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《目次》
プロローグ
第1章 テレビマンとは何者か
第2章 大事なのは、誰と仕事をするか
第3章 表現とタブー
第4章 放送は常に未完である
第5章 世の中には理解不能な現実がある
第6章 ドキュメンタリーを、誰が求めているのか
第7章 「ダメモト」が表現世界を開く──〈司法シリーズ〉のこと
第8章 「ドキュメンタリー・ドラマ」とは何か
第9章 あの時から、ドキュメンタリーは閉塞した世界だった
第10章 題材は探すのではなく、出会うもの
第11章 組織の中の職人は茨の道
第12章 「わかりやすさ」という病
第13章 樹木希林ふたたび
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まず私たちの生命と暮らしを脅かす事実を知ること。それにたいしてどのような認識を持つのか。この国のみならず、世界を壊滅させる災厄とどう向き合うのか。次世代に対してどう責任を取るのか、そもそも責任を取れるのか。自分に何ができるのか。この現実にどう向き合うのか。それを教えるのが教育のはずだが、この国には教育も哲学も存在しない。
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小出 裕章,渡辺 満久,明石 昇二郎
原発よりもはるかに危険な六ヶ所村再処理工場。私たちの日々の生活が薄氷の上で営まれていることを痛感させられる。同時に、この国には「国民の生命・財産・自由を守り抜く!」と威勢のいいことを言う総理大臣と無能の政治家しかいないことに絶望する。核燃料サイクルと言い、下北半島の再処理工場と言い、3兆円以上の国民の税金がつぎ込まれ、いまだ後始末も将来の見通しもたっていない現実をどう考えているのか。彼らは核兵器を持ちたいという願望と税金をロンダリングして私腹を肥やすことしか眼中にない。北海道の地震だけに目を奪われてはならない。六ヶ所村は今回の震源地の目と鼻の先にあるのだ。
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D.J.ブーアスティン
私にとっては古典の中の古典。三度読みました。そしてその慧眼にいまだに驚いています。
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殺人犯はそこにいる (新潮文庫)
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清水 潔
ジャーナリストと称する職業がある。自称ジャーナリストもいれば、テレビのコメンテーターとしてリベラルに媚びる政権批判をし、名を売り、講演で稼ぐ職業をジャーナリストと呼ぶ者もいる。とんだ茶番である。ジャーナリストとはどこまでも「事実」を追いかける。テレビに出て能天気な解釈や感想を垂れ流している暇などないはずだ。ジャーナリストを志す若い人には清水氏の著作は避けて通れない。その名に値する本物のジャーナリストがここにいる。
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福田 直子
おそらく自民党・安倍政権はSNSを駆使し、分析するデータサイエンス(日本版なのでレベルはまだ低いですが)の重要性に着目し、選挙にどうすれば勝てるか、自分たちに有利な世論を形成し、国民を誘導・分断するにはどうすればいいのかが分かっているのです。そのためのノウハウも蓄積しつつあります。安倍首相の貧困な語彙力からは想像できないカタカナ言葉を聞いていると、それがSNSを分析している集団から教えられたものであることがよくわかります。ただ彼らの致命的な弱点は将来の社会を導く理想がないことです。おそらく、思いもかけない結果が待っていることでしょう。なぜなら、所詮、彼らはアメリカとビッグデータの奴隷でしかないのですから。これからの政治は、好むと好まざるとにかかわらず、この本に書かれていること抜きには語れなくなっているのです。
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安倍政権に対するメディアの忖度が云々されていますが、元々同じ穴のムジナなのです。忘れてならないのは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の世論と新聞のほぼ全部は好戦的・拡張主義的だったのです。しかも、当時はまだ言論統制体制が発足していなかったのです。この本は、そうした「一貫して好戦的な世論とそれに便乗する新聞」が先導し、近衛文麿はじめ文民政治家がそれに便乗、軍部がさらに便乗、という構図を一次資料で克明に論証しています。安倍政権を支持するネトウヨの皆さんの日本語力では、まともな読解は無理ですので勧めません。一方、正確な歴史を知るためには「世論」の不気味さを知ることだと気づいている若い人には是非一読を勧めます。
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茫漠の曠野 ノモンハン
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松本草平
著者は大分市にある『天心堂へつぎ病院』の院長、松本文六氏の御尊父、松本草平(本名松本弘)氏です。詳しくは、ブログで紹介したいと思いますが、第一次資料として極めて価値の高いものです。40年ぶりに復刻版を出された松本文六氏と出版社に感謝する他ありません。
戦略も何もない、無謀・無慈悲な戦争を語り継ぐことは、最も崇高で重要な人間の営為だと私は考えています。作家の司馬遼太郎氏は、電話で草平氏に次のように伝えてきたそうです。「先生の臨場感のあるノモンハン戦記に出会えて本当にありがとうございました。私は大東亜戦争の折、戦車隊の一員として従軍しましたが、先生の従軍記以上のものを創ることはできません。」と。
一人でも多くの方がこの本を読まれることを望みます。ちなみに松本文六氏は伊方原発差止め訴訟の原告でもあります。その縁で、この本に出会うことができました。
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「南京事件」を調査せよ (文春文庫)
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清水 潔
全国のネトウヨの皆さんへの推薦図書です。清水氏のこの本を読んでから、「南京事件はなかった!」「南京事件は捏造だ!」と叫びましょうネ。
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広瀬隆
広瀬氏をアジテーターだの、オオカミ少年だの、悲観主義に過ぎると言って批判する人がいる。しかし、ブログで何度も述べてきたように、真の悲観主義こそがマインドコントールによって奴隷根性のしみ込んだ私たちの精神を浄化してくれるのだ。そもそも無知では悲観が生まれようもないではないか。国などいくら破れても結構。せめて山河だけでも次世代に残そうと考える人ならぜひとも読むべき本である。いや、これから幾多の春秋に富む若い人にこそすすめたい。
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チャヴ 弱者を敵視する社会
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オーウェン・ジョーンズ,Owen Jones
【本書への賛辞】

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙
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紹介していない本が山のようにあります。数日前にこの本を本棚の奥から引っ張り出し再読しました。いや〜面白かった。。とにかくこの本のことを忘れていた自分が信じられない。読んでない人に熱烈に勧めます。ハイ。
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英語の実際的研究 (1969年)
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高校生にとって、今でも一押しの不朽の名著。でもこの本をことを知っている英語教師は少ないと思います。是非復刊してほしいものです。
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スノーデン 日本への警告 (集英社新書)
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エドワード・スノーデン,青木 理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
2017年4月18日、朝日新聞がようやく「パノプティプコン」を取り上げました。遅すぎますね。
これから先の日本社会は、ますます荒廃が進み、国民の不満が頂点に達し、やがて爆発します。それを未然に防ぐために、国は国民の監視を強化します。
実際アメリカでは「愛国者法」により、電子メールや携帯の通話履歴が監視の対象になっています。誰が、いつ、どこで、何を読んで、誰と通信を交わしたか、すべて国に筒抜けです。
「パノプティプコン」とはフランスの哲学者フーコーが用いた概念ですが、国民が刑務所の囚人のように監視される体制を言います。監視者の姿は見えませんが、囚人は監視者不在でも、監視を意識することによって管理統制されるのです。これを「パノプティシズム」と言います。
このシステムから解放されるためには、権力がどう管理・統制しようとしているかを知らねばなりません。この本はそれを知るための第一歩です。あなたが無知のまま、奴隷の人生を送りたければ、読む必要はありません。
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A.ミラー
アリスミラーのこの本は、塾を始めるきっかけになりました。ただ生活のためだけなら、他のことをしていたでしょう。『才能ある子のドラマ』とあわせて、当時の私には衝撃的な本でした。人生はどこでどう転ぶかわかりません。人間の奥深さを知ることで、何とか自分を維持していたのです。この本を読むと当時のことが、ありありと思い出されます。ある意味で、私の人生を方向づけた本かもしれません。
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NHK「東海村臨界事故」取材班

2月18日のブログでも書きましたが、仕事のために読むビジネス書の類は、最終的には効率を重視し、最小の資本と労力の投下で、いかにして最大の利益を上げるかということに尽きていると思います。そのための働き方改革であり、そのための賃上げです。そのための人心掌握術であり、顧客対応です。ビジネス書を読めば読むほど、人間は軽薄になり、視野が狭くなっていきます。もしあなたがそれを自覚するきっかけがほしいなら、是非この本を読むことを勧めます。読書はビジネスのためにするのではないということが分かると思います。この本は私たちの日常の風景を一変させるだけのインパクトを持っています。いわば、ことばの最高の意味における「闖入者」なのです。
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瀬木 比呂志
この本はまだ発売されていません。自分で読んでいない本を推薦するのは邪道でしょう。しかし、これまでの『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説だということで、過去2冊の本の面白さからして、推薦に値する本だと思いました。『原発ホワイトアウト』の最高裁判所ヴァージョンだと思います。読んでからコメントを追加したいと思います。
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アモン・シェイ
学校なる場所に通っていた時、毎年夏になると課題図書を読んで、読書感想文を書かねばならないのが苦痛でした。課題図書の選定には学校と書店の密約があるに違いないと思っていたくらいです。

偶然巡り合った面白い本の感想を書くのならまだ我慢できたかもしれません。つくづく学校というところは、余計なことをしてくれると思ったものです。

あまりにめんどうくさいので、「あとがき」を参考に、あらすじを書いて提出したら、トリプルAをもらいました。

学校というところは、もしかしたら、人生の退屈に耐える訓練をする場所だったのかもしれません。この本を読んで、改めてそのことを確認しました。別に先生を責めているわけではありません。それほど自覚的に生きるということは難しいのだとため息をついているだけです。
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想田和弘監督の観察映画。音楽による演出は一切なく、徹頭徹尾監督の視点で撮られたドキュメンタリー映画。見終わった後、日本の選挙風土の貧困さが浮かび上がる。この国に民主主義はない、ということを改めて確認し、そこから出発するしかない。その勇気を持つ人には必見の映画です。合わせて『選挙2』もどうぞ。
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マックス ヴェーバー
ウェーバーの死の1年前、1919年、学生達に向けた講演の記録です。
一部抜粋します。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてく挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(P105〜106)

「さて、ここにおいでの諸君、10年後にもう一度この点について話し合おうではないか。残念ながら私はあれやこれやいろんな理由から、どうも悪い予感がしてならないのだが、10年後には反動の時代がとっくに始まっていて、諸君の多くの人が―正直に言って私もだが―期待していたことのまずほとんどは、まさか全部でもあるまいが、少なくとも外見上たいていのものは、実現されていないだろう。」(P103〜104)

