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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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大切なものは、半径3メートルの中にすべてある。
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    こどもの頃、わが家のそばに靴屋さんがありました。その靴屋の主人は偏屈で、家の一角に仕事場を持ち、そこで一日中仕事をしていました。工房と呼ぶには余りに狭い空間で、生活も決して余裕があるようには見えませんでした。あのころはみんなそんな感じでしたね。


     

    その仕事場は外の通りに面していて、私は開け放たれた窓枠に両手を組み、その上にあごを乗せて仕事ぶりをみていました。大きな力強い手には太い血管が浮き出ていて、いかにも握力が強そうな手でした。木槌で革を叩き、なめし、穴に糸を通し、力強く引っ張ります。畳職人の動きに似ています。そばの棚には革を切るための大小様々な形をした鋏が掛けられていました。木槌の小気味よい音と、革の匂いがするその仕事場が好きで、私は飽くことなく眺めていました。
     

     

    主人は偏屈で気が短かったため、こども達は彼と目を合わせるのを避けていました。それでも私が彼の仕事ぶりを間近で眺めているときは、こちらを睨みつけるようなことはありませんでした。それどころか、少し嬉しそうな表情を浮かべていました。それはきっと、私が彼の仕事ぶりに興味を持ち、半ば憧れと尊敬の眼差しを向けていたからだろうと思います。
     

     

    一日を靴一足作るのにかかる時間として認識するような生き方が人間本来の幸福な生き方ではないのか、と最近つくづく思います。作った靴の数でその人の人生が測れるような生き方。日々の暮らしの中で必要とされる最小限の道具をそろえ、それを長く使うこと。愛用する道具で、その人のことが思い出されるようなモノ。
     

     

    私はよく塾の生徒に言います。「切るモノと同じ数のナイフをそろえるのは、ばかげている。君たちのやってる勉強を見ていると、人より少しでも多くのナイフを手に入れようとしているみたいだ。それでは道具を大事にしようとする気持ちはわいてこないだろう。一回使って捨てるような道具をため込んでどうするつもり?紙も切れる、トマトもピーマンも切れる、魚の骨も切れる、ついでにヒゲも剃れる、そんなナイフがあったらいいと思わないか。勉強するということはそういうナイフを手に入れることなんだよ」と。
     

     

    人間(ホモサピエンス)は道具を作り、それを使う動物です。その使い方によって、幸福にもなれば、人類を滅ぼすことにもなります。道具の延長としてのテクノロジーは、自然と調和し、私たちの身体感覚の延長として私たち自身で制御できるものであるべきです。


     

    私はこどものころ、『肥後守』という小刀一本で何でも自作しました。その延長で家も建てました。これは私の生活を愉快で幸せなものにすることに役立ちました。だから、宮崎駿監督が言うように「大切なものは、半径3メートルの中に、すべてある」というのがよくわかります。これは想像力によって自分の足元をどこまでも掘り下げていくことによって「地球感覚」に到達した人間のことばです。想像力を欠く人間は「半径3メートル」の世界を狭いと感じ、その中に自足することができません。哀れな人たちです。
     

     

    ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領も言っています。「私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」「モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」と。

     

     

    | 人生 | 13:56 | comments(0) | - |
    NHKの会長よりもパチンコ店のチラシの方がレベルが高い!
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      買い出し担当の妻と違って、私は新聞折り込みのチラシはめったに見ません。ところが今日は、どういう風の吹きまわしか、パチンコ店のチラシに目がとまりました。先日のブログで書いたセレンディピティでしょうか。そのチラシの一番下にあった文句を見て笑いました。


       

      「パチンコ・パチスロは適度に楽しむ遊びです。のめり込みに注意しましょう」です。その横には大人とこどもが指きりしているイメージ画像があります。そしてIt’s a promise.という英語にハートのマークがついています。「父ちゃん(母ちゃん)約束でっ!」ということでしょう。


       

      ここには巧まぬユーモアと同時に、借金を作った挙句の一家離散、家庭崩壊といった悲劇的なイメージを呼び覚ます仕掛けがあります。本物のユーモアには、悲劇の隠し味が仕込まれているものです。パチンコ業界もなかなかやります。

       

       

      それはお前の考え過ぎだ、と言われそうですが、悪魔のような「論理的思考力」と深い「文章読解力」を身につけてしまった私の性(さが)とでも言いましょうか、仕方ありません。なんちゃって。
       

       

      ところで、20日の災害対策本部会議でNHKの籾井勝人会長が「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないように、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と言い、専門家の見解を伝えないように指示していたことが分かりました(27日の朝日新聞による)。そして、公式発表が何を指すかについては、気象庁や、原子力規制委員会、九州電力が出しているものを挙げたそうです。
       

       

      指示については「原子力規制委員会が安全である、あるいは続けていいということであれば、それをそのまま伝えていくということ。決して大本営発表みたいなことではない」と説明しました。
       

       


      私はこれを読んで椅子から転げ落ちました。いや正確には、転げ落ちそうになりました。最近は新聞を読んだりネットで検索したりするときには、椅子をベルトで身体に固定するようにしています。尾てい骨を骨折すれば、塾稼業に差しさわりが出ますからね。
       

       

      安倍首相の肝いりでNHKの会長に就任したとき、籾井勝人氏が放った第一声は「政府が右と言っているものを左というわけにはいかんでしょう」でした。従軍慰安婦については「ほかの国でもやっていた」でした。万引きを見つかったこどもが、「ぼくだけじゃないよ、みんなやってるもん」と言っているようなものです。これで責任逃れができると思っているところがスゴイ。
       

       

      そして、今回の「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないように、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」という発言です。

       



      籾井さん、あなたは「決して大本営発表みたいなことではない」と「みたいなこと」を付けてごまかそうとしていますが、これこそ「大本営発表」そのものです。あなたは大本営発表をする側に常に寄り添うようにして、自我を形成してきたのです。だからこそ、NHKの会長に抜擢されたのです。つまり政治に都合よく利用されているのです。

       


      普通に考えれば「住民の不安をいたずらにかき立てないように」の後に続くセリフは、「事実を丹念に取材し、予断を持たない細心な報道を心がけてほしい」でしょう。ところが「公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」です。これは、記者に「仕事するな」と言っているのと同じですよ。
       

       

       

