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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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「普遍的な感情」とは、どのようなものか。
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    時間は過去から未来へとつながる直線上に存在しているわけではありません。それは、ある場所に積み重なるようにして存在しています。ミルフィーユのように。あるいは枯葉が森の奥に積み重なるようにして。


     

    私たちは風を見ることはできません。木の葉が揺れたり、川面にさざ波が立ったり、こどもたちの髪がなびいたりすることで、風の存在を認識します。同様に、時間を見ることもできません。それは物事の変化として認識されるだけです。朽ちかけた民家を見たり、柿の葉が徐々に色づくのを見たり、久しぶりに会った人の老いの中に時間の経過を読み取ることができるだけです。


     

    時間が直線的なベクトルをもっているというイメージは、おそらく学校で習った数学や物理学の影響でしょう。もちろん数学や物理学は、こんな単純なイメージを提供してはいません。それでも、時間はどこか人間の外部に数学の定理のように存在していると思われがちです。

     

     

    『私の散歩道』で書いたように、私たちはグローバリズムによって加速された市場社会の「絶対時間」に拘束されて生活しています。しかし、時間は記憶と同様に、その人間の内部に積み重なっているのです。このことは『私とは、私の記憶のことである』の中でも触れました。


     

    なぜこんなことを書くかというと、時間や記憶と同じように、感情もまた積み重なると言いたいためです。ここで言う感情とは、鈴木大拙のいう「霊性」に近いものです。それは宗教的なものではなく、すべてのものの根源にあって、それについて語ろうとしても語りえぬもののことです。

     

     

    ヴィトゲンシュタインは、語りえぬものについては沈黙しなければならない、と言っています。なぜなら、精神の最深部でとらえられているものは、理解というような合理的判断ではなく、「受け入れられる」かどうかというかたちで存在しているものだからです。それは精神の多層構造の基底部にあって、私たちの行動を深いところで支えているものです。




    金沢21世紀美術館の近くにある鈴木大拙館。私の大好きな建築家・谷口吉生氏の設計。ほぼ半日をここで過ごしました。妻が傘を忘れて、歩いて取りに戻った懐かしい場所です(笑)。




     

    重要なことは、感情を育てるには時間がかかるということです。「大器は晩成する」ということばは(今では死語になっていますが)、感情の土台ができていないところに知識を注入すれば、一見賢そうなこどもは育つが、その知識をどう使い、誰のために役立てるのかという観点が抜け落ちる、という経験的な事実に対する警告なのです。

     

     

    知識と感情の違いは、そこに住めるかどうかです。人間は知識の中には住めませんが、感情で満たされた場所なら住めるのです。感情という土台のないところに、知識だけで建てられた建物は、所詮は砂上の楼閣、バベルの塔に過ぎません。


     

    日々の生活、日々の経済、日々の消費、その時々の都合で課される自分の立場に追われているうちに、私たちが見失った最大のものこそが感情です。しかし、見失ったとはいえ、肉体が滅びない限り、私たちの精神の片隅にうずくまるようにして生きています。前回のブログで書いたアンワルに猛烈な吐き気を催させたもの。最終的には金銭的報酬として報われるしかないマネー資本主義が人間を幸福にするはずはないと感じさせるもの。それを私は「普遍的な感情」と呼んでいます。

     

     

    それは人種や国境の壁を超えて存在しています。独裁政権下にあって生きることすら困難な状況にある人々、同じ国民でありながら日々の食事にもありつけないこどもたち、一人暮らしで頼る者もいないまま孤独死の不安にさいなまれている老人たち、そういった人々に対してわき上がってくる無条件の感情のことです。


     

    政治の根底にはこの感情がなければなりません。「自己責任」ということばでこの感情にフタをして、見て見ぬふりを決め込む政治家や財界人がどういう経路で登場してきたのか。それは次回のブログ『感情を劣化させた人間たち』で書きます。

     

    | 政治 | 12:08 | comments(0) | - |
    感情とは何か − 私たちは何を信じて生きるのか。
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      ずいぶん大袈裟なタイトルですね。「何を信じて生きるのか」などと、わざわざ問う必要もない、と考えている人も多いことでしょう。家族をはじめ、仕事を通じて出会った人々を素朴に信頼して生きればいいのだ、という声が聞こえてきそうです。できることなら、私もそうしたい。

       