10年後には、ワイマール体制は機能不全に陥り、1933年にはヒトラーが首相に就任します。

平和憲法は、日本人にとって310万人の命と引き換えに手に入れた唯一と言っていい理念であり、アイデンティティーでした。その唯一の誇りを、日本人は損得勘定で葬り去ろうとしています。言い古された言葉ですが、歴史は繰り返すのです。
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中沢 新一
小学校を卒業するころ、将来なりたい職業として思い描いていたのが、天文学者か生物学者でした。プロ野球選手は、自分のセンスでは無理だと悟りました。物ごころついたころから興味があったのは宇宙や昆虫や植物の世界でした。そんなわけで南方熊樟に出会うのは必然的な成り行きだったのです。人間は言葉によって世界を把握しますが、それ以外の把握の仕方があるはずだと、ずっと思ってきました。南方熊樟は、小林秀雄と同じく、直観による世界の把握の仕方を教えてくれました。この本は、言葉によって構成された世界秩序の外に出て、世界を改めて考えたい人に大いなるヒントをあたえてくれます。安倍政権によるゴキブリのフンのような、あまりにばかばかしい政治状況を見せつけられているので、精神の衛生学として一気に読みました。
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こどもの教育から裏金を使ったオリンピック誘致、原発再稼働、戦争準備から武器の売却、安倍政権の裏の権力としてメディアに絶大な影響力を行使する電通。私たちは電通が作り上げた「箱」の中でいいようにマインドコントロールされている。自分の意見だと思っていたものが、実はそう思わされていただけだということに気づかなければならない。音楽をはじめとする芸能情報、その中で踊らされるミュージシャンやタレント、果てはデザイン業界までを席巻する。今や電通の介在しないメディアはないと言ってもいい。利権あるところに電通あり、です。
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前作『日本はなぜ「基地」と「原発」止められないのか』に続く著者渾身の力作。自分の人生を生きたい人にすすめます。ただそれだけです。18歳で選挙権が与えらる高校生が政治を考える際の基本的なテキストになる日がくるといいですね。無理でしょうが。これ以上余計なコメントはしません。まず手に取ってみてください。
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メディアで取り上げられるよりはるか前から日本会議の存在について私は言及していました。電通と同じくタブー視するメディアには心底失望したものです。報道すればタブーはタブーでなくなるのです。何を恐れているのでしょうか。干されれば、何とか生活をする工面をすればよい。それだけのことです。
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磯崎新
帯に「祝祭都市にスタジアムはいらない」とあります。そもそも2020年まで天災と原発事故をやり過ごし、経済危機を乗り越えて存在しているでしょうか。極めて怪しいですね。偶然書店で手に取って読みました。彼の文章を読むと、建築は現世の権力に奉仕するものではなく、想像力の王国を作るものだと思わされます。建築にそれほど興味のない人でも、読めます。いや、いつのまにか引き込まれているでしょう。
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難関中高一貫校で学び、東大に合格しても、それはもはや知性のバロメーターではありません。この本に書かれていることが真実だと見破れることこそが本物の知性です。ニセの知性は既得権益を守るためにはどんな屁理屈でもひねり出します。おまえは何も知らないと言って他人を見下し、金と権力におもねるのです。ニセの知性は理想の灯を掲げることができません。「脳内お花畑」などという幼稚な言葉を使って揶揄するしかないのです。彼らの決まり文句は、他国が攻めてきたらどうするのかという、それこそ「脳内お花畑」的なものです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは、まさに至言です。
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烏賀陽弘道
私の元塾生の縁でお会いしたことのある烏賀陽弘道氏の渾身のレポート。事実を丹念に調べ上げ(これがジャーナリストの本来やることです)事実をして語らしめることのできる稀有なジャーナリスト。この本を読まずに福島第一原発の事故の本質に迫ることはできない。ダブル選挙の前に一人でも多くの国民が読むことを期待します。
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松岡正剛氏の本はどれも面白く、シリーズの千夜千冊を除けばほとんど読んでいます。『多読術』は、高校生にぜひ勧めたいと思います。高校時代に、この本を読んでおくと、さまざまな分野の知的見取り図を手に入れることができます。学校の授業だけではなく、この本を手掛かりにして知の荒野に歩みを進めてほしいと思います。
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カント
安倍首相は「この道しかない」と言って消費税を上げ、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をし、公約とは正反対のTPPを批准することで、日本の文化=アイデンティティーを破壊しようとしています。

もし私たちが生き延びたければ、そのヒントがこの本の中に書かれています。日本は超大国の「夢」を代弁するだけの国になってはなりません。
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山本 太郎
山本氏の国会での質問を、本になって改めて読み直して感じることは、文字通り「みんなが聞きたい」質問をしてくれたということです。安倍首相が小学生に「なぜ政治家になったのですか」と質問された時、「父親も祖父も政治家をしていたからです」と答えていました。小学生相手に、何と言う悲しい答えでしょうか。語るべき理想を持たない政治家など、所詮は官僚に利用されるだけです。それに対して、山本氏には語るべき理想がある。「政治なんてそんなものさ」というリアリストが発散する腐臭を吹き飛ばすさわやかさがある。それは、彼の身体には収まりきれない理想が持つ力そのものです。彼は言います。「力を貸してほしい。少なくとも、あなたが必要だと思われる社会、私が必要だと思われる社会を作っていきたい。そう思うんです」と。日本の総理大臣にふさわしいのはどちらでしょうか。
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ジョン・W・ダワー,ガバン・マコーマック
おそらく、日本人自身よりも海外の知識人のほうが、日本の問題を正確にとらえていると思わせる本です。読み終えて何気なくテレビを見たら、わが大分県選出の国会議員、岩屋毅氏と江藤晟一氏が、2016年ミスユニバース大分県代表を選ぶ催し物に出ていました。名誉顧問だそうです。いかがわしい宗教団体をバックに票を稼ぐだけでは飽き足らず、こんな大会に顔を出して名前を売ろうとする。大分市長の佐藤樹一郎氏も出席していました。このお三方は、こんなことをするために国会議員や市長になったのでしょうか。国民の税金を使ってやることといえば、テレビに出演してにやけた顔をさらすことでしょうか。もう物事の軽重が全く分かっていません。せめてこの本くらい読んではどうでしょうか。私はこの本に書かれていることの大部分に賛成です。
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出版されてすぐ読みました。国会で、読んでもいないのに、安倍首相が躍起になって否定した事実が書かれています。蓮池氏はあちこちから人格攻撃の対象とされてきましたが、自分にも落ち度があったと認めています。自分は総理大臣なのだから落ち度はないと居直る人間とは好対照です。この本を読んで、拉致問題について今一度国民が考えることを望みます。
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2年半ほど前に求めて、一気に読みました。マルクスの『資本論』の中に書かれていることを、著者が自分なりに消化し実践していく過程が書かれているので、一種のドキュメンタリー文学として読めます。きっと著者と同じ思いの若者は全国にたくさんいると思います。かけがえのない一回きりの人生を、充実して生きたいと思っている人に勇気を与える本です。
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今年度ノーベル文学賞受賞作品。チェルノブイリは言うまでもなく、フクシマでさえ人々は忘れたがっています。もう過去のことだと言い聞かせて。しかし、過去のことではなく、まぎれもない現在進行中の現実であり、私たちが生きている世界そのものです。この本を読んだ後、橋下徹が御堂筋をイルミネーションで照らし出し、F1カーに乗って写真を撮っているところを見ました。その時のセリフ。「大阪はここまでできる!」

もう何と言うか、別世界を生きている人間です。彼の発する言葉は文学とは無縁です。人間が言葉を持ったのは、言葉にしがたいものを言葉にしようとするためです。政治家が発する言葉の軽さと言ったらありません。それだけ現実も軽いものになったということでしょう。
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鈴木大拙の言わんとすることが、ようやくわかりかけてきました。年齢を重ね、日本文化の基底にあるものをじっくり味わうことで開示される世界があるのです。日々の生活に追われていては、この本を読み、味わう暇などないでしょうが、それだからこそ手に取ってみてはいかがでしょう。
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人間は、条件次第で、喜々として殺人を犯す。そして、その条件を整備しつつあるのが、安倍政権とその背後でうごめく『日本会議』である。このことに気づいていても、「配慮する」ことを最優先して報道しないメディア(特にNHK・読売新聞・産経新聞)。そしてそこに寄生する学者やコメンテーター、芸能人。このドキュメンタリー映画は、彼らの自画像である。たまには、自らの顔をじっくり眺めてみるがよい。
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私が長年考えてきた問題を解明するヒントになりました。ブログで書いたように、まず感情を基にした結論があって、それを正当化するために人は「知性」を動員するという、ごく当たり前のことが書かれている。つまり、知の粉飾決算報告書である。
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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし (JUGEMレビュー »)
中村 好文
中村さんの著作の中では、個人的に最も好きな本です。読んでいるだけで楽しくなります。限りなく優しい、でも、痛烈な文明批評です。これからの生き方のヒントが満載です。それを一人でも多くの人と分かち合いたいと思い、中村好文論・その3の中で引用させていただきました。
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暮らしを旅する
暮らしを旅する (JUGEMレビュー »)
中村 好文
以下は私がアマゾンのレビューに投稿したものです。再録します。
「もし人に幸福な生き方があるとしたら、中村好文さんのような生き方だろうと、ずっと思ってきました。
建築雑誌をパラパラとめくりながら、ふむ、と思って手が止まると、そこには必ずと言っていいほど中村さんの設計した住宅がありました。
文は人なりと言いますが、その人の書く文章のエッセンスがこれほど見事に建築にも表現されている例はめったにありません。
建築に限らず、食の分野でも、ことばと実物の乖離がはなはだしい時代に、中村さんの設計した住宅や美術館に出会うと、どこか安心するのですね。
そういうわけで、著者の本はすべて読ませてもらっています。
この本も偶然、年末に本屋さんで手に入れ、装丁やカバーの手触りを楽しみながら読んでいます。
読みながらいつの間にかほのぼのとしている自分を発見します。
一日に一編か二編を過去の記憶をたどるようにして読んでいます。
この本の平明さ、やさしさがどこから来るのか。そんなことを分析するのは野暮というものです。
とにかくこの素敵な小さな本は、旅のお供にどうぞ!とすすめたくなります。」
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英語のコミュニケーションで忘れてはならないこと。
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    「前置詞+関係代名詞」の解説をしなければならないのですが、その前に少しだけ触れておきたいことがあります。「前置詞+関係代名詞」の問題を解くことよりも、もっと本質的で重要なことです。

     

    さっそく始めましょう。

     

    「先日図書館から借りた本を読んでいた」を英訳するとしたら、以下の二つの英文のどちらがよりふさわしいでしょうか。その理由も考えてみて下さい。

     

    1:I was reading a book I borrowed from the library the other day.

     

    2:I was reading the book I borrowed from the library the other day.

