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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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政治的な話題はウザいか?−2015年、大みそかに。
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    政治ほど大衆の無知につけ込み、善意を利用するものはありません。政治的プロパガンダは、私たちの生活の隅々にまで深く入り込んでいて、政権批判はダサい、ウザいと感じる集合的無意識にまで高められています。


     

    NHKを始めとして、新聞・雑誌その他のメディア、とくにテレビを通じて垂れ流されるCM、クイズやトーク番組、「お笑い」ですら、一見政治と無関係に見えますが、それらの多くはメディアの権力批判を自主規制した結果の穴埋め番組に他なりません。(一度でいいから本物のお笑いを見てみたいものです。ビートたけし、松本人志、太田光は、痛々しくて見ていられません。)

     


     

    政治的な話題をウザいと感じるのは、この間の事情に鈍感だからです。

     

     

    私は政治的な人間ではありませんが、政治に鈍感であればよりよき人生を送ることは不可能だと考えています。何より他人を深く傷つけてしまいます。
     

     

     

    傍目には一個人が誠実に仕事をしているように見えても、政治的な文脈で見れば、つまり、上司との関係や組織全体の利益を優先すれば、他方で生活や人生を奪われる人も出てきます。

     

     

     

    そんな時、「誠実な個人」や組織は、自分たちのやっていることは合法なのだからと自らに言い聞かせます。自己利益を優先した法解釈で、人間としての倫理観を麻痺させるのです。

     

     

     

    前回のブログでも書いたように、有能な「執事」であればあるほど、他者の人生を蹂躙していることについて、ひいては自分自身の人生の倫理性について鈍感にならざるを得ません。
     

     

     

    今年最後のブログですので、政治について考えるときにヒントとなることばを挙げておきたいと思います。

     

    まず、アルベール・カミュのことばから

     

    1:すべての革命家は最後には弾圧者か異端者になり下がる。

     

    2:道徳のない者は世に放たれた野獣である。

     

    3:当然ながら、政府には良心というものがない。時折ポリシーはあるが、それだけだ。

     

    4:恐怖を土台にした尊敬ほど卑劣なものはない。

     

    5:一人の指導者と一つの国民とは、一人の主人と何百万人もの奴隷を意味する。

     

    次に、ガンディーのことば

     

    1:文明はマイノリティー(少数者)の扱いによって判断される。

     

    2:目には目を、は世界中を盲目にする。

     

    3:真実はどんな大量破壊兵器よりもはるかに強力である。

     

    4:このために死んでもよいと思う大義はたくさんあるが、このために殺してもよいと思う大義は一つもない。

     

    マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのことば

     

    1:大切なことに関して口を閉ざすようになったら、私たちの人生は終わり始める。

     

    2:ヒトラーがドイツでやったすべての行為は合法的であったことを忘れてはならない。

     

    3:最後には、われわれは敵のことばではなく、友人たちの沈黙を思い出すだろう。

     

    チャールズ・ブコウスキーのことば

     

    1:世界を救うにはまず一人の人間を救うことだね。それ以外はすべて大げさなロマンチシズムか政治だよ。

     

    2:資本主義は共産主義を負かした。そして今は己を食いにかかっている。


     

    次は南アフリカの平和運動家、デズモンド・トゥトゥのことば。1984年にノーベル平和賞を受賞。2008年には、チベット人の弾圧をやめるように、中国政府に抗議声明を発表している。

     

    1:不正行為が行われている時に中立でいたら、あなたは弾圧する側を選んだことになる。

     

    2:宣教師たちがアフリカにやってきた時、彼らはバイブルを手に持ち、われわれは土地を持っていた。彼らは「祈りましょう」と言い、われわれは目を閉じた。目を開けたとき、われわれがバイブルを手に持ち、彼らが土地を持っていた。

     

    フリードリッヒ・ニーチェのことば。

     

    1:われわれ一人一人の気が狂うことは稀である。しかし、集団、政党、国家、時代においては通例である。

     

    最後に私が好きな3つのことばを挙げます。

     

    1:法の外で生きるなら、正直でなきゃだめだ。(ボブ・ディラン

     

    2:記憶を失った国は、良心を失う。(スビグニュー・ハーバート。ポーランドの詩人)

     

    3:源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ。(同)

     

     

    来年が私たちにとってよりよき年となりますように。

     

     

    | 政治 | 20:47 | comments(0) | - |
    私たちは「執事」として生きるしかないのか?
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      以下は『柴田元幸と9人の作家たち』(アルク:2004年初版)の中に収録されている、カズオ・イシグロへのインタビューです。前回のブログに書いた『日の名残り』について言及されています。彼がメタファー(隠喩)の名手であることが分かると思います。

       


      カズオ・イシグロ 昭和29年長崎に生まれる


       

       

      私たちの<生>は、何らかの形で組織や利益団体と分かちがたく結びついています。その中で私たちは「より良き執事」としてふるまうことを要求されます。しかし、そこに救いはあるのでしょうか。私たちの努力は報われるのでしょうか。
       

       

      インタビュー

       

      柴田:先日の池澤さん(作家の池澤夏樹氏のこと)との対談、若い読者との対談、とても面白く拝聴しました。記憶に残るフレーズがいくつも出てきましたが、そのうちの一つが、われわれの大半は、みな何らかの意味で執事ではないか、というものです。

       

      イシグロ:ええ、ちょっと聞くと侮辱に聞こえるかもしれませんね、我々はみな執事だなんていう言い方は(笑)。私が言おうとしていたのは、ある種の倫理的な、さらには政治的な次元ではそれが我々の大半にとって人生の現実ではないかということです。

       

      むろん例外はあります。一国の大統領や首相になったり、大きな権力を持つ地位についたりする人もいる。でも大半の人間は、これは私自身も含めて言っているのですが、要するに何をしているのかというと、自分の仕事をきちんと果たすように学んでいくのだと思います。それが自分の人生に望める最大のことだという場合も多いんじゃないでしょうか。何んらかの技術を身につけ、マスターする。そのささやかな貢献を、もっと何か大きな存在に―会社とか、あるいは一人の人物、上司に、または政治上の主義に、国家に―捧げるわけです。

       

       

      そして個人としてはあくまで、めいめいささやかな仕事に専念し、精一杯きちんとやろうと努める。そのささやかな仕事をきちんとできるんだということから、プライド、尊厳といった思いを得るのです。そしてそれを、上にいる人に捧げて、上にいる誰かがよい形で利用してくれることを願う。でも多くの場合、自分の貢献がどのように利用されるかについては、責任を放棄するわけです。
       

       

      柴田:ということは、執事としての我々は、自分の行いについて倫理的な責任はない?

