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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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 (JUGEMレビュー »)

安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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日本列島の全原発が危ない! 広瀬隆 白熱授業  DAYS JAPAN(デイズジャパン)2018年1月号増刊号
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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英語教育に携わる人は、一度この本を読んでみるべきではないでしょうか。言葉は悪いですが「英語ばか」がこの国には余りにも多すぎる気がします。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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りぼん・ぷろじぇくと
難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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戦争を準備するのは私たち国民である
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    戦争は起こるべくして起こります。そして国家がいざ戦争に突入すれば、もはや誰も反対することはできません。もちろん戦争の形も従来の国家対国家という枠組みを超えて、まるで人類の宿痾のごとく世界中に広がっています。
     

    それをくい止める方法はないのでしょうか。戦争は南の海で熱帯低気圧が台風に変わるように、自然現象として起こるわけではありません。戦争を起こす主体があるのです。
     

    それは国民である私たち自身です。事ここに至っても(具体的な事例は枚挙にいとまがありません)、現政権を支持する国民がいるのです。とにかく腐っても自民党を支持する層と、組織のしがらみに魂ごと絡めとられて人格が空洞化した人々です。人格がないのですから、あぜんとする経済理論を振り回す者もいれば、選挙に勝つためには捏造や利益誘導も平気でやります。そして、ついにはこの国の近代史そのものを捏造するに至ったのです。

     

    ある国民なり集団が、なだれをうって戦争へとのめり込んでいくのは、そこで生きている人間たちの生き方や考え方が徐々に集積されて、ある臨界点を超えた時です。国民の集合的な無意識が膨れ上がって悪魔に魂を売り渡すのです。何だかオカルトめいてきましたが、これが真相です。
     

    戦争に反対する、という言い方は余りに抽象的で、現実的な力を持ちません。変な言い方ですが、戦争が悪いわけではありません。戦争になればもはや手遅れです。私たちが目を向けなければならないのは、戦争を胚胎した社会とはどのようなものか、それを自覚することです。戦争の前段階で、何が起こるのか。その具体的な現象を批判しなければならないのです。
     

    言論の自由が抑圧され、格差が拡大され、近隣諸国の脅威を煽る言説が流布され、メディアが政権の意向に沿った報道をするようになります。私たちが敗戦から学んだ象徴としての憲法九条をみっともないと言いだします。そして憲法そのものの廃棄をたくらむのです。
     

    そのことを2004年の段階で、警告していた絵本があります。『戦争のつくり方』という絵本です。それをアニメにして紹介したのが以下の画像です。もう一度言いますが、戦争の準備をするのは私たち国民一人一人です。したがって、戦争を批判する矢は私たち自身に向けても放たれなくてはなりません。


     

    | 戦争・南スーダン | 12:24 | comments(0) | - |
    こどもを撃つことができるのか?
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      本日2016年3月29日、安保法が施行されました。

      私にはことばがありません。ただ自衛隊員の皆さんに問いたい。あなたは「こどもを撃つことができるのか?」と。

       


      2004年の米軍によるファル−ジャ攻撃では700人以上が殺され、2回目のファル−ジャ総攻撃では行方不明者は3000人に及び、6000人もの住民が殺されたと言われています。中には白旗を握りしめたままで発見された少年の遺体もあったそうです。


       


      米軍の交戦規定は毎日のように変わりました。攻撃されていなくても不審な人物と思ったら発砲してよし。不安を感じたら発砲してよし。目が合えば発砲してよし。イスラム教徒の衣装をまとっているものは敵対しているとみなして撃ってよし。路上にいるものはすべて敵の戦闘員とみなせ。息をしているもの、動いているものはすべて撃て。これが米軍の交戦規定であり、戦場です。自衛隊が米軍とともに行動すれば、無辜の市民やこどもを撃つようになります。

       



      それは誰のためなのか?何を守るためなのか?そして、命令を下すのは誰なのか?
      これは私たちにも突きつけられている問いです。

       


       

      以下の動画を見て下さい。戦争で母親を亡くしたこどもが求めているのは、母親のふところに抱かれて眠るという、ただそれだけのことなのです。こんなこどもを増やすことに私たちは手を貸してはなりません。
       


       

      | 戦争・南スーダン | 23:44 | comments(0) | - |
      私たちはどちらの側に立つのか
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        私たちはどちらの側に立って生きていくべきか。現代ほどそれが問われている時代はないと思います。単純な二項対立ではありません。苦汁を舐め、絶望を経験した後の二項対立です。
         

        3・11以前は、いずれ覚める夢だとしても、経済成長という夢にすがっていればよかった。しかし、幸か不幸か私たちはこの国の根幹を揺るがす未曾有の災厄に遭遇したのです。日が経つにつれてその本質は人災であることが明らかになりました。夢から覚めて、苦い後悔とともにはっきりと自分の生き方を選択せざるを得ない時代を私たちは生きています。日々の暮らしの中のささいな選択も、自覚的でなければ、自分のものではない誰かの人生を生きることになります。

        福島の原発事故を歴史的展望の中に置いて検証した日本国民必読の書。事実を丁寧にフォローし、事実をして語らしめる。読み終わった後、深いため息をつかずにはおれない。わずか50年の歴史をさかのぼることすらできないこの国の学会やマスメディア、ジャーナリズム。いかに頼りないように見えても、私たちは自分の足で立つしかないことを思い知らされます。寄らば大樹の陰の時代は終わったのです。


         

        来るべき夏の参議院選挙の争点は単純明快です。私たちは以下に述べる二つのどちらの側に立つのかということです。
         

        第一の立場:関西経済連合会の角和夫副会長(阪急電鉄会長)や関西電力の八木誠社長の立場。
         

        彼らは関西電力高浜原発3,4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定について次のように述べています。
         

        角和夫氏「なぜ一地裁の裁判官によって、国のエネルギー政策に支障をきたすことが起きるのか」「こういうことができないよう、速やかな法改正を望む」「憤りを超えて怒りを覚える」と発言。
         

        角氏は自分の言っていることが分かっているのでしょうか。私利私欲に目がくらみ、国が決めた政策を絶対視する経済界の単なる一私人が、その立場を忘れて、憲法で保障された三権分立を否定しているのです。関西経済界のドンと言われて何か勘違いしているのでしょう。人格が空洞化したネトウヨの皆さんが自我を国家に重ねて肥大化させたのと同じです。ドンにふさわしく自分の存在を大きく見せようとする小児病です。脱原発を一瞬叫んだ橋下徹が、さっさと方針を引っ込めたのも、角氏の側に付く方が有利だとそろばんをはじいたからです。
         

        八木誠氏「上級審で逆転勝訴した場合、(申し立てた住民への)損害賠償請求は検討の対象になりうる」と発言。
         

        これに対して関電広報室は「損害賠償については現時点では何も決まっていない。今回の申立人を恫喝したり、牽制したりする目的で申し上げたものではない」との談話を出しました。関電広報室は八木氏の発言が「恫喝」であり「牽制」であると認識しているからこそ、このことばを使ったのです。八木氏の発言の真意(恫喝と牽制)を解説し、それを否定することで結果的に重ねて「恫喝」し「牽制」したのです。
         

        これぞ「スラップ訴訟」と呼ばれるもので、米国では50州のうち25州にSLAPP被害を防止する法律があります。SLAPPとはstrategic lawsuit against public participation の略です。文字どおり「市民参加を排除するための戦略的訴訟」を意味します。詳しくはウィキペディアをご覧ください。なお、八木氏の発言を支持し、関電は決然として原告住民を訴えるべきだというケーザイヒョーロンカの池田信夫のような人もいます。
         

        以上要するに、国民が働いて蓄積した富を、権力にものを言わせて独占し、国民のいのちと暮らし、この国の文化や歴史や自然、さらには国土をも犠牲にしてかまわないと考える立場です。
         

        第二の立場:2014年の春、大飯原発3、4号機の運転差し止めを求めた訴訟で、福井地裁の樋口英明裁判長が下した判決の立場。
         

        「被告(関西電力)は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。
        被告の主張においても、本件原発の稼働停止による不都合は電力供給の安定性、コストの問題にとどまっている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」
         

        以上述べた二つの立場のうち、私たちはどちらの側に立つのか。難しい選択ではありません。当ブログ『バカじゃねえのか!この国は』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=132
        の中の樽川和也さんの言葉が全てを表しています。樽川さんの言葉を無視する立場に立つのか、それとも共感する立場に立つのかということです。それを選択することこそが今度の選挙の意味です。

        | 原発 | 23:09 | comments(0) | - |
        童話館ぶっくくらぶ
        0
          私には二人の娘がいます。孫が誕生して1歳になった頃から、小学校に入学するまで、私はそれぞれの家庭に毎月2冊ずつ絵本を送り続けました。娘の家に遊びに行った時、書棚を見ると絵本でいっぱいになっていました。先日も、ちょうど本が送られてきたばかりで、孫はうれしそうに開封して読みはじめました。ある時は食卓の椅子に座って、ある時は膝の上に抱っこして読んで聞かせました。


