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さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】
さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ/阿武野勝彦【1000円以上送料無料】 (JUGEMレビュー »)
《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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「最悪」の核施設 六ヶ所再処理工場 (集英社新書)
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義 (集英社新書)
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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 (JUGEMレビュー »)

紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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新・日米安保論 (集英社新書)
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英語の実際的研究 (1969年)
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秋山 敏
高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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服従
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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そして、僕はOEDを読んだ
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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選挙 [DVD]
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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自分のことばを持つということ
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    自分のことばを持つ、とはどういうことでしょうか。自分のことばを持てば何かいいことがあるのでしょうか。いいことがあるかどうかにかかわらず、人間は自分のことばを持ちたいと考える生き物です。なぜでしょうか。

     

     

    言語存在としての人間は、そのことによって誰でもいい誰かの人生ではなく、自分の人生を生きることができるからです。今回はそれを少し説明しましょう。

     

     

    僕はこのブログを中高生に向けて書いていますが、「自分のことばを持つ」ことに関心のある人は少ないように思います。それでも、人は自分の人生を生きたいと考えているはずだ、ということに対する僕の確信は揺らぎません。その確信がなければ、何の利益も生み出さないこんなブログを書きはしません。

     

     

    人間は本能が壊れている動物です。その代償としてというか、それを補填するためにことばをもったのです。親のこどもに対する愛情は、本能の発露のように思われていますが、実は学習によって身に付けたものです。愛は本能ではなく、学習の産物なのです。愛情深い親や周囲の人から学んだものです。

     

     

    もちろん、最初にことばがあったわけではありません。こどもは、ことばではなく、しぐさや眼差し、息づかいを通して、自分が大切にされていることを感じ取ります。後になってそういった働きかけの全体を「愛」ということばで呼ぶのだと学ぶのです。ことばは単なる記号ではなく、感情を盛る「器」ですからね。

     

     

    親からひどい虐待を受けて育ったこどもは、「愛」ということばの実体が分かりません。それを学習するためには、親以外の人間からかなり長い期間にわたって無償の愛情を注いでもらわなければなりません。「愛」ということばを感情で満たす時間が必要なのです。

     

     

    本題に戻りましょう。前回のブログでは「勇気」ということばを巡って、僕の考えを書きました。それをもう少し分かりやすく説明したいと思います。

     

     

    普通、「勇気」ということばは、どのような文脈で使われるのでしょうか。具体例を挙げてみますね。

     

     

    1:好きな相手に勇気を出して告白する。

    2:みんなの前で意見を発表するのは勇気がいる。

    3:勇気がなかったせいで事業に失敗した。

    4:無計画で物事に取り組むのは勇気ではない。

     

     

    等々。挙げればきりがありません。勇気ということばには、それが流通する「マーケット」があります。ことばの辞書的な意味といってもいいでしょう。社会でもっぱら流通しているのはこの種のことばです。

     

     

    しかし、このことばに、新しい意味=生命を吹き込む人間がいます。前回のエリック・ホッファーのことばを思い出して下さい。

     

     

    「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」

     

     

    ここでは「勇気」と「希望」が対比されています。あることばの意味を正確に理解するためには、類似のことば(概念)と対比する必要があります。何だか国語の授業のようになってきましたが、この文章によって僕たちは「勇気」ということばの新しい使用法を学びます。古い器に新しい酒を盛るわけです。

     

     

    つまり、ホッファーのことばによって、僕たちは新しい世界を見ることができるのです。それまでぼんやり使っていた流通貨幣としてのことばに、独自の生命が吹き込まれたのです。ことばは世界を切り分けます。そして、よりリアルに現実を見ることができるようになります。

     

     

    僕の言っていることは難しいでしょうか。僕は「勇気」ということばを使うときには、ホッファーのことばの深さと力強さに拮抗するようにして使いたいと思います。そして、自分の経験と思索によって独自の意味を吹き込んだことばをひとつひとつ増やしていきたいと考えています。なぜなら、独自のことばをもつということは、独自の人生を生きることそのものだからです。

    | 中高生の皆さんへ | 13:11 | comments(0) | - |
    スポーツから「勇気」をもらうことはできない。
    0

      ひねくれていると思われるかもしれませんが、私はスポーツから「勇気」や「希望」をもらったことはありません。ただ勝利の瞬間、喜びを共にしたり、負ければ、悔しさや挫折感を味わったりするだけです。

       

       

       

      でも、純粋にスポーツは好きですね。ただこの「純粋に」という条件が私にはネックです。なぜなら、私たちが目にするのは、商業ジャーナリズムに毒され、企業の宣伝部隊と化したスポーツがほとんどだからです。まるで企業の資金的援助がなければ、スポーツは成り立たないと言わんばかりです。

       

       

       

      バックに企業がついている以上、企業側は当然見返りを要求します。舞台裏の打算や権謀術数のえげつなさを隠蔽するために、自社の商品にクリーンで社会性に富んだイメージを付加する必要が出てきます。それがスポーツとは本来関係のない「勇気」や「希望」というわけです。

       

       

       

      まるで「勇気」や「希望」の在庫一掃大バーゲンです。財布のひもを固く締めていた人も、ここぞとばかりに殺到します。普段の生活に必要でないものも、安いからという理由だけで買わされてしまいます。

       

       

       

      オリンピックともなれば、それに国家の思惑まで加わります。元総理にして東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗氏は今年7月に行われたリオデジャネイロの壮行会で日本人選手が国歌を斉唱しなかったことを「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」と批判しました。

       

       

       

      スポーツから「勇気」や「希望」をもらえると信じている人は、その実体を考えたことがあるのでしょうか。選手が頑張っているのを見て、苦しいのは自分だけじゃない、他の人も職場で逃げ出したくなるのをがまんして、家族のために頑張っている。精神を病むのは自分が弱いからだ、忍耐力がないからだ、ここで頑張るのが本当の勇気だ、などと自分に言い聞かせているのだとしたら、二重の意味で企業に「貢献」していることになります。

       

       

       

      企業はスポーツを利用して自社のイメージを高め、株価を上げ、劣悪な条件で働く労働者に「勇気」と「希望」を供給することで、これまで通り自社に縛りつけておくことができるのですから。それは勇気ではありません。ただ飼いならされているだけです。飼いならされている状況と戦うことこそが勇気です。

       

       

       

      なぜこんなことを言うかというと、別に私が変わり者だからではありません。それどころかとてもまともだと思っています。ひょっとすると、まともすぎるのかも知れません、なんちゃって。

       

       

       

      人間はとても弱い生き物です。もともと自然状態では一人で生きることができない存在です。だから<社会>を作りました。社会を作らなければ生きていけないのです。つまり<社会>は弱者としての人間が生き延びるための必要から生まれたのですね。弱者に気を配るのは、道徳からではなく、そうしないと社会がもたないからです。こんな不平等は許せない、ではなくて、こんな不平等を許していると社会が持たないからです。

       

       

       

      エリック・ホッファーは自伝(作品社)の中で次のように述べています。「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやりとげるには勇気がいる。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」と。

       

       

       

      希望が損なわれやすいのは、ありのままの自分と向き合っていないからです。だから、簡単に希望を持つこともできるし、厳しい現実に直面して簡単に希望を捨てることもできるのです。勇気の寿命が長いのは、孤独で長い思索の過程を経て作り上げた人格に根を張っているからです。その意味で勇気は人格そのものといえます。