     

     

    9月7日のブログにも書きましたが、最もよくある間違った説明は以下のようなものです。

     

    説明その1:「関係代名詞節 I borrowed from the library the other day. で限定されているのだから、a bookではなくて、 the bookでなければならない。」

     

     

    説明その2:「初めて使う名詞 bookには a をつける。次に使う名詞には the をつける。この英文の場合 book the をつけてもいいけど、a の方が普通だから、a にしよう」

     

     

    う〜ん、こんな説明を真に受けているとしたら、あなたは英語学習の第一歩からつまずいています。念のためにネイティブスピーカーに聞いてみるといいでしょう。間違いなく笑われるか、無視されるでしょうね。それどころか、あなたの知性を疑われます。でもこの2つの文の違いを説明するのはネイティブスピーカーでも難しいと思います。あまりに当然のことで、ふだん意識にも上っていないことですから。

     

     

    しかし、この点こそが英語ということばの本質であり、コミュニケーションに欠かせない点なのです。この際、上の2つの説明はただちに頭の中から delete(削除)してください。

     

     

    答えを言いましょう。2つの英文は文法的にはどちらも正しいのです。説明その1は間違いです。もちろん、説明その2も論外です。2つの英文のうち、どちらがふさわしいかは、相手に伝えようとしている情報や状況によって異なります。これが答えです。

     

     

    「え〜、それが答えですか。何か割り切れないな〜」とぶつぶつ言っているそこの君。ことばはコミュニケーションのためにあります。受験に合格するためのものではありませんよ。受験のために「割り切る」学習はもはや完全に時代遅れです。業者によって要領よくパッケージングされた知識をインプットするだけの「割り切る」学習は、社会では役に立ちません。これからは何の分野であれ、本物だけが生き残っていくのです。どうです、やりがいがあるでしょう?その過程でニセモノが大量発生するでしょうが。

     

     

    説明を続けます。まず、a the は名詞につける飾りではありません。話の中で指しているもの(この場合は本)の個体情報を相手に伝えて、コミュニケーションを円滑に進めるためのキーとなることばです。

     

     

    大切なところなので繰り返します。今、話し手は本について言おうとしています。しかし、本は世の中にたくさんありますね。でも世の中にたくさんある本のうち、自分の言っている本と、相手が頭の中で思い描いている本が一致するかどうかが、コミュニケーションがうまくいく重要なキーとなるのです。あたりまえですね。

     

     

    「けさ、リンゴを食べたよ」というときのリンゴは、「どのリンゴ」か、相手にわかるわけがありませんし、わかる必要もありませんね。これでコミュニケーションは成り立っています。つまり、相手が頭の中で思い描くリンゴが、話し手の言っているリンゴと一致しない、あるいは一致する必要はないのです。このことを、英語では a(an) を使ってあらわします。

     

     

    「リンゴ、ありがとう。とても美味しかったよ」というときのリンゴは、常識的に考えて、話し手が相手からもらったリンゴを指しています。だから、相手にもそのリンゴを思い浮かべてほしいですね。相手が全然違うリンゴを思い浮かべたら、話がずれておかしくなってしまいます。この場合、相手の思い描くリンゴが話し手の言っているリンゴと一致していないと困ります。この必要に応えるために、英語では the を使います。

     

     

    英語では話の中でものを指すたびに、この2つの場合のどちらなのかという情報を相手に伝えることになっています。日本人のように、何の話をしているのかわかっているよ、ということを伝えるために、しきりにうなずいたり、あいづちを打ったりする必要はないのです。英語のネイティブスピーカーと話すとき、うなずき過ぎたり、相手があいづちを打ってくれるのを待ったりしていると誤解を与えるおそれがあります。ここまで説明すればもうおわかりでしょう。

     

     

    「先日図書館から借りた本を読んでいた」を英語で表現するときには、まず、図書館から借りた本のことを相手が知っているかどうかを考えます。知らなければ、「あなたが想像している本は、私が言っている本と一致していなくても、どれでもいいよ」という情報を、a を使って

     

    a book I borrowed from the library the other day.

     

    という形で伝えます。

     

     

    一方、いっしょに図書館に行くなどして、相手が借りた本のことを知っていれば、その本を想像してほしいので、「ほら、あの本のことだよ。どの本のことかわかるよね」という情報を、the を使って、

     

    the book I borrowed from the library the other day.

     

    という形で伝えます。

     

    つまり、a book の後に続くI borrowed from the library the other day. という関係詞節は、必要ではなく、「言ってあげた方が親切な」情報だということになります。それに対して、the book の後に続く関係詞節は the が要求する「必要的な」情報なのです。

     

     

    次回は初歩の初歩に戻って、この点をもう少し詳しく説明します。いずれにせよ、以上説明したことがわかっていなければ、英語の初歩でつまずいていることになります。決して大げさではありません。次回の説明を読めば、おわかり頂けると思います。

    | 英語教育 | 13:03 | comments(0) | - |
    Our days are numbered.  小田実「遺す言葉」
    0

      小田実氏ほど毀誉褒貶のある人物はいないと思います。挙げ足を取ろうと構えて彼の発言や著作を見ると、矛盾しているところや、時代によって発言内容が変わるところがあります。確かに、イデオロギーに凝り固まった政治的な党派や専門家からは挙げ足を取られやすい要素を持っていました。

       

       

      しかし、彼にはそんなことを気にしない、強靭な「素人の論理」がありました。論理的整合性に異常にこだわったり、専門的知識をひけらかしたりして自己保身に走る人間にはない、素朴な疑問に答えを出そうと、どこまでも考える情熱と自由と持続性をもっていたのです。

       

       

      彼はいわゆる左翼からも、そして現在でもネトウヨから罵詈雑言をあびせられています。それだけ彼の思想には、権力にあぐらをかくタイプの人間から見ると、都合の悪い、できれば隠しておきたい内容が含まれているのでしょう。

       

       

      来年で没後10年になります。彼の遺したことばを、今改めてかみしめる必要があると思います。そんな必要も価値もないと考える人は、是非、以下の動画をご覧ください。彼が本当に言いたかったことは何か、彼は誰の立場に立って発言していたか、それがよくわかります。

       

      http://v.youku.com/v_show/

      id_XNDA0MTYxNzA0.html?beta

       

       

       

       

      1995年1月17日午前5時46分、大阪大空襲の火炎の中を逃げまわっていた少年は、再び悪夢に襲われます。阪神淡路地方を大震災が襲います。そのとき彼は西宮にあるマンションの5階に住んでいました。その日は東京に出掛ける予定があって、めずらしく早朝に目が覚めます。外はまだ真っ暗です。

       

       

      その直後、激しい上下動があり、ガラスの砕ける不気味な音とともに大地の深いところで眠っていたものが目を覚ましたのです。15秒くらいでした。必死で妻と娘の名を呼びますが、一歩も動けません。その時彼の脳裏には空襲の記憶が蘇ります。大きな書棚はすべて倒れ、書物も唐三彩の人形も朝鮮の壷もところかまわず放り出されました。


       

      こうして彼はその一カ月後から、『被災の思想・難死の思想』を書き始めます。この本は「被災」からその国のすべての問題が噴き出していく様を綴ったものです。それを読むと愕然とします。1995年の1・17から2011年の3・11までの16年間、私たちは一体何を学んだのかと。一部を要約して引用します。

       

       

      ○怒りが私の体内で噴き上がっている。何が「大国」なのか、何が「先進国」なのかと思うだけではない。何が「共生」か、何が「人にやさしい政治」か、なのだ。これはまさに「共犯」である。

       

       

      ○被災者は避難所に入ってから生活基盤を失っていくのだということが、よくよくわかった。かれらは被災して住宅を失ったのではなく、生活を失ったのだ。

       

       

      ○これは「棄民政治」なのである。ていよく避難をさせて、住民を棄民させる政治なのである。

       

       

      ○大震災では誰かを加害者にしたがるが、それは大震災以前から決まっていたことなのである。

       

       

      ○復興委員会の堺屋太一の次の発言には呆れてものが言えない。「復興は花より団子になりがちだが、団子より花が大事。団子は食べたら終わりだが、花は実を結ぶ」。

       

       

      ○行政は「復興」を叫び、新聞もそうした文字を大きく出すが、生き残った街は廃墟の中にうずくまっている。

       

       

      ○テレビが次々に呼ぶ地震学者や都市工学屋たちは、多くが“戦犯”的学者たちだ。私は片桐ユズルが書いた「専門家は保守的だ」という詩が大好きなのだが、今度わかったことは「専門家は嘘つきだ」ということだった。

       

       

      ○日本は一方で経済大国をめざし、他方で原子力発電を率先してきた。しかし1995年12月8日夕方に、この二つの進行のあいだにある矛盾が露呈した。福井県敦賀の高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏出事故がおこったのだ。

       

       

      ○経済と科学技術はもはや結託している。しかもどちらも自信過剰になっている。はたして技術立国はこのまま続行できるのか。

       

       

      彼は2007年に、「はたして技術立国はこのまま続行できるのか」という問いを抱いたまま没します。それから4年後、2011年の3・11に答えは出ました。本質的な問いを発することのできない人間には、何が答えであるか理解することすらできません。

       

       

      英語に one’s days are numbered.といういい方があります。政治権力であれ個人の命であれ、その命脈が尽きる日がやってくる。その最後の段階に入っているという意味です。想像力のある人間には、Our days are numbered. のリアリティーが感じられるはずです。

       

      | この人を見よ! | 14:10 | comments(0) | - |
      なつかしくて、うれしい便り
      0

        学生のころ私は奈良県生駒(いこま)市に住んでいました。結婚してからも、父が病に倒れ、生駒を引き払って大分に帰るまで、数年を過ごしたなつかしい土地です。ベッドタウンとして徐々に開発されていましたが、まだあちこちに田畑が残っていて、お百姓さんの姿も見ることができました。生駒山からなだらかに続く山裾には豊かな自然があり、住むには格好の場所でした。

         

        その当時、妻は開店したばかりのジャスコにパートタイムで勤めていましたが、日曜日の夕刻、迎えに行くと、店内では決まってピンクレディーの曲が流れていました。彼女たちの全盛期だったのです。

         

         

        そのころ、私は生活費の足しにするために家庭教師のアルバイトをしていました。バイト先の松美台まではバスで通いました。バスの一番前の席に座って車窓の風景を楽しみながら、時々運転手さんと話をして道中を楽しみました。松美台に着くとそこからは徒歩です。高台の一番奥に住んでいた中学生のE子さんと、小学生の妹T子さんが生徒でした。今から思うと、教える技術もなく、何を教えていたのか、恥ずかしくなります。でも二人のことははっきり覚えています。時々生駒時代のことを思い出しては、妻となつかしく語り合います。

         

         

        昨日は私の誕生日で、娘たち夫婦と孫たちがやってきて、盛大なパーティーをしてくれました。バーベキューをしたり、栗の収穫をしたりと、楽しい一日を過ごしました。

         

         

        夜、パソコンに向かってメールをチェックすると、驚いたことに、生駒時代、家庭教師をしていたT子さんからメールが届いていました。当時小学校の6年生だったと思います。姓が変わっていても、名前を見てすぐに分かりました。三十数年が経っています。妻に話すと「えーっ」と感激していました。

         

         

        さっそく返事を書いたのですが、メールが届きません。何度か送信したのですがやはりダメでした。そこで、ブログを借りて返事を書くことにしました。無断で私信を公開することをお許しください。

         

         

        まずT子さんのメールから。

         

         

        ― 懐かしいです。相変わらずのご活躍嬉しく思います。

        私は小、中学校時代先生に家庭教師をして頂いていました。そうそう、当時先生はアグネスラムちゃんがかわいいと仰っていましたね。

         

        さて、私は今、大阪府で特別支援教育の教員をしております。小学部で授業をしたり、地域の小、中学校の先生方に特別支援教育についてお伝えしたりするのが仕事です。

         

        人生山あり谷ありで、ここまできましたが、子どもが高校3年で不登校になりました。いや、それ以前から、少しずつブレーキがかかっていたようですが。

         

        進学校で国公立大学受験コースにいました。成績は悪くなかったのですが、動けなくなってしまいました。と言っても、家では元気です。ひょろひょろですが、家ではご機嫌で、お姉ちゃんたちと、音楽、漫画にふけってます。

         

        たまたま、先生のブログを拝見し、相変わらずの筋を通した指導に心和ませて拝見させていただきました。

        母と姉とは、ある件で、少し大笑いしてしまいましたが。

        先生のご活躍お祈りしております。ではまた。

         

         

        以下は私の返信。

         

        T子さん!

