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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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橋下徹は、さっさと政界から引退せよ。
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    このブログは、意に反して政治的な話題が多くなっています。本来私は政治からは距離をとっていたいし、できれば政治的な話題も避けたいと思っています。

     

     

     

    しかし、どんなに個人主義を気取ったところで、私たちは国家から恩恵を受けています。そのことに無自覚であっていいわけがありません。国家の枠組みがあればこそ、私たちは安心して毎日の暮らしを営むことができるのです。

     



    しかしそうであればこそ、現行憲法に基礎を置く国民国家が、反動的で、偏狭で、独善的な歴史意識に染め上げられた政治家によって葬り去られる可能性が出てくれば、それに抵抗しないわけにいきません。

     



    なるほど、戦後民主主義と現行憲法に基礎を置く社会は未成熟です。しかし、その欠点をあげつらって葬り去ろうとする勢力はもっと未熟で、お話にならないくらい無知で論理性を欠いています。その代表が安倍首相と自民党であり、橋下徹という政治家です。このことについては8月3日のブログ『ヤクザの友情−安倍政権の本質』と7月2日の『感情統治とファシズム』ですでに指摘しました。

     



    橋下徹というヤクザ政治家を支えている二つの原理があります。一つは「民主主義は感情統治」という彼の信念であり、二つ目は「民主主義は多数決」という小学生並みの認識です。嘘の上に嘘を重ね、前言撤回を何とも思わないその無節操ぶりは、彼の信念と認識からすれば当然の結果です。

     



    前回の選挙で維新の党が多数の議席を獲得したのは、非民主、非自民の票を獲得したからです。要するに漁夫の利を得たということです。国民は民主党政権の頼りなさに失望し、自民党と新興勢力の維新の党に投票しました。その結果、自民党は公約でTPPに反対していたにも関わらず、多数を獲得するや否や公約を破棄し、それどころか違憲の集団的自衛権の行使も国民に信任されたのだと強弁したのです。自民党は昔の自民党ではなく、『日本会議』に乗っ取られて変質した自民党であることに国民は気づかなかったのです。
     

     


    橋下徹というヤクザ政治家は、「大阪都構想」を問う住民投票で、「たとえ一票差でも否決されれば政治家を辞める」と公言して選挙戦に臨みました。その結果敗北した5月17日の夜、何と言ったか。

     

     

     

    「市長任期が終われば政界を完全に引退する。政界に復帰することはない。また2万パーセントないと言わせたいんですか」と記者会見の席上で言ったのです。その強引な手法へ批判が集まったことに「反省」もしたはずです。私はその時、橋下徹と安倍政権の野合が消えて、ほっと胸をなでおろしたものです。わずか3ヶ月前の出来事です。
     


    私は「住民投票で、たとえ一票差でも否決されれば政治家を辞めると」と彼が公言した時、ああ、また彼の虚言癖が出たなと思いました。「たとえ一票差でも否決されれば」という極端な物言いが、大阪という政治的風土の中では、潔いとか、退路を断ったとか、おおむね好意的に評価されるのです。

     

     

     

    しかし、彼がまともな政治家なら、1票差で否決された民意をその後の政策の中で何とか生かしていく方法を探るはずです。しかし、それをせずに、潔い政界引退表明にすりかえました。一番困難な仕事から逃げて、またぞろ「民主主義は感情統治」という信念のもと、無知蒙昧な大衆を味方につけて、復権を狙っているなと私は感じました。

     


     
    そもそも彼が大阪府知事選に立候補した時から、そのパフォーマンス、ことばの使い方を見て、私は彼を信用していませんでした。メディアをはじめとして世間は、彼を改革の旗手、既得権益を打破してくれる政治家として期待していました。政治に対する認識の甘さを見せつけられて、私の悲観主義はますます亢進せざるを得ませんでした。
     

     


    そこへ持ってきて今度の騒ぎです。維新の党の柿沢問題に端を発して(本質は単なるヤクザのイチャモンです)松井、橋下が党顧問を辞任。橋下は27日に離党した際、維新の党幹部にメールで「党を割らない」と伝えたその翌日に新党結成の話。今年12月の市長任期満了を持って政界完全引退と言ったにもかかわらずです。

     

     

     

    これが最後の仕事?嘘でしょうね。政治家から全面撤退すると言った橋下に対して、「政界復帰は十分ある」とする松井大阪府知事。橋下は自分の口からは言えないので、松井というヤクザの子分に言わせているのです。

     



    ここで忘れてはならないのが、6月14日の安倍首相・菅官房長官と橋下・松井悪役コンビの都内の高級ホテルでの密談です。今回のシナリオはそこですでに決まっていたとみるべきでしょう。橋下・松井の悪役コンビは、反自民ではなく自主憲法制定を悲願とする安倍政権の補佐役として利用されているのです。

     

     

     

    しかし、ここは利用されるふりをして安倍政権の中枢に食い込み、あわよくば総理大臣の椅子を狙おうとするのが、橋下徹というヤクザ政治家のしたたかさです。2020年、東京オリンピックの時の総理大臣は橋下徹という、誰一人予想すらしないグロテスクな結末を、私の妄想だとして笑い飛ばしてほしいものです。

     

     

    | 政治 | 22:22 | comments(2) | - |
    この人を見よ!−元国会事故調委員長・黒川清氏
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      毎日新聞によると、鹿児島県の伊藤祐一郎知事は、8月27日にあった県教育委員らが参加した会議で「高校教育で女子に(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「女性には、もう少し社会の事象とか、植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」と発言し、翌日の定例記者会見で「自分自身も使ったことがないよねという意味。口が滑った」と述べ、訂正したそうです。

       

      鹿児島県の川内原発が再稼働された最大の理由は、安全審査に合格したからではありません。免振重要棟もなく、住民の避難計画もずさんな上に、火山学者の警告も無視して再稼働されたのは、ひとえに、伊藤祐一郎知事に象徴される民度の低さが理由なのです。伊藤祐一郎知事は一体何のために知事になったのでしょうか。全く知事としての責任を果たしていません。自治体の長としての責任感において新潟県の泉田知事とは雲泥の差があります。その質の違いは、同じ人間かと思うほどです。

       

      3・11以降、誰一人として、福島第一原子力発電所の事故の責任を取っていないのがこの国の実態です。8月13日のブログで紹介した木村俊雄氏のような責任感のある人は東京電力を辞めざるを得ないのです。この国のエリートたちは、ある「立場」につくことが目的で、それに伴う「責任」を果たそうとは思っていません。

       

      以下の動画をご覧ください。2014年3月に行われた日本記者クラブにおける国会事故調委員長・黒川清氏の発言です。とくに若い人に1〜4まで、必ず見てもらいたい。







       

      黒川氏は自分のことばで福島第一原子力発電所の事故の本質を語っています。この国には、氏のように自分のことばで発言できる大人の何と少ないことか。これだけ見ても、日本の教育は総体として社会的な責任を自覚できる人間を育てるのに失敗したのだと断言せざるを得ません。

      | この人を見よ! | 14:16 | comments(0) | - |
      悲しみは消えない、小さくなるだけである。
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        8月24日、地区の夏祭りのことをブログに書きました。そのお祭りの最中、私には忘れられないシーンがありました。地区の公民館で早めの夕食を取った後、神輿と山車、お伴の一行は最後の行程に向けて出発しました。残すところ3時間余り。距離にして約5km。疲労のため足取りも重くなっています。

         

         

         

        そのシーンに出会ったのは、出発して10分余りたったころです。神輿を担いでいた二人が、神輿から少し離れて、遠くの人に両手を大きく振っています。まるで手旗信号を送っているかのようです。二人とも地元で消防団に入り、お祭りのときは必ず神輿を担ぎ、地域を支えています。私の地区では神輿は主に消防団の人が中心になって担ぎます。

         

         

         

        その二人が、稲が青々と茂った田んぼのむこうに向かって、手を振っているのです。そこに一人の男性が立っています。Kさんです。神輿の担ぎ手の中にKさんがいないので、そのことを尋ねると、つい一カ月ほど前、奥さんを亡くしたのだということがわかりました。二人はKさんに向かって手を振っていたのです。Kさんもそれに応えるように手を振っています。こどものころから地域の中で生きてきた者同士の、ことばにならない交信です。

