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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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大いなる倫理的な魂
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    三宅洋平氏に対する誹謗中傷が聞こえてきます。「現実を知らない」「R水素だって?そんなん夢物語じゃねーか」「要するに落ちこぼれのはねっ返りだろ」「あの恰好はヒッピーだ。古いんだよ!」「髭くらい剃れ」「当選したって何もできないよ。無所属だし」「あの髪形何とかならないのか」「ミュージシャンが政治に口出すなよ」

     

    私は彼を応援しています。3年前、山本太郎を応援したように。彼の言説が荒唐無稽で非現実的に見えるのは、私たちの社会の富(宇沢弘文が言う「社会的共通資本」)が悪意に満ち、思考することをやめた人間たちによって略奪されていることに私たちが気づいていないからです。いや、気づいていても見て見ぬふりをしているからです。

     

    彼を誹謗中傷する人間は、彼に嫉妬しているのです。彼の持っている勇気に。真摯さに。公平無私なこころと愛に。時代が膨れ上がって臨界点に達しそうな時には、真実は常に荒唐無稽、非現実的な風貌で登場するのです。そんなとき、リアルで現実的な言説ほど信用できないものはありません。

     

    私は彼の言っていることが全面的に正しいとは思いません。しかし、間違いを指摘すれば、彼ならそれを即座に理解し、隠蔽するどころか大いに議論できるだろうと思います。なぜなら、彼は大いなる倫理的な魂を持っている人間だからです。ガンジーやネルソンマンデラやキング牧師が持っていたものです。それは立証できる性質のものではありません。ただ感じるしかないものです。

     

    以下に二つの動画をアップします。それを見てあなたがどう感じるか。どちらの言うことがあなたの魂に届くか。

     

     

    この動画を文字起こししたものです。
    内閣総理大臣補佐官 衛藤 晟一
    いよいよ、ほんとに憲法を変えられる時がきた。これ以上延ばすことはできない。

    【元法務大臣 長勢甚遠】
    憲法草案というものが発表されました。正直言って不満があります。一番最初にどう言ってるかというとですね。国民主権。基本的人権。平和主義。これは堅持するって言ってるんですよ。この3つを無くさなければですね。ほんとの自主憲法にはならないんですよ。たとえば人権がどうだとか言われたりすると、平和がどうだとか言われたりするとおじけづくじゃないですか。それは我々が小学校からずっとずっと教えこまれてきたからですよ。

    【外務副大臣 城内実】
    日本にとって一番大事なのは何かと言うと、私は皇室であり国体であると常々思っております。

    【自民党政務調査会長 稲田朋美】
    国防軍を創設する、そんな憲法草案を提出致しました。

    【元総務大臣 新藤義孝】
    いま必要なのは行動すること。実現させることだと思います。皆さん、憲法改正しましょうよ。奪われている領土、取り戻しましょうよ。北方領土、竹島、主張するだけじゃなくて行動しなければいけないと思います。さらには尖閣、使っていきましょうよ。軍事利用しましょう。

    | 政治 | 23:49 | comments(0) | - |
    誰が本質的な問いを黙殺するのか
    0

      私は、どんな言説であれ、それが本質的な問いによく答えているかどうかで優劣を判断しています。どんな言説もそれなりに根拠があって、言論の自由が保障されている以上、等価であるべきだ、などというふざけた考えはとりません。

       

      そもそも言論の自由を保障するとは、権力が(安倍政権が)国民の意見表明の自由や創作活動の自由に介入してはならない、という意味ですから、普通の個人同士が議論を戦わせる場に言論の自由を持ち込むのは間違っています。

       

      したがって、明らかに権力側についている人間が、自分の意見が批判されたとき、言論の自由があるはずだ、と反論するのはおかしいのです。権力者の言うことに逆らうな、言うことを聞け、というのが彼らの言いたいことです

       

      昨日のブログで、思考力とは本質的な問いを自らのうちに繰り込んで、それに答えようとする試みであると述べました。それが安倍政権にできているかどうか、検証してみましょう。

       

      以下は、ツイッターが参院選に向けて実施している企画「政党と話そう」の一部です。第1弾は「♯自民党に質問」。自民広報も、「山本一太参議院議員が皆さんからの質問に答えます。たくさんの質問、お待ちしています」とあります。

       

      今回はその質問の一部をとりあげます。

       

      〈どうして安倍さんが統一協会の雑誌の表紙になっているのですか?〉(1660RT)

       

      〈米軍関係費と自衛隊装備などに5兆円を超える予算をつけるのに、待機児童解消のための3000億にも満たない予算が出せない理由を教えてください。〉(1618RT)

       

      〈この(註:創生「日本」の会合の)動画で、はっきり「憲法改正させましょう。基本的人権、国民主権、平和主義、この3つをなくさなければならない」と仰ってますが、選挙終わったら出してくるんですか?今はまだ隠してるんですか?〉(1418RT)

       

      〈首相が外遊する度に、税金をばら撒いていますが、いったいそれ、誰が許したんですか?どこでどういうプロセスで決まったんですか?国内で財源のアテがないとして山積みになっている緊急に解決の必要がある問題を差し置いて国外を優先するのはなぜですか?またその財源は?〉(1129RT)

       

      〈安倍首相が、#報道ステーションで「今ものすごい景気いいんです」といわれたそうですが、何故いま日本の子どもの六人に一人が貧困に苦しんでいるのですか? 格差を分析したところ、日本は先進41カ国中34位で、悪い方から8番目〉(1156RT)

       

      〈安倍さんにちょっとでも批判的な集会とかデモとかすると、街宣右翼の人や差別主義団体の方々が、大きな街宣車で罵声をあげてくるんですけど、あれお友達ですよね? どうして街宣右翼や差別主義者の方とそんなに仲がいいんですか?〉(1113RT)

       

      〈カネで東京五輪買ったんですか?〉(516RT)

       

      〈安倍首相が「取り戻す」日本には沖縄は入っているんですか?沖縄の女性はいつまで蹂躙されて、犠牲になり続けなければいけないんですか?〉(856RT)

       

      〈「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違ってると思います」なんておっしゃる方が、政務調査会長でいいんでしょうか?〉(1128RT)

       

      〈甘利明氏に対して、党で調査をして処分しないのですか。〉(869RT)

       

      〈ここまでハッキリ報道されているのに、高木復興相が名誉毀損で訴えることもせず沈黙しているのは、女性宅に不法侵入して下着を盗んだ事実があるからだとしか思えませんが、そのような人物が、なぜ大臣をやっているのですか?〉(522RT)

       

      〈閣議で憲法の解釈を変更できるのであれば、憲法そのものを変える必要はないと思いますが、いかがでしょう〉

       

      〈憲法改正をしたいのに、なんで参院選の争点から隠すんですか〉

       

      〈株価を維持するため、国民の年金を投機的に運用し損失を出してしまうことがアベノミクスの何本目の矢なのですか〉

       

      〈大企業は法人税減税で優遇、名目賃金は上がっていますが、実質賃金は26年間で最低。中小企業の従業員に大企業の業績の果実など行き渡っていません。アベノミクス失敗ですね?〉

       

      〈以前「TPPには絶対反対」と公約していたのにそれを破ったのは、どんな「新しい判断」によるものなのですか〉

       

       

      これは寄せられた質問のごく一部です。私はこれこそが「本質的な問い」だと思います。こうした至極まっとうな質問に山本一太議員はどれ一つとして答えていません。答えられないのです。なぜなら、彼には思考の基盤である本質的な問いに答えるという習慣がないからです。批判はすべて黙殺するしかありません。これが安倍自民の「本質」です。

      | 政治 | 14:49 | comments(0) | - |
      思考力とは、本質的な問いを発することである。
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        長年塾の教師をやってきて、最近痛感することがあります。学力格差が経済格差に比例して広がっているということです。この両者は完全に比例しているわけではありません。学力格差を生みだすものは文化資本の格差ですが、家庭の文化的豊かさは経済的な豊かさに大きく規定されています。

         

        つまり、経済格差に基づく文化資本の格差・情報格差が学校間格差を生みだし、ついにはそれが牛に押される烙印(ブランド)=記号と化し、階層格差を生みだしているのです。

         

        資本主義社会でなくとも、人間の社会は基本的に競争社会です。階層格差が生じるのは避けられません。問題はその格差が行き過ぎたものになり、固定化されることです。そうなれば社会は停滞し、やがて滅びへと向かいます。このことを私は10年ほど前に指摘しました。http://www.segmirai.jp/essay_library/essay029.html

         

        私の予測したことは、ことごとく現実のものとなっています。その流れを隠蔽するために、つまり見たくないものを見ないで済むように、強権的・復古的な政権が登場するのです。安倍政権がマスメディアを統制するのも必然的な成り行きです。

        話を塾の現場に戻しましょう。今こどもたちと親の間に蔓延しているのは、学びの外注です。その結果、塾は、自分で努力をせず、なるべく楽をして、とりあえず成績を上げたいという、虫のいい要求に応える場所になっています。

        塾は学校と違い、激しい競争にさらされ、「市場の淘汰圧」を受けていることで人々の信用を得ています。「この情報になら対価を払ってもよい」という消費者が一定数確保できなければ存立できません。その厳しい条件が塾の発信する情報の質を保証していると人々は考えているようです。

