政治ほど大衆の無知につけ込み、善意を利用するものはありません。政治的プロパガンダは、私たちの生活の隅々にまで深く入り込んでいて、政権批判はダサい、ウザいと感じる集合的無意識にまで高められています。
NHKを始めとして、新聞・雑誌その他のメディア、とくにテレビを通じて垂れ流されるCM、クイズやトーク番組、「お笑い」ですら、一見政治と無関係に見えますが、それらの多くはメディアの権力批判を自主規制した結果の穴埋め番組に他なりません。(一度でいいから本物のお笑いを見てみたいものです。ビートたけし、松本人志、太田光は、痛々しくて見ていられません。)
政治的な話題をウザいと感じるのは、この間の事情に鈍感だからです。
私は政治的な人間ではありませんが、政治に鈍感であればよりよき人生を送ることは不可能だと考えています。何より他人を深く傷つけてしまいます。
傍目には一個人が誠実に仕事をしているように見えても、政治的な文脈で見れば、つまり、上司との関係や組織全体の利益を優先すれば、他方で生活や人生を奪われる人も出てきます。
そんな時、「誠実な個人」や組織は、自分たちのやっていることは合法なのだからと自らに言い聞かせます。自己利益を優先した法解釈で、人間としての倫理観を麻痺させるのです。
前回のブログでも書いたように、有能な「執事」であればあるほど、他者の人生を蹂躙していることについて、ひいては自分自身の人生の倫理性について鈍感にならざるを得ません。
今年最後のブログですので、政治について考えるときにヒントとなることばを挙げておきたいと思います。
まず、アルベール・カミュのことばから
1:すべての革命家は最後には弾圧者か異端者になり下がる。
2:道徳のない者は世に放たれた野獣である。
3:当然ながら、政府には良心というものがない。時折ポリシーはあるが、それだけだ。
4:恐怖を土台にした尊敬ほど卑劣なものはない。
5:一人の指導者と一つの国民とは、一人の主人と何百万人もの奴隷を意味する。
次に、ガンディーのことば
1:文明はマイノリティー(少数者)の扱いによって判断される。
2:目には目を、は世界中を盲目にする。
3:真実はどんな大量破壊兵器よりもはるかに強力である。
4:このために死んでもよいと思う大義はたくさんあるが、このために殺してもよいと思う大義は一つもない。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのことば
1:大切なことに関して口を閉ざすようになったら、私たちの人生は終わり始める。
2:ヒトラーがドイツでやったすべての行為は合法的であったことを忘れてはならない。
3:最後には、われわれは敵のことばではなく、友人たちの沈黙を思い出すだろう。
チャールズ・ブコウスキーのことば
1:世界を救うにはまず一人の人間を救うことだね。それ以外はすべて大げさなロマンチシズムか政治だよ。
2:資本主義は共産主義を負かした。そして今は己を食いにかかっている。
次は南アフリカの平和運動家、デズモンド・トゥトゥのことば。1984年にノーベル平和賞を受賞。2008年には、チベット人の弾圧をやめるように、中国政府に抗議声明を発表している。
1:不正行為が行われている時に中立でいたら、あなたは弾圧する側を選んだことになる。
2:宣教師たちがアフリカにやってきた時、彼らはバイブルを手に持ち、われわれは土地を持っていた。彼らは「祈りましょう」と言い、われわれは目を閉じた。目を開けたとき、われわれがバイブルを手に持ち、彼らが土地を持っていた。
フリードリッヒ・ニーチェのことば。
1:われわれ一人一人の気が狂うことは稀である。しかし、集団、政党、国家、時代においては通例である。
最後に私が好きな3つのことばを挙げます。
1:法の外で生きるなら、正直でなきゃだめだ。(ボブ・ディラン)
2:記憶を失った国は、良心を失う。(スビグニュー・ハーバート。ポーランドの詩人)
3:源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ。(同)
来年が私たちにとってよりよき年となりますように。