      でも本当にそれだけで足りるのでしょうか。私はもともと政治的な人間ではありません。しかし、現在ほど政治が個人の尊厳を踏みにじり、無知と善意と無関心に付け込み、なりふりかまわず支配層の利益を確保している時代はなかったと思います。憐れを催すほどさもしい振る舞いです。


       

      わずか4年と8か月前、この国の支配層(自民党、財界、学界、マスメディア)が起こした人災に巻き込まれたとき(もちろん安全神話をナイーブに信じて騙された国民にも責任はあります)、国民の多くは、「もしかしたら祖国を失うことになるかもしれない」という恐怖と不安を感じたはずです。当時の菅首相は3500万人の避難を考えたと言います。要するに、地獄の淵を覗いたのです。



      幸運と呼ぶしかない偶然が重なり、破局は何とか回避されました。私たちの命は首の皮1枚を残してなんとかつながったのです。

       

      しかし、決定的に想像力を欠いた野田首相はその年の12月に早々と終息宣言を出し、安倍首相に至っては、「事故は完全にアンダーコントロール」されているなどと、世界に向かって大ウソをついたのです。しかし現実は、使用済み核燃料が溶け落ちていれば、私たちはディアスポラと化して世界中を流浪するしかない瀬戸際まで追いつめられていたのです。


       

      その時私は、文明に名を借りた経済活動がもたらした原発事故という破局的な人災によって、政治も文化も人々の生き方も、意識無意識を問わず「影響を受けてしまう」だろう、と思いました。逆に言うと、よほど鈍い人間でない限り、影響を受けないでいることの方が難しい、と考えるのが当然だったのです。


       

      「影響を受ける」ということは、既存の価値体系の中に閉じ込められていた私たちの物の見方が、感情を含めて深化更新されるということです。つまり、生まれ変わるということです。ところが聞こえてきたのは、生まれ変わりを阻止するための「理性」と「論理」と「科学」に名を借りた強権的でファナティックなことばでした。



      以来、このおぞましい災厄を、人格の最も深い部分で受けとめていない思想は、ジャンルを問わず、私は一切信用していません。

       

      提示された解決策は、何かに配慮したり、忖度していることが露骨にわかる、余りに浮ついた底の抜けたものでした。右を見ても左を見ても、これほど頼りにならない人間ばかりだったのかという思いが、私の心に重くのしかかってきました。「私たちは何を信じて生きるのか」という問いが立ち上がるのは、まさにこの場所からです。

       

      今回はその問いに対する私なりの答えを、つまり私が信じているものを述べてみます。


       

      以前ブログで紹介した、ジョシュア・オッペンハイマー監督の『アクト・オブ・キリング』(2012年)という映画を見たことがあるでしょうか。この映画は私がこれまで見た中で最も衝撃的なドキュメンタリー映画です。


       

      60年代に百万人規模で虐殺が行われた、インドネシアにおける「共産主義者狩り」がテーマです。

       

       

      当初、オッペンハイマー監督は虐殺の被害者にインタビューして映画を作ろうとしていました。しかし軍がそれを妨害し、暗礁に乗り上げます。そのとき被害者の一人が監督に「加害者にインタビューしてみたらどうか」ともちかけるのです。

       

       

      加害者が自分の犯罪行為について話すはずはないし、軍も認めないだろうと考えるのが普通です。ところが実際にインタビューしてみると、加害者の多くは、笑顔を浮かべながら喜々として殺人の体験を語ったのです。軍もそれをとがめませんでした。ショックを受けた監督は、次々にインタビューを重ね、この映画の主人公であるアンワル・コンゴに出会います。


       

      「アンワルが殺人について喜々として語り、ダンスして見せたりするのは、実は過去に行った行為の本質から目を背け、逃げようとしているからではないか?ならばアンワルとその仲間たちに殺人シーンを映画として再現してもらったらどうなるだろうか?」とオッペンハイマー監督は考えます。

       

       

      この映画が単なる人権侵害を告発する映画ではなく、まぎれもなくドキュメンタリー映画の金字塔になったのは、監督のこの悪魔的で天才的な着想にあったのです。


       

      ある種のイデオロギーや宗教や権力に人格を売り渡してしまえば、状況次第で人間は人殺しを喜々として行う。時には使命感に燃えて。そして、より多くの人間を殺せば殺すほど、その人間は英雄として称賛される。この映画はそういった人間の性を、冷徹に映し出します。