        しかし、「この情報になら対価を払ってもよい」という情報消費者の「ニーズ」に迎合することで、塾の発信する情報の質は一貫して低下し続けているのです。生徒を増やそうとすれば、塾は「よりリテラシーの低い不特定多数のこどもたちと親」を相手にしなければならないからです。

         

        果てしなく消費者(親とこども)の要求に迎合していくことで失われたものがもうひとつあります。それは学びの本質について考えることです。

        教える側と学ぶ側は、対立する瞬間があります。学習の中身においても、学ぶ姿勢においても。特に学ぶ姿勢は人格に大きく依存しています。教師は生徒のことを思えば、この点を指摘しないわけにはいきません。

         

        教室に入ってもガムをかんだり、自分が当てられていないときには人の噂話ばかりする生徒を注意する必要があります。その上で学習内容に集中させるためには、教師が実力で圧倒的に勝っていることが必要です。学ぶということは、教師に追いつき、追い越してやろうという野心によって駆動する面があるからです。

         

        今の塾では、生徒は知識を吸収するだけの「従順な羊」になっています。しかも、間違った答えを言って笑われ、傷つくことを何よりも恐れています。そういったニーズに対応するためにはやり出したのが、「個別指導塾」です。

        個別指導といっても、教室に机を二つずつ並べ、その前にホワイトボードを置き、アルバイトの講師が分からないところを説明するという、形だけのものです。すぐ隣でも、同じようなスタイルで授業が行われています。パーティションもないので当然声が聞こえますし、集中できません。もともと自分で勉強できないこどもたちが通っているのですから、成果は上がりません。

         

        私の経験から言って、個別指導塾に通う生徒の学力を上げようと思えば、1対1で1日数時間集中的に教えなくてはならないはずです。しかも、ほぼ毎日。しかし、そんなことをすれば生徒はすぐ根を上げてしまいます。

         

        もうおわかりでしょう。学びの本質は、授業スタイルではないのです。学ぶ側の意欲と教える教師の実力があって初めて成り立つものです。そして、学びを大きく左右するのは、なんといっても学ぶ側の意欲なのです。

         

        ノーベル賞を取った日本人は、個別指導の塾に通っていたのでしょうか。家庭教師をつけていたのでしょうか(安倍首相が家庭教師をつけていたのは有名な話です)。今から考えれば劣悪としか言いようのない教室で、すし詰め状態で机に向かっていたのです。粗末なノートと、鉛筆を握りしめ、先生の言うことを一生懸命に聞いていたはずです。そして、本質的な問いを自らに向かって発し、その答えを探し求める過程で勉強が面白くなり、勉強が好きになっていったのです。

         

        社会が消費社会から情報社会に変わる中で、学びのプロセスのあらゆる段階で商業主義がはびこり、すべてが他律的になっています。人々はこれを当然のこととして受け入れています。しかし、知識をわかりやすく噛み砕き、可愛いパッケージにして、甘くやさしいことばで語りかけなければ、こどもたちは学びを発動しないのでしょうか。

         

        かくして、教育の中から半ば意図的に、あるいは「意図せざる結果」として排除されたものこそは、本質的な問いを発するという、思考の基盤となる習慣なのです。政治家であれ弁護士であれ、大学教授であれ、この習慣を喪失した人間がどのような言説を垂れ流すようになるのか、その見本は次回のブログに譲りたいと思います。

        | 中高生の皆さんへ | 14:25 | comments(0) | - |
        難関大学の医学部を志望している高校生の皆さんへ
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          以下の動画は医学部国家試験予備校のMACマック・メディカル・アカデミーのDr.東田氏が第108回医師国家試験の総括と第109回に向かってどのような対策をとるべきかを解説したものです。私は塾の教師として、彼の講義にいつも刺激を受けています。長い動画ですが、医学部を志望している高校生は必見です。

           

           

           

          今それぞれの高校で医学部を目指して勉強している人にとっては、良い刺激になると思います。ちょっと視点を変えて、今の自分の勉強法なり、姿勢を見直すチャンスになるかもしれません。医学部入試は確かに難関です。近視眼的に目の前の勉強に追われるだけでは合格はおぼつかないと思います。

           

           

          ただ、理系で成績がよければ医学部を志望するというのは、本人にとっても、医学部の教員にとっても、ひいては医学界にとっても不幸なことです。高偏差値さえ取れれば大学には合格しますが、合格してから先に待ち構えている医学教育は、大学入試をクリアすることだけを考えて勉強している高校生には、かなり荷が重いと思います。

           

           

          ご存知のように、医師の国家試験合格率は90%前後で推移しています。これだけ見るとやさしそうに見えますが、すでに医学部の入試に合格している人たち(学力レベルは非常に高い)が挑戦する国家試験なので実はかなりの難関です。司法試験よりも質量ともに難しいのは間違いありません。記憶することは膨大で、しかも知識だけでは解けない良問が出題されるようになっています。

           

           

          医学部を志望している高校3年生は、医学部に合格し、6年間の医学教育を経て、国家試験に臨むわけです。それがどのようなレベルか、どんな知識が求められているのか、効率的な勉強法とはどのようなものか、それを今の時点で知っておくのはとても有益だと思います。

           

           

          そんな先のことまでは考えられない、まず目の前の橋から渡らなければ・・・と考えるのもよくわかります。しかし、目の前の橋ばかり見つめていると、その土台がとんでもなく老朽化しているということに気づかないかもしれません。みんなで渡れば怖くないというのは、学問や知性からはもっとも遠い考え方です。既得権益層が十年一日のごとく同じ政党を支持しているように、そういった考え方がこの国を大きく蝕んでいます。

           

           

          勉強に行き詰ったときは視点を動かして見ましょう。まず空間的に。諸外国と比較するのです。次に時間的に。過去の歴史を学び未来を予測するのです。この二つの軸が交差するところに私たちは立っています。それを意識すると、6年後の自分を思い描くことができます。そのイメージがはっきりすればするほど、夢は現実へと近づきます。動物は未来の青写真を描けません。それは人間だけに許された特権なのです。

          | 中高生の皆さんへ | 23:15 | comments(0) | - |
          ずる賢い人間は、利用されるだけである。
          0

            安倍首相は、岩手県での参議院選挙の応援演説の中で、イギリスのEU離脱に触れ、「為替市場をはじめ金融市場の安定化が必要だ。新たな危機に対応するため、あらゆる政策を総動員する。求められているのは政治の安定だ」などと述べたそうです。

             

             

             

            求められているのは政治の安定ではなく、安倍首相の精神と情緒の安定です。彼の本音は「ほら見ろ!私の言ったようにリーマンショック級の事態になったじゃないか。世界の首脳でこれを予見できていたのは私だけだったんだ。だから、消費増税を延期したんだ。今後大規模な自然災害も予想される。だから緊急事態条項が必要だ。基本的人権の尊重などと言っていたら、国が滅びるぞ!みっともない憲法を葬り去ることが私の使命だ」ということです。

             

             

             

            自分に都合が悪くなれば、どんなことでも「新たな危機」にしてしまい、「新たな判断」で前言を翻す。アベノミクスは完全に破綻しているのですが、「世界経済の危機」を理由に、それを隠蔽するでしょう。それにNHKをはじめとするメディアが協力するという構図が出来上がっています。一度ならず、恒常的に権力の提灯持ちをするようになったメディアを、心ある国民は信用しません。

             

             

             

             

            安倍首相の能力では危機に対応できません。それでなくとも、まともな世界のメディアからは「乱心したバカ殿」扱いされているのですから。

             

             

             

            彼がすばらしいビジョンを持ち、国民に真実を知らせる勇気を持っているなら、学歴など全く関係ありません。しかし、首相に就任してからの彼の言動を見ていると、もはや一国の指導者の器でないことは明らかです。

             

             

             

             

            こんな比較はしたくないのですが、オバマ大統領はハーバードロースクールでハーバードローレビューの編集長をしていました。ドイツのメルケル首相は科学アカデミーに就職し理論物理学を研究し博士号を取得しています。だから脱原発を決断できました。キャメロン首相はオックスフォードで哲学、政治学、経済学を学び一級優等学位卒です。一定の知的水準を満たさず、息を吐くようにウソを重ねる人物が、世界の指導者と対等に渡り合えるとはとうてい思えません。

             

             

             

             

            キャメロン首相はEU離脱について国民投票を実施すると約束し、離脱が決まれば即座に首相を辞任しています。自分の言ったことに責任を持ち、それが実現できなければ辞任する。これが国民に対して政治家が果たすべき義務であり、最低限の矜持のはずです。安倍首相は国民ではなく、経団連や電力会社、日本会議を代表しているので、義務を自覚することもなければ、矜持も持ち合わせていないのです。

             

             

             

             

            安倍首相の政治思想史の恩師である加藤節成蹊大学名誉教授は次のように述べています。

             

             

             

            「安倍さんは、ずるい政治家です。政治の世界では、人を欺いたり、裏切ったり、ずる賢く立ち回ったりというのはありますが、それは政治家同士の権力争いで行われること。政策決定が国民の生活なり人生設計に影響がある場面で、そういうズルをやっちゃいけないんです・・・。

