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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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社会とは私たち自身のことである。
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    私は楽観主義者ではありません。どちらかというと悲観主義者です。楽観主義は無知に由来し、悲観主義は歴史的洞察力に由来する、というのが私の基本的な認識です。理想的な社会が短期間に実現するとは思っていません。それを性急に求めれば革命になってしまいます。ガンジーではありませんが、善きことはカタツムリの速さで動く、ということです。


     

    これまでのブログで、私はSEALDsを応援してきました。その理由は、彼らの運動が日常への帰路を持っていて、しかも自分のことばを発していたからです。
     

     

    数か月前まで布団の中で死にたいと考えていた若者が、大勢の前でふるえながらスピーチをするようになる。この間、どんなにいろいろなことがあったか、どれだけ罵倒され、非難されたか、周囲を心配させ迷惑をかけたか、そして自分がどれだけ変わったか、その思いを「憲法守れ!」という一言に込める。
     

     

    高校生や大学生の17歳や18歳の女の子が「こどもを守れ!」と叫ぶ。そのこどもは、生まれていない自分のこどもかもしれない。母親たちが「こどもを守れ!大人が守れ!」と叫ぶ時のこどもは、いっしょにデモに来ている自分のこどもでもあり、この国に生まれてくる未来のこどもたちを指しているのかもしれない。同じことばでシュプレヒコールを上げているのではない。自分の実感からことばを発している。つまり、政治的なスローガンを超えた文化が、この国に初めて生まれようとしています。(これに対して「頭の中にウジが湧いてんじゃないの」と言ったのは、ホリエモンこと堀江貴史氏です。)
     

     

    そのことの重要性に比べれば、結果的に安保法案を阻止できなかったことなど、たいしたことではありません。今回のデモで私が最も感動したのは、一人一人の人間が変わり始めていることを実感したからです。自分のことばで語り始めたとき、人間は変わります。いや、人間が変わり始めるのは、自分のことばで語り出すときです。自分のことばを発見するということは、それまで社会で流通していたことばを疑い、「構想された真実」に向かって独自の人生を生き始めることを意味するのです。
     

     

    『民主主義ってこれだ!』の最後のページにエリック・ホッファーのことばが書かれているのは偶然ではありません。真実に目覚めた人間なら、一度はエリック・ホッファーのことばに遭遇するはずです。そういう人間が増えるかどうかが運動の最も重要な点です。人間はどうしようもなく弱く、孤独な存在です。その人間が自らのことばを紡ぎ始めたとき、社会は善き方向に、カタツムリの速さで動き始めるのです。
     

     

    以下は、2015年10月25日 『岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義 大学人の使命と責任を問い直す』と題されたシンポジウムでの大澤茉実さんのスピーチです。




     

     

    上記シンポジウムには、樋口陽一・東京大名誉教授や小林節・慶応大名誉教授、長谷部恭男・早稲田大教授、小熊英二・慶応大学教授や中野晃一・上智大教授らが出席しました。学者の会は6月結成。SEALDsとともに安保関連法案反対デモや記者会見などの活動を進め、約150大学の研究者約1万4千人、一般市民約3万2千人が賛同署名を寄せています。ちなみに、このシンポジウムは当初、立教大学で開催予定でしたが、会場使用の申請を受けた立教大学が「純粋な学術内容ではない」などの理由で不許可にしたため、法政大学で開催されました。

     

     

    | 政治 | 12:35 | comments(0) | - |
    民主主義ってこれだ!
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      SEALDsの一冊目の本は10月18日のブログで紹介しています。9月16日のブログでは、SEALDsのメンバーである、奥田愛基さんの参議院「安全法制特別委員会」における意見陳述をとりあげました。さらに8月9日のブログには次のように書きました。

      「安倍政権が推し進める安保法制に反対する大学生の団体・SEALDsに対して、「デモをすれば就活に悪影響を及ぼす」だの「俺なら雇わない」等と公言する大人がいます。SEALDsの名簿や顔写真をネットで流す上念司という経済評論家もその一人です。醜いデマや個人情報を流して若者を潰そうとしています。これでは戦時下の言論弾圧と同じではありませんか。私はこういう大人を心の底から軽蔑します。彼らは一体何を守ろうとしているのか。自分たちが幽閉されている世界の貧困さ、権力をかさにきた人間の醜悪さから目をそらすために、真実の声を上げる若者を罵倒しているのです。」と。

      私がSEALDsを応援している最大の理由は彼らの発することばにあります。10月18日のブログ『デモって何だ?民主主義って何だ?』の中で私は以下のように書いています。

      「 本物の思想とは必ず日常性への帰路を持つものだと私は考えています。戦後、日本人が営々として築き上げた消費社会の物質的豊かさ(格差の拡大によって、これも次第に失われていますが)を単純に否定すべきではありません。それは人間の精神が活動するための素材であり、より豊かな物質的なあり方は、より豊かな精神のあり方を支えるはずだと、ごく常識的に考えるべきです。つまり、ロマンチックな観念性を、現実的な生活をかいくぐることによって、どこまで刈り取れるか、いいかえれば、普通の日常生活そのものをどこまで思想化できるかということです。私たちの社会は今、「豊かさ」を否定する粗雑で安っぽい倫理主義や日常からの脱出を希求する宗教に通路を見出すのではなく、じっくりとした、長い忍耐の過程をくぐりぬけることを必要としています。」と。

      SEALDsの発することばと行動は、私の考える本物の思想に近づいています。そして、真実に目覚めれば、若者はわずか数カ月で変わるということを確認できました。彼らを騙すことは難しい。なぜなら学問をしたり社会のことを根源から考えるのに必要な「正しい感情」を彼らは持っているからです。

      政治家や官僚や財界人は、まず自分たちの権益を守ることが第一で、そのための屁理屈をもっともらしくつけてくるだけです。社会の上層から下層への、中央から地方へのトリクルダウンは、成長時代にだけ成り立つもので、低成長下でグローバル競争にさらされている先進国では、上層も中央も「弱者切り捨て競争」に乗り出すしかない。そういう世界に自分たちはいるのだということにSEALDsは気づいています。





      今回『民主主義ってこれだ!』を読み、驚いたことがあります。この本の最後のページにエリック・ホッファーのことばがあったからです。真実に目覚めた人間のことばは、時代を超え、世界を超えて響き合い、お互いを勇気づけるのです。それは、かつて私が未来塾通信13『夢や希望ではなく勇気 − エリック・ホッファー自伝 』の最後に書いたことばと同じものでした。

      「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」。

       
      | 政治 | 11:49 | comments(0) | - |
      二つの美術館−中村好文論・その2
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        中村好文論なんて、大袈裟なタイトルですね。今時こんなタイトルをつける人はいません。だから少し滑稽な感じのするこのタイトルをあえてつけました。私は中村さん(中村氏とは呼びにくいですね。どうしても中村さんになってしまいます)に多くを負っています。
         

        私が塾を始めた32年前、ほぼ同時期に彼も建築家としてのキャリアをスタートさせています。それから今日まで、ずっと彼の設計する住宅を見てきました。だから、ああこの住宅はあのころのものだ、と私の中の具体的な記憶と結びついています。
         