         

         

         

        その後二か所の御旅所を経由して、いよいよ神社へと向かうはずでした。ところが、神輿だけ山車から離れて、迂回します。疲労もピークに達しているのに、誰も文句を言う人はいません。神輿は静々と歩き、予想通りKさんの家の前に来ました。Kさんと娘さん、小さなお孫さん、そしておばあちゃんが、袋入りのかき氷を20人分ほど準備して待っていてくれたのです。

         

         

         

        途中Kさんと連絡を取った人はいません。以心伝心というのでしょうか、神輿はごく自然にKさんの家をめざし、まるで約束でもしていたかのように落ち合ったのです。先ほどの二人はKさんに声をかけ、IさんはKさんの肩を抱きかかえるようにしていました。私は、奥さんのことを今日知った、本当に残念だと伝えました。

         

         

         

        人は人生の中で、思いもかけないことに遭遇し、悲しみのどん底にたたき落とされることもあります。中でも、こどもに先立たれたり、伴侶をなくしたりすることほど悲しいことはありません。大きな岩のような悲しみが、残された者のこころを押し潰します。いつも見慣れたはずの周囲の風景も違って見えます。呼吸するのも苦しいほどです。そんな時、私たちはどうやって自分を維持し、精神の危機を乗り越えればよいのでしょうか。

         

         

         

        小動物が岩陰に身をひそめるようにして暴風雨が過ぎ去るのを待っているように、運命の試練をやり過ごすしかありません。ただただ時間が過ぎ去るのを待つ。時間がすべての傷を癒してくれることを信じるほかありません。

         

         

         

        時間は、岩ほどもあった悲しみを少しずつ削り、一人ではとても背負いきれないと思っていたものを徐々に軽くしてくれます。一年、二年と経つうちに、岩は小さくなり、十年もするとこぶしほどの大きさになります。そうなると、バッグの中に入れてどこにでも持っていけます。

         

         

         

        そして、さらに幾つかの春秋を経て、ついには小石ほどの大きさになります。そうなればポケットの中に入れられます。時にはその存在を忘れてしまうこともあるでしょう。しかし、それは断じて消えることはありません。何かの折に、ポケットに手を突っ込んで、小石の存在に気づきます。そして自分の人生を豊かにし、支えてくれたのはこの小石だったと気づくのです。

         

         

         

        夏の終わりに目にした光景は、私にいろいろなことを考えさせました。以前「私とは、私の記憶である」とブログで書きましたが、愛する人の記憶は、その人が死んでから一層鮮やかに私たちの中で生き始めるようです。まるで、私たちの記憶の中で第二の人生を生きているかのように。

         

         

        | 人生 | 00:35 | comments(0) | - |
        NHKは死んだのか?
        0

          2015年8月25日、NHK包囲行動で元NHKプロデューサーの永田浩三さんが­NHKの職員に向かって熱く呼びかけました。



           

           

          読売新聞、産経新聞、NHKは完全に安倍政権の広報機関に堕しています。私は何度もブログでこのことを指摘しましたが、内部の人間が誰一人として声を上げないので、今一つ説得力がありませんでした。「お前が勝手にそう思ってるだけだろう」と言われれば、それで終わりです。

           

           

          しかし、元NHKプロデューサーの永田浩三さんが勇気を奮い起してNHKの現体制を告発したのです。氏のスピーチはNHKに対する愛情から発せられていることが、はっきりとわかります。内部の職員はこれを聞いてどう思っているのでしょうか。「寄らば大樹の陰」で、今の生活を守るために、見ざる、言わざる、聞かざるを決め込むのでしょうか。大学生や高校生ですら、自分の声で、自分のことばで意思表明しています。
           


          一人で反旗を翻すのは勇気がいるでしょう。しかし、永田氏の呼びかけに10人の職員が答えればどうなるでしょうか。10人が20人、20人が100人になるのは時間の問題だと思います。NHKの中には、それくらいのプライドを持っている職員はまだいると期待したいですね。

           

           

          もし返答がなければNHKは報道機関として、自ら命を断つことになります。演説を終えた永田氏いわく「人生のひとつの区切りだった。2回喋ったが、1回目のあとは、胸が苦しくてへたり込んだ。NHKどっぷりのわたしが死んだのだと思う」。至言です。私たちはまさに歴史の曲がり角に遭遇しているのです。

           

           

          | 政治 | 13:57 | comments(2) | - |
          山本太郎議員・「総理との一騎打ち」
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            7月30日の当ブログで、私は山本太郎議員の国会質疑に感銘を受け、次のように書きました。「彼は好戦的な人間ほど戦争に無知であるということを、国民の前にさらけ出したのだ」と。

             

             

             

            もちろんここで言う「好戦的な人間」とは、安倍首相をはじめとして、カルト集団『日本会議』に集う自称ジャーナリストや憲法学者、作家、そして自民党の議員たちを指します。そして彼らを取り巻くように、私たちの周りにも賛同者・支持者が広がっています。

             

             

             

            今やネトウヨ(ネット右翼)の中心は、病院経営者や中小企業の経営者、仕事も生活も充実している知的なドクターなど、「大都市在住の3040代ミドルクラス」の「富裕層」であり、橋下徹・大阪市長を支持する層とダブっています。彼らは「強いリーダーシップ」「愛国心」「成長志向」に共感する新自由主義者でありナショナリストなのです。歴史認識といい、使うことばといい、まるで判で押したようにそっくりです。反知性主義と言ってしまえばそれまでですが、彼らは反韓反中を補強する情報を異様な熱心さで収集し、中韓ヘイトなどをリツイートしています。
             

             


            しかし、彼らは中国や韓国に対して高圧的な態度をとればとるほど、日本は極端な対米従属状態にコミットせざるを得ないというパラドックスには気付いていないか、無視しています。

             

             

             

            当然、今日山本議員が指摘した米軍の戦争犯罪など知る由もありません。安倍首相の答弁を聞いていて私はそれを確信しました。「戦後レジームからの脱却」を唱えながら「戦後レジームの完成」へとひた走っているのですから、これはもう反知性主義などではなく、単なる無知な人間たちが演じる喜劇以外の何ものでもありません。

             





             

             

            | 政治 | 23:00 | comments(0) | - |
            私が影響を受けた建築家・その1
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              私が高校時代のK君に紹介し、彼が建築を一生の仕事にするきっかけとなった「ファンズワース邸」。設計はミース・ファン・デル・ローエ。1951年イリノイ州シカゴにあるフォックス川に面した広大な土地に建てられました。クライアントは大富豪の独身女性外科医エディ・ファンズワース。彼女が忙しい現実の世界を忘れるための週末住宅として建てられたのが「ファンズワース邸」です。





              ミースの代表作の一つであり、おそらく最も有名な建築です。四周をガラスで囲われた内部空間には、キッチン、浴室、トイレを収めたコア以外には何もありません。クライアントは独身者でしたが、ゲストのためのスペースを確保する壁も存在せず、完全なワンルームのみで成り立っています。屋根と地面から持ちあげられた床スラブは、8本あるI型鋼の柱で支えられています。柱はそれらの外側に配置されるため、内部空間には柱は現われず、柱に挟まって浮いているように見える2枚の水平スラブが強調されます。8本のI型鋼は組立後、研磨されてさらに白く塗装されるなど、「ファンズワース邸」は工業製品を使用しながらも想像以上に手間と建設コストがかかっています。

              ミースとファンズワースとは、親子ほどの年の差があったのですが、恋人同士でした(羨ましい・・・)。そして、恋人同士だったにもかかわらず、建築費が予算オーバーで訴訟沙汰になります。結局、ミースが訴訟に勝って、ファンズワース女医は全額支払った上に結局、売り払ったそうです。2人の恋愛は金銭問題に発展して終わったのです(やれやれ、いずこも同じですね)。この住宅はその後も競売にかけられたり洪水にあったりと波瀾万丈の名建築として建築史に残ることになり、ファンズワース女医の名前とともに、このエピソードも永遠に語り継がれることになってしまいました。