      籾井氏の発言に対して、「誤った情報で現地の人が混乱するのを避けるため、正しい情報を提供する必要があるという、至極当たり前の話ですよ」とわかったようなコメントしている人がいましたが、公式発表と別ソースの報道は「正しい情報」ではないと考えていることを白状しています。ついでに人格が空洞化したことによる思考力のなさも。
       

       

      公式発表というのは、「このように物事を見てほしい」という認識の枠組みを提供するため、様々な手口を駆使して念入りに構成された「作品」なのです。そこからスタートすると、その提供された認識の枠組みから外に出られません。

       

       

      日本のマスコミの最大の問題点は、官庁にある記者クラブが発表したことが「事実」であり、しかもこれこそが唯一無二の「事実」であるかのように報道する点にあります。要するに役人が決めたデータが事実になるのです。もしその発表が事実と違っていても、訂正するのは容易ではありません。冤罪を晴らすのと同じくらい難しいのです。
       

       

      それにしても、籾井勝人氏は三井物産の副社長をしていた人です。この程度の現状認識と「論理的思考力」の持ち主でも三井物産の副社長は務まる、いやこうでなければ務まらないのだ、ということを世間に公表してしまいました。ついでにジャーナリズムの役割を全く理解していないということも。さすがに安倍首相が送り込んだ人材です。ため息が出るだけですね。

       

      | 政治 | 13:46 | comments(0) | - |
      倫理を排除したつけは、誰が払うのか。
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        モーツアルトの曲がなぜ美しいのかを論理的に説明することはできません。ましてや、美しいと感じる科学的根拠をあげよという人がいたら、顰蹙を買うか、無視されるだけでしょう。あるいは、ある人の行ないがなぜ「卑怯」なのかを、科学的根拠を用いて論理的に説明することもできません。「なぜ人を殺してはいけないのか」「不倫は罪なのか」といった問題も同様です。


        つまり、日々の生活のなかで、ほとんどの人が出会う人間にまつわる諸問題を解決するのに、論理や科学は役に立たないということです。逆に論理や科学が役に立つのはきわめて限られた分野だけだということを忘れてはなりません。


        原発を再稼働させるかどうかという問題は、私たちのいのちと暮らしに直結する問題であるばかりでなく、将来の世代に対する責任の問題でもあります。こういった本質的に倫理的な問題を議論する際には、論理や科学はいったん後景にしりぞくべきです。


        もし日本が歴史と文化に見合った、政治的に成熟した国であれば、私の言うことなどごく当たり前の常識として受け入れられるはずです。現にドイツは福島第一原発事故からわずか100日で「脱原発」を決議しました。


        この英断に重要な役割を果たしたと言われているのが「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」です。 福島の原発事故から10日ほどしか経っていない頃にメルケル首相が設置しました。いわゆる「賢人会議」です。17人の委員のうち、原子力業界の関係者はおらず、社会学者や哲学者、キリスト教関係者らなどから構成されていました。メルケル首相の諮問委員会であるこの委員会の報告書がドイツの脱原発法案の基礎になったのです。


        この報告書には、再生可能エネルギーなどの具体的な提案のほか、「フクシマ」の大災害へのショックが綴られ、原発、核エネルギーに対して「倫理的根拠から」という文言が何度も登場します。「将来のエネルギー供給及び核エネルギーに対する倫理的評価に必要な鍵となる概念は、資源や自然環境を保ちながらの『持続性』と『責任』である。」 「倫理委員会は、エネルギー転換をなすべく人類としての責任でこの委員会報告書の結論を提示する」。 そして報告書は、リスクを抱えた原発の利用に「倫理的根拠はない」と結論づけたのです。 (メルケル連邦首相諮問委員会 「倫理委員会〜安全なエネルギー供給」報告書)


        「倫理」ということばは、ドイツ国民はもとより、政治家にとって何よりも重い意味を持ちます。 それは、アウシュビッツの経験がもたらしたものです。


        原発事故から5年以上が経過したこの国で、「倫理」という視点から原発が語られたことがあったでしょうか。もちろん、原発に反対するデモや集会は、「倫理」という言葉を使わなくても、そういった視点からの問題提起でした。しかし、実際のエネルギー政策を決める場で、「倫理」を巡って本格的な議論が行われた事実はありません。


        福島第一原発の事故を経験した後でさえ、この国の政治家も国民もついに「倫理」的な目覚めを経験することはありませんでした。それどころか、安倍政権や財界などから聞こえてくるのは「経済」つまり「金儲け」の話ばかりです。


         地震の頻発するこの国で原発を「粛々と」再稼働させ、今一度、原発震災を経験しなければ国民は目覚めないのでしょうか。しかしそうなったときはこの国は終了しています。「倫理」によって原発が止まるドイツと、「経済」によって止まらない日本。倫理を単なるお題目だとか、理想論だ、感情論だとして排除したつけは、大きな代償となって私たちと将来の世代が払わなければならないのです。

         
        | 原発 | 00:38 | comments(0) | - |
        セレンディピティについて
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          セレンディピティということばがあります。幸運と呼ぶしかない偶然に出会ったり、思いもかけないものを発見したりすることをいいます。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけることを指します。

          考えてみれば、私でも何とか生き延びてこられたのは、幸運な偶然によるところが多いと痛感しています。人間の意思や努力の大切さはわかっていますが、それを超越したところで人生は左右されているような気がします。

          今日の午後、用事を済ませ、簡単な昼食をとった後、ジュンク堂書店に立ち寄りました。エレベータを降りて右手に10mほど行くと建築のコーナーがあります。建築関係の新刊書があるか探していると、一冊の本が目に飛び込んできました。『偶有性操縦法・磯崎新・何が新国立競技場問題を迷走させたのか』という、小難しい題名の本です。磯崎新氏については今さら説明はいらないでしょう。建築を哲学的観点から考えることにおいて、彼はずば抜けた才能を持っています。

          その本の目次を見て、買おうと思い、最初のページを開いて私は衝撃を受けました。そこにはまさに今私が考えていたことが書かれていたのです。しかも明晰なことばで。彼の本は数冊読んだだけですが、最初の出会いはいつもこんな風です。