             

            安倍さんを表現するとき、私は、二つの『ムチ』に集約できると思うのです。ひとつはignorantの無知、もうひとつはshamelessの無恥です。無知については、彼はまず歴史を知らない。戦後の日本人が築いてきた歴史を踏まえていないんです。ある政策を決定する場面で、現代に至るまで過去の政権がどういう議論と決定をしてきたか、そのプロセスを知る事は非常に重要な事です。

             

            しかし、安倍首相はそういう過去の世代へのリスペクトがまったくないんです。日本国憲法というのは、戦争で310万人もの人がなくなり、その犠牲者たちに対する義務感で作られた側面があるわけです・・・。

             

            もうひとつ、安倍首相の無恥についてお話ししましょう。一言で言って、安倍さんはずる賢いんです・・・。安倍首相は自分の考えに同意する人物を登用し、反対する人はクビにしてしまう。つまり、安倍政権のやり方というのは、『法による支配』ではなく、『人』による支配なんです。

             

            現在、政策の違憲性について指摘するのは最高裁判所と内閣法制局です。安倍さんは、これまで集団的自衛権について違憲だと唱えていた内閣法制局長官をクビにし、自分に都合の良い人物を据えた。内閣法制局長官が解釈すれば、それが法ですから、形としては法の支配です。

             

            しかし、裏を返せば、実際には人の支配なんですよ。これまでの歴代の内閣はこれだけはやってこなかった。人事に手をつけて自分の都合の良い解釈を引っ張り出して後の事は考えない。実に危険な考え方です。『無恥』としか言いようがない・・・

             

            過去の世代が議論し築き上げてきたものへの敬意と次世代への責任。その二つを考えるなら、重要な案件はたくさんあります。少子高齢化、原発、地震など、国の存続に影響する重要課題は山積しています。きちんと過去と向かい合い、次世代につなぐ政権運営をするべきなのです」と。

             

             

            | 政治 | 15:44 | comments(0) | - |
            三宅洋平のことばは、人をとらえて離さない。
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              三宅洋平を私は前回の参院選挙の時から応援しています。彼についての記事もたびたび書いてきました。なぜ彼に惹かれるのか?

              「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である」と喝破した小林秀雄のことばを思い出すからです。

              「彼は彼以外のものにはなれなかった」。その彼とは三宅洋平であり、彼の演説に聴き入っているあなたです。

               

              昨日のブログに書いた「『箱』の外の世界で自我を形成することが、私にもたらした自由と恩寵」とは、彼の話に耳を澄まし、そこに真実を見出し、引き込まれてしまう、精神のことです。

               

              真正な感情に基づくことばは、強い。世間を知ったつもりになっている、人間を分かったつもりになっている『箱』の中の住人には、彼のことばは「きれいごと」に聞こえるはずです。

               

              今回新たに選挙権を持つ若い人達に、東京選挙区でなくとも見てほしいと思います。そういえば、3年前、塾の授業中に脱線して彼のスピーチを聞いてもらったことがあったね。その時のことを思い出して投票所へ向かって下さい。

               

              | この人を見よ! | 08:11 | comments(0) | - |
              画家はなぜ自画像を描くのか
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                「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である」と述べたのは、小林秀雄です。

                 

                父が死んで帰郷し、さて何をして生きていこうかと考えたとき、塾教師をすることくらいしか取り柄のない自分を発見しました。そして、運や偶然のおかげもあって、何とか今日までやって来ました。

                 

                 

                たまたま自分が生まれ合わせた時代の、たまたま居合わせた場所で、塾教師という仕事を受け入れ、生徒と向き合ってきたに過ぎません。いま思うと、あの時こうすればよかったと思うこともあります。しかし、できませんでした。それが自分の限界だったのだと思います。

                 

                 

                今、タイムスリップして幼年期の自分に出会い、その瞳をのぞき込み、行動を観察すれば、「この子は将来、こういった生き方をするだろう」と予測できたかもしれません。その予測と今の私の生き方は、あまりずれていなかったと感じます。「彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である」ということを痛感するのです。

                 

                 

                私は世間が成長段階に応じて次々に準備する『箱』の中で生きることをせず、その外をさまよいながら生きてきました。日常的に不愉快なことも経験しました。しかし、そのことによって、自分の精神の<型>を作り上げることができたのだと思います。

                 

                 

                それは、人生で出会うことの一つ一つに対して、どのように考え、どのように行動すればよいのかという指針となりました。世間的な常識の話をしているのではありません。『箱』の外の世界で自我を形成するということが、私にもたらした自由と恩寵について話しているのです。

                 

                 

                幼少年期の人間をじっくり観察すれば、その人間が後年たどることになる宿命の萌芽がすでに出ていることに気づきます。人生の早い時期に、自分の宿命を自覚し、世間との距離を測りながら生きてきた自分とはそもそも何者か?前世の漠然とした記憶をたどるようにして生きていた、あのときの自分が今の自分なのか?あのとき、象の墓場のような場所で暗い眼をしていた少年は、今のこの自分なのか?

                 

                 

                画家が自画像を描く理由は、おそらくこういうところにあるのだと思います。そこにあるのは、自意識を超越した、宿命という名の生命の持続感なのです。

                 

                 

                 

                | 文学・哲学・思想 | 17:19 | comments(0) | - |
                劣化し続ける権力とそれに寄り添うバカな男たち
                0

                  去年の6月にブログを開始してから、1年が経過しました。1回目のブログは『自己救済術としての家作り』でした。それから今日まで187件のブログ記事を書いてきました。2日に1回のペースで更新してきたことになります。

                   

                   

                  政治ネタが多くなっていますが、1回目のタイトルの通り、当初は建築や日本文化について書いていこうと思っていたのです。しかし、この国を取り巻く状況がそれを許してくれません。

                   

                   

                  「たかが塾教師のくせに、えらそーに政治を語るな」という声も聞こえてきます。しかし、それは「音楽に政治を持ち込むな」という主張と同じようにバカげたものです。

                   

                   

                  そういう主張をする人は、あらゆる人間の感情や営み(愛、友情、祈り、絶望、感謝、歓喜、幸福、憎悪、怒り、皮肉、そして政治など)を包摂する芸術である音楽から、特定の要素だけを排除できると考えている点で、芸術とは無縁です。

                   

                   

                  自由でありたいとか、平和に暮らしたいといった当たり前なメッセージが、政治的に響いてしまう時代の方がおかしい。思考力と芸術的な感性をもった人間が音楽に政治を持ち込まないなどということは、ほとんど不可能なことです。それとも、「音楽に政治を持ち込むな」と言われて、「わかりました。持ち込みません」と素直に従うようなミュージシャンの作る音楽が聴きたいのでしょうか。

                   

                   

                   

                  3・11以降、私はこの国の政治家やメディアに象徴される政治的・文化的振る舞いを見て絶望しました。(そのことはブログ『経済合理性というという狂気または合理的な愚か者』に書きました。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=36)それにしても、ここまで頼りにならない連中ばかりだとは思ってもいませんでした。そういう意味では、浅はかな自分を責めるしかありません。

                   

                   

                   

                  そして何よりも、歴史をねつ造することをなんとも思わない右派の週刊誌や論壇誌の記事をそのまま信じ、感情を劣化させたいい年齢の大人が、まるで呆けたように同じセリフを繰り返すのを目の当たりにして、茫然としたのです。これほど洗脳されることに無自覚で、操りやすい人間がいたとは・・・。

                   

                   

                   

                  安倍政権になってからというもの、この種の「大人」を大量に目にするようになりました。例えば、以下の動画をご覧ください。

                   

                   

                   

                  司会の古市憲寿氏は現在、東京大学大学院博士後期課程在籍の大学院生で、現代日本の若者をテーマにした著作を発表している若手の社会学者です。彼は例外的な人物ではありません。氷山の一角です。この種の「ノリ」で「現代日本の若者」に迎合する学者、メディア人が後を絶たないことが問題なのです。

                   

                   

                   

                  小沢一郎氏に対して「政治家の人柄を知りたかった」として「僕、できれば小沢さんが再婚相手が見つかったかどうか聞いてみたいんですけど・・・興味があって」と発言していますが、そうであれば全ての党首に対して平等に興味半分の話を聞かなければ公平ではありません。その「ノリ」で安倍首相に、子どもができなかった理由を聞いてみてはどうでしょう。それがどれほど無礼で党首討論と関係ないかがわかるはずです。しかし、空気を読むだけのこのバカな男にそれができるはずもありません。

                   

                   

                   

                  この古市憲寿氏のような人物は以前の日本にはいませんでした。IT長者がテレビに出だしたころから、最低限の礼儀すらわきまえないバカな「ガキ」が雨後のタケノコのようにメディアの世界に露出するようになったのです。その結果、東京に収斂する日本の文化の質がウソのように軽くなりました。

                   

                   

                   

                  古市憲寿氏。

                   

                   

                   

