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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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生き延びるための憲法九条−その2
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    前回は、作家の百田尚樹氏の発言を取り上げました。「9条教の信者」などという「ゲスの極み」とも言えることばを使って護憲派をからかっています。さすがに「憲法に指一本触れてはならないというのは思考停止だ」という安倍首相のお友達だけのことはあります。しかし、「憲法に指一本触れてはならない」などと言っている人はいません。いたら是非教えてほしいものです。


    この二人の発想は酷似しています。「憲法に指一本触れてはならない」=「9条教の信者」というわけです。レベルの低い空想上の論敵を作り、それをこきおろす手法は、自らのバカさ加減をさらすだけです。この種の劣化した知性と感情がどこに由来するのかといえば、敗戦の事実を遡及的に無効化したいという願望です。つまり、日本は戦争に負けていないと思い込みたいのです。これは頭の悪いガキの発想です(品のない言い方ですが相手に合わせるとついこうなってしまいます。お見逃し下さい)。そうなると歴史を捏造することを何とも思わなくなります。


    アメリカに負けたことは認めても、中国や韓国や北朝鮮に対して負けたとは思っていないのです(たしかに、朝鮮半島は植民地化されていましたから、戦争の相手ではありませんでした。しかし、反植民地闘争という点から見ると、韓国や北朝鮮は日本に勝ったという意識を持っています)。そのため、これらの国々が、特に中国が靖国問題などを巡って、戦勝国としてふるまうと、一部の日本人は激怒するのです。しかし、忘れてならないのは、中国はポツダム宣言にも参加している戦勝国だということです。


    それでも、アメリカに負けたことは認めざるを得ません。この事実をも否定しようとすれば、国民的規模でのアクロバティックな心理操作が必要になります。ところが、日本はそれをもやってのけたのです。日本人はアメリカを「救世主」とみなすことで、敗戦を否認したのです。アメリカはわれわれを救ってくれた、解放してくれたというわけです。しかし、一体何から解放し、救ってくれたのでしょうか。


    敗戦という歴史的事実にしっかり向き合うことをしなかったために、日本はいまだに敗戦を乗り越えることができないでいます。白井聡氏が言う「永続敗戦」状態が続いているのです。これが重い鉄のフタとなって日本人の、特に若者の精神的自立を妨げていると言えば、おおげさに聞こえるでしょうか。


    歴史的事実にしっかり向き合うということでいえば、2月25日の報道ステーションが特集で岸総理(晋三ぼっちゃまのおじいさんです)時代の憲法調査会の数十時間に及ぶ肉声テープが発見されたと報じていました。その中で、憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明しました。「憲法がGHQによる押し付け憲法というのは、当時の国民、議会人に対する侮辱」だと木村草太氏が述べていますが、その通りだと思います。


    しかし、そもそも、「押し付け」だと感じていた、いや、感じているのは誰でしょう。この国を破局に導いた戦争責任者とその末裔たちであり、戦前の国家神道体制の復活を画策する勢力ではないでしょうか。それに加えて、すべての価値が相対主義の波に洗われる社会で、内面の空洞をかかえこんだ弱虫たちが国家という絶対的な価値観にすがろうとしてこの動きに呼応しているのです(私が大分市にあるY田ゼミ塾長氏を批判したのもこれが理由です)。


    戦争で多くの係累を死なせ、他国の民を死に追いやり、食糧不足と病気で死んでいった若き兵士の無念さを思えば、国民の多くは戦争放棄を謳う憲法を「押し付け」だと感じていたはずがありません。「押しつけ憲法論こそ思考停止」なのです。


    もう一つこの番組で印象に残った事があります。それは憲法調査会の会長である高柳氏が「第9条はユートピアであると見えるかもしれないが、戦争放棄を普遍ならしめるということでなければ人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。第9条は一つの政治的宣言であると解釈すべきである。」と述べていたことです。この発言こそ、私が
    『憲法九条を蘇生させるために』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=119で述べたことそのものです。

    以下、その3に続く。


     
    | 憲法 | 13:18 | comments(0) | - |
    ドラマ『鴨川食堂』という魂の救済場所。
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      今日はいよいよ『鴨川食堂』の最終回です。前回はジーンとくる場面がたくさんありました。看板娘のこいし(忽那汐里)と父親(萩原健一)がおにぎりを食べながら話す場面では、思わず大粒の涙を流してしまいました。年のせいか、このドラマを見ると一回は泣いてしまいます。最近は土曜日の11:45分からの再放送も見ています。妻には「あなた、泣くために見てるの?」とからかわれます。


       

      忽那汐里演じるこいしと父親役の萩原健一のやり取りが絶妙で、このドラマのはまり役です。この役が二人を生かしています。よくよく考えてみると、こいし役の忽那汐里が好きなのか、忽那汐里演じるこいしが好きなのかわからなくなりました。たぶん後者なのでしょう。

       

      IDEA's Gallery | SSブログ

       

      以前にも書きましたが、『鴨川食堂』はメタファー(比喩)なのです。もちろん現代社会に対する批判も含まれています。上から目線の偉そうな批判ではなく、ドラマのいくつかの場面を見る者の心に残し、それと気づかぬうちに見る者の感情を豊かにし、もう一つの世界を垣間見せるといった方法によって。
       

      「鴨川食堂」は、

      1:不特定多数の人間を相手にしていない。

      2:従って、膨大な資金を投入した広告宣伝の力に頼ったりしない。ある意味で閉ざされた世界で生きることが、幸せにつながる(感情を劣化させない)とわかっている。

      3:「思い出の食、探します」という謎めいた一行広告だけをたよりに、客はこの食堂を探すことになる。思いが強ければ必ずたどり着けるはずだと、父と娘は信じている。そのことで、相手を単なる消費者の一人だとは考えていないことを間接的に伝えている。

      4:そうやってたどり着いた客の話にじっくりと耳を傾け、決して威張らず、卑屈にもならず、あくまで一人の人間として対等に接する。

      5:「思い出」と「食」という人間にとって最も根源的なものを通じて、人はお互いに理解しあえると信じている。

      6:「お代は、あなた様の気持ちに見合った額をお振り込みください」というセリフは、物の価値をお金で測ることを当然だと考えている消費者に、「気持ち」というお金では測れないものをつけ加えることによって、別の価値観があることを伝えようとしている。つまり、自分たちはビジネスマンではない、と優しく宣言している、等々。
       

      とまあ、こんな小理屈は抜きにして、今夜の最終回を見ることにしましょう。このドラマが終われば、もう忽那汐里演じるこいしには会えなくなります。こいしがこいし、なんちゃって。それにしても寂しくなるなあ・・・。

      ※ 最終回を見終わりましたが、やっぱり前回がクライマックスでした。最終回はこのドラマに区切りをつけるためのものでイマイチでしたね。でも、こいしが幸せになれそうで、めでたしめでたしです。ほな、またのお越しをお待ちしております。

      | 人生 | 19:06 | comments(0) | - |
      ロシアンルーレットに賭ける政治家と国民
      0

        安倍政権は高浜原発4号機を再稼働させました。再稼働させたのは関西電力だなどという詭弁は通用しません。ボルトの緩みが原因で汚染水が漏れたばかりです。増え続ける使用済み核燃料の処分先も決まっていません。



        政府と財界は、地震が起こって原発が暴走しないことに賭ける、すなわち国民の命を運と天に任せる決断をしたのです。高学歴のめぐまれた境遇にある人々のすることですから、間違いはないと国民は考えているのでしょうか。運も彼らに味方するでしょうか。しかし、彼らはフクシマの教訓をフィードバックする知性も世界を説得できる倫理も欠いています。



