私は楽観主義者ではありません。どちらかというと悲観主義者です。楽観主義は無知に由来し、悲観主義は歴史的洞察力に由来する、というのが私の基本的な認識です。理想的な社会が短期間に実現するとは思っていません。それを性急に求めれば革命になってしまいます。ガンジーではありませんが、善きことはカタツムリの速さで動く、ということです。
これまでのブログで、私はSEALDsを応援してきました。その理由は、彼らの運動が日常への帰路を持っていて、しかも自分のことばを発していたからです。
数か月前まで布団の中で死にたいと考えていた若者が、大勢の前でふるえながらスピーチをするようになる。この間、どんなにいろいろなことがあったか、どれだけ罵倒され、非難されたか、周囲を心配させ迷惑をかけたか、そして自分がどれだけ変わったか、その思いを「憲法守れ!」という一言に込める。
高校生や大学生の17歳や18歳の女の子が「こどもを守れ!」と叫ぶ。そのこどもは、生まれていない自分のこどもかもしれない。母親たちが「こどもを守れ!大人が守れ!」と叫ぶ時のこどもは、いっしょにデモに来ている自分のこどもでもあり、この国に生まれてくる未来のこどもたちを指しているのかもしれない。同じことばでシュプレヒコールを上げているのではない。自分の実感からことばを発している。つまり、政治的なスローガンを超えた文化が、この国に初めて生まれようとしています。(これに対して「頭の中にウジが湧いてんじゃないの」と言ったのは、ホリエモンこと堀江貴史氏です。)
そのことの重要性に比べれば、結果的に安保法案を阻止できなかったことなど、たいしたことではありません。今回のデモで私が最も感動したのは、一人一人の人間が変わり始めていることを実感したからです。自分のことばで語り始めたとき、人間は変わります。いや、人間が変わり始めるのは、自分のことばで語り出すときです。自分のことばを発見するということは、それまで社会で流通していたことばを疑い、「構想された真実」に向かって独自の人生を生き始めることを意味するのです。
『民主主義ってこれだ!』の最後のページにエリック・ホッファーのことばが書かれているのは偶然ではありません。真実に目覚めた人間なら、一度はエリック・ホッファーのことばに遭遇するはずです。そういう人間が増えるかどうかが運動の最も重要な点です。人間はどうしようもなく弱く、孤独な存在です。その人間が自らのことばを紡ぎ始めたとき、社会は善き方向に、カタツムリの速さで動き始めるのです。
以下は、2015年10月25日 『岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義 大学人の使命と責任を問い直す』と題されたシンポジウムでの大澤茉実さんのスピーチです。
上記シンポジウムには、樋口陽一・東京大名誉教授や小林節・慶応大名誉教授、長谷部恭男・早稲田大教授、小熊英二・慶応大学教授や中野晃一・上智大教授らが出席しました。学者の会は6月結成。SEALDsとともに安保関連法案反対デモや記者会見などの活動を進め、約150大学の研究者約1万4千人、一般市民約3万2千人が賛同署名を寄せています。ちなみに、このシンポジウムは当初、立教大学で開催予定でしたが、会場使用の申請を受けた立教大学が「純粋な学術内容ではない」などの理由で不許可にしたため、法政大学で開催されました。