         

        まさか三十数年たって、当時小学生だったT子さんからメールをもらうとは思いもしませんでした。

        ほんとうになつかしいね。

        T子さんのことはよく覚えています。

        お茶目で可愛かったもの。

         

        松美台までよく通いました。

        生駒がなつかしくなり、2年ほど前、妻と京都旅行の途中で立ち寄りました。

        松美台の前の道を通り生駒駅へと向かいました。

        その間ずっと、ここは一体どこだろうとびっくりし通しでした。

        昔の生駒の面影はなく、あまりの変わりように、浦島太郎になったような気分でした。

        全国でも、これほど劇的に変わった街はないかもしれませんね。

         

        生駒警察署の裏にあった、新婚時代に住んでいたぼろアパートはもはや住む人もなく、取り壊し寸前でした。

        流れた時間を改めて思い、死んだ子の年を数えるような気持ちになりました。

        なんといっても、貧しいながらも僕たち夫婦の出発点でしたからね。

        妻と写真を撮り、なんだか呆然としながら、その場所を後にしました。

         

        時代は流れ、世の中はどんどん変わりますね。

        T子さんは僕の記憶の中でずっとあのころのままです。そこで時間は止まっています。

        止まった時間がまた再び流れだすようなことがあるでしょうか。

        大分へ来るようなことがあったら、ぜひ声をかけて下さい。お会いしたいですね。

         

        僕は塾の教師が性にあっています。

        T子さんもいろいろと大変だと思いますが、頑張って下さいね。

        思い出してくれてありがとう。

        お姉さんのE子さん、お母さんをはじめ、皆様によろしくお伝えください。

         

        追伸:今はアグネスラムではなくて、忽那汐里のファンですピース。 なんちゃって。

         

        | 人生 | 12:07 | comments(0) | - |
        中村哲氏に国民栄誉賞を!
        0

          今回のタイトルはもちろん皮肉です。現政権には中村哲氏に国民栄誉賞を与えるだけの見識も器量もありません。もちろん、中村氏はそんなことは夢にも考えていないでしょう。なぜなら、ジャーナリストの後藤健二氏を見殺しにし、それを利用して安保法案を成立させた安倍政権こそが、中村氏の命を危険にさらし、活動を妨害しているのですから。

           

           

           

          私は『医者井戸を掘る−アフガン旱魃との闘い』を読んだだけですが、彼こそ歌われざる英雄(unsung hero)だと思ってきました。オリンピックで日本選手が金メダルを取っても、選手の個人的な出来事だとしか感じられないのに、中村氏の活躍は同じ日本人だということを誇らしく感じさせてくれました。

           

           

          安全地帯にいる、たかが塾教師ごときが、中村氏のことを云々するのも気がひけますが、沈黙にも限度というものがあります。彼の発言と行動は、安倍政権にとって、のどに刺さったとげのようなもので、期せずして現政権への強烈かつ本質的なアンチテーゼとなっています。

           

           

          そんなことを考えている折、9月10日(土) NHKのETV特集『武器ではなく 命の水を〜医師・中村哲とアフガニスタン〜』が中村氏を取り上げていました。彼の苦闘の一部が紹介されているだけでしたが、それでも見るに値する番組でした。その番組では取り上げられていなかった点を補いながら紹介したいと思います。

           

           

           

          中村哲氏は国際医療NGOの医師として1984年、パキスタンのペシャワールにハンセン病の治療のために派遣されます。そこにアフガニスタンから次々と難民がやってきます。これがアフガニスタンとの出会いです。当時はソ連が駐留し内戦が激化していました。以来、30年以上にわたって、中村氏は、なぜ1600本もの井戸を掘り、26キロにもおよぶ用水路を拓くに至ったのか。 その動機は何だったのでしょうか。

           

           

          当初、彼は医師として、ろくな医療施設も器具もなく、スタッフもいないなかで、着実にハンセン病患者治療の成果をあげていました。そんな中で、おもしろいエピソードがあります。なんと病棟に「靴屋」を作るのです。腕のいい靴職人を引き抜いてきて、現地の技術でサンダルをつくって配布したら、足の切断手術が激減したのです。これは、援助物資として先進国から靴を送ってもらっても、すぐに売ってしまう人々を見ていて打った手でした。

           

           

          この一事のなかに、彼の人となりがあらわれています。目的(ハンセン病患者を減らす)のためなら「医者の領分」などというものを軽々とこえる人、現実に即し現実的な手を打てる、いわば実務型の人なのです。

           

           

          2000年、ソ連撤退後も内戦状態が続くアフガニスタンを大旱魃が襲います。ハンセン病患者以外の診療にも活動を広げていた彼のもとに、死にかけた幼児を抱いた若い母親たちがつめかけてくるようになります。外来で列をなして待つ間にわが子が胸の中で亡くなっていく惨状を前に彼は「もう病気治療どころではない」と決意するのです。


          まずは飲料水確保のための「井戸掘り事業」を開始。「ペシャワール会」の資金・人的援助のもと、わずか数ヶ月で274ヵ所もの井戸を復活させ人々を救います。この活動は、アメリカによる「アフガン報復爆撃」の間も続けられ、2006年までに1600ヶ所に達し、多くの村々を救ったのです。

           


          さらに彼は、旱魃で砂漠化していく農地を回復させなければ、人々がこの地で生きていくことはできないと考え、大用水路を引き、砂漠に農業をよみがえらせるたたかいに着手します。

           

           

          全長26キロに及ぶ難工事。これを、土木技術に関してはまったくの素人の医者が、独学で成し遂げてしまうのです。彼の活動を支援するための基金が日本から寄せられ、日本の若者が参加し、多くのアフガニスタンの役人、実業家、技術者、労働者が力の限りを尽くして用水路を完成させていきます。

           

           

          数々の苦難を乗り越え用水路に水が流れ始めると、奇跡のような光景が現れます。乾いた大地が広大な緑の農地へと蘇り、人々の穏やかな暮らしが戻り始めます。武器や鉄砲ではなく、水が平和を取り戻したのです。番組の最後で、彼の口から地元の人々のすばらしさ、縁あって協力者となってくれた人々への感謝がくりかえし語られます。

           


          中村哲氏は国民栄誉賞とは無縁の人です。彼の未完の精神がそれを拒否しているのです。彼の活動には終わりがありません。しかし、その生き方は、日本のあるべき姿を映し出し、心ある若者に生き方のヒントを提供しているように思えます。

           

          | この人を見よ! | 21:56 | comments(0) | - |
          「一人でもやる、一人でもやめる」という自由
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            私は9月10日のブログ

             

            『自衛隊員とその家族の皆さんへ

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=228

             

            のなかで、安倍政権下で自衛隊員が命の危険にさらされていると述べました。そして、それは安倍政権の意図であることを指摘しました。そもそも、憲法9条の下で、なぜ自衛隊がアフリカまで出かけて行って「駆け付け警護」の任務を負う必要があるのか、自衛隊員は服務の宣誓をやり直すべきだと述べました。

             

             

            9月18日、ジャパンタイムズは「南スーダンの治安筋が、同国の国連キャンプに駐留している日本の自衛隊数名が、武装勢力の狙撃兵からの銃撃を受けたと発表した」との記事を掲載しました。http://parstoday.com/ja/news/japan-i16846

            大手メディアはこの事実を黙殺しています。

             

             

            9月19日の「報道ステーション」は、『駆け付け警護自衛隊員の本音』http://dai.ly/x4tu3vbと題する特集を組みました。報道ステーションにはまだ優秀なスタッフが残っているようです。その中で、自衛隊員が吐露した本音は私がブログで述べたことと一致しています。

             

             

            それよりも、その番組の中で愕然とする場面がありました。それは南スーダンに行って駆け付け警護の任務を受ける意思があるかどうかを、上官が隊員に尋ねる方法に関するものです。

             

             

            現役自衛官の訴えによると3択アンケートが配られたそうです。

             

            南スーダンへの派遣を

            1:熱望する

            2:命令とあらば行く

            3:行かない

            という、驚くほど簡単なものでした。

             

            3を選んだら上官に呼ばれ、何故かと言われてしかたなく2にした。先輩の自衛官は3を選び派遣を固辞したため、僻地に転属させられた。 士気が高いのではなく、仕方なく選択した、というものでした。

             

             

            これは戦争末期、特攻隊を募ったときとまったく同じです。私はこのことを1年以上前にブログで指摘しました。

             

            明仁天皇、最後のメッセージ』

            http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=29

             

            それは矢部宏治氏の『戦争をしない国』から引用したものです。

             

            ― 戦争末期、海軍予備学生として旅順にいた私の父(矢部文治/当時19歳)は、1945年6月の出来事をこう書き残しています。


            「沖縄の戦局は日に日に劣勢で、6月になるとついに全島が制圧されたことを知った。そんなある日、一枚の紙がさりげなく全員に配られた。
            〈 あなたは特別攻撃隊が編成されたとき、これに志願することを、
            1、熱望する
            2、希望する
            3、希望しない
            以上いずれかに○をつけよ 〉


            アンケートはすぐに回収された。当時の情勢、雰囲気からいって、(3)はありえなかった。私もやむなく(2)に○をつけたが、この○の意味は大きい。いわゆる特攻隊志願とは、おおむねこういう形のものだったと思う」(『本・三代』私家版)
             

            戦争に関する庶民の手記が教えてくれるのは、旧日本軍の指導者は「天皇」の名の下に、驚くほど簡単に国民の命を奪うことができたという事実です。「一億玉砕」という国民全員を殺害するような「戦法」を、軍の「戦争指導班」が公的文書の中に表記していた過去を持つ日本。それは純粋な自衛以外の戦争など、絶対にやってはいけない国なのです。

            (引用終わり)

             

             

            かりに国民が、これは自衛隊の話であって、自分の命が危険にさらされるわけではない。だから自分とは関係ないと考えて思考を放棄すれば、いつのまにか政権幹部や自衛隊トップの考え方に同化していることになります。沖縄の問題は自分たちの問題ではないと考えて基地負担を沖縄に押し付けているのと同じです。

             

             