       

      アンワルは民兵でしたが、自分の犯した行為にフタをして生きている、どこにでもいるごく普通の人間です。その彼にとって思いもかけないことが起こります。

       

       

      映画の中で、殺人の様子を具体的に再現する行為は、過去を認めたがらない彼の心の扉をこじ開け、意識に劇的な変化を生じさせ、ついには殺人者としての彼の人格を浮上させます。そして自分の行ったことの意味を発見していくのです。映画が、一種のサイコセラピーの機能を果たしたのです。

       

       

      その結果、映画の最後でアンワルは猛烈な吐き気に襲われます。何度も何度も。そのしぼり出されるような乾いた音が、映画を見終わった後も、耳の底にこびりついて離れませんでした。


       

      私はこの映画を見ながら、あることに思い当ったのです。アンワルに猛烈な吐き気を催させたものこそが、すべての人間が持っている「普遍的な感情」ではないのか、と。


       

      「理性」は多くの場合、この感情をねじ曲げ、フタをすることで、人間が本来もっている共感し連帯する力を無きものにしようとします。狂気とは人間が理性だけになった状態を言います。私は以前ブログで、「感情」こそが「倫理」の母胎である、と書きました。アンワルに猛烈な吐き気を催させたもの。それを信じることが、私たちをかろうじて人間の状態に留め置くための条件だと思ったのです。

       

      | 読書・映画 | 00:16 | comments(0) | - |
      「知性」が感情を劣化させる。
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        「知性」とカッコつきで表現するのは、この国では知性なるものが首尾一貫して支配層の利益を守ることだけに奉仕し、市井の人々の幸福や自由や豊かさを一顧だにしてこなかった歴史があるからです。
         

         

        戦後、日本社会が実現した「消費社会」や「中流社会」の豊かさは、大衆が、役立たずの「知性」や「国家」の力を仰ぐことなく、ほとんどはじめて自力で勝ち取ったものです。それは、自分たちの生活のために、直面する課題を克服すべく営々として働いた結果手に入れたものです。
         

         

        しかし、3・11の大震災と原発事故は、この国の地金をさらけ出しました。政治は無責任極まりない対応をし、メディアの振る舞いは唖然とするほど低レベルで、この国にジャーナリズムは存在しないことを改めて思い知らされました。「知性」によって粉飾され、メッキをほどこされた砂上の楼閣が崩れ落ち、豊かさの陰で封印され、忘れ去られていたこの国の支配層の思想的体質が再びうごめき始めたのです。
         

         

        今回から数回にわたってこの問題を考えてみたいと思います。次回以降、『感情とは何か』『感情はいかにして劣化したか』『感情の劣化をくい止めるために』『前提を疑う−東大に象徴される知性の限界』と続く予定です。

        「自己救済術としての家作り」は、その後に譲ります。実際に家を作ろうとしている人に役立つポイントが満載です。
         

         

        話を元に戻します。「知性」が感情を劣化させる、というときの感情とは何か。まずそれを示しておきたいと思います。普通、感情といえば、喜怒哀楽のことだと考えている人が多いのではないでしょうか。しかし、感情はすべての人間が平等であることを思い出させるために人類に付与されたもので、歴史を善き方向へ動かす原動力となるものです。私たちの良心や命と分かちがたく結びついているため、区別することがほとんど不可能なほどです。
         

         

        感情をことばで定義することは難しいですね。なぜなら、文化や言語や国家の壁を超えて、感情はほとんどすべての人間が持っているからです。定義しようとすれば普遍的なものにならざるを得ません。しかし、「こころが正しい位置に置かれている」つまり「正しい感情を持っている」具体的な人物を挙げることはできます。
         

         

        マハトマ・ガンジー、ネルソン・マンデラ、公民権運動のキング牧師、そして日本の政治家・田中正造です。これらの名前を聞いて、「ああ、なるほど」と私たちが納得したとすれば、それこそが感情のなせる業です。もちろん、彼らが駆使する論理は、強靭で普遍性を備えています。それだからこそ、体制を変革できたのだとも言えます。
         

         

        しかし、彼らは「論理」と「知識」の人間だとは考えられていません。なぜか。一部の人間つまり支配層にとって都合のよい「論理」や「知識」を決して使わないという点で、道徳的に傑出した人間だと受けとめられているからです。そして、彼らを道徳的に傑出した存在にしているものこそ、正しい感情です。
         

