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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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安倍−菅政権の信念の核心にあるものとは?
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    先ず以下の記事をお読みください。私はびっくりしました。

    ― 自民党は30日夕、国会内で役員会を開催した。出席した安倍晋三首相は、消費増税を2年半延期したいと表明。出席者から異論は出なかった。
    サミットにおける世界経済議論に関し、安倍首相は「私がリーマンショック前の状況に似ているとの認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである」と発言。「中国など新興国経済をめぐるいくつかの重要な指標で、リーマンショック以来の落ち込みをみせているとの事実を説明した」と述べたという。―(東京 30日 ロイターの記事)

     

    息を吐くようにウソを言う「立法府の長」も、ついに自分の発言が支離滅裂で何の整合性もない「今だけ、金だけ、自分だけ」のものだと分かってきたのです。それを糊塗するためにウソの上にウソを重ねる。
     

    自分が発言した動画も残っています。その発言にドイツやイギリスをはじめとする首脳たちもあきれたのです。一人だけ、知性の点でお話にならない人間がサミットの中にいたということです。ついこの間「Buy Abenomics」と世界に向けて「どや顔」で発言していた人間が、破綻したアベノミクスを隠すために、サミットを利用したのです。おそらく史上最低の、何の成果もないサミットだったと思います。この間の事情は、海外メディアの方が批判的かつ冷静に見ています。
     

    日本のメディアで唯一報道したのが以下の動画です。国民必見です。


     

    反知性主義の権力者が、自分を三権の長だと勘違いし、要所に腹心を配置し、メディアを完全に統制しました。日本のメディアは歴史に残る醜態を演じているのです。官邸からの情報を垂れ流すのが仕事だと勘違いしているメディア関係者は、安倍政権になってからの自分たちの振る舞いを自覚すべきです。
     

    安倍−菅政権は、おそらく次のような認識に立っています。

    知性とは全く無縁な、利権をぶら下げさえすれば言うことを聞く人間がいつの時代も一定数は必ずいる。また、多少知性があっても世間のしがらみで動きが取れず、自分の立場を守ることを最優先する人間もかなりの数いる。さらには確実な集票マシーンとして働く新興宗教の信者も一定数いる。したがってかならず投票に行く「彼ら」さえ確保していれば、後はどうせ不特定多数の棄権に「間接的に」支えられるのだから、政権の安定多数はもう決まったようなものである。

    だから、その場その場で適当なウソさえ言っておけば選挙はなんとかなるし、小賢しい理屈を並べる市民や学者などすべて無視しても、結果的に議会制民主主義における「数」だけは正しい答えを出してくれるはずだ、と皮算用しているのです。これが彼らの信念の核心にあるものです。

    | 政治 | 08:49 | comments(0) | - |
    壊滅的な日本の英語教育
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      今回のオバマ大統領の広島訪問については、複雑な思いがあります。しかし、今はそれには触れません。ただ、宗主国の王様が植民地を訪問した時に、それに付き従って、自分の存在を大きく見せようとする小権力者の滑稽な姿を見て、戦争に負けるということはこういうことなのだと改めて思い知らされました。
       

      8年前のオバマ大統領の就任演説も今回の広島でのスピーチも、政治色を抜きにして読めば、英文として素晴らしいものでした。日本の総理大臣には決して真似できないものです。その演説の冒頭は次のように始まりました。
       

      Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
       

      ここまでは歴史的な事実をオバマ大統領のことばで表現したものです。もちろん過去形で書かれています。問題は次の問いかけの部分です。
       

      その冒頭はWhy do we come to this place, to Hiroshima? となっていて、以下、現在形の動詞が続きます。
       

      この部分を読売新聞は次のように訳しています。「我々はなぜこの地、広島に来たのか」 。それに対して朝日新聞の訳は「なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか」となっています。ちなみにNHKは「なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?」となっています。お前は一体何にこだわっているのか、大した違いはないではないか、と言われそうですね。しかし、読売新聞の訳は誤訳です。(追記:朝日新聞の最終版では、「なぜ私たちはここ、広島に来たのか」となっています。これでは、「私たち」はオバマ一行になります。訳した人が違うのでしょう。やれやれ)
       

      私は塾で英語を教えているので、間違いは間違いだと指摘しているだけです。そもそも動詞の現在形は、「現在」を表わしているわけではありません。現在を含め広く成り立つ安定した状況を表現するときに使われます。したがって、現在を含め長い期間成り立っている「習慣」を表わすのも当然ですね。つまり現在形を使っている時には、状況との強い一体感を感じているわけで、時間を意識しているわけではないのです。したがって、現在形で話している人にWhen?とたずねるのはナンセンスです。
       

      読売新聞の訳は「広島に来たのか」と過去形で訳しています。つまり、come の時制が理解できていないのです。さらに「我々」はオバマ大統領一行を指すことになります。それに対して、朝日新聞の(最初の訳の)「私たち」は「人間」すなわち「核兵器の廃絶と平和を願う世界中の心ある人」になります。もう一度言います。現在形は「現在を含め広く成り立つ安定した状況との強い一体感」を表わします。オバマ大統領のWeは、平和を希求する世界中の人々との一体感を表わしています。この違いは大きいのです。
       

      読売新聞は、安倍政権の広報誌と化していますが、それなりに「普通」の英語力がある人もいると思います。それともアメリカにすべてを捧げたため、英文ですらアメリカ中心の発想で読み取る「文法」が定着したのでしょうか。
       

      読売新聞でもこのレベルです。文部科学省のやるべきことは、日本の英語教育のレベルを、会話を中心とした「買い物英語」「旅行英語」のレベルに設定することではないはずです。あまつさえ、大学教育をすべて英語でやれば、教育のレベルは限りなく低下します。中学生並みの会話が大学で交わされている光景を想像して見て下さい。目も当てられません。『英語化は愚民化』なのです。
       

      さてもう終わりにします。私が教えている塾の現場では、個別指導が大はやりです。英語も数学も勉強の中身を細かく切り刻み、分単位・時間単位で費用を設定し、アルバイト学生でも教えられるようにしています。定期テストで1点でもいい点を取らせて「顧客を獲得」する戦術を展開しているのです。そんな塾に限って「講師が命!」などと宣伝しています。
       

      学習で一番重要なのは、体系を頭に入れるということです。そのためにはその教科の体系を理解している講師がぜひとも必要になります。しかし、そんな講師は塾の経営者の中にはいません。その結果、I bought a car last month, and I like it.という文のitは何を指すかという問いに、a carを指すと答えるような講師ばかりになっています。英語力をつけるのではなく、英語に名を借りたビジネスを展開しているのです。
       

      このレベルでは、Can I use your pen? と聞かれたのに対して、Sorry, I need it.ityour penと答えることになります。こんな滑稽でバカげた指導が塾では行われています。itは「すでに述べられたものを指す」のですが、それは「内容」のことであって、単なる名詞を指すのではありません。文脈(状況)を含んだ「それ」を指します。つまり、I like it.itは the car I bought last monthを指すのです。

      | 英語教育 | 13:41 | comments(0) | - |
      こどもの魂はどこで育つのか
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        小学2年生の時の担任は神経質な女の先生で、私は彼女の醸し出している雰囲気が苦手でした。人はだれでも独特の空気感を漂わせていて、幸か不幸か本人には決して感知されません。しかし、こどもはそれに本能的に反応して生きています。犬が相手によって吠え方を変えたり、しっぽを振ったり、まったく吠えなかったりするように。


         

        PTAの授業参観の後、母親から授業に集中せず外をぼんやり見ていることが多いと担任に注意されたと聞かされました。その頃の私はと言えば、ことばを覚えはじめていたとはいえ、自然と一体化し、まるで小動物のような毎日を送っていました。担任にそう見られていると聞いて心外でした。やっぱり自分が感じていたとおりの先生だと思ったものです。


         

        ○○先生は、野良猫を飼ったこともなければ、河原の水たまりでカメを飼ったりしたことがないのだ。古い神社の床下に住んでいて獲物が落ちてくるのを待っている蟻地獄のグロテスクな姿を見たこともなければ、鮮やかなターコイズブルーに黒の斑点があるカラスの卵を触ったこともないのだ。もしそんな世界を知っていたら、授業に集中することなんかできるわけがない、と思いました。そもそも私にはその頃の学校の記憶があまりないのです。


         

        こどものころ放心していたといっても、それは単にぼんやりしていたとか、何も考えていなかったとか、そういうことではなかったのです。自然の不思議さや美しさで飽和したこころを抱えて生きていたのだ、と言った方が真実に近いでしょう。


         

        ゆっくりとした時間の歩みの中で、たとえば夏の太陽の光にやさしく愛撫されるようにして豊醇に成熟していくブドウの実のように、こどもたちの魂は、外から計算したり、推しはかったりできない全一の成長が約束されていなければなりません。


         

        父の実家は古い大きな農家で、夏休みや冬休みになると帰省して数日間を過ごしました。敷地は広く玄関へ通じる道を右へ曲がると牛小屋があり、柵の向こうに黒い大きな牛が立っていました。人の気配を感じると奥からのっそりと柵の近くに来て、かいば桶に頭を突っ込んで餌をほしがるのです。



        私は大きな長い押し切りで草やワラを切り、ぬかと混ぜて牛に食べさせました。上下の歯をすり合わせて餌を食べる時のくぐもった音や大きな眼、角の固い感触など今でもはっきり覚えています。牛小屋の隣には鶏小屋があり、毎朝ワラのなかに産み落とされた新鮮な卵を取りに行き、焚きたての御飯にかけて食べたものでした。


         