                  バカな男の例は古市憲寿氏だけではありません6月21日の「報道ステーション」で、安倍首相は、頻繁に挙手して「答えましょうか?いいですか?」と他の党首が発言している時に割りこみ、手を振りまわす独特のジェスチャーで「持論」を展開していました。しかし、私は彼の言っていることが一言も理解できませんでした。物事の半面すら理解しておらず、都合のいい数字だけをあげて反論したと思い込んでいるのですから。

                   

                   

                   

                   

                  収録の終了時刻が予定を約1分間オーバーすると、「時間を守ってもらわないと困る。飛行機に1分遅れただけで明日(熊本に)いけなくなる」と怒声を上げてテレビ朝日側に抗議したそうです。

                   

                   

                  持ち時間を無視してしゃべりまくっていたのは安倍首相自身でした。こんな男に一国のリーダーを任せることなど到底できない、日本は世界の笑いものになるだけだ、と思いましたが、もちろんそれは「国民の皆様がお決めになること」です。

                   

                   

                   

                  成蹊大学で安倍氏を指導した教授が「あまりに基本的なことが理解できていない。恥ずかしい」と言っています。この世襲3代目の政治家である、わがままなおぼっちゃま君に、一国の最高指導者の仕事が務まるわけがないのです。これまでの彼の「実績」を見れば明らかです。もともとアベノミクスなどと呼べるような経済政策は実体として存在していません。それはまもなくわかります

                   

                  | 政治 | 15:22 | comments(0) | - |
                  人間にとって自由とは何か
                  0

                    前回のブログに、谷亮子氏の顔をアップしましたが、寝つきが悪いので削除しました。それにしても、今回のタイトルは抽象的というか、哲学的というか、書く気も読む気も失せそうなタイトルですね。お忙しい方はどうぞ無視して下さい。

                     

                    しかし、改めて考えてみると、人間の芸術的な営みは、分野を問わず、最終的には「人間にとって自由とは何か」という問いの周りをめぐっているような気がします。逆に言うと、この問いを内包していない芸術的な営みは、しょせん世俗的な成功を求めるものにすぎないということです。だからといって、私は世俗的な成功を否定しているわけではありません。それを求めることなしには世の中は回りませんからね。

                     

                    私にとって、学校に通って得た唯一の収穫は、自分が必要とするものはそこにはないと分かったことでした。社会に出て生活費を稼ぐための知識や技術を身につけることには多少役だったかもしれません。しかし、学校はビートルズを生みだしたりはしないのです。私は昔から学校に期待していませんでした。むしろ学校に期待すべきではないもののリストを作ったほうが、学校がより自由な場所になると思っていたのです。

                     

                    ところで、スポーツを純粋にスポーツとして楽しめなくなったのはいつからでしょうか。ずいぶん前のような気がします。以前は、スポーツにも芸術的な要素があると思っていました。しかし、スポンサー企業のご機嫌をうかがい、金にまみれ、電通が取り仕切る広告宣伝媒体の一部となり、有名人になる。ついでに国会議員の候補としてかつぎだされる。これが現在のスポーツ選手のお決まりのコースです。

                     

                    そんな舞台裏を知っている者からすれば、彼らの活躍から「勇気や希望をもらう」のは、悪い冗談以外の何物でもありません。それができる人は、他人に操られやすいお調子者か、空っぽの自我を埋めるために偶像を必要とする弱虫だと相場が決まっています。

                     

                    例えば、画家が視覚の深化・更新を経て、常人のうかがい知れぬ世界を描いてみせるとき、私たちはその絵から見つめられているような経験をします。大げさな言い方かもしれませんが、ことばは消え、その作品が強いる沈黙に耐えるほかありません。

                     

                    それは「勇気や希望をもらう」世界ではありません。人間の絶対的な孤独を感知し、頭を垂れて引き下がるしかない世界です。この絶対的な孤独にどこまで向き合えるかが、その人間のスケールを決定しているような気がします。

                     

                    私の好きな画家に熊谷守一がいます。以前、たまたま通りがかった美術館のポスターに惹かれて彼の絵を見ました。帰宅した後、どうにも気になって、彼のことを調べました。友人に話すと「熊谷守一も知らないのか」と笑われました。

                     

                    私は美術評論家ではないので、絵との出会いは偶然の幸運によるものが多いのです。セレンディピィティですね。建築との出会いも同じです。彼の絵や書を見ていると、以前、良寛さんの書を見ていたく感動したときのことを思い出しました。

                     

                    ウイキペディアによると、彼は、1880年(明治13年)機械紡績を営む事業家で地主の熊谷孫六郎(初代岐阜市市長・衆議院議員)の三男として生まれます。いわゆる財産家の出身です。こども時代から絵が好きだったそうです。1900年(明治33年)、東京美術学校に入学。同級生に青木繁、山下新太郎らがいました。

                     

                    42歳で結婚。5人の子供に恵まれますが絵が描けず貧乏が続きます。熊谷は「妻からは何べんも『絵を描いてください』と言われた。(中略)周りの人からもいろいろ責め立てられた」と後に述べています。当時は日々の食事にも事欠くありさまで、次男の陽が肺炎に罹ったときも医者にみせることができず死なせてしまいます。

                     

                    1932年(昭和7年)後々池袋モンパルナスと称される地域(現在の豊島区椎名町千早)の近くに家を建て、残りの生涯をこの家と15坪の小さな庭からほとんど出ずに家族、猫、鳥たちと過ごしました。60歳近くになってから始めたのが、書や墨絵です。線と余白だけで喜びも悲しみも表現できる、その可能性に惹かれたといいます。

                     

                     

                     

                     

                     

                    1968年(昭和43年)「これ以上人が来てくれては困る」と言い、文化勲章の内示を辞退します。また1972年(昭和47年)の勲三等叙勲も辞退。1977年(昭和52年)8月1日、老衰と肺炎のため97歳で没しました。

                     

                    彼の生涯から、いったいどうすれば、人は手垢のついた安っぽい「勇気」や「希望」をもらうことができるのでしょうか。熊谷は自分の画風を「下手も絵のうち」と表現しています。「下手といえばね、上手は先が見えてしまいますわ。行き先もちゃんとわかってますわね。下手はどうなるかわからないスケールが大きいですわね。上手な人よりはスケールが大きい」と語っています。

                     

                    もしかすると、彼は死の床で、はるか遠くに小さな白い馬を見ていたのかもしれません。馬は一瞬彼の方に顔を向け、走り去ります。幻影のように。それこそが、彼が全生涯をささげた自由という名の美神だったのかもしれません。

                    | この人を見よ! | 11:55 | comments(0) | - |
                    二人の金メダリスト
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                      多くの方はすでにご存じでしょうが、柔道金メダリストの「やわらちゃん」こと谷亮子参院議員(40)が7月の参院選に生活の党と山本太郎となかまたちからは出馬せず自民党の比例区から出馬することを表明しました。
                       

                       

                      もともと民主党の参議院議員として当選し、その後、野田政権の下で、消費税大増税を巡り、小沢一郎氏とともに民主党を離党し、生活の党の結成に参加していました。この経緯からすれば、谷氏にとって、自民党は一番対極にあった政党のはずです。


                       

                      「生活の党」から出馬したのでは当選できそうにないので「与野党問わず他の党から立候補の要請があれば『柔軟な姿勢で対応したい』と前向きな姿勢を示している」とのことでした。それにしても、「与野党問わず」って、一体何のことでしょうか。それが「柔軟な姿勢」なのでしょうか。



                      自分が選挙で当選できるなら、どの党でも構わないと、国会議員が堂々と述べているのです。さすがに柔道の金メダリストだけのことはあります。変わり身の早さに脱帽するしかありません。
                       


                      谷氏は、マックスウェーバーの『職業としての政治』を読んだことがないのでしょう。政治家を志す人なら、一番最初に読むべき本です。昔は、自民党員の中にもこの本を読んでいる人がいました。
                       





                      一方で、彼女とは対照的な生き方をした、もう一人の金メダリストがいます。6月5日のブログで紹介したモハメド・アリです。
                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=179

                       


                      彼は1960年のローマオリンピックのボクシング競技(ライトヘビー級)に出場し、金メダルを取ります。自伝によれば、その後帰国した時、黒人だという理由でレストランの入店を拒否されたため、金メダルを川に投げ捨てます。金メダリストとして栄光の中で生きるのではなく、人間として不当に差別されたことと闘う人生を選択したのです。


                       

                      ベトナム戦争の際、「彼らには恨みも憎しみもない。殺す理由もない」と徴兵を拒否した結果、世界タイトル剥奪や試合禁止等様々な圧力が加えられました。しかし、それに屈せず、米国政府と長期にわたって争い、無罪を勝ち取ります。
                       

                       

                      その彼が『Stand By Me』を歌っています。「オレのそばにいてくれ、そしてオレを支えてくれ」と。孤立無援の状況の中で、彼はさぞ孤独だったことでしょう。それがこの歌に表れています。うまいとか、へたとかいう問題ではありません。聴く者の心を打つのです。




                       

                       

                      彼が金メダルを川に投げ捨てたとき、私が彼の父親だったら、息子を強く抱きしめて次のように言うでしょう。「お前を誇りに思う。お前を決して一人にはしない」と。

                       

                      | この人を見よ! | 12:19 | comments(0) | - |
                      その人固有の<生>から発せられることばに耳を澄ませ
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                        昨日のブログの最後に、次のように書きました。
                         