          2011年9月に書かれた文章だということを忘れずにお読みください。

          引用開始

          「津波は私の思考の、いや存在のはじまりにあります。といっても3・11の大津波ではありません。いつ頃のことか正確にしらべたことがないのですが、わが家のいい伝えでは、歌舞伎の『地震加藤』の頃となっています。それまでは瀬戸内海の西のはずれ、別府湾のなかに瓜生島というかなり大きい島があったらしい。現在は消えています。こどものころに古地図をみたことがあります。本家筋の幸松家でみました。この島の中央に幸松、東端に磯崎という地名がかかれていました。おそらく漁師だったのでしょう。




          別府湾に浮かぶ瓜生島の古地図



          瓜生島はある日、地震の後、海水が引いていって、南側の府内(いまの大分)と一瞬陸続きになり、このとき島民は歩いて高台に避難した。私の先祖もその一人だったのでしょう。海水が津波になって返ってきた後、島が消えていた、といういい伝えです。いま大分市内に瓜生寺(威徳寺)という寺院があり、その境内に一本の這松があります。これは津波で島から流されてきたといわれています。」

          「津波で消えた瓜生島の伝説の一つを私は子供の頃聞かされました。この島には島民の信仰を集めた地蔵菩薩があり、その顔が赤くなると、島は沈む、といういい伝えがあった。悪ガキがいて、この迷信で騒がせようと、ある夜菩薩像の顔に朱を塗った。島民は驚きあわてて避難したけど、悪ガキは自分のしたことだとせせら笑って島に残った。島とともに彼の姿は消えた、という話です。

          いろんな説明はつきますが、いま私がこのフォークロアから教訓を得るとすれば、「逃げろ!」ということです。予兆でも予測でも、予感でもいい。「逃げろ!」です。私の先祖はそうやって生きのびたらしい。いま私が生存しているのは先祖のひとりが非科学的・非論理的で単純でおろかしいが生きのびようと判断をして、避難できたからといわざるを得ない。

          アーキテクトの仕事を長年してくると、私は悪ガキと同じ立場に居させられたと言わざるを得ません。迷信をあざ笑い、その反証をやってみる。それが今日の科学者のやり方ではないですか。原発の安全神話に加担した科学者たちは、この悪ガキのシニシズムを共有していたにちがいあるまい。


          瓜生島は中央構造線上にあった。ここが動いて瓜生島は沈んだ。伊方原発はひとたまりもない。



          アーキテクトはテクノロジーを発動させる点において基本的に同じ役柄です。テクノクラートも同様でしょう。それが〈生政治〉における統治の技法になっている。いまでは国家戦略の立案や実行をやっている。アーキテクトは宿命的に社会的中心権力の側にいるのです。彼は迷信を信じてはいけないと自ら信じている。こんなメンタリティが構造的に生まれていると考えられます」 引用終了。

          長い引用になりました。彼の本を書き写しながら、私はただ宮崎駿監督のことが思われてなりませんでした。このことはまたいつか。私の読書はかくのごとく、セレンディピティのたまものなのです。いや読書だけではなく、人生そのものも。
           

           
          | 原発 | 22:58 | comments(0) | - |
          私は百姓の子であり、瑞穂の国の住人です。
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            パナマペーパーに見られるように、巨大な犯罪ほど合法の名のもとに遂行されます。税の公平性・公開性に反していようが、民主主義の根幹を破壊しようが、「違法ではない」という言い訳が準備されています。菅官房長官は「調査するつもりはない」と早々と宣言しました。思えば、人類史上最悪のナチスの政権も合法的に誕生した政権でした。

             



            同様に、真の狂気も、誰が見ても狂気だとわかるような外見をまとってはいません。ナイフを片手に群衆に襲いかかったり、車を暴走させて通行人を無差別に殺すといった犯罪の形をとりません。

             



            それは、一見知的で学者のような風貌をした人間を宿主として寄生し、卵をたっぷり産みつけます。そして、確率論と統計学を駆使し、科学の名のもとに自ら下した判断こそが合理的で客観的であると宣言します。つまり、市井の人間の常識も素朴な感情もはいりこむ余地のない「理性」だけになった精神状態を狂気というのです。

             



            18日、原子力規制委員会の田中俊一委員長は記者会見で「科学的根拠がなければ、国民や政治家が(川内原発を)止めてほしいと言ってもそうするつもりはない」「(川内原発の)運転を続けても問題ない」という見解を示しました。「科学的根拠」というまじないを唱えれば、「国民や政治家」の上に君臨できるとでも思っているのでしょうか。彼は一体どこの国の住人なのでしょう。

             



            彼の言う科学的根拠とは、川内原発で観測された地震の揺れの加速度は最大で8.6ガルで、原子炉を自動停止する基準の1つになっている160ガルを十分下回り、異常がみられないこと。また川内原発の地震対策は、一連の地震より十分大きな規模の揺れを想定していることをあげています。
             

             


            これを聞いて、私は椅子から転げ落ちました。最近は椅子にちゃんとすわっている暇がありません。尾てい骨にひびが入りそうです。これって、福島第一原子力発電所の事故前の、安全神話そのものではありませんか。
             

             


            今回の熊本地震の最大加速度は益城で観測された1580ガルでした。http://goo.gl/sIGaMA 川内原発の耐震性能基準規制値の620ガルをはるかに上回るものです。
             

             


            今回の地震で生じた1,5メートルの段差。これが川内原発の直下で起こっていたらどうなっていたか。行政の最高権力者に想像力が欠けていれば、私たちは殺される運命にあるのかもしれない。

             


            ちなみに2008年6月に起きた岩手宮城内陸地震は4000ガルを超えています。これを受けて福井地裁の樋口英明裁判長は、原発を再稼働させるなら4000ガルの揺れに耐えられるような設計にしなければならないとして、大飯3・4号機の再稼動を差し止める判決を出したのです。

             



            田中俊一委員長の言う科学的根拠とは「私はネコのほうがイヌより知能が高いという論文を書きました。その科学的根拠は、私はネコのほうが好きだからです」と宣言しているようなものです。益城で観測された1580ガルの揺れが川内原発を襲っていたら、とは考えられないのです。ましてや4000ガルの揺れは起こらないとどうして断定できるのでしょうか。これはもはや科学的根拠というよりも、運よく地震が起こらないことを祈る新種の宗教でしょう。

             