          私が孫に送り続けた本は『童話館ぶっくくらぶ』http://www.douwakan.co.jp/ehon-no-aru-kosodate/から郵送していただいたものです。毎月の費用は2,000円から3,000円以内です。童話館は大浦天主堂のすぐ近くにあります。春休みに家族で長崎まで旅行してはいかがでしょうか。







          現在は、お父さんもお母さんも働いている家庭が大部分です。企業社会は大なり小なり結果が求められる競争社会です。「結果にコミットする」というキャッチフレーズがはやるわけですね。それは、人間の思考や行動をある目的達成のための手段にすることを意味します。しかし、ある限定された場所でしか通用しない考え方を、絶対的な価値として内面化してしまうと、そういう発想からなかなか抜け出ることができなくなります。


          今の働き方は人としておかしい、限界を超えていると思っていても、それを口に出すことはできません。これが企業社会の現実だ、みんな我慢して耐えているのだ、一人だけ弱音を吐くわけにはいかない、と自分に言い聞かせて踏ん張っているのです。


          しかし、こういった考えを疑いもせず、それを前提にしてこどもに接すると、こどもの魂はひどく傷つくか、委縮してしまって、将来に希望を持てなくなってしまいます。こどもたちにとってはその瞬間が、今日という一日が、世界のすべてなのです。その一日は何かを実現するための手段として存在しているわけではありません。


          例えば、ある男性が妻に先立たれたとします。その日から男性はこどもの面倒を見なければならなくなります。それまで協力しあって子育てをしていたとしても、妻のやっていたことをすべてやることはできません。掃除洗濯、遠足や運動会のお弁当作り、日課表や宿題の点検、ご近所付き合い、こどもの具合が悪くなれば病院へ連れて行かねばなりません。ここに挙げることはとうていできないほどの「負担」がかかってきます。


          そして何より、こどもと一緒にいる時間を作らなければなりません。取りとめのない話をしながら、最近ちょっと表情が暗いけど学校で何かあったのだろうか、と心配もしなければなりません。そして、企業社会で骨の髄までしみ込ませた「結果を求める」発想が、日々の生活の中では役に立たないどころか、障害になっていることに気づくのです。


          なぜなら、こどもと過ごす時間こそが生活そのものであり、人生そのもののはずだからです。こどもの世話を「負担」に感じるということは、企業人としての発想から抜け出ていないということです。逆にいえば、
          こどもと一緒に生活することで、企業人としての生き方を見直すことができる、そういう通路が目の前に開けるのではないでしょうか。


          かけがえのない時間をいっしょに過ごさずに、前回書いた『速脳速読教室』や、あれやこれやの手を使って売り上げを伸ばそうとしている塾にこどもを預けるのは、体のいい子捨てに他なりません。その対極にあるのが、お母さんやお父さんによる絵本の読み聞かせです。こどもを抱いて読み聞かせをしている親の姿ほどほほえましくて、人の心を打つものはありません。こどもをパソコンの前に座らせて、眼球運動と脳を連動させるべく怪しい理論の信奉者に育て上げることは、勉強に名を借りた一種の虐待に近いと思います。



           
          | 塾・学力 | 16:17 | comments(0) | - |
          こんな塾にだけはしたくない!
          0

            長年塾をやってきましたが、以下に述べるように、こんな塾にだけはしたくない、という思いが私を支えてきたのだと思います。いや、したくないというより、できないのです。私の「ビジネスマン」としての限界でしょうね。それは以下のような塾です。


             

            教室でこどもたちがパソコンに向かい、眼球を上下左右斜めにすばやく動かし、画面の図表や文章を読み取り、「はい!読みとれました!」と元気よく手を挙げています。それに対して講師が「お〜、○○君すごい!1分で4000字読み取れたね!やればできるじゃん!この調子で頑張ろう!」などと叫んでいる塾です。


             

            いわゆる『速脳速読教室』です。この名称がすごいですね。速読はまだ理解できますが「速脳」って何のことでしょう。パソコンの変換キーを押しても「即納」しか出てきません。パソコンの方がまだエライ!反知性主義どころの話ではないのです。それでも、この業界は物量作戦(ウソも百回言えば真実になる)を展開し、おそらく、テレビコマーシャルも始めることでしょう。


             

            当ブログで『「速読」を売りにする塾はインチキである』を書いたのは、保護者の皆さんに目を覚ましてほしいと思ったからです。少子化と過当競争で、塾は生き残りをかけてなりふり構わぬ「集客作戦」を展開しています。独自の教育方針も経営方針もない塾は、付加価値をつけようと新奇なもの、効率的で成績上昇に即効性があるように見えるものを求めます。それが『速脳速読教室』です。


             

            例えば、「頭痛にすぐ効くジンクピリチオン配合の新薬発売!効果は実証済み。感謝の声続々!」と聞けば、頭痛がひどい時には飲んでみようかな、と考えます。特に「効果は実証済み。感謝の声続々!」というフレーズが効くようです。私のようなひねくれ者はこのフレーズを見ただけでウソだと判断します。ジンクピリチオン配合と聞けば、なんだか分からなくても、頭痛に効きそうな気がしてくるところが怖い。ちなみに、ジンクピリチオンは抗菌剤や防腐剤として主にシャンプーや化粧品に添加されるものです。


             

            私が『速脳速読教室』のホームページを見て特に問題だと感じたのは、第一に速読は万能で「いいことしかないんです」と断言していることです。第二に小学校低学年のこどもにも「受験速読」がさもすばらしいように宣伝し、「顧客」として取り込もうとしていることです。

             

            大分市にも『日本速脳速読協会』に加盟している塾があります。http://www.sokunousokudoku.net/class/pref44.html
             

            たとえば協会に加盟している大分の塾のホームページには次のように書かれています。

             

            「(受験速読には)具体的には、以下のようなメリットがあります。
             
             ・内容理解度は落ちない。
             ・記憶量は落ちない。
             ・文章の面白さも味わえる。
             ・でも速く読める。
             ・でもストレスや疲労は感じない。
             

            いいことしかないんです
            トレーニングの取り組みによっては、これまでの十倍以上速くなるかもしれません。
            つまり、読むことにかける時間が十分の一になるということです。夢のようですが、実現できます。」


             

            こういった塾の塾長や講師に、新書を一冊手渡し、「これを5分で読んで批判して下さい」とお願いしてみてはどうでしょうか。自分ができないことを人に教えることはできません。自分が理解していないことを教えることもできません。


            速読をこどもたちに推奨する人は、自分で苦しみながらやる、自分で深く考える、自分の意思で行動する、すなわち自分の人生を作り上げる機会を子供たちから奪っていることに痛みを感じないのでしょうか。

             

            こどもたちをパソコンの前に座らせて、眼球を速く動かし、時間を節約することで抜きんでた能力を手に入れることができると、本気で思っているのでしょうか。こどもたちのロボット化を推進することで、「正当な対価」を手に入れ「社会貢献」しているつもりなのでしょう。何とも低レベルの経営者たちです。バカな塾経営者が何をしようと勝手ですが、私はこういった塾の経営者にはなりませんし、講師を務めることも絶対にしません。



            さらに、日本速読協会の本部のホームページには、村上春樹氏の『羊をめぐる冒険』を5分で読んだと自慢している人も出ています。村上氏はメタファーの達人です。彼の小説をプロットだけ追って読んだり、情報収集のために読むなど、ギャグ以外の何物でもありません。それで村上氏の小説を「読んだ」などといえるのでしょうか。長くなるので、第二の、速読がこどもに及ぼす影響は次回に譲ります。

             

            ちなみに自分のこどもに速読をやらせてみようと考えている保護者の皆さんには以下の記事を読むことをお勧めします。それでもやらせたいというのであれば、いやなことばですが、自己責任でどうぞ、と言うしかありません。

             

            「速読はデメリットだらけだということをわかっていますか」
            http://livelognet.com/fast-reading-demerit/

            「速読が実は不可能だと科学が実証」
            http://news.livedoor.com/article/detail/11198963/



            追記:今日の夕方、テレビを見ていたら、驚いたことに 『日本速脳速読協会』のテレビコマーシャルが流れていました。塾を始めて今日まで、私が予測したことが次々に現実化しています。


            未来塾通信29『驚くべき教育格差』http://www.segmirai.jp/essay_library/essay029.html の最後で述べたことも現実のものとなりました。暇があったらお読みください。
             

            | 中高生の皆さんへ | 00:25 | comments(0) | - |
            絶品の桜餅
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              学生時代は京都・奈良で暮らし、結婚してからは奈良に住んでいました。父が急逝して大分に帰るまで、関西には10年近く住んでいたことになります。
               

              つましい暮らしの中、時たま妻と古寺巡礼に出かけ、ついでに老舗の菓子舗を「巡礼」しました。松江や金沢、京都には本当に美味しい和菓子があります。洋風ケーキはどんなに美味しいと評判のものを食べても、それほど美味しいと思いませんでした。生クリームやトッピングで勝負しているからでしょうか。チョコレートも同様です。私の味覚が鈍いせいでしょう。練り物の限界が見えてしまうのです。
               

