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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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山本太郎vs安倍晋三−暴かれたイラク戦争の真実。
6

本日2015年7月30日、昨日に引き続き山本太郎氏の参議院特別委員会での質疑を見ました。昨日に勝るとも劣らず、本質的で素晴らしいものでした。論理的で具体的でした。山本氏の質問が終了した時、私は思わず拍手をしたほどです。

 

 

一言でいえば、彼は「好戦的な人間ほど戦争に無知である」ということを、国民の前にさらけ出したのです。衆議院・参議院の質疑を通して、昨日と今日の山本氏の追及は最も迫力のある優れたものでした。

 

 

他の政治家が法案の文言をめぐって抽象的な議論をしている時に、山本氏はよく調べた具体的な事実を組み合わせ、そこから導かれる結論やその背後にある安倍首相の妄想を実に分かりやすく説明していたのです。

 

 

私が最も望んでいた追及の仕方であり、取り上げてほしい論点でした。これこそが論理性に信頼を置く政治家の言論です。



 

 

今回の安保法制は、日本人が70年前の敗戦をどのように受け止めたかという問題にまでさかのぼることができます。

 

 

しかし、直接の原因はアメリカが始めた大義なきイラク戦争に日本が痴呆のごとく追随し、その後何の総括もしていないことにあります。やれ中国が脅威だ、北朝鮮が脅威だと叫びながら、明白な侵略戦争であるイラク戦争に加担したのです。

 

 

国連のアナン事務総長は「安保理の承認がない攻撃は、国際法のへの侮辱であり、国連憲章に合致しない」と言い、アメリカの単独行動を戒めました。

 

 

しかし、アメリカという国は、いったん戦争をすると決めれば、何が何でも戦争する国です。熱に浮かされ、狂ったように侵略戦争に突き進む国です。

 

 

トンキン湾事件をでっち上げてベトナム戦争を始めました。ありもしない大量破壊兵器があると言ってイラク戦争を仕掛けました。どちらも明白な侵略戦争です。

 

 

 

安倍首相は今回の答弁でも「大量破壊兵器がないことを証明できなかったフセインが悪い」と言っています。論理もへったくれもありません。バカにつける薬はないとは、まさにこのことです。

 

 

 

アフガニスタンの爆撃に始まり、アメリカがイラク戦争へと突き進む中で、一体何人の無辜の一般市民、女性、こどもたちが殺された事でしょう。イラク戦争がなければ「イスラム国」という過激派組織も生まれませんでした。イラク戦争を支持した日本の選択について、政府もマスコミも国民も検証していません。こんな体たらくで安保法制に反対などできるわけはないのです。

 

 

 

私はイラク戦争を反省するか否かがこれからの日本の命運を決定する重大な分かれ目になると考えています。山本太郎氏の今日の追及はまさにこの点を衝いていたのです。マスコミも他の政治家もできなかったことを、彼がまさに徒手空拳でやってのけたのです。

 

 

このままいけば、まちがいなく、日本はアメリカと一体となって永遠に戦争をする「普通の国」になります。つまり、中東をはじめとして世界のいたるところで、アラブやイスラムを敵に回して永遠に戦うことになるのです。日本は世界を取り返しのつかない混迷に導く役を買って出ようとしています。

 

 

そしてこれが最も恐ろしいことですが、2000年にわたる素晴らしい歴史と文化を忘却し、徹底的に主体性を喪失した虚無の中に足を突っ込んでいくのです。私たち日本国民はこれを座視するのでしょうか。山本太郎氏の今日の国会での発言は、まさにこのことに警鐘を鳴らすものだったのです。

 

 

| 政治 | 23:49 | comments(3) | - |
国は誰のために存在するのか−山本太郎議員を応援する。
8

たった今、7月29日午後4時45分、参議院議員の山本太郎氏の国会での質問を見終わりました。素晴らしいの一言です。

 

 

先日のフジテレビで行われた安倍首相の安保法制に関する説明とは雲泥の差、天と地の開きがあります。その歯切れの良さ。誰に向かってしゃべっているのかが、はっきりわかります。国民の一人である私に、確かに彼の言葉は届きました。彼のことばは、等身大で、正直に発せられている。しかも使命感に支えられている。つまり、彼のことばには、何のために国会議員になったのかという、その動機がはっきりと感じ取れるのです。



 

 

安倍内閣の閣僚たちが使う空疎なことばの数々。「国民の生命、自由、幸福追求の権利を守る」という欺瞞語が一体何度発せられたでしょう。

 

 

しかし、その中身を具体的に明らかにした政治家はいませんでした。もちろん専門家も、学者もだめです。本来なら、これはマスメディアが社運をかけて最優先にすべきことだったのです。

 

 

読売新聞、産経新聞、NHKが完全に御用報道機関に堕してしまった今、安倍総理を追及することは、これらすべてを敵に回すことになります。計算高い、保身しか考えていないスケールの小さい政治家にできることではありません。

 

 

法的安定性などどうでもいいと発言するわが大分県選出の参議院議員礒崎陽輔氏など、山本氏の爪の垢でも煎じて飲んではどうか。東大を出ていても、バカはバカなのです。


 

私は専門家も、学者もだめだと言いました(もちろん例外もあります)。なぜか。彼らは頭が良いだけに要素還元主義の罠に陥っていて、問題を個別具体的に考えることしかできません。要するに分類し記憶することが得意なのです。「引き出しが多い」ことを自慢しますが、相互の関連性には想像力が及びません。縦割り行政の中に官僚が安住しているのと同じですね。彼らはある意味、日本の教育制度の犠牲者なのです。

 



ロマン・ロランのことばをもう一度引用します。「概念を扱うのが得意なだけに、官僚や大学教授たちは、まるでマシュマロを扱うかのように、概念を引き伸ばし、ひねり、こねくりまわした。(中略)彼らは、具体的なことをわざわざ抽象的に説明し、現実をその影しか示そうとせず、任意の事象について、うわべだけの観察で知りえたことを、さも一般論のように語る」

 

 

 

しかし、あらゆる問題は底で繋がっていて、その全体像を思い描くには本物の想像力と強靭な倫理感が必要です。安保法制の欺瞞性を川内原発の再稼働とからめて追及した政治家は山本氏がはじめてです。恐らく、上記の御用メディア御三家は、山本氏の質問を極小で扱うか、「元芸能人の現実を無視した荒唐無稽なパフォーマンス」だと強がりを言うでしょう。どちらの言い分が正しいか、早晩歴史が明らかにしてくれます。

 



追記:山本太郎氏の質問は、29日夜のNHK『ニュースウオッチ9』でもテレビ朝日の『報道ステーション』でも取り上げられませんでした。私たちの生活やいのちに直接関わりのない、どうでもいいニュースは延々と流すのに、山本氏の国会質問は一秒たりとも取り上げないのです。安保法制の陰で、原発再稼働は既定事実としてすでに織り込み済みのようです。「報道されないものは存在しないのだ」という、自民党のメディア対策チームの高笑いが聞こえてきます。

 

| 政治 | 17:40 | comments(2) | - |
映画『アリスのままで』−私とは、私の記憶である。
2

人間の魂が安らぐ場所はどこにあるのでしょうか。そもそもなぜ人間は魂という言葉を必要としたのでしょう。

 

 

 

脳科学が説明するように、魂とは脳内の化学物質の分泌や神経単位相互の情報伝達ネットワークの構築のことだと言ってしまえば済むのでしょうか。この種の科学的説明は私たちが魂ということばを必要とした切実な理由を解き明かしはしません。たとえどんなに脳科学が進歩しても、人間は永遠に「魂が安らぐ場所」を探し続けるでしょう。

 

 

 

「魂が安らぐ場所」はどこにあるのだろうかと、若い時から私は考えてきました。それは文学や哲学、音楽や絵画、すなわち芸術と呼ばれる分野の中にあると、今は断言できます。地位や名声や金銭の中には断じてない。

 

 

 

そこは、人間の精神の働きによってのみたどり着くことのできる場所なのです。逆に言えば人間は「魂の安息所」を求めて芸術を生みだしたのです。

 

 

 

芸術は人間存在を掘り下げることによって到達できる「地下水脈」です。地下水脈とは共通感情のようなものです。「記憶の貯蔵庫」と言ってもいいかもしれません。その地下水脈から湧き出る水を飲んで、私たちは魂の渇きを癒すのです。それを探り当てることができなければ、魂は永遠にさまよい続けるほかありません。

 

 

 

「記憶の貯蔵庫」ということばを思いついたのは、今日見た映画のおかげです。タイトルは『アリスのままで』。若年性アルツハイマーの言語学者が、ペンキが剥がれ落ちるように人格を失っていく過程と家族の葛藤を描いた映画です。人間の魂や記憶について、豊かなインスピレーションをもらいました。特に映画のラストシーンで交わされる次女のリディアと母親の会話は一つのメルヘンであり、長く余韻を引く素晴らしいものでした。

 

 

 