       

      イシグロ:いえ、すべての執事がそうだとは言いませんが、私の執事について考えてみましょう。彼はいわば、絵に書いたような執事です。銀器をきちんと磨いたり、食事がきちんと供されるように気を配ったりすることに大きな誇りを持っています。ある意味では、専門家だと言っていい。でも本人にしてみれば、主人に対して疑問を呈するのは自分の職分ではありません。より大きな、政治の世界で主人がなす決断に対して疑問を呈したりはしないのです。彼には忠誠心があり、その姿勢は、「私は自分の仕事を精一杯やろう、私の貢献をどう使うかは私の雇い主次第だ、ご主人が最良とお思いになる形で使って下さればよいのだ」というものです。

       

      そして私たち一般の人間も、たいていはそれと同じ立場にあるんじゃないかということなんです。つまり、私たちの人生、私たちの努力が無駄に終わるか否かは、最終的には、そういった上の人間に左右されると思うのです。
       

       

      柴田:スティーブンスの場合、主人がやったことが倫理的に正しかったかどうかを気に病みますよね。つまり間接的には、自分自身も戦時中、倫理的に正しことをやったかどうかに関心を抱いているように思えますが。

       

      イシグロ:ええ、でも気に病むのは後になってからです。何年も経って、主人も死んで、執事としての人生の終わりに至ってからのことです。そこで初めて、もっと大きな問題について気に病むべきだったろうかと、自問しはじめるのです。もっと若く主人に仕えていたころは、非常に明快な原則を彼は持っていました。すなわち、主人の決断を疑うのは自分の職分ではない。自分の仕事は、とにかく自分の務めを果たすこと、よき執事たることである。もっと重要な問題を動かすのは、高い地位にある方々に任せておけばよい、そう思っていたわけです。

       

       

      やがて第二次大戦が終わって、イギリス社会も変わっていき、それにおそらくは自分の人生も終わりに近づいていくなかで、初めて彼も、過去を振り返るようになります。そして、自分の人生が無駄だったか、良いものだったかは、主人のダーリントン卿が立派で有益なふるまいをしていたかどうかに左右されるということが見えてくるのです。ずっと後になってようやく、自分の人生の倫理性が、自分が仕えた人物の倫理性と分かちがたく結びついていることを悟るわけです。―

      (このテーマは次回のブログに続く)

       

       

      | 文学・哲学・思想 | 16:55 | comments(0) | - |
      私たちは、みな執事なのか?
      0

        カズオ・イシグロの『The Remains of the Day(日の名残り)』は、『Never Let Me Go(わたしを離さないで)』と並んで、心の奥底に届く力をもった素晴らしい小説です。両方とも映画化されているのですが、原作の雰囲気を忠実に再現しています。とくに後者はイシグロ自身も映画作りに加わったということもあって、いつまでも記憶に残る、美しいシーンが随所に出てきます。

         

         

        悲劇的な運命をたどる主人公たちの表情は、今の社会を生きる私たちが等しく持っている悲劇的な予兆そのものです。原作のニュアンスを損なわないために、この2冊だけは英文のテキストで読んでいます。

         


        今回取り上げるのは、『The Remains of the Day(日の名残り)』の方です。1989年に刊行されたカズオ・イシグロの第3作目の小説で、同年の英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞しています。





        語り手である執事スティーヴンスは35年間、ダーリントン卿に仕えます。執事であることに徹し、ささやかな仕事をきちんと成し遂げることでプライドや尊厳を得てきました。自己犠牲、自己抑制、禁欲的であることを美徳とし、主人への絶対的服従を「偉大な執事」の「品格」と考えています。
         

         


        しかし反面では、父親に冷酷であり、同じ職場で働くミス・ケントンとの愛を育むこともできません。ある場所ではダーリントン卿の執事であったことを自慢げに語るのですが、他方では隠す必要がありました。なぜなら、ダーリントン卿がナチ協力者であり、執事として彼に仕えた自分も間接的なナチ協力者になるからです。彼は、ダーリントン卿を否定することによって自分の歩んできた道を否定したくないという葛藤に悩まされます。
         

         


        執事としての「品格」に拘り続けたスティーヴンスの過去はあまりにも愚かでした。主体的に考えることもなく、ただひたすら職務を優先し、父に冷淡であり、ミス・ケントンの愛を受け入れることもなかった。ダーリントン卿のナチ協力を目撃しながら、その重大さは理解せず、倫理的な判断もできなかった。「偉大なる執事」にこだわり続けた彼は、ナチに協力する主人を助けるという大きな過ちを犯します。スティーヴンスは私たち自身です。
         

         


        カズオ・イシグロの作品はメタファー(隠喩)の力によって、読者をはるか遠くへ、思いもかけない深い場所へと連れて行きます。そこは、生まれ育った環境や社会制度という縛りから傷を受け、歪んでしまった自己という存在を治癒するための場所です。ブログで何度も言及してきた「普遍的な感情」を共有する魂の救済場所です。
         

         


         メタファーはあらゆる領域(政治的・経済的なプロパガンダからテレビCM、「お笑い」まで)に深く浸透しています。そしてそれと気づかない間に、私たちの世界観を形作り、他の思考様式ではできないやり方で、私たちを教育しています。つまり、それによって世界観が決定され、思考がコントロールされているということです。
         

         


        文学は、単に何かを説明したり、情報を伝達したりするものではありません。ましてや、論理的な結論を導いたりするものでもありません。すぐれた文学作品は、読後、私たちに世界が違って見える経験をもたらします。なぜなら、世界は私たち一人一人が勝手な思い込みによって作り上げている幻影だからです。
         

         


        イシグロは、この小説の中で、スティーヴンスの語る自画像も「大英帝国」も彼の内面の投影であり、虚像であることを明らかにしていきます。つまりこの小説を読むことを通じて、私たちは帝国主義も戦争も、一人一人が大義や幻影を抱くことによって現出し、遂行されるのではないかという思いに導かれるのです。

         

         

         

        「古きよき時代」や「帝国の大義」を声高に叫ぶ政治的なことばに対して、文学のことばは、幻影によって成り立っている世界の土台を切り崩し、新しい概念を生みだし、世界を変容させる力を持っているのです。(次回に続く)
         

         

        | 文学・哲学・思想 | 23:32 | comments(0) | - |
        みんな、元気でやっていますか?
        0

          数日前、不要になったテキストを処分しようと思い立ち、書棚から取り出していると、一枚の写真が足元に落ちました。これがその写真です。今から20年前、中学3年生の男子生徒と由布山に登った時の写真です。つい昨日の出来事のようです。



          由布岳の頂上で撮った写真。なにせ、昔の写真なので、古びていて見にくいのですが、雰囲気はわかるでしょう?みんな、元気でやっていますか?