              そこにいくと和菓子は旬の素材に工夫をこらし、菓子職人の技術に数百年の伝統が宿っています。味も過剰にならず、しつこくなく、恬淡とした味わいがあります。どこもそうですが昔の城下町には、目立つことなく、ひっそりと息づいている老舗の菓子舗があるものです。その風情がいいですね。
               

              生き馬の目を射ぬく競争社会で体力と神経をすり減らすのではなく、適度に距離をとり、お互いを尊重し、刺激し合うような職人魂が生きている世界。スイスの時計職人の世界も同様です。
               

              日本社会にも、自分の人生をしっかり見つめ、金融資本主義の限界を見抜き、時間を豊かな果実に変える生き方をめざす若者が増えています。私たちの社会の将来はそういう若者にかかっています。そういう若者を支援するために、私は自分にできることをしようと思っています。
               

              画像は大分県臼杵市にある老舗の菓子舗「さかいや」謹製の桜餅です。自宅から車で15分のところにあります。買って帰って、妻とお茶をしました。


               

              私がこれまで食べた桜餅の中で最も美味しいかも知れません。美味しい桜餅をつくるのはとても難しい。まずい桜餅を食べたために、桜餅と決別した人は多いのではないでしょうか。私は、別に「さかいや」さんの回し者ではありません。食べ物であれ、本であれ、音楽や絵画であれ、本物は流行に左右されない不易の価値を持っています。その価値を伝えたいと思っているだけです。

              | 人生 | 13:15 | comments(0) | - |
              国谷裕子キャスター、最後の放送
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                国立大学後期の合格発表があり、これで前期の合格者を合わせて、塾生全員が国立大学に合格しました。おめでとう。よかったね。

                高校3年生ともなればもう立派な大人です。法律は今年から18歳以上の若者に選挙権を与えました。つまり、この国の主権者と認めたのです。ところが、愛媛県教委は校則で校外での政治活動を事実上制約できるようにしました。法律で認められた権利を校則で制限できると考えるところがすごいですね。

                校内での政治活動を制限できるというのならわかります。しかし校外での活動にまで学校が口をはさめると考えるのは、越権であり、よけいなおせっかいです。それとも学校は権限の及ばないことにまで責任を取るつもりなのでしょうか。

                選挙権を与えるということは、暴力ではなく投票箱によって、若者にもこの国を変えるチャンスを与えるということです。これは憲法21条で保障されている表現の自由を行使するための重要な前提です。これを地方自治体の教育行政のトップにいる大人たちが理解していません。なんという見識のなさ!なんという時代錯誤!


                若者を信じないということは、人間を信じない、ひいてはこの国の未来を信じないということです。愛媛県教委がどこを向いているのか一目瞭然です。何のことはない、安倍政権がもたらした強権的な空気の中で、うまく立ち回ろうとしているだけです。彼らのやっていることは、本質的には安倍政権への追従であり、ご機嫌取りに他なりません。憲法の保障する基本的な権利を蹂躙しているとは思ってもいないのでしょう。何という人権感覚のなさ!


                愛媛県知事の中村時広氏は、見て見ぬふりを決め込んでいます。さすがに伊方原発の再稼働にゴーサインを出す知事だけのことはあります。新潟県の泉田知事と比べると、同じ自治体の長でありながら、ここまで見識に差があるのかと愕然とせざるを得ません。


                ところで、先日2016年3月17日、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターの最後の放送がありました。タイトルは「未来への風〜“痛み”を越える若者たち〜」です。23年間続いた、NHKを代表する良質の番組でした。私は国谷裕子キャスターのファンでした。抜群の英語力を駆使して、世界中の識者と渡り合い、文字通り現代の問題をクローズアップしてくれました。私がブログで何度も指摘したように、NHKの安倍政権への迎合、大本営化が国谷さんをひきずり降ろす結果となりました。

                国谷さんは最後にこの内容をぶつけることで、支持してくれた視聴者に感謝するとともに、あるメッセージを伝えたかったのだと思います。そして私は確かにそのメッセージを受け取りました。国谷さんの番組は以下で見ることができます。
                http://dai.ly/x3ydny4


                その最後の放送の紹介文。

                この20年あまり、かつてない大きな変化にさらされてきた日本。雇用、教育、福祉…、従来の社会システムが行き詰まり、少子高齢化に突入していった時代、上の世代が経験した成功体験を知らない20代30代の若者たちの多くが、将来への展望が見いだせず、不安を募らせている。

                しかしその一方で、この世代の若者の中から、新たな価値観や変革を実践に移す“胎動”が見え始めている。全く新しい“連帯”によって、雇用環境を自ら改善しようとする取り組みや、従来にない金融の仕組みで地域社会を再生する取り組みなど、上の世代にはない実行力を示しつつあるのだ。

                わたしたちは将来に向けてどのように歩んでいくべきなのか。番組では、この20余年の社会の変化を示す様々なデータ・映像をひもときながら、“痛み”を乗り越えようとする若者たちの姿を通して、未来への風を感じていく。

                 
                | この人を見よ! | 14:59 | comments(0) | - |
                読書とは自分の「好み」を発見する旅である
                0

                  昨日の続きです。塾の提唱する「速読」なるものがいかにインチキかということを、『多読術』と比較して述べてみましょう。
                   

                  その前に、昨年から今年にかけて、上野丘高校の感じの良い生徒さんが3名ほど、入塾のために親御さんと一緒に訪ねてこられました。色々と話を聞き、教育熱心なご家庭であることがわかりました。それに生徒さん自身がとても知的で感じがよかったのです。3人とも自宅が大分市の中心部にあり、高速道路を使って通ってくるとのことでした。
                   

                  私は、塾の近隣地域ならともかく、午後10時半に授業が終わり、それから車で大分まで帰宅するのは危険だし、何より時間がもったいないと言いました。実際、10年ほど前には週2回、大分の青葉台や別府から通っていた生徒もいたのです。しかし、今は時代が違います。そこまでして塾に通う時代ではありません。ITも飛躍的な進歩を遂げています。今こそ独学できる環境が整ったのです。そういうわけで、結局、入塾をお断りしました。
                   

                  彼らの期待に応えられなかったのは残念でしたが、勉強はつまるところ独学であり、独学できることこそが「学力」の証なのです。そこで、私は世間に恩返しするつもりで、若い人たちに勉強の方法をブログで発信しようと思い立ったのです。
                   

                  話を元に戻しましょう。いかがわしい「速読」ではなく、多読術についてでした。大事なことは、本によって、また読み方によって、多様性を楽しめるかどうかです。
                   

                  松岡正剛氏は次のように表現しています。「ワインを飲むように読む」「アスリートのように読む」「温泉であたたまるように読む」「竹を割るように読む」「教えを乞うように読む」「強い格闘家と戦うように読む」「時間つぶしのために読む」「書くために読む」・・・。
                   

                  以下彼の発言を拾ってみましょう。

                  ― 本はいろいろな読み方をするべきで、つまりは平均的な読書を求めてもダメだということですよ。ゆっくり読んでもいいし、お茶漬けをかきこむように読んでも、何人かで感想を言いあうために読んだっていいんです。いやむしろそのようにギアチェンジをしてでも、多様な読み方をするべきですよ。明瞭に「読書というのは平均的なことをするわけではない」と強く思うことです。
                   

                  ― ぼくは個性の本質は「好み」だろうと思っています。最初から個性というかたまったものがあるわけではない。「好み」の揺れ幅のようなものが個性を作っているんです。ぼくが千夜千冊を続けられているのは、そのせいです。しかもその「好み」の中身は、自分でもだんだん発見していくものなんです。深いところはまったくわからない
                   

                  ― ここからは僕の読書術の案内になりますが、まずは二つのことをススメておきたいと思います。一つには、自分の気になることがテキストのどの部分に入っているのか、それを予想しながら読むということです。この「予想しながら」というところがとても大事ですね。もう一つは、読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感を持つことです。そのことを読みながらリアルタイムに感じるということです。この「リアルタイムに感じる」ということが大事です。読んでいる最中に何を感じたかも、マークしておきたい。

                  左のページに、実際に松岡正剛氏がマーキングした例が載っています。右ページは読みながら私がマーキングしたものです。


                   

                  ― そこで、ぼくはこの二つのことをあらかじめはっきりさせるための方法として、読みながらマーキングをするということを勧めています。鉛筆でも赤ボールペンでも、読みながら印をつけていく。これはそうとうにおススメです。やっていくと、マーキングが読書行為のカギを握っているという気になるはずです。
                   

                  ― ぼくが本人に聞いたところによると、養老孟司さんは2Bの鉛筆でマーキングをするんですが、2Bの鉛筆が電車の中や旅行先でないときは、その本に集中できなくなると言っていた(笑)。つまり2Bの鉛筆が手元にないと読む気がしないんです。2Bが養老読書術のカーソルなんですね。でも、これぞ本道です。

                  『多読術』P82〜83。私が読書するときにしていることを、後ろからのぞいているように、そのまま言い当てていました。私は通常4色ボールペンと2Bの鉛筆を使っているので、びっくりしました。


                   