以下の画像はそのシーン。リディアが物語をアリスに聞かせます。

その話を聞きながら、時折、アリスは興味を持つような表情を見せます。

 

そして、リディアがアリスにこう問うのです。

「今のお話は、何について語っていると思う?」

 

アリスは、言葉にならない音を発し、なにかを伝えようとリディアを見つめます。

そして、アリスが発した言葉は「・・・・愛よ。・・・・愛」

 

 


 


 

 

私にとって映画と同じく、文学や哲学のない生活は考えられません。そこには洞察に満ちた豊かな言葉の世界が広がっています。それなしに人間に対する共感や世界への理解力をどうやって深めることができるのでしょう。

 

 

去る6月8日、文部科学省は全国の国立大学に学部の見直しを求める通知を出しました。文学部などの人文社会系について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ、廃止や他の分野への転換に取り組むよう求めたのです。

 

 

文部科学省は10年後の社会をはっきりと認識できているのでしょうか。新国立競技場をめぐる体たらくを見ていると、数か月先ですら見えていないではありませんか。「社会に必要とされる人材」とは、「財界に必要とされる人材」の異名にすぎません。ヨーロッパの大学について私が驚嘆させられるのは、まさに文学や哲学をはじめとする人文社会系の圧倒的な蓄積とその継承の精神です。

 

 

文部科学省には、「地下水脈」から豊かな水を汲み上げ、それで魂をうるおした経験を持っている人間はいないのでしょう。こんな通知を出せるのは、カサカサに干上がった魂の持主だけです。

 

| 読書・映画 | 23:29 | comments(0) | - |
二つの投書
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    机の上を整理していたら、新聞の切り抜きが出てきました。妻が面白いと言って持ってきた朝日新聞の「声」欄の投書です。切り抜いたまま、行方不明になっていたのです。以下はその投書。


     
    −心情を表明したら仲間から批判− 


    無職 飛田卓男(神奈川県 74)
    2015年6月2日 朝日新聞「声」欄


     
    ― 毎朝、地元でグランドゴルフに参加している。ある日、仲間から「あれは外してくれない?」と言われた。「憲法9条改悪反対」「戦争へと進む集団的自衛権行使反対」というスローガンを、クラブケースにつけているのが気に入らないらしい。

    一瞬、どう答えたらいいか戸惑った。出てきた言葉は「表現の自由、思想信条の自由は憲法で保障されている」。だが、やり取りを見ていた他の仲間が4、5人寄ってきて、口々に言う。「憲法なんか関係ない」「我々も同じとみられる」「皆が迷惑がっているのだから」「いいから外した方がいいよ」



    仲間は皆、60代以上。子どももいれば孫もいる。政府による安全保障法制が現実のものになれば、子や孫が戦場に送り込まれる可能性も出てくると心配にならないのだろうか。
    あの日以来、グランドゴルフには行っていない。スローガンを付けたままのクラブケースは玄関に置いてある。―


     

    「政治は偉い人がやるもので、国民は黙って従っていればいい」という思考停止のメンタリティーは、功成り名遂げた高齢者ばかりでなく、日々の生活にあえぐ高齢者や株価に一喜一憂する比較的裕福な人々の間にも深く広く根を張っているようです。


     
    私はナチス高官ゲーリングの言葉を思い出しました。「市民は戦争が嫌いだ。しかし政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、常に簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいい」。


     
    さらに、1920年、第一次世界大戦前、ロマン・ロランは戦争プロパガンダに参加した人々を見て次のように書きました。


    「すべての文学者が動員された。もう個は存在しない。大学は、まるで飼いならされた知性による省庁のようになってしまった」
    「概念を扱うのが得意なだけに、官僚や大学教授たちは、まるでマシュマロを扱うかのように、概念を引き伸ばし、ひねり、こねくりまわした。白を黒と言い、イマニュエル・カントの理論に、世界の開放やプロシア軍国主義を読み取ろうとする。彼らは、具体的なことをわざわざ抽象的に説明し、現実をその影しか示そうとせず、任意の事象について、うわべだけの観察で知りえたことを、さも一般論のように語る

     


     
    次は、若い人の投書を紹介します。


    −安保法案の阻止が私の民主主義−


    アルバイト 塔嶌 麦太(東京都 19)
    2015年7月18日 朝日新聞「声」欄
     
    ― 私は安全保障関連法案の成立を止めるため、国会前の抗議行動に参加する。デモにも行く。友達にも呼びかける。こうやって投書も書く。できることは全てやる。
     
    「デモに行っても無駄」と多くの人は言うだろう。でも、私は法案成立を止められるからデモに行くのではない。止めなければならないからデモに行く。無駄かどうかは結果論だ。
     
    私は間もなく選挙権を手にする。この国の主催者の一人として、また「不断の努力」によって自由と権利を保持していく誇り高き責務を負った立憲主義国家の一員として、この法案に反対し、この法案を止める。
     
    声を上げるのは簡単だ。むしろ声を上げないことの方が私にとって難しい。なぜなら、私はこの国の自由と民主主義の当事者だからだ。戦争が起きてこの国が民主主義でなくなり、この国が自由を失ったとき、やはり私はその当事者だからだ。
     
    何度でも言う。私は当事者の責任において、この法案を止める。それが私の民主主義だ。この投書を読んだあなたが、もしも声を上げてくれたならば、それは「私たち」の民主主義になる。―




     
    2015年7月21日(12:15)堀江貴史氏はツイッターで次のようにつぶやきました。


    「安保デモとかに参加してる奴らってアポロが月に行ってないとか本気で信じてるような奴らだよな」と。
    自民党の「政務調査会調査役」も、安保法制に反対するデモを「民青、過激派、在日、チンピラの連合軍」とツイッターで誹謗して「陣営」の攻撃を煽っています。よほどデモが目障りなのでしょう。常軌を逸した確信犯が使う語彙の貧困さは目を覆うばかりです。


     

    | 政治 | 11:50 | comments(0) | - |
    安倍政権のクーデターを阻止しよう!
    0

      20日のフジテレビの番組に安倍首相が出演しました。「自国が攻撃されていないのに、首相の主観的判断で、他国の戦争や紛争に日本を介入させる権限」を、国民に分かりやすく説明するためです。私はこの番組を見て確信しました。「首相は今回の安保法制を理解していない」と。説明が下手なのではなく、理解していないから説明することができないのです。


       
      仕事柄、自分が本当に理解していなければ、相手にわかってもらうことはできない、ということを私は痛感しています。番組では、グロテスクな模型を使って説明していましたが、その時の首相の表情や身振り手振りから、これは事前に誰かからレクチャーを受け、理解しないままにそれを繰り返しているのだと分かりました。そこで使われていたたとえが、何と例の火事のたとえだったのです。首相周辺がどれほど人命を軽視しているかわかろうというものです。
      (以下に画像をアップしていたのですが、いかにもグロテスクで見るに堪えないので削除しました。興味のある方はネットでその時の様子を検索して下さい)



      すでに大分県選出の参議院議員礒崎陽輔氏が、集団的自衛権を火事にたとえて説明しています。それに対して18歳の女性が反論し、礒崎氏を論破したのです。6月19・20日の当ブログ『東大は出たけれど』 の中でくわしく触れています。ことによるとこの模型を作らせ、首相にレクチャーしたのは総理補佐官の礒崎氏かもしれませんね。それにしても、一か月前と同じたとえを使うとは・・・。首相に取り入ることだけを考え、半径5メートルの世界の中で生きていれば、この説明で国民が納得するかどうかは、どうでもよかったのでしょう。


       
      礒崎氏を論破した女性の主張は次のようなものでした。

       

       

      まず例えが下手。戦争と火事は全く別物だし(笑)。戦争は火事と違って少しでも他国の戦争に加担すれば自国も危険に晒す。当たり前だろ。しかもその解説は個別的自衛権で十分対応可能です。集団的自衛権と個別的自衛権を勉強してくれないと議論できません。火事と戦争を同等にして例えるのがまずおかしい。わかる?火事には攻撃してくる敵がいない。戦争は殺し合い。それに少しでも加担すれば危険なのわかるよね?火事は、消火すれば解決する。殺し合いは必要ない。戦争は違うよね?殺し合って何万人何十万人何百万人が死んでくんだよ。それに日本が加担するってことだよ。


       
      私はこの女性に軍配を上げた後、以下のように指摘しました。


      「比喩の使い方の中にこそ、論理的な思考力が現れる。比喩を適切に使うトレーニングは、論理的思考力ひいては本物の言語運用能力をつけるのに間違いなく役立つ。なぜか。比喩は二つの命題なり事柄の間に、重要な点で共通性がなければならない。それがなければ比喩は説得力を失う。比喩を使う人の知性に疑問符がつくのだ。そして何が重要であるかは、何を国民に説得し納得させるのか、その「目的」による。集団的自衛権の行使容認によって生じるリスクを近隣の火事にたとえることでリスクを過小評価しようとする礒崎氏の目論見が議論の相手に見抜かれてしまったのだ。同時に礒崎氏は基礎的な言語運用能力がないことをもさらけ出してしまった」と。