            なるほど、彼らは命を危険にさらすことはありません。机上で戦略を練り、ただ命令するだけです。しかもその戦略たるや、アメリカの一部の層の利益を守るためのものです。かくして犠牲になるのは常に末端の兵士であり国民です。ドローンによる空爆やロボットや人工知能を駆使する戦争になっても、この事情は変わりません。

             

             

            国会で安保法案を可決する前に、自衛隊のトップがアメリカまで行ってすでに安保法案の成立を約束していました。国民よりも自分の立場を優先するご都合主義の典型です。これを奴隷根性丸出しというのです。今や自衛隊の幹部はアメリカの忠実な奴隷と化しています。

             

             

            現在の安倍政権や自衛隊の幹部にはプライドというものがありません。しかし、日本にはまともな政治家もいました。知識人もいました。疑う人は以下の動画をご覧ください。「殺すな!」という人間の原点を踏み外さずに考え続けた小田実氏もさることながら、後藤田正晴氏は自民党の政治家だったのです。

             

            ちなみに、小田実氏の発言は1999年のもの。後藤田氏の発言は2000年、2003年のものです。今から16〜7年前の発言です。「国際情勢の変化とか言って、政府は国民に説明のつかんことをしていようとしている」との後藤田氏の発言を安倍政権の閣僚たちはどう聞くでしょうか。おそらく昔の政治家のたわごとだと思うでしょうね。天皇の発言すら無視するのですから。それほど今の政治家たちは動物化しているということです。

             

             

            | 政治 | 13:50 | comments(0) | - |
            「純愛」主義が国を滅ぼす− 最終章
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              夫婦の間で最も重要なものは「愛」であると考えるのが「純愛」主義です。私はおよそ「主義」というものを信用していません。なぜならそれは現実のありようや人間のありのままの姿から思想を練り上げることをせず、観念の自己増殖をもたらすからです。

               

               

              観念の自己増殖などという小難しいことばを使うのが私の悪い癖ですね。わかりやすく言いましょう。「主義」は、もともとそうあるべきだという手前勝手な理想を積み重ね、生活の実態や、ありのままの相手を見えなくさせるという欠点を持っています。

               

               

              この理想のフィルターだけを通して現実を見ると、現実がただただくだらない、少しもこころをわくわくさせてくれないものに思えてきます。そして、現実そのものの中にひそんでいる特有の意味や価値を見失いがちになります。実は人は、けっこうその意味や価値の中をわれ知らず生きているにもかかわらずです。

               

               

              夫婦の関係を単なる「愛」の関係だと考えてしまうと、愛と呼ぶには恥ずかしくて気が引けるような日常的な信頼感や思いやり、無意識的な気がかり、好きでもないのに執着してしまう心などをマイナスの感覚でとらえるようになります。そして理想と現実のあまりの落差に絶望するという、お決まりのコースをたどることになります。

               

               

              つまり本来「愛」の関係であるべきだと思っていた夫婦関係が、自分の場合はそうではなかったという現実に日々直面させられます。そして、これはおかしい、この人を選んだ自分が間違っていたか、結婚という制度そのものに無理があるかどちらかだ、という判断にたやすくたどり着いてしまいます。愛があったのは始めのうちだけで、あとはそれがひたすら擦り減っていく過程以外の何ものでもないというイメージによって自分の生活を意識的に色づけてしまうのです。

               

               

              しかし、それが意識的である以上、心の持ち方しだいでそうならないように工夫する余地はあるはずです。すでに倦怠に陥っている場合でも、そこから関係の質を変えていくことは不可能ではないと思います。

               

               

              私自身、大ゲンカして妻が出て行ったとき、「あいつのことなんか、もう二度とかまってやるものか」と、その時は思うのですが、なかなか帰って来ない妻が気になり始めます。この感じは、相手を愛しているかいないかというような事とは少し違います。

               

               

              そういった言い方ではとらえきれない、いわば、引き返せない一種の「深み」にはまってしまった状態と言った方がいいのです。それは生活を共にしていない他人とは置き換えることのできない性質のものです。相手を、その弱さも含めて知りつくしてしまうと、単なる好き嫌いのレベルではない、一種の「なじみ」や「気がかり」の状態が、ほとんど身体的・生理的なところに根付いてしまっているのがわかります。

               

               

              私にとって夫婦関係は終わりのない調整であり妥協でした。そして、それは自分なりに自己というものを了解し、それに基づいて自分を組み直していく営みでした。ある固定的な人格がまずあって、それを誤解したり正解したりするということではなく、他人が自分を理解するその仕方をどこまで自分の生き方に繰り込んでいけるか、という精神のありようこそがまさに自分なのだと気づいたのです。

               

               

              察しの良い方は、なぜここまで夫婦の関係をグダグダ書いているのかお分かりだと思います。そうです。夫婦と国家間の関係は似ているのです。ここまで書いてきたことを国家の関係にあてはめて下さい。国家間といえども、「心の持ち方しだいで関係の質を変えていくことは不可能ではない」のです。要は日本という国がどのようにして自己了解していくかという「終わりのない調整と妥協」の問題なのです。

               

               

              しかるに、日本会議に所属し、神道政治連盟国会議員懇談会の事務局長である稲田防衛大臣は、狭量な国家観を持ち、自分たちにとって都合のいい歴史を捏造しようとしています。それは、日本会議代表委員の加瀬英明氏が「天皇とは何なのかを、今の天皇は全然理解していない」と述べていることでわかります。

               

               

              自分と天皇では天皇観が違うと思った時、正しいのは自分で間違っているのは天皇の方だ、などと普通は言いません。日本会議は天皇を見下すことのできる集団だと思っているのです。

               

               

              だから、天皇その人の政治的信念や人間性には一片の関心も持ちません。彼らが服従しているのは純粋観念と化した「みずからの内なる天皇」であって、現実の天皇ではありません。「内なる天皇」を戴く者は、日本社会のみならず、隣国をも含んだ世界秩序の頂点に立つと考えるのです。これが倒錯でなくてなんでしょう。観念の自己増殖ということばを使ったのは、このことが念頭にあったからです。

               

               

              ソ連が自国民を虐殺し、思想表現の自由を奪ってその結果崩壊したとき、悪いのはソ連であって共産主義ではない、と言っていた知識人がいましたが、同じ穴のむじなではありませんか。

               

               

              自分の妻に、「純愛」を求め、妻や母としてのあるべき姿を押し付け、理想的な家庭を作る責任を押し付け、あげくの果てに「みずからの内なる天皇」をでっち上げることは、自分の卑小さを隠蔽する単なる弱虫のすることです。彼らこそは「純愛」主義者なのです。「純愛」主義者は幼稚な認識を共有して、この国を再び破滅へと導く、知性なき集団です。

               

               

              そのトップに立っているのが安倍晋三氏であり、稲田朋美防衛大臣なのです。安倍氏の言う「美しい国」とは、「純愛」によって固定化されたイメージに自分を縛りつけ、他国との「終わりのない調整と妥協」の可能性に対して、かたくなに耳を閉ざすことによってかろうじて維持されています。

               

               

              それは悪しきロマンチシズムにもとづいているため、相手国との関係を本当に大切にしようとする感覚は育ちません。こんな政治家や集団にこの国の命運を託すわけには行きません。いいかげんに国民は目覚めるべきです。

               

              57歳になる稲田朋美防衛大臣、何か勘違いしていませんか?いや、勘違いしているのはこんな人を防衛大臣に任命した安倍首相の方でしょうね。

               

              | 政治 | 00:24 | comments(0) | - |
              「純愛」主義が国を滅ぼす - その2
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                前回のブログに、「純愛」主義が国を滅ぼす、というタイトルをつけたのは、稲田朋美防衛大臣の「気味悪さ」を考えていて思いついたものです。もちろんそれは安倍政権の閣僚とそれを支える「日本会議」の面々にも当てはまります。

                 

                稲田氏は能力的にも体力的にも、さらには政治家としての適格性の点においても失格ですね。そんな人間が「防衛大臣」を務めているのです。それぞれについて考えてみます。

                 

                まず能力の面。

                 

                沖縄・高江の自衛隊ヘリ使用問題で自衛隊機を使ったことは自衛隊法6章に違反ではないかと記者に問われても分からず、側近の助けを借りても返答できませんでした。さっそくネトウヨの皆さんが、弁護士でも自衛隊法や国防関係の法律は知らなくても仕方ないだろうと妙な援護射撃をしていましたが、稲田氏は防衛大臣なのです。一介の弁護士とはわけが違います。当然、自衛隊のヘリで重機や建築資材を運ぶ根拠規定を確認していなければなりません。それをせずに命令を出すことは法の支配をないがしろにするものです。日本は一応法治国家です。

                 

                次に体力面。

                 

                ブログで何度も指摘した南スーダンの訪問を中止したそうです。毎日新聞(2016年9月15日)。

                http://mainichi.jp/articles/20160916/k00/00m/030/036000c

                 

                訪問のため服用したマラリア予防薬の副作用でアレルギー症状が出たとのことです。現地の自衛隊の皆さんは、この知らせを聞いてさぞかし士気が上がったことでしょう。

                 

                しかし、これが中止の本当の理由ではないと思います。政治家としての自分の足元に火がついたので、火消しに躍起となっていて日本を留守にすることができなかったというのが真相ではないでしょうか。

                 

                第三に政治家としての適格性の問題。

                 

                まず、富山市議顔負けの白紙領収書による公金詐取問題があります。マスメディアやワイドショーでは富山市議会の腐敗ぶりを大々的に報じますが、稲田防衛相のこの問題にはどういうわけか全く触れません。甘利氏の斡旋利得罪ど真ん中の問題を報じないのと同じです。

                 

                 

                この件に関してはリテラの次の記事をお読みください。

                http://lite-ra.com/2016/09/post-2560.html

                 

                 

                次に、毎日新聞の9月16日の記事によると、8月の内閣改造に伴う新任閣僚らの資産公開で、稲田朋美防衛相(衆院福井1区)が、夫名義(夫は弁護士です)で防衛装備品を受注する重工大手3社の株を持っていることが判明。内訳は、▽三菱重工業3000株▽川崎重工業6000株▽IHI8000株。

                 

                稲田氏が行政改革担当相を退いた14年9月時点の資産公開で3社の株はなく、それ以降に購入したとみられる。政府は同年4月に新たな防衛装備移転三原則を設け、それまで禁じていた武器輸出を事実上解禁した。稲田氏の事務所は取材に、防衛省トップが夫名義で防衛産業株を保有する是非について「答えられない」、購入の経緯は「配偶者のことなので承知せず、すぐには確認できない」と回答した。

                 

                http://mainichi.jp/articles/20160917/k00/00m/010/106000c

                 

                 

                軍需産業の株主の妻が防衛大臣。軍需産業が兵器受注でもうかれば、大臣一家が利益を得る。軍事的な緊張が高まることは一家にとって望ましい。「妻名義」「夫名義」等のこどもだましで、職務内容と自己利益が連結する人間が大臣の地位に座り続ける。

                 

                 

