― ここで、もう一度質問します。皆さんは自分の職業と、どうやって出会うのですか。あるいは、どうすれば自分の職業と出会えると思いますか。
市場から送られてくる情報や人脈に頼らず、自分の職業を発見するにはどうすればいいのでしょう。僕の答えは全ての人を納得させるものではないと思います。ただ、規格化されないオリジナルな生き方をしたいと思っている人には、ヒントになるかもしれません。
今の社会の分析は簡単に済ませました。忘れた人は思い出して下さい。要するに、単純労働の担い手は必要とされなくなっているということでしたね。そこから導かれる結論は2つです。
1、この分野ではだれにも負けないというものを持っていない人は、仕事を得にくいということ。
2、これまで当然だとされてきた考えを受け入れるだけで、自ら動こうとする意志と気力のない人は、淘汰されるということ。
ある職業に就くことは、その分野の専門用語を身につけることを意味します。
例えば医師になりたいとします。医学の専門用語を大量に覚えなければ、医師としての仕事はつとまりません。ことばを覚えるということは二つ以上のものの差異を識別するということです。「ことばとは差異に根ざした表現である」とソシュールも言っています。ある病気と他の病気の差異は、その病気につけられた名前を覚えることからスタートします。映像の助けを借りても同じです。映像を見て判断するのもことばによっているのですから。
そこでもし、みなさんの中の誰かが、何かのきっかけで医学用語に出会ったとします。幸運をもたらす偶然は、悲しい出来事の中にもあると言いました。身近な人が難病にかかって不幸にも亡くなったとします。あなたはその難病の名前を忘れないでしょう。
それがきっかけで、医学に興味を持ち、次から次に難病の症状、現在の治療法、その名前を全て覚えたとします。いや、覚えなくてもいいのです。ノートにできるだけ書き出すだけでもいい。そしてそのことばを眺めます。そのことばから、苦しんでいた母親や父親、妹や兄の表情を思い出します。その時、難しかった医学の専門用語があなたのものになるのです。
そして気がつくと、あなたの前には、医師になる道が開けています。これは奇跡でもなんでもありません。ことばは、そういう力を持っているのです。適性とはその分野のことばを覚えることができるということなのです。
もうひとつ例をあげてみましょう。
皆さんは未成年者ですが、夕食の時、お父さんが飲んでいた焼酎を一口こっそり飲んだとします。それがS君だとします。S君はその美味しさに衝撃を受けます。こんな美味しいものがあるのかと。
その衝撃はS君が大学生になっても残っています。コンパで入ったある居酒屋で、再びあの味に出会います。それ以来、S君は趣味で焼酎のラベルを集めはじめます。居酒屋に入ると決まってそこの主人と焼酎談議を始めるのです。そして焼酎文化の奥深さに魅了されます。部屋に帰って集めたラベルを見ていると、その味とともに、飲んだ場所や、その時交わした会話の内容までもがよみがえってきました。
その時S君は、よし、一度メーカーを訪ねてみようと思い立つのです。そして地図を頼りに、全国の焼酎メーカーを訪ねます。大きな会社もあれば、家族経営の会社もあります。その土地の気候や風景も記憶します。
気がついてみると、いつの間にか焼酎については誰よりも詳しくなっています。こうしてある日、S君は焼酎専門の居酒屋を開こうと決心します。そこで出す料理も研究しはじめます。銀行と交渉しながら、彼のノートには焼酎と料理に関することばが、ぎっしりと書き込まれていきます。様々な人と出会い、助け、助けられながら、客の笑い声が絶えず、彼の居酒屋は繁盛します。
充実した日々を送っていても、S君の勉強意欲は衰えることを知りません。今度はワインを研究するためにイタリアやドイツ、南フランスを旅するようになります。S君の幸福な人生は、焼酎のラベルの収集から始まり、彼のノートの中にぎっしり書き込まれたことばによって花開いたのです。
皆さんはこの二つの例を夢物語だと思うでしょうか。
動物と違って人間は言葉を使うことができます。ことばがあるからこそ、僕たちは過去を振り返り、未来への展望を持つことができます。
僕たちが生きるということの本質には、ことばがあるのです。ことばのセンスを磨き続け、ことばに敏感になって、常にことばのアンテナをはりめぐらして生きていくことで、人生はいくらでも豊かになっていきます。その仕事をしていて幸福だと思える職業についてほしい、と言ったことの意味は、こういうことだったのです。―