       

       

       

      エリック・ホッファーもガンジーもネルソン・マンデラもキング牧師も、そして金メダルを川に投げ捨てたモハメド・アリも勇気の実体を分かっていました。http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=179

       

       

       

      それは自らの生命を危険にさらして、長い闘いの日々の中で作り上げられることを。そして、無数の「歌われざる英雄」によって支えられていることを。

       

       

      | スポーツ・文化 | 11:39 | comments(0) | - |
      日の丸を背負って戦うことは、そんなにカッコいいか?
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        オリンピックが終わりましたが、日本はメダルをいくつ取ったんでしたっけ?選手個人を応援するのにやぶさかではありませんが、金メダルがいくつで、銀がいくつなんて、まったく興味がないので覚えていません。

         

         

        物心つくころから猛烈な練習に耐え、いつかはオリンピックに出て金メダルを取りたいと熱望するこどもの存在が、私には信じられないというか・・・。それって親やコーチの自己実現の願望が投影されたロボットではないのか、などと不謹慎なことを考えてしまいます。そして実際に金メダルを取ったとなると、もう違う世界の人間だと思うほかありません。

         

         

        なぜって、目的も持たず、その日その日を思いつくままに、気ままに過ごしていたこどものころの私とあまりに違いすぎて、恥ずかしいのです。お寺の床下でジョログモをつかまえたり、カメを飼ったり、青大将のしっぽをつかまえて女の子に投げつけたり、フクロウをペットにしたり、猫や犬に真顔で語りかけては親を心配させていた私の幼少年時代とあまりに違うからです。

         

         

        そのせいかどうかは分かりませんが、金メダリストと聞けば、なんだか疲れるのですね。もちろん彼らの努力には頭が下がります。メディアを通じて流される人間味あふれるエピソードを聞いて、少しジーンとなることもあります。私はそれほど根性悪ではないですから。

         

         

        でも、私の周りにいる「歌われざる英雄」に比べて、彼らをおおげさに持ち上げたり称賛したりする気にはなれません。日の丸を背負って戦ったのだから彼らは国民的英雄だ、と言われてもピンときません。オリンピックという非日常のお祭りが終われば、「英雄」も一人の人間として普通の日常に復帰しなければなりません。いや、次なるオリンピックに向けて、猛然と練習を始めているのかも知れませんね。

         

         

        ロシアの国家ぐるみのドーピングは、選手をまるでメダル獲得競争のためのサイボーグにしているようで、一体何のためのオリンピックなのだろう思います。そもそも、私には日の丸を背負って戦うことがカッコいいとは思えないのです。商業ジャーナリズムに踊らされている頭の弱いネトウヨの皆さんと同じレベルになるようで、これ以上空っぽの人間にはなりたくないですからね。

         

         

        自分でも多少性格がひねくれているとは思います。でもそれには理由があるのです。小動物を相手に天真爛漫かつ素直に育っていた少年がひねくれていくプロセスというものがあるのです。でもそれを話し出すと長くなるのでやめます。そんなことを考えていると、またぞろ、いいかげんにしてくれと叫びたくなるような番組を目にしました。

         

         

        8月20日、NHK「おはよう日本」が解説した「五輪開催5つのメリット」を見て驚きました。何と一番目に「国威発揚」を挙げているではありませんか。これは明確な五輪憲章違反です。そして2番目に「国際的存在感」と続きます。

         

        いくら安倍政権の御用報道機関といえども、これはひどいと思いました。五輪憲章には「オリンピズムの根本原則」として、平和、人権、差別撤廃が謳われ、政治と商業主義の介入を排除すると書かれています。こんなことに怒る私の性格はひねくれているでしょうか。

         

         

        「国威発揚」ねえ。NHK的発想では、オリンピックは最大のビジネスチャンスで国民を洗脳するのに都合のよいイベントのようです。どうやらオツムの弱い「日本会議」の皆さんに乗っ取られたようです。これでは4年後の東京オリンピックが思いやられます。

         

         

        ところで、東京オリンピックといえば、忘れられない、いや忘れてはならない悲劇を思い起こします。それは国家が、やさしい繊細な魂を持った一人の人間を押し潰し、死に追いやった悲劇でした。

         

         

        円谷幸吉。1940年(昭和15年)5月13日生まれ。1964年、東京オリンピックマラソン銅メダリスト。彼のことを思えば、簡単に「国を背負って頑張れ」なんて言えなくなります。遺書で家族への「感謝」を並べ、もう走れませんと「謝罪」して、彼はメキシコシティ五輪の開催年となった1968年、自衛隊体育学校宿舎の自室でカミソリで頚動脈を切って自ら命を断ちました。その時、首から東京オリンピックで獲得した銅メダルを下げていたそうです。享年27歳でした。

         

         

        以下の記事を是非お読みください。

         

        http://matome.naver.jp/odai/2140774233854011001?page=1

         

        彼の遺書を、川端康成は「美しくて、まことで、かなしいひびき」のある文章として哀悼の意を表しています。その遺書の全文を掲載しておきます。

         

         

        父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
        敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
        勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
        巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
        喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
        幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
        正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
        幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
        良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
        光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
        幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
        立派な人になってください。
        父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
        何卒 お許し下さい。

        気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
        幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

         

         

        | この人を見よ! | 23:43 | comments(0) | - |
        「歌われざる英雄(unsung hero)」の時代
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          オリンピックも高校野球も終わり、やっと静かな日常が戻ってきました。やっと、というのは、「お祭り」の熱狂と喧騒から解放されたからです。この「お祭り」の期間中、メディアは重要な事件そっちのけで、「英雄」に拍手喝采を送りました。

           

           

          スポーツの面白さや本質について、僕は十分に分かっているつもりです。語らせれば人後に落ちない自信もあります。しかし、それは2011年3月11日までのことでした。3・11以降、スポーツについて、あるいはヒーローについて熱心に語ることは、あまりにナイーブで能天気で自分の感覚にそぐわない、どこか滑稽なふるまいに思えるのです。

           

           

          今は、国や地域の名誉をかけて戦う「英雄」を顕彰する時代ではありません。スポーツはあくまでスポーツとして楽しめばよいのです。そこに政治が介入したり、総理大臣のウソが推進力になったりすべきではありません。ましてや電通をはじめとする商業ジャーナリズムの餌食になってはなりません。

           

           

          中高生の皆さんは unsung hero という言葉をご存知ですか。unsung とは「歌われることのない」という意味です。sing の過去分詞ですね。もちろんこの場合は形容詞として hero を修飾しています。

           

           

          Merriam-Webster’s によれば、not given attention and praise that is deserved for doing good things と定義されています。「注目もされず、称賛もされないけれど、本来ならそれに値する善き行い」という意味です。He is one of the unsung heroes of the civil rights movements. という例文が載っています。「彼は公民権運動の歌われざる英雄の一人だ」という意味です。良い例文ですね。

           

           

          私たちのまわりには、「歌われざる英雄」がいます。社会はそういう人々によって支えられています。例えば、雪深い北陸や北海道の街で、朝早く起きて雪かきをする人は、誰のためでもない自分のためにやっているのかもしれません。しかし、皆がそれをすることで通行人が転んで骨折をしたり、足をくじいたりしないで済みます。