        最初期の建築を見て、いいなあと思いました。もちろん駆け出しの建築家で、どちらかと言うと目立たない時代遅れの作風だと評価されていたと思います。

         

        しかし、居心地のいい住宅とはこういうものだとの信念を持っていることがわかりました。時代に迎合しない強さを感じました。この人は、バブルの時には振り向きもされないだろうけれど、時代が落ち着き、人々が足元を見つめるようになれば、きっと評価されるだろうと思いました。それ以来、私は中村さんと並走してきました。高校時代に二人とも陸上競技をやっていたからでしょうか。


         

        どういうわけか、こういう点では、私は人を見る目があるのです。おそらく、人間という存在は、その幼年期に、後年たどることになる宿命の萌芽がすでに出ているような気がします。同じように、作家や建築家も処女作の中に、才能やその後の可能性が見てとれるはずです。


         

        そこまで言うのなら、なぜ彼に設計を依頼しなかったのか、と思われる方もいるでしょう。理由は二つあります。先ず、設計料が払えませんでした。二番目の理由は、彼から学んだことを、自分で家を建てることによっていつか実証してみようと考えたのです。

         

        その機会は思いがけずやってきました。義父が歯科医院を建てた後の余った材木を提供しようと申し出てくれたのです。偶然とは恐ろしいものです。青写真として自分の中に描いているものは現実になる、というのは本当かも知れません。


         

        その私の無謀な試みが成功したかどうかはわかりません。前回のブログに自宅の画像を7枚載せたのも、無謀の「ついで」です。内部も少しずつ公開していこうと思います。

         

        ともあれ、余った材木で家を建てるという試みは、実際無謀でした。大工さんにも迷惑をかけたし(ナベさん、ごめん)、完成した時、私は過労で倒れて救急車で病院へ搬送されたのですから。ナベさんとは、以来20年の付き合いになります。しかし、この話はまたいつか。


         

        中村さんの設計する住宅はどれも素晴らしい。これほど住み手のことを考える建築家も珍しいと思います。有名な建築家なら代表作と言われるものがあります。オリジナリティーや斬新さを打ち出して、建築界の耳目を集めたものです。

         

        しかし、中村さんには代表作がありません。彼の設計した住宅すべてが代表作だからです。そこで今回は、住宅は横に置いておいて、私が好きな美術館を二つ紹介します。一つは愛媛県にある『伊丹十三記念館』。もう一つは千葉県にある小さな個人美術館『as it is』です。『伊丹十三記念館』は、道後温泉に行こうと妻をさそった「ついで」に見に行きました。私の目論見はとっくに見破られていましたが。

        伊丹十三記念館


        中庭の二本の株立ちの木はカツラの木。伊丹十三氏と夫人の宮本信子氏が寄り添っているイメージで、中村さんが選んだそうです。ちなみに、中村さんは伊丹十三氏の大ファンだそうです。
        この中庭をはさんでカフェがあります。





        個人美術館『as it is』へ向かう道。竹で編んだ塀の内側が美術館です。なんだか、いい雰囲気ですね。



        これが入り口。画像では映っていませんが、枕木で作ったアプローチが何とも言えない味を出していました。







        この庭でいつまでも、ぼーっとしていたいと思いませんか。個人的には初冬の何とも言えない静寂さが好きですね。




         

        | 自己救済術としての家作り | 12:06 | comments(0) | - |
        パンのみにて生きるにあらず−中村好文論・その1
        0

          ヘンリー・ディヴィッド・ソローは『森の生活』の中で「一軒の家に備わるあらゆる魅力が、一つの部屋に集約されていた。それは台所でもあれば寝室でもあり、客間でもあれば居間でもあった」と述べています。一つの部屋にその家の魅力がすべて表れているということは、魅力のある住宅は小屋の延長としてのワンルーム住宅だということになります。まさに至言です。
           

          自分にとって居心地のいい空間とは何か。私はこどものころ、家の中にちょっとしたスペースを見つけては、周囲を毛布や新聞紙や段ボールで覆って、自分だけの空間を作って楽しんでいました。人がひとりやっと入れるくらいの親密な空間が、何とも心地よかったのです。
           

          小学生のころは、木の上にカヤで小屋を作りました。何といっても木の上ですから、床を安定させるのに苦労しました。近くの製材所から板をもらい、木の隙間に合わせてカットするのですが、なかなかうまくいきません。家に帰ってからも、ノートにあれこれ設計図を書いては試行錯誤を繰り返しました。当時、先見の明のある大人がいたら、私を見て「このこどもは将来建築家になるだろう」と予言していたかもしれません。
           

          少年期に、私とまったく同じような経験をし、樹上の小屋にあこがれていた建築職人こそが中村好文氏です。建築家というよりも建築職人ですね。感性というか価値観が余りにも似ているため、私には彼の設計した住宅を客観的に評価することができません。人間誰しも、自分を評価することはむずかしいですからね。
           

          建築雑誌をパラパラとめくっていて、ふむ、と手が止まると、そこには決まって中村さんの設計した住宅がありました。斬新さを競い合う建築雑誌の中で、まるでオアシスのような存在でした。そして、ただ無条件に、「いいなあ。この簡素で気取らない佇まいはどうやったらできるのだろう」と考えたものです。
           

          以下の画像は彼が設計した山荘のアプローチ。工務店の方に「中村さん、本当にこんなところに家を建てるのかい?」と言われ、一時はあきらめかけたそうです。でも、目の前に浅間山が迫る絶景の中でくつろぐことを夢見ていた夫婦を、何とか喜ばせたいとの一念で完成にこぎつけたそうです。ふうふう言いながら登った先に山荘が姿を現わします。これを見て、いいなあ、と思える人は中村さんの友人になれます。




           

          おそらく「こういう住宅を作りたい(そして目立ちたい)」という作家性に発する願望からは、この佇まいは生まれません。そうではなくて、「こういう住宅だけは作りたくない(あくまで住み手のことを第一に考えたい)」という職人魂のなせる技が、この佇まいを可能にしているのだと思います。今のような時代には、消去法を純化させることも、貴重な生き方の一つになり得るのではないでしょうか。こういう生き方だけはしたくない、できない、といったように。
           

          以下の画像は、私の家。竣工して20年になります。中村さんの設計した住宅と、どこか似ていますね。外壁は新建材ではなく、すべて12mmの杉板の乾燥材を二重張りにしています。数年に一度、自分で塗装します。







          玄関アプローチにあるカツラの木(画像では右側)は、植えた当初、私の手首ほどの太さでした。今では私の太ももよりおおきくなっています。時の経過を告げる貴重な落葉樹です。



          紅葉したジューンベリーの向こうは、塾棟と自宅をつなぐ廊下と正6角形のコンクリートの階段室。天井はFIXのガラスで、上から光が降り注ぐ。竣工当初は光線が強過ぎて眩しかったのですが、25年が経過した今はガラスも汚れて程よい明るさになりました。



          塾棟から自宅へ続く渡り廊下からの風景。右の樹木は紅葉がきれいなシラキ。左側の樹木はエゴノキ。すべて落葉樹。掃除が大変です。



          塾棟の階段室。井戸の底にいるみたいで、とても落ち着きます。ロンシャンの教会堂や、京都の町家の坪庭に落ちてくる光を何とか再現しようとしました。3か所ヒビが入っていますね。外からコーキングで補修しました。網入りなので割れることはありません、たぶん。