        冷静かつ素朴に考えれば、国民はロシアンルーレットの実験台にされているのです。(ロシアンルーレット=リボルバー式拳銃に一発だけ実弾を装填し、適当にシリンダーを回転させてから自分または相手の頭に向け引き金を引くゲームのこと)



        薄氷を踏むとはまさにこのことを言うのです。私は以前、当ブログで『死の舞踏を舞っているのは誰か』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=38と題して以下のように述べました。


        ― それにしても日本の近代150年の歴史の中で、足尾鉱毒事件、水俣、そして、ついにフクシマに至った経緯を考えると、日本の政治の屋台骨は折れてしまったのだと思わざるを得ない。薄氷の上で浮かれて死の舞踏を舞う国民大衆に、自らの命を犠牲にしてでも危険を知らせ、安全な場所に導くのが政治家の役目ではなかったのか。しかし、福島県民が犠牲になって危険を知らせてくれたにもかかわらず、現在、薄氷の上で率先して死の舞踏を踊っているのは当の政治家たちである。第二のフクシマは近い。―



        よもや忘れたとは言わせない。わずか5年が経過しただけで、再稼働か!



         

         




        そして奇しくも、再稼動のその日に、東電の幹部が強制起訴されました。前回のブログで最後に少しだけふれましたが、これは検察が意図的に不起訴にしたものを、検察審査会が強制起訴に持ち込んだのです。本来なら検察審査会にまかせる事案ではありません。検察に主体性があれば、つまり国民の側に立っていれば、とっくの昔に検察が起訴していなければならないのです。



        アメリカなら東電の幹部はまちがいなく刑務所に収監されているはずです。強制起訴という最終手段に頼らざるを得なかったのは、こみいった法律論を使って国民を煙に巻く検察の自己保身と欺瞞のせいです。しかし、このことを批判するメディアがないということが、ゴロツキ政治家をのさばらせる原因になっています。甘利氏が逮捕されないのですから、何をやっても大丈夫だ、と彼らが思うのも無理はありません。





        最後に端的な事実だけを書き留めておきます。

        2006年12月22日、当時首相だった安倍晋三氏が、第165回国会で吉井英勝衆議院議員からの質問に答えたものです。原発問題のスペシャリストとして知られた吉井議員の熱心な説得に対し、安倍首相はまるで他人事のように答え、完全無視したのです。その結果、この答弁の1540日後、2011年3月11日に福島第一原発事故が起こることになりました。



        吉井英勝議員「海外(スウェーデン)では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか」

        安倍首相「海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない」

        吉井議員「冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか」

        安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」

        吉井議員「冷却に失敗し各燃料棒が焼損した(溶け落ちた)場合の想定をしているのか」

        安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」

        吉井議員「原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測を教えて欲しい」

        安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」

        吉井議員「総ての発電設備について、データ偽造が行われた期間と虚偽報告の経過を教えて欲しい」

        安倍首相「調査、整理等の作業が膨大なものになることから答えることは困難」

        吉井議員「これだけデータ偽造が繰り返されているのに、なぜ国はそうしたことを長期にわたって見逃してきたのか」

        安倍首相「質問の意図が分からないので答えることが困難。とにかくそうならないよう万全の態勢を整えている」

        以上。

         

        | 原発 | 14:11 | comments(0) | - |
        自民党とおおさか維新の会はゴロツキ集団である
        0
          私はある政党が国民の立場に立っているかどうかを判断する時、二つのことを基準にしています。
           
          1:原発即廃炉を掲げているかどうか
          2:憲法の本質的要請である立憲主義をまもろうとしているかどうか
           
          です。
           
          この判断基準から最もズレているのが、自民党であり、おおさか維新の会です。もはや政党の体をなしていません。人間としての礼儀もわきまえないゴロツキ集団であることがはっきりしました。私は、自分のうっぷんを晴らすために、意見の異なる人間や集団に対して、根拠もなく、罵詈雑言を投げつけるネトウヨの皆さんとは違います。
           
          具体的な根拠を挙げます。一昨日、2月24日、国会の予算員会で公聴会があり、公述人として元検事の郷原信郎氏が甘利事件について、意見陳述をしました。公述人は議院が要請して来て頂いた人であり、いわば大切なお客様です。参考人招致での証人喚問のように出席する義務はないのです。その郷原氏に対して自民党の山下貴司議員が、理屈にもなっていない反論をし、それに呼応するかのように、おおさか維新の会の足立康史議員が、郷原氏を侮辱するようなひどい発言をしたのです。足立議員の態度は、公述人に対する態度としては前代未聞です。

          現在の国会では、甘利事件について法律的な観点から意見を述べれば、袋叩きにされるのです。昨年6月4
          日の衆院憲法審査会で、参考人である憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授と小林節・慶応大名誉教授が、安全保障関連法案を「違憲」と指摘したことがよほどこたえたのでしょうね問題の箇所は6分過ぎから。





          ご覧のように人格が空洞化したゴロツキ集団の本質がいかんなく発揮されています。こんな集団が安倍首相とともに改憲へと突き進もうとしているのです。これは記録しておく必要があると思い、このブログを書いています。
           
          この件について2月25日、郷原氏が余程腹に据えかねたのか、自身のブログで反論を書いています。その客観的かつ論理的な反論を読めば、ゴロツキ議員との知能の差は歴然としています。
           
          郷原氏のブログ
          https://nobuogohara.wordpress.com/によると、郷原氏が甘利氏の事件が、斡旋利得処罰罪の「まさにど真ん中のストライクに近い事案」と言ったあたりから、自民党が郷原氏に対して、非難し出したと書かれています。その代表者が山下議員ですが、議場は学級崩壊状態だったと書かれています。議長は、郷原氏の発言を無視し、学級崩壊状態を敢えて放置し、指導すらしませんでした。

           
          さらにひどいのは、おおさか維新の会の足立康史議員の発言です。郷原氏はブログで、足立議員の発言について次のように書いています。
           
          『公述人の私に「(公聴会に)なぜ来たのか」、「普通の人は民主党の応援団には弁護士の仕事は頼まない」、「郷原さんは専門家じゃない、政治屋なんです」などと、公述人の意見陳述とは全く関係ない、露骨な誹謗中傷をし、まさに、国会の品位を貶める発言そのものであった。』と。

           
          足立議員の誹謗中傷は、郷原氏がおおさか維新の橋下徹元代表をブログで批判したことを恨んでのことでしょうが、余りに常軌を逸しています。
           
          この発言にも議長は何も注意をしていません。議長の仕事は誹謗中傷発言を誰かの意思を忖度して放置することなのでしょうか。
           
          郷原氏は、これが日本の国会の現状だと述べています。それにしても、検察は何をしているのでしょうか。与党の顔色を窺う検察などはもはや、公正な検察ではありません。もっとも、東京地検特捜部の歴史をたどれば無理もないのですが・・・。

           
          | 政治 | 10:39 | comments(0) | - |
          生き延びるための憲法九条−その1
          0

            2013年10月6日、作家の百田尚樹氏はツイッタ―で次のように言いました。「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、「こっちには9条があるぞ!立ち去れ!」と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。」と。

             



            こういう発言をする人間に、反知性主義だと批判してみたところで無駄です。ヤクザ集団の大阪維新の会や「教育は2万パーセント強制」「政治の究極の形態は独裁」「民主主義は感情統治」が持論の橋下徹、さらに安倍内閣の閣僚たちに何を言っても通じないのと同様です。知性のない人間に反知性主義だというのは、ヤクザ稼業で世をしのいでいる人間に、お前はヤクザだというのと同じですからね。言われた方はきょとんとするしかありません。