           

           

          もちろん雪かきをした人は誰からも感謝されません。しかし、一人一人が自分の仕事をきちんとすることで、多くの人を救っているのです。おそらく、こういった行為の集積によって巨大なカタストロフィーが未然に防止されているのです。つまり、雪かきが社会貢献だなどとは思ってはいない人々によって、社会は安全を保つことができているということです。

           

           

          ところが、このことに想像力の及ばない思い上がった幼稚な政治家は、災厄が起こった後に、てきぱきと決断し実行している(現実には決してできないのですが)自分を思い描き、マスコミと国民から拍手喝采されることを夢見ています。自己陶酔型の歪んだ人格だというほかありません。もちろん、災厄の最大のものは戦争です。

           

           

          この種の自己陶酔型の政治家が幅を利かせている社会では、人知れずよいことをする習慣は無価値なものとして査定されます。事故を未然に防ぐ社会的コストは、事故が起こってからのコストに比べれば圧倒的に安いのです。

           

           

          原発事故を見ればこのことは自明です。いまだ収束の気配さえ見せない原発の後処理に要するコストは、無限に高騰し続け、ついにはこの社会を崩壊させるかもしれません。

           

           

          私たちの社会は、悲しいことにというか愚かにも、事故が起きてから手際よく処理する人を評価するのです。もちろん建設業界、そこに融資する金融業界、官僚組織に巨大な利権が発生することも一因です。だから、このままでは大変なことになると分かっていても、現状を放置し、事故が起こることをどこかで待ち望む心理が生まれるのです。

           

           

          それに対して私たちは何ができるのか。多少時間がかかっても、いまの社会で支配的だと思い込まされている価値観を変えるしかありません。短期的に力で変えても、また同じことが繰り返されるだけです。

           

           

          私たちにできることは、人知れず善きことをしている人の価値を認めることです。沖縄の高江で安倍政権の暴力に抵抗している住民の皆さんは、間違いなく unsung heroです。彼らは私たちの権利のために戦ってくれているのです。クラスの中でいじめと戦う人も unsung heroです。周囲にそういう人を見かけたら、「君は unsung heroだ」と言ってあげて下さい。これ以上住みにくい世の中にしないために。

          | 中高生の皆さんへ | 17:55 | comments(0) | - |
          独自の人生を生き延びるために
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            昨日は、元塾生と湯布院『玉の湯』でランチをした後、『無量塔』のTan’s bar でお茶をしました。長い間、私の授業をがまんして聞いてくれたことへのお礼です。一足先に大学へ帰らなければならなかったM君、次回こそはいっしょに行きましょう。

             

            左が京都大学に在学中のK君、右が名古屋大学に在学中のY君。二人ともなかなかの風貌をしています。『無量塔』のTan's bar にて。

             

             

             

            ランチとお茶をしながら、またぞろ私の与太話を聞く羽目になったK君、Y君、これに懲りずにまた行きましょうね。

             

             

            映画でも、文学でも、アートでも、いつの時代も主流(エスタブリッシュメント)に対する<周縁>が存在しました。そして新しい発想や面白い表現は、いつの時代も、そういった<周縁>に身を置く表現者から発せられてきました。

             

             

            それは、生活においても、人生そのものにおいても同じだと僕は思っています。「これが普通」「これが幸せ」「これが人間的」と思ってきた価値観、いや、そう思わされてきた価値観は実は唯一絶対的なものではありません。常にもう一つの価値があって、それを実践してきたトリックスターたちもいたのです。

             

             

            僕の尊敬するエリック・ホッファーは『波止場日記』の中で次のように述べています。

             

             

            ― 私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが私の生活にとってすべてである。

             

             

            ホッファーにとって、港湾労働者として働くのは、食っていくため、生活の糧を得るためだけではなかったのです。マスメディアや大学といったところで働く思いあがった知識人にはなりたくなかった、そのためにこそ肉体労働が彼の哲学には必要だったのだと気づきました。

             

             

            最近になって、私はなぜ塾の教師を30年以上にわたって続けることができたのか分かってきました。その根底には主流に対する反骨心があったというか、主流が張りぼてのトラに過ぎないことを早くから嗅ぎつけていたからです。そこには、安定はあっても真実はない。こんな単純な事実に気づくのに30年以上を要したのです。

             

             

            これからの時代は、いかに空気を読むかではなく、いかに独自の人生を生き延びるのか、それを考えることのできる知性が必要になります。空気を読むことが、さも、ある種の能力であるかのように錯覚している人間にだけはなってほしくありませんね。K君、Y君、こんな与太話で時間をつぶしていいのなら、またいっしょに食事に行きましょう。

             

            忘れていました。次回は私に面白い本を紹介するという約束、忘れないで下さいよ。では、GOOD LUCK !

            | 中高生の皆さんへ | 08:28 | comments(0) | - |
            空洞化した人格
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              2015年8月24日、今からちょうど1年前、新潟県の泉田知事は、かねてより面談を求めていた原子力規制委員長の田中俊一氏と初めて会いました。泉田氏は田中氏が最も会いたくないと思っていた人物です。なぜなら、泉田知事の言うことは、だれが考えても常識にかなっているからです。住民の避難を最も重要だと考える知事に、それを無視する専門家の屁理屈がかなうはずもありません。

               

              http://tanakaryusaku.jp/2015/08/00011824

               

               

               

              県知事も政治家である以上、住民の命と暮らしを守ることをまず第一に考えるべきです。この点さえしっかり認識していれば、政府と電力会社の言うことを聞くしか能のない専門家の屁理屈は簡単に見破れます。田中氏もこのことが分かっていたので、会うのを渋っていたのです。

               

               

               

              今や、県民が生き延びられるかどうかは、どんな人物が地方自治体の長であるかに大きく依存する時代となりました。伊方原発の再稼働にゴーサインを出した愛媛県知事の中村時広氏は言うまでもなく、わが大分県の知事や市長もこの点に関してまことに鈍感です。

               

               

               

              この事実を突き詰めれば、原発の立地自治体の住民のみならず、国民が生き残れるかどうかは、一国の行政の長すなわち総理大臣の人間性にかかっていることになります。そうだとすれば、私たち国民の命は風前の灯だと言わざるを得ません。だから私はこのブログで安倍晋三氏を批判してきました。

               

               

               

              今は、たまたまロシアンルーレットの弾が、国民に向けて発射されていないだけです。いずれ弾丸が国民の頭部を貫くのは時間の問題でしょう。

               

               

               

              原子力規制委員長の田中俊一氏は現政権の単なる使い走りに過ぎません。その人物にロシアンルーレットの拳銃を持たせているのです。それを取り上げることができるのは、総理大臣だけです。私たち国民の命は風前の灯だと言ったのはお分かり頂けるでしょう。

               

               

               

              そんな折、15日付の新聞各紙の隅に、見過ごせない人事情報が載っていました。法務省の黒川弘務官房長(59)が事務次官に昇格するとのことです。18日付の日刊ゲンダイの記事によると、黒川新事務次官は、甘利明前経済再生担当相の口利きワイロ事件を握りつぶした“黒幕中の黒幕”といわれている人物です。国民の基本的人権すら風前の灯となったのです。