           

          もちろん生徒の名前は全員覚えています。左上から酒井君、木田君、中村君、中川君、滝尾君、左下から岡田君、有益君、安藤君です。あと一人いたはずなのですが・・・そう、この写真を撮っている河野君です。みんな元気でやっているかな?そろそろ34〜5歳ですね。家庭を持ち、父親になっている人もいることでしょう。人生の荒波に翻弄されている人もいれば、それほど苦労もせずノホホンと生きている人もいるでしょうね。
           

          とにかく元気でいることを祈るだけです。僕は相変わらずです(頭髪は初冬の落葉樹の森のようになりましたが)。その場ですぐ役に立つことを教えるべきだという風潮とニーズに逆らって、その教科が面白くなり、学ぶことが好きになるポイントをじっくり教えています。

           

          すぐ役に立つことは、進んでいるように見えますが、実は常に遅れているのです。あるニーズに応えたと思った瞬間、次のニーズが生じます。まるでモグラ叩きですね。これでは教える側も学ぶ側も疲れるだけです。自分でも何をやっているのか分かっていないと思います。


           

          教育は情報戦ではありません。多くの人がそう思い込まされているだけです。すべての情報は、新しい情報に取って代わられます。そこで重宝されるのは、その時に最新だと見なされている情報です。

           

           

          しかし、僕が塾を始めたころ教えていた内容や方法論が、今になって注目を集めています。当時、僕は自分の教え方が最新のものだとは思っていませんでした。ある教科の本質を理解するためには、ここを飛ばすわけにはいかないというところを繰り返し教えていたに過ぎません。英語ではコロケイションで単語を覚えるとか、名詞の数え方、冠詞の重要性などですね。


           

          実は、多くの人が忘れていることがあります。教育という漠然とした話ではなく、単なる知識や技術の伝達においてすら、最も重要なことはその中身よりも、誰が教えるのか、という単純な事実なのです。

           

           

          教える側が、その教科なり分野なりをどのように受け止め、料理しているのか、その手際、あえて言えば人格的な態度こそが重要です。野球が上達するための本を100冊読むよりも、イチローに一言褒められるほうが、こどもの練習意欲を高めるのと同じですね。



          僕たちの学びが発動された時のことを思い出して下さい。それは情報としての知識を受け取った時ではなく、ある人間に(本や教師でもかまわないのですが)出会って感化された時ではないでしょうか。少なくとも僕はそうでした。

           

           

          新しい世界のドアが開いたというあの感覚です。その感覚は確実に人間を幸福にします。生命の連続性にも繋がっています。そこで初めて、比喩ではなく、生きているものたちは皆、先達や死者となったものたちに支えられていることを実感するのです。思えば、これは実に当たり前のことです。



          IT技術の進歩によって、情報格差は解消される方向へ向かいます。いつでもどこでも必要な情報が手に入るようになれば、「情報としての教育」は不要になります。つまり、教師はいらなくなるということです。「塾教師に実力はいらない」と『未来塾通信』に書いたのは10年前ですが、ビジネスとしての教育現場=塾では、すでに現実となっています。


           

          これからは、学びを発動させる力量のある教師だけが生き残るでしょう。イチローが野球少年を魅了し続けるのと同様に。学びが発動する瞬間は、こどもたちの顔を見ていれば分かります。それは楽しいことではないでしょうか。その瞬間に立ち会える喜びが、僕に塾教師を続けさせているのです。

           

          | 塾・学力 | 23:28 | comments(0) | - |
          今さら言いたくもないけれど・・・。
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            今さら言いたくもないけれど、言わざるを得ないと思うことが多すぎます。「バカバカしくて取り合っている暇はない」と国民に思わせるのが手かもしれないと勘繰ってしまうほどです。

            NHK「クローズアップ現代」の過剰演出問題をめぐって、高市総務相が放送に介入したことを、BPO(放送倫理・番組向上機構)が批判しました。民主主義社会における表現の自由の重要性を認識した妥当なものでした。メディア関係者の中にもまだまともな人がいるのだと少し勇気づけられたものです。

            高市総務相がNHKに対する「行政指導」の根拠にしたのは、放送法第4条でした。放送法第4条は、放送事業者に政治的公平性を求める内容です。よほど鈍感な放送人は別にして、これは安倍政権が放送法を意図的に曲解しているのだと分かるはずです。以下、簡単に説明します。

            放送法第4条:「放送事業者に政治的公平性を求める条文」の前提は、放送法第1条。

            放送法第1条:「放送の不偏不党、真実及び自律、表現の自由の確保を求める条文」の前提は、日本国憲法第21条。

            日本国憲法第21条は、「表現の自由と検閲の禁止」を定めています。

            つまり、日本国憲法第21条という親亀の上に、放送法第1条という子亀が乗っていて、その上に放送法第4条という孫亀が乗っているのです。親亀がコケたら子亀も孫亀もコケるわけです。言うまでもなく、憲法第21条は、「統治権力は、国民の表現の自由を制限したり、検閲してはならない」という意味です。中学生レベルの知力があれば分かることですね。

            よって憲法第21条という親亀の上に乗っている放送法第1条も、「統治権力は、放送事業者の放送の不偏不党、真実及び自律を確保し、表現の自由を制限してはならない」という意味になります。

            同様に、放送法第1条という子亀の上に乗っている放送法第4条も、「統治権力は、放送事業者が自律的に政治的公平性を確保することを制限してはならない」という意味になります。

            憲法との整合性を考えれば、この結論は自明ですね。にもかかわらず、安倍政権は「統治権力は、放送事業の政治的公平性をチェックする権力を持っている」と意図的に曲解しています。放送法を「法規範」だと主張して、違反すれば罰すると恫喝しているのです。これをヤクザ的・橋下徹的法解釈と言います。憲法第21条と完全に矛盾しますね。つまり、安倍政権は安保法制の問題と同様に、日本国憲法の趣旨を意図的に曲解しているのです。

            憲法はもともと統治権力を制限するために、存在しています。これを立憲主義といいます。(わが大分県選出の参議院議員・礒崎陽輔氏は「立憲主義などという言葉は大学の授業で習った覚えがない」と、発言しました。そりゃそうでしょ。中学で習う内容ですからね)

            それを、安倍政権は、「統治権力は国民の権利を制限するために存在するものだ」と、意図的に曲解しているのです。「孫亀は親亀の上に乗っていないよ〜。宙に浮いているんだも〜ん」と言っているわけです。

            何ともはや、このアクロバティックな宙返り論法をご覧ください。憲法学者の芦部信喜氏の名前も知らず、立憲主義の何たるかも理解していません。母校の成蹊大学の学生から「あなたは大学で一体何を勉強されていたのですか?」と批判されるだけのことはあります。こんな御仁が自主憲法を制定しようとしているのです。歴史修正主義者どころか、歴史破壊主義者です。

            もし仮に、意図的に曲解しているのでなければ、安倍政権は自分たちが放送法について、憲法と完全に矛盾した解釈をしていることを分かっていないことになります。こちらの可能性が高いかもしれません。これに橋下徹が合流した日には、反知性主義の「あっちゃ〜」「うっそ〜」「まじ〜?」政権が出来上がります。