             



            今回は百田尚樹氏と同じレベルの知性の持ち主にもわかるように、やさしく反論してみましょう。もっとも、彼らはガンジーやネルソン・マンデラのような倫理観や勇気を持たず、ネットの中で罵詈雑言を吐き散らすだけの臆病な人間たちですから、99%徒労に終わることは覚悟しています。
             

             


            その前に、ある事実を指摘しておきます。百田尚樹氏が前記の内容をツイ−トした3か月前、ネルソン・マンデラ氏は危篤状態に陥っています。そして、百田氏の発言のわずか2カ月後の2013年12月5日、氏は95歳で 亡くなります。アパルトヘイトとして知られている南アフリカの人種隔離政策に反対する闘争のために、27年間を刑務所で過ごし、1990年に刑務所から釈放されると4年後には大統領になった人物です。






             


            以下に1964年のリヴォニア反逆罪裁判の法廷での彼の演説を引用します。
             

             


            「私は白人による支配に反対し、そして黒人による支配にも反対してきました。全ての人々が協調して平等な機会の下で共に暮らしていく、民主的で自由な社会という理想を大切にしています。この理想に人生を捧げて実現を目指すことができれば最も望ましいですが、必要であれば、この理想のために死をもいといません。」
             

             


            私は日本の選挙権を持つ若者に、この二人の発言を比べてほしいのです。彼は次のようにも言っています。「後方に控えて指導する―そして、先頭にいるのは君たちだと信じさせる」と。


            以下次回のブログに続きます。

             

             

             

            | 憲法 | 13:16 | comments(0) | - |
            今日は日曜日なので・・・
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              今日は2月21日、日曜日です。朝起きて2階の窓から遠くの山の稜線を見ると、快晴だというのに春霞のせいか、はたまた花粉とpm2,5のせいか、煙っています。風は強く、いぜんとして冷たいですね。
               

              こんな日は、部屋にこもって音楽を聞いたり、読みかけの本を読んだりして過ごします。以前ブログでも書きましたが、http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=107  今日は『鴨川食堂』のある日です。夜の10時に、忽那汐里の笑顔に会えるのを楽しみに今日1日を過ごそうと思います。

              そういうわけで(どういうわけじゃ?)、中断していた「自己救済術としての家作り」を再開したいと思います。今回は居心地のいい家を作るルールその1、「対角線を意識する」です。
               

              以前書いたように、居心地のいい家は、平面図がワンルームになっています。ワンルームといっても、もちろん犬小屋ではありません。これはさまざまな住宅の平面図を見ているうちに気づいたことですが、かの中村好文さんも言っています。私の好きな吉村順三の「軽井沢山荘」も、ルイス・カーンの「エシェリック邸」と「フィッシャー邸」、堀部安嗣氏の一連の住宅、内藤廣氏の「筑波・黒の家」も元をたどればワンルームから発想されています。たぶん。
               

              なぜワンルームか?空間を小さく区切れば、視線が壁によってさえぎられ、狭く感じるからです。ワンルームだと、視線がさえぎられることなく、実際よりも広く感じられます。中村さんの師匠である吉村順三氏も「家の中で対角線が意識されれば、部屋に奥行きが出て、同じ広さでも家の感じはずっと広くなるね」と言っています。
               

              私は平面図(空間の善し悪しは平面図で90%決まります)を描く時、1辺が9メートルの正方形からスタートしました。水まわりはその外に配置します。こうすることで、余分な廊下や収納に空間を取られずに済みます。次に1辺が9メートルの正方形をさらに4つの正方形に区切り、その分割された正方形をさらに対角線を意識してずらしたのです。窓の配置も視線ができるだけ遠くまで届くようにと考えて決めました。もちろん外の景色や植栽の位置も意識していました。こうやってできたのが以下の空間です。

              私の書斎兼渡り廊下。この廊下が塾棟につながっています。




              これは、書斎を反対方向から見たもの。右側の障子をあけると和室です。ちなみにこの障子の寸法は縦が2400mmあります。書斎の床は幅広の杉板を張っています。



              書斎からテラスを見たところ。対角線を意識するということの、私なりの解釈です。アールの部分は米松で、キシラのマホガニーを塗布した後、シルバーグレイを塗り、拭き取りで仕上げています。ピカピカがいやだったので古びた風情にするためです。でも築20年になるので、その必要もなくなりました。



              画像は和室からリビングを見たところです。シナベニヤにラッカー塗装しただけの、簡素この上ない空間です。目地を取らず、突き付けにしてもらったので大工さんに苦労をかけました。



              和室から見た中庭の風景。右側が渡り廊下で、途中に書斎があります。書斎の寸法は3500mm×5500mmです。



              リビング。どこにでもある平凡な空間。壁は和室同様すべてシナベニヤにクリアラッカーを塗って仕上げています。さすがにこの空間を突き付けでやってもらうのは気がひけたので、目地を取ってもらい、白のコーキングで埋めました。もちろん塗装はすべて自分でやりました。珪藻土や漆喰の塗り壁は、コストの関係で断念しました。要は空間と空間の位置関係であり、光を制御するための壁をどれだけ作るかで空間の質は決まると考えていたので、素材にはそれほど頓着しませんでした。



              夜になるとこんな感じです。チープでも落ち着きます。照明は思っている以上に空間の質を高めてくれますが、それはまた今度。



              リビングのソファに座って外を眺めたところ。四季の移り変わりが素晴らしい。植栽はすべて落葉樹なので今が一番殺風景ですね。植栽も一年に一本ずつ、増やしていきました。金銭的に余裕がなければ、完成時期を延ばせばよいのです。躯体が完成してから10年くらいかけて徐々に内部を完成させることには思わぬメリットがあります。家を完成させながら、春夏秋冬の風情を味わい、光が差してくる方向を確認し、どこに何を置くか考えることができます。家作りは自分との対話であり、自己救済術なのです。



               

              もっとも、理屈では分かっていても、居心地のいい空間を作る決め手になるのはその人の想像力であり、感性であることは言うまでもありません。実際にその空間に身を置くことによって、その空間の質やエッセンスを吸収するのが一番ですね。
               

              住宅展示場を見学した際、妻が「豪華だけど、なんだか落ち着かないし、居心地があまり良くないわ。この空間で生活することが想像できないのよね。私たちはやっぱり貧乏性なのかもね」とつぶやくのを聞いて、私は「しめた」と思ったのです。

              | 自己救済術としての家作り | 14:29 | comments(0) | - |
              憲法九条を蘇生させるために
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                世の中に限らず、政治家や官僚・大手メディアの世界でも、「現実主義者」という名の判断力が未熟な「こども」が大手を振って歩いています。

                 

                しかし、外見は大人に見えても、精神の成熟度はこどもであることに変わりはありません。そう判断する材料に事欠かないのが今の日本です。自分の利害しか考えないこどもに、100年後の世界を洞察する知性を持てと要求するのも酷というものです。


                 

                日本の政治は、とりわけ外交は外務省の官僚の意のままに操られているのが現実です。したがって、政治家が拉致問題や韓国・中国・ロシアとの領土問題を解決できないのは当然です。

                 

                 

                では政治家は一体何のために存在しているのでしょうか。相手が受け入れるはずのないことを言うだけ言って「解決できないことはやはり解決できないんだな」ということを確認し、国民に納得させる儀式をとりおこなうためです。「どうせ日本にできることはここまでだ。あとは宗主国のアメリカ様に何とかしてもらうほかない」というわけです。


                 