                この状況は「利益相反(conflict of interest)」として、欧米では大臣辞任の大問題になるところです。でも日本ではそうはなりません。安倍政権の本質が、発展途上国や腐敗国家・独裁国家のそれと変わらないからです。

                 

                 

                つまり、自分を支持してくれる人間は権力にものを言わせて守り、重用する。しかしそのグループには入らず、外から批判する者には容赦しない。安倍首相といい稲田防衛大臣といい、国家を食い物にして自己利益の最大化をはかる人間を「保守」とは呼びません。

                 

                 

                最後に「防衛大臣」としての適格性についてです。これは稲田氏の「気味悪さ」について論じることになります。それはとりもなおさず、57歳の「純愛」主義者が政治家になり、国防の責任者になっていることの危険性に言及することになります。長くなるので、次回のブログに譲ります。

                | 政治 | 17:54 | comments(0) | - |
                「純愛」主義が国を滅ぼす−チェーホフを読む
                0

                  私は大学時代ロシア語とロシア文学を学びました。いや、かじったと言った方がいいですね。ロシア語はついにモノにできませんでしたが、ロシア文学は私にとって汲めども尽きぬ泉のような存在です。

                   

                  ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーゴリ、プーシキン・・・。挙げればきりがありません。特に若いころはドストエフスキーとトルストイに圧倒的な影響を受けました。年をとるにつれて、チェーホフの面白さがわかるようになりました。彼は短編の名手ですが、日本では『かもめ』『桜の園』『三人姉妹』などの戯曲が有名です。時々、思い出しては全集を読んでいます。

                   

                   

                  かなり古くなったチェーホフ全集。日々の生活を維持するのに精いっぱいだったころ、アルバイトで得た大枚をはたいて買いました。


                   

                   

                  チェーホフが言いたかったのは、次のようなことです。恋をして幸せになる以外、人生は無意味な出来事の連続だ。そして、恋に落ちることは、人生で最も簡単なことの一つである。なぜならそれは幻想だから。落とし穴はあちこちで待ち受けている。人生で最も難しいのは、その女あるいは男を愛し続けること。すなわち幸せになることだ。

                   

                   

                  彼の作品の登場人物は、今で言えば、毎日会社に出かけ、途中でゴミを捨て、家のローンやこどもの教育を巡って妻(夫)と言い争いをし、レンジで温めた冷凍食品を食べ、会社帰りに軽く一杯やることが楽しみなごく普通のサラリーマンです。こんなさえない自分を妻(夫)は今でも愛してくれているのだろうかと考え、どこか自信をなくしているような人物です。

                   

                   

                  そんな人物を通して、チェーホフは言います。恋は冷める。男も女も関係ない。この人生の冷厳な現実から目を背けてはならない。もう愛せなくなった妻がいる。顔を見るのもぞっとする夫がいる。彼らは、かつて身を焦がして愛し抜いた人だった。そのかつてのいとしき人を、かつてと同じような「純愛」では愛せない。そう思って人生に絶望している人に、いい加減に目を覚ませ、そんなことは当たり前のことだと言うのです。

                   

                   

                  チェーホフの作品に『決闘』という中編があります。秀才で文学青年のラエーフスキーは大都会ペテルブルグで人妻のナジェージダと激しい恋に落ち、ロシア南部のコーカサスの田舎町へ「本当の生活」を求めて逃げてきます。しかし頭だけで考えたそんな暮らしができるはずもありません。最近ではナジェージダへの愛も冷めきっています。

                   

                   

                  あんなに愛した女なのに、一緒に住み始めると、何もかもがいやになる。他に好きな女ができたのではない。ただ、身を焦がすような、道ならぬ恋の炎が落ち着くと、毎日が平凡で、単調な「生活」に変わるだけ。気がふさぐ。ちょっとしたことで、イライラする。おれの人生を破滅させたのは、すべてこの女のせいだと思い始める。昔は好きでたまらなかった、女の愛らしいしぐささえもが憎悪の対象となる。

                   

                   

                  <今度は、あらわな白い首筋と後ろ首を這う巻き毛の束とが、たまらなくラエーフスキーの気にさわるのだった。夫への愛の冷めたアンナ・カレーニナにとって、何より厭でならなかったのは夫の耳だったという話を思い出して、彼は『本当だ、あれは実に本当だ』と思った。(略)彼女が牛乳をかけたジェリーをまず匙で触ってみてから、やがて牛乳をすすりながらものうげに食べはじめたとき、こくんと喉の鳴る音がするたびに、彼は嫌悪のあまり髪の根がかゆくなるほどだった。(略)彼は自分をとがめる気はせず、かえってこうした感情を起こさせるナジェージダが無性に腹立たしかった。世の中の男が愛人殺しをする気持ちがわかるような気がした>

                   

                   

                  そこにラエーフスキーの不実さが許せない「人生の検察官」フォン・コーレンなる人物が登場します。狭隘な正義をふりかざして芸能人の不倫を糾弾するワイドショーのコメンテーターのような人物です。お互い対極にあるようなこの二人が、ある出来事をきっかけに衝突し、命をかけた決闘へとなだれ込んでいきます。二人は夜明けの町はずれでピストルを手に至近距離で向き合います。

                   

                   

                  軟弱な文学青年ラエーフスキーには射撃の心得などあるはずもありません。死を覚悟した彼は、出がけに、愛人のナジェージダと言葉を交わします。そして、不安で恐れおののく、身寄りのない、罪深くもあるこの不幸な女こそが、自分にとって唯一の、親身の、かけがえのない人間であることに気づきます。ラエーフスキーは、初めて、この女と生きたいと、痛切に思います。

                   

                   

                  かつて愛し合った。ただそれだけで、どんなにお互いを頼りにしたか、お互いの欠点をよろこんで許し、それぞれを尊重し合うことができたか。かりに人生の荒波によって夫婦関係が破綻しかけたとしても、この世には実に少ない、尊いものであることか。それだけでも相手に寛大に接するには不足だというのか。チェーホフは、そう言いたかったのではないでしょうか。

                   

                   

                  夫婦の中心に「純愛」を置けば、おそらくかなりの確率で夫婦関係は破綻するでしょう。なぜなら、「純愛」は空想の産物だからです。「この人のために生きる」「この人への愛は変わらない」という、愚かな思いこみと、相手にもそれを求める傲慢さは生活をむしばみます。身を焦がすような「純愛」は若いときの特権です。

                   

                   

                  この事実に気がつけば、「純愛」が終わった後の、気持ちが安らぎ、和やかで、精神的に落ち着いた幸福な時代を迎えられるかもしれません。それは、相手に何かを求めるのではなく、現在すでにそなわっているもの以外に何一つ必要ではないことに思い至ることです。

                   

                   

                  さて、『決闘』の結末はどうなるのでしょうか。ラエーフスキーは、自分の拳銃を空に向けて撃ちます。一方、フォン・コーレンはラエーフスキーの額に冷酷に狙いを定めます。結末を知りたい方は本屋さんへ急ぎましょう。

                  | 文学・哲学・思想 | 15:18 | comments(0) | - |
                  映画 『シチズンフォー|スノーデンの暴露』
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                    ジョシュア・オッペンハイマー監督の『アクト・オブ・キリング』と『ルック・オブ・サイレンス』はドキュメンタリー映画の最高傑作だと思っていました。ブログでも紹介しました。ところが今日(9月15日)大分のシネマ5で観た『シチズンフォー|スノーデンの暴露』は、それを上回る衝撃でした。第87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞をはじめとして40もの賞を獲得しています。 またスクープ記事を掲載した英国誌ガーディアンはピューリッツア賞を受賞しました。

                     

                     

                    監督のローラ・ポイトラスは2013年1月、「Citizen Four」と名乗る人物から暗号化されたEメールを受け取ります。その人物はローラに対して、NSA(アメリカ国家安全保障局)が米国民の膨大な通信データを収集しており、政府当局が秘密裏で行っている違法の盗聴行為について、内部情報を伝えたいというものでした。

                     

                     

                    ローラが香港のホテルで出会ったその人物とは、エドワード・ジョセフ・スノーデンでした。スノーデンの口からは次々と世界中を揺るがす衝撃の内容が明らかにされていきます。

                     

                     

                    民主主義を脅かすほどのアメリカ政府の傍若無人な行為と、それを阻止しようとするスノーデンやジャーナリストたちのバトルが見物で、なぜスノーデンが命の危険を犯してまで、内部情報を暴露したのかがよく分かります。

                     

                     

                    8月に見た『スポットライト−世紀のスクープ』同様に、調査報道にたずさわるジャーナリストたちの使命感は感嘆するばかりです。同時にこのような使命感と能力を持ったジャーナリストは私の知る限り日本にはいません。ましてやそれを支えるジャーナリズムの世界などこの国には絶無です。この映画を観た後では、日本のテレビの報道番組は幼稚園の学芸会のようなものだと思いました。

                     

                    この映画も是非観てもらいたいですね。

                     

                     

                     

                    まさに「事実は映画より奇なり」です。暗号化されたEメールによる監督とスノーデンのやり取り。どれだけ盗聴技術が進んでいるかが分かるスノーデンの解説。そして世界中の人々のプライバシーがどれだけ侵害されていて、それがいかに危険なことかを示すストーリー。映像も、構成も、ドキュメンタリーの粋をはるかに超えていて、まるでフィクションのスパイ映画を見ているようでした。

                     

                     

                    政府のために働いていた スノーデンがなぜアメリカを裏切ってまで内部告発したのか。それはスノーデンがアメリカ政府のプライバシーを侵害した行為がどれだけ危険であるかを一般市民よりもずっと深いレベルで理解し、日常の生活が脅かされる光景が鮮明に想像できたからです。ある有名なハッカーによる講演会のシーンでこんな説明がされていました。

                     

                     

                    「クレジットカード、地下鉄のカード、デビットカードなどから別々の情報をつなぎあわせるだけで、あなたの行動パターンも分かるし、別の人の情報と照らし合わせれば、あなたがどこで誰と会って、なにをしていたかも分かる」

                     

                     

                    これがどれだけ危険なことかというと、悪用すれば人を誘拐することも、個人のスキャンダルを暴露することも、あるいは警察が軽犯罪をでっちあげて善良な市民を逮捕するなんてことも簡単になります。

                     

                     

                    それがまかり通れば、プライバシーはもはやなくなってしまい、人々は監視されている恐怖からプライベートで自由な発言もできなくなってしまいます。その結果、政府と国民のパワーバランスが完全に崩壊した独裁国家というディストピアが誕生するのです。

                     

                     

                    本来アメリカの法律では政府は裁判所の許可なしに通信会社などから個人情報を入手できないにも関わらず、ある電話会社からは顧客全員の通話情報を受け取って「国家の安全のため」という大義名分の下、チェックしていたそうです。もちろんアメリカ政府はアメリカ国内だけでなく、同じような行為を世界各国でやっています。

                     

                     

                    もちろん電話だけではありません。グーグル、ユーチューブ、フェイスブックなどの全ての記録は見られていると思ったほうがいいですね。

                     

                     

