この二人の発想は酷似しています。「憲法に指一本触れてはならない」=「9条教の信者」というわけです。レベルの低い空想上の論敵を作り、それをこきおろす手法は、自らのバカさ加減をさらすだけです。この種の劣化した知性と感情がどこに由来するのかといえば、敗戦の事実を遡及的に無効化したいという願望です。つまり、日本は戦争に負けていないと思い込みたいのです。これは頭の悪いガキの発想です(品のない言い方ですが相手に合わせるとついこうなってしまいます。お見逃し下さい)。そうなると歴史を捏造することを何とも思わなくなります。
アメリカに負けたことは認めても、中国や韓国や北朝鮮に対して負けたとは思っていないのです(たしかに、朝鮮半島は植民地化されていましたから、戦争の相手ではありませんでした。しかし、反植民地闘争という点から見ると、韓国や北朝鮮は日本に勝ったという意識を持っています)。そのため、これらの国々が、特に中国が靖国問題などを巡って、戦勝国としてふるまうと、一部の日本人は激怒するのです。しかし、忘れてならないのは、中国はポツダム宣言にも参加している戦勝国だということです。
それでも、アメリカに負けたことは認めざるを得ません。この事実をも否定しようとすれば、国民的規模でのアクロバティックな心理操作が必要になります。ところが、日本はそれをもやってのけたのです。日本人はアメリカを「救世主」とみなすことで、敗戦を否認したのです。アメリカはわれわれを救ってくれた、解放してくれたというわけです。しかし、一体何から解放し、救ってくれたのでしょうか。
敗戦という歴史的事実にしっかり向き合うことをしなかったために、日本はいまだに敗戦を乗り越えることができないでいます。白井聡氏が言う「永続敗戦」状態が続いているのです。これが重い鉄のフタとなって日本人の、特に若者の精神的自立を妨げていると言えば、おおげさに聞こえるでしょうか。
歴史的事実にしっかり向き合うということでいえば、2月25日の報道ステーションが特集で岸総理(晋三ぼっちゃまのおじいさんです)時代の憲法調査会の数十時間に及ぶ肉声テープが発見されたと報じていました。その中で、憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明しました。「憲法がGHQによる押し付け憲法というのは、当時の国民、議会人に対する侮辱」だと木村草太氏が述べていますが、その通りだと思います。
しかし、そもそも、「押し付け」だと感じていた、いや、感じているのは誰でしょう。この国を破局に導いた戦争責任者とその末裔たちであり、戦前の国家神道体制の復活を画策する勢力ではないでしょうか。それに加えて、すべての価値が相対主義の波に洗われる社会で、内面の空洞をかかえこんだ弱虫たちが国家という絶対的な価値観にすがろうとしてこの動きに呼応しているのです(私が大分市にあるY田ゼミ塾長氏を批判したのもこれが理由です)。
戦争で多くの係累を死なせ、他国の民を死に追いやり、食糧不足と病気で死んでいった若き兵士の無念さを思えば、国民の多くは戦争放棄を謳う憲法を「押し付け」だと感じていたはずがありません。「押しつけ憲法論こそ思考停止」なのです。
もう一つこの番組で印象に残った事があります。それは憲法調査会の会長である高柳氏が「第9条はユートピアであると見えるかもしれないが、戦争放棄を普遍ならしめるということでなければ人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。第9条は一つの政治的宣言であると解釈すべきである。」と述べていたことです。この発言こそ、私が『憲法九条を蘇生させるために』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=119で述べたことそのものです。
以下、その3に続く。