               


               

              この人事発表の翌日16日には、東京地検特捜部は甘利氏の元秘書2人を再び不起訴処分(嫌疑不十分)とすることを発表しました。少々政治に関心を持っている人なら、これが絶妙なタイミングだということがわかるでしょう。

               

               

              特捜部は「総合的に判断して(あっせん利得処罰法の)構成要件に当たらない」と説明していますが、元秘書2人は約1300万円ものワイロを受け取り、甘利氏本人も大臣室で50万円の現金をもらっています。これが犯罪でなくて何だというのでしょうか。弁護士の郷原氏が言うように「あっせん利得処罰法のど真ん中のケース」なのです。具体的に判断すれば、間違いなく犯罪が成立するところを、「総合的に判断して」不起訴にするのが今の政権の手口です。

               

               

               

              「総合的に判断して」とは、「政権の意を汲んで」ということです。こういった人間たちが「法の支配」を強調するのですから、ジョージ・オーウェルの言う「新話法」、すなわちダブルスタンダードが当たり前になっていくでしょう。いや、政治のことばは常にダブルスタンダードだったのです。

               

               


              「ワイロを渡した人が『渡した』と言って録音テープまで残っている。もらった側も『もらった』と認めています。これで不起訴になるなら、今後、国会議員や秘書はカネをもらって、口利きのやり放題。あり得ない話でしょう」(民進党の山井和則国対委員長代理)

               

               

               

              甘利氏はすでに不起訴が確定しているから、一連の捜査はこれで終わりです。それに比べて、09年に生活の党の小沢一郎代表が政治資金規正法違反に問われた「陸山会」事件では、秘書らは収支報告書の「記載ミス」だけで逮捕、起訴されて有罪となりました。

               

               

               

              この時も当時の黒川官房長が“暗躍”したといわれています。そんないわく付きの人物が法務省事務方トップの事務次官になるということは、ゲシュタポ長官ヒムラーの誕生だといっても過言ではありません。この人事を取り仕切ったのは誰でしょう。安倍晋三氏と菅官房長官以外にいません。

               

               

               

              国民の生命を危険にさらし、戦前・戦中と同じ「警察国家」「暗黒国家」への道を開いた、この二人の人物の顔をよくご覧ください。この顔の奥に福島第一原発の事故の教訓も、戦前戦中の暗黒時代の歴史も視野に入らない、空洞化した人格を感じるのは私だけでしょうか。

               

               

              原子力規制(推進?)委員長の田中俊一氏。

               

               

              黒川弘務、新法務省事務次官

               

               

               

              | 原発 | 00:03 | comments(0) | - |
              人は、世界のいったいどんな景色を見ているのか。
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                忙しい盆休みの間、私はどうしても見ておきたかった映画を見るため、大分のシネマ5に上映開始時間の午後4時25分ギリギリに駆けつけました。『シリア・モナムール』がその映画です。

                 

                 

                 

                同作は、フランス・パリに亡命しているシリア出身のオサーマ・モハンメド監督が、シリア国内で市民らによって撮影されYouTubeなどに投稿された動画素材を編集した、シリアのドキュメンタリー映画です。

                 

                 

                映画を見ている間、さまざまなことを思いました。「未来のユートピアを語る者は、必ずその世界の独裁者だ」というハンナ・アーレントのことばを思い浮かべたり、沖縄の東村高江でヘリパッドの建設に反対している住民のことを思ったり、参院選で勝利した翌日から強権を発動して恥じない安倍政権の本質とそれを多くの国民が支持している現状について思いを巡らしました。

                 

                 

                シリアの内戦はそもそもいかにして始まったのでしょうか。国連決議を無視してイラク戦争に突入していったアメリカを、まるで無謬の神のごとく崇拝し、支持した日本政府に責任はないのでしょうか。

                 

                 

                いや、こういった婉曲的ない方はやめましょう。日本政府と自民党を支持した人々には、破壊と殺戮のかぎりを尽くしている現在のシリアに対して責任があります。それを自覚しているのか?シリアのこどもたちが見ている世界の景色を想像したことがあるのか?と問いかけるべきです。

                 

                 

                以下はオサーマ・モハンメド監督がインタビューに答えたものを私が抜粋したものです。

                http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/17/syria-monamour-movie_n_10537554.html

                 

                 

                ― 2011年に私たちシリア人は立ち上がりました。シリアとは、「多様性・シリア国」であると気がついたのです。私たちの国は、人種や宗教や政治信条などが同時に平和的に共存し、正義と自由が根底にあると再認識したのです。シリアのファシストたちは「自由と多様性」を嫌うのです。

                 

                 

                ― 世界はシリアで起きていることを知るべきです。これは、シリアだけで起きている現実ではありません。全人類が共有する“たった一つの世界”で起きている現実なのです。人々が平和に暮らせる国もあれば、人々が無残にも殺され国を追い出される現実もある。人類が共有する“唯一の時”に全てが起きているのです。

                 

                ― 告白します。多くの同胞が殺されていく現実を、私は遠く離れた安全なパリで見ながら、惨めで空虚な「時」をさまよっていました。そして自分自身を、その空虚さから救い出したかったのです。

                 

                インタビュアー

                ― 作品では、いままでの映画では描かれなかった凄惨な映像が描かれています。同時に、男女の詩的な会話によって、それら映像は美学や哲学を可視化したように思えました。

                 

                 

                ― 美を持って暴力に対抗したかったのです。芸術とは、美であり正義であり、希望の創造ともいえます。そして、自由である私たちの最大の防御でもあります。

                映画には、スナイパーによって撃ち殺され放置された遺体を、命がけで安全な場所に移動させるシリア人の人々がいます。彼らはその後、遺体を静かな墓に埋葬したのです。死に対する尊厳とは、生命に対する尊厳です。

                映画に登場する、小さなオマールも父親を失い、包囲攻撃されている街で生活を送っていました。しかし、彼は美しい薔薇の花を探していました。破壊され尽くした街にも、美は存在するのです。

                 

                 

                ― 世界中の紛争地にいる兵士は、皆「待機中の殺人者」です。人を殺すことを命令される者なのです。それは悲惨なことです。

                 

                 

                ― 私は映画で(苦悩を)告白をする兵士に、共和制ローマの剣闘士「スパルカタス」の名をつけました。彼は市民を殺せ、という政府の命令に背き自由を勝ち取ったのです。

                しかし、多くの兵士には同じことができません。兵士が政府に背くことは死に値します。しかも想像できないような残酷な殺され方をするのです。

                多くの兵士は自分の想像力をごまかし、即興的に暴力を振るうのです。その暴力は人々のサディズムを呼び起こし、撮影された映像は、彼らの上に立つ者のサディズムを満足させるものなのです。そのような映像も、オンライン上には溢れていました。(以上抜粋終わり)

                 

                 

                日本人の多くはテレビにかじりついてオリンピックの結果に一喜一憂し、お盆を休暇と勘違いして海外旅行に出かけ、2016年の夏を謳歌しています。その裏で、中央構造線の真上にある伊方原発は再稼働されました。

                 

                 

                愛媛県の中村知事は佐田岬半島の避難困難者、約5000人の命を見捨てました。それどころか瀬戸内海を死の海にして、関西にまで達する放射能汚染の脅威を無視して次のように発言しました。「伊方は内海にあるので津波は起きない」と。