            いずれにせよ、そういう安倍政権を選挙で選んだのは主権者である国民です。つまり、国民がそもそも自分たちの「主権」をまったく理解していないことになります。言いたくはないけど、まさにこの国民にして、この政権ありです。

             
            | 政治 | 16:03 | comments(0) | - |
            安倍CEOがトップセールスを行う株式会社日本。
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              CEO(Chief Executive Officer=最高経営責任者)という言葉が当然のように使われ出したのはいつごろでしょうか。カルロス・ゴーン氏が日産自動車の社長になった頃でしょうか。外資系企業が増え、そこで使う言葉が定着したのでしょう。その結果、一部上場企業では社長という言葉は死語になりました。代わって登場したのがCEOというわけです。

              「社長」という言葉には、昔のテレビの人気番組、宮尾すすむの「日本の社長」に通ずる庶民的な響きがあります。この番組では、社員と共に苦労して会社(主に中小企業でしたが)を築き上げた情に厚い個性的な社長さんが取り上げられていて、私も面白く見ていました。エンディングは、宮尾すすむの決め台詞「あなたも社長になれる!・・かもよ」でした。この時代の社長さんは、いわば直接民主制とでも言うべき社風を誇りにしていたように思います。簡単に言えば、社員と同じ地平に立って議論することが、会社をより発展させることにつながると考えていたのですね。

              時は流れ、終身雇用は崩壊し、会社は社員のためにあるのではなく、株主のものだという考えが支配的になりました。そんな中、岩井克人氏の『会社はこれからどうなるのか』という名著も生まれました。久しぶりにこの本を開くと、あちこちに書きこみがあり、線が引かれています。この本は今でも十分読むに値する本です。岩井氏は『ヴェニスの商人の資本論』『貨幣論』『二十一世紀の資本主義論』などの著者で、会社や資本主義について根本的に考えたいと思う人にはお勧めです。
               
              ところで、トップをCEOと呼ぶ企業で、社員はCEOを批判できるでしょうか。無理ですね。会社の経営方針はトップが決めるのであり、社員は口出しできません。一部上場企業は、トップがすべてを決定し、上意下達が貫徹されるいわば独裁政権なのです。そういった会社で働く社員にとっては、会社が世界のすべてであり、そこで行われていることを批判することは即ち、会社を辞めることとイコールになります。

              その中で生きるためには、あらゆる不条理を受け入れ、入社する前から従順さを示し、入社した後はただひたすら空気を読んで、上から「粉飾決算しろ」と言われれば黙って実行しなければなりません。(ちなみに、東芝では粉飾決算のことを「不適切会計」と言うそうです)。

              こどもが学校でいじめられて自殺するまでに思い詰めるのは、彼らにとって学校が世界のすべてだからです。そこから排除されるということは、世界の一部分から排除されるのではなく、世界そのものから放逐されることを意味します。この点では、学校も会社と本質的には同じです。

              「学校化社会」という言葉が批評の言葉としてリアリティーを持っていた時代は、正しい社会、望ましい社会とは何であるか、ということについて社会的なコンセンサスがあり、それが実現可能だと信じられていた時代でした。まだ「理想」を持つことができたのです。しかし、現在は、表面上の洗練された振る舞いとは裏腹に、ある種の居直りが、感情の劣化とともに進行しています。

              その結果、自分の生き方が正しかったかどうかを決めるのは、試験の成績であり、入学した学校の偏差値であり、就職した会社のグレードや年収であるという「成果主義」「結果主義」が、疑いようのない価値として社会に広く浸透しています。

              このように、支配者にとって都合のいい価値観を、国民のかなり多くが自ら進んで内面化していることが、安倍政権を批判できない土壌を生み出しているのです。しかし、経済(金儲け)一辺倒の発想では、CEOの本当のたくらみを見破るだけの知力は持てません。たとえ持てたとしても、見て見ぬふりをするしかないのです。
               
              安倍首相が繰り出す経営方針は、間違いなくこの国を破滅に導くと私は考えています。その会社が作る商品が、欠陥だらけのジャンクな商品でも、パッケージデザインや広告でカバーし、シェア争いで勝つことができれば、それは「よい商品」だったということになるのです。結果がすべてというわけです。これが居直りと感情の劣化でなくて何でしょうか。
               
              ジャンク商品の中でも際立ってジャンクなものが原発です。それを安倍CEOがインドに売り込みました。日本が被爆国だということも忘れ、3・11の原発事故もなかったかのように。 インドは核不拡散条約(NPT)に加わらず、核兵器を保有している国です。やはり条約への参加を拒んで核武装した隣のパキスタンと緊張関係にあります。そんな国に原子力技術を提供するのです。しかも、新幹線の売り込みとパッケージにして。
               
              株式会社日本のCEOは、トップに立つ人間に必要な想像力と倫理という最も重要な資質を欠いています。しかし、逆に言えば、そうだからこそCEOに上り詰めることができたのだとも言えます。安倍CEOは、株式会社日本が戦後70年かけて到達した下らなさと劣化のシンボルなのです。
               
              しかし、私たち国民は、株式会社の社員ではありません。民主主義体制下の国では、平社員である国民がCEOを批判し、この国のありようを変えることができます。今回は平社員の代表として山本太郎氏とミュージシャンの三宅洋平氏に語ってもらうことにします。


              2015年9月13日、渋谷駅ハチ公前






               
               
              | 政治 | 22:08 | comments(0) | - |
              私たちはどこから来てどこへ行くのか。
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                私たちの先祖は自然と人間を分けることなく生きてきました。いのちと生活を支える恵みを得るために、自然の声を神のことばと信じ、頭を垂れて要求を聞き、命令に従ってきました。自然は、そっと、ささやくように語りかけてきます。人間の声が大き過ぎれば、その声はかき消されてしまいます。だから、人間はいつも細心の注意を払い、その声に耳を傾けました。自然がその富を開き、恵みを与えてくれるのは、人間が細やかな配慮を持って働きかけたときだけです。



                私が散歩する沢。この周囲約6キロの山沿いを歩きます。一番日当たりのよいところが田んぼで、人家は山裾に寄り添うように建っています。



                そういった人間と自然の交感から生まれた里山を中心とする日本の文化は、経済発展を至上命題とする近代化によって侵食され、滅びつつあります。それはあたかも、大量消費型の経済とグローバリズムというグロテスクな軟体動物が森を消費し、食い尽し、呑み込んでいるかのようです。


                この田んぼのあぜ道を歩き、向こうに見える坂を上ります。その日の気分によって歩くコースは変わります。



                坂を登ると、この落葉広葉樹の道が続きます。時には右手の山の中を奥へ奥へと登ります。落ち葉のクッションの感触と森の匂いが、体中の細胞を隅々まで覚醒させます。




                 

                 