         

        そして、この点こそが大事なのですが、道徳心理学者・ジョナサン・ハイトが言うように、感情が「知性」や「理性」を方向づけるのであって、逆ではありません。感情が劣化すれば「知性」を方向づけることはできません。今この国を牛耳っているのは、まさしく、感情が劣化した人間たちなのです。現在の日本の政治家の中には、ガンジーや田中正造に言及する人間はいません。一人、山本太郎を除いて。
         

         

        さて、ここからが私が長年考えてきた、最も重要なことですが、長くなるので次回のブログ『感情とは何か』に譲ります。上記の偉人たちは普通の人間ではなく、特殊な人間だという意見について反論します。

         

        | 政治 | 17:16 | comments(0) | - |
        私は忘れない。
        0

          ブログ記事が長いとの感想をいただくことが多いのですが、めげずにこれからも書き続けます。今回は予定を変更して、ある映像を見てもらいたいと思います。

          カナダの新内閣。男女比が半々のほか、四肢障害や視覚障害のある人、先住民、シーク教徒など多彩な顔ぶれ。首相いわく「これが2015年のカナダの姿」。最年少閣僚は30歳、元アフガン難民の女性。


           

          それに比べて2015年の日本。史上もっとも無知で、まともに議論する能力すら持ち合わせていない総理のもと、数の力をたのんで立憲主義を破壊し、憲法を葬り去った集団が政権に就いています。特に自民党は、戦前戦中のわずか十数年の間に、この国ではびこり、人々の思考を狂わせて国全体を破滅へと導いた「国家神道体制」を復権させようとしています。「平和の党」であった公明党は、今は名ばかりで、この単純な事実すら認識できていません。権力は絶対的に腐敗するのです。

          平成27年10月7日に発足した第3次安倍改造内閣の面々。おや、百田尚樹を講師に呼び「メディアの広告収入を減らせ、沖縄の二つの新聞はつぶせ」と発言させて盛り上がった、自民党の『文化芸術懇話会』に出席していた人や、「女性のパンツ泥棒」をしていた人まで大臣になっていますね。なるほど、カナダに負けず多彩な顔ぶれです。


           

          この「国家神道体制」は、自国や自民族を際限なく礼賛し、他国や他民族を侮蔑して、傲慢で狂信的な集団となり、自滅的な結末を迎えました。現政権は、歴史から学ばず、特定の外敵を創り出し憎悪を煽ることで、(中身は、中国怖いね〜、韓国いやだね〜、北朝鮮怖いね〜と言っているだけ。最高裁が民族差別だと断言したヘイトスピーチを規制すらしない)自国や自民族への帰属意識や連帯意識を高め、結果として現在の政治体制を全肯定させようとしています。何というバカげた、陳腐な発想でしょうか。
           

          安倍政権は、小規模の軍事的衝突をきっかけに、一気に憲法改正へと進み、「国家神道体制」を完成させることを目論んでいます。自衛隊員はそのための道具として利用されるのです。その一方で、財界は安倍政権を支持し、それと引き換えに武器輸出と原発再稼働、法人税率の引き下げを勝ち取りました。国家を効率のよい株式会社にしてくれる政権であれば、政治体制など二の次というわけです。
           

          英語にlick one’s bootsまたはlick one’s assという言い方があります。「自らの利益のために、権力者に対して極端に従順になること」を意味します。文字通り、ケツを舐めるということです。マスメディアは権力のケツを舐め、安倍政権と財界はお互いにケツを舐め合っています。(下品な言葉使いですね。よい子の皆さんは決して真似をしないようにしましょう。)
           

          それを支持し、自分もその仲間だと錯覚しているのが、9月12日のブログまともな思考ができない災厄の犬たち』の中で述べた、Y田ゼミ塾長氏のようなネトウヨの皆さん(いや、ことばは正確に使わなければなりませんね。反中嫌韓対米従属ケツ舐め路線を信条とし、権力に迎合することで空洞化した人格を埋めようとするレイシストの皆さん)です。安倍政権を批判する人々に対して、何かと言えば、「自虐」「反日」ということばを使って罵倒します。同じセリフを吐くようにセットされているゼンマイ仕掛けの機械人形のようです。彼らは、自分のことばでしゃべることができません。安倍首相が自分のことばでしゃべれないのですから当然ですね。
           