           

          中村さんは建築家であると同時に、達意の文章家です。その名エッセイは、平明で、やさしさに満ちています。しかし、その裏には透徹した観察眼と洞察力が隠されていることがわかります。優しい風貌のために、一見近づきやすそうですが、実は厳しい価値判断を下しています。金にものを言わせるクライアントから依頼があっても、独特のユーモアを駆使して、ていねいにお断りしている様子が目に浮かびます。その一方で、ライフスタイルにこだわりを持っていても、資金を持っていない人のために、知識と経験を総動員して応援する。いいいですね。人は「パンのみにて生きるにあらず」です。

          | 自己救済術としての家作り | 21:55 | comments(0) | - |
          小屋をほんの少し大きくしたものが家である。
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            そもそも私の家作りは、塾棟の隣に休憩小屋を作るところからスタートしました。その時イメージしていたのが、ウォールデン・ポンドの公園の中に建っているヘンリー・ディヴィッド・ソローの小屋でした。岩波文庫版の彼の『森の生活』を拾い読みしながら、その生き方にあこがれていたのです。

            ヘンリー・ディヴィッド・ソローの小屋



            以下はソローの小屋の平面図。住宅建築の名手・中村好文氏のスケッチをお借りしました。中村氏については、次回のブログで取り上げます。


             

            『森の生活』の中から印象的なことばを抜き出してみましょう。

            「私の家には三つの椅子があった。ひとつは孤独のため、もう一つは友情のため、三つ目は交際のためである」「文明は家屋を改良してきたが、そこに住む人間まで、同じように改良したわけではない」「家とは結局、ラテン語でいうsedes、つまり座席のことではないだろうか」「一軒の家に備わるあらゆる魅力が、一つの部屋に集約されていた。それは台所でもあれば寝室でもあり、客間でもあれば居間でもあった」
             

            うーん、ソローにとって家は「椅子」であり「座席」なのです。もともと家は小屋の延長に過ぎず、鳥や小動物が作る「巣」のようなものだと考えてきたので、私は深く納得し同意しました。
             

            自然や時間について考えるということは、人生そのものについて考えることです。少なくとも私にとってはそうです。地球上に生かされているすべての生命は、一瞬の光の明滅のように短くはかないものです。栄華を誇った国家もやがて滅び、権勢をほしいままにした集団も歴史の舞台から退場を余儀なくされます。民衆がひれ伏した権力者の玉座も所詮は単なる「座席」に過ぎません。
             

            もともとが貧乏性のせいか、私が魅力的だと感じる住宅には、どこか小屋のたたずまいが残っています。質素というか簡素というか、いっそ粗末と言ってもいいものです。贅を尽くした数寄屋作りの堂々たる日本建築は趣味ではありません。文化的な価値は認めても、それは別世界の話です。
             

            美術館や図書館など公共建築物の設計を見るとき、評論家になったような自分を発見して、少しイヤですね。ただし、私の狭い経験の中で二つの例外があります。一つはデンマークの『ルイジアナ美術館』であり、もう一つは長野県の安曇野にある『いわさきちひろ美術館』です。

            ルイジアナ美術館







            いわさきちひろ美術館・内藤廣氏設計







            この二つの建物の居心地の良さは別格ですね。なぜだろうと考えたのですが、その建物の中を歩いている自分を肯定できるというか、充実した時間の果実が豊かな実りをもたらしてくれるような気がするのです。妻は孫ができたら、一日中ここで本を読んだり遊んだりしたいと言っていました。建築におけるランドスケープの果たす役割がいかに大きいものであるか、痛感させられます。建築は自然の一部です。時が経てば、建物は朽ちて自然のふところに還っていきます。その循環のプロセスこそが美しいのだと思います。

             

            | 自己救済術としての家作り | 16:09 | comments(0) | - |
            私が設計依頼したい建築家−堀部安嗣氏
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              自分で住宅を設計して建ててしまったので、堀部安嗣氏に設計を依頼する機会はなくなってしまいました。でも、これから住宅を建てようと考えている人には、彼の存在を心の片隅に留めておいてほしいと思います。



              屋久島の家


               

              すぐれた建築家が設計する住宅には独特の風合いがあります。「佇まい」と言った方がいいかもしれません。それを気に入るかどうかが設計依頼のポイントだと思います。つまり、この「佇まい」は他の建築家では出せない、と感じるかどうかです。私は堀部氏の建築にこの「佇まい」を感じて、色々と参考にさせてもらいました。一時期、暇さえあれば彼の設計した住宅の写真集を開き、その端正で見事なプロポーションにため息をついたものです。 



              鹿嶋の研修所




              東山の家

              この空間は作れそうで作れません堀部安嗣氏の存在を際立たせています。光がほどよく抑制された静謐な空間で、フェルメールの光を連想させます。





               

              彼は益子アトリエに勤務し、益子義弘氏に師事していました。その益子氏は吉村順三氏に師事していたのです。住宅建築の妙手である中村好文氏も吉村門下です。自分が好きな建築家の来歴をたどると、そこに共通性があります。自分の建築に対する見方に一貫性があることが分かると、なんだか嬉しくなりますね。


               

              多少なりとも私に経済的ゆとりがあれば、堀部氏に手紙を書いて設計を依頼していたと思います。設計を詰めていく過程で、彼と打ち合わせをすること自体が楽しみです。テーブルをはさんで、建築について、物の見方について、しみじみと話ができそうです。設計料は、そういう又とない時間とめぐり会うための対価、いわば授業料です。惜しいとは思いません。



              優れた住宅には、建築家とクライアントの共同作品とでもいうべき趣があります。そこには物語が刻まれています。人生の中で、後々、なつかしく振りかえることのできる充実した時間を、かけがえのない人と過ごすことができるのであれば、設計料など安いものだと思います。


               

              ただし、彼のような建築家に依頼するときは、どんな暮らしがしたいのか、どんな時間の過ごし方を理想としているのか、それがはっきりとしていなければなりません。専門的な知識が必要だと言っているのではありません。自然や時間、人生に対する向き合い方で、建築家と深く共感できることが必要だと思います。



              蓼科の家


               

              建築はもちろんですが、以下は私がこの人となら価値観を共有できると確信した彼の文章です。(TOTO出版:『堀部安嗣の建築』P310より)



              「古い建築を見に行くのが好きである。子供のころ訪れたことのある寺院や、かつて通りすがりに見つけて気になっていた古い家などを、何度となく見に行く。年月を経ても何度も訪れたくなるそれらの建築はいったい他の建築とどこが違うのか、考えてみる。

               

              思い返してみると、それらの建築は「動かない」のだ。不愛想なまでに、こちらに歩み寄ってこない。また、一時の人間の欲望や思いつきといった「現象」によって動かされてかたちができていない。そして建築が動かなければ動かないほど、自分の心が動き、多くのイマジネーションと豊かな時間を与えられていることに気づく。建築が生きる長い時間をとらえてみれば、建築が動かないこと、歩み寄らないことは、とても寛容であり自由なあり方であるのだ。