        牛小屋の前は畑になっていて、大きな槙の木があり、その隣に土蔵がありました。入口の右側には分厚い板でおおわれた大きな穴がありました。中はもみ殻で一杯でした。掘り返すとサツマイモが出てきました。保存食にしていたのでしょう。それを焼きイモにして食べた時の美味しさは、文字通り筆舌に尽くしがたいものでした。


         

        あれはいつのころだったでしょうか。季節は秋の終りだったような気がします。ひんやりとした土蔵の中に入ると、かすかなカビの臭いと古い書籍や材木の朽ちた臭いがしました。私はその土蔵の空気感が好きでした。積もっているのはチリだけではなく、人間の歴史と時間なのだと分かっていたからでしょう。


         

        入口の左の奥に、私の身長よりも高い大きな甕(かめ)があり、そばに階段がありました。中に何が入っているのだろうと思い、薄暗いのでローソクをつけて階段を上りました。甕の中はなみなみと水が張ってあって、それはまるで深い沼のようでした。水の底は暗く、鏡になった水面に自分の顔が映っていました。その鏡になった水面の下には何か別の世界があるようでした。


         

        自分の顔を水面に近づけたとき、ローソクが一滴かすかな音を立てて、水の中に沈み、白い花びら模様に広がって浮かび上がってきました。私は思わず息をのみました。そして一滴また一滴と蠟を垂らしました。


         

        それは暗い池に浮かぶ蓮の花のようでもあり、夜の運河に散り漂う桜の花びらのようでもありました。私は妖しい花の白さに、いつまでもいつまでも見とれていました。そのうち遠近感が失われていき、いつのまにか、遠い暗い夜空から舞い降りてくる雪片が、自分の顔の上に降り積もってくるような気持ちになったのです。雪片の冷たさを感じた瞬間、私は我に返りました。


         

        今から思うと、少年の私が見ていたのは単なる一滴の蠟だったのか、自分の魂そのものだったのか判然としません。ただ、こうした些細なものにあれほど引き付けられ、幸福感と酩酊感を感じたことは、生涯二度とありませんでした。いや、二十歳のころ、黒澤明監督の映画『デルスウザーラ』の中で、氷河の亀裂の底がこの世ならぬ透明な青さをたたえているのを見たとき、同じような感動を覚えたことがありました。


         

        人は成長するにつれ、社会的にまとっているステイタスなり立場なりに目がいくようになり、その人が漂わせている空気感を感じ取る「嗅覚」は麻痺してくるようです。ことによると、私が建築に興味を持ったのは、一つ一つの建築に表れている空気感の違いがどこから来るのか、それを突き止めたかったからかもしれません。


         

        今思うと、昔は子供の魂を育てるのに格好の場所があちこちにありました。母の実家の木佐上には祖父の設計したモダンな家がありました。二階に上がると立派な書斎があり、書棚には『トルストイ全集』や大槻文彦の『大言海』がありました。夕暮れともなると、二階のベランダから遠くの山裾に沿って汽車が通り過ぎるのが見えました。灯りがともった客車は、明るい虫籠が数珠つなぎになったかのようで、人形劇でも観ているようでした。私がその時に感じた、表現しようのない寂寥感と幸福感は今でも生き生きと心中によみがえるのです。

         

        | 文学・哲学・思想 | 21:54 | comments(0) | - |
        なぜ人間は、かくも変わらないのか?
        0
          私はこのブログを誰か特定の人に向けて書いているのではありません。塾の教師をしているので、できれば若い人に読んでもらいたいと思いますが、それとて私が意図していることではありません。ただ私は「正しい解説」や「正しい解釈」を示すよりも、私自身による人間や社会に対する「理解」や「誤解」を、できればなるべく正確に描写したいと思っているだけです。

          ある人間から影響を受けるということは、その人間のことばを解釈したり、整理分類したりすることではありません。私は「学」には興味がないのです。ただ、その人間が考えたように考え、生きたように生きたいと思っています。

          私がこれまで考えてきたことを大づかみに言うと、人間が環境の奴隷として生きるのではなく、「箱」の中から外に一歩を踏み出すには何が必要なのかということでした。つまり、どうすれば人間は変われるのかということです。私のブログはすべてこの点をめぐって書かれています。

          私はいつも自分に問うています。あることを学んだとすれば、そのことによって自分はどう変わったのかと。この青臭い、素人臭い質問こそが私の人生の導きの星だったのです。

          抽象的な言い方になりますが、自分自身から目を背けないこと、自分自身と対象を切り離さないこと、自らの本当の姿を受け入れる勇気を持つこと、何ものも恐れず自由に思考すること、「変だな」と思っても「まあいいか」と受け流して思考停止に陥らないこと。そういう人間として自分を定位することが、私にとっては本当の意味での社会貢献なのです。

          沖縄で起こった元米兵による強姦殺人事件について、「最悪のタイミングだ」と発言する人間が政府内にいます。日本国民のための政府であるなら、日米地位協定の見直しに言及すべきです。安倍首相は「断固抗議した。実効的な再発防止の徹底を求めた」と言いながら、日米地位協定には触れませんでした。

          そもそも二十歳の女性が残忍極まる殺され方をしているのに、それを「タイミング」の話にしてしまうことが、政治家として、人間として失格なのです。

          しかし、この種の人物は後を絶ちません。「米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」と、この「タイミング」で発言する百田尚樹のようなゴロツキ売文芸人もいます。『永遠の0(ゼロ)』を読んだり、映画を見たりして感涙にむせんだ人は、この発言をどうとらえているのでしょうか。

          さらに橋下徹はツイッタ―で「米兵等の猛者に対して、バーベキューやビーチバレーでストレス発散などできるのか。建前ばかりの綺麗ごと。そこで風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!」と発言しています。過去のツイートかと思ったら5月21日のものです。

          今回の事件を受けての橋下徹及びおおさか維新の対応策は日米地位協定の見直しではなく「米軍関係者への風俗の提供」だそうです。これまで何度も言及してきましたが、このようなゴロツキ政党は1日も早く消えて無くなるべきです。

          さらに、自民党の小島健一・神奈川県議(53)が今月8日、東京都千代田区の靖国会館で開かれた集会で「沖縄の基地の周りには基地反対やオスプレイ反対で毎日のように騒いでいる人がいる。基地の外にいる人ということで私は『基地外(キチガイ)の方』と呼んでいる」と述べたそうです。(朝日新聞デジタル・東京新聞による)

           

          これに対して小沢一郎氏はツイッターで次のように述べています。「自民党県議が集会で、沖縄県内の在日米軍基地に反対する運動を「基地の外にいるということで『きちがい』」と表現する発言をしていたとの報道。もうコメントするにも値しないが、こういう小さな発言の一つひとつが事態をますます悪化させる。完全な想像力・共感力の欠如であり、もはや病気の域だろう。」と。

           
          小島氏は共同通信の取材に「『基地外』のイントネーションに気を付けており、差別発言ではない」と反論しました。政治家としては過去最低・最悪のダジャレでしょう。「さらに、沖縄の新聞2社について『本当につぶれた方が良い』と強調した。小島県議は県議4期目で県連広報局長を務めている」とのことです。もちろん、日本会議地方議員連盟メンバーの一人です。日本会議系の政治家の傲慢な暴言は今や風物詩となりました。
           
          この種の人間たちが安倍政権を支持し、担いでいるのです。なぜ人間は、かくも変わらないのか、と改めて現実をつきつけられた思いです。どうやら、流れに抗しておぼれ死ぬことを覚悟しなければならないようです。
           

           
          | 文学・哲学・思想 | 12:03 | comments(0) | - |
          電力会社は国家を食い物にするモンスターである。
          0
            今度の参院選、一人区は野党共闘で一本化した候補者に投票します。結果的に民進党に投票することになりますが、やむを得ません。また政治の話題かと思わないでください。心底ウンザリしているのは私自身なのですから。

            民進党は第二自民党であり、集団的自衛権を認める者をはじめとして、器の小さい、それゆえ姑息なことばかりしている政治家(わざわざアメリカまで行って共産党とは組めないと言い放つ細野豪志のような人間)が多いです。自民党より多少マシな政党というだけです。比例区は前にも述べましたが『国民怒りの声』に投票するつもりです。

            私にとって、政治家の器を判断する基準は一つです。原発即廃炉を政治活動の原点に据えているかどうかです。それは以下の事実に基づいて導き出されたものです。

            事実1:福島第一原発事故の賠償金で、東京電力は2016年4月までに約6兆円強の賠償金を払っている。

            事実2:一方、東京電力は2014年に4270億円の純利益を出している。つまり、6兆円の賠償金を支払いながら、黒字になっている。

            事実3:原子力損害賠償法は、国が保険会社を代行して、税金を財源として支払うことを定めている。

            事実1〜3を見てください。「東電が原発事故の被害者に払っている賠償金6兆円」は、実は国が税金を財源に支払っているのです。つまり東電は「トンネル会社」にすぎません。その結果、東電は6兆円という日本の年間防衛予算を上回る巨額の賠償金を支払いつつ、黒字経営を続けることができます。


            地震があろうが、火山が噴火しようが、免振重要棟がなかろうが、九電が「安心して」川内原発を再稼働させるのも当然です。過酷事故を起こしても、黒字経営が続けられるのですから。九電は「学習」したのです。


            福島第一原発事故の賠償金を国民一人当たりに換算すると5万円です。ゼロ歳児から老人まで全員5万円です。4人家族なら20万円になります。もちろん失われた命も、故郷も帰ってきません。


            「原子力損害賠償法」は、一定額(現在は1200億円)を超える賠償金は国が「援助」することができると決めています。1200億円、という数字と、6兆円という5年間に実際に税金から支払われた賠償金を比べてみてください。