          長くなるといけないので、これでやめにします。こういった現状の中での希望は、現政権に対して闘っている沖縄の人々、SEALDsをはじめとする若者の皆さん、11月8日、渋谷でデモをした高校生の皆さんです。私は彼らを支持します。なぜなら、彼らは戦争で犠牲になった死者の、そして未来を自らの意思と勇気で築こうとする者たちの代弁者だからです。私は、安倍政権によって侮辱されたことを決して忘れません。

          11月2日 県警機動隊、抗議の市民ごぼう抜き 辺野古ゲート前



          体張り工事車両進入に抵抗 シュワブゲート前 86歳島袋文子さん



          11月8日の高校生のデモ。



          11月8日の高校生のデモに使われた街宣車。何ともカラフルで、かわいいですね!

          | 政治 | 23:40 | comments(0) | - |
          暮らしをデザインする−中村好文論・最終章
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            私には、「どうしてもやりたいこと」がありません。むしろ、できない、やりたくないことの方が多いですね。その一つが、都会の高層マンションで暮らすことです。どんなにお金があっても、それだけはごめんこうむりたい。一人で気ままに暮らせていいではないか、安全、安心、便利が手に入るのだ、と考える人は多いかもしれませんね。
             

            しかし、そこで暮らすことによって失うものを、私は即座に挙げることができます。それは私の生活といのちにとって本質的で欠くことのできないものです。なにもヘンリー・ディヴィッド・ソローやレイチェル・カーソンを気取って文明批評をしようというつもりはありません。もともと田舎育ちの人間ですから、都会が苦手なだけです。

            でも、ロンドンやボストン、パリのモンマルトル界隈は好きですね。こういう都市の小さなアパート暮らしなら、喜んで受け入れると思います。時間の蓄積が感じられる場所だからです。建築においても、人間の<生>においても、時間の果たす役割は想像以上に大きいのです。でもこの話は又いつかしましょう。

             

            一人で暮らすことには、全く抵抗はありません。しかし、それが都会の(高層)マンションだとすれば、遠慮したいです。それよりも、中村さんの「休暇小屋」のほうが断然いい。鴨長明の方丈の庵、良寛さんの五合庵、コルビュジェが晩年住んでいたカップマルタンの休暇小屋、ソローの森の中の小屋、そして中村さんの休暇小屋。

            鴨長明の方丈の庵。長明さんは、何が無駄と言って、住居に金をかけるほど無駄なことはない、と言っています。その結果たどりついたのが、このプレファブ住宅です。あらゆる余分なものを捨て去った長明さんですが、楽器の名手だったこともあり、折琴と継琵琶だけは離さず、部屋の中のとっておきの場所に立てかけてあったそうです。



            良寛さんの五合庵。「欲無ければ一切足り、求むるあれば万事窮す」



            コルビュジェが晩年住んでいたカップマルタンの休暇小屋。隣が「ひとで軒」というレストランで、コルビュジェはそこで食事をしていたそうです。



            ソローの森の中の小屋。ソローの小屋には風呂もトイレもありません。当然、外で用を足さなければなりません。夏はいいとしても、冬は大変です。



            そして、中村さんの休暇小屋。こうやって見て来ると、やはり中村さんの小屋が断然良い。思想的に共感はしても、最低限の文明生活は必要ですね。


             

            私は第一回目のブログ記事「自己救済術としての家作り−その1」の中に次のように書きました。「ただ、事物にまっすぐ相対できるような、ゆったりとした時間が流れる空間であること。室内は抑制された光と静けさに満ちていて、心理的に深く下降していける落ち着きがあること。京都などの町家の坪庭を介して引きこまれるひんやりとした光線の質を思い出していました。(中略)季節の移り変わりを感じられること。図面を引きながら、思い出と時間だけで満たされている黙想的な空間を思い描いていたのです」と。
             

            中村さんの話をしなければならないのに、脱線してしまいました。でも脱線ついでに、もう一つだけ。私は現在の住処を気に入っています。どこにでもある、ごく平凡で簡素な住宅です。でも、もし、宝くじに当たったら小屋を作りたいと考えています。場所は琵琶湖の北、湖北です。妻とよく旅行して、二人が気に入った場所です。葦の生い茂る浜辺を見渡せる高台に、吉村順三の軽井沢山荘のような小屋を作り、そこで晩年を過ごしたいですね。
             