                私たちの乗っている船は、どこへ向かおうとしているのでしょうか。戦争や環境破壊、社会的な役割を果たさなくなった経済や労働、近代化とともに共同体から切り離されアトムとなって都市に流入した個人。その結果として社会に広がる不気味な不安。何のために働き、何のために生きているのかを問う余裕もないうちに、日々の課題の中で疲れ果てて行く自分。この航路の先に幸せな未来はあるのでしょうか。
                 

                 

                私は、日本文化の中にはこの難題を克服するための豊かなリソースがあると考えています。しかし、それを発見するには日本人の精神史をたどり直す必要があります。蓄積された文化の古層へと思いをはせる想像力が必要なのです。それは時々の政治権力がでっち上げた、自分に都合のいい日本的精神などではなく、私たちの精神の基層を形作っている民衆の精神史です。



                山から湧きだした水が滝となって沢へ流れ込みます。この水で育った米はさぞ美味しいことでしょう。



                先日この淵で体長50センチはあろうかというイワナを見つけました。その日一日、私は何とも言えない幸福感に包まれていました。



                 

                 

                いつもの散歩道を歩きながら、私は土を耕し、土地の神々を敬ってきた、村に暮らす人々の思いへと想像をめぐらせます。それは、国家主義的なナショナリストたちが語ってきた「日本の思想」ではなく、風土の中で自然と一体になることによってつかみとられた思想です。

                 

                この思想こそが、長い時間をかけて積み重なった日本文化の古層に横たわる、汲めども尽きぬ源泉なのです。それに比べて、理論的に頭で考えだされた思想は、その時々の権力者によって都合よく引用されたり、いとも簡単に葬り去られたりしてきました。


                初冬の雑木林。この空気感。年々紅葉が遅くなっている。手前は川の浅瀬に群生する葦。気が向けば川を渡って向こうの山裾を歩く。見慣れた風景でも、季節や時間帯により日々新たな発見があります。




                 

                 

                例えば、「日本人の精神」として語られるものに「武士道」があります。しかし、こんなおかしなことはありません。なぜなら、武士道は武士の精神ではあっても、日本人全体の精神ではないからです。農民も漁民も商人も、武士道とは無縁の世界で暮らしていました。江戸時代に琉球の島々で暮らしていた人々や北海道の先住民が、武士道と結びついた精神を形成していたはずもありません。
                 

                 

                しかも武士道は時代とともに変化しています。平安時代の武士道は「平家物語」に描かれた武士道です。鎌倉時代には農村と一体になった武士道の精神が生まれ、江戸時代の武士道は都市に暮らした武士が生み出したもので、儒学の影響を受け、『葉隠』などに結晶した武士道です。

                 

                さらに、新渡戸稲造の『武士道』は、武士がいなくなった明治に入って書かれたものです。それはクリスチャンの新渡戸が描いた近代日本人の倫理でした。キリスト教の倫理に劣らない倫理が日本にもあったという視点から書かれた、明治の指導層の人々が思い描いた武士道でした。
                 

                 

                以上みてきたように、武士道は日本の歴史を貫く精神ではありません。ましてやそれがすべての日本人の思想であったはずもありません。思想とはたかだかそういうものなのに、あたかも歴史を貫く日本の思想があるかのごとく語る人間が出てくるのは、その主張によって、日本をある方向へ誘導するためです。
                 

                 

                安倍政権の背後でうごめく『日本会議』の面々や、国家神道体制の復権を画策する勢力は、自分たちにとって都合のいい「日本の思想」の一端を語ることで、日本人の精神を鼓舞しようとしています。一体何のために、誰のために?彼らはIT産業で金儲けを企む一部のグローバリストと同じく、自分たちが何をやっているのかわかっていません。私たちの航路の先には何が待っているのでしょうか。それはまた近いうちに・・・。


                この小さなオレンジ色の実は山柿です。紅葉の余りの美しさに感動して庭に植えたことがありました。しかし、ほどなくして枯れてしまいました。柿はつきにくいのです。この画像の山柿もおそらくカラスが運んだ種からできた実生でしょう。写真を撮るために近付いたらカラスが数羽飛び立ちました。静かな里山では、カラスの羽音が驚くほど大きく聞こえます。



                 

                 

                | 文学・哲学・思想 | 16:11 | comments(2) | - |
                批判的知性はいかにして失われたか−教育産業が果たしてきた役割
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                  言わずもがなのことですが、そもそも批判的でない知性など存在しません。政治権力を独占し、富を一部の人間に集中することで世界をゆがめ、私たちの暮らしを蹂躙し、自由な言論を封殺しようとする勢力を批判することこそが知性の本来果たすべき役割です。なぜなら、本物の知性は、倫理の母胎である「普遍的な感情」に起源をもつため、同じ時代を生きる人々の窮状やいのちの危機を見過ごすことができないからです。



                  今年の1枚




                   
                  現在、批判的知性が最も欠けているのが、安倍政権の広報機関と化してしまったマスメディアの現場です。最も必要とされる場所に、それがないのです。

                   

                   

                  こういう言説に対して、「偏っている」「左翼」「反日」「恥ずかしい大人(安倍首相の発言)」といったことばが投げつけられます。そしてそれを異常だとも思わない世間の空気が醸成されています。その国の政治のレベルは国民のレベルを表わしているとはよく言われることですが、なぜこんなことになったのでしょうか。

                   

                   
                  私は30年以上にわたって塾の教師をしてきました。この間、教育の世界で起こった最も大きな変化は、「教育」といえば「受験教育」を意味するようになったということです。

                   

                  その結果、偏差値であらわされる線型の序列性のどこにこどもが位置しているかが、教育がうまくいっているかどうかを判断するモノサシとなりました。教育メディアがこれに拍車をかけています。多くの人々は、この現実を受け入れ、それに適応すべく学校や塾や予備校に関する様々な情報を集めています。
                   

                   
                  この国では、こどもたちが少しでも「頭がいい」とか「能力がある」と見られると、ごく初期の段階から、受験競争に参加させられます。そこで要求されるのは、受験に役立つ知識を整理・分類して番号を振り、確実に取り出せるようにその収納場所を覚えておく能力です。

                   

                   

                  簡単に言えば、高速事務処理能力と記憶力ですね。現在では通信教育を始めとして、この作業のほとんどを教育産業が肩代わりしています。教育産業は外注産業の別名です。こどもたちに残されているのは、それを効率よく記憶し、カスタマイズすることくらいです。


                   
                  しかし、膨大な知識をグループ分けすること自体が、思考力や記憶力を強くすることに役立ちます。なぜなら、全体をいくつかのグループに分けるモノサシを発見し、そのモノサシを絶えず見直さなければならないからです。新しい定義を考えたり、二つ以上のグループを一つにまとめる上位概念を考えたりする必要があります。これが論理的な思考を鍛えます。

                   

                   

                  そして最後に、論理的に導き出された二つの結論のうちどちらを選択すべきかという倫理的価値判断の問題が浮上します。しかし、効率とスピードを至上命題とする株式会社化した社会では、この過程は故意に省かれます。