       


       
      番組の話に戻ると、私は少なくともゲストコメンテーターの一人くらいは、この比喩のばかばかしさを指摘するだろうと思っていました。しかし、そこは首相のホームグラウンドであるフジテレビです。模型まで使って必死で説明する首相にこの点を問いただす人はいませんでした。首相の説明は、ボタンの掛け違いが周囲に見えているのに、それを何とか隠そうとするもので、見ていて痛々しくなるほどでした。



      安倍首相は「安保法制に反対する」国民の意思表示を「理解不足」と曲解して論点をすり替え、「理解が進めば賛同者が増えるはず」だと自分に言い聞かせているようです。架空の論理を使えば、国民のほとんどが反対する政策でも、政権が強行することを正当化する「形式」は作れます。大手メディアは、この形式論理の欺瞞を見抜けず、それを追認しています。首相は「理解不足の方に説明します」と言いさえすれば、国民の反対がどれほど高まっても永遠に「反対」の意見を聞かずに済むという自己欺瞞の理路を作り上げてしまったようです。



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      内閣法制局長官を集団的自衛権容認論者にすげ替え、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、政権与党のみで法案を通してしまう。これは、国民を置き去りにしたままで法秩序の連続性を破壊する「クーデター」に他なりません。
       
       

      | 政治 | 21:50 | comments(0) | - |
      国を守るということ ― 忘れられないシーン
      0

        昨日のブログでは、宮崎駿監督やジブリの高畑勲氏の考えを紹介しました。

         

        いわく「軍事力を使って一時的に勝つことが出来たとしても、長期的には資源や国土の関係から日本は衰退することになります。一番強いのは中国の人たちの心を抑えることで、日本から無駄に煽る必要は全く無いです」と。

         

         

         

        「中国の人たちの心を抑える」という言い方は、実は最も本質的な点を衝いています。なぜなら、戦争を起こすのは一部の狂信的な独裁者ではなく、私たち一人一人の国民の心だからです。

         

         

         

        しかし、この国では、「国民の命を守り、子どもたちが平和に暮らせるため、今回の法案をしっかり成立させなければならない」と発言する首相をはじめ、国防といえば、自衛隊を米軍の「後方支援」部隊として差し出し、米軍の番犬化することが最も有効だと信じている政治家や国際政治学者が後を絶ちません。首相を支持するファナティックな宗教団体が宮崎監督を攻撃するのもうなずけます。

         

         

         

        私が7月3日のブログ

         

        『「なでしこジャパン」は、なぜ強くなったのか』

        http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=11

         

         

        を書いたのは、「中国の人たちの心を抑える」ことが、実は私たち国民一人一人ができるソフトな防衛だと考えたからです。しかし、「なでしこジャパン」の行為を「国辱もの」だとののしった人たちもいたのです。何という臆病者でしょうか。

         

         

        この点に関して、私には心に焼き付いて離れないもう一つのシーンがあります。

         


         

        2007年女子サッカーワールドカップが行われた次の年、2008年5月12日に中国四川省でマグニチュード8・0の巨大地震が発生しました。いわゆる四川地震です。この巨大直下型地震は死者行方不明者10万人を超える大きな被害を出しました。

         

         

         

        中国政府は、海外救助隊の受け入れを決断せざるを得ませんでした。そういった中で、日本の救助隊は先陣を切って救助に向かいました。初めての海外救助隊だということで、大きな注目を集め、多くの中国メディアが取材しました。当初は日本隊が持ち込んだ先進的な救助用機器が関心を引いていたようです。

         

         

         

        しかし、国際救助隊が受け入れられたのは、生存率が急激に低下する72時間が経過した後で、作業を開始したのは地震発生の4日後でした。いかに先進的な機器といえども、生存者を発見することはできなかったのです。

         

         

        救助活動という点では、日本の救助隊は奇跡を起こすことはできませんでした。しかし、彼らは先進機器などに頼らず大きな奇跡を起こしました。瓦礫の下から掘り出した母子の遺体に対して行った黙祷が、中国社会に大きな衝撃を与えたのです。この瞬間を撮影し、画像を配信した中国のマスコミ関係者の勇気に、深い敬意を表したいと思います。



         

         

        中国では警察や消防隊が、普通の人の遺体に対して敬礼するなどということは、想像もできないことでした。そんな儀礼は皇帝クラスの人の葬儀でのみ行われることだからです。これはつまり、日本という国家が、中国の平民である母子の遺体に対して敬礼したと受けとめられたのです。

         

         

         

        日本の救助隊としては、先進機器を駆使することもできず、救命の高い技術を発揮することもなく、この母子を救うことができなかったことに痛恨の思いを抱きながら、ごく自然に黙祷を捧げたのだと思います。

         

         

         

        この行いに対して、2008年の洞爺湖サミットに出席した胡錦濤主席は、わざわざ救助隊と医療隊16人と40分にわたって面会し、一人一人と握手しました。

         

         

         

        そして「皆さんの活躍は、中国国民に非常に強い印象を与え、見事な使命を達成された。皆さんの崇高な人道主義に基づく行動は、中国国民の高い評価を得ている。これは日中両国国民の友情の表れである」「中国政府・中国国民は、皆さんの働き、尽力を決して忘れることはない」とたたえました。(外務省ホームページより)

         

         

        日本の首相が中国の脅威を煽り、仮想敵国に仕立て上げている時、これらの出来事は、日中関係にどのような影響を与えているでしょうか。

         

         

         

        「心を抑える」ということは、こういった活動を常時世界で展開するということです。そのような日本に対して悪意を抱く国があるとすれば、それに対して徹底した非暴力の戦いを挑み続けるしかありません。日本に核攻撃を仕掛けることは人道にもとることであり、国際社会を敵に回し、ひいてはその国自体を滅ぼすことだと訴えるのです。

         

         

        そうした勇気を持ちえず、そうした努力を怠り、傷つけられることへの恐れにおびえ、核武装や核の傘にすがる臆病者には、自らを守ることなど、決してできません。

         

        | 政治 | 08:27 | comments(0) | - |
        宮崎駿監督が見ているもの。
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          上の娘が幼稚園の頃、よく書店に連れて行きました。娘はよろこんでついてきました。なぜなら書店の隅っこにあるカフェでフルーツパフェを食べられるからです。

           

           

          その帰り道、大分市内の映画館の前をたまたま通りかかりました。私はロシア語とロシア文学を専攻していたため、ポスターに描かれたロシア語の響きを持つ女の子の名前に興味をそそられて、しばらく眺めていました。当時はあまりなじみのないアニメ映画でした。映画の題名は『風の谷のナウシカ』。

           

           

          「これ見たい!」と、突然娘が私の手を引っ張りました。

           


           
          映画館の中は平日の昼間ということもあってガラガラでした。しかし、映画が始まると、私はその洞察力と先見性に富んだ内容にぐいぐい引きつけられました。娘を見ると私以上に熱中して見ているではありませんか。宮崎駿監督の名前を知る人は、当時少数派でした。

           

           

          翌日、驚いたことに、娘が「またあの映画見たい!」とせがんだのです。私も見たかったのでビデオを買ってきてプレゼントしました。娘はそのビデオを何度見たことでしょう。『風の谷のナウシカ』の美しいコンテ絵が描かれた本と、サウンドトラック盤のLPレコードも買いました。当時はCDもDVDもなかったのです。私は宮崎監督の熱烈なファンではありませんが、『風の谷のナウシカ』と『となりのトトロ』が大好きです。

           





           
          宮崎駿監督は現在、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する市民運動を支援する「辺野古基金」の共同代表を務めています。

           

           

          7月13日、外国特派員協会所属の記者と会見し、安保法案の成立を急ぐ安倍首相について「私と逆の考えだ。軍事力で中国の膨張を止めることは不可能で、もっと別の方法を考えるために、日本は平和憲法を持ったのだと思う」「憲法解釈を変えた偉大な男として歴史に名前を残したいのだと思うが、愚劣なことだ」と語りました。



          さらに、「なぜ日本人は憲法を大事にしているのか」という質問に対しては、「15年にわたる戦争は、惨憺(さんたん)たる経験を日本人に与えた。平和憲法は光が差し込むようなものだった」「平和憲法は(第一次大戦後の)不戦条約の精神を受け継いだもので、必ずしも、歴史的に孤立したものだったり、占領軍から押し付けられたものとはいえない」と答えています。

           



          その宮崎監督が見る夢にはいつも高畑しか出てこないと言われているジブリの高畑監督が7月7日、東京都武蔵野市で講演を行いました。そのなかで高畑監督は、安保法制と安倍政権について、こう語っています。

           



          「いま『戦争のできる国』になろうとしていますが、政府はなんだかよくわからない『限定』をつけていますね。日本を取り巻く事態が根本的に変わったなどと、そういう言葉で脅しながら、これだけ『限定』をつけているんだから、と安心させようとする。

           

