き取らなければならない」というのが真実。
5:以上より、廃炉(デブリの除去)とALPS汚染水の海洋投棄はまったく関係がない。それをさも関係があるかのごとく公言しているのがわが国の総理大臣である。巧言令色鮮し仁(口先だけうまく、顔つきだけよくする者には、真の仁者はいない)とはよく言ったものだ。
それにしても、この単純な論理が、わが国のメディアに携わる人間の頭では理解できないようだ。飲みすぎて頭をやられたのだろう。
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最初に、「大型風力発電をめぐる裁判の『これまで』と『これから』」と題して、弁護士の徳田靖之氏の講演がありました。徳田氏は伊方原発運転差し止め訴訟の原告側代理人でもあります。私が今回ブログに書き残しておこうと考えたのは下川さんと徳田氏の話しぶり、声についてです。
徳田靖之氏の話はゆっくりと、噛んで含めるように進みました。高圧的なところはみじんもなく、論理的でしかも難解ではありません。誰のために、誰と戦っているのかを自覚していなければこういう話し方はできません。
そして、徳田氏は「私は下川さんのファンになりました」と発言したのです。1人のファンとして下川さんを支えたいと宣言したのです。私は手を挙げ、「私は徳田先生と下川さんのファンです」と柄にもなく告白してしまいました。
徳田氏は様々な裁判を経験する中で、この種の声を聞いてきたに違いありません。だから下川さんのファンだと公言できるのではないでしょうか。
そして最後に下川さんが挨拶に立ちました。若かりし頃読んだ『米軍と農民』の著者・阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)氏を彷彿とさせる風貌の持ち主です。その声は、自分だけのオリジナルな考えや感情を語ることができる、自分の内心から湧きだした、自分が本当に言いたいことを伝える力を持っていました。中身がないのに、立て板に水のごとく、早口でまくし立てるインフルエンサーたちの声の対極にあるものです。
阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)氏については、以下の過去記事の中で触れています。
ひろゆき氏へ。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=815
そして、今回、下川さんが話の最後にご尊父が残した辞世の句を披露してくれました。細部が聞き取れなかったので、主催者のI氏に頼んで教えてもらいました。下川さんの写真も添付されていました。
落ちぶれて 人の心の 奥ぞ知る
朝日を拝む 人はあり 夕日を拝む 人は無し
嗚呼悲しきや 人生は
源七の山に 一輪残して散る
源七の山と言うのは、風車建設予定地の一尺屋上浦地区の共有地です。一輪とは下川さんのことです。
・山桜と下川さん(稜線上には山桜の巨木が多数あります)
・今は闘病中の上田さん(右)と下川さん。
以下は前回の集いの記事です。よろしかったらお読みください。
「山は父、海は母と教えられて・・・」
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=828
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これも同住宅。海を見下ろすテラスにはジョージ・ナカシマのラウンジチェア。
ここで流政之氏について紹介しておこう。
1923年長崎に生まれる。古流武道、刀鍛冶にかかわり、1943年には海軍零戦のパイロットとなる。敗戦後全国を放浪、石と出会う。1955年最初の個展“飛行空間”を開く。1963年イーロ・サーリネン、マルセル・ブロイヤー、ミノル・ヤマサキらの招きでニューヨークへ。のち四国「民具連」にジョージ・ナカシマを招いて日本での制作を勧める。ニューヨークワールドトレードセンター「雲の砦」などを制作。1978年北海道をまわり、旭川で家具メーカーを経営する長原實と出会う。
以降北海道との縁が深まり、奥尻島や大沼に彫刻公園をつくるプロジェクトで彫刻を次々に制作、中心的役割を果たす。2004年には北海道立近代美術館で「NANMOSA 流政之展」を開き、9・11米国同時多発テロで消えた「雲の砦」を「雲の砦Jr.」として甦らせる。
NAGARE チェアーは流が自らプロトタイプを制作し、2005年に旭川の家具メーカーと共に開発をスタート。
ふつうの家具のような常識的なラインを一切持たない、「基準のない椅子」を前に、芸術作品をプロダクトにする作業が半年間続いた。特に、背もたれから肘にかけての線はなめらかになりすぎないよう細心の注意を払い、座枠と前脚には美しい緊張感を持たせるため、光と影がつくる“稜線”を際立たせている。触れてはならないとされる彫刻と異なり、人の体を受け止める椅子は、掛け心地と強度が最大の条件となった。高級家具材のウォルナットを厳選して使い、十分な強度を維持するべく、高度な構造と木工技術で仕上げられている。
話をジョージ・ナカシマに移そう。彼は1964年に再び来日し、流政之の仲介で高松に来て、民具連の手づくりと人と人とのつながりの精神に共鳴する。そして、自身がデザインした家具の製作を託した。ナカシマは「家具は、人間の体に一番近い場所にあるものであり、おじいさんが買った家具を孫が使うというように、長く愛される道具である」と教えたという。
民具連の集会の様子。中央がジョージ・ナカシマ。右隣に流政之氏
現在、ジョージ・ナカシマ(George Nakashima)の家具は、桜製作所が日本で唯一製造を担っている。
ジョージ・ナカシマの『ラウンジアーム』
「家具は、木に2度目の命を与えること」と捉えていたナカシマはデザイナーと呼ばれることを嫌っていたという。
1905年にアメリカで生まれ、ワシントン州・シアトルで育ったナカシマ。ワシントン大学入学で森林学と建築学を学び、マサチューセッツ工科大学で建築学修士号を取得。パリやロンドンに滞在後1934年に東京のアントニン・レーモンド建築事務所に入所。同僚に日本のモダニズム建築の巨匠前川國男や吉村順三が在籍していた。
その後インドなどを歴訪し、「木匠」としての精神的な基礎部分を形成する貴重な体験を数多く経験したのちに、1940年アメリカに帰国し、家具製作を始める。太平洋戦争で収容所へ。そこで知り合った日系の大工との交流から、木工技術と木についての知識を深める。
戦後、米国に帰国したレーモンドを頼ってニューホープに移り住み、自分の工房を構える。早くから認められ1952年にはアメリカで建築学会のゴールドメダル授与、作品はスミソニアン博物館、シカゴ美術館などに収められた。
自分の宿命(仕事)を自覚している人は、会うべき時に、会うべきところで、会うべき人に出会っている。国が豊かであるとは、人種、性別、国籍を問わず、そういった出会いのチャンスがあちこちにあり、お互いに影響を受け、学び合うことができる環境を保障しているということである。若き学徒から金を巻き上げて恥じない国は、世界で信用を失い、自画自賛しながら早晩滅びる他ないのだ。
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そして今日。裏庭で栗拾いをした後、昨日の草刈りの後片づけをしようと(これが結構大変です)畑に出ました。すると、背後で何かが動く気配を感じました。イタチだろうと思っていると、その小動物は私のそばをぴょんぴょん跳ねて素早く通り過ぎました。
なんと、子ウサギではありませんか。懐中時計を取り出して「やばい、遅刻だ」と叫んでいたわけではありません。それに飛び込む穴もありません。でも、十五夜にウサギ!
じっとこちらの様子を窺っています。次の瞬間目が合いました。「やあ、ピーター。僕はマクレガーさんじゃないからね」と言いながら、ピーターをコーナーに追い込み、上からプラスティックのカゴをかぶせて捕獲しました。この間30分。汗だくになりながら、「僕はマクレガーさんじゃないと言っただろう。逃げるんだったら方角を確認しながらもっと頭を使わなきゃ」と語りかけました。
それにしても、私の住んでいるところはイノシシやサルは言うまでもなく、野生のウサギがいるほど田舎だということです。
それで思い出しましたが、高校の時の陸上部にA君という同級生がいました。彼は中学の時の走り幅跳びの日本記録を持っているほどの選手でした。練習の合間の雑談で「俺は国東の山の斜面をウサギを追って走り回って脚力がついたのだ」と言っていました。妙に説得力がありました。
さて、以上が9月29日の十五夜の出来事です。きっと、ウサギは誰かの使いとして私のところにやってきたのでしょう。今は、ニワトリ小屋に入れています。10月7日に宇佐までニワトリのヒナをとりに行きます。今回は3羽にしました。同居できるのか様子を見ます。でも、ウサギは本当に可愛いですね。孫に写真を撮って送ったら、さっそく明日見に来るそうです。
ニワトリ小屋のウサギ。名前はピーターです。
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中でも印象に残ったのは25歳で夭折した画家・中園孔二に話題が及んだ時だ。私は彼のことを知らなかった。スマホに保存していた絵を見せてもらい、衝撃を受けた。Y・T君はすでに画集を持っていて、いろいろと教えてもらった。漫画家の松本大洋を教えてくれたのも彼だった。
そして、すぐさま、評伝『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』を取り寄せて読んだ。懐具合と相談して、図書館で借りようとも考えたが、なぜかこの本は所有しなければならないと思った。
私はこの評伝を読んでいる最中、ずっと、シュテファン・ツヴァイクの「星の時間」のことを考えていた。7年前に読んだ『熊楠の星の時間』(中沢新一)がよみがえってきたからだ。
ツヴァイクは「星の時間」についてこう書いている。
― 時間を超えてつづく決定が、ある一定の日付の中に、或るひとときの中に、しばしばただ一分間の中に圧縮されるそんな劇的な緊密の時間、運命を孕むそんな時間は、個人の一生の中でも歴史の経路の中でも稀にしかない。こんな星の時間−私がそう名づけるのは、そんな時間は星のように光を放ってそして不易に、無常変転の闇の上に照るからである。―
ツヴァイクの言う星の時間が中園孔二の精神の内にも輝いたのだ。長い準備の時を経て、それまで中園の精神の中に出現しては消えていった、無数の思考の萌芽と断片が、短期間に驚くべき密度をもって、「避雷針の先端に大気全体の電気が集中するように」一点に集積し、凝縮されて、漆黒の宇宙空間にまばゆい光を放つ星となって出現したのである。
天才とはある個人に備わった属性ではない。それは個人の「外部から」白羽の矢が立つがごとく、宿命という別名で個人をわしづかみにするのだ。
本評伝は家族や友人、恋人などあらゆる関係者への取材と、中園が遺した150冊ものノートをもとに書かれた。
作品『見てみたかった景色』
中園孔二(本名:晃二)は1989年、神奈川県横浜市で生まれた。両親と3歳離れた兄との4人家族。地元のスターである田臥勇太に憧れて小学校から高校まではバスケットボールに打ち込むが、高校2年生の6月、突然「絵が描きたい」と言い出し、自室の壁に絵を描き始める。ほとんど徹夜で天井から壁から部屋一面を絵で埋めつくした。母親によればそれは「絵のマグマが噴き出すみたい」なものだったという。
東京藝大で中園を教えた画家のO JUN(オー ジュン)は、学生を見るとき、作品の良し悪しよりも「衝動」を重視するという。要は描き続けることができる身体を持っているかということだ。藝大生はプライドが高く、「美術家です」という顔をする割には制作量が追いついていないことが多いという。中園はその点を軽くクリアしていた。
なぜ量を重視するのか。それは〈作品によって救われた〉という経験が作家にとって大切だからだという。描く量が多ければそれだけ可能性も高くなるし、いちど救われた経験があるとさらに経験の水準をあげようと制作に打ち込む好循環が生じる。
これは陶芸をかじり始めた経験からよくわかる。「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし」という世阿弥の『花伝書』の一節とも符合する。
中園はこんな言葉を遺している。
「自分は誰かの描いた“絵”を見れば、描いた人間がその人が何から逃げているのか、あるいは、何を“知らない”のか、がわかる。絵は、それを作る人間がどこかへ行く時に、体が進んでいる瞬間に現れ、とどまる。体が初めて出合う外気との摩擦のようなものである。すでに知っている空間の内部では摩擦は起こらない」
「表現力=見えないものを見ることのできるものとして現象界に持ち帰ってくることのできる力」だと。
それにしても、本書の特筆すべき点はインタビューの素晴らしさだ。取材に応じた人々が皆、中園のことを知ってほしいと真摯な思いで語っていることが伝わってくる。インタビューを重ねる中で、「初めて人に話します」という言葉を著者は何度も聞いたという。
一つだけ例を挙げよう。中学時代の担任は、進路に関する個人面談が忘れられないと振り返る。
「中園君の順番になった時、彼はバスケットの部活中でした。短パン、ランニング姿でダダダッて走って帰ってきて、汗だくなんです。座りながら、『はい、先生』ってペットボトルのお茶を私に差し出してくれた。そのことを思い出すと、今でも泣けてきます。(略)『先生、ずっとしゃべり続けて疲れているでしょ』みたいなことを言ったんだと思います。本当に参っちゃいましたよ。困るんです。すごく困る。そんな子、いないですよ。三十年教員を務めても、他にいません。あの人の作品がどうのこうのっていうよりも、中学の時そんなことができた少年がこの世からいなくなってしまうなんて、そのことの不条理を思います。(略)」
彼女の中では、その時の汗の光り方まですべてが、いまも鮮やかな記憶として残っているという。こうした証言を目にするたびに、中園の存在が生々しい肉体性を帯びて迫ってくる。ひとりの人間が確かにこの世に存在したのだ、生きていたのだと感じられる。こんな評伝は稀だ。
もう終わりにしたい。今年の暮れに再会することを約束して別れたY・T君へ。おかげで、異界をさまよっているような充実した時間を過ごすことができました。ありがとう。
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東大出身の抜群に頭が良いことで有名な(もちろん皮肉です)茂木健一郎氏はその典型例です。「思想家」の東浩紀氏も同じ穴の狢です。彼らはもはや自分が何を言っているのか分かっていないのではないでしょうか。