                  引用はこの程度にしておきます。ここまで読んで、『多読術』に興味がわかなければ、どうぞ、「速読」とやらの世界にお入り下さい。しかし、感度の良い中学生や高校生ならきっと、松岡正剛氏の言っていることの深い意味が分かると思います。「これって、マニアックじゃん」とつぶやいているあなた。その通りです!あなたは読書の本質をひとことで言いあてました。将来が楽しみですね。

                  | 中高生の皆さんへ | 23:42 | comments(0) | - |
                  「速読」を売りにする塾はインチキである。
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                    「速読トレーニング」なるコースを設けている塾はいい加減な塾です。それで別途料金を取っていれば金儲けを目的とした塾だと断定して差し支えありません。
                     

                    たとえば、ホームページやチラシでよく見かけるキャッチコピー。「成績を上げるための非常に効果的なトレーニングです。読書はすべての学習能力の基礎です。一般的な読書スピード分速400字平均を速読トレーニングにより分速4000〜5000字に向上させます。トレーニングを重ねた分だけすぐに成果が出ます。文章を早く正確に読むことができれば「読書」が楽しくなります。国語を中心に勉強の成績が飛躍的に向上します」というもの。パソコンの前に座って、眼球を早く動かす練習でもするのでしょうか。


                    あなたはこのコピーを見てどう思いますか。そんな方法があるなら、うちのこどもにも受けさせたいと思いますか。もしそうお考えでしたら以下を読んでも得るものは少ないと思います。
                     

                    でも、こどもに本物の読書力や学力をつけたいとお考えなら、暇なときに一読されても無駄ではないかもしれません。その前に「本物の読書力や学力」って何?と考えることが必要ですよね。これをすべての人に納得できるように説明するのはむずかしい。私が読書力や学力をどのようにとらえているかは、このブログを読んでいただくことで徐々に分かって頂けるはずだと、今はそれしか言えません。
                     

                    『「学力」の経済学』という、「科学的根拠」と「エビデンス」に基づいた(と著者が言っている)「教育経済学」の本がありますが、その中身は眉唾ものです。著者が「学力」についてまともな定義すらしていないのですから。つまり、「学力」を定義することは、どういう社会が正しいのか、こどもたちにどういう人間になってもらいたいのかといった価値判断や願望と密接な関係にあるのです。そういうわけで、「学力」を定義するのは結構やっかいなのです。
                     

                    そこで今回は「速読力」なるものについて簡単に述べてみます。まず上記のキャッチコピーで謳っているように「速読力」が「成績を上げるための非常に効果的なトレーニング」で、「すべての学習能力の基礎」になり、「読書スピードを分速4000字に向上させ」「すぐに成果が出」て「勉強の成績が飛躍的に向上」することに役立つかどうか。非常に怪しいですね。はっきり言いましょう。ウソです。
                     

                    そもそもこういう塾の経営者は、まともに読書などしていないでしょう。読書によって得られる精神的な果実のかけがえのなさを理解していれば、そもそもこんなキャッチコピーは書けません。それが人間です。そういう意味で私は人間を信じているのですが・・・。
                     

                    要するに、速読とは一分間に読む字数を多くしたり、無理に読書のスピードをあげたりすることではありません。ある本を読むスピードや理解力は、前提となる知識、周辺領域との関連、要するに、ベースとなる知識量に比例しているのです。一般の人が「速読法」を身につければ、難解な専門用語だらけの医学書を速読できるようになるのでしょうか。無理ですね。

                    つまり、それまでに形成された知のネットワークが広く、密であればあるほど、ある本が書かれた意味=新しさをたちどころに理解できるということです。結論を一言で言えば、多読こそが速読に通じるということです。松岡正剛氏の『多読術』P124には次のようにあります。

                    ― 速読はだめですか?

                    ― 速読にとらわれるのがダメなんです。どんなテキストも一定の読み方で速くするというのは、読書の意義がない。それって早食い競争をするようなものですから(笑)

                    松岡正剛の『多読術』(ちくまプリマー新書)今から7年前に出版された本です。少なくとも「速読トレーニング」なるものに騙されないだけの知性のある高校生にぜひ勧めたいと思います。

                    P124です。読みながらポストイットを貼ったり、線を引くのは読書するときの生理的な反応になっています。もちろん人前ではしません。他人の目があるところで、ポストイットを貼ったり、鉛筆やボールペンを取り出して何やら書き込みをしていれば、単なる「変態ジジイ」ですからね。
                     


                     

                    「速読」は「早食い競争」だそうです。笑えますね。ドンピシャリです。もっともあなたがギャル曽根を目指すなら、止めませんが。

                    | 塾・学力 | 13:52 | comments(0) | - |
                    早稲田大学のAO・推薦入試について
                    0

                      入試改革を進めていた早大は、2015年12月2日の記者会見で、その内容を発表しました。AO・推薦入試による入学者は、現行では全体の4割を占めるが、大学創立150周年を迎える2032年までに6割に引き上げる、というものでした。



                      理由の1つとして、早大では、入学後の学業成績を見ると、AO入試の入学者が最も良く、続いて推薦入試の入学者がよかったことを挙げています。資料では「本学への入学を心から志望し、受験の段階から入学後の学修VISION を明確に思い描きながら努力してきた者は、実際に入学してからも活躍できる」としています。要するに、モチベーションの差が大学入学後の成績に影響すると言っているわけです。




                      加えて、この30年間で関東圏以外の地方の学生が1割ほど減ってしまった対策として、18年度入試からは、新しい形のAO入試「地域貢献型人材発掘入試(仮称)」も行うと明らかにしました。




                      AO・推薦入試といえば、学力低下の元凶だと考えられてきました。大学教育をビジネスだと割り切る大学では、一人でも多くの学生がほしいわけですから、早々と推薦合格を出し、他の大学に学生を取られることを防止しようとします。いわゆる青田買いです。その結果、まともに勉強しなくても大学生になれるのですから、低学力の生徒はますます低学力になります。大学に入学して中学レベルの基礎が分かっていない学生を特訓しなければならないといった笑えない話もあります。




                      しかし、早稲田や慶応をはじめとする高偏差値大学では、AO・推薦入試といえども、一般入試によって作り上げられたブランドを前提として受験生が応募してくるわけですから、それなりの質は確保されます。学生の個性や目的意識を見るといっても、それは高偏差値大学という前提・下支えがあってのことなのです。




                      早稲田や慶応にAO・推薦入試で合格すれば、世間は多少のねたみをこめて称賛しますが、地方の低偏差値の大学にAO・推薦入試で合格しても、誰も相手にしません。「はは〜ん、さては・・・」ということで、なるべくその話題を避けようとします。つまり、AO・推薦入試も二極化しているのです。




                      早大の鎌田薫総長は、「AOは駄目な入試といわれているが、実のところ卒業時の成績は一般入試組よりAO組のほうがずっとよい」と学力低下に否定的な見方をしています。私が上で述べたからくりに気づいていないのでしょうか。さらに、理想としては、AO入試に統一して、バリエーションを増やし、将来的には、AO入試を年中やって通年化を図りたいとのことです。また、一部の学部では、一般入試の全廃も検討すると述べています。




                      その上、留学生を含めた多様な人材を集めることも目的だとし、「米国の大学に倣って、世界中で信頼できる人にその地域での選考を任せる、というやり方もある」と言っています。




                      同調圧力が強く、空気を読むことを何よりも重んじる社会で、鎌田総長の言うように事はうまく運ぶでしょうか。無理でしょうね。「米国の大学に倣って、世界中で信頼できる人にその地域での選考を任せ」れば、公平であるべき選考が利権の温床となり、金と権力を握った者に左右されるのは火を見るより明らかです。




                      そもそも、世界中で「信頼できる人」はどうやって、誰が、どういうプロセスで選ぶのでしょうか。あるプランを発表する時には、それが何を引き起こすことになるのか、「意図せざる結果の法則」も考慮に入れて、具体的事実に即して考えるべきです。




                      こういうアメリカナイズされた発想というか大言壮語が引き起こす結果は、アメリカ社会のいたるところに転がっています。つまり「1%が99%を支配する」社会です。階層の固定化や富の偏在が何をもたらすのか、あるいはもたらしたのか、歴史を見れば明らかではありませんか。調べてみると、鎌田氏は第二次安倍内閣で 教育再生実行会議の座長を務めていることが分かりました。なるほどね。




                      長くなるのでやめにします。最後に一つだけ(なんか最近これがパターンになってきましたね)鎌田総長に素朴な質問をしたいと思います。「卒業時の成績は一般入試組よりAO組のほうがずっとよい」そうですが、これって何か重要な視点が欠けていませんか?