              私はこの「ファンズワース邸」から、住宅建築において重要なヒントをもらいました。それは、つまるところ「ワンルームの住宅こそがもっとも機能的であり、美しいのだ」ということでした。「ファンズワース邸」は、日々の生活を豊かにする器としての住宅という観点からは、つまり貧乏性の私から見ればということですが、そこで生活することを躊躇させる住宅です。それでも、時々、写真集を取り出して眺めたくなります。この住宅は私にとって、精神の浄化作用を持つ貴重な建築物なのです。
               
              | 自己救済術としての家作り | 11:46 | comments(0) | - |
              地区の夏祭り−日本は瑞穂の国である。
              0

                昨日、8月23日は木田地区田中神社の夏祭り。宮総代として参加しました。準備から本番当日まで、地区の皆様の協力に心から感謝いたします。

                 

                朝早くから黙々と働く人、ユーモアあふれる話術で周囲をなごませる人、実直で責任感にあふれた人等々、昔ながらの村落共同体の変化に富んだ人間模様が繰り広げられます。田舎は退屈ではありません。退屈だと思う人間が田舎を退屈にしているだけです。

                 

                神事の後、正午に神社を出発し、午後7時30分まで神輿と山車で地区を練り歩きます。

                青々と元気よく育った稲穂の上を赤とんぼが飛び、水田の上を吹きわたってくる風の中に秋の気配を感じます。それでも昨日は高温注意報が出るほどの酷暑の一日でした。

                 

                お祭りを機会に、久しぶりに会った人たちが会話します。「あらま〜、○○ちゃん。立派になって・・・。元気やったかえ?」「あんたとこの○○じいちゃんは初盆やったちなあ。さびしゅうなったやろー」といった、方言丸出しの会話があちこちから聞こえてきます。心和む瞬間です。できれば、自分が死んだ後もこの光景が続くことを願わずにはいられません。しかし、少子高齢化の波に洗われ、地区の夏祭りもいつまで続くかわからないのです。

                 

                神社に帰ってきてからのクライマックス。神輿を担ぐ人の疲労はピークに達しています。それでも全力をふりしぼっての最後の奉納。神輿を担ぐ人から汗が飛び散り、笛や太鼓に力がこもる最高の瞬間です。




                 

                | スポーツ・文化 | 17:00 | comments(0) | - |
                日本は本当に独立国?
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                  2015年8月19日、甲子園の高校野球、早稲田実業と仙台育英の準決勝が全国中継されている裏で、山本太郎議員がきわめて重要な国会質疑を行っていました。

                   

                   

                  ネットでは「史上最大のタブーを追求」とのタイトルがつけられています。その通りです。官僚が書いた答弁書を読むしか能のない政治家を顔色なからしめる山本氏の質問でした。

                   

                   

                  政府が安保法制の合憲性の根拠としている砂川判決がいかにデタラメなものかということを、国会の場で明らかにしたのです。周囲にいる国会議員の静まり返った様子が、山本氏の質問が核心に迫ったものであることを何よりも雄弁に物語っています。


                   
                  本物の政治家の追及は、戦後70年のこの国の歴史と、官僚が書いた作文を読み上げるだけの無能な大臣の滑稽な姿を、否応なく浮かび上がらせます。具体的事実を調べ上げ、その背後にある政治的な思惑を臆せず指摘する。山本氏の手際こそ、歴史の検証に耐えうる論理と倫理そのものです。

                   

                   

                   

                  官僚養成学校の総本山である東大を出た政治家は、自分の立場を守るために、タコつぼの中でつじつま合わせをしているだけです。それすら、官僚の助けを借りなければできません。戦後70年、日本はいまだにアメリカの植民地であり、被占領国です。その中で利権あさりに狂奔する政治家や財界人のスケールの小ささには、哀れを催すほかありません。山本議員は、文字通り背水の陣を敷いているのだということが伝わってくる質疑でした。命が狙われなければいいのですが。

                   





                   

                  | 政治 | 11:44 | comments(0) | - |
                  死の舞踏を舞っているのは誰か
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                    2012年3月7日に『福島原発−現場監督の遺言』について書いたもう一つのレビュー。

                    ― 著者の恩田氏は、ことばを正確に使う人である。「冷温停止状態」「爆発的事象」「中間貯蔵施設」「収束」などという欺瞞言語を決して使わない。あるいは、他人の発言に対して「レトリックにすぎない」などという言葉を投げつけることによって、自分の言説はレトリックではないと読者に印象づけるような卑怯な言葉使いをしない。40年以上にわたってチェルノブイリ事故など原発関連の記事を執筆してきた著者は、現実を正面から見据え、自らの責任と判断でそれを正確な言葉にしている。

                    しかし、私がここで言及したいのは、「現場監督の遺言」を残した平井憲夫氏についてである。(You Tubeの「内部告発−原発:平井憲夫氏の遺言」は必見である。これを見ていただければ私のレビューなどどうでもよい)。平井氏は、その発言内容があまりにも生々しく、リアルであるために、一時期その実在を疑われ、原子力村から圧殺されかかったほどの人物である。ネットでは例によって枝葉末節の揚げ足取りや人格攻撃の対象にされているが、逆にそのことで平井氏がいかに厄介な存在であったかわかる。




                    本書の第4章「原発の語り部・平井憲夫の活動」は必読の章である。
                    東電の福島第二原発3号機の運転差し止め訴訟における平井氏の陳述書は、同氏がさまざまな場で語ってきた原発の内情がほぼ網羅されていて、原発が素人集団による欠陥工事だらけのものであり、保守・点検がいかに杜撰なものであるかを指摘している。特に氏が「チェルノブイリ一歩手前」と呼ぶ、福島第二原発3号機の再循環ポンプの事故および関電美浜原発2号機の蒸気発生細管のギロチン破断事故に関する証言を読んで、背筋が寒くならない人がいるであろうか。私たちが現在生きているのは、単なる幸運に過ぎないと思い知らされる。ここで下手な要約をすれば、氏の証言が持つ迫真のリアリティーを奪うことになりかねない。一人でも多くの人にこの章だけでも是非読んでもらいたいと思う。

                    人間として生きる誇りとは何か。これは難しい問いである。しかし、誇りと良心を失わず、自分に与えられた責任を全うして生きた人間はいる。平井氏はまぎれもなくその一人である。1997年、氏は58年の生涯を閉じた。お別れの会での高木仁三郎氏の挨拶は心に響く。そして、その高木氏ももうこの世にいない。平井氏も高木氏も私たちが長く記憶にとどめておきたい人間である。

                    それにしても日本の近代150年の歴史の中で、足尾鉱毒事件、水俣、そして、ついにフクシマに至った経緯を考えると、日本の政治の屋台骨は折れてしまったのだと思わざるを得ない。薄氷の上で浮かれて死の舞踏を舞う国民大衆に、自らの命を犠牲にしてでも危険を知らせ、安全な場所に導くのが政治家の役目ではなかったのか。しかし、福島県民が犠牲になって危険を知らせてくれたにもかかわらず、現在、薄氷の上で率先して死の舞踏を踊っているのは当の政治家たちである。第二のフクシマは近い。―


                     
                    | 原発 | 22:40 | comments(0) | - |
                    狂気の時代を生き延びるために
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                      前掲書のレビューと同時に削除された、広瀬隆氏の『第二のフクシマ日本滅亡』に対する私のレビュー、『狂気の時代を生き延びるために』も再度掲載しておきます。それにしても、同時に二つのレビューが削除された背景には何があるのでしょうか。まさに、狂気の時代を支える勢力が実在していることを証明しています。

                      ― 広瀬氏ほど罵詈雑言を浴びせられ、枝葉末節なことで挙げ足を取られてきた人もいないのではないか。今となっては、それが原子力村に寄生する専門家や学者・評論家・ジャーナリスト・カルト教団によるものであることが明らかになった。
                      広瀬氏の言説に多少の勇み足や誤解があったとしても、私は広瀬氏を断固支持する。
                      なぜなら氏の著作には、良心の声と怒りが満ち溢れているからだ。そしてその強さ真摯さは、他の著者の及ぶところではない。
                      預言者めいた煽情的な語り口を指摘する声もある。しかし、それは無知と鈍感が招いた福島原発事故に対する痛切な悔恨をいまだ持ちえない人間に、そう聞こえるというだけのことである。氏が本書の中で主張する、六ヶ所再処理工場の即時閉鎖の正当性は、正気の人間には自明の理である。だが、原子力村の利権構造にどっぷりとつかっている人間には、事実に基づいた正確な分析や危険性の予測も、単なる雑音でしかない。

