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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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渡邉 格
2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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私の推薦図書、エドガー・アラン・ポーの短編『黄金虫』
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    暑い毎日が続いています。元気でやっていますか?部活と課題に追われて疲れている人もいるでしょうね。今この文章を書いている時間、日曜日の午前ですが、戸外はクマゼミの鳴き声で充満しています。夏期講習の授業が聞こえなくなる瞬間もあります。

     

    でも、クマゼミの元気がいいのも2週間くらいです。お盆のころになると不思議と鳴かなくなります。天寿をまっとうするのです。大きな樹木の根っこや、庭の片隅に、吹き寄せられるようにして転がっている死骸を見つけます。そのころにはツクツクホウシが鳴き始めます。

     

    くりかえされる四季のめぐり。今年も夏が来て、つぶれた台風がひんやりした空気を運んできて、そして秋になる・・・。「もう秋か。−それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか−季節の上に死滅する人々からは遠く離れて」「また見つかった。−何が、−永遠が。海と溶け合う太陽が。という、アルチュール・ランボーの『地獄の季節』(小林秀雄訳)の一節が浮かんだりします。

     

    「批評家を内に持たない詩人などいない」と言ったのは、たしかボード・レールでした。ふーむ。納得しますね。

     

    おっと脱線しました。最初から脱線はいけません。まず、以下の画像をご覧ください。塾の自習室に置いてある、エドガー・アラン・ポーの全集です。この全集は1冊平均700ページあります。学生時代に、大枚をはたいて買ったものです。

     

    夏休みにぜひ彼の本を読むことを勧めます。どれも短編なのですぐに読めます。ただし、頭がよくなりたいと思う人に限ります。課題図書を読んで読書感想文を書くのにうんざりしている人、でも好奇心旺盛な人は、すぐ本屋さんに行って買って下さい。

     

    そもそも知性とは何でしょうか。いろいろに定義されていますが、それを的確に言いあらわすのは難しいですね。ぼくは(中高生向けなので、ぼくということばを使います。このほうが自分の素が出て自然ですから)、3・11以降、あると思っていた知性がこの国の中枢には全くなかったのだということが分かって呆然としました。以来、知性とは自分や自分の属する集団の利益を最大化するために政治や経済のことばを使って国民を煙に巻く技術だと考えるようになりました。

     

     

    はっきり言いましょう。知性は定義するものではなく、感じるものです。それを感じる力こそが知性だといってもいいですね。そこで、肝心なのはそれを備えている具体的人物に出会うことです。

     

     

    エドガー・アラン・ポーは、それを備えている一人です。明晰な推理力と想像力、ジグソーパズルのピースを的確な場所に置くことのできる判断力。どれをとってもすばらしい。

     

     

    この詩人・小説家に出会ったのは、ぼくが上野ヶ丘中学2年の時です。同じクラスのS君が読んでいた本がまさにポーだったのです。「モルグ街の殺人事件」「黒猫」「黄金虫」をはじめとして、ぼくの好奇心を刺激するようなタイトルが並んでいました。貸してくれるというので、家に持ち帰って読みました。

     

     

    その時のことは何と表現すればいいのでしょう。人生ではじめて夢中になって読んだ本だといえばいいのでしょうか。ことばを持たない中学生の脳髄に衝撃が走ったと言えばいいのでしょうか。

     

     

    ぼくの個人的な経験はさておき、まず手始めに『黄金虫』を読んでみて下さい。世の中には、こんな頭のいい人間(もちろん、『黄金虫』の主人公のことです)がいるのだと感動したものです。そして、後年、その時の経験が私に東京創元社版の全集を買わせることになりました。もっとも、その頃には、小説よりもエドガー・アラン・ポーという人間に興味は移っていましたが。

     

     

    今日はここまでにします。とにかくだまされたと思って読んでみて下さい。学校の図書館やその他の公共の図書館にもあると思います。この本を読んだ後、しばらく「ぼーっとなっている」としたら、あなたは間違いなく「頭がいい」のです。塾の夏期講習に行くより100倍ためになります。たぶん。

    | 中高生の皆さんへ | 10:28 | comments(0) | - |
    「ヒトラーの思想が降りてきた」という犯人を後押ししたもの。
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      11年前、『未来塾通信3』で、長崎の少女殺傷事件について私は次のように書きました。「子どもたちに対する不適切な教育が、残虐性を生み出すのではない。残虐性は人間の持つ幻想力としてもともと存在しているのだ。それは理性を建前とする近代社会の成立とともに消滅したのではなく、孤立した個人の犯罪という隘路を通って現実化するのだ」と。

       

      http://www.segmirai.jp/essay_library/essay003.html

       

       

       

      そして2年前、佐世保で起こった女子高生による同級生殺人事件の時も私は同じ感想を持ちました。この二つの事件に共通するのは、加害者が生まれながらに持っていた病的嗜好が刺激され、人間の残虐性が噴出したものだという点です。もちろん本当のところはわかりません。これは後付けの屁理屈かもしれません。ただこの種の残虐な犯罪は、人間の幻想力と関係しているのではないか、とそういう気がしています。

       

       

       

      しかし今回の相模原の容疑者は違います。もちろん実際に行動を起こすという点で病的な性格の傾きはあったでしょうが、彼の行動は社会の集合的無意識を代表し、それに後押しされたものです。「ヒトラーの思想が降りてきた」とはそういうことです。

       

       

       

      それは、自分とは異なる文化的・宗教的背景、身体的特徴を持つ者に敵愾心や恐怖心をいだいたり、異質な民族集団を自己中心的な尺度で見下したりする言説や態度を放任することで醸成されてきたものです。これこそが社会を内部から崩壊させるものであり、特定の民族に投影されれば侵略戦争を引き起こすものです。

       

       

       

      彼の行動はこの集合的無意識を煮詰めた結果析出された結晶のようなものです。政治的確信犯の特徴である「理性」だけになった状態です。狂気とは人間が「理性」だけになった状態を指します。19人に次々に声をかけ命を奪ったのは、まさにこの「理性」のなせる業です。そこには、血の通った感情が働く余地はありません。

       

       

       

      彼は、衆議院議長・大島理森氏に宛てた手紙の中で「安倍晋三様」に伝えて欲しいと懇願しています。そして大量殺人を実行した後、誇らしげに「Beautiful JAPAN」などとツイッターに書いています。障害者のいない社会を「Beautiful」だと感じているのです。これは、安倍首相の言う「美しい日本」と重ね合わせて自己陶酔しているからにほかなりません。

       

       

       

      人間はなぜ「理性」だけの状態になれるのでしょう。それはある種のことばを激情にまかせてくりかえし使うことで、自分の感情を凍りつかせ、人格を空洞化させたからです。これはネットで在日韓国人や弱者に対して、「死ね」「日本から出て行け」などと叫んで排除しようとする、ネトウヨ的なメンタリティそのものです。

       

       

       

      容疑者がツイッターでフォローしていた有名人を見てみると、安倍晋三、百田尚樹、橋下徹、中山成彬、ケント・ギルバート、上念司、西村幸祐、つるの剛士、高須克弥、村西とおると、ネトウヨが好みそうな極右政治家、文化人がずらりと並んでいます。

       

       

       

      私は政治的な正しさよりも、彼らの使うことばに注目していました。そして批判してきました。個人のことばがなく、誰が発したのか分からない、ただ敵を罵倒するだけの、空虚で、威勢のいい、同じことばだったからです。

       

       

       

      過去何度かブログやホームページでとりあげて批判した大分市のY田ゼミ塾長も同じです。「尖閣にやってくる中国人を射殺せよ」と叫び、「古賀茂明!お前の顔を見てると吐き気がするんだよ!このハゲ!」などということばを平気で投げつけていました。つい最近では、高須克弥のツイート「高須病院は認知症の患者さまのリハビリ治癒による社会復帰をお手伝いしております。鳥越さんのおいでをお待ちしております」をフォローして「鳥越俊太郎は痴呆症だろ。はやく降ろしてやれよ」と叫んでいます。なぜ私が彼を批判してきたかもうお分かりでしょう。

       

       

       

      それは今回のような容疑者の出現を予想していたからです。先見の明を誇るつもりなどありません。それは誰にでも予想できることだったのです。疑う人は過去のブログをお読み下さい。

       

       

      2015.08.03『ヤクザの友情−安倍政権の本質』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=30

       

       

      「ヤクザの友情は、そのために死ぬ理由になり、人を殺すための大義として機能します。友情とは、本来、人と人がともに生きることを喜ぶ感情のはずですが、ヤクザの友情は、彼らの友情の外にある人間を殺すための情緒的、理論的な基盤になります。さらには、自分自身の生命を投げ出すための動機にもなります」