            この宗教の教義は、政策的に追い詰められた者たちに急速に感染する性質を持っています。その感染経路を拡大させる役目を担っているのが、「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と断言して原発の安全性を語っていた東大の大橋弘忠教授や、「福島の原発事故は、いのちの問題ではなく、純然たる経済問題だ」と叫ぶ、池田信夫のような経済評論家たちです。
             

             


            それが時の最高権力者に感染すると、野党の政治家(民進党は20日に行った熊本地震に関する政府への申し入れに、川内原発の運転停止の要求を盛り込むことを見送りました)にも、国会にも、司法にも感染が拡大します。そして、またたく間にその取り巻きにも広がります。こうして日本の支配階級は「理性」だけで政策決定をする狂気の集団と化したのです。

             



            次は教祖による国民の洗脳です。国民にパンとサーカスを与えて真実を隠蔽し、隔離した環境に置いて知識や情報分析によってけむに巻き、普通の人間の素朴な感情を徹底的に否定します。個人が心の拠り所にしていた価値観や倫理観を破壊し、心身を疲弊させたところで、刷り込みたい価値観を空白になった心に一気に植えつけるのです。

             



            まるでブラック企業の新人研修です。新入社員をしごくと、実際、雇用側が望むような効果があるそうです。組織に加入するために苦痛を味わうと、その組織には苦痛に見合うだけの価値があると思いやすくなります。カルト宗教の入信の儀式と同じです。

             



            かくして日本の「エリート」たちによるカルト教団が誕生しました。この教団内では、東大を頂点とする大学のヒエラルキーが威力を発揮するのは、ご存じのとおりです。内輪で修行に励むのは構いません。

             

             

             

            しかし、その教義が、自分たちの特権を維持し金儲けに役立つのなら国民の命や国土をも犠牲にしてよい、というものであれば、心ある国民は黙っているわけにはいきません。この教団の本質を見極め、洗脳を解くために戦わざるを得ません。問題はそれだけの時間が残されているかどうかです。
             

             


            しかし、明日この国が滅びるとしても、私は稲を植えようと思います。私は百姓の子であり、瑞穂の国の住人ですから。
             

            | 原発 | 23:40 | comments(0) | - |
            結果オーライが国を滅ぼす
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              もしあなたのこどもが目隠しをしたままで1km先のゴールまで歩かなければならないとします。途中至るところに無数の大きな穴が開いています。落ちれば命はありません。しかし、あなたは大声で叫ぶことも、物を投げて警告することもできません。理不尽さに身もだえしながら、ただ見ているしかありません。こどもが無事にゴールしたとき、あなたは恐怖と緊張から解放されてその場にしゃがみ込むことでしょう。
               

              なぜあなたのこどもは無事にゴールできたのでしょうか。頭がよかったからでしょうか。危険を察知する能力があったからでしょうか。違います。ただ運が良かっただけです
               

              さて、5年後にあなたのこどもが再び同じ条件で、このコースを歩かなければならないとします。前回と同じように傍観するしかないのでしょうか。しかも、このコースを歩かなければならないのは、あなたのこどもだけではありません。数千、数万人のこどもが後に続くことになっています。
               

              猶予は5年間しかありません。あなたはあらゆる人や組織に働きかけ、穴を埋める作業に着手するでしょう。これがまともな人間のすることです。傍観すれば動物と同じです。これは本来なら政治がやるべきことです。そのために私たちは政治家を税金で養っているのですから。
               

              ある政治家は、穴を埋めることなど、わが国の技術力をもってすれば数週間もあれば可能だと豪語します。その一方で、この工事による業者からのキックバックや集票効果を計算します。そして、いざ工事に取り掛かったところで、彼らはある事実に驚愕します。一つの穴の深さが数十キロメートルもあることが判明したのです。残された時間で埋めることは不可能です。こどもたちは目隠しされたままで、断崖絶壁の上を歩かなければなりません。
               

              これは単なる比喩ではありません。4月14日に熊本県熊本地方で最大震度7(マグニチュード6.5)の地震がありました。私は瞬間的に、九州電力の川内原子力発電所を心配しました。もし今回の地震が川内原子力発電所の直下で起こっていれば、第二のフクシマどころか、圧力容器が破壊されて放射能が漏れ出し、西風に乗って瀬戸内海を北上し、関西地方へ到達していた可能性がありました。そうなれば西日本は壊滅です。今回、川内原発の周辺で大きな揺れがなかったのは運が良かっただけです

              地図をご覧ください。運が良かっただけだということが分かると思います。まるで、原発を避けるように、九州のど真ん中で起きた地震。もう充分に警告は発したぞ、と神様が言っているようです。


               

              日本のあちこちにぽっかりと口をあけている原発という「穴」を埋める作業に早急にとりかからなければなりません。日本は地震列島です。どこでも大きな地震は起こります。活断層があれば、岩盤がずれ、どれほど堅牢な建造物でも破壊されてしまいます。これは仮定の話ではありません。私たちはすでに福島第一原子力発電所の事故を経験しているのです。
               

              にもかかわらず、九州電力は今回の地震があった時、川内原子力発電所を停止していません。3・11の大震災で震度4の余震が起こったとき、震源から200km離れている青森の東通原発は冷却機能を喪失しました。九州電力の危機感の無さには呆れ果てる他ありません。安倍官邸と、この電力会社はもはや反社会的であり、非常事態に対応できないことを露呈したのです。
               

              反社会的といえば、熊本で最大震度7の地震が起きたとき、ちょうど、BSフジのプライムニュースに櫻井よし子氏が出演して、核武装論を主張していました。「核弾頭ミサイル、核弾頭ミサイルを搭載した潜水艦が必要だ」と。
               

              地震列島日本で原発を稼働させるのは狂気です。その狂気を生みだしているのは、カネと核兵器にとりつかれた妄想的宗教団体に属する「合理的な」愚か者たちなのです。

              | 原発 | 13:05 | comments(0) | - |
              私たちは政府によって緩慢な死を強制されている
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                民主主義国家において、国家が国民に「死ね」と言うことはできません。なぜなら、主権者である国民が自らに死を強制することなどあり得ないからです。しかし、国民の命にかかわる重大な変更、つまり憲法で定められている不戦の誓いを、一内閣の閣議決定でくつがえし、数の力で法制化したのが安倍内閣なのです。
                 

                 