               

               

              一時の人の欲望や社会の軽薄な現象によって姿を変えながら動いていくものが余りにも多い世の中で、建築こそは動かずにいてほしいと思う。人の存在や居場所を確認できる指標のような存在として、じっとしていてほしいと願う。それが建築にしかできない、建築の最も優れた表現力であると思うからだ。(中略)

               

               

              設計した建築が竣工したとき、人目につくエレベーションを眺めて、がっかりすることがある。見られることを意識してこねくり回した部分だ。なんとも居心地が悪く、後悔だけが残る。反対に、人目につかないゆえに気にかけなかった、あるいは内部の機能から「できてしまった」エレベーションが、実にいい表情をしているときがある。(中略)

               

              力を入れたくなるところに力を入れず、その背後を支えるものをしっかりと作っておく。そうして「できてしまった」余白のようなところが、意外と居心地がよいのかもしれない。」

               

              | 自己救済術としての家作り | 22:58 | comments(0) | - |
              デモってなんだ?民主主義ってなんだ?
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                小熊英二氏の映画「首相官邸の前で」が、大分でも上映される。
                2012年夏、約20万の人びとが、首相官邸前を埋めた。
                しかしこの運動は、その全貌が報道されることも、世界に知られることもなかった。
                人びとが集まったのは、福島第一原発事故後の、原発政策に抗議するためだった。


                大分コンパルホール 視聴覚室
                2015年10月25日(日)
                【上映】13:00〜
                大分県大分市府内町1-5-38
                tel.097-538-3700
                入場カンパ: 1,000円 (高校生以下無料)
                 

                2012年8月3日、未来塾通信38『大分合同新聞のコラム「東西南北」について』の中で、私は首相官邸前のデモについて以下のように述べました。興味のある方は未来塾通信38を是非お読みください。
                 

                ― 官邸前のデモはいわばマジョリティの「空気」をうまく読んだ、適度にぬるいデモになっている。ぬるいデモだからこそ日本社会でうまく機能しているのだ。逆に、日本では暴動化のリスクをおかさない、ぬるいデモでなければ、政治的決定を覆す状況を作れない。この点で「暴徒化のリスクをともなった行動でなければ、政治的な力を持ち得ないし、原発再稼動も止められない」と発言するジャーナリストや政治学者は旧来のデモに対するイメージに呪縛されているだけで、官邸前のデモの本質的な新しさが見えていない。日本で暴動化のリスクをおかすようなデモを含む政治活動を行えば、普通の日本人は公権力がそれらの団体を抑えこむことを大歓迎する。かつ、万が一、自分の参加しているデモが暴動化すれば、参加者は間違いなくそのデモから逃げ出すだろう。つまり、暴動化のリスクをおかすような行動をとれば、そもそも日本の政治的決定のプロセスそのものから排除されてしまうのだ。非暴力的な、ぬるいデモであるからこそ、選挙という民主的手続きと完全に両立する。―
                 

                まだ民主党の野田政権のときです。あれから3年以上が経過しました。このエッセイを書いた動機は、官邸前のデモの中に、ある種の新しさと希望を見出したからです。それは、反体制的な心情や反権力的な姿勢は、もうこの社会では、体系的な社会変革理論や政治運動の物語に通路を見出すことは不可能だということの確認でもありました。
                 

                それまでのデモの思想的根拠になっていた左翼理論は、最終的に社会体制の根本的な変革を展望していたために、現状にいら立つ一部の若者の激しい心情のはけ口として支持されたものでした。その結果、反体制的な行動の徹底性と、個人的欲望を否定する倫理的意志の強さにのみアイデンティティを見出すという理想主義の最悪の側面が露呈しました。連合赤軍事件はその象徴でした。少しばかりの豊かさや退屈が続くとすぐに後ろめたさでこらえ性をなくし、倫理主義をにじみ出させる日本の文化的土壌の貧困さを表わすものだったというのが私の総括です。
                 

                本物の思想とは必ず日常性への帰路を持つものだと私は考えています。戦後、日本人が営々として築き上げた消費社会の物質的豊かさ(格差の拡大によって、これも次第に失われていますが)を単純に否定すべきではありません。それは人間の精神が活動するための素材であり、より豊かな物質的なあり方は、より豊かな精神のあり方を支えるはずだと、ごく常識的に考えるべきです。つまり、ロマンチックな観念性を、現実的な生活をかいくぐることによって、どこまで刈り取れるか、いいかえれば、普通の日常生活そのものをどこまで思想化できるかということです。私たちの社会は今、「豊かさ」を否定する粗雑で安っぽい倫理主義や日常からの脱出を希求する宗教に通路を見出すのではなく、じっくりとした、長い忍耐の過程をくぐりぬけることを必要としています。
                 

                自信を持ってこれが正当だと言える価値は存在しているはずです。そのような価値の発見が私たちに共通に課せられている課題です。そしてそれはいまだ見えずとも、確実に生きられている私たちの中の「平凡なるもの」を中心として巡っているはずです。本物の倫理が立ち上がるのは、そこをおいてはないと覚悟すべきです。


                 

                現在、官邸前のデモの中心を担っているSEALDsの皆さんの、デモを途中で切り上げてバイトに行き、バイトが終わればデモに駆けつけるといった現実感覚を素晴らしいと思います。彼らのスピーチはネルソン・マンデラ氏やキング牧師のように、つねに未来に向けられています。砂をかむような平凡な日常の中から生み出された彼らの言葉は、必ずや多くの若者の心に響くはずです。そのSEALDsの本日、10月18日渋谷街宣ツイッタ―から。
                 

                「作られた言葉ではなく、刷り込まれた意味でもなく、他人の声ではない私の意思を、私の言葉で、私の声で主張することにこそ、意味があると思っています。私は私の自由と権利を守るために、意思表示することを恥じません。そして、そのことこそが私の〈不断の努力〉であることを信じます」

                追記:映画『首相官邸の前で』の上映を決定した大分市コンパルホールの皆さんのご努力と勇気に感謝します。「政治的中立性」という権力に都合よく利用される屁理屈に屈することなく、憲法で保障された表現の自由を淡々と行使することこそが、公共機関の本来の役割であり、憲法で言うところの「不断の努力」です。それを理解している人が身近な行政機関の中にいるということほど、市民を勇気づけるものはありません。一人でも多くの方に見に行ってもらいたいですね。
                 

                | 政治 | 17:36 | comments(0) | - |
                私の散歩道
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                  以下の画像は私が毎日散歩している散歩道です。自宅を出て10分も歩けば、この風景が広がっています。車止めがあって、地元の農家の方の軽トラ以外は通行できません。大分市の東部地区のそのまた周辺地区。お年寄りが多く、限界集落に近い場所です。

                   

                  安全・安心・便利とはいえませんが、私にとっては、等身大で生きるための保護膜のような存在です。緩衝地帯と言ってもいいかもしれません。知性とは異なる回路で自然を感じ取り、世界を読み取ることを可能にさせる、かけがえのない場所です。

                   