                   
                  例えばセンター試験の現代文では、あくまで、出題者が本文から合理的に導き出されると考える選択肢が正解とされます。つまり、筆者ではなく出題者の解釈を探り当てることが要求されるのです。

                   

                   

                  センター試験は択一式です。つまり、正解の選択肢が既に与えられています。そこで出題者は正解の選択肢を「隠蔽」するために、なるべく本文で使われていない言葉を使って、しかも同じ内容になるように「巧妙に言い換えた」選択肢を作るのです。塾や予備校で指導されているのは、「論理的思考力」と銘打ったニセの選択肢を発見する方法なのです。
                   


                  幼いころからこういった方法を身につけ、めでたく難関大学に合格した暁には、ある特殊な発想と技術を持った官僚予備軍ができあがります。その後、正規軍となった官僚が書いた「合格答案」が、今年安倍首相が発表した「戦後70年談話」です。
                   


                  お詫びという言葉を使っても謝らない。侵略と言いながら日本の参戦の正当さを示唆する。植民地支配への反省を口にしながら日露戦争の勝利が第三世界の希望であったことを匂わせる。全体として強い反省の気持ちを強調しつつも、もうこれ以上は謝罪しない決意をにじませる。こんな論理的に錯綜した原稿が書けるのは、普通のアタマを持った人間には不可能です。



                  思うに、小さいときからせっせと塾に通い、有名進学校の答案用紙のレイアウトに慣れ、主観的な感想は客観性を損うと信じ込み、求められているすべての要素を巧みに混ぜ合わせた答案を書くようにトレーニングを重ねた人間だけが書ける文章です。
                   


                  私の知る範囲では、大学教師たちの多くが、政治的な立場とは別に、談話原稿の出来栄えをおおむね高く評価していました。おそらく、論文を採点することに慣れた人たちは、今回の談話原稿の課題達成度の高さと、レトリックの巧みさと、アクロバティックな論理構成の見事さに、高い点数をつけざるを得なかったのでしょう。「う〜ん、これじゃ減点できないよね」とかなんとか言いながら。



                  しかし、この談話には倫理的な責任主体が決定的に欠けています。誰からも文句が出ないように書かれた文章は、誰の心にも届きません。ま、どうせ誰も覚えていないでしょうが。
                   

                  | 塾・学力 | 15:39 | comments(0) | - |
                  日本語を読む−2
                  0

                    前回のブログの続きです。

                     

                    わずか3文から成る文章を読んで、どんなことでもいいから400字詰め原稿用紙1枚以上を使って書きなさい、という課題でした。以下がその文章です。

                     

                     

                     

                    「1冊の本は、その本が出版された時代の文化的所産である。また、それぞれの本は、その時代の歴史的課題を背負って生まれるといえよう。1980年代の幕開けの年に出版されたこの本も、その歴史的必然性を担って生まれてきた。・・・」

                     

                     

                     

                    生徒の答案と私の解説をすべて文字にすれば膨大な量になるので、要点だけを述べます。生徒の反応で一番多かったのは、400字詰め原稿用紙1枚以上も書けない、というものでした。答案の内容には大きく分けて3つのパターンがありました。

                     

                     

                    パターン1:難しいことばが使われていて、意味がよくわからないというもの。

                     

                    パターン2:翻訳した人たちは、頭の良い人たちで、この本を重要な本だと考えているというもの。

                     

                    パターン3:本は出版された時代の文化的所産であり、歴史的課題を背負って生まれたものであるから、これから直面する課題を予想したり、過去の出来事の原因を究明したりするのに役立つというもの。

                     

                     

                    私の予想どおりでした。この文章を批判する答案はありませんでした。そこで、この文章から導かれる私の解釈を示しました。以下がその要点です。

                     

                     

                     

                    1:第1文は「1冊の本は」で始めていますが、これは一般論を展開するときに使う表現です。英語で言えばA bookですね。不定冠詞のaは、同じ種類のものが他にもたくさんあることを前提に、その中のどれでもいい一つを取りだすときに使います。どんな本でもいいから、1冊の本をイメージして下さいということです。これは翻訳書です。訳者はこの本の価値を日本の研究者に提供すべきだと考えて翻訳したはずです。ならば、「1冊の本は」で始まる一般論は不要のはずです。「この本は」で始めるべきです。

                     

                     

                     

                    2:第1文の後半では、本は「文化的所産である」と述べています。しかし、「文化」とは何でしょうか。辞書を引いてみて下さい。「文化」とは、人間の精神活動によって生み出されたものですね。こういう場合には「文化」ではないもの、すなわち人間の精神活動以外のものによって生み出されたものを考えると意味がはっきりしてきます。鉱物はどうでしょう。魚や爬虫類は文化ですか。違いますね。自然が生み出したものは「文化的所産である」とは言えません。では人間の精神活動は何によって支えられていますか。そう、ことばですね。文化=ことばだと言ってもいいくらいです。日本語が地球上から消滅した時が、日本文化が消滅する時です。本にはことばが書かれてあるのですから「文化的所産である」のは当然のことです。なぜこんな当たり前のことを書くのでしょうか。「1冊の本は」という一般論で始めたために、言わずもがなのことを書いてしまったのです。

                     

                     

                     

                    3:第2文の「それぞれの本は」の意味は、第1文の「1冊の本は」と同じです。一般論の繰り返しで、主張が焦点を結ばず宙に浮いています。つまり、この書き方だとすべての本が「その時代の歴史的課題を背負って生まれる」ことになります。では「盆栽の育て方」「麻雀必勝法」「犬のしつけ方」「背徳の人妻」「1か月で10キロやせるには」などという題名の本は、どのような「歴史的課題を背負って」いるのでしょうか。

                     

                     

                     

                    4:第2文は「といえよう。」で終わっています。これは評論文などでよくつかわれる表現ですが、皆さんはこういったエラソーな言い方はしないようにして下さい。「と言える」と断定して下さい。ほら、断定すると不安になってくるでしょう。この不安を避けるための言葉が「といえよう」です。要するに文章を書く責任主体をぼかしているのですね。断定すればそれを立証する責任が生じます。その責任と向き合うためには、一般論ではなく、具体的な事実をもとに思考しなければなりません。そうすれば不安を感じなくて済むのです。

                     

                     

                     

                    5:いよいよ第3文です。疲れましたね。もう少しの辛抱です。この文の前半に「この本も」と書かれています。この「も」が曲者です。つまり、すべての本と同じく「この本も」と言っているわけですから、結局すべての本は、ということになります。訳者たちの緊張感のなさが、この「も」を生みだしたのです。仮にここを「この本は」としていたらどうでしょう。「歴史的必然性を担って生まれてきた。」と続くわけですから、他の本はそうではないということになります。一般論を述べてきた中で「この本は」と言えば、具体論になってきます。おおざっぱな一般論から具体論へ降りてくることは難しい、と覚えて下さい。