                      卒業時の成績をなぜ入試の選抜方法と関連づけるのでしょうか。肝心な大学教育の中身はどこにいったのでしょう。大学教育の中身が学生のモチベーションを高めるものであれば、当然、卒業時の成績は良くなるはずです。大学がやるべきことを怠っておいて、卒業時の成績と入試の選抜方法に関連性があることを見つけて得意になるなんて、バカなグローバリストのやることです。志村けんではありませんが、「こりゃだめだ〜」。

                       


                       

                      | 塾・学力 | 17:42 | comments(2) | - |
                      失せたるものの面影の上に
                      0

                        今ひとたび

                        立ちあがりゆく

                        村むらよ

                        失せたるものの

                        面影の上に

                         

                        これは美智子皇后が2012年、震災の翌年に詠んだ「復興」と題する歌です。

                         

                        その年の1月1日、天皇陛下は新年のおことばで次のように述べます。

                         

                        「昨年は春には東日本大震災が起こり,夏から秋にかけては各地で大雨による災害が起こり,多くの人命が失われ,実に痛ましいことでした。また,原発事故によってもたらされた放射能汚染のために,これまで生活していた地域から離れて暮さなければならない人々の無念の気持ちも深く察せられます。」(2012年)

                         

                        おことばは続きます。
                         

                        「東日本大震災から2度目の冬が巡ってきました。放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。」(2013年)
                         

                        「東日本大震災から3度目の冬が巡ってきましたが,放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々など,年頭に当たり,被災者のことが改めて深く案じられます。」(2014年)
                         

                        「昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。」(2015年)

                        そして今年、平成28年3月11日、東日本大震災5周年追悼式でのおことば。

                         

                        「東日本大震災から5年が経ちました。ここに一同と共に,震災によって亡くなった人々とその遺族に対し,深く哀悼の意を表します。5年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は,決して忘れることができないものでした。(中略)地震,津波に続き,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染のため,多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが,今なお,自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。(後略)」
                         

                        以上のように、天皇陛下は節目の挨拶の中に必ず原発事故による「放射能汚染」ということばを入れています。戦争の記憶が風化するのと同じように、原発事故が風化することへの意識的な抵抗だと思います。特に2012年の最初のおことばは、2011年12月16日、民主党の野田佳彦総理が「原発事故収束宣言」を出したわずか2週間後に述べられたものです。
                         

                        しかし、NHKをはじめとするマスメディアは、天皇陛下が放射能汚染」ということばを使った個所を過去一度も放送したり取り上げたりしていません。まるで腫れ物にでも触るかのように。
                         

                        その安倍総理の追悼式での挨拶は「被災地ではいまだに多くの方々が不自由な生活を送られています。原発事故のために住みなれた土地に戻れない方々も数多くおられます。一歩ずつではありますが、復興は確実に前進しています」といったあたりさわりのないもので、「放射能汚染」ということばは一度も登場しません。一体どちらが総理大臣なのでしょうか。
                         

                        一方では「復興は確実に前進しています」と言いながら、他方では原発の再稼働を進める。彼の頭の中では、この二つは矛盾なく両立しているのでしょうね。何という倫理的な退廃!

                        | 原発 | 13:31 | comments(0) | - |
                        全員が合格しました!よかったね。
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                          今年の高校入試は、上野、舞鶴、豊府、西高、鶴高とそれなりに倍率も高かったのですが、塾生は全員合格しました。塾を始めて32年になりますが、上野丘と舞鶴の合格率はこれまで通り、99%を維持しています。それ以外の高校の合格率も98%です。塾をしている以上、入試の結果を知りたいと考えている保護者の方もいらっしゃると思いますので、事実を書いています。
                           

                          私は、東大や早稲田の名前を冠した塾名にしたり、「結果にコミットする!」だの、「パッション(情熱)」だの、やたら横文字を使った宣伝や、「成績上げなきゃ塾じゃない!」などといったキャッチコピーを使うことができません。私にも羞恥心があるからです。生活費の中から塾の月謝を捻出している親御さんのことを考えれば、成績を上げるのは塾として最低限のつとめでしょう。「病気治さなきゃ医者じゃない」などというコピーを、まともな医者が掲げるでしょうか。


                          ビジネスのプロ」から見れば私の言っていることはきれいごとでしょう。利潤を上げるためにはなりふり構わず「顧客」を獲得することが必要で、「企業」が生き残るためにはきれいごとを言っている暇はない、ということなのでしょう。

                          しかし、ビジネスマンに教育をまかせるわけにはいきません。彼らは何もわかっていません(このことは後日詳しく論じるつもりです)。私は、できることならこの種のコピーに反応してこどもを塾に入れようとする親御さんや生徒さんの相手をすることは遠慮したいのです。したがって、この種のコピーは必要ありません。学力を下支えする落ち着きがないところで消耗戦を戦うのは不毛だからです。
                           

                          それにしても、こんなコピーを出す塾は、よほど生徒の成績を上げるのに苦労しているのでしょうね。入塾当初は物珍しさも手伝って成績が上がるのは当然です。それまでテスト対策をすることもなく、家でろくに勉強もしていないこどもたちに勉強させるのですから、成績が上がらない方がおかしい。しかし、問題はその後です。教師のパフォーマンスにも飽き、紋切型の授業内容にも飽きた後、こどもたちをどのようにして知へいざなって行くのか。知的な実力と「見かけの成績」が大きく乖離していくのはここからです。
                           

                          先取り学習をしていても、していなくとも、大学受験のころまでには、こどもの知的能力は一定のレベルに達します。現に、地元の公立中学で普通に部活をし、週2回私の塾に通ってくるだけで全県順位が1番になる生徒もいます。上高に進学した後も、部活をしながら塾に通っています。あれやこれやの集客作戦を立て、親に取り入り、不安を煽ってこどもたちを勉強に駆り立てる街中の塾は、いったい何をしているのでしょうか。
                           

                          定期テストで何点アップだの、何人抜きだのといった「実績」を大々的に印刷したチラシを作ったり、見ているだけで目がチカチカしてくる漫画のようなホームページを作ったりする趣味は私にはありません。受験勉強という狭い世界からこどもたちを解放し、社会とのつながりを見出せるようにしてやれば、こどもたちは能力以上の力を出すのです。
                           

                          いずれにせよ、中島みゆきの『ファイト!』が効いたのでしょう。全員が合格しました。よかったね。後は、新しい世界に元気よく一歩を踏み出してもらいたいものです。そして、少なくとも、自分は何をしているのか、何のために生きているのかという問いを、孤独の中で自分自身に問いかける人間になってほしいと思います。それが塾教師としての私のささやかな願いです。

                          | 塾・学力 | 13:11 | comments(0) | - |
                          同じ幸運は二度と起きない。
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                            3・11の福島原発事故は、東日本壊滅をもたらす可能性があったことを2016年3月10日のNEWS23が特集で伝えています。事故後5年を経て、ようやく事故の真相が明るみに出てきました。私がこれまで調べた事実をほぼ網羅していました。抜け落ちている点は後日ブログで補足していきたいと思います。とまれ、この番組が全国ネットのテレビで流れることの意味はとても大きい。自信を持って推薦できる番組です。http://dai.ly/x3x1am9
                             

                            私はブログをはじめとして、これまで、いろいろなところで原発を廃炉にすることこそが、何よりも優先されるべき課題だと言ってきました。こどもたちの貧困を解決するのも、待機児童の問題を解決するのも、国土あってのものです。その感度をもっているのが真の政治家だと思います。
                             

                            何をバカなことをいっているんだとお叱りを受けるかもしれませんが、日本が中国と戦争しようが、アメリカと戦争しようが(この可能性が高いのですが、それを説明すると長くなるのでやめます)、そんなことはたいしたことではありません。
                             

                            そもそも、これだけ原発をかかえた国が他国と戦争するなど狂気の沙汰です。中国や北朝鮮の脅威を煽るなら、まず第一に原発を全廃し、ミサイル攻撃を受けてもびくともしない使用済み核燃料の貯蔵庫を作らねばなりません。どうしても戦争したいならそれからにしてもらいたい。こんなことぐらい、小学生でもわかることです。
                             

                            それにしても、私たちが今生きているのは、偶然が重なった幸運のせいです。福島第一原発の吉田所長も、「仏様が守ってくれたのだと思う」と言っています。地獄を見た者だけが吐けることばです。この幸運は二度と起きません。政治家のみならず国民も、このことを肝に銘じるべきです。
                             

                            しかし、3・11を経験したにもかかわらず、原発を再稼働させようとする安倍政権。能天気にも、国民の命を再び幸運に任せるつもりなのでしょう。国民は生き延びて、この国の文化や歴史や、美しい自然、そして何よりもこどもたちのいのちを守りたければ、安倍政権を倒さなければなりません。もちろん、民主党であろうがその他の政権であろうが同じです。この国のかじ取りをするのは、最後は国民なのですから。

                            | 原発 | 11:01 | comments(0) | - |
                            バカじゃねえのか!この国は
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                              2016年3月8日のNEWS23は「原発さえなければ、震災5年・・・続く関連死」と題して、福島で専業農家を営む樽川和也さんを取り上げていました。和也さんの父久志さんは、農家の7代目でしたが、原発事故の時、テレビを見ていてこうつぶやいたそうです。「ほら見ろ、俺が言ってたとおりになったべ。福島の百姓はもう終わりだぞ。人が作ったものは必ずぶっ壊れるんだ」と。


                              原発から65キロ離れているにも関わらず、樽川さんの農地にも放射性物質は降っています。そして事故の11日後、キャベツの出荷停止を知らせるファックスが届きます。久志さんはファックスを見てうなだれていたそうです。そして和也さんに「俺はお前のこと、間違った道にすすめた」とつぶやきます。このことばが最期になりました。その翌朝、久志さんは自宅の敷地にあるキャベツ畑の近くの木で首をつって自殺しました。64歳でした。