                    スノーデンはCIA(アメリカ国家安全保障局)の内部にいた人間であり、通信技術のプロなので、自分の命が狙われるという恐怖を肌で感じていたはずです。もちろん今までも国家同士が諜報活動として、たとえば大使館などを盗聴してお互いの情報を盗み合うことは当たり前にありました。しかしそれがテロの容疑者でもなんでもない一般市民のレベルにまで達しているのです。

                     

                     

                    スノーデンによると、普通のデスクトップからアメリカ政府が採用している無人航空機「ドローン」の映像をリアルタイムに見ることも簡単で、ドローンは意味も無く容疑者でもない人々の家とかを何時間も盗撮しているそうです。

                     

                     

                    また、この映画の撮影中にもスノーデンは盗聴や盗撮を常に気にしているために、電話を使わないときは電話線を抜き、パソコンを使ってパスワードを打つときには頭に毛布を被ってタイプします。毛布を被るのはタイプした指や目の動きなどでパスワードを解読できてしまうから、といった驚きのスパイ活動の裏側も知らされます。

                     

                     

                    長くなりました。これ以上はどうか映画をご覧ください。私はこの映画を観て、これまで漠然と考えていたことがクリアに見えてきました。今、安倍政権は「共謀罪」を成立させようと目論んでいます。その意図もこの映画を見たことではっきり理解できました。

                    | 読書・映画 | 23:07 | comments(0) | - |
                    勇気ある告発
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                      2016年9月13日付け、BBC、NEWS JAPANの記事を引用します。

                       

                      ― 米俳優ジョージ・クルーニー氏は12日、ワシントンで記者会見し、南スーダン内戦の双方の当事者とその家族が、武器商人や国際金融機関を通じて巨額の利益を得ていると告発する報告書を公表した。

                       

                       

                      2012年、ワシントンのスーダン大使館の前で抗議し逮捕されるジョージ・クルーニー氏

                       

                       

                      クルーニー氏たちが設立した調査組織「The Sentry(見張り)」による2年間の内部調査にもとづく報告書によると、内戦で対立するキール大統領とマシャール副大統領、双方の側近将軍たちが、戦争犯罪によって金銭的な利益を得ているという。

                       

                      クルーニー氏は記者会見で、自分たちが戦争犯罪の資金源になっていると知った上で南スーダンと取り引きを続ける国際金融機関は、今後「名指しして、辱めていく」と警告した。― (引用終わり)

                       

                      クルーニー氏の告発の動画をご覧ください。

                      http://www.bbc.com/japanese/video-37346417?post_id=1170036656389178_1170039103055600

                       

                       

                      稲田朋美防衛相はこれでも自衛隊の南スーダンにおける活動を「駆けつけ警護」にまで拡張するつもりでしょうか。自衛隊員の皆さんはこの事実をご存知でしょうか。自衛隊員の発射する一発の銃弾が、戦後日本が築き上げてきた平和を崩壊させるのです。同時に、アメリカに対する完全属国化が完成します。

                      | 戦争・南スーダン | 21:43 | comments(0) | - |
                      自衛隊員とその家族の皆さんへ
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                        3・11東日本大震災の時の自衛隊員の皆さんの献身的な活動を見て、私は何度も涙しました。自衛隊員が引き上げるとき、被災者が感謝の横断幕を掲げ、手を振っているシーンを今でもはっきりと覚えています。

                         

                         

                        その後の豪雨災害の時もしかりです。被災地の皆さんは、どれほど勇気づけられたことでしょうか。被災者に直接手渡すおにぎりの一つひとつ、水の供給、トイレの設営、ヘリコプターでの救助等によって命を助けられた人は、そのことを生涯忘れることはないでしょう。

                         

                         

                        しかし、自衛隊は軍隊である以上、国家の存立を「力」で支えるという、もう一つの役目を担っています。その力の行使を、専守防衛の範囲に制限してきたのが憲法9条でした。

                         

                         

                        私は憲法9条があったから、戦後71年間日本は戦争をしないで済んだのだとは考えていません。ただ外交上のマニフェストとして大きな役割を果たしてきたことは確かです。海外派兵の要請を、憲法9条を根拠に断ることができたのですから。この点については、自衛隊員の皆さんを念頭において書いた

                         

                        『100年後の生存戦略―その1・国防』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=199をお読みください。

                         

                        あわせて『国を守るということ−忘れられないシーン』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=22

                         

                        『こどもを撃つことができるのか』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=144

                         

                        もお読み頂けると幸いです。

                         

                        ところで、自衛隊員の皆さんは入隊に際して服務の宣誓を行います。その文言は「私はわが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し(中略)事に臨んでは危険を顧みず、身を持って責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」(自衛隊法施行規則第39条)となっています。

                         

                         

                        特に後半部分は他の公務員にはない文言です。その意味で、防衛出動命令が出されるということは、隊員にとって「遺書を書く」ことを意味します。事実、陸上自衛隊北部方面隊では2010年夏以降、所属部隊の上長から「『家族への手紙』を書き、ロッカーに置くよう」命令されるのが常態となってきたとの報道もあります(毎日新聞2015年7月2日)。

                         

                         

                        これまで南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた自衛隊は、戦闘域にはほど遠い地の道路などインフラ整備に当たっていました。つまり、自衛隊の紛争地帯への派遣は非戦闘地域に限られていたのです。

                         

                         

                        しかし、安倍政権は、今年3月に施行された安保関連法を根拠に、正当防衛などに限っていた武器使用基準を緩和しました。11月派遣の青森部隊から、派遣先が戦闘域に拡大されます。

                         

                         

                        その結果、武装集団に襲われた国連要員らを自衛隊員が急行して助ける「駆け付け警護」や宿営地の共同防衛が可能になり、これら新任務をいつから適用するかが焦点になっていました。

                         

                         

                        稲田朋美防衛大臣は今月中にも南スーダンを訪問する方向で調整に入ったそうです。安保関連法を根拠に「駆け付け警護」の任務を、次期派遣部隊に与えるかどうかの判断材料にするとのことです。

                         

                         

                        PKO参加5原則の第1項には「紛争当事者間の停戦合意が成立していること」とあります。しかし、南スーダンでは対立する二つの勢力による緊迫した状態が続き、7月に起きた衝突で300人以上が死亡したとみられています。

                         

                         

                        日本大使館員や国際協力機構(JICA)関係者らはすでに国外退避しているのです。安倍政権は、自衛隊をPKOに出す際の「5原則」は保たれていると主張していますが、事実に反します。

                         

                         

                        南スーダンの状況を見れば、自衛隊を派遣していること自体がPKO参加5原則に違反していることは明らかです。この状況でさらに「駆け付け警護」を担わせるのは、まったく筋が通りません。

                         

                         

                        まさか稲田朋美防衛大臣は、「駆け付け警護」にゴーサインを出すために南スーダンを訪問するのではないでしょうね。私が「まさか」と思ったことは、安倍政権の下でことごとく現実になっているので心配です。



                        今後、日本の自衛隊員が南スーダンの銃撃戦で命を落とすかもしれません。専守防衛で日本国民の命を守るのではなく、アフリカの僻地にまで自衛隊員を派遣する日本の利益とはいったい何でしょうか。

                         

                         

                        上からの命令というだけで、わざわざアフリカまで出かけて行き、殺す理由もない少年兵を殺すことになるかもしれません。しかも帰還した時は犯罪者扱いです。私たち多くの国民はそんなことを望んではいません。自衛隊員とその家族の皆さんには、このことをよく考えてもらいたいと思います。

                         

                        南スーダンの少年兵たち

                         

                         

                         

                         

                        万が一自衛隊員に死者が出たとき、遺体は空輸されます。そのとき、日章旗に覆われた棺に、安倍首相は沈痛な面持ちで敬礼するでしょう。彼の思い描く「美しい国」が完成する瞬間です。何もかもが茶番なのです。

                         

                         

                        私は「日本国憲法及び法令を遵守」することを前提とし、専守防衛を旗印に国家・国民を守るために志願してくれた自衛隊員の皆さんに対して、服務の宣誓をやり直すべきだと思います。

                        | 戦争・南スーダン | 13:35 | comments(0) | - |
                        天皇陛下 VS 安倍政権
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                          日本時間9日午前9時半ごろ、北朝鮮が5回目の核実験を行った可能性がある、とメディアが一斉に報じました。午前10時50分ごろ、安倍首相は「もし北朝鮮が核実験を行ったのであれば、断じて許容できません。強く抗議しなければならないと思っています」と述べました。

                           

                           

                          「断じて許容できません」というのは、国民の生命と財産を守る観点からの発言でしょうか。それとも宗主国のアメリカの立場を代弁しているのでしょうか。口で言うだけなら簡単です。日本政府が独自で何か行動できるとでもいうのでしょうか。アメリカの植民地である日本の総理大臣の言うことなど北朝鮮は全く意に介していません。

                           

                           

                          北朝鮮はあくまで宗主国であるアメリカを相手にしています。アメリカの意のままに動くポチ犬を脅して吠えさせているだけです。もし安倍総理が本気で国民の生命と財産を守る気があるなら、日本海側にずらりと並んだ原発を即時廃炉にする決断をし、使用済み核燃料を地下700メートルの深さに埋設しなければなりません。もちろんそれを引き受けてくれる自治体を探すことが先決ですが。

                           

                           

                          前にも書きましたが、今の日本は、たとえて言えば、身体中に54個の手榴弾をぶら下げ、そのうち4個は暴発して左肩が吹き飛び、出血が止まらないにもかかわらず虚勢を張っているオツムの弱い兵士のようです。

                           

                           

                          普通の頭の持ち主なら、こんな状態で宗主国のいいなりになって海外に軍隊を派遣したり、平和憲法を自分の一存で葬り去ったりしないでしょう。逆に、憲法9条を純化することで国際社会を生き延びようとするはずです。ところが、国のトップがこの現実を直視せず、見て見ぬふりを決め込んでいるのですから、国民の命と暮らしは風前のともしびというわけです。

                           

                           

                          今回、私は、安倍首相に対して「断じて許容できず、強く抗議しなければならない」ことがあります。それは毎日新聞をはじめ各紙が報じているように、天皇陛下の生前退位を特措法で決着をつけ、皇室典範を改正せず、しかも生前退位を今の天皇陛下だけに限定しようとする安倍政権の傲岸不遜の企てに対してです。つまり、今上天皇一代限りで、次の天皇はまた終身制ということです。

                           

                           

                          8月8日の天皇陛下のおことばを、謙虚に敬意を持って読めば、これが陛下の本意でないことは誰の目にも明らかです。現に9割近い国民が生前退位を認めるべきだと考え、今上天皇にだけ適用されるべきではないと考えています。

                           

                           

                          しかし安倍政権は、どこをどう読んだかわかりませんが、貧弱な国語力で自分の都合のいいように解釈しました。8月9日のブログ

                           

                          『この国を好き勝手にはさせない − 明仁天皇の遺言』http://oitamiraijuku.jugem.jp/?eid=217

                           

                          を読んで頂いた方にはお分かりでしょうが、私はこの事態を予想していました。安倍政権ならやりかねないと。「謙虚に敬意を持って読めば」という条件をつけたのは、謙虚さもなければ陛下に対する敬意もない、いや敵意さえ抱いている安倍首相のやりそうなことだと思いました。