                  歩きながら地元の農家の方と交わす挨拶や、立ち話ほど私を癒してくれるものはありません。途中、誰とも話を交わさないこともあります。数年前、大雪が降って一面が銀世界になった時の風景は、息をのむほどに美しく、しんしんと冷える中、立ち尽くしていたこともあります。往復6キロの散歩道を、原発事故の4年前に書いた、未来塾通信26『いのちと身体が納得できる場所へ』から引用した文章とともに紹介したいと思います。



                   

                   

                  私たちの世界にはいろいろなスケールの時間が併存している。インターネットの中を駆け巡る時間。里山にゆったりと流れる時間。宇宙が生まれ消滅していく大きなスケールの時間。



                   


                  本来、時間とは多種多様で多層的に流れているものだ。ところが、現代社会では、多かれ少なかれ情報化された市場経済社会の絶対時間とでも言うべきものがすべての人を拘束している。この拘束から逃れて、ある場所に積み重なった時間を発掘するには、考古学的な想像力を必要とする。



                   

                   

                  誰の言葉だったか、「あらゆることが一度に起こらないために、時間は存在する」というフレーズが不意に頭に浮かんだ。あらゆることが一度に起これば、人は起こった出来事の因果関係をたどることができず、相互の関連性も見失う。ある出来事に意味が生じるためには、時間の経過が必要なのだ。そのときには気づかなかったことでも、時間が流れて初めて事の重大さに思い至ることもある。





                   

                   

                  しかし、無時間の情報社会は、氾濫している情報の中から選択することだけを人に要求する。その情報が生まれ、消えていく歴史は問われない。今日の市場経済も又、現在の利益や効率だけを私たちに迫る。市場経済がいかに生まれ、いかに滅んでいくのかは、この経済にとって関心ごとではない。そんな中で、自分では的確な判断を下しているつもりでも、ほとんどの場合、他人の下した判断をなぞっていることに気づかされる。





                   

                   

                  人はどのような歴史を経て、今どんな時代を生きているのかを知りたいのである。どうして今日の社会が作られたのか、なぜ私たちは現在のような生き方をしているのか。積み重なった時間、流れた時間、過去の時間である歴史もまた多層的に形成されているはずである。そしてその中での人々の生活が見えなくなれば、歴史は消失していく。そうなれば、私たちは情報都市の中を漂流するしかない。





                   私たちが還って行きたい場所はどこか。自分の存在の確かさが見つけられる場所はどこか。人間の理性・知性、合理的な認識と判断、科学や技術の進歩、自由と平等といった近代的世界で輝いていた言葉は、急速に色あせてきたような気がする。

                   

                  頭で納得できても、いのちと身体が納得できない。知性や理性はある方角を指示しているが、いのちと身体は違う方角を向いている。質素でも、つつましやかでも、自分のいのちが納得し、身体が納得する、近代的な枠組みとは別の、歴史を感じ取ることのできるローカルな世界で生きてみたい。



                  いよいよ終点です。この先は見事な棚田になっていて、行き止まりです。しばし休憩して、引き返すことにします。



                   

                   

                  | 人生 | 10:45 | comments(0) | - |
                  妄想集団を支える捏造集団。
                  0
                    前回のブログで、安倍政権は妄想集団だと言いました。その妄想集団を支える捏造集団について今回は書きます。

                    人間は遺伝子を運ぶVehicle(乗り物)だと言った人がいます。遺伝子には意思があり、自らが生き延びるために「乗り物」を選択するというわけです。遺伝子が歪みを持っていれば、次の世代に伝達されることになります。私たちは、多かれ少なかれ、遺伝子という歪みの記号を次の世代へと仲介する「乗り物」に過ぎないのかもしれません。その遺伝子に外部から環境圧力が加わります。「教育」という名の環境圧力です。そこに個人的な病理が生まれます。その結果、犯罪者になったり、小説家になったり、政治家になったりするのかもしれません。

                    私たちが自分について考えるというのは、この個人的な病理について考えるのと同義ですね。そして、その病理は、私たちの意思や努力で治せるかと言えば、ほとんどの場合不可能に近い。そこで人間は、自分の歪みにあわせて、逆に、周りの世界を歪めようとします。なぜなら、そうしなければ自分の正気が保てないからです。自らの存在の基盤を切り崩されないために、なんとか歪みにしがみつこうとします。ここに歴史のみならず事実すら捏造する集団が登場するのです。

                    具体例を挙げます。2015年10月7日の毎日新聞の記事。(以下の写真とイラストはネットから探したものです。私の責任で掲載します)

                    ― 難民を中傷するイラストを日本人の漫画家がフェイスブック(FB)に投稿し、「極めて差別的」などと国内外から批判が集中した。イラストは、実在するシリア難民の少女の写真と酷似しており、英国在住の写真家からの要請を受け、7日に自身の投稿を削除した。

                    これが難民少女の写真。





                    これを以下のようにトレースして、「作品」に仕上げた。



                     イラストは9月上旬、漫画家の蓮見都志子氏が投稿。少女のイラストに「安全に暮らしたい 清潔な暮らしを送りたい 美味(おい)しいものが食べたい」「何の苦労もなく 生きたいように生きていきたい 他人の金で。 そうだ難民しよう!」と書かれていた。国際支援団体「セーブ・ザ・チルドレンUK」の職員で写真家のジョナサン・ハイアムズ氏が、シリア国境に近いレバノンの難民キャンプで撮影した6歳の少女の写真と、構図や表情がそっくりだった。

                     ハイアムズ氏はツイッターで「無垢(むく)な子供の写真がゆがんだ偏見を表現するために使われたことにショックと深い悲しみを覚える。シリアの人々の苦境をゆがめて伝えており、恥を知るべきだ」とコメント。セーブ・ザ・チルドレンは毎日新聞の取材に7日、「加工の内容は、被写体である少女の尊厳のみならず、紛争の影響を受け困難な生活を強いられている人々の尊厳を傷つけるもの」と答えた。

                     ネット上ではイラストが「人種差別」だとして削除を求める署名活動が今月始まり、1万人以上が賛同した。
                     ジャーナリストの安田浩一氏は「根底にあるのは他者に対する想像力の欠如。平和に暮らしたいという人として当たり前の感情を否定している」と指摘。生活保護受給者らへのバッシングとも共通し「弱者が権利を主張すると手のひらを返してたたく。日本社会の一部にある気分を反映している」と語った。

                     蓮見氏は毎日新聞の取材には回答せず、FBに「今回のシリア難民は『なりすまし(偽装)難民』ではないかと考えています」と投稿していた。【隅俊之、小泉大士】(引用終わり)

                    難民の少女の写真をトレースし、イラストを作り上げた蓮見氏こそが「なりすまし(偽装)漫画家」ではないのか。ちなみに蓮見都志子氏はFBのグループ「安倍総理を支える会」の管理人です。安倍妄想集団は、この種の捏造集団に支えられていることを私たちは知っておくべきです。

                     
                    | 政治 | 11:22 | comments(0) | - |
                    『亡国記』−想像力と妄想について
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                      想像力と妄想は似ているようで決定的に違います。妄想とは「ありもしないことを想像して、事実だと信じ込むこと」です。この「事実だと信じ込むこと」の中に個人や集団の病理が表れます。

                       

                       

                       