          『臨機応変に対処する』というようなことを為政者は常に言います。けれども、成功したことはないですよね。僕は、それを"ズルズル体質"と呼んでいます軍事力を使って一時的に勝つことが出来たとしても、長期的には資源や国土の関係から日本は衰退することになります。一番強いのは中国人たちの心を抑えることで、日本から無駄に煽る必要は全く無いです。



          それこそ、中国は水不足に苦しんでいるので、格安で日本の水資源を提供するのも戦略として有りだと言えるでしょう。中国人の水や必要品を日本から提供する仕組みを作れば、中国は日本を攻め難くなるかもしれません。お互いに貿易で稼ぐことが出来てWin-Winの関係になれますし、戦争や武力という最悪の手段だけは避けるべきです。



          安保法制はアメリカと日本が一緒に戦うための法案で、いずれは日本が望まない国との戦いを強いられることになる恐れがあります。中国と周辺国のイザコザも増えていることを考えると、下手に動くことで争いを誘発するリスクも高いです。今週に強行採決を控えていますが、政府はこのような有識者たちや国民の意見を配慮してほしいと思います。」と。

           

           

          | 政治 | 15:17 | comments(0) | - |
          全体主義国家の言語システム。
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            安倍政権は15日の衆院特別委員会で、安全保障関連法案の採決を強行しました。「日本会議」のメンバーでもあり、特別委員会の委員でもある大分県選出の自民党議員・岩屋毅氏(大分3区)は、野党の動きを「パフォーマンスだ」と批判。「絵的には強行に見えたかもしれないが、十分に審議を尽くした。これは国会の責任で判断を下すべき案件だ」と述べたそうです(16日の朝日新聞による)。

             


             
            憲法学者の95%が違憲だと言い、国民の8割以上が説明不足だと感じている法案に反対するのは、岩屋氏に言わせれば「パフォーマンスだ」そうです。昨日のブログでも書きましたが、安保法制は説明不足なのではなく、本質的に論理が破綻しているから、いくら説明されても意味がわからないのです。論理が破綻した文章を100回読もうが200回読もうが、意味がわからないのは当然です。にもかかわらず、大手マスコミはアンケートで「説明不足と思うか」という問いを設定して、論点をミスリードしています。

             


             
            「絵的には強行に見えたかもしれない」ということは、実際は強行ではなかった、国民は「絵的」なところだけを見て批判しているのだ、と言いたいのでしょうね。では、「日本会議」の閉鎖的・宗教的・時代錯誤的性格を鋭く批判している海外のメディアから見たとき、「絵的」にはどのように映ったのでしょうか。岩屋氏は一応政治家です。自分たちの「パフォーマンス」が、中国を始めとして海外のメディアにどのように映っているか想像したことがあるのでしょうか。

             


             
            「十分に審議を尽くした」とは、審議にかけた時間のことを指しているのでしょうか。その審議には国民を納得させる質がともなっていたのでしょうか。「これは国会の責任で判断を下すべき案件だ」そうですが、国会は民意を反映してはじめて正統性や権威を付与されるのです。法案が民意とここまでずれてしまっている以上、謙虚に反省し、廃案にすることが国民の代表である、まともな国会議員の思考ではないでしょうか。

             

             

             

            日本国憲法第41条には「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と書かれています。まさか岩屋氏は「国権の最高機関」を、国会議員であるオレ様の決めることが正しいのだ、国民の声に迎合するのはポピュリズムだ、などと解釈しているのではないでしょうね。

             


             
            安倍首相は10日夜、自民党のインターネット番組で「国民の命を守り、国を守る責任はまさに政治家にあり、『憲法学者が反対しているから私も反対だ』という政治家は、責任を憲法学者に丸投げしている」と発言しました。おやおや。安倍首相の発言を自分なりに解釈し、身内でだけ通用する論理に岩屋氏はどっぷり漬かっているようです。ボスに取り入ろうとする魂胆が丸見えですね。

             


             
            さらに、首相は同番組の中で次のようにも言っています。
            「国際法学者の方々は、法案に賛成の人たちのほうが多いのではないか。国民の命を守り、子どもたちが平和に暮らせるため、今回の法案をしっかり成立させなければならない」

             



            これは「戦争プロパガンダ」の中で最も頻繁に使われてきた美辞麗句です。過去の「戦争プロパガンダ」を研究してこの言い回しを使っているのではなく、安倍首相はどうやら自分の言っていることが正しいと信じ込み、無意識のうちにこの言い回しを使っているようです。こういうトップを戴いた国がどのような経過をたどったか、歴史を見れば明らかです。

             


             
            これは「スローガンの独走」と呼ばれる事態です。これからは、岩屋氏をはじめ「日本会議」の面々による、法解釈の独走、恣意化が始まるでしょう。安倍首相の言葉は美辞麗句で満ちています。権力の最上層の言葉はいつでも抽象的で美しい。しかし、これが下層へと降りて行き、個別的・具体的な現実の事態に近くなればなるほど、非常識で狂信的な解釈をする人間が出てくるものです。忠誠ぶりを見せたいのか、茶坊主なのか、大勢に従順なら安全だと考えているのか、自覚なき奴隷なのか・・・。

             

             

             

            日本でも戦時中、隣組の班長、町内会長などが上層部の意を勝手に解釈して威張り散らし、戦争に協力しない人間を弾圧するという歴史があったのです。(『暗黒日記』岩波文庫)

             


             
            ヒトラーの『わが闘争』には、強制収容所におけるユダヤ人の虐殺の指令は書かれていません。書かれているユダヤ人論を解釈して、あの現実になったのです。これこそが全体主義国家における言語システムなのです。民主主義国家とは、この解釈のルールを国民に知らせ、解釈の自由を国民に与えている国家のことです。
             

             

            | 政治 | 13:33 | comments(0) | - |
            歴史の暮方・その2−自覚なき奴隷のふるまい
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              安倍政権というよりも、安倍首相自身の発想やもくろみ、さらには幼稚で独善的な性格、そういう人間が権力を握ることの危険性について、私は昨年の衆院選挙の前に指摘しました。安倍氏のことを「災厄の犬」とまで言いました。大げさだったでしょうか。詳細は『未来塾通信』NO51、NO53〜NO55をお読みください。


               
              当時マスメディアは選挙前にもかかわらず、自民党の圧勝を既定事実のごとく伝えるだけでした。私が安倍氏のことを「災厄の犬」とまで言ったのは、具体的な根拠があったのです。2002年、安倍首相は早稲田大学の講演会で「核兵器使用は違憲だとは思わない」と発言していました。これは自衛隊や核武装に関する話し合いの中で出て来た発言です。さらに彼は人権を制限することにも賛成する旨の発言をしています。これが自民党の改正憲法草案の本質です。

               


               
              そして私の危惧した通りに事は進み、今日7月15日、戦争法案(対米従属法案)を採決するところまできました。歴史の暮れ方に臨んで、人の心を暗くするのにこれ以上ない光景は、大手マスメディアを始めとする、政権にとりいる自覚なき奴隷たちの振る舞いです。

               


               
              忘れもしない6月8日の読売新聞の世論調査。「安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか」とあったのです。これは世論調査ではなく読者を誘導する質問です。これだけでジャーナリズム失格の烙印を押されても仕方ないのですが、それを指摘できる人間が内部にいないということが絶望感をいっそう深くします。

               


               
              昨夜7時のNHKニュースでは、法案に関して、国民の8割が説明不足だと感じているにもかかわらず、「議論が十分に深まった」と「国民の理解が深まったとは言えない」を並列に置き、「法案の内容を理解した上で強く反対している」人間の存在を構図から巧妙に消しています。首相や政権幹部のコメントはたっぷり時間をとってテロップ入りで丁寧に宣伝しますが、国会議事堂の外で万単位の抗議デモが行われていても、完全に無視・黙殺です。さすがに「頭のいい人」のやることは違います。

               



              その「頭のいい人」が多いとされているマスコミ業界や出版業界では、「論理的思考」なるものがもてはやされています。「カリスマ予備校教師」の影響でしょうか。しかし、その実態は単なる形式論理のことを言っているに過ぎません。これでは形式論理をタテにとって(合憲性の根拠を砂川判決にもとめるなど)、政治権力が数の力で法案を可決しようとするときに対抗できる言葉は生まれません。

               

               

               

              安保法制は説明不足なのではなく、本質的に論理が破綻しているから、いくら説明されても意味がわからないのです。にもかかわらず、大手マスコミはアンケートで「説明不足と思うか」という問いを設定して、論点をミスリードしています。破綻した文章を100回読もうが200回読もうが、意味がわからないのは当然です。

               


               
              こうしてメディアや編集者にマインドコントロールされ、自我を国家のスケールに重ね合わせることで、自分を大きく見せようとするお調子者が喜劇役者として登場してきます。作家の百田尚樹氏や自民党の『文化芸術懇話会』に集結した面々です。執拗な恫喝や罵倒で批判者を心理的に消耗させ、批判をトーンダウンさせるという方法は、以前指摘したように、独裁国の「チンピラ・ヤクザ政治」でしかありません。

               

               

               

              論理的な説明は全然できなくても、強権と恫喝と罵倒で政策を決めていく。批判されれば、一時的に反省したふりをするが、時間が経てばまた同じことを繰り返すのです。それは「恫喝」や「威圧」は繰り返すことによって効果が蓄積し、相手の心理に及ぼす影響も大きくなることを彼らがよく理解しているからです。

               

               

               

              健全な民主主義国家では、メディアがそれにブレーキをかけるはずですが、肝心のメディアが上記のようなていたらくです。国民の一人として意見表明するしかありません。東京に住んでいれば、仕事を休んででも国会議事堂をとりまくデモに参加するのですが・・・。
               

              | 政治 | 08:44 | comments(0) | - |
              「頭がいい人」って、どんな人?
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                「頭がいい人」って、どんな人のことなんでしょうか?偏差値が高い学校に行っている人のこと?では偏差値のない社会や国では、頭がいい人はいないのでしょうか?