                      関連企業から研究費と称する賄賂をもらっている原子力安全委員会の学者は、細部の知識や議論の正当性を競う。だが、たとえそれがどんなに正確で整合性があろうとも、所詮はジグソーパズルのピースでしかない。問題は、そのピースで描く全体像である。そこに人間の良心や倫理観が否応なくあらわれてしまう。

                      客観的な科学など存在しない。科学はそれを利用する人間の動機や利権によって、いとも簡単に方向づけられてしまうのだ。科学に対する根底的な批判なしに私たちはこの狂気の時代を生き延びることはできなくなった。私たちは、良心の声を聞く能力を高めなければならない。

                      「そもそも、自宅や農地を失い、友人・知人を失い、郷里を失い、職を失い、日々かろうじて生活を保ち、これからの生涯にわたる甚大な被害を受けた地元民をはじめとする被害者に対して、「加害者である東電」が、補償金の請求書類を送りつけ、「この書式に従って請求しろ」などと、請求の手順や項目を勝手に決めつけることが、法律的にはあり得ない非常識なことである。それをマスメディアが一度も批判していない。メディアが批判してきたのは、書類の分厚さや煩雑さだけで、そんなことは枝葉末節のことだ。たとえば泥棒であれ殺人犯であれ、加害者側の責任者が、苦しむ被害者側に、自分の罪状に関する書類を送りつけ、それに従って被害請求をしろと求めることが世の中にあるか、と考えてみれば誰にも分かるだろう。前代未聞の不条理が目の前で起こっているのだ。補償金の請求は、被害を受けた人間が怒りを持って、東電に対して、「これこれを補償しろ!」と怒鳴りつけて求める筋合いのものである。その方法や項目を、東電が決定して被害者に通告するとは何ごとだ。そんな権利が、事故を起こした加害者の一体どこにあるのだ。(251頁)」

                      これは広瀬氏の切迫した良心の叫びであり、怒りである。私たちは、人生の大半を費やして警告を発し続けてきた広瀬氏や小出氏を孤立させてはならない。一人でも多くの人がこの怒りを共有することを願う。―



                       
                      | 原発 | 22:29 | comments(0) | - |
                      経済合理性という狂気または合理的な愚か者について
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                        2012年1月18日、私は『原発危機と東大話法』(安冨歩著:明石書店)のレビューを 『経済合理性という狂気または合理的な愚か者について』というタイトルでアマゾンに投稿しました。私のレビューは瞬く間に600人以上の人が「参考になった」との感想を寄せてくださり、その数は日々増え続けていました。

                         

                         

                         

                         

                        反面、安冨氏本人が書いたレビューではないかとの中傷も受けました。ところがそれから9カ月経った10月17日に突然、私のレビューは削除されたのです。問い合わせたところ、新しくなったガイドラインを9か月前にさかのぼって適用し、システムのロジックに従って削除したとの返事でした。

                         

                         

                         

                         

                        「私のレビュー以外にそのような基準で削除されたレビューがあるのか、すべてのレビューを9カ月前までさかのぼって読み直し削除しているのか、削除の責任者は誰か」との私の問いかけに、アマゾンは全く答えられませんでした。川内原発の再稼働を機に一度ホームページに掲載したものを再度載せておきます。

                         

                         



                        ― フクシマ以降、私は何をしても心晴れず、笑うことも少なくなった。原発事故の衝撃もさることながら、その後の学者や政治家・マスコミの正気を疑うような発言や報道に接して、私は深く傷つき、ボディーブローが効いてくるように疲弊した。言語存在としての人間は、言葉を正確に使うことなしに現実に肉薄することもできなければ、精神の平衡を保つこともできない。専門用語を多用し詐術的論理を使う人間が、確信犯的な自信をもって声高に叫べば叫ぶほど、人間のおぞましさをまざまざと見せ付けられる思いがして、いたたまれなくなる。
                         

                         


                         本書の第1章「事実からの逃走」から一例を挙げよう。2005年12月25日に行なわれた公開討論会「玄海原発3号機プルサーマル計画の『安全性』について」での、東京大学大学院工学研究科の大橋弘忠教授は「専門家になればなるほど、そんな格納容器が壊れるなんて思えないんですね」と発言し、討論の相手である小出裕章氏を素人だとして侮辱している。著者は、この公開討論会での大橋教授の議論の欺瞞性に言及して次のように述べる。「原子力の専門家であるための条件は、原子力についての真理に曉通することではない、のです。そうではなくて、欺瞞言語を心身に浸透させていって、まともに思考できなくなり、原子力業界の安全欺瞞言語でしかものが考えられなくなって、『格納容器なんて壊れるわけないよね』と<思い込める>ということが専門家の条件なのです(67頁)」と。

                         


                          
                         そして第3章「東大文化」と「東大話法」で、経済合理性と費用対効果を何よりも重視する池田信夫氏を俎上にのせる。この章が本書の白眉である。「放射性廃棄物を途上国に開発援助と交換で引き取ってもらうことも可能で、これはコストの問題にすぎない」と断じる池田氏に対し、著者はそういう行為は卑怯であるとして、極めて重要な指摘をする。

                         

                         

                         

                        「経済行為を単にコストと利益に還元する論法が、経済学の特徴ですが、私はこの考えは経済的観点からして、間違っていると考えます。というのも、人間社会が卑怯者の集団となれば、社会秩序が維持できなくなるからです。その社会的・経済的コストは極めて大きいのです。この重要な論点を無視するのが、経済学という学問の最大の問題点だと私は考えています。池田氏のブログが絶大な人気をエリートの間で誇っているのは、ここのところがポイントなのだと私は感じます。卑怯かどうかは、一切問題にせず、そういうことをいう人間は鼻先で笑い、すべてをコスト計算で踏み越えていく。それが卑怯者の多いエリートやその追随者には痛快なのでしょう。しかし私は、逆に、卑怯かどうかは、経済的に非常に重要だと考えています。というのも、卑怯者は何も生み出さないで、盗むばかりだからです。誰かが創造性を発揮して価値を生み出さなければ、経済は維持できません。(168〜9頁)」
                         

                         


                         その池田氏はブログで次のように断言している。「福島原発事故は命の問題ではなく、純然たる経済問題なのだ。経済問題と考えると、農産物の年間出荷額が2400億円の福島県で5兆円もの賠償を東電が行なうのは、どう考えても過大であり、数兆円もかけて除染を行なうのは税金の浪費である」と。池田氏は「純然たる」経済問題だと自らに言い聞かせて、葛藤から自由になる手法を身につけている。ここまでくれば、経済合理性を追求する余り、狂気の沙汰に至った言説だと言うほかない。


                         

                         


                         なぜ人間はかくも合理的な愚か者になりうるのか。
                        経済合理性の人間社会への力ずくの押しつけが、私たちの生の複雑さや豊かさを平準化し、社会を理解するために必要な「正義」や「倫理」を、経済学者や専門家から根こそぎ奪い取ってしまったからである。

                         

                         



                         私たちの生は市場ではない。同様に、意識もまた市場ではない。経済学という閉ざされた世界の中で、現実離れしたモデルを作って、お互い持ち上げたり、けなしあったりしている池田氏やその取り巻きは、私にはゲームに興じるこどもにしか見えない。経済産業省の言いなりになって、原発を海外に輸出しようとしている日本政府も同じ穴の狢である。これだけの事故を起こしたにもかかわらず、何もなかったかのように思考し行動する。あるいはこれまでの体制をいっそう強化することに血道をあげる。今後、一体何基の原発が事故を起こせば彼らは覚醒するのだろうか。
                         

                         