            しかも、その「1200億円」という損害賠償金額の上限も、民間保険会社がカバーします。それも、保険会社19社のプール機構が払います。民間保険会社が「原発事故の被害は巨大すぎて、保険商品として成立しない」と引き受けを拒否したからです。


            その「原子力賠償責任法」は1961年にできました。その間、自民党以外に、社会党と自民党の連立政権、自社さきがけ連立政権、民主党と与党は交代しましたが、同法に手をつけた政党はありません。

            しかし、3・11以降、この法律を放置しておくことは経済的にも社会的にもそして倫理的にも許されるものではありません。「国民の生命・自由・財産」を守ることが政治家の役目だとすれば、この国には政治家はいないことになります。それを危険にさらし続けているのですから。

            「原子力賠償責任法」(原発事故を起こしても国が払う)「原子力災害対策特別措置法」(住民避難は国の責任で電力会社は免責)「電源立地開発促進交付金」の三つで電力会社は国家を上回る力を持つモンスターになったのです。なにしろ法律と国家予算が味方ですから。


            安倍政権が瓦解して、自民党が下野しても「原子力損害賠償責任法」がある限り、日本国民は税金で福島第一原発事故の損害賠償金を払い続けなければならないのです。

            もし「税金で福島第一原発事故の損害賠償金を払うのはイヤだ」「一民間会社である電力会社の尻ぬぐいをなぜ税金でしなければならないのか」と思うなら「原子力損害賠償責任法」の廃止を公約に掲げる政党に投票して、衆議院多数派にして、組閣させるしかありません。

            もちろんその場合、政治家は税金以外の何を財源にするか国民に提示しなければなりません。この仕事をこなせる器を持った政治家がいるでしょうか。そもそも、そういった政治家を私たちは望んでいるのでしょうか。

             
            | 原発 | 23:03 | comments(0) | - |
            自分のやっていることがわからない政治家って・・・
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              政治資金を私物化しているという批判に応えて、舛添要一東京都知事は、20日に2度目の説明会を開きました。そこで何を聞かれても「第三者の厳しい公正な目に任せたい」という言葉を40回も繰り返しました。
               

              政治家になった以上、政治資金規正法を知らないはずはありません。自分の金づかいが合法か、合法だとしても倫理的に許されるものかどうか、それを自分で判断できない人間は最初から政治家になるべきではありません。「秘書が」とか「記憶にない」とか、挙句の果てに「第三者の厳しい公正な目に任せたい」などと言う時点で、政治家失格ですね。
               

              ところで「第三者」は誰が選任するのでしょうか。そもそも「第三者」の意味がわかっているのでしょうか。第三者とは当事者と利害関係がない人又は組織を指します。舛添氏が自分に不利になる法解釈をしそうな人間を選ぶはずもありません。ごく普通の人間が素朴に考えておかしいと感じるようなケースであっても、法律を文言通り「厳密」に解釈して形式的な合法を導く「第三者」を選ぶでしょう。
               

              つまり、「第三者」とは客観性を担保するものではなく、単なる言葉の遊びなのです。もちろん、「厳しい公正な目」も「知事に甘い権力寄りの目」という意味に解釈しなければなりません。いずれ検察上がりの弁護士か、それに類する人間を集めてご意見を拝聴するといった茶番劇の幕が切って落とされることでしょう。
               

              この国に民主主義がついに根付かず、すべては言葉の遊びに堕してしまうのは、まともな政治家がおらず、マスメディアをはじめとして報道機関が機能していないからです。以下の動画を見ても怒りを感じることもなく、記者クラブに出向いて官製情報をありがたく頂戴することが仕事だと思い込んでいる報道関係者が余りに多いのです。

              山本太郎【参議院 震災復興原子力問題】2016年5月20日の質問。3.11以降、東京電力や東芝、三菱自動車などの財界をはじめとして、雲隠れ甘利氏などの政治家が使い始めた新たな欺瞞言語「第三者委員会」。例によって山本太郎氏が鋭く追及しています。今や、私の言いたいことを代弁してくれる政治家は、彼一人となりました。東京オリンピックに反対した国会議員も彼一人でした。


               

              彼らメディア関係者は、間違っても権力者のご機嫌をそこなうような言説は吐かないように「教育」されています。それどころか逆に、権力を批判する人間を罵倒し、唾棄し、憎悪するのです。良心の痛みを緩和し、中和する必要があるからです。そのうち痛みも感じなくなり、池田信夫や長谷川幸洋のような権力に寄生するデマゴギーとなり果てます。
               

              そもそも舛添氏は自民党が2010年に除名した人間です。にもかかわらず2014年、舛添氏が都知事選に出馬する意向を示すと、当時、幹事長だった石破茂氏は自民党都連の推薦を後押ししたのです。政党の除名は簡単にひっくり返るほど、安易なものではないはずです。
               

              それほど対立候補の細川護煕元総理を、何としてでも落選させる必要があったということです。なんのことはありません。東京電力と財界の意向となれば、「除名」など簡単にひっくり返せるのです。
               

              そして今また自民党の幹事長・谷垣禎一氏が『猛省が必要だ。日本の首都のトップに立つものとしては、それなりの居住まいがなければいけない』と、まるで他人事のコメントを出しています。


              それにしても、自民党は完全に終わっていると言わざるを得ません。ノンポリの私がそう思うのですから間違いないでしょう。自ら推薦しながら、責任は頬かむりする。除名もいいかげんなら、推薦もいいかげん、と自民党は自ら認めたのも同然です。政党の機能を果たしていません。
               

              万が一舛添氏が知事を辞任した場合、次の候補者は誰になるのでしょうか。橋下徹?そのまんま東?ホリエモン?いっそのこと、体の限界までこどもを生んで国に貢献したいと発言し、安倍首相から政治家に向いているとお墨付きをもらったHKT48の指原莉乃なんかはどうでしょうか。さぞかし楽しくもあほらしい都知事選になることでしょう。東京都民の知的レベルにピッタリです。
               

              政治家は民度の反映です。立法府の長と行政府の長の区別もつかない総理大臣を選んでいるのは、強欲で過去に学ばない支配層の価値観を内面化した国民です。その意味で舛添氏は東京都民の身の丈に合っています。舛添氏の辞任後展開されるかもしれない都知事選も、都民の民度の反映そのものです。
               

              金まみれのオリンピックに税金をつぎ込むより(いまは辞退する絶好のチャンスです)、熊本地震の被災者支援に税金を使うべきだと考えているのは、私のような政治にうとい、時代遅れの「引きこもり」人間の発想なのでしょうか。

              | 政治 | 15:18 | comments(0) | - |
              こどもが親を好きになるとき
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                私の住んでいる大分市東部の坂ノ市地区では、現在「萬弘寺の市」が開催されています。1400年以上の歴史を誇る「市」で、今日が最終日だそうです。

                 

                 

                私が小学校4年生のころ、坂ノ市には父方の祖父母が住んでいました。祖父は脳血栓で倒れ記憶が定かではありませんでした。それでも父の名前だけは覚えていました。不思議ですね。

                 

                 

                笠智衆にそっくりの祖父に、父は自分を指さして「誰か分かるかい?」と問いかけます。祖父は、バカにするなといった表情で「あたりまえじゃ。ヨシユキじゃ」と応えます。父はそれを聞いてうれしそうでした。

                 

                 

                祖父の面倒は祖母が見ていました。祖母は本当にやさしい人でした。どこがどうやさしいとは言えないのですが、存在そのものがやさしいと言えばいいのでしょうか。いつもモンペ姿で、作業が終わると着物に着替えていました。昔は、こういうお年寄りがたくさんいました。

                 

                 

                当時私たちは上野ヶ丘に住んでいて、数カ月に一度、父はバイクの後ろに私をのせて祖父母のところへ帰省しました。私は父の背中につかまり、時々身を乗り出しては、顔で風を受けました。

                 

                父は柔道五段でがっしりした体格の持ち主で、病気とは無縁の人でした。まさか56歳で癌で死ぬ運命だったとは、周囲の誰も想像すらしていなかったと思います。

                 

                あれは「萬弘寺の市」が開催されていたちょうど今頃の季節でした。昼過ぎに実家に着き、祖母が作ってくれたまんじゅうを食べ、昼寝をしたり、とりとめのない話をしたりして時間を過ごしました。夕方近い時刻になり、外は少し暗くなりかけていました。父にうながされて帰り支度をはじめました。

                 

                 

                どういうわけか帰りの時刻が近付くと、祖父母との別れの寂しさが潮のように押し寄せてきて、私は自然に涙ぐんでしまいます。村の外れまで祖母は見送りに出てきて、いつまでもいつまでも手を振っていました。

                 

                 

                それから、父のバイクは「萬弘寺の市」へと向かいました。食べ物を売る出店や瀬戸物を並べる店、鎌や鍬をはじめとする農機具を並べたテント、地区の商店街の品物を売る棚、その間を多くの人が行き来していました。普段からは想像できないような活気があります。

                 

                 

                その中をバイクは通り抜けていきます。その出店が並ぶとっかかりにテントが張ってあって、裸電球の下、老夫婦が飴を売っていました。砕いた飴を透明のビニール袋に入れて並べています。まるでスローモーションで見るかのようにその老夫婦の様子が見えました。そのテントの前をバイクは通り過ぎて行きました。

                 

                 

                 

                その老夫婦が、さっき別れてきたばかりの祖父母と重なって、私は心の中で父に叫びました。「止まって、あの飴を買って!」と。バイクはスピードを落とすこともなく駆け抜けました。老夫婦の店を見たのはほんの一瞬です。父は運転しているので見る余裕などなかったのだと思います。駅前の国道197号線に出て、大分へと向かいました。