                        「『箱』の外の世界をさまようことは、逆に、自分の精神の<型>を作り上げることに役立ちます。その経験は、あなたがこれからの人生で出会うことに対して、どのように考え、どのように行動するかについての、ベースを作ります。つまり、(学生時代の)期限付きの逸脱が、具体的な人生に立ち向かうための、自分の生き方を固めるのです」と。
                         

                        私のように塾教師というエスタブリッシュメントとは程遠い仕事をして、一生「箱」の外の世界をさまようことは、若い人たちには勧めません。「自由」にともなうのは「責任」ではなく、「危険」ですからね。それに、意図してそういう生き方を選んだわけではなく、いつの間にか、やむを得ずそうなったというのが真相ですから。
                         

                        だからと言って、そこには主体性がないわけではありません。むしろ、「いつの間にか」「やむを得ず」そういった生き方をしてきたということの中にこそ、その人の譲れない精神の<型>が現れるものです。私はそういった人間の発することばを頼りに生きてきました。そこには、その人固有の<生>、つまり精神の<型>が現れているため、信頼できると思わせる強さがあるのです。
                         

                        エリック・ホッファーしかり、山本太郎しかり、そして3年前の参院選の時から応援している三宅洋平しかりです。今はそういった人間の生の声を聞けるからありがたいですね。以下の動画は、昨日6月14日に行われた、三宅洋平の参院選出馬を応援する山本太郎のスピーチと、三宅洋平の決意表明です。途中で入ってきて、怪しい意見を述べたオッサンに対する二人の対応も見事でした。この二人は本当にことばだけで戦っているんだとわかります。長いですが、私は画面の前を離れることができませんでした。


                         

                        | 人生 | 12:47 | comments(0) | - |
                        勉強で行き詰っている高校生の皆さんへ
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                          ※最後に動画があります。それを先に見て、以下を読まれてもかまいません。

                          「勉強に行き詰っている」とはどういう状態を指すのでしょうか。「勉強する気が起きない」ということでしょうか。それとも、「学校の授業が理解できない」「テストの点数が上がらない」ことで悩んでいる状態を指すのでしょうか。その両方だということもあるでしょうね。

                           

                           

                          私は33年間、大分市の片田舎で塾の教師をしてきました。こどもたちと勉強するのが楽しかっただけで、利潤をあげるための多店舗展開型のビジネスモデルには興味がありませんでした。教室は一つ。教師も私一人で、学生アルバイトを雇ったこともなければ、「東進衛星予備校」「ブロードバンド予備校」「ヴェリタス」などのウェブの授業を生徒に見せて料金をもらうといったレンタルショップまがいのことにも手を染めませんでした。労働なきところに報酬なし、ですからね。
                           

                           

                          単なる時代遅れの塾だろうとか、田舎の情報弱者の言うことなど当てにならないと思っている方は、これ以上読み進める必要はありません。ただ、私は公教育の外でこどもたちの勉強の面倒をみるという、極めて限られた特殊な世界、要するに裏のカリキュラムが支配する世界に生きていることを自覚しているだけです。この業界の知的レベルの低さ、金太郎飴のようなビジネスモデルとしての陳腐さについて、今さらどうこう言うつもりはありません。
                           

                           

                          「裏のカリキュラムが支配する世界」と言いましたが、そこを深く掘り進めば進むほど、塾業界が社会の歪みを反映していることに気がついたのです。もはや塾なくしては表の世界も存在できないところまで来ています。とくに学力レベルの高い学校であればある程、そうなっています。
                           

                           

                          具体例をあげてみましょう。単純に偏差値という物差しで測れば、大学入試の最難関は東大の理科三類(医学部)です。そこに合格する人の6割以上が『鉄緑会』という塾の出身者で占められています。彼らは中学受験の時から同じ塾に通い、学校は違ってもほとんどが顔見知りです。
                           


                          つまり、本来なら受験生に求められる能力の大部分を塾が肩代わりしているのです。どこかのスポーツジムに似ていますね。トレーナーが完璧なメニューを用意して、それをやりきるまで追いこんでくれる。トレーナーの指示に自分の考えなど差し挟まなくてよい。ただ言われた通りやっていれば、筋肉がついたり減量できたりする。開成をはじめとして都内の国立または私立の中高一貫校が、「受験を意識しない、レベルの高い、まともな授業」が出来るのは、塾という裏のカリキュラムがあるからです。
                           

                           

                          話を戻しましょう。今仮に「勉強に行き詰っている」状態を「勉強する気が起きない」ことだとしましょう。「勉強する気が起きない」のは、与えられたカリキュラムを「まじめに」こなさなければ、「まともな大人」になれないかもしれない(内実はまともな会社に就職できないということですが)という不安が動機になっているからです。つまり、勉強に積極的な意味を見出せず、消極的な理由で机に向かっているからです。
                           

                           

                          現代は共同社会の単一なイメージがもはや成立しない時代です。「まともさ」を判断する基準はあいまいになり、「大人」という概念それ自体が不確かになっているのです。そういう時代をあなたは生きています。あなたの周りを見回して下さい。犯罪まがいのことをやっている政治家の例を引くまでもありません。人間は動物と違って、よりよき人生を生きるためにはモデルを必要とします。モデルに値する人間が少なくなっているのです。「勉強する気が起きない」理由は、実はこんなところにあります。
                           

                           

                          次に「学校の授業が理解できない」「テストの点数が上がらない」と悩んでいる人はどうすればいいのでしょうか。まず、個人の能力には雲泥の差があることを正直に認めることが必要です。1時間で100個の英単語を覚える人もいれば、一週間かけても覚えられない人もいます。ここをごまかしてはなりません。その上で具体的な対策を立てるのです。
                           

                           

                          個別指導の塾に行くという選択肢は、まずほとんどのケースでムダに終わります。なぜなら、細切れにした単元を細切れに教えているだけだからです。あることをうまく教えるには、教える側が、その内容について数段高度な理解力を持っていること、つまり体系を理解していることが必要になります。アルバイトの学生には期待できません。社会人の講師でも最低10年の経験が必要です。そもそも個別指導とは名ばかりで、先生1人に生徒2人から4〜5人という「個別」指導もあります。これは授業料を高くとるための方便です。
                           

                           

                          一体どうすればいいんだ。お前は具体的な答えを出していないではないかと、憤慨している人もいるでしょうね。私は塾教師なので、具体的な参考書の優劣を比較したり、時間の使い方や本の読み方を指導したりすることもできます。授業の中身についても、追々ブログで書いていきます。
                           

                           

                          しかし、具体的な対策は往々にして対策にならないことが多いのです。それは対策以前の、自分という存在のベースができていないからです。そのベースを作るために、一つだけ言えることは、「行き詰った時には考えよ!」ということです。考えて、考えて、考えて、工夫するのです。考えることによってのみ、今あなたが閉じこめられている「箱」の外に出ることができます。それこそが人間に与えられた特権です。
                           

                           

                          「箱」の外に出ることは、ある種の「逸脱」になりますが、学生という期限付きの逸脱です。受験とは全く関係のない本を読んでみたり、休みの日は一日中美術館で過ごしたり、映画を見たり、とにかく自分のやりたいことをするのです。勉強の仕方を根本的に疑ってみるのもいいかもしれません。
                           

                           

                          「箱」の外の世界をさまようことは、逆に、自分の精神の<型>を作り上げることに役立ちます。その経験は、あなたがこれからの人生で出会うことに対して、どのように考え、どのように行動するかについての、ベースを作ります。つまり、期限付きの逸脱が、具体的な人生に立ち向かうための、自分の生き方を固めるのです。
                           

                           

                          それを実践している人がいます。建築家の谷尻誠さんです。以下の動画を見てヒントにして下さい。

                          | 中高生の皆さんへ | 22:16 | comments(0) | - |
                          あなた方の中で罪を犯したことのない者が ・・・
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                            今日はせっかくの日曜日ですが、朝から雨です。梅雨時は庭全体がじめじめして、さわやかさとは程遠いのですが、樹木にとっては、夏の日差しに備えるために水分を補給する時期です。
                             

                            昨日は、ホタルが数匹糸を引くように中庭を飛んでいました。もうしばらくすると、わが家の周囲には見渡す限りの水田が広がります。それに続いて、夜は眠れないほどのカエルの大合唱となります。
                             

                            眠れない夜、ブラインドをあげて2階の窓から外を見ると、水田に青白い月が映っていてきれいです。そんな時、この景色はどこかで見たことがあると思い、記憶の中をさまようのですが、思い出せません。
                             

                            梅雨が上がると、庭の木々の間をさわやかな風が吹き抜けて、気持ちのいい季節になります。文字どおり、木洩れ日の庭になります。デッキに椅子を出して、紅茶でも飲みながら初夏のさわやかな空気の中で読書でもするとしましょう。

                            今夜は、4コマ漫画を紹介します。以下のアドレスにアクセスして、他の漫画もお読みください。http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/




                            4コマ漫画を楽しめなかった方は、こちらをどうぞ。


                             

                            | 政治 | 22:33 | comments(0) | - |
                            「アベノミクスをさらに吹かす」って、暴走族かよ!
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                              今回のタイトルはちょっと下品ですが、「さらに吹かす」とおっしゃっている人の下品さ、知性のなさ、犯罪性に比べたら、かなり上品です。
                               

                              一人で吹かして、谷底へ突っ込もうが、電柱に激突しようがそれは勝手です。どうぞお好きに、と言うしかありません。しかし道連れにはしないでもらいたい。この暴走族の隊長が、こともあろうに日本の「立法府の長」(この発言は、さっそく議事録から削除されました。)ですから、日本国民も同じ目にあう運命なのです。
                               

                              そもそもメガバンクが日本国債にそっぽを向き出したというのに、いったい、どうやって「さらに吹かす」のでしょうか?
                               