                         フクシマ以降、私たちが生きている世界に課せられた最大の問題は、私たちの子孫が荒涼たる環境の中で暮らしている、あるいは暮らせなくなっていることを想像して、それでも良心の呵責なく生きることができるのかという倫理的な問題なのだ。池田氏は倫理や正義を空想だと言う。なるほど倫理も正義もそして怒りもモデル化できない。しかし、厳然として存在する。そして、それこそが歴史を動かす原動力となってきたのである。本書の一読をすすめたい。―

                         

                         

                        | 原発 | 21:58 | comments(0) | - |
                        現実は『死都日本』を模倣し始めた。
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                          本日 8月15日(土)12時13分TBS系が配信したニュース。 「鹿児島県の桜島で規模の大きな噴火が発生する可能性が非常に高まっているとして、気象庁は噴火警戒レベルを5段階のうち、レベル4の避難準備に引き上げました。火口から3キロの住民に避難をするなどの厳重な警戒を呼びかけています」とのことです。

                           


                           
                          2011年3月の東日本大震災の前、霧島山系の新燃岳が噴火した時、元旦に私は「今年は破局的な天災が起こり、日本社会はリセットされるかもしれない」と友人に書き送りました。ホームページにもそのことを書いています。

                           

                           

                           

                          それというのも、12年前に読んだ黒岩耀氏の『死都日本』と、東日本大震災の半年前に読んだ広瀬隆氏の『原子炉時限爆弾』が、12年の時を経て繋がったからです。(この盆休みを利用して広瀬氏の新著『東京が壊滅する日−フクシマと日本の運命』を読みましたが、必読の書です。)

                           


                           
                          現在の日本社会は、体に54個の手榴弾を巻き付け、そのうち4個が暴発して左肩が吹き飛んでいる人間同然です。出血が止まらず、手当てができず、破壊された組織が細菌に感染して壊死の範囲が広がっています。そんな満身創痍の人間が、東京オリンピックだ、新国立競技場の建設だ、果てはアメリカの傭兵部隊として自衛隊を差し出すべきだと騒いでいるのです。こういう状況下で、日本政府は右足のひざにつけた手榴弾のピンを引き抜いたのです。正気の沙汰ではありません。
                           

                           


                          日本政府は東京オリンピックを返上し、九つの電力会社は協力して福島の収束にあたるべきです。それでも100年はかかります。そもそも溶融した核燃料を取り出すことは不可能だと言われているのです。しかも日本列島は地震と火山の活動期に入り、いつ何時火山が噴火するか一刻の猶予も許されません。

                           

                           

                           

                          竜の背骨にあたる中央構造線の上にある活断層が、長い眠りから覚めて身震いすれば、原発は暴走し、日本は壊滅するしかありません。お前の言うことは大げさなんだよ、という人は少なくとも上記の本を読むべきです。権力の頂点に立つ人間が貧困な想像力しか持たず、カルトにはまっているとしたら、国民の命はどうなるのでしょうか。
                           

                           

                          | 読書・映画 | 19:03 | comments(0) | - |
                          この人を見よ!− 元東京電力社員・木村俊雄さん
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                            2015年8月11日、ついに川内原発が再稼働されました。連日の猛暑にもかかわらず電気は十分足りています。原発を再稼働させるのは電力会社の不良資産をなくすためです。

                             

                             

                             

                            「経済合理性」などと言いますが、「単なる金もうけ」のことです。アメリカでは実効性のある避難計画がなければ原発はたとえ完成していても稼働できません。どこが世界一厳しい安全基準なのでしょうか。菅官房長官は「再稼働は事業者が判断するものだ」と言いました。以下の記事をご覧ください。

                             

                             

                             

                            ― 安倍晋三首相は(2014年7月)18日夜、視察に訪れた福岡市内で、貫正義九州電力会長ら九州の財界人と会食した。出席者から九電川内(せんだい)原発(鹿児島県)の早期再稼働を要請された首相は「川内はなんとかしますよ」と応じたといい、再稼働に前向きな安倍政権の姿勢をより鮮明にした。首相は福岡市博多区の料亭で約2時間、貫会長らと会食。麻生太郎副総理兼財務相の弟の麻生泰(ゆたか)九州経済連合会会長、石原進JR九州相談役らが同席した。会食後、石原氏が首相とのやりとりを記者団に明らかにした。(2014年7月19日:朝日新聞デジタル)―

                             

                             

                             

                            首相は「川内はなんとかしますよ」と言っているのです。菅官房長官が言うように「再稼働は事業者が判断するもの」であれば、首相が「再稼働は許さない」と言っても、九州電力は再稼働を決断できるのでしょうね。

                             

                             

                            財界、政府、原子力規制委員会、地方自治体がもたれ合ったまま、誰一人として責任を取ることなく破滅への道を急いでいます。ではどうすればいいのか。

                             

                             

                            ガンジーは7つの社会的罪を指摘しました。

                             

                            「理念なき政治」(Politics without Principle

                             

                            2「労働なき富」(Wealth Without Work

                             

                            3「良心なき快楽」(Pleasure Without Conscience

                             

                            「人格なき学識」(Knowledge without Character

                             

                            「道徳なき商業」(Commerce without Morality

                             

                            「人間性なき科学」(Science without Humanity

                             

                            7「献身なき信仰」(Worship without Sacrifice

                             

                             

                             

                            川内原発再稼働は、「理念なき政治」「人格なき学識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」がもたらしたものです。なぜこれほどの理不尽がまかり通るのか。

                             

                             

                             

                            ある人間がどんなに理解不能な異常者であったとしても、その異常者を政治のリーダーにまでのし上がらせるのは、周囲の人間がその人物に感応し、受容したからです。その感応性と受容性は私たちの日常生活や、時代の気分の中に裾野を広げています。そして、その質を決めているのは、その時々の社会の条件であり、文化の性格です。

                             

                             

                             

                            2011年3月に福島第一原発事故が起きた時、専門家たちが口々に「これだけの事故が起きた以上、日本ではもう原発を推進し続けることは不可能だ」と言っていたのを私は鮮明に覚えています。

                             

                             

                            あの時、「やっぱり原子力発電はダメだったんだ・・・」と多くの日本人が思ったはずです。しかし、私たちは真実に触れた時の思いを保持できず、忘れてしまいました。

                             

                             

                             

                            効率化と経済成長をひたすら目指す社会では、日々のささやかではあっても意味のある出来事が、高速で過ぎ去っていく車窓の風景のようなものになります。この国の運命を左右する歴史的な大事故を忘れるのに4年もあれば充分だったということです。

                             

                             

                            電力会社は当面の黒字が見込めればいいのです。再び大事故が起きたとしても、政治家が国民の税金を投入して守ってくれることを「学習」しました。そして、東電は福島事故後、過去最高の利益を計上しているのです。

                             

                             

                             

                            社会にとって望ましい結果を実現するのは私たち一人一人です。上記のガンジーの7つの社会的罪をよくご覧ください。これは私たちが社会的罪として共通に認識すべきものではないでしょうか。

                             

                             

                            共通の理想を設定することも、目指すことも難しい。理想主義には人間を偏狭にするという弱点があるからです。

                             

                             

                            しかし、ある行為を社会的罪として認識することは、私たちによって確実に生きられている「平凡なるもの」を深く掘り下げることによって可能だと思います。

                             

                             

                            今回はそれを実践している元東京電力社員・木村俊雄さんを紹介します。木村さんは原発事故の前に東電を退社しています。



                             


                            以下の動画は2013.12.2 伊方原発人間の鎖抗議行動の後、八幡浜松陰公民館にて行われた木村俊雄さん講演会の様子。福島原発の事故後、私が最も感銘を受けた説明。倫理性、論理性とも群を抜く。再稼働に賛成するひとも反対する人も、是非見るべき内容です。



                             

                            | この人を見よ! | 21:59 | comments(0) | - |
                            「よその国で、よその国の人を絶対に殺させないぞ!」と叫ぶ高校生は正しい。
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                              本日8月10日の朝日新聞「声」欄に、次のような投書が載っていました。全文引用します。

                               

                              「感情論ふりかざすデモは疑問」

                              大学院生 川畑 一樹(東京都 24)