                           

                           

                          わかりやすいというか、オツムが弱いというか、総理の考えていることがこれほど容易に政策に反映されるのなら、北朝鮮が日本をなめてかかるのも当然です。安倍政権の本質は権力による恫喝とマスメディアのコントロールによる愚民化政策なのです。

                           

                           

                          自分だけの譲位を可能にする特措法は、単なるその場しのぎであり、明仁天皇の意思を尊重したことにはなりません。安倍政権は、コアな支持者である「男系固執派」を裏切ることができないのです。つまり、単なる歴史の復古的倒錯主義者の集まりである日本会議の影響下にあるということです。安倍晋三氏は保守の仮面をかぶった売国奴です。(あちゃ〜、ついにこんな言葉を使ってしまいました。これはネトウヨの皆さんが好んで使う言葉です。私も一度でいいからこのことばを使ってみたかったのです、なんちゃって)

                           

                           

                          小林よしのり氏はこの点を次のように喝破しています。

                           

                          「安倍晋三はこう考えているのだろう。

                           

                          『そんなに譲位したいのなら、さっさとさせてしまえ!』
                          『その代わり、おまえの望みなんか一切聞いてやらん!』
                          『ざまあみろ!』

                           

                          安倍政権は、天皇陛下の玉音放送を、権力への挑戦と受け取って、むしろ陛下を逆恨みし、「仕返し」をするつもりなのだろう。これは天皇陛下(権威)と安倍政権(権力)の戦争なのだ。国民は、どちらにつくかが問われている。」と。

                          | 政治 | 14:16 | comments(0) | - |
                          高校英語・前置詞+関係代名詞
                          0

                            英語という言語体系は、2つの文をつなぐ方法として主に以下の3つを用意しています。

                             

                            1:接続詞を用いる。

                            2:関係代名詞(副詞)を用いる。

                            3:分詞構文を用いる。

                             

                            もっとも、関係代名詞を理解する場合は、「関係」を強調するよりも、「代名詞」であることにウエイトを置くべきです。その方が文章を左から右へ、速く正確に読めます。

                             

                            例えば会話では以下のような使い方がよくみられます。

                             

                            A:And he’s somewhere that looks very much like Hawaii.

                             で、彼はどうやらハワイらしいところにいるようだね。

                             

                            B:Which means he is on vacation?

                             ということは、彼、休暇中ってこと?

                             

                            BはAの発話全体を受けて which を使っています。関係代名詞の本質が、「代名詞」であることがわかりますね。

                             

                            つまり、関係代名詞はあくまで代名詞であり、形容詞節を従えて先行する名詞(先行詞)を限定したり、情報をつけ加えたりします。すなわち、S + V という文構造で動詞の時制をフルに使って先行する名詞を詳しく説明できるのです。具体的に見てみましょう。名詞を修飾・限定する方法を段階的に日本語にしています。

                             

                             

                            1:きれいな花

                            2:きれいな、赤い花

                            3:テーブルの上の、きれいな、赤い花

                            4:テーブルの上の、枯れかかった赤い花

                            5:テーブルの上に投げ捨てられた、赤い花

                            6:これから売らなければならない、たくさんの赤い花

                            7:彼の誕生日にプレゼントするために、昨日、素敵な花屋さんで買っておいた赤い花

                             

                             

                            こうやって名詞(赤い花)を修飾・限定する方法を、段階的に見てくると、7の関係代名詞による修飾・限定が最も詳しい情報を提供していることがわかりますね。7を英語にするためには、まず次の手順で考えなければなりません。

                             

                             

                            まず、赤い花は1本か、2本以上か。これを考えなければなりません。ここでは2本以上だとしましょう。そうすると、話者の頭の中には複数の赤い花がイメージされていて、同時にそれは他の赤い花とは区別された特定の花だという意識があります。この意識が the になります。したがって、The red flowers で始めなければなりません。

                             

                             

                            ここで注意しなければならないのは、theをつけるのは後置の形容詞節によって修飾・限定されているからではありません。つまり、後ろから前の名詞(先行詞)にひっかけて修飾・限定しているので先行詞は特定されている、したがって the をつけなければならないと考えるのは誤りです。a をつけるか the をつけるかは、発話者が選択するのです。そもそも、a や the は名詞に「つける」「飾り」ではありません。

                             

                             

                            ここを詳しく説明すると、英語ということばの本質が見えてきて楽しくなるのですが、それはまたの機会にしましょう。どうしてもという人には、マーク・ピーターセン氏の『日本人の英語』(岩波新書)を推薦しておきます。

                             

                             

                            脱線してしまいました。いや、一見脱線に見えますが、すべての知識は繋がっているのであり、それを予感し、認識することこそが学習なのです。その点で言えば、「脱線」しないことの方がおかしいのです。良い授業は必ずどこかで「脱線」しているものです。

                             

                             

                            本題に戻って、今回は「前置詞+関係代名詞」に絞って、その本質を学習します。

                             

                            以下の問題は、私の塾では高校1年生の終わりから高校2年生のはじめにかけて学習するものです。関係代名詞の働きそのものは単純です。以下の問題を解くには、特定の動詞、形容詞又は名詞と結びついた前置詞の知識が必要です。過去のブログでも書いたように、前置詞の理解は英語を学習する上では欠かすことができません。翻訳家の柳瀬尚樹氏も口を酸っぱくして言っていましたね。

                             

                             

                            ではさっそく問題を見てみましょう。全問正解した人は、高校生として最初のハードルをクリアできています。自信を持って次のハードルに挑んで下さい。

                             

                            Q:空欄に適切な前置詞を入れて下さい。

                             

                            1:We don’t know the extent (     ) which we depend on others.

                             

                            2:We were amazed at the rapidity (     ) which he learned to speak Japanese.

                             

                            3:Nowadays we speak quite easily and naturally of the crisis (      ) which our own civilization is passing.

                             

                            4:What Americans need to be concerned with is the direction (     ) which their culture will go.

                             

                            5:Freedom of speech is a condition (     ) which democracy cannot exist.

                             

                            6:All tourists cherish an illusion, (     ) which no amount of experience can ever completely cure them.

                             

                             

                            最後に「英文構造把握の方法」と題した授業で扱う例題の1つを挙げておきます。空欄には前置詞が入ります。

                             

                            7:The first name (    ) which a child makes conscious use may be compared to a stick (    ) the aid (    ) which a blind man gropes his way.

                             

                             

                            答えは以下の通りです。

                            1→ to 2→ with 3→ through 4→ in 5→ without 6→ of 

                            7は左から順に、of, by, of が入ります。どうです、全問正解できましたか?大切なのは考え方です。長くなるので解説は次回に譲ります。

                            | 英語教育 | 22:29 | comments(0) | - |
                            さびしさと悲傷とを焚(た)いて
                            0

                              父が55歳で死んだとき、母は51歳でした。今から思えば母はまだ若かったのです。父の死後、お茶のお稽古に、まるで心の空白を埋めるようにのめりこんでいました。母の死後、日記の片隅に「お茶をしている時の君が一番君らしい、と夫に言われてうれしかった」とありました。

                               

                               

                               

                              短歌の会で歌を詠み、新聞に掲載されることもありました。母はその切り抜きを大学ノートに貼っていました。残されたノートの中に短歌の習作と新聞の切り抜きを発見したのは、死後のことです。

                               

                               

                               

                              父が死んで3年がたった頃、母は短歌の会で心を許せる男性と知り合いになったのでしょう、時々電話がかかってきました。私が電話に出ることもありました。そんな時、母は待ちかねたように駆け寄ってきて、私から受話器を受け取りました。そのうれしそうな様子は、まるで恋愛中の娘のようでした。

                               

                               

                               

                              そんな母に私は、歳を考えたらどうか、死んだ夫に顔向けできるのかというようなことを言ったのです。その時の母の表情を忘れることができません。私は何という残酷なことを言ったのでしょう。それからというもの、男性からの電話はぷっつりと途絶えてしまいました。

                               

                               

                               

                              私は30歳でしたが、こどもでした。母の気持ちも考えず、夫と死別した寂しさにも思いが及ばなかったのです。こればかりは私の人生における最大の痛恨事の一つです。

                               

                               

                               

                              母が78歳で死んだとき、あの時の母の悲しそうな表情が心中にしきりとよみがえり、昼夜を問わず、突然悲しみがこみ上げてきてどうすることもできませんでした。母が生き返ってくれたら、土下座でも何でもして謝りたいと思いました。こどもから見れば母親は母親なのです。一人の女性として、人間として、どんな思いで、どんな悲しみを抱えて生きていたのか想像することすらできなかったのです。

                               

                               

                               

                              最愛の人を失ったとき、悲しみはその人の経験や時間の蓄積によって独自の相貌を持ちます。親を失った悲しみ、こどもを失った悲しみ、伴侶や恋人を失った悲しみ、人間が一人一人違うように、悲しみの深さも質も一つとして同じものはありません。私たちはただ独りで固有の悲しみと向き合うしかありません。しかし、だからこそ、悲しみは時空を超えて、広く深く他者とつながるのかもしれません。

                               

                               

                               

                              父が一月しか持たないと医者に告げられた時、母はその意味を理解できないようでした。医大で残された日々を看病していた母は、ある時突然私を非常階段に連れていき、父が死んだ後のことを話し始めました。それは最愛の人が死ぬのだということを必死に自分に言い聞かせているようでした。

                               

                               

                               

                              その話の最中、突然、母の目から小さく砕いた氷ような涙が次から次へとあふれ出し、非常階段を転がり落ちていきました。この小さな体のいったいどこにこれほどの涙があるのだろうと、私はただ呆然としていました。

                               

                               

                              日本人はかつて、「かなし」を、「悲し」と書いただけではなく、「愛し」と書き、「美し」とすら書きました。悲しみの中にはどこか愛(いつく)しむ心があり、それは美と呼ぶしかない姿をしているのだと、昔の日本人は感じていたのです。

                               

                               

                              宮沢賢治は、死にゆく妹トシを前にして次のように書きました。

                               

                               

                              もうけつしてさびしくはない

                              なんべんさびしくないと云ったとこで

                              またさびしくなるのはきまってゐる

                              けれどもここはこれでいいのだ

                              すべてさびしさと悲傷とを焚いて

                              ひとは透明な軌道をすすむ

                               

                               

                              妹の死が頭を強くよぎる中で、淋しさに耐え、自分は独り、定められた道を「すべてさびしさと悲傷とを焚いて」すすむと書きます。「透明な軌道」とは、誰の目にも見えない人生の軌道であり、その固有性を指すのでしょう。

                               

                               

                              仏教では死者は極楽浄土に行き、仏になると教えています。しかし、本当でしょうか。悲しみは永遠の別離に伴う現象というよりも、亡き者が私たちの中で再び生き始める合図のような気がします。出会った意味が痛切にわかるのは、その人と二度と再び会うことができなくなってからなのかもしれません。

                               

                               

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