            夏は湖面を吹きわたる風の音を聞き、秋は寂漠とした風情の中で紅葉を観賞し、吹雪の夜は(湖北は北陸地方の天気に近く、冬は五十センチの積雪も珍しくありません)薪ストーブでパンを焼きます。そして春になれば山菜を取りに山に入る。そうした季節の巡りとともに生きる生活を思い描いているのです。
             

            話を元に戻しましょう。私は中村さんと価値観を共有しているというか感性が似ています。従って、生き方も似てきます。中村さん曰く、
             

            「建築でも家具デザインでも、独創性とか新奇性とか、話題性だけを競うのは本筋じゃないと思うな。僕はジーンズみたいに基本的には流行に左右されない普段着の定番みたいな住宅や家具が作りたいんだよ。人目を引くよそ行きのお洒落な服を作るテイラーじゃないわけ。着ていることを忘れるぐらい着心地のいい普段着。質のいい木綿地で、しっかりした縫製で、洗えば洗うほど風合いが良くなり、愛着の増す、ジーンズのような住宅や家具を作る腕の良いテイラーになりたいんだ」
             

            建築にはその時代の流行が表れます。住宅も例外ではありません。新しくできた住宅地に行くと、ステレオタイプの「何々風」といった住宅が並んでいます。そんな中で、最先端の技術や素材を駆使した独創的なアイデアの空間を作ることは、建築家にとっては、魅力的なことです。でも、中村さんは言います。
             

            「でもね、僕はイヤなんだよね、そんな<作品>の中に住むのは。もし自分が住み手だったら、どんなに画期的な住宅だと言われても、建築家の自己満足のために日々の暮らしを犠牲にすることはしないし、新奇な建築的アイデアのために、なけなしの予算を使うことは許さないと思う」と。
             

            設計するとき、施主から自分の信念に反することを要求されると、ひたすら抵抗します。そして、施主にとっても建物にとっても、こうしておいた方が絶対に良いと思うことは譲らない。判断に迷ったら、建築家としてではなく、僕という人間を信じて任せて下さい、と言うそうです。
             

            「設計には建築的な知識や経験だけではなく、モノの見方、感じ方、考え方、つまり、その人のすべてが出る。自分の思いを伝えるというのは、説得力の問題じゃなくて全人格的なキャラクターの問題じゃない?建築を愛し続けてきた、本を読んだ、映画や音楽にも熱中した、世界各地を旅して人々の暮らしをつぶさに観察してきた、そして、その都度、自分の肌で感じ、自分の頭で考えてきた、といったこれまでの経験があるから、僕を信じて任せて下さい、悪いようにはしませんから、と言うんです」
             

            ここには、少しでも有利な情報を求めて右往左往する現代人が忘れがちな、極めて重要なことが述べられています。それについては、次回のブログ『感情の劣化をくいとめるために』で詳しく述べたいと思います。

            | 自己救済術としての家作り | 18:40 | comments(0) | - |
            小屋暮らしは楽しい−中村好文論・その3
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              以下の画像は、浅間山のふもとにある中村さんの「休暇小屋」。奥さんや事務所のスタッフ、親しい友人知人たちと週末や休暇を過ごすための「小屋」です。床面積14坪。LEMMING HUT、つまり「旅ネズミの小屋」を略して「LEMM HUT」と名付けられました。

              LEMM HUT外観。簡素というより粗末ですよね?でも6人家族が住むにはちょうどいい広さだと思います。開口部から見える椅子も中村さんデザインのものです。しかもエネルギー自給自足住宅です。こういう家に暮らすことから見えてくる世界こそが、私たちに親しい、等身大の、あえて言えば思想の原点になる風景だと思います。



              敷地の隅っこにある五右衛門風呂の小屋。私が少年だったころ、田舎の農家では、家から少し離れたところに風呂小屋がありました。そばの井戸から水をくみ上げ、風呂釜に流し込み、薪を燃やして風呂を沸かすのが日課でした。最後にサツマイモを放り込んで焼き芋を作るのが何より楽しかった。いい時代でした。



              中村さんが描いたLEMM HUTのイラスト




              昔からの友人を訪ねる道すがら、中村さんは気になっていた家がありました。「目の前には、浅間山の裾野である雄大な佐久平が広がり、その向こうには八ヶ岳連峰がそびえたっています。その眺めもさることながら、小さな家のたたずまいも、心惹かれるものでした。背後を樹々に囲まれてひなたぼっこしているようなつつましい風情があり、私は、こんなところに住んでみたいと思っていた」とのことです。その家は、開拓者として入植し、農業をしながら暮らしていた夫婦の家だったのです。