                 

                 

                 

                偏差値は学校間や地域間の学力格差になるべく左右されないようにと考え出された単なる統計上の数値に過ぎません。その本質はコンサート会場の整理券のようなものですね。チケットを手に入れようと、一度に多くの人が殺到するとけが人が出るといけないので、予め整理券を配っておくということです。

                 

                 

                 

                ところが、整理券をもらうために徹夜で並ぶ人も出て周囲に迷惑をかけたりするので、予め学校を通じて模擬テストの結果によって配布するようになっているだけですね。これならけが人が出る心配もありません。でも、整理券を手に入れようとする余り、精神に異常をきたす人も時々いるのです。

                 

                 

                 

                ところで、その整理券を手に入れるために、夏休みに塾や予備校の夏期講習に数十万円払う親は、「頭がいい人」なのでしょうか?ここ大分市でも、中学受験のために18万円の授業料と15万円の合宿費用、合わせて33万円を請求する個別指導の塾もあります。これでも安いと塾側は言います。33万円は標準家庭の1か月分の生活費です。物事には限度というものがあります。商品に適正価格があるように。

                 

                 

                 

                小学生の段階からこういう塾にこどもを通わせる親は、「高級バッグ」を買うような感覚なのでしょうね。塾は塾で、うちは「高級バッグ」を専門に扱っている店だと、それとなく宣伝することができます。実はニセモノのバッグなのですが、すでに購入した人も多いので安心するようです(こどもがよく言いますね。「みんな持ってる!」と)。いやはや。

                 

                 

                 

                学期末のPTAの後、数人のお母さんたちが校門の近くで立ち話をしているのを見かけます。こわ〜い光景ですね。そういう独特のオーラを発している集団をみると、私はこっそり迂回して、決して目を合わさないようにしています。

                 

                 

                 

                会話の中身を想像してみましょう。失礼な!と思われる方もいるかもしれませんが、どうか寛大なお気持ちで笑って読み飛ばして下さい。

                 

                 

                 

                「夏休みは、こどもをどこの塾に行かせる?費用はいくら?(実は費用のことが一番気にかかっているが、それは聞かない)。○○さんは、○○館に行かせているらしいわよ。成績もトップクラスらしいわね。お父様はお医者様らしいわよ。○○センターに行っている○○ちゃんのお父様は弁護士様らしいわね。うちのお子様も行かせようかしら。でもついていけなかったらどうしよう?(○○センターの授業について行けないことはありません。雰囲気について行けないことは大いにあるでしょうけど。)」

                 

                 

                 

                「あら〜、○○さんとこの、○○ちゃんは、頭がいいから塾に行かなくても大丈夫よ!(と心にもないお世辞を言う)。夏期講習に行った子と行かない子とでは、2学期になってからすごい差が出るらしいわよ。中学受験の天王山はこの夏休みらしいわよ!費用のことなんかいってる場合じゃないわよ!(とは口にしません。そして、内心、お金をかけることがこどものためになる、と信じているようです)」

                 


                 

                塾経営の観点からは、塾のたれ流す情報をこれほど無邪気に信じ込んでくれる「純情」なお母さんたちは、「良質」な消費者であり、良い「カモ」です。万が一、こんな会話をしているお母様方がいらしたとすれば、そんなお母様方は「頭がいい人」なのでしょうか。

                 

                 

                 

                この会話って、少々間抜けというか、自分がなさすぎるというか、お金の使い方がわかっていらっしゃらないというか、教養がないというか、こどもからこども時代を奪っているというか、そんなお金があったら家族旅行をする方がましだと考える、そういう流れにはならないのでしょうか。

                 

                 

                 

                たまには、安保法制や原発再稼働、10年後の格差社会について考える。頭がいいと言われている人は実は自分の経済的利益を追求しているだけではないか。ゆがんだ権力欲を満たしているだけではないか。そうだとすれば、今の社会で「頭がいい」ということは必ずしも社会の利益とは関係がないばかりか、他人を不幸にすることにつながっているのではないか、とか。そういった青臭くてまっとうな疑問を持つことも悪くないと思います。

                 

                 

                 

                でも、幸福とかそんな「文学的」なことを考え出したらきりがなくなるのではないか。主観的な自己満足人間になるのではないか。そうなったら貧困層に落ちるのではないか。そもそも政府の方針に反対する人たちって経済音痴の「左翼」でしょ、うちのこどもはそんなふうにはしたくない、だからやっぱり最後に頼りになるのはお金だ。そのためには自分のこどもにはしっかりと学歴をつけさせなくては、とか。親にできることは、せめてそれくらいのことだ、とか。そしてやっぱり塾に通わせることが不安から解放されるための最良の方法だと自分に言い聞かせるとか・・・。結局こどものためと言いながら、親が不安から逃れるためなのですね。考えるということは、本当に面倒くさいことです。

                 

                 

                 

                こんなことを書くと、「人が何にお金を使おうと、どう考えようと勝手でしょ!あなたのような、現実を知らない、たかが塾教師に(塾教師様とは言ってもらえない)指図されるいわれはないわよ!」とお叱りを受けそうですね。だから言ったのです。「こっそり迂回して、決して目を合わさないようにしています」と。

                 

                 

                | 塾・学力 | 13:26 | comments(0) | - |
                自己救済術としての家作り・その4
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                  家作りを始めた時、様々な建築雑誌を読み、実際に見学に行った建物としてまず挙げなければならないのは、吉村順三氏の「軽井沢山荘」です。何かの雑誌を読んでいたとき、ふと目にとまり、この質素な小屋こそ自分の抱いていたイメージにぴったりだと思ったのです。

                   

                   

                   

                  軽井沢にはいわゆる富裕層の人々の別荘があちこちに点在しています。その風情は、一言でいえば慇懃無礼とでも言えるもので、本当は財力やセンスの良さを誇示したいのだけれど、それではみっともないので何とか隠そうとする苦しい意図が読み取れるのです。「軽井沢山荘」にはそういった余計な意図が一切ありませんでした。それが私をとらえて離さない理由だったのだと、今になって分かります。

                   

                   




                   


                  吉村順三氏と並んで影響を受けた建築家に清家清氏がいます。なぜこの二人の建築家に影響を受けたのか、当時は、言葉にできませんでした。

                   

                   

                   

                  猫を飼ったことのある人なら分かると思いますが、猫はその家のいちばん居心地のいい場所を探し当てる嗅覚をもっています。猫と同じように私の身体感覚の最も深いところが反応したのだと言うほかありません。すでに故人となったこの二人の建築家の資質は、その自邸に余すことなく表れています。それは自分の家を設計し、実際に建ててみて初めて分かったことです。

                   

                   


                  以下の画像は清家清氏の「私の家」です。

                   




                   


                  そこには過剰なデザインの展示もなかったし、日本のモダンデザインが持つ宿命的な嫌味もありませんでした。テレビコマーシャルに登場する、絵に描いたような豊かな家庭生活の情景が持つ俗悪さの気配が一切なかったのです。

                   

                   

                   

                  私がそこに見出したのは、等身大の生活の知恵と、そこから決して遊離しない趣味のよい日常性でした。尖鋭的で概念的な理屈も、日常から離脱しようとする変な芸術性を帯びた空間もありません。自分がその中で実際に生活をいとなみ、歩きまわっている時の心地よさが伝わってくるだけで、他の一切がなかったのです。この空間なら生活そのものを楽しめるに違いないと思いました。
                   

                   
                   

                  | 自己救済術としての家作り | 00:06 | comments(0) | - |
                  自己救済術としての家作り・その3
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                    父の死をきっかけに、ひねくれ者にはひねくれ者の生き方があると思い定めて、田舎暮らしを始めました。もともと私は内省的な人間ではなく、幼少年時代は自然の中に埋没し、ことばを覚える暇もないほど野山や川を飛び回っていました。

                     

                     

                     