       

       

      2015.06.30『ファシズムの語法』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=9

       

      「百田氏は常々「愛国者」を自称しています。しかし、基地を作るのに反対する地元の住民に「お前ら金目的」だの「お前ら左翼」だのと言い「沖縄の二つの新聞はつぶさなあかん。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と主張する「愛国者」とは、いったいどの国を愛しているというのでしょうか。きっと、百田氏の頭の中では、沖縄は日本ではないのでしょうね」

       

       


      2015.07.16『全体主義国家の言語システム』

      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=20

       

      安倍首相の戦争法案についての発言「国民の命を守り、子どもたちが平和に暮らせるため、今回の法案をしっかり成立させなければならない」を受けて私は次のように書きました。ちなみに、この時点で「日本会議」に言及するメディアはまったくありませんでした。



      「これは「スローガンの独走」と呼ばれる事態です。これからは、「日本会議」の面々による、法解釈の独走、恣意化が始まるでしょう。安倍首相の言葉は美辞麗句で満ちています。権力の最上層の言葉はいつでも抽象的で美しい。しかし、これが下層へと降りて行き、個別的・具体的な現実の事態に近くなればなるほど、非常識で狂信的な解釈をする人間が出てくるものです。(中略)ヒトラーの『わが闘争』には、強制収容所におけるユダヤ人の虐殺の指令は書かれていません。書かれているユダヤ人論を解釈して、あの現実になったのです。これこそが全体主義国家における言語システムなのです。民主主義国家とは、この解釈のルールを国民に知らせ、解釈の自由を国民に与えている国家のことです。」

       

       

      | 文学・哲学・思想 | 15:47 | comments(0) | - |
      『自己救済術としての家作り』をお読みいただいている皆さんへ
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        今日のわが家の2階から見た風景です。見渡す限りの水田が見えなくなるほど大きくなった丹波栗の木です。5年ほど前に苗木を植えました。植えたときは私の腰の高さほどでした。今はご覧のとおりです。今年は台風が上陸していないので、栗がたわわに実っています。秋の収穫が楽しみです。

         

        向こうの山の稜線の先端までが水田の風景でしたが、それが見えなくなりました。でも秋から冬にかけては刈り入れの終わった田んぼが見えます。私にとっては季節感が感じられる家であることが何よりも重要です。

         

         

        家はなるべく小さくし(そのためには小さな家を大きく住みこなす工夫が必要です)、その分を庭に回して、大きな落葉樹を1本植える、というのが私の持論です。庭の手入れには想像を超える時間と手間がかかるので、それを見越してマンションを選んだという方には興味のない話でしょうが。

         

        私は安全・安心・便利や、資産価値といった発想で家作りを考えていません。いまの社会では、すべてのモノの価値は交換価値で測られます。すなわち、金銭に換算すればいくらになるかという発想です。しかし、モノには使用価値があります。それはそのモノがある場所、周囲の風景、歴史的な由来、そして何よりそこに住む人の<生き方>によって大きく左右されます。

         

        庭に1本の落葉樹を植えても資産価値は高くなりません。しかし、四季折々で姿を変える自然とともに生きることができます。春先の若芽が開く瞬間のみずみずしさ、エネルギーに満ちた盛夏の樹木の濃い緑色、高くなった青い空を背景にした秋の紅葉、自然の織りなすレースのような冬枯れの枝とその間を滑るように飛ぶ野鳥の鳴き声。私にとってはなくてはならないものです。これをいったいどんな数式を使って金銭的な価値に換算するというのでしょうか。

         

        大都市のタワーマンションに住んで、高給を稼ぎ、食べるモノに気を使い、こどもは小さいときからお受験を意識して育てる。小洒落たレストランで食事をし、美術館で絵画を鑑賞し、コンサートに行く。そして休みになると海外旅行に出かける。

         

        他人の生活についてとやかく言うつもりはありませんが(言ってますね)、何という紋切型で絵にかいたような貧しい生き方だろうと思うのです。そこには独自の生活や時間との向き合い方がありません。じゃあ、お前が考える豊かな生活とはどんなものか言ってみろ、と言われそうですね。もちろん言うつもりです。『100年後の生存戦略−その2・教育』の中で述べるつもりです。

         

        しかし今回はそれがメインではありません。これから家を建てようと思っている人に向けて、私の経験を話し、参考にしてもらおうというプロジェクトの告知です。手始めに、私の住居を公開したいと思います。あらかじめお電話いただければ、見学の時間をとります。ただ見るだけでもかまいません。どんな建物であれ、その中に身を置くということが最も大事ですから。画像ではスケール感も、木の香りもわかりません。

         

        現在の中庭。クマゼミの鳴き声が激しい雨のように降り注いでいます。

         

        プランが具体的に進行している方は、図面を持ってこられても結構です。もちろん相談は無料で行います。ただし『自己救済術としての家作り』を読んで面白い、興味があるという方に限定させていただきます。価値観をある程度共有していなければ、無駄骨に終わりますからね。建築資金が潤沢にある方、社会的ステイタスとしての住宅を考えている方には参考にならないと思います。我が家はチープな作りです。参考になるとすれば、空間の構成の仕方と、植栽くらいです。お気軽にお電話下さい。電話番号:090−6771−6765

        | 自己救済術としての家作り | 13:02 | comments(0) | - |
        夏期講習期間中、全力投球しています。
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          私の授業を聞いてくれる生徒の皆さんのために、夏期講習期間中、全力投球しています。志望校に合格したいというこどもたちの思いをしっかり受け止め、暑い中頑張っています。

           

          これは2016年の日本の小さな田舎町の、それこそ取るに足らない日常です。スケールの小さい話ですよね。しかし、人間は誰でも、最初は、その社会が準備した欠陥だらけのシステムの中を、身をよじるようにして通過していくしかありません。願わくば、ただ通過するのではなく、後年その時間を振り返ったときに、自分のやっていたことの意味が分かり、批判的に検討できるように精一杯生きてほしいと思います。

           

          そして、もしあなたにこころと想像力があるなら、この体制に没入し、同化し、模倣し、準拠した生き方が、実は以下の動画に見られる大状況とつながっているのだということに気づいてほしいと思います。

           

          国会議員で現場に駆けつけているのは山本太郎議員一人です。彼のスピーチを最後まで聞いてほしいと思います

           

          | 中高生の皆さんへ | 23:24 | comments(0) | - |
          しばらくは政治的な話題に触れないつもりです。
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            朝日新聞の購読をやめたことは正しかったと思います。困ることは何一つありません。新聞をわりと克明に読んで意見を述べていた妻に「新聞の購読をやめようと思う」と言ったら「そうね、宣伝ばかりで読む記事がないから止めていいわよ」とあっさり言われた時は少し驚きましたが。

             

             

            昨日のブログで2016年7月22日の日本の現状を書きました。そして翌日。私は東村高江の現状を新聞はどのように報道するだろうかと見ていました。新聞ジャーナリズムには何も期待していない私でも、さすがに朝日新聞の一面トップの記事を見て驚きました。一面トップは、新聞社が今の社会で最も重要だと考える記事を載せる場所です。朝日新聞社のトップは、それを誰よりも分かっているはずです。

             

            ジャーナリズムが本来持っているべき批判精神はどちらの新聞社にあるでしょうか。朝日新聞はもはや政治的・道徳的な価値判断ができなくなっています。経営トップは「ウッシャー!ゲットしたぞー」などと叫んで、ポケモンGOで遊んでいればいいのです。

             

             

             

            今の沖縄が日本の未来を根底から揺さぶる非常事態なのを知った上で、この紙面構成をするということは、自らジャーナリズムの責任を放棄したことを宣言するものです。今からわずか70年前、大本営発表を流し続けて戦争を煽り、庶民大衆を欺いた報道姿勢は変わっていませんでした。おそらく次に来るのは安倍政権の支持率大幅アップの報道でしょう。歴史は繰り返します。今夏の参院選で敗北したのは日本のジャーナリズムだったのです。

             

            私は2016.02.12のブログ『マスコミは圧力をかけられているのか?』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=117で次のように述べました。すべては私の想定内の出来事として推移しています。ポイントだけを再掲載しておきます。夏期講習が始まっていますので、しばらくは政治的な話題には触れないつもりです。

             

             