                 

                 

                その発言にまるで反応したかのように、数日を置かずして、8月15日13時40分、伊方原発の目と鼻の先の伊予灘で震度3の地震が起きました。

                 

                 

                「津波は地震によって引き起こされます。津波だけが起きるわけではありません。」などと、小学生でもわかる事実を、想像力も知性の一片も持ち合わせていない人間にどうやってわからせればいいのでしょうか。それにしても、中村知事と彼を支持した人々は、世界のいったいどんな景色を見ているのでしょうか。

                 

                | 読書・映画 | 18:17 | comments(0) | - |
                この国を好き勝手にはさせない − 明仁天皇の遺言。
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                  「私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。」というお言葉で始まった天皇陛下の国民へ向けたメッセージ。広島と長崎に原爆が投下された8月6日と9日の間に、わずか11分間で、これほど国民のことを思い、この国の将来を憂えることばは、今上天皇でなければ決して発することのできないものでした。

                   

                   

                  「個人として」は「 I, as an individual,」ですが、宮内庁は世界中の人が読むことを想定してこの箇所を正確に英訳しています。これは、天皇といえども独立した思想を持つ個人であるとの宣言に他なりません。これこそが現行憲法の中心にある価値です。私は明仁天皇の「個人として」の尊厳をかけた言葉の中に、「私心」が全くないことに深く感動しました。

                   

                   

                  日本という国家の中に、歴史的な役割と責任だけを負わされ、あらかじめ基本的人権を剥奪された天皇という一個の人間が存在している。そして「全身全霊をもって象徴の務めを果たして」きたけれど、年齢のこともあり、自分が生きている間に「来るべき時代の天皇制はどうあるべきか、考えてみてもらえないだろうか」と訴えるものでした。天皇に対する敬愛の念と感謝の気持ちがあれば、誤解しようのない、まっすぐなお言葉でした。

                   

                   

                  「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」

                   

                   

                  「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」

                   

                   

                  そして以下の部分をあらためて読み返したとき、思わず目頭が熱くなりました

                   

                   

                  「こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。」

                   

                   

                  これは、共同体と市井の人々こそが国であり、それに思いを至すことこそが本当の愛国心だと訴えられているのです。「日本偉い、日本凄い、日本万歳、国体護持!」の対極にある考え方です。

                   

                   

                  何より、上から見下ろすのではなく、国民と同じ立場に立ち、国民を信頼し、国民に敬意を払って「お言葉」を発しています。いわば、「自分の真意を間違いなく理解してくれるであろう国民」を信頼して語りかけているのです。

                   

                   

                  最後に「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。」と軽く頭を下げられました。

                   

                   

                  国民にどうか理解してもらいたいと天皇が頭を下げているのです。明仁天皇という存在がなければ、怖いもの知らずの日本会議系の学者や政治家にこの国は間違いなく乗っ取られていたでしょう。

                   

                   

                  私は、権力にものを言わせて「この道しかない!」と叫び、マスコミを総動員して、国民にいうことを聞かせようとする人間たちの醜悪さを思いました。

                   

                   

                  安倍首相や日本会議と同じゴールを目指す人は、ビデオで「生前退位」という言葉が述べられていないから「生前退位を望まれた意志表示ではない」との強引な解釈にしがみついています。生前退位以外の選択肢をことごとく否定された現実を直視できないのです。

                   

                   

                  天皇のメッセージ放送が終わって10分ほど後に、安倍晋三首相が行ったコメントは、その空虚さ、中身の無さにおいて歴史上まれに見るものでした。天皇陛下の「お気持ち」を汲む努力どころか、読解力を根底から疑うものでした。

                   

                  「重く受け止める」という形だけの言葉を用い、一礼もせず逃げるように立ち去った態度は、天皇陛下に対する敬意のかけらも見えませんでした。「総理大臣であるオレ様の頭越しに、国民に直接語りかけるとは!」と、怒りを押し殺しているのがわかります。以下の動画が何よりの証拠です。

                   

                   

                  | 政治 | 17:40 | comments(0) | - |
                  中高生の皆さん、辞書を読みましょう!
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                    もし一人で無人島に5年間滞在しなければならないとして、1冊だけ本を持っていくとしたらOEDか白川静氏の『字通』を持っていくと前回のブログに書きました。そうなるとOEDは20巻あるので無理ですね。なら、代わりに斎藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典』を持っていくことにしましょう。

                     

                    右端から斎藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典』、研究社『リーダーズ英和辞典』、柳瀬尚紀氏の『翻訳困りっ話』、一番左は、柳瀬氏が講義形式で生徒に英文読解を教えた参考書『やるっきゃない英文読解』

                     

                     

                    以下の画像は『やるっきゃない英文読解』P32〜33。辞書の引き方について詳しく説明しています。こんな参考書は今どきありません。絶版になっているのが惜しい(アマゾンの中古品では¥4,000円の値がついています)。塾を始めたころ、この参考書をネタに講義していました。P26には次のようなくだりがあります。「辞書を引くのに苦手意識があったらね、そうね、一晩徹夜で自分がこれと決めた辞書を、めくらめっぽう引く練習をやるの。それだけでいい。そうすると、これはウソじゃないよ、ぼくもそうだったんだけれども、目指す単語が一発で引けるようになる。パット出る。もし一晩でできなかったら二晩。まるまる二日もっぱら辞書を引く練習をすれば、引けるようになるんだよ。不思議なんだな。ぼくは高校生の時にそれをやったから、ほかの友達なんかが辞書を引くのに何をもたもたやっているのか、不思議でならなかったね。」
                     

                     

                     

                     

                    この辞書は、先日亡くなった翻訳家の柳瀬尚紀が絶賛していたものです。英語力では定評のあった東大英文科の教授・高橋康也氏も「1冊の辞書」というコラムでこの辞書をとりあげていました。本物の実力のある人は、どういうわけか同じ辞書や書物に出会っているのだなあ、と感動したのを覚えています。ちなみに指揮者の小沢征爾氏の恩師、サイトウ記念オーケストラで有名な斎藤秀雄氏は斎藤秀三郎氏の次男です。

                     

                     

                    ウイキペディアに簡単な解説が載っているので引用します。

                     

                    この辞書の特徴は、(1)語法説明が詳細であり、その内容が適切であること(機能語に多くのスペースを割いていること)、(2)訳語がこなれており、適切な日本語訳が与えられていることにある。


                    (1)の特徴は、斎藤の主唱するidiomology(慣用語法学)の成果の現れであり、語と語の関係の中に語の意味がある、という斎藤の考えの現れである。このため、この辞書では、機能語の機能に詳しく、例えば、前置詞に多くの頁が割かれていたり、動詞の語義も、前置詞や副詞との結びつきという観点から与えられている。(アンダーラインは引用者。この部分は僕が高校生に口やかましく言っていることです)


                    (2)の特徴もまた、日英のイディオム比較検討し、英語のイディオムに適切な日本語を与えるというidiomology研究成果の現れである。
                     

                    これらの特徴は、この辞書に他の辞書にない個性を与えており、このことは同時期に出版されたベストセラー辞書が現在では省みられることがないのに対し、この辞書が現在に至るまで命脈を保ち、英語研究者に求められている、ということの理由の一つである。(引用終わり)