                 

                 

                ところが王ノ瀬橋を過ぎた時、バイクはUターンしたのです。忘れ物でもしたのだろうかと思っていると、「萬弘寺の市」へと向かったのです。そしてバイクは先ほどの老夫婦のテントの前で止まりました。

                 

                 

                 

                バイクから降り、父は何やら話しながら財布からお金を取り出し、飴を二袋買いました。「ほら、これ」と言って私に渡しました。家に着いたとき、飴は父の背中と私の間で温められて柔らかくなっていました。

                 

                 

                 

                こどもは色々なきっかけで、親を憎むようになったり、生涯許せないという思いで心を閉ざしたりすることもあるでしょう。しかし、私は幸運だったのでしょうか。この瞬間から父が大好きになり、生涯愛し続けることができたのですから。

                 

                | 人生 | 13:24 | comments(0) | - |
                「箱」の外で考える
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                  本ブログで取り上げたバーニー・サンダース氏は若い人に向けてしきりに Think outside of the box.と言っています。「箱の外で考えよう」つまり、既存の認識の枠組みの外で考えよう、と言っているのです。


                   

                  世の中の90%の人々が自分を中流だと思っていた時代がありました。中学や高校を卒業して就職し、まじめに働きさえすれば、家族を持ち、家も持つことができる時代があったのです。そういう時代なら、既存の枠組みの中で考え、生きることもいいでしょう。何といっても、人は生きるためにまず働かなければならないのですから。


                   

                  それに比べて、今の時代はどうでしょうか。既存の枠組みの中で生きることは、必然的に自分の能力も倫理感も、あるいは魂すら他者に売り渡すことを意味するようになりました。大げさだと思われる方は、以下の動画をご覧ください。(「百聞は一見に如かず」と言います。動画はそれだけのインパクトを持っています。観られると都合の悪い人間たちが必死で覆い隠そうとしています。この動画は何度も削除されました)




                  人間は心というやっかいなものを抱え、バランスをとりながら細い一本のロープの上を歩いているような存在です。自分の責任とは全く関係のない理由で、ある日突然解雇を言い渡されたり、商売が失敗して経済的に破綻したりすれば、いとも簡単に壊れてしまう、そういう生き物です。



                  社会が柔軟性に富み、包摂力があった時代には、人間も復元力を持っていました。しかし、社会は急速に硬化し、それと並行して人々の感情は劣化しています。私たちが信じている「箱」は時代の波によって常に洗われていて、いつ壊れるかわからない、そういう代物です。


                   

                  バーニー・サンダース氏が若い人に向けて「箱の外で考えよう」と呼びかけているのは、目の前の階段を誰よりも早く駆け上って「果実」を手に入れるような生き方が、人間の幸福につながっているのか。果たして社会がそういう生き方を必要としているのか。それを既存の枠組みに頼らずゼロから考える時期だと認識しているからです。


                   

                  その階段は誰が準備したものか、それはこれから先も変わらずに存在し続けるのか、その階段は他者の犠牲の上に築かれているのではないか。

                   

                  こういった根源的な問いは「箱」の中にいる限り、発することができないようになっています。ときおり、その「箱」のもろさといかさま性に気づいた人間が声をあげると、「お前たちも箱の恩恵を受けているくせに、それを批判するのは欺瞞だ、いい子ぶっている、ようするに‘うざい’連中だ」と「箱の中の人間」から批判されるしくみになっています。


                   

                  つまり、「箱」を批判する側も、それを罵倒する側も、両方とも「箱」の存在を前提にしているのです。どちらの側につくかは、どちらがより欺瞞の程度が低いかによって決められるのです。これでは両者の言い分は水掛け論に終わるしかありません。結果、「箱」は存在し続けます。何だかややこしい話ですね。


                   

                  この対立を解消する方法は簡単には見つかりません。ただ、私なりに重要だと考えることを手短に述べてみます。私は人間として楽しく愉快に暮らしたいと思っています。そのためには「何かおかしい」「変だ」と思う自分の感覚を信じて、その教えるところに従って、様々なヒントを手掛かりに、細い糸を手繰りながら迷宮を進むほかありません。自分は本当はどう感じているのか、複雑で流動的なシステムについて考えるとき、‘私'を対象から除外し、客観的なフリをしているのではないか、と常に自問自答するようにしています。


                   

                  なぜなら、この点をないがしろにすると、人間は何をしてよいかわからなくなり、右往左往して他人の評価に一喜一憂し、付和雷同するゼンマイ仕掛けの人形のようになってしまうからです。この付和雷同が津波のようなうねりとなって押し寄せる時の破壊力は想像を絶します。こんなことは多少歴史を学んだものには明らかです。


                   

                  デカルトは『方法序説』の中で「良識はこの世で最も公平に配分されている」と述べています。「良識あるいは理性」こそが「真実と虚偽を見分けて判断する力」に他ならないと指摘しています。しかし、私はデカルトの言う良識(bon sens)とは、この世で最も公平にかつ広く配分されているよく働く感覚、つまり普遍的な感情だと理解しています。


                   

                  真理に到達するのに専門的な知識はいりません。相手を論破することは、本質的にくだらないことです。議論に勝つために知識を蓄え、論理性に磨きをかけるのも、くだらないことです。


                   

                  実は専門家の情報処理能力は驚くほど貧弱です。経産省の官僚や原子力規制委員会の田中俊一氏を例に出すまでもありません。彼らは大学という特殊な培養基で育てられ、専門用語で武装しています。普通に生活して、普通に暮らしている人々の感性をバカにし、劣等感を抱かせて恐れさせ、近づけないのです。



                  その結果、彼らはもっとも重要なことに関して、こども並みの判断力すらなくしてしまいます。いや、こどもの方がまともな判断ができるでしょう。国土を回復不能な荒廃に導き、人々の生活やいのちを危険にさらすのがいいことかどうかくらい分かるはずですから。

                   

                  | 文学・哲学・思想 | 23:44 | comments(0) | - |
                  高校生の英語力向上のために
                  0

                    バーニー・サンダース氏の演説の英文と日本語訳を載せておきます。以下の画像を見ながら、身振り手振りを真似て、シャドーイングの練習をして下さい。受験勉強は試験に出そうなところだけを集中的に勉強することではありません。



                    自己利益の最大化が動機の学習では、この世界を生きるには圧倒的に情報不足です。「こんなことが許されていいはずがない!こんな不公平が堂々とまかり通るのはおかしい!何とかしようぜ。だから、俺の話を聞いてくれ!」と言いたくなった時、頭はフルスピードで回転し、あなたの知性は最高の状態になるのです。



                    私たちが生きている社会を、独自の視点で切り取ったものこそがインパクトを持つのです。今まさに同時代を生きる人間の叫びを聞いて下さい。18歳で与えられる選挙権を無駄にすることなく、世界を変える力にしましょう。



                     


                    What does it mean to live a moral life? When we talk about morality, and when we talk about justice, we have to understand that there is no justice when so few have so much and so many have so little. There is no justice when the top one-tenth of one percent owns almost as much wealth as the bottom ninety percent.
                    Millions of people are working long hours for abysmally low wages, working hard, but unable to bring in enough money to adequately feed their kids.
                    There is no justice when the United States of America has the highest rate of childhood poverty of any major country on earth.
                    How can we talk about morality of our justice, when we turn our backs on the children of our country?
                    We have, in this country, sufficient amount of money to put more people in jail than any other country on earth. But apparently we do not have enough money to provide jobs and education to our young people. We are the only major country on earth that does not guarantee healthcare to all people as a right.
                    All are god's children — the poor, the wretched — they have a right to go to a doctor when they are sick.
                    I want you to think of what this great country can be.
                    We can be a nation which joins other nations around the world in guaranteeing healthcare to all people as a right.
                    We can be a nation in which working parents can get quality of affordable child care.
                    We can be a nation in which every American, regardless of his or her income, can get a college education.
                    We can be a nation in which every senior lives out their lives in dignity and security.
                    We can be a nation, in where everyone, no matter their race, their religion, their disability or their sexual orientation realizes the full promise of equality that is our birthright as Americans.
                    Brothers and sisters, this is the nation we can create when we stand together and not let people divide us.
                    The history of America and the fight for human dignity is a history of struggle. They struggled because they said "I am a human being. I have right. You can't do that to me. I need dignity."
                    And unions were formed, and people fought, and people died, and people were beaten, and people went to jail.
                    When millions of people stand up and fight... they win.