                おかげで私たちは、テロの脅威ばかりでなく、戦争準備体制により経済的破綻にさらされることとなりました。何を極端なことを言っているのか、と思われるでしょうか。私は鈍感な人間だという自覚があります。天下国家のことを語るのはもともと好きではありません。そういった人間でさえ、沈黙することは罪だと感じるのが今の政治状況です。
                 

                 

                戦争やテロによって国民の命が危険にさらされていることは、ある意味分かりやすいとも言えます。しかし、福島の原発事故以降、私たちは政府の無為無策と無責任体制によって緩慢な死を強制されているのです。
                 

                 

                棄民化されたのは原発周辺の人々だけではありません。今や国民すべてが棄民化されています。疑う人は、以下の動画をご覧になって下さい。

                 

                 

                尚、この動画は何度も削除されています。山本太郎氏はそれほど政府にとってはマズイ質問をしているということです。あなたが生き延びたかったら、是非この動画を記憶して下さい。

                 


                 

                山本太郎氏が「すべてがつながっているんです」と思わず発言するシーンがあります。その通りですね。忘れてならないのは、「すべてをつなげている」主体があるということです。そして、このつながりを切断できるのは誰か?答えは明瞭です。

                 

                | 原発 | 07:44 | comments(0) | - |
                既得権ウィルス VS アンチウィルス
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                  フランスの小説家アンドレ・ジッドの作品に『一粒の麦もし死なずば』があります。表題は『ヨハネ伝』の第12章24節のキリストの言葉、「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」に由来します。


                  なぜ唐突にこんなことを思い出したのかというと、衆院補欠選挙が告示され、北海道5区から立候補している池田真紀氏の演説を聞いたからです。その時突然
                  『ヨハネ伝』のことばが思い浮かんだのです。池田真紀氏こそまさに「一粒の麦」です。


                  東京で培養された既得権ウィルスが瞬く間に日本各地へ広がり、今やこの国は瀕死の状態です。ウィルスに最も感染しやすい体質を持っているのが、官僚、世襲の職業政治家、財界、マスメディアです。
                  国益とは自分たちの既得権益だと考えているため、彼らはそのウィルスに真っ先に感染したのです。このウィルスは時間をかけて精神をむしばみます。そして、「この道しかない」と叫ぶ確信犯的視野狭窄症に陥るのです。


                  池田真紀氏の対抗馬は自民党の和田義明(44)氏です。彼は早稲田大学から三菱商事へ進んだ商社マンで、自民党議員だった町村信孝氏の娘婿になった人です。彼の演説を聞くと、自らすすんでウィルスに感染した人間だということが分かります。この期に及んでアベノミクスをさらに推進しようとしています。自分たちが吸い上げた利益は、より凶暴なウィルスのえじきになることも知らずに・・・。


                  一方、池田真紀候補(43)は中卒、シングルマザー、生活保護というドン底から、北海道大学の大学院に進んだ人です。苦労が彼女を鍛えています。以下の画像をご覧ください。



                  このウィルスが猛威をふるい、死の病となって日本全国に蔓延し、いまや感染していない地域はわずかです。このウィルスに対抗できるアンチウィルスを探さなければなりません。山本太郎氏や池田真紀候補がアンチウィルスのありかを示しています。それは沖縄と北海道5区です。いや、彼ら自身がアンチウィルスなのです。私は鳥越俊太郎氏と同じく、彼らを応援しています。



                  今度の補欠選挙は、このアンチウィルスが日本を生き返らせることができるかどうかの試金石となります。ウィルスのために壊死寸前となった細胞を、周縁の地域に生き残っていたアンチウィルスの力でよみがえらせなければなりません。


                  それには若い人たちの覚醒が必要です。18歳で選挙権を与えられた人たちの中で、このウィルスに侵されていない人たちが中心にならなければなりません。山本太郎氏や三宅洋平氏、それにSEALDsが中心となって日本を救うしかないのです。


                  ウィルスに侵されて思考能力を完全に失っている老人は、全く頼りになりません。例えば、4月7日(木)BSフジ、プライムニュースの『石原慎太郎 堺屋太一 渡部昇一が世相を斬る 政治、外交、核武装論』という番組で、司会者に「「保育園落ちた日本死ね」みたいなので政治が動くこの風潮どう思います?」と質問され、渡部昇一氏は「日本は末端まで社会主義が浸透しているんだな。赤ちゃん産んだのはその人が育てるつもりで産んだんでしょう。そして保育園入れようとしたら入れなかった。それが国家が悪いという風に結びつくというのがねえ、これは社会主義の発想の極限という気がする」と発言しました。


                  「末端まで社会主義が浸透している」という認識を聞いて、私は椅子から転げ落ちそうになりました。末端まで浸透しているのは資本主義であり、その結果が今の格差者社会でしょう。パナマ文書の存在をどう考えているのでしょうか。やれやれ、あまりの知的衰弱ぶりに同情したくなってきました。


                   さらに、石原慎太郎氏は「こういうこと言うんだったら韓国でも中国でも行ったらいい」と発言。堺屋太一氏に至っては「イスラム国へ行ったらいい」と発言しました。堺屋氏はイスラム国がこどもを空爆の盾にしたり、自爆テロを実行させているのを知っていて発言しています。さすがに橋下徹氏のブレーンだけのことはあります。


                  ウィルスに侵されればどうなるか、この三人はその絶好の見本です。このウィルスに侵されて死にたくなければ、私たちは今度の補欠選挙をはじめとして、参院選挙までの政治プロセスを注視しなければなりません。

                   
                  | 政治 | 13:11 | comments(0) | - |
                  ことばは精神そのものである
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                    ことばは精神そのものです。ことばよりも行動を信じると言いますが、軽薄で高圧的、権力にものを言わせたことば使いをする人の行動を信じることができるでしょうか。ことばと行動は別のものではありません。ことばが紋切型であれば行動も紋切型になるのです。


                    ことばは立派だけれど行動がともなっていないと言われる場合、ことばそのものも決して立派ではありません。それはことばを通してその背後にある精神を見ることのできない人が、表面的なことばに騙されているだけです。


                    他人の人生ではなく自分の人生を生きるためには、日々の生活の中で実感のともなったことばに耳を澄まし、それを養分として吸い上げることのできる「根」を養わなければなりません。どんな宗教的信念もイデオロギーも、独自の「根」のないところに花は咲きません。