                              メガバンクの三菱UFJ銀行「国債を引き受けない」とする明確な意思を示しました。やはりな、と思いました。日本のメガバンクは、いよいよ国債が暴落すると考えているのです。
                               

                              日本のメガバンク(それは、主に国際取引をやっている巨大銀行)が、いままで国債を引き受けてきた理由は、財務省に言われるまま、「割り当てられた新規国債」を買うことによって、政府のバックアップを得ることができる、という思惑からでした。ということは、実際は、国債は自由市場で売買されていないのです。これは誰でも知っている事実です。


                              債券市場が健全性を維持していることを世界に示すために、形式上、市場を通して日銀が買い取る、という「二度手間」をかけているに過ぎません。しかし、ここにきてついにメガバンクが安倍政権と財務省に反旗を翻したのです。見せかけだけの「債券市場」がいよいよ機能しなくなるということです。

                               

                              日本のメガバンクは、その資本構成を見れば明らかですが、日本の銀行ではありません。金融のグローバル化に対応するために、とっくの昔に「無国籍」になっているのです。無国籍のメガバンクが欲しいのは市場だけです。銀行家にとっては国など、どうでもいいのです。だから、先進国でもっともリスクの高い日本国債は、もう引き受けたくないのです。グローバリズムの本質とはそういうものです。


                              今株式市場に入っている資金の大部分は、暴走族の隊長が「ぶっこんだ」年金原資だけだといってもいいでしょう。隊長は、年金運用の結果は、参院選が終わった7月9日まで発表ないと言っています。その莫大な損失額を国民が知ったら、参院選どころではなくなるからです。隊長は経済のことなどちっともわかっていません。そのくせ「景気対策」を連呼しています。

                               

                              要するに、「みっともない憲法」を廃棄して、自主憲法を制定するためなら、この国の経済がどうなろうと知ったことではないのです。自分たちの金もうけのために、見て見ぬふりを決め込んできた経団連も、自分たちの首を絞めることになるとは思ってもいないのでしょう。どこまでも軽薄で近視眼的で小粒な経済人たちです。
                               

                              今後、企業収益はさらに圧迫され、リストラの嵐・・・消費市場はますます冷え込み、それは内需を直撃するでしょう。つまり、一般税収もままならなくなり、国家予算が組めなくなることも考えられるのです。
                               

                              自民党の新しいキャッチコピー「この道を。力強く、前へ」は、私にはギャグとしか思えません。さらに「政治は国民のもの。自民党」というのもあります。今「政治は隊長のもの」になっちゃったりなんかしているからです。その真実を隠ぺいするため、テレビではマスゾエ知事のニュースばかりを意図的に流しています。知事としての資格がないというなら、都議会で不信任案を可決するか、百条委員会を設置すればいいだけのことです。
                               

                              さて、最後に興味深い画像を載せておきます。2014年の都知事選にまつわるものです。マスゾエ氏を応援しているのは誰でしょう。当選して、両手を合わせて感謝している相手は誰でしょう。応援した側の責任は不問に付されるのでしょうか。東京都民は脱原発を訴えていた細川護煕氏ではなく、この暴走族グループを選んだのです。都民の政治意識のレベル、つまり知性が知れるというものです。




                              | 政治 | 12:39 | comments(0) | - |
                              大いなる歴史的事件はニ度繰り返す
                              0

                                6月5日のブログで、ベトナム戦争の際、徴兵を拒否したモハメド・アリをとりあげました。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=179 タイトルは「彼らには恨みも憎しみもない。殺す理由もない」でした。
                                 

                                私は、このセリフを日本の若者に言わせたくないのです。たとえそれが自衛隊員であってもです。自衛隊員が責務を完遂する前提は「我が国の平和と独立を守る」ためであり、アメリカをはじめとして他の国を守ることではありません。

                                以下の記事は先月24日、東奥日報が報じたものです。青森の自衛隊員が、安保法制・戦争法の最初の適用になるという記事です。海外での武力行使を可能にする法律の最初の担い手が青森の青年になろうとしています。家族から不安の声が寄せられるも当然でしょう。


                                 

                                これまで南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた自衛隊は、戦闘域にはほど遠い地の道路などインフラ整備に当たっていました。つまり、自衛隊の紛争地帯への派遣は非戦闘地域に限られていたのです。しかし、11月派遣の青森部隊から、派遣先が戦闘域に拡大されます。


                                 

                                政府は、今年3月に施行された安保関連法を根拠に、正当防衛などに限っていた武器使用基準を緩和しました。その結果、武装集団に襲われた国連要員らを自衛隊員が急行して助ける「駆け付け警護」や宿営地の共同防衛が可能になり、これら新任務をいつから適用するかが焦点になっていたのです。



                                自衛隊員には、入隊時に行われる服務の宣誓があります(自衛隊法施行規則第39条)。その文言は「私はわが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し(中略)事に臨んでは危険を顧みず、身を持って責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」となっています。

                                特に後半部分は他の公務員にはない文言です。その意味で、防衛出動命令が出されるということは、隊員にとって「遺書を書く」ことを意味します。事実、陸上自衛隊北部方面隊では2010年夏以降、所属部隊の上長から「『家族への手紙』を書き、ロッカーに置くよう」命令されるのが常態となってきたとの報道もあります(毎日新聞2015年7月2日)。専守防衛で国民を守るために志願してくれた自衛隊員に対して、服務の宣誓をやり直すべきです。


                                 

                                今後、日本の自衛隊員がアフリカの僻地の銃撃戦で亡くなるかもしれません・・・。日本国民の命を守るのではなく、アフリカの僻地にまで自衛隊員を派遣する日本の利益とはいったい何でしょうか。


                                 

                                万が一自衛隊員に死者が出たとき、遺体は空輸されます。そのとき、日章旗に覆われた棺に、安倍首相は沈痛な面持ちで敬礼するでしょう。何もかもが茶番なのです。

                                伊勢志摩サミットで、安倍首相は各国首脳を伊勢神宮に招待し、その前で写真を撮りました。伊勢神宮の「サミットで欧米各国首脳も認めた日本の神髄」的なイメージを膨らませて「神宮の国有化」「神宮祭祀の国事行事化」を進める動きが首相周辺が出てこないか要注意です。その動きに靖国神社も続くとしたら・・・。
                                 

                                大いなる歴史的事件はニ度繰り返すと言います。一度目は悲劇として、ニ度目は喜劇として。ニ度目の喜劇の幕を切って落とすことに、国民は再び協力するのでしょうか。

                                | 戦争・南スーダン | 10:29 | comments(0) | - |
                                ある寓話
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                                  私の家の近くに、祖父の時代から3代続いた有名な外科病院がありました。現在の院長はアメリカから帰ってきたばかりで、外科手術が得意だと言われていました。あるとき、近所の小学生達が見学にやってきました。そして院長に質問しました。「どうして医者になったのですか?」
                                   

                                  院長は次のように答えました。「それはね、うちは代々医者の家系でね、おじいさんも医者だったし、父親も医者だったんだよ。それで僕も医者になったというわけだ」
                                   

                                  質問した小学生は将来医者になろうと思っていたのですが、この答えを聞いてがっかりしました。そして思いました。「難病の患者さんを助けたいとか、被災地に駆けつけ重傷の患者さんの命を救って喜びあった時のことが忘れられないとか、とにかく命を救う仕事はやりがいがある、そういう話が聞きたかったのに、医者の家系だったから医者になったなんて・・・。この院長は自分の家系を自慢したいだけなのだろうか」と。
                                   

                                  運命のいたずらでしょうか、それから半年ほどして、少年の父親に胃癌が見つかり、この病院で手術をすることになりました。幸い手術がうまくいけば腫瘍はすべて取り除けるとのことでした。安心した少年は質問した時のことはすっかり忘れていました。
                                   

                                  院長は手術の手順や家族への危険性の説明についてスタッフと相談しました。この病院には先代から勤務する優秀なスタッフがそろっていました。ことはテキパキと進み、家族もその説明に納得しました。
                                   

                                  院長は「これは簡単な手術ですから、99%うまくいきます。お約束します。安心しておまかせ下さい。しかし、どんな手術でも100%安全だというわけではありません。本人の体質やその日の体調によって何が起こるかわかりません。しかし、これは形式的な説明であって、まず間違いなく手術は成功します。万が一の場合に備えて対策も取っています。術式についてもスタッフと綿密な打ち合わせを行いました。うちのスタッフは優秀です。手術はうまくいきます。私が断言します」と言いました。
                                   