            ― 安倍政権がマスコミに圧力をかけているという言い方は、日本のマスコミへの根本的な誤解、あるいは過大評価に基づいていると思います。なぜなら、これは日本のマスコミ(主に記者クラブに連なる新聞・テレビ)が欧米のような政府・財界から独立した機関であるという単純素朴な前提に立っているからです。「独立した言論機関」と思っているからこそ、権力に従順であることが「言論統制」あるいは「腐敗」と映るのです。

             

             

            日本の記者クラブ系マスコミは情報統制されなくても、圧力がかからなくても、自主規制するようにできています。前にも書きましたが、情報統制とは自主規制の異名に他なりません。元々彼らは権力から「独立」した機関などではありません。彼らは「統治機構」の一部であって、少数の例外を除けば、「統治される市民」の側に軸足を置いてなどいないのです。

             

             

            そもそも彼らが売るニュースという商品の原材料は、記者クラブというチャンネルから独占的・排他的に供給されています。そうした組織が権力から独立していると考えること自体が欺瞞に他なりません。マスコミの本質は営利を目的とした私企業なのです。

             

             

            その内実は、ごく一握りの偏差値上位校から社員や記者を採用し、それを終身雇用で囲い込み、横の人的交流もほとんどない閉鎖的な村社会に他なりません。社外のフリーランスの記者にニュースを書かせない「純血主義」を押し通しています。その人的母集団は政府や大企業といった「統治機構」とほぼ重なります。それはただ、同じ母集団の人間が「政府」に就職したか「企業」に就職したか「マスコミ」に就職したかの違いでしかありません。母集団としては「統治機構」側と同質なのです。

             

             

            企業体、人間的資質、所得階層としても、どう見ても「平均的な市民」ではありません。「統治機構」側にはるかに近いのです。にもかかわらず、日本の記者クラブ系マスコミは、権力から独立していると勘違いしたまま「マスコミは情報統制されている」「政府から圧力がある」「腐敗している」などと叫んでいます。

            | 政治 | 10:29 | comments(0) | - |
            『標的の村』−2016年7月22日の日本
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              「国」は「国民」を守りません。より多くの国民を守るためには少数の犠牲は仕方ないという論理は破綻しています。民主主義の結果として多数決で決まったことだから国民はそれを受け入れるしかないと考えているとしたら、それはあまりに無知であり、知らぬ間に加害者になっているという事実に鈍感過ぎます。

               

              いや、多くの国民はわかっているのです。分かっていても、それに向き合おうとしません。自分は多数派で少数者にはならないだろうと、無根拠に信じているのです。次は自分の番かもしれないとは考えません。すべて他人事なのです。その結果、事実上、沖縄県民は「国民」ではない状況に置かれています

               

              多数派が少数派に転落し、代わって登場した権力によって財産を没収され、合法的に命すら奪われるというのが歴史の教えるところです。そうだとすれば、少数派の権利を守ることは、多数派が明日を生き延びるために必要不可欠のはずです。ハンセン病の例を挙げるまでもなく、最大の被害者が最大の差別を受ける、ということがこの国ではくりかえされています。

               

              「国」は「国民」を守りません。安倍−菅政権が守っているのは、私たち一人一人の命や暮らしではなく、「今だけ」「金だけ」「自分だけ」の既得権益層の利益です。そのために戦争経済で国を回そうとしているのです。

               

              二年ほど前、私は『標的の村』というドキュメンタリー映画を観ました。その後高江はどうなったか。昨夜からの高江での警察と機動隊の対応を見ていると警察も機動隊も人を守るものでは決してなく「国家=既得権益層の利益」を守るものだということがわかります。これで国民の命が守れるわけがありません。

               

              沖縄でいま起きていることは、参議院選挙で自民党の当選者ゼロ、島尻担当大臣落選、という民意を示した沖縄県民に対する「報復」です。つまり、安倍政権による「制裁」であり「弾圧」です。「それは仕方ない」と思う人は、以下の動画を見るべきです。

               

              2016年7月22日の日本。安倍首相は山梨県の山中湖で雨をものともせずゴルフに興じています(jiji.com)。まさにその時、沖縄の東村高江で何が行われていたのか。その命令を出したのは誰か。私たち国民が明日を生き延びるために、知っておくべき現実です。 http://bit.ly/2ah8sZ0

               

               

               

               

              ドキュメンタリー映画『標的の村』

               

              ちなみに、大阪14区選出の長尾たかし衆議院議員は、沖縄県民の非暴力による抗議運動を「ほぼ内乱状態」と決めつけ、「市民運動を隠れ蓑にした反社会的行為」と断定し、警察による強制排除を肯定しています。長尾議員はどんな権限に基づいてそんな判断を下しているのでしょうか。その発想は共産主義国の政治家に近いですね。

               

               

              調べてみると『日本会議』事務総長・椛島 有三(かばしま ゆうぞう)氏を尊敬していると公言しているとのこと。かの櫻井よしこ氏からも期待が大きく、長尾氏の著書「マスコミと政治家が隠蔽する中国」(眞人堂)の帯に「最も信頼する政治家の一人」と紹介されています。与党民主党議員でありながら、安倍晋三、下村博文、山谷えり子、古屋圭司、衛藤晟一、加藤勝信、城内実、稲田朋美らと行動を共にすることが多かったとのことです。憲法改正誓いの儀式で「日本にとって一番大事なのは何かと言うと、私は皇室であり国体であると常々思っております」と発言した城内実氏は長尾氏が民主党にいたとき、党内の情報を頻繁に提供してくれて助かったと述べています。(ウィキペディアより)

               

              自民党改憲草案の第98条(緊急事態条項)の発動条件には「内乱等による社会秩序の混乱」とあり、改憲後には沖縄で同条項が発動される可能性があります。高江で抵抗している住民は、彼らから見れば「内乱等による社会秩序の混乱」を引き起こしている「反日」の「プロ市民運動家」であり「左翼」なのでしょう。やれやれ。

               

              | 政治 | 11:38 | comments(0) | - |
              「経済成長(アベノミクス)」という幻想は国民を「殺す」
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                私たちは、つまるところ自分が所属する会社や組織の「奴隷」となって生きる他ないのでしょうか。経済的な安定を第一に考えれば、多くの若者が学校を卒業する時点で「少しでも給料のいい会社に就職すること」を目標にするのは自然なことです。何といっても生きていかなければないのですから。

                 

                しかし、それ以外の道は本当に閉ざされているのでしょうか。答えはNOです。

                 

                 

                私たちはこれまで当然だとされてきたものが大きく揺らいでいる時代の中にいます。それを感知できず、既存の「箱」の中で生きていくことに何の疑問も持たない「優秀な」若者は、あるものの有用性や価値をわかったつもりになっています(ほとんどの場合、商品化されるものですが)。消費者マインドを深く内面化し、費用対効果のよい方法を探す技術に長けています。つまり、最小の努力で最大の価値あるものを手に入れることが、彼らの<生き方>になっているのです

                 

                 

                しかし、この発想は日本社会がこれまで通り経済成長することを前提にしています。ご存知のように、経済成長を支えるのは内需です。ところが、厚労省は、2060年の総人口は8700万人、2110年には4300万人になると予測しています。毎年75万人のペースで人口が減っていきます。2年ごとに神戸市が一つ消えていくペースです。人口減少社会で経済成長をめざすのは、土台無理なのです。日本はもはや逆立ちしても経済成長はしません。

                 

                 

                ではどうすればいいのか。その処方箋を今ここで述べることはできません。リニア新幹線と原発再稼働でさらなる経済成長をもくろむのは国家の破綻を早めるだけです。

                 

                 

                その前にもっと重要なことがあります。それは、私たちを取り巻いている生存条件が唯一絶対のものではないと知ることです。私は以前この点を巡ってとても重要な指摘をしました。それは「姥捨て」に関するものでした。

                「戦争法案」と「姥捨て」http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=60

                 

                 

                 

                ある共同体が生き延びるには、その構成員を「殺す」しかないという切羽詰まった条件も、相対的なものであったという指摘です。

                 

                 

                経済成長を絶対的な条件だと考えるのは、私たちがそう思い込まされているだけです。やがて事実によって次々に破綻が明らかになるでしょうが、そうなってからでは遅いのです。これから先どうやって生きていけばいいのかと考えている若い人には参考になるかもしれません。以下に、そのエッセンスを再録します。

                 

                 

                ― 私たち人間は水や空気がなければ死にます。あるいは大地震や火山の噴火などは予知が不可能であるばかりか、避けようがありません。これは人間の力ではどうしようもない、いわば「強制的な環境」です。人間以外の動物にとって、環境とは「強制的な環境」を意味します。

                 

                 