茂木健一郎氏の9月11日のツイッターより。
ジャニーズにだまされる人は、芸術の教養が根本的に欠けている。クラシックからロック、ポピュラーまで、音楽のほんものに触れていれば、SMAPや嵐には騙されない。ジャニーズを聴くんだったら、モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリーを聴いた方がはるかに深く世界に通じる教養が身につく。(太字は筆者)
私にとってジャニーズはどうでもいい存在で、その音楽には全く興味がありません。しかし、「音楽のほんもの」だの「騙されない」だの「はるかに深く世界に通じる教養が身につく」などと思って音楽を聴いたことはありません。さすがに頭のいい人は違います。轆轤を回しながらエリック・クラプトンの「Layla」を聴いている私のような落ちこぼれとは住んでいる世界が違うようです。
いや、韜晦はやめましょう。三浦ルーリーちゃんを始め、この種の頭のいい人たちは、日本の植民地化が自我の疎外と深く関わっていることに気づいていません。彼らにとって知は自己を開放する手段ではなく、ナルシシズムの防壁と化しているのです。自己を開放することで真理に奉仕するはずのいかなる対話も、いかなる反証も、いかなる工夫も試みも、人間を序列化する装置になっている。これを言語の堕落、未成年状態への退行というのです。
ちなみに、茂木健一郎氏が言及しているボブ・マーリーの言葉をピックアップしてみます。
・ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ。
・後ろ向きなやり方では、とても生きては行けないよ。分かるかい。前向きに進むんだ。毎日が新しい日なんだから。
・俺たちには学はないけど、インスピレーションがある。もしも教育なんて受けていたら、とんでもない愚か者になっていたさ。
・指をさして人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ。
・自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ。
・どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ。それは、自分自身で見つけるものだ。
最後に、エリック・クラプトンがカバーしているボブ・マーリーの「I Shot The Sheriff」です。
Eric Clapton - I Shot The Sheriff [Crossroads 2010] (Official Live Video)
https://youtu.be/APWhx97QvxE?si=ALvoAN1wC7W_VUGb
そして私のお気に入りです。
Eric Clapton - Layla (Live)
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関東大震災直後の1923年9月16日、アナキストの大杉栄と作家で内縁の妻伊藤野枝、大杉の甥橘宗一の3名が不意に憲兵隊特高課に連行されて、憲兵隊司令部で憲兵大尉の甘粕正彦らによって扼殺され、遺体が井戸に遺棄された事件。( ウィキペディア)
今の若い人は大杉栄と聞いてもピンとこないでしょう。関東大震災による世情不安と混乱に乗じて社会主義者やアナキストを弾圧・殺害した事件です。差別を煽り、徹底的に思想弾圧を行うことで、着々と大戦への準備を固めていったのです。いまその役回りを引き受けているのが、IT成金とネトウヨというわけです。
100年後の今、当時と何が違い何が同じなのでしょう。デジャブ(前に見たり聞いたりしたことがまた繰り返されること)を感じているのは私だけではないでしょう。
『金子文子と朴烈』は当時の世情を描いたものです。3年前、大分のシネマ5で観ました。私にとって、映画は精神の平衡と衛生を維持するためになくてはならないものです。 Prime Videoで観ることができます。
https://youtu.be/whZxIOuyNNM?si=GRsFMnl3CoLISSf9
テレビをつければ、吉本の芸人とジャニーズ系のタレントばかり。いい歳をしていつまでも若さにこだわる老人たち。「いつまでも若いですね」というのは、老人への御世辞と相場が決まっている。
オウム真理教のヘッドギアの代わりにイヤホンをつけ、自閉して腹筋バキバキ、細いウエスト、引き締まったヒップラインを目指して肉体改造に精出す女性たち。消費と観光で金と時間を使い、SNSで発信する。観光が目的なのか、発信するのが目的なのか。
そんな折、今日9月11日、少子化財源「消費税引き上げも有力な選択肢」 経団連が異例の提言、とのニュースが流れてきました。私はこれほど徹底的に終わってしまった日本社会の中で、自分がもう若くないことに感謝しています。
前にも書きました。「72歳で生涯を閉じた作家の司馬遼太郎は、当時の日本社会を評して『人間には自傷症という病気があって、ひどい症状の場合には唇を全部食べてしまうそうですが、社会が自傷症にかかっているという感じですね。日本人はみっともなくなりました。もうだいたいこれで終わりなんでしょう』という言葉を残している」と。
彼がこの発言をしたのは、まさにバブルが崩壊したころです。責任をとる人間がいないまま、お互いがもたれあいながら破滅への道を進む日本社会の行く末が見えていたに違いありません。
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そして、そこには唯一の贅沢としてお気に入りの椅子を置きたいと思っていました。以前ブログにも書きましたが、ヘンリー・ディヴィッド・ソローの『森の生活』を読んでいて、以下の箇所に感銘を受けたからです。
「私の家には三つの椅子があった。ひとつは孤独のため、もう一つは友情のため、三つ目は交際のためである」「文明は家屋を改良してきたが、そこに住む人間まで、同じように改良したわけではない」「家とは結局、ラテン語でいうsedes、つまり座席のことではないだろうか」「一軒の家に備わるあらゆる魅力が、一つの部屋に集約されていた。それは台所でもあれば寝室でもあり、客間でもあれば居間でもあった」
10年後の暮らしを思い描く ― ソロ−森の生活』
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=698
小屋をほんの少し大きくしたものが家である。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=77
そして、私が欲しかったモノの一番手はフィン・ユールのチーフティンチェアでした。最初に見た時は、なんだか威張っているようで気圧されてしまいました。チーフティンとは英語で「酋長」と言う意味ですからね。もちろん値段も手が出る代物ではありません。
ところが、湯河原の旅館『ふきや』の、風呂上がりにくつろぐスペースだったと思いますが、廊下の奥まったところにさりげなく置かれていたのを見て、その存在感に圧倒されたのです。後に、広島の旅館『石庭』でも同じような出会いをしました。以来、この二つの旅館はフィン・ユールの名とともに記憶に刻まれています。
フィン・ユールの自邸に置かれたチーフティンチェア。自邸もまた簡素で素晴らしい。庭を挟んでL字型に配された部屋は大きな開口部のおかげで、自然と一体になっている。アルネ・ヤコブセンの『夏の家』とともに私には忘れられない住宅です。
こじんまりとした平屋の自邸。
自邸内部。
欲しかったモノの2番手は、同じくフィン・ユールのイージーチェアNV−45
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「ニッポンスゴイ!」と叫ぶ者たちは、この当たり前の事実すら理解できない。もともと彼らは美的な世界などに興味はないのだ。自分たちのよって立つ前提を否定されると、たとえそれがどれほど明々白々であろうと、ヒステリックに大声で叫び、決してそれを受け入れようとはしない。
この種の人間の特性を見抜いている岸田政権は、日本と中国の緊張を高めさえすれば支持率が上がることを安倍晋三から学んだのだ。
そして昨日、前から気になっていた映画『福田村事件』を観た。(大分のシネマ5bis で9月15日まで上映中)平日にもかかわらず、座席の半分近くが埋まっていた。この映画は今からちょうど100年前、関東大震災の時に流言飛語に惑わされた日本人が朝鮮人を虐殺した(約6,000人に上ると言われている)事件を扱ったものではない。
この映画が扱った事件は、関東大震災から5日後、千葉県東葛飾郡福田村で起きた。殺されたのは香川県の被差別部落の薬売り15人のうち幼児や妊婦を含む9人。彼らは薬を売るために千葉まで行かなければならなかった。行商団は讃岐弁で話していたことで朝鮮人と間違われ地元の自警団に虐殺されたのだ。つまり、流言飛語に惑わされた日本人が日本人を殺した事件である。
映画『福田村事件』予告編
https://youtu.be/qmoGbGfy3hU?si=sKrF30agrwFrE8px
https://youtu.be/hXemyZTVtck?si=6VZDHrjbrk-WLdu6
ちなみに、毎年9月1日、都立横網町公園(墨田区)では、関東大震災の際に虐殺された朝鮮人を慰霊するための式典が市民団体の主催で行われている。そこに東京都知事が追悼文を寄せることが恒例となっていた。かの石原慎太郎氏ですら追悼文を寄せていた。つまり、事実については裁判記録も残っているし、争う余地のないものだった。
ところが、東京都の小池百合子知事は、2016年には送付していた追悼文を2017年8月に止めた。
2017年3月の東京都議会で、自民党都議が、虐殺の犠牲者数について異論があるとし、「今後は追悼の辞の発信を再考すべきだと考える」と求めた。これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後は私自身がよく目を通し、適切に判断する」と応じていた。
つまり、「私自身がよく目を通し」「適切に判断」した結果、慣例を破って追悼文を送付しないことにしたのですね・・・。彼女に366万票を与えた都民にふさわしい知事です。
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そのときの印象は一言で言えば、現代のようなフェイクニュース全盛の時代にあっては、真のモラリストはモラリストの風貌を取り得ない。その言動はむしろ反モラリストとして受け止められる。それを覚悟しているジャーナリストだという印象だった。価値判断を下す前に、まず事実をして語らしめよ、と言うのが氏の生き方である。信頼できる数少ないジャーナリストだと思う。
1)1979年のアメリカ・ペンシルバニア州で起きたスリーマイル島原発事故でも、汚染水は出た。そして日本のALPSと同じようにEPICORという核種除去装置をくぐらせて核種を規制値以下にまで除去した。しかし電力会社はサスケハナ川(同原発は河川の中洲にある)への排水はしないことに決定。
2)最初、電力会社(GPU)はEPICOR処理後の水をサスケハナ川に放出する予定だった。しかし、下流に上水道の取水口を持つランカスター市が川への排水の差し止めを求めて裁判所に提訴した。
3)ランカスター市と電力会社の裁判は和解で終わった。しかし「たとえ環境基準を満たす水であっても、スリーマイル島原発由来の水はサスケハナ川に流さない」という和解条項を電力会社が受諾した。
4)これがTMI(スリーマイル島)原発事故で、電力会社がサスケハナ川へのEPICOR処理水の放流を取りやめて、自然蒸発に転換した大きな理由のひとつ。
5)もうひとつは、電力会社、地域住民、エネルギー省などの同席する対話の場が13年間に78回開かれたこと。Citizen Advisary Boardという市民委員は12人。その中には反原発運動家・市民も入っていた。
6)このCitizen Advisary Boardは、あくまで「対話」の場であって、日本政府や東京電力の「説明会」のような「政府・東電の方針を説明する会合」とは性質がまったく違う。Citizen Advisary Boardは合意を形成するための対話の場所だった。
7)TMI原発事故の場合は政府・電力会社が地元住民の「合意」を作ろうと努力した。日本政府はあくまで「理解を求めた」だけで「合意」が必要とは最初から一言も言っていない。だから地元漁業者が反対するなかALPS水を排出しても「え?合意が必要なんて約束してませんけど?」と逃げることができる。
8)13年間に約78回の「対話の場」を重ねるうちに、住民と電力会社・政府の間にも信頼が成立するようになった。EPICOR水の自然蒸発処理が始まったのは、事故発生後12年目の1991年。93年に完了。これは対話の後半で合意が形成されたから。
9)この「市民アドバイザリー委員会」との対話の場は1993年、78回の会合を経て役割を終えた。1979年の事故発生から14年後である。
10)事情の違いを述べると
汚染水の量=TMI:9000トン。福島第一:137万トン。
メルトダウンした原子炉=TMI:1つ 福島:3つ
デブリ=TMI:130t 福島:800t
つまり同じメルトダウン事故でも、事故のスケールが桁違いに大きい。
11)日本政府のミスはもっと早期に汚染水の処理方法を検討しはじめなかったこと。2013年12月まで汚染水タスクフォース(原子力工学者10人)は始動しなかった。事故発生から2年9ヶ月である。崩壊熱を冷やすために汚染水が大量に出ることは事故直後からわかっていたのに、時間を浪費しすぎた。
12)事故直後にヨーイドンで処理方法を検討し始めていれば、陸上処理の可能性やその用地確保などもする余裕があったはずだ。またTMIのような地元住民との「合意形成」の場もできたかもしれない。
13)そして重要なことを追記。TMI原発事故では、EPICOR,EPICOR2というALPSに似た核種除去装置を通した水を自然蒸発させた後のヘドロに、高レベルの放射性物質がまだ残っていた。たった9000tの汚染水でも100%除去は無理なのだ。
14)ひとつ訂正。この汚染水をEPICOR処理したあとに残ったヘドロの高レベル放射性物質は、ワシントン州のハンフォードサイトで処理された。アイダホ州の砂漠にある国立研究所(INL)に保管されているのは取り出したデブリだった。
15 ) TMI原発事故は、私も現場に2回行って当時の住民に話を聞いて回り、英語の資料もかなり読んだので、重要なことを書いた。日米の汚染水処理の違いである。
以下は烏賀陽氏のYoutube動画。
2023.8.26 福島第一原発 ALPS水・海洋排水に関する12の誤りを指摘する.