                                  スタッフの間では、「あんなに断言する医者は見たことがない。それでなくとも医療過誤訴訟が多くなっているのに、何かあったとき大丈夫だろうか」という驚きと不安の声があがりました。もちろん、歴史ある病院の3代目で、アメリカで医学を学び、腕はいいとの噂は耳に入っていました。ただスタッフは院長の手術に立ち会うのは今回が初めてだったのです。
                                   

                                  今となっては確かめようもないのですが、駆け出しの医者のころ、一度手術に失敗して患者を死なせたことがある。それを隠蔽するためにアメリカの病院に留学していた、という噂もあったのです。
                                   

                                  手術の日、院長は何となく落ち着かない様子でした。手術にとりかかっても、顔色はさえず、額には大粒の汗が浮かんでいました。スタッフに命令する声も心なしか弱々しく、ろれつが回っていないようでした。オレの腕は確かだ、3代続いた医者の家系だ、昔の自信をとれもろすぞ!と小声で自分に言い聞かせていました。手術は無事終わりました。
                                   

                                  院長が手術室から出ていった後、スタッフは疲れ切った表情でお互いの顔を見合わせました。スタッフルームに集合したとき、だれ一人として口を開く者はいませんでした。ただ奇妙な気まずい沈黙が支配していました。
                                   

                                  それから2年後、少年の父親が急患でこの病院に運び込まれました。検査したところ胃癌の再発でした。少年の母親は院長に詰め寄りました。「2年前、手術は必ずうまくいくと言いましたよね。先生は断言しましたよね。私は不安になってレントゲン写真をある病理の医者に診てもらいました。すると、最初の手術のときに腫瘍が完全に取り除かれていなかった可能性が大きい、と言うではありませんか。いったいどうなっているんですか!あの時の約束はどうなったのですか!」
                                   

                                  院長は自信たっぷりに言いました。「奥さん、あれから2年もたっているのですよ。あの時は確かに約束しましたよ。しかし、医学の進歩は日進月歩です。昔なら治らなかった病気も今は治る時代です。癌が再発したのは残念ですが、それは私の手術のせいではありません。どこの医者がそんなことを言ったのか知りませんが、私はアメリカで最先端の医療技術を身に付けたのです。アメリカの医療技術は世界一です。アメリカについていけば、まちがいありません!世界は激動しているのです。私の言うことは『新たな判断』です」と。
                                   

                                  母親は、医学の進歩は日進月歩で、昔治らなかった病気も今は治る時代だということが、自分の夫のがんの再発とどんな因果関係があるのか、わかりませんでした。もしかしてこの医者は適当なことを言ってごまかしているのではないかと思いました。
                                   

                                  母親が訴訟を起こして数日後、警察が病院から大量の段ボール箱を運び出すのが目撃されました。院長が医師免許を持たないニセ医者だったという事実は、またたく間に全国に広がり、その日の夕方には院長の顔がテレビで大きく映し出されていました。
                                   

                                  さて、院長の手術に立ち会ったスタッフはどうなったのでしょうか。2年前、今日の事態を予想して、全員が病院を退職し、新しい職場で働いていました。夕方のテレビで院長の顔が大写しになっていたときもチラッと目をやっただけで、助けを求める患者の元へ駆けつけていました。

                                  | 政治 | 23:53 | comments(0) | - |
                                  新たに選挙権を持つ若い皆さんへ。
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                                    歴史とは何でしょうか。難しい話ではありません。それは、あなたが18年間生きてきたということです。あなたの親がどんな思いで働き、あなたを育ててきたかということです。それを想像して下さい。そしてその想像力を祖父母が生きた時代にまでさかのぼらせて下さい。少なくとも2世代、60年間に起きた出来事を知る必要があります。あなたの年齢を足して78年間だけ歴史を遡上しましょう。



                                    民主主義が誕生する背景には、国民国家があり、同朋意識があり、ナショナリズムがあることを理解するためには、この70〜80年の日本の歴史を学習する必要があります。自分を歴史の外に置いて受験勉強的な知識の量を競わないことです。


                                     

                                    歴史とは結局のところ、私たちが今をどう生きるかということです。歴史を学んだ結果、中国や韓国や北朝鮮という国家を罵倒し、その国民を侮辱する言説を撒き散らすようになったとすれば、それが「今をどう生きるか」という問いに対する「答え」になります。


                                     

                                    大分市中春日町にあるY田ゼミ塾長氏にとっては、「尖閣にやってくる中国人を射殺しろ!」と叫ぶことが「答え」なのです。歴史から学ぶためには、まず事実を知らねばなりません。もちろん、Y田ゼミ塾長氏を例に挙げるまでもなく、人間はその事実すら自分の都合のいいように捏造する生きものだということは、心に留めておかなければなりません。


                                     

                                    とまれ、無知と特定のイデオロギーに洗脳された結果、「殺せ!」と叫ぶ言説は、歴史から学んだことにならないばかりか、「今をどう生きるか」という問いに対する答えになっていないことを知るべきです。


                                     

                                    以下は今年度、53回ギャラクシー賞(放送批評懇談会)テレビ部門大賞を受賞した、報道ステーション『独ワイマール憲法の“教訓”』です。(テレビ朝日 2016318日放送)。若い人たちにはぜひ観てもらいたいと思います。

                                     
                                     

                                    その他、優秀賞に、ETV特集『“書きかえられた”沖縄戦〜国家と戦死者・知られざる記録〜』(日本放送協会)、NNNドキュメント'15 シリーズ戦後70年『南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ放送)などが選ばれています。

                                     

                                    また、『クローズアップ現代』(NHK)のキャスターとしての功績に対して、国谷弘子さんが特別賞を受賞しました。しかし、NHKのギャラクシー賞に関する報道は、NHK関連の受賞のみで、なぜか大賞の「ワイマール」に一切触れていません。http://bit.ly/20Wzntt  受信料で運営する公共放送が、公共性の高いニュースから核心部分を削除して報じたのです。これも事実です。

                                     

                                    | 政治 | 13:32 | comments(0) | - |
                                    この人を見よ!−金メダルの栄光より大事なもの。
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                                      2016年6月3日モハメド・アリは74歳の生涯を閉じました。ボクサーとしての彼の活躍は「キンシャサの奇跡」(私はテレビにくぎ付けになり、拳をにぎりしめて見ていました)をはじめとして、あまりに有名なのでここではとりあげません。

                                       



                                      ここでは人間としての彼の生き方に焦点を当ててみます。彼は1960年9月に開催されたローマオリンピックボクシング競技(ライトヘビー級)に出場し、金メダルを取ります。自伝によれば、その後帰国した時、黒人だという理由でレストランの入店を拒否されたため、金メダルを川に投げ捨てます。金メダルの名誉よりも、人間として不当に差別された怒りの方が大きかったのでしょう。

                                       



                                      その後プロに転向し、1964年には世界ヘビー級王座を獲得します。そのころ、マルコム・Xと出会いその思想に共鳴します。イスラム教にも改宗します。そしてベトナム戦争の徴兵を拒否するのです。

                                       



                                      彼いわく「ベトコンはオレをニガーと呼ばない。彼らには恨みも憎しみもない。殺す理由もない」「黒人の徴兵率は30%。白人は10%。なぜだ?」「黒人が戦うべき本当の敵はベトコンじゃない。日本人や中国人でもない。300年以上も黒人を奴隷として虐げ、搾取し続けたお前たち白人だ」

                                       



                                      その発言と行動は当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、世界タイトル剥奪や試合禁止等様々な圧力が加えられました。しかし最終的には、通算3度のチャンピオン奪取成功と19度の防衛に成功します。そして、ベトナム戦争徴兵拒否により米国政府と長期にわたって争い、最終的には無罪を勝ち取るのです。

                                      その彼が歌った『Stand by Me』です。



                                      「危険を冒すだけの勇気のない者は、人生において何ごとも成し遂げることはない」




                                      東京オリンピックの招致に成功した時、私は日本のスポーツ選手の発言や行動を注視していました。ウソと裏金(賄賂)で招致したことが分かってからも、そのことに抗議するスポーツ選手はただの一人もいませんでした。


                                      東日本大震災で10万人を超える人々が避難所生活を送っている状況で、しかも福島第一原発の汚染水の問題をはじめとして何一つ「アンダーコントロール」されていないにもかかわらず、総理大臣自らが大ウソをついて招致したのです。

                                       



                                      利権のためにオリンピックを利用しようとした人間たちが、自分たちの都合を最優先して招致したため、その後エンブレム問題をはじめとして、国立競技場の問題、裏金の問題等で大騒ぎとなりました。オリンピックのために、これから一体いくらの税金がつぎ込まれることになるのでしょうか。

                                       



                                      我が国のスポーツ選手は、こんなことばは使いたくないのですが、政治的に去勢された筋肉マンが多いので、抗議の声が上がるはずもありません。日本に民主主義がないことの端的な表れです。なぜなら、民主主義は多数決で物事を決める政治プロセスなどではなく、一人の人間が命をかけて権力に立ち向かったとき、その声を聞いて周囲の人間がたち上がることを保障するシステムだからです。
                                       