                     

                     

                    おそらく今の中高生の皆さんは、この辞書の存在も、この二人の大家もご存じないでしょうね。そもそも今の高校生は辞書をあまり引きません。学校のロッカーに置いている人も多いのではないでしょうか。ましてや、辞書をじっくり読むなどという人は、オタク的趣味の変人とみなされるかもしれません。ことによると、英語教師ですらこの辞書を知らない人もいるかもしれませんね。

                     

                     

                    僕は塾でいつも言っています。「辞書は読むもの。参考書は引くもの。日本語力のない人が英語力を身につけるなどということは断じてありません。」と。

                     

                     

                    ではここで柳瀬尚紀氏のことばを引きましょう。氏の『翻訳困りっ話』から。英語ができるようになるにはどうしたらいいのかという問いに答えています。

                     

                     

                    「真っ先に言いたいのは、もし本気で英語が読めるようになりたいなら、本気であせって英語を読めってことです。どうしたら英語が読めるようになるかなア、多読がいいのかなアア、精読がいいのかなアアア、何を読んだらいいのかなアアアア、なんてのんびり考えているひまがあったら、猛然とあせるんです。辞書の引き方にしたって、あせると辞書を引くのが速くなる、開いたページを読むのが速くなる、ほんとです、その意味では日本の大学受験制度というのは、少なくともぼくに関するかぎりはよかったですね。北海道の最東端の、キオスクみたいな本屋しかない漁師町でしたからね、そりゃもう、あせりました。本気であせっているうちにだんだん英語が読めるようになってきた。それだけの話です。」

                     

                     

                    「具体的には、斎藤秀三郎の『熟語本位英和中辞典』、もっぱらあれを読みました。いわばぼくの骨髄みたいなものです。極端にいうと、あの辞書を読みつくしたくらいの人でなければ、その人の英語を信用できない、つねづねそんなふうに思っています。高校生とか予備校生とか、むちゃくちゃに英語の基本を勉強しなくちゃならない時期にある人、そのあたりの人にはほとんど知られていないようです。参考書も、あれや、これや、あせって手をつけました。今考えると佐々木高政『和文英訳の修業』、あれは最高のものです。受験参考書なんてものを超えた名著です。年齢に関係なく本気で英語が読めるようになりたい人には責任を持って推します。少なくともぼくにはあの本を通ってきたという手ごたえのようなものが今も感じられるんです。」

                     

                     

                    「ぼくは高校時代に『熟語本位英和中辞典』とむちゃくちゃ深い仲になりましてね、惚れこんだらこいつを絶対に離さない。いや、女の子の話じゃありませんよ、学校にはむろん連れていく。三度の飯もいっしょに食う。便所にも連れていく。寝るのもいっしょ、起きるのもいっしょ。とことんまで深い仲にならなくちゃ嘘ですね。そういう経験のないやつの話なんてまともに信じない方がいい。」

                     

                     

                    「英語をものにする話ですけど、前置詞を徹底的に知ることですね。他にも基本的な動詞、あるいは that や the や what なんかを本当に知るとか、いろいろありますし、そうですね、英語がまあまあ読めるようになるスタートラインは2000ページ横文字を読んだあたりでしょうけど、ともかく前置詞ってやつを徹底的にやっつけると英語なるものがわかってくる、少なくともわかったような気がして面白くなる。僕の場合はそうでした。斎藤秀三郎の前置詞を片っ端から読んでいったのです。」

                     

                     

                    まだまだ続きますが、今回はここまでにしておきます。とにかく、辞書はじっくり読むものです。語法も例文もすっ飛ばして日本語<訳>だけを探すのなら読まない方がいい。あなたの類推力と想像力を全開にして読んだ方がましです。

                     

                    人生で退屈しない、とっておきの方法

                    http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=215

                     

                     

                    | 英語教育 | 18:18 | comments(0) | - |
                    人生で退屈しない、とっておきの方法。
                    0

                      今回は人生で退屈しない、とっておきの方法をお教えしましょう。なぜなら退屈にいかに向き合うかという問題は、人生の難問中の難問ですからね。かのサマセット・モームも、人間のやることはすべてこの退屈から目をそらすための方便だと言っています。

                       

                       

                      そう考えると、犯罪に手を染めたり、戦争を仕掛けたり、権力争いに興じたりしている人たちの顔は退屈しきっているように見えます。よくよく観察すると、天下国家のイデオロギー上の大問題に見えることでさえ、案外個人のきまぐれに左右されていることが多いようです。要するにエネルギーの向け方の「くせ」がちがっているだけです。

                       

                       

                      そうだとすれば、個人の工夫と努力で難問解決の糸口が見つかることも多いはずです。大きな組織と資金と戦略で政治経済を根本から変えないかぎり何もできないという考えこそが錯覚で、支配者がそう思い込ませたがっているイメージにすぎないのです。

                       

                       

                      僕は塾の教師をしているので、ことばを使って知識を伝達しています。つまり、概念のレベルでこどもたちと向き合っているわけです。その中で最大限の注意を払っているのが、非言語的能力を殺さないようにすることです。

                       

                       

                      非言語的能力とは、簡単に言うと、概念化できない、人間の眠っている能力、いわば氷山の水面下にある人間の潜在的な可能性のことです。それを殺さないためには、そこから発せられていることばにならないことばと、世間に流通している、手あかのついた、お仕着せの、うわべだけのことばを聴き分けなければなりません。

                       

                       

                      これは権力や独裁の問題ともつながってきます。ソフトなファシズムは「教室」という公共的な空間を通して、すべての人間の考えを平準化しようとします。「新しい語法」が発明され、巧妙に、快楽とともに、「新しい価値観」が提供されます。

                       

                       

                      したがって、僕は、教育の目的のひとつは「教室」で流通することばに対する不信感や疑問を、たえず持ち続けるようにすることだと考えています。現実を覆い隠す二重基準(ダブルスタンダード)のことばが当たり前になっている社会では特に注意しなければなりません。

                       

                       

                      さてここからが本題です。前置きが長くて申し訳ありません。ソフトなファシズムはことばを通して私たちを支配します。その結果、私たちは自分の潜在能力を開花させることなく、誰でもいい他人の人生を生きさせられることになります。そんな人生は退屈に決まっているのです。それに対抗するための「個人の工夫と努力」とは何か。それをお話ししましょう。しかもお金はほとんどかかりません。

                       

                       

                      皆さんは以下の辞書をご存知ですか。The Oxford English Dictionary(略称OED)です。全20巻。2万1730ページ。重さにして60kgを超えます。

                       

                       

                       

                       

                       

                      この辞書を1年かけて読破した人がいます。アメリカ人のアモン・シェイさんです。その体験をつづったのがこの本です。

                       

                       

                       

                      この本をカナダで偶然見つけて、三省堂の編集者に翻訳したいと申し出たのが、滋賀大学の田村幸誠氏。かくして以下の本が誕生しました。

                       

                       

                       

                      僕は英語版で読んでいたのですが、途中から放り出し、田村氏が翻訳した本を読みました。それほど、田村氏の翻訳が見事だったのです。

                       

                       