                ところが、文明の発達のおかげで、人間はこのような「強制的な環境」ですら、徐々に変えることができるようになってきました。環境自体を変えることができなくとも、その解釈によって意味を変えることができます。意味を変えることによって、行動のしかたを変えることができます。つまり、気の持ちよう、考え方によって、環境の持つ意味が変わるということです。「強制的な環境」ですら、私たちの意識によって変えることができるのです。

                 

                 

                ところが、本来、「強制的な環境」ではないのに、それを「強制的な環境」だと思い込んでしまった例があります。『楢山節考』で描かれた「姥捨て」です。楢山村の「姥捨て」は、ある共同体が生き延びるために、当然の秩序であるかのように行われました。つまり、本来なら環境の強制性はそれほどないのに、村人は「そういうものだ」と思い込んでしまったのです。

                 

                 

                食糧不足・人口過剰という問題はあったのですが、それを「姥捨て」にむすびつけるほどの必然性があったのでしょうか。調べてみると、食糧事情にはまだゆとりがありました。ただ、「強制的な環境」に対する不安を、<お山まいり>という儀式で鎮める必要があったのです。そのために「姥捨て」を儀式にして、それを伝承したのです。

                 

                 

                「姥捨て」という儀式が成り立つためには、ある種のゆとりが必要です。飢餓状態の村ではこのような儀式は成り立ちません。老人は捨てるまでもなく、餓死するはずですから。しかし、いったん「こういうものだ」と思い込んでしまえば、それを変えることは困難です。儀式を疑ったり、他の方策を考えたりしません。ましてや、問題を考えるために他の村の状態を調べたりしません。そもそも、「問題」だと思っていないのですから。

                 

                 

                このように、私たちの気の持ちよう、考え方しだいで変わる環境は、いわば「意味的な環境」と言えます。安倍政権は、「安全保障環境の変化」を理由に、「意味的な環境」を「強制的な環境」にすり替えました。意識をある範囲に限定し、その範囲の外に意識を向けさせないようにすること。他の方法があることに気づかせないようにすること。そのために、民族に対する差別感情を利用したのです。

                 

                 

                それにしても、なぜ今、戦争法案を可決させる必要があったのでしょうか。中国は確かに軍備を増強しています。しかし、それは自然災害のような「強制的な環境」ではありません。私たちの考え方や行動しだいでいくらでも変更可能な「意味的な環境」に過ぎないのです。外交努力や民間交流、災害救助等によって中国との関係を築くことは、十分に可能です。

                 

                 

                安倍政権が毎度毎度同じことばを使って国民をごまかそうとしたのも、「嘘も百回言えば真実になる」という戦争プロパガンダの実践に他なりません。NHKも読売新聞も産経新聞も、そして国際政治学者も国際安全保障の学者も、私がここで述べた「強制的な環境」と「意味的な環境」の区別すらついていない、目を覆いたくなるほどの思考弱者です。

                | 政治 | 16:01 | comments(0) | - |
                ことばの気持ち悪さは、文脈(人間集団)に発する。
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                  都知事選の街頭演説で「この人なら勝てると言って、政策も何もない人、病み上がりの人をただ連れてくればいいというものではないんです」と小池百合子氏が鳥越俊太郎氏を誹謗・中傷しました。まっとうな批判ができないことを告白したようなものです。

                   

                   

                  それをテレビの生番組の最中に鳥越氏に追及されて、最初は「言ってない」「記憶にない」と言っていた小池氏はテロップが入ったTVの画像を突きつけられて、「これが選挙です」と居直りました。

                   

                   

                  「病み上がりの人」などと、病歴をあげつらって相手を批判するのは最低のやり方です。ましてや「これが選挙です」と居直るのは、選挙中は嘘だってつきますよ、ということを公言しているに等しい。候補者としては、命取りの一言だったのですが、本人はまったく気づいていません。しかし、これまでブログで何度も指摘したように、これこそが安倍自民党の本質ですね。

                   

                  私があっけにとられたのは、小池氏が自らの発言を「ファクト」だと強弁したことです。「ファクト(事実)」は「オピニオン(意見)」と対比されることばですが、小池氏の発言は「ファクト」ではなく、差別と偏見に他なりません。横文字を使ってごまかしています。

                   

                   

                  差別や偏見は、事実を知ろうとせず、主観的な評価・価値判断を内面化することで生まれます。小池氏の言う「ファクト」は、「事実」とは正反対の概念です。そのことば使いは誤用であるばかりでなく、言語の共同性を無視した、独善的で堕落したものです。

                   

                  おそらく彼女は、「病み上がりの人」というのは事実であり、それを公衆の面前で、しかも選挙期間中に発言することは「差別と偏見」にはあたらないと考えていたのでしょう。これはカルト的確信犯の集団に特徴的に見られる発想です。

                   

                  なぜこんな発想になるのでしょうか。彼らは人間の内実が空洞化しているために、「個」から発想できず、ただひたすら「文脈」を読むことで、この世界を生き抜いてきたからです。誰に就けば自己の利益を最大化できるか、そればかり考えて来たのです。

                   

                  その結果、「文脈」がわからなくなったのです。例えば、「お前はなんて大バカ野郎だ」というセリフは、文脈によっては、相手を最大限にほめる意味にもなります。「文脈によっては」と言いましたが、通常は相手を非難することばとして使われるという前提があるからです。それを言語の共通性と言ったのです。

                   

                  しかし彼らは「お前はなんて大バカ野郎だ」というセリフをほめことばとしてしか感受できなくなったのです。もちろん、私は比喩として述べています。つまりことばが使われる通常の文脈(社会性)を見失ったのです。かくして、閉鎖的・カルト的確信犯の集団が誕生しました。

                   

                  最後に付け加えておきます。小池氏は「日本会議」の副幹事長をしています。これは「事実」です。「憲法改正を目標に政界入り」した筋金入りの改憲派です。しかも、憲法学者が揃って「安保法案は違憲」と明言したことを「周辺事態」にすぎないと揶揄しています。上手いことを言いますね。この発言は「日本会議」の中で受けたと思います。

                   

                  尚、以下に彼女に関する「ファクト」を一部ですが挙げておきます。もちろん、ファクトとは頭の中の妄想ではなく、具体的な事実を挙げて証明できるものです。

                  ・東京に核ミサイル設置を主張

                  ・日本会議の議員懇副会長

                  ・幸福の科学と連携

                  ・沖縄出身議員に「日本語読めるのか」と野次

                  ・待機児童は園児詰め込みで解決

                  ・「発達障害は親のせい」親学推進

                  ・鳥越氏にがん病歴差別発言

                  ・選対に極右ヘイト団体

                   

                  小池氏は街頭演説で「私はどんな団体の支援も受けていません!ここに来た聴衆は皆さん、個人として来られたんです!そうですよね?」と言っています。まるで自分は自民党の中の少数派で悲劇のヒロインだと言わんばかりです。

                   

                  この場面を昨日の「選挙ステーション」は無批判に垂れ流していました。素人じゃあるまいし、小池氏が「支援団体なし」かどうか、過去の取材で得た情報を調べれば容易に確認できるはずです。日本会議については、今回も選挙後に触れるつもりでしょうか?

                   

                  それにしても、安倍政権になってこの種の居直り・開き直りを一体どれほど見せつけられたことでしょう。この政権は、国民の声を聞く耳を持っていません。ただ改憲に向けて突っ走っているだけです。

                   

                  マックス・ウェーバーは、政治家に最も求められるものは高い倫理性であり、弱者に対する共感力だと言いました。小池氏は政治家としての資質を決定的に欠いています。いや、政治家である前に人間としての品性が疑われます。このような人物に、都政を託す有権者がいるのでしょうか。

                  | 政治 | 15:54 | comments(0) | - |
                  「最後に決めるのは国民の皆さんです」
                  0

                    安倍首相は「最後に決めるのは国民の皆さんです」というフレーズを連発しながら「最後に決めるのは、国民のわけがね−だろ。オレ様が決めるんだ。なぜって、現行憲法はみっともないからだ。どこがどうみっともないか立証しろだと?オレ様がそう感じているんだ。みっともないものは変えるしかねーだろ。

                     

                    この憲法が原因で、日本はすべての面で行き詰まっている(行き詰まっているのは自分の頭だとは考えない)。特に道徳の堕落は目を覆うばかりだ。父権を中心にした家族制度がなくなったからだ。(日本の歴史を捏造している)日本会議の皆さんも同じ意見だ!それに中国・北朝鮮にも舐められっぱなしだ。このままでは日本は滅びるほかない(とか言いながら、地震列島で原発を再稼働させ、アメリカ様の言うなりになっていることには触れない)」と考えています。