                                      | この人を見よ! | 14:18 | comments(0) | - |
                                      劣化する親たち−受験生の担任が妊娠したら「クビにして!」
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                                        日本社会の劣化はどこに、どういうかたちで現れているのでしょうか。それは末端の教育や家庭の中に現れるのです。私は1年以上前に、

                                         

                                         

                                        未来塾通信56『消費者発想ではこどもは育たない―ある象徴的な出来事』と題してこのことに触れました。http://www.segmirai.jp/essay_library/essay056.html



                                        その後事態はよくなっているのでしょうか。表面的にはイエスと言えるかもしれません。しかし、「今だけ、金だけ、自分だけ」を突出させる親に眉をひそめている人々の中にも、同じ衝動が薄く広く共有されているのではないでしょうか。長くなりますが以下の記事をお読みください。私のコメントは後日に譲ります。



                                        週刊女性PRIME 6月2日(木)5時0分配信

                                        教師を苦しめる、とんでもない要求する、いわゆる“モンスター・ペアレント”。そのストレスで心を病み、休職や、最悪のケースでは自殺に追い込まれる教師も後を絶たないという。教師の心を壊すモンスター親たちの実例を、クレーム対策アドバイザーの関根眞一さんに聞いた。

                                        ■給食費未払いを開き直り

                                        ある保護者が給食費・教材費をまったく払わないまま、クラス替えがあり、前担任は異動。新担任は電話や手紙で支払いをお願いするも、効果はなく、家庭訪問へ。母親の身なりからは、貧しい家庭には見えなかった。

                                        「昨年の担任はそんな話をしなかった。義務教育なのにお金を取るなんておかしい。テレビでもみんな払っていないと言っている」と言うばかり。
                                        さらに、「違う学校のママは、給食費は校長に払ってもらっている。そんなに子どもに給食を食べさせたいなら、先生が払ってください」母親はこう開き直る。

                                        「未払いに味をしめたケース。義務教育への話題をすり替えてはいけません」(関根さん)

                                        ■受験生の担任は妊娠させない

                                        新婚の女性教師が、受験を控えた中学3年生の担任に。保護者会で、役員のひとりがこう言いだした。
                                        「子どもたちは大切な時期なので、今年1年は出産することがないようにお願いします。つきましては『出産計画誓約書』を書いてください」

                                        それから数週間後、女性教師の妊娠が判明。すると、保護者数名が「妊娠は約束違反。クビにしてほしい」「産むつもりなら生徒に土下座して謝罪を」「謝罪文を書いて生徒全員に配って」と要求。

                                        「SNSの普及で横のつながりが強まり、集団で無理を通そうとするパターンも増えています」(関根さん)

                                        ■弁当の材料費を要求する

                                        小学校で、運動会が雨天順延に。すると、保護者のひとりが中止になったことに抗議にやって来た。「天気予報ぐらいちゃんと調べておけ!」「校長が雨男なんだろう」。ついには「弁当の材料費を親戚の分まで支払え。学校から出せないなら、校長が払え!」と弁当の材料費を要求。校長は自腹で支払った。

                                        「粗暴な行為で脅し金品を要求。これは恐喝行為です」(関根さん)

                                        ■通知表を修正しろと迫る

                                        受験熱の高い都内区立小学校。5年生の男子生徒の父親が、成績表に不満があると校長室に乗り込んできた。その生徒は、授業中は居眠りばかりで、宿題もほぼ未提出。

                                        校長が説明しても、「うちの子を問題児扱いするのか。志望校に落ちたら担任のせいだ」と主張。成績表を一番高い評価に改め、子どもに謝罪するよう求めてきた。

                                        その後、担任は「通知表を書き直し、届けろ」という父親からの電話を1日おきに受けるように。さらに、「名誉毀損で訴える用意もある」とまで言われてしまった。

                                        「精神的に教師を追いつめていく手法。第三者の介入が必要です」(関根さん)

                                        ■友達申請を拒否され報復

                                        人気者の男性教師に、ある母親がSNSで友達申請。後日、保護者会で教師から、「私生活と仕事は分けているので」と名前は挙げずに断られると、母親は腹を立て、学校のサイトに教師の悪口を流した。

                                        「娘に色目を使っている」「SNSに保護者の悪口を載せている」という書き込みに、ほかの保護者から「あれは本当なんですか!?」と抗議が殺到。男性教師は校長からSNS退会を命じられることに。

                                        ■修学旅行をやり直させる

                                        修学旅行を日光・鎌倉のコースで実施する中学校。ある仲のいい保護者3人が、「娘たちは思い出づくりにディズニーランドに行きたがっている。行き先を変更してほしい」と言ってきた。教師が変更はできないと伝えると、保護者たちは娘たちを修学旅行に参加させず、好きなところへ行かせると主張。

                                        結局、3人の生徒は修学旅行のかわりにディズニーランドへ向かった。その後、学校では修学旅行の思い出話でもちきり。すると保護者が「なぜもっと修学旅行が大事だと説得しなかったのか。これでは娘たちは仲間はずれだ」と抗議。「もう1度、修学旅行をするべきだ。それまで子どもは登校させられない」と言いだした。

                                        「子どもを“人質”にした要求。ほかの子の転校を要求するケースも」(関根さん)

                                        ■とにかく謝罪文を書かせたがる

                                        生徒たちが授業で使った道具を持ち帰る学期末に、女子生徒が帰宅途中に転倒。すると、母親が「娘は担任教師の指示で、荷物をたくさん持たされて帰り、転んだ。その責任は担任にある」と怒って電話をかけてきた。担任は計画的に持ち帰るよう指導していたことを説明。

                                        後日、父親が職員室へやって来て、「責任を子どもになすりつける気か!」と担任を怒鳴りつけた。さらに、「管理職の謝罪文に実印を押印して原本を届けろ」と要求。副校長が「提出はできかねます」と断ると、「1週間以内に提出しなければ親戚が殴り込む。ヤクザの知り合いもいる」と恫喝して帰っていった。

                                        「暴力的で、一歩間違えたら警察に通報されかねない危険な行為です」(関根さん)
                                         

                                         

                                        | 塾・学力 | 12:14 | comments(0) | - |
                                        劣化する日本の中で
                                        0

                                          わが家の前庭と中庭にはジューンベリーの木が3本あります。秋になるとイロハモミジやオオバモミジが鮮やかに紅葉します。その一方で、イチョウやエゴの木、ツリバナやジューンベリー、カツラの木、ケヤキの黄葉もきれいなので、バランスを考えて植えました。
                                           

                                          ジューンベリーを植えたときは、私の身長ほど(180センチ)でしたが、10年を経過した今は、ゆうに4〜5mほどになっています。そして、毎年赤いきれいな実がなります。年々実は大きくなり、甘さも増しています。上の方は脚立に登って私が収穫します。それを妻がジャムにしてくれます。手の届く下の方は、先日孫たちがやってきて、キャーキャーいいながら食べていました。

                                          前庭の玄関アプローチ脇に植えているジューンベリーです。




                                           

                                          この時期、わが家の朝食の食卓には全粒粉の薄切りの食パンとジューンベリーのジャムが並びます。その甘酸っぱい味と紅茶の香りは抜群に相性がいいのです。
                                           

                                          ジューンベリーの食べごろは、ヒヨドリが教えてくれます。つがいでやってきては、甲高い声で鳴くのです。その日から、ヒヨドリとの収穫合戦が始まります。今年は3本ともたわわに実っているので、いくぶん余裕があります。外出先から帰ってくると、かなり食べられているのですが、それでも食べきれないほど残っています。今年は「生りもの」がいいのでしょうか。秋が楽しみです。
                                           

                                          私の腰の高さで植えた丹波栗の苗木も6mほどになり、今では食べきれないほどの栗が採れます。柿やビワや梅やカボス、ベリー種の実、無花果、栗など、食べられるものが庭で収穫できるのは、なんだか心豊かになりますね。
                                           

                                          そんなことを考えていると、突然ある記憶がよみがえってきました。旅の途中で軽井沢のセゾン美術館に寄ったときのことです。ゆるやかに傾斜した広大な庭で息をのむ風景に出会いました。紅葉した葉が、落葉樹の枝から解き放たれて、やさしい雨のように間断なく落ち続けていたのです。あたりは晩秋の静寂さに満ちていて、時折野鳥の鳴き声がこだまするだけでした。広大な庭には私と妻の二人だけでした。庭に点在するイサム・ノグチのオブジェも印象に残っています。イサム・ノグチについては、またいつかブログでも取り上げたいと思います。




                                           

                                          日本社会はあらゆる面で劣化が進んでいます。無理を通せば、道理が引っ込むのです。数日前に言ったことを、言っていないという記憶障害の総理大臣が号令を下しているのですから、当然と言えば当然です。私は、小さな手作りの家と庭に引っ込んで、苗木を植え、秋の収穫の時期を待つことにします。

                                          | 自己救済術としての家作り | 13:49 | comments(0) | - |
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