                      安倍政権は知性に問題があるばかりでなく、立法事実そのものが存在しないのに、存在すると強弁したり、信じ込んだりしているのですから、これはもはや妄想集団と呼ぶしかありません。

                       

                       

                       

                      戦争法案の可決は、国の最高法規である憲法を、妄想集団が数の力で破壊したということです。それが社会にもたらす最大の影響は、倫理的な退廃です。つまり、「何が正しいか」を判断する基準が、最終的に権力と金を握っている人間にゆだねられるということです。

                       

                       

                       

                      妄想集団は、国際社会の中で孤立し、国家を破滅へと導きます。繰り返しますが、「ありもしないことを想像して、事実だと信じ込むこと」が妄想です。しかし、妄想が本当に恐ろしいのは次の点にあります。それは、過去の経験から学ぶことができず、現実に差し迫った危険を危険だと認識できないという点です。

                       

                       

                       

                      この国の歴史は、3・11以降、新たな局面を迎えています。それまで隠されていたものが表面に出てきたと言えばいいでしょうか。あると思っていたものが、全くなかったことが露わになったのです。抽象的な言い方はやめましょう。福島第一原子力発電所の事故以降、私たちは国家の破滅に直面しているということです。「国破れて山河なし」というレベルで。想像力とは、いまだ顕在化していない「現実」を見る力です。

                       

                       

                       

                      妄想集団である安倍政権は、この「現実に差し迫った危険」が見えていません。住民の避難計画も責任の所在も明らかにされないまま、地震と火山活動が活発化する日本で、原発の再稼働にゴーサインを出しました。妄想から覚める気配などまったくありません。彼らの発することばは、空語、空語、空語です。定型フレーズ自動再生装置を首からぶらさげているだけです。

                       

                       

                       

                      この国の最大の課題は、原発を再稼働させたり推進したりする政治勢力を一掃することなのです。さもなければ私たちの未来はない、という事実に一人でも多くの国民が気づかなければなりません。原発事故以前、一体誰が今住んでいる場所を追われ、流浪の民となることを想像できたでしょうか。明日は我が身なのです。それが3・11以降、私たちが直面している現実です。妄想集団に頼ることはできないと思い知るべきです。生き延びるためには、想像力を最大限に働かせるしかありません。

                       

                       

                       

                      想像力こそが人間に与えられた最大の武器であり、生き延びるための最後の手段です。疑う人は『亡国記』を読んで下さい。ここには近未来の私たちの運命が描かれています。この小説を単なる作り話だと笑える人は幸いなるかなです。私は一気に読みました。3・11以降、この小説の持つリアリティーの中を私たちは生きているのです。

                       

                       

                      | 原発 | 14:39 | comments(0) | - |
                      アルネ・ヤコブセン−夏の家
                      0

                        もし経済的に余裕があったら、自宅の設計を依頼したい建築家が三人います。日本人の建築家では吉村順三氏と堀部安嗣氏です。外国人ならアルネ・ヤコブセンですね。しかし、アルネ・ヤコブセンと吉村氏はすでに他界しています。現役で活躍しているのは堀部氏一人です。

                         

                         

                        建築家に依頼するのは住宅メーカーに依頼するのに比べて余分な費用がかかると思っている人が多いようですが、はたしてそうでしょうか。この点も含めて、堀部氏については後日紹介したいと思います。

                         

                         

                        アルネ・ヤコブセンと吉村氏から学んだ最も大切なことは、住宅は費用も含めてバランスというか、プロポーションが大切だということです。言葉で表現するのは難しいですね。人間と同じで、住宅にも「たたずまい」というものがありますから。

                         

                         

                        簡素な中にも美意識が感じられ、何よりもそこで「生活」することに重点が置かれていること。時間と記憶が積み重なり、完成した時よりも20〜30年経ってからの方が味わいのある住宅になっていること。私たちはともすると、ものの価値を交換価値でだけ測りがちですが、ものには使用価値があります。住宅は使用価値で測られるべきものです。この観点から、中古住宅が見直されていることは、いいことだと思います。

                         

                         

                        飾らず、普段着で心地よく過ごせる空間であること。四季の移ろいが感じられること。そこで幼少年時代を過ごしたこどもたちが大人になって、かけがえのない自分の記憶を形作ったのはこの空間だったのだと、なつかしく思い出せること。そのためにも、素材や空間の構成をはじめとして、流行を追わず、時の試練に耐えられるように設計しておくこと。水周りを除いて、後々手を加えずに済むような住宅であること。これがプロポーションのいい住宅だと私は解釈しています(建築的にプロポーションのいい住宅を作る方法は後日、数回にわたって述べるつもりです)。

                         

                         

                        この条件を満たしている住宅こそが、吉村順三の軽井沢山荘であり、アルネ・ヤコブセンの「夏の家」です。

                         

                        アルネ・ヤコブセンの「夏の家」



                         

                        アルネ・ヤコブセンと言えば、日本では「セブンチエア」や「アントチエア」が有名であるため、家具職人だと考えられているようですが、彼はれっきとしたデンマークを代表する建築家です。私はこの「夏の家」の外観が一目で気に入ったのですが、何より、内部の階段の緩やかな傾斜と微妙にカーブした手摺の感触。ため息が出ますね。

                         

                        そしてこれが二階の部屋。

                         

                        う〜ん。プロポーションのいい家とはこのことをいうのだと感心しました。これが第二次世界大戦前、1938年に建てられたというのですから驚きです。その後77年が経っているのですが、この建物の価値を理解する人が、手直しして使っています。ちなみに、この家はヤコブセンのいわゆる「夏の家」ではなく、まったくマイナーな住宅で、建築雑誌にも載っていません。書棚をひっくり返してやっと見つけました。

                         

                         

                        今から7年前には、80歳を超えるホイルンドさんが住んでいました。その時は、水着に着かえて、すぐ近くの海で海水浴をしていたそうです。今はどうされているかわかりません。お元気でいるといいのですが。


                         

                        当時のホイルンドさんいわく「キッチンは小さいけれど、完璧に機能しますし、よく使う野外のテーブルとの距離まで計算されていて、いまだプランで手直しするところが全く見当たらない。機能性の高さとほどよい大きさは秀逸で、とても気に入っています」

                         

                        以下はアルネ・ヤコブセン設計のデンマーク国立銀行

                         

                        デンマーク国立銀行の中にある、私が世界で最も美しいと思う吊り階段

                        | 自己救済術としての家作り | 22:26 | comments(0) | - |
                        私が影響を受けた建築家−ルイス・カーン・その2
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                          ルイス・カーン

                           

                          建築に携わる人間たちは、太古の昔からいました。絶大な権力をもった王の命令で、あるいはその遺志を継ぎ、気の遠くなるような時間をかけてシンボリックな建造物を建てたのです。豪雨の中を、あるいは砂塵の舞う中を駆け抜け、人の配置を指示し、費用を算出し、完成予定の時期を宣言しなければなりません。

                           

                           

                          この世界に建築が誕生したのは、権力者の意向によるものでした。しかし、どんなに巨大な建造物を建てたところで、それは風化の運命を余儀なくされます。いわば、砂塵の中から生まれ、砂塵と化して消えていく運命なのです。もし地球の外から人間を眺めれば、一瞬の命を与えられた人間が、結局は無と化すことに精を出している姿が、滑稽で虚しく見えることでしょう。