                              ― 安全保障関連法案に反対するデモが各地で行われている。「とりあえず、まあ廃案」と主張してデモする高校生たちが新聞で取り上げられていた。若い世代が政治問題に対して意見を述べることは、悪いことではないだろう。しかし、気がかりなことがある。デモの主張の中に、感情論が目立つことだ。安保法案は国のあり方を左右する重大な法案だ。だからこそ理性的かつ冷静な議論が必要である。確かに国会で議論が尽くされたとは言い難い。しかし、それに対する批判が単なる感情論の域を出ないのであれば、デモが理性的で冷静な熟議に資するものだとは考えにくい。必要なことは、感情論をふりかざすだけのデモではない。法案に反対する理由を筋道立てて訴え、冷静な議論が行われるための土壌作りではないのか。それを受けて、政治家も感情論に幻惑されることのない熟議を行うべきだ。―

                               

                              以下に私の批判を書きます。

                              1、「『とりあえず、まあ廃案』と主張してデモする高校生たち」という表現は、デモをする高校生がいかにも軽薄なように印象操作しています。こんな切り取り方をするのは、表面的すぎます。川畑さんは、大学院で一体何を研究しているのでしょうか。批判するならもっと具体的事実に目を向けるべきです。昨日のブログでも書きましたが、高校生たちは「つくりたいのは『自分の意見を言っても怖くない空気』だ」「政治の話はタブーなんて時代、私たちで終わりにしたい。このままじゃ選挙権も形だけで終わる。それこそ怖い」さらに「就職できない」の脅しに「そんな会社には入らない」と反論しているのです。



                               

                              2、「感情論」ということばがこの短い投書の中で4回も出てきます。川畑さんは「感情論」がよほど嫌いなのでしょう。さらに「理性的かつ冷静な議論」「理性的で冷静な熟議」「冷静な議論」「感情論に幻惑されることのない熟議」と同じことばの繰り返しです。池田信夫氏のような経済評論家も感情論を敵視しています。「反原発は感情論だ」とあちこちで発言しています。経済評論家という種族についてはまたの機会に批判することにしますが、高校生の具体的な行動に対して「感情論をふりかざす」ものだとは、一体何を言いたいのでしょう。これが有効な批判になっているとでも思っているのでしょうか。粗雑な抽象論から事実の具体的な認識に降りていくことは困難です。

                               

                              批判は具体的にしなければなりません。どこが、どう感情的なのか。感情的になる原因は何なのか。しかし、こんな批判自体が滑稽ですね。当の高校生はきわめて冷静で、暴力に訴えたりしていません。ある種の祝祭を楽しんでいる風です。川畑さんの粗雑な頭の中ではデモ=感情論という等式が成り立っているのでしょう。「理性的かつ冷静な議論」は学問の世界では当然過ぎてわざわざ言う必要もない。川畑さんは高校生のデモの本質がわかっていません。だからこそ「理性的かつ冷静な議論」などというステレオタイプのことばを選んでしまうのです。

                               

                              「理性的かつ冷静な議論」は「知」や「論理」に働きかけるものです。しかし、「知」や「論理」はいくらでもごまかせるし、権力の意のままに捻じ曲げることもできます。95%以上の憲法学者が批判しているのは、まさにこの点なのです。

                               

                              論理の命脈は短い。しかし、感情の共有は人々の記憶に長くとどまり、歴史を動かす原動力となります。高校生たちは「よその国で、よその国の人を絶対に殺させないぞ!」と叫んでいます。真正な感情の発露ではありませんか。感情と切り離されたところで「論理」はいくらでも成り立ちますが、感情と切り離されたところで「倫理」は成り立ちません。なぜなら、感情こそ倫理の母胎だからです。

                               

                              論理的な問いには、論理的に解答できます。これはどこかに正解があることを前提にしています。この前提を疑わなければ高校生たちの批判に対して答えることはできません。川畑さんは、中立を装った、もっともらしい「言語ゲーム」をしているだけです。安倍政権に対しては感情的になることこそが、人間としてまともな「応答」です。

                               

                              3、この投書の中で一か所だけ、川畑さんが断定を避けているところがあります。「若い世代が政治問題に対して意見を述べることは、悪いことではないだろう。」という箇所です。私はこういう物言いをする人間を信用しません。なぜなら、「悪いことではないだろう。しかし・・・である」と続くに決まっているからです。まるで読売新聞の社説ではないですか。持って回った言い方はやめ、「悪いことではない」とはっきり断定すべきです。断定すれば、それを立証しなければならなくなります。その立証責任から逃げたのです。川畑さん、あなたはまだ24歳です。「若い世代」です。このままいけば、あなたは権力の太鼓持ちになる可能性が高い。それよりも、年齢的に近い高校生の声に耳を傾けるべきです。

                              | 政治 | 17:03 | comments(0) | - |
                              自分の手触り、リズム、スタイルで生きる
                              0

                                塾教師は特殊な稼業です。なぜなら、「将来就きたい仕事は?」と聞かれて「塾の先生」と答えるこどもたちはほとんどいないからです。たまにそういう夢を抱くこどもがいたとしても、それを聞かされた親の心中は複雑でしょう。無視するか、忘れるのを待つか、「まとも」な職業へとそれとなく誘導するはずです。

                                 

                                 

                                 

                                要するに、たまに予備校教師や塾教師がマスコミの脚光を浴びることがあっても、それは特殊な「芸人」とみなされているだけで、利用価値のある間は利用しようということに過ぎません。医師や弁護士や公務員のような堂々と公言できる職業ではないのです。どこか胡散臭い目で見られます。

                                 

                                 

                                 

                                それはそうでしょう。残業手当もろくに出ず、就業規則にはない雑務をこなし、長時間拘束され、生活の保証はないときているのですから。学生アルバイトと非正規の社員でもっているブラック企業だということが、ようやく認知されてきました。今では外食産業、宿泊業と並んで離職率の高い職業ベストスリーの常連です。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、世間的にはエスタブリッシュメントから程遠い特殊な仕事でも、そこを深く掘り下げていくと、普遍的な地平が開けることがあります。教育は学校を中心として建前で語られることが多いのですが、学校外に裾野のように広がる塾の世界では、親の本音や欲望や見栄や金銭的打算がうずまいています。だからこそ、教育システムの矛盾が象徴的、尖鋭的に表れるのです。

                                 

                                 

                                 

                                たち一人ひとりが抱えている、取るに足らない問題でも、それを徹底的に掘り下げていけば、世界全体のゆがみを反映していることに気づきます。30年以上にわたって塾教師という仕事を続けてこられたのは、生活の不安定と引き換えに世界全体のゆがみを垣間見ることができる位置にいるという一点にこだわったからだと思います。

                                 

                                 

                                 

                                 

                                私は劣悪な労働条件で働くことも、人を働かせることもしたくなかったので、全くの独りで塾の教師をしてきました。そうなれば収入の上限はおのずと決まってしまいます。「欲なければ全て足り、求るあれば万事休す」ということばもあります。私には経営者の才覚もなければ事業欲もなかったのです。

                                 

                                 

                                 

                                しかし、富や名声や権力を上へ上へと積み上げてその高さを競争することに明け暮れる世界からいったん退却して、物事をじっくり観察し、受け止め、どう生きるかを考えるためには、もってこいの職業でした。

                                 

                                 

                                 

                                少なくとも、私には向いていました。「豊かな生活」という幻想を追い求めることをやめれば、結構自由な生き方ができるものです。誰のものでもない人生を生きるのではなく、自分の実存の質に触れるものを探し求め、それを作ること。人間は機能や意味に還元されない存在だということ。そのことに目覚め、そこから創造の力を汲みあげることができるのだということを、私は若い人に言いたいのです。

                                 

                                 

                                 

                                ところで、安倍政権が推し進める安保法制に反対する大学生の団体・SEALDsに対して、「デモをすれば就活に悪影響を及ぼす」だの「俺なら雇わない」等と公言する大人がいます。SEALDsの名簿や顔写真をネットで流す上念司という経済評論家もその一人です。醜いデマや個人情報を流して若者を潰そうとしています。