                    幼稚園時代は女の子のスカートめくりと魚釣り、カメや野良猫を飼うことに夢中になっていました。家の近くのお寺の槙の木にとまっていたフクロウをつかまえ、ペットとして飼っていたこともあります。

                     

                     

                     

                    夏休みともなれば、セミ取りに忙しく、手首が腱症炎にかかり注射を打ってもらったほどです。一日数百匹のセミをとってきては母親を卒倒させかけました。まさに人生の黄金期で、当時のことを思い出すと、記憶が鮮やかによみがえってきて時の経つのを忘れるほどです。

                     

                     

                     

                    幼少年時代に自然という書物を読みつくした反動でしょうか。教科書を始めとして学校で読まされる本はどれも魅力がありませんでした。色褪せた標本箱をのぞいているような違和感と退屈さにどう向き合えばいいのか、私は途方に暮れていたのです。

                     

                     

                     

                     

                    こんな物を面白がって読める人間は、きっと土蔵の壁の下の灰色の袋の中でじっとうずくまっているジョログモの世にも恐ろしい顔を知らないのだ。フクロウの鋭いくちばしや威嚇するような黄金の瞳、ミミズを食べる時の俊敏な動きにあこがれたこともないのだろう、と思っていました。

                     

                     

                     

                    小刀一つで様々な道具を作りました。カヤを使って木の上に小屋を作ったこともあります。『トムソーヤの冒険』や『十五少年漂流記』『地底旅行』『海底二万マイル』『ロビンソンクルーソー』『ファーブル昆虫記』などが愛読書でした。何度も何度も読み返し、そのたびに想像力を刺激されました。

                     

                     

                     

                    そんなわけで、家を作ることを思い立ったとき、頭に浮かんだ言葉は「小屋」「隠れ家」「リトリート」「サンクチュアリ」というものでした。

                     

                     










                     

                    そのイメージを実現しようと様々な雑誌を読みました。建築の専門書もひもときました。どこかにインスピレーションを与えてくれる住宅はないものかと探していたのです。

                     

                     

                     

                    読書よりも自分の頭で考えることが大事だと言う人がいますが、それは俗説です。人間は読書することによって、かろうじて考えることができるのだと思います。読書は精神という土壌に肥料や水をやるようなものです。それを怠れば美しい花が咲くこともありません。次回からは、私が影響を受けた住宅や建築家について書いていきたいと思います。

                     

                     

                    | 自己救済術としての家作り | 11:03 | comments(0) | - |
                    安倍首相に、心からのプレゼント。
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                      安倍さん、あなたは「国民の生命、自由および幸福追求の権利」を守る、とオウムのように繰り返しています。国会の答弁で一体何度このフレーズを聞かされたことでしょう。野党の質問には全く答えず、時間稼ぎのためお得意のフレーズを連発するあなたを見て、私は論争というものが、この国にはついに根付かなかったのだな、という感慨にとらわれていました。

                       

                       

                       

                      「国民の生命、自由および幸福追求の権利」を言うなら、まず原発の再稼働を中止し、廃炉を決断すべきです。原発立地自治体の雇用は、廃炉を決断することで数十年保証されます。その間に、原発に依存しない生活を構想できます。ドイツで既にこのことは立証されています。何より世界に迷惑をかけないで済みます。将来の子どもたちに対して、倫理的な責任も取れます。しかし、あなたは電力会社の利益を優先し、核による潜在的抑止力という幻想に囚われたままです。

                       

                       

                       

                      さらに、あなたは「福島の放射能汚染は完全にアンダーコントロールされている」と世界に向かって大ウソをつきました。こんなことを信じているのは、あなたの周りにいる愚かな政治家と、大手マスメディア、御用学者だけです。これがあなたの世界のすべてです。人間として、悲しくなりませんか?

                       

                       

                       

                      しかし、今日はあなたにプレゼントしたいものがあります。それは『戦争をしない国』という本です。今上天皇である明仁天皇と美智子皇后のこれまでの談話やメッセージが書かれた本です。あなたの戦後70年を記念する談話がどのようなものになるかわかりませんが、私はこの本の中の天皇皇后両陛下のことばと比較することで、戦後70年の歴史が一気に照らしだされると考えています。少し引用してみます。

                       

                       


                       

                       

                       

                      「過去に多くの苦難を経験しながらも、常に平和を願望し続けてきた沖縄が、さきの大戦で、わが国では唯一の住民を巻き込む戦場と化し、幾多の悲惨な犠牲を払い今日にいたったことは、忘れることのできない大きな不幸であり、犠牲者や遺族の方々のことを思うとき、悲しみと痛恨の思いにひたされます。(中略)払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」[昭和50年7月17日談話]

                       

                       

                       

                      また、2012年から2015年にわたる「新年の感想」では、4回とも「放射能汚染」という言葉が明確に使われています。
                       

                       

                       

                      「昨年は春には東日本大震災が起こり、夏から秋にかけては各地で大雨による災害が起こり、多くの人命が失われ、実に痛ましいことでした。また、原発事故によってもたらされた放射能汚染のために、これまで生活していた地域から離れて暮らさなければならない人々の無念の気持ちも深く察せられます」「2012年1月1日・新年の感想」

                       

                       

                       

                      このメッセージは、当時の野田首相による「原発事故収束宣言」のわずか2週間後に発せられたものです。野田首相の説明はまったくのデタラメだったのですが、大手メディアはそのことを批判しませんでした。NHKなどは天皇が放射能汚染にふれた部分は飛ばして放送しました。国家の中枢にあって、この原発事故収束宣言にしたがわず、問題がまだ終わっていないというメッセージを断固として発信したのはただひとり明仁天皇だけだったのです。

                       

                       

                       

                      正直に告白しますが、この本を読みながら、私は何度も目頭が熱くなりました。そして今年、2015年の新年の感想です。

                       

                       

                       

                      「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」

                       

                       

                       

                      だれよりもこの国の平和を願い、高齢をおして慰霊の旅を続ける天皇皇后両陛下の思いに、安倍さん、あなたは泥を塗っているのです。そのことにお気づきですか。最後に美智子皇后の言葉を引用します。

                       

                       

                       

                      「私は、人はひとりひとり自分の人生を生きているので、他人がそれを十分に理解したり、手助けできない部分を芯にもって生活していると思うのでございますね。ですからそうした部分に立ち入るというのではなくて、そうやって皆が生きているのだという、そういう事実をいつも心にとめて人にお会いするようにしています。だれもが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認めあいながら、なつかしみあい、励ましあっていくことができればと、そのように考えて人とお会いしています」

                       

                       

                      | 政治 | 12:13 | comments(0) | - |
                      ジャーナリズムの黄昏
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                        安倍首相は7月6日夜、自民党のインターネット番組に出演し、集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案について「いざというときのための法律だが、つくっておけば安心だ。それは抑止力になる」と強調、町内会を例に挙げ、平易な言葉を使って必要性を訴えたとのことです。

                         

                         

                         

                        「一般家庭でも戸締まりをしっかりしていれば泥棒や強盗が入らない。町内会でお互いに協力し、隣のお宅にもし泥棒が入ったらすぐに警察に連絡する、そういう助け合いができている町内は犯罪が少ない。これが抑止力だ」と力説したのです。このたとえ話のどこが決定的にダメなのか、当ブログ『東大は出たけれど』を読まれた方にはすぐに分かると思います。

                         

                         

                         

                        「泥棒や強盗」は中国を指すのでしょうか。中国が聞いたら怒るでしょうね。「町内会」とは、日本とアメリカのこと?アメリカは離れすぎているから「町内会」には入れませんね。じゃ「町内会」ってどこのこと?意味不明です。「警察に連絡する」の警察がアメリカなのかな?しかし、世界の警察を自認していたアメリカも、経済的な理由でその役割を日本に肩代わりさせようとしているのだからアメリカでもないのか。要は、しっかり自衛せよということか。じゃあ、そもそもこのたとえ話って何のためにしているの?それとも、アメリカと対等な「警察」になって、お隣の、そのまた先の、地球の裏側の「町内会」を回って警備するということでしょうか。なんだか頭が痛くなってきました。自民党のインターネット番組を見て感心している頭の良い方に、是非質問してみたいものです。

                         

                         

                         

                        およそ比喩の体をなしていない比喩を使い、単純なキーワードによって大衆の思考を支配するという現象は、世界史的に頻繁にみられる病態です。ニューヨークタイムスの記者が指摘するように、読売新聞、産経新聞、NHKを始めとする大手のマスコミは自らの意思で進んでこの病気に感染したのです。

                         

                         

                         

                        橋下徹氏がよく使う論理。「学者なんてものは、現実を何もわかっちゃいないんです」「マスコミはただ批判するだけ、言うだけ。現実を変える力を持っているのはわれわれ政治家だけ。文句があったら、国会議員になって対案を出すしかないでしょう。それが責任の取り方というものでしょう」

                         

                         

                         

                        この論理を突き詰めると、安倍首相の「安保法制は正しいんです。総理大臣の私が言ってるんですから」という国会での発言に行きつきます。

                         

                         

                         