                      世の中には、役に立つかどうか、自分の利益につながるかどうかといったモノサシですべてのものを測っている人がいます。中高生なら受験に役立つかどうかというモノサシですね。しかし、そういった発想こそが、人生を退屈にしている元凶だと気づいてほしいですね。受験に役立つかどうかなんて考えて学習に向き合えば退屈するに決まっているのです。

                       

                       

                      それに比べて、1年かけてOED全巻を読破したアモン・シェイさんは、退屈するどころか、与えられた人生の時間を満喫しています。そうです、人生で退屈しない、とっておきの方法とは、辞書を読むことです。

                       

                       

                      もし無人島で5年間暮らさなければならないとしたら、僕もOEDか白川静氏の『字通』を持っていくでしょう。辞書を読むことがどれほど至福のひとときをもたらしてくれるか、それは経験した人でなければ分からないかもしれません。

                       

                       

                      若いときに(年をとっていても、いや年をとっていればこそ)挑戦してみる価値のあることです。いきなり辞書を読むのはちょっと、と考えている人には『そして、僕はOEDを読んだ』(三省堂)を読むことをすすめます。いますぐ本屋さんに走って下さい。あなたの学習を、いや人生を変えるかもしれません。そして英語という言葉に対する見方も。僕はそう確信しています。だからこのブログを書いています。

                       

                       

                      アモン・シェイさんの文章は、どれもがすばらしい。英語ということばが持つ魅力がつまっています。読みながら僕はなんども本を閉じ、いろいろな空想にふけりました。抜粋するのが難しいのですが、一か所だけ。

                       

                       

                      アモン・シェイさんの友人マデリンは、少し小柄で、ボリュームのある縮れ髪で、絶えず目をきらきらさせている魅力的な女性です。彼女のアパートの描写もまるで映画のワンシーンを見ているようです。

                       

                       

                      彼は言います。「もしマデリンに出会わなかったら、僕は、『魅力に取りつかれる』ということの本当の意味を知らずに過ごしてしまっていたと思う。僕はマデリンから一見くだらないことを徹底的に追求する際に感じられる、えも言われぬ喜びも学んでしまったのだ。基本的には「辞書」とひとくくりにできてしまうような同じ種類のものを、二万冊も集めるというレベルに達するほどのばかげた行動には、ほんとうに人を感動させるものがある。そして、そんなことに脇目もふらずに取り組んでいる人は魅力的だし、人をひきつけるものがある。」と。長くなるので続きは次回にします。

                       

                       

                      中高生の皆さん、辞書を読みましょう!

                      http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=216

                       

                      | 中高生の皆さんへ | 09:35 | comments(0) | - |
                      中学英語・There is 〜構文について
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                        私の英語学習に多大な刺激を与えてくれた翻訳家の柳瀬尚紀氏が亡くなりました。73歳でした。心よりご冥福をお祈りします。詳しくは明日のブログで書きます。

                         

                         

                        ところで、昨日の仮定法の説明の中でふれた「感情」についてもう少し考えてみましょう。中学1年生でThere is(are) 〜.という構文を習います。生徒の皆さんは「〜が(どこそこに)ある」という<意味>だと覚えているようです。しかし、それは「日本語=英語」という発想で考えた置き換えにすぎません。

                         

                         

                        例えばある女の子がお母さんとバス旅行していると想像して下さい。阿蘇山のふもとを走っているバスの中から牛が見えます。女の子ははじめて見る本物の牛に感動して叫びます。「ママ、見て!牛がいるよ!」と。ではこれを英語でどう言えばいいのでしょう。

                         

                         

                        「はじめて見る本物の牛に感動して」というところがポイントです。そのことをお母さんに教えてあげようと声を上げたのです。このシチュエーションでは、次のように言います。

                         

                         

                        Mom, look! There’s a bull in the field!

                         

                         

                        A bull is in the field. では、ロボットの発話になってしまいます。ロボットのような調子で言ってみて下さい。お母さんはこの子は何を言っているのだろうと心配になるかもしれません。でも日本語にすれば「草原に牛がいます」という意味でおなじですね。でも本当でしょうか。

                         

                         

                        (1)「ママ、見て!牛がいるよ!」と

                        (2)「草原に牛がいます」は同じでしょうか。

                         

                         

                        違いますね。(1)には感情が込められています。すなわち、意味があるのです。このセリフを聞いたお母さんは思わず身を乗り出すはずです。そしてこどもに向かって「本当だね!牛を見るの、初めてだね!」と、旅行に来たことを喜ぶでしょう。こどもが生き生きしているのを見てうれしくなるはずです。ことばが<意味>を持つとは、こういうことです。

                         

                         

                        つまり、there という単語には感情が込められているのです。そんなことは初めて聞いたという人が多いかもしれません。では辞書を引いてみましょう。

                         

                         

                        there : used esp with be and go to express annoyance, excitement, anxiety, relief, etc

                        あるいは、strong form として used in place of a subject with be and a few other verbs, esp when referring to sb/sth for the first time .

                         

                        となっています。簡単にいうと「there は be動詞(その他の動詞)といっしょに使われて、困惑、感動、心配、安心などを表わす。強調として、初めてある人物や物に言及するときに使われる」ということです。中学生の皆さんに英英辞典を引きなさいというのは酷かもしれませんね。でも、辞書を引くことの意味は分かったでしょう。

                         

                         

                        私の英語学習における、最強にして最終の秘密兵器、というほどのこともありませんが。とにかくこの辞書がなければ、私の英語力は今の半分くらいだった可能性があります。辞書を引くことの大切さを口を酸っぱくして教えてくれたのも柳瀬尚紀氏でした。

                         

                         

                         

                         

                         

                        ここで昨日の英文を思い出して下さい。何?眠くなったって。「もともと英語なんか興味ね〜し」と思っているあなた、気持ちは分かります。ぼくも中学生のころこんな説明されたって、眠くなるだけだったと思います。でもあと少しです。辛抱して聞いて下さいね。人生は辛抱です、なんちゃって。

                         

                         

                        昨日の英文は次のようなものでした。

                         

                        A restaurant is around the corner.

                         

                        この文には感情がない。すなわち意味不明な文だと言いました。まるでロボットが言っているような文だと言いました。そこで上で説明した通り、感情を表す there を入れてみましょう。

                         

                        A restaurant is there around the corner.