                     

                     

                     

                    6:以上みてきたように、この文章は一般論として、すべての本は「出版された時代の文化的所産」であり、「歴史的課題を背負って生まれる」のであり、「歴史的必然性を担って」いることになります。注意すべきは、この訳者たちは「歴史的課題」と「歴史的必然性」を同じ意味だと考えていることです。しかし、「必然性」とは何でしょうか。「必ずそうなるときまっている性質」のことです。例えば太陽は東から昇ります。これは必然です。このように必ずそうなるときまっているはずの事柄が、なぜ「課題」になるのでしょうか。太陽が東に昇るのは、そうなるように努力すべき「課題」なのでしょうか。要するに、必然であるものは課題にはなり得ないのです。皆さんは不合格になることが決まっている試験のために努力できますか。わずかでも合格の可能性があるからこそ努力するのでしょう。そうなるに決まっているもの、それ以外ではあり得ないものを努力の目的とすることはできません。努力によって変えられるからこそ、課題となるのです。

                     

                     

                     

                    以上述べたことから、「訳者序」は全く無駄であるばかりか、この本の価値を貶めている可能性があります。

                     

                     

                     

                    以上が私の授業です。もちろん実際にはもっとかみ砕いたやさしいことばを使っています。脱線や比喩を使い、文章を読むことはそれを批判することと同じだと訴えました。続きは次回のブログに譲ります。

                     

                     

                    | 塾・学力 | 21:58 | comments(0) | - |
                    日本語を読む−1
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                      私は塾の教師をしているので、たまにはどんな授業をしているのか公開してみたいと思います。塾を始めて30年以上になりますが、この国の批判的知性の衰弱を目の当りにしてきました。その影響を日々の授業の中で感じることが多くなったのです。

                       

                       

                       

                      塾の教師は入試対策をしていればいいのだという考えもあります。過去問を研究し、問題の解き方を教え、最小の努力で最大の効果を上げるように指導するのが塾教師の仕事だというのが世間的な共通了解でしょう。

                       

                       

                       

                      要するに、塾や予備校をはじめとする教育産業は、費用対効果の最もすぐれた学習方法を提示し、市場で生き残るために生徒や社員のことよりも売り上げのことを考えるという点で、一般の企業と何ら変わりはありません。

                       

                       

                       

                      しかし、こういった産業がある程度幅を利かせ、それなりの市場規模を誇っている国は、先進国の中で日本だけです。親にとって塾はこどもが高校や大学に入るまでの一時的な投資先に過ぎません。今では塾だけでなく学校もそう考えられています。そのため、深刻な問題が発生しても、自分のこどもが巻きこまれさえしなければ、積極的にかかわろうとはしません。こうして現に表面化しているこの国の危機は、手つかずのまま先送りされます。

                       

                       

                       

                      話を元に戻します。今回問題にしたいのは「最小の努力で最大の効果」を上げることが果たして可能なのか、可能だとしてもそれは適切なことか、という点です。あるルールに従えば入試問題が簡単に解けるかのように生徒を錯覚させることと、文章を正確に読むこととの違いを話したいのです。

                       

                       

                       

                      私は普段は英語と数学を教えていますが、教科の枠を超えて、こどもたちの言語の運用能力(数学もある意味で数式ということばの運用能力です)そのものの低下を痛感することが多くなりました。これは、ことによると運用能力以前の、ことばに対する向き合い方に地滑り的な崩落現象が起きているせいではないかと考えたのです。それを確かめるために、普段はしていない日本語の授業を夏期と冬期の講習会ですることに決めました。

                       

                       

                       

                      今回は、今年の夏期講習会の日本語の問題を取り上げます。入試問題を解く前に、「文章を読むとは、どういうことなのか」を生徒に考えてもらおうと思いました。

                       

                       

                       

                      これまで遭遇した意味不明の文章や、論理構造が破綻しているため何を言いたいのかわからない文章、政治的な意図を隠蔽するために感性に訴えた文章などを集めた私のノートからピックアップしたものです(最近はコピペができるようになったので保存が楽になりました)。中学1年生から高校3年生までの生徒全員にやってもらいましたが、私の解説も含めてそれぞれの授業で2時間をフルに使いました。

                       

                       

                       

                      ここから問題

                       

                       

                      ― 以下の文章は、米国のある大学のグループがまとめた理論集を、日本人2名の研究者が翻訳した際に書いた「訳者序」の冒頭部分です。「訳者序」とは、本の最初に書かれている「はじめに」や「まえがき」にあたるものです。

                       

                       

                       

                      「1冊の本は、その本が出版された時代の文化的所産である。また、それぞれの本は、その時代の歴史的課題を背負って生まれるといえよう。1980年代の幕開けの年に出版されたこの本も、その歴史的必然性を担って生まれてきた。・・・」

                       

                       

                       

                      <問>

                      この文章を読んで、あなたが気付いたこと、考えたことを書きなさい。どんなことでもかまいません。小説や評論文ではなく、わずか3文を読んで感想を書くことなど無理だと思った人もいるでしょうが、それぞれの文をよく読んで下さい。但し、400字詰め原稿用紙1枚以上2枚以内にまとめること。― 

                       

                       

                       

                      (生徒が書いた感想と解説は次回のブログに続きます)

                       

                       

                      | 塾・学力 | 14:24 | comments(0) | - |
                      ささやかな贅沢
                      0

                        毎年この季節になると、決まって注文する和菓子があります。少々高いのですが、季節限定のものだということもあって、思い切って注文します。製品が届いてから賞味期限が3日しかないため、一度に多く注文できません。毎回、10個入りのものを3回ほどに分けて送ってもらいます。それが岐阜県中津川市にある満天星(どうだん)一休の『杣(そま)の木洩日』です。

                        栗は宮崎県の高千穂郷・日之影から空輸されたものを使い、干し柿は信州・市田。天竜川の朝霧・夕霧に包まれ、秋の木洩れ陽を一杯に受けた「俺らほうの干し柿」だそうです。


                         

                        私は食通ではありません。松江・金沢・京都には和菓子の名品がありますが、母が茶道をしていたこともあって、旅行に行ったときに買ってくる程度です。そもそも食べることには余り興味がありません。ただ、どうせ食べるなら美味しいものを食べたいと思っているだけです。新米の季節に、ふっくらと炊き上がった御飯と漬物、美味しいみそ汁、アジの丸干し、出し巻き卵、切干大根のおひたしをおかずに食べる朝食ほど美味しいものはありません。食後のお茶と梅干を加えれば、我が家の和食のフルコースです。これ以上のものはいりません。一流レストランのフレンチのフルコースも、老舗の割烹の和食も、我が家の朝食にはかないません(笑)。
                         