                     

                     

                     

                    この「最後に決めるのは国民の民さんです」というセリフは、独裁政治を引き寄せるお決まりの言い方です。かの橋下徹もよく使っていましたね。「最後に決めるのは大阪府民の皆さんです」と。

                     

                     

                     

                    この言い方は、重要な前提を隠すために使われます。参院選挙後、安倍首相は「わが党の案をベースにいかに3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術だ」と言いました。

                     

                     

                     

                    憲法改正の必要性を国民にきちんと説明することなく、いつの間にか憲法改正(実は破壊)は当然の前提とされています。本質的な議論を避け、手続きだけで進めようとしているのです。つまり、憲法を改正することは既定の事実で、後はどこをどのように変えるかだ、という土俵に国民を引っ張り込もうとしているのです。そして政権の目論み通り、半数以上の国民はこの土俵に上がっています。

                     

                     

                     

                    このことは予想されていたことです。私は2016.02.05 のブログ『紅茶とマドレーヌ』の中ですでに指摘しています。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=114

                     

                     

                    分かりやすいたとえだと思いますので、再録します。

                     

                     

                     

                     

                    午後のひととき、あなたは仕事の疲れをいやすために、素敵なティーカップで紅茶を飲んでいます。そこにある人が紅茶に合うからと美味しそうなマドレーヌを用意してくれました。しかし、あなたはマドレーヌが好きではありません。その旨告げると、相手は不機嫌になり、マドレーヌを半分にしてあなたのティーカップの中に落としたのです。相手の言い分は、紅茶はマドレーヌと一緒に飲んでこそ美味しいのだ、というものでした。

                     

                     

                     

                    あなたは怒ります。これはもはや紅茶ではない。私が飲みたい紅茶は透明感のある、香り高い紅茶だったのだと主張します。これはどう見てもマドレーヌを勝手に入れた方が間違っています。

                     

                     

                     

                    あなたは「なぜ勝手にマドレーヌを入れたのか。それは自分の趣味を他人に押し付けるものではないのか。横暴さを謝罪するべきだ」と考えます。

                     

                     

                     

                    にもかかわらず、周囲の人間たちは「マドレーヌを入れた紅茶は紅茶と言えるのか」という議論を始めます。そのうち、相手の承諾もなく、マドレーヌを勝手に入れた人の行為の是非は問われなくなります。

                     

                     

                     

                    焦点は「紅茶論争」にすり替えられたのです。しかし、この論争はいつまでたっても決着は着きません。あたりまえですね。紅茶を味わいたいと思っていた人は、マドレーヌ入りの紅茶は紅茶ではないと考えます。それに対して、マドレーヌと一緒に飲んでこそ美味しいと思い込んでいる人は、これこそ紅茶を美味しく飲む方法だと主張しているのですから。

                     

                     

                     

                    そうこうしているうちに、ティーカップに浮かんでいたマドレーヌは紅茶を吸って柔らかくなり、粉状になってカップの底に沈殿してしまいます。見た目はもとの紅茶のように透明です。そのうち、興味のなくなった周囲の人たちは、「紅茶論争」のことなど忘れてしまいます。

                     

                     

                     

                    わが国の首相は、この「紅茶論争」を指して、「いまだ国民の理解が得られていない」「国民の皆様に分かるように、丁寧に説明していくつもりだ」と言いました。私はこれを聞いて一瞬耳を疑いました。ことばは悪いけれど、この人はバカではないかと思ったのです。相手の承諾もなく勝手にマドレーヌを放り込んだりしてはいけないことぐらいこどもでも分かると思っていたからです。

                     

                     

                     

                    集団的自衛権は、わが国が「存立危機事態」に陥った時にのみ行使することができるとなっています。「存立危機事態」とは簡単に言えば、生きるか死ぬかの瀬戸際ということです。しかし、よく考えてみれば、そのような状態でのみ行使される集団的自衛権とは集団的自衛権の名に値しません。

                     

                     

                     

                    なぜなら、集団的自衛権とは「敵があなたを攻撃すれば、たとえ私を直接攻撃していなくても、それを広い意味での私への脅威とみなして、私もあなたと一緒になって敵と戦います」ということだからです。それに次のような条件を付け加えたらどうでしょうか。「ただし、あなたと共に闘うのは、私が生きるか死ぬかの瀬戸際に立った時だけです」と。この条件こそが「存立危機事態」なのです。

                     

                     

                     

                    これを、植民地の王様が宗主国の王様に提案できるでしょうか。「お前が危ない時には、オレはお前を助けにいくんだぞ。お前がオレを助けに来るのは、お前が生きるか死ぬかの時だけかよ!ふざけるんじゃねーよ!」となるのは、こどもでもわかることでしょう。

                     

                     

                     

                    ここから逆に、集団的自衛権を導入した政治家や官僚の真の意図を読み取ることができます。それは集団的自衛権という「言葉」を使えるようにするためなのです。「存立危機事態」という限定はどうにでも解釈できます。この国の政府は憲法ですら勝手に解釈し、普通の知能があれば、誰がどう読んでも間違いである解釈を「正解」にするのですから。

                     

                     

                     

                    勝手に投げ込まれたマドレーヌは、その時は物議をかもしますが、しばらくすれば忘れられます。その事情を知らない人は言います。普通の紅茶と変わらないではないかと。しかし、飲んでみればわかります。それは本来の紅茶ではなく、脂の浮いたバター味の紅茶だということが。

                     

                     

                    | 政治 | 12:51 | comments(0) | - |
                    明仁天皇、最後の抵抗
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                      明仁天皇の生前退位をめぐって様々な言説が飛び交っています。しかし、明仁天皇と皇后の意図は明確です。私は以前ブログで、明仁天皇は改憲を目論む安倍政権を牽制しているのだと述べました。

                       

                      『安倍首相に、心からのプレゼント』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=15

                      『明仁天皇、最後のメッセージ』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=29

                       

                      戦後70年続いた平和の価値を、明仁天皇はおそらく誰よりもよく理解しています。それが激戦の地を訪問する慰霊と鎮魂の旅となって現れています。

                       

                       

                      安倍首相は現行憲法を「みっともない憲法」だと言います。ならば現行憲法の精神の体現者である明仁天皇の鎮魂と慰霊の旅も「みっともない」と思っているはずです。

                       

                       

                      本来なら平和憲法の精神を体現して日本国の総理大臣が行わなければならないことを、天皇がしているのです。もっとも、アメリカの下僕となって世界中にテロを撒き散らすことが国を守ることにつながると考えている安倍総理に、慰霊と鎮魂の旅をするなどという発想はないでしょうが。

                       

                       

                      しかし、日本のジャーナリズムはこのことを指摘して、天皇を守ろうとはしません。天皇の慰霊と鎮魂の旅は日本国憲法の精神そのものであること、安倍政権はそれを踏みにじっていることを指摘しないのです。それは、政権の意図を忖度しているというよりも、彼らの精神構造・属性を突きつめれば、安倍政権と同じだということを表わしています。

                       

                       

                      つまり、日本のジャーナリズムは自らの姿や歴史的な立ち位置を俯瞰的に眺めるだけの成熟した精神を未だ持ち得ていないということです。何のことはない、人間の価値よりも権力と家系に価値を置く父親に庇護され、小遣いをねだる甘えたこどもに過ぎないのです。

                       

                       

                      さて、明仁天皇の生前退位の意向は何を意味するかという問いに戻りましょう。改憲勢力が3分の2を占めたこの時期と何か関係があるのでしょうか。私は大有りだと思っています。

                       

                       

                      自民党の憲法改正草案では、象徴としての天皇を元首にしようとしています。このことを前提に歴史を少しばかり遡ってみましょう。

                       

                       

                      明治政府は、国家神道を国家支配のイデオロギーと位置づけるために、天皇を現人神に仕立て上げる必要がありました。そのためには、大日本帝国憲法と皇室典範によって、この生前退位を否定し、天皇を終身制にしなければなりませんでした。「万世一系」の男性血統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、生前退位を許すわけにはいかない。終身制であることは不可欠だったのです。これこそが、安倍政権や日本会議が復活を目指している大日本帝国 憲法 の思想です。

                       

                       

                      ところが、明仁天皇はここにきて、その明治憲法の真髄である終身制を否定し、生前退位の意向を示しました。天皇が生前に退位するということは、天皇は国家の「役職」にすぎないということを意味します。もし、これが制度化されたら、天皇をもう一度、現人神に担ぎ上げ、国民支配のイデオロギーに利用することは難しくなります。生前退位こそが、現政権の思想と真っ向から対立するものだからです。