                しかし、政治の本当の使命は、不可能だと思われていたことが実は可能だと人々に確信させることにあります。政治には行政が決してできないことを実現する使命があるのです。ひとことで言えば、国民に勇気を与え、日本国民としての「物語」=アイデンティティーを自覚させるということです。
                 

                 

                ドイツは国連の常任理事国ではありませんが、メルケル首相はナチスの犯した罪を自覚することで、難民の受け入れを決断しました。本来の政治家の役目を果たそうとしているのです。
                 

                 

                では私たちはどうすればよいのか。
                 

                 

                答えは意外に簡単です。憲法九条を与えた側の意図を超えてあらためて選び直し、その精神を純化させる方向で改憲するのです。解釈改憲の余地がない明文の規定を作るのです。「いかなる理由があっても、その規模の大小を問わず、日本の領土に他国の軍事基地を置いてはならない」というような。
                 

                 

                いま安倍政権に改憲を許せば、日本はますますアメリカに従属し、ついにはアイデンティティーを失ってしまうでしょう。九条は占領期間中に制定されたとはいえ、日本人が戦後一貫して保持してきたものです。敗戦から学んだ教訓の象徴です。いや、先の大戦で310万人の命と引き換えに手に入れたものなのです。かりに九条を放棄すれば、私たち日本人には一体何が残るというのでしょうか。


                 

                そもそも憲法とは第一に国民が自分自身に与える「物語」=アイデンティティーなのです。これがあって初めて国民は自分が何者かを自覚できます。第二に憲法は最高の外交文書でありマニフェストです。すなわち、憲法は世界に向けて、「われわれはこのような世界秩序を目指している」と謳っているのです。
                 

                 

                国家は主権を持ちます。しかしその主権はその領土の外には及びません。もちろん国際法はありますが、それを確実に実効あらしめる上位の権力は存在しません。それゆえ国家と国家の間にはいつでも戦争が起こりうるのです。主権国家が軍隊を持つのはそのためです。

                 

                 

                そういった中で、国際紛争を解決する手段としての武力行使を放棄し、軍事力の不保持を謳う憲法九条は、潜在的な敵意を抱く主権国家の集合としての世界の止揚をめざすと宣言しているのです。
                 

                 

                国連は不完全で非力ですが、地球上のほとんどの国が加盟し、国際法の秩序を支える一つの連合体として機能しています。これを、道徳と法にかなった世界秩序に、道徳と法にかなった手段で近づいていくことのできる現実的な体制として支持し擁護する意思があるなら、私たちは憲法九条をも支持し擁護しなければならないはずです。私はこのことを、今から220年前に書かれた、カントの『永遠平和のために』を読み返すことで確信しました。
                 

                 

                もし100年後に人類が生き残っているとしたら、主権国家間の対立がかなりのところで乗り越えられていなければならないはずです。後になって振り返った時、勇気ある最初の一歩を踏み出したのは21世紀の日本だったなと言われる状況は、私たちが憲法九条を選び直すことによってのみ可能となるのです。

                 

                 

                | 憲法 | 00:17 | comments(0) | - |
                表現の自由(憲法21条)の優越的地位について。
                0

                  今回のブログで私は自分の政治的立場をはっきりさせ、日本の防衛をどうすべきか述べるつもりでした。しかし、昨日の国会を見ていて、これだけは言っておかなければならないと思い、予定を変更して以下の記事を書くことにしました。予定していた憲法九条を蘇生させるために』は次回に譲ります。


                   

                  私は以前当ブログで、安倍首相は立憲主義が分かっていないと述べました。すなわち、憲法は国民が政府を拘束するために政府に課した命令であるという認識がないのですね。だから、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を平気で無視できるのです。「天皇」ですら憲法尊重擁護義務を負っているのです。そして、天皇皇后両陛下は、見事なまでにこの義務を果たしています。

                   

                  『安倍首相に、心からのプレゼント』

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=15

                  『明仁天皇、最後のメッセージ』

                  http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=29

                   

                   

                  それに対して、安倍首相は憲法尊重擁護義務が自分にはないかのごとくふるまっています。彼の言う「戦後レジームからの脱却」とは、「みっともない憲法」を否定し、内閣総理大臣である自分を憲法より上位に置くことを意味しているようです。


                   

                  その際、最も障害になるのが彼を批判する言論です。マスメディアは保身のために自己規制するので圧力をかけるまでもありません。厄介なのは、体制の外にいる少数のジャーナリストやミュージシャン、学者、学生、元官僚たちです。彼らは憲法21条で保障されている表現の自由こそが独裁政治を防ぐ最後の砦だということがわかっている人々です。



                  それゆえ自民党は、彼らの表現活動を制約する目的で、憲法改正草案の第二項に「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」と追加しているのです。「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」かどうかを判断するのは権力の側だというわけです。戦前・戦中の表現の自由弾圧の歴史から何も学んでいません。ちなみに現行憲法と比較して自民党の憲法改正草案がすぐれていると思われる箇所は、一箇所もないというのが私の考えです。


                   

                  そんな折、昨日の国会で憲法21条の重要性を指摘した議員がいます。民主党の山尾志桜里議員です。山本太郎氏の追及を彷彿とさせる素晴らしいものでした。


                   

                  山尾議員の粘り強い質問に、答えに窮し、食ってかかる安倍首相。問題の箇所は20分あたりから。


                   

                  山尾議員に「表現の自由、精神的自由がなぜ経済的自由よりも優越されるのか」と問われ、安倍首相は次のように答えます。



                  「ま、いわば、表現の自由がですね、この優越的な地位であるということについてはですね、これは、まさにですね、えー、経済的な自由よりもですね、精神的自由がですね、優越をされるということであり、いわば、表現の自由が優越をしているということでありますが、いずれにせよ、ですね、それをですね、そうしたことを今、この予算委員会でですね、私にクイズのように聞くということ自体が、意味がないじゃあないですか。」と。

                   

                  「あなたはなぜそこまで無知なのか」と聞かれて「えー、まあ、いわば無知だからですね、無知だということであります」と答えているようなものです。全く答えになっていませんね。この返答ぶりは、無知というよりも日本語をまともに理解できないだけでなく、使うこともできない能力の持ち主であることを証明しています。これはネトウヨの特徴です。


                   

                  民主主義社会にとって致命的に重要である憲法21条の本質が分かっていないことを指摘されると、それを「クイズのように聞く」な!と言い張る総理大臣。さすがに現行憲法を「みっともない」と言う感性の持ち主だけのことはあります。

                   

                  | 政治 | 15:38 | comments(0) | - |
                  マスコミは圧力をかけられているのか?
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                    マスコミは安倍政権から圧力をかけられているという言い方は正確さを欠きます。安倍首相はマスコミ幹部、テレビのコメンテーター、政治評論家と頻繁に食事をしていますが、政治的な「圧力」をかけてはいないでしょう。かける必要もありません。


                     

                    なぜなら、自民一強のもとでは、食事をともにし、談笑し、同じ時間を過ごすことによって首相を批判しにくくさせるからです。食事会に出席している面々は、権力の頂点に立っている総理大臣と食事を共にすることが自分の価値を高め、影響力を強めると勘違いしている程度の人間たちです。批判精神など初めから持っていないのです。つまり、政治的「圧力」をかけるまでもなく、結果的にマスコミを統制できるのです。


                     

                    しかし、本質はもっと深いところにあります。安倍政権がマスコミに圧力をかけているという言い方は、日本のマスコミへの根本的な誤解、あるいは過大評価に基づいていると思います。なぜなら、これは日本のマスコミ(主に記者クラブに連なる新聞・テレビ)が欧米のような政府・財界から独立した機関であるという単純素朴な前提に立っているからです。「独立した言論機関」と思っているからこそ、権力に従順であることが「言論統制」あるいは「腐敗」と映るのです。