                           

                           

                          すべてのものが風化の運命をたどるのであれば、人間の営為に意味などあるのでしょうか。この問いに向き合い、虚無を所有することで答えを出そうと試みる人間が登場します。彼は虚無というパスポートを握りしめ、美の王国へ入国するのです。称賛されたり、評価されたりすることはなくとも、強い意志を持ち、内なる声に耳を傾け、孤独を友として虚空の中に立たねばなりません。野に咲く花が自らを支え、人知れず立っているように。

                           

                           

                          建築家ルイス・カーンは、まぎれもなくこういった人間の一人です。三歳の時、彼は大やけどを負います。その結果、顔の半分に一生消えることのないケロイドが残ります。その事故の顛末は以下のようなものでした。

                           

                           

                          暖炉の前で燃えさかる炎をじっと見ているのが好きだった三歳のこどもは、あるとき、普段は青白く燃えているはずの石炭が、それまで見たこともない不思議な緑色をしていることに気づきます。その「美しい緑色」に魅せられ、それを自分のために取っておきたいと考えます。そして、緑色に輝く発光体を火ばさみでつかんで、なんと自分のしていたエプロンに包み込んだのです。たちまちエプロンは燃え上がり、彼は顔と手に大やけどを負いました。言うまでもなく、このこどもこそが後年、光芒を放って彗星のごとく建築の世界を駆け抜けた建築家、ルイス・カーンだったのです。
                           


                          「エシェリック邸」


                          「エシェリック邸内部」


                          別角度からの「ソーク生物学研究所」

                           

                          1901年にエストニアに生まれ、1914年にアメリカに帰化した彼は50歳を超えてから精力的に作品を発表しはじめます。それまでは何をしていたのかと聞かれたとき、「スタディをしていた」と答えます。

                           

                           

                           

                          小柄で、高齢にもかかわらず、彼は世界中に仕事をかかえ、文字通り東奔西走の日々を送っていました。バングラデシュの首都ダッカに国会議事堂を建設中、一週間の予定で現地に出向いた帰り、ニューヨークのペンシルベニア・ステーションの便所の中で倒れ、路上行き倒れ人として、モルグの死体安置所に二日間も放置されたままでした。時は1974年3月18日、72歳でした。

                           


                           

                          世俗的な成功を追い求め、権力や財力を持つクライアントに迎合する建築家が多い中にあって、時流をかえりみず、独自の観念と形態を孤独に追及した「渡り職人」としての彼にふさわしい最期でした。60年代の世界の建築界に圧倒的な影響を与えたこの巨大な建築家が、公衆便所で野たれ死んだということを知って、私は言い知れぬ感動をおぼえました。わずか20年余りの間に残した彼の作品は、私にはたぐいまれな美しい墓石のように見えるのです。

                           

                          | 自己救済術としての家作り | 11:29 | comments(0) | - |
                          私が影響を受けた建築家−ルイス・カーン・その1
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                            ル・コルビュジェほど有名ではないにしろ、ルイス・カーンに影響を受けた人は多いと思います。自宅を作るにあたって、私の考えを後押ししてくれたのがル・コルビュジェだとすれば、それを具体化するときに最も参考にしたのがルイス・カーンの建築でした。今でも私の部屋の壁には、彼の設計した「エシェリック邸」と「フィッシャー邸」の写真が貼ってあります。「キンベル美術館」と「ソーク生物学研究所」は最も好きな建築です。私はこれらの建物から今でも無限のインスピレーションをもらっています。


                             

                            エシェリック邸


                             


                             


                             


                            フィッシャー邸


                             


                             


                            キンベル美術館


                             



                             

                             

                            ソーク生物学研究所



                             

                             

                            ミース・ファン・デル・ローエの「ファンズワース邸」やフィリップ・ジョンソンの「ガラスの家」は日本の気候風土には合わないと思いました。何より、ガラスと鉄骨だけで作られた余りにもオープンな空間は、日々の生活を営む場所としては遠慮したくなるものですね。

                             

                             

                            自宅を設計するときに最も大切だと考えていたのは、光と翳のコントラストでした。観念的なものではなく、動物の直観として、どのように光を制御するかということに頭を悩ませていたのです。

                             

                             

                             

                            具体的には、窓の大きさ、位置、壁の面積、天井の高さ、部屋の奥行きなどですが、それこそが居心地のいい空間を作るポイントだと考えていました。それまでの私の建築遍歴から導かれた結論です。

                             

                             

                            前にも書きましたが、京都の町家の坪庭に落ちてくるひんやりとした光が印象に残っていました。その制御された光の取り入れ方に感心していたのです。特に「俵屋旅館」の坪庭を見たときには、日本人の美意識も捨てたものではないと思いました。

                             

                            俵屋旅館 坪庭

                             

                            俵屋旅館[京都]|美意識が凝縮された日本旅館の最高峰

                             

                            アーネスト•スタディ : 岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌 

                             

                             

                            ある時、海外の建築雑誌を見ていると、一つの建物が目に飛び込んできました。私は建築の門外漢なので、出会いはいつもこんな風です。偶然とは恐ろしいものですね。その建物こそが、ルイス・カーンの「エシェリック邸」と「フィッシャー邸」だったのです。調べてみると、ルイス・カーンこそが、光に最もこだわった建築家であることがわかりました。

                             

                             

                             

                            「光なしに建築は存在しない。光こそがテーマである」「物質は燃え尽きた光である」「ルームは建築の元初であり、心の場所である」「沈黙は光へ、光は沈黙へ」というのは、カーンのことばです。難しいですね。わかるような、分からないような。私はこの種のことばには近づかないようにしています。

                             

                             

                             

                            建築のいいところは、 言葉はともかく、実際に建物が存在しているという点です。まず現物を見て、それから設計した人間の精神に至ることができるのです。どんなに立派で崇高なことばを使っても、肝心の建築が、金にものを言わせたバブリーでこれ見よがしの建築であれば、白けるだけです。

                             

                             

                            私が影響を受けた建築家−ルイス・カーン・その2

                            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=70

                             

                             

                            | 自己救済術としての家作り | 11:47 | comments(0) | - |
                            権力のことば・人間のことば
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                              ことばの価値が下落し続けています。株価が上がり、一部の富裕層がわが世の春を謳歌すればするほど、ことばの価値は下落し続けます。経団連をはじめとして、この国の支配層はことばを信じていません。なぜなら、彼らは権力と金の力を利用することで経済的利益を独占し、今の地歩を築いてきたのですから。将来の不安や貧困をかかえて生きる人間たちを放置したままで、自分たちの決断や行動を正当化することばだけを探しています。

                               


                              その裏で、それに抵抗することば、自分たちの生存を危うくすることばを血眼になって捜し、人々の目に触れないように画策してきました。まるで地雷探知機で地雷を探すように。そして地雷から信管を抜き、秘密裡に処理しています。ことばの価値が下落するのも当然です。「人間のことば」が秘密裡に処理され、「権力のことば」が大手を振って闊歩しています。

                               