                       

                       

                      そのために、天皇はこの「生前退位の意志」を明確にしたのではないでしょうか。つまり安倍政権の改憲の動きに対し、天皇が身を賭して、最後の抵抗を示したのです。

                       

                      総統閣下は天皇陛下が生前退位の意向を示した事にお怒りのようです。

                       

                       

                        

                       

                      | 政治 | 13:01 | comments(0) | - |
                      ハーメルンの笛吹き男は誰か?
                      0

                        自然に埋没して小動物としての<生>を生きていたころ、私の友は様々な種類の昆虫であり、爬虫類であり、夜空に浮かぶ星々の群れでした。大分川の上流で魚釣りをしていて、体長2メートルはあろうかと思われる大きな黒い影が悠然とそばを通り過ぎ、餌に食いついたときなど、興奮して卒倒しかけました。そういうわけで本など読んでいる暇はなかったのです。

                         

                        ある時、風邪で学校を休み、することもなかったので、家にあったグリム童話集を読んでみようと手に取りました。目次に目を通していた時、『ハーメルンの笛吹き男』という題名が目に飛び込んできました。何だか不吉なにおいのする題名に想像力が刺激されたのです。その瞬間のことをはっきり覚えています。

                        阿部謹也氏のこの本は、中世ドイツの社会的・宗教的雰囲気を知るのにうってつけです。歴史的記述のお手本です。

                         

                        読んでみると、不吉な迷宮に迷い込んだような気分になりました。後年、ヨーロッパの精神史に興味を持ったのも、この経験が尾を引いていたのだと思います。

                         

                        それは、1284年6月26日、ドイツの街ハーメルンで、130人の子どもたちが忽然と消えてしまったという歴史的事実に基づいた童話でした。グリム兄弟をはじめ、多くの学者や作家がこの伝説の核心に迫ろうとしました。

                         

                        ストーリーは次のようなものです。

                         

                        ― 昔々、ハーメルンの街では大量にねずみが発生して、悪さをするので困っていました。

                        ハーメルンの人たちが困っているところに、「私はねずみを退治することができます」とカラフルなまだら模様の服を着た笛吹き男がやってきました。

                        街の人たちはこの男にねずみ退治をお願いすることにし、笛吹き男は笛の音によってねずみを操り、ねずみたちは笛吹き男に続いて水の中に入り、溺れ死んでしまいました。

                        笛吹き男がねずみを退治してくれたにもかかわらず、街の人たちは笛吹き男にお金を払うのがもったいなくなって、いろいろと文句をつけて笛吹き男を街から追い出しました。

                        6月26日に笛吹き男は再び街にやってきて、笛を吹き始めました。すると町中のこども130人が笛吹き男に付いていき、街からこどもが消えてしまいましたとさ。―

                         

                        さて、なぜ今この寓話を思い出したかを説明しなければなりません。それは今この国で起こっていることの本質が、この寓話の持つメタファー(比喩)の力であぶり出されていると思うからです。

                         

                        今回の参院選挙で改憲勢力が3分の2に達しました。しかし、安倍総理や自民党・公明党がほっと胸をなでおろしたのは、改憲勢力が3分の2に達したことではなく、改憲が具体化しても、相変わらず有権者の半数は投票に行かないという事実を確認できたことでしょう。

                         

                        私は5月31日のブログ『安倍−菅政権の信念の核心にあるものとは?』の中で次のように述べました。

                         

                        「安倍−菅政権は、おそらく次のような認識に立っています。

                        知性とは全く無縁な、利権をぶら下げさえすれば言うことを聞く人間がいつの時代も一定数は必ずいる。また、多少知性があっても世間のしがらみで動きが取れず、自分の立場を守ることを最優先する人間もかなりの数いる。さらには確実な集票マシーンとして働く新興宗教の信者も一定数いる。したがってかならず投票に行く「彼ら」さえ確保していれば、後はどうせ不特定多数の棄権に「間接的に」支えられるのだから、政権の安定多数はもう決まったようなものである。

                        だから、その場その場で適当なウソさえ言っておけば選挙はなんとかなるし、小賢しい理屈を並べる市民や学者などすべて無視しても、結果的に議会制民主主義における「数」だけは正しい答えを出してくれるはずだ、と皮算用しているのです。これが彼らの信念の核心にあるものです」と。

                         

                        この信念をゆるぎないものにしているのが、どんなに重要な選挙でも、国政選挙になれば有権者の過半数近くが棄権するという事実なのです。

                         

                        ではそういう状況を作り出しているのは誰か。つまり、ハーメルンの笛吹き男は誰か。それは、政権と添い寝する経団連及びマスコミ各社のトップたちです。

                         

                        有権者の過半数が、彼らの吹く笛の音につられて失踪しました。ただ、忽然と姿を消したのではなく、学校や職場を通じて、マスコミという笛吹き男に盲目的について行ってしまう精神構造が、昔から継続的に作られて来た結果、徐々に姿を消していったのです。このままでは、日本人の大半がハーメルンの笛吹き男について行って川に飛び込むネズミの群れになるかもしれません。

                        | 政治 | 23:37 | comments(0) | - |
                        こらっ!鉄矢、なんばしよっとか!
                        0

                          3年B組の金八先生(武田鉄矢)は、教え子の三原じゅん子に勉強を教えていたのでしょうか?神奈川選挙区で百万票を超えてトップ当選した元教え子は、同日の選挙特番で「神武天皇は実在の人物」という趣旨のことを話していましたが・・・。

                           

                           

                          テレビ東京系で7月10日放送された選挙特番「池上彰の参院選ライブ」での池上氏とじゅん子ちゃんのやりとりを再現しておきます。

                          http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/10/mihara_n_10914060.html

                           

                          ――先ほどのVTRの中で、神武天皇以来の伝統を持った憲法を作らないといけないとおっしゃってましたね。どういう意味なんでしょうか。明治憲法の方が良かったということでしょうか?

                           

                          全ての歴史を受け止めて、という意味であります。

                           

                          ――神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?

                           

                          そうですね。いろんなお考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています。

                           

                          ――あ、そうですか!学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが?

                           

                          神話の世界の話であったとしても、そうしたことも含めて、そういう考えであってもいいと思います。

                           

                          ――神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法にしなければいけない?

                           

                          はい、そうですね。

                           

                           

                          授業で歴史的事実を教えていなかった金八先生は教師としての資質が問われます(笑)。

                           

                          こらっ!鉄矢、なんば教えよったとね!国会議員になったあんたの教え子は、神話と現実の区別もついとらんとよ!

                           

                           

                          神奈川県民の皆さんには、もう少し考えて投票してもらいたいものです。この国の選挙風土は、都会も地方も同じレベルだということがはっきりわかりました。

                           

                          もう一つ。

                           

                          自民党公認候補で元『スピード』のメンバーだった今井絵理子氏は選挙中に政策について問われて「今は選挙中なので(政策の話は)ごめんなさい」と答えていました。これほどのギャグはなかなか思いつくものではありません。私はアゴがはずれかけました。

                           

                           

                          同じく池上氏に問われて次のように答えています。

                          http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/10/eriko-imai_n_10914758.html

                           

                          ――今井さん、沖縄ですよね?

                           

                          はい、沖縄出身。沖縄育ちです。

                           

                          ――沖縄が米軍基地問題で大変揺れてますよね。今井さんは選挙期間中に米軍基地問題については、あまり触れていなかったようですが、いかがですか?

                           

                          はい、私は選挙中に沖縄を一回、訪れたんですけど。私は12歳のときから実は東京の方でずっと活動を続けていまして、今の現状というものは、家族の皆さんの声とか、友人から聞く沖縄しか現状が分からなかったというものがあります。しかし一回沖縄に入って、沖縄県民の話を聞いたりしていく中で、もっともっと足を運んで取り組んで行かなくてはいけない問題だなと感じました。

                           

                          ――つまり沖縄の問題について、立候補して初めていろいろ考えるようになったということなんでしょうか?

                           

                          はい、そうですね。

                           

                          ――これから沖縄の問題を考えていくことですね?