                     

                    日本の記者クラブ系マスコミは情報統制されなくても、圧力がかからなくても、自主規制するようにできています。前にも書きましたが、情報統制とは自主規制の異名に他なりません。元々彼らは権力から「独立」した機関などではありません。彼らは「統治機構」の一部であって、少数の例外を除けば、「統治される市民」の側に軸足を置いてなどいないのです。


                     

                    そもそも彼らが売るニュースという商品の原材料は、記者クラブというチャンネルから独占的・排他的に供給されています。そうした組織が権力から独立していると考えること自体が欺瞞に他なりません。マスコミの本質は営利を目的とした偽装された私企業なのです。


                     

                    その内実は、ごく一握りの偏差値上位校から社員や記者を採用し、それを終身雇用で囲い込み、横の人的交流もほとんどない閉鎖的な村社会に他なりません。社外のフリーランスの記者にニュースを書かせない「純血主義」を押し通しています。その人的母集団は政府や大企業といった「統治機構」とほぼ重なります。それはただ、同じ母集団の人間が「政府」に就職したか「企業」に就職したか「マスコミ」に就職したかの違いでしかありません。母集団としては「統治機構」側と同質なのです。


                     

                    企業体、人間的資質、所得階層としても、どう見ても「平均的な市民」ではありません。「統治機構」側にはるかに近いのです。にもかかわらず、日本の記者クラブ系マスコミは、権力から独立していると勘違いしたまま「マスコミは情報統制されている」「政府から圧力がある」「腐敗している」などと叫んでいます。


                     

                    もう一度言いますが、もともと同じ母集団に属し、組織的にも連続した集団、似たような人的集団、経済的にも近似した集団が政府、企業、マスコミと分かれているだけです。それゆえ、何もしなくても発想や行動が似てくるのです。このことは日本の教育システムとの関連で論じる必要がありますが、それはまた近いうちに。


                     

                    最後に素朴な質問をします。そもそも、日本は欧米的な定義を満たす民主主義国なのでしょうか? この問いにイエスと答えるためには、日本のマスコミが権力から独立している必要があります。しかし、これまで述べてきたように、独立していると勝手に思い込んでいるだけで、実態はお寒い限りです。だとすれば、「日本には欧米的な定義に合致する民主主義もないし、報道もない」という結論になります。要するに、日本のマスコミは、アメリカの一部支配層(いわゆるジャパンハンドラー)の掌の中で、民主主義ごっこを演じているお調子者の「猿」に過ぎないということです。


                     

                    遅ればせながら、敗戦後70年を経て、私たちの国が民主主義国家になれるのか、その意志があるのかが試される最後のチャンスがめぐってきました。マスコミが、「猿」であることを自覚できるラストチャンスでもあります。楽観的になることもなく、悲観的になることもなく、ないものはないと現実を冷静に見極めたいと思っています。猿回しの猿を演じることは、私にはどうにも我慢が出来ないからです。

                     

                    | 政治 | 00:27 | comments(0) | - |
                    自民党村の劣化が止まらない!
                    0

                      自民党村の劣化が止まりません。そこにダンスボーカルグループ「SPEED」のメンバーで沖縄出身の今井絵理子氏も加わるそうです。やれやれ。



                       
                      沖縄と言えば、島尻安伊子沖縄・北方担当相は9日、閣議後の記者会見で、北方四島の一つである歯舞(はぼまい)群島について発言する際に「歯舞」を読めず、言葉に詰まる場面があったそうです。

                       

                       

                       

                      島尻氏は昨年11月、北海道根室市を訪れて対岸の歯舞群島などを視察しています。北方担当相が「歯舞」が読めないのは、新製品の広告プレゼンテーションで商品名が読めないのと同じようなものですね。もっとも九州の川内原発をカワウチゲンパツと読んだ経産相もいましたから、これが自民党村の住人の学力なのでしょう。これからは島尻安伊子氏のことをシマケツ氏と呼ぶことにしましょう。

                       
                      そう思っていたところ、女子アナ出身の丸川珠代環境相が、七日、長野県松本市であった自民党の若林健太参院議員の集会で講演した際に「『反放射能派』というと変だが、どれだけ下げても心配だという人は世の中にいる。そういう人たちがワアワア騒いだ中で何の科学的根拠もなく、時の環境相が一ミリシーベルトまで下げると急に言った」と発言したそうです。これを九日の衆院予算委員会で指摘された丸川氏は発言の記憶がないとしながら「誤解を与えたなら、言葉足らずだったことはおわびする」と述べました。二日前の発言を覚えていない人でも大臣が務まるのですね。

                       


                       
                      年間被ばく線量限度を一ミリシーベルトとしたのは、「何の根拠もない」どころか、福島第一原発の事故後、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づき決められたものです。

                       


                      それにしてもドリル小渕優子氏といい、八紘一宇の三原じゅん子氏といい、大臣室で50万円もらうのが日常と化していた甘利氏、女性の家に合鍵を作って侵入し下着を盗んだパンツ高木こと、高木復興大臣。これではまるで安倍内閣の閣僚は、証拠隠滅と記憶喪失の犯罪者集団ではありませんか。まあ、村長が村長であるだけに、仕方ないのでしょうね。
                       


                       
                      そんな折、なんとあの厚化粧の魑魅魍魎(失礼!)総務大臣・高市早苗氏が「政治的に公平でない放送を続けたら(つまり言うこと聞かないと)電波止めるぞ」って脅しをかけてきました。あの厚化粧で言われたらこわ〜い。「政治的に公平」かどうかを決めるのは権力者の特権だと思っているようです。どうやら中国や北朝鮮にあこがれているようですね。この件については当ブログ『今さら言いたくもないけれど・・・』で詳しく述べています。


                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=95

                       



                      私は言葉尻(ことばケツと読みます)をとらえているのではありません。自民党村の住人のことば使いが余りに似通っているため、そこに村の本質が表れているのではないかと考えているだけです。
                       


                       
                      そういえば、住人のことば使いに、その村の伝統というか本質が現れるということで思い出したことがあります。私は学生時代に大阪・奈良・京都を転々としていたのですが、京都人は「イケズ」だと聞いていました。そこではじめて京都に住んだ時、観光客をよそおってこれを確かめてみようと思いました。以下はその時の会話。

                       

                       


                       
                      観光客「トリマル通りってどこでしょうか?」
                      イケズ京都人「はぁ? うち、トリマル通りやら、聞いたことおへんなぁ」
                      観光客、地図を出し「このトリマルマルフトマチ」に行きたいんです。
                      イケズ京都人「あんじょうお気張りやす。ほな、さいなら」


                      やっぱ京都人は、イケズやわ〜。お後がよろしいようで。



                      (注:烏丸通りはカラスマ通り、烏丸丸太町はカラスママルタマチと読みます。烏と鳥の区別がつかない人には、むつかしおすやろなぁ)
                       

                       

                      | 政治 | 16:03 | comments(0) | - |
                      今とても気になっていること
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                        2011年3月11日、東日本大震災が発生する2ヵ月前の2011年1月26日に、鹿児島県と宮崎県県境にある霧島連山の新燃岳が噴火しました。『死都日本』(石黒耀著:講談社)を読んでいた私は、いよいよ霧島連山の蠢動が始まったと思い、これから日本は火山の噴火と地震が多発し、想像を絶する災厄が訪れるかもしれないと友人に書き送りました。