https://youtu.be/Q4199GGE20U?si=w3vO8BjNVvMqCk53
https://www.youtube.com/watch?v=Q4199GGE20U&t=138s
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「そうか、東京から避難してきたんか?賢いお母ちゃんでよかったな」
これが政治家・山本太郎を最初に見たときである。人間の本質は、他人への接し方、立ち居振る舞い、声や目の動き、ため息、涙、笑いの中に顕れる。以後11年にわたって私は彼を支持してきた。と言うより人間として彼を尊敬している。
政治にかかわろうと決心した原点を彼はただの一度も忘れたことがない。消費税廃止を訴えて経済政策を前面に打ち出した時、政治家にとって心が正しい位置にあること(倫理的に傑出していること)がいかに重要であるかを痛感した。田中正造を除けば彼に匹敵する政治家は絶えていない。
以下の動画をご覧いただければ、私の言いたいことが分かってもらえると思う。もちろん、一ミリも分かるどころか、反感を持つ人もいるだろう。けだし、洗脳を解くのは誠に難しいということだ。
https://youtu.be/sCS3GSjqy1s?si=zULaNifKRJa1yN0W
https://youtu.be/SNrEBfksnxQ?si=gc_WJSBf2Ywp4Csw
以下は「処理水」が放出される前、6月の国会での山本太郎氏の質問。
https://www.youtube.com/watch?v=8jdouyuA3Zk
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言うまでもないが、人間の精神はこの世界と切り離して存在できるものではない。世の中が腐りきっているのなら、私たちの精神も大なり小なりその影響を受けているはずだ、と考えるのが生きるということだ。
だから、私たちは時代の変容に対して自分の<生>を更新し続けていかなければならない。さもなければ、私たちの人格はまたたく間にネットやジャーナリズムの中で劣化し、空洞化し、大量の情報のひとつとして消費されてしまう。
今日、2023年8月24日は、日本という国が滅びへの第一歩を踏み出した日として記憶されるだろう。何も大げさなことを言っているのではない。
アメリカというフィルターを通してしか世界とかかわることができない人間たちは、先の大戦の死者たちを忘れ、3・11で非業の死を遂げた死者のことも忘れ、意味のある生を与えてくれることを期待して「愛国」にいとも簡単にからめとられていく。
放射能汚染水を「処理水」と言い換え、水道水よりも安全だなどというウソをまき散らす政治家や言論人、マスメディアは後を絶たない。彼らは3・11で犠牲になった者たちのことを思い出すことすらしなくなっている。そして、戦後78年という時間をいとも簡単に飛び越え、「新しい戦前」を再び召喚してしまったのである。
以下は3年前に書いた記事。政治の貧困によって緩慢な死を強制されたくない人は是非お読みください。
放射能汚染水の海洋投棄は時間の問題である。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=728
「関係者の理解なしにはいかなる処分も行なわない」と言った人間が「今後、数十年の長期にわたろうとも、全責任を持って対応することを約束する」と言う。言った本人も利害関係者も数十年後には死んでいるから、何とでも言えるのだ。これほどの茶番劇もないだろう。
福島では東電とだけ会い、約束をした「福島」魚連とは会わない。代わりに、21日に東京で「全」魚連に会い、24日に処理水海洋放出。メディアは堂々と嘘を言う総理大臣を批判することすらせず、「24日にも海洋放出開始 政府、最終調整」とだけ報じる。
「アルプス処理水」の海洋投棄は、国の官僚たち(経産省、環境省その他)にとっては「風評被害対策」の名の下、予算と組織をこの先100年は確保できる願ってもない事業なのだ。
そもそも、放射性物質は国内の陸上で処理するのが鉄則である。そうすれば汚染はあくまで国内問題にとどまる。「処理水」の海洋投棄は、それをわざわざ世界規模の国際問題に拡大するものだ。岸田政権は取り返しのつかないミスを犯した。「科学的根拠」があるかのように喧伝する御用学者もマスメディアもバカウヨも同罪である。
汚染水を国内の陸上で処理する方法はいくらでもあった。
?自然蒸発
?セメントを入れて固化するモルタル化処理
どちらも実用化されているのに、日本政府はろくに検討すらしていない。その決定の過程もほとんど公開されない。ここまで日本政府が愚かだとは、予想はしていたものの、衝撃の一語に尽きる。
もうやめにしたい。心ある人は小出裕章氏が講演会で語っていることが真実だと分かるはずだ。
「汚染水はなぜ流してはならないか」
https://www.youtube.com/live/rrXxlQuR8io?si=7Lh1_AcR8VNDwpfz
100年後の生存戦略−その2 国宝・ 閑谷(しずたに)学校
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=488
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眠ったのだろうか。時計を見ると数分しか経っていない。邯鄲の夢ではないが、少年が短パンにランニング姿で広い座敷で昼寝をしていた。
毎日午後3時になると、奥の細い道からアイスキャンデー売りがやってくる。自転車の後部座席に木製のアイスボックスを載せ、赤い旗を立てて、呼び鈴を鳴らしてやってくる。少年は夢から覚めて寝ぼけ眼のまま立ち上がり、10円玉を握りしめてキャンデー売りに声をかける。
「おいちゃん、小豆が入ったのを一本おくれ」
「はいよ。坊主はいつも小豆やな」
あれは少年の日の自分に違いないのだが、夢の中で少年が見ていた夢を思い出そうとして思い出せない。ただ、昼寝をしていた座敷の畳の心地よさだけははっきりと記憶に残っている。
暑い夏の日の昼下がり、畳の匂いと蝉の声、遠くで聞こえる祖母の話し声。皮膚感覚。それが自分の生き方を決定する根っこのところにあったことだけは確かだ。私はエアコンの利いたコンクリートの箱の中では生きられない。キャンデー売りや金魚売りのやってこない都会でコンビニを頼りに生きることはできない。
今になってはっきりわかる。沖縄の「中村家住宅」の開け放たれた座敷で昼寝をすることが私の人生の目的だったのだと。井戸水でスイカを冷やし、かき氷を頬張ることが何より楽しかったのだと。日本社会が失ったものを思い、呆然とするばかりである。ウソで塗り固められた進歩はある種の人間の魂を殺すのだ。
中村家住宅
1960年代、田舎では中村家の間取りはごく普通のものだった。周りの石垣を除けば、わが本家とよく似ている。
国指定重要文化財
建築年は18世紀中頃
延床面積174,5?
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「而今」は禅語であり、曹洞宗 道元禅師の唱えた言葉。 道元は鎌倉時代の禅僧で、厳しい修行で有名な永平寺を開いたことで知られています。以前、金沢に行く途中に立ち寄りました。永平寺と高野山は日本人の原点となる場所です。お勧めの場所です。
道元の「我(われ)をして過去未来現在を意識せしめるのは、いく千万なりとも今時(こんじ)なり、而今なり。」の言葉にあるように、「今と言う瞬間に成すべき事をなす。」という意味だそうです。
しかし、この解釈だと自民党の議員の今成すべきことは、放射能汚染水を海に垂れ流すことであり、維新の議員は税金をロンダリングして私腹を肥やすことになります。まるで、相田みつを流のキャッチコピーになってしまいます。道元が言っていることは違います。彼は今という時間と空間に閉じ込められている自我を解放せよと言っているのです。
これが、日本の精神史をたどり、3・11を経て、ついに絶望するしかなかった愚かな私の到達点です。70歳にして、「而今」という言葉が今の心境にぴったりだと気づいたのです。もはや私には過去も未来もない、今を生きるしかないという地点に追い詰められたというわけです。「而今」とは簡単に言えば、「そして今、お前は何者なのか」という意味だと解釈しています。このことについては近いうちに書くつもりです。
工房の話に戻りますが、電動ろくろを購入し、安物の電気窯もそろえました。釉薬も購入しました。粉状のものは乳鉢で細かくすりつぶし、濃度を計って何とか釉薬として使えるところまで来ました。
人生の残り時間が少ないので、作りたいものを作るしかありません。美学と主観の「たこつぼ」の中で自己満足するのではなく、祈りを込めることで普遍に到達する通路を開きたいと思っています。
なんだかおおげさですね。とまれ、これからは、言葉が禁止された視覚と触覚だけの世界に精神を集中させなければなりません。仮に命をつかさどる存在があるなら、いましばらくの時間を与えてくれることを望むばかりです。
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私より20歳年下のK氏は、東京の黒田陶苑や京都の川口美術で個展を開く傍ら、現在、千手悲願を心に千の菩薩手を作る作業に着手している。この試みがなければ、今回の訪問はなかったと思う。
千の菩薩手を作る、と簡単に言うけれど、もちろん、ろくろで作るわけにはいかず、すべて手びねりとなる。それを登り窯に入れて焼く。体力も必要だし時間もかかる。
いわゆる陶芸という範疇からはみ出し、彫刻家の領域に足を踏み入れるまでに氏を突き動かしたものは何だったのか。それが最も聞きたかったことだが、それについては次回のブログ『無神論者の祈り』の中で書くつもりだ。
K氏曰く「千の手を悩み苦しむ人々に差し伸べ掌の目でもれなく衆生を見守る千手千眼観世音菩薩
その菩薩心を身近に感じて頂ければと思い、千の菩薩手を作る決意をしました。」
「観音経を読むようになったあと、三十三間堂の千手観音千一体を拝観し、その世界感が立体的に表現されていることに深く感動しました。以来、千手観音の手を千手つくることをこころに決め、「千手悲願」と銘打ってつくり続けています。
今回のために、千手観音が手にするさまざまな持物から発想を得た作品もつくりました。私の住む国東半島には観音信仰が脈々と存在していますが、それが感じられるような作品も展示する予定です。
どうかご自身の仏性に照らし合わせ、こころに響くものを見つけていただけたらうれしく思います。」
K氏は私の見当はずれの素朴な質問に、「話せば長くなるのですが・・・」と言いながら、丁寧にひとつずつ答えてくれた。氏の誠実な人柄のなせる業だと思う。
帰途の車の中で、「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし」という世阿弥の『花伝書』の一節が浮かんでは消えた。千手悲願プロジェクトを応援したい気持ちがそうさせたのだと思う。してみると、千という数が「物数を極め」る指標になるのかもしれない。辻村史郎氏が憑かれたように器を作り続ける姿は、世阿弥の言葉を生きているようだ。
話は変わるが、K氏から「ペトロ・カスイ岐部神父記念公園」を目指して来てください。そこからすぐですというメールをもらっていた。グーグルマップがあるので、迷いはしなかったが、おかげでペトロ・カスイ岐部神父のことを知ることができた。車を降り、彼の足跡に思いを馳せた。
国道213号沿い(国見町大字岐部957−1)に立つペトロ・カスイ岐部像 。
1619年の秋深いころ、ペトロ・カスイ岐部は日本人巡礼者として聖地エルサレムに入り、さらにその1年後には念願のローマに達する。彼が日本を出て6年目のことで、33歳であった。ペトロ岐部は周防灘に面した国東半島浦辺の里(国見町岐部)に1587(天正15)年に生まれた。日本名茂勝。大友水軍岐部一族の血を引き、父も母も熱心なキリシタンであった。熱い振興の心と水軍の進取の気性をうけたペトロ岐部は1614(慶長19)年、キリシタン禁令でマカオ追放され、彼の不屈の戦いが始まる。マカオからインドゴアへわたり、ここから徒歩でいくつもの大砂漠を横断、数千キロを歩きとおしてローマ入りを果たす。ローマで司教に昇進するが「日本の信者のため働き、殉教する」と再び苦難の旅を重ね、県令きびしい日本に潜入する。布教活動中の1639(寛永16)年捕らえられ、江戸で殉教、52歳。死の直前、同志に「耐えよ、天国にゆける」といい残したという。(1985年7月号 広報おおいたの記事より)
自然に囲まれたK氏の自宅。一番右が登り窯。
以下はK氏の自宅の隣にある山神宮。後ろの巨木は椋の木。いったい誰がこのロケーションを選び、神宮を設計したのだろうか。一方で、私はと言えば、そのたたずまいを見てミースのファンズワース邸を思い浮かべるていたらく・・・。そのことをK氏に言うと、山神宮は自分も気に入っていると笑った。それからしばらく建築談議に花が咲いた。それにしても国東は素晴らしい場所があちこちにある。老境に入ったので、これからは国東巡礼の旅をしようと思う。
以下の写真でお参りしているのはK氏の二人の子供さんたち。彼らに向けられるK氏の優しいまなざしは人間に対する深い洞察力にあふれている。
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他方、この文の意味は単純明快でおかしなところはないと思った人もいるでしょう。ではその人に質問します。
・「不幸」なのは誰か。先立つ子供が不幸なのか?先立たれた親が不幸なのか?ふつうは後者だろう。しかし「先立つ不幸」と言っているのだから不幸なのは子供ということになる。
・自分が不幸であることを子供が親に謝っているのか。なんだかおかしくないか?