                              和也さんは裁判に訴えましたが、東京電力は原発事故との因果関係を否定します。和解が認められたのは2年後のことでした。和也さんは「和解したとはいってもこころは晴れません。(東京電力には)仏壇に線香をあげてもらいたい」と言います。これは人間としてあたりまえの感情です。線香をあげてもらったところで、死んだ人は生き返りません。

                              しかし、そうでもしてもらわなければ、生きている者も、死んだ者も、その魂は救われないと感じているのです。これは「最後は金目でしょ」の石原伸晃氏には決して分からないことです。


                              和也さんは続けます。「5年目の節目だとか、そういうふうに周りは言ってるけど、うちらからしたら、ただ月日が5年流れただけで、5年経っても、ただ怒りだけです、込み上げるのは」。


                              さらに再稼働を進める国と電力会社には「どこがクリーンで安全なエネルギーなんだい。バカじゃねえのか、この国は。情けねえ国だ。この国に生まれたからしょうがねえけど。声をあげる人がいねかったら、この国は変な方向に進むでしょ、また。親父に与えられた宿題っていうか、宿命なのかなと思って・・・」と怒りをかみ殺すようにして訴えていました。


                              そして昨日3月9日、大津地裁は、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転差し止めの仮処分の決定を下し、関電に運転の差し止めを命じました。そして今夜(3月10日)、3号機は運転を停止しました。


                              昨春、福井地裁の樋口英明裁判長が下した仮処分決定と同じく、冷静で公正な判断です。原子力規制委員会の田中委員長は、「原発が規制基準をクリアしているかどうかを判断するのが自分たちの仕事で、原発が安全だと申し上げることはできない」と言っています。今回の決定は、その規制基準そのものが不十分だと指摘しています。福島の事故原因の究明も終わっていないことを指摘し、住民の避難計画を視野に入れた幅広い規制基準を策定すべき信義則上の義務が国にあると強く主張しています。


                              小泉元首相も「この決定は当然だ。原発ゼロに切り替えるべきだ。やればできるんだから」「国民の根強い原発に対する不安や、原発事故を起こしてはいけないという、国民の意思をよく受け止めたものではないか」と言っています。そして、運転開始から40年を超えた高浜原発1、2号機の再稼働を原子力規制委員会が例外的に認めたことについて「安全第一と言いながら、収益第一になっている」と批判しています。


                              それに対して、元東京高裁判事の升田純・中央大法科大学院教授は「説得力に欠け、最初から結論ありきだったのではないかと映ってしまう。これでは手抜きの決定と言われても仕方ない」とコメントしています。やれやれ。「最初から結論ありきだった」のは国と電力会社の方ではなかったのか。ふざけるのもいい加減にしろ!


                              つい激しい口調になってしまいましたが、こういう人格が空洞化した元裁判官や現裁判官の方が圧倒的に多いということが、何ともやりきれない思いにさせます。

                              ガンジーの言う「7つの社会的罪」の中の

                              「理念なき政治」
                              「人格なき学識」
                              「道徳なき商業」
                              「人間性なき科学」
                               
                              を思い出しました。この国のいわゆる「指導層」の精神構造は、社会的罪を日々実践する中から生まれてきました。いわば、冒頭の樽川和也さんのことばをシャットアウトすることで出世の階段を上ってきたのです。彼らは、自分は何をしているのか、誰のために生きているのかという問いを、人間の絶対的条件である孤独の中で自分自身に突きつけたこともなく、ただ目の前にある階段を駆けのぼることに熟達した人間だということを、私たちは肝に銘じておくべきです。

                               
                              | 原発 | 23:57 | comments(3) | - |
                              悲観する能力。
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                                悲観は人間だけが持つ高貴な感情です。しかし、狭い心の持ち主や品性下劣な人間は悲観することができません。ただ自分の利益や自分を守ることしか考えず、不満だらけの毎日を送っている人間には悲観というこころの働きを理解できないのです。
                                 

                                 

                                ふつう悲観といえば、自分の前途に絶望し、自らを敗残者のように考えることを指しますが、これは悲観ではなく怯観(きょうかん)です。将来に対して疑問と恐れを抱き、心を病んで脱力状態に陥り、物事を悪い方へ悪い方へと考えるのは、怯観で悲観ではありません。怯観は嫉妬の感情を生みだし、他人をひきずりおろすことだけを考えるようになります。
                                 

                                 

                                では、悲観とは何でしょうか。人を見て悲しさのあまり心が引き裂かれること、つまり日本語の「かなし」に通じる感情です。感情はふつう喜怒哀楽を指しますが、「かなし」はそのすべてを含んでいます。私が問題にしてきた「普遍的な感情」こそが、この「かなし」という言葉で表現される人間の心のはたらきです。「愛の切なる」感情そのもの、他者への無条件の共感です。
                                 

                                 

                                つまり、自己の利益を超越したものであり、自己の利益にとりつかれている限りは決して発動されないものです。悲観は個人に直接利益をもたらしません。しかし、だからこそ、悲観を抱く人々がいることで社会に大きな利益がもたらされるのです。
                                 

                                 

                                社会は悲観によって浄化され、調整されます。もしこの世の中に一人の悲観者もいなければ、社会はたちどころに阿鼻叫喚の地獄となって焼き尽くされてしまうことでしょう。悲観する能力があるからこそ、社会は維持されているのです。これが悲観が高貴な感情だと述べた理由です。
                                 

                                 

                                悲観とは「愛の切なる」感情であり、他者への無条件の共感です。もし自分一人だけをすべての中心において生きていこうとすれば、悲観などという感情が発生したり存在したりする余地はないでしょう。
                                 

                                 

                                自分の権利を拡張し、自己利益の最大化だけを考えるならば、悲観する必要はありません。いや、悲観などすれば自分が不利になってしまうので、その感情を押し殺すようになります。こうして、社会のすみずみで「魂の殺人」が奨励され、「粛々と」実行されていきます。悲観は自己中心の思想と自己拡張の欲望にとっては障害にしかならず、有害無益となるからです。
                                 

                                 

                                もちろん、私が思い浮かべているのは原発を再稼働させる現在の政権であり、アメリカの敷いたレールの上をひた走る官僚たちであり、自社の利益しか考えていない電力会社であり、それを報道しないマスメディアです。彼らこそは自己利益の最大化を考えるあまり、魂を自らの手で殺してしまった人間たちです。
                                 

                                 

                                彼らのほとんどは高学歴のエリートといってもいい人たちです。しかし、絶えざる競争と同調圧力にさらされた結果、悲観する能力を喪失し、「愛の切なる」感情で満たすべき内面を空洞化させた哀れな人間たちなのです。

                                 

                                 

                                | 文学・哲学・思想 | 13:42 | comments(0) | - |
                                闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう
                                0

                                  今日3月6日は、中学3年生の最後の授業でした。数学の問題を解き、国語では言い換えと対比の観点を忘れずに文章を読むように念を押しました。後は悔いのないように実力を出し切るだけです。授業の最後に、全員で中島みゆきの『ファイト!』を聴きました。著作権の関係で、当ブログでは再生できません。満島ひかりヴァージョンでお聴きください。


                                   

                                  あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた
                                  女の子の手紙の文字は とがりながらふるえている
                                  ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
                                  悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる
                                  私、本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
                                  ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
                                  私、驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
                                  ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です
                                  ファイト! 闘う君の唄を
                                  闘わない奴等が笑うだろう
                                  ファイト! 冷たい水の中を
                                  ふるえながらのぼってゆけ
                                  暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
                                  光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
                                  いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
                                  やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく
                                  勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの
                                  出場通知を抱きしめて あいつは海になりました
                                  ファイト! 闘う君の唄を
                                  闘わない奴等が笑うだろう
                                  ファイト! 冷たい水の中を
                                  ふるえながらのぼってゆけ
                                  薄情もんが田舎の町に あと足で砂ばかけるって言われてさ
                                  出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
                                  うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
                                  あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき
                                  ファイト! 闘う君の唄を
                                  闘わない奴等が笑うだろう
                                  ファイト! 冷たい水の中を
                                  ふるえながらのぼってゆけ
                                  あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
                                  ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
                                  ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく
                                  諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく
                                  ファイト! 闘う君の唄を
                                  闘わない奴等が笑うだろう
                                  ファイト! 冷たい水の中を
                                  ふるえながらのぼってゆけ
                                  ファイト! 闘う君の唄を
                                  闘わない奴等が笑うだろう
                                  ファイト! 冷たい水の中を
                                  ふるえながらのぼってゆけ

                                  ファイト!
                                   