                        万が一に備えて、この本を読むことをすすめます。人間が引き起こす戦争や内紛も、貧困な想像力と経済的利益を独占しようとする欲望が原因です。人間が最後に頼れるのは想像力しかありません。特に為政者にそれが欠落している時代には。サイドバーのRECOMMENDにも表示しています。



                         

                        その後2011年2月22日12時51分(現地時間)ニュージーランドのクライストチャーチでマグニチュード6.1地震が起こり、28名の日本人留学生の若者が犠牲となりました。この地震は1995兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)と同程度で最大速度と最大加速度は1928ガルと算出されています。

                        尚、現在、川内原発の基準地震動は540ガルから620ガルへと引き上げられて、新規制基準の適合第1号になっています。審査会合で九電の担当者は「乱暴な言い方をすれば、エイヤッと引き上げた」と説明しています。九電は「耐震強度に余裕がなくなる可能性もあったが、問題ないと確認した」とのことです。

                         

                        私は九電の担当者と違って頭が悪いのでしょう。「耐震強度に余裕がなくなる可能性もあったが、問題ないと確認した」という日本語がまったく理解できません。まあ、安倍総理と閣僚の答弁もこのたぐいなので、驚くにはあたらないのかもしれませんが。

                         

                        そして、ニュージーランドの地震から2週間あまりして、3・11が起こります。ニュージーランドの地震に対応しているのが、今回の台湾地震ではないでしょうか。さらに、新燃岳の噴火に対応しているのが今回の桜島の噴火だとすれば、何もかもが、3・11前と酷似しているのです。

                         

                        ちなみに、ロシアの英語圏向けメディア「RT」が、「日本の桜島が噴火しているが、原発から50kmしか離れていない」という記事を載せています。「なんという異常国家なのか」という含みを持たせて。

                         

                        それどころではありません。伊方原発は中央構造線のすぐそばにあります。四国電力は中央構造線断層帯を震源と想定した570ガルを基準地震動として安全審査を申請しましたが、了承されなかったために570ガルから650ガルに引き上げることを明らかにしました。ニュージーランドの地震は1928ガルでした。中央構造線が動けば、こんなものでは済まないでしょう。

                         

                        いまだに「原発で飯が食っていける」と信じている人々(これだけで彼らがいかにバカかがわかります。これ以上使用済み核燃料を増やしてどうするつもりでしょうか)が、ロシアン・ルーレットで国民の命をもてあそんでいるのです。経済と原発再稼動との利益は相反するという単純な事実は、まともな経済人なら皆分かっています。

                         

                        さて、私が今とても気になっていることを指摘して終わりにします。
                         

                        桜島に続いて、鹿児島・宮崎県境の霧島連山にある「えびの高原・硫黄山」で火山性微動が続いていることです。川内原発から、直線距離でわずか60〜70kmのところにある活火山です。硫黄山噴火の兆候については、去年の夏から報じられていました。秋になっても一向に消息の気配が見られず、とうとう最終段階にまで来てしまったようです。火山性微動が起こったことが、なぜ、重大なのか。それは、「噴火スタンバイ」の状況を示す重要なシグナルだからです。今は私の不安が杞憂に終わることを心から願っています。

                         

                        | 自然災害 | 13:37 | comments(0) | - |
                        紅茶とマドレーヌ
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                          午後のひととき、あなたは仕事の疲れをいやすために、素敵なティーカップで紅茶を飲んでいます。

                           

                           

                          そこにある人が紅茶に合うからと美味しそうなマドレーヌを用意してくれました。しかし、あなたはマドレーヌが好きではありません。

                           

                           

                          その旨告げると、相手は不機嫌になり、マドレーヌを半分にしてあなたのティーカップの中に落としたのです。相手の言い分は、紅茶はマドレーヌと一緒に飲んでこそ美味しいのだ、というものでした。
                           

                           

                          あなたは怒ります。これはもはや紅茶ではない。私が飲みたい紅茶は透明感のある、香り高い紅茶だったのだと主張します。これはどう見てもマドレーヌを勝手に入れた人が間違っています。
                           

                          にもかかわらず、二人は、マドレーヌを入れた紅茶は紅茶と言えるのか、という議論を始めます。

                           

                           

                          周囲の人はどこかおかしいと気づくはずです。相手の承諾もなく、マドレーヌを勝手に入れた人の行為が不問に付されているからです。
                           

                           

                          それでも取り巻きの見物人の中に、この「紅茶論争」こそが大事だと言い張る人が出てきて、それを周囲の人に広めます。しかし、この論争はいつまでたっても決着は着きません。あたりまえですね。

                           

                           

                          紅茶だけを味わいたいと思っていた人は、マドレーヌ入りの紅茶は紅茶ではないと考えます。それに対して、マドレーヌと一緒に飲んでこそ美味しいと思い込んでいる人は、これこそ紅茶を美味しく飲む方法だと主張しているのですから。
                           

                           

                          そうこうしているうちに、ティーカップに浮かんでいたマドレーヌは紅茶を吸って柔らかくなり、粉状になってカップの底に沈殿してしまいます。見た目はもとの紅茶のように透明です。そのうち、興味のなくなった周囲の人たちは、「紅茶論争」のことなど忘れてしまいます。
                           

                           

                          わが国の首相は、この「紅茶論争」を指して、「いまだ国民の理解が得られていない」「国民の皆様に分かるように、丁寧に説明していくつもりだ」と言いました。私はこれを聞いて一瞬耳を疑いました。ことばは悪いけれど、この人はバカではないかと思ったのです。
                           

                           

                          集団的自衛権は、わが国が「存立危機事態」に陥った時にのみ行使することができるとなっています。

                           

                           

                          「存立危機事態」とは簡単に言えば、生きるか死ぬかの瀬戸際ということです。しかし、よく考えてみれば、そのような状態でのみ行使される集団的自衛権とは集団的自衛権の名に値しません。
                           

                           

                          なぜなら、集団的自衛権とは「敵があなたを攻撃すれば、たとえ私を直接攻撃していなくても、それを広い意味での私への脅威とみなして、私もあなたと一緒になって敵と戦います」ということだからです。

                           

                           

                          それに次のような条件を付け加えたらどうでしょうか。「ただし、あなたと共に闘うのは、私が生きるか死ぬかの瀬戸際に立った時だけです」と。この条件こそが「存立危機事態」なのです。
                           

                           

                          これを、ご主人様であるアメリカに提案できるでしょうか。「お前が危ない時に、オレはお前を助けにいくんだぞ。オレを助けに来るのは、お前が生きるか死ぬかの時だけかよ!ふざけるんじゃねーよ!」となるのは、こどもでもわかることでしょう。
                           

                           

                          ここから逆に、集団的自衛権を導入した政治家や官僚の真の意図を読み取ることができます。それは集団的自衛権という「言葉」を使えるようにするためなのです。

                           

                           

                          「存立危機事態」という限定はどうにでも解釈できます。この国の政府は憲法ですら勝手に解釈し、普通の知能があれば、誰がどう読んでも間違いである解釈を「正解」にするのですから。
                           

                           

                          勝手に投げ込まれたマドレーヌは、その時は物議をかもしますが、しばらくすれば忘れられます。その事情を知らない人は言います。普通の紅茶と変わらないではないかと。しかし、飲んでみればわかります。それは本来の紅茶ではなく、脂の浮いたバター味の紅茶だということが。

                           

                          | 政治 | 12:31 | comments(0) | - |
                          良心的兵役拒否とロシア文学者・北御門二郎。
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                            学生時代、私はロシア語とロシア文学を学びました。アフターケアを怠って、今ではロシア語は簡単な挨拶を除けば、大部分は忘れてしまいました。それでもロシア文学の素晴らしさは、底抜けにお人よしのロシアの民衆とともに、私の心に深く刻まれています。