                     

                     

                    以下、日本語訳。

                    道徳的に生きるとはどういうことでしょうか。


                    「道徳」について語るとき、そして「正義」について語るとき、私たちは理解すべきです。
                    ごく少数の人間があまりに多くのものを手に入れる状況に、正義はないということを。
                    そして、あまりに多くの人間が、ごくわずかのものしか手に入れられない状況に、正義はないということを。
                    (富裕層の)上位1%の10分の1というごく一握りの人間が、90%の人々たちが持っているのとほぼおなじ富を手にしているということに正義はありません。


                    大勢の人たちが長時間労働を強いられ、誰が見ても低い賃金で一生懸命働いています。
                    それでも、家で待っている子どもたちがまともな食事にありつけるだけの収入は得られない。そんな状況に正義はありません。


                    アメリカ合衆国が、世界の主要国の中でもっとも子供の貧困率が高いという状況に正義はありません。
                    そんな私たちが、どうして道徳、そして正義を語ることなどできるでしょうか。

                    自分たちの国の子供たちに、背中を向けておいて。


                    私たちの国は、世界で最も多くの人間を投獄するために多額の金をつぎ込んでいます。それなのに、自分の国の若者たちに仕事や教育の機会を与えるための金を惜しむのです。


                    私たちの国は主要国の中で唯一、権利として全国民に医療の保障をしていません。
                    全員、神の子なのです。貧しい者も不幸な者も、病気になったら医者に診てもらう権利があるのです。
                    考えてほしいのです。この偉大なる国が持つ可能性を。

                    他の主要国と同様、すべての人に権利としての医療を保障できる国になれるのです。
                    あらゆる働く親が、安くて質の高い保育を受けられる国になれるのです。
                    あらゆる子どもたちが、親の収入に関わらず大学教育を受けられる国になれるのです。
                    あらゆるお年寄りが、尊厳をもって、安全に暮らせる国になれるのです。
                    あらゆる人が、人種や宗教、障害、性的指向にかかわらず、生まれながらに十分保証されている、アメリカ国民としての平等の権利を享受できる国になれるのです。


                    みなさん、私たちはそのような国を作ることができるのです。
                    ともに立ち上がましょう。人々を分断させてはなりません。


                    アメリカの歴史は、人間の尊厳のために闘ってきた人たちの歴史であり、もがき苦しんできた人たちの歴史である。
                    彼らは「私は人類の一員だ。私には権利がある。あなたには私を不当に扱うことはできない」と闘ってきた。
                    人々は労働組合を結成し、抗議し、命を失い、暴行され、投獄された。
                    大勢の人々が立ち上がり、闘うとき、彼らは勝つのだ。


                     
                     

                    | 英語教育 | 00:54 | comments(0) | - |
                    バーニー・サンダースとジョン・レノン
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                      前々回のブログで、政治家には二種類ある。政治家になるのを目的にする人間と、よりよき社会を実現するための手段と考える人間と、と書きました。改めて考えると、後者は数人しか思いつきません。逆に、前者の例には事欠きません。

                      10日の朝日新聞によると、「おおさか維新の会代表の松井一郎・大阪府知事と旧みんなの党代表の渡辺喜美前衆院議員が9日、大阪市内で会談し、渡辺氏が7月の参院選でおおさか維新から立候補することで合意した。比例区から立候補する見通し。おおさか維新は14日に常任役員会を開き、正式に承認する」とのことです。渡辺氏は会談後、記者団に「みんなの党がなくなって改革勢力がなくなっては困る。一兵卒でいいから一緒に改革をやらしてほしい、と伝えた」と説明しているそうです。

                      「改革勢力」ってなんの冗談でしょうか。「反動勢力」の間違いでしょう。日本語すらまともに使えなくなったようです。ゴロツキは所詮ゴロツキの仲間にしかなれないということです。そうまでして、政治家になりたいのでしょうか。それほど政治家にメリットがあるのでしょうか。

                      端的な事実だけをあげておきましょう。
                      世界の国会議員の年間報酬。イギリス802万円。フランス877万円。ドイツ947万円。アメリカ1357万円。日本2281万円+文書交通費+無料交通機関など特典多数。私たちはどんな議員を税金で養っているのかしっかりと見定めなければなりません。



                       
                      ところで、前回のブログで書いたバーニー・サンダース氏の集会はジョン・レノンのコンサートのような様相もみせ始めているそうです。彼の経歴は『SENATOR BERNIE SANDERS』(Robert Shelley)によれば、以下のようになっています。
                       
                      「1970年代からヴァーモントで社会活動と政治活動をはじめ、1981年には、39歳で、ヴァーモントでもっとも大きく影響力のあるバーリングトンの市長となった。おもな支持者はヴァーモント大学などの教授連、社会福祉関係者と警官の組合で、市長としてあわせて4回8年の任期をまっとうした。有能な市長として評価は高かった。

                      その段階から「社会主義者」を自称し、アメリカの南アメリカ政策に対して正面から批判的な立場をとり、シティーホールでノーム・チョムスキーを呼んで講演を組織するなど、その立場は一貫していた。
                      1987年にはU.S.Newsがサンダースを、バーリントンをもっとも住みやすい町にしたアメリカ最良の市長であるとした。ヴァーモントでは非常に強い支持をうけている。

                      しかし、1989年の市長選には立候補せず、その年はハーバートで教えている。サンダースは政治学専攻の研究者としての側面ももち、妻のオメラも後にバーリントンカレッジの学長となっている。


                      1990年ヴァーモントの下院議員に民主党にも共和党にも属さず当選し、そののち16年間、一回を除いて圧倒的な勝利で下院議員を勤め続けた。これは独立無所属の下院議員としては40年ぶりのことであったという。その立場を20年近く維持していることになる。
                       
                      そして2006年に、その立場のまま上院議員に立候補し、圧倒的な勝利をおさめた。民主党に属さず、しかし、民主党のリベラルグループと会派を作り、その委員長として、イラク戦争に反対し、市民権利制限法に反対し、リベラル勢力の中枢にいたということである。地域の社会活動のなかから徐々に全国政治に入り込んでいった 普通の政治家であることがわかる。
                       
                      もちろん、相当にしっかりした人物で、筋金入りであることも明らかで、サンダースは1960年代のアメリカ学生運動の中心であったSNCC(学生非暴力委員会。Student Nonviolent Coordinating Committee)の活動家である。彼らは、アメリカの黒人差別に抗議する公民権運動をにない、そしてベトナム戦争反対の運動を担った


                      サンダースはマーチン・ルーサー・キングの指導した、1963年のワシントン大行進に参加しており、だから、彼はキング牧師の「I have a dream」という有名な演説をその場できいている。」
                       

                       
                      | 政治 | 22:51 | comments(0) | - |
                      自分の国のこどもたちに、背中を向けているというのに!
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                        私は当ブログで戦後71年たっても、依然として日本はアメリカの占領下(Occupied Japan)にあると言ってきました。政治的にも経済的にも軍事的にもアメリカに首根っこを押さえられている以上、どんなに自由が保障されているように見えても、しょせんそれは「奴隷の自由」に他ならないということです。自分の首にヒモがつけられていることにも気づかず、猿回しのサルよろしく芸を披露して「どや顔」をしている政治家を見るたびに、この国はとっくに終わっていると思うのです。


                         

                        それに比べて、アメリカという国はやはり懐が深い。米大統領選における民主党候補、バーニー・サンダース氏の主張を見ていてそう思います。彼の主張は故宇沢弘文氏の主張(スティングリッツ氏が顧問なのだから当然ですね。彼は1965年 シカゴ大学で宇沢弘文氏に一年間指導を受けています)と重なっています。


                         

                        過激で「劇場型」選挙戦を前面に出しているトランプ候補にテレビ的価値を見出している日本のメディアは、サンダース氏の大健闘がこれから世界に引き起こすであろうパラダイムシフトを理解できません。以下の画像をご覧ください。(スマホでは日本語字幕が出ません。パソコンからは見ることができます。ところで、高校生でサンダース氏の力強いシンプルな英語が聞き取れないようなら、英語の勉強の仕方が間違っています。受験勉強で得られる知識は偏っています。しかも、圧倒的な情報不足です。)









                         

                        彼の主張は、世界のグローバル金融経済に強い衝撃を与えています。米国のエスタブリッシュメントは、なかなか撤退宣言しないサンダース氏に苛立っています。


                         

                        トランプ候補の主張は、一世一代のパフォーマンスで、米国や世界の支配層から見て、実は、それ程怖いものではありません。怖がっているのは、サンダース氏が「民主社会主義」と旗幟を鮮明にしている点なのです。これは、政治的ポジションを争う次元の話ではありません。彼は「価値観」のパラダイムシフトを強く主張しているのです。この流れは、世界のヘゲモニーの大きな変化をもたらす可能性があります。したがって、グローバリスト達は、自分たちのよって立つ土台を攻撃されていると感じているはずです。


                         

                        サンダース氏はヨーロッパ的な基準からすると普通の政治家です。国民皆保険を「社会主義だ」という、少し頭の弱いアメリカのような大国から見れば、過激な政治家に見えるだけです。


                         

                        サンダース氏は、「アメリカ社会の格差拡大、インフラストラクチャの劣化、不当な選挙資金調達システム、不正な八百長経済などなど、これは進歩も保守もない問題だ。これを見過ごすのは不道徳だ、アメリカの現在の状態は異常だ」と主張しているに過ぎません。実にストレートで説得的です。


                         

                        サンダース氏の主張は今の日本にもそのまま当てはまります。日本が生んだ真の経済学者・宇沢弘文氏の主張がサンダース氏の口から語られているのです。つまり、宇沢弘文氏は死んではいません。生きているのです。人間が生きるとは、そういうことです。

                         

                        | 政治 | 12:09 | comments(0) | - |
                        『国民怒りの声』を支持する。
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                          政治家には大きく分けて二つのタイプがあります。政治家になることを目的とした者と、よりよき社会を実現するための手段だと考える者です。政治について考えることは、決して難しいものではありません。直感で「おかしい」と感じたことを、政治のプロの屁理屈にごまかされることなく、どこまでも追求していくことです。

                          今回の小林節氏の「国民怒りの声」の立ち上げは、この直感に沿った、まともすぎるくらいまともなものです。以下がその出馬会見です。私は彼を支持します。フルバージョンはこちらから 
                          https://youtu.be/idJOZ9yRGOw



                           
                          政治の使命は、国家権力を用いて主権者国民の幸福を増進することに尽きる。
                           
                          国民にとって、幸福の条件は、自由と豊かさと平和である。
                           
                          しかるに安倍政権は、まず、世界のどこででも戦争のできる法律を成立させてしまった。その理由として、中国と北朝鮮の脅威からわが国を守るためと主張している。しかし、両国の脅威がわが国の専守防衛を実際に超え得るかは疑わしい。
                           