                                  どうもいけません。入試を前にしたこどもたちを勇気づけるつもりが、私がじーんとしてしまって、涙をこらえるのが精いっぱいでした。この歌を聴くと、これから先、いくつもの運命の試練が彼らを待ち受けていることを想像してしまいます。この調子でいくと、来年は、涙をがまんできなくなりそうです。
                                   

                                  それにしても、中学を卒業して就職しなければならない子どもたちがいた時代、あるいは不合理な社会的因習によって機会の平等が阻まれていた時代に、人々が耐え忍ばなければならなった不遇感はいかばかりだったでしょうか。そして今、6人に1人のこどもが貧困だと言われる社会が到来しています。これは自己責任どころか、100%政治の貧困がもたらしたものです。政治に興味がない人も、政治がもたらす結果と影響には敏感であってほしいと思います。

                                  とまれ、いよいよ明後日は入試本番です。生徒の皆さんの健闘を祈ります。ファイト!

                                  | 塾・学力 | 19:26 | comments(0) | - |
                                  良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−最終版
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                                    私の政治的立場は護憲であり、憲法九条を「世界情勢に合わせて」純化するという立場です。個人的なことを言えば、私はこれまでいかなる政治的・宗教的団体にも所属したことがなく、選挙の時は自民党以外の政党に投票してきました。


                                     

                                    民主党にも投票しましたし、前回は共産党に投票しました。しかし、政党にはあまり期待していません。したがって、自分が投票した政党が惨敗しても落胆することもありません。その国の政治のレベルは国民のレベルですから、過剰に期待してもしようがありません。
                                     

                                     

                                    国民が、自分の経済的利益だけを考えて社会的な影響力を持つ勢力にすり寄るのをやめない限り、政治は変わりません。少子高齢化が進み、人口減少社会の中で格差が固定化され、原発事故の後始末という永遠の課題を背負った国が、依然として『富国強兵』路線を突き進むのは、破滅への道を歩んでいるとしか思えないのです。
                                     

                                     

                                    私の考えは悲観的でしょうか。しかし、「現実主義」を標榜し、弱者をかえりみず、強権的な空威張りを続ける、冷笑主義(シニシズム)と虚無主義(ニヒリズム)に侵された集団にくみすることがどうしてもできないのです。

                                     

                                    こういう連中に金と権力と軍隊を持たせれば国家は滅びる、というのが歴史の教えです。日本は「弱小国」として、しかし、世界に向かって堂々と主張できる普遍的な価値の唱導者になるしかない、と私は思います。
                                     

                                     

                                    前置きが長くなりました。護憲派の欺瞞を乗りこえるために考えなければならないもう一つの点について検討します。

                                     

                                     

                                    2:日本が集団的自衛権の行使を法制化したことは、すべてとは言わないまでも、国際的には歓迎されているという事実。

                                    についてです。


                                     

                                    なぜ日本の集団的自衛権が、いわゆるアメリカを始めとする有志国連合に歓迎されているのか。

                                     

                                     

                                    それは、これまで日本は世界の平和にただ乗りしていると見なされていたからです。日本だけ「兵役逃れ」をするのはけしからんというわけです。ここにきて、日本もようやく「武力行使」という「乗車券」を買うようになったと認識されたのです。

                                     

                                     

                                    つまり、国際社会は日本の軍事力を徴集しようとしていたのです。護憲派はこの現実的趨勢に対して、それと拮抗するだけの理念を提出しなければなりません。

                                     


                                     

                                    その理念こそは、憲法九条を根拠とする良心的兵役拒否の権利を国家レベルにまで高めることで生まれる「積極的中立主義」です。前に述べたように、良心的兵役拒否をした場合、その権利を行使した者には、必ず、代替的役務が課されます。この代替的役務が「積極的中立主義」です。これは安倍政権の「積極的平和主義」に対抗するものです。ことばは似ていますが、中身は全く違います。
                                     

                                     

                                    まず自衛隊を軍隊として認め、その機能を個別的自衛権の範囲内に限定する旨を憲法に規定する。その際、解釈改憲の余地がない明文の規定を作る。たとえば「理由のいかんにかかわらず、またその規模を問わず、日本国内に他国の軍事基地を置いてはならない」というような。次に自衛隊を2つの組織に再編する。
                                     

                                     

                                    1:個別的自衛権(日本の領土・領海・領空に限定する)と積極的中立主義を実行する軍事部門。

                                     

                                    2:日本だけではなく世界で活躍することを前提とした、先進の装備を備えた国際災害救助隊。

                                     

                                    当ブログ、

                                    『国を守るということ−忘れられないシーン』

                                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=22 

                                    をご覧ください。


                                     

                                    積極的中立主義は、A国とB国が争っている時、一切の代償を求めず、「贈与」として、紛争当事国の両方を援助するという思想です。その条件は以下のようになります。
                                     

                                    1:援助は非軍事的なものに限る。死傷者の救助や破壊されたインフラの復旧、食糧や薬などの物資の運搬など。ただし、一方だけを援助しない。損得やイデオロギーを超えて両方を平等に援助する。

                                    2:援助するときは主権を侵害しないように、相手国の同意を必要とする。
                                     

                                     

                                    以上の条件のもとで、自衛隊は紛争地帯で活躍します。胸と背中に日の丸をつけ、それがやがては国際赤十字のシンボルのようなものとして世界に認知される日をめざして。そうなった時、自衛隊は、国を守り災害救助に駆けつける名誉ある組織として位置づけられます。名誉を重んずる若者の入隊も増えることでしょう。
                                     

                                     

                                    その結果、国民は、平和のために自衛隊に「ただ乗り」するのではなく、国を守るということは、国民と自衛隊がともに担わなければならない名誉ある崇高な仕事だと認識するようになります。

                                     

                                     

                                    そして、この理念を世界に向けて発信するのにふさわしい政治家は山本太郎氏を置いて他にいません。なぜなら、彼ほど反対勢力から罵倒され、顰蹙を買い、無視されたにもかかわらず、初心を貫いている政治家はいないからです。以上、アウトラインだけを述べました。少なくとも野党はこの程度の理念を掲げて、選挙を戦ってほしいものです。

                                     

                                    | 良心的兵役拒否 | 14:31 | comments(0) | - |
                                    今日は3月3日、雛祭りです。
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                                      わが家では毎年2月になると仏間にお雛様を飾ります。台座を組み立てたり、ひな人形を取り出して並べたりするのにけっこう時間と手間がかかります。だから、妻に「さあ、今年もお雛様を出さなければ。手伝ってよ」と言われると、まだ2月なのにとか、予定があるのにとか思って少々おっくうになるのです。でも、ひな人形を取り出しながら、娘が幼かった時のことを話したり、亡き父がひな人形の前で娘を抱っこしていた時のことを話したりしてそれなりに楽しい時間を過ごせるのです。そうやって完成した雛段がこれです。
                                       


                                       

                                      この仏間はもと塾の教室でした。母が8年前に亡くなり、本家に仏壇を放置しておくわけにもいかず、考えた挙句に塾の教室を大改造することにしました。四方をコンクリートの壁に囲まれた小屋組みの空間の中に仏間を作るという私のアイデアに、義父は反対しました。塾だったところを仏間にするなど、先祖をないがしろにすることになる、というわけです。

                                      しかし、私はル・コルビュジェのラ・トゥーレット修道院の空間からインスピレーションを得ていました。それと日本の茶室を融合すればいい空間ができるはずだと確信していたのです。


                                      計画の当初、義父に仏間を作りたいと言ったところ、倉庫にある柱と桁と床板を提供してくれるというではありませんか。家を作るときにも材料を出してもらったので、本当にありがたいと思いました。そういうわけですから、スポンサーの意向を無視することはできません。ここは安倍政権の意向を忖度するメディアのように、いったんは「自主規制」するしかないと考えました。

                                      しかし、他にいい案が浮かびません。どう考えても1辺が8メートル、天井の高さが6mある、あの空間の中に立方体を置くしかないと思ったのです。さっそくスケッチと図面を描いて、義父に見せました。しかし、頑固な義父はとりあってもくれません。

                                       

                                      どうしたものかと色々作戦を練り、いいことを思いつきました。義父が気に入っている大工のナベさんに説得してもらおうと思ったのです。私の家を建てる際に義父と知り合いになり、二人は意気投合していたのです。

                                      ナベさんの説得は功を奏し、義父はしぶしぶ承知してくれました。後で聞くと、ナベさんもどんな空間になるかイメージが湧かなかったそうです。義父がイメージできないのも無理はありませんね。

                                      工事が始まり、ナベさんの知り合いの業者さんが来て、「何また変わったことしよんのかえ?家ん中に家を作るつもりな?」と大分弁丸出しで、興味深そうに尋ねました。こうして約二カ月余りをかけて「家ん中に家を作る」工事は完成しました。以下が完成した仏間兼和室兼茶室の画像です。


                                      1辺が5400mmの正方形のこの空間には凝った意匠は何一つありません。床柱も大工さんが無償で提供してくれました。母が使っていた茶道具と、季節柄、わが家に先祖代々伝わるお雛様の掛け軸がかけられているだけです。