・いったい誰が誰を許すのか。もちろん親が子供を許すと考えるのが筋だが・・・
と、ここまで考えたあなたは、この文章はつじつまが合わないと感じ始めているはずだ。文章を読む時には隠れている主体を意識しなければならない。そうすれば、「不幸」は「不孝」の間違いではないかと気づく。いや、この文を見た瞬間に、アレ、と思わなければそのまま通り過ぎてしまう可能性が高い。
正解は「先立つ不孝をお許しください」だったのだ。「不幸」が「不孝」だと分かれば疑問は氷解する。親より先に死んで、親孝行ができなくなることを詫びた文章だと分かる。
この手の話が気になる方は、8年前に書いた以下の記事をお読みください。
日本語を読む−1
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=90
日本語を読む−2
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=91
何でこんなことをぐだぐだ言っているのかというと、一つには私がジジイになったからだ。やたら日本語の間違いが気になりだした。テレビでニュースなどを見ていると、麻生太郎氏レベルの間違いが幅を利かせている。もっとも、私はテレビ局に電話するほど暇ではないけれど。
ヤフーニュースのコメントなど、てにをは、に始まり、論旨不明な文があまりにも多くてのけぞりそうになる。そんな文章を投稿するのだから、世の中には暇人が多いのだなあと感心することしきりである。
ぐだぐだ言う二つ目の理由を話すのを忘れていた。実はこれが目的で、ここまでは導入に過ぎなかったのだ。
以下の画像を見てもらいたい。
左の人物は日本ヤクザの会、じゃなかった、維新の会の足立康史議員。右は国民民主党のキンタマ、もとい、タマキンこと玉木雄一郎議員。こんな議員を税金で食わせているのだから、日本人も太っ腹というか、「アホちゃいますか」「ふざけるなよ、お前ら」(by 足立康史)
彼らは、リアリズムで安全保障を語る勇気のある奴がいないので俺たちが言うのだ、と悦に入っているだけのバカである。だまされてはならない。
「安全保障の議論というのは、政府がいついかなる時に日本国民に血を流させるか、どういうときなら戦争してもいいんだ、と国民に思わせるか」と言っているのだ。
言うのもあほらしいが、政治家の仕事は、
・いついかなるときでも日本国民に血を流させてはならない
・どんな時でも戦争だけはしてはならない
という考えを広く国民と共有することである。そのためには創価学会や神道政治連盟そして旧統一教会の影響力を排除しなければならない。これは政治家たるものの一丁目一番地だ。でもそれすらできないだろう。日本に「政治」が誕生するのはいつのことか・・・
以下の動画はおまけです。維新の会の本質が見事に現れています。
ちなみに、コスプレをまとって選挙戦を戦う国民民主党の玉木雄一郎など、論ずるに値しない。野党のコスプレをまとった自民党に過ぎない。
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無料公開は終わりましたがYoutubeでレンタルできます。¥400です。
https://youtu.be/5mbRkdA50VA
この映画については1年前にブログで紹介している。
君たちはまだ長いトンネルの中。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=794
ところで、多くの人たちは高校まではそれなりに勉強する。入試があるからだ。しかし、いったん社会人になれば、仕事に関係ない分野の本は読まない。従って、ほとんどの社会人の知識は高校卒業段階でストップしている。いや、高校レベルの知識すら怪しい。
学校では、教える側も、教えられる側も受験というフィルターを通して知識を取捨選択する。人間の幸福は自分の人生を生きるかどうかにかかっているのに、それを後押しする教師もいない。
その結果、学校で教えられることを無批判に受け入れ、知性の本質が批判精神であることにすら気づかない。経済的に余裕があって、人を憎むことを知らない純情素朴な心優しい生徒ほど高偏差値大学に合格するというわけだ。かくして、大手企業はイエスマンだらけになり、メディアの世界は「アヒル」だらけになる。
以上がこの映画のテーマだ。同じことを言っている政治家は、この国では山本太郎一人である。70歳の老人にとって、映画の主人公のような高校生が一人でも増えることが希望だ。
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政治を不愉快でダサいものとして遠ざけ、旅行やショッピング、食べ歩き、スポーツに熱中して日々を送ることは確かに楽しい。しかし、それが自己目的になってしまっては元も子もない。せめて意識の1割くらいは政治に対して覚醒しているべきだ。日本が三流腐敗国になったのはこのバランスを欠いたからだと思う。
見ようと思えばだれの目にも見える明らかな事実さえ、歪んだ価値判断・世界観の持ち主たちが権力を利用して葬り去っている。近代社会の車の両輪である軍隊と学校が疲労困憊して断末魔の声を挙げているにもかかわらずだ。このままでは教師を志望する人はいなくなるだろうと書いたのは15年前。現にそうなっている。
岸田政権が掲げる異次元の少子化対策など噴飯物である。人口減少と少子化などとうの昔から分かっていたことだ。それもこれも、国民が政治に正面から向き合おうとしてこなかったからだ。
民主主義は本質的にアナキズムと独裁に至るベクトルを孕んでいる。それを防ぐには永久革命を遂行するしかない。革命は頭のおかしい左翼がほざく夢だと言って罵詈雑言を浴びせる下劣な人間たちがいるが、それは彼らの頭が妄想で支配されているからだ。
革命とはいつでも、誰でも実行できる簡単なことである。長い間政権を握っていれば権力は必ず腐敗する。だから、国民は鼻歌を歌いながら投票所に向かえばいい。投票に行って、自公維新国民に投票しなければいいだけである。この国を三流腐敗国にした責任を取らせるのだ。
そして、代わりに誕生した新政権が富裕層や財界のための政策を実行し、社会保障を骨抜きにすれば、投票によって再び政権を交代させればいいだけのことだ。これが永久革命論。
何も恐ろしいことではない。恐ろしいのは教育によってこの簡単なことができないようにされていることだ。統一教会によって何十年も洗脳されてきた人間たちが政権の座についているのだから無理もない。
革命という言葉が恐いのなら「ちゃぶ台返し」と言えばよい。国民があちこちで、「ちゃぶ台返し」を実行するのだ。例えば時間が過ぎるのをただ待っているような労働にノーと言う。暴力的な顧問のいる部活はさっさと退部する。無意味な宿題は無視する。夏休みなのだから休ませろと主張する。私の提案を暴論だと感じるなら、あなたは学校教育の中で注入された「麻酔」が全身に回って正常な反応ができなくなったのだ。
さて、岸田政権がマイナンバー(実体はナショナルナンバーだ)に固執する理由を指摘して終わりにしたい。それにしても、なぜ朝日新聞や読売新聞をはじめとする大手のメディアはこれを報道しないのか。その理由も前回のブログに書いた。
マイナンバー「1兆円利権」山分け 制度設計7社と天下り官僚
以下の記事は日刊ゲンダイデジタルより引用。ぜひアクセスして表?と?を見てもらいたい。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/166724
個人情報の漏洩や、なりすまし犯罪のリスクなど、国民にはデメリットだらけの「マイナンバー制度」。メリットを受けるのは旗振り役の霞が関と、そこに食い込んだ一握りの大企業のみ。市場規模は1兆円ともいわれる巨額利権を癒着サークルで分け合う、腐った構図がみえてきた。
マイナンバーなんて、穏やかな名前にゴマかされてはいけない。実態は赤ちゃんからお年寄りまで国民一人一人に12桁の“焼き印”を押し当てるのと同じで、それこそ「1億総バーコード化計画」と言った方がいい。
現在、基礎年金番号や運転免許証など各省庁が個別に割り振った個人情報を共通番号で一元化すれば、“お上″はより国民を管理しやすくなる。あくまで国家の都合だけで始める制度に初期投資だけで約3000億円、ランニングコストはその20%といわれ、毎年数百億円もの税金を投じるのである。
つくづく、バカげた巨大国家プロジェクトの甘い蜜に群がっているのが、電機・通信などの大手企業だ。実はマイナンバーの制度設計には民間企業が深く関与。関わった企業の多くが、すでに多額のマイナンバー関連事業を受注していたことを、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」(15日付)がスッパ抜いた。
制度設計を行ったのは、2011年に内閣官房に創設された「情報連携基盤技術ワーキンググループ」という検討会議だ。構成メンバー21人のうち13人が民間企業の関係者で、日立製作所、富士通、NEC、NTTデータ、野村総研、大和総研などの管理職が名を連ねた。
赤旗によれば、13年以降、行政機関が発注したマイナンバー関連事業は少なくとも27件、226億円を超える。うち22件は会議に参加した企業7社が受注。その金額は判明分だけでも178億円と、発注額の8割を占める(別表?)。
制度設計の段階から関わったホンの一握りの大企業が、マイナンバー事業を独占するとはムチャクチャだが、それが見逃される要因は霞が関官僚の天下りだ。
日刊ゲンダイ本紙の調べによると、検討会議が開かれた11年以降、受注した会社に再就職した国家公務員は33人に上る(別表?)。事務次官経験者2人を筆頭に、総務省幹部の数の多さが目立つのは、マイナンバー制度の所管官庁であることと無縁ではないだろう。納税者番号(財務省)、パスポート(外務省)、運転免許証(警察庁)など制度に関係する幅広い省庁の幹部も、しっかり天下り。まさに癒着の正体みたりだ。
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これはルーマニアの異色のドキュメンタリー映画です。『コレクティブ』というのは首都ブカレストにあったライブハウスの名前。80人しか収容できないところに300人以上入れていたことが後に判明する。そこが2015年10月30日に火災になる。天井の防音材が不燃素材でなかったため火はまたたく間に燃え広がり、ガスでほとんどの人が気を失い焼死する。
外国の病院に運ばれた重症の人は助かったのに、軽い火傷だったルーマニアの病院に入った人たちは次々と病院内で死亡していった。
「これはおかしい」と思って調べはじめたのが、スポーツ新聞というか、いわゆるタブロイド紙の記者トロンタン。その結果、その火傷の患者の治療に使っていた抗菌剤が10倍に水で薄められ、200以上のルーマニアの病院で、その薄められた抗菌剤が使われていることが判明する。
この映画『コレクティブ』の監督は最初に新聞にスクープ記事が出たのを見て、その記者に会いに行き「ずっとこれからあなたたちが調査取材をしているのに付き添って、撮影をさせてくれ」と言う。そして撮り続けたのがこの映画だ。
記者会見で追求された厚生大臣は「我々がその抗菌剤を調査したところ、95パーセントは通常通りで効果的だ。あなたの追求していることは間違っている」と反論し、その記者の発言を否定する。まるでどこかの国の河野太郎のようだ。
ところが、その抗菌剤を作っていた会社がルーマニアのヘクシーファーマ(Hexi Pharma)という製薬会社で、その抗菌剤を国が認可していることも明るみに出る。
「どうしてこんなものが認可されているんだ?」ということで調べたら、その抗菌剤の原料を売った会社と買った会社の社長がダン・コンドリアという同じ経営者だった。要するに、トンネル会社を作り、その抗菌剤を7倍の値段で自分の会社に売り、それをさらに10倍に薄めて暴利をむさぼっていたことが明るみに出て、厚生大臣も辞任に追い込まれる。
病院の多くは公立病院で、火傷の治療に国が莫大な補助金を出して治療に当たっていた。ダン・コンドリアはトンネル会社を作って得た利益を賄賂として政府関係者、厚生省の関係者、病院関係者に配っていたのだ。ところが、ダン・コンドリアは贈賄の事実について証言する前に、突然自動車事故で死んでしまう。
厚生大臣の辞任を受けて若いヴォイクレスク新厚生大臣が任命されると、映画監督は彼に「厚生省の内側であなたが戦っているのを全部撮らせてくれ」と頼む。そして、なんとOKが出る。こうしてこの前代未聞のドキュメンタリー映画が出来上がった。
タブロイド紙のトロンタン記者は言う。「私のようなタブロイド紙がなぜこんな取材をしなきゃいけないんだ?大手メディアやテレビは記者として政府の記者会見とかに入れることが大事だと思っているから、絶対こういうことはしないんだ」と。
いったいこの映画はどこの国を告発しているのだろうか。
ルーマニアは投票率が低い。一番大きい原因は、与党が何十年も政権を握り続けていたために、国民の政治に対する関心が薄れてしまったことにある。投票に行っても何も変わらないと思い込まされてきたのだ。
東大出身の似非(えせ)知識人たち。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=807
さらに、長期政権になると、新聞やテレビは完全に政権との間に利権構造が出来上がる。「高偏差値大学出身の優秀な若者」は、大臣や権力の中枢にいる人間たちの話をそのまま垂れ流すことが仕事だと教えられ、忠実な「アヒル」と化してしまった。調査報道が滅びてしまう所以である。
ルーマニアの話と日本の話の区別がつかなくなってしまった。日本ではIT成金や思想家、国際政治学者、脳科学者らがSNSを通じて投票行動をバカにし、体制を擁護している。長期政権でメディアが力を失っていくと、国民の命と健康が犠牲になるのは、どこの国でも同じだ。マイナカードを見よ!もっとも、「上級国民」には関係ないのでしょうが・・・
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この映画は「湿地の娘」としてさげすまれ、差別された女性が殺人事件の犯人にされるという緊迫した法廷ドラマとして進行する。最後に犯人が明らかになるのだが、近代の法システムや人権といった概念を相対化する文明批評的視点が一貫している。優れた映画がそうであるように、あちこちに伏線が張られていて現代社会のメタファーになっている。
この映画の主人公は「湿地」そのものだ。そこで主人公の娘は自然の持つ生命力だけでなく残酷さをも学んでいく。学校にも行けず、読み書きもできない、つまり観念的に生きることができない。そのうえ家族もいない孤独な少女が生き延びる方法があるのか。ひとつだけある。自然の摂理を徹底的に模倣することだ。模倣することによって孤独を飼いならすほかない。
「いやな場所」とは、現代人にとっては、能力に見合った報酬をもらえる、あるいは有名になれる「目指すべき場所」なのかもしれない。しかし、精神に不調をきたしてまで、家庭を崩壊させてまで目指さなければならない場所などあるのか。生活は戦場ではない。むしろ「絶対近寄らない」という判断こそが賢明ではないか。私たちは心身が安住できる『ザリガニの鳴くところ』を求めている。
ところで、この映画を勧めてくれたのは妻だった。いわく「あなたはこの映画をきっと気に入るはずだわ」と。彼女の勧める映画は当たりはずれがない。犯人が明らかになる最後のシーンで、この結末しかないと予想していた妻は何とも言えないカタルシスを感じたとのこと。さすが、もと野生児だけのことはある。ちなみに原作は動物学者であるディーリア・オーエンズによるミステリー小説。プライムビデオで観ることができます。
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何の変哲もない日常が特別に思えてくるのはそういう時だ。そして一日が過ぎてゆくスピードにあらがうかのように、青春時代の思い出が突如としてよみがえる。まさに青春時代と老年期にこそ哲学が必要なのだ。
疾風怒濤の青春期を乗り越えるために人は羅針盤を必要とする。他方、これまでの人生を振り返り、残り少なくなった人生の生き方を考えるためにも哲学が必要だ。
死が背後に忍び寄っている時に、老後の資金や病気や孫の話しで時間を費やすのは悲しすぎる。できることなら私は西行や良寛や熊谷守一について、北御門二郎やロジェ・カイヨワについてじっくり話せる相手が欲しい。もちろんそんな相手がいなければそれで一向にかまわない。
なぜこんなことを言うかというと、ミッシェル・ポルナレフの曲が私を一気に青春時代へと引き戻したからだ。当時私は青春真っただ中。勉強そっちのけでシルビーバルタンやビートルズを聴いていた。深夜放送全盛の時代だった。ちなみに2023年、ミッシェル・ポルナレフはまだコンサート活動を続けている。
1970年代の曲『シェリーに口づけ』
同じく『愛の休日』
ところでミッシェル・ポルナレフは66歳の時、初めてパパになる。しかし、恋人のダニエラさん(27)との間にできた男児は自分の子どもではなかったと、「フェイスブック」上で告白した。
「とてつもなく悲しいことだが、赤ちゃんは私の子ではなかったと発表しなければならない。ダニエラに何度もDNA鑑定を求めたら、彼女は事実を告白した。そして、DNAテストの結果はそれを裏付けた」と書きこんだ。「この深い心の痛みとひどい失望を(ファンに)共有させることを申し訳なく思う」
ダニエラさんは事実を認めた後、男児を連れて姿を消したという。ポルナレフには親権もなく、ただ傷心だけが残ったという。それでもコンサート活動を続けている。現在78歳。
マイナンバーは個人の情報を一元管理して国民を家畜化するためのナショナルナンバーだ。情報の一元管理は世界の趨勢に逆行している。河野太郎が総理大臣にでもなったら、この国はディストピアだ。自民党の世襲議員には本当にロクな人物がいない。ここ10年余りの日本の政治状況は、与野党を問わず劣化した政治家の見本市である。
お前が何をわめこうが権力を持たない人間はこの国を変えることはできないのだ。変えたければ政治家になれ!