                                 

                                 

                                 

                                これでは戦時下の言論弾圧と同じではありませんか。私はこういう大人を心の底から軽蔑します。彼らは一体何を守ろうとしているのか。自分たちが幽閉されている世界の貧困さ、権力をかさにきた人間の醜悪さから目をそらすために、真実の声を上げる若者を罵倒しているのです。

                                 

                                 

                                 

                                日刊ゲンダイは、リスクを感じながらも、自らをさらけ出す覚悟を決めた福田和香子さん(大学4年生)の訴えを取り上げています。

                                 


                                「私や私の仲間がこうしてここにいることが、どれだけリスクを伴う行為であるかは想像に難くないでしょう。けれど私は、こうすることで自分の背負い込むリスクよりも、現政権に身を委ねた結果、訪れるであろう未来の方がよっぽど恐ろしいように見えるのです」

                                 

                                 

                                紅子さんは現在、プロの歌手を目指してボーカルのレッスンを受けていますが、「プロでやっていきたいんだったら、そういう(政治的)発言は控えた方がいいよ」と忠告を受けたそうです。

                                 

                                 


                                「影響力のある音楽家や芸能人が、どんどん政治的発言をして(日本の現状を)変えていって欲しい」「もしかしたら後悔する日が来るかも知れないと思ったりもしますが、仲間を見ていると、精いっぱい声を上げた方がいいと思えるのです」

                                 

                                朝日新聞は8月2日の「ウオッチ安保法案」の中で高校生デモを取り上げています。「つくりたいのは『自分の意見を言っても怖くない空気』だ」「政治の話はタブーなんて時代、私たちで終わりにしたい。このままじゃ選挙権も形だけで終わる。それこそ怖い」

                                 

                                 

                                 

                                さらに「就職できない」の脅しに「そんな会社には入らない」と反論しています。正解ですね。周りの空気を読むことに長けているだけで、自分の意見を持っていない人間は、これからの社会では必要とされないでしょう。

                                 

                                 

                                 

                                企業であれ社会人であれ、自分たちは学生を「査定する側」だと思っているようですが、逆に彼ら自身も「若者に査定される側」なのだと気づくべきです。高校生や大学生の方が、目先の損得勘定でなく、先の展開を見通した上で自分のすべきことを決めています。大人より遠くを見ています。元気が出てきますね。

                                 

                                 

                                 

                                | 政治 | 19:25 | comments(0) | - |
                                政治家の幼児性について−部活封建主義と帰属意識
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                                  学校での集団といえば、まずクラスが思い浮かびます。ところがクラスには「集団としての目的」が存在していません。建前としては、社会人となるにふさわしい学業過程を修めることが目的だとされています。しかしこれは個人としての目的です。学校の集団性の本質は、思春期のこどもたちを雑居的に寄せ集めたところにあります。



                                   
                                  加えて、学校での生活時間はきわめて長いので、個々の生徒とは別次元の集団としての力学、葛藤、粘着が発生します。いじめはこういった集団の中から発生してくるのです。この問題を適切に処理する回路を学校はあらかじめ用意しているわけではありません。過去の経験の蓄積から導き出された大まかな経験則によって処理する他ないのです。臨床心理学にもとづく詳細なマニュアルができたとしても、教師が生徒にこまやかに気を配っていても、学校空間は絶えず時代の波に洗われていて、何が起こるか予測がつかないというのが現実だと思います。つまり、教師も生徒も危険と隣り合わせだということです。



                                   
                                  特に思春期のこどもたちは根本的に帰属の不安定にさらされる時期です。どのような集団、旗印のもとで自己確認をしていけばよいのか。このことは彼らにとって切実な課題となります。要するに、自分の落ち着き場所のなさからくる不安を何らかの秩序によって解消する必要が出てきます。



                                   
                                  その装置・枠組みこそが部活です。それはクラスの雑居性とは違った、先輩−後輩関係を軸としたタテ社会であり、言うなれば封建的な秩序によって維持される集団です。私はこのことを否定的にとらえてはいません。思春期のこどもたちの、重心の重い方へとひきずられるアメーバのような流動的な自我に枠をはめようとすれば、性格上そうならざるを得ないのです。膨大なエネルギーと時間を代償にしても、そこに身をゆだねることによって、こどもたちは自己確認をし、不安定な感覚から自我を防衛できるのです。



                                   
                                  以上述べたことは主として思春期の中学生に当てはまるものです。ところが、社会人になっても帰属集団を必要とする人々がいます。精神的な自立の契機を自ら放棄し、社会性の欠如と幼児性ゆえに社会から疎外された人間が集まる場所があります。それが前回ブログに書いたヤクザの世界であり、政治的・宗教的色彩を帯びた復古的なイデオロギー集団です。「日本会議」や「神道政治連盟」がその代表です。

                                   

                                   

                                   

                                  彼らが掲げる目標は、戦前戦中の国家神道体制の「国体」思想とほぼ同じです。この反動的な団体に精神的に帰属することによって天下国家を語り、背後に最高権力者を戴いていることによってかろうじて自らの存在意義を見出す人間たちは、本質的に弱虫であり、卑怯者です。歴史的事実を自分たちに都合のいいように解釈し、不都合な事実は目に入りません。歴史の半面がすっぽり抜け落ちている主張は幼児性を際立たせるだけです。

                                   



                                  前にも書いたとおり、ベトナム戦争もイラク戦争も、アメリカが国連決議とは無関係に、自国の安全を脅かすと「主観的・総合的に判断した結果」始めた戦争です。しかし進展も結末も予想外でした。新しい戦争は、規模も内容も想定外の形で進展し、想定外の人的損失を生むはずです。戦争の範囲を限定できると考えるのは非現実的です

                                   

                                   

                                   

                                  「国を守る」ためにまず第一にしなければならないことは、何が国を滅ぼすのかを歴史から学んだ上で戦争を避けることです。ところが、戦前・戦中の国家神道体制の思想に共鳴する人間は「国を守るために戦争をすること」が「国を守る」ことだと今でも信じているのです



                                   
                                  「日本会議」の櫻井よしこ氏が、広島への原爆投下からちょうど70年目に当たる2015年8月6日に、広島で講演を行いました。演題は「反核平和70年の失敗−憲法9条は中国軍拡も北の核兵器も止められなかった」というものです。自分たちの政治的主張を通すためなら、被曝した人やその遺族の心を踏みにじっても平気なのでしょう。わざわざ広島まで行って、没論理の主張を通そうとする姿勢には、恥ずかしさを通りこしてめまいがします。





                                   
                                  その櫻井よしこ氏を尊敬する自民党の武藤貴也衆院議員(36)=滋賀4区=が安保関連法案に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」について、以下の内容をツイッターに投稿していました。



                                   「国会前でマイクを持ち演説をしているが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延(まんえん)したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」と。





                                  武藤氏は安保法案について審議する衆院特別委員会のメンバーで、報道機関への圧力発言などが問題になった、自民党若手の勉強会「文化芸術懇話会」にも参加していました。36歳にもかかわらず、ゆで卵のようなつるんとした顔立ちは、まるで自分の帰属する集団を見つけて安心している中学生のようです。(中学生でももう少し陰影に富んだ表情をしています。中学生に失礼ですね)。閉鎖的な集団の中だけで重宝がられ、利用されるオメデタイ人間の風貌です。




                                  私はこの「日本会議」なる集団の主張や行動を見ていると、オウム真理教を思い出します。一見「知的」な風貌をまとってはいても、その独善性・排他性・幼児性は酷似しています。あくまで言論による主張の体裁をとってはいますが、どこかに血と暴力の臭いがします。
                                   
                                   
                                   

                                  | 政治 | 00:50 | comments(0) | - |
                                  ヤクザの友情−安倍政権の本質
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                                  ヤクザの友情は、そのために死ぬ理由になり、人を殺すための大義として機能します。友情とは、本来、人と人がともに生きることを喜ぶ感情のはずですが、ヤクザの友情は、彼らの友情の外にある人間を殺すための情緒的、理論的な基盤になります。さらには、自分自身の生命を投げ出すための動機にもなります。