                                      床の間と仏壇は両サイドの引き戸によってすべて隠すことができます。閉めるとこうなります。



                                      お雛様の反対側。障子は「吉村順三障子」をアレンジしました。桟が細いと上品で柔らかな空間になります。



                                      この空間には、机といすが並べられていました。義父が反対したのもわかります。画像では空間の雰囲気は伝わりませんが、桧の木の香りがする簡素で落ち着ける空間です。



                                      完成した後、義父が出来上がった仏間を見て一言。「ほお〜。こげな仏間ができるんなら、もっといい材料をやったんじゃがのう〜」

                                      私は心の中でつぶやきました。「いいえ、お父さん、十分いい材料をいただきました。おかげで、こどもたちも、孫たちも先祖に手を合わせることができます。心の底から誰かを頼りたくなったり、救いを求めたくなったりした時に、この空間はきっと心の支えになると思います。ありがとうございました」と。

                                      | 自己救済術としての家作り | 13:28 | comments(0) | - |
                                      良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ−その1
                                      0

                                        憲法九条があれば戦争に巻き込まれずにすむとか、戦後70年間戦争をしないですんだのは九条があったからだ、という言い方はミスリーディングです。

                                         

                                         

                                        これは結果論であって、後からなら何とでも言えるというたぐいの議論です。アメリカの核の傘に守られていたから平和だったのだ、という主張も十分説得力があります。ここに護憲派の欺瞞があります。橋下徹や百田尚樹のようなデマゴーグが跋扈するのは、この欺瞞を嗅ぎとっているからです。


                                        国民の多くは、とりわけ社会の上層部(富裕層といってもいいのですが)で影響力を持っている人間たちは、この欺瞞に気づいています。いや、自分の経済的利益につながらない抽象的な議論にうんざりしていると言ったほうがいいかもしれません。

                                         

                                         

                                        そういった感情の下地ができあがっているところに、「国際政治の現実」だの「東アジアの安全保障環境の変化」だのと言われれば、あっさりそれを受け入れてしまうのです。これが、安倍政権の支持率が下がらない理由です。


                                        こういった状況を乗りこえるためには、以下の二つについて考えねばなりません。



                                        1:国際政治は、ホッブスが言うように、利害を異にする国家どうしがオオカミとして争い合う「自然状態」である。したがって、世界最強の軍隊をもっているアメリカと同盟していなければ平和は守れない、という思い込み。リアリズム。



                                        2:日本が集団的自衛権の行使を法制化したことは、すべてとは言わないまでも、国際的には歓迎されているという事実。


                                        まず1について考えてみましょう。

                                        冷戦の終結後、唯一の超大国となったアメリカは国連と国際条約を軽視してきました。たとえば国連の議決を無視して強引に進めたイラク侵攻です。日本はそれにいち早く賛成・協力しました。

                                         

                                         

                                        しかし、侵攻の口実となった大量破壊兵器はありませんでした。これはアメリカ自身も認めています。にもかかわらず、日本はその後の検証もせず、アメリカを非難することもしていません。

                                         

                                         

                                        すなわち、アメリカは国連を中心とした世界秩序を目指すのではなく、自国が中心となって新たな世界秩序を作ろうとする野望を露わにしているのです。まさに「他を制圧して世界王国を築こうとする一大強国」(カント)としてふるまっています。

                                         

                                         

                                        このままでは、山本太郎氏が国会で追及したように、日本はアメリカの軍事行動に加わることを拒否できないでしょう。


                                        ところが一方で、国家の枠組みだけでは解決困難な地球規模の問題が次々にクローズアップされています。1990年代の気候枠組み変動条約、対人地雷全面禁止条約、国際刑事裁判所設立規定などの多国間条約の成立にはNGOに代表されるような市民のネットワークが影響力を発揮しました。NGOが国家の枠組みを超える国際的な存在だからこそできたことです。

                                         

                                         

                                        これは、カントのいう「世界市民」と呼ばれるにふさわしいものです。つまり、「人類が有限な地球を共有していることを自覚し、地球上のさまざまな問題をめぐる公共的な議論にコミットする(理性を公的に使用する)人々」のことです。


                                        アメリカと運命を共にすることこそが最も現実的だと考えるリアリストたちは、世界をホッブス的な「自然状態」だと考えているのです。歴史の進歩など「夢」に過ぎないというわけです。それゆえ、国連やNGOに代表される世界市民社会を否定せざるを得なくなります。


                                        しかし、こういう考え方は、余りにも時代錯誤的です。さらに言えば、国連を基礎にもつ世界秩序の構想に比べて、もはや少しも「現実主義的」ではありません。お互いにたいして、潜在的敵意を持つ主権国家を前提にした考えを「現実主義的」だと誇るにしても、それは単に超大国の「夢」を代弁しているにすぎないのです。


                                        そう考えると、日本が憲法九条を堅持するということは、アメリカの覇権主義的な野望にくみするのを防ぐだけではなく、第二次世界大戦後の日本と国連が共通の出発点にした理念と決意を国際社会にたえず思い出させるという意味をもっているのです。


                                        長くなるので2に対する考察は次回のブログに譲ります。ただ、一つだけ言っておきたいことがあります。現実主義者にできることは、理想を掲げる人間を冷笑するだけで、最終的にはニヒリズムに陥るしかないということです。ニヒリズムは最もたちの悪い感情です。ニヒリズムに侵されて感情を劣化させた人間は他者を勇気づけることは決してできません。


                                        私は一介の塾の教師ですが、生徒には世界平和のために理想を掲げてもらいたいと思っています。できればそのような仕事についてほしいとも考えています。しかし、たとえどんな仕事についても、その仕事を懸命にすることが、この理想とどこかでつながっていることを感じられるような、そういう働き方をしてほしいと願っています。

                                         

                                         

                                        | 良心的兵役拒否 | 23:39 | comments(0) | - |
                                        感情にもレベルがある。
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                                          知識のレベルの違いは、質・量ともに一目瞭然です。「知識に偏った勉強」という漠然とした言葉で教育を批判する人を見かけますが、世の中の専門的な職業のほとんどは正確な知識に依存しています。


                                           

                                          たとえば、微熱があって身体がだるいといった症状が一カ月ほど続いた後、近くの内科で診察してもらうとします。すべて風邪のせいにされたり、ストレスのせいにされたりすれば、その医者を信用できるでしょうか。不安になりますね。したがって、学習のほとんどを、正確な知識の習得に当てなければならないのは当然なのです。


                                           

                                           

                                          ところが感情にもレベルの違いがあるということは、あまり理解されていません。知識に深浅があるように、感情にもレベル差があるのは当然です。つまり、高級な感情と低級な感情があるということです。

                                           


                                          身近な例で考えてみましょう。

                                           

                                           

                                          一人の老人が、雨の中、横断歩道を渡ろうとしていて、縁石につまずいて転んだとします。それを見てAさんは心配して駆け寄り、Bさんは笑い、Cさんは顔色一つ変えず立ち去ったとします。この中でAさんの感情がもっとも高いレベルにあることは誰でもわかるでしょう。

                                           


                                          何が言いたいのかというと、知識の習得に教養と訓練が必要であるように、感情を育てるためにも教養と訓練が必要なのだ、ということです。なぜなら、感情は人間が生まれながらに持っているものではなく、家庭や学校、ひいては社会の中で「学習して身につけるもの」だからです。愛情ですら例外ではありません。

                                           

                                           

                                          レベルの高い知識の前では、誤った知識や低級な知識は頭を垂れて引き下がるしかありません。同様に、公正で崇高な感情の前では、粗雑で自己中心的な感情は屈服するほかないのです。大切なのは公正で崇高な感情を持っている人間から学ぶことです。

                                           

                                          以前ブログで『知性が感情を劣化させる』を書いたのも、知性を方向づけるのは正しい感情であるということを共通認識にしたいと思ったからです。

                                           

                                           

                                          『知性が感情を劣化させる』

                                          http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=85

                                           


                                          感情にもレベルがあるということを理解すれば、人は自分の感情を向上させたり純化させたりする努力をし始めます。心が正しい位置に置かれているということは、公正で無私の感情を持っているということです。そして、公正で無私の感情は、とんでもない不正を経験することからも学ぶことができるのです。

                                           

                                           

                                          未来塾通信7『ある教師から学んだ「公平さ」について』http://www.segmirai.jp/essay_library/essay007.html 

                                           



                                          豊富な知識を持っている人に囲まれて生活することは一つの利点ですが、それは人間の幸福を必ずしも約束しません。しかし、正しい感情を持っている人に囲まれて生活することは、それだけで幸福なのです。私が『鴨川食堂』にこだわるのは、正しい感情を持った人間たちが集まっているからです。このドラマの中では、元刑事をしていた鴨川流(萩原健一)に逮捕されたチンピラですら、正しい感情を取り戻します。つまり、魂の救済場所なのです。それは人間の本質からして、小さな世界にならざるを得ません。




                                          戦争やテロや経済恐慌などを引き起こす最初の導火線になるのは、多くの場合、低級な感情をもった人間たちが、劣悪で粗雑な感情を撒き散らし、エスカレートさせて爆発させるからです。憐れむべきは、こうした低級な感情に突き動かされて、他国を敵視し、戦争もやむをえないと考える集団です。「教育は2万%強制」だの、「政治の究極は独裁」「民主主義は感情統治」だのと大声で叫ぶ橋下徹のような連中なのです。

                                           

                                          | 文学・哲学・思想 | 17:05 | comments(0) | - |
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