はい、はい、仰せの通りです。ぜんぶ私の感想です。でもねえ、あなたの橋下徹流の貧困な発想はともかく、私は彼のようになるなら死んだほうがましなのですよ。
おや、いきなり脱線してしまいました。以下に日本のメディアがアヒルである証拠を見せます。
Tokyo ロイターニュースの記者ティム・ケリー氏のツイッターから。彼のコメントは見事です。この国のメディアにはこんなコメント書ける人は絶えていない。一人もいない。
The press gaggle in Japan is known as a press dangle. The reporters at the PM’s residence who do this day in day out are masters of the art.
一事が万事。論より証拠。百聞は一見にしかず。この動画は何度でも観るべきだ。
ところで、統一教会の報道はどうなったのか?視聴率が取れない?ジャニーズ関連なら視聴率が取れるだろうだって・・・。昨日の『報道特集』では司会者が深刻な顔をして自己批判していたが、その前に元TBSの記者だった山口敬之の伊藤詩織さんレイプ事件はどうなったのだ。まず自分の足元を批判するのが先だ。それができないのはメディアではない。ジャニーズどころではないはずだ。
ここ10年以上、NHKを始め、どのチャンネルでもジャニーズ系のイケメンが出ていてうんざりだ。私には彼らの区別がつかない。ずいぶん前から、彼らはある種の「好み」で集められたタレントではないかと訝しく思い、以来テレビを見なくなった。いったいテレビは誰に迎合し、誰に忖度しているのだ。こんな体たらくだから報道も質が落ちるところまで落ちたのだ。
要するにジャニーズ事務所とは、ジャニー喜多川という性的異常者の作ったハーレムにすぎない。彼が集めた「お気に入り」をマスメディアに貸し出してカネを集めていただけの会社だ。パワハラとセクハラが日常化したのも当然だ。
人を人とも思わない異常な組織が令和のこの時代に存在しているという事実。難民認定の杜撰さと同様に、人権感覚を根底から欠いている。それどころか、マスコミは性的異常者の作ったハーレムに依存してカネ儲けに精を出しているのだ。
昔、羽仁五郎という歴史家がいた。『君の心が戦争を起こす』という若者向けの本の中で彼は繰り返し言っていた。君たちは芸能人の誰かのファンになる時、それは本当に自分の感覚から出てきたものなのか、誰かに踊らされ、利用されてそう感じるようになったのではないか?戦争はそういった自分を失った心が起こすのだと。興味があればロジェ・カイヨワの『戦争論』も是非。
私は男女問わずテレビや雑誌に取り上げられるアイドルにはまったく興味がない。昨日までアイドルだった人間がいきなり大河ドラマや映画で主演に抜擢されるご時世だ。そこで繰り広げられる演技もどきにはなんら芸術的価値を見出せないでいる。 テレビは単なる時間つぶしだというなら、もっとましなものがあるだろう。
私にできることは、性犯罪組織に利益を与えるスポンサー企業の製品をボイコットすることくらいである。以前書いたように、東京オリンピックのスポンサー企業の製品も買わない。コカ・コーラも飲まないし、トヨタの車にも乗らない。
マイナンバーカードも申請しないし、NHKの受信料も払わない。しかし、こんなことは、ごく普通の良心を持つ者として当たり前のことではないのか。
「良心」だって?何それ?お前が異常なんだよ!と言いたいのですね。しかし、そう思っているあなたこそ異常だ。社会全体が異常なのでそれに気づかないだけだ。
私はアヒルにもなりたくないし、組織や会社のヒエラルキーの中でバカに従う人間にもなりたくない。異常な組織や社会、あるいは個人に背を向けることからでも道は開ける。愛する人が1人いればいい。70歳を超えた老人が言うのだ。間違いない。
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原告のほとんどは70代だ。判決は来年の3月。入廷前の雑談から、癌になった人や、癌で手術をした人が多いことを知った。判決を待たずして亡くなる人もいるかもしれない。そんなことを考えていると、後ろから肩をたたかれた。疾風自由日記のSさんだった。お互いよく頑張ったものだ。
令和5年6月15日の大分地裁前。
ところで、日本全体の電源構成のなかで原発が占める割合を知っているだろうか。今年になってある知り合いに質問したところ60%〜70%くらいじゃない?という返事だった。
以下のグラフが示すようにわずか4,3%に過ぎない。原発がなくても電力供給には全く支障がない数字だ。
日本全体の電源構成(2020年速報) 出所:電力調査統計などよりISEP作成
以下は今年の2月に大分市のコンパルホールで行われた「伊方原発をとめる大分裁判の会」主催の大島堅一さんの講演会の様子。私の右も左もご覧のようにぎっしり満員だった。
大島氏は、原発のコストが最も安いと人々が思い込まされていた時に、そしてマスコミがそれを垂れ流していた時に、『原発のコスト』(岩波新書)を書いて、それが全く根拠のない誤りであることを指摘した学者だ。
余談だが、私は一定の制限付きで、つまり自然や人間をズタズタにしない限りで、資本主義を肯定する。しかし、原発は人類を破滅に至らせる悪魔的なシステムである。私たちが生き延びたければ、そして子供や孫たちの幸福を願うなら決別するしかないテクノロジーだ。
以下の動画で、大島氏は現在の原発をめぐる状況と、これから原発がたどる運命を端的に、ユーモアたっぷりに説明している。知性とはユーモアの別名だ。そのことを確認するためにもぜひご覧ください。そして元気を出しましょう。
大島堅一さん講演会1
https://youtu.be/UKXHr1Qh4t8(約28分)
大島堅一さん講演会2
https://youtu.be/Du6MT-mDCVc(約32分)
大島堅一さん講演会3
https://youtu.be/h2uXXmUl3Yk(約24分)
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「先生、新川橋のところに蛍がいっぱいおるの知っちょん?」
「本当?」
「勉強よりホタルとりに行こうえ」
「よし、行こう」
中学生とホタルをとっていると、高校生の早い組がやって来て加わる。田舎の夜のしばしの喧騒。夏は花火。登山。お泊り会。怪談話(ちなみに私の怪談話はチョー怖い。ビビッて塾に泊まった生徒もいるくらいです)。大みそかは卓球大会。年越しぜんざい。それから除夜の鐘をききながら初詣。
勉強はしていたのかですって?もちろんしていましたよ。たぶん。
川瀬敏郎の『一日一花』。東日本大震災と原発事故の翌年出版された本。六月四日のページはホタルブクロ。造化の妙というしかない。子供たちが中にホタルを入れて遊んでいたことからこの名前がついたとのこと。火垂るとの説もある。いずれにせよ、この種の遊びは子供にとってかけがえのない原体験になる。人生は一炊の夢だとすれば、そういった遊びのできないところで子供を育てることは私にはできない。
蛍袋(ホタルブクロ)と千手岩菲(センジュガンピ)「不似合いのようで、治まっている。こんな組み合わせの人生もおもしろそうです。」
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そもそも、陶芸をしていなかったら、このお店と出会うことはなかったと思う。もともと食べるものにこだわる性格ではないし、旨いか不味いかという二者択一のモノサシしか持ち合わせていない。要するに食文化について語る教養がないのです。ただ、食通の多くが発しているスノッブ教養主義が生理的に嫌いなだけ。例えば、ワインについてあれこれ蘊蓄を傾ける人たち。聞いているだけで酔ってくる。
そんな私が特定のお店を紹介する気になったのは、ある陶芸家のおかげです。陶芸家と言っても、これまで人間性も含めてその作風が気に入る人はごく限られていた。唐津焼の梶原靖元氏や故・青木亮氏、ブログでも紹介した辻村史郎氏を始めとして片手に満たない。
だから、大分県でそんな陶芸家に巡り合うのはあきらめていた。それがひょんなことから次女が家族ぐるみでお付き合いしている方の紹介で出会うことができた。メールでやりとりをして7月に会っていただけることになった。僥倖というしかない。
その作風は私が探し求めていたもので、いわゆる人気陶芸家とはひと味もふた味も違う。いわば仏教の歴史の中に安住の地を見出す洞察力と彫刻家の精神性が見事に融合している。
ブログで勝手に紹介することは憚られるので、その話はまたいつか。とまれ、彼のおかげで『そば・六郷』を知ることとなった。
場所は田染の荘小崎。周りは見事な棚田で、時間が止まっているような錯覚を覚えた。山間を吹き抜ける風は独特の匂いをはらんでいて、生命がよみがえるような心地よさがある。すかさず「風が気持ちいいね」と妻。
今回言及した作家さんの作品。
ここからは「六郷」さんの内部と料理の一部。客は私たちだけだったが、奥さんとご主人との会話が弾んで、あっという間に3時間。妻もいつになく饒舌で、楽しいひとときを過ごした。そばはこれまで食べた中で3本の指に入る。絶品です。完全予約制ですが、おすすめです。
「田染の荘・(有)津田百貨店」で手に入れた日本酒。山形県酒田の銘酒・本流辛口『楯野川』純米大吟醸。激押しです。『六郷』に行った折には是非。
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今の自分の頭と年齢を考えると好きな作家の本を一日10ページでもいいから、声に出してゆっくり読めるくらいにはなりたい。
ところで、古希を過ぎた人間にロシア語の豊饒な世界を思い出させてくれたのがRECOMMEND欄でも取り上げた以下の本。著者の奈倉有里氏に心から感謝したい。
『夕暮れに夜明けの歌を−文学を探しにロシアに行く』
思えば私はロシア語と無縁だったわけではない。青春時代の私の精神にロシア文学は大きな影響を与えた。トルストイやドストエフスキー、チェーホフやプーシキン、エセーニン、ゴーリキといった名前を聞くと、無定形の希望や憂鬱、憤懣や挫折感で心をいっぱいにしていた頃のことを鮮やかに思い出す。
そんな時期に出会った北御門二郎氏のことは以前書いた。彼はトルストイに「心臓をわしづかみにされ」その思想をみずから実践して生きた。
反・情報としての文学だけが世界を変革する。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=680
良心的兵役拒否とロシア文学者・北御門二郎。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=113
奈倉有里氏に話を戻します。彼女は現在41歳。ロシア語を学習し始めたころの体験を書いている。これが素晴らしい。
「そんなふうにして基礎だろうと応用だろうと歌だろうと節操なくロシア語という言語に取り組んで数年が経った頃、単語を書き連ねすぎて疲れた手を止めたとき、突然思いもよらない恍惚とした感覚に襲われてぼうっとなったことがある。何が起こったのかと当時の私に訊いても、おそらくまともには答えられなかっただろう。そのくらい未知の体験だった。−「私」という存在が感じられないくらいに薄れて、自分自身という殻から解放されて楽になるような気がして、その不可思議な多幸感に身をゆだねるとますます「私」は真っ白になっていき、その空白にはやく新しい言葉を流し入れたくて心がおどる。ごく幼いころに浮き輪につかまって海に入った時のような心もとなさを覚えながら、思う−「私」という存在がもう一度生まれていくみたいだ。いや、思う、というよりは感覚的なもので、そういう心地がした、というのに近い。この時期、それから幾度かそんな体験をした。
いま思えばあれは、語学学習のある段階に訪れる脳の変化からきているのかもしれない。言語というものが思考の根本にあるからこそ得られる、言語学習者の特殊な幸福状態というものがあるのだ。たぶん。
気づけば、進路というものが自分にあるのならロシア語しかない、と気負うようになっていた。思春期の気負いというのは不思議なもので、いちかばちか、どんな荒唐無稽な夢にでも向かっていける気がする。その頃の自分にとっては、選んだ道で「本気を出せるか否か」というのが一番大事な基準だった。」(引用終わり)
こうして彼女は高校卒業後、いっときロシア語の専門学校に通うが、やはりロシアに行きたいという思いが強くなり、ペテルブルグ行きを決める。2002年から2003年にかけてちょうど二十歳になる冬のことだった。
現在ロシアはウクライナに侵攻し、残虐極まりない行為に及んでいる。しかし、だからといって、ロシアで暮らす普通の人々を憎んではならない。かれらは私たちとちっとも変わらない。どんな思いで生きているか、愛する人がいて、何に希望を託しているのか。それを教えてくれるのが文学だ。国や言語が違っても、そこに生きる人間は同じように感動し、涙し、勇気づけられ、絶望しているのだから。
最終章の『大切な内緒話』。この本の最も素晴らしい章。是非お読みください。
長い引用にもかかわらず、ここまで読んでくださった方にお礼を申し上げます。
Спасибо!