                        午後3時ごろ、枯れ葉が舞い散る荒涼とした風情の中庭を見ながら、妻が立ててくれたお抹茶とともに杣(そま)の木洩日』をいただきます。干し柿の甘みと栗の香りが絶妙の組み合わせとなって口の中に広がります。そもそも、こういった自然の恵みそのものの素朴な味が、私の体質に合っているのです。

                        現在の中庭。この晩秋の荒涼とした風情が気に入っています。



                        家を建てたとき、暖炉がほしかったのですが、大分の気候と資金を考え断念しました。そこで庭に写真のような自然の「暖炉」を作り、ここで炎を見てくつろぐことにしました。お金が無ければ無いで、工夫すればなんとかなるものです。枯葉や枝が燃えるときのはじける音や匂いは、人間の中に潜んでいる原始的な本能をよみがえらせてくれます。最後にサツマイモを放り込んで終わりです。


                         

                        私が少年だったころ、農家の庭には決まって柿や栗、いちじくやビワ、ゆず、夏ミカンの木が植えられていたものです。それを祖父母の目を盗んでは「収穫」し、口いっぱいに頬張ったものです。

                        幸福は、四季の循環と自然の命の中に身を置いて、時が満ちるたびに、道理に従って一つずつ義務を果たした結果与えられるものです。私は興味の赴くままにあちこちで建築を見てきましたが、贅を尽くしたシンメトリーの西欧式の大庭園よりも、情感にあふれ、清潔で簡素で、住んでいる人の心配りが生き届いた、使い勝手のよさそうな農家の庭が好きです。それは、そこで営まれる生活そのものです。生活の楽しみと、食卓の必要を満たす無心の造形が、何よりも私の心を打つのです。


                        昔はこういった佇まいの農家がいたるところにありました。私の実家を思い出します。魂の揺籃期に、この風景から受けた影響は測り知れません。なんだか、涙が出てくる風景です。福島県の飯館村にはこういう美しい風景があちこちにあったはずです。それが一夜にして高濃度の放射能汚染地帯になり、生活のよりどころを根こそぎ奪われました。一方で東京電力は過去最高益を出しています。




                         

                        | 自己救済術としての家作り | 00:20 | comments(0) | - |
                        感情を劣化させた人間たち
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                          私は初冬の山歩きが好きです。落葉広葉樹の雑木林が続く山裾を一人で歩いて行くと、林の中へと続く小さな道があります。そこを奥へ奥へと登ります。見上げると、枯れた枝がレースのように重なって伸びています。張りつめた静けさ。新鮮な空気。時折、野鳥の鋭い鳴き声が響き、空間を切り裂くように飛んで行きます。枯れ葉が積み重なった上を歩くのは、何とも心地良いですね。何年もかけて堆積した枯れ葉は自然が作り出したクッションで、下の方は腐葉土になっています。

                          それは積み重なった時間そのものです。あるいは積み重なった記憶だとも言えます。時間というものがなかったら、生きるとはどういうことか、説明できません。事故や病気で死んだ人の時間は、そこで止まっています。記憶もそこで途絶えています。やはり時間と記憶は私たちの人生そのものなのです。それは人類が蓄積してきた時間と記憶につながっています。そしてその最深部にあるのが普遍的な感情です。この普遍的な感情を通して人間という存在はお互いにつながっているのだと私は確信しています。

                          理性や論理には人間をつなぐ力はありません。大部分は個人的な利益や名声のために、あるいはそれを確保してくれる政治権力を正当化しようとして使われるのです。それはここ1〜2年で積み重なった表層の枯れ葉が風にあおられて飛び散るようなものです。

                          理性や論理が仮に力を持つとすれば、腐葉土としての普遍的な感情から豊かな養分を吸い上げている時だけです。普遍的な感情はその性質上、必ず理想を生みだします。そしてニセの理性や論理を簡単に見破ります。一度も会ったことのない母親を探しているこどもが、他人を見てこれは違うとすぐ気づくように。

                          ホリエモンや池田信夫や橋下徹およびヤクザと見紛うばかりのその取り巻き連中の駆使する論理は、この普遍的な感情とは無関係です。彼らは自分が何をしているのか分かっていません。その時その時で自分に都合のいい屁理屈をこねまわしているだけです。彼らは、原発再稼働を進め、憲法を無視して日本をテロの標的にした安倍政権と財界を決して批判しません。要するに、いまだアメリカの占領下にある日本で、対米従属にますます組み込まれていくことを率先してやっているだけです。彼らは日本という国に蓄積されてきた時間や記憶、すなわち日本そのものの価値を否定しています。

                          橋下徹はバカの一つおぼえのように、金がない金がないと叫んで文楽の予算を削減しました。私学助成がカットされたために経済的に苦しい、何とかしてほしいと訴える高校生に「自己責任だ!」と言い放つ始末です。以前書いたように、彼の政治哲学は「感情統治」と「多数決」です。彼の駆使する論理は、薄っぺらです。それは、彼が薄っぺらな感情しか持っていないからです。政治は特定の個人や集団に奉仕するものではなく、みんなで共に生きて行くことを模索するものだという、イロハのイが分かっていません。最後に一つ、橋下徹が今沖縄県知事だったら何を言い、何をするでしょうか。そう考えることで、彼の本質が露わになると思います。

                          ホリエモンこと堀江貴文は、2015年10月29日のツイッターで、寿司職人に関して「飯炊き3年、握り8年」の伝統があるが、「今時、イケてる寿司屋はそんな悠長な修行しねーよ。センスの方が大事」「そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿って事だよ、ボケ」「一人前の寿司職人になるには6か月もあれば充分だろ」とつぶやいています。寿司職人の修行というのは若手を安月給でこき使うための戯言に過ぎないというのです。彼という人間の本質をあらわす象徴的な発言ですね。
                          一人前の寿司職人になるために費やした時間を否定することで、その人の人生そのものを否定していることに気づいていません。
                           
                          同じく長い修業を必要とするピアニストやバイオリニストには何と言うのでしょうか。この発言には、彼の職業に対する差別と偏見が見事に表れています。彼と同じIT業界で働いているカドカワ・ドワンゴの取締役・夏野剛は楽天の三木谷浩史氏との対談で「日本史なんか学校で教えなくていい」と発言しています。要するに彼らは新手の金儲けがうまいだけの人間で、メディアが報じるような新しい思考様式をもたらしてくれる文化の先導者でもなんでもありません。
                           
                          ここで取り上げた人間たちは、同じ特性をもった人間のごく一部です。氷山の一角ですね。そういった一群の人間の頂点にいるのが、ズレた時代感覚とゆがんだ歴史認識を持った改憲だけが生きがいの安倍晋三です。彼らは、ウェブ上で、国会で、テレビで、自分たちを批判する相手に対して「それは感情論だ!」と叫びます。感情を最も劣化させている張本人たちが叫んでいるのです。

                           
                          | 政治 | 00:27 | comments(0) | - |
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