                    宮崎駿監督は「半径3メートル以内に、大切なものは、ぜんぶある」と喝破しました。そこを掘り下げることで核兵器のおぞましさや原子力の平和利用ということばの欺瞞を見破り、核なき世界を構想しました。つまり、
                    足もとの「石ころ」に地球や星の運行を見て、「地球感覚」とでも呼べるものに到達したのです。これが彼の作品すべてに共通する根源的なものです。想像力の力業というよりも霊的感受性といったほうがいいかもしれません。


                    それに比べて、今の政治家や財界人、マスメディアの幹部のことば=精神の劣化は、どう形容すればいいのでしょうか。ことばがみあたりません。私には空語、空語、空語としてしか感受できないのです。生活者の実感もなければ、閉塞した現状を切り拓こうとする必死の努力も見えません。ファーストクラスの座席を確保することに血眼になり、国民大衆の痛みなど想像の埒外に置いています。


                    そんな有様ですから、自分たちの座席を確保できたと安心しても、乗り物自体が暴走して谷底へ転落すれば意味がない、ということに気づいていません。この政治状況、文化状況を見て心暗くならない人がいたとすれば、幸いなるかなです。退廃した精神がもたらす生活とは、およそそういうものだということも分からないではありません。しかし、私とは全く無縁の世界に生きている人間だと思わずにはいられないのです。


                    4月7日、衆院TPP特別委で、民進党・柿沢未途議員から「かつては断固反対と言っていたTPPに活路を見出そうとしているのではないか」と質問された安倍首相は、平然とした表情で、こう言い放ちました。「私自身は、TPP断固反対と言ったことは一回も、ただの一回もございませんから。まるで私が言ったかの如くのですね、発言は慎んでいただきたい」。

                    以下の画像をご覧ください。このポスターを掲げて選挙を戦った時の自民党総裁は一体誰だったのでしょう。




                    同じ日、おおさか維新の会の足立康史衆院議員は衆院総務委員会で、民進党の安全保障関連法の対応を巡り「アホ」「バカ」を連発しました。この議員については以前当ブログでも批判しました。人間、批判されても変わらないものですね。以前批判した大分市Y田ゼミ塾長氏も、相変わらずツイッターで、「山尾志桜里とかいうバカ」と叫んでいます彼らには他者からの批判を自分の中に繰り込んで、より深い、普遍性を持った思想を紡ぎ出そうなどという発想はこれっぽっちもないようです。こんな議員を税金で養っていると思うと、「絶望」の二文字を消し去ることができません。


                     
                    | 政治 | 16:48 | comments(0) | - |
                    集金マシーンと化した塾産業
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                      教育は「結果にコミットする」ものではありません。親も教師も不完全な人間です。その不完全な人間がこどもを相手にするのです。こどもの成長のプロセスに寄り添うことで、お互いが、かろうじて成長できる、そういったいとなみです。
                       

                      今の塾業界はこの点を忘れています。いや、最初からそういった視点を持っていないのです。こどもたちの大部分は学校で学び、そこで成長していきます。もちろん知的な面も含めて。それを「受験に役立つ学力」というフィルターを通すことで、こどもたちの知的能力を高めるのに貢献したのは塾だ、と言わんばかりの宣伝を繰り広げます。
                       

                      しかし、現在の塾の本質は単なる集金マシーンだと言っても過言ではありません。大々的に「合格実績」なるものを掲げ、1教科あたりの単価を安く設定し、それを目立つように外壁に大書します。まるで安物の在庫一掃処分です。
                       

                      もはや塾はいかなる意味でも知的な産業とは言えなくなりました。C 級グルメを多店舗展開で売る産業ですね。つまり、採算が取れないと見ると、さっさと店舗を閉鎖し、スケールメリットを生かしてトータルの収益を伸ばす「企業」になりました。
                       

                      私は塾の教師を32年間やってきたので、この変化が手に取るように分かります。そこで、親御さんが騙されないための基礎的な情報を提供してみましょう。
                       

                      個別指導を謳う塾に良い塾はありません。M 光義塾が昨年「ブラック企業大賞・ブラックバイト賞」に輝いたのはご存じのとおりです。そもそも、先生一人に生徒2人又は3人、ひどいところになると4〜5人のところもあります。これで「個別」指導といえるのでしょうか。
                       

                      しかも指導時間は全員で1時間30分。すべての生徒を平等に教えたとして、3人の場合1人最大30分です。これなら講師が一人で3〜4人の生徒を相手に、1時間30分フルに教えた方が断然効率的です。実力もつきます。
                       

                      しかし、現実には4人で1コマ50分という塾もあります。これはもはや「個別」指導ではありません。しかも一コマの授業時間が50分では、実力のつきようがない。これは私の経験から断言できます。
                       

                      ではなぜこのような「商品」を売りに出すのでしょうか。費用対効果を考えて、1コマの見かけの単価を安く設定するためです。これは徹頭徹尾企業の論理です。
                       

                      例えば、週2回、英語と数学を受講するとします。授業時間は1回50分です。これで一カ月の費用がいくらになるか計算してみて下さい。この種の塾は、授業時間が短い割に月謝が高いことを、「個別指導」と見かけの単価を安く設定することでカムフラージュしているに過ぎません。しかも狭く区切られた場所を講師が移動して教えるので、声が聞こえます。集中して勉強などできません。
                       

                      それでも「個別指導」を謳うのは、生徒1人の料金を高く設定できること、大学生や主婦を安い賃金で雇用できることのほかに、それが消費者(親やこども)の求める流行りのスタイルだというのが理由です。これで成績が上がるわけもないのです。上がったように見えるだけです。
                       

                      私が塾を始めた32年前、この業界にはまだ知的な雰囲気が残っていました。学習面では厳しく指導しつつも、こどもの成長を願い、学校と塾の関係に気を配っていた塾教師も少なからずいました。例えば、在野の哲学者で『日本精神史』の著者でもある長谷川宏氏など。塾を始めたばかりのころ彼の『赤門塾通信』を読んでは励まされていました。
                       