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印象的だったのはバイデン大統領の岸田首相に向けたまなざしだった。それは見え透いたきれいごとを並べる人間に対する同情と軽蔑の入り混じった表情であり、同時に、植民地のトップが演じる猿芝居に付き合うためにわざわざアメリカからやってきた自身に対する憐憫の表情だった。
主目的はアメリカ兵器産業の代弁者として第三次世界大戦にならない範囲でウクライナ戦争の終結を長引かせること。しかし、ことはそれほどうまく運ぶだろうか。
それにしても、安倍首相の時と同じく、海外に税金をばらまき、G7首脳を招待し、それをメディアが報道して支持率を上げるといういつものパターン。国民は気づかないのだろうか。いや、いい加減うんざりしないのだろうか。
そして、まるで支持率の上昇に水を差すような岸田首相の長男である翔太郎秘書官(32)の「バイトテロ」報道。
バイトテロは、アルバイト従業員がふざけて行った不適切な行為をSNSなどを通じて世間に公表し、企業のイメージ悪化につなげることで脚光を浴びた。
翔太郎秘書官の今回の首相公邸でのどんちゃん騒ぎはまさに自覚なきバイトテロそのものだ。首相公邸は巨額の税金で維持されているんですけどね。
岸田一族「首相公邸」大ハシャギ写真。総理会見ごっこ。一族にしては若者ばかりですね。一説によると集まったのは親族だけではなく友人も含まれていたとのこと。要するに、首相公邸で飲み会をやっていた?セキュリティ−も何もあったもんじゃありません。
ここでクイズです。
1:この写真を撮ったのは誰か?
2:この写真を文春に持ち込んだ裏切り者は誰か?犯人は記念写真に写っている12人の中にいる!なんちゃって。
赤絨毯の階段に寝そべり、アイスクリームを食べる翔太郎お坊ちゃまのいとこ。
長男秘書官を注意したなどと弁明していた総理自身も、実は宴会に顔を出していたことが判明した。権力の私物化、公私混同に国民も慣れてしまったのですね。そして6月1日付で翔太郎氏が辞職するとの報道。いやはや、お忙しいことで。
岸田首相の弁明。
「十分対応しなければいけない、と言うご指摘、それはその通り、であります。えーこの危機管理の、点から、考えて、今後どうあるべきなのか、これはしっかりと、このー、ぉえー、考えなければならない、マ、そういった事を、マ、かん、勘案した上で、えー厳重に注意をした、こうした事であります」
なんのこっちゃ。岸田のお父さん、既に内部の写真が国内だけでなく海外にも流出しているのに危機管理も何もあったもんじゃありませんよ。
で、今回私の最も言いたいこと。岸田家の教育はどうなっているのか?この一族には教育する人間がいないのか?ということ。父親がボケている場合、普通は母親が子供を教育しなければならない。
「翔太郎!自分のやっていることが分かっているの!どこまでバカなの!恥を知りなさい!」
と言うのが普通の母親だ。もちろん、母親でなく父親でもいい。でも片や、ファーストレディーとして舞い上がっている夫人。片や公私混同して子供を甘やかし放題に育てた能無しの父親。いやそんな家庭はこの国には掃いて捨てるほどあふれている。これは底の浅い民主主義教育の成れの果てだ。
でもね、これが総理大臣一族なのですよ。大地震と原発事故がこの国を襲った場合対応できるわけもない。それでも「他よりよさそう」とか言って自民党を支持する国民。今更驚きませんけどね。
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もちろん 塗装は私が一人でやります。数年おきにするのですが、年々体力的にきつくなっています。家を建てた頃(40代前半)は、足場を掛けずに6メートルの梯子をペンキの缶と刷毛を持ってひょいひょい上っていました。今はとてもじゃないけど恐ろしくてできません。安普請でも愛着があるので、生きているうちは手入れをしようと思っています。
正面玄関ですが、少し離れてみると足場はほとんど見えません。県道から見るとわが家は森の中です。
北側壁面。
前庭の一部。熊笹に全面蔽われるのも時間の問題です。
中庭は脚立で塗装できるので、経費節約のため足場はかけていません。
前庭のジューンベリーも色づき始めています。
塗装の手を止めてふと下を見ると山法師の花が咲いていました。普段は上から見ることがないので気づかないうちに枯れてしまうことが多い。切って自作の花瓶に生けました。
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中庭のツリバナ。ちなみに花言葉は「片思い」
ツリバナは落葉低木ということになっている。しかし、私たちが見たそれは7メートルは優に超えていたと思う。旅から帰ってあちこち探したけれど、ツリバナを販売しているところはなかった。
そもそもツリバナのようなマイナーな樹木を育て、販売している業者さんは研究熱心でセンスもいいはずだが、採算に合わないのだろう。見つからないのも仕方がないとあきらめていた。
植木はネットで見ても樹形や大きさはわからない。ある角度から見て美しいと思っても、裏に回るとガッカリすることが多い。ましてやネットの写真で樹勢を判断することはできない。実際に見なければわからないのは人間と同じだ。
そんな折、以前から付き合いのある業者さん(株式会社・大分植木)を訪ねた。許可を得て農園を見て回っていると、それらしき樹木が目に入った。名札を見ると「ツリバナ」とあった。おお、やっと会えたね。たかが樹木一本に出会うにも、時間と労力、それに知識がいる。
植えてから15年以上になる。晩秋までの色彩の変化が楽しみだ。赤い実がなるとヒヨドリがやって来る。紅葉は年にもよるけれど、息をのむほど美しい。
以下は同じニシキギ科の「マユミ」。かわいい名前がついています。
ところで、わが家の外観は新緑の樹木に覆われて今やほとんど見えない。樹木仕上げをめざしていたので緑陰小舎は目前だ。「10年後、樹木に覆われたわが家がどうなっているか見たいものだね。それが僕に残されたささやかな楽しみだよ」と妻につぶやく。
他方、目を転じると、ほとんど正気の沙汰とは思われない言葉を吐く政治家たち。維新が野党第一党を狙っているだって?立憲民主党は連合と組んで反共政党になるつもりか?言葉の歪みは認知の歪みそのものだ。認知や世界観が歪んでいる者たちがこの国を動かそうとしている。私は樹木を剪定し、土を育てる。そして晴耕雨陶。それで人生が終わるならもって瞑すべし。
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無名の野花をじっと見ていると、不思議とこの世界を生きている子供たちのことを考えてしまう。教育を根底から再定義しなければならないのに、中学教師は投資話に乗って借金を抱え、殺人に手を染めている。どこまで堕ちれば気が済むのか。
子供がこの世界を生きるということ。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=560
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この時期に気分を紛らわすようにして読んでいるのが以下の本。毎年恒例になってしまった。読むほどに身体に染み渡っていく音楽のようだ。同じ症状で悩んでいる人には、白洲正子の『西行』よりもむしろこちらを薦めたい。
願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃(山家集)
あまりに有名なこの歌は、一度読めば忘れることができない。その調べのせいだろうか、それとも私の願望を表現しているからか、満開の桜を見る度に思い出す。
武士の家に生まれ育ち、武士として徳大寺家に仕えたが、23歳の時に出家。諸国をめぐる漂泊の旅に出る。旅と自然を愛した歌人・西行。
後半の「その如月の望月の頃」は、「釈迦入滅の日、陰暦2月15日」のこと。今の暦では3月下旬。出家の身であればこそ、釈迦の亡くなった日に臨終を迎えたいと強く願った西行。その強い願いがかなえられ、実際、西行は73歳のとき、文治6年 (1190年) 2月16日 (釈迦入滅の日の翌日) にこの世を去っている。
それに比べて、いつまでも地位にしがみつき、権力を行使しようとする老人たち。いつまでも若さにこだわり、皮下注射を打ち、サプリメントを飲み、鏡の前でカツラやシミ・シワを点検している老人たち。老醜とは彼らのためにある言葉だ。
人は何のために生きているのかという問いを発すること。これこそが人間の特権だ。生涯をかけて、それに自ら答えようとする営み。それが生きるということ。肉体は老いる、しかし、精神は老いることがない。
わが家の田んぼから切り取ってきた麦の穂。花瓶に投げ入れて眺める。ただ切って投げ入れるだけ。そこにのみ人為がある。この世に不要な草木花などない。この国の豊かな大地を汚してはならない、と強く思う。
父の記
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=309
こどもが親を好きになるとき
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=170
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命ぜられてある人 私の放浪する半身
いったい其処で
お前の懸命に信じまいとしてゐることの
何であるかを
これは伊東静雄の「晴れた日に」の末尾。
年譜によると伊東は昭和四年(1929年)二十四歳の時に京大国文科を29人中3番の成績で卒業したとある。卒論『子規の俳論』には、当時としては最高点の82点が与えられた。
静雄を強力に推薦した講師は『子規の俳論』を一読して「一般のいわゆる研究というものとして、あまりにも激しい情熱を湛えていることに驚いた。しかもそれは奔放な主題に任せた煽動的な論議ではない。非常に手堅い思索の底から、抑え切れないで湧き出す泉のようなものであった」と感動している。
激しい情熱を湛えていながら、非常に手堅い思索の底から、抑え切れないで湧き出す泉のような日本語を見なくなって久しい。弛緩しきったクズのような言葉がSNSはもとより、新聞やテレビの中に溢れ返っている。あまりにも見え透いた論理と底の浅い表現のために日本語に酔えないのだ。
ところで、日本国憲法は昨日3日、1947年の施行から76年を迎えた。
以下は読売新聞の記事。
「読売新聞社は憲法に関する全国世論調査(郵送方式)を実施し、憲法を「改正する方がよい」は61%(前回昨年3〜4月調査60%)と、2年連続で6割台の高い水準となった。コロナ禍やロシアによるウクライナ侵略など、憲法のあり方を問う世界規模の出来事が相次いだことが影響したとみられる。」
「憲法のあり方を問う世界規模の出来事」という日本語は、「世界規模の出来事」を「憲法のあり方を問う」もの、すなわち改憲と軍備増強に結びつけたい読売新聞の姿勢そのものだ。
なぜなら、「世界規模の出来事」から日本国憲法を擁護することもできるからだ。その可能性をあらかじめ排除して自民党のプロパガンダ新聞になることを選択している。
「憲法で変えるべき条項はありますか?それは何条ですか。その理由は何ですか?」 とは決して聞かない。ここまで聞いて、はじめて意味のある質問になるのだが、そんなことをすれば、自分たちにとって都合の悪い結論が出て来る可能性があるからだ。
都合の悪い論理を排除し、改憲を前提にする。そしてその前提がどれほどおかしいかについては考えない。これこそが読売、フジテレビ、NHKをはじめとする大手メディアの致命的な「盲点」である。朝日新聞やTBSも例外ではない。この「盲点」を「盲点」と自覚しないメディアの末路は歴史が証明している。
そのことに関連して私は今から7年前に「都合の悪い論理」と「盲点」を具体的に指摘した。この3つの記事を連休の最中に読んでみようと思う奇特な人は今や絶滅危惧種に属するかもしれません。それが以下の記事です。
・憲法九条を蘇生させるために
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=119
・良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−その1
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=127
・良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−最終版
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=129
さて、以下の動画は、「都合の悪い論理」と「盲点」を山本太郎がこれ以上ないくらい簡潔に説明したものです。それぞれ10分ほどの動画です。是非ご覧ください。
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今回の映画もその一つだった。明日が最終日ということもあって、シネマ5に急いで駆けつけた。私を含めて観ている人は4人しかいなかったけれど、一時間半身じろぎもせず見入ってしまった。
服飾ブランドmatohu(まとふ)のデザイナーである堀畑裕之氏と関口真希子氏の感性に共感することしきりだった。同じようなこと(日常の中のありふれた風景や気になるテキスチャーをスマホで撮る)をしてるなあ、と思わず笑みがこぼれてしまった。
パンフレットの中の一文。
matohu(まとふ)は、身近な風景や物に目を向け、そこから得たインスピレーションを“ことば”に変えて服に昇華していく。たった一つの“ことば”を経て、形となって現れた服は、着る者たちの想像力をかきたてる。二人の創作から見えてくるのは、日本人が長い歴史の中で育んできた“ものの見方”であり、普段は見過ごしてしまいがちな美を見つける視点だ。
今日はこのドキュメンタリーのおかげで、とても濃密な時間を過ごすことができた。これからもこういった時間を積み重ねていきたいものだ。もしこのブログを読まれている方がいれば、是非お勧めします。明日が最終日です。
予告編で北欧の建築家アルバ・アアルトのドキュメンタリーが秋に公開されることも知りました。こうなるとセレンディピティの内実を考えざるを得ないですね。スピノザの『エチカ』がヒントになりそうな予感がしています。
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彼の読者の多くは、何か新しい情報を手に入れようとして読んでいるわけではない。言ってみれば、変わりたい、いつまでも同じ場所にいたくない、と思っている人が多いような気がします。私も彼の小説やエッセイやインタビューの愛読者です。
ところで、先日彼のデビュー小説『風の歌を聴け』を読み返していて、あれ?と思ったことがあるので書き留めておきます。それは以下の文章です。
かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。
高校の終わり頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。
この後半の文章「ある日、自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっている」に引っかかったのです。
この部分は「僕はかつての半分しか考える(思う)ことのできない人間になっていることを発見した」が正しいのではないか。
まあどうでもいいことのようですが、村上文学の深さとの辻褄が合わない気がしたのです。村上春樹ともあろうものがこんなミスを犯すだろうか?ミスと決めつける方がおかしいのではないか?