                                  なぜこんなことを言うかというと、チンピラ作家で元NHKの経営委員・百田尚樹氏や悪徳不動産業者と見紛う風貌の首相補佐官・礒崎陽輔氏の発言を聞いていると、「ははあ、連中はヤクザの友情で結びついているな」とどうしても思えてしまうからです。

                                   

                                   

                                   

                                  問題発言をして、自分の地位なり、政治的な経歴なりを危機にさらして見せることによって、親分への忠誠ぶりを誇示するのです。国民など眼中にありません。彼らの行動と性向を観察していると、芋づる式にNHKの籾井勝人会長や元東京都知事の石原慎太郎氏、現大阪府知事の松井一郎氏、そして橋下徹大阪市長、自民党の『文化芸術懇話会』に集まった議員の皆さんの顔を思い出してしまいます。皆同じ穴のむじなです。
                                   



                                  彼らはそれぞれ自分のことをひとかどの政治家だと思っているようですが、それは勘違いというものです。彼らは権力の指揮命令系統の途中に位置する単なるスポークスマン・拡声器に過ぎません。つまり下っ端のチンピラだと言うことです。

                                   

                                   

                                   

                                  ただ悲しいことにというか、滑稽なことにというか、彼らの上にいる親分が下っ端のチンピラの役回りしか演じる能力がないのです。粉飾決算の東芝と同じですね。さすがに東芝は、株主のご機嫌を損ねないように歴代の三社長が辞任しましたが、ヤクザ組織には責任をとる人間などいません。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  公明党はおこぼれにありつこうと、コバンザメのように政権に張り付いています。これほどの悲喜劇があるでしょうか。ブラックユーモアどころの話ではないのです。ここまでレベルの低いヤクザ芝居を見せられて心暗くならない人間は幸いなるかなです。
                                   



                                  彼らチンピラヤクザは、自分をその地位につけてくれた親分の意図を先読みして振る舞います。この種の組織では、個人の思想は、ある立場なり、自分に接続されている指揮命令系統の意向そのものと区別がつきません。本質的に親分とそっくりの発言を繰り返すのです。親分の意向を受けて発言は無限に連鎖します。

                                   

                                   

                                   

                                  その発言の中身もさることながら、私がうすら寒く感じるのは、彼らの一連の「不規則発言」が、とても「個別」に、「思いつき」で、「不規則」に発せられているとは思えない点です。国民の批判にさらされても、むしろヒロイズムを刺激されるぐらいにしか思っていません。 
                                   

                                   


                                  「中国・韓国の顔色を見ながら政治をする人は不必要。彼らは売国奴」
                                  「やつらはサヨク。人間のクズ」

                                  「国民の命を守り、国を守る責任はまさに政治家にあり、『憲法学者が反対しているから私も反対だ』という政治家は、責任を憲法学者に丸投げしている」等々。枚挙に暇がありません。

                                   



                                  そして、何を勘違いしたか、この指揮系統の末端に位置することで自我を支えようとする一般の人々(?)が「戦争に反対だから、安保法案に賛成!」 などと叫びだす始末です。彼らは自らの思想を日々の生活の中から立ち上げることを怠ってきた思想的弱者です。自我を国家に重ね合わせて大きく見せないと不安なのです。小さくてさえない自分という存在を忘れたいのです。現行憲法を「押し付けられた」と感じるのは、『日本会議』に代表されるような、大日本帝国憲法下のこの国の支配層の価値観を内面化しているからです。

                                   

                                   

                                   

                                   

                                  彼らは、自分が求められているという使命感から(つまり利用されているのですが)ある種の「線」に沿って、思い切った発言をします。自分の背後に最高権力者がいることを意識しているからこそ発言できるのです。つまり弱虫であり、卑怯者なのです。これはそもそも言論ではありません。暴力を胚胎した宣伝工作なのです。

                                   




                                  ガンジーの言う「人格なき学識」どころか人格なき政治屋と、それに心情的に連なろうとする人々が、この国を大手を振って闊歩しているのです。
                                   

                                   

                                  | 政治 | 18:06 | comments(0) | - |
                                  明仁天皇、最後のメッセージ
                                  4

                                  私は2015年7月10日のブログ、『安倍首相に、心からのプレゼント』の中で次のように書きました。



                                  「今日はあなたにプレゼントしたいものがあります。それは『戦争をしない国』という本です。今上天皇である明仁天皇と美智子皇后のこれまでの談話やメッセージが書かれた本です。あなたの戦後70年を記念する談話がどのようなものになるかわかりませんが、私はこの本の中の天皇皇后両陛下のことばと比較することで、戦後70年の歴史が一気に照らしだされると考えています」と。





                                  個人的な願望ですが、私は『戦争をしない国』という本が、日本中のすべての家庭で読まれることを思い描いています。そして、高齢になった戦争体験者と、そのこどもと、そのまたこどもが、以下の天皇陛下の思いを共有するべきだと考えています。


                                   
                                  「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」(2015年の新年の感想)

                                   



                                  天皇陛下は、痛恨の思いでこのことばを述べられたのだと思います。それは、高齢と病をおして慰霊の旅を続けられる姿に、何よりもよく表れています。 

                                   


                                   
                                  『戦争をしない国』は、わずか120ページの本です。その93ページに次のような記述があります。引用します。
                                   
                                  ― 戦争末期、海軍予備学生として旅順にいた私の父(矢部文治/当時19歳)は、1945年6月の出来事をこう書き残しています。
                                  「沖縄の戦局は日に日に劣勢で、6月になるとついに全島が制圧されたことを知った。そんなある日、一枚の紙がさりげなく全員に配られた。
                                  〈 あなたは特別攻撃隊が編成されたとき、これに志願することを、

                                  1、熱望する
                                  2、希望する
                                  3、
                                  希望しない
                                  以上いずれかに○をつけよ 〉

                                  アンケートはすぐに回収された。当時の情勢、雰囲気からいって、(3)はありえなかった。私もやむなく(2)に○をつけたが、この○の意味は大きい。いわゆる特攻隊志願とは、おおむねこういう形のものだったと思う」(『本・三代』私家版)

                                   



                                  戦争に関する庶民の手記が教えてくれるのは、旧日本軍の指導者は「天皇」の名の下に、驚くほど簡単に国民の命を奪うことができたという事実です。「一億玉砕」という国民全員を殺害するような「戦法」を、軍の「戦争指導班」が公的文書の中に表記していた過去を持つ日本。それは純粋な自衛以外の戦争など、絶対にやってはいけない国なのです。 ― (引用終わり)

                                   



                                  そして、8月1日の朝日新聞に、御文庫付属室の写真と玉音放送の原盤が公開されたとの記事がありました。すでに放送されているものよりも音声が鮮明であるといわれています。しかし、 同じものを、原盤だからといって8月1日にあわせて公開した意味はどこにあるのでしょうか。 原盤の公開に踏み切ったのは明仁天皇の意向があったからだと報じられています。 明仁天皇は、いまあらためて国民に玉音放送を知ってもらいたいと考えているに違いありません。

                                   

                                   

                                  私を含めて、日本国民はあの玉音放送のことを、それが放送された時の状況を、どれほど知っているでしょうか。 若い世代はもとより、戦中、戦後を体験した人ですら、詳しくは知らないのではないでしょうか。 だからこそ、今一度私たち国民は知らねばなりません。 戦後の日本はすべてあの時から始まったということを。 そして私たちは、無条件降伏とひきかえに、二度と戦争はしないと宣言した平和憲法を手にしたのです。

                                   


                                   
                                  そのことを、玉音放送原盤を公開することによって、メディアが書き、そして国民が知るようになる。 それは明仁天皇の明確な意思表示ではないでしょうか。 私は『戦争をしない国』を読んでそれを確信しています。そして、それはそのまま安倍首相への痛烈な批判でもあるのです。やがて出される終戦記念日の明仁天皇のお言葉と共に、この玉音放送の公開は、歴史から何も学ぼうとしない安倍首相に対する明仁天皇の無言のメッセージであり、けん制でもあります。 日本語読解力のない安倍首相とその側近に、今上天皇は最後のメッセージを発したのです。

                                   

                                   

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