                          そして何よりも憲法9条が軍隊の保持と交戦権の行使を禁じているために海外派兵はできないとしてきた政府自らの解釈との矛盾を説明できていない。それは、政府自身が公然と憲法を破ったことになる。

                          これが立憲主義の危機である。つまり、権力を一時的に託されただけの立場にある政治家が、主権者国民の最高意思である憲法を無視して、勝手に行動を始めたことを意味する。これは、国民主権国家における主客転倒であり、許されることではない。
                           
                          次に、安倍政権は、政府が秘密に指定した情報を永久に秘匿できる特定秘密保護法を制定してしまった。これは、自由主義社会に例のないもので、主権者国民の知る権利を封殺し、ジャーナルリストの報道の自由を奪うものである。
                           
                          加えて、放送法を悪用して、政府にとって耳の痛い言論人に「不公平」のレッテルを貼り、順次、論壇から追放している。これは、民主主義の前提である言論の多様性が保障された社会の圧殺である。
                           
                          また、今回の、消費税再増税「中止」の雲行きを見ても明らかなように、いわゆるアベノミクスは失敗している。年金基金の投機的運用による損失も深刻である。加えて、戦争法の制定に伴う防衛予算の突出は、着実にわが国の富を減殺して行く。米国の経験を見るまでもなく、戦争は確実に国家財政を破綻に導くものである。
                           
                          さらに、海外派兵を可能にした戦争法が、これまで70年にわたり平和でいられたわが国に、戦争の危険を現実のものにしてしまった。これはまた、国際社会における「平和国家」としてのブランドの放棄でもある。
                           
                          このように、政治の使命(つまり、主権者国民の自由と豊かさと平和の増進)に逆行する政策を確信を持って推進している安倍内閣には一日も早く退場してもらわなければならない。
                           
                          そのために、現行選挙制度の下では、自公に学んで、野党は誠実に選挙協力をしなければならないと、私たちは熱心に主張し続けてきた。
                           
                          その結果、参議院1人区での野党統一候補の擁立は着実に前進している。
                           
                          他方、比例区に野党は統一名簿で参加せよという私たちの主張は理解が得られていない。統一名簿方式のメリットはふたつある。第一は、これまでバラバラに戦って野党各党が無駄にしてきた莫大な死に票も、統一名簿であれば合算されて確実に議席を生むという事実である。
                           
                          第二が、野党共闘の「本気」度を示すことにより、これまでは「どうせ政治は変わらない」と諦めて棄権してきた3割以上もの無党派層に、「今度こそ政治が変わるかも知れない」という期待感を抱かせ、投票場に向かわせる効果がある。経験上、その多くは野党に投じられ、相対的に与党の組織票の効果を下げることができる。
                           
                          しかし、現実には、この野党統一名簿構想は頓挫してしまった。このままでは与党の勝利­は目に見えている。
                           
                          そこで、私たちは、安倍政権の暴走は止めたいのだが、かといって、未だに民主党政権の失政を赦すことができず、また、共産党に投票する気にもなれない多数の有権者の代弁者たらんとして、ここに第三の旗を立てることにした。
                           
                          基本政策は次のとおりである。
                           
                          1.言論の自由の回復(メディアへの不介入)
                          2.消費税再増税の延期と行財政改革
                          3.辺野古新基地建設の中止と対米再交渉
                          4.TPP不承認と再交渉
                          5.原発の廃止と新エネルギーへの転換
                          6.戦争法の廃止と関連予算の福祉・教育への転換、
                            改悪労働法制の改正等により、共生社会の実現
                          7.憲法改悪の阻止
                           
                          以上

                           
                          | 政治 | 11:40 | comments(0) | - |
                          『夜まで生テレビ』第1弾
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                            春の嵐のごとく風雲急を告げるわが祖国、日本ハム、いや日本。火山と地震の巣の上に54基の核発電所を作り、4基が爆発して放射能をばら撒き、高濃度汚染水をたれ流し、世界の顰蹙を買い続ける日本。解決の目途も立たず、こうなりゃ事故を忘れさせるしかないと情報統制・思想統制に乗り出す北朝鮮、じゃなかった日本政府。
                             

                            熊本地震が終息する気配も見せないこの時期に、いや、九州が、日本が割れているこの時期に、原発再稼働へ前のめりになる安倍政権。このまま行けば、事故が終息する前に日本が終わってしまうのか!?「願わくば、花の下にて春死なん、その望月の如月の頃」と相成るのか日本!あなたならどうする。
                             

                            さ〜あ、さあ、さあ、あさ、あさ、朝の9時になりました。『夜まで生テレビ』の時間がやってまいりました。今回のテーマは「どうする夏の参院選!あるのか衆参ダブル選挙?」と題してお送りいたします。司会を務めますのは、ろれつが回らなくなった田原総二郎氏に変わって、私、古館二郎が務めます。午前9時から午後6時まで8時間の休憩をはさんで9時間の長丁場でございます。
                             

                            ではパネリストの皆さんを紹介します。私の右から、政権が東京新聞に送り込んだスッパイ編集委員のハセガワ・ヒロユキ氏です。昨夜のプロレス中継では、見事に的外れな解説をいただきました。そのお隣が、民進党の女たらし、もとい、プリンスの細野モナ男さんです。そのお隣が、元読売巨人軍のオーナー、妖怪人間、ベム・ベラ・ワタナベ氏です。本日は御高齢をおして御出席いただきました。そして、そのお隣が、昨夜見事なエコひいきぶりを見せて恥じることのない公明正大な名レフェリー、NHK会長のモミモミ勝人氏です。
                             

                            以上たった4名の皆様とともにお送りいたします。尚、自民党の皆様にもお声掛けをしたのですが、菅官房長官の命令で、今の自民党の議員は百田尚樹の影響か暴言と無知のためにボロを出すやつばかりだからテレビに出ることはまかりならん、とのことで出席をいただけませんでした。ただし、「選挙が終わればいいよ」とのことだそうです。
                             

                            それではチャンネルはそのままで。『夜まで生テレビ』第1弾「どうする夏の参院選!あるのか衆参ダブル選挙?」、始まります。
                             

                            古館「それではまず、ワタナベ氏からご意見をうかがって行きたいと思います」
                             

                            ワタナベ氏「それはだな〜君。あれだよ、あれ。つまりだ、そういうことだよ。いいかね、わが巨人軍は永遠に不滅ということだな。しかし、タカハシ監督にはすまん事をした。ハラ監督の采配には、ボクは不満があってね。いつもハラハラしとったよ。落合君にやってもらいたかったのだが、そりゃあんまりだということで、若い連中に反対されてね。まあ、しかし、巨人軍の連中はよくがんばっとるよ。賭博疑惑で野球なんかやっとる場合じゃないんだがね。他の球団ならとっくに潰れとるよ、君。うちはマスコミを抑えとるからね。はっはっは〜」
                             

                            古館「今のは選挙とはあまり関係ない発言のような気がいたしますが。ではモミモミ氏お願いします」
                             

                            モミモミ氏「政権が勝人いっとるときに、負けるとか、不利だとかいうわけにはいかんでしょう。自公が勝人の前提で、あたかも勝負あったかのような報道をして、国民の無気力・無関心を助長させるのがわが公共放送の使命です。こんな当たり前なことも分からんのですか」
                             

                            古館「なるほど。それがNHKの方針ですね。さすがに国民から受信料を徴収しているNHKの会長さんだけのことはあります。みごとなレフェリーぶりです。でも問題がありそうですね。一部の人から反感を買うんじゃありませんか?保身を図っているだけだとか」
                             

                            モミモミ氏「そんなことは知らんよ。下の者がうまく対処するだろう。民主主義社会では、選挙で選ばれて多数をとった政党の言うことが正しいんだよ。こんな当たり前なことも分からんのですか。私は保身なんかに興味はない!ただ、富と権力が保身だけだよ。いや〜、つまらんギャグだったかな?」
                             

                            古館「なるほど。昨夜に引き続きギャグも三流、いや、一流ですね。では、お隣の細野モナ男さん」
                             

                            細野氏「どうでもいいですけど、そのモナ男だけはやめてくれませんか。僕の本質をひとことで言い表わしているじゃないですか。まあ、選挙に関してはですね、僕は自民党の別働隊とも言われてまして、今回アメリカまで行って、共産党とだけは組みたくないと言ったのです。そうでもしなければ、今、民進党の幹部は野党共闘に前のめりになっていますから。頭を冷やせという意味でね。野党共闘がうまくいけば、僕が民進党のトップになる夢はついえますからね。冗談じゃないですよ、まったく」
                             

                            古館「おっと〜。ここでニュースが飛び込んできました。憲法学者の小林節氏が新党を旗揚げするそうです。この件についてハセガワ氏、どう思われますか」
                             

                            ハセガワ氏「どうもこうも、くそっ!いらんことをしおって。野党共闘にヒビが入るとか、票の食い合いになるとか、影響はないとか、一番喜んでいるのは自民党だとか、あることないことを記事にしなきゃならん。めんどくせーんだよ。でもまあ内心一番焦っているのは民進党だろうな。しかし、小林のやろ〜、ほんとに自分が出るかあ?こんなことしている場合じゃない、社に帰って菅官房長官の指示を待たなきゃ。じゃ失礼するよ」
                             

                            古館「おっと〜。ハセガワ氏、途中で退席です。あれ、顔面蒼白になった細野氏も退席する模様です。何〜、モミモミ氏も帰り支度をはじめています。残ったのはワタナベ氏一人です。ワタナベさん意見をお願いします」
                             

                            ワタナベ氏「ウガガッ〜、プフュ〜、スースー。ウガガッ〜、バクチ〜、トバク〜、プフュ〜、スースー。」
                             

                            古館「おっと〜。春はあけぼの、爆睡のご様子です。というわけで、番組の途中ですが本日はこのへんで放送を終わらせていただきます。それではまた次回をお楽しみに」

                            | 政治 | 12:41 | comments(0) | - |
                            架空プロレス中継
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                              さあいよいよ待ちに待った格闘技世界一決定戦が始まります。ここ武道館には、何と言ってもですね、一年前から徹夜で並んでホームレスと化した観客の皆さんもかなりつめかけていると聞いています。それほどこの試合を楽しみにしていたということでしょうね。

                              さあ、時間無制限、デスマッチ一本勝負の決勝に勝ち上がったのは、かたや史上最強のプロレスラー「TEPCO・ザ・ディザスター」!対するは無名のレスラー「ピース・ザ・ネイション」です。


                              風雲急を告げる春の宵、おごれるものも久しからず、ただ風の前の塵のごとく消え去るのはどちらか!?