村上氏は自分の書いた小説を何度も読み返し、推敲に時間をかけているそうですから、私の解釈が間違っているのでしょう。歳をとると、こんな些細なことが気になりだすのです。
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スピノザの話をしていて、2つの振り子時計の同期を発見した人物の名前が思い出せませんでした。最近は万事がこんな調子です。歳ですね。そうそう、クリスチャン・ホイヘンスでしたね。何が2つの振り子時計を同期させているのか。スピノザはそこに倫理の淵源を見出したのではないかという話をしました。
僕は今、ある確信に到達しています。それは、世界はつながっている(同期している)という確信です。無垢な魂をもってこの世に生まれた赤ん坊が世界に対した時、世界は驚きに満ちた統一体として姿を現したはずです。
しかし、全き存在としての世界を分断・分解することが、小学校に入学して算数、国語、理科、社会の教科書を手にしたときから始まっていたのですね。
デカルトの分析哲学すなわち全体を部分に分解して思考する要素還元主義の弊害は、教育システムを通じて世界全体に及んでいます。
全体を部分に分解するというとき、何を根拠に分解するのか、どこに線を引くのか、それは本質を理解し問題を解決するためではなかったのか。それを忘れれば世界は分断されたままで滅びに向かうしかありません。
下世話な話になりますが、公文や学研教室に通い、プリントを次々にやらされ、マルをもらって喜ぶ子供は、自分が何を知りたくて、何を究明するために学んでいるのかという根源的な疑問から疎外されているのです。
ただひたすら事務処理能力と計算力、効率性とスピードを競う競技の勝利者が東大をめざして猛烈な勉強を始めるのは理の当然です。人間のロボット化、家畜化が進行するわけです。その具体例、いや、完成形は私たちの社会に掃いて捨てるほどあふれています。
僕の幼少年期は自然の中で昆虫や小動物を相手にただひたすら遊ぶことに費やされていました。見たことのない生き物を手づかみにして母親を何度卒倒させかけたことでしょう。そういったグロテスクな生き物がなぜ、何のためにこの世界にいるのか不思議でなりませんでした。そして、世界とはそういうものだ、という真実=認識に到達したのです。
そんなわけで、abc予想を証明した望月新一博士の「宇宙際タイヒミューラー理論」を知ったとき、理解できないなりに、これこそ数学だと直観したのを覚えています。
望月博士はどんな問題を証明すべきか、どんな問題に魅力を感じるべきかという話を同僚としたとき、「問題自身はシンプルでも、その解決には非常な深さと構造が必要であるような根源的な難問を証明したい」と話していたそうです。
そして、まさにそのころ、abc予想が、もし正しいと証明できれば、まるでドミノ倒しのように数々の難問が一気に解けるという、驚くべき事実が発見されたのです。
実際、abc予想が正しいことを前提にすると、解かれるまで350年かかったあの難問「フェルマーの最終定理」も、数行であっという間に証明できてしまうといいます。塾で「フェルマーの最終定理」のことを折にふれて話していたので僕は本当にびっくりしました。
その知らせはプリンストン大学にも届きました。シンプルな問題でありながら想像を上回る奥深さがある。abc予想は、まさに望月青年が解きたいと語っていたような、根源的な難問であることが分かったのです。
同じ頃、望月青年の指導教官のファルティングス博士が、abc予想を博士論文のテーマにすることに反対します。
「abc予想はシンプルな問題で、しかもほかの多数の難問とも深いつながりがありました。たし算とかけ算の混ざり合いに関する問題であることも興味深いものでした。しかし、私はabc予想を、博士論文のテーマとしては与えませんでした。学生に挑戦させたとしても、数年考えて何もできなかったということになるのが落ちですからね」と。
しかし博士課程修了後、望月青年は驚くべき行動に出ます。引く手あまただった欧米の大学のポストには目もくれず、少年時代に数年間だけ過ごした日本に帰ることを決めたのです。当時目指していた人物像を、たった一言、ブログに書いていました。
「ノーと言える人間」
何という魅力的な青年でしょう。日本での研究生活は1992年に始まります。望月博士にポストを用意したのは、京都大学数理解析研究所。そして京都大学のキャンパスに、一つのうわさが流れたのは2000年を迎えたころでした。「あの天才望月が、難問中の難問へのチャレンジを始めたらしい」というのです。
日本に帰国後、親交を結ぶことになった加藤文元博士は望月博士と二人だけでセミナーを繰り返すことになった数学者です。望月博士の挑戦は、まるで天国と地獄の往復を何度も繰り返すようだったといいます。
長くなるので止めますが、以上の話は数学者をめざしていたO君との出会いがなければ、知らなかったことです。前回お会いした時に、小学生だった駿太郎君に『素数に憑かれた人たち』をプレゼントしたのも偶然ではないような気がしています。
以下は今回のブログを書く1日前にO君から届いていたメールです。
こんにちは。
先週、4月8日(土曜日)は、先生の貴重なお時間を頂き有難うございました。
抹茶を立てて頂いて、美味しかったです。
先生の話を聞いていると、心の中が落ち着いていきます。
人というのは、こんな生き方もあるんだよ、といった感じに。
今の世界は、外形だけを気にしながら、内容や中身を考える者を、異端児の様に見ている。
外形だけの教育で、競わせ、今の世界を作ってきた。
だから、外形に囚われず、内容や中身を考える者にとっては、生きづらい世界となった。
こんな世界の中で、私はこのように生きているんだよ。
君は今をどう生きるのか、と確認しながら、背中を押されたような気持ちになりました。
帰りは、気持ちの良い風に吹かれながら、駅に向かいました。
先生のお話の中で、スピノザの話がありました。
2つの振り子時計の同期を発見したクリスチャン・ホイヘンスとの関係について。
この同期の話を聞きながら、私はゴールドバッハ予想を思い浮かべていました。
『2より大きい偶数は、2つの素数の和で出来ている』
私の頭の中では、素数一つ一つが独自の個性を持った数。
偶数は、この素数2つを和という形で同期し、出来ている。
この和が不思議な存在であり、根本的に考え直していったのが、望月新一教授のIUT理論。
数学の世界も繋がっている。
繋がっていき、広がっていく世界の勉強は、やはり面白いな。
先生は、この面白さを、科目に関係なく、子供達に授業されてきたんだな、だから、今の自分がいる。
よしよしと、改めて確認し、頷きながら聞いていました。
今回、先生と会い、話を聞くことができ、幸せな充実した時間を過ごせました。
有難うございました。
今度は、駿太郎を連れて行きます。
先生は、一日一日を元気でお過ごし下さい。
また会える日を楽しみにしています。
O・T
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坂口は躁鬱病であることを公言しています。建物を作らない建築家、ミュージシャン、画家、思想家、およそ肩書とは無縁の生き方をしている異能の表現者です。少数者を気取る暇などないほど創作への衝動に突き動かされている。
その坂口のパステル画をはじめとする展覧会が熊本市現代美術館で開かれていて、O君はそれを見に来たついでに私のところに寄ってくれたのです。前回会ったときより、すっきりした顔になっていて、一皮むけた精悍さが印象的でした。いうなれば、不特定多数を相手にしない覚悟がにじみ出ていたというか、生きる上での焦点が定まっていたように感じました。
ほぼ2時間、私は問われるままに話し続けました。気がつくと4時前。奥さんと別府で待ち合わせているとのこと。駅まで車で送ろうと申し出たところ、電車の時間にちょうどいいので歩きますとの返事。
最後に今年高校3年生になる駿太郎君に何かアドバイスをと頼まれたのですが、私はもはや教師でも何でもない、むしろ自覚せぬうちに身にまとった教師性を拭い落としたばかりだったので断らざるを得ませんでした。
その代わり、今日話したことを駿太郎君に伝えてほしいとお願いしました。つまり、
倫理を喪失した世界は、いや日本社会は、早晩滅びざるを得ない。もはやあれこれの具体的な対策ではこの流れを食い止めることはできない。エリートは物事をバラバラに分解して考える。そこで本質が抜け落ちる。分析的に考えるといえば聞こえはいいが、その思考法こそが滅亡を加速させている。
政治はその国の国民のレベルを表しているだけで、期待できない。教育という概念を根本から変えるしかないのだけれど、次なる巨大地震、火山噴火、原発の暴走をはじめとする複合災害がスタンバイしている状態で冷静に思考できるのか。生き延びるためのヒントはスピノザの『エチカ』にある・・・。エチカとは倫理のことです。
というものでした。とても大事な具体例も話したのですが、長くなるのでやめにします。
ところで、以前かろうじて私を政治の世界につなぎとめているのは山本太郎議員が持っている倫理性と真っ当な怒りだと書きました。気づけば2015年7月に彼に関する記事を書いて以来、ブログ記事の約1割に当たる86件が、彼についてのものでした。
反面、彼を毛嫌いするか無視しているのがNHKをはじめとする大手メディアの記者たちです。今の教育システムの中でのいわゆる勝ち組です。彼らの特徴は、学歴をはじめとする外形的なものへの帰依(ほとんど宗教です)、倫理性と批判精神の欠如、そして怒りの喪失なのです。
最も批判されるべき人間たちが高給を食みながらのさばっているのです。「いかなれば今日の痛恨の怒りを語らん」という朔太郎の詩の一節が口をついて出て来るゆえんです。
それでも私はあきらめずに今日も山本太郎を応援しています。以下の動画は、過去記事の中で述べた生徒の素朴な質問に山本太郎が正面から答えているものです。
生徒の素朴な質問に答える − 経済学の原点にあるもの。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=333
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人生のディテールについて
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=822
今回久しぶりに彼に会って最初に尋ねたのが「漫画を続けられる大学なの?」でした。はい、という返事。ほんとうによかった。舞鶴高校から金沢美術工芸大学に合格したとのことでした。大学は今年の秋、新キャンパスに移転の予定だそうです。
「僕が今高校生だったら、京都か金沢の美大に進んで建築やランドスケープデザイン、陶芸を勉強するんだけどなあ。骨董屋もいいなあ。進学校でくすぶっていた僕の青春時代は空白の時代だったよ。これからいろいろなことがあるだろうけど、少なくとも君の前には退屈な人生を送らずに済む道がひろがっている。うらやましいなあ」と、Y・T君より半世紀以上長生きしたジジイが繰り言をつぶやくのでした。
ところで、ブログでも何度か取り上げていますが、金沢は大好きな街です。とにかく酒と魚が旨い。和菓子も素晴らしい。鈴木大拙記念館を始め、見所がたくさんある都市です。今度金沢を旅することがあったら、夕食をごちそうする約束をして別れました。彼から貰った素晴らしいイラスト入りの年賀状は今も私の手元にあります。
何はともあれ、4月は新しい出会いの季節です。新しい環境でいろいろな人と出会い、経験を積んでほしい。それはまだ見ぬ自分に出会うための経験です。漫画家を志すということは、無人の荒野を進むことです。唯一無二の人生を送ることです。エリック・ホッファーじゃないけど、大事なのは勇気です。Y・T君、がんばれ!
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自分の言葉で話せない人と言えば、何と言っても安倍、菅、岸田と続いたわが国の総理大臣たちです。会社や組織のエライさんたちも同じです。彼らが話す言葉は「立場」から発せられているからです。
以前、小学生からなぜ総理大臣になったのですかと問われた際の彼らの答え。
安倍氏「うちの家系はそういう家系なんです」
菅氏は質問すらされない。
岸田氏「日本で一番力を持っているのは総理大臣だと思っていたからです」(その力を使ってゼレンスキー大統領に「必勝しゃもじ」をプレゼントした。なんちゃって。)
一方で、総理大臣になって何をしたいのかという肝心なことは語らない。「美しい日本」だの「聞く力」などとボケたことしか言わない。歴代総理大臣の一人として名を刻まれることが最大の目標なのです。彼らは国民を信じていません。
この国の国民であることに誇りを感じ、希望を見出せるようなメッセージを世界に向けて発信することもできない。だから統一教会のような邪教集団につけ込まれるのです。官僚の作文を読むだけの自動機械になるのです。
思うに、1980年代から今日までの約40年間の間に、政治家のみならず私たち国民が手放したのは「理想」です。理想は私たちがより良い社会を作るために必要です。それがあるからこそ、価値判断ができる。
どんな子供に育ってほしいか、どんな社会を作りたいのか、どんな国にしたいのかという問いは同じです。それをめぐって議論するためには自分の言葉を持つ必要がある。いや、議論していく中で自分の言葉を獲得していくのです。それはとりもなおさず新しい理想を発見するということです。
少子化が加速する日本社会の底流には、自分の言葉をもたない人が増えている、つまり相手の自我と衝突して傷つくことを恐れる心理があるような気がします。人工知能に肩代わりしてもらわなければ自分の言葉を発することができない社会を風刺したのが以下の作品です。どこか悲哀とやさしさを感じてしまいますね。
「カメラを止めるな」の上田慎一郎監督作。
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・自民党翼賛メディアであるNHKの受信料を払わない。
・マイナンバーカードを作らない。
以上の二つです。私は実行しています。口ではいろいろ言っていても、この単純なことをやっていない人は多い。NHKの受信料を払うのは法律で定められた義務だから?マイナンバーカードは便利だから?