                             



                            夏休みになると決まってトルストイの『戦争と平和』を読みました。プーシキンや大好きなチェーホフ、そしてドストエフスキー。文学の素晴らしさを教えてくれたのも、これらの大作家や詩人たちでした。

                             



                            トルストイのことをいろいろと調べているうちに、北御門二郎氏に出会いました。極刑を覚悟のうえで、自らの信念に基づき徴兵拒否を行なった気骨の人でした。そして私は氏の生き方や考え方に大きな影響を受けたのです。

                             



                            画像は私の書斎にある北御門二郎氏が訳したトルストイ3部作です。晩年は、氏のように晴耕雨読の生活がしたいですね。ただし、強烈な反骨精神を内に秘めて。

                             





                            以下はみすず書房から出版された北御門二郎氏の『ある徴兵拒否者の歩み』の紹介文からの引用です。

                            引用開始



                            ― 著者は北御門二郎(1913-2004)。『アンナ・カレーニナ』『イワンの馬鹿』などの生き生きとした訳文で多くの読書人に愛されたトルストイ翻訳家です。

                             


                            熊本のギリシャ正教の家庭に育った北御門は、旧制高校時代にトルストイと出会い魂を震撼させられました。「トルストイを原文で読むため」にロシア語の習得を立志し、東大英文科に在籍しながら、ロシア語を学ぶためにハルビンに渡りました。そこで知った日本軍の残虐行為に戦慄を覚えた北御門は、トルストイが提唱した絶対平和主義を実践するべく帰国後の日本で徴兵拒否を敢然と行ない、“公然反逆者”という烙印を捺されることとなったのです。



                            戦争傍観者となり、熊本の山村から戦渦を見つめ続けた青年時代。「誰よりもトルストイの気持がわかる」という矜持からロシア文学の大家に論争を挑み、訳業の道を歩んだ壮年時代。そして、憲法9条を反古にしようとする翼賛的な政治家の言動に心を痛め、それでもなお“殺しあわない世界”の実現を希求し続けた老年時代。その生涯をつづった本書には、ファシズムが蔓延する当時の時代状況においても、自らの良心にしたがい行動する北御門の強靭な精神力が描かれます。
                             


                            国中が戦争という「殺し合い」を是認し、侵略や残虐行為を繰り返す日本軍の「躍進」に沸きたつなか、独り絶対平和主義を貫くことの困難さは想像を絶します。本書は、トルストイに導かれた北御門の真率なる歩み−もう一つの戦争体験−を知る好機となるのではないでしょうか。

                            引用終わり

                             



                            良心的兵役拒否の権利とは、絶対的な平和を正義の不可欠の条件と見なしている人に、その価値観を尊重して兵役を拒否することを許すことです。たとえば、2011年まで徴兵制を持っていたドイツでは、この権利を制度化していました。
                             

                             


                            ただし、その権利を行使した者には、必ず代替的な役務が課せられます。拒否権が乱用され、兵役逃れに使われないためです。代替的役務は、兵役そのものと同じくらいリスクが大きく、骨の折れるものでなくてはなりません。災害被災地での救助活動とか、非武装の看護兵などです。兵役と同じくらい困難で、命の危険にさらされますが、これを引き受ければ、自分の良心に反して、戦争に参加して人を殺すという精神的な苦痛からは解放されるのです。日本も憲法9条を純化させ、国家的規模で良心的兵役拒否権を行使し、代替的役務を引き受ければよいのです。

                             



                            非暴力・不服従といえばガンジーを思い出す人も多いでしょうが、日本にも北御門氏のような人間がいたのです。私は絶対平和主義こそが、日本が高く掲げるに値するものだと考えています。
                             

                             


                            以上述べた観点から、国を守るためと称して軍備を増強し、アメリカの属国となって戦争にのめり込むことに道を開いた安倍首相とその取り巻きの言説が、こどもじみた屁理屈に過ぎないことが分かります。

                             

                             

                             

                            戦争になった時には一兵卒として自らが前線に行くことを宣言する政治家もいなければ、良心的兵役拒否の権利があることを国民に教える政治家もいません。彼らはリアリストの仮面をかぶっていますが、自ら戦場に赴くこともなければ、兵役を拒否する勇気もない、単なるヘタレに過ぎないのです。
                             

                             

                            | この人を見よ! | 14:01 | comments(0) | - |
                            ハイネマンのEasy Reader シリーズを読もう
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                              画像は塾の教室に置いてあるハイネマンのEasy Reader シリーズです。ロンドンの書店から取り寄せました。中学生の英語力があればどんどん読める内容です。ミステリーあり、動物との交流ありで、興味の赴くままに読めます。中学校卒業までに100冊読めれば、英語力の基礎は十分につきます。

                              文法的に正確に読めているか心配だという生徒さんには次のように言います。「正確に読もうとして、1〜2冊読んで息切れするのがいいのか、ストーリーに引き込まれてどんどん読むのがいいか、考えてごらん。Easy Reader シリーズはとにかく次から次に読むことで、英語の読書力をつけるためのものだよ。どんなに正確に読んでも1〜2冊で息切れするのは「勉強」しようと思っているからだ。「役に立つのか」と考えているのなら、このシリーズを読むことはやめたほうがいいね。そもそも「役に立つのか、立たないのか」という発想で読むこと自体、受験勉強に毒され過ぎている。面白いから読む、これに尽きるね。このレベルでは、どんどん読めるということが、何よりも読めている証拠なんだよ。」と。
                               

                              私がここで述べたことは、受験勉強をどうとらえるかという点で、きわめて象徴的です。塾を始めた当初、私はすぐにあることに気づきました。ひとことで言えば、塾という存在が持っている負の側面です。
                               

                              その時、今後はいわゆる学歴を支える「裏の学歴」として塾は猖獗を極め、やがてこの国の知性の偏在をもたらし、教育を公共財だとする考え方を一蹴するようになるだろうと予想しました。つまり教育の成果は自己利益の最大化に奉仕するのが当然だとする社会通念がこの国をおおってしまうだろうと考えたのです。
                               

                              塾を生業としている以上、それを批判的に見るのは精神的に辛いものがあります。それでも、長期的に見て、塾がもたらすマイナス面を自覚しないわけにはいきませんでした。いわゆる「学力」をつけることを連呼すればするほど、中身は問われずに済みます。「学力」が自己目的化するのです。
                               

                              かくして、「学力」をつけることは、勉強という苦役と引き換えに社会的・経済的に優位な地位を手に入れるための商取引の性格を帯びてきたのです。そうなれば経済的に裕福な家庭や、文化資本(例えば、親がマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでいるような家庭)を豊かに持っている一部の層に有利な社会構造が出来上がり、その結果、社会階層の固定化が起こります。すでにそうなっています。しかし、社会が流動性を失い、知性が多様性を失えば、その社会は根元から腐り、やがては瓦解するのです。
                               

                              そこで、11年前、ホームページを作っている塾などほとんどない時期に、何とかホームページを立ち上げ、自分の考えを発信することにしたのです。もちろん、スマホなどなかった時代です。

                              そして、皮肉なことに、最初に書いたのが

                              「学力低下は塾のせい」だったのです。
                              http://www.segmirai.jp/essay_library/essay001.html

                              その後、
                              「学力低下は塾のせい−part2」
                              http://www.segmirai.jp/essay_library/essay006.html

                              「『お受験キッズ誌』の下品さについて」
                              http://www.segmirai.jp/essay_library/essay016.html