                              実況担当は古館二郎、解説は東京新聞編集委員ハセガワ・ヒロユキ氏にお願いしています。

                              古館「ハセガワさん、楽しみな試合になりましたね。全く予想がつきません」

                              ハセガワ「いや、簡単ですよ。強いものが勝つんです」

                              古館「いや〜おっしゃるとおりです。強いものが勝つ。名言ですね。ところで、編集委員のハセガワさんがなぜ解説者に?」

                              ハセガワ「そんなことどうだっていいじゃん。早く質問しろよ」

                              古館「おっと〜どこかで聞いたセリフです。いよいよ試合開始です。審判はモミモミ勝人です。彼の判定は強いものを勝たせることで定評があります。強いものが勝人、変なギャグを飛ばしています。ハセガワさん、なかなかユーモアのある審判ですね」

                              ハセガワ「合法だから、問題にするにはあたりませんな」

                              古館「おっと〜、さすが編集委員。場違いなことばが出てきます。それほど今夜の試合は波乱含みだということでしょうか!後援は読売新聞・産経新聞・NHK・東京電力(TEPCO)の各社。中継はフジテレビでお送りいたします」

                              ハセガワ「なかなか良い布陣ですな」

                              古館「両者リングの中央で握手しました。さあ、試合開始です。おっと〜、TEPCO・ザ・ディザスターいきなり相手をリングの外に叩き出しました。リングに戻ってくるところを、パイプ椅子で殴りつけています。反則です!おっと〜、ネイションいきいなりピンチ! ハセガワさん、反則はいけませんよね、反則は!」

                              ハセガワ「反則の場面、フジテレビが中継していなかったでしょう。中継していなければ、反則はありません。民主主義社会において表現の自由が保障されているのは、それさえ奪えば民主主義は単なるお題目で、独裁だって可能だということです。」

                              古館「おっと〜、何と言う場違いな解説でしょうか!さすが、TEPCO陣営から大金をもらっているだけのことはあります。」

                              ハセガワ「いい加減なことを言うんじゃないよ!出世は確約されていますが、大金はもらってませんよ。微々たるものです。ほんの数千万。そんなことより、早く中継しろよ!」

                              古館「おっと〜忘れていました。ディザスター、今度は催涙スプレーを浴びせています。ネイション、目をやられた!フジテレビ、写していません!場外乱闘になりました。審判のモミモミはリング上で大声を出しているだけです。リングに戻るように言っているのでしょうか?ガ〜ン、信じられません、もっとやれ!と叫んでいます。おっと〜、ディザスター、今度はナイフを取り出しました。3回までなら刺していい、これがルールだと叫んでいます。ネイション、大量出血です!救急車!救急車を呼んでくれ!これはいくら何でもやり過ぎだ!ハセガワさん、何とか言って下さい」

                              ハセガワ「そう言われてもねえ。TEPCO・ザ・ディザスターというレスラーは、特権を与えられているのですよ。対戦相手を殺そうが、後遺症が残って一生車いすになろうが、その賠償金は日本プロレス協会が払ってくれるのですよ。彼個人は責任を負わないのです。凶暴になるのも仕方ありませんな。その上賠償金は国が税金で払ってくれて、日本プロレス協会は過去最高益を出しているんです。だれが彼を止められますか!」

                              古館「でも、観客の皆さんは見ていますよ。ほら、騒ぎだしています!審判に詰め寄っています!」

                              ハセガワ「いや〜、古館さん、あなたもこの業界は長いんでしょう。心配いりませんよ。観客は一時騒いでもすぐ忘れます。自分がボコボコニされない限りはね。あなたもそのくらいのこと分かっているでしょう」

                               
                              | 政治 | 13:07 | comments(0) | - |
                              引き返す勇気。
                              0

                                前回のブログでも述べましたが、数学において展開される論理はAならばBBならばCCならばDと続いていって結論Zにいたります。途中「ならば」が一か所でも間違っていれば、論理は破綻します。これは国境を超え、時代を超えて検証されます。つまり数学では、どんな命題も正しいか間違っているかのどちらかです。


                                 

                                ところが1931年にオーストリアの数学者クルート・ゲーデルが「不完全性定理」を証明しました。簡単に言うと、どんなに立派な公理系があっても、その中に正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する、ということです。正しいか誤りかを論理的に判定できないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、ということをゲーデルは証明したのです。


                                 

                                当ブログで推薦図書として挙げている、岡潔の『春宵十話』や小林秀雄との対談『人間の建設』の中でも触れられています。私は二十歳の時にこの本を読んで衝撃を受けました。「論理は世界をカバーしない」ということは分かっていましたが、数学の世界でもそうであれば、では一体論理とは何なのかと思ったのです。


                                 

                                以来、政治家や学者、官僚、ジャーナリストが駆使する論理は自分の立場を正当化するための屁理屈に過ぎないのではないかと思うようになりました。

                                 

                                 

                                2011年の3・11をきっかけに、この屁理屈が奔流となって一挙に噴き出しました。その惨状たるや、まともな神経の持ち主には耐えられないほど哀れで滑稽な姿でした。ところがテレビやマスコミで発言している人を見ると、どうやら本気で発言しているらしいことが分かって、私はさらに気が滅入ったのです。



                                3・11をきっかけにして、日本は終わったのだ、という感慨が押し寄せてきてどうしようもありませんでした。地面の亀裂からこの国の地金が見えたにもかかわらず、これからは、亀裂を埋めるべく官民挙げて必死の埋め立て工事が始まるだろうと予想しました。その先頭に立って「安全第一」と書かれた旗を振っている現場責任者が、政治家であり官僚であり御用学者でありマスメディアなのですから、これはもう悲惨を通りこして筋書きが見え見えの茶番劇でしかありません。


                                 

                                とくに日本の官僚は優秀だと言われていましたが、その「優秀さ」の本質がさらけ出されました。数学の世界ではなく、現実社会で最も重要なことは、AならばBBならばCCならばDと論理を紡いでいく正確さではなく、「なぜ、前提としてAを選んだのか」ということです。


                                 

                                前提が間違っていれば、それに続く論理が正確であればあるほど、結果は間違ったものになり、社会を破局へと導きます。福島第一原子力発電所の人災は、このようにしてもたらされたのです。


                                 

                                もうお分かりだと思いますが、論理は「AならばB」の「ならば」にあらわれます。しかし、前提となるAを選択する場面では論理は用をなさないのです。Aを選択するのは、その社会が積み上げてきた「倫理」なのです。



                                ドイツが脱原発へ舵を切ったのは、社会に「倫理」が根付いていたからでしょう。

                                 

                                当ブログ

                                 

                                「倫理を排除したつけは、誰が払うのか」

                                http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=156 

                                 

                                の中でも述べましたが、報告書は、リスクを抱えた原発の利用に「倫理的根拠はない」と結論づけたのです。 (メルケル連邦首相諮問委員会 「倫理委員会〜安全なエネルギー供給」報告書)


                                 

                                つまり、「論理」の前に「倫理」がなければならないのです。「倫理」あっての「論理」です。注意して下さい。日本の評論家や思想家と呼ばれる人の中には「正義」や「倫理」を毛嫌いし、バカにする人が多いのです。彼らがどうやってそのような人格を形作ったかは、また別の機会に詳しく述べようと思います。


                                 

                                では、論理の「前提となるA」を選ばせる倫理の本質は何でしょうか。それは私がブログで再三述べてきた「普遍的な感情」です。その中身はいわく言い難いのですが、それを体現している人間なら、マハトマ・ガンジーやネルソン・マンデラをはじめとして、私たちの周りにもたくさんいます。


                                 

                                京大の原子炉実験所の助教をしていた小出裕章氏もその一人です。猛烈な人格攻撃にさらされましたが、彼は淡々と真実を語りました。私が何よりも彼を評価するのは、原子力に夢を託して学者としての人生を歩み始めたにもかかわらず、過ちに気づいて途中で引き返したことです。


                                 

                                人間は過ちを犯します。大切なのはその時どういう行動をとるかです。小出氏にも葛藤はあったはずです。でも彼は敢然として踵を返したのです。勇気とはこういう行動を指します。彼は「生活がある」ことを言い訳にしませんでした。彼の中にも「普遍的な感情」を見出すことができます。次回のブログでは、勇気の意味が分からず、嘘と妄想で人格を満たした人間たちをとりあげます。

                                 

                                | 原発 | 21:37 | comments(0) | - |
                                こどもをたくさん産むことは「国に貢献」することになる?
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                                  こどもをたくさん産むことは「国に貢献」することになるのでしょうか。そもそもこういった考え方は正しいのでしょうか。論理的に検証してみましょう。