                         

                        となります。こうなると、この文には感情が出てきます。つまり意味を持つのです。例えば「あっ、あそこにレストランがあった、よかった」という安堵かもしれません。あるいは「だから邪魔になるんだ」という怒りかもしれませんね。「あのレストランがあるから、これから先どうなるのかしら」という、ライバル店の出現に不安を感じているのかもしれません。

                         

                        ここで、感情を表すthere を強調するために文頭に出しましょう。すると、

                         

                        There a restaurant is on the corner. となります。

                         

                        強調の副詞を文頭に出すと、主語と述語の倒置が起こります。

                         

                        そして、There is a restaurant on the corner. というおなじみの文ができあがるわけです。どうです、わかりましたか。あれっ、○○君、寝てしまいましたね。辛抱が足らなかったようです。ぼくの説明がしつこいから、仕方ありませんね。昔から言います。「寝る子と地頭には勝てない」ってね。

                        | 英語教育 | 11:55 | comments(0) | - |
                        高校英語・仮定法について
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                          前回のブログで、エドガー・アラン・ポーについて書きました。それというのも高校2年生の英語の授業で、仮定法の本質を理解してもらうために、彼の小説の一部をとりあげたからです。

                           

                           

                          ところで、どういうわけか、「仮定法ならまかせてください。僕の得意分野です。仮定法は公式に当てはめるだけですから、公式さえ覚えておけば満点が取れます。仮定法だけは絶対自信があります。」という生徒さんがいます。

                           

                           

                          受験英語の世界では、仮定法は公式に当てはめるだけで解ける、というのが相場のようです。確かに穴埋め問題を解く場合には、それも一理ありますね。

                           

                           

                           

                          私はそういう生徒に質問します。

                           

                          私「仮定法は英語ではどういうか知っていますか。subjunctive mood と言います。ところでこのmood というのはどういう意味ですか?」

                           

                           

                          生徒「えっ?」

                           

                           

                          私「英英辞典でmood を調べると、the way you are feeling at a particular time と定義されています。つまり、話者がことばを発しようとしている、あるいは発している時点での感情を意味するのです。」

                           

                           

                          生徒「そんな難しいことを知らないといけないんですか?」

                           

                           

                          私「一応英語の勉強をしているので、辞書を引くことから始めているんです。難しいかもしれませんが、とても大事なことです。仮定法の<法>について知っておくことは、英語全体を理解する上で、いや、これから先の勉強で役に立ちます。ところで仮定法の反対は何ですか」

                           

                           

                          生徒「直説法です」

                           

                           

                          私「そうですね。<法>には直説法、命令法、仮定法とありますが、この区別はついていますか。直説法とは感情を直接的に表現するときに、命令法は感情を命令的に表現するときに、仮定法は感情を間接的・婉曲的に表現するときに用いるのです。この感情を、というところを忘れないでください。mood の定義にfeeling が入っているのはそういうわけです」

                           

                           

                          生徒「先生、感情がそんなに大事なのですか?」

                           

                           

                          私「いい質問ですね。大事です。例えば、A restaurant is around the corner.という文があります。これはどういう意味ですか。」

                           

                           

                          生徒「角を曲がったところにレストランがあります、という意味です。」

                           

                           

                          私「それは意味ですか?それとも英語を日本語に置き換えて訳したのですか?」

                           

                           

                          生徒「えっ?」

                           

                           

                          私「質問を変えましょう。およそことばである以上、誰が、どういう状況で、誰に向けて話しているのかを考えないといけませんね。この英文の話者は誰ですか?」

                           

                           

                          生徒「う〜ん」

                           

                           

                          私「君の訳は正しいのです。一応。でもこの文には感情がありませんね。つまり、ロボットが話しているような感じがするでしょう。だから誰もこの文の内容に関心を持ちません。この文には感情がないから意味不明なのです。意味とは感情のことです。ただ日本語に置き換えただけの<訳>と<意味>の違いがわかりましたか」

                           

                           

                          生徒「う〜ん」

                           

                           

                          私「このことと仮定法と何の関係があるのかと思っているのでしょう。大ありです。最初に言ったように仮定法は感情を間接的に表現するものです。仮定法はsubjunctive と言いますが、このsub‐ というのは<何かを隠しながら>という意味です。では一体何を隠しているのでしょう。もう分ったでしょう。そう、感情を隠しているのですね。ということは、仮定法を理解する最重要ポイントは、この隠されている感情を理解するということになります。仮定法=if 〜だというような公式的な発想では理解できません。まとめると、仮定法とは感情をストレートに表現するのではなく、間接的に、婉曲に感情を相手に伝えるための動詞のかたちだということです」

                           

                           

                          生徒「う〜ん、なんだか分かったような、分からないような」

                           

                           

                          私「これが一度でわかったら大変です。ただ、大学受験に合格することだけではなく、実際に会話の中で仮定法を使えるか、と考えることが大事です。仮定法に自信を持っていたようですが、少し不安になりましたか。確認しておきますね。以下の英文を見て下さい。

                           

                           

                          (1)I would be happy if I had a lot of money.

                               「お金がたくさんあれば幸せなのに」

                           

                           

                          (2)If I knew her address, I would write to her.

                              「住所を知っていたら、彼女に手紙を書くのに」

                           

                           

                          (3)If I were you, I wouldn’t do such a thing.

                              「もし僕がきみだったら、そんなことはしないのに」

                           

                           

                          以上の訳は「英語=日本語」という発想から、ロボットのような<訳>をしてしまったものです。つまり、隠れた感情を読み取れていません。これでは仮定法を学習した意味がありません。英語は日本語とはまったくちがった言語です。私たちがロボットになったのでは、ことばの深さを理解できませんね。

                           

                           

                          (1)〜(3)はそれぞれ次のような意味です。もちろん状況によって違う日本語で表現できます。

                           

                           

                          (1)「お恥ずかしいのですが、実はお金がないのです。」

                           

                          (2)「残念ですが住所がわからないのです」

                           

                          (3)「こんなふうに申し上げると失礼かもしれませんが、およしになった方がよいのではありませんか」

                           

                           

                           

                          最後に仮定法が実際に使われているところを見ておきましょう。私の訳を見て、どうしてこのような訳になるかよく考えて下さい。

                           

                           

                           

                          エドガー・アラン・ポーの得意な短編スリラーの中のセリフ。読者は私を狂人だと思うだろうが、さにあらず、と主人公の独白の形をとっています。私は狂人ではないということを強調するセリフに仮定法が出てきます。

                           

                           

                          1.You should have seen how wisely I proceeded ― with what caution ― with what foresight ― with what dissimulation I went to work!(ここでのworkとは殺人を指します)

                           

                           

                          「私がどんなにかしこく立ち回ったか、どんなに慎重に、どんなに先の先まで読んで、いかに本心を巧みに隠して殺人にとりかかったか、諸君に見せてやりたかった」

                           

                           

                          2.Ha!― would a madman have been so wise as this?

                           

                           

                          「はっ!狂人がここまでかしこく立ち回れると思うかね?」

                           

                           

                          3.So you see he would have been a very profound old man, indeed, to suspect that every night, just at twelve, I looked in upon him while he slept.

                           

                           

                          「いいかね。よほど読みの深い老人でない限りは、毎晩12時きっかりに私が眠っている老人の部屋に忍び込んでいたなどとは疑いもしなかっただろうよ」

                           

                           

                          4.主人公は、老人の死体をバラバラにして、床板を3枚はがし、隠してしまいます。それに続く文。

                           

                           

                          I then replaced the boards so cleverly; so cunningly, that no human eye ― not even his ― could have detected anything wrong.

                           

                           

                          「それから板を巧妙に、抜け目なく元に戻しておいたのだ。だから、人間の目では、あの老人の目をもってしても、何一つ不審な点を感じさせることは、まずありえなかっただろう」

                           

                          もうお分かりでしょう。仮定法に限らず、英語は難しいのです。受験で合格点を取るという目的に絞って教えたり、学んだりしているからこそ、一見すると易しく見えるのです。この国の英語教育は、大学受験があるからこそ、かろうじて成り立っているのです。さて、もうやめにします。英語を味わって読むためには、仮定法はとても重要だと気づいてくれたら、うれしいです。

                           

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