                           

                          はい、これからきっちり向き合っていきたい、その課題を取り組んでいきたいなと思います。私自身、聴覚障害児を抱えている11歳の男の子がいますけど、そういった福祉に関してもきちんと取り組めていけたらなあと思っています。

                          ----

                          池上氏は、このやり取りの後で苦笑しながら、以下のようにコメントしていました。

                          「立候補されるわけですから当然、沖縄の問題を認識を深めて、自民党の政策について知っているのかなと思いましたけど、これから考えるということで、ちょっとびっくりしました」と。

                           

                           

                          行くところ行くところで、これだけの聴衆を集めた三宅洋平氏は落選。

                           

                           

                          そして、この人は当選。想田和弘監督の『選挙』を地で行く風景です。

                           

                           

                           

                          それにしても自民党のみならず、こんな候補者に投票する国民の責任は大きいですね。安倍首相は「大幅な内閣改造を断行する」と言っていますが、もちろんパンツ泥棒の高木復興相はやめさせるのでしょうね。

                          | 政治 | 09:27 | comments(0) | - |
                          選挙が終わって・・・。
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                            想田和弘監督のドキュメンタリー映画『選挙』『選挙2』を一年ほど前に観ました。自民党陣営の選挙の裏側を淡々と描いたものです。観終わった後、利用されるだけ利用されてボロボロになる候補者を見ながら、選挙って、民主主義って何だろう、と改めて考えてしまいました。いや、そもそもこんな選挙が行われている国に未来はないと確信したのです。

                             

                            この映画を観ていたので、私は今回の参議院選挙の結果を、既にどこかで見たことのあるもの(デジャヴ)として受けとめました。ただ、東京選挙区の三宅洋平氏にだけは当選してもらいたかったですね。残念です。彼は選挙風土そのものを変えたい、と言っていましたから。

                             

                            この選挙期間中、私には忘れられないシーンがありました。それは街頭演説での安倍首相の次の発言です。自分に批判的なプラカードを掲げる人の方を向いて、安倍首相は「この選挙を妨害して、恥ずかしいと皆さん思わないんですか?共産党の皆さんですか?民進党の皆さんですか?」http://dai.ly/x4jvvzkと言い放ったのです。

                             

                            安倍首相は国民の自分への批判を「選挙妨害」と理解しているのです。表現の自由や民主主義の原理原則を理解していない証拠です。自分の政策に反対する国民を、自分のやりたいことをじゃまする「妨害者」と考えているのです。批判する人間を、敵陣営の一員としか認識していません。ましてや、現行憲法13条に謳われている独立した「個人」だなどとは思ってもいません。

                             

                            要するに権力者である自分を批判することは許さないという歪んだ自我の持ち主なのです。建設的な批判もすべて自分に対する「誹謗・中傷」だと考える精神構造は、歴史に悪名を轟かす古今東西の「独裁者」に共通する特徴です。これまでの安倍首相の発言を集約すれば、おのずとこれから先、この国で起こることが見えてきます。よほどのおバカさんでない限りは。海外でも、「The Religious Cult Secretly Running Japan」(カルト宗教が密かに日本を動かしている)と報じられています。

                             

                            それにしても、今回の選挙で見せたNHKをはじめとするマスメディアの安倍政権への迎合ぶりは、正常な神経の持ち主であれば、とても正視できるものではありませんでした。NHKは参院選挙それ自体を一切報道せず、7月10日が選挙だということをニュースから削除しました。そして、代わりに都知事選の立候補者を追いかけました。

                             

                            読売、朝日、毎日、日経は投票日当日に自民党の新聞広告を堂々と載せました。明らかに公選法の立法趣旨を踏みにじるものです。中でも朝日新聞は、総理大臣の写真つきの出版広告、そして党の広告を選挙当日に大々的に載せました。堕ちるとこまで堕ちたということです。この種の新聞広告は、昨日頼んで今日掲載というわけにはいかないはずです。つまり新聞メディアは前々からこれを知っていたのです。

                             

                             

                            もはやマスメディアの中には責任をとる者はおらず、少数の記者が持っていた矜持すら投げ捨ててしまいました。以前書いたように、マスメディアで働く人間たちは、社会的にも経済的にも1%の仲間ですから、批判したところで無駄です。安保法制の危険性や違憲性を追求することもなくなるでしょう。私はこれを機会に朝日新聞の購読は止めるつもりです。

                             

                            最後に、今回のような場合、スイスはどう対応しているかを書いておきます。スイスの場合、成立した法律に反対する署名が一定数集まれば、国民投票で是非を問うことができます。だから安保法制のように違憲の疑いが極めて濃い危険な法律は、確実に国民投票でひっくり返すことができます。議会と世論が乖離した場合に調整することができるシステムが準備されているのです。

                            | 政治 | 23:10 | comments(0) | - |
                            100年後の生存戦略−その1・国防
                            0

                              安倍首相は日本人の、特に自衛隊員の血が海外で流されることを願望しています。彼の著作『美しい国へ』の中に書かれています。

                               

                               

                              言うまでもありませんが、後藤健二さんばかりでなく、今回のバングラディシュのテロで犠牲になった7人の日本人の命は、安倍首相の歪んだ願望と確信犯的戦略がもたらしたものです。この自明の因果関係を理解すれば、彼の言う『美しい国』は、血塗られた美しい国であることを理解できるはずです。

                               

                               

                              もし100年後に、この国が存在していて、私たちの子孫が幸福に暮らしているとすれば、純化した日本国憲法9条が日本国民のアイデンティティーになっていることが必要です。さもなければ、世界中にテロを蔓延させ、戦争経済によってかろうじて資本主義を延命させようと企てる人間たちによって、この国は焦土と化していることでしょう。

                               

                               

                              以下は、今年の3月に、当ブログ良心的兵役拒否の権利から積極的中立主義へ』の中で述べたことをまとめたものです。

                               

                               

                              私の政治的立場は、憲法9条を「世界情勢に合わせて」純化するという立場です。

                               

                              憲法9条があれば戦争に巻き込まれずにすむとか、戦後70年間戦争をしないですんだのは9条があったからだ、という言い方はミスリーディングです。アメリカの核の傘に守られていたから平和だったのだ、という主張も十分説得力があります。ここに護憲派の欺瞞があります。橋下徹や百田尚樹のようなデマゴーグが跋扈するのは、この欺瞞を嗅ぎとっているからです。

                               



                              国民の多くは、この欺瞞に気づいています。いや、自分の経済的利益につながらない抽象的な議論にうんざりしていると言ったほうがいいかもしれません。そういった感情の下地ができあがっているところに、「国際政治の現実」だの「東アジアの安全保障環境の変化」だのと言われれば、あっさりそれを受け入れてしまうのです。これが、安倍政権の支持率が下がらない理由です。

                               


                              こういった状況を乗りこえるためには、以下の二つについて考えねばなりません。



                              1:国際政治は、ホッブスが言うように、利害を異にする国家どうしがオオカミとして争い合う「自然状態」である。したがって、世界最強の軍隊をもっているアメリカと同盟していなければ平和は守れない、という思い込み。



                              2:日本が集団的自衛権の行使を法制化したことは、すべてとは言わないまでも、国際的には歓迎されているという事実。

                               


                              まず1について考えてみましょう。

                              冷戦の終結後、唯一の超大国となったアメリカは国連と国際条約を軽視してきました。たとえば国連の議決を無視して強引に進めたイラク侵攻です。日本はそれにいち早く賛成・協力しました。しかし、侵攻の口実となった大量破壊兵器はありませんでした。これはアメリカ自身も認めています。にもかかわらず、日本はその後の検証もせず、アメリカを非難することもしていません。

                               

                               

                              すなわち、アメリカは国連を中心とした世界秩序を目指すのではなく、自国が中心となって新たな世界秩序を作ろうとする野望を露わにしているのです。まさに「他を制圧して世界王国を築こうとする一大強国」(カント)としてふるまっています。このままでは、日本はアメリカの軍事行動に加わることを拒否できないでしょう。

                               



                              ところが一方で、国家の枠組みだけでは解決困難な地球規模の問題が次々にクローズアップされています。1990年代の気候枠組み変動条約、対人地雷全面禁止条約、国際刑事裁判所設立規定などの多国間条約の成立にはNGOに代表されるような市民のネットワークが影響力を発揮しました。NGOが国家の枠組みを超える国際的な存在だからこそできたことです。これは、カントのいう「世界市民」と呼ばれるにふさわしいものです。つまり、「人類が有限な地球を共有していることを自覚し、地球上のさまざまな問題をめぐる公共的な議論にコミットする(理性を公的に使用する)人々」のことです。

                               



                              アメリカと運命を共にすることこそが最も現実的だと考えるリアリストたちは、世界をホッブス的な「自然状態」だと考えています。歴史の進歩など「夢」に過ぎないというわけです。それゆえ、国連やNGOに代表される世界市民社会を否定せざるを得なくなります。

                               