違います。自分で価値判断ができないからです。世間からつまはじきにされることが恐いからです。そうなれば周りの空気を読むことが人生の最大関心事になります。波風を立てず、大過なく生きることが人生の目標になるのです。
あなたは、初対面の人に「NHKの受信料、払っていますか」「マイナンバーカード、作っていますか」と聞けますか?聞けないでしょう。なぜなら、いつの間にか、知らず知らずのうちに、気がつくと、この問いを発することは礼儀知らずだと感じるようになっているからです。
今やこの国の人々は、海外の人から「日本人は礼儀正しい国民だ」と言われることが最大の喜びになっているのです。それを可視化したのがWBCにまつわるSNSでの発信です。何のことはない、日本文化の素晴らしさというフレーズにひたっているうちに、多くの国民はネトウヨ化したのです。
そんな空気の中で「日本はアメリカの植民地だ。ATMだ。アメリカが戦争を始めたらついていくしかない。反対などできるわけがない。」などと言えば、冷笑されるか、せいぜい無視されるだけです。「その通りだ。私たちの政治意識は小学生並みだ」といった反応が返ってくることはありません。
ところで、23・24日の両日、民放は朝から晩までWBC関連の番組ばかりでした。情緒的で感動的なエピソードが取り上げられ、視聴率を稼げる絶好のチャンスとばかりに、同じシーンが繰り返し流されました。要するに「安っぽく泣かせようとする」小学校の卒業式になっていたのです。
その裏で、私たち国民が知るべき重要な情報がカットされていました。国民から強制的に受信料を巻き上げておきながら、NHKはそれを故意に放送しませんでした。大谷VSトラウトに負けないくらい手に汗握るシーンです。それが以下の動画です。
山本太郎の国会質問!参議院・予算委員会(2023年3月23・24日 )
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私たちの社会は、本来、戦争ではないものを、受験戦争や経済戦争と呼び、勝利した者たちを称揚してきました。中でも最低・最悪のものが「歴史戦」です。歴史戦を戦う人間たちは「運も実力のうち」だと考え、権力者になびき、家庭環境や偶然によってハンディを背負っている人間を無視してきたのです。
現実は「実力も運のうち」なのです。それに向き合わず、ワインを飲みながら好き勝手なことをしゃべっている偽セレブ学者(三浦瑠璃氏)やエセ思想家(東浩紀氏)の精神を私は唾棄します。彼らはハーブ豚ではなく太ったワイン豚に過ぎません。
なんだか話がひどく脱線しました。今回のWBCで見せたチェコの監督および選手たちの態度を見て、良き敗者の持つ影響力について話すつもりでした。
以下、Full-Count編集部の記事より。
チェコの選手が随所に見せた清々しさは、ネット上でも話題となった。4回、佐々木朗希投手(ロッテ)の162キロが膝に直撃した7番エスカラは、悶絶するもすぐさま立ち上がって一塁へ。激怒してもおかしくなかったが、自分は大丈夫だとアピールするようにファウルゾーンで全力疾走をしてみせると、場内からは大きな拍手が起きた。その後帽子をとって謝罪する佐々木に対しても、事も無げに振舞った。
一塁を守っていた山川は、エスカラとのやりとりを明かす。「(佐々木が当てて)『すいません』って言って、ぼく英語は喋れませんけど、聞き取り的には『野球だからこれも起こるよ』ってこと言っていました」
貫いたフェアプレー精神。それが凝縮されたのが試合後だった。完敗したにもかかわらず、チェコの選手たちはベンチを飛び出て侍ジャパンに向かって拍手。さらにスタンドの方を向き、日本のファンにも感謝の意を示した。
印象に残ったシーンを問われると、ハジム監督は「本当に満席の会場でプレーできたこと。そして、この大会で試合ができたこと。感激の感情以外何もありません。そして日本のファンは、ファンの質としても世界一だと思います」と語った。(Full-Count編集部)
これはスポーツの清々しさやフェアプレーの精神の素晴らしさなどではありません。敗者が本来持つべき精神性というか、まさに知性が持つ影響力なのです。
日本人にもその影響力を示した人々がいました。二つとも8年前の記事ですが、是非お読みください。
・「なでしこジャパン」は、なぜ強くなったのか?
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=11
・国を守るということ ― 忘れられないシーン
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=22
上の記事は、今回のチェコの選手が思い出させてくれました。勝者の傲慢さではなく、まことに、敗者の態度が持つ影響力の大きさを感じたひとときでした。
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2022年度、陶芸教室で作った作品の一部です。
母がお茶をしていたことと旅の経験が私を焼き物の世界にいざなったのかもしれません。しかし、いかんせん実際に焼き物に手を染めるには遅すぎました。しょうもない地元の進学校に進んだため、世の中には様々な職業というか、生きていく手段があるのだということに気づくチャンスがなかったのです。正確には、自分の世界を持っているかっこいい大人に出会うことがなかったのですね。もちろん私の責任ですが。
とまれ、細川護熙氏の『不東庵日常』を読んでからというもの、いつかは焼き物に挑戦したいと思っていました。細川氏が押し掛けで弟子にしてもらったのが陶芸家の辻村史郎氏でした。残り少なくなった人生の時間を陶芸に捧げようと思ったのも辻村氏のドキュメンタリーを見たのがきっかけでした。氏は言います。「いかに作るかよりも、いかに生きるか」だと。ここには私が思い描いていた理想の暮らしがありました。
タイトルは『作ることが生きること』です。
https://www.bilibili.com/video/BV1CR4y1n7v9/?spm_id_from=333.788.recommend_more_video.0
もし若い人の中に陶芸をやってみたいと思う人がいれば、いや、生きることに迷っている人がいれば、陶芸は人生のすべての時間を注ぐ価値のあるものだと断言します。それでもまあ上野丘高校出身で陶芸家になるというのはかなり珍しい生き方でしょうね。それこそが進学校の落とし穴です。
日本文化は素晴らしく奥が深い。私の狭い経験の中から今回は建物をひとつ紹介して終わりにします。機会があればぜひ訪ねて下さい。そしてそこに流れている精神性というか「気」を感じて下さい。
旧白洲邸『武相荘』
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それにしても、岸田首相の「仮定の議論を公の場でするのは控える」という答弁には驚きます。国会とは仮定の議論をする場ではないのか。中国が台湾に侵攻した場合というのは仮定の話ではないのか。それとも確定的な未来なのか。
日米合同委員会がこの国の生殺与奪の権限を握っているのに、議事録が公開されることはない。ブラックボックスになっているのです。アメリカの完全なる植民地であり、自分たちで自分の国の運命を決めることすらできないのが日本です。国民はそんな政府におとなしく従う家畜に過ぎません。これこそが日本の教育の成果です。
私は前回のブログで次のように書きました。
「山本太郎氏に対する一方的で歪んだ評価の背後に誰が、どんな政党が、いかなる団体がいるのかあまりにも見え見えなので、今回は触れません。それより、彼の存在と活動がこの国の最後の希望であることに国民が気づくことを恐れる勢力が、ヤフーニュースを始めとするメディアをコントロールしていることに私たちは気づかねばなりません。」と。
特別会計の闇を暴こうとして暗殺された石井紘基議員と同じく、山本太郎議員は国民のために命を張っています。彼の目には日本の将来と理想の審判者が見えているのです。それに比べて、ポカンとしている他の国会議員の顔を見よ。真実に向き合う勇気があなたにあるのならぜひ以下の動画をご覧ください。今回私が言いたいことはそれだけです。
参議院・予算委員会 (2023年3月2日 15:22〜)
https://www.youtube.com/watch?v=CwEcWa8Pbdw
今回は成田悠輔氏やひろゆき氏を徹底的に批判しようと思っていたのですが、次回に譲ります。
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具体的に誰を思い浮かべますか。そう、フランス在住のあの人を始め、私たちの周りの至る所に発見できます。パラノイア国家ニッポン!が現実です。しかし今回はそれが主題ではありません。
昨日、2月21日のヤフーニュースがFRASH(光文社)の実施したアンケート結果を取り上げていました。アンケートや世論調査の結果はいくらでも捏造できるということがバレたのにまだやっているのでしょうか。それこそパラノイア、いや、フェイクニュースの最たるものです。その証拠をご覧に入れます。
タイトルは、
『今すぐやめてほしい「タレント議員」生稲晃子4位、今井絵理子3位、圧倒的1位の大御所は?【500人アンケート】』です。
圧倒的1位の大御所は中条きよし氏(元歌手)だそうです。が、なんと光文社によると彼は立憲民主党の議員(実際は維新)になっていました。FRASH(光文社)のライターは頭の悪いネトウヨ並みの知識の持ち主です。
いずれにせよ、このアンケートはある議員を貶めるためのものですから立民と維新の違いなどどうでもいいのです。その後慌てて訂正したようですが、どこまでも姑息なライターと出版社です。
標的にされたのは2位にランクインした山本太郎(元タレント)/参院議員(れいわ新選組)です。
いわく、「2011年の東日本大震災の直後から反原発運動を開始し、2013年の参院選で初当選。「ベクレてる」発言などで福島への風評被害をもたらしたとの批判も多い。2015年には国会で喪服姿の葬式パフォーマンスをするなど、物議を醸すことが多い」とのことです。そして以下のような意見をネットから拾い集めて山本氏を貶めています。
・「話し方が変な宗教のような感じ。その内容も、勉強しておらず、先のことが見えていない。威圧感と声のデカさだけの人」(30代男性・公務員)
・「目立つパフォーマンスばかりで、国民の役に立つ仕事は何一つしていない」(50代女性・無職)
・「言動が下品きわまりない。特に福島県への数々の侮辱は許しがたく、さっさと政治の舞台から消えてほしい」(20代男性・医師)
山本太郎氏に対する一方的で歪んだ評価の背後に誰が、どんな政党が、いかなる団体がいるのかあまりにも見え見えなので、今回は触れません。それより、彼の存在と活動がこの国の最後の希望であることに国民が気づくことを恐れる勢力が、ヤフーニュースを始めとするメディアをコントロールしていることに私たちは気づかねばなりません。
ところで、2月21日午前10時30分頃、茨城県東海村の「東海第二原子力発電所」で、非常用電源が停止、電源を喪失したとのニュースが入ってきました。
外部電源が確保されており、にわかに危険な状態ではないそうですが、複数の関係者によると「非常用電源が突然『待機状態』になりました。ポンプモーターに異常はなく、外部電源が確保されていることは確認しましたが、非常用電源停止の原因は、今もって不明です。原因がわからないので、対処も未定ですが、ディーゼル発電機を取り替えるなり、復旧させるなり、必要な対応をすべく、準備しています」(東電関係者)とのことです。
その東海第二原子力発電所が過酷事故を起こした時に避難しなければならない人は94万人に上ります。でもいったいどこに避難するのでしょうか?原発事故は終わったことにして無視を決め込む議員の中で、山本太郎氏だけが事故を忘れずに、94万人の避難民のことを考えています。疑う人は以下の動画をご覧ください。茨木県内にお住まいの方は必見です。
山本太郎はあきらめない。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=823
より。
山本太郎議員は
「勉強しておらず、先のことが見えていない。」のでしょうか?
「国民の役に立つ仕事は何一つしていない。」のでしょうか?
「さっさと政治の舞台から消えてほしい」議員でしょうか?
今年の1月30日にも関西電力 高浜原発4号機が自動停止しました。その原因はいまだにわかっていません。
異常の原因がいまだにわからない原発がこの国では稼働中です。加えて、あちこちに老朽化した原発が再稼働を待っています。第二の原発事故によってこの国が終末を迎えるなどということは考えるのも愚かなことでしょうか。バカは死ななきゃ治らないといいますが、バカは死んでも治らないというのが真実のようです。
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成田悠輔氏
それにしても成田氏はこれから先どうするつもりでしょうか。メディアで今の役回りを演じ続けるのでしょうか。それとも、イェール大学に戻り、世間をあっと言わせる論文を書くのでしょうか。それは無理です。不用意にも自分でその道を閉ざしたのですから。
様々なデータを駆使して未来社会を予想するのが氏の本来の仕事なのでしょうが、こと自分の未来となると予想できなかったのでしょう。
そもそも、今、日本のメディアで寵児となることは、必然的に人格崩壊の危機に見舞われることを意味するのです。なぜか?
メディア、中でもテレビは、深刻なニュースも、ゴシップネタやグルメ情報と同列に「愉しい」ものに変えてしまうからです。ウクライナの悲惨な映像とお笑いネタが同時配信されるのです。結果、視聴者の思考力を奪い、感情を劣化させ、人格をのっぺらぼうにしてしまいます。
今回は成田氏に同情したのですが、機会があれば徹底的に批判したいと思います。それにしても、子供に教育を買い与えることはできても賢くすることはできないのだと、つくづく思った次第です。
いまさらですが、成田氏の発言をマジメに聞きメモを取る中学生の姿を見て、彼らが私の塾の生徒だったらなあと思います。以下は6年前にした実際の生徒とのやりとりです。
生徒の素朴な質問に答える − 経済学の原点にあるもの。
http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=333
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以下は今年作った作品の一部です。2年かけて、陶芸の輪郭だけはなんとかつかんだような気がしています。後は3月15日からの卒業作品展に出品して終わりです。H先生、入門クラスの皆さん、楽しかったです。ありがとう。
気に入っている花入れ1です。実物は何とも言えない存在感があります。灰釉がいい味を出しています。次年度は釉薬と轆轤に集中したいですね。
香炉です。さっそく焚いて香りを楽しんでいます。
花入れ2。日本文化の特徴である the beauty of imperfection が偶然表現されている?錯覚でしょうが。
茶碗です。真冬の昼下がり、一息入れるためにお茶を点てて飲んでいます。贅沢なひとときです。Calm from the countryを妻と満喫しています。
幼馴染のN氏に約束している徳利とぐい吞み。卒業作品展が終わったら送ります。飲み過ぎないように!
何の変哲もない花入れ3.
工房?の入り口に置いている花入れ4.
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