                              「驚くべき教育格差−中学受験の意味するもの」
                              http://www.segmirai.jp/essay_library/essay029.html

                              を書きました。詳細は『未来塾通信』をご覧ください。
                               

                              私の予想はことごとく現実のものとなり、3・11の福島第一原子力発電所の事故となって結実しました。今後、私たちの社会がどこへ向かうのか、どうすれば破局を防げるのかを、周縁の塾の現場から考えて行きたいと思います。

                              何より、こどもたちの人生が多様で、彩に満ちたものになることを願う親御さんたちに、中央一極集中型の塾がもたらす影響を考えていただきたいと思います。そして、それほど勉強せずとも抜群の成績を収める頭脳明晰なこどもたちの集団に、自分のこどもを入れようとすることが、どれほど間違った不毛な人生を歩ませることになるかを想像していただきたいのです。ゲーテも『西東詩集』の中で言っています。「地上の子らの幸せは、何になってもいいから、自分が自分であるところのものを失わないことだ」と。

                              | 中高生の皆さんへ | 16:01 | comments(0) | - |
                              英文の素読
                              0

                                小学校6年生の英語の授業の続きです。初歩の段階で、英語のスペルと発音の法則を教えます。約100のルールを教えた後、こどもたちは自力で英語を読んだり書いたりすることができるようになります。私はこれを30年以上前からやっています。ここ10年ほど、フォニックスなどと銘打って注目されていますが、英語の初学者には是非教えなければなりません。これを学校で1年間やれば、英語が苦手なこどもは劇的に減るでしょう。塾であれ学校であれ、やることが遅すぎるし、ピントがずれています。
                                 

                                さて、発音のルールを覚えた後は、身の回りのものを英語で言う訓練をします。ボキャビュラリー・ビルディングの開始です。「先生、これを英語で何と言うの?」という質問が教室を飛び交うようになります。
                                 

                                そうです。この「先生、これを英語で何と言うの?」という質問こそが英語学習の王道なのです。単語に始まり、簡単な会話、文章へと広がります。この質問を発することを忘れない限り、英語力は伸び続けます。英語の教師は生徒から発せられるこの質問のためにノイローゼになるくらいでなくてはだめです。
                                 

                                同時に辞書の引き方を教え、簡単な本を与えて音読に入ります。私の塾では『The Tale of PETER RABBIT』を使っています。前回のブログにアップしたのはその写真です。絵もかわいいですし、暗記するにはもってこいの教材です。イギリスの湖水地方にあるBeatrix Potterさんの家を訪ねたことを思い出しながら、こどもたちに読んで聞かせています。

                                イギリスの湖水地方ヒルトップにあるBeatrix Potterさんの家



                                ちょっと太り気味のピーター



                                以下は、ビアトリクス・ポターの資料を展示する資料館で、建物はポターが経営したイギリスの湖水地方国立公園にあるヒル・トップ農場を、埼玉県こども動物自然公園内の敷地内に忠実に再現し、20064月に開館したものです。

                                And rushed into the tool-shed, and jumped into a can. It would have been a beautiful thing to hide in, if it had not had so much water in it.
                                 

                                この第2文は仮定法過去完了と呼ばれる動詞の形が使われていて、むずかしく思われがちですが、そんなことはありません。「以前、ああしておけばよかったなあ、そうすれば〜できたのに!と思うようなことがあるだろう?それを日本語で、どんどん発表してみて」と問いかけます。すると、最初は考えていたこどもたちも口々に発表し始めます。

                                「もっとまじめに練習していたら、〜に(サッカーチームの名前)に勝ってたかも」「ちゃんと勉強していたら、100点取れていたかも」という真面目なものから「父ちゃんが不倫せんやったら、母ちゃんも別れんやったかも」「もっとうまく万引きしていたら、警察につかまらんで済んだかも」「近道せんやったら、事故にあわんやったのに」「毒ヘビにかまれていたら、今頃死んでいたかも」といった、想像力をたくましくしたものまで様々です。

                                ここで、こどもたちに道徳の枠をはめてはなりません。自由にどんどん発表させます。日本人も英語国民も同じことを考えたり感じたりしていて、それに対応する言い方があるのだと気づかせるのが目的だからです。
                                 

                                And tried to put his foot upon Peter, who jumped out of a window, upsetting three plants.
                                 

                                下線部は、関係代名詞の非制限的用法と分詞構文と呼ばれるものですが、「きのうマサトに会ったけど、ひざから血を出していたよ」「昨日ユミに会ったけど、髪を切ってスカートをはいてたよ」というような文を日本語で作ってみよう、と教えます。分詞構文も同様です。つまり、英語の流れを断ち切らず、左から右に読みながら、必要な情報を付け加えていくリズムを理解させるのです。
                                 

                                日本人は寺子屋などを通じて、漢文の素読を教育に取り入れていました。これは洞察力に富んだ素晴らしい教育方法です。意味もわからずに読ませるのは非効率だ、ナンセンスだという意見は、近代人のいかにも陥りそうな陥穽です。ことばには音声とリズムがあります。それを通じて立ち現われてくる姿があります。言霊と言ってもいいものですね。音読はこどもたちの感性に、すなわち魂に訴える方法なのです。

                                | 英語教育 | 14:02 | comments(0) | - |
                                小学生の英語の授業風景ーその1
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                                  ブログの読者の方から、塾の授業内容を紹介して下さいとのメールをいただきました。もっともですね。私は塾教師なのですから、やはりそれを一番にしたいのです。ただ小学校5年生から高校3年生までを教えているので、すべての内容を紹介するわけにはいきません。でもこれからは徐々に紹介していこうと思います。

                                  今回は小学校6年生の英語クラスの授業内容をごく簡単に紹介します。英語の勉強は小学校5年生からで十分間に合います。これは私の英語教師33年間の経験から断言できます。

                                  授業内容は大きく分けて3つの柱から構成されています。

                                  1:発音の基礎
                                  2:語彙の習得
                                  3:読んで楽しい英語の本をまるまる1冊暗記すること。

                                  これは生徒さんが親になった時、こどもに読んで聞かせることができるように、との考えから取り入れています。そもそも、中学卒業までに、あるいは高校卒業までに英語の小説(200ページくらいのペーパーバック)を1冊も読んだことがないというのは、余りに悲しいことです。読書とは読みながら泣いたり、笑ったり、怒ったりすることで感情や想像力を豊かにする行為ですからね。

                                  現在の6年生は以下のテキストをスラスラ読めるようになっています。教科書や問題集しかやったことのない人には、抵抗があるかもしれません。高校で習う文法事項も入っていますが、最も優れた英語の教材は、「あるがままの英語」なのです。









                                   
                                  小学生の時期は、受験など意識せずに、のびのびと英語を勉強できるまたとない時期です。そもそも小学生のころから中学受験に特化した勉強をさせるのは、こどもの成長にとって、百害あって一利なしです。学習内容に枠をはめて、それ以外の世界を見えなくさせるからです。当ブログで紹介した『天才少女の発明がカエルをU字溝から救う!?』をご覧ください。


                                  http://dot.asahi.com/dot/2015050800037.html

                                  四谷大塚のテキストを使って、中学受験を目指したり、塾の上野丘・舞鶴コースに通わせたりするのは、周囲の同調圧力に屈しているだけで、完全に時代遅れです。自宅で進研ゼミをやった方がはるかにマシです。それすらできないこどものために、進研ゼミをやらせる塾もあります。いやはや、なんでもありです。こどもの内発性を奪う装置には事欠かない世の中だということを親が自覚しなければ、こどもは輪郭を失い、透明人間になって異郷をさ迷うことになるかもしれません。
                                   

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