                              しかし、彼らは気づいていません。「権力のことば」は自らを滅ぼすということに。人間を人間たらしめているのは、生活の中から生み出される怒りであり、人々の共感を呼ばずにはおかない哀歌(エレジー)なのです。そして、権力に抵抗するユーモアの精神です。

                               



                              昨日のブログで紹介した想田和弘監督の「菅官房長官語で答える」は、ユーモアの精神で「権力のことば」の本質を衆人環視の中へ晒しました。以下は監督のツイッタ―からの引用です。

                               



                              (引用開始)「言葉とは本来、意思の疎通のために発明されたはずだが、それを意思の疎通を遮断するために使う。彼らが無敵に見えるのは、そもそも議論の土俵に乗らないからだ。試合に出ない人間は絶対に負けない。だから菅氏や安倍氏や橋下氏は強い。負けない。しかしそれには恐るべき副作用がある。ディスコミュニケーションが蔓延し、対話なしには健全さを保てない「デモクラシー」を根底の部分で蝕むという副作用である。彼らの強さは公共性の犠牲の上に築かれた「強さ」である。

                               



                              これを言葉で説明しても伝わりにくい。そこで試みたのが菅官房長官語で答える実験だ。実際に菅語で返答すると、面白いようにコミュニケーションが遮断される。その様子を見ている側は、僕の菅語がコピペであることを知っている。そこで明らかになるのは、僕ではなく菅氏の言葉の暴力性だ。

                               



                               「安倍語で補足」と「橋下語で攻撃」 の原理も実は同じ。安倍氏の言葉も橋下氏の言葉も、基本的にはコミュニケーションを遮断する目的で使われる。実はそれ以外の機能はない。菅語を回りくどくすると安倍語になり、攻撃的にすると橋下語になる。

                               



                              ところが、「 菅官房長官語で答える 」では一応受け答えしているので、傍目にはコミュニケーションが成立しているように見えてしまう。質問者はその問いかけが真摯であれば真摯であるほど心理的なダメージが大きいし、周りには愚か者のように見えてしまう。これが菅語の恐ろしさの秘密。

                               


                               
                              コツは、相手の質問や抗議に対して決して答えないこと。自然にしていると、思わずうっかり答えそうになるんですけど、そこをグッとこらえる。そして木で鼻を括ったような定型句を繰り出す。するとコミュニケーションがそこで遮断される。議論にならない。なりようがない。そう、それはコミュニケーションを一方的に遮断するという暴力性である。」(引用終わり)

                               


                               
                              昨日のブログに書いた、中学生との架空の会話で、最後に中学生が次のように言っています。



                              「こりゃだめだ。みんな帰ろうぜ!こんな授業を受けたって何の意味もないよ!」と。



                              つまり、中学生たちはコミュニケーションが成り立たないことに絶望して、帰ってしまうのです。これは現在の政権のバカさ加減、滑稽さ、反知性主義的傾向に国民がうんざりして背を向けてしまうことを表現したものです。これは安倍政権が意図したことではありません。そこまでの知恵は彼らにはありません。しかし、結果的には安倍政権にとって都合のいい状況になっています。「意図せざる結果の法則」というわけです。これこそが政治の落とし穴です。あな(穴)、恐ろしや!


                               

                              | 政治 | 11:28 | comments(0) | - |
                              菅語で遊ぶ−または権力者の無能について。
                              0

                                ジョシュア・オッペンハイマー監督の『アクト・オブ・キリング』(2012年)を見た直後、ドキュメンタリー映画の想田和弘監督がこの映画を絶賛していたことを知りました。同じような見方をする人がいるものだなあと、うれしくなりました。

                                 

                                 

                                それ以後、想田監督の作品はほとんど見ています。『アクト・オブ・キリング』は、これまで見たドキュメンタリ−映画の中で三本の指に入る傑作でした。これについてはまた改めて書きたいと思います。

                                 

                                 

                                 

                                今回は、息抜きに、菅官房長官、安倍首相、橋下徹大阪市長の「ことば」を使って、塾の中学生と遊んでみようと思います。私の発言はすべてこの3人が実際に使っている「ことば」を、そのまま使っています。このやり方も想田監督に教えてもらいました

                                 

                                 

                                 

                                生徒「先生、この前の授業でやった、ほら、ちゅうしょう表現を具体表現に言いかえるというところ。ちゅうしょうの意味がよくわからないんですけど。ちゅうしょうというのはちゅうしょう絵画という 時のちゅうしょうですか?それとも、靴のサイズは、大ちゅうしょうがございます、という時のちゅうしょうですか。あ、今思ったんですけど、しょうちゅうの反対語ですか?」
                                 

                                私「よく意味がわからないというのが率直なところだ」
                                 

                                生徒「よく意味がわからないって、先生でしょ。ちゃんと教えて下さいよ!」
                                 

                                私「はい、次」
                                 

                                生徒「はい、次って、なんにも教えてないじゃんか!それで月謝とるのか?」
                                 

                                私「そのようなことは断じてない」

                                生徒「だって、まともに教えてもいないのに月謝とるなんておかしいだろ!」
                                 

                                私「そのような批判は全く当たらない」
                                 

                                生徒「それじゃまるで詐欺師じゃんか!」
                                 

                                私「レッテル貼りはやめていただきたい」
                                 

                                生徒「先生、そんなことしてたら塾つぶれるよ!」
                                 

                                私「そのご懸念は全く当たらない」

                                 

                                生徒「とにかく、今日の分の月謝は返して下さい。せめてオレだけでもいいから、どうですか?」
                                 

                                私「個別の事案について答えることは控えたい」
                                 

                                生徒「じゃあ、みんなの提案ということだったら、どうですか?」
                                 

                                私「全く理解することはできないし、極めて遺憾である」
                                 

                                生徒たち「おい、おい、今日の先公、なんかおかしくね? 俺らの質問に全く答えてねーじゃん。認知症の気があるんじゃね?まったくコミュニケーションがとれないよ。なんか、威張ってるだけでよ。『よく意味がわからないというのが率直なところだ』って、意味がわからないのは 俺らの方だよ!とりあえず、宿題の答えだけでも聞こうぜ」
                                 

                                生徒「先生、前回の数学の宿題の答え合わせをして下さい。なんだか難しくって、よくわからなかったんですけど」
                                 

                                私「今は理解されなくとも、今後時を経る中において、十分に理解は広がっていくと、このように確信しております」

                                生徒「そうじゃなくて、答え合わせをして下さい!」
                                 

                                私「そんなことどうでもいいじゃん」
                                 

                                生徒「シ〜ン」
                                 

                                私「早く質問しろよ」
                                 

                                生徒「いい加減にして下さい!説明できないんだったら、答えの箇所だけでも読んで下さい!」
                                 

                                私「つまびらかに読んでいないので論評は差し控えたい」
                                 

                                生徒「論評とかいう話じゃねーだろ!あんたの教師としての決意はどうなんだよ!」
                                 

                                私「いわば、すべからくして、国際社会と連携して、不退転の決意で、正々堂々と、法令に則って粛々と進めている次第であります」
                                 

                                生徒「こりゃだめだ。みんな帰ろうぜ!こんな授業を受けたって何の意味もないよ!」
                                 

                                私「対案を出せ。文句があるならお前がやってみろ!」

                                 

                                 

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