                        こういった身も蓋もない発言に、ことばで仕事をしている大手マスコミは有効に反撃したか。橋下氏のように、「現実」に居直り、大衆迎合、大衆扇動を支持の原動力にしている政治家に、致命的な打撃を与えることばを紡ぎ出す必死の努力をしたか。ジャーナリズムの不在が首相や与党の国会議員をここまで増長させたのです。

                         

                         

                         

                        今まさに、国会議員が、広告収入というメディアの弱点を突いて言論統制する政治手法を当たり前のように提言しています。大手メディアの記者は、保身のつもりで首相にこびへつらってきたのでしょう。しかし、いよいよ自分たちに銃口が向けられたのだということに気付いているのでしょうか。

                         

                         

                         

                        今や、マスコミ幹部が首相や官房長官と高級料亭で和気藹々と食事をするのが当たり前になってしまいました。まともな民主主義社会のジャーナリズムから見れば、「利益相反」として失格の烙印を押される行為です。

                         

                         

                         

                        要するに、手なずけられ、利用されているのです。記者はよだれを垂らして見ているだけでしょうか。もう一度言いますが、当の政権幹部の小間使いたちが、営業部門を標的に言論弾圧を行う手段を語り始めているのです。安倍首相がNHK経営委員に据えた百田氏はツイッタ―で「沖縄二紙は冗談で、本当に潰れてほしいのは朝日、毎日、東京の三紙」と発信しています。

                         

                         


                        歴史を振り返れば、傲慢な独裁者や独裁的政治集団への迎合が「保身」にならないことくらい、すぐに理解できるはずです。大手メディアの記者は自分の仕事をここまで愚弄されても、まだ阿諛追従を続けるのでしょうか。戦後70年、先輩たちが身体を張って守り続けた職業的なプライドを蹂躙されても平気なのでしょうか。大手メディアの記者は、当座の保身ではなく、歴史的な検証に耐えうる「長期的な保身」のために、今何をすべきかを考えて行動してもらいたいと思います。

                         

                        | 政治 | 13:33 | comments(0) | - |
                        歴史の曲がり角。
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                          2015年7月は、この国の歴史にとって重要なターニング・ポイントとして記憶されることになると思います。国民の憲法意思、つまり、310万人を超す戦争犠牲者と生き残った人々の、戦争は二度とご免だ、という痛憤によって選び取られたこの国の生き方が、『日本会議』という歴史を歪曲・冒涜したカルト集団によって葬り去られた年としてです。

                           


                           
                          大いなる歴史的事件は二度繰り返す、と言われます。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として。そして今、喜劇の幕は切って落とされたのです。

                           


                           
                          舞台に立ち並ぶ大根役者の面々。嘘をつくことを何とも思わず、それを指摘されると屁理屈を並べて言い逃れる詐欺弁護士・橋下徹氏。その橋下親分によって後釜にすえられた大阪府知事の松井一郎氏。氏は、自民党の若手勉強会『文化芸術懇話会』で、「沖縄の二つの新聞は、絶対潰さなあかん」と発言した百田氏をかばいました。

                           

                           

                           

                          いわく「百田氏にも言論の自由はある」と。さすがにヤクザ知事だけのことはあります。言論の自由が日本国憲法21条で保障されている意味が全く分かっていません。後日詳しく論じます。

                           

                           

                           
                          その松井氏の横でニヤけているのが当の百田尚樹氏。知らない人のために紹介しますが、氏はベストセラー、(知性が)『永遠の0(ゼロ)』、および、ねつ造だとして裁判になっている『殉愛』の作者です。

                           

                           

                           

                          よく見ると『懇話会』の自民党の面々もこの三氏を取り囲むようにして立っています。

                          後ろの方には、橋下氏のチンピラ芸の師匠、暴力団との関係が明るみになって芸能界を去った島田伸助氏もいるではありませんか。今は亡き、やしきたかじん氏の遺影も飾られています。イエ〜イ。

                          後ろの方に菅官房長官。その陰に隠れるようにしているのが自民党の広報担当の世耕弘成氏。

                           

                          安保法制に関して下手な比喩を使い、10代の女性に論破されて逃げた総理大臣補佐官の礒崎陽輔氏。同じく総理大臣補佐官の江藤晟一氏もいます。礒崎氏は大分舞鶴高校出身。江藤氏は大分上野丘高校出身です。わが大分県選出議員もなかなかやってくれます。そして、この大根役者一座を取り仕切っている座長こそが安倍晋三氏なのです。よく見ると緞帳には、読売新聞社・産経新聞社後援、NHK協賛と書かれています。

                           


                           
                          この一座の演じる喜劇を見て、心暗くならない人間がいるでしょうか。いるのでしょうね。座長のチンピラ芸を熱烈に支持する人もいるくらいですから。この喜劇役者たちに共通する特徴は、関西のお笑い番組出身者が多いというだけではなく、「既得権益」を打破する大胆な政治改革ができると思い込んでいる割には、利用されていることに気づかないお調子者だということです。

                           

                           

                           

                          完全なる奴隷支配の形とは、奴隷になっている人間たちに、自分たちは奴隷ではない、ひとかどの人物だと信じ込ませることです。それが、支配する側にとって、もっとも安いコストで、もっとも安全・確実に支配する方法なのです。そんな芸当が、ポツダム宣言を読んだこともなく、憲法学者の芦部信喜氏も知らない座長(安倍晋三)にできるわけがありません。

                           


                           
                          『戦争プロパガンダ10の法則』には次のように書かれています。

                           

                          戦争プロパガンダ10の法則



                          1:われわれは戦争をしたくない。


                          2:しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。


                          3:敵の指導者は悪魔のような人間だ。


                          4:われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。


                          5:われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる。


                          6:敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。


                          7:われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大である。


                          8:芸術家や知識人も正義の闘いを支持している。


                          9:われわれの大義は神聖なものである。


                          10:この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。

                           


                           
                          どこかで聞いたことのあるセリフばかりです。この戦争プロパガンダ8をご覧ください。「芸術家や知識人も正義の闘いを支持している。」とあります。安倍政権が集めた芸術家とは、百田尚樹氏のことです。知識人とはオツムの弱い3人の憲法学者のことを指します。

                           

                           

                          世論を扇動するのに橋下氏や百田氏を起用し、戦争法案の合理性を説くために総理大臣補佐官の礒崎陽輔氏を起用するとは、余りに痛々しい布陣ですね。何だか同情したくなってきました。続きは明日のブログに書きます。


                           

                          | 政治 | 14:57 | comments(0) | - |
                          ここではない、どこか遠くへ!西江雅之氏を悼む。
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                            去る6月14日、言語学者、文化人類学者の西江雅之氏が亡くなりました。二十代にアフリカに赴き、スワヒリ語の辞書を独力で編纂したという異能の学者です。氏の『異郷日記』は折に触れて読む愛読書です。ここではない、どこか遠くへ!という感情が満ちてくると、手に取ります。

                             

                             

                             

                            私は、国内でも、見知らぬ土地に行って道を尋ねたり、買い物をしたりするとき、ことばが通じるということに今でも感激します。何と不思議なことだろう、と。一緒に旅をしている妻にこのことをよく話しますが、相手にしてもらえません。「あたりまえでしょ」と一蹴されます。

                             

                             

                             

                            京都でも東京でも金沢でも沖縄でも、これだけ距離も文化も隔たったところで、ことばによって意思の疎通ができるというのは、考えてみれば衝撃的なことではないでしょうか。そんなわけで、「自分の外はすべて異郷だ」と語る氏の感性に共感し魅了されたのです。人間は誰でも言語学者の卵です。

                             

                             

                             

                            これまで氏の著作を友人や塾の生徒にも勧めましたが、感想を聞いた覚えがありません。なんだかわかる気がします。感想?氏の著作はただあきれるというか、ショックを受けるというか、要約などできる代物ではありません。いわゆる学者の範疇をはるかに超えた行動力、言語運用能力。未知の土地に行っても、ほぼ2週間あればその土地の言語で生活できたといいます。どこか南方熊楠を彷彿とさせますね。南方熊楠についてはまたの機会に。

                             

                             

                             

                            ところで、氏は「言語」と「ことば」とは異なると言います。「言語」とは書かれた口語体、標本であり、「ことば」とは人が発した音声表現である。それゆえ、「ことば」は音声の違いによって「言語」以上の複雑な感情のニュアンス、複数の意味を持つ。

                             

                             

                             

                            例えば、「あなたなんか嫌い!」ということばは、ニュアンスによっては「あなたのことが大好き!」にもなりますね。これは私たちが普通に経験していることです。

                             

                             

                             

                            つまり、「ことば」は「言語」を内包しているのです。そう考えると「ことば」が人間味溢れたものに感じられてくるから不思議です。同時に、ことばはその人間の持つ知性も、経験に裏付けられた人間としての魅力もすべてをさらけだします。恐ろしいことです。これこそが、人が生きている限り学び続ける理由なのでは、とひそかに思っています。