                                  論理には大前提があります。その大前提をどのように考えるかで、結論は変わってきます。

                                  例えば、今の社会は、一部の富裕層や大企業がタックスヘイブンを利用して「合法的に」税逃れをしている一方で、消費税を上げ、ダイヤモンドと紙おむつに同じ税率をかけて、国民から税金を徴収しようとしています。これを大前提にした場合、上記の命題は正しいのでしょうか。「こどもをたくさん産むこと」は税金を納める国民を増やすことにつながり、格差社会の中で富裕層はますます富むことになります。それを好都合だと考える人にとっては正しいことになります。

                                  あるいは、アメリカと組んで世界中で戦争をすることに政治がゴーサインを出している社会で「こどもをたくさん産むこと」は、戦争遂行のための「兵隊」(安倍首相のことば)の数を増やすことにつながります。もちろん、戦場へ行かず命令だけ下していればよい権力者は大喜びでしょう。

                                  つまり、ある命題が正しいかどうかは、何を大前提にするかによって結論が違ってくるのです。論理とはたかだかそれだけのものです。

                                  数学における論理性は時代を超え、国境を越えて検証されますが、政治家や経済学者の主張する「論理」は、主張する人間の立場によって、いかようにも正当化されます。つまり、屁理屈も理屈であり、白を黒と言いくるめることなど朝飯前なのです。

                                  現実社会における論理的思考とは、事実を積み重ねることで相手が大前提としている価値や世界観に揺さぶりをかけることを意味します。ジャーナリストのやるべきことは事実を積み重ねることです。テレビに出て政権のスポークスマンになったり、逆に政権を批判したりしてギャラを稼ぐことではありません。

                                  ここからが本題です。仮に、こどもをたくさん産むことは「国に貢献」することになる、という価値観を、人気アイドルが全国ネットのテレビ番組で時の最高権力者相手にうれしそうに言うとします。最高権力者は満足した表情で「君は政治家に向いている」とその人気アイドルをほめます。どうせ北朝鮮の権力者が
                                  喜ばせ組みとでっちあげた下品な番組だと、「民主主義国家」の日本人なら誰もが思うでしょう。

                                  しかし、放送したのは日本のフジテレビなのです。

                                  5月1日、フジテレビ系トークバラエティー「ワイドナショー」(日曜午前10時)にゲスト出演した安倍首相は終わりに、出演者の中で一番政治家に向いているのはと質問されると「指原さん」と指名。「反応を見ていて、ざっくばらんに言いたい放題言っているようで、超えてはいけない所を超えない」と政治家としての資質を認めた。

                                  HKT48指原莉乃はこの日、(司会者の)松本人志から「子供何人作ろうとしているの?」と聞かれると、「産めれば産めるほど産みますよ。国に貢献したい。体の限界が来るまで産みます。いまの安倍さんの話を聞いて私もちゃんと子供を産んでしっかりお母さんにならなきゃ。しっかり仕事もします」と話している。(日刊スポーツ)
                                  http://bit.ly/1rPAQH2 

                                  政治権力者が攻撃したい相手を芸能人(松本人志など)に攻撃させ、国民に浸透させたい価値を、芸能人を使ってテレビで語らせるというやり方は、安倍政権になってからいやというほど目にします。こういう番組が放送されるということは、大部分の視聴者に、マスメディアの情報は「まず疑ってみる」「少なくとも信じない」という知的習慣がないのがわかります。なぜこれほど無邪気なのか不思議ですね。おそらく「教育」の成果でしょう。

                                  こういった番組の作り手も出演者も、木村草太氏の指摘する「権力との一体感」を感じているのでしょう。「権力に守られているという安心感」に身をゆだねた方が、心理的なストレスは短期的には軽減されるかもしれません。しかし、その後で、より大きな心理的・物理的ストレスが自分にのしかかるかもしれないとは想像しないのです。

                                  民主主義社会では主権者は国民であり、政治家は国民の意思を実現するために一時的に付託された身分でしかありません。私たちは政治家に命令できるのです。主権者が権力者と一体感を感じたり、守ってもらいたいと考えたりするのは余りにも情けないですね。(疲れましたね。今日はこれでやめにします。)

                                   
                                  | 政治 | 17:54 | comments(0) | - |
                                  心が長持ちする家。
                                  0

                                    「自己救済術としての家作り」からスタートしたこのブログも、もうすぐ1年になります。昔のこと(特に幼少年時代)を思い出したり、来るべき世界を思い描いたりすれば書くことは尽きません。


                                     

                                    当初は、政治の話題よりも、日々の暮らしを彩り豊かなものにするための身辺雑記を書こうと思っていました。しかし、私たちの国の歴史や文化を生み出してきた「母胎」が、無責任で知性のない強権的で幼稚な集団によって、なしくずし的に葬り去られようとしているのを見て、黙っていることができなかったのです。そのため、政治的な話題が多くなってしまいました。


                                     

                                    自己救済術ということばは、料理研究家の辰巳芳子さんが使っていたものですが、このことばからいろいろなインスピレーションをもらいました。ことばというか概念はとても大事ですね。人間はそれをヒントにして、絶望から立ち直ったり、新しい地平を切り開いたりする存在ですから。


                                     

                                    そもそも救済すべき自己を持っていない人にとっては、自己救済術ということばは抽象的で小難しく聞こえることでしょう。しかし、私は人が懸命になって何かに取り組んでいる姿を見ると、「ああ、ここにも自己を救済しようとしている人間がいる!」と思うのです。


                                     

                                    私の大好きな画家・ルオーにキリストの受難を描いたものがあります。気の遠くなるような時間をかけてカンバスに向かい、絵具を塗り重ねて描いたものです。

                                     

                                    ルオー『受難』

                                     

                                     

                                    彼にとって絵具を塗り重ねることは、自分の宿命を自覚することであり同時に救済することだったのだと思います。つまるところ、優れた芸術作品の持つ力は、この自己を救済しようとする願望と祈りの持つ力なのだと思います。それが見るものを打つのです。



                                    小林秀雄はこの絵を一目見て衝撃を受けたと書いています。普通の生活の中にいるキリストです。ルオーと言えば、彫刻家の高田博厚の個展で見たルオーの頭部のブロンズが忘れられません。高田はルオーと親交があったのです。彼の著作『薔薇窓から』は箱入りの赤い表紙で、当時の私の愛読書でした。

                                    ところで、この自己救済という宗教的・哲学的・芸術的な香りのする少し重いことばを、家作りという作業に当てはめると、住む人の「心が長持ちする家」とでもなるでしょうか。


                                     

                                    私は家を作るにあたって考えていたことを、デッサンも含めてノートに書きとめていました。今から考えると、書き留められた断片は「心が長持ちする家」をめざしていたことが分かります。斬新なデザインや社会的なステイタスを象徴するといったことにはまったく関心がありませんでした。もちろんステイタスもお金もありませんでしたが。


                                     

                                    それは最初から完成された家ではなく、時間の経過とともに徐々に完成に近づいていく家でなければなりませんでした。家族の暮らしに馴染み、周囲の風景に溶け込み、季節の巡りとともにある、つまり時間によって洗われて美しくなっていく、そういった家を構想していたのです。さらに言えば、廃墟となって朽ちていく姿をも想像していました。


                                     

                                    そのために私がとった方法は、空間の構成の仕方はもとより、家の周りに落葉樹を植えることでした。大壁にしたので構造材は見えませんが、目を閉じれば、義父が提供してくれた4寸の柱や梁や桁が壁や天井の裏に見えます。


                                    外観は樹木に覆われて見えなくなってもかまわないと思っていました。20年が経過して、樹木は大きくなり、家と敷地全体を覆うほどになっています。

                                     

                                    四季折々の変化の中で新たな発見があります。雨が降っているときは軒先から落ちるしずくのリズミカルな音が聞こえ、あるときは雪が積もった早朝の景色に息をのみます。台風に対しても備えなければなりません。暴風でケヤキの大木が途中から無残に折れた時もありますが、それを剪定して環境にふさわしい形に整えていくのも楽しみの一つです。

                                    ここ1週間ほどで、見る見る間に緑が勢いを増してきました。緑陰小舎は目前です。

                                    外壁の傷んだところを取り替え、塗装し、テラスの板を張り変える。秋には途方に暮れるほどの落ち葉を前にして、処理の仕方を考えなければなりません。焚き火をしたり、焼き芋をしたり、腐葉土にしたり。つまり、家を巡って生じる様々な問題を、義務ではなく楽しみだと考えることで、住む人の心が長持ちするのです。

                                     

                                    壁紙を張り替えたり、ちょっとした小物を置いたり、あるいは照明器具を変えることで部屋の雰囲気は変わります。私の経験では、お気に入りの椅子と照明器具は空間に大きな効果をもたらします。

                                     

                                    とくに照明器具は、シーリングライトではなく、サイドライトを勧めます。天井の蛍光灯で部屋全体を隈なく明るくする必要はありません。デスクスタンドや、フロアスタンドで必要なところだけを照らすのは、陰翳と奥行きが出ていいものです。日本には行燈の文化があったのですから。そのほか色々な工夫によって、住まいの表情は変わります。そうやって住む人の「心が長持ちする家」は作られていくのです。



                                    今日の午後のリビング。左端の吉村順三デザインの「たためる椅子」は実際たたんであちこちに持っていけるので便利です。デザインも飽きが来ません。



                                    左端のスタンドは、『通販生活』で買ったもの。角度も長さも自在に調節できるので、読書する方にはおすすめです。右端に見えるのはアルネヤコブセンのフロアスタンド。気がつけばわが家の照明器具はアルネヤコブセンのものが多いですね。食卓の椅子もセブンチェアです。

                                     

                                    | 自己救済術としての家作り | 17:36 | comments(0) | - |
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