              開拓者夫婦の家。昭和の初期から中期にかけての庶民の家の風情が残っています。私が幼少年時代に住んでいた家もこんな家でした。懐かしいですね。



              二人が高齢で亡くなり、空き家となっていました。中村さんはその土地と家を借り受け、エネルギー自給自足型の小屋を建てたのです。その時の気持ちを「この場所に住み着き、この場所で生涯を終えた開拓者夫妻の建物を再利用し、そこを核にして新しい建物に仕立て直していくことで、彼らへのオマージュにしたいという考えも、いっそう強くなっていたのです」と述べています。2005年から建築に取りかかり、今年で10年が経過しています。10年を機に、近々この土地と建物をお返しするそうです。

              中村さんはこのエネルギー自給自足の実験住宅について次のように書いています。

              「一見粗末にえるこの『小屋』は、見かけによらず大きな志を抱いています。よく『人は見かけによらない』と言いますが、『家だって見かけによらない』のです。

              じつは、この小屋で営まれる暮らしを通じて、これまで誰もがあたりまえだと思って享受してきた・・・いや、浪費してきたと言った方がいいかもしれません・・・暮らしを支えるエネルギーについて考え直そうとしているのです。

              これまで住宅の文明度や文化度は、電気、電話、上下水道、ガスなどの「線」または「管」の数で計られてきたと思います。つまり、線と管の数を増やすことで文明度と文化度は上がると信じられ、私たちは知らず知らずのうちに、それをせっせと推し進めてきたわけです。

              でも、無尽蔵だと思っていた石炭、石油など地球の埋蔵資源の枯渇をはじめ、オゾン層破壊や温暖化など地球環境のことを考えると、これからは、逆にその文明のライフラインを一本ずつ減らしていき、環境負荷の少ない住宅にしていくことが建築的な課題になるだろう・・・と、まあ、そんなことを考えて、この小屋ではエネルギーを自給自足する暮らしを実践しています」と。
               

              そして次のように付け加えています。
               

              「こう言うと、私がエコロジー問題に真剣に取り組んでいる建築家だと誤解する読者がいるといけないので、急いで付け加えますが、私はそれほど生真面目な建築家ではありません。「そういう住まいと暮らしを、工夫しながらしてみるのも愉しそうだね」ぐらいの、いわば、気楽なエコロジー・エンジョイ派なのです。(中略)「遊び半分」という言葉は、あまりいい意味では使われることはありませんが、私としてはこうした住まいや暮らしの実験は、できれば眉間に皺を寄せてではなく、鼻歌まじりで、つまり「遊び半分」で「愉しみながら」したほうが、成果が上がるように思うのです」と。

              北海道からやってきたクライアント家族と。地中のタンクに貯めた雨水を、揚水ポンプで高架水槽に上げているところ。

               

              クライアント家族とのお泊まり会。こどもたちにとっては、一生思い出に残ることでしょうね。

              この小屋は以下の条件で作られました。

              ○電力は風力発電とソーラー発電でまかなう。

              ○水は屋根で集めた雨水を浄化して使う。

              ○調理は炭火を燃料とする七厘またはキッチンストーブ。

              ○お風呂は薪で焚く五右衛門風呂。

              ○トイレは簡易水洗トイレ(汲み取り式)。

               

              中村さん曰く「ほらね?線にも管にも繋がれていないでしょう?しかも、どう見ても見事に不便そうでしょう?ところが、不便や不自由は本来人間の持っている「人間の知恵」を呼び覚まし、「創意と工夫」を生み出す原動力かもしれません。休日を小屋で過ごすようになってから、手も頭も実によく働くようになり、賢くなったと、自分でもそう思うのですから・・・」

              小屋の前で本格的なハム作り。所員の皆さんと。



              テラスでのお昼ご飯。類は友を呼ぶという雰囲気ですね。



              晩さん会。お酒も美味しいことでしょう。テーブルの上のペンダントライトも中村さんの設計。和やかに夜は更けていきます。


               

               

              次回は、中村好文論の最終章です。お楽しみに。

               

              | 自己救済術としての家作り | 22:14 | comments(0) | - |
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