                      しかし、目を血走らせた「ビジネスマン」がこの業界に目をつけ、事態は急速に悪化していったのです。社会が劣化の速度を速めるのと並行して、教育産業も劣化していきました。そこで失われたものは、こどもがこどもでいられる空間と時間です。個別指導という授業形態を含め、「ビジネスマン」や「経済学」が教育にもたらした影響について次回以降も書いていきたいと思います。

                      | 塾・学力 | 16:08 | comments(0) | - |
                      花は盛りに、月は隈なきをのみ、・・・
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                        満開の桜が咲き誇り、花見の季節が近づくにつれて私は憂鬱になります。花粉症のせいもあるのですが、新入社員が仕事そっちのけでブルーシートを敷いて花見の場所取りをする光景や、酔っ払った大人たちが大声で歌い、騒いで、あたり一面にゴミを散らす光景をあちこちで目にするようになるからです。ゴミの後片付けもきっと新入社員の仕事なのでしょう。会社の一員として認められるための最初の仕事が花見の場所取りとは、ドクターXでなくとも「いたしません!」と宣言したくなりますね。


                        花見の場所取りのために、フットワーク軽く動き回れるかどうかは、新入社員に課されたいわば踏み絵なのです。先輩社員の言うことを聞いて、四の五の言わずに動き回らなければなりません。あるいは、小雨の中、傘をさして、中止になるかどうかの連絡を待たねばなりません。春の雨はやさしいはずなのですが・・・。


                        私も桜は好きです。花見にも出かけます。妻と夜桜を見に行くこともあります。しかし、人ごみで混雑している場所ではなく、人のほとんど来ないような絶景の地に咲く桜を見に行きます。2年ほど前、庭に山桜を植えました。山桜は、ソメイヨシノとちがって、花と葉がほぼ同時に開きます。そのせいか花期が短いのです。ソメイヨシノは外来種で、日本で桜といえば山桜を指すそうです。


                        この時期、なぜか決まって思い出すのが、徒然草・第百三十七段です。とくに最初の文は、半分寝ながら聞いていた古典の授業中、私を覚醒させた名文です。以来、なぜか一度も忘れたことがありません。琴線に響くとはこのことをいうのでしょう。音読しているとじ〜んとしてくるから不思議ですね。想像を絶する災害に遭遇し、無責任極まりない対応によって切り捨てられた人々を、小声で励ましているように聞こえます。それは次のように始まります。


                        花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。(中略)花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。(後略)


                        現代語に訳しておきます。

                        「桜の花は満開のときだけを、月は曇りのないものだけを見るものだろうか。いや、そうではない。雨に向かって月を恋い慕い、すだれを垂らした部屋に閉じこもって春が暮れていくことを知らないのも、やはりしみじみと趣が深い。今にも咲きそうなころあいの桜の梢、花が散りしおれている庭などが、ことに見る価値のあるところが多い。(中略)花が散り、月が西に傾くのを慕い惜しむという習わしはもっともなことであるが、特に情趣を解さない人が、「この枝もあの枝も、花は散ってしまった。もう見るべきものはない。」などと言うようだ」


                        昔、大学受験に失敗して浪人することになった女子生徒Iさんが、卒業アルバムを持ってきました。裏表紙にサインしてほしいというのです。友達や先生がいろいろと励ましのことばや、思い出をつづっていました。その中の一文に私は釘づけになりました。


                        黒のサインペンで「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」と書かれていました。聞くと、この女子生徒が大好きだった古典のO先生のサインでした。こんなところで、この文に遭遇するとは・・・。私は不意を突かれ、しばらく黙っていました。浪人する生徒に、この句を上回る励ましのことばがあるでしょうか。私は負けたと思い、自分が何を書いたか忘れてしまったのです。

                         
                        | 人生 | 14:48 | comments(0) | - |
                        東大卒 VS 高校中退
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                          前回のブログには「シンボルとしての学歴の効用」という小難しい題をつけました。要はワッペンとして学歴が独り歩きするような社会は軽薄この上ない社会だと言いたかったのです。
                           

                          私は学歴や社会的な地位というものを通して人間を見ることの不毛さにかなり若い時に気づきました。振り返ってみれば、未来塾通信7『ある教師から学んだ公平さについて』http://www.segmirai.jp/essay_library/essay007.htmlで書いた経験も、私という人間のものの見方を決定する要因の一つになった気がします。「ある教師」には感謝しています。以後、外形的なものを通して人間を見ないように努力してきました。
                           

                          若い時は自分に自信もなく、中身もなかったので、どうしても外形的なものに頼りがちでした。本を読む時もその人の出身大学や経歴が気になりました。今はどうかと言えば100%気にならないと言えばうそになりますが、そういったものに影響されることはほとんどなくなりました。逆に出身大学や学歴によって共通の弱点を持っていることが分かるようになりました。
                           

                          私が影響を受けた人間は、エリック・ホッファーをはじめとして、人間の実存をどこまでも掘り下げることで生きる道を切り開いた人たちでした。いわゆる学歴とは何の関係もありません。彼らは、権力に擦り寄り、その力によって自我を形成し、価値判断を下すことを決してしませんでした。そういう人間に出会い、彼らから学ぶことによって私の人生は意味を持ち、豊かになったのだと思います。
                           

                          本題に入りましょう。4月3日のNHK日曜討論での山本太郎氏の発言を聞いて、政治の世界に人間のことばが響いているのだと感じました。それを感じたのは、昨年の7月29日、彼の参議院での質問が最初でした。当ブログでもとりあげています。http://oitamiraijuku.jugem.jp/? eid=26
                           

                          今回の発言も時間は短いものの、発言するときの身振りや手ぶりに彼の人格が余すことなく表れていました。より正確に言えば、普遍的な理想や政治の本来あるべき姿が彼という人格を通して表出されていたのです。私は、発言の中身もさることながら、そういうところに注目して見ています。以下からご覧になれます。

                           

                          彼が時々身もだえするような仕草をするのは、彼の小さな体が本物の思想の通路になっているからです。自分の外部にある「普遍的な感情」が、自分の身体を通り抜けるとき、人間は「人間を超えた力」を実現します。それはある種の幸福感です。もちろん彼はそのことを自覚しています。同時に本物の政治家でなければ味わえない使命感をも感じているに違いありません。
                           

                          彼の発言には私利私欲、党利党略といったものが全く見られません。東大をはじめとする高学歴の政治家を前にして、高校中退の彼は一歩も臆することなく、彼ら職業政治家たちを黙らせています。それは私がブログで何度も書いてきた「普遍的な感情」が持つ力です。
                           