                              しかし、こういう考え方は、余りにも時代錯誤的です。さらに言えば、国連を基礎にもつ世界秩序の構想に比べて、もはや少しも「現実主義」ではありません。お互いに対して、潜在的敵意を持つ主権国家を前提にした考えを「現実主義」だと考えていますが、それは単に超大国の「夢」を代弁しているにすぎないのです。

                               



                              そう考えると、日本が憲法9条を堅持するということは、アメリカの覇権主義的な野望にくみするのを防ぐだけではなく、第二次世界大戦後の日本と国連が共通の出発点にした理念と決意を国際社会にたえず思い出させるという意味をもっているのです。

                               



                              次に2について検討します。

                               

                              2:日本が集団的自衛権の行使を法制化したことは、すべてとは言わないまでも、国際的には歓迎されているという事実。

                               

                               

                              なぜ日本の集団的自衛権が、いわゆるアメリカを始めとする有志国連合に歓迎されているのか。それは、これまで日本は世界の平和にただ乗りしていると見なされていたからです。日本だけ「兵役逃れ」をするのはけしからんというわけです。ここにきて、日本もようやく「武力行使」という「乗車券」を買うようになったと認識されたのです。つまり、国際社会は日本の軍事力を徴集しようとしていたのです。護憲派はこの現実的趨勢に対して、それと拮抗するだけの理念を提出しなければなりません。

                               

                               

                              その理念こそは、憲法9条を根拠とする良心的兵役拒否の権利を国家レベルにまで高めることで生まれる「積極的中立主義」です。良心的兵役拒否をした場合、その権利を行使した者には、必ず、代替的役務が課されます。この代替的役務が「積極的中立主義」です。

                               

                               

                              まず自衛隊を軍隊として認め、その機能を個別的自衛権の範囲内に限定する旨を憲法に規定する。その際、解釈改憲の余地がない明文の規定を作る。たとえば「理由のいかんにかかわらず、またその規模を問わず、日本国内に他国の軍事基地を置いてはならない。」というような。次に自衛隊を2つの組織に再編します。

                               

                               

                              1:個別的自衛権(日本の領土・領海・領空に限定する)と積極的中立主義を実行する軍事部門。

                               

                              2:日本だけではなく世界で活躍することを前提とした、先進の装備を備えた国際災害救助隊。当ブログ

                              『国を守るということ−忘れられないシーン』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=22 をご覧ください。

                               

                               

                              積極的中立主義は、A国とB国が争っている時、一切の代償を求めず、「贈与」として、紛争当事国の両方を援助するという思想です。その条件は以下のようになります。

                               

                              1:援助は非軍事的なものに限る。死傷者の救助や破壊されたインフラの復旧、食糧や薬などの物資の運搬など。ただし、一方だけを援助しない。損得やイデオロギーを超えて両方を平等に援助する。

                               

                              2:援助するときは主権を侵害しないように、相手国の同意を必要とする。

                               

                               

                              以上の条件のもとで、自衛隊は紛争地帯で活躍します。胸と背中に日の丸をつけ、それがやがては国際赤十字のシンボルのようなものとして世界に認知される日をめざして。そうなった時、自衛隊は、国を守り災害救助に駆けつける名誉ある組織として位置づけられます。名誉を重んずる若者の入隊も増えることでしょう。

                               

                               

                               

                              その結果、国民は、平和のために自衛隊に「ただ乗り」するのではなく、国を守るということは、国民と自衛隊がともに担わなければならない名誉ある崇高な仕事だと認識するようになります。少なくとも野党はこの程度の理念を掲げて、選挙を戦ってほしいものです。

                               

                               

                              | 政治 | 12:29 | comments(0) | - |
                              笑いや風刺こそ権力に対する最良の武器である。
                              0

                                権力に籠絡されたテレビには、本当の笑いはありません。ただ、身内の芸能人、芸能人予備軍、スポーツ選手、コメンテーター、アナウンサーだけで、面白くもないネタを披露して笑っているだけです。不健康で予定調和の堕落した笑いです。

                                 

                                そこには知性のかけらもありません。実は、何を笑うかということこそが知性のバロメーターなのです。今のテレビを中心とするメディアに、「風刺」の意味を説いて聞かせたところで虚しくなるだけです。

                                 

                                しかし、笑いや風刺こそ権力に対する最良の武器になります。政権のご機嫌をうかがい、政権との一体感の中で「充実した」仕事をしていると思い込んでいる人間たちが、本物の笑いを発信することなどできるはずもありません。ただコマーシャルのために時間枠を消費しているだけです。

                                 

                                この国には、笑いの本質を考える人間までいなくなりました。笑いは、出演者みんなで手を叩いて大笑いすることではありません。本来の笑いは見ているものを大げさに笑わせたりしません。ニヤリとさせる程度で、こわばった身体と精神をほぐし、柔軟に屈伸させ、既成の価値観を批判し、人を自由にするのです。

                                総統閣下シリーズ・総統閣下はマスコミ幹部と会食中です。

                                 

                                安倍首相と正反対の人。誠実で、嘘をつかない正直な人。勇気があってかつ思いやりのある人。よく勉強していて、だまされない人。局面に左右されず、全体を見渡せる人。そして、何よりも、長いモノにまかれることを拒否する独立不羈の精神。私は三宅洋平を支持します。

                                 

                                 

                                | 政治 | 16:40 | comments(0) | - |
                                本物の思考(ことば)は、身体から発せられ、連鎖する。
                                0

                                  私は人間が発することばには二種類あると考えています。一つは葛藤のない、のっぺらぼうの、教科書に書かれていることを引用したような非人称のことば。つまり、空洞化した人格から発せられることばです。

                                   

                                  もう一つは、その人間でなければ発することのできないことば。経験と葛藤と勇気がないまぜになった、未来を展望しそこに賭けることば。つまり、その人間抜きには意味をなさないことばです。

                                   

                                  この後者のことばを発しているのが三宅洋平と山本太郎です。彼らは演説の前にお互いを抱きしめます。これはだれかに指示されたものではない。孤独な戦いを闘っている者同士なら自然にそうなるのです。

                                   

                                  安倍晋三と公明党の山口那津男がお互いを抱きしめているところを想像してみて下さい。権力を維持するために野合しているのは彼らの方です。だれがそんなシーンを見たいと思うでしょうか。彼らは影に過ぎません。

                                  20160703三宅洋平 選挙フェスDay12 JR新宿西口は満杯の群衆!

                                  20160704三宅洋平 選挙フェスDay13 JR立川駅 東京都選挙区 参議院選挙

                                   

                                  思えば私の人生はこの二種類のことばを懸命に聞き分けてきた人生でした。人を欺きたくもなければ、欺かれたくもない。だれかを利用し、利用されている人間を愛することなどできないからです。孤独の意味を突き詰めて考えたことのない人間を愛することはできない、と思います。

                                   

                                  私たちを取り巻く政治状況について、その中で生きている人間について、書きたいことが山ほどあります。しかし、一気に書くことはできません。少しずつ書いていこうと思います。それにしても、三宅洋平は本質的で核心的な問題を自分のことばで語っています。ここまで来るのに彼が経験した葛藤の全量が見てとれます。

                                   

                                  これまで『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』や『日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか』を手に持って、演説をした候補者が一人でもいたでしょうか。

                                   

                                  神は細部に宿る、と言います。彼が話す内容は私には既知のものばかりです。しかし、重要なことは内容よりもむしろ、それを話す時の彼の眼つきであり、ため息であり、後ろ姿であり、不安と戦う彼の意志であり、笑いなのです。

                                   

                                  おそらく彼は演説をしながら、自分自身の変化を実感していると思います。新たに選挙権を持った若い人たちは、三宅洋平が発している生きる喜びを見るべきです。何でもかんでも即座に理解して答えを出せる人間には、こういう喜びはありません。

                                   

                                  あることを理解するということは、自分自身が変化していくことを実感することです。そのためには、自分の身体感覚に沿って思考しなければなりません。ミュージシャンとしての彼の身体感覚が、彼のことばにリアリティーを与えています。

                                   

                                  それに対して、「頭のよい人」は、身体感覚と切り離されたところで、「誰がその場を支配しているか、自分にとって都合のよい解釈はどれか」を考えています。その結果、身体の感じる力を衰弱させ、責任を放棄し、ついには人格が空洞化します。影に過ぎないと言ったのはそういう意味です。

                                   

                                  三宅洋平はミュージシャンです。政治には縁がないと思われていた「辺境」から立ち上がりました。彼は騙されません。欺きもしません。私はそう確信しています。なぜなら、三宅洋平は、何よりも自分自身であり続けることの意味を、宿命を、持続するいのちの素晴らしさを理解しているからです。

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