                             


                             

                            さらに、世界に言語はいくつあるのか、という問いには正確には答えられないと言います。約七千語とも言われていますが、カウントする方法が問題です。「言語」を取り巻く複雑な背景があるからです。

                             

                             

                             

                            たとえば政治的に国境が線引きされている場合、その国境が民族を分断します。その結果、民族で用いる母語と国家が強制する母国語と、最低でも二つの言語が必要となります。三つの国境で分断された民族はさらに数カ国語を必要とするのです。

                             

                             

                             

                            言語がいくつあるかという問いは、民族・部族の数や国家の数でわりきれるようなものではなく、複数の要因によって変わってきます。歴史をひもとけば、こういった事実は世界中いたるところに見られます。反面、多くの場合母語と母国語が同じ社会の中で暮らしている私たち日本人にとって、この事実は衝撃的です。

                             

                             

                             

                            してみると、違う土地でことばが通じるという単純な事実に驚いている私は、変人ではなく、案外まともなのかも知れませんね。

                             

                            | この人を見よ! | 13:41 | comments(0) | - |
                            「なでしこジャパン」は、なぜ強くなったのか?
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                              2011年、ワールドカップで「なでしこジャパン」が優勝したことを感動とともに記憶している人は多いでしょう。では、彼女たちはなぜ強くなったのでしょう。もちろん日々のたゆまない練習の成果であることに異論の余地はありません。しかし、強くなったきっかけがあると思います。それを理解するためには歴史を少しさかのぼらなければなりません。

                               

                               

                               

                              2004年、中国で行われたアジア・カップ。「なでしこジャパン」は激しいバッシングにさらされました。日本対中国の決勝では、6万人のブーイングが国歌斉唱のときから鳴り響きました。日本が勝利を収めた後も、怒った中国人群衆が会場周辺で騒ぎを起こしているほどです。その時、「なでしこ」の選手たちはこの事件をどのように受けとめていたのでしょうか。

                               

                               

                               

                              そして、2007年のワールドカップ。開催地は中国です。日本は予選リーグでドイツと対戦しました。試合予定日は大会直前になって9月17日に変更されます。翌9月18日が満州事変の発端となった柳条湖事件が起こった日だったのです。この試合は特に反日感情がむき出しになると予想されました。

                               

                               

                               

                              優勝候補の筆頭に挙がっているドイツがいる中で、「なでしこジャパン」は決勝トーナメント進出をかけて戦います。得失点差で決勝トーナメント進出が厳しくなる中、必勝の構えで臨んだドイツ戦。4万人近い中国の観客は、ほとんどすべてドイツを応援します。日本の国歌斉唱から激しい罵声を飛ばし、試合中もこの状態が続きます。ドイツが優位に立つと拍手喝采を送り、日本側に負傷者が出た時でさえ、それは止まりませんでした。そんな中、彼女たちは、パワーと体格に勝るドイツの猛攻に苦戦しながらも、持ち前のひたむきさと粘り強いプレーで応戦します。しかし、2−0で敗戦。残念ながら決勝トーナメント進出はなりませんでした。

                               

                               

                               

                              反日感情が吹き荒れる中での試合でしたが、戦いを終えた「なでしこ」の選手たちは、観客席に向けて「ARIGATO 謝謝 CHINA」の横断幕を掲げ、深々と頭を下げ、全力を尽くして戦ったスタジアムを後にしました。

                               


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                              この行動に観客は衝撃を受け、スタジアムは一瞬静まり返えったのです。心ある人は拍手を送りました。その後、地元メディアは「中国のブーイングは日本の横断幕に負けた」と観戦マナーを批判し、新華社通信は20日に「北京五輪でこのような反日感情を持ち込めば、中国人の国際的なイメージを損なう」と論評しました。反日的な記事が多いとされる全国紙「国際先駆導報」も「日本人は不快な気持を乗り越える勇気を見せたが、中国人にはその勇気がなかった」と批判したのです。

                               

                               

                               

                              「なでしこジャパン」は、この後、急激に強くなっていきます。そして、2011年のワールドカップで優勝するのです。スポーツは技術や身体能力の争いでもありますが、それと同時に精神の争いでもあります。精神の争いで優位に立つ者は、ここぞという大事な場面を制することができるのです。

                               

                               

                               

                              私は、彼女たちがこんなにも強くなった理由の一つは、「謝謝 CHINA」という「礼」によって、いわれなき「侮蔑」という「非礼」を打ち倒す、驚くべき勇気を身に付けたことにある、と思っています。

                               

                               

                               

                              他人から、いわれのない嘲笑や侮辱や反感を向けられた者が、それに怒ったり悲しんだりして精神を乱すと、負けてしまいます。そういった嫌がらせに傷つかない強さを持つ者こそが、本当の勇者です。間違いなく彼女たちはガンジーの言う「非暴力の戦士」なのです。彼女たちは、日中戦争によって引き裂かれた両国の心の障壁を打ち破るという、歴史的な「戦果」を挙げたのです。

                               

                               

                               

                              後日、ネット上で「日本の宣伝活動に感動するなど中国の恥だ」との意見もあったようです。こういう意見に対して、本当の「勇気」とは何かを考えることもせず、反感を募らせ、罵倒し、仮想敵国に仕立て上げているのが安倍政権です。「なでしこ」の爪の垢でも煎じて飲ませたいものです。

                               

                              | スポーツ・文化 | 13:18 | comments(2) | - |
                              感情統治とファシズム
                              0

                                2012年5月10日、橋下徹氏は放射性廃棄物の処理方法について、経済ヒョーロンカでブロガーの池田信夫氏のツイートに次のように答えています。

                                 

                                 

                                池田

                                ―「海洋投棄はけしからん」という感情論が多いが、1万メートルの日本海溝に沈める技術は確立しており、地層処分より安全。

                                 

                                 

                                橋下

                                ―こういう技術論を国民コンセンサスに高めるには膨大な政治エネルギーが必要。それをやらずに論を言うのは言うだけの世界。民主主義は感情統治。

                                 

                                 

                                池田氏は、「海洋投棄はけしからん」という感情論が多い、と言っていますが、これはウソです。「海洋投棄はロンドン条約に違反する」という指摘に対して、「ロンドン条約」ということばを削除し、「違反する」ということばを「けしからん」ということばにすりかえ、さも海洋投棄に反対するのは感情論であるかのように印象操作しています。

                                 

                                 

                                ありもしない論を勝手に捏造して、それを批判するという、いつものパターンです。これが池田信夫氏の仕事です。「日本海溝に沈める技術は確立して」などいません。「地層処分より安全」というのは完全なデマです。こんなことを世界に向けて発信すれば、狂人扱いされるだけです。たった一文の中にこれだけウソと捏造があります。普通の知能のある人なら、こんな文章は書けません。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、もっと驚いたのは橋下氏のツイートです。

                                印象操作とウソだらけの池田氏のツイートに反論するとばかり思っていたのですが、「こういう技術論を国民コンセンサスに高めるには膨大な政治エネルギーが必要」などと応じているではありませんか。大阪の庶民の中には橋下氏を「政治の天才」だと崇めている人もいるようですが、彼は論理的に論争する能力のない無知なデマゴーグに過ぎない、と断じて良いと思います。

                                 



                                そして極めつけは「民主主義は感情統治」ということばです。ここでなぜ唐突にこのことばが出てきたのでしょうか。池田氏にアドバイスでもするつもりだったのでしょうか。そうではありません。彼の存在を支えている唯一の政治信条を思わず吐露したのです。これは政治屋としての彼の本質を余すところなくさらけ出すことばです。いくら論理的に矛盾していても、感情的な流れの中では完ぺきにつじつまが合っているのです。

                                 

                                 

                                 

                                論理的には破綻していても、思考を支配するようなキーワード(=紋切型のことば)を繰り返し使うことによって人々の「感情」を統治すれば支持率は落ちないということを彼はよく知っています。例えば、彼がよく使うことばに、「民意」「決定できる政治」「既得権益」「二重行政」「大阪都構想」「対案を出せ」「身分保障の公務員」「公務員は上司の命令に従え」「税金で飯を食う官僚」「自称インテリ」「学者論議」等々があります。

                                 

                                 

                                 

                                人々が社会に対して抱いている不満や懸念、不遇感をすくいあげることにおいて彼は卓越した才能を持っています。これは大阪の庶民の間で培われた話芸に端を発しているのです。それは、理性や論証ではなく人々の感情を煽りたてる力を持っています。そして民衆がこの種のことばを進んで唱和することも知っています。

                                 

                                 

                                 

                                その結果、「思想良心の自由を守れ」よりも「公務員は上司の命令に従え」ということばが説得力を持つようになります。こうして彼の言う「感情統治」が完成します。しかし、何度も言いますが、これは「民主主義」などではありません。これこそがファシズムの統治形態なのです。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                ―「なでしこジャパン」が決勝進出を決めた日に―

                                言いたいことはまだまだあります。次回のブログに書きます。

                                 

                                 

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