                          私は彼がタレントを辞めて、参院選に立候補した当初からずっと応援しています。周囲の無関心も、誹謗中傷や罵倒も気にせず、初心を曲げず、権力におもねることなく、孤独の戦いを闘っています。高学歴の職業政治家たちの発言や表情が何とも間の抜けたものに見えたのは私だけでしょうか。

                          | 政治 | 01:47 | comments(0) | - |
                          幻想としての学歴の効用。
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                            今の社会では、学歴とは出身大学のことを指すようですが、具体的に学歴はどのような力を持っているのでしょうか。今ここに東大卒で一流企業に勤めている青年と、 高校中退で町工場に勤めている青年がいたとします。若い女性から見てどちらが結婚相手として魅力があるでしょうか。


                             

                            例えば、高校中退の男性と付き合っていた女性が、東大卒の一流企業に勤める男性と出会い、そのライフスタイルや人脈の広さ、余裕のある生活に感嘆し、それまで付き合っていた高校中退の男性と別れたとします。


                             

                            しかし、背伸びをして付き合うことに疲れ、すべてを合理的な考えで割り切る相手の姿勢に違和感を覚えます。そして、自分に本当にふさわしいのは高校中退の彼だったと気づきます。そして彼のところへ帰ります。寛大な彼は「君を待っていた、きっと戻ってくると信じていた」と言います。


                             

                            これがドラマの最終シーンであれば、めでたしめでたしとなります。しかし、現実はドラマではありません。最終回の劇的なフィナーレはおとずれません。人生は続き、帰った翌日から生活が始まります。結婚し、こどもが生まれ、日々の生活はやりくりの連続となります。こどもの学校も近くの公立小学校以外の選択肢はありません。余裕のない生活からケンカの絶えない二人になります。


                             

                            そして、「ああ、あの時、東大卒の一流企業に勤める男性と結婚していたら、こんなみじめな思いをせずにすんだのに」と、女性は思います。


                             

                            つまり、学歴は、ありえたかもしれない物事のよい面だけを空想する女性(男性も)に、見果てぬ夢を提供する効用があるということです。



                            夢はいつか覚めます。そして、その夢が悪夢に変わることもあるのです。東大卒の一流企業に勤める男性と結婚していれば、自分が東大卒というだけで他人を見下し、子育ても費用対効果でソロバンをはじき、生活そのものが何かを達成するための手段とみなされていたかもしれません。最悪の場合、「結果を求められる」ことに疲れたこどもが反抗し、家庭が殺人事件の修羅場と化す可能性もあるのです。しかし、その可能性を忘れさせるのが学歴の効用というわけです。


                             

                            人間は幸か不幸か、一度に二つの人生を生きることができません。自分が選んだ人生を引き受け、その中で伴侶を愛し、ともに苦労を重ねる覚悟をしなければなりません。要は、それに値する人を見極めることができるかどうかです。


                             

                            「結婚し、こどもが生まれ、日々の生活はやりくりの連続となり、学校も最寄りの公立小学校で、ケンカの絶えない二人になる」などということは、実はほとんどの家庭で起こっていることです。一見すると退屈で無意味な日常に見えるかもしれませんが、そういった生活こそが幸福の形なのかもしれません。「不幸な家庭はそれぞれに不幸だが、幸福な家庭はどこも似ている」と言ったのはトルストイです。3・11の東日本大震災と原発事故がこのことを教えてくれました。ひるがえって、平凡だけれど幸福な生活を支えていた基盤そのものが崩壊しつつあるのが今の日本の現実なのです。


                             

                            学歴の効用のもう一つの事例をあげてみます。



                            結婚が決まった若い女性に、結婚相手のことをしつこく尋ねるオバサンがいるとします。
                             

                            オバサン「ねえねえ、○○ちゃん、あなたの結婚相手はどんな人?」
                             

                            若い女性「そうねえ、スポーツマンで、音楽がすごく好きな人よ」
                             

                            オバサン「それだけじゃ、どんな人かわからないじゃないの。もっと詳しく教えてよ」
                             

                            若い女性「どんな人?う〜ん、そうだ!料理がすごく上手で、食材は近所でとれた、新鮮な野菜が一番だと言ってたわ。この間も近所のおばさんと野菜作りの話で盛り上がってたよ」
                             

                            オバサン「それだけ?どんな人かわかるエピソードはないの?将来性につながるような」


                             

                            若い女性「そういえば、3カ月ほど前、会社の上司とケンカして、辞表を叩きつけたそうよ。機械の安全性をチェックする精密機械を作っている会社なんだけど、ひどい手抜きをしているのに気づいて、それを社長に直談判したらしいの。それで、こんな会社で一生働くのは耐えられない、やめます!と言ったら、社長が、お前のようなはねっ返りはわが社にはいらない、と言ったんですって。辞めてせいせいしたと言ってたわ」


                             

                            オバサン「会社を辞めたって・・・。これからどうすんのよ。結婚するんでしょ!」
                             

                            若い女性「君一人くらい食べさせていけるよ。それに僕のバンドが今度デビューするから大丈夫だと言ってたわ」
                             

                            オバサン「○○ちゃん、あなた正気なの?現実はそんな生易しいものじゃないわよ。会社は辞める、バンドでデビューする?なんなのそれ。どうせ学校もろくに出ていない人なんでしょう」
                             

                            若い女性「学校って、学歴のこと?う〜ん、よく覚えてないな。彼そんなことには興味ないみたいだから・・・」
                             

                            オバサン「ほらごらんなさい。どうせ、ろくな学校しか出てないのよ」
                             

                            若い女性「あっ、そうだ。そういえばこの前彼の部屋に卒業証書があったけど、慶応大学工学部大学院って書かれてたわ。」
                             

                            オバサン「・・・・・」

                             

                            学歴の効用その2は、口うるさいオバサンを黙らせることができる、です。



                            いずれにしても、とるに足らない効用ですね。実存としての人間を深く見つめている人には、学歴は単なるワッペンでしかありません。ワッペンを人に見せびらかして自慢するのは、こどもか自分に自信のない大人と相場が決まっています。おっと、忘れていました。自分たちが国を守っていると勘違いしている軍人さんもそうでしたね。

                             

                            | 教育 